山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

碓氷峠(2)

【2015年11月22日(日)】碓氷峠
薬師坂を登って、旧原村に出た。
集落の入口に白鬚神社がある。
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ちょっと寄り道してみた。
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門前にはたくさんの庚申塔が林立している。
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日本武尊東征の帰途、ここ川久保坂(薬師坂のことか)を通りかかった時、山の神が白鹿に化けて進路を妨げた。
尊は蛭を投げて突破しようとしたが、たちまち濃霧が沸き起こり、進退窮まった。
そこに白鬚の老人が現れ、白鹿を撃退したので、尊は無事峠を越えることができた。
老人の霊験は猿田彦命の加護と信じた尊は、この地に石祠を建てて、命を祀った。
時に景行天皇四十年(240年)のことである。
以上が縁起である。
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遠巻きにお詣りして辞去。
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境内には石仏やら道祖神やら。
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旧街道には必ず廃墟になった古い家がある。これが見たくて歩いているようなものだ。
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こちらは現役。
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上信越道の陸橋をくぐる。
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その手前に水神宮。水神さまだ。
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いよいよ坂本宿に入る。ここは下木戸の跡。
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坂本宿は長さ約712mの中に本陣、脇本陣の他、旅籠や商家160軒がひしめいていたという。西端と東端では標高が25mほど違う。
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ここは、近世中仙道開削時に、碓氷峠越えの手前の宿場として、何もなかった場所に整備されたらしい。戦国期の中仙道はもう少し北側のルートだったようだ。

今もほとんどの家に屋号を示す木札が掲げられている。
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当時の町割りの間口をそのまま反映した現在の民家。
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ここは武井九夏(1815~1904年)なる文人の生家「近藤屋」。
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書画、歌俳に親しんだ人らしい。

戦没者忠魂碑と坂本町記念碑。
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坂本町は明治22年(1889年)の町村制施行の際に成立。
昭和29年(1954年)、松井田町、臼井町などとともに合併して、松井田町となった(今は安中市)。
この碑は坂本町の歴史を伝えるため、昭和42年に建立されたものだ。

こちらは昔風に立て直した「米屋」。
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後閑商店には屋号の木札が見当たらなかった。
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江木食パンは、高崎市内にある江木食品工業が生産しているパンのこと。
昭和22年の創業で、社名は工場が高崎市江木町にあることにちなむ。

引き続き、屋号をいくつか。
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ここは金井本陣跡。
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坂本宿には本陣が2つあり、そのうちの「下の本陣」。
あの皇女和宮が文久元年(1861年)11月9日に宿泊されたそうである。
当時の行列は3万人に及んだのだとか。
一つの宿場では泊まり切れなかっただろう。

これは当時の面影を残す佐藤本陣跡。
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坂本宿は碓氷峠越えを控えているだけに、参勤交代の大名は必ずここに泊まったという。
寛政二年(1792年)八月八日には、江戸に向かう加賀藩主前田治脩(はるなが)と、国元に帰る信州松代藩主真田幸弘が鉢合わせ。
こういうことがあるので本陣が2軒必要だったらしい。
ちなみに、前田治脩は兼六園をつくった人である。

また、ここには明治8年(1875年)に坂本小学校の仮校舎が置かれたので「坂本小学校発祥の地」の碑が立っている。
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今の坂本小学校は2013年3月末をもって閉校してしまった。
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脇本陣の「永井家」。
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ここに屋号一覧の看板があった。
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○○やの「や」がひらがななのと「屋」があるのは、記録の通りに記述しただけなのだろうけど、当時はどちらでもよかったのかもしれない。

脇本陣酒屋は坂本公民館になっている。
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今年度のバス運行はもう終了していた。
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JRバスが通っているようだが、春、夏、秋の行楽シーズンしか営業していないようだ。
以前、軽井沢からバスで横川まで来たことがあるが、あれはたまたまオンシーズンだったのだろうか。

かつての面影をよく残す「かぎや」。
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かなや美容室。昔なつかしいパーマ用のお釜、ヘアスチーマーが透けて見える。
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小林一茶が定宿にしたという「たかさごや」。今は普通の民家。
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屋号が見えないが、戦前のものっぽい木造建築。
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丸仁屋跡に建てられた道標。京へ102里、江戸へ34里。ちょうど江戸から4分の1来たところだ。
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木造民家を利用したカフェ。
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コンビニがあったので飲み物を調達。
「碓氷峠」とか「中仙道」といったお酒の見本があったので、小瓶はあるかと聞いたら品切れとのことだった。残念。

おお、「峠の湯」は12月1日に再開のようだ。
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2013年7月31日に火災にあい、ずっと営業休止していたのだ。
これで、西上州の登山の際にお風呂に行きやすくなる。

霧積温泉の連絡所もあった。
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坂本宿の上木戸に隣接する鳴門屋食堂。明らかに廃業している。
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おや、いきなりお猿さんの登場。
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車を気にしつつ、堂々と国道を横断して行った。
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私のことなど鼻にもかけなかった。

上木戸の外にも古い食堂や商店がある。
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(山形屋)

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(越中屋)
バイパスや高速が開通する前は、ここもまだ峠越えのドライバーがよく利用したのだろう。

その向かいには芭蕉の句碑がひっそりとたたずんでいる。
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「ひとつ脱てうしろに負ひぬ衣かへ」
内容は木曽路下りのものだが、坂本宿の俳人たちが寛政年間(1790年頃)、春秋白雄に選句をお願いしたものだという。
石材は地元の刎石で、山中の刎石坂にあったが、明治期に中仙道が廃道となったため、現在地に移転したとのこと。

その横に神社の鳥居があった。
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立派な石橋を渡る。
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鳥居の手前に道祖神が二つ。
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ここにも御嶽山座王大権現の碑があった。
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狛犬はなんだかユーモラス。
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案内板によると、ここは八幡宮で、日本武尊の勧請と伝わる。
江戸時代の宿駅制度の確立に伴い、近郷の諏訪神社、白山神社、八坂神社などを合祀して成立したものらしい。

階段を登ると、境内はことのほか広かった。
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この赤が実に鮮やかである。
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回りには石祠が無数に並んでいる。
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登山の安全を祈願して辞す。

石橋のすぐ脇から細い路地が通じている。
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こちらが本当の旧中仙道なのか。

それにしても、「峠路雀荘」の看板にそそられる。
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お客さんは坂本町の住民だったのか、トラックの運転手か。
いや、ドライバーはそんなに長く休憩するわけにはいかないし、やはり地元の人なのだろう。
かつては雀荘の経営が成立する集落だったのだ。
「峠路雀荘」の街道側は「峠路食堂」だった。それは撮影漏れ。

このまま路地を進む。
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すると、200mほどで国道に合流。
右手には、廃墟となったガソリンスタンドがある。
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ここもバイパスと高速道路の犠牲者だ。

霧積温泉へ行く道との分岐点の手前で、旧信越本線をまたぐ。
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信越線は「アプトの道」として遊歩道になっている。

(つづく)

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