山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

総社古墳群

4月21日は20年ぶりに前橋の総社古墳群を訪ねた。
高崎には八高線で行った。高崎線を使った方が早いのだが、八高線の方がローカル線らしくて好きだから。

古墳群の最寄り駅は上越線の群馬総社駅。12:20発水上行き普通列車までは、少々時間がある。前回、高崎に来た時はだるま弁当を買ったが、今回はそんなものを買っても車内で食べる暇があまりないので、駅そばにした。
3、4番ホームにある「たかべん」で、かき揚げそばを食べた。
値段は350円。味の方はいまいち。中の下といったところ。

12:35群馬総社着。この駅はかつて3本のホームがあったようだが、1本は撤去され、2番ホームが欠番となっている。
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駅は大正10年の開業。駅舎は当時からのものだ。
切妻造りの木造平屋建て。赤い桟瓦を葺いている。車寄せの三角破風に掲げられた青い駅名板も国鉄時代からのもので、下に添え書きされているローマ字が懐かしい。
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駅前にこけしのモニュメントがあり、「群馬の近代こけし」とある。
東北を中心としたこけしは「伝統こけし」だが、ここは明治以降に発展した創作こけしの産地で、年1回コンクールなども開かれているようである。知らなかった。
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さて、駅前を線路に並行して走る県道107号線を南下する。
20年前も歩いた道で、おぼろげながら記憶がある。
間もなく東西に走る道路に突き当たるのだが、その手前に諏訪神社があったので寄ってみた。
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社殿は上諏訪社・下諏訪社の両方を合わせたため、三間社の中央を挟んで東西に拝礼場がある特殊な構造になっている。
境内には石塔や石仏がたくさんある。
庚申塔や二十二夜塔などはどこにでもあるが、ここの石仏は高さ15~20㎝程度のものが多く、とてもかわいい。
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これらは一体何なんだろう。
首をひねりながら、最初の古墳、二子山古墳へと急ぐ。
と言っても、何かあるとすぐ立ち止まり記録に残す癖がある。

こういう昔ながらの商店を見つけると、シャッターを押さずにはいられない。
だから1日の撮影枚数は軽く500枚を超えてしまう。
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二子山古墳はちょうど桜が散ってしまっていた。
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一週間前だとさぞかし華やかだったことだろう。
桜の代わりに、ハナダイコンが紫色に墳丘を彩っていた。
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二子山古墳は全長90mの前方後円墳。6世紀末の築造とみられ、前方部と後円部にそれぞれ横穴式石室がある。前方部のものが古く6世紀末、後円部は7世紀初めらしい。
いずれも中を見学することはできない。
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(これは柵越しに撮ったもの)

墳頂には豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)の石碑がある。
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第10代崇神天皇の第一皇子である。群馬の大豪族・上毛野君の始祖と言われていることから、この古墳がその墓と考えられ、明治9年までその可能性がある墓として墓丁が置かれていたという。実際は時代が全く異なる。

総社古墳群で現在、手軽に見学できるのは、この二子山古墳をはじめとして、遠見山古墳、愛宕山古墳、宝塔山古墳、蛇穴山古墳の5基である。
うち、遠見山と愛宕山を除く3基は国の史跡に指定されている。
これらが築かれたのは6~7世紀にかけてで、ちょうど聖徳太子が活躍した頃を前後する時代ということになる。
中央の大和政権と密接なかかわりのあった大首長の墓と考えられている。

ちょっと寄り道をして元景寺を訪ねた。
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ここには天明3年の浅間焼けで被災し、利根川によって流されてきた多数の遺体を引き上げて合葬した際の供養塔がある。
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この寺にも小さな石仏がたくさんあるので、境内で桜の花びらの掃除をしていたご婦人に聞いてみると、「昔、目の悪い人が願掛けをして、治ったお礼に奉納したものと聞いている」と教えてくれた。あちこちにある石仏のすべてがそういう理由ではないのだろうが、おそらく庶民が何らかの気持ちを込めて納めたものであることは間違いないのだろう。
土地の方々の信心深さがうかがえる。
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よく見ると、どれも素朴な顔立ちだ。

ここには戦国時代以来の総社城主だった秋元氏の墓所もある。
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道端の道祖神
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遠見山古墳は全長約80mの前方後円墳。6世紀初め頃の築造とされるが、詳細はよく分からない。墳頂部が一部伐採されていたので、発掘調査の予定でもあるのかと思ったら、単なる地権者の都合らしい。
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本来はもっと高さがあったのだろうが、1604年に総社城が築かれた際に、遠見のための櫓が作られ、上部がかなり削平されてしまったようだ。

総社は古墳の町であるとともに、中世から近世にかけての城下町でもあり、宿場町であることが歩いてみて分かった。
越後三国道の宿場だったそうだ。今もその面影が造り酒屋など古い建物に偲ぶことができる。
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愛宕山古墳は一辺56mの大型方墳。築造は7世紀の第2四半期とされる。
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石室は開口しており、自由に見学することができる。
石材は切石ではないが、加工が施されている。
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奥壁の手前に家形石棺が安置されており、盗掘の穴が開いている。
それにしても古墳時代の人は、こんな巨石をどのようにして積み上げたのだろう。
相当な労力がかかったはずだ。当時の豪族の権力の強さが想像できる。

近くにある光厳寺は大寺院である。
例の秋元氏の開基で、様々な文化財が残る。
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中でも興味を惹かれたのは「力田遺愛碑」。
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1601年に総社城主となった秋元長朝は農業振興のため、利根川からこの地に天狗岩用水を引いた。後世(1776年)、この用水に感謝した領民らが長朝の遺徳をしのんで建てたもの。「農民(力田者)のために愛を遺した碑」という意味だそうだ。

この正面にあるのが宝塔山古墳。墳頂に秋元氏の墓所の石塔があるので、この名が付いた。
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こちらも一辺54m、高さ11mの大型方墳。
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石室は全長12.4m。羨道、前室、玄室の3室構造で、安山岩をきれいに面取り加工した切石が用いられており、漆喰を塗った跡もみられる。
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これだけでも目を見張るのだが、驚くべきは石棺。
縄掛け突起付きの家形石棺は、下部が4辺とも格狭間(こうざま)の形にくり抜かれ、仏教文化の影響をみてとることができる。CIMG4145_convert_20120515095030.jpg
葬送に仏教の方式が取り入れられるに従い、遺体は火葬され、古墳も造られなくなるので、この石棺は古墳文化と仏教文化の過渡期を示す重要な資料だ。
不思議なのは、正面に開けられた八角形の穴。これが何のためにあるのかは謎だ。
それにしても石室の壁のこの切石の精巧さは見事だ。
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蛇穴山(じゃけつさん)古墳は宝塔山古墳のすぐ東にある。
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一辺39mの方墳で、高さは現状で約5m。8世紀初頭の築造とされる。
宝塔山と比べるとやや貧相な印象だが、石室は負けていない。
まず斜めに開き、前庭部を構成する開口部が斬新。
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石室の規模は奥行き3m、幅2.6m、高さ1.8mと宝塔山よりかなり小さいが、天井と奥壁、左右の壁の計4面がすべて巨大な1つの石で築いてある。
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このシンプルさ。宝塔山に対して対抗意識があるとしか思えない。
これらが全く管理人もおかずに自由に見学できる状態になっているのは、ある意味奇跡的だ。ほとんど、いたずらされた形跡がないのも、地元で大切にされている証しだろう。

大切にされていると言えば、古墳の傍らにこんな碑を見つけた。
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全文を引用する。

弁財天勧請之碑
此の地蛇穴山古墳は往事周囲に水湟(すいごう)をめぐらす 石室奥壁の銘文により寛文十一年弁財天遷座のことが明かで水湟を弁天池と称しその痕跡は昭和の始め頃まで遺された この弁天池の一部に総社小学校プールが建設されるに当り学童の水難防除祈願のために古事に因み江の島弁財天を勧請鎮座を行い蛇穴山弁財天と奉称する 願わくば学童安泰の為にご加護を給わらんことを 此の事績を遺さんと有志謀りてこの祈念碑を茲(ここ)に建立する
昭和四十三年十月吉日
総社町史跡愛存会会長 岸 甲 撰文謹書

※カッコ内の読みは筆者による

全く気づかなかったが、もう一度古墳に入って見てみると、奥壁に梵字らしいものが確かに彫られている。文章はよく判読できなかったが、後で調べてみると、「江嶋弁天」「遷座所」などの記述があるようだ。
もちろん、それが書かれたのは寛文11年だから1670年のことである。

それにしても、昭和43年という高度成長のピークにあった時代に、たたりをおそれて弁財天を祀り、碑を残すというのは感動的だ。
この土地の歴史を築いてきた人々は尊敬に値する。

実は、そのプールも小学校も近くに移転し、現在、小学校の跡地は公民館と広大な駐車場になっている。その際に市教委がプールの跡も発掘調査をしたが、古墳の周濠がプールにほとんど壊されることなく残っていたという。
今はそのまま埋め戻されているが、その部分が国の史跡に追加してされれば、復元整備がされることになるかもしれない。

公民館の近くにある総社資料館を覗いてみた。
ここは、40年ほど前まで操業していた「本間酒造」の蔵を借りて、地域の考古資料や民俗資料などが展示されていた。
本間酒造の銘柄は「惣嬉(ソオウレシ)」と言ったんだそうだ。
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さっきの力田遺愛碑の拓本もあった。
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さて、これで一応、総社古墳群散歩はおしまい。
この後は、古墳の主たちの子孫たちが残した山王廃寺へと向かう。
山王廃寺は現在の日枝神社(宝塔山古墳の南西約1km)の周辺にあったと古代の寺院。出土した奈良時代の寺院のものとみられる石製の鴟尾(しび)
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金堂の塔心礎
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柱の根巻石
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などが日枝神社の境内に集められている。
ここで出土した瓦に「放光寺」とあり、この山王廃寺が高崎市の山上碑や「上野国交替実録帳」に記された放光寺であるとみられている。
奈良や京都ならいざ知らず、こんな地方で古代の文献と考古資料が一致する例は極めてめずらしい。
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ちなみに日枝神社の正面には、石造の立派な建物があるが、これは現代の石工、阿久津石材店の事務所だった。
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ここから延々、新前橋駅まで歩き、帰りは高崎線経由で帰宅しました。

あすは渡良瀬遊水池を報告します。
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コメント

なつかしい!

総社町出身です。詳しく書かれているので楽しく読ませていただきました。

蛇穴山古墳は総社小学校の生徒である私たちの遊び場でした。また、双子山の西側の石室は当時(昭和30年代)柵もなく自由に入れたので狭い入口を這うようにくぐって入ると中は立って歩ける高さがありました。

Re: なつかしい!

最中五郎さま

コメントありがとうございます。
総社小学校の卒業生でいらっしゃるのですね。

二子山の石室に自由に入れた時代、目に浮かぶようです。

ブログをちらりと拝見いたしました。
陶芸をしていらっしゃるのですね。

いい作品ができますよう。

「山と鉄」店主

  • 2012/08/13(月) 10:56:24 |
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  • かたこりまさかり #-
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