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山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

伊達散策(中)

【2018年5月14日(月)】伊達
午前中の仕事を終えて、伊達市開拓記念館の敷地内を散策中。
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こちらは1915年(大正4年)に建立された開拓記功碑。
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開拓の指導者、伊達邦成公(左)と家臣田村顕允(右)の銅像。
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伊達家の居所でもあった迎賓館。
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枝垂桜の向こうには伊達紋別岳(715m)。
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ここで散策は打ち切り、呼んでおいたタクシーに乗って、伊達市噴火湾文化研究所に向かった。
ここで1時間ほどお仕事。
その後、仕事相手の方のご厚意で伊達開拓ゆかりの場所をいくつか案内していただいた。
まずは、水神の森。
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開拓に不可欠だった水を引くため掘割を切った場所の一つだ。
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伊達邦成主従の功労を記念して、ここに水神の碑が建立された。
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1893年(明治26年)のことである。
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碑には、開拓の経緯などが刻まれている。
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開拓が成功し、邦成公は華族に列せられたとある。
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伊達は、北海道の他の地域と比べても、開拓が順調に進んだ地であった。
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次に訪ねたのは、開拓者たちを見守ってきた鹿島神社の跡。
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ここに邦成公の子息・基の歌碑が立っていた。
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原碑の模刻によると、「うつし植え松と杉とをためしにて君が八千代にあわんとぞおもふ」
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1915年に詠まれたものである。

その隣には家臣の佐藤脩亮が詠んだ「桜小路」の地名にちなんだ歌「君住まばうす山桜ことしより なおひとしほの色香をぞ添ふ」の歌碑が並んでいた。
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ここから東に、開拓地と稀府岳(702m)を望むことができた。
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こちらは伊達紋別岳。
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その頂上付近はササ原になっている。
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今、市内にある農家のほとんどが当時の移住してきた伊達家臣の子孫だそうだ。すごい。
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伊達家菩提寺の大雄寺に移動。
伊達邦成公とその母保子様の木造が安置されていた。
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それぞれ表情が安らかである。
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仕事先の方には道の駅まで送ってもらい、予約している特急の時間まで、もう少し伊達市内を散策することにした。
トイレを済ませて記念館の方に歩き出すと、さっきは見逃していた歌碑があった。
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先ほども登場した佐藤脩亮の地名由来碑である。
ここ梅本町の由来を歌にしている。
「消え残る雪のうちより咲出でてちるをいそがぬ梅の本つ枝」
梅本町は私がかつて住んでいたところだ。
佐藤は伊達市内の町名20か所について歌を残しており、伊達市郷土研究会がその歌碑を順次建立してきた。

再び迎賓館。
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今度は敷地内には入らず、外から園内を覗きつつ、伊達高校に向かう。
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途中で見かけたタンポポ畑。ものすごい密集度だった。
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ここを卒業したわけではないが、自宅から近かったので親近感がある。
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昔の校門跡。
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建て替えられる前は、玄関は海に向かってあった。
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伊達市のマンホール。桜と川をあしらった市章が中心にある。
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私が卒園した伊達幼稚園(左)。
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卒園したのは1969年なので、もう半世紀前。当然ながら建て替えられている。
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隣に伊達教会。幼稚園は教会の経営である。
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もう一度、大雄寺に足を運び、境内を改めて見学させてもらった。
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門の両側には仁王像。
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参道を行く。
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徳海院寂光良然居士の石碑。
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開拓農家片平コノの一人息子亀吉が1882年(明治15年)木材伐採中に事故で死亡。
菩提供養のため、コノは本堂の土地として4反歩を寄進した。
これが大雄寺発展の基礎のなったため、この墓碑を境内に移して永代供養したのだそうだ。
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石仏や無縁供養塔。
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怪獣の口のような岩。有珠山の溶岩だろうか。
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ここにも佐藤氏の地名由来歌碑。
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網代町と南小路について詠んでいる。
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それぞれ「網代もるひ魚のよるや待ちふけぬ つきかげ寒きうすのかわなみ」「めぐる日のしばしとどまる中空は ひだりも右も南とぞしれ」
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1906年(明治39年)に完成した本堂。
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碁を楽しむ小坊主たち。どんな意味があるのだろう。
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小さなお堂。
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「おねがい地蔵」。新しいものが多い。
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「徹山閣」
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山号は胆振山。1880(明治13年)に創建された。
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わりと大きな墓標が並ぶ。みな伊達家の家臣たちだろうか。
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かわいらしい水かけ地蔵。
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用途はよく分からないが大雄殿。本堂からちょっと離れた場所にある。
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かなり風化が進んで読めなくなってしまった歌碑。
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庭園かな。
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ここに清水が湧いているようで、水汲みに来る方が、ひっきりなしだった。
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水神様も祀られていた。
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私もひと口飲んだが、まろやかで美味しかった。

入学して1か月だけ在籍していた伊達市立伊達小学校。
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当時はまだ町立だった。この校章、何だか懐かしい。
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桜を背にした二宮金次郎。
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当時はまだ木造校舎だった気がする。
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敷地内に「百年の樹」を名付けられた古樹があった。これは、にれ。
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こちらは、けやき。
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ここは、もともと伊達実業専修学校の跡地だったようだ。
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1925年(大正14年)に開校して、1941年(昭和16年)に閉校となった。
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校歌「有珠山麓の大沃野こそ・・」
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伊達小学校140周年記念碑。平成24年で140周年ということは1872年の開校だ。
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それでは駅に向かいましょうか。途中、当時母が入院していた赤十字病院が見えた。
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市役所前の通りを経由していくことにする。「あいあいタウン」のマスコット?
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有珠山を山号にしたお寺、紋鼈(もんべつ)寺。
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ちょっと境内を見学。
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明治期の開創である。
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親鸞聖人像。
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この地はもともと紋鼈と呼ばれていた。
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伊達市役所の前を通過。
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門はお城のようになっている。
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この通りはきれいに再開発されていた。
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不動寺は門前を通り過ぎただけ。
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水車川を渡る。
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(つづく)
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