子持山(1296m)から下山し、浅間山(1091m)への稜線を歩いている。
大タルミから登り返した一つ目のピークが牛十二。
名称の由来はよくわからないが、子持山の山頂にあった「十二山神」と関係がありそうだ。
山の神はまたの名を「十二様」と呼ばれたりするので、「十二山神」は言わばだぶりのようなものだが、なぜ「十二」なのかは諸説があるようだ。
1年に12人の子供を産む神だからだとか、1年12か月の安全を守護してくれる神だからだとか、様々言われているが、「牛」と組み合わせている地名があるところをみると、干支と関係があるのかもしれない。
でも、干支の場合、牛は「丑」と表記する。なかなか難しい。
ここがなぜ「牛」なのかも、よく分からない。
でも、何らかの信仰の対象にはなっていたようで、ちょっとかわいい「顔」をした石の祠がぽつんと祀られていた。
一礼して通過する。
でも、せっかく名前が付いているピークなので、「登った山」に加えてあげることにした。
唐突に一株だけクサボケが咲いていた。
ミツバツツジを愛でながら、なだらかな道を軽快に進む。
実に歩きやすい。
ここのツツジはまだつぼみ。
この「四」のペンキの意味はよく分からなかった。
浅間山への登り。
大タルミから30分かからずに着いてしまった。
「山と高原地図」にコースタイム1時間5分とあるが、これは甘すぎるのではないか。
実は、子持山山頂から子持神社までのコースタイムは4時間35分になっている。
これに林道歩きにかかると思われる45分を合わせて、下山には5時間20分。
急いでも4時間半はかかるだろうから、車に戻るのは夕方の5時になってしまう。
でも、ここまで1時間45分のところを50分弱で来てしまった。
この調子なら3時すぎには下山できてしまいそうだ。
こんなことから、屏風岩や獅子岩をはしょるんじゃなかった。
が、あとの祭りである。
浅間山にも小さな石祠が3つ祀られていた。
それから、「冨士浅間皇大神」の石碑も。
展望はほとんどきかないので、あっさり通過。
だらだらと下っていく。
時々、岩場もあるが難なくクリア。
これはワニ岩と命名しよう。
歩きやすくてトレランのできそうな道だ。
浅間山から10分ほどで5号橋への分岐。
ここから下山してしまう案もあったのだが、時間に余裕ができたので、このまま尾根沿いに直進する。
間もなく洞穴のような場所を通過。
これが地図にある「炭焼」かなとも思ったが、確認のしようがない。
地図では、さっきの分岐のところが「炭焼」ということになっていたが。
この先に、大日なるものへの分岐が出現。
地図に掲載がないので、どのくらい先にあるものなのか分からないが、試しに行ってみた。
すぐにちょっとしたピークが出てきて、ここのことだろうかと思った途端、梵字を書いた円形の石碑が現れた。
ああ、これのことかと納得。
戻ると、さっきの道標の先にまたまた石祠が見えた。
ここにはいくつも並んでいた。
首のない石仏は廃仏毀釈の結果だろうか。
おっと、ここが炭焼だった。
なぜ炭焼なのかは、これもまた説明板がないので分からない。
なので、撮影のみで通過する。
この先、ちょっとした岩場を通る。
ミツバツツジ(左)とヤマツツジ(右)の競演。
ヤマツツジはまだつぼみのままだ。
次のピークは仏岩。
いわゆる山名板があり、標高920mの表記も見える。
「登った山」に加えましょう。
このあたりから先は道が単調であることもあり、走ることにした。
すぐに二本木。
地名の由来になったかもしれない2本の目立つ木は見あたらなかった。
どんどん坂を駆け下り、794mの三角点を通過。
傾斜が徐々に急になってきた。
地図にないポイントが出現。ソゲ岩だそうだ。
これのことだろうか。
このあたりまで下りてくると、やっとヤマツツジも咲いていた。
ミツバツツジとは、こんなに色が違う。
引き続き急な下りだが、構わず走る。
尾根の東は広葉樹、西は針葉樹。
ここで尾根を外れる。
植林の中も走り抜けた。
(つづく)
スポンサーサイト