山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

城端線・氷見線・石動山

能登に仕事を作り、休みもくっつけて、北陸へ乗り鉄をしに行ってきた。
5月17日、大阪から出張してきた後輩と八重洲で飲んだ後、彼は東海道新幹線、私は上越新幹線で東京を発った。
酔っぱらって、あやうく越後湯沢で乗り越しそうになったが、無事、特急はくたか26号に乗り換える。
あえて指定はとらなかったが正解。ガラガラだった。
六日町からは北越急行のほくほく線に入る。これも未乗車路線なので、のりつぶし達成になるのだが、車窓は真っ暗。一応、のりつぶし地図帳に線は引くが、また来ざるを得まい。
うつらうつらしながら、高岡に23:38着。駅前のビジネスホテルに投宿する。

シャワーも浴びずに即沈。翌朝は5時起きだから。
18日。
高岡駅は北陸新幹線の開業を再来年に控え、駅舎の新築が進められていた。
南口は近代的な駅舎が完成していたが、
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路面電車の万葉線と接続する北口は、まさに旧駅舎の取り壊し中で、貴重な写真が撮れた。
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駅前には、越中守として赴任した大伴家持の像があった。彼の越中在任は5年に及んだ。
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さて、急がなくては。
5:38発の城端行き普通列車に乗り込む。まずは城端線の乗りつぶしだ。
車両はキハ47。なんと4両編成だが、乗客はこんな早朝なので、2~3人しかいない。
たぶん、折り返しで大勢の高校生を運んでくるのだろう。今日は平日だ。
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天気は雨の予報だったが、今のところ何とか持ちこたえている。
発車してまもなく、車窓は田園風景となる。まさに田植えが始まったところだ。
二塚、林、戸出と列車は南へ進んでいく。
西の空は真っ黒。いずれ、このあたりも降り出すだろう。
正面には飛騨の山々が見えるが、富山の地図を忘れてきてしまい、特定はできない。

福野駅は裏側からしか見えなかったが、すばらしい木造駅舎。
福光駅の裏には、銘菓・干柿最中の「坂上松華堂」の工場や倉庫があった。
この間ずっと、私の乗っている先頭車両は乗客が私1人だけで、駅ごとに窓を開けて、写真を撮ることができた。
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(これは越中山田駅)

6:31城端着。
改札には、切符の回収箱があったが、正直に手持ちの切符に無効印を押してもらおうと、駅員に「すいませ~ん、この切符下さい」と声をかけたら、無視された上に窓を閉められてしまった。
おそらく、「そんなの勝手に持って帰ればいいじゃないか、どうしてわざわざ断るんだ」とでも思ったのだろう。
かなりムカついたが、折り返しの待ち合わせ時間が7分しかない。ケンカをしている暇はない。とにかく駅舎の写真を撮らないといけない。
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おそらく創業当初からの駅舎である。すばらしい。
城端は見るべきところがあるのだが、今回はパス。改めて、ゆっくり来よう。

6:38城端発。もちろん同じ列車。
さっきの無効印のない切符を悪用することもできるのだが、止めておく。
高岡まで570円の切符を正直に買った。目的地は氷見だから、氷見までの950円の切符を買えばいいのだが、ここは乗り鉄のワザ。分けて買う方が安いのだ。
城端~高岡570円+高岡~氷見320円=890円
だから、60円も安い。
それに、こちらは、高岡駅の改札外にあるコンビニで朝食をゲットしなければいけない(さっきはまだ開店していなかった)。直通で買うと、途中下車できないのだ(まあ、駅員さんに言えば通してくれるとは思うが)。

今度は1駅ごとに高校生が乗ってくる。福光では大量に乗り、車内は高校生でいっぱいになってしまった。やはりローカル線はなくしちゃいけないよなあ。
7:28高岡着。
改札を出て、サンドイッチを買う。
7:41分発の氷見行きの中で、のんびり食べようと思っていたら、なんとこの列車もすでに高校生で満杯。乗れずにホームにあふれている学生すらいる。

次は8:01分発。20分のロスか、まあそのくらいは許容範囲だろう。
7:41発は諦め、待合室でサンドイッチを頬張る。
次も多少は混むことが予想されたので、今度は早めに並んでいたら、みるみるうちにまたまたホームは高校生であふれ、8:01発も満員になってしまった。

どんなに混んでいても、おじさんが座っているボックス席に、高校生は同席して来ないのものだが、富山は違う。城端線もそうだったが、氷見線でも堂々と女子高生が隣や正面に座ってくる(男子は来ない)。富山の薬売りと何か関係があるのか。
その一方、こんなに混んでいても、座席に荷物を置いている高校生もいたのだが。

氷見行きもキハ47で4両編成。最後尾の1両は忍者ハットリくんのペイントがなされている。藤子不二雄Ⓐさんが氷見出身であることにちなむという。個人的にはこういうキャラクター列車は好きではない。

それはともかく、満員の高校生、次の越中中川駅で全員降りてしまった。
本当に全員である。びっくりしてスマホで調べてみたら、ここには高岡高校、高岡工芸高校、高岡龍谷高校の3校の最寄り駅だった。
さすがに8:37着の氷見まで行く人はいない(遅刻だから)と思っていたが、こういうことだったのか。

この後はもう越中一人旅である。
が、雨がいきなり激しく降ってきた。ときおり稲光も見える。これから歩かねばならないというのに。一応、雨の装備はしてきてあるが。

越中国分駅を過ぎるとすぐ、左手に一気に富山湾が広がった。
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雨晴海岸を経て、まもなく氷見に到着(8:37)
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これで、城端線と氷見線を制覇した。
駅前に出ると、雨が止んでいた。これはラッキー。
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本日の任務は、昔の参拝道である大窪道をたどって石動山(せきどうさん)に行くこと。
大窪道の入り口にあたる藪田見田窪までタクシーで移動する。
途中、住所表示で「比美町」というのを見つけた。「ひみ」にはいろんな表記があるようだ。
左手に切妻屋根の家並みが見えた。たぶん、あれは昔の漁師町だろう。
道は埋め立てられた海岸を走っているということだ。

見田窪には9時に着いた。しばらくは車道を歩くが、ここには当時の石畳の道がわずかながら残っている。
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小さな峠(鳥越峠)を越えると、右手に旧道が分かれている。
当然、旧道を行く。しかし、これがひどい道だ。ヤブや倒木、路面には土砂も積もっており、すべる。
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もう一度、新道と交差してからの旧道は今も農道として利用されているようで、普通に歩けた。
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右手にお社のようなものが見えて、立ち寄ってみたら、壁はトタンで覆われ、正面はアルミサッシの扉。中を覗くと、木魚と仏具があった。地形図には鳥居の記号があったが、これはどうやら神社ではない。

下りきると、集落。昭和41年竣工の鳥越橋がある。
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この橋には「白川」と書いてあるのに、同じ川にかかるすぐ近くの川上橋には「五十谷(いかだに)川」とある。
どっちが正しいのか。近所の人に聞いてみたら、この川は五十谷川だという。
なぜ、「白川」になってしまったのだろう。

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(白川の集落)

白川を抜けて、下戸津宮の集落に入った頃、外交のおばちゃんに話しかけられた。
「写真撮ってるの?」
「ええ、石動山に行くんです」
「ああ、あそこはいいところよ。私も時々行くの。途中の長坂に棚田があって、きれいよ」
「ありがとうございます」
でも、大窪道は長坂は通らない。

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このあたりの蔵は鳥居風の意匠になっているのが面白い。

右手に古そうな神社があった。父宮神社。
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ここの狛犬を寄進したのは東京の人だった。
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「東京市芝区田村町 大門巳之吉」とある。寄進されたのは明治37年。
石工は高岡米町の佐野長八。世話人は「当村本家 大門」とあるから、この村から東京に出て儲けた人なのだろう。
大正10年建立の鳥居も、同じ人の寄進によるものだった。

この先、坂がきつくなる。途中、新道の工事中で、迂回したら、どこを歩いているのか分からなくなった。でも、なんとか本来の道に合流。
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山もだんだん深くなっていく。
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こんな四角い「止まれ」の標識があった。道交法施行規則違反では?
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この案内板が現れたら、いよいよ車道は途切れ、山道となる。時間は11時過ぎ。

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古い道のはずだが、歴史を感じさせる遺構はそれほど多くない。
わずかに梵字の刻まれた石碑や首のない石仏が一か所ある程度だった。
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この道は一応、整備されていることになっているのだが、春先でまだ草刈りが入っていないためか、かなり歩きにくい。
標高差で300mほどを登る。遊歩道のイメージではなく、ほとんど山歩きである。
峠を越えて、少し下ったところが石動山の遺跡群。

石動山(565m)は北陸では白山と並ぶ山岳信仰の拠点で、中世の最盛期には360余りの院坊が全山を覆い、3000人の衆徒が修行に励んでいたという。
彼らは上杉謙信に味方した関係で、前田利家に敵対する形となり、1582年に焼き打ちにあった。
江戸時代に、58院坊が復興したが、それらも明治の廃仏毀釈で、ことごとく廃絶し、建物は移築されて、里の神社の拝殿などに転用されたものも少なくなかった。
その後、階段状に残った土地は入植してきた農家によって、田畑となったが、今残るのは3軒だけ。現在は歴史公園として整備が進められている。
平成14年には、当時最も格式が高かった大宮坊が、発掘調査に基づいて復元されている。
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ここにある神社は伊須流岐比古神社という。
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石動を「いするぎ」と読んだりもするが、その「いするぎ」である。
この山は、古来より山崩れや地滑りが頻発し、いにしえの人々は「石、動く山」として畏れ、山そのものを「イスルギヒコ」として崇めた。
山が動くことを、当地では「ユスル(イスル)」と言った。「揺する」の意である。
つまり、石動山は「ユスル」の意味の漢字を宛て字して成立したということになる。
現在、山のあちこちに様々な堂宇の基壇や礎石などの遺構が残っている。
これは集団墓地の跡だ。
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山頂は大御前と呼ばれ、小さな社が建つ。
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ひと通り回ったので、下山する。歩くのは大変なので、車を呼んだ。
最寄りのJR七尾線良川駅まで20分ほどのはず。
車に乗ったのは3:40頃。運転手に「4時1分の七尾行きに間に合うか」と聞いたら、無理ですと言われたので、途中のコンビニに寄ってもらい、遅い昼食であるパンを買う。
そうしたら、なんと4時2分に駅に到着。
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(あわてて撮った1枚だけの良川駅の写真)
え~まっすぐ来ていたら間に合ったのに~と思ったら、遅れてきた電車に乗ることができた。
まあ結果オーライか。
七尾駅に16:14着。5分の待ち合わせで、のと鉄道穴水行きに乗り換える。
乗り鉄再開である。

つづく
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