山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

碓氷峠(4)

【2015年11月22日(日)】碓氷峠
山中茶屋跡を過ぎて、この標識にびっくり。
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「この先通り抜けできません Uターンもできません」
さっき変な擁壁を見つけて不審に思っていたが、やはりかつては車が入っていたのだ。
標識は意外に新しい。
「安政遠足保存会」の名も見えるので、「安政遠足」が復活した昭和50年よりは新しいということだろう。

進んでみると確かに車道の残骸があちこちに発見できる。
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これなどは決定的だ。
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何のための道だろうと、いぶかっていたら、廃墟と化している別荘が木々の向こうに見えた。
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別荘地開発のための道なのだろうか。

そして今度は廃バス。老夫婦が驚いて立ち尽くしている。
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いや、これは見事。廃墟好きには垂涎ものである。
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朽ち果てそうな看板を解読すると「見晴台 別荘分譲地」と読める。やはり別荘地だった。
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開発したのは「□陸開発株式会社」とある。
「北陸開発」かと思って調べてみたら違うようだ。
写真を撮る時にそこまで目が行かず、欠陥写真になってしまった。

バスの正面に回り込んでみると、「千曲自動車株式会社」と書いてある。
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「千曲自動車」は1982年に商号を「千曲バス」に変えているので、このバスはそれ以前から、つまり少なくとも33年はこの場所で眠っていることになる。

車内はもうズタズタ。妖怪人間ベムが住んでいそうだった。
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この隣には、別荘地の管理事務所と思しき建物があった。
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これらは高度成長期の遺跡であろう。
碓氷峠の向こう側の別荘地は栄えているというのに、この落差はいったい何だったのだろう。やはり旧軽井沢から遠すぎたのか。
バスも乗り入れるほど流行っていたんだろうに。

さっきの老夫婦のご主人が「何ですかねえ」と聞いてきたので、「別荘地だったようですね」と答えた。
「そっか、バブルがはじけたのか」とご主人がつぶやく。それに対して、奥さんが「そんなに最近じゃないわよ」と反論。
すると「だって大正時代ならボンネットバスだぞ」とぶっ飛んだ発言。
いきなりそんなに古くならなくても。
深くは関わらないようにして先に歩くことにする。

次に出くわしたのは、一つ家跡。
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「ここには老婆がいて旅人を苦しめたと言われている」
どんな風に苦しめたのか。興味があるが、具体的なことは何も書かれていない。
しつこく、金を無心したり、食べ物を要求したりしたのだろうか。

これは、つい数十年前まで車が通った道である。
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間もなく、中仙道と明治天皇巡幸道の分岐。陣馬が原に出た。
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碓氷峠は、古くは新田勢と足利勢、戦国時代には武田勢と上杉勢の合戦の場となった。
このあたりはカヤ野原なので古戦場だったと推測されている。

そしてここは子持山(1107m)の山頂直下でもある。
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巡幸道を少し進んでからヤブに入り、ピークハントしたかったが、今回は天気も悪いし、あっさり断念。

子持山を詠んだ東歌が案内板に書かれていた。
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当方は左の道を選び、そのまま中仙道を進む。
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しばらくは平坦な道が続く。
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峠道で汗をかいた旅人が、この沢水で姿、形を直したので化粧水と呼ばれている。
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もう水は涸れていた。

笹沢を渡る。
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その手前に「人馬施行所跡」。
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「笹沢のほとりに、文政十一年 江戸呉服の与兵衛が、安中藩から間口十七間、奥行二十間を借りて 人馬が休む家をつくった」とあるが、そんな広い平坦地はどこにも見当たらなかった。
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ここから道は急になる。
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最後の難所、長坂道だ。
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一気に登って、霧積温泉からの林道と合流。
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ここは神宮寺の仁王門の跡。
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明治時代に破却されたが、仁王様は熊野神社の神楽殿に保存されている。

古い石祠群。
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思婦石。群馬郡室田の国学者、関橋守の作で、安政四年(1857年)の建立である。
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「ありし代にかえりみしてふ碓氷山今も恋しき吾妻路のそら」
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ここは鼻曲山(1655m)への登山口。いずれ再訪することになるだろう。
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舗装道路をしばらく歩くと、熊野神社門前に出た。
手前にあるのが休業中の茶屋「あづまや」。
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午後1時20分。横川駅から4時間半ちょっとでたどり着いた。
ここまで一度も休んでいないので、休憩タイムとする。
となりの見晴亭に入って、力餅を注文。
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いろんな味付けの力餅があったが、大根おろしで食べる「からみ」にした。1皿500円。
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「峠の力餅」は、「名物にうまいものなし」と言われた時代の代表格だったが、そんなことは全くない。餅が柔らかくて、とっても美味しかった。

熊野神社の宮司・碓氷貞光は文武両道に秀でた豪傑でのちに源頼光の四天王のひとりとして天下に勇名をとどろかせた。
その力持ちにちなんで生まれたのが「力餅」なんだそうだ。

この店に、現代の「安政遠足」のポスターが貼ってあって、道中あちこちに建っていた「安政遠足」標識の謎が解けたのであった。
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ここには展望テラスがあるが、今日はガスで真っ白。
本来ならこんな風に八ヶ岳が見えるらしい。
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お茶もたっぷりいただき、温まって外に出た。

まずは正面の赤門屋敷跡を見学。
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赤門屋敷とは熊野神社前にあった休息所のこと。
加賀藩の江戸上屋敷にあった赤門にならって造られたものらしい。
碓氷新道の開通に伴って、廃墟化し、今は更地になって駐車場として利用されている。

となりには熊野神社宮司・曽根忠英氏の胸像。
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裏に回ってみるのを忘れたので、いつの時代の方なのかは不明。

赤門屋敷になぞらえて朱を塗った?石祠。
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見晴亭のとなりにある茶屋の「しげの屋」はちょうど県境に建っていた。
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う~ん、入るならこっちだったかな。こっちの方が話題性がありそうだ。
それにしても、税金を2つの県に払わないといけないだろうから、このお店の経営者は面倒だろうなあ。
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さて、熊野神社を参拝。ここもちょうど県境の上に建っている。
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向かって左側が長野県、右側が群馬県。
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長野県側は熊野皇大神社、群馬県側は熊野神社という。
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(室町時代中期作の狛犬。長野県では最も古いとか)

山口誓子の句碑。「剛直の冬の妙義を引寄せる」
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ここで読んだ句なのだろうか。

立派な門をくぐる。
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その手前に、石の風車。
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明暦三年(1657年)、軽井沢の問屋・佐藤市右衛門と代官・佐藤平八郎の2人が二世安楽祈願のため、神社の石畳を築いた。
その記念に二世の市右衛門が元禄元年(1688年)、佐藤家の紋章・源氏車を刻んで奉納した。
以来、「石の風車」として旅人に親しまれ、「碓氷峠のあの風車たれを待つやらくるくると」と追分節にも歌われたという。
くるくる回るものではないけれど。

神楽殿。
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県境に建つ拝所。
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熊野皇大神社の拝殿。売店になっている。
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日本武尊詠嘆の地。
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日本武尊が上総沖で亡くなった妃の弟橘媛を偲んで、「吾嬬者耶(あづまはや)」と詠んだところだ。

となりに杉浦翠子の歌碑。
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「のぼる陽は浅間の雲をはらひつつ天地霊ありあかつきの光」
翠子(1885~1960年)は川越の生まれ。北原白秋や斎藤茂吉に師事した歌人である。
次兄の福沢桃介は福沢諭吉の娘婿となった大実業家。木曽の桃介橋は国の重要文化財になっている。
碑は昭和42年の建立である。

(つづく)
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