山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

三浦半島

【2014年12月21日(日)】三浦半島
本日は、地図エッセイストの今尾恵介さん、廃道愛好家の石井あつ子さんとの「地図を歩く会」。
鷹取山ハイキングを終え、10:19追浜駅発の電車で待ち合わせ場所の三崎口駅に向かう。
朝食(パン2個)は6時前に食べたので、もうお腹がすいてきた。
本日のメインイベント、「マグロ」にありつけるのは、午後も随分遅い時間であろうと予想されたので、駅のコンビニで、おにぎりを2個買い、つなぎにした。

10:54三崎口着。駅のトイレで今尾さんと久しぶりに再会。
改札を出ると、石井さんも。
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事前に今尾さんからいただいていたメールでは、本日のコースは、国道134号の最南端に近い引橋から遊歩道を小網代湾に下りて、諸磯、海外を経由して三崎港でマグロを食べるというプラン。
とくに何の打ち合わせもなく、合流と同時に出発。
引橋まではバス停2個分だが、時間節約のため、バスに乗ることにした。
ちょうど到着したバスに乗り込む。
結構混んでいる。

引橋で下りると
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ちょっと引き返し、しゃれたレストランのところから、谷戸に下りていく。
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「小網代の森」と大きな看板が出ており、木道というか樹脂道というか立派な遊歩道が整備されている。
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こんなにお金をかける価値が、この森にはあるということなのか。
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とくに景色がいいわけでもない。ササが生い茂っているし、それを刈っている人もいる。
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伐採された木材が放置されている。手つかずの自然では全くない。
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なのに、団体で指導員らしき人の説明を聞いている人もたくさんいる。
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いったい、ここは何なんだ。

帰ってから調べてみた。
神奈川県のHPによると、ここは1つの川(浦の川という1.3kmの超小河川)の流域(約70ha)が全く開発されずに残っている、関東では唯一の場所だそうだ。
かつては大規模な開発計画があったが、「貴重な自然を後世に残す必要があると考え、地権者との話し合いを進め、土地の買い取りを進めたほか、地権者による自主的な保全や寄付などにより、平成22年に保全に必要な用地の確保が完了した」とある。

でも、それだけでは解せない。
とても「貴重な自然」の状態には見えない。
調べを進める。と言っても、ネットに表示されていた「ほぼ日刊イトイ新聞」を読んでみただけだけど。
これで何となく分かってきた。
ここは1960年代前半までは、低地は田んぼとして、斜面はクリ、コナラ、マツ、シイなどの薪炭林として地元の人が利用していた。
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(畦の跡?)

その後、リゾート開発計画が持ち上がり、企業が土地を買収。
しかし、開発が着手されないまま20年たって、大自然に戻ってしまった。
(現在は「首都圏近郊緑地保全法」に基づく「近郊緑地特別保全地区」に指定されている)

大自然と言っても、木が茂りすぎて暗くなり、湿地が乾燥してササに覆われ、荒れ野のような状態だった。
都市近郊の小さな自然はこまめに人間が手入れをしないと、多くの生物が暮らせる環境を維持できない。

そのため、ササを刈り、森を暗くしてしまう常緑の低木アオキやヤツデも伐採、外来種のトキワツユクサ、セイタカアワダチソウも排除した。
川に光が入らないと、藻が育たないので、動物も育たない。
2010年から5年がかりでササを刈った。
川の流路も変えて、湿地を回復させた。
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そうした作業によって、ガマなどの貴重な水生植物が生えてきた。

というような話だ。
水田だった頃には、多用な生態系が保たれていたということなのだろう。
人間が荒れ地を切り開いて水田にする前は、やはりササだったのだろうか。
「貴重な自然」とは「手つかずの自然」と必ずしも同義ではなく、人間が手を入れた、人間にとって気持ちいい自然のことも意味するようだ。
なんか都合良く使い分けている気もして、腑に落ちない思いもあるが、私は自然保護原理主義者ではない。
一種の「自然開発」をすることで、変な開発を押しとどめることができるなら、悪いことではないのかもしれない。
なんて、なんか、えらそうですいません。

とにかく、現地ではまだ何も知らないので、首をひねりながら、小網代湾に向かう。
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訪ねた時間帯は満潮に近かったのか、干潟を見ることはできなかった。
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ちょっと海岸に出てみた。
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甌穴のような窪みがあったが、規則正しく並んでいるので、桟橋か何かの柱穴の跡か。
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ここはアカテガニの天国でもあるらしい。
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いったん、海を離れて、宮ノ前峠へ。何人かが停滞している。
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アカテガニが岩の間で冬眠しているとのことで、それを見ようとしている方々だ。
こちらは切通の反対側の露頭で、眠れずにはい出してきたアカテガニを発見。
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ほんとに手が赤い。
寝ぼけているのか、いかにも動きがにぶく、石井さんが簡単に捕まえていた。

坂を下りると、左手に「避難路」の手書き看板。
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これは津波の時のものだろう。
しかし、取り付きがあまりに急で、あわてて逃げる時は難儀しそうだ。
こういう道には本能的に反応する石井さんは、いきなりそこを登り始め、あっという間に姿が見えなくなってしまった。
下に取り残された今尾さんと私の男2人は「何も言わずに行ってしまいましたねえ」「ほんとにヤブが好きなんですねえ」と苦笑い。
しばらく待っていると戻ってきた。
「登り切ったら、大根畑でした」
「避難民は当分、大根で暮らすことになりますね」
と笑ったが、当然、高台に出れば、ちゃんと他の場所へ移動できるのだろう。

再び海岸に出ると、右手に白髭神社。
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巨大なシャコガイの手水鉢に一同びっくり。
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この神社は天文年間(16世紀中頃)、村の漁師の夜網にかかった束帯姿のご神像を祀ったのが始まりとされ、小網代湾が廻船の寄港地として、また三崎港の避難港として賑わった関係上、古くから信仰を集めてきたという。

境内には、石でたたくと金属音が出る鳴石(カンカン石)があり、遊んでみた。
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確かに、いい音がした。

湾には多数のヨットが停泊していた。
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海岸の路傍には、いくつかの石仏が並ぶ。海の安全を見守ってきたのだろう。
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釣り船の民宿。
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坂を登っていくと、東ノ台の集落を見下ろせる。
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あの家は三方、擁壁に囲まれて、なんだか怖い。
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高台に出ると、小網代のバス停。
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お腹がすいたので、歩くのは後回しにして、先に三崎港へ直行することに。
ここは油壺に通じるバス通りだが、本数が少ないので、三崎口と三崎港を結ぶ大通りまで歩く。
陽射しが暑い。このバス停でダウンからレインウエアに着替える。

油壺入口のバス停から乗り、三崎港で下車。
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今となっては、めずらしい木の電柱。
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すぐ目の前の「魚音」で、系列のすし屋を紹介されたが、別の店も偵察。
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3階建ての立派な木造建築の料理屋「三崎港本店」があったが、その赤い文字に一同興ざめ。
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となりの「立花」に入る。
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私は、マグロとビントロの二色丼(950円)&生ビール。
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さすがにおいしかった。

この後、旧市街を散策。おもしろい建築がたくさんある。
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こういう寂れ方は結構好きだ。
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看板建築あれこれ。みな関東大震災後の建築だ。
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米山船具店の装飾はユニーク。
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路地にも潜入。スナックで生徒会員募集?(実は2階の絵画教室のもの)
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廃屋。赤い野外灯が不気味。
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大繁盛している魚屋さんがあった。
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店頭で買ったものを、食堂で調理してくれるシステムのようだ。

めずらしい魚もたくさんあった。カジキマグロの卵。
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かなりグロテスクなシマシタビラメ。
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おいしそうなマグロのみりん干し。たまらん。
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引き返して、古い建物を利用したお店など鑑賞しながら
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海南神社に向かう。
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海南神社は藤原資盈(すけみつ)を祭神とする。資盈は故あって貞観六年(864年)に九州博多から三崎にわたり、この地を教化した。そのため、里人の尊崇篤く、死後、祠を建てて祀ったのが神社の始まりという。
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境内には頼朝公お手植えと伝わる樹齢800年の大イチョウ。
なぜ、こんなふうになるのか。
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本殿には鈴が文字通り鈴なり。
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みんなまとめて揺すったが、あまり鈴は鳴らなかった。やはり1つずつがいいみたいだ。

海南神社を参拝後、トイレを探しつつ、海外(かいと)集落へ。
男2人はビールの効き目が強すぎたようだ。
ところどころにスランプ構造の露頭があり、その見事な文様にうっとり。
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スランプ構造とは、海底に堆積した堆積物が、固まらないうちに海底の斜面を滑り落ち、不規則に乱堆積したもののこと。見た目は断層や褶曲が入り組んでいるように見える。
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ユニークな地名の海外町。
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船溜場の竣工記念碑。
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何年の建立か確認するのを忘れたが、遅くとも戦前であろう。

驚いたことに、揮毫したのが知事ではなく、神奈川県水産課長。
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当時の役人は本当に偉かったのだと改めて実感。

地区の公民館「海外会館」の横にあるお店で、Iさんとともに、マグロのみそ漬けとサワラの西京漬けを購入1080円。これは今夜の夕食用。
今尾さんが「このへんに公衆便所はありませんか」と尋ねると、「どうぞ、うちのを使って」と招き入れてくれたので、私も便乗した。
なかなか上手な借り方だなあと感心。

港の真正面に富士山が見えるというが、見えず。
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改めてバス停で「海外」地名の記念撮影。
こちらは、フリガナがふってあり、おもしろくないが
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対岸のはフリガナがない。
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この先にもっと派手なスランプ構造の露頭があった。
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三浦市教委が立てた説明板の記述に、意味が全然分からないと一同憤然。
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この地層が堆積したのは第三紀(6430万年~260万年前)。
白い層は泥岩、黒い層はスコリア質(火山噴出物)の凝灰岩や砂岩だそうだ。

防空壕にネコ2匹。
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本日最後の訪問地、諸磯隆起海岸。
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国の天然記念物なのに、看板が倒れて、悲惨なありさま。
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いくら見学者が少ないとは言え、倒れたままにしとくのはいかんだろう。

穿孔貝による無数の穴が4層になって確認され、地震による隆起が4回あったことを示すものだという。
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うち3回は、1923年の関東大震災、1703年の元禄大地震、818年の弘仁大地震とのこと。

湾に戻ると、正面に富士山が見えて一同大感激。見事な夕景だ。
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立派な船家もあった。
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帰りは、さっきバスに乗った油壺入口まで戻ることにした。
帰り道、石井さんが地図読みで大ボケをかまして、みんなで大笑いしたが、ここでは一応伏せておくことにする。

途中あった市営住宅は炭住のようで、今尾さんは「夕張のようだ」、石井さんは「足尾のようだ」と感想を述べていた。
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あたりは一面の大根畑。有名な三浦大根だ。
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石井さんはしきりに「ああ、抜いてみたい、抜いてみたい」と漏らしていた。

油壺入口からバスで三崎口駅へ。着いた頃にはすっかり暗くなっていた。
皆さん、お疲れさまでした。

16:57発の電車に乗り込み、横浜で2人とはお別れ。
東海道線に乗り換えて小田原に18:52着。
コンビニで「佐藤のごはん」を温めてもらい、ホテルへ。
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場末の飲み屋街の中にある安宿。
じゃらんポイント600円分を使って3400円。
電子レンジが使用自由だったので、さっきの味噌漬けを温めて食べる。
焼いた方がおいしいのだろうが、十分おいしかった。

風呂&翌日の準備をして10時過ぎに就寝。さあ、あすは箱根だ。
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