山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

鎌倉(1)

【2016年5月1日(日)】鎌倉
前日までの1泊破線山行でちょっと疲れ気味だったこともあり、この日は休養日。
鎌倉へ史跡歩きに出かけた。
とは言っても、純粋な街歩きではなく、当然「山」もからめる。
超低山だが、祇園山と衣張山も織り交ぜてみた。

出発は9:08東京発の快速アクティー熱海行き。
東海道線なので始発かと思っていたが、乗客を大勢乗せて入線。
そっか、昨年から宇都宮線と乗り入れていたんだった。
おかげで最初はつり革。川崎あたりでやっと座れた気がする。
大船で横須賀線の普通久里浜行きに乗り換え。
10:01に鎌倉に着いた。

予想以上の大混雑だ。ホームも階段も改札付近も観光客でごったがえしている。
なんとかすり抜けて、駅前に出た時はホッとした。最初からやれやれである。
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GWの鎌倉がすごいことは承知していたが、これほどとは。
でも、今日歩くところは、そんなに人が多くない場所のはず。
息を整えて歩き出す。

若宮大路を渡って右に少し歩き、郵便局の角を左折する。
すぐに小町大路に出る。
右手には日蓮宗の本覚寺。
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「東身延」とあるのは、二世の日朝がのちに身延山久遠寺の住持になり、そこにあった日蓮の遺骨をこの寺に分骨したから、そう称されるようになったらしい。
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本覚寺の門前で滑川を渡る。夷堂橋という。
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鎌倉十橋のひとつで、かつてこの地に夷堂があったことにちなむ。
夷堂は、文永十一年(1274年)、佐渡の配所から鎌倉に戻った日蓮がしばらく滞在したところとも言われている。

小町大路を海に向かって南下。
木造の古い酒屋さんの前を通過する。
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間もなく左に見えてきた八雲神社の境内へと入っていく。
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この神社は、永保年間(11世紀)に新羅三郎義光が京都祇園社の祭神牛頭天王を勧請したのが起源と伝えられる。
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奥州征伐に出陣した兄義家を追って参戦した折り、鎌倉の悪疫除災のため祀ったとされる。
厄除け祈願の神社として信仰されているのは、そのためだろうか。

境内に「新羅三郎手玉石」と呼ばれる大きな石があった。
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江戸時代に若者たちが力試しに使った力石であろう。

天水盤は東京オリンピック(1964年)の聖火台も鋳造した武州の鋳物師鈴木文吾氏の作品。
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本殿の左には、諏訪神社、稲荷神社、於岩稲荷社も祀られていた。
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本日の安全を祈願してから、本殿の右側より、祇園山ハイキングコースへと入っていく。
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当然、祇園山とは祇園社(八雲神社)にちなんで付けられた名称である。

神社までは観光客が大勢いたが、ここからは別天地だ。
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少し登っただけで、鎌倉市街が見下ろせる。
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春の野草の小径である。
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祇園山の頂上(標高約50m)には、八雲神社から7分ほどで着いた。
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ここからも鎌倉市街と相模湾を見渡すことができた。
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霞んで富士山が見えないのが、ちょっと残念。

方位盤に浮かぶ島のようなものは鎌倉の市域を示したもの。
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背後には、廃仏毀釈で頭を破却された石仏が2体並んでいた。
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展望を堪能したところで、ハイキングコースを北に向かう。
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目指すは腹切りやぐらである。
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どなたかの忘れ物。
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新緑がまぶしい。
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鎌倉は市街地からちょっと入るだけで、こんな森が残っているので、うらやましい。
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30分近く歩いたところで、左折。
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腹切りやぐらに寄ったら、戻って直進するつもりだったのだが、通行止めになっているようだ。

すこし下ったところが、腹切りやぐら。
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正面に鎌倉幕府の14代執権北条高時の法名(日輪寺殿崇鑑大禅定門)が記された角塔婆が立っている。

中を覗くと、高時の墓と伝わる石塔がたたずみ、その後ろには北条氏一門の菩提を弔う卒塔婆が多数立てかけられていた。
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やぐらとは、鎌倉時代から室町時代にかけて、鎌倉周辺に集中的につくられた武士や僧侶の納骨所もしくは供養施設のことである。山の崖を方形にくりぬき、中には五輪塔などが安置されたり、壁に浮き彫りにされていたりすることがある。
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元弘3年(1333年)5月22日、新田義貞に攻め込まれた高時が一族や家臣870人とともに、東勝寺で自決したことを『太平記』は伝えているが、その遺骨の一部がここに埋められたとの伝承があるという。
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合掌して、辞す。

そのすぐ下に東勝寺跡。更地となって保存され、まわりには柵がめぐらされている。
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東勝寺は3代執権泰時により、得宗(北条氏の嫡流)の氏寺として13世紀前半に創建された。
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鎌倉幕府滅亡時に焼失した後、禅宗寺院として再興され、室町時代には関東十刹に数えられるほど興隆したが、16世紀後半には途絶えたとされている。

再び人里に出る。
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鎌倉は繁華街でなくても、こうしたちょっとした店が無数に出ている。
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家庭の主婦や勤めのご主人がやっているのだろう。
生業ではなく、趣味を生かしたちょっとした小遣い稼ぎという感じだろうか。
みんながみんなそうではないだろうけど、鎌倉とはやはり豊かな町だなあと実感する。

再び滑川を渡る。
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東勝寺橋は鉄筋コンクリートが本格的に導入された関東大震災復興期の大正13年(1924年)に建造されたアーチ橋で、1999年に「かまくら景観百選」に選ばれている。
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橋を渡ってすぐ右側に「青砥藤綱旧跡」の碑(昭和13年建立)が立つ。
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碑文によると、藤綱は2代執権北条時宗、貞時2代に仕えた引付衆の一人。ある夜、誤って銭十文も滑川に落とした折り、五十文の松明を買って水中を照らし、やっと探し当てたという。
これを聞いた人々は、十文のために五十文を費やすのは「小利大損」ではないかと嘲った。
しかし、藤綱は「十文を川底に沈んだままにしておくのは天下の損失だが、五十文は商人の手に渡って天下の利になる」と説いたという。
鎌倉時代にこんな立派な人がいたのか。『太平記』にある有名な逸話だそうだ。

またしても、ちょっとしたお店。
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こちらはカフェのようである。

このあたりの地名はなんだか味わいがある。
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小町大路に出て右折すると、間もなく左側に「土佐坊昌俊邸跡」の碑(大正14年建立)がある。
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土佐坊は頼朝の命により、義経追討にあたった人物である。
夜襲をかけたが利なく死んでしまったらしい。

小町大路は鶴岡八幡宮の門前を横切る道路と合流し、金沢街道となって右に屈曲する。
しばらく行くと、左側に今度は「関取場跡」の碑(昭和6年建立)が見える。
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天文十七年(1548年)12月、北条氏康はここ六浦路(金沢街道)を通る商人などから関銭(通行税)を徴収して、荏柄天神の社殿再興の費用に充てたという。
その関所があった場所らしい。

そのすぐ先を右折すると、大御堂橋が滑川にかかっている。
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滑川には、コイがたくさん泳いでいて、びっくり。
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橋を渡ったところが、「文覚上人屋敷跡」(大正11年建立)。
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文覚は配流先の伊豆で、同様に流されていた頼朝と出会い、平家追討の蜂起を促したことで知られる。
もともとは遠藤盛遠という武士で、人妻の袈裟御前に横恋慕し、その夫の寝首を掻いて思いを遂げようとしたが、首を斬ったのは貞操を守ろうと夫の身代わりになった袈裟御前本人だった。
文覚はこれがきっかけで出家したと『源平盛衰記』は伝えている。

振り返ると、昔なつかしい郵便ポストが現役で頑張っていた。
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突き当りを左折し、滑川に沿って東に進む。
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このあたりは「浄明寺」という。
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間もなく、釈迦堂口切通しへの入り口に着いた。
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ここを右折して、小さな沢沿いに谷戸を遡って行く。
沢にかかる個人宅専用の橋には「私有橋」と書かれたカラーコーンが置いてあった。
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こんなところに侵入する人がいるとは思えないが、車のUターンに使われたりすると不快なのだろう。

(つづく)
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