岩木山(1625m)に登る前に、岩木山神社に参拝中。
朝早く、8時過ぎにお邪魔したので、お清めの真っ最中だった。
こちらは御朱印所。正式には守札授与所というらしい。
右手の茅葺きの重厚な建物は社務所。
湧き水の池の向こうに
手水鉢のようなものがあるが、遠すぎて手を洗いに行けない。
正面の楼門は寛永5年(1628年)の建築で、国の重要文化財。
弘前藩2代藩主の津軽信枚(のぶひら)が、山麓の百沢寺(現在の岩木山神社)の山門として建立したものだ。
楼門を抜けると中門。
中門に向かって左手には屋久杉のように太い巨樹の切株が祀られていた。ヒバかしら。
右手には、巨大な絵馬。今年は戌年。
狛犬さん。
中門の扁額には「北門鎮護」と書かれている。
本州最北端の総鎮守ゆえ当然か。東郷平八郎の筆である。
拝殿。こちらは寛永17年(1640年)に百沢寺の本堂として建てられた。
頂上が晴れることを祈って、思い切ってお賽銭100円を投げ込む。
奮発したので、きっと大丈夫だろう。
玉石で囲まれた緑色の区画は、何の聖域だろうか。
奥には末社の白雲神社があった。
「岩木山神社永世通持会」と書かれている。「講」のような信仰団体が建立した石碑だろう。
中門の石垣から湧き水が噴出していた。禊所である。
かつて「お岩木やま」に登拝する人は、ここで禊をしてから登ったのかもしれない。
社務所にも立ち寄ってみた。
中では神職の方が、お仕事をされていた。
結局、御朱印所で交通安全のステッカー(500円)を買ってしまった。
帰りに参道脇にあった出雲神社に立ち寄る。
境内に、ノモンハン事件(1939年)戦没者を悼む慰霊碑が立っていた。
津軽出身の戦死者も多かったのだろうか。
大黒さまが守っていた。
この「岩木温泉」とは「旅館清明館」のことのようである。
鉄分を含むやや赤っぽい温泉だそうだ。
延暦19年(800年)、坂上田村麻呂が岩木山大神の加護によって東北平定を成しえたとして、山頂に社殿を再建したのが、岩木山神社のルーツだそうだ。
後に、山麓の十腰内地区に麓宮(現在の厳鬼山神社)が建立され、山頂の社は奥宮となった。
寛治5年(1091年)、麓宮は現在の岩木山神社の場所に遷座し、百沢寺と称したという。
岩木山へはもちろんここ岩木山神社から登ることができる。
実際、境内で何人かの登山者を見かけたが、私は八合目まで車で行く。すいません。
その前におトイレ。「安堵館」という名称がついていた。
「半分、青い」で有名になったごへい餅は津軽の名産でもあった。
ていうか、わりとどこでも作っているような気がする。
私は昔、木曽で食べた記憶がある。
百沢寺は明治の神仏分離により、津軽総鎮守・岩木山神社とされ、1873年(明治6年)に、国幣小社に格付けされた。
鳥居の正面には、温泉宿の「富士見屋」や「中野」などが軒を連ねていた。
さあ、参拝も終えたことだし出発。6kmほど西の津軽岩木スカイラインを目指す。
15分ほどで入口に到着。
ゲートで往復料金1500円を支払い、69のカーブを登っていく。
中腹は紅葉がきれいだったが、沿線には車を停めて、景色を眺められるような展望・駐車スペースはなかったので、ノンストップで9.8kmを登り切ってしまった。
八合目は標高1247m。
眼下には嶽温泉や津軽羽黒あたりの集落が望めた。
西には寄生火山の黒森(887m)が紅葉に染まっている。
この突起は、やはり寄生火山の二ツ森(612m)だろう。
日本海。左は北金ヶ沢、右は陸奥赤石の集落と思われる。
南には白神山地が連なる。
看板の右手に道がある。展望台みたいなところだろうから、下山後にでも行ってみよう。
ここから九合目の鳥ノ海噴火口までリフトが通じている。
頂上方面は残念ながら完全にガスの中だ。
飲み物を買うのを忘れたので、売店(IWAKI1625)でアクエリアスを調達。
売店の前にバス停があった。
駐車場の一段上に、鐘のある石碑が見える。あとで見に行こう。
お、少しガスが晴れてきた。あの突起がまさか頂上?
(実は違って、鳥海山という少し低い山の山頂だった)
軽くストレッチをして、9時半前に出発。
まずは階段。
一段上に出て、駐車場を見下ろす。
北の方角には鯵ヶ沢の町が見えた。
これが、さっき見た石碑。
「山男」なる人物が「パトロールは知恵を出せ。知恵のない者 汗を出せ。・・・」などと説教をたれている。
調べてみたら、松下幸之助がこんなことを言っていた。
以前、どこかの会社の社長が「知恵ある者は知恵を出せ、知恵無き者は汗を出せ、それも出来ない者は去れ」と社員に言っていたことがある。
松下はその言葉を聞くと、「あかんな、つぶれるな」と言った。
「本当は、まず汗を出せ、汗の中から知恵を出せ、それが出来ない者は去れ」と、こう言わんといかんのや。知恵があっても、まず汗を出しなさい。本当の知恵はその汗の中から生まれてくるものですよ、ということやな
松下に言わせると、この説教では「あかんな、遭難するな」ということになってしまう。
下の銘板には「岩木山顕彰碑」とあったが、何を顕彰したものなのか、よく分からない碑だ。
建立は1990年4月29日であった。
では、本格的に登山道に入りましょう。
ずっと、こんなササやぶの道が続く。
路面は所々で石が露出している。
傾斜もかなり急で、すぐ暑くなったので、ウインドシェルの上に来ていたゴアを途中で脱いだ。
左手に見えているこんもりは西法寺森(1288m)であろう。
赤と黄色の黄葉がきれいだ。
とうとうガスの中に突入。
しかし、また上の方が見えてきた。
どうやら九合目に着いたようだ。ここまで30数分だった。
雲が低いが、何とか下界も望める。
ササやぶを抜けると、目の前に鳥ノ海火口が展開した。
地形図には、火口湖になっているように表記されているが、水は干上がっていた。
かなり生々しい印象だが、この火口で3000~2000年前にマグマ噴火があったのだという。
岩木山は江戸時代に4回も水蒸気噴火を起こしており、現在も気象庁の常時観測火山である。知らなかった。
(つづく)
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