山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

大山道(2)

【2015年12月27日(日)】大山道
大山道に面して建つ山口家を見学中。
畑の水まき用に井戸端や台所で使った水をためておいた溜め池の跡。
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炭小屋と味噌倉の長屋。
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これで山口家の屋敷内の見学は終了。
まだ朝早くで家屋の中に入ることはできなかったが、門は開放されていたので敷地内は自由に歩くことができた。感謝である。

屋敷の外に出るとすぐ先に、二の鳥居が見えた。
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傍らに立つ石碑「大山阿夫利神社二の鳥居復元の由来」によると、今の鳥居は平成3年に再建されたもののようである。
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この石碑の文面は情緒的で、情報が極めて少ない。
「(幕末の建立)以来今日まで二度の災禍に遭い損壊したまま今日に及んでいた」というのは、倒壊してなくなっていたのではなく、破損したまま立っていたという意味だろうか。
また「有志山口匡一氏からの敷地ご提供によって 建立以来満百四十年に当る此の歳 大山神社を真向いに望む恰好の地に赤御影石による建設当時の威容を復元し」と書かれているとことを見ると、原位置とは微妙に異なる場所に立っているということだろうか。
他の資料で確認すれば分かるのだろうが、肝心なことが曖昧で非常に残念だ。
「此の歳」とあるのも、碑の建立年月日が「平成三年七月吉日」と書かれていることから推測せざるを得なかった。

反対側に立つ石碑「鳥居復舊紀念之碑」もよく分からない。
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これも情緒的で、情報は関東大震災(大正12年)で倒壊した鳥居を復旧したということしか書かれていない。
建立は昭和3年4月である。

いずれも幕末の工事を、言葉を尽くして讃えたくなるのはわかるが、後世の人のために自分たちが何をしたのか、事実関係をしっかり残してほしいと思う。
それと、もう一つ。前者に「二度の災禍」とあるが、それは戦災だろうか。こんな田舎に空襲があったとも思えないが。

帰宅後、宮崎武雄著『相州大山 今昔史跡めぐり』(風人社)を読んで、だいたいのことは分かった。
もともと二の鳥居があったのは五霊神社前だった。現在の位置より東に200mほどの地点だ。
嘉永四年(1851年)に再建されるにあたっては、名主だった山口左次右衛門が発起人となり、江戸も含め方々から寄付を集め、大変な苦労の末、完成した。
この点が、石碑建立者・山田恒雄氏の大いに感謝するところだったわけである。
その後、関東大震災で倒壊。間もなく建て直されたものの、昭和44年にクレーン車の接触により破損した(やはり戦災ではなかった)。
再び倒壊の恐れがあるうえ、バスの大型化による接触事故を防ぐため、鳥居はいったん撤去され、五霊神社の境内に放置されていた。
これを偲びなく思った、山田氏が働きかけ、山口氏から土地の提供を受けて、平成3年、道路をまたがないで済む現在地に移設再建されたというわけだ。
やっと合点がいった。

でも現地では消化不良を感じたまま、鳥居をくぐる。
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しばらく県道を進む。
だいぶ大山(1252m)がすっきりと見えてきた。
こうして改めてみると実に端正な山だ。いにしえの人が崇めたのもよく分かる。
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左手には、高取山(556m)。
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間もなく、「太田道灌公墓の入口」という大きな看板が見えてきた。
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一旦通り過ぎたが、地図を見ると、そんなに遠くなさそうなので、やっぱり寄ってみることにした。
右折するとすぐに、道灌塚前のバス停。
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でも、道灌塚はさらにバス停1区間分離れていた。

大山道(青山道)を横切る。なかなか古道らしい道だ。
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その先に太田神社。
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鳥居の向こうにあるのは社殿というよりは普通の民家だ。
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境内にある胸像は、この神社を開いた岡部眞直氏だそうである。
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名前と位置からして、太田道灌を祭っていることは間違いないのだろうが、由緒は不明である。

このすぐ先に、墓地はあった。
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敷地内にはたくさんの五輪塔や石仏が集められていた。
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墓の前に、心敬僧都の句碑。
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「雲もなほさだめある世のしぐれ哉」
心敬(1406~1475年)は室町時代の連歌師で宗祇の師匠にあたる。
応仁元年(1467年)に関東に下向したが、直後に起きた応仁の乱のため京には戻れず、関東を流浪。ここ大山の山麓に幽居した。
道灌とも交流が深かったこともあり、昭和48年、洞昌院の住職が五百回忌を記念して、墓前に句碑を建てたと説明にあった。

道灌自身の歌碑もあった。
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「いそがずば濡れざらましを旅人の後より晴るる野路のむら雨」

そしてこちらが「胴塚」と呼ばれる墓である。
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手前に枯れた巨木の根が2株残っている。

墓の形式としては宝篋印塔だ。
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いつもこうしてきれいな花が手向けられていのだろう。

この墓域を管理している近くの洞昌院もついでに訪ねる。
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洞昌院は道灌が関東管領上杉憲実の弟道悦和尚のために建てた寺と伝えられている。
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これは道灌の霊廟。ちょうど年末の大掃除をしていた。
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本堂。
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門前にあった道標。
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これで寄り道は終了。

思い付いて、県道との合流地点までは青山道を歩くことにした。
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道のすぐ左を千石堰用水路が流れている。
近所の人は昭和40年代頃まで、この水で野菜などを洗っていたそうで、水辺に下りる石段が今も残っていた。
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その先には道標と庚申塔、道祖神が並んでいる。
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道標の表には「上 大山道」、側面に「寛政十一年 未年六月 当村念仏講中」とある。
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このすぐ先にも庚申塔。
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これは、別の場所にあったものを道路拡張により移動せざるを得なくなったので、土地の所有者が他の自分の土地に移設したものだそうだ。
右の庚申塔は道標も兼ねており、左側面には「此方 かない道」とある。
平塚・金目観音の方角という意味。建立は寛政九年(1797年)。

青山道も今ではすっかり住宅地の中の路地になってしまった。
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このあたりで暑くなってきたので、ダウンをウインドシェルに着替えようとしたら、ない!
なんと忘れてきてしまったようだ(本当はサイドポケットに入っていた)。
仕方ないので、長袖シャツだけでしばらく歩く。
日が当たっているので、風さえ吹かなければ寒くない。
(この後また寒くなってきたので、寝間着用に持ってきたトレーナーを着た)

県道に合流したところが石倉橋。
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このあたりは新東名の伊勢原北ICの予定地にあたるため関連道路の工事が進んでいる。
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これらの石仏や石灯籠も移転させられてしまうのだろうか。
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それとも移転済みなのか。

石倉集落に入る。このあたりから道が狭くなり、勾配も出てきた。
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石倉上集会所。なかなか年季が入っている。
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このあたりまで来ると、田舎の風情。無料販売所が増えてくる。
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宝篋印塔と五輪塔をごっちゃにして積んでいる。
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子易集落に入ると、比比多神社。
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子易明神とも呼ばれ、子宝安産の神様として信仰を集めている。
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私にはとりあえず関係ないことだが、ともかく参拝。
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歌川国経筆の美人図絵馬が奉納されていた。
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国経(1777~1808年)は厚木市上荻野出身の浮世絵師で、豊国の門人だったそうだ。

境内にある大けやき。
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神社の裏には、茅葺の廃屋があった。
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でも、よく見ると、屋根がまだある部分で人が暮らしていた。

ここを右に入って、宗源寺に寄り道。
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お寺の手前に地蔵堂。
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本堂そのものは新しかった。
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阿弥陀堂。
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わらべの庭だそうだ。
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(つづく)

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