山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

旧東海道Ⅲ(上)

【2016年5月12日(木)】旧東海道
この日は平日だが、午後品川に仕事ができたので、会社には「直帰」ということにして、旧東海道歩きの続きをすることにした。
仕事は午後5時前に終了。5時過ぎに品川駅から京急線に乗った。
前回(5月8日)は梅屋敷駅まで歩いたので、今回はそこから歩くことになる。
平和島で各駅停車に乗り換えて梅屋敷に着いたのは17:19。
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早速、歩き始める。
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しばらくは味気ない、第一京浜を南下する。
拡幅工事が予定されているのか、右側は幅広く空き地になっている。
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取り残された、これら昭和の香りのする飲み屋なども早晩、取り壊されるのであろう。
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駅から200mほどで、右手に梅屋敷公園が現れた。
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江戸時代の商人、山本忠左衛門がこの地で和中散(道中の常備薬)の売薬所を始めた。
その子、久三郎が文政年間(19世紀初め)、三千坪の敷地に梅の木100本をはじめ、カキツバタなどの花々を植え、茶屋を開いたのが、梅屋敷の始まりとされている。
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当時は12代将軍家慶が鷹狩の休憩所にしたほとで、東海道を行き交う旅人にも親しまれ、梅の咲く春には大勢の観梅客で賑わったという。
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その後、明治天皇がことのほか梅屋敷を愛し、明治元年(1868年)から30年(1898年)までの間に9回も行幸したという。
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とくに明治6年3月6日の観梅のおりには自ら梅の木をお手植えされたとのこと。
この梅は後に「仙粧梅」と呼ばれて、庶民にも親しまれたらしい。
そんな由緒もあり、梅屋敷は昭和8年に史蹟に指定され、昭和28年、大田区に譲与された。
ゆえに、正式には「大田区立聖蹟蒲田梅屋敷公園」という。
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当然のごとく、すでに梅は終わっていたが、キショウブが見頃を迎えていた。
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園内には、かつて自然石の里程標があったらしい。
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(これは復元)
「距日本橋三里十八丁」「蒲田村山本屋」と刻まれていたとのこと。

伊藤博文や木戸孝允が梅屋敷で新年の宴会を開いた時、二人が合作した絵の中にも、その里程標は描かれていたという。
残念ながら、里程標は戦後失われてしまった。
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このほか、梅屋敷とゆかりの深い山本久蔵の句碑が残されていた。
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天保五年(1834年)の建立で「神酒ささぐ間に鶯の初音かな 麦住亭梅久」と刻まれている。

こちらは久蔵が弘化三年(1846年)に梅路と号して建立したもの。
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「しら梅の梢や月の高みくら 七十五歳梅路」「松竹は表にうらハ梅の春 六十五歳梅志」「弘化三年のとしきく月 梅家女誌」
とある。梅志とは久蔵の妻のことであろう。
二人の墓は蒲田の妙典寺にあるという。

こちらは復元された歌碑。
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「旅人の神に手向の幣代や白絹咲きし庭中乃梅 狂歌堂真顔」
真顔は江戸後期に数寄屋橋で汁粉屋を営んでいた狂歌師、戯作者だそうだ。
旅人だけでなく、文人も集まる場所だったのだろう。

園内にはかつて多数のこうした石碑があったらしいが、戦後の混乱期にほとんどが失われてしまった。
今はそれらしく整備がなされてはいるものの、当時の風景とはまるで違うのだろう。
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ここも拡幅範囲内になっているようだが、つぶされてしまうのだろうか。
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何らかの形で残してほしいものだが。

ここに「大田区体育館」の門柱があるのは、かつてここが体育館への入口だった名残だろうか。
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さて、第一京浜に戻ろう。
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日本橋まで15km。さっき「三里十八丁」とあったが、ほぼその通りだ。
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多摩堤通りと交差。右折するとJRの蒲田駅だ。
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京急蒲田駅に続く高架線。
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夫婦橋で呑川を渡る。
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すぐに京急蒲田駅。
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かなり巨大な駅だ。
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第一京浜をまたぐ京急羽田線。
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羽田線は2段になっていた。
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六郷用水は多摩川の狛江市付近から引いた農業用水で、今の世田谷区や大田区を潤していた。
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慶長二年(1597年)から14年を要して築かれたが、今は大半が埋め立てられており、跡地の一部が「六郷用水物語」として遊歩道になっている。

第一京浜があまりに殺伐としているので、ちょっと脇道を歩いてみた。
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右手に熊野神社があったので参拝。
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石の扁額は破損がひどく、結構古そうだ。
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でも社殿は比較的新しかった。
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お隣の稲荷神社。
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狛犬に力石。
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少し進むと雑色駅に到着。
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ここの商店街はかなり楽しそうだ。
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帰りはここで途中下車して、一杯やって行こうかという気になる。
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でも明るいうちはまだ歩くことにしよう。

う~ん、でもそそられる~
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再び、六郷用水通過。
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間もなく、六郷神社の門前に。
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このあたりは多摩川を渡る六郷の渡しがあり、かつてはかなり賑わっていたらしい。
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天喜五年(1057年)、東北地方で起こった反乱の平定のため、源頼義・義家父子が向かうことになった。
その途上、ここにあった大杉に源氏の白旗を掲げて、軍勢を募り、石清水八幡宮に戦勝を祈願した。
見事、乱(前九年の役)を平らげた父子は戦勝を祝って、石清水八幡宮をここに勧請した。それが、六郷神社の始まりとされる。

(つづく)
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