山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

北リアス線

ここのところ、ブログが追いつかない。
が、週末ごとに出かけてはいる。

まだ3月10~11日のことを書いているが、17~18日は三重・愛知に乗り鉄しに、24~25日は山梨・長野へ駅舎撮影に行っている。

明日明後日は江ノ電と銚子電鉄あたりを歩いてくるつもりだ。

さて、日記再開。
久慈駅に着いたのは午前11時。ここから先は三陸鉄道北リアス線である。
この時点で、北リアス線は久慈から2つ先の陸中野田までしか開通していない。
しかし、この区間は震災からわずか5日後に再開した。
それが、どれだけ住民に勇気を与えたことか。

それを久慈駅で買った実録マンガ「さんてつ」(吉本浩二)を読んで改めて知った。
1日も早い全面開通を願う一人として、私もささやかな協力をしたいと思い、あれからちょうど1年目のこの日、3月11日にこの地を訪れたのだ。

したことは本当に本当にささやかなことである。
久慈駅の入場券(硬券)を30枚購入した。1枚140円なので計4200円。
あの原武史先生が、宮古-小本間の切符1000枚、しめて60万円分を買ったのと比べると、恥ずかしくなるくらいの額である。
でも、多くの人のこうした寄付が三鉄を支えるのではないかと思う。

久慈駅はJRと三陸鉄道の駅舎が別々にある。
DSC_6639_convert_20120330111326.jpg
(これは三鉄の方)

南に路線を持つ三鉄が北に、北に路線があるJRが南にそれぞれ駅舎があるのが面白い。
駅前には、その名もズバリの「駅前デパート」があった。
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4階建てでかなり目立つが、1階のテナントに店があるだけで、2階より上は空き家状態だった。
1階も向かって左端はこんな具合。何とも言えない哀愁を帯びている。
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三鉄の車庫には、全線開通をまちわびる車両が並んでいた。
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2駅だけでも乗りたかったが、今回は車なので勘弁してもらった。
駅前には震災1年の取材に来たテレビクルーがいたが、この日の北リアス線駅舎めぐりでは、あちこちの駅で取材班とかちあうことになる。
そして、4月の部分開業(陸中野田~田野畑)に向けての試運転に並走する形となった。

久慈の次は陸中宇部駅。
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その次の陸中野田駅は、道の駅と合体していて、多くの観光客でにぎわっていた。
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ホームには、2駅区間を往復している車両が停まっていた。
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この先は未開通区間。
野田玉川駅にはまさに出発せんとする試運転の車両が控えており、在京キー局の取材クルーが大勢いた。ついつい気後れしてしまい、こそこそ写真を撮って早々に退散した。
堂々と新聞記者であるかのように撮っていれば、だれも文句は言わないのだろうけど、なにせ腕章がないところが弱い。
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ここは標高が27mもあるが、上りホームに津波が達している。

次は堀内。「ほりうち」ではなく「ほりない」と読む。
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眼下に港が見えるが、幸い標高30.7mのここまでは津波は来なかった。

白井海岸駅(標高63m)はトンネルを出た場所にあるが、駅のホームで写真を撮っていると、トンネルの中から何やら音がする。
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「あっ」と思った途端、試運転車両がトンネルから飛び出し、かなりのスピードで通過して行った。感激だった。

その次の普代駅までが、第三セクター三陸鉄道として開業する以前、国鉄久慈線だった。
駅舎は見るからに国鉄っぽい。ただ、この久慈線も1975年開業というからかなり新しい路線だ。
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ここでは、さっきの試運転車両を地元住民の方々が大歓声で出迎えており、取材陣も大勢いた。その中に懐かしいふるさとのテレビ局UHB(北海道文化放送)のカメラを見つけて、思わず声をかけてしまった。
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「北海道からですか?」
「ええ、こんな時は地元局だけでは手が足りないので、系列の中からかり出されるんです」
なるほどねえ。確かに、この先、田野畑駅では山形さくらんぼテレビのクルーも見かけた。

その田野畑駅の海岸より、防潮堤の水門上に三鉄車両のモニュメントがあった。
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震災前はユニークな存在として見ることができたのだろうが、津波を経験してしまうと、あの民宿の上に乗っかってしまった船のようで、ぞっとする。

このあたりの集落は石垣を築いて、段々状に営まれていたようだが、下の2~3段部分は津波に洗われて全く跡形もなく、その上は何事もなかったかのように、家が建っている。この明暗の残酷さに、言葉を失う。
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田野畑駅も若干津波の被害があったようだ。急ピッチで修理が進められていた。
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ここから先、島越駅を経て小本駅までの2駅分の復旧がまだ先のこととなる。
それも納得した。ここは、トンネルと橋が交互に続く区間だが、橋がことごとく流され、見るも無惨な状況なのだ。
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(トンネルの手前にあるはずの陸橋がない)

島越駅など、ホームに向かう階段の下部と宮沢賢治の詩碑だけしか残っていない。
DSC_6808_convert_20120330113014_20120330115125.jpg

下は1986年8月、今から26年前に訪ねた時の写真だ。カルボナードという愛称のイメージにぴったりの駅舎だったのだが。
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このあたりの荒涼たる風景には暗然とするしかない。
いったい復旧にあとどれくらいの費用と時間がかかるのだろう。

小本駅では地震が発生した午後2時46分に向けて、追悼行事の最終準備が進められていた。駅前広場には、キャンドルで「おもと 3・11」の文字が書かれている。時間に合わせて火を灯すのだろう。
ただ、それに気づかず、進入してきた自転車があり、関係者をあわてさせていた。
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小本より南は宮古まで営業が再開されている。これも昨年の3月29日という早さだった。
だから、ここにある車両は試運転のものではない。
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駅舎は大正モダンのような端正な箱形で、観光センターを兼ねている。
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26年前は、この町の旅館に泊まったのだった。
山形勤務時代の貴重な夏休みだった。

つづく
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