山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

三軒茶屋~祐天寺

【2015年11月16日】三軒茶屋~祐天寺
この日、三軒茶屋の昭和女子大学に仕事があったので、この機会にまた散歩をしよう。
スマホの地図を見て、方針を検討。
学生時代2年間過ごした祐天寺まで下馬を経由して歩くことにした。
1時間くらいで行けるだろう。

昭和女子大学は1920年(大正9年)に日本女子高等学院として創立された。
創立者は詩人の人見東明。よく知らない人だ。
1980年には創立60周年を記念して、キャンパス内に人見記念講堂が開設されている。
卒業した著名人には、登山家の田部井淳子、歌人の馬場あき子、タレントの壇蜜などがいる。

仕事を終えて正門に向かっていると、左手に歌碑を見つけた。
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創立15周年当時の校長、松平俊子のご母堂である鍋島栄子刀自の歌だそうだ。
松平とか鍋島とか、明らかに旧大名家の出のようなので調べてみた。
すると、鍋島栄子はもともと公家の出のようである。
権大納言広橋胤保の五女として生まれ、1881年(明治14年)に当時イタリア公使であった鍋島直大と結婚。外交官夫人として活躍し、「鹿鳴館の華」と呼ばれたそうだ。
日本赤十字篤志会会長も務め、日清・日露戦争の際には負傷兵の看護にもあたったというから、ナイチンゲールのような方だったのだろう。

その歌というのは「庭の教え」と題される作品。
「ふみまよふ人 こそなけれ 何処にも 庭のおしへの 道しある世は」
そんな庭の教えとはどんなものか知りたいものである。

さて校門を出て左折。国道246号を避けるように、さらに左折して細い路地を住宅街に入っていく。
このあたりも太子堂であることを知ってびっくり。
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東急世田谷線に西太子堂駅というのがあるので、太子堂というのはてっきりあっちの方だと思い込んでいたが、改めて地図を見ると、246をはさんで南北に広がっていた。
その由来は、三丁目にある円泉寺に聖徳太子を祀った太子堂があることにちなむという。
かつては太子堂村といったが、1889年(明治22年)の町村制施行に伴い、近隣の池尻村、三宿村、若林村、下北沢村、代田村、経堂在家村などと合併して世田ヶ谷村になっている。

世田谷区はほとんどが住宅地になっていることもあり、大木の保存には気を配っているようで「保存樹木」という制度がある(他の区にもあるようだ)。
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この木はスズカケノキで昭和53年に指定されている。

10分も歩かないうちに、太子堂を離れ、下馬に入った。
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下馬は祐天寺から近いこともあり、よく聞く地名だったが、実は訪ねるのは初めてかもしれない。
地名の由来を調べてみると、荏原郡下馬引沢村の省略のようで、源頼朝が遠征に向かう途中、この地を通過した折り、土砂崩れにあったので、「以後ここを通る時は、馬を曳いて渡れ」と命じたのが由来とされる。「げば」が起源ということだ。

世田谷区立下馬図書館を過ぎて、児童公園の脇を歩いていく。
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すると右手、通りの真ん中に大きな樹木がそびえている。
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これも保存樹木であったが、それより目を引いたのが、あたりに林立する古い団地風のアパート。
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都営下馬アパートだそうだ。
駒沢練兵場の跡地に建設された大規模な都営団地で、現在も40数棟あるという。
古いもので1958年築というから、半世紀以上の歳月を積み重ねている。
さすがに建て替えの話もあるようだが、現在居住している人がいる以上、そう簡単ではないらしい。
お住まいなのはおそらく低所得の高齢者だろうから、むやみに追い出すわけにもいくまい。
都心にいきなり出現したミステリーゾーンのようで気持ちが高ぶった。

三宿通りを渡ると、おしゃれなアップルパイのお店があった。
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「ジャーマニー・スミス」は青山にも店がある有名店のようだ。
ジャーマニー・スミスって、古いメージャーリーグの選手の名前らしいが、関係あるのだろうか。

この先すぐに世田谷公園があったので、この中を通過していくことにした。
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平日の午後ということもあり、小さな子供を遊ばせているお母さんの姿が目立った。

紅葉にはまだ少し早い。
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なんと園内に線路を発見。
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「せたがや ミニSLチビクロ号」が走っているらしい。
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大人70円とは安い。

乗ってみたかったが、あいにこの日は運休日。
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平日の運行は水曜日だけみたいだ。
世田谷区の区制50周年を記念して、昭和57年に開業したとのこと。
もう30年以上になる。立派なもんだ。

これがSL乗り場の「せたがや公園駅」。
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注意書きを読むと、未就学児ひとりだけの乗車は認めていないが、大人ひとりだけは大丈夫のようだ。ふふふ。

園内を3分かけて1周する。全長280m。
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当初は本当の蒸気機関車だったが、今は電気式になっているらしい。

世田谷公園は池尻にある。
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池尻は、北沢川と烏山川が合流して目黒川となる付近で、沼沢地帯をなしていた。
その池の出口という意味で、池尻と呼ばれるようになったという。
今はそんな面影はどこにもない。
北沢川や烏山川もほとんど暗渠になっており、地形図で河道を追うのも難しい。

またまた保存樹木。
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そしてこのあたりが世田谷区と目黒区の境界。
青鳥特別支援学校を過ぎて、三宿病院の前に出ると、もう目黒区上目黒。
目黒の地名の由来は諸説あるようなので、割愛させていただく。

坂を下ると、めずらしい刃物のとぎ屋さんがあった。
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字が白くてよく見えないが、包丁は700円から1000円で研いでもらえるようだ。

バス通りに下りてきた。
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こういう昭和の匂いぷんぷんのお店が好きだ。

すぐに蛇崩(じゃくずれ)という交差点に出る。
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面白い地名なので、ここは通ることにしていた。
以下、目黒区のHPによる。
地名「蛇崩」の由来は、江戸時代に編さんされた「新編武蔵風土記稿」によると「昔、大水の際、崩れた崖から大蛇が出たことから、この地名が生まれた」と記している。
また一説には、「砂崩(さくずれ、土堤崩をいう古語)」が、「じゃくずれ」に転化し、付近を流れる蛇行屈曲した川の状態から、「蛇崩」の文字を当てたのではないか」とも言われている。
いずれにしても、蛇崩地域の北側を蛇行する蛇崩川が浸食した地形がもたらした地名といえよう。

これなど、下馬の由来にも符合する。
かつて、このあたりは土砂崩れの起きやすい傾斜地だったのだ。
「蛇崩」は1932年(昭和7年)に行政地名としては消滅しているので、交差点の名として残っているのは貴重である。

交差点のすぐ横に銭湯「寿湯」。
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営業時間前なのでシャッターが下りているが、まだ現役で頑張っているようだ。
いずれ銭湯に入るためだけに訪ねてみたい気もするが、貧乏性の私には無理か。

右折して五本木通りをさらに下る。
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下り切ったところが蛇崩橋。
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この下には暗渠化された蛇崩川が流れており、現在は緑道となっている。
蛇崩川は目黒川の支流。世田谷区弦巻から東流し、上馬、三軒茶屋、下馬を経て、中目黒駅付近で目黒川に注ぐ全長5.2kmの川である。
かつてこの付近は湧水に富み、流域は水田地として、豊穰な土地であったという。
そんな時代の風景を見てみたかった。

いつのまにか五本木に差しかかっている。
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1968年(昭和43年)の「住居表示に関する法律」による町名変更で、それまでの上目黒五丁目、三谷町の一部および中目黒三丁目の一部が、五本木一~三丁目となった。
1932年(昭和7年)の区制施行によって姿を消した五本木の名が復活した形だ。
旧守屋教育会館郷土資料室(目黒区五本木二丁目)裏手の庚申塔群の中に、「上目黒五本木組 庚申供養塔 文化七庚午年十一月吉日」と記されている碑面がある。旧上目黒村は、上知、宿山、石川、五本木という四つの「組」から成っていた。
これから類推すると、五本木という地名は中世にさかのぼれるそうだ。
そもそもの由来は、五本の大樹があり、それがこの地の特徴を成していたことから、地名となったのではないかといわれている。
前述の庚申塔群の前を走る細い道は、かつての「鎌倉街道」だったらしい。
明治のころは「昼間でさえ、身の毛がよだつほど薄暗く、元気のよい若者でも通ることを恐れた」ほど淋しい土地だったようだ。(以上、目黒区HPより)

川を渡ると再び登りになる。
東京はゆっくり歩くと坂の多い町だと分かる。
下り切ったところには、大抵かつて川だった暗渠がある。
ブラタモリではないが、そういうことを意識しながら歩くのは楽しい。
五本木一丁目商店街まで登ってきた。
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左手に見えるのは田切公園。
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ここに、地名に関する説明板があった。
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「田切」とは、川の両岸の傾斜地のことをいうらしい。
「たぎる」とは最近、「煮えたぎる」とか「燃えたぎる」といった用法でしか使われなくなったが、もともとは水が勢いよくほとばしる意味だったという。
急流が流れる様だ。
ここは蛇崩川の支流中の沢が削った斜面で、まさに田切地形だ。
明治22年の町村制施行で目黒村大字上目黒字田切になったが、昭和7年の区制施行の際に消滅している。
その名を偲んで、この公園の名を「田切公園」としたとあるので、目黒区は立派である。

さて、ここから祐天寺駅までは一直線。
東横線の線路をくぐって最初に見えるのは、みずほ銀行祐天寺支店。
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学生時代、ここは合併前なので富士銀行だった。
私が初めて口座を開いた銀行だ。

この角を左折する。右手にあるセブンイレブンはゲームセンターだった。
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あの時代このあたりのコンビニと言えば、駒沢通りにあった「パンプキン」だけだった気がする。
もちろん、24時間営業の店などまだなく、セブンイレブンもその名の通り、朝7時から夜11時までの営業だった。

この通りに、鉄道マニアのカレー屋さん「ナイアガラ」があったはずだが、ない!
ええっ、廃業した?
現役時代は一度も行ったことがなかったが、就職して東京勤務になってから一度だけ興味本位で行ったことがある。
カレーが模型の列車に乗ってレールの上を運ばれてきた記憶がある。
とくに愛着があった店ではないが、ランドマーク的存在だっただけにショックである。

もう一度、ガードをくぐり、かつて通った銭湯を見に行く。
またしても、ない。跡地は低層マンションになっていた。
もちろん、ほとんどの家庭に内風呂がある時代だし、学芸大学も都立大学も沿線からいなくなり、学生も減ったのだろう。
名前も忘れてしまったので調べてみたら「越の湯」だった。
廃業は2003年11月頃のことらしい。

残念な思いで、かつて住んでいた下宿に向かう。
すると、「ナイアガラ」があるではないか。移転しただけだった。
HPを見てみると、平成25年3月に創業の地でリニューアルオープンとのこと。
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こちらも本日運休。開いていたら、話のタネに食べていったかもしれない。

裏通りで見つけた廃屋。
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下宿近くにあった巨大な車輪。
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C57 117号機関車の主動輪だそう。
117号は主に九州で活躍した機関車で、1973年4月に宮崎県植樹祭に向かう昭和天皇のお召し列車を牽引したことで知られる。
「日本最後の国鉄蒸気機関車牽引のお召し列車」だそうである。
それがなぜこんなところにと思ったら、なんと所有者があの「ナイアガラ」だったのだ。それは今回訪ねて初めて知った。
ご主人やはり筋金入りのテツである。
私は学生時代、この動輪の横にいつも通学用のバイクを置いていた。
今さらながらすいません。

私の下宿は老夫婦が経営している大判焼きの店だった。
経営していると言っても、たぶん小遣い稼ぎ程度で、年金と家賃でゆうゆう暮らしていたはずだ。
今は息子夫婦が住んでいるのか、人手に渡ったのかよくわからないが、こんなこじゃれた家屋になっていた。
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この奥にあった下宿棟は取り壊され、更地になっていた。
裏の幼稚園や隣の花屋さんは昔のままなのに、かなり残念だ。
実は15年前に訪ねたことがあり、その時すでに建て替えられていたのだが。

当時私が暮らしていたのは、玄関・トイレ共同、風呂なし、4畳半日当たりなしの部屋で月26000円だった。
それでも高く感じて、3年目からは多摩川を渡った新丸子に引っ越した。
そこの家賃は確か17000円だったと思う。

昔の通学路である通りを駅に向かう。
1軒1軒眺めていく。見覚えのある店もあり、初めて見る店もある。
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(こんなのはなかった)

変わってほしくないと思うのは、こちらの勝手なのだが、変わっていないとホッとする。
そのうちの一つがこれ。
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私の下宿を世話してくれた山下商事さん。
ご主人はあの時点でそれなりの年だったと思うが、もう80を超えているのではないか。店はこの日閉まっていたが、廃業している雰囲気ではなかった。
ちょっとお顔を拝見したかった気もするし、その後の祐天寺の話なども聞きたかった。向こうは私のことなど当然覚えていないだろうが、物件は覚えているだろうから。

駅は改修中だった。
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横浜銀行が入った駅舎だったが、それも様変わりするのだろう。
ちょうど1時間の散策。感慨深い街歩きであった。

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