山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

旧東海道Ⅱ(3)

【2016年5月8日(日)】旧東海道
立会川商店街から浜川砲台に向かう。
その途中で旧東海道を横切る。
その交差点で、立会川に架かるのが浜川橋。
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家康の時代に初めて架けられ、今の橋は昭和9年(1934年)の竣工だという。
江戸時代、鈴ヶ森刑場に送られる罪人を家族がこの橋で見送ったことから、「涙橋」とも呼ばれたらしい。

川に沿って、海の方へしばらく歩く。
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おお、幟が出てきた。観光名所なのだ。
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新浜川公園に、砲台の大砲が復元展示されていた。
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嘉永六年(1853年)のペリー来航を受けて、鮫洲に下屋敷を持っていた土佐藩は幕府に砲台を築くことを願い出る。
翌年ペリーが再び来るまでに、土佐藩は8門の大砲を備えた砲台を築いた。
そこに、佐久間象山から砲術を学んだ20歳の坂本龍馬がいたわけである。
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ついでに、土佐名物、鯨のモニュメントまであった。
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さらには黒船?
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龍馬の遺跡を後にして、旧街道に戻る。
浜川橋を渡ると、右手に天祖神社。
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結構、大きな鳥居だ。
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境内には厳島神社。
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本殿。
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略式で参拝して、再び街道へ。
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競馬場通りを渡る。
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見事な看板建築。
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今歩いているのは、このあたり。
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旧街道らしいカーブを描いている。
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こちらもレトロな感じ。
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鈴ヶ森中学校。
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私にとっては、鈴ヶ森と言えば刑場なので、かなり際どい名称に思えるが、地元にとっては普通に地名なのだから、全然違和感はないのだろう。
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浜川神社の標柱はあったが、神社そのものはどこにも見当たらなかった。
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せっかく横に案内板があるのに、神社に伝わる文書のことばかり書かれていて、肝心の社殿のことは触れていなかった。

鈴ヶ森刑場跡は旧東海道と第一京浜が合流する地点にある。
まずは仏様のために、題目を唱えなければならない。
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池上本門寺の二十五世貫首日顗(にちぎ)の筆になるもので、元禄十一年(1698年)もしくは元文六年(1741年)の建立と考えられているそうだ。
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なぜか鯉塚。
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「永代 鈴ヶ森 御花講新橋」とあるが意味はよく分からない。
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磔のための柱を差し込んだ台石。
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柱の上部に罪人を縛り付け、刺し殺したらしい。

火あぶりの刑で使われた火炎台。
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ここに鉄柱を差し込んで罪人を縛り付け、足元に薪を積んで生きたまま焼き殺されたという。あの八百屋お七もそのように処刑された。

ついでに水難者の供養塔もある。
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「一切の業障海は皆妄想より生ず」
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「海のようにひろがり満ちている人間の一切の業(行為)の過ちも、それに原因する心身のさまざまな障りも、すべて自分中心に考える妄想から起こる」という仏教の教えである。

受刑者の墓。
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ここは「鈴ヶ森遺跡」として都の旧跡に指定されている。
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鈴ヶ森刑場は慶安四年(1651年)に開設されたお仕置き場である。
間口40間、奥行き9間の規模があった。
第一京浜の拡幅により、遺構はほとんど残っていないらしい。

となりにある大経寺は実に近代的だが、当時受刑者を供養するために立てられた寺だ。
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首洗の井。
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大地震や火災で横死した方々を供養する「殃死者供養塔」。
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馬頭観世音まであった。
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とにかく死にまつわるものをすべて集めてきたというか、ここに建立したようだ。
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何度も手を合わせて、刑場跡を後にする。
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この先、旧東海道はしばらく第一京浜に吸収される。
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味気ない国道歩きが続く。
右手に大森海岸駅。
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さらに南下すると、歩道に「磐井の井戸」跡がある。
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「磐井」と呼ばれる古い井戸で、もともとは磐井神社の境内にあり、東海道を行き交う旅人の喉を潤した。
「霊水」または「薬水」と呼ばれるほど親しまれたが、道路の拡幅により歩道上に残されてしまった。
土地の人々は、心正しければ清水、よこしまならば塩水の味がすると伝えている。

その磐井神社はすぐ先。
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かつては武蔵国の八幡社の総社に定められたほど格式が高く、10世紀に編纂された『延喜式』にも記載されている式内社だ。
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別名、鈴森八幡宮とも呼ばれ、歴代の徳川将軍も参詣したと伝えられている。
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この神社には、鈴石と呼ばれる不思議な石が保管されているそうだ。
延暦年間(782~806年)に武蔵国国司だった石川氏が奉納した神功皇后ゆかりの石と伝わる。
これを打つと鈴のような音がしたことから、「鈴石」と呼ばれ、「鈴ヶ森」の地名の由来にもなったという。

ここには、鳥の文様が浮き出した自然石の「鳥石」も保管されているのだとか。
江戸時代の書家松下烏石(?~1779年)が寄進したものとされる。
その由来を記したのが、この「鳥石碑」(元文六年=1741年建立)。
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その隣に、ほとんど文字が読めないが、竹岡先生書学碑(寛政八年=1796年建立)。
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その右に、復(退)筆塚(天明六年=1786年建立)。
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他にも、皇太子の野立記念碑や力石など、様々なものが集められていた。
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(つづく)
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