山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

和歌山電鐵・紀州湯浅(中)

【2015年7月28日(火)】和歌山電鐵・紀州湯浅
和歌山駅から13:45発の御坊行き普通列車に乗った。
一応、できる限り駅名標を追っていく。
和歌山の次、宮前駅は失敗。その次は紀三井寺駅。
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かろうじて黒江駅。
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海南駅。
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海岸の上にホームがあるように見えるが、波紋に見えるのは、私のポロシャツの柄が窓に映りこんでいるだけ。

冷水浦駅。
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車窓には海南港とコンビナートが見える。
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塩津港。
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加茂郷駅。
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下津駅。
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東燃ゼネラル石油の和歌山工場。
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初島駅。
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まっすぐ御坊に行くと早く着きすぎるので、何回か途中下車する。
その一つ目が箕島駅。
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14:15着。和歌山からちょうど30分だった。
ここは、みかんで有名な有田市の中心駅だが、私にとって箕島といえば、やはり甲子園で活躍した箕島高校。
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でも、そこを訪ねるわけではない。ここの滞在時間は次の電車が来るまでの30分なので、それほど遠くには行けない。
とりあえず、有田川を目指す。まずは駅舎。
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意外にこじんまりした駅だ。

駅前通りをまっすぐ進む。
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さっきから右上の黒いシミが気になりますが申し訳ありません。
カメラを落としてしまって、何らかの異常が発生したようです。

ちょっとした路地。
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安諦(あで)橋北詰から有田川を望む。
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暑いので、ここからもう引き返す。

帰りは、日陰を求めて箕島神社に立ち寄った。
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境内に田中神社なる小社があった。
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田中善吉さんという方を祀ってあるようである。
善吉は箕島の人。元文元年(1736年)、紀州藩の命を受け、薩摩藩で砂糖の製造技術を学び、帰国後、本邦初の白砂糖の精製に成功したという。

有田市のマンホール。水玉模様はみかんだろうか。
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さて、14:45発の御坊行きに乗る。
紀伊宮原駅。
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有田川を渡る。
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藤並駅。ここからはかつて有田鉄道が出ていた。廃止は2002年、乗っておきたかった。
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そして次は湯浅駅で下車(14:57)。
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ここは醤油発祥の地のようだ。
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駅構内。
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ここで途中下車することにしたのは、地図を見る限り、ちょっとした町のようだからという単純な理由だったのだが、駅に設置してあった観光マップを見て、ここが重要伝統的建造物群保存地区であることを知った。
しかも、あの「稲むらの火」で有名な広の町もお隣ではないか。
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これはラッキー。

湯浅は古代より熊野参詣において、上皇や貴族が滞在する宿所であり、平安時代末期から勢力を誇った土豪の湯浅氏の本拠地として栄えたとのこと。
16世紀末頃になると、熊野街道の町場の西側に市街地が開発され、江戸時代の寛文元年(1661年)には、さらに西に臨海市街地が広がっていった。

まずは定番の駅舎。
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駅前の「一二三食堂」。
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では伝建地区に向かう。
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さすがにみかんの産地。いきなりみかん問屋。
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紀伊国屋文左衛門、幼少の頃の像。
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ここの名物は、湯浅醤油と金山寺味噌だ。
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旧湯浅町役場。5月に引っ越したばかり。ここは近く取り壊されるのだろう。
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紀伊半島のあちこちにある熊野古道を行く。
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熊野古道の核心部が世界遺産になって知名度が上がっただけに、あちこちの熊野古道でその存在を主張し始めた感じ。

こちらは廃屋になった洋館。
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湯浅町のマンホールはイニシャルのY。
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この道標は天保九年(1838年)の建立。
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「南 右いせかうや(伊勢高野) 東きみいてら(紀三井寺)」とある。

逆側は「北すぐ熊野道」。
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はすむかいの立石茶屋(「立石」とは上記の道標のこと)は休業日。
江戸末期頃の町屋を改修した休憩所だ。
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おお、にぎやかなデザインのマンホールもあるではないか。
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熊野道方面に行くと、右手に深専寺。
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その門前に、「大地震津なみ心え之記碑」が立つ。
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全文は以下の通り。建立は安政三年11月。当時の住職善徴上人による。
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要約すると、安政元年(1854年)11月5日、強い地震があり、津波が押し寄せてきた。この地震の際、浜に逃げたり、船に乗ったりした人々は溺れ死ぬ人が少なくなかった。
今後万一、地震が起これば、津波が来るものと考え、絶対に浜辺や川筋に逃げず、この深専寺の門前を東へと向かい、天神山へ逃げるべし。そういう内容だ。
これより、約150年前の宝永四年(1707年)の地震の時も浜へ逃げて、津波にのまれた人々が多数いたが、当時そんなことを知る者は少なく、今回も多くの犠牲者が出たため、この碑を建てて、後世に伝えようとしたようだ。
隣村の広村に伝わる「稲むらの火」の物語は、この安政の大地震の時のものである。

さらに進むと、めずらしい砂糖専門店。
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確かに砂糖が各種並んでいたが、これだけで商売が成り立つのだろうか。
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ここを左折すると、右手に「湯浅おもちゃ博物館」。
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土日・祝日のみの営業なので、この日は開いていなかった。

鍛治町通りを北上。
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こちらは糸屋さん。
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明治7年建築の醤油醸造元・栖原家。
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長大な間口に6つの虫籠窓がずらりと並ぶ竹林家。
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鍛治町通りと北町通りの交差点にあった旧岡正酒店は現在、休憩所として活用されている。
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その向かいに、明治11年建築の麹製造販売・津浦家。
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楠山鮮魚店にはどこかの取材が入っていた。
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その隣は戸津井醤油醸造場。
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その向かいは橋本歯科。随分古そうだ。
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醤油の町・湯浅の手焼きせんべいは美味しそう。
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このお店は、行灯も集めているようだ。

少し歩いた右手に、きりえ美術館。
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さらに金山寺味噌の太田醸造場。
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向かいに北町ふれあいギャラリー。
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南へ入る路地に「甚風呂」への矢印があったので行ってみる。
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甚風呂は正式には「戎湯」といい、幕末から昭和60年まで営業していた公衆浴場である。
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通称の由来は、創業者が湏井甚蔵の名にちなむ。
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明治前期頃の建築だそうだ。
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中は冷房が効いていて涼しかった。
外に出ると、向かいにある湯浅まちなみ交流館の方に「休んでいって」と声をかけられた。
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少し喉が渇いていたので、お言葉に甘えて、中に入り、冷たい麦茶をいただいた。

(つづく)

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