函館山(334m)で千畳敷近くの砲台跡を見学中。
函館要塞は、大日本帝国陸軍の要塞の一つである。
1896年(明治29年)、函館港と函館湾の守備を目的に計画された。
完成は、日露戦争前の1902年(明治35年)。
昭和になって津軽要塞と改称され、津軽海峡も守備範囲に加わった。
2001年10月、「函館山と砲台跡」として北海道遺産に選定されている。
函館要塞は千畳敷砲台、御殿山第一砲台、御殿山第二砲台、薬師山砲台と立侍保塁で構成される。ここは千畳敷砲台である。
1896年頃に「敵軍ヲシテ本湾ヲ利用セシメサル事」を目的に要塞設置が計画された。
これに伴い、翌年11月には函館要塞砲兵大隊が編成された。
この砲台跡から車道を眺めると昨日の雨で大きな水たまりがたくさんできている。
その一つで、カラスが行水をしていた。
函館の市街地を望む。
ちょっと拡大してみよう。
桜が満開の函館公園。
さっさと湯から上がるたとえに使われるはずなのに、カラスはかなり長時間遊んでいた。
車道に下りてきた。
函館要塞はずっと関係者以外立ち入り禁止だったが、戦後の1946年5月に一般開放された。
要塞諸施設の完成後に日露戦争を迎え、函館要塞も動員されたとのことだ。
かわいい中継塔を通過。
山腹に見える黄色い花はヤマブキだろうか。
こちらはコブシ。
千畳敷砲台跡は戦闘指令所も兼ねていた。
最初に起工した砲台は、函館山(御殿山)の東斜面にある薬師山砲台で、1898年(明治31年)6月のことだった。
同年9月の陸軍省告示により函館要塞周辺区域が画定した。
1916年(大正5年)には、御殿山第一砲台及び薬師山砲台が廃止された。
昭和に入り守備範囲を広げるため、竜飛崎砲台、汐首岬砲台、大間崎砲台を築き、1927年(昭和2年)に名称を津軽要塞と変えた。
このときに解体された戦艦伊吹の主砲も転用されたとのこと。
これらの戦力増強よって津軽海峡の封鎖が可能となった。
太平洋戦争が始まってしばらくした1943年2月、津軽要塞は北部軍に編入された。
一般に函館山と呼ばれているのは、この中継塔が林立する御殿山のことを指す。
西の対岸に見えるのは丸山(482m)。
北西に見える残雪の山は、設計山(702m)、雷電山(703m)あたりだろうか。
戦後、米軍は函館山の要塞が日本の徹底抗戦派のゲリラ戦拠点となる可能性を考え、施設の多くを爆破した。
施設の完全破壊には至らなかったが
この影響による崩落の危険から、弾薬庫や掩蔽壕の多くが現在も立入禁止となっている。
皇太子時代の大正天皇がここで休憩をしている。
要塞を視察しに来たのだろうか。1901年(明治44年)8月21日のことである。
月見台という場所に下りてきた。
眼下に函館公園が見えるが、月もきれいな場所なのだろう。
いきなり、三十三観音の十二番が現れた。
どういう順番で配置されているのか分からないが、今度は九番が出てきた。
地蔵山を望む。
函館山ロープウェイ山頂駅・展望台は御殿山第一砲台の上に建てられているそうだ。
この後はしばらく車道歩き。
道端では、フキノトウが大きく成長している。
十三番、石山寺。
やはり設計山かなあ。
十四番。だんだん順番通りになってきた。
十五番。石仏が並ぶ道は北海道では珍しい。
小腹が空いてきたので、歩きながら大福をいただく。
豆大福。そこそこお腹にたまるし、甘いので元気が出る。
左手に函館山の西海岸が見えてきた。
南端の方は断崖である。
この雲は富士山のように見えたのだが、うまく撮れなかった。
なぜか、ひまわり形のカーブミラー。
間もなく、入江山(291m)の入口に到着。
ここは十六番。
せっかくなので入江山までピストンすることにした。
その途中に十七番。
御殿山。
つつじ山(306m)。
寂照塔。1954年(昭和29年)9月26日の台風15号(洞爺丸台風)で遭難した北見丸乗組員照内国雄氏の慰霊碑である。
入江山には観測所が設けられていた。
その遺構の一部だろう。
少し先に本体と思われる廃墟があった。
すき間からタンポポが生えている。
再び御殿山。
順番通りに十八番。
ここが入江山の頂上ということになる。
入江山は函館山の北西に突き出した要所にある。
以前、函館要塞を訪ねた時は、下から直接ここに登ってきた気がする。
どこもそうだが、きれいな切石で堅固に積まれている。
下に直接下る道は通行止めになっていた。
車道に一旦もどったが、登った山を稼ぎたくて、つつじ山のやぶの中に入って行ったら、ここにも遺構があった。
ここはあまり人が来ることが想定されておらず、木々が繁茂していた。
用途は不明である。
遺構もかなり傷んでいる。
でも来てみて、よかった。
では、引き返そう。
やぶこぎをして、東屋にたどり着いた。
さすがに眺めがいい。
湯の川温泉方面の海岸線。
白波が打ち寄せる大森浜。
御殿山。
ここから御殿山第二砲台跡の遺構の中を下っていく。
(つづく)
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