山と鉄

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井伊谷(3)

【2015年12月28日(月)】井伊谷
龍潭寺(りょうたんじ)を出て、通りを渡り、数分歩いた田んぼの中に、「井伊氏出生の井戸」と伝わる井戸がある。
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立派な白壁で守られている。
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井伊氏の始祖は井伊共保とされる。
家譜によれば、藤原冬嗣六世の孫藤原共資が正暦年間(10世紀末)に遠江守に任ぜられて遠江敷知郡村櫛に来住、その子共保も長和年間(11世紀初め)に遠江守に任ぜられて井伊谷に住み、井伊氏を称した、とある。

その共保がこの井戸から生まれたという伝説がある。
龍潭寺の和尚が江戸中期にまとめた「井伊家伝記」には、「寛弘七年(1010年)正月元日、引佐郡井伊谷にある八幡宮の神主が社参のおり、神田の中にある井戸から容姿端麗な子供が誕生、その井戸の水で産湯をかかり、やがて井伊氏の始祖共保となった」と記されている。
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浜松市教委が設置した現地の説明板の内容は若干異なる。
「一條天皇の寛弘年間、藤原鎌足十二代の子孫備中守共資(ともすけ)公が遠江介として村櫛へ下向、元旦領内平安祈願のため渭伊神社へ参拝されました。たまたま神域の当井戸の傍に嬰児を見付け抱上げつくづく見れば、俊秀麗顔、常人にあらずまことに神授の神童なることを覚り己が子と致しました。後年共資公が自身の一女と婚せしめ、郷名にちなみ名を井伊共保と称し・・」

同じような出生譚なのであるが、とくに井伊氏の始祖の出生譚が井戸に関わっているところが、ミソである。
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(この碑文には「藤原共保」とある)

ここ井伊谷は古代、「井の国」と呼ばれていた。
神宮寺川、井伊谷川などが流れ、水が豊富である上、湧き水も豊富だったことが、その名の由来とされている。
文献には、平安時代に「井の八郎」、鎌倉・南北朝時代には「井伊介」の名が登場する。
「井伊」の名が「井の国」に由来することは明らかであり(「木の国」→「紀伊」と同じ)、井伊氏は代々、この地を治めてきた国人領主であった。
伝説は、その祖先が11世紀と伝えているのであるが、もっと古かったというのが近年の定説である。
先ほど見学した北岡大塚古墳が井伊氏の祖先の墓だとしたら、その歴史は4世紀にまでさかのぼることになる。

とにかく井戸の中を覗いてみよう。
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さすがにもう水は湧いていないようだ。

歴史の旅も小休止。お腹が空いてきたので、お昼にする。
井伊谷宮の門前にあった「新宮」という中華料理屋ののれんをくぐる。
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お目当ては浜松餃子。
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他と違うような特徴的な味ではなかったが、ゆでもやしを添えるのが浜松餃子風らしい。
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もちろん、これだけでは足りないので、合わせて肉にらラーメンをいただいた。
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とくに有名な店ではないと思うが、かなり繁盛していた。

お腹がふくらんだところで、井伊氏の居城があった城山(115m)を目指す。
例の井戸からは1kmほど北に位置する。
登山口がよく分からないが、観光案内板によると、総合事務所の脇にあるようだ。
行ってみると、それらしきものがあったので、車を置いて歩き出す。
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しかし、これは違う道だったようで、登り口を探しながら、東へとトラバースしていく。

すると、300mほど歩いたあたりに、城山公園への標識があった。
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ここにも直虎の幟がはためいている。

果樹園の中をぐいぐい登っていく。
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中腹に、城山稲荷大明神があったので、寄り道。
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それにしても、こちらの幟も景気がいい。
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遊歩道はずっと舗装してある。
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ここからは井伊谷を展望することができた。
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登山口から10分かからずに登頂。
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城山の南麓にあった井伊城は、井伊氏の居城だった。
延元元年(1337年)から元中二年(1385年)まで約50年間、宗良親王はここを本拠として各地を転戦したという。
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頂上からは三岳山(467m)も望める。
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ここから西に下り、二宮神社に向かう。
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ふもとに真っ赤なお社と鳥居があったので、これが二宮神社だと思ったが違った。
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ちょっと道に迷い、人に訪ねつつ、たどり着いたのが足切観世音。
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延元四年(1339年)、南北朝騒乱のさなか、宗良親王が敵の流れ矢を受け、落馬した。
駆け付けた従者が介抱したところ、不思議なことに刺さった場所に傷跡はなかった。
親王はその夜、観音の夢を見たので、翌朝、持仏堂の扉を開けてみた。
すると、観音様の片足が鮮血に染まっていたので、身代わりになってくれたことに感謝し、終生の守り本尊として祈願を続けた。
以来、この本尊は足切観世音と呼ばれ、新たに創建された円通寺がこの観音様を守ってきた。
その後、堂宇は荒廃したが、慶安二年(1649年)、龍潭寺十代黙念和尚により再興されたのが、このお堂である。

足の健康に御利益があるのか、わらじがたくさん奉納されていた。
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今はとてもひっそりとしている。
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近くの巨岩の上に立つ石仏は文化十四年(1817年)の建立。
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車に戻ろうと歩いていると、二宮神社を発見。
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立派な神社だった。
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三宅氏の始祖多道間守(たじまもり)と宗良親王の二柱の神を祀っている。
もとは三宅神社と称した。
井伊氏は、渭伊(いい)神社を象徴する井桁と、三宅神社の橘を家紋としている。

二宮神社の旧本殿跡。
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足跡石。無数にある小さな窪みが、鬼の子供の足跡だと言われてきた。
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そして御神木。
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三つの峰が連なる三岳山。
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すこし歩くと、普光寺。
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足切観世音を守ってきた円通寺が住職不在となったことから、昭和31年、隣接の明円寺と合併し、この普光寺となった。
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駐車場に戻る。
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次の目的地は渭伊神社。
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本殿の裏山に、古代の磐座(いわくら)遺跡があるのだ。
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まずは本殿。
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創建年代は不詳だが、「三代実録」には「貞観八年(866年)十二月二十六日授遠江国正六位上」とあり、延喜式にもその名が見えることから、平安時代初期には成立していたと考えられる。

もともとは龍潭寺の境内にあったが、南北朝時代に現在地に移された。
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御神木。
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左から英霊社、稲荷社、祖霊社。
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左から若宮八幡社、水神社、御鍬社、菅原社
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参拝を済ませ、裏山にある天白磐座遺跡に向かう。
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巨石群を神の依代(よりしろ)とした我が国屈指の規模を誇る古代祭祀遺跡だ。
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平成元年(1989年)に行われた発掘調査により、4世紀後半から平安時代に至るまで、連綿と祭祀が行われた場所であることが判明した。

東西に屹立する巨岩は右が高さ7.4m、左が5.2m。
右の岩の西側の岩陰から、古墳時代の手こね土器や鉄鉾、滑石製の勾玉などが出土。
また二つの岩の間からは、平安時代の経筒容器や和鏡が見つかった。
調査を行った同志社大学の辰巳和弘教授は、「井伊氏の祖先と思われる豪族が、水の祭祀を行っていた場所」と推測している。
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まさにここが井伊氏の原点というわけだ。

(つづく)

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