山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

鎌倉(4)

【2016年5月1日(日)】鎌倉
名越切通しから法性寺へ向かう。
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こちらにも凝灰岩の崖がある。
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これこそが石切り場の跡だ。時代は分からないが。
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水が溜まっているところもあった。
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これはやぐらではなく、やはり採石した跡だろう。
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笠に「小」の記号は採石会社の屋号だろうか。かなり新しい加工の跡かもしれない。
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外観はこのようになっている。
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風化は進んでいても、直線的な雰囲気があるところは鎌倉時代の石切り場と言えるのかもしれない。
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奥に見えるのは、「お猿畠の大切岸」。
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やはり、一段下のこちらとは雰囲気が異なる。
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法性寺の墓地を通り抜けて、日朗上人(1245~1320年)の廟所に出た。
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日朗上人は日蓮の弟子で、七面山敬慎院の開祖でもある。

見学は後回しにして、まずは最も高い場所にある山王社に参拝。
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階段を登ると、さっき対岸から見えた五重の石塔がある。
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ここからは大切岸を一望することができる。
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どう考えても、あれは石切り場ではない。
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墓地との位置関係はこうなっている。
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振り向けば、逗子市街。
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階段を下りると、左に本堂(祖師堂)。日蓮の坐像が安置されているという。
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法性寺は日朗上人が布教活動の拠点とした比企ヶ谷妙本寺、池上本門寺の「奥の院」という位置づけになるらしく、正面には「長興 長栄 両院奥之院」との扁額が掲げられている。
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「長興」は妙本寺の、「長栄」は本門寺の山号である。

その左には日蓮が避難して籠居したという岩窟があった。
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ここが、白猿に連れられてきたと伝わる場所である。

本堂の手前の石灯籠には「入仏供養之切石」と刻まれていた。
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再び、日朗上人の廟所。
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「日朗菩薩墳墓霊場」と扁額にはある。
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格子の中を覗き込むと、五輪塔が1基あり「南無日朗菩薩・・」と刻まれていた。
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ここは猿が守り神。
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少し下ると、現代の五輪塔墓があった。
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こういう墓が今でもあるとは。やはり私の墓は五輪塔にしよう。
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坂を下ると、法性寺の甍が見えてきた。
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庫裏である。
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ここで法性寺の性格を整理しておこう。
日蓮は法華宗こそが人々を救うと説き、文応元年(1260年)、「立正安国論」を著して、時の執権北条時頼に上程した。
しかし、その論は当時の仏教諸宗派が無力であることを批判していたことから、松葉ヶ谷の草庵は焼き討ちされてしまった。
山伝いに難を逃れてきた日蓮が白猿に救われたという話は前回述べた通り。
法難を救った地として、日蓮の弟子、日朗と朗慶の手で元亨元年(1321年)頃に創建されたのが、この寺院である。

長い参道を下ると、山門に至る。
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まさに「猿畠山」だ。
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山門の横には「日蓮大聖人焼打御避難之霊跡」と大書された石標が立っていた。
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山門をくぐると間もなくJR横須賀線にぶちあたる。
線路に沿った車道を左折して逗子駅方面に歩くと、足元に馬頭観音。
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そして庚申塔群の前を通過する。
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名越切通しから下ってきたこの道はかつての「鎌倉みち」であり、江戸時代は東海道から浦賀奉行所に通じる「浦賀みち」でもあった。

庚申塔だけに「見ざる・言わざる・聞かざる」。
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この先を左折すると、間もなく岩殿寺の入口。
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この参道も長い。
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参道には、坂東三十三か所観音霊場を示す石碑が一番から順番に並ぶ。
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ここは第二番札所である。
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寺伝によれば、養老四年(720年)、徳道と行基の開創と伝わる。
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鎌倉幕府成立後は将軍家の信仰が篤く、『吾妻鏡』には頼朝、政子、頼家、実朝など歴代将軍家の参詣が記録されているのだとか。
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山号は「海雲山」。
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山門をくぐると、左手に泉鏡花の句碑。
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「普門品(ふもんぼん)ひねもす雨の桜かな」(普門品とは観音経のこと)
鏡花は明治35年と37年の夏、愛人すず女と逗子に滞在し、ここ岩殿観音にはよく足を運んだらしい。

右手には「利生堂」。
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まずは長い階段を登る。
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参道には、「観世音」の石碑や子育地蔵尊。
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長く歩いてきた身には結構こたえる。
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石段の曲がり角に、後白河法皇ほかの報恩供養碑。
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そして爪掘不動尊。爪の病にご利益があるらしい。
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登り切ると、やっと観音堂。
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寄棟造りで間口3間、奥行き5間。享保十三年(1728年)の再建である。
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堂内には秘仏の十一面観音菩薩立像が安置されているとのこと。
本日の無事を感謝し、丁寧に参拝した。

観音堂の手前右には熊野権現社。
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そして鏡花が寄進したという「鏡花の池」。
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観音堂の右側には五輪塔が集められていた。
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そして、真後ろに奥の院。
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もともとは岩窟だったらしいが、今はコンクリートで固められている。

ぐるりと回りこんで、左奥には猿田彦神社と稲荷明神社。
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さらに奥より観音堂を俯瞰する。
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ここからは逗子市街を眺望することができた。
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階段を下り、納経所に立ち寄る。
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慈母観音と慈父観音。
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これで本日の史跡めぐりは終了。逗子駅に向かう。
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広い道に出る辻には、「阪東二番観音霊場」と刻んだ道標が残っていた。
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途中、ソフトの看板を見て、思わず寄り道。
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「とちぎや」という豆腐のお店だった。
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でも、「逗子土産」が売っていた。おいしそうなドラ焼きだったが我慢。
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落ち着いたところで、駅へ。踏み切りを渡る。
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そこに湘南クッキーの自販機。これはめずらしい。
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逗子なぎさ通りを通って、午後4時前に逗子駅に到着。
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缶ビールを買って16:09発のエアポート成田に乗り込んだ。
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ここはぜいたくしてグリーン車。

わざわざ逗子まで歩いたのは訳がある。鎌倉から乗ると大混雑でまず座れないことが分かりきっているからだ。
案の定、鎌倉駅のホームはごったがえしており、乗り切れない人もいたようだった。
それを横目に悠然とビールをあおる。気持ちいい。

17:07、1時間弱で東京駅に到着。
勢いが付いてしまったので、八重洲口で飲み直してしまった。
「美少年」という大きな看板が目に入り、迷わず突入。
熊本応援と称して、「美少年」をがぶがぶ飲み、すっかり酔っ払って帰宅した。
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これも山麓酒場だろうか。

【行程】2016年5月1日
鎌倉駅(10:05)~八雲神社(10:16)~祇園山(10:27)~腹切りやぐら(10:57)~大御堂橋(11:19)~釈迦堂切通し(11:35)~衣張山(12:04撮影・昼食12:30)~大切岸(13:04)~名越切通し(13:25)~まんだら堂やぐら群(13:34撮影・休憩14:05)~法性寺(14:25)~岩殿観音(14:56撮影・休憩15:23)~とちぎや(15:30休憩15:42)~逗子駅(15:53)
※所要時間:5時間48分(歩行時間:4時間50分)
※登った山:4座(祇園山、衣張山、浅間山、名越山)
※歩行距離:10.5km
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