山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

大山道(5)

【2015年12月27日(日)】大山道
大山(1252m)の門前町をゆっくりと散策中。
「古宮」
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このお宅にはたくさんの木札が貼り付けてあった。名前を記録するのは石だけではないようだ。
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諏訪神社は、永仁三年(1295年)の勧請。
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「源長坊」
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芭蕉句碑。「花盛り山は日ごろの朝ぼらけ」。
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奈良・吉野山の桜を詠んだ句だそうだが、なぜここに?

このあたりにも石碑が林立する一角が。
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猪俣橋を渡って新道へ出る。
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おみやげ「おりべ」(右)と大山観光案内所。
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「青木館」
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1本上にある千代見橋。関東大震災後の木橋が昭和8年(1933年)にコンクリートの橋にかけ替えられた。
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ここから先は車の入れない「こま参道」に入る。もちろん「大山こま」にちなんでいる。
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この参道は新しく造られたもので、実は鈴川(大山川)沿いの道が旧参道である。
関東大震災による鉄砲水や土砂崩れで復旧が遅れたため、住民がそれぞれの屋敷地を提供して設けたとのこと。向かいに同じ屋号の店が多いのはそのためだそうだ。

階段は全部で362段。
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踊り場が全部で27あり、踊り場ごとに食堂や土産物店が並んでいる。

登り口に稲荷社。
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2段目に「和仲荘」。
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4段目は、「金子屋支店」。
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これが特産の「大山こま」。
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1450円。いいお値段だ。

5段目は「旅館あさだ」。
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9段目に「千代見荘」。
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10段目への階段はやや長い。
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11段目への階段の手前に、茶湯寺への道があるので寄り道。
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茶湯寺というのは通称で、正式には誓正山涅槃寺という。
茶湯寺と呼ばれるのは、ここで百一日参りの茶湯供養が行われるからである。
百一日参りとは、故人が亡くなってから百一日目にお礼参りをすること。
人は亡くなると49日はその家の棟の下にいて、50日目に黄泉路の旅に出る。そして100日目に無事に仏になり、茶湯寺で家族が迎えに来るのを待っているので、101日目にそのお迎えとお礼に家族がお参りに行くのだという。
それまで仏壇に供えてきた水を、この日からお茶に変える。これを茶湯供養という。

写真の左下にある「ちゃとうてら」の石碑は、もともとここにあったものではなかったそうだ。
文化八年(1811年)に建立されたものなので、震災後にできた「こま参道」にあったわけはもちろんない。
当時、茶湯供養をしていたのは、大山寺の来迎院と光園坊だけだったそうで、元来はそのどちらかにあったのだろう。
その後、移転したり放置されたり流転の日々が続いたが、「こま参道」ができた頃、涅槃寺への道しるべとして、ここに設置されたとのことだ。

橋を渡って境内へ。
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この「南無阿弥陀仏」六字名号碑は、唯念(1791~1880年)の手になるもの。
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この独特な書体が特徴。唯念は駿河、甲斐、相模を中心に念仏講を広め、各地にこの名号碑を残した。

3体並ぶ舟形浮彫地蔵。
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右は上部に梵字ではなく、「キ」の字を○で囲んで記号が刻まれているため、キリシタン地蔵ではないかとも言われているらしい。
左の風化が激しい石仏は「塩なめ地蔵」と呼ばれている。
塩をなめたナメクジのように溶けているということから名付けられたのか。
それとも潮風で浸食されたことを「塩なめ」と表現したのか。

ほかにも多数の石仏、石塔などが迎えてくれた。
三十三観音菩薩。
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その他、あれこれ。
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寺を名乗っているが、なんだか民家のようなたたずまいである。
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この寺の本尊は、江戸時代に作られた木造の釈迦涅槃像である。
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この像は幕末の頃に、茨城県の大洗海岸で漁師の網にかかって引き上げられたという。
村で大切に祀っていると、豊漁が続いたが、ある夜、この涅槃像が夢枕に立ち、「大山に行きたい」とのお告げがあった。
そこで大山の参道にあった西岸寺に預けられ、この涅槃像で茶湯供養をしたところ大いににぎわったという。
その後、西岸寺が火災にあって、涅槃像は近くの正安寺に移されたが、ここも廃寺となり、今の涅槃寺である西迎寺に安住の地を得た。

西迎寺は昭和27年に、廃寺となった西岸寺と相頓寺を合併して涅槃寺となった。
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境内の奥に進むと、わらべ地蔵が6体。
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先代の広旭和尚が建てたものだ。左端のガッツポーズをしているのがユニーク。

再び大山の参道に戻る。
11段目は「西の茶屋」。
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12段目に、大山こんにゃくの「大山ウルワシ本舗」。
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同じ段に、きゃらぶきの「大津屋」(明治5年創業)。
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14段目。こま煎餅の「橋本屋」。
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15段目は、豆腐料理の「小川屋」。
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16段目、「旅館ねぎし」。
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19段目、20段目は「ゑびすや」。
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21段目、「塚本みやげ店」。
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階段わずか5段上の22段目に、お休所「一福」。
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これはもう廃業しているようだ。

23段目、「はこざき旅館」。
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24段目、豆腐料理の旅館「かんき楼」。
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25段目、「旅館元滝」。いつでも入浴可。
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すぐ横に、かつては本滝と呼ばれた元滝がある。
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ここも往年の水垢離の場であった。

傍らに龍神様。
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階段を登ると、26段目に雲井橋。
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大山川を渡る。
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やっと参道の階段を登り詰めた。
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ようやく、大山ケーブルの駅である。
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でも私は乗らない。男坂を下りてくる時間があったら乗るかもしれないが、今日はもう難しそうだ。

大山寺に向け、さらに石段を登っていく。
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すぐに男坂と女坂の分岐。
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今回は階段が短い方(左側)の女坂を登っていくことになるが、ちょっとだけ男坂を登って、八意思兼社(やこころおもいかねしゃ)に参拝。
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男坂と女坂の分岐にあるから追分社ともいう。
祭神の思兼神は天照大神が天の岩戸に隠れた時、誘い出そうと知恵を絞った神様である。

右手には、いきなり急な男坂の階段。
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江戸時代はほとんどの参詣者が男坂を登った。途中いくつもの堂宇があったが、安政元年(1854年)の大火ですべて焼失してしまい、今は何も残っていないという。

手前にあるこの石組は手水場の跡だろうか。
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ここから初めて伊勢原市街や相模湾を展望することができた。
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少し階段を下りて、女坂を行く。
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かつて、これより上は女人禁制の地であったが、日中のみ大山寺本堂(現在の阿夫利神社下社)までの参詣は許されていた。

(つづく)
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