山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

鳴虫山(3)

【2016年4月9日(土)】鳴虫山
鳴虫山(1104m)を下山中。
独標(925m)を過ぎると、激しい下りが待っていた。
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ロープが延々と垂らされている。
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ちょっとここは使わざるを得ない。
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土砂が流れて、階段も用をなさない状態だ。
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土が露出している部分は、この通り滑りやすい。
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もう何が何だか分からない。
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しばらく辛抱して何とか落ち着いたが、それでも階段のステップになるべき土は流失してしまっていた。
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やっと緩斜面である。
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ちょっと登り返して小ピークを越える。
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ここで道は右に屈曲。
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山名板はもちろんない。
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でも、女峰山(2483m)と大真名子山(2375m)が望めた。
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あとはだらだらと下っていく。
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独標から30分弱で林道に出た。
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しかし、林道はほとんど歩かず、どんどんショートカットしていく。
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林道が錯綜していて、次第に登山道を歩いているのか林道を歩いているのか分からなくなった。
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この涸れ沢で登山道は終了。
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頂上から1時間20分かかった。ほぼコースタイム通りだ。
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ブルドーザーが踏み固めた道を歩きながら、鳴虫山方面を振り返る。
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下界から見る男体山(2486m)。
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さっきの林道の成果か、木材が山積みになっていた。
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日光宇都宮道路をくぐる。
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左折すれば、やしおの湯だが、今回は別のところに行くことにしているので右折。
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すると、日光第一発電所が現れた。
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大正7年(1918年)に造られたもので、石積みが立派だ。
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このあたりで一旦腰を下ろし、靴のひもを緩める。
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この先が憾満ヶ淵。「危険なので立ち入り禁止」とあったが、自己責任で川辺に近づく。
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大きな岩には磨崖仏的な何かが彫り込まれていた。
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憾満ヶ淵は男体山が噴出した溶岩が大谷川に浸食されてできた奇勝である。
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古くから不動明王が現れる霊地として信仰を集めてきた。
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川の流れが不動明王の真言を唱えるように響くので、江戸時代前期の僧晃海が真言の最後の句カンマンを取って、憾満ヶ淵と名付けたという。
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「含満」とも書くので「ガンマン」と濁って読まれることも多いが、「カンマン」と読むのが正しいそうだ。
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松尾芭蕉も「奥の細道」行脚の途中、ここに立ち寄っている。
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ネコヤナギが川面を流れる風に揺れていた。
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第一発電所の坑口を確認して遊歩道に戻る。
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この先は並び地蔵(化け地蔵)。
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慈眼大師天海の弟子約100人が「過古万霊、自己菩提」のため寄進したものだそうだ。
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明治35年(1902年)の大洪水の際に、いくつかの地蔵が流されてしまったという。
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参詣者が地蔵の数を数えると、その都度数が違うので「化け地蔵」とも呼ばれるようになったとのこと。
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私は数えたりはしなかったが、実際いくつあるのだろう。
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表情はどれもみな異なっていた。
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時々、首のない地蔵があるが、これはおそらく洪水もしくは自然劣化によるもので、廃仏毀釈のせいではないだろう。
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上領玄碩墓と読めるが、詳細はよく分からない。
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晃海大僧正は憾満ヶ淵に慈雲寺や霊庇閣、不動明王の大石像などを建立した。
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このうち、霊庇閣は承応三年(1654年)、慈雲寺創建と同時に建立された四阿造りの護摩壇である。
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対岸の不動明王の石像(現存しない)に向かって、天下泰平を祈り護摩供養を行ったという。
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当時の建物は流失してしまい、現在のものは昭和46年に復元されたものだそうだ。

ここからの憾満ヶ淵の眺めも捨てがたい。
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外国人が自撮り棒片手にアングルを思案中だった。
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このあたりは淵と呼ぶにふさわしい場所。
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この先もまだ並び地蔵は続く。
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さすが日光だけに見せ場が多い。
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こちらの地蔵には「覚謙」など、いろんな文字がそれぞれに彫られていたが、僧の名前だろうか。
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地蔵以外の石碑、石塔類も林立している。
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一つ一つ解読できたら楽しいのだろうけど。
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これでお地蔵さんともお別れだ。
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端っこにあったのは慈雲寺の本堂。
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慈雲寺は晃海が阿弥陀如来と師の天海を祀ったものだ。
明治35年の洪水で流されたので、現在の建物は昭和48年の再建。

慈雲寺の棟門は枡形になっている。
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門を出ると、大正天皇の御製歌碑があった。
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「衣手もしぶきにぬれて大谷川 月夜涼しく岸づたひせり」
大正天皇は日光をこよなく愛し、明治29年から大正14年にかけて延べ1千余日も日光に滞在したそうだ。
その間に詠んだ「水辺夏月」の歌を、日光市が市制20周年を記念し、昭和51年に建立したとのこと。

門前の明るい道を東に進む。
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慈雲寺の門前は含満ストーンパークと呼ばれるところ。
そこに昭和48年、地元の方が桜の苗500本を寄贈して植樹したらしい。
その記念碑。
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記念碑の前には西町太子堂が建つ。
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江戸時代の創建で、現在の祠は昭和62年に建て直されたもの。

含満児童公園を過ぎると、茶屋が見えてきた。かんまんの茶屋だそうだ。
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さっき昼食を食べたばかりなので、そばはちょっと重いが、何か甘い物でも。
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生ではないが、ソフトクリームがあったので、黒ごま味をいただく。
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テラスに腰かけてくつろいでいると、同世代かちょっと上くらいのご夫婦が近づいてきたので、ご挨拶。
彼らは宇都宮から車で来たとのこと。
30分で帰れるので、温泉には寄らないのだとか。

失礼して先に出発。
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茶屋の裏には、炭住みたいな木造の平屋が並んでいた。
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里まで下りてくると、アカヤシオがきれいに咲いていた。
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右手に日光第二発電所の100周年記念碑があるというので寄り道。
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これがその記念碑。
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明治26年(1893年)に建設された日光発電所(現在の日光第二発電所)は東京電力としては、現存する最古の水力発電所だそうだ。
その100周年を記念して、水と光の調和を表現したこのモニュメントが建立されたとのことである。

茶屋からしばらくは道端に、こんな石のイスがいくつも並んでいた。
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大谷川を渡る。
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上流には男体山が覗く。
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廃屋を見て、町中へと進んでいった。
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(つづく)
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