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山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

中岳(4)

【2020年4月19日(日)】中岳
無意根山(1464m)の南に位置する中岳(1388m)から下山中。
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これも春先によく見られる現象だが、「根開き」のように何か名称が付いているのだろうか。
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あちこちに発生していた。
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さっき休憩したとき、山旅ロガーを見て「あと5km」と、みんなに言ったら、「まだ半分も来てないの~」とブーイングが上がった。
それから15分ほどで林道分岐まで下りてきた。
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ここから、まだ4km近くある。
しかし、安定した林道歩きだ。

ブーイングから30分近く経って、「あと何キロ」と聞かれたので、「あと3kmです」と答えたら、「まだ2kmしか歩いていないの~」という嘆息が、また漏れた。
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しかし、16時にはゴールできそうだということで、最後の力を振り絞る。
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下りは、往路で正直に林道をたどったところも、3か所ショートカット。
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ささやかながら時間の短縮を図った。
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今日の標高差は900mもなかったが、やはり夏山の7時間と雪山の7時間では疲労度が全く違う。
ラッセルはなくても、それなりに疲れるのだ。

登りでは見逃していた、なめ滝を発見。
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林道を黙々と下っていく。
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ようやくフキノトウが咲いているあたりまで下ってきた。
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ゴールは近いぞ。
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もう、ひと踏ん張りだ。
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この崖は林道建設の際に削られたものだろう。
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ミラーの中のあたし。
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ミラーの中の3人。
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だいぶ土が露出してきた。
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雪解け水がほとばしっている。
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あまりの奔流に水が濁るほどだ。
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さあ、あと700m。
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雪の下のササは倒れているが、雪が解けるとだんだん起き上がってくる。
不思議なものだ。
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なんと登りでは雪が途切れているところはなかったのに、ちょっと留守にしている間に、こんなに解けてしまった。
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やっと無意根大橋の先にある薄別回廊が見えてきた。
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もうすぐで歩くのも終わりだ。
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謎のコンクリート構造物のところまで戻ってきた。
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皆さんから2分くらい遅れてゴール。時刻は16時前であった。
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今日は結局、20km近くも歩かされる長い闘いであった。
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疲労困憊だが、最高の眺望で大大満足であった。
ガイド料金1万円を支払って、本日のツアーは終了。
出発しようとしたところで、スキーの2人が戻ってきた。
心の中で挨拶して、17時過ぎに帰宅。
疲れていたので、全然スピードを出せなかった。
運転距離は往復で72kmだった。

【行程】2020年4月19日
無意根大橋(9:00)~沼の沢林道分岐(9:25)~第一鉄塔先(9:50休憩10:00)~林道分岐・取り付き(10:20)~標高965m地点(10:57休憩11:06)~丹沢山(11:26休憩11:32)~標高1160m地点(12:07休憩12:22)~中岳(13:00撮影13:05)~頂上直下(13:07昼食13:36)~丹沢山(14:23)~標高950m地点(14:39休憩14:52)~林道分岐(15:06)~無意根大橋(15:55)
※所要時間:6時間55分(歩行時間:5時間25分)
※登った山:2座(丹沢山、中岳)
※歩行距離:18.7km
※累積標高差:約890m
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中岳(3)

【2020年4月19日(日)】中岳
札幌市と京極町の境界にある中岳(1388m)の目前まで来た。
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右手に無意根山(1464m)の雄姿。
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その左から余市岳(1488m)も見えてきた。
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だんだん、雲が増えてきた気がする。
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南側は青空がすっかり消えてしまった。
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中岳頂上の岩峰は最初、大雪山の赤岳程度のものを想像していたが、近づいてみると、安達太良山の乳首並みの大きさがあることが分かった。
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西に進むにつれ、無意根山の裏側(西斜面)が見えてきた。東斜面と違って、ちょっと黒い。
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左手に初めて姿を現したのは尻別岳(1107m)。
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そして、真打ち登場。
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みんなも見とれている。
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雲が多めだが、それもまたよい。
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言い忘れたが、羊蹄山(1898m)である。
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これが見たかったのだ。
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ついでに、東の空も。
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乳首の直下まで来た。
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と言っても、私だけ随分遅れている。
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頂上直下には大雪原が広がっていた。
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私も乳首に取り付く。
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風化に耐え抜いたこの岩が頂上として残ったわけだ。
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まさに最後の急登である。
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岩峰の上は意外にもハイマツに覆われていた。
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向こうに見えるのは羊蹄山とニセコ連峰である。

あそこが頂上のようだ。
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13時ジャスト、中岳に登頂。
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ちょうど4時間かかった。
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早速、撮影大会開始。
まずは南南西の方角から。尻別岳(右)と貫気別山(中央、994m)。
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北西には積丹半島の山々。
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余別岳(左、1298m)と積丹岳(右、1255m)。
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北に真っ白な余市岳(1488m)と真っ平らな朝里岳(1281m)。
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間近に無意根山。
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それらの全景。
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南西には、雲がたなびく羊蹄山とニセコ連峰。
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東は、左から札幌岳(1293m)、狭薄山(1296m)、漁岳(1318m)、小漁岳(1235m)。
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それぞれ拡大してみよう。札幌岳と狭薄山の兄弟。
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漁岳の右肩から覗く恵庭岳(1320m)。
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最後にもう一度、無意根山のとんがり。
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というわけで撮影終了。
それでは、風を避けられるところまで下りましょう。
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H君は尻セードで下ったが
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私は雪が湿っているので歩いて下った。
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小さな雪庇の陰に腰を下ろして、遅いランチタイムだ。
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目の前に、無意根山を眺めながら
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3つ目のパンをいただく。セブンイレブンのコロッケパンである。
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再び、陽が射してきて、背中が熱を感じる。
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風もなく、ぽかぽか陽気。
Iさんも「動きたくない」とつぶやいていた。
全く同感。とても雪の上に入るとは思えないような気持ちのよさだった。

しかし、ここで夜を明かすわけにもいかないので、重い腰を上げて出発。
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30分ものんびりしてしまった。
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下山を始めると、下からスキーのご夫婦が登ってくるのが見えた。
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我々より45分くらい遅れている感じか。
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でも、きっと後で抜かれてしまうのだろう。

目の前には葉祥明の作品のような光景が広がっている。
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何度も撮った無意根山だが、見えている限りは撮る、みたいな感じ。
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皆さんも目に焼き付けていた。
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いつものことだが、下りは速い。
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計画では17時に下山予定になっているが、16時くらいには着けそうだ。
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さすが少数精鋭である。
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振り返ると、中岳山頂が「八」の字に見えた。
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進行方向は札幌岳。
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あの白さを見ると、こんな私でもスキーで滑りたくなる。
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わずか20分で200mも下ってきた。
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めずらしく屈曲したダケカンバ。
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前日、八甲田山雪中行軍遭難事件(1902年)の番組(録画)を見たばかりだったので、なんだか天国のようだ。
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しかし、こんな平らな雪原でホワイトアウトになったら本当にアウトだ。
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風を防ぐコブも樹木もないし、斜面がないから雪洞を掘るのも容易ではない。
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芸術的な枝ぶり。
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急坂を通過し、樹林帯に入った。
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標高1050m地点を通過。
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丹沢山(1052m)への鞍部でいったん巻き道を行こうしたが
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谷が深すぎたので、軌道修正。
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結局、丹沢山を登る道を選んだ。
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完全ピストンになるが、それは気にしない。
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H君が持ってきた地図の軌跡通りに下ると、それなりに遠回りだったし。
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かなり疲れてきたので、早く下山できるに越したことはない。
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14時半前に丹沢山の山頂を通過。
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左手に黒々とした定山渓天狗岳(1145m)の岩稜が見えていた。
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なんだか絵になる風景である。
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あれこれ撮影をしている間に、必要以上のソーシャルディスタンスが生じてしまった。
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名付けて、「中岳の門」。
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こちらは「ダケちゃん3兄弟」。
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「舞鶴の木」
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下りは距離が離れても、あせらないで済む。
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その気になれば、それほど頑張らなくても追いつけるからだ。
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3密のダケカンバ。
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標高950mまで下ってきたところで小休止。
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10分経って、もうIさんは出発の態勢なのに、Xさんの話が止まらない。
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さすがに呆れてしまった。
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(つづく)
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中岳(2)

【2020年4月19日(日)】中岳
石狩と後志の国境にある中岳(1388m)に登っている。
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中岳の由来をきちんと説明してあるものに出くわしたことはないが、無意根山(1464m)と喜茂別岳(1177m)の間にあるから、という意味なのだろうか。
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標高950mに達すると、見事な雪原となった。
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地形図の記号では、「笹地」になっている。
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夏は猛烈なササやぶで人を寄せ付けないのに、冬の方がこんなにのどかに歩けるなんて、ちょっと妙な気分だ。
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左手に見えた白いゲレンデは中山峠スキー場。
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例年は5月中旬くらいまで滑れるところだが、今年は新型コロナウイルス感染防止のため4月12日で営業を終了している。

雪は表面が今日の陽気で解けているせいか、足元は少し沈むが、それほど気にならない。
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ちょうどいい木蔭があったので、2度目の休憩を取ることにした。
日蔭で少し風も吹いて汗が冷えそうなので、再度ゴアを着る。
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もう11時になっているとは知らず、ちょっとお腹が空いたので、パンを1個いただいた。
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相変わらず素晴らしい青空である。
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ここまで2時間かけて進んだのは5.3km。
まだ半分ちょっとしか来ていないことに、ちょっと愕然とした。

ゴアを着たまま出発。
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すぐにまた暑くなるかもしれないが、あまり脱ぐ気にならなかった。
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丹沢山(1052m)まではあと1km弱だ。
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このあたりはほぼ平らなので、根曲りしている樹木はないが、たまにかしいでいる木がある。
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左手に尖った山が見えてきた。
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位置的にオロフレ山(1231m)と思われるが、自信がない。
登った時もガスだったし、この角度から見たことはないからだ。
でも、あとでIさんに聞いてみたら、オロフレ山で間違いないようであった。

その左に並んでいたのは、ホロホロ山(左、1322m)と徳舜瞥山(右、1309m)。
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背後は、漁岳(左、1318m)と小漁岳(右、1235m)。
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その左にキリリと聳えるのは狭薄山(1296m)。
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それにしても、広い。
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そして、青い。
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木々の姿もうるわしい。
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春山ならではである。
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雲も模様も絶妙。
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木々の向こうに白い山が見えてきた。
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どうやら無意根山のようだ。
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標高はやっと1000mを超えた。
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あれは、まさしく無意根だ。
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いや~格好いい。
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雪が解けて、少し黒いしみが見えるのもチャーミングである。
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ちょっと、見とれてしまった。
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というわけで、11時半前に丹沢山に到着。
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このイエローテープが目印である。
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山名板がないことは分かっていたので、H君が恒例の私家版を用意してきてくれた。
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それにしても、平らな山頂だこと。
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でも、今日はこいつのお陰で2座稼げる。
なぜ、この山は丹沢山というのか。
三角点の点名が「丹沢山」だからなのだが、点名の由来までは分からなかった。

5分ほどの休憩で出発。
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さすがに暑かったので、やはりゴアは脱いでしまった。

これが、振り返ってみた丹沢山。とても山頂とは思えない。
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少し下ると、正面に中岳が姿を現した。
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乳首のような、あの山頂が特徴的だ。
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随分離れてしまった前の3人が、この木を指さして何か叫んでいたが聞こえなかった。
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お面のような瘤があるとでも言ったのだろうか。
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この形を見ただけで正解を出すのは難しかった。
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丹沢山からは20mほど下ってから登り返しとなる。
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左手に見えてきたのは並河山(1258m)。
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あの山だけ登り残してしまった。
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その左は喜茂別岳(1177m)。
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中岳の姿はまた隠れてしまった。
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知らぬ間にスノーモービルの跡をたどる形で登っていた。
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標高1100m近辺は本日最高の急登地点。ジグを切って進む。
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標高差は50mほど。
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もう3時間近く歩いているので、さすがにへばってきたが、眺めがすこぶるよい。
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北東の方角には、左から烏帽子岳(1109m)、百松沢山南峰(1243m)、神威岳(983m)が連なっている。
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その左には手稲山(1023m)も見えている。
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そのさらに左は定山渓天狗岳(1145m)。
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目を転じて、ほぼ真東に札幌岳(1293m)。
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その右に狭薄山(1296m)。
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それら2峰のコラボレーション。まるで双子の兄弟のようだ。
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その右には漁岳と小漁岳。
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漁岳の右肩に恵庭岳(1320m)の両耳が覗いていたのだが、この時点では気づかなかった。

南南西にホロホロ山と徳舜瞥岳。
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兜のようなオロフレ山も見えている。
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急坂を登り切ると、再び無意根山が姿を現した。
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正面は目指す中岳である。
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こうして眺望を撮影しながら登る登山が一番楽しい。
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前を行く3人のペースがもう少しゆっくりだったら、あせらなくて済むので完璧なのだが。
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あまりの絶景に、H君も珍しくカメラを構えている。
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スノーモービルの跡も「美」として捉えてあげよう。
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漁、小漁は札幌50峰。未踏である。
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中岳は頂上が見えてからが遠い。
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すぐそこに見えるのだが、あと標高差で200m近くもある。
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それにしても、この角度から見る無意根は新鮮だ。
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横に広がった見慣れた無意根とはまた違った良さがある。
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しかし、この名山が日本三百名山にも入っていないとは。
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標高でわずかにしのぐ余市岳(1488m)にその座を譲った形だが、実に惜しい。
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四百名山の選定がある場合は、ぜひ入れてほしいものだ。
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その願いを込めて、もう一発。
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後方の峰々。
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無意根の真横に来ると、いよいよ尖ってきた。
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とても無意根には見えない。
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そして、いよいよ眼前に中岳頂上の岩峰が迫ってきた。
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(つづく)
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中岳(1)

【2020年4月19日(日)】中岳
札幌山岳ガイドセンターのツアーでは当初、4月18~19日の日程で大雪山の凌雲岳や烏帽子岳を登るスケジュールになっていたが、黒岳ロープウエイのリフトが15:20で終了してしまうので、時間的に無理と判断され、19日は札幌近郊の中岳(1388m)に変更された。
その情報を、前の週の4月11日、百松沢山に登った時に聞いたので、それなら行けると思い、その場で申し込んだ。
当日は、3密を避けるため、ツアーの送迎は使わず、集合場所である無意根大橋駐車場にはマイカーで行くことにした。
集合時間は9時なので、8時に出れば間に合うのだが、もろもろ準備が早くできたので7時半に出発した。
今年はずっと週末の天気がいいが、この日も朝から快晴である。
無意根山(1464m)に登った時に見えなかった羊蹄山(1898m)を今日は拝めそうだ。
定山渓温泉の先の駐車帯にあるトイレで小用を済ませた時点で時間は8時半前。
ちょっと早く着きすぎそうなので、まだちゃんと見たことのない奥定山渓温泉佳松御苑に立ち寄った。
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立ち寄ったと言っても、駐車場から建物の外観を撮影しただけである。
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こういうご時世なのに、それなりに宿泊客はいるようで、駐車場はかなり埋まっていた。
調べてみると、ここがオープンしたのは2018年6月。
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経営しているのは、旭岳温泉でホテルベアモンテとホテルディアバレーを運営しているハマノホテルズ(2003年創業、本社・札幌市定山渓温泉)である。
同社は2010年、定山渓グランドホテル瑞苑(1957年開業)を買収し、改装しながら営業を続けてきたが、耐震性に問題があるとのことで、2019年11月に閉館。
2021年初夏に新規ホテルを開業する計画で、すでに取り壊されている。
このプロジェクトはタイミング的には大正解だったと言えるかもしれない。
日韓関係の悪化や新型コロナウイルスの影響で、宿泊客が激減している時期にホテルを営業していなくて済んだからだ。
ただ、他のホテルも業績は悪化しているだろうから、厳しいことには違いあるまい。

ホテルの目の前に中央バスの薄別バス停があるが、そこに「佳松御苑」の文字が。
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2017年9月に無意根山に登った時は、オープン前(絶賛工事中であった)なので、こんな表記はなかったが、広告として入れたのだろうか。
あの高級ホテルにバスで来る人など、ほとんどいないような気もするが。

と寄り道はそのくらいにして、無意根大橋に向かう。
8:45頃に着いたが、ガイドのIさんの車はすでに到着していた。
車を下りるなり、H君に「今日は少数精鋭だよ」と声をかけられた。
もともと7人から申し込みがあったが、結局3人になってしまった。
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の全国拡大を受け、改めて不要不急の外出自粛の要請が出たため、キャンセルが相次いだようだ。
予測はされたことだ。私だって迷ったのだから。
実は、山岳救助医療機構の大城和恵さんが「今は、登山はやめましょう」と提案している。
これまで、登山は3密とは対極的な活動であり、あまり問題視されて来なかった。
もちろん、登山口まで公共交通機関を使用したり、山小屋で宿泊したりすると、3密になるわけだが、それとは別の観点からの指摘だ。
つまり、遭難やケガなどをした場合、「不要不急の活動」に、限られた救助資源(救助隊員、患者搬送に従事するヘリコプター航空業務や医療者)を割かれる上、要救助者を受け入れる病院側の負担や、要救助者の搬送先での感染リスクが増すなど、多くの問題があるからだという。
しかし、外科の医師でもあるH君は「そういう問題ではないんだよな」と否定的だった。

国際山岳医の小阪健一郎氏もYAMAPマガジンに同様の投稿をしている。
ただ、氏の発言はこう締めくくられている。
「感染対策と安全登山できざるもの山を登るべからず」
裏を返せば、登山ができるのは、感染対策と安全登山を万全にした者に限られる、ということになる。
世の中、事故に遭うリスクは常にゼロではない。
近くの公園に歩いていく途中に車にはねられるかもしれないし、ランニング仲間と走っている間に仲間からうつされてしまうかもしれない。
だから、「禁止」「自粛」だ、と言い出したら、キリがない。

今回の中岳はほとんどがなだらかな斜面で雪崩の心配はまずない。
今日は天気もよく、ガイドツアーなので道に迷って遭難する恐れもほとんどない。
マイカーでの移動であり、移動中の感染の可能性は全くない。
以上の点からして、登山中に「社会的距離」を保てば、上記の「感染対策」と「安全登山」という条件は満たされると判断し、参加することにした。

と言いつつ、頼りのガイドIさんが紙の地図を忘れてしまったという。
とにかく口数の多いXさんに、散々いじられていた。
実は、H君も不参加となる危機に直面したという。
前日、部屋の掃除をしている最中にぎっくり腰となり、かなり重症だったらしい。
しかし、朝になってみたら痛みも和らいでいたので、痛み止めを飲み、腰に養生もして参加することにしたのだとか。
彼が、札幌50峰を達成するために、Iさんに設定をお願いしたツアーだったので、そう簡単に欠席するわけにもいかなかったのだろうけど、悪化しませんよう。

8:55に準備が整い、国道230号を横断する。
正面に見えているのは、2018年の暮れに登った庚申草山(918m)である。
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無意根大橋の手前に、国道から右へ入っていく林道がある。
ここは、すでに標高が565mもあり、先週の百松沢山(1038m)と違って、最初からスノーシューを履いていくことができる。
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とは言っても、このあたりで積雪はわずか10cmほどである。
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9時に出発。スキーのご夫婦も我々のすぐ後に続くようだった。
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歩き始めて、すぐにゲート。この林道は夏季も一般車両は通行止めのようだ。
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薄別林道というのは、薄別川の左岸に沿っているからだろう。距離は4156m。
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間もなく、左手にコンクリートの構造物が見えてきた。
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無意根大橋など定山渓国道の建設に関係のあったものなのだろうか。
全く手がかりがなく、よく分からない。

雪が解けて土が顔を出したところには、ほぼもれなくフキノトウが芽吹いていた。
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今シーズン、もう何度も見ているので、珍しくもないのだが、やはり春の訪れを象徴する植物だけに、とても癒される。

でも10分も進むと、路面から土は全く消えてしまった。
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しかし、根開きはあちこちに見られる。
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ところどころで水が溜まっていた。
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そんな、一つに早くもミズバショウが咲いていた。春だねえ。
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地面には、風で折れた枝が大量に落ちていた。
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今日は下界(札幌)で最高気温が17℃になるとの予報。
夏帽子に素手という装備で歩いているが、すぐに暑くなって、ゴアを脱いだ。
H君は最初から長袖シャツに半袖のユニホーム姿だったが、私も同じような出で立ちになった。

いくらも歩かないうちに、Iさんが「こわい」(「疲れた」という意味の北海道弁)とこぼし始めた。
これをきっかけに、しばし4人で方言談義に花が咲いた。
1.5kmほど来たところで、分岐に差し掛かった。
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ここで薄別林道から分かれて、右の沼の沢林道(7637m)を進む。
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この道は白水川の源流部を渡って、無意根山の登山道にあたる宝来沢林道につながっているようだ。
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出発してから45分、2.5kmほど歩いてきたところで、開けた場所に出た。
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送電線の下であった。

ここで休もうという話になったが、陽射しが強いので、日蔭を求めてもう少し進む。
冬枯れ状態なので、ろくな日蔭はなかったが、5分ほど前進したところで、小休止とした。
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右がガイドのIさんで、左が例のXさん。
この人のおしゃべりは、私はまだ耐えられるが、きっと閉口する人も少なくないに違いない。

ここで、やっと標高740m。まだ170mしか稼げていない。
10分ほど休んで10時に出発。
すると、右手に札幌岳(1293m)が見えてきた。
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札幌岳の手前には、ぽこぽこと小さな尖ったピークが並んでいた。
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定山湖西岸の稜線で、どれかが802mの三角点のある山のはずである。

さっき休んでいる最中にスキーのご夫婦が抜かして行ったが、2人はすぐ先で休んでいた。
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「下りがうらやましいです」と声をかけたら、「ちゃんと滑るかどうか」と心配していた。
気温が高く、かなり雪が湿っているのだ。
あとでIさんに聞いてみたら、「これなら、よく滑る」とのことだった。
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標高780m付近の大きなカーブは、先行者の足跡に従って、ショートカットする。
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この日初めての急登であった。

10:20、標高830mの林道分岐にたどり着いた。
ここで進路を確認。右は復路に使う道だということで、左を選択。
左の林道は地形図上でもすぐに消えてしまうが、消える前に林道を離れ、右手の尾根を登り始めた。
やっと本格的な登りである。
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細いダケカンバの林の中をすり抜けていく。
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時折、幹が黒くなったダケカンバの巨木と出くわす。
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ダケカンバの中に、エゾマツやトドマツも混じっている。
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傾斜は依然としてなだらか。
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しかし、少数精鋭だけあって、写真を撮っていると、遅れを取り戻すのが大変だ。
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いつもは、ゆっくりの人がいるので、わりとすぐに追いつけるのだが、今日のメンバーは容赦がない。
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汗だくになってしまった。
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(つづく)
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夕張鉄道

【2020年4月12日(日)】夕張鉄道
夕張鉄道は、江別市の函館本線野幌駅から室蘭本線栗山駅を経て、夕張市の夕張本町駅まで53.2kmを結んでいた路線で、1975年(昭和50年)に廃止された。
残念ながら乗ったことはないが、これまで南幌駅から中央農試前駅などいくつかの駅跡は踏査済みだが、今回は野幌~南幌間の4駅をたどることにした。
午前中の用を済ませて、お昼は南幌町の名店「ことぶきや」で。
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ここは厚岸直送のカキで有名だが、「アニキのザンタレ」というザンギも名物らしい。
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では、いざ入店。
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ちょっと待たされて、2階に案内されたら、4人掛けのテーブルが1卓壁に寄せられ、使用できなくなっていた。
隣のテーブルとの間にも衝立が立てられている。
「おや?」と思ったら、使用テーブルを減らして密集空間を作らないという配慮であった。
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こういう対応をしている店は信用できる。
安心して食事を楽しむことができた。

メニューを見て珍しく、いろいろと目移りしたが、結局、「牡蠣ステーキ定食」(1280円)にした。
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カキをバターで炒めたものだ。
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実は、カキは大好物というわけでもないのだが、ここのはさすがに美味しかった。
あえて選んでよかった。
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1階の水槽にはたくさんのカキが生きたまま保管されていた。
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店内には売店もあり、ななつぼし「うりゅう米」なども販売されていた。
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どうも、ご馳走さまでした。
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夕張鉄道の廃線跡を訪ねる前に、南幌町役場をコレクション。
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シンプルな褐色の建築で、レンガのイメージである。
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町民憲章は自らの町を「伸びゆく田園都市」と評価している。
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庁舎の前には、長谷川源之丞という方の胸像があった。
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1910年(明治43年)から1936年(昭和11年)にかけて行われた夕張川の切り替え工事に尽力された方だそうだ。

夕張鉄道の廃線跡を転用した空知南部広域農道「きらら街道」(北海鋼機前~北長沼間)を通って、晩翠駅跡へ。
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目印はこの農業倉庫。
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この倉庫は夕張鉄道が現役の時代から存在していたようだ。
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周辺が「きらら397」の産地だったから、「きらら街道」と名付けられたのだろうか。
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畑の中に、「夕張鉄道晩翠駅跡」の標柱が立っていた。
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晩翠駅は、夕張鉄道が1930年(昭和5年)11月3日に開通したのと同時に開業したが、簡易駅(無人駅)で不便だったため、地元の強い要望により、1947年(昭和22年)8月14日に有人化されたとのことである。
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1面1線の単式ホームで、当時の空中写真によると駅舎も存在していたようだ。
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有人駅なのだから当然だろう。

ちなみにこちらは、撤去された倉庫の跡。
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次は下の月駅。まずはバス停をチェック。
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駅もこの近くにあった想像されるが、グーグル情報ではかなり離れたところにある。
行ってみたが、ちょっと考えにくい場所だったので、バス停近くまで戻り、このあたりと判断した。
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この日は空気がとても澄んでいて、夕張岳が白く輝いていた。
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下の月駅は1959年(昭和34年)に開設された新しい駅で、駅舎もなかった。
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ホームも1面1線の単式だった。
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そうなるともう正確な特定は困難である。
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標柱も何もなかったので、がっかりして次の上江別駅へ。
最寄りのバス停は上江別南町入口となっていた。
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ちょっと行き過ぎてしまったが、ここは交差点などがあるので場所はほぼ特定できる。
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この1階部分が黒い家のあたりである。
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上江別駅は夕張鉄道開通と同時に開業し、廃線となる前年の1974年10月1日に廃止されてしまった。
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では、「きらら街道」を引き続き走って、本日最後の北海鋼機前駅跡へ向かう。
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北海鋼機は1961年(昭和36年)に創業した鉄鋼二次製品メーカーだそうだ。
「きらら街道」はいつの間にか、ふるさと農道「江南通り」になっていた。
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駅跡は巨大なパチンコ屋「RISING」が占拠している。
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駅の痕跡など全くない。
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分かっていたこととは言え、残念である。
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日本人は、廃止された「駅」に冷たいと思う。
碑くらい残せないものだろうか。
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それはともかく、駅跡の向かいに夕鉄バスの野幌営業所があった。
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夕張鉄道は1974年に親会社の北海道炭礦汽船に鉄道事業を譲渡してからは、バス事業に専念している。
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YOUの文字がさわやかだ。
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ちょっと営業所も覗いてみよう。
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待合室には誰もいなかった。
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こんな町中になぜか放置自動車が。
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この並木は当時の線路に沿っているようにも見えたが、まだ若いようにも思える。
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廃線跡に、土地の境界に植えただけなのだろうか。
だとしても、広い意味では鉄道の痕跡と言えるだろう。

これにて、夕張鉄道の旅は終了。
収穫は晩翠駅跡の標柱だけだったので、今度は栗山駅より夕張側を訪ねてみよう。

(おわり)
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百松沢山(下)

【2020年4月11日(土)】百松沢山
百松沢山(1038m)北峰、南峰の登頂を果たし、下山中。
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シルバーザッテルの先の急斜面は当然、尻セードで下る。
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ずっと遅れがちだった彼女は尻セードも怖いらしく、ゆっくり滑っていた。
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角度が足りないところはもちろん歩く。
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広々として気持ちがいい。
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こちらはIさんのお手本。
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こう見ると大した斜度ではないが、実はかなりの急斜面なのである。
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Kさんは勢いを付けての横滑りが得意。
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Yさんは正統派。
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皆さん歓声を挙げて楽しんだ。
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これが尻セードの跡。
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わいわい滑りながら一気に標高を下げ、山腹の林道まで下ってきた。
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さっき登ってきたルートよりちょっと先に進んで
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別の尾根を下った。
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下るにつれ、谷っぽくなった。
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夏は小さな沢が流れているのかもしれない。
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岩から小さな木が生えていた。
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ルートが違うので、渡渉地点も登りとは別の場所。
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私はピンテを見つけて、そこで渡ったが
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どこで渡ろうか、思案しているYさん。
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みんな思い思いの場所で渡渉し、無事に林道まで戻ってきた。
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あとはサクサク進むだけだ。
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下界では、きれいに開いたフキノトウが迎えてくれた。
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スノーシューを脱いだのは、登りで装着した場所よりさらに下った場所。
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完了した人からどんどん先に行ってしまった。
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この先はフキノトウのお花畑。
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こんなに、かわいい家族も。
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しかし、夏には立派なフキのやぶになるのだろう。
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14:20頃にゲートを通過。
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ゲートを抜けても、なおフキノトウ畑は続く。
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こんなに立派に成長している先輩方もいた。
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採石場の作業道はダンプが稼働していたので、びくびくしながら通過。
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Iさんは「お邪魔してすいません」との気持ちを込めて、運転手にお辞儀をしていた。
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本当にお邪魔しました。
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彼らは、コロナも休日も関係なく働いているのだ。ご苦労様です。
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この先はスノーモービルランドの私有地のため、手前のやぶを通過して、車道に出た。
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その車道も17時にはゲートが閉鎖されてしまうわけだが、今日は余裕だった。
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ゲートを通過して
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14時半過ぎに車に戻ってきた。約7時間の山行だった。
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五天山公園まで送ってもらい、ガイド料1万円をお支払いして解散。
コロナを警戒して、全員でのお風呂はしばらく前から中止している。
なので、私は個人的に行くことにした。
車の中で、西区の銭湯を検索。文の湯というお風呂屋さんが近いようなので、そこに決めた。

10分ほどで到着。
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ここは「いま日本全国で話題集中の美容健康ラドン温泉(ラジュウム温泉)」だそうだ。
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いったい、いつの看板だろうか(笑)。

では、いざ出陣。
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入浴料は450円。
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ちょうど15時に到着したので、一番風呂に入りたいお年寄りたちが、もう何人も来ていた。
富士山のペンキ絵に感激。
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ここには、愛知県知多市の会社が製造していた「橋本七度煎」という漢方薬を使った薬湯があった。
その名の由来は、初め熱湯で五度振り出し、その後二度煎じることで、都合七度まで服用できるところからきているそうだ。
一説には、信州中村(現・長野県飯田市)の代官が考案したといわれている。
かつては中部地方で数社が「○○七度煎」という名の薬を製造販売していたそうだが、最後に残った「橋本」も最近廃業してしまったらしい。

文の湯で使用しているのは、在庫ということになる。
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橋本七度煎(株)は明治元年頃の創業とのこと。
通常の内服用と主に銭湯などに出している入浴用のものがあり、両者は入っている生薬が若干違っているらしい。
東海地方では、主に風邪薬として広く愛されていたという。
内服薬は、丁字(チョウジ)、蒼朮(ソウジュツ)、厚朴(コウボク)、カッ香、木香(モッコウ)、桂皮(ケイヒ)、山奈(サンナ)、甘草(カンゾウ)、川キュウ、大茴香(ダイウイキョウ)、黄ゴン、紅花、阿仙薬(アセンヤク)の13の生薬が入っているそうだ。
赤茶けたお湯で、独特の香りがあった。
浸かっていると、ラドンよりも効能があるような気がした。

山用のアクエリアスがまだ残っているので、ドリンクは購入せず。
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大変よく温まりました。
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というわけで、帰りに勤め先にちょっと寄ってから17時前に帰宅。
春の息吹を感じた百松沢山でした。

【行程】2020年4月11日
スノーモービルランド前(7:36)~源八の沢川砂防ダム(7:51)~標高270m地点(7:58スノーシュー装着8:16)~標高297m分岐(8:23)~標高380m地点(8:36休憩8:42)~渡渉地点(8:50)~林道合流(9:16)~シルバーザッテル(9:37休憩9:51)~鉄塔下(10:09)~870mピーク(10;30)~標高840m鞍部(10:34休憩10:45)~北峰(11:24休憩11:44)~南峰(12:04休憩12:10)~北峰(12:26休憩12:33)~鉄塔手前(13:08休憩13:15)~林道降下点(13:43)~標高297m分岐(14:06)~(14:13スノーシュー脱ぎ14:16)~スノーモービルランド前(14:33)
※所要時間:6時間57分(歩行時間:5時間20分)
※登った山:2座(百松沢山北峰、南峰)
※歩行距離:12.5km
※累積標高差:約1020m
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百松沢山(中)

【2020年4月11日(土)】百松沢山
百松沢山(1038m)の山頂を目指して登っている。
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樹木の根元の雪が先に解ける「雪根開き」がここでも進みつつあった。
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この現象は樹皮が黒っぽいので熱を吸収するのが原因だが、春になると地下水を活発に吸収するので木の温度が上がることも影響しているそうだ。
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こちらは枯れた大木。
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標高約900mのなだらかなピークを過ぎると、再び傾斜が増す。
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ここから最後の登りとなる。標高差は140m。
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天気は雪が降ったり、青空が見えたり、かなり変わりやすい。
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歩いた距離はすでに5kmを超えてきた。
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それでも、さっき休んだ840m鞍部から25分ほどで頂上台地に乗った。
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水墨画の世界が広がった。
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あそこが頂上だろう。
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左手に見えてきたのが南峰(1243m)。
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となると、その右奥に見えているのは烏帽子岳(1109m)だ。
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百松沢山は三角点がある北峰(1238m)と南峰の双耳峰である。
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札幌郊外からも、その姿がよく見えるので、実際に来てみると、こうなっていたんだなあと感慨深いものがあった。

北峰と烏帽子岳のコラボ。似たような形だ。
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というわけで11時半前に無事登頂。
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当初の計画では登頂に5時間を見込み、13時到着の予定だったので、1時間半も早かった。
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これなら、余裕で南峰に行けそうだ。
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その前にランチタイム。3つ目のパンをいただいた。
20分ほど休んで、南峰に向けて出発。
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急な下り坂のほか、結構アップダウンもある。
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でも、ザックは北峰にデポしてあり、空身なのでものすごく身軽だ。
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南峰もかなり鋭い頂である。
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ただ、右側から回り込めが、そんなに厳しくないのかもしれない。
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今日は、当然、北峰と南峰の2座を登ったことにするつもりだ。
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南峰の途中から北峰を振り返る。
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北峰から20分で南峰に着いた。
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頂点に立って、そこからの眺めに度肝を抜かれた。
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すぐ目の前に神威岳(983m)と烏帽子岳が現れたのである。
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いつも南から見ていたので、北から見た姿が新鮮だったこともあるが、その光景自体が文句なく美しかった。

神威岳の北壁。
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「札幌富士」とでも呼びたくなる烏帽子の雄姿。
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神威岳と札幌岳。下界は雪が解けて黒っぽく見える。
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ガスにまかれているが藻岩山(531m)。
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目立つ稜線。
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すっかり雪が解けた三角山や円山。
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手稲山(1023m)方面。
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頂上のアンテナがかろうじて見える。
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改めて北峰。
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実はこっちが北峰より高いことを知らなかった。
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いやいや、大満足である。
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名残惜しいが、そろそろ戻りましょう。
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もちろん同じ道を引き返す。
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再びアップダウンだ。
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うねうねの木。
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まっすぐの木。
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ニセピークを通過。
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あれが本峰たる北峰だ。
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デポしてあったザックを回収して、12時半過ぎに下山開始。
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下りはふかふか雪の方が歩きやすいが、それはまあ仕方がない。
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16時半下山の計画だが、今回はめずらしくかなり早く下れそうだ。
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急斜面では、尻セード。
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尻セードは後の人の方がスピードが出る。
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サルノコシカケの仲間。
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この木だけに、たくさんあった。
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枯れ木には違う種類のキノコ。
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キノコの名前はさっぱり分からない。
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この木は枝ぶりからして、まだ生きているのかもしれない。
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前方に870mピークが見えてきた。
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帰りは素直に巻いた。
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まわりの山をよく見ると、林道が縦横に切られていることが分かる。
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35分ほど下った鉄塔の手前あたりで小休止。
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ちょっと早いが、遅れがちの女性を待つ意味もある。

少し風があるからか、Iさんはフードをかぶっていた。
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(つづく)
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百松沢山(上)

【2020年4月11日(土)】百松沢山
百松沢山(1038m)は札幌近郊の山の中でも、早く登っておきたい山だった。
登山口から山頂までわりと距離があるので、ひとりで行くのを躊躇していたら、ちょうどよくツアーがあったので参加した。
この時期なら、ラッセルもしないで済むので楽ちんだ。
この日は天気もまずまずであった。
7:30に五天山公園駐車場に集合ということだったので、7時前に出発。
7:15に到着したら、もうガイドのIさんの車は着いていた。
でも、駐車場のゲートが開いていない。
冬季(4月中旬まで)は、夜間は閉めているようで、開門は午前8時と書いてある。
仕方ないので、車を連ねて登山口まで行くことになった。
しかし、間もなく関係者の車が来て、開けてくれた。ラッキーだった。
駐車場に入れたので、ここに自分の車をデポして、Iさんの車で登山口へ。
と言っても、5分も走らないうちに到着。
歩き出すのは、採石を行っている山田産業のゲートの手前、スノーモービルランドの近くだ。
最初はゲートの中に停めようとしたが、「ゲートを閉められたら困る」ということで、少し遠くなるが、ゲート前に引き返したのだった。

登山口と言っても、ここはすでに雪が解けているので、スノーシューは背負っていくことになる。
今日のメンバーは、Iさん含め7人。適正規模だ。
7:45に出発。ここで標高は約170mなので、頂上までの標高差は850mほどある。
採石場の敷地内を進んでいく。
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右手は採石が行われている山だ。
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地面にはシカの足跡がきれいに付いていた。
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しばらくは作業道を歩く。
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道端の法面はフキノトウだらけ。
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下界はすっかり春である。
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こんな道路ではあるが、土の感触が懐かしい。
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15分ほど歩いたところでゲート。この先は林道となる。
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百松沢山へは手稲山(1023m)の登山口にもなっている平和の滝から登るのが一般的だが、この時期はスノーブリッジがなくなっているので、ここ源八の沢川に沿って登らざるを得ないそうだ。
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林道に入ると、早くも残雪が目立ち始めた。
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わだちはスノーモービルの跡であろう。
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小さな枝沢も雪解け水がほとばしっている。
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林道を5分ほど歩いたところで、スノーシューを装着。
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今日は陽射しが強いので、ゴアも脱いでしまった。
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ここでたっぷり時間をかけて、8:15頃に出発。
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春の匂いを感じながらのスノーシューハイキングだ。
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樹木の根元はすっかり土が見えている。雪根開きと呼ばれる現象だ。
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スノーシューに履き替えてから10分も経たないうちに、標高297mの地点にある林道分岐に到着。
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ここでIさんが念のため地図を確認している。
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我々はここで左折することになる。
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この後も何度か現在地を確認。林道が縦横に走っていて複雑なのだ。
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このあたりまで来ると積雪はまだ1m近くある。
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そろそろ林道も尽きたようだ。
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この先で渡渉。
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難なくクリア。
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行く手に、いくつか尾根があるが、左側の尾根を選んだ。
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渡渉から20分近く歩いて標高は500mを超えた。
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10分ほどで、また林道に出た。
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しばらく林道を歩いて、山腹をトラバース。
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途中、小さな雪崩の跡があった。
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林道が大きく左にカーブするところで、再び斜面に取り付く。
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かなりの急登である。
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ここで一気に50mほど標高を稼ぐ。
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10分ほど汗をかくと、先が見えてきた。
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開けた場所は標高約680m。
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Iさんによると、シルバーザッテルと言われる場所だという。
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ザッテルとはドイツ語で鞍(鞍部)のこと。
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そんな名前を付けたくなる場所だ。
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いい感じの場所なので、ここで小休止。
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私もパンを1個いただいた。

15分近く休んで、9:50過ぎに出発。
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いつの間にか随分雲が広がっている。
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実は、鞍部というわりには、まだ稜線に達してない。
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5分ほど登ったところで、再び進路確認。
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ここからは765mのゆるやかなピークを左に巻いていく。
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間もなく、左手が開け、砥石山(826m)が現れた。
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このあたりも開けていて、気持ちのいいところだ。
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実は、シルバーザッテルのことは以前、札幌150峰のことを調べているときに知った。
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スキーをするにはいいところかもしれない。
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この鉄塔と稜線の交差点が、正真正銘の鞍部である。
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標高は745mくらい。
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鉄塔越しに恵庭岳(1320m)と空沼岳(1251m)が望めた。
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この先は870mピークに向けて標高差120mほどの登り。
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雪庇はほとんどないが、一応右側を歩く。
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この日はずっとそうなのだが、高齢の女性が一人遅れがち。
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Iさんは彼女が追いついてくるのを待つために何度も休憩を入れる。
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それはもちろん当然のことなのだが、この調子では南峰には行けないのではないかと、ちょっと心配だった。
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それは、ともかく、いい眺めである。
右は砥石山だが、左に藻岩山(531m)が独立峰のように見えている。
その右に見える白い筋は旧スキー場のコバランドであろう。
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藻岩山のさらに左には、丸山や三角山の突起のほか、札幌市街も見えてきた。
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みんなは870mピークを巻いて進んでいったが、後ろの女性がかなり遅れているので、この隙にこっそり一人でピークに行ってみることにした。
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ピークにある高い樹木に赤い板が張り付けてあるのが見えて、ときめいた。
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しかし、それは山名板ではなく、林班界の銘板だった。ちょっと、がっかり。
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山に名前がないことが分かったら、もう用はない。
急いで、皆さんを追いかける。
すると、すぐ先の鞍部で休憩をとっているのが見えてきた。
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例の女性がまだ着いておらず、私の寄り道はバレずに済んだ(笑)。

今朝はあんなに晴れていたのに、ここでは雪がちらついてきた。
山はまだ冬なのである。
でも、眺望は失われなかった。正面の一番高いのが札幌岳(1293m)。
そのすぐ左の突起は狭薄山(1296m)。
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その左には分かりにくいが、恵庭岳と空沼岳も見えている。
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猫の耳のような恵庭岳のさらに左に、白い山肌の樽前山(1041m)と風不死岳(1103m)が重なっているのも確認できた。
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全景はこうなっている。
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実は、デジカメのSDカードを忘れてしまい、スマホで撮ったので、こんな写真になってしまった。申し訳ない。

この840m鞍部でも10分ほど休憩し、10:45に出発。
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頂上まで、あと標高差で約200mだ。
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(つづく)
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旧富内線(5)

【2020年4月5日(日)】富内線
旧国鉄富内線の岩知志駅跡にたどり着いた。
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この駅も日高三岡駅、日高岩内駅と同様、1964年(昭和39年)11月5日に開業し、1986年(昭和61年)11月1日に廃止された。
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当初は小さな駅舎があったが、開業4年後の1968年には早くも無人化されている。
岩知志駅(往年の岩知志駅、ネットより)

今は全く何もないが、線路跡は農道に転用されていた。
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駅名(地名)は、アイヌ語の「イワチㇱ」(山の・中の窪み)に由来するという。
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岩知志発電所へは寄り道せず、標識を確認しただけ。
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次は、仁世宇駅である。
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仁世宇のバス停は国道沿いにあったが、駅跡は国道から300mほど入ったところにある。
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バス停から右に曲がると、ニセウ・エコランド。
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仁世宇園というヤマメ料理の店もあるようだが、もうお昼は済ませてしまった。
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仁世宇駅への分岐は幌去橋のさらにもう少し先にある。
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幌尻岳入り口のところで国道を左折すると、まもなくカルパート橋が出現。
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その先、仁世宇駅跡のすぐ近くに、待合所のような小さな小屋があったが、これは駅とは関係ないだろう。
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バス停があるわけでもないから、何のためにあるのか謎だ。
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左へ分岐しているわだちの浅い道が廃線跡である。
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駅はこのあたりにあったものと思われる。
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仁世宇駅もこれまでの駅と同様、1964年11月5日に開業し、1986年11月1日に廃止された。
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日高三岡駅、日高岩内駅と同じ構造で、1面1線の単式ホーム。ホーム上に屋根付きの待合所があった。
仁世宇駅(同)
「仁世宇」とはアイヌ語の「ニセウウㇱイ」(ドングリ・多い・ところ)に由来するという。
駅の所在地の集落名は「瑞穂」だったが、同じ地名があちこちにあるため、近くの集落名を採用したらしい。

この後は思い切り寄り道することにした。
この道は「幌尻岳登山口」に通じているので、登山基地である豊糠まで予習に行くのである。
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豊糠集落は仁世宇駅跡から9kmほど奥にある。
オタリマップ川に沿って山に分け入り、桂峠(約310m)を越えていく。
集落に入って、まず目に飛び込んできたのは神社。
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扁額がないが、おそらく豊糠神社であろう。

そして、もはやお決まり閉校記念之碑。豊糠小中学校の跡だ。
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小学校は1947年(昭和22年)、中学校は1951年(昭和26年)にそれぞれ開校。
富内線が廃止される前年の1985年(昭和60年)に平取ダム建設(後に予算凍結)に伴う移転により新校舎が落成したが、小中学校ともに2008年に閉校した。
ピーク時の1962年(昭和37年)には小中合わせて100人もの児童生徒が在籍していたという。
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その新校舎はこちら。
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現在は「とよぬか山荘」として、幌尻岳登山の基地となっている。
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幌尻岳はここからのルートだと渡渉が何度もあり、難易度が高い。
死亡事故も発生しているので、注意を呼びかけている。
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もちろん、まだ登山シーズンではないので、冬季閉鎖中。
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シーズンには、ここから林道ゲートまでシャトルバスが運行されるようだ。
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所要時間は50分。

晴れていたら、ここから幌尻岳(2052m)が望めるのだろうか。
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いずれにしろ、この日は見えなかったが、いい予習になった。
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国道へ戻る途中に、旧富内線の踏切跡(仁世宇~岩知志間)を発見した。
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その仁世宇寄りには廃線跡がきれいに残っていた。
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岩知志側は柵が設けられていた。
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国道237号と合流してすぐ左手の斜面にトンネルが見えたので、行ってみることにした。
登り口では大日不動明王の石碑が見守ってくれていた。
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ヤブをこいで10mほど登ると、現れたのは廃線跡ではなく廃水路であった。
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なんだ? 廃線跡を水路に転用したのだろうか。それにしては年季が入りすぎている気もする。

とにかく、こちら側からはトンネルには行けない気がしたので、いったん下って逆側から登り直すことにした。
正面に見えているのは、シキシャナイ岳(1058m)と思われる。
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で、登ってみると、こんなふうになっていた。
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水路を作るには幅を広く取り過ぎているような気がするので、やはりここは廃線跡だったのだろう。
この擁壁も鉄道っぽい。
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と思ったのだが、このトンネルを見ると、やはり違う。
列車が通るには小さすぎるのである。
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向こう側の坑口が見えるので突っ切ってしまおうと思ったが、足下が暗くなってきたので引き返した。
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帰宅して地形図をよく見てみると、鉄道がこんなに高い場所を走っているわけがない地点だった。
これは最初から水路トンネルだったのだ。何とも紛らわしい。
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でも、いい勉強になりました。
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この標識も鉄道とは無関係なのだろう。
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というわけで、国道まで下りてきた。すぐ目の前は沙流川である。
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ここからは日高道経由で一気に静川駅跡に向かう。
往路で見送った、残る2駅を踏破しなくてはならない。
でも、小腹が空いたので、富川IC近くのコンビニで、アイスモナカと肉まんを購入。
新人らしき店員に「袋を分けますか?」と言われたが、この組み合わせなら当然でしょう。
高速で正面に樽前山を眺めながら、二つともぺろりと平らげ、少し日も傾きかけてきた15時すぎに静川バス停に到着。
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廃線跡は日高道や側道に飲み込まれ、全く痕跡がないので、駅はこのあたりにあったのだろうと信じるほかない。
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静川駅は1922年(大正11年)7月24日、北海道鉱業鉄道金山線のニナルカ停留場として開業。
1943年(昭和18年)8月1日、国有化と同時に静川駅と改称されたが、同年11月1日、廃止された。
廃止されてから、もう80年近く経つのである。
高速道路ができていなかったとしても、痕跡を見つけるのは至難の業であっただろう。

道路の反対側には、「人間環境都市・緑の環」のモニュメントがそそり立っていた。
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苫小牧市は、1973年(昭和48年)11月に道内で初めて人間環境都市宣言を行った。
そのシンボルとして、市内3か所にこの像(作・本郷新)を建立したが、なぜ、この場所を選んだのかはよく分からない。
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「つた森山林」の入り口にあたることが何か関係あるのかしら。
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そして最後は、北松田駅。
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ここはバス停も何もないので、静川駅に輪をかけて特定するのが困難である。
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開業は静川駅より遅く、1925年(大正14年)7月1日。
当初は上勇払駅だったが、翌年7月24日に北松田駅に改称された。
廃止は静川駅と同時である。
おそらく、このあたりということにしておこう。
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というわけで本日の全日程を終了。
あとはまっすぐ札幌に向かい、16時半頃に帰宅した。
ひと息ついてから、友人を乗せて、仲間と南区藤野の東光に集合。
買い出しをして、高校の同級生O君宅で「南区の会」と称する鍋パーティーを開催した。
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今日は、カジカにエビ、ホタテ、カキと海産物が豪華であった。

デザートは、旭山コナール(旭川市)と廣川菓子製作所のカラメルシュークリームの対決。
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どちらも、めちゃめちゃおいしくて甲乙付けがたしでありました。

この日はO君宅にお泊まり。でも23時には沈没した。
翌日は、ちゃんと元気に出勤しました。ちゃんちゃん。

(おわり)


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旧富内線(4)

【2020年4月5日(日)】旧富内線
旧国鉄富内線の廃線跡を訪ねている。
今いるところは日高三岡駅跡である。
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この駅は1964年(昭和39年)11月5日、富内線振内~日高町間の延伸に伴って開業。1986年(昭和61年)11月1日、富内線の廃線とともに廃止となった。
日高岩内駅(往年の日高三岡駅、ネットより)

現地に「三岡」という地名はなく、駅が、南側の三菜頃集落(のちの三岩)、北側を岡春部(おかしゅんべ、のちの富岡)の間に所在したため、駅名はその二つを合成したものである。
開業当初から駅舎はなく、ホームに屋根付きの待合所があるだけだったという。
日高三岡駅2(同)

ということは、近くにあったこれらの遺構は、駅前にあった民家のものだろう。
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ただ、すぐ北にある三菜頃橋に並んで
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鉄道橋梁の橋台らしきものが残っていた。
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それでは、次の日高岩内駅に向かうとしましょう。
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轟覆道を通過し
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轟橋の先に車を停める。
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橋の下にコンクリート壁が見えるが、あれも富内線に関連した遺構だろうか。
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その上の段にも橋台らしきものがあるが、肝心の線路の高さが分からない。
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と思ったら、さらに高い位置にその橋に続くトンネルがあった。
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橋台は撤去されてしまったのか、トンネルの坑口の先は単なる崖になっていた。
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このトンネルも銘板がないが、「轟トンネル」という名称だったのだろうか。
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コンクリート自体はそう古びていない。
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じっくり観察した後、橋まで下りて
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今度は轟淵を覗きこむ。
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沙流川の本流である。
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雪解け水が流れ込んでいるので、わりと水量が多い。
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下流は両岸とも垂直の壁になっている。
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景勝の地なのだが、ここは車を運転しながらでは見えない。
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しかも、車を停めるところもないので、ほとんどの人は見たことがないに違いない。
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私も初めて見た。
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紅葉のシーズンはさぞかしきれいだろう。
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しかし、大型トラックがひっきりなしに通る、歩道のない橋の上から見学するのは、非常に怖かった。

途中、森三中を思い浮かべる「中三岩」バス停を通過。
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その先に、三岩小学校跡の石碑があったので、また寄り道。
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裏を見てみると、この学校は1916年(大正5年)5月に開校し、1977年(昭和52年)3月に閉校したことが分かる。
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しかし、「学校跡」の碑を、閉校する前年に建ててしまうのも面白い。

碑の裏にあった建物は明らかに学校関連のものではない。
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校舎が取り壊された後に「公民館」的なものとして建てられたのかもしれないが、これもすでに空き家となっていた。
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ちなみに、学校跡の石碑のとなりに、日高さくらロードの植樹祭に参加した方々の芳名を刻んだ石碑が設置されていた。
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寄付金提供者の名簿ではなく、単なる参加者なのが、またユニークであった。

どんどん国道237号を南下していくと、岩内園地なる公園があったので、また急停車。
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坂東秀太郎という方の顕彰碑が立っていた。
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沙流川の電源開発など日高地方の発展に寄与された方だそうだ。
昭和33年(1958年)に建立され、時の総理大臣、岸信介が揮毫している。
CIMG8324_202004130450245cc.jpg(小さすぎて、読めませんね)

東屋があるのだが
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樹木が成長していて、それほど展望がいいわけではない。
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でも、沙流川上流風景林なのだから、伐採するわけにもいかない。
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園地の隅にたたずんでいたこの石仏は、北海道の国道沿いなどによくある交通安全祈願の地蔵尊かと思ったら、そうではなかった。
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1937年(昭和12年)3月25日にこの地を襲った大雪崩の際、地区の有志が雪の除去作業をしていたところ、再び雪崩が発生し、田口辰郎さんという方が犠牲になった。
その「純情と愛郷心」を後世に伝えるべく、「本村開発の一哀史」として建立されたのだという。合掌。

園地のすぐ先に、岩内不動なる標柱が立っていた。
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この奥に不動の滝という名勝があるようだ。
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この地は古来、難路として知られていたが、町内の閑山寺を開創した定賢和尚が、夢に天女の舞う水音を聞いて、この滝に旅人の安全を祈ったと伝えられる。
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以来、いつしか里人が磐座に不動尊を祀って、安全と豊穣を願ったという。
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その滝がこちら。
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意外に小さい。
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不動尊なるものは、もしかしてこれ?
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岩の上から落下したのか、完全に朽ち果て埋もれていた。

不動の滝の手前には、富内線の廃線跡が切通し状に残っていた。
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日高岩内駅の手前で見つけたコンクリート製のカルパート跡。
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肝心の駅の場所がはっきりしないので、廃線跡を少し歩いてみた。
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農道に転用されているので歩きやすい。
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ただ、雪解け直後なので、若干ぬかるんでいる。
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で、おそらく、このあたりだろう。
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この駅は日高三岡駅と同様、1964年11月5日に開業、86年11月1日に廃止された。
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1面1線の単式ホームで、開業時から駅舎はなく
日高岩内駅(往年の日高岩内駅、ネットより)

ホームに屋根が掛けられた待合所があったのも日高三岡駅と同じだ。
日高岩内駅2(同)

近くに、福寿草がひっそりと咲いていた。
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日高岩内駅跡の500mほど先に、坑口が封鎖されていないトンネルを発見。
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トンネル手前の路盤は落ち葉が敷き詰められたような状態だが、廃線から35年近く経っているのに、かなり原形をとどめている。
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トンネルの内部は農機具の格納庫になっていた。
CIMG8347_20200413044844c39.jpg

この数字は完成年を示しているのだろうか。
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この区間は1964年の開通なので矛盾はしない。
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そんなに長いトンネルじゃないので、向こうまで歩いてみようかと思ったが、ヘッドライトもないので止めておいた。
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なので、反対側には国道経由で回った。
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こちら側の廃線跡は農道に転用されている。
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この道を使って、農機具を運び込んでいるのだろう。
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やはり原野に返っているような場所より、こういう遺構が残っていた方が訪ねてきた甲斐がある。
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トンネルのすぐ先で国道を左折、またまた寄り道だ。
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岩知志ダムのダム湖を渡る。
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橋の名称は黄金橋。
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このまま遠回りして国道に出ようと思っていたのだが、迂回路が廃道になっており、引き返さざるを得なかった。

こちらは岩知志ダム。背後に見えるのは岩内岳(964m)だろう。
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国道の竜門橋を渡ると
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間もなく、灯籠の集団が現れた。
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ものすごい数である。
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丸昌石材工業の製品だ。
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沿道の廃屋などを車の中から写しながら、どんどん下る。
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上岩知志バス停まで来ると、岩知志駅跡はもう間もなくだ。
CIMG8365_2020041304465046b.jpg

(つづく)
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旧富内線(3)

【2020年4月5日(日)】旧富内線
旧国鉄富内線の廃線跡を探索中。
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穂別駅と富内駅の間にあった深牛駅にたどり着いたところだ。
この駅は1924年(大正13年)6月10日に貨物駅として開業。
1943年(昭和18年)8月1日、戦時買収による富内線の国有化に伴って廃駅された。
駅名(地名)の由来となったフカウシ沢川。なぜか橋の表記は「ユカウシ」になっている。
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駅跡のすぐ近くに農家が1軒ある。
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このお宅の敷地に、開拓者をたたえる石碑を見つけた。
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2基並んでおり、左は「平丘の郷 父・友直開墾魂 謝五十周年記念」、右は「一世一期一興 知恩の始 四十周年記念の碑 開業齢 父・友直四十五歳 母・カネ三十八歳」と書かれている。
ともに、平成13年(2001年)10月の建立である。
孝行息子の二代目が建てたのだろう。
ただ、ちょっと意味が取りにくい。
おそらく、このご夫婦が入植したのは、2001年の50年前、つまり1951年であろうことは分かる(この時点で、父は生きていれば95歳)。
しかし、となりの40周年は何を起点にしているのだろう。
石碑というのは後世に残すためのもの。せっかくなので第三者にも分かる情報を入れてほしかった。
これでは実はフルネームも分からないのだ。
いずれにしろ、開拓のご苦労はしのばせていただいた。

もう一度穂別市街を経由して、日高町に向かう。
実は、この時点でガス欠の心配が出てきていた。
穂別市街にはガソリンスタンドがあるだろうと期待していたのだが、まさかの休業日。
田舎だと日曜日は休むものなのか。
日高町まではもつだろうと思っていたが、そっちも休んでいたら、万事休す。
それを避けるには、むかわ町の市街地まで戻って給油しなくてはならない。
今度の行動に大きな影響を与えることになるので、念のため、日高町の給油所を検索して電話してみた。
すると、ちゃんと営業していることが判明。助かった。
でも、あちこち寄り道しながらではなく、まず給油して、それから駅跡を回ることにしよう。

とは言え、一応、道沿いにあるものは押さえておく。
こちらは、アイヌ語語源カタカナ表記の「ニサナイ」会館。
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意味は調査中。鵡川を挟んで穂別市街の対岸にある集落だ。

川のこちら側から見ると、対岸に旧富内線が走っていたレベルとおぼしきラインが見える。
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道沿いだけと決めていたのに、富内集落にも寄ってしまった。
一昨年閉校した富内小学校を撮影するつもりだったが、発見できなかった。
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これは全く別の施設。
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ちゃんと探せば見つけられたのだろうが、ガソリンが心配なので早々に切り上げた。
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このお堂の中には、通称「賢治観音」と呼ばれる聖観世音菩薩立像が安置されているそうだ。
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説明板によると、観音像は檜一本彫りで昭和29年(1954年)の製作。
当時の穂別村長が農村電化のため鵡川上流に発電所を建設することにしたが、この時、工事の安全と理想郷づくりの願いを込めて、仏像を発注したのだという。
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作者は岩手県花巻市の佐藤瑞圭氏(1916年生まれ)。高村光雲の弟子だそうだ。
30歳頃の宮沢賢治の面影を意識したことから、当時、岩手日報が「賢治観音」と報じたらしい。

ちょっと興味深いのは、1954年に製作された仏像が1979年に早くも文化財に指定されていること。
わずか25年である。国の基準では、少なくとも50年を経過していないと文化財とは呼ばない。
ましてや戦後の仏像が文化財になっている例は極めて珍しいのではないか。
いくら「町」レベルとは言え、気が早すぎる。
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平取町に通じる道道131号に沿って、廃線跡らしきものを見つけたので、車を停めた。
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後に農道転用されたようだが、それすら廃道になっている。
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このクロスマークはまさに鉄道の遺構である。
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もう少し進むと、転用道路が生きている場所もあった。
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こういう道はずっと歩いてみたいが、そんな時間もない。
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マイカーの車窓から眺めるのみである。
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鵡川の支流、幌去川に沿ってさかのぼり、峠を越えると平取町。
沙流川の流域に入る。
幌毛志で国道237号に合流、振内市街を過ぎたところに、日高山脈の最高峰、幌尻岳(2052m)への案内板があった。
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数年のうちには登りたい。

おっと珍しく富内線の橋梁が残っていた。
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なんて、こうしてはいられない。とうとう油量メーターが点滅してきた。
日高町の中心部まであと22kmもある。
あとは脇目も振らず、突っ走った。
スタンドには11時ちょうどに到着。
ちょっと高かったので20㍑だけ入れて、向かいのセコマで昼飯も調達。
これで、ひと安心。落ち着いて回ることができる。

駅跡めぐりを再開する前に、ちょっと早いが腹ごしらえ。
廃墟となったドライブイン日高の前に車を停めた、さっき買った豚丼を食す。
セコマのホットシェフはうまい。
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国道237号は札幌と道東を結ぶメインルートとして、かつては大いににぎわったが、1991年に札幌と日高を結ぶ国道274号石勝樹海ロードが全通したことで、交通量が激減。
壊滅的な打撃を受けた。
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いつ廃業したのかは調べきれなかったが、かなりの年数が経っているものと思われた。
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倒壊の危険性もあるが、元経営者も行政も解体するお金などないのだろう。
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近くにあった三朝民宿も廃業していた。
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ここには三朝観光センターというドライブインもあったらしいが、それも完全に姿を消していた。
miasa.jpg(ネットより)

ここもおそらく店をたたんで20年以上は経っているだろう。
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素泊まり1600円、カラーテレビ・風呂完備だったのだが。
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テレビは、今はなきSANYOの製品であった。
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日高町は、私が子どもの頃、母方の実家がある帯広へ行くとき、毎年通った町なので、思い入れがある。頑張ってほしい。
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これは何だろうと思ったら、西一線会館(いわゆる公民館)だった。
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一応、終点日高町駅の一つ手前にある日高三岡駅を目指しているのだが、寄り道が過ぎて、なかなかたどり着かない。
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廃線も好きだけど、地域に残る「現代遺産」も好きなのである。
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でも、そろそろ本腰を入れよう。
日高町~日高三岡駅間には築堤が明瞭に残っていた。
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その先で封鎖されたトンネルを発見。
車を停めて探索を開始した。
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まずは、枯れたイタドリをかき分け、線路跡に侵入。
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もう立ち木もかなり育っている。
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その奥から、コンクリート製のトンネルが現れた。
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よく見ると、山を掘っているわけではなく、トンネル本体が露出している。
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これはどういうことだろう。
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落石や落雪防止のためなら、シェッドにすれば済むはずだ。
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謎である。
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フキノトウがかわいい。彼等の時期が廃線をめぐるにはちょうどいい。
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雪も消え、夏のようにヤブにもなっていないからだ。
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反対側の坑口にも回ってみた。
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銘板がないので、トンネルの名称は分からない。
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トンネル封鎖は事故防止のためとは思うが、廃線ファンとしてはとても残念だ。
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この先も廃線跡がきれいに続いていた。
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北海道は廃線だけでなく、廃屋も多い。
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右の新しい家も空き家になっている。
農業も厳しいのだ。

次は本格的な寄り道。
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三岡橋で沙流川の左岸に渡り、1kmほどのところにこの富郷の名水へ。
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パイプから勢いよく清水が出ていたので、手ですくって一口だけ飲んでみた。
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さすがに冷たかった。

来た道を引き返し、国道に戻る。
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ちょっと行き過ぎてしまったが、日高三岡駅跡は三菜頃(さんなころ)橋を過ぎたすぐ先にあった。
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ここである。
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国道から駅に至るわずかなこの道路跡が証拠だ。

(つづく)
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旧富内線(2)

【2020年4月5日(日)】旧富内線
旧国鉄富内線(沼ノ端~日高町)の廃線跡を歩いている。
北松田駅、静川駅は後回しにして、その先の上厚真駅、入鹿別駅の跡を訪ねた。
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この後は、厚真町からむかわ町に入る。
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むかわ町内の豊城駅、春日駅、旭岡駅は2017年6月に撮影済みなのだが、春日駅と旭岡駅の間にあった芭呂沢(ばろさわ)駅跡が抜け落ちていた。
芭呂沢駅は1922年(大正11年)7月24日、北海道鉱業鉄道金山線の終着駅として開業したが、1943年の国有化に際し廃止となった。
実は、この国有化の際、富内線の駅では大掛かりな名称変更が実施されている。
萠別(もえべつ)→春日、生鼈(いくべつ)→旭岡、似湾(にわん)→栄、杵臼(きなうす)→豊田、辺富内(へとない)→富内といった具合である。
難しい漢字を避けたとも言えるが、明らかにアイヌ語起源の駅名を嫌って和風に改めている。
時あたかも戦時中ということもあり、「日本」を強調したかったのであろう。
残念なことである。

春日の集落入り口には、旧地名「萠別」を示す標柱が立っていた。
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春日~芭呂沢間に残る築堤。
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築堤の上は枯れたイタドリが折り重なるように倒れていた。
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こちらは、まだ少し廃線の雰囲気がわかるが、あと1か月もしたら、青草に覆われてしまうのだろう。
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この電柱は鉄道と関係があるもののように思えた。
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線路は鵡川から引いた用水路に沿って走っている。
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この用水路によって灌漑されている川西地区の道営圃場整備事業が完工したことを記念した「田園歓喜」の碑が、川西頭首工(農業用水を水路に引き込むための堰)の傍らに建立されていた。
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その隣には、1923年(大正12年)に建立された「原泉不舎」の碑。
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「不舎」とは諦めないという意味なので、水を引くことを諦めず努力し実現したというような意味だろうか。
実は、この川西頭首工は大正4年(1915年)、上流160mほどの地点に設置されたが、同11年)8月の大雨で壊滅。復旧は大正13年だったので、これは完工記念碑ではない。
工事中に「あきらめないぞ」という決意を示すもののとして建立されたことになる。
実に感慨深い。

そのさらに隣に、昭和41年(1966年)に建立された「泉源無涯」。
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せっかく復旧した頭首工も昭和37年(1962年)に再び被災、同41年、現在地に完成した。
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「無涯」とは「限りない」という意味。
これで水は果てしなく得ることができるという喜びを表現した文言と言えるだろう。

こちらは、おそらく頭首工の管理施設。
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寄り道を含め、春日集落から10数分かかって芭呂沢駅跡に到着した。
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この駅は1923年(大正12年)6月12日の開業。
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大正から昭和初期の頃は、バロ沢上流での原木搬出や炭の生産が盛んで、一時は引き込み線もあったという。
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最盛期には100戸以上の入植者があったが、1932年(昭和7年)頃には伐採し尽くしてしまい、わずかな農家が残るのみとなったとのことである。
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その関係もあり、1936年には駅から停留場に格下げされ、43年の国有化とともに廃止された。
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道はダートだが、このまま旭岡まで続いていそうなので、ナビに逆らって直進。
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しばらくは道路に沿って、廃線跡が並行していた。
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わりときれいに路盤が残っている。
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その先は農道に転用されていた。
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途中、「バロ沢」の地名を示す標柱を発見。
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その由来は「人の名前より」と書かれていた。
調べてみると、現在のイクベツ沢川(旧バロ沢川)の河口にかつてユクペツコタンという集落があり、そこに暮らしていたアイヌの酋長クエツクの息子の名バロウカトク(のちの本田バロカトク)に由来するらしい。
ちなみに、「パロ」とはアイヌ語で「河口」という意味だという。

あともう少し旭岡という地点まで来たところで、工事通行止め。
ショック。やはり急がば回れだったか。
今日は休日だから通れるのではないかとも思ったが、さらに傷口を深くするだけかもしれないので、素直に諦めて引き返した。
これで20分ほどロスしてしまった。

春日まで戻り、鵡川の対岸に出て、道道を東進。
花岡集落で、花岡小学校の文字が見えたので、またまた寄り道。
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校門がグラウンドに移設されていた。
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この学校は2004年2月に93年の歴史に幕を閉じたそうだ。
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校章は稲と桜。
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校舎がさみし気であった。
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小学校の敷地に神社が鎮座していた。
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神社の名前は書かれていなかったが、おそらく花岡神社とでもいうのであろう。
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花岡集落のとなりは仁和(にわ)集落。
かつては似湾(にわん)と呼ばれたが、ここも和風の地名に改められてしまった。
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バス停は「下仁和会館」だが、施設の名前は「仁和下生活館」。
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幸い、「似湾」の地名は郵便局に保存されていた。
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石碑には「ニワンの子」とあるが
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小中学校とも名称は「仁和」である。
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いずれも閉校している。
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小学校は1894年(明治27年)に開校、2017年に閉校した。
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中学校は1947年(昭和22年)に開校、2012年に閉校。
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この「豊泉」は鵡川を挟んで対岸同士にある「豊田」と「和泉」の合成通称と思われる。
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バス停のすぐ横に豊泉会館。
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次は和泉小学校バス停。
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和泉小学校も閉校している。
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和泉小学校は1895年(明治28年)、鵡川尋常小学校累標分校として開校。
地域の「教育発祥の地」ということで、開校百年の1995年に記念碑が建立されている。
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人口減少で地方の小中学校は中心部の学校に統合され、ほとんどが姿を消しつつある。
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地方に子供たちの歓声が響く時代はもはや来ないのだろうか。
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和泉小学校に隣接して建つ神社は和泉神社だろうか。
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きれいな黄色に塗装されていた。
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「豊田入口」のバス停。豊田の集落は鵡川の対岸にある。
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その先に、アイヌ語地名をそのまま残している「カイクマ」。
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「カイクマ」とは「折れた木の枝」という意味で、とくに「クマ」とは魚や肉を乾かすときに使う棒のことだという。
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明治初期には「カヱクマ村」も存在した。
現在は、「カイクマ沢」という河川名のみに、その地名は保存されている。
それだけに、このバス停名はうれしい。
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旭岡駅の先、栄駅、豊田駅、穂別駅、富内駅は3日前の平取出張の帰りに撮影済みなのだが、穂別駅跡の位置をもう一度確認するため、穂別市街に向かった。
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前回来た時は市街地より一段低いふれあい公園が駅跡ということで、そこを撮影したのだが、学生時代に来た時の記憶とどうも違う。
穂別駅2(往年の穂別駅、ネットより)

市街地と同じ高さにあったように思うのだ。
穂別駅(同)

どちらなのか地元の人に確認しなければならないが、とりあえず今回は可能性のある高い位置の場所を抑えておいた。
CIMG8229_20200411052353dde.jpg

穂別駅の先、、富内駅、幌毛志駅、振内駅は3年前に撮影済みだが、穂別駅と富内駅の間にあった深牛駅(貨物)跡は未撮影なので、そちらへ向かった。
鵡川右岸を走る行き止まりの細い道である。
途中、農道に転用されている廃線跡と交差。
CIMG8230_202004110523546b1.jpg

ちょうどその地点に中島会館があった。
CIMG8231_20200411052355ef1.jpg

さらに進んでいくと、道は行き止まりではなく、林道になって山奥に向かっている。
ナビによれば、ここで道は右にゆるやかにカーブしていくはずなのだが、そこには民家が立ちはだかっている。
う~む、断念かと思ったが、よく地図を見直すと少し戻れば別ルートがあることが判明。
トライしてみると、舗装道路のままたどり着くことができた。
CIMG8239_202004110523301a8.jpg

ここは廃線跡が道路に転用されており
CIMG8240_202004110523300a3.jpg

道路が途切れた先が、低い築堤となって残っていた。
CIMG8233_20200411052357a6b.jpg

ちょうどユカウシ沢川が横断している場所で
CIMG8236_20200411052327f8d.jpg

北上橋が架かっていた。
CIMG8238_20200411052327a7b.jpg

駅跡は橋の前後、このあたりかと思われた。
CIMG8234_20200411052325a41.jpg

(つづく)
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旧富内線(1)

【2020年4月5日(日)】旧富内線
新型コロナウイルスが猛威を振るっている。
政府が緊急事態宣言を発令し、不要不急の外出自粛を求められている。
この日はまだ発令前であり、北海道も対象外であったが、緊張感は同じである。
しかし、私の趣味「山と鉄」はいわゆる3密とは無縁だ。
マイカーで登山口まで行き、少人数で開放的な山に入る。
または、誰も見向きもしない廃線跡を巡る。
ほとんど、他の人と接触することはないのである。
というわけで、注意は怠りなく、いつも通り「山と鉄」に励んでいる。
できる範囲で、経済活動に協力しなければならない。
家に閉じこもっていればいいというものでもない。

今回は、胆振・日高地方を走っていた旧国鉄富内線である。
富内線は1922年(大正11年)7月24日、北海道鉱業鉄道(後の北海道鉄道)が沼ノ端~生鼈(いくべつ、後の旭岡)間を金山線として開業したのが始まり。
当初は、根室本線の金山駅につなける計画だったのだ。
その後、1943年(昭和18年)8月1日、それまでに開通していた沼ノ端~富内間(66.0km)が国有化され、富内線となった。
しかし、この年の11月、日高本線の鵡川駅から豊城駅間が開業したことで、不要不急線として沼ノ端~豊城間(24.1km)が休止(のちに廃止)され、起点は鵡川駅となった。
1964年(昭和39年)11月5日に日高町駅まで全線が開業したが、1986年(昭和61年)11月1日間 に全線が廃止された。

私は乗ったことがないが、自転車で北海道内を回った時、穂別駅で休憩し、日高町駅で自転車部合宿の駅留め荷物を受け取ったことがある。
過去の記録を確認してみたら、富内駅で泊まっていることも判明した。
これは完全に忘れていた。
この事実を知っても、全く記憶がよみがえってこない。
写真もないので、もう思い出しようもない。

それはともかく、この日は夜にも用事があるので、早めに発つことにした。
自宅を5:40に出発。
戦時中に廃止された北松田駅跡にまっすぐ向かうつもりだったが、いきなり寄り道を始めてしまった。
以前から、ちゃんと見ておかなくてはと思っていた清田区内の旧国道36号である。
1971年(昭和46年)にこの区間が直線化されたことで、旧国道(約4.7km)は市道に格下げされたが、地元住民からは長く「旧道」と呼ばれて親しまれてきたそうだ。
その後、区民への公募で、2011年に「あしりべつ桜並木通り」との愛称が付けられた。
その記念碑が現国道と旧国道の分岐に設置されていた。
今回初めて、その存在を知った。左側が旧国道だ。
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坂を下り切ったところに小さな公園があり、「桜並木通り」周辺の案内板が設置されていた。
CIMG8127_202004102155509c9.jpg

それによると、今下ってきた北野1条2丁目付近の道は、厚別(あしりべつ)坂または前坂と呼ばれていたらしい。
CIMG8128_20200410215551b28.jpg
舗装される前は、勾配が急な上にカーブもしていることから、荷馬車の往来の際に事故が起きやすかったという。
今はなだらかになっているように見えるが、自転車で登れば、かなりの急坂である。

沿道には開拓時代をしのばせる真っ赤なレンガ倉庫もちらほら残っていた。
CIMG8129_202004102155535e2.jpg
CIMG8135_20200410215532347.jpg

すぐ先の信号を左折すると、「ありしべつ郷土館」なる施設があるというので行ってみた。
もちろん、こんな早朝に開館しているわけもないので、場所を確認するだけだ。
途中、右手に清田緑地が広がっている。
CIMG8130_202004102155547fc.jpg

傾斜地なので開拓されずに残った森を核に公園として整備したのだろう。
CIMG8131_20200410215526c31.jpg

春にはミズバショウなどが咲くそうだが、さすがにまだ早かった。
CIMG8133_202004102155294bf.jpg

機会があったら、また来てみよう。
CIMG8134_202004102155312bf.jpg

で、肝心の「あしりべつ郷土館」だが、清田区民センターに併設されていた。
CIMG8132_20200410215528b7e.jpg
今年4月1日にリニューアルオープンの予定だったが、コロナの関係で休館のままだとか。
そんなに人が密集するわけではないのだから、この手の資料館・博物館はむしろ開けた方がいいと思う。
慎重なのは分かるが、度が過ぎると「事なかれ主義」になってしまう。
「団体は受け付けない」みたいな対応でいいのではないか。

郷土館入口の交差点近くには、清田区の開拓功労者長岡重治氏の記念碑が立っていた。
CIMG8137_2020041021550505e.jpg

長岡氏は1873年(明治6年)に厚別に入植。農業はもちろん、学校や神社、橋などの建設にも尽力されたという。
CIMG8136_2020041021550376a.jpg
「清田」という地名は、もともと厚別本通と呼ばれた付近のことを指しており、「美しい清らかな水田地帯」ということから命名されたらしい。
長岡氏が開拓した水田がその原点ということになる。

この記念碑のうしろに清田小学校がある。
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もともとは長岡氏が水田を開いた場所だったそうだ。
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今年で開校119周年を迎える。
CIMG8142_202004102154445c0.jpg

学校の母体となる「教育所」が設置されたのは1886年(明治19年)だが、月寒尋常小学校厚別分教所から厚別尋常小学校として独立した1901年(明治39年)5月24日を開校記念日としているらしい。
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つまり、開校百周年を迎えたのは21世紀となった2001年のことだ。
CIMG8141_20200410215442ef0.jpg

旧国道をはさんで、小学校の向かいにはシャッターが下ろされたピンクの建物があった。
CIMG8144_20200410215447f55.jpg
昔の市場であろうか。
私が少年の頃に住んでいた南区澄川には、八百屋とか肉屋とかいろんな店が同居した「市場」(「慈恵市場」と「澄川市場」)があり、結構賑わっていた。
最近、小樽の「妙見市場」が閉鎖されたらしい。
「昭和」がどんどん消えていく。

さらに進むと、平岡南公園の脇に「三里塚」の標柱があるのを発見した。
CIMG8145_20200410215448976.jpg
現在の「里塚」の地名の由来となった字名である。
開拓使は1880年(明治13年)、明治初期に整備した「札幌本道」(函館~札幌)のうち、室蘭~札幌間(34里)について札幌を起点に1里ごとに標柱を設置した。
翌年の明治天皇巡幸に備えてのことだったらしい。
その「三里塚」がここから約700m西の地点にあったとのことである。
もともとの字名である「三里塚」から「三」の字が省略されて「里塚」の地名が誕生したのは1944年(昭和19年)のこと。その翌年には、「三里塚」の標柱も失われたそうだ。
新しいこの標柱は、近くにある三里塚小学校が2004年に開校百周年を迎えたのを記念して設置されたという。
どうせなら、もとあった場所に設置してほしかったが、手続きが難しかったのかもしれない。

旧道は美しが丘1条8丁目、三里塚小学校バス停のあたりで国道36号に合流する。
これで、プロローグは終了。間もなく北広島ICから道央道に入る。
ここまで札幌市内は曇りがちだったが、だんだん晴れてきた。
運転しながら、持参したおにぎりとハムサラダパンをいただく。これが朝食だ。
沼ノ端東ICで下りて、北松田駅跡に向かおうとするが、駅跡は日高道の側道にあり、一方通行なので入れない。
CIMG8147_20200410215419afd.jpg(苫小牧市のマンホール)

次の静川駅跡も同じ状況なので、これら2つの駅は進行方向が逆になる帰りに寄ることにした。
実は、この2つの駅の位置について、ネットの「鉄道歴史地図」とグーグル検索は一致していたのだが、「歩鉄の達人」の「廃線探索」の表示とは全く異なっている。
旧版地形図で確認すれば一目瞭然なのだが、地方測量部まで出向く余裕はない。
線路のルートなど常識的に考えて、「歩鉄の達人」の方が明らかに正しいと思われたので、そちらに従うが、なぜ「鉄道歴史地図」にあんな間違いが生じたのだろう。
いや、それ以前に大昔の「駅跡」がグーグル検索で出てくること自体が不思議なのだが。
一応、北松田駅跡の目印のつもりだった、いすゞエンジン製造北海道株式会社の工場も撮影しておいた。
CIMG8148_2020041021542172d.jpg

とにかく2駅は見送ることにしたが、グーグルによる間違った静川駅跡の近くに弁天展望台なる施設があることを知ったので、そこには行ってみた。
道道259号から右折して、ダートの道に入る。
1.5kmほど先のT字路を左折して、少し坂を登ると、東屋のある広場に出た。
CIMG8149_20200410215422462.jpg

ここは標高約20mである。
弁天展望台というくらいだから、近くの弁天沼が見えるのかと思ったら、全く見えず。
CIMG8151_20200410215351af5.jpg

西の方に、火力発電所などの煙突が見えるだけだった。
CIMG8152_2020041021535377f.jpg

さて、これから本格的に廃線探索を開始。
向かうのは、沼ノ端駅から3つ目の駅にあたる上厚真駅跡だ。
上厚真集落の中心部に入ると、厚南会館の広大な駐車場があったので、ここにまず駐車。
CIMG8153_20200410215354efa.jpg

ここは道道259号と287号の交差する地点にあたり
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北海道中央バスの「上厚真」バス停もあった。
CIMG8155_20200410215357819.jpg

改めて地図を確認すると、まさにこの厚南会館のある場所が駅跡であった。
CIMG8156_20200410215325e1c.jpg
この駅は1922年に北海道鉱業鉄道金山線が開通したのと同時に開業。当時の読み方は「かみあづま」であった。
1943年8月1日に、戦時買収で国有化された際に「かみあつま」に改称されている。
11月には不要不急線として廃止されるので、21年という短い寿命だった。

近くには、厚真町立上厚真小学校がある。
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どうやら現役のようだが行ってみた。

昨年、開校120周年を迎えたらしい。
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1999年に建立された開校百周年記念碑が敷地内にあった。
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2018年9月の胆振東部地震では、さぞかし大きな被害があったことだろう。
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次の入鹿別駅跡にも何の痕跡も残っていない。
CIMG8167_202004102152425d6.jpg

いくつかの情報をもとに、おそらくこのあたりだろうと想像するだけだ。
CIMG8164_2020041021530449a.jpg

この駅は金山線の開業から遅れること1年3か月ほどの1923年11月11日、停留場として開業した。
CIMG8165_20200410215306e5c.jpg

1928年2月に停車場に昇格。
1943年の国有化の際に、「いるしかべつ」から「いりしかべつ」に改称された。
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廃止は上厚真駅と同様、同年11月だった。

(つづく)
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長尾山(下)

【2020年3月29日(日)】長尾山
長尾山(1211m)の山頂で眺望を楽しんでいる。
CIMG7549_20200401064801b57.jpg

遠く積丹の山々がこんなにくっきり見えるには感激した。
CIMG7550_2020040106480227c.jpg

東には盤の沢山(939m)。
CIMG7551_20200401064804fc8.jpg

藤野三豊山もかわいらしく並んでいた。
CIMG7552_20200401064805d77.jpg

お馴染み定山渓天狗岳(1145m)。
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烏帽子岳(左、1109m)と神威岳(右、983m)。
CIMG7553_2020040106480775d.jpg

羊蹄山(1893m)とニセコ連峰。
DSC_4340_20200401064714813.jpg

てな感じで360度のパノラマを堪能した後、ピーナツのランチパックで栄養補給。
帰りも多少、登り返しがあるが、スキーのシールを剥がして、滑走状態に切り替える。
準備が整ったところで、そろそろ山頂ともお別れ。
風はなかったが、作業をしているうちに、結構、手が冷たくなった。
DSC_4341_20200401064716647.jpg

千尺高地方面に戻る。
DSC_4343_20200401064643d4f.jpg

右手はもちろん余市三山である。
DSC_4342_20200401064717c52.jpg

左手は無意根山(1646m)と羊蹄山。
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背後は、左の札幌岳(1293m)から小漁岳(1235m)までの稜線。
DSC_4347_2020040106464604c.jpg

これだけハイマツが露出しているということは、山頂も徐々に雪解けが進んでいるということだろう。
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シールがないと、ほんの緩やかな登りでも、一生懸命こがないといけないので、ちょっと大変だったが
CIMG7557_20200401064740bba.jpg

この眺めが気に入った。
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ダケカンバ1本だけにしてもいい。
CIMG7559_2020040106474160a.jpg

この角度も悪くない。
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日の出ならぬ富士の出。
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千尺高地は巻いて、手前から滑走を敢行する。
O君が以前来た時は、スノーシューのH君と一緒だったので、この斜面を滑ることができなかったのだという。
彼にとっては、ここを滑ることが今回の目的だったわけだ。
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最初は緩やかだが、この先はなかなかスリリングだ。
DSC_4357_2020040106461774e.jpg

急斜面はかなり広いゲレンデになっており、雪質も固めなので、わりと滑りやすい。
O君はプロ並みに格好よくシュプールを描いていくが、私はボーゲンで慎重に付いていった。でも、気持ちよく滑れた。
CIMG7561_20200401064743405.jpg

最初の標高差200mをわずか8分で下った後、緩斜面に入る。
この後は、樹林の間を縫っていく感じだ。
まだ夏道とは合流していないが、O君が先行者のシュプールをたどっているので大丈夫。
その後5分ほど滑って、標高860mのあたりで夏道と合流。
あとは基本的に夏道をたどっていく。
標高720m付近で左の尾根を間違えて下ってしまったが、すぐに気づいて軌道修正。
ロスは5分もなかった。
最後に無意根山スキー場跡地を下って、駐車場に下りてきたのは11:55。
CIMG7563_2020040106471152b.jpg

千尺高地から30分ちょっとしかかからなかった。
CIMG7564_20200401064713bf1.jpg
やはりスキーは速い。
普段使わない筋肉を使ったので、4時間ほどの短い山行だったわりには、心地よい疲労感。

あとは車を置いてある場所まで戻るだけなのだが、この先の急斜面で不覚にも転倒。
起き上がるのに、かなり苦労した。
まあ、ご愛敬である。
車に戻ると、道路には路駐の車であふれていた。
改めて人気の山であること、そして道産子にとって冬山は普通のことであることを実感した。
それにしても、今日は天気や雪質にも恵まれ、楽しいスキー登山となった。

わりと汗をかいたが、お風呂の前にランチに出かけた。
O君の提案で、定山渓温泉街のはずれにある、新しいお店「雨ノ日と雪ノ日」である。
DSC_4361_20200401064620a46.jpg

第一寶亭留の経営で、ピザとジェラートを扱っている。
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ピザは大きいので、1枚を2人でシェアし、ジェラートは食後にそれぞれ注文することにした。
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店内も、しゃれた雰囲気。
「雨の日と雪の日」ということで、傘がディスプレイされていた。
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まずはオニオンスープ。これがバカうま。
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あっという間に飲み干してしまった。
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お客さんは若い人が多い。家族連れやカップル。
女子大生っぽいグループもこの後やってきた。
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オーダーしたのはピリ辛生ハムミートピザ。
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生地はもっちり。タバスコ要らずの辛さで、とても美味しかった。
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O君が6枚に切ってくれたが、私が1枚食べるうちに、彼は3枚ペロリ。
「肉体労働者だからね」と笑っていたが、最後に残った1枚が大きかったので、少し彼に食べてもらった。

で、お待ちかねのジェラート。
O君はお風呂で貧血になりやすい体質で、入浴前に糖分を摂らないといけないらしい。
私はカボチャとジャーキー牛乳の組み合わせ。
O君は、なんちゃら黒大豆とストロベリーだった。
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これまた美味。贅沢な気分になった。

お風呂はO君の回数券を使って、日帰り入浴施設の湯の花へ。
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ガソリン代がかかっているだろうからと、おごってくれた。
いいやつだ。
DSC_4374_20200401064526ec8.jpg

定山渓温泉自体がいい温泉だが、ここもなかなかの湯である。
源泉の温度は87.4℃。かなりの高温だ。
ph値は6.6の弱酸性。無色透明で、分からない程度の塩気がある。
コロナのせいか、お客さんはわりと少な目だが、それでもそこそこのお客さんはいた。
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露天風呂で久々の長湯。
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運転があるので、湯上りはノンアルビールにしておいた。
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O君は500mlのロング缶で乾杯。
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お蔭さまで、山スキーを満喫できました。
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14時半すぎに退出。
O君を自宅に送り届けて、15時半頃に帰宅した。
ありがとうございました。

【行程】2020年3月29日
登山口(7:47)~約830mコル(8:57休憩9:03)~千尺高地(10:05撮影10:17)~長尾山(10:40休憩・撮影11:06)~約830mコル(11:36)~登山口(12:02)
※所要時間:4時間15分(歩行時間:3時間35分)
※登った山:1座(長尾山)
※歩行距離:9.5km
※累積標高差:約670m
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