浅間尾根から藤倉バス停あたりまで下ってきた。
ここからは落合までは20分ほど車道歩き。

愛宕橋で北秋川を渡る。


左手に寒澤寺。

寛永三年(1626年)の創立で明治期には学校として使用されたこともあったとか。

しかし、昭和39年に学校給食が始まると、ここに炊事場を設けるため、寺は取り壊されてしまった。
現存の御堂は平成15年、地元の檀家らにより再建されたものだそうだ。
西東京バスは藤倉までだが、その奥は檜原村のデマンドバスが運行されている。

これも立派なお宅だが廃屋のようだ。

北秋川の上流部。

清冽な流れだ。

倉掛自治会館前を通過。

その裏に石仏がひっそり。

落合橋に到着。

正面に登山道というより石碑が並ぶ生活道が見える。

よく見ると、墓石のようだ。「知法童女」「幻霜童子」の文字も見える。

日当たりがよくて暖かい。

雪も全くなくて春のようだ。

こうして振り返ると、谷間の村であることがよく分かる。

ここは白岩沢の谷だ。

今度は石仏。道には背を向けていた。

落合橋から50mほど登ると民家が2軒ある。

1軒は廃屋だ。

まだ十分住めそうだが。

立派な石垣もあった。

ここは裏に車道が通じているので車で来ることができる。
V字形の空が格好いい。

現役の家の前を抜けると道が二手に分かれている。
道標がなかったが、地形図の表記がなんとなく右っぽかったので、右を選択。

2軒のお宅を見下ろす。

右手に見えたのは734mピーク。

振り返ると、浅間尾根の北斜面が見えた。

この先にも地形図には家の記号があり、確かに現地にもあった。

玄関前の道は木製の桟橋になっていた。

裏に回ってみる。

トタン屋根。

この祠は家の守り神だったのだろうか。

石仏も家主のない家をずっと見守っていた。

この先は樹林帯に入る。かつての生活道路らしく、石垣で普請してある。

興味深い形の木だったので記録に残しておいた。

つづら折れの道が続く。

生活道路としては、もう全く使われていないのだろう。かなり荒れている。


道はあっていたようで、地図通りまもなく右へのトラバースとなった。

屈曲点で左に転じるのも地図と同じだった。

スズタケが生い茂っている。

倒木も激しい。

振り返ると、御前山(1405m)の湯久保尾根。

いよいよ倉掛集落が近づいてきた。

立派な石垣も現れた。

さっきの廃屋から200mほど登ると再び車道に出た。

これは結果的に枝道だったのだが、本道かどうか確認すべく上に行ってみたら、やはり行き止まり。
その行き止まりに民家がある。
現役の家だと思っていたが、雪に足跡がないので、廃屋のようだ。

見学すべく敷地に入ると、奥の林が伐採されていて一気に展望が開けた。

左から浅間尾根の松生山(934m)、浅間嶺(903m)、一本松(930m)、929mピーク。
一番奥の松生(まつばえ)山。

今歩いてきた浅間尾根。数馬分岐がある908mピークあたりだろうか。

都心の高層ビル群も見えた。

このお宅にお住まいだったT・Hさん(表札が残っていた)の家族は毎晩、都心の夜景を見ながら眠ったことだろう。
あまりに景色がいいので、ここでお昼にすることにした。

ちょうどコンクリートブロックがあり、イス代わりに使わせてもらった。
メニューは昨日と同じ、カップ麺の天ぷらそばと炒飯のおにぎり。

おにぎりは低温のせいで、ぱさぱさになっていた。選択を誤った。
二日連続の天ぷらそばだが、最近ラーメンよりそばの方がおいしく感じるようになってきた。

食べ終わったところで名残を惜しみつつ出発。

20分ほどの休憩だった。

本道に出ると、廃車が2台。


そこは掬水山東安寺の跡だった。

創立は1373年より古いらしい。
そういうこともあり、ここには石仏などが集められていた。


寒念仏供養塔も。

寒念仏とは、1年でもっとも寒さの厳しい小寒から節分までの30日間にわたり、鉦をたたき念仏を唱えながら諸所を巡回する一種の苦行のことだ。
ここからは倉掛集落の廃屋を見ながら登っていく。


これは、交通遺児らを支援してきた「檜原ファイト村」の活動拠点として使用されてきた古民家だが、今も使われているのだろうか。


奥の家は現役のようにも見えたが。

今度の廃車はデリカ。

たまには、まだまだ頑張っているところも。
檜原きのこセンターはバリバリ営業中。

まいたけが美味しいのかな。

おしゃれ工房はやっているのか。

廃屋の向こうの御前山。

奥多摩から見るより、こちら側の方が形がいい。

集落の尽きたあたりで犬が吠えて追いかけていたが、遠慮がちでかわいい。

「おいでおいで」としたら近づいてきたけど、手の届くところまでは来ず、勝手に家に帰ってしまった。

犬がいるということは、まだ人も住んでいるということだ。

数えてみると4軒ほどはお住まいの様子だった。
さあ、ここから風張林道のスタート。

目の前に雪の積もった車道が見えたので、もう一度チェーンを装着。

林道で徐々に高度を稼いでいく。

途中、林道が大きくカーブするところはショートカットすることにした。

ここから取り付く。

つづら折りに登っていく。

尾根道に深く掘れたかつての生活道路らしき道が通じていた。

傾斜が急で、ちょっと難儀したが、間もなく林道に合流。

さらに高度を稼ぐ。林道歩きは楽だ。

右手に倉掛山(1078m)への取り付きを探しながら進むが、急な法面になっており、取り付けそうなところを見つけられないまま、ピークの位置を過ぎてしまった。
これは反対側から登ってピストンするしかないなあと思っていたら、登り口に小さな標識があった。

もう字が消えかけているが、これに間違いない。

もちろん、しっかり踏み跡はある。

ヤブも刈ってくれている。ありがたいことだ。

標高差30mほどで登頂。

ここにはちゃんと山名板があって、うれしかった。

(つづく)
スポンサーサイト