山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

碓氷峠(3)

【2015年11月22日(日)】碓氷峠
旧国道18号の霧積温泉への分岐点に、ドライブイン玉屋がある。
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ここは創業250年の老舗。旧中仙道の四軒茶屋にあった茶屋が起源とこのと。
信越本線の熊の平駅で力餅を売っていた時期もあったらしい。
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時代の荒波に揉まれながらも、まだ現役で頑張っていることに敬意を表したい。

ここから国道を300mほど歩くと、旧中仙道の入口。
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中部北陸自然歩道として整備されている。
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明治10年代の碓氷新道(旧国道18号)開通に伴い廃道になったが、現在はハイキングコースとして親しまれている。

入口には東屋「碓氷小屋」があった。
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ここでおじさん2人が上着を脱いでいた。
「碓氷峠までですか」と聞かれたので、「ええ。お二人も?」と返すと、「行ければ、ですが」と笑っていた。
現在10:40。コースタイムは3時間45分なので、14時着が目標だ。

入口にあるこの石段は当時のものか。
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ここからは山道になる。
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いきなり「安政遠足」の標識。
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恥ずかしながら、「安政遠足」のことを知らなかった。「遠足」は「とおあし」と読む。
安政二年(1855年)、安中藩主板倉勝明は家中の藩士に、安中城から碓氷峠の熊野神社まで駆け足で往復するよう命じた。藩士の鍛錬が目的だったようである。
往復約60kmあるが、さすがに昔の侍は健脚だったようで、全員24時間かからずに帰城できたらしい。
熊野神社で初穂料を納め、力餅を馳走になったという。
この「遠足」のことは、戦後、熊野神社の神主組頭曽根家に残されていた「安中御城内御諸士御遠足着帳」によって判明したが、家中の評判が悪かったのか、継続された形跡がない。
この遠足を現代によみがえらせようと、昭和50年に「第1回安政遠足(侍マラソン大会)」が開催され、今年で第41回を数えている。この標識はマラソン大会のためのものである。

刎石山(はねいしやま、約810m)までは急坂が続く。
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5分ほどで堂峯番所跡。
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碓氷関所の役割を補助した施設で、かつては道の両側に家屋が2軒あった。

当時の石垣もわずかに残っていた。
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安政遠足のゴール、つまり碓氷峠まであと8km。結構ある。
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道はかなりえぐれている。江戸時代の人通りのせいなのだろうか。
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路面に浮石が目立ってきた。刎石山の名前の由来となった安山岩である。
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この山は柱状節理が発達しており、首を刎ねたように石が剥がれるので、その名が着いたと、碓氷関所跡のガイドさんが話していた。

先行していたご夫婦のハイカーに追いつく。
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追い抜いたあたりで柱状節理の露頭が現れた。
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手前には緻密に積み上げた大きなケルンがあった。これは近代人の仕業であろう。

全く加工していない割れ石を石仏に見立てていた。
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このあたりはまだ紅葉を見ることができる。
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碓氷峠の最初にして最大の難所、刎石坂に差し掛かる。
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文政三年(1820年)銘の南無阿弥陀仏の碑や大日尊、馬頭観世音が当時の面影を伝えている。
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前者は「金井三郎左衛門高恒並念仏同行中」とあり、建立者は坂本宿金井本陣の当主だろうか。
坂本宿のはずれにあった芭蕉句碑ももとはここにあったそうである。

さらに登ると石垣の道。近世の仕事であろう。
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石垣が尽きると、こんな看板があったが、「上り地蔵下り地蔵」なるものを付近で確認することができなかった。
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改めて安中市発行のガイドマップ「旧道日和」を見てみると、「覗(のぞき)」のすぐ下の脇道(旧ルート)に常夜灯とともに立っていると書かれていた。旧ルートがあるとは知らなかった。

その「覗」とは、坂本宿がよく見える展望台なのだが、濃いガスで何も見えなかった。
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ここにヤマナシの老木があり、一茶は「坂本や袂の下の夕ひばり」と詠んだそうだ。

この先に風穴がある。溶岩の裂け目だ。
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この手の穴は大抵冷たい風が吹いてくるのだが、外気が寒いからか、生暖かい湿った風が吹いてきた。

霧がますます濃くなってきた。
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急坂を登り切ったところが、刎石茶屋(四軒茶屋)跡。
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ここにかつて4軒の茶屋があったという。国道にあった玉屋があった場所だ。
力餅やわらび餅が名物だったとか。
江戸時代にはここも多くの旅人で賑わったことだろう。
しかし今の状況から当時の様子を想像することは至難の業だ。

でも、石垣はまだしっかりと残っていた。
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この先はしばらく平坦な道が続く。楽ちんだ。
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間もなく、古代の関所跡。
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昌泰二年(899年)、初めて碓氷峠に関所が設けられた場所らしい。

そこに休憩用の東屋があったが、休まず進む。
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このあたりが刎石山の頂上で、地形図で見ると、小さなこぶが4つ並ぶのだが、どれが真のピークなのかは分からない。
たぶん、山名板はどこにもないだろう。
一応、ピークを稼いだことにするため、道を外れて、そのうちの一つに登る。
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すると、何かの標石があったので、これで「登った山」に認定することにする。
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まだ一部紅葉も残っているが、ずっと落ち葉の道が続く。
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戦国時代の堀切を通過。
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豊臣秀吉の小田原攻めで、北陸・信州軍を防戦しようとした松井田城主大導寺駿河守が築いたものらしい。

南向馬頭観世音。「寛政三年十二月十九日 坂本宿 施主七之助」。
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少し先に北向馬頭観世音。文化十五年銘があり、施主は信州善光寺の内山庄左衛門ほか。
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時折こんな美しい紅葉に出会える。
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慶長以前の旧道に一里塚があるとの案内板があるが、確認できなかった。
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霧で幻想的な雰囲気。
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そして第二の難所、座頭ころがしに差しかかる。
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小石がゴロゴロして滑りやすいところだそうだ。
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座頭ころがしを過ぎて、道が再び平坦になったところで、歩きながら昼食をとる。
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ゆっくり落ち着いて食べたいところだが、適当な場所がないし、止まると寒いのだ。
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間もなく、栗ヶ原というところに出た。
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明治天皇の巡幸道路と中仙道の分岐点で、明治8年、群馬県では最初の「見回り屯所」が置かれたという。これが「交番」の始まりだそうだ。

この先もだらだら登り。
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この標識はあちこちにあった。
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そして植林の直線道路。
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まごめ坂の登り口に線刻の馬頭観音があった。
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こちらは裏面。「奉書寫普門品三十三巻」と刻まれている。
このあたりを「入道くぼ」というらしい。

なぜか戦後に造ったような石垣が現れてびっくり。
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まさか峠側からここまで車道が通じた時期があったのだろうか。

確かに道は広くなった。
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と思っていたら、山中茶屋跡に着いた。
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このプレハブはもちろん茶屋とは関係ない。

案内板によると、寛文二年(1662年)にはここに13軒の茶屋にお寺まであったという。
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明治になって小学校もでき、明治8年の明治天皇巡幸の際には、25人の児童がいたというから驚く。

今や完全に自然に戻ってしまった。
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墓の石塔や畑跡が残っているというが、わずかな石垣しか確認することができなかった。
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(つづく)

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