2月に宇佐美駅から巣雲山(581m)に登ったが、あの時は、もう一つの候補として海岸沿いの離山・ナコウ山縦走というプランもあった。
でも天気があまりによかったので、富士山を見るために巣雲山を選んだのだが、ナコウ山(353m)にも未練がある。
ナコウ山は江戸城石垣の石切り場としても知られた場所なので、取材(会社の業務)ということにして平日に出かけた。
新所沢駅を7:39に出発。高田馬場で山手線に乗り換えて、品川から特急踊り子105号に乗り込む。
会社から旅費が出るので新幹線でもよかったのだが、たまには在来線の特急に乗りたかった。
家から持ってきたビーフジャーキーをつまみに、朝から缶ビールをプシュッ。
多摩川を渡るとき、右手前方に富士山がはっきり見えたが、撮影には失敗してしまった。
車窓を見ながらくつろいでいたら、女性の車掌さんが検札に来た。
最近は、ちゃんと指定された席に座っておれば検札は省略されるはずだが?と不審に思ったが、踊り子号はまた別なのかなと思い直し、素直に切符を見せた。
車掌さんは席が合っているので、はんこを押そうとしたが、ふとあることに気づいたようだ。
「すいません、これ明日の切符ですが」
え~~~~!
う、切符の日付は確かに4日、今日はひな祭りの3日。
しまった。昨日、切符を旅行代理店で買ったときに、日付を間違えて申告してしまった。
「ど、ど、どうすればいいでしょうか」
「ちょっと待ってください。帰りの分も含めて、切符お預かりしていいですか」
と言って、いったん引っ込んでいった。
まあ、何とかなるだろう。
平塚を過ぎると、右手に高麗山(168m)が現れた。
JRで買った切符なら、わりと簡単に変更できるようだが、代理店で買ったものは、やや面倒らしい。
全く私も相当ボケている。つまらないことで、余計な手間をかけてしまった。
反省しつつも、ビールをぐび。
しばらくして、今座っている席は確保できたと、車掌さんは知らせてきた。
「いや、すいません。ありがとうございます」
「乗車券と帰りの切符については、乗り換えの熱海駅の窓口でお手続きください」
とのこと。
乗り換え時間は14分あるので、まあ大丈夫か。
この電車は前10両が伊豆急下田行き、後ろ5両が修善寺行きなのだが、車内放送によれば、前10両は満席とのこと。
平日なのに何があるんだろう。河津桜はもう盛りを過ぎた気もするが。
引き続き車窓を眺めていると、丹沢の山々との距離が小田急線や新幹線よりも遠い。
そのことがとても新鮮だった。
小田原の手前で見えた富士山にはかなり雲がかかっていた。
しばらくすると、また車掌さんがやってきて、「今日は熱海がとても混雑していて、乗り換え14分だけでは間に合わないかもしれないので」ということで、切符1枚1枚に「誤発売。・・・・」と書いて、はんこを押してくれた。
なんて親切な方なんだ。
こちらの不注意なのに、しかも、あれこれ忙しいはずなのに、丁寧に対応してくれて、感謝しきりであった。
熱海には10:20に到着。
ここで切り離しの瞬間を見学してから、伊東線のホームへ。
改札近くには「伊東まがり雛」の宣伝ポスターが貼ってあった。
電車が混んでいたのは、このせいなのだろうか。
乗り換えの電車は普通の車両だった。
でも、車内はそれなりに混んでおり、ロングシートに座らざるをえなかった。
10:34発車。宇佐美には定刻通り10:51に到着した。
ここは無人駅だったので、さっきの不規則切符を提示して説明する必要はなかった。
まずは、前回もお世話になったアイヌ語トイレ「旅のアシンル」へ。
用が済んだら、駅前広場の「宇佐美江戸城石丁場遺跡」の案内板を確認する。
それによれば、太田道灌が築いた江戸城の大規模な改修工事(天下普請)は、慶長9年(1604年)から寛永13年(1636年)頃まで、家康、秀忠、家光の3代にわたって断続的に行われたとのこと。
その石垣に用いられたのは、「伊豆石」と呼ばれる安山岩。
ちなみに、慶長11年には、約20の大名がかり出され、約3000の船が毎月1万2000個の石材を江戸まで運んだと伝えられている。
ここには、巴紋と輪違いの刻印石などが展示してあった。
当初は駅前通りをまっすぐ進んで海に出る予定だったが、烏川に沿って、いくつか案内板があることを知ったので、方針を変更して、左に進路を取る。
その前に、昼飯を買っておかなくては。
この先、コンビニがある保証はないので、駅前にあったパン屋「山茶花」に入る。
朝食もパンだったので、パンはあまり食べたくなかったが、ピラフが税抜き305円で売っていたので、これにした。
では、出発。時刻は10:56。
左前方の山腹に、うさみ観音寺の巨大な世界平和大観音(高さ50m)が見えた。
北へ10分ほど歩くと、刻印石にぶつかった。
「折敷(おしき)に三文字」と呼ばれる紋である。初めて見た。
これらはナコウ山南斜面の砂防ダム付近で見つかったもので、豊前杵築の稲葉家が大阪城で同じ文様を使っているのが確認されているという。
では、次の案内板へ、と川に沿って歩いたが、あるはずの場所に何もない。
道を間違ったかなと思っていたら、その次の案内板が現れた。
ここには刻印石はなく、矢穴(岩を割るときに開ける穴)の説明が書かれているだけだった。
そのまま川に沿って、海岸に出ると、宇佐美留田浜辺公園。
今度は海岸に沿って東へ歩く。
振り返れば、遠浅の宇佐美湾。
そして、宇佐美みのりの村の別荘街。
先日登った大丸山(右、508m)。
(635)
南には、伊東温泉ホテルサンハトヤが目立つ。
まだ11時を過ぎたばかりなのに、お腹が空いたので、東屋に腰掛け、ピラフを食べてしまった。
食べ終わったら、すぐ歩き出す。
サーファーが海に浮かんでいるのが見えるが、波が穏やか過ぎて退屈そうだ。
正面に見えるのが離山(154m)。
宇佐美港を過ぎて、さらに行き止まりまで進む。
対岸を、特急踊り子号が走り抜けていった。
おお、伊豆大島も見えてきた。
サンハトヤの背後には大室山(580m)も。
海岸では今も、矢穴や刻印のある石が見つかるという。
行き止まりに神社があったので、ここで安全祈願。
神社名は書かれていなかった。
近くにあった石碑群。
少し引き返して、「海つばめ」の看板があるところから、急坂を登っていく。
みかんとツバキの花が美しい。
どこから山道になるのか、よく分からなかったが、不自然な感じでアルミのハシゴが掛けてあったので、そこから取り付く。
その先には不明瞭だが、踏み跡があったので間違いないだろう。
竹林の中を登っていく。
急斜面を登りつつ、「この山林は私有地です」の貼り紙を頼りに進む。
でも、この気味の悪い暖帯林の中に入ったあたりで道を失った。
段々畑状になっているので、これに沿って軌道修正。
すると、正規の道に戻ったのか、だんだん、石がゴロゴロとし始めた。
矢穴石も現れた。これは二つしか開いておらず、すぐに加工を止めてしまったらしい。
さらに登ると、ちょっと平坦な場所に出た。
離山石切り場跡だ。
ここには、矢穴石や刻印石がいくつか残っていた。
こちらは「九曜」。
細川家の家紋と同じなので、この石切り場は細川家の縄張りだったと思われる。
(つづく)
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