山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

品川宿(1)

【2015年2月6日(土)】品川宿
まだ山には行けないが、ちょっと長めに歩く練習として、旧東海道に出かけた。
日本橋が起点だが、そこから歩くとずっと繁華街の中になるので面白くない。
よって品川から歩くことにした。
川崎くらいまで歩けるかなあと思ったが、いろいろと寄り道しているうちに、結局品川宿から脱出することすらできなかった。

10時半前に自宅を出発。
JR品川駅に着いたのは11:45頃。
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駅前の横断歩道を渡り、さっそく第一京浜を南に向かって歩き始める。
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すぐ、右手に高山稲荷神社が現れた。
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創建は不詳だが、500年ほど前に京都の伏見稲荷から勧請されたと言われる。
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高輪の小高い丘陵の上に建てられたので、「高山」と呼ばれるようになったらしい。
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もともと二百数十段の階段があったが、関東大震災に伴う道路拡張により、現在地に移転したとのこと。
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江戸時代には、品川沖を行く船の目標となっていたという。
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第一京浜は高台のへりを走っており、傾斜地がコンクリートで固められている。
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左手には、品川駅港南口に展開する超高層ビル群。
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学生時代、高島屋の配送のバイトでよく港南口に通ったのだが、当時の風景とはまるで一変してしまった。

さて「登った山」を稼ぐべく、御殿山に登りたいのだが、ずっと堅固な石垣が続いていてなかなか入口が見当たらない。
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左手の八ツ山橋も通り過ぎ、新八ツ山橋に至っても、石垣は途切れない。
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どうなっているんだろうと思いつつ、我慢して歩き続けると、三菱開東閣と書いた立派な門が現れた。
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御殿山は公園のようになっていると勝手に想像していたが、その多くが三菱に囲い込まれていたのだった。

引き返そうかと思ったが、すぐ先に御殿山交番が見えたので、一応確認してみた。
「あのお、御殿山って山はあるんですか?」
「山はないですね。このあたり一帯を御殿山と言います」
ここのおまわりさんは親切で、御殿山のことをいろいろと教えてくれた。
お礼をして辞去する。

御殿山の歴史は調べてみると、面白い。
もともとは太田道灌が江戸城に入る前に城を築いた場所で、徳川の時代になると、歴代将軍の鷹狩りの休息所として長く使用されていたらしい。
しかし、元禄十五年(1702年)の大火で御殿が焼失してしまい、休息所としての寿命はそれでおしまい。
ただ、それ以前から桜の移植が行われており、桜の名所としての御殿山は健在であり続けた。
幕末には、品川沖のお台場建設のための土取り場となり、山の北側はかなりえぐられてしまった。
開国後は諸外国の公使館の建設用地となり、文久元年(1861年)に尊王攘夷派による英国公使館焼き討ち事件が発生した。

しかし、これらの舞台は三菱開東閣がある場所ではなく、都道317号(八ツ山通り)をはさんで南側の高台のようで、開東閣がある丘は八ツ山と呼ばれていたようだ。
御殿山の名を冠したマンションや施設は開東閣がる港区高輪4丁目から品川区の北品川3~5丁目にまたがっているので、ややまぎらわしい。

交番まで来てしまったので、開東閣を西から回り込んで、一周してもう一度八ツ山橋あたりに出ることにする。
坂を登ると、ソニー労組の看板のある小さな建物があった。
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ソニーの本社は現在、品川駅の東側に移転しているが、かつてはここ御殿山地区にあった。
当時はソニー関連のたくさんの建物がこの周辺に密集しており、「ソニー村」と呼ばれていたそうだ。
今ではソニー関連の建物はほとんど売却されているので、労組事務所は「ソニー村」の貴重な遺産である。

右手に開東閣の門が開かれていたが、さすがに中に入るのはためらわれた。
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奥に見える石造りの建物が、いわゆる旧岩崎家高輪別邸だろうか。

一般には公開されておらず、敷地には鬱蒼と木々が生えているので、外からはうかがい知ることはできないが、こんな建物のようである。
開東閣
明治22年(1889年)、岩崎久弥が伊藤博文からこの土地を購入、岩崎弥之助が明治41年(1908年)に建てたものだという。
戦災で内部はかなり焼けてしまったが、修復されて現在は三菱グループ29社で管理しているとのこと。

この門前あたりに24.1mの三角点があるはずなのだが、発見できなかった。
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この高台の北面は削られて、垂直な崖になっているが、かなりおおげさな階段が設けられていたので、そこから下りることができた。
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下りた先は港区立高輪南町児童遊園。
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この階段は完全に付近住民の生活道路になっていた。

第一京浜に戻ろうとしたら、忽然とヨーロッパ風の町並みが出現した。
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高輪プリンスガルテンというところらしい。
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ドイツ・ローテンブルグの街並みを再現したのだそうで、結婚式場があったり、高級レストランがあったりする。
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ほんの一画のみなのだが、外見だけは少なくともそれらしい。
全く、ここの存在は知らなかったので、びっくりした。

さて、やっと振りだしに戻った。
八ツ山橋から、旧東海道歩きの始まりである。
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現在の橋は昭和60年3月に竣工したものだが、初代の橋は大正3年(1914年)に架けられた。
当時の欄干が橋詰に保存されている。
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この橋から南の品川教会方面を望む景観が「しながわ百景」の一つに選ばれている。
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奥の高層ビルは御殿山ガーデン、右の緑は開東閣の森。

山手線、京浜東北線、東海道線、東海道新幹線などが居並び壮観な眺めだ。
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逆方向では京急線がJR各線をまたいでいる。
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少し進むと、京急線の踏切を渡る。
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ちょうど電車が通過。
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さあ、いよいよここから品川宿に入る。
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落ち着いたたたずまいの店が、今も旧街道の雰囲気をほんの少し醸し出している。
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問答河岸の碑。
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3代将軍家光が、この近くにあった波止場から東海寺に向かう時、出迎えた沢庵和尚と問答をしたとの故事にちなむ。
将軍「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」
和尚「大軍を率いても将(小)軍というが如し」
なるほど、うまい。

ちょっと街道を外れて、北品川駅に寄り道。
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「品川駅より南にあるのに、なぜ北品川?」とよくクイズになる駅だが、答えは簡単。
本来、品川と呼ばれていた地域の北側に位置することによる。
もともとは、1904年に京急の前身である京浜電気鉄道の品川駅として開業した。
すでに1872年に開業していた現在の品川駅とはかなり離れているにも関わらず、同じ名を名乗ったようだ。
その後、京浜線が現在の品川駅前にあたる高輪駅まで軌道を延伸したのに伴い、なぜかこのタイミングで「北品川」と改称した。
当時の住居表示としては「荏原郡品川町大字北品川宿」であり、もっと南には「南品川宿」の地名もあったので、品川駅の南だからといって「南品川」とは名付けるわけにはいかなかったのだろう。

北品川駅は第一京浜に面している。
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駅前の昭和レトロな喫茶店が今も現役だった。
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旧街道に戻る路地を清水横丁という。
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かつて、このあたりに磯の清水と呼ばれる名水が湧いており、北品川宿の半数以上の家でこの井戸の水を用いていたことにちなむという。
磯というくらいだから、海はすぐ近くだった。
当時は、街道の東側の町並みのすぐ裏がもう海辺だったのだ。
今では東京湾に出るまで3km以上もある。

この横丁付近にも、いい雰囲気の店がいくつかあった。
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街道に戻ると、土蔵相模の石碑。
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土蔵相模とは、品川宿を代表する旅籠だった「相模屋」の俗称である。
往来に面した部分などが土蔵造りやなまこ壁だったので、そう呼ばれたという。
ここが有名になったきっかけは、文久二年(1862年)11月、高杉晋作や井上聞多(のちの馨)ら長州藩の尊王攘夷派のグループが外国人襲撃の謀議を練った場所だったからだそうだ。
この建物は戦前まで貸し座敷「相模楼」として存続。当時の再現模型が品川区立品川歴史館に展示されているとのこと。
戦後は、木造モルタルに改築され「さがみホテル」として1982年まで営業していた。
フランキー堺主演の映画「幕末太陽傳」(昭和32年)のファーストシーンで、「さがみホテル」の本物が映っているらしい。
まだ、そのころはもっと旧宿場町の面影を残していたに違いない。

今はせいぜいこんな感じである。
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(つづく)
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