時は、西暦2013年8月3日(土)。
伊吹山は新幹線に乗るたびに眺めてきた山だ。
いつかは登りたいと思い詰めてきた、ということは全くない。
山歩きをするようになってからまだ日が浅いので、そんなことは思いもしなかった。
ただ、学生時代、自転車部の先輩が伊吹山ドライブウエイにチャレンジしてみた話は記憶に残っている。
この道は自動車専用道路なのだが、料金ゲートを知らんぷりしてすり抜けようとしたら、やっぱり見とがめられて失敗したという話。
わが自転車部ではゲート破りが流行っていたわけではないが、私も何度か試みたことがある。
愛知県の三河湾スカイラインではみごと成功。徳島の南阿波サンラインでは「止まれ!」という係員の声を無視してゲートを突破したものの、車で追い掛けてこられて引き戻された。
香川の五色台スカイラインでは「札幌からはるばる来たんです(本当は東京から)」と拝み倒して、通してもらった。今では考えられないおおらかな時代だった。
三重の伊勢志摩スカイラインはゲートが開く前の午前4時に侵入。当然成功。
あの頃は若かった。自分も時代も。
さて伊吹山である。
標高は1377mと大したことはないが、何と言っても日本百名山である。
この山が百名山に選ばれたのは、やはり地の利であろう。
京の都から東国に下るときに初めて目にする大きな山が伊吹山である。
故に古代から歌にも詠まれ、ヤマトタケルの伝説もある。
そうした歴史を生んだことが、深田久弥の採点の大きなポイントになったはずだ。
奈良市内のホテルを午前5時過ぎにチェックアウト。
近鉄京都線、東海道新幹線、東海道線と乗り継ぎ、最寄り駅の近江長岡駅に下り立ったのは7:15。

電車の中には山支度の若者が結構いて、目的は同じとみられた。
最初はバスで登山口まで行くつもりだったが、1本早い電車に乗れてしまったので、随分時間がある。
たまたまタクシーが駐まっていたので、それで行ってしまうことにした。
大した距離ではないから、千数百円くらいだろう。
ただ肝心の伊吹山はこの晴天なのに、頂上だけガスがかかっている。

まだ朝早いので、直に晴れるだろうと期待していたが、結果的にはだめだった。
そうとも知らず、期待を胸に登山口の三之宮神社へ。

大勢の人が出発前の体操をしており、「さすが休日の百名山」と腹をくくる。
登山口でのアンケートに答え、登山届も出して、7:45に出発。
すぐ登山口なのだが、そこはとりあえず通過して、現在休止中のゴンドラ乗り場に向かう。
廃線になってしまうかもしれない施設なので、取り壊される前に記録しておく。
伊吹山ゴンドラである。


これが運行されていれば、3合目まであっという間だったが、なかなか世知辛い世の中だ。
伊吹山スキー場は関西の人にとっては近くて便利なゲレンデだったことだろう。
もともと近江鉄道が経営していたが、親会社の西武グループの不祥事により、2005年10月に一旦営業を停止。その後、ピステジャポンが経営を引き継いで、その年のうちに営業を再開したが、寄る年波には勝てず。
そもそも南斜面で雪が解けやすいという欠点を抱えていた上に、温暖化やスキー人口の減少などによる経営難で、2008年に再び休業。2010年にはスキー用のリフトが撤去され、スキー場としては閉鎖された。
ゴンドラについては登山や観光のために夏季に運行を続けていたが、2011年に運休となったままである(以上、ウィキペディアを参照)。
これは帰宅後に調べて分かったことで、てっきり冬はスキー場として営業しているものだとばかり思っていた。
登山口へ戻る道から、長い列車のような高架の廊下が見えた。

これは住友大阪セメントが伊吹鉱山から石灰岩を運んでくる施設。
左手欄外の工場までつながっていた。
伊吹山は石灰岩でできている山なので、冬でなくても白く見えることがある。
深田久弥はこのスキー場とセメント工場の白煙を「山の美観を傷つける、はなはだ目障りな物」と酷評しているが、セメント工場はともかく、閉鎖されることになってみると、幾ばくかの寂寥感を禁じ得ない。
全国的な現象だが、20年前にはあれだけ関越道をあふれさせたスキーヤーは今どこに行ってしまったのだろう。
なんてぶつぶつ言いながら登り始める。

ここから頂上まで6km。かなりの距離がある。
標高も210mからなので、標高差は1000mを超える。
八ヶ岳並みのアルバイトになりそうだ。
登り口にあるのが「ケカチの水」。

かつての行者はこの水で身を清めて、山頂の弥勒道を目指したという。
語源は「悔過(けか)の池(ち)」だそうだ。
最初は広い道がジグザグに登っていく。

石がゴロゴロしていて、足場はあまりよくない。
かなり急なところもある。

百名山名物の大行列。

当然、抜かせてもらう。
1合目の手前にたたずむ「ひろきち地蔵」。

むかしむかし、山へ炭焼きに出かけたひろきちさんが、6合目でお地蔵を見つけて、家の仏さんにしようと持ち帰ったという。そのうち、ひろきちは病気で寝込んでしまい、村人がここまで戻して、祀ったのだそう。
その後、ひろきちさんはお地蔵様を勝手に動かした愚を悔いて、元気になったことだろう。
ずっと樹林帯を歩いてきたが、1合目で一気に視界が開ける。

スキー場跡に出たのだ。8:17。
登山口から距離にして900m、標高は420mまで登ってきた。
スキー場閉鎖でお客さんも随分減ってしまったであろう旅館伊吹高原荘が営業していたが、とくにジュースなどは買わず、通過する。

登山道はここからしばらくゲレンデの中を直登する。

振り返ると、電線が邪魔だが、琵琶湖が見える。

お城らしきものも見えるので、手前の町は長浜だ。
あちらには役目を終えた「丘の家」がむなしく建つ。

ここからは下界がよく見える。

あれは住友大阪のセメント工場。

かなたには琵琶湖の沖島が見える。

この女性2人はトレラン。

あっという間に走り去っていった。
2合目の手前に松尾寺に寄り道。


役行者の高弟・松尾童子が673年に開創したという。
隣接して白山神社。

登山道に戻ると、そこが2合目。標高580m。8:45通過。

どんどん登ってくる。恐ろしや~
眼下には近江ののどかな風景が広がる。

道は登山道らしくなってきた。

下の交差点が2合目。

だんだん、雲が低くたれ込めてきた。

やはり今日はダメか。
このこんもりした丘が徳蔵(とくぞ)山。

標高は700m弱。
ここは薬草が多く、格好の草刈り場だったのだそう。
伝説の大男・伊吹弥三郎が鞠を蹴った場所「マルケバ(鞠蹴場)」とも呼ばれているとか。
3合目へのなだらかな道。

しかし、とうとうガスが下がってきた。

3合目の手前でおしまいとは悔しい。
しかし、ここオカメガハラは高山植物の群生地。

展望が利かなければ、足許を見ればよい。
とりあえず、3合目のゴンドラ山頂駅(765m)付近を探検。

胸像は中山再次郎先生(1867~1963)。
旧京都府立第二中学校の校長で、新潟の旧高田中教頭だった1911年、オーストリアのレルヒ少佐のスキー講習を受けて以来、スキーに熱中。関西でのスキーの普及に努め、伊吹山スキーの生みの親とされる人物だそうである。
師は伊吹山スキー場の閉鎖をどう感じているのだろうか。
すでに荒れ始めている伊吹高原ホテル。

オカメガハラでは江戸時代以来、牛の飼料や田畑の肥料として草刈りが行われてきた。
それが昭和30年代、農耕の機械化に伴って牛がいなくなったことで、草刈りの風景も見られなくなったという。このあたりに高山植物の群生地が維持されたのは、こうした人間の活動によって低木の生育が抑えられたからだとのことである。
まずはニッコウキスゲ。

カワラナデシコ(またの名をヤマトナデシコ)

3合目は標高720m。

ここまで2.4km歩いてきた。9:26。
実はここまで車で来られるようだが、そうしている人は見かけなかった。
トイレもあるし、ここで最初の休憩をとる。

と言っても用を足して、少しベンチに腰掛けて水を飲んだだけ。5分で出発。
高原の道。

ガスのおかげで涼しい。
見事なトモエソウ。

9:40、4合目(標高800m)通過。

で、9:50、5合目(880m)。

ここには自販機や茶屋、ベンチもあったが、さっき休んでから20分も経ってないので、通過した。
(つづく)
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