風木クボ(約600m)と呼ばれるピークの先はしばらく平坦な道が続く。
間もなく、竹寺の鐘楼に到着。
ここは581mのピークだが、後で確認すると金毘羅山という名が付いていた。
かなり眺望がいい。
正面には金毘羅尾根とその左奥に棒ノ折山(969m)。中央奥は川苔山(1363m)。
眼下に見える白い像は鳥居観音。
鳥居観音は、旧名栗村出身の銀行家(旧埼玉銀行の初代頭取)平沼彌太郎(1892~1985年)が昭和15年に開いた寺院である。
秩父御嶽神社といい、奥武蔵には自分で寺を開いてしまう篤志家が少なくない。
観音信仰に熱心だった母の遺言で、この地に観音堂を建てたのが始まりだそうだ。
その後、彌太郎は仏像彫刻の修行も積み、現在本堂に安置されている観音菩薩像や大黒天などの仏像はみな彌太郎(桐江)の作品だという。
左奥の三重塔は玄奘三蔵塔、右手前の像が救世大観音である。
今回、鳥居観音の存在を始めて知った。
右の奥は蕎麦粒山(1473m)方面。
川苔山を望遠で。
振り返って北東には筑波山(877m)。
中央は大高山(493m)。
関東平野。
眼下は旧名栗村役場付近。
撮影後は釣鐘堂に腰掛けて一服。十数分で出発する。
少し下った鞍部は十字路になっていた。
左に下ると竹寺、右に下ると小殿バス停。
当方は直進。尾根を登ると左手に竹寺本堂の屋根が垣間見えた。
踏み跡に従っていくと、どうも様子がおかしい。
進行方向が違う気がするのである。
地形図を確認すると、尾根が二股に分かれている。
右の尾根を選択すべきなのだが、左へと道が通じている。
危ない、危ない。
引き返して、急坂を登る。
するとピークに「牛頭ノ峰」という表示があった。
おお、ラッキー。道もこちらで間違いなさそうだ。
標高は590mとあるが、今回は地形図ともほぼ符号している。
ちなみに「登山詳細図」には「八幡坂ノ頭」と表記されている。
「大山祇神」と書かれた紙を入れたペットボトルや「山の神」と書かれた札があったが、祠らしきものは見当たらなかった。
ここから下っていくと、鉄塔の下の木々が伐採された開けた場所に出る。
送電線が邪魔だが、さすがに見晴らしがいい。
大持山(左、1294m)と武甲山(右、1304m)。
武甲山の手前の鞍部は妻坂峠(833m)。
武甲山の右には武川岳(1052m)。
坂を登り切ると、送電線の下の伐採地を歩くことになる。
この稜線上にある560mピークは滝ノ入山という名前が付いているらしい。
送電線を外れると、再び植林の中に入る。
しばらく歩いて鉄塔に達すると、そこが548mピークの直下。
とくに期待はせず、登山道を外れてそのピークに行ってみる。
標高を書いたビニールテープはあったが、山名の表示はなし。
しかし、これまた帰宅後、「登山詳細図」を見ると「嶺」なるピーク名があることが判明。結局、今回の山行で11座ものピークを踏破することができた。
ここからは仁田山峠(401m)まで150m近い下り。
峠近くには小さな祠が祀られていた。
仁田山峠に着いた時点で、もう15時を大きく回っている。
この先、天神峠(345m)を越えて、原市場まで歩くことも考えていたのだが、さすがにそれは取りやめ。
一応、そこへ行く道だけは確認しておく。
そのすぐ脇にはバイクの走った跡もあった。
引き返すと、楢抜山(554m)への道標を発見。
地形図にも、「山と高原地図」にも道は表記されていないが、踏み跡はあるようだ。
いつか、ここも含め近くのノボット(436m)や周助山(383m)など道の表記のないルートもまとめて歩いてみたい。
全部、植林で何も見えないだろうけど。
ここからは延々車道歩き。
車が全く来ないので、ありがたい。
でも、後ろからシャーって音がするので、何だ?と思ったら自転車だった。
正面に鳥居観音。
観音様のほかにも、いろいろと建物が見える。
右手に今歩いてきた稜線を仰ぎ見る。
しばらく下ると、「コア山」なる石碑が目に飛び込んできた。
有間ダムの建設にあたり、コア材(ダム本体建設に使う土)を採取する土取り場として、ここ鍛冶屋橋地点が最適と判断され、昭和54年より4年間にわたり採土が行われた。
このため地元住民が誰言うともなく、このあたりを「コア山」というようになり、その名を後世に伝えるため、この碑が建てられたらしい。
建立は平成26年5月とのことで、ごく最近のことだ。
その鍛治屋橋のバス停まで下りてきた。
バスの時間まで30分ほどあるので、歩けるだけ歩くことにする。
古い建造物は写真に収めておく。
間もなく、尾須沢鍾乳洞への入口があったが、今回はパス。
こうもり岩の名で親しまれているが、今はこうもりはいないという。
見学には懐中電灯が必要なようだ。
さわらびの湯への分岐を通過。
ここは何度も入ったことがあるし、混んでいるような予感がするので、これもパス。
この道は「じゃがいものらぼう街道」のようだ。
「名栗支店」の文字が新鮮。
古い街道らしい木造家屋が所々に残っている。
車道歩きもこういう建物を見られるのなら飽きない。
これはかつての名栗郵便局。
昭和4年の建設らしい。
となりには現役の郵便局がある。古い建物を残しているのはとてもいいことだ。
その向かいにはお地蔵さま。
この交差点から旧道に入る。
バス停の名にある四海橋とは、名栗川を渡るこの橋のこと。
由来はよく分からない。
おお、サギでないか。
名栗川の静かな流れ。
こちらは市場延命地蔵尊。
名栗川橋のバス停。
道端に湧き水があった。
「庚申の水」という。
近在の方々がよく利用しているらしい。私は飲まなかった。
名前の由来は、となりにある庚申塔と馬頭観音。
市場の集落。
対岸の小山。
そして路傍の石仏。
諏訪橋バス停に着いたところで、本日は打ち止め。もうバスの時間も近い。
5分ほど待ってバスが到着。
今日は意外に長く6時間近い山行となった。
飯能駅で西武池袋線に乗り換え、小手指で下車。
久しぶりの奥武蔵ハイキングだったが、やはりもう少し早く家を出てもよかったかな。
【行程】2015年12月29日
吾野駅(10:30)~秩父御嶽神社鳥居(10:48)~本殿(11:19撮影11:25)~吉田山(11:40)~小床峠(11:56)~阿宇山(12:39撮影・昼食12:59)~豆口峠(13:48)~豆口山(13:57)~金比羅山(14:19撮影・休憩14:32)~仁田山峠(15:16検討15:24)~鍛冶屋橋(15:48)~諏訪橋バス停(16:25)
※所要時間:5時間55分(歩行時間:5時間15分)
※登った山:11座(御岳山、吉田山、阿宇山、子の山、新館の頭、豆口山、風木クボ、金比羅山、牛頭ノ峰、滝ノ入山、嶺)
※歩行距離:14.8km
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