【2019年8月29日(木)】石狩岳
石狩岳(1967m)に登頂し、石狩の肩(1770m)へ戻る途中。

さっき見たクマの糞が短時間の間に黒く変色していた。

この鞍部には、テン泊した跡があった。
国立公園内は基本的にキャンプ指定地以外、テン泊は禁止である。

この瞬間はなぜか、私が先頭にいた。

12時過ぎに、石狩の肩に到着。

当然のごとく、石狩岳はすっぽりガスの中である。

さて、この後は音更山(1932m)。

準備を整え、12時半前に出発した。

すぐ先に、またまたテン泊跡があった。

石狩岳のキノコは大きい。



時々ガスが薄くなるのだが。

晴れ渡るようなことは全くなかった。

ずっとハイマツの道である。

うわ、またクマの糞。これもかなり新しい。

でも、いちいち気にしていられない。

みんなで鈴を鳴らしながら前進する。

石狩の肩を振り返る。

ふと気が付くと、H君のザックだけやけに立っている。

後で知ったのだが、ザックの肩の部分の締め付けが大きく緩んでいたのだった。

ガスはす~っと上がっていきそうな気配もあるのだが、そう甘くはない。

ハイマツが禿げているところを通過。

晴れていれば、左手に表大雪が展開しているはずなのだが。

この日はこのくらいでも見えている方だった。

まわりの植生をいくつか。




音更山への道は稜線の西側を巻いて進む。

西斜面は東斜面より比較的なだらかだ。

ただ、わりとアップダウンがある。

標高1750m前後の道である。

ウラシマツツジが真っ赤だ。

みかんのようなキノコ。

この小さい葉っぱはコケモモかしら。

石狩の肩から20分ほど歩いてきたところで、O君が着替え。

ちょっと暑くなったみたいで、ウインドシェルを脱いだ。

ちょうど、立ち止まった地点が細かい石のガレ場になっており、コマクサが咲いていた。


ついでにしばし休憩して、10分弱で出発。

どうも、この白いもふもふが気になる。何だろう。

相変わらずのハイマツ帯。

ハイマツの葉はとげとげしているが、触っても全然痛くない。

いよいよ音更山の登りに差し掛かってきた。

頂上はあれだろうか、まだ先だろうか。

周辺は露岩帯になってきた。

ナキウサギがいそうである。

実際、チチ、チチという鳴き声は何度か聞こえた。

しかし、その姿を見ることはかなわなかった。

鞍部から頂上までの標高差は180mほどある。

大きな岩を乗り越えていく。

ザックが大きいのでバランスを崩さないよう注意しなければ。

音更山がこんなガレ山だとは思わなかった。

大雪山系にはあちこちにこういうところがある。

やっぱりさっき見えていたのが山頂ではなく、もっと奥にピークがあった。

ほとんど岩山になってきた。

ちなみに、音更山の名は十勝川の支流、音更川の源流にあることに由来する。

石狩岳が石狩川の源流にあるのと同じ命名だ。

「音更」はアイヌ語の「オトプケ」が語源で、「髪の毛が生じるところ」という意味らしい。

何が、それを差しているのだろう。

音更山は大抵のガイドブックに石狩岳とセットで紹介されているが、標高は1932mもあり、道内では立派な高峰である。

石狩岳に従属するように扱われるのは、ちょっとかわいそうだ。

露岩帯と露岩帯の間にあるハイマツの道。

おそらく頂上は間もなくだろう。

露岩帯は足の置場に神経を使う。

お、頂上に着いたようだ。

石狩の肩から1時間とちょっと。

コースタイムは1時間半なので、かなり優秀だ。

ここは一等三角点であった。

実は石狩連峰の主峰、石狩岳に三角点はない。ちょっと不思議だ。

「山と高原地図」によれば、ここから「ニペソツ、ウペペサンケ、ユニ石狩岳、石狩岳の展望良好」だそうだが、まったく何も見えないので、記念写真だけ撮って出発。

本日の宿泊地、ブヨ沼へ向けて下山する。

ブヨ沼までのコースタイムは1時間20分。

15時には着けるはずだ。

ここにもテン泊跡があった。

小さなシャクナゲ。

ちなみにブヨ沼の標高は1626m。300mも下ることになる。

振り返ると、音更山はあっという間にガスに霞んでいた。

この分岐を先頭のO君は右に(直進)進んだ。

左前方にピンクリボンが見えたので、「お~い、こっちでいいのかい?」と聞こうとしたら、O君が「なんか違うみたいだわ」と言って戻ってきた。

やはり左が正しかったようだ。

しばらく緩斜面を東に進む。

このあたり、相当ガスが濃い。


足元も浮石が多く歩きにくい。

(921)
おっと、またしてもクマ糞。会わないのが不思議なくらいの数が多い。

約1880mのピークを巻くと右に折れて急な下りが始まる。

ジグザグに200mほどを一気に下る。

浮石だらけで、転倒注意だ。

慎重に慎重に。

下るに従い、ハイマツの背が高くなる。

根っこがまた厄介だ。

こんな調子では、下りだからと喜んでいられない。

(つづく)
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【2019年8月28日(木)】石狩岳
石狩の肩(1770m)、すなわちシュナイダー分岐で休憩中。

初めて腰を下ろして、30分たっぷり休んだ。
この先は頂上までピストンなので、重たいザックはデポ。

10:10に山頂に向けて出発した。

白いのはキノコ。

空身なので、軽くてまるで天国を歩いているよう。

と思っていたら、かなり新しいクマの糞。

クマもヤブの中より開けたところの方がやりやすいのだろう。

ハイマツの中を進む。

ウラシマツツジの紅葉がとてもきれいだ。

その中にイワブクロ。

いったん下る。

石狩の肩を振り返る。こうして見ると、立派なピークだなあ(笑)

前方に見えているのは、まだ頂上ではない。

ここで、単独男性とすれ違った。あご髭の長い仙人のような人だった。

おそらく、ユニ石狩岳の登山口に車を置いていた人だろう。

しかし、この人、我々が挨拶をしたのに返事もしない。

偏屈な人だと思っていたが、もしかしたら我々が空身であることを内心責めていたのかもしれない。

彼はここ区間ピストンのはずだが、フル装備だった。

北海道の奥深い山でザックをデポするということは、食料の匂いでクマをおびき寄せる可能性がある。

「それを分かっているのかよ!バカものどもめ」などと思っていたのかも、なんて想像を巡らせた。

一応、生ものは持ってきていないけど。

20分ほどで標高1800mを超えてきた。

ガスの中の尾根歩きである。

晴れていれば、すばらしい眺めが広がっているのだろう。

今日は足元を見るしかない。

きれいな水玉。


南斜面は断崖になっている。

キバナシャクナゲがまだ咲いていたが、雨ですっかりしおれていた。

ナナカマドはまだ青いまま。

お、あれが頂上だろうか。

左手に男岩(仮名)。

O君が指を差す。

ウラシマツツジのグラデーション。

ウラシマツツジは大雪山紅葉のトップランナーだ。

この稜線にも岩場が待ち構えていた。

ここもまだシュナイダーコースなのである。

「山と高原地図」には「標高差1163mを5km強で登る急斜面が連続」と書かれている。

沿道では、ウメバチソウが声援を贈ってくれた。

ハイオトギリは水浸し。

こいつはイワブクロのつぼみかな。

エゾノツガザクラ。

10:50、肩から40分で石狩岳に登頂。

登山口からは5時間35分。コースタイムより25分速かった。

50歳半ばのおやじども(一人だけ女性がいるけど)にしては成績優秀だ。

条件も決してよくなかったのに。

とにかく記念撮影。みんな笑顔である。

撮影後、この先にある最高点に向かう。

山頂標識のある今のピークは標高1966mで、この先のピークは1967mなのだ。

なぜ、最高点に山頂標識を置かないのか。

おそらく、当初は1966mピークの方が高いと考えられていたのだろう。

その後、測量の精度が増して、別のピークの方が高いと判明したということなのかもしれない。

進むにつれて、どんどん次のとんがりピークが現れて、なかなか着かない。

振り返ってもとんがり。

でも、まああれに違いない。

ウラシマツツジをかき分けて生えてきたキノコ。でかい。

これは落ちていたやつ。

なんて遊んでいる暇に、みんな行ってしまった。

青空の下で見たかった。

最後の難関。

やった、真の石狩岳に登頂!

真の頂上はケルンが目印。

ちょっと振り返ってから

私も少々遅れて到着。

ここまで5分のつもりだったが、10分もかかってしまった。

標高1967m。K美さんの誕生年だ。

ここに、「土佐木旺会」なる札がくくり付けてあった。

こういうただの自己主張は止めてほしい。
どうしても名を残したいなら、立派な山名板を作成して、その裏に小さく製作者の名前として書いておけばいい。
この先は、小石狩岳(1924m)、川上岳(1894m)を経て沼ノ原。

「それじゃ」と歩き始めたら、みな快く(冷たく?)見送ってくれた。
一歩で戻ったけど。
ここで10分弱休憩してから

引き返す。

当然、山名板のある頂上を通過する。

花が小さいけど、おそらくユキバヒゴタイ。

この真っ白なのは謎の植物。

濃霧の中、岩場を下っていく。


別の角度から見た男岩。

んん、前方の稜線が見えてきたぞ。

石狩の肩のあたりのピークもよく見える。

そろそろご褒美が欲しいところだが、このくらいが限界だった。

しょぼん。

はるか先に我々のザックが見えてきたが、幸いクマに荒らされたような形跡はなかった。

肩への登り返し。

左手の谷間。

見通しがよかったのは、この時の数分ほどだった。

これだけでも、とてもうれしい気分になった。

(つづく)
【2019年8月28日(木)】石狩岳
シュナイダーコースで石狩岳(1967m)に登っている。

シュナイダーの由来は諸説あるらしい。

まだ60年も経っていないのに、由来がはっきりしなくなっているとは。

アルパインガイド・ノマドの宮下岳夫さんは、野球のスライダーからきているとブログで語っている。
確かに、コースがスライダーのように曲がっていると。

しかし、シュライダーならまだしも、シュナイダーがスライダーのこととはかなり無理がある気がする。

長野県の野沢温泉スキー場に、その名もシュナイダーコースという最大斜度32度の全国にその名をとどろかせる難斜面があるらしい。
もしかしたら、このコースになぞらえて命名されたのではないだろうか。

シュナイダーとはドイツ語の姓で、基本的には人の名前である。

調べてみたら、スキー関係の有名人として、「アルペンスキーの父」と呼ばれたオーストリアのハンネス・シュナイダー(1890~1955年)がいる。

この人は、1930年(昭和5年)に秩父宮雍仁親王の招待を受けて来日。
3か月余りの滞在の間、野沢温泉をはじめとした各地でスキーの指導を行ったという。

菅平高原は「日本のダボス」と呼ばれるが、これはシュナイダーが菅平高原を「スイスのダボス地方に似ている」と発言したことにちなむ。

菅平高原スキー場にもシュナイダーゲレンデという名のコースがあり、その山頂には「シュナイダー記念塔」が建てられているとのことだ。

野沢温泉のシュナイダーコースが、かつての日本で急斜面の代名詞のように言われていたのだとしたら、この急登がそう名付けられるのも、ごく自然のことに思える。
あえて、野球を持ち出す必要はない気がする。
そうこうしている間に、40分ほど登ったので休憩。

標高はようやく1300m。ここでは、K美さんが持ってきてくれたお土産をいただいた。
面白い構成のお菓子で、とっても美味しかった。

ここも7分の立ち休みで出発。

出発してから2時間半が経過した。

石狩の肩(1770m)までのコースタイムは5時間。

まだ半分しか来ていない計算だが、もう少し進んでいる気がする。

急登続きなので、高度はガンガン稼いでいる。

さっきの休憩から20分ちょっとしか歩いていないけど、疲れたら無理せず、すぐ休憩。

今度の栄養補給はグミ。

体力はかなり使っているはずなので、どんどん補給する。
ここも6分で出発。

それにしても、シュナイダー、半端ない。

晴れていれば、少しは喜びもあるのだろうけど。

少しだけ紅葉が始まっているのが、せめてもの救いであった。


ブログを書いている今から思い起こすと、この登りはただただ長かったという記憶しかない。

しかし、余計なことを考えなかったからか、あまり苦しかったという感じもない。

H君はここを登るのは去年に続いて2回目だが、よく再度登る気になったと思う。

もちろん、石狩岳だけでなく音更山、ユニ石狩岳と縦走するからなのだが。

コケの毛皮。

シャクナゲの赤ちゃん。

なにが何だか。

いや~、右も左も何も見えない。


こういう時は植物に注目するのが鉄則。


かわいい葉っぱの子たち。


写真を撮っているうちに遅れをとっても

難所があるので、すぐに追いつける。

しんがりの私が難所を通過するときには誰も待っていてくれないけれど。

まあ、それは慣れている。

天気が悪いので、これでも撮影枚数は少ない方だ。

かくれんぼ岩なる岩が突然出現。

岩の形や状況から、「かくれんぼ」の理由になるようなものはうかがえなかった。

終盤戦に入って、岩場が増えてきた。

ロープが必要なほどの壁だ。

かなりの歯ごたえがある。

皆さんは、とうにストックをしまってしまったようだ。

私は1本だけなので、しぶとく使い続けた。

1本だけだと片手が常に使えるので、岩場もそれほど苦にならないのだ。

おお、これはお見事!

標高1580m地点で、6回目の休憩。

ここではチョコボールで糖分を補給。

9時ちょうど、4分の立ち休みで出発した。

相も変わらず急登だ。


キノコが目立ってきた。

これには何と書かれていたのだろう。

左手が少し開けてきた。

稜線らしきものが見えてきたが、石狩の肩(1770m)も近いのだろうか。

H君が「あれが山頂かなあ」とつぶやいたが、ちょっと低いし近すぎる。

しかし、石狩の肩までは先が見えてきたような気がする。

見えているのは、肩から石狩岳頂上への稜線であることは間違いなさそうだ。

アカモノの実かと思ったが、実の形も葉っぱの形も違う。

岩場の後はハイマツの根地獄。


植生は一面のハイマツとなった。

木の枝にも黄色いコケ?が生えている。

おや、傾斜が緩くなったぞ。

鞍部らしきものも見えてきた。

石狩の肩への最後の関門。

9:40前にようやく石狩の肩に到着した。

さっきの休憩地点から標高差200mを休まず40分で登り切った。
登山口からのコースタイム5時間のところ、休憩を含めても4時間半かからなかった。
まずまずの成績ではあるが、さすがに疲れた。
ここで大休止とする。
ちょっとしたピークがあったのでザックを下ろして行ってみたが、H君には「ここは登った山には認めないよ~」と声がかかった。

もともと、そんな気はなかったが、彼はなかなか厳しい。

頂上までは、あと1時間。ここは八合目というイメージだろうか。

ウラシマツツジが真っ赤に紅葉していた。

ここは石狩岳と音更山(1932m)との分岐にもなっている。

「山と高原地図」には「シュナイダー分岐」と表記されている。
まだ10時前だが、ここでお昼にする。
私は登山口に向かう車の中で、宿が用意してくれた朝食のおにぎりを1個食べてしまってあったので、ここで残りの1個をいただいた。

O君は靴を脱いで、逆さにしたら水が大量に流れ落ちた。
彼はスパッツも雨具も着ていないから、ササの露をもろに受けてしまったのだと思っていたが、後で彼がずっと先頭だったからであることに気付いた。
先頭や2番目の人が先に登山道にかかるササや葉っぱの露を払ってくれるので、しんがりの私はその影響をほとんど受けずに登れていたのだ。申し訳ない。
(つづく)
【2019年8月28日(水)】石狩岳
幸福駅、タウシュベツ橋梁を観光して、14:45に今宵の宿「東大雪ぬかびらユースホステル」に到着した。

ユースホステルに泊まるのは何年ぶりだろう。
今は昔と全くシステムが変わって、普通の宿のようになっている。

このYHの創業は1996年とのことで、とても清潔な宿だった。

とにかく、まずはお風呂である。
糠平温泉はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉(中性低張性高温泉)で、旧泉質名は含重曹-食塩泉。

源泉の温度は55.1℃で、ph値は7.08。
天気には恵まれていないけれど、みんなご機嫌である。

なぜなら、この後、ビールが飲めるからである。
15:40にめでたく乾杯!

かつてのYHは飲酒厳禁だったが、今や館内にビールの自販機まである。
おかげで冷たいビールが飲めた。
ビールの後は、Aコープで購入した十勝ワイン「トカップ」。

4人なので、あっという間に空いてしまった。
あまりお腹がいっぱいにならないよう、乾きものなどをつまみに3時間近く歓談。
すっかりいい気分になって、18時半から夕食。

メニューは、鮭のチャンチャン焼き、ナスの煮浸し、高野豆腐と若竹煮、茶碗蒸しなど。
適量かつ美味しかった。
食後は、ペアレントさんによるミーティング。

と言っても、昔のようにゲームをさせられるわけではなく、周辺観光地の案内だった。
デザートはアイスクリーム。ここのお嬢さんらしき中学生が注文を取りにきて、「これとあれとそれのどちらにしますか?」と聞かれ、「じゃあ、バニラ」と言ったのに、「バナナ」が来た。

そもそも、「バニラ」は選択肢の中にはなく、私と彼女の聞き違いだった。
お開きの後、フロントに立ち寄ったら、ニペソツ山のバッジがあった。

コレクターのH君はすでに持っているようだった。
私も一応ゆるく集めているのだが、なんとなくデザインが気に入らず、値段も高かったので買わなかった。登っていないし。
部屋に戻って布団に入ったら、あっという間に寝てしまった。
【2019年8月29日(木)】石狩岳
翌朝は3時半に起床。4時に出発。
雨は夜中のうちに上がるはずだったが、まだ降っている。
雨の中、登るのは嫌だなあ。
この時期の朝4時は、まだ真っ暗である。
30分ほどで、登山口への入口に到着。

ここを左折して、あと14kmも林道を走らなくてはならない。
でも、路面状況はまあまあで、ひどい悪路ではなかった。
枝分かれしている林道もたくさんあったが、いずれもトラ柵やロープがあって、道に迷わないようにしてくれていた。
石狩岳登山口にはちょうど5時に到着。
2km手前にあるユニ石狩岳の登山口には車が1台あったが、こちらには1台もなかった。

ちゃんとトイレもあってありがたかった。

着いた時は、幸い雨は止んでいてくれた。

このあたりは音更川の氾濫原のようだ。

パッと見、どこが登山口なのか、よく分からない。

まあ、あの沢を遡っていけばいいのだろう。

ストレッチを済ませ、5:15に出発。

いきなり倒木をまたぐ。

暴れた後って感じの沢だ。

周りの土砂を削って、樹木が根こそぎ倒れている。

ところで、今、登っているのはシュナイダーコースという。

4kmで標高差約1000mを登る超急登である。
しかも、背中には18kgのザックを背負っている。

天気も悪い。過酷な登山になることは間違いない。
ほぼ平らなのに、20分歩いただけで暑くなり、着替え休憩。

ちなみに、登山口の標高は803m。

序盤戦はトドマツ林を行く。

早速、クマ糞。

気にせず、進む。

何合目とか、「あと○km」とか、そんな表示は全くなく、ただただ「シュナイダーコース」。

うっかりしていると、すぐに離されてしまう。

取り付きまでは、沢沿いのなだらかな道が続く。

このアプローチがペースをつかむのにちょうどいい。

登山口から40分で渡渉地点。

飛び石ができず、みんなどっぷんしながら渡ったが、私はローカットのトレランシューズなので、靴を脱いで裸足で渡った。

水浸しになると、靴擦れしやすくなるので、皆さんにはお待ちいただいた。
いつの間にか、林相は白樺林に。

林床は背の低いササ。

さっきの渡渉地点が「山と高原地図」では「水場」となっていた。

コースタイム1時間10分のところ、40分で歩いたことになる。

1時間弱で取り付き地点に到着。

ここで休憩して、昨日Aコープで買った「トカトカ」のパンを1個食べる。

このパンがものすごく美味しくて、後でみんなも口々に「うまい、うまい」と驚いていた。
ここの木に巻き付けてあった足寄山友会の標識には「シュナイダーコース開削25周年 1986・9・15」と書かれていた。

ということは開削されたのは1961年だから、もう間もなく還暦だ。

さあ、ここからが本格的な登りである。

10分弱休んで出発。

大きなザックを担いでいるので、倒木をくぐるのは結構難儀する。

またぐのも、これまた大変だ。

幸い、雨は落ちてこない。

取り付きから30分。標高1100m辺り、尾根にのったところで休憩。

懐かしいチョコボールをいくつか、口の中に放り込む。

小刻みに短く休むのが、我々の流儀。

わりとやせた尾根を進んでいく。

たまに緩斜面が現れると、ホッとする。

時刻は7時を回った。

岩が現れると、手を使わなければいけないほどの急登となる。

壁がどんどん出てくる。

きついが頑張らねば。

このあたりが地形図上の1126m標高点。

木々を透かして、対岸の尾根が見えたが、やはりガスが濃い。

晴れる兆しは全くない感じ。

ほとんど修行だ。

これが限界である。

サルノコシカケとゴゼンタチバナの赤い実。

それにしても、みんな健脚だ。誰も弱音を吐かない。

私も杖のおかげで何とか頑張れている。

(つづく)
【2019年8月29日(木)】石狩岳
ここ数年、夏合宿は内地の山が続いていたが、O君のポン友K美さんの希望で日高山脈の日本二百名山カムイエクウチカウシ山(1979m)に登る計画を立てていた。
しかし、その後、この山でクマに襲われる事故が続出。
このクマは人喰いクマになっている恐れがあるので、君子危うきに近寄らず。
同じ二百名山の石狩岳(1967m)に行き先を変更した。
来道するK美さんの日程に合わせ、旅程は28~31日。
彼女は28日(水)の8:25に帯広空港に到着するとのことなので、この日は剣山(1205m)で足馴らし。
29~30日に石狩岳、音更山(1932m)、ユニ石狩岳(1756m)を縦走。
下山後は層雲峡温泉に泊まり、31日はニセイカウシュッペ山(1883m)に登るという山三昧のプランに変更していた。
しかし、天は非情だ。予報は4日間とも晴れる日はなし。
ギリギリまで、縦走を29~30日にするか、30~31日にするか迷ったが、結局当初の計画通りの日程で決行することにした。
28日は午前5時にH君が私を迎えにきて、その後、O君をピックアップ、8時半に、帯広空港に到着するという段取りになっていた。
しかし、いつも早めに来るH君が、5時を過ぎても来ない。
おかしいなと思っていたら、5:04に「今起きた。すぐ行く」と電話があった。
スマホの目覚ましが鳴らず、寝坊したらしい。
今からだと、到着は5時半過ぎになあと思っていたら、5:20過ぎに着いた。
なんという速さだ。
H君はスマホを買い替えたばかりで、新機種はあらゆることに音が鳴るので、消音作業をしていたら、目覚ましのアラームまで無音設定になってしまったとのことだった。
車内でも、ヤフーニュースが更新されるたびにチャイムが鳴っていた。
十勝地方の雨は午後からということだったが、山越えは激しい濃霧で、平野に下りても、わりとしっかり雨は降っていた。
当然、剣山は中止せざるを得なかった。
道東道はわりと順調に進んで、遅れを取り戻しつつあったのに、なんと広尾道が途中通行止め。
通勤ラッシュの時間帯に帯広市街を通り抜けなければならず、帯広空港に到着したのは結局9時前。

しばらくK美さんを待たせてしまった。

彼女はすぐに我々の車に気付き、走り寄ってきた。
荷物を積み込んだ後、男たち3人は空港をお借りしてトイレタイム。
数日前、帯広空港は1981年の開港以来の利用者が2000万人を超えたのだそうだ。

空港の顔ハメがあったが、K美さんをさらに待たせては悪いので遠慮しておいた。

このばん馬模型は、テレ朝の「報道ステーション」が2006年12月に、ばんえい競馬の存続問題を取り上げた際に製作したものだそうだ。

帯広市のマンホール。カラーバージョン。

全員そろったところで、まずは空港の近くにある旧幸福駅に向かう。
今日は、登山は中止して、タウシュベツ橋梁を見学することになったのだが、それだけでは時間が余るので、K美さんに北海道の観光名所をご案内することにしたのだ。
私自身、ここに来るのは2009年8月以来10年ぶりだ。
着いてみると、駅前に土産物店が営業していた。

ちなみに、この駅舎は2013年に建て替えられたものだ。

壁には一面、切符を模した「お札」が貼り付けられている。

ハート形や切符形の「絵馬」もあり、願い事を書いて吊るしてある。

2008年には「恋人の聖地」にも選定されたそうだ。

幸福駅は1956年(昭和31年)8月、幸福仮乗降場として開業。
国鉄広尾線の廃線に伴い、1987年(昭和62年)2月に廃止された。

わずか20年ちょっとの寿命だったが、その間にあの大ブームがあったわけだ。

展示してあるキハ22形の車両の中には、顔ハメが設置してあった。
ここで、O君とK美さんが仲良くハメハメ。

車内はすっかり改装され、おしゃれなカフェのようになっていた。

幸福駅は2016年10月に、台湾の「合興駅」と友好駅の関係を締結したそうだ。

合興駅はあるエピソードがきっかけで「愛情駅」と呼ばれるようになり、それが縁となったらしい。

もう1台、展示されているキハ22形車両。

こちらは改装されず、車内も現役時代のまま。

ところで、「幸福」とは現地の地名である。

もともとは「幸震(こうしん)」と呼ばれていたそうだが、入植者に福井県出身者が多かったことから、上一文字ずつ採って、「幸福」と改名されたとのこと。

幸福駅が一大ブームとなったのは、1973年(昭和48年)3月、NHKの紀行番組「新日本紀行」で取り上げられたのがきっかけだったらしい。
私が小学5年生の頃だ。

前年には7枚しか売れなかった愛国~幸福間の切符が、この年は300万枚、73~76年の4年間で1000万枚も売れたという。

ブームで観光客が大勢訪れるようになり、待合室の内外に名刺や使用済みの定期券などを記念に貼り付ける「風習」が始まったのも、この頃からだそうである。

今は、駅前の売店で売られている、この「お札」ばかりだ。

見学後、しばし売店を冷かす。

バッジが売っていたので、「山のしか買わない」と言っていたH君をけしかけたら、誘惑に負けて買っていた。
まだ開店していなかったが、カフェもあった。

ここは記念撮影スポット。

かつての駅前通り。

私事だが、幸福駅の隣、大正駅が私の母の実家の最寄り駅だった。

というわけで、幸福駅さん、さようなら。

では、糠平湖の奥にあるタウシュベツへ向かう。
あそこに個人で行くには、上士幌町にある十勝西部森林管理署東大雪支署で林道のカギを借りないといけない。

支署には11時に到着。手続きを済ます。

まだ、お昼には早いが、この先、食事ができるところは限られているし、みんな朝食が早かったので、市街地で食べてしまうことにした。
開いていたのは、お食事処みかみ。

皆さんは豚丼を頼んだが、私だけ炒飯。

美味しい。この店は次々とお客さんが来るだけあって、本当に美味しかった。
でも量が多かったので、少しO君に食べてもらった。
食後、雨の中、糠平温泉街を抜けて、林道の入口へ。
ゲートに着いたのが12:20頃。

この時が一番雨が激しく、雨具を着ているから大丈夫と思っていたら、かなり濡れてしまった。
実はタウシュベツ橋梁には2か月前に来たばかり。
なので、勝手はよく分かっている。
ゲートから2kmほど走って、駐車スペースに車を停め、橋に向かって歩きだす。
この道そのものが、士幌線旧線の廃線跡だ。

初めて見た皆さんの印象は「意外に小さいね」というものだった。

2か月前の湖面ははるか遠くにあったが、この日は手前の橋脚が水に浸っていた。

今この瞬間も水位が上がりつつあるように見える。

下まで下りてみた。

やはり何度見ても美しい。

ここが最も劣化している箇所。

本来なら、この奥にウペペサンケ山(1848m)とかが見えるのかもしれないが、前回に続き今回も雨模様である。

地面もぬかるんでいるし、沢の水流も激しいので、渡渉は止めておいた。

サンダルの人もいたし。

今度はしっかり水に浸かって、眼鏡橋状態になっている時にも来てみたい。

橋の上には登ってはいけません。

でも、ここからは橋の構造がよく分かる。

コンクリート部分の劣化状態もよく観察できた。

20分ほどで見学終了。

糠平湖よ、また来ますね。

クマには会わずに済みました。

宿のある糠平湖畔をまた通過して、上士幌町市街地にある森林管理署まで鍵を返しにいく。
これが、かなり面倒だった。
でもついでに、街中にあるAコープ上士幌ルピナで縦走用の食料を調達した。

(つづく)
【2019年8月27日(火)】旭岳
旭岳周回登山及びお仕事を終え、14時前に旭岳温泉に下りてきた。
入る温泉はお値段の関係で、YH大雪山白樺荘と決めてある。

湯元勇駒荘が老舗だが、前回入ったことがあるので。
フロントで500円を支払い、早速お風呂へ。

内湯は後回しにして、まずは露天風呂。
浴槽の周りには大きなフキが繁茂していて、いかにもワイルド。

2日ぶりのお風呂は気持ちがいい。

泉質はカルシウム・マグネシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物温泉(中性低張性高温泉)。
旧泉質名で言うと、含食塩・正苦味-石膏泉で、毎分130リットル自然湧出している。
源泉の温度は45.6℃で、ph値は弱酸性の6.0。

いい湯であった。
14:30過ぎに出発。
途中にあったガマ岩で、会社からの連絡などをスマホで確認。

この先は、あちこちで写真を撮りながら、旭川に向かった。

ここは旭岳温泉と天人峡温泉との分岐。

ドライブインまんてんは廃業していた。

忠別湖畔の望郷広場に立ち寄る。

ここは旭岳の絶好の展望台だ。

園内には、いろいろな石碑などが集められていた。
これは開拓記念碑。

慰霊碑。

望郷記念碑。

野花南地蔵尊。

野花南地区地鎮。

そして忠別湖。

さらに進むと、エオルシトンネル手前の展望スポットに至る。

ここからは忠別ダムが見えた。

そして再び旭岳。

ここからダムの堤頂広場まで行けるようだったが、今回はパス。

見えているから、いいのだ。

「エオルシ」とは、アイヌ語で「頭が水についているもの」という意味らしい。

忠別川に沿った左岸の山並みのうち、忠別川に突き出ているこの付近が、まさに先端が水に接している状況を示しているという。
現在は「江卸(えおろし)」という地名になっているが、トンネル名はあえてアイヌ語を復活させたのだそうだ。

まだ時間に余裕があるので、東川町の文化交流施設「せんとぴゅあ」にも寄ってみた。

なにか写真展らしきものが野外で開かれていた。

向かいには、居酒屋大将。おそらく昭和40年代の建築だ。

施設内はかなり、あかぬけた雰囲気だ。

お目当ては、小泉秀雄の大雪山アーカイブス。

多くの資料が収集されている。

谷文兆が描いた羊蹄山。

昭和9年(1934年)に札幌鉄道局が発行した観光パンフレット「大雪山国立公園」(右)。

大雪山の魅力を伝える昭和7年の北海タイムスの記事。

小泉が描いた動植物。

小泉の著作「大雪山登山法及登案内」。登山ガイドだが、内容はかなり専門的なのだとか。

小泉の論文を収録した研究誌「山岳」。小泉が命名した山名などが紹介されている。

「大雪火山彙概論」。小泉が旧制旭川中学の教諭だった頃の著作。

ひと通り見学した後、野外へ。

こちらはそんなに熱心には見なかった。

中川一郎が農林水産大臣を務めていた頃に揮毫した「開拓の心」の碑が敷地の端っこに。

さあ、最後にもう一か所、寄り道。
高校の後輩の奥様が旭山動物園前で開いている旭山コナール。

ソフトクリーム(400円)を買って、屋上へ。
とても気持ちのいいテラスで、しばらくのんびりしていたくなった。

でも、札幌に帰って、仕事の仕上げをしなくては。
旭川駅前のレンタカー屋に車を返して、駅に着いたのが16時半すぎ。

次の列車は17:00。

しばらく時間があるので、どうしようと思ったら、列車はもう入線していて乗ることができた。

これはラッキー。
早速、車内でパソコン作業(仕事)に着手。
発車する頃には終えてしまったので、今回撮影した1000枚近くに及ぶ写真の整理を始めたが、眠くなって、あっという間に寝てしまった。
札幌には定刻通り18:25に到着。
会社に寄って、仕事を完成させ、荷物が多いのでタクシーで帰宅した。
21時には帰宅。翌朝からの東大雪縦走の準備をして、目標の22時には就寝できた。
【行程】2019年8月27日
裏旭キャンプ指定地(6:19)~2120m地点(6:30着替え6:32)~旭岳(7:01撮影7:25)~八合目(7:48)~旭岳石室(8:27)~姿見駅(8:41)
※所要時間:2時間22分(歩行時間1時間56分)コースタイム:2時間55分
※登った山:1座(新規なし)
※歩行距離:3.7km
※累積標高差:約230m
【2019年8月27日(火)】旭岳
旭岳(2291m)から下山して、旭岳温泉にある旭岳ビジターセンターを見学している。

大雪山に生息する動物たち。




「大雪山の父」と呼ばれる小泉秀雄と、「大雪山調査会」の設立者荒井初一。
いすれも、大雪山の山の名前として刻まれている。

大雪山で雪の結晶を研究した中谷宇吉郎とその弟子、吉田六郎。

すぐれた紀行文学を残した大町桂月と、大雪山を舞台とした「牙王物語」で知られる戸川幸夫。

昨日歩いた姿見駅から中岳温泉を経由して間宮岳までの状況を説明した掲示もあった。

ここにも、協力金の募金箱が設置されていた。

大雪山に咲く高山植物の一覧イラストもあったので、後学のために撮っておいた。

見学終了後、干しておいたフライを片付ける。
30分ほどで、ほとんど乾いていた。
この後は温泉に行く時間が浮いてしまったので、旭岳温泉界隈を車で探索することにした。

まずは、ビジターセンターの隣にあるホテル・ベアモンテ。

かなり立派なホテルである。


駐車場に三笠宮百合子妃殿下の歌碑があった。

昭和39年(1964年)7月29日に大雪山に登った時に詠んだものらしい。

その先に、アート・ビレッジ杜季(とき)なる施設があった。

道路を右折して記念橋を渡ると

そこは勇駒別高山植物園だった。

今はハイマツだけしか見えないが、初夏にはいろいろと咲き乱れるのだろう。


園内は結構広い。

この高山植物園に隣接して杜季の建物が建っていた。

また道路に出て、少し下ると、今度は大雪山山荘の看板。

これのようである。

収容10人の小さな宿泊施設である。

玄関先に小さな池があった。

この山荘の奥に、六稜山荘なるロッジ風の木造建築があった。

北海道教育大学の自然教育研究施設である。

こちらもなかなか瀟洒な建物であった。

東川町のマンホール。中心のモチーフはナキウサギだろうか。

大雪山白樺荘はユースホステルである。

これまた立派だ。入浴はここにしよう。後でまた来ます。

向かいに白雲荘。ここも宿泊施設だったらしいが、今は営業していないように見える。

白雲荘の裏に巨大な保安林の看板。

脇道を左に下ると、東川町旭岳青少年野営場。

別に青少年でないと泊まれないわけではない。

管理棟があるので、あまりうろちょろしなかった。

管理棟の前に周辺の案内図があった。廃業した宿も散見された。

こちらも山小屋風の宿である。

ロッジヌタプカウシペという。

「ヌタプカウシペ」とは前回記した通り大雪山のアイヌ語呼称である。

その向かいに、リゾートホテルのラビスタ大雪山。

旭岳温泉では、ベアモンテと双璧を成す宿だ。

いつか泊まることはあるのだろうか。

湯元勇駒荘は以前、入浴に来たことがある。

ここはグランドホテル大雪改め、ゲストハウスの「ケイズハウス北海道」。

車は2台停まっていたが、営業しているのだろうか。

少なくとも、この離れは使用されていなそうだ。

この宿の奥に、ホテルディアバレーがある。

それほど大きくないが、ちょっとおしゃれな感じ。

これで探索終了。まだ早いがお昼を食べることにして、ロープウェイの山麓駅に戻る。

先に、もう一度往復券を買っておこう。

いくつか顔ハメがあったが、四角いので利用はしなかった。

山麓駅舎内にあるレストランで、東川町産野菜たっぷりカレーを注文。

野菜もたっぷりだったが、ライスもたっぷりで少しだけ残してしまった。
でも、とても美味しかった。
レストランの窓からは運行中のロープウェイが鑑賞できた。

姿見駅11:30発の便が到着したところ。

これに乗っていくと、ちょっと早すぎる。

食後、FBなどをして時間をつぶし、12時ちょうどの便で上に登った。

待ち合わせは12時半だが、先方が先に着いていれば、仕事も早く始められる。

いつの間にか天気は回復し、十勝岳方面がよく見えていた。

ただ、旭岳はまだ若干雲がかかっている。

トムラウシ山(2141m)が姿を現していたのには驚いた。あんなに厚い雲海だったのに。

姿見駅に着くと、どこかの幼稚園の子供たちが記念撮影をしていた。

きゃわいい。
駅のテラスで待っていたら、見覚えのある方が通りかかったので、手を挙げて私の存在をアピールしたが、先方は私の姿に気づいたのに、どこかへ行ってしまった。

「あれ、あの人じゃなかったっけ」と思い、再び座って、待つ。

12時半を過ぎても現れない。

暇つぶしに、旭岳の姿を写して遊んでいた。

第3展望台。

地獄谷の左の稜線。

だいぶ雲が取れてきた。

数分後、携帯が鳴って、「どこにいますか?」と問い合わせ。
「テラスにいますよ~」と答えると、現れたのはさっきの人だった。
彼は、私の顔を全く覚えていなかったようだ。
それはともかく、改めてご挨拶をして仕事開始。

仕事の内容は省略するが、仕事で撮影した写真を数枚使用しよう。


1時間ほどで仕事は終了。
まだ残るという彼を残して、出発。

帰りは散策コースのうち、歩いたことのない道を行くことにした。

足元にミヤマリンドウが咲いていた。

夫婦池。

十勝岳連峰。

姿見平。

右手は当麻岳(2076m)。

鏡池。


すり鉢池。


すり鉢池と当麻岳。

この先が、やっと歩いたことのない道である。

水が溜まりやすいのか、板も敷いてあった。

姿見の池と姿見駅を結ぶ最短路と合流。

姿見駅には13:44に到着。13:45の便に駆け込んだ。

(つづく)
【2019年8月27日(火)】旭岳
旭岳(2291m)から下山中。

晴れているのだが、ガスも動いている、はっきりしない天気だ。

頂上も晴れたり、ガスったりなのかもしれない。

頂上から20分ちょっとで八合目を通過。

この後、七合目、六合目の標識は見つけられなかった。

周辺の裾野には名称がいくつかあって、山頂の真南は裾平、姿見の池の南側は旭平という。

どこからどこまでが裾平なのか、はっきりとは誰も分からないだろう。
ジグザクに付けられた道をリズムよく下っていく。

地獄谷の向こうに見えているのは姿見平。

奥に見えている沼は、沼の平の大沼・小沼だろうか。

この小さい池には名前はないようだ。

振り返ると、とうとう頂上方面は真っ白になってしまった。

噴気孔を真上から。

どんどん登山者が登ってくる。

あの集団こそ、始発で来た方々に違いない。

始発は6:30だから、ちょうど計算も合う。

きっと、晴れてくれ~と祈りながら登っていることだろう。

このあたりは七合目なのだろうか、休憩している人が多い。

私は休まず、さくさく下る。

どうも、これらは大沼・小沼ではなく、もっと手前の無名の沼のようだ。

対岸の稜線も登れそうだが、もちろん立入禁止だし、途中で岩に阻まれてしまうだろう。

重装備の方々もやってくる。表情はにこやかだ。

でも、実は晴れたのはこの日だけで、翌日(水曜日)から土曜日までずっと曇りか雨だった。

厳しいテン泊縦走となったことだろう。

頂上はガスで見えていないが、午後にはわりときれいに雲が取れてくれるのである。

かなり下って、完全に雲の下まで来たようだ。

眼下の旭平に小さな沼を発見。

旭平の小さな突起。

あれ~頂上は完全にガスに包まれてしまった。

一方、姿見の池が見えてきた。

でも、気をゆるめてはいけない。

依然として、足元は良くないので。

旭岳石室は三角屋根が美しい。

この「P-6」とあるのが六合目の印なのだろうか。標高は1825m。

おお、姿見駅もだいぶ間近に見える。

ということは噴気孔も至近距離。


ただ、ここの噴気はあまり臭いがしない。

十勝岳はかなりの臭気を放っているのだが。

一瞬だけ見えた頂上。

だいぶ、傾斜も緩やかになってきた。

かつての噴気孔に硫黄の山ができていた。

右手に裾合平がよく見える。

すれ違ったおばさんに「もう登ってきたんですか?」と聞かれたので、「裏旭からですから」と答えたら、「意味わかんないけど、頂上には行ったんですね」と念を押された。

ごく普通の登山者は、旭岳の奥のことなどよく知らないらしい。

姿見からこんなに早く往復してきたのかと勘違いされたくなかったが故の発言だったが、この後は、「もう登ったんですか」と聞かれても、面倒なので「はい」と答えることにした。

うそじゃないわけだし。

もう旭岳石室もすぐそこだ。

この木道めいたものは休憩ベンチのつもりだろうか。

休みたい人は姿見の池で休んだばかりだろうから、違うのかな。

今日も、噴気が激しい。

登山者は相変わらず外国人が多い。

ここに並んでいるのは、やはりベンチなのかしら。

それともロープが設置される前に結界のつもりだったとか。

まあ、座りたい人は座ればいいだけだ。

やっと、姿見の池まで下りてきた。

このあたりも少しガスが流れている。

この空き地は残雪期には池になるのかな。

頂上から1時間、コースタイムの半分で石室まで下ってきた。

「山と高原地図」のコースタイム設定は甘すぎると思っていたが、それは全域がそうなわけではなく、十勝岳周辺は厳しいくらいのコースタイム設定だった。

どうもムラがありすぎる。

今日は姿見の池に、旭岳の姿は映っていない。

山頂はすっかり雲に隠れてしまい、噴気と混然一体となっていた。

あとは姿見駅まで、残すところ700m。

さくさく進む。

振り返ると、旭岳全然だめじゃないか。

これじゃあ、今登っている人はかわいそうだ。

自分の幸運をかみしめる。

軽く渡渉。

昨日の雨で、ちょっと増水したのだろう。

右から散策路が合流。

そういえば、この道は歩いたことがあるので、今合流してきた別の道を歩けばよかった。

そうすれば、地形図に少しでも新たな線が引けたのに。

おや、もうゴンドラが到着している。

時計を見ると、時刻は8:40。

急げば、8:45の便に間に合いそうだ。

いやいやお疲れ様でした。
頂上から1時間15分。今日の山行は2時間半かからずに終わってしまった。

トイレに寄っても間に合ったので、8:45の便に乗車。

振り返ると、空はすっかり曇っていた。

安足間岳にも頂上付近は雲がかかっていた。

10分かからずに、山麓駅に到着。


とりあえず荷物を置きに、駐車場に停めてあるレンタカーに向かう。

ロープウェイで移動中に調べて判明したのだが、こんな朝早くからやっている温泉はない。
温泉に入って、きれいな体になって、早めの昼飯を食い、もう一度、ロープウェイで姿見に登って、仕事に取り掛かるつもりだったのだが、どうするか。
とにかく、時間はたっぷりあるので、濡れたものを干すことにした。
テント自体は、家に帰ってから、もう一度張って干すことにして、フライを車の屋根にかぶせた。
晴れているので、アッという間に乾くだろう。
スパッツや手袋はダッシュボードの上に置いて、時間つぶしのためビジターセンターへ。
じっくり、個室に入って、溜まったものを出し、ゆっくり見学もさせていただいた。

(つづく)
【2019年8月27日(火)】旭岳
裏旭キャンプ指定地から40分ほどで、旭岳(2291m)の山頂に到着した。

時刻はちょうど7時。

本日の一番乗りであり、しかも独り占めである。

姿見の方角には雲が多いが、爆裂火口のへりは見えている。

火口の中には虹が出ていた。

姿見からの登山道の稜線の向こうは、まだ真っ白だった。

そのさらに向こうは上川盆地。


町がまとまって見えるのは東川町の中心部だろうか。

振り返ると、出来立てほやほや湯気が立っているような白雲岳(2230m)。

方向指示盤が崩壊しかけている。

旭岳の山頂には一等三角点が設置されている。

1900年(明治33年)に選点されたもので、点名は「ぬったく」という。

ふと思い出して地形図を見てみると、「大雪山」の表記の下に別名として、「ヌタプカウシペ」と書かれている。
「ヌタプ・カ・ウシ・ペ」とは、アイヌ語で「台形状の地形の上にいつもいらっしゃるもの」という意味らしい。台形の地形とは、広大な大雪山の山岳地帯のことを指しているのだろう。
ちなみに、旭岳の名称が「旭岳」に統一されたのは明治末期のことだが、それ以前は「イシカリ岳」「チュックベツ岳」「東オプタテシケ山」「ヌタクカムウシュペ山」など、様々な呼ばれ方をしていた。
「旭岳」という名称は、旭川市(アイヌ語で「チュペツ」)の東にあることに由来する。
提案者は、大雪山の山々の多くを命名した植物学者の小泉秀雄である。
どんどん展望が開けてくるので、一眼レフカメラにご登場いただくことにした。
こちらは真北の方角。安足間岳(左、2200m)と比布岳(右、2197m)。

安足間岳を望遠で。左の小さな突起は永山岳(1978m)だろうか。

比布岳。この後ろに愛別岳(2113m)が隠れている。

北東の方角に、熊ヶ岳(手前、2210m)と北鎮岳(奥、2244m)。

見事な円錐形を描く北鎮岳は北海道第2の高峰だ。

熊ヶ岳もかなり格好いい山である。

安足間から熊ヶ岳への全景。

東に、白い雲をまとう白雲岳(2230m)。

その左に、なだらかな山容の小泉岳(2158m)。

しばらくすると、安足間岳との間にある裾合平も見えてきた。

中岳温泉の少し下流あたりである。

そのさらに下流の湿原地帯。昨日、ガスの中歩いたところだ。

お鉢平を取り巻く山々も稜線がかろうじて見えてきた。

一部特徴的なラインをアップにしてみたが、どこだか分からない。

裾野が少し現れて、ヒントも増えたので、やっと分かった。奥は東岳(2067m)だ。

火口にも目を向けてみよう。

火山灰の地層の様子から、何度も噴火を繰り返していることが分かる。

下の方では、もくもくと噴気が上がっている。
旭岳の水蒸気爆発は最新で約250年前というから、まだ現役バリバリなのだ。

いやあ、本当にすごいね。


おや、早くも登山者の姿が。6:30のロープウェイ始発で来たのだとしたら速すぎる。

忠別湖が真っ青な水をたたえていた。

南の方角、トムラウシ山(2141m)方面は完全な雲海。

見下ろすと金庫岩が朝日を浴びていた。

ニセ金庫岩たち。

最後に旭川市街を納めて、一眼レフ劇場は終了。

コンパクトカメラにバトンタッチする。
一番レフをしまってから姿を現した鋸岳(2142m)。

下山する前にスマホを使って、広角で。もうお馴染みになった後旭岳と白雲岳。

比布から北鎮。雲の流れが早く、刻々と表情が変わっていく。

記念撮影もしておかないと。

気温はおそらく10℃以下、風は7~8mくらいな感じだったが、ダウンを着ていれば、寒くて耐えられないということはなかった。
さっき発見した登山者が到着。

山頂付近にまたガスが立ち込めてきたので、それを潮に出発。

結局、頂上には撮影だけで30分近く滞在したことになる。

昨日の天気が悪かっただけに至福のひとときであった。
下り始めると、金庫岩がスフィンクスの横顔のような姿を見せてくれた。

すこし角度が変わると、杖をついて歩くおばさんにようにも見える。

この後、山は再びガスに包まれてしまうのだろうか。

このケルンのあたりで、カップルとすれ違った。

「(ロープウェイの)始発で来たんですか?」と聞いたら、下から登ってきたという。
それはすごい。
「頂上は晴れてましたよ~」と言って、励ました。
しかし、この瞬間、山頂は薄いガスの中だった。

ニセ金庫岩前を通過。

トレランのお兄さんも果敢に駆け上っていった。

左手の裾野は裾平。

無数の沢が高原を爪跡のようにひっかいている。

ミニ金庫岩(仮名)。

下りのコースタイムは姿見駅まで2時間ほどだが、そんなにかからないだろう。

路面は赤い溶岩と黒い溶岩。まるで富士山のよう。

赤土と緑の対照が鮮やかだ。

頂上から15分で九合目を通過。

どうやら、しばらくはガスと青空のせめぎ合いのようである。

やはり、火山灰は浸食されやすいのだ。

雨がやりたい放題に流れている印象だ。
黒い溶岩と赤い土。


これらも旭岳の歴史を示しているのだろう。

この赤土は滑りやすいので要注意だ。

浮石も多い。

一応、今回は1本ストックを持っているが、過信しないようにしよう。

道は小刻みなジグザグで下っていくが、下の方がガスが濃い。

もう日が昇ってしばらく経つのに、なかなか、すっきりと消えてくれないものである。

1回下ったことのある道だが、記憶より長い気がする。

記憶とはそんなものかもしれない。

頂上の方向を振り返ると、やはりガスの中。

私はかなり運がよかったのかもしれない。

実は、この1週間で5日間、山にいたが、晴れたのはあの瞬間だけだったのだ。

それにしても、前回この道で大量に写真を撮ってあるのに、今回も懲りずに撮ってしまう。

こんなに撮ってもブログを書くときに困ってしまうだけなのだが。
わかっちゃいるのに止められない。

(つづく)
【2019年8月26日(月)】旭岳
裏旭キャンプ指定地にテントを張って、夕食を済ませた。
と言っても、時間はまだ17時を回ったばかり。
雨も止んでいたので、お隣のテントにいた外人さんの真似をして、水場らしき場所まで行ってみた。

テン場から200mほど涸れ沢を遡った位置に、確かに小さな流れがあった。

でも、そのすぐ下で伏流していた。

この上にはさっき見えた雪渓があるはずだ。

なるほど、あの雪渓はおそらく雪が降るまで細々と残るだろうから、きっと水場は通年あるということなのだろう。
テン場に戻ってくると、外人さんは外で作業をしていたので、ろくに英語もできないが話しかけてみた。
彼はオーストラリアから来て、2週間ほど日本を旅行しているそうだ。
沖縄と北海道が主な訪問地で、札幌ではサッポロファクトリーに行ってきた。
今回はトムラウシまで2泊3日で縦走するつもりで、今日は白雲岳のキャンプ指定地に泊まる予定だったが、あいにくの天気なので、ここに泊まることにしたという。
ほかにもあれこれしゃべったが、だんだん寒くなってきたので、「See You,tomorrow」と言って、テントに戻った。
もう飯も食べてしまって、することがないので、明るいうちにと思って、久しぶりに行動記録をメモ帳に書いておくことにした。
シュラフに入り、うつぶせになって書き始めたが、30分で疲れてしまい、打ち切り。
時刻は18時。
トイレに行きたくなってきたが、面倒なのでもう外には出たくない。
空いたペットボトルを尿瓶代わりに利用することにした。
飲み口が細いので当然、差し込むわけにはいかない。
こぼした場合の用心に、レジ袋の中にペットボトルを入れて、用を足した。
うまくいった。
翌朝まで、これを都合3回やって、400ccほど溜まった。
これは翌朝、その辺に撒いたりせず、ちゃんとロープウェイの駅まで持っていって、トイレで流した。
排出作業も終えて、寝る態勢になったが、まだ18時なので当然眠れない。
電波も通じないので、FB遊びをすることもできない。
仕方ないので、「山と高原地図」の電子版をしばらく眺めていた。
20時くらいには一旦、眠りに落ちてしまったようで、21:45に寒くて目が覚めた。
ももが冷えて温まらないのである。
気温が低すぎて、夏用のシュラフでは保温が間に合わないようだ。
シュラフカバーもしているのに。
昼間に着ていた長袖シャツをももに巻いてみたが、それでも寒く、2時にまた目が覚めた。
耐えられないので、雨具の下を着込んだが、それでも寒かった。
東大雪縦走のときは、さすがに冬用シュラフを持っていくわけにはいなかいので、冬用ズボンを持っていくことに決意した。
夜中は雨が降ったり、止んだり。
風も時折吹いていたが、それほど強くはなかった。
【行程】2019年8月26日
姿見駅(10:21)~鏡池(10:30)~1620m地点(10:35着替え10:38)~展望台(11:11)~1730m地点(11:23着替え11:25)~裾合平(11:46)~中岳温泉(12:36足湯・昼食13:00)~中岳分岐(13:47)~間宮岳分岐(14:17休憩14:22)~裏旭キャンプ指定地(14:51)
※所要時間:4時間30分(歩行時間:3時間55分)コースタイム:6時間
※登った山:1座(新規なし)
※歩行距離:8.3km
※累積標高差:
【2019年8月27日(火)】旭岳
その次は4時に目が覚めたので、まだ暗いが起きてしまうことにした。
すぐに食事の準備。献立は、カップ麺。天ぷらそばである。

またまた、お湯をテント内で沸かし、4:20には食べ終わってしまった。

だんだん明るくなってきたので、ヘッ電を消して、荷物の整理。
だいたい片付いたところで、またメモ書きを始めた。
5時過ぎにちょっと外に出てみた。

ガスが消えそうな雰囲気だ。

しかし、この後すぐまた深い霧に覆われてしまい、「今日もダメか」と諦め、テントの中へ。
早く出発しても仕方がないので、うだうだしていたが、5時半頃に撤収の作業開始。
濡れたテントのフライはタオルでささっと拭いて、袋に押し込む。
6時すぎに撤収完了。

外人さんにも挨拶して、6:20に出発。
依然として、濃いガスが立ち込めている。

間もなく、昨日水場を確認した涸れ沢を渡る。

旭岳の裏斜面は完全な不毛の地である。

と思ったら、植物が生えているところもあった。

涸れ沢の支流を登っていく。

かなりの急勾配である。

一昨年来た時には晴れていたから、諦めはつくが、しかしこのガスは残念だ。

例の雪渓が近づいてきた。

10分ほど歩いて、暑くなってきたので、ダウンを脱ぐ。

ここで標高約2120m。キャンプ指定地から50mほど登ってきたことになる。

2分で出発。

頂上方面のガスがなんとなく薄くなってきたぞ。

おやおや、青空も。

白いペンキに沿って進むと

なんと影ができるまでに。

期待していいのかしら。

俄然、テンションが上がってきた。

ガスが晴れると、荒涼とした風景が広がった。

裏旭の登山道のことを、勝手に「大雪山3大急登」と呼んでいる。

ザレているので、とても登りづらい。

下りは滑るので、ひと苦労だ。
おお、後旭岳(2216m)との鞍部が見えてきた。

しかも、頂上のガスは完全になくなった。

サイコロ石(仮名)を通過。

どうやら、雲の上に出たようだ。

ガスをまとった後旭も姿を現しそう。

このあたりは登山道が不明瞭なので、ロープでルートを示している。

雪渓より随分高いところまで登ってきた。

上から見ると、雪解け水が流れ出しているのが、よく分かる。
後旭岳の頂上が姿を現した。

その左奥に浮かぶ黒い影は白雲岳(2130m)ではないか!

実に神秘的だ。

裾野の方も見えてきた。

地面から水蒸気が上がっている。

天候は完全に回復傾向にあると言っていいだろう。

しかし、トムラウシ方面はまだ厚い雲海に沈んでいる。

生々しい割れた溶岩。旭岳は非常に若い火山なのだ。

後旭岳の全容。

東の雲はまだ取れていない。

対して、西側の空。

おや、東側も稜線が見えてきたぞ。

これは熊ヶ岳(2210m)ではないだろうか。

最初から全容をさらしているより、こうして少しずつ見えてくると、喜びも大きい。

さて、いよいよ旭岳の頂上が近づいてきた。

このあたりは表土に植物が張り付いている。

振り返ると、白雲岳がすっかり全裸となり、左奥には平坦な小泉岳(2158m)も現れた。

熊ヶ岳の向こうの山の形をした雲は、まさにそのまま山を隠しているのか。

おお、その左に現れたのは安足間岳(左、2200m)と比布岳(右、2197m)だろう。

こんなうれしいことになるとは思ってもみなかった。
(つづく)
【2019年8月26日(月)】旭岳
姿見駅から中岳温泉を経由して、間宮岳分岐まで来ている。

時刻は14:20を回ったところ。
あとは下るだけなので、この分だと、15時頃には裏旭キャンプ指定地に着きそうだ。
この調子なら、旭岳(2291m)を越えて下っても、最終のロープウェイ(17:30)に間に合いそうだが、宿も取っていないし、そもそもテン泊が目的なので、その選択肢はない。
分岐を右折し、旭岳方面に向かう。

相変わらずのガスだが、しばらくは平らな道。

古い道標らしきものがあったが、全く読めず。

土の色が一変。真っ赤になった。

一応、登山道には縁石を設けてくれている。

八村塁の頭ようなピーク。

道が下り始めた。

またまた読めない看板。

赤土の道を下っていく。

濃霧なので道を見失わないように。

縁石がしっかりしているので大丈夫ではあるが。

このあたりは完全な不毛地帯である。

涸れ池。

晴れていたら、さぞかし雄大な眺めであろう。

ちょっとした登り返し。

めずらしく植物が1株。

正面にうっすらとピークが見えてきた。

熊ヶ岳(2210m)だろうか。

あの山に登山道がないはずだが、ブッシュも岩稜もなければ、行けてしまう。

地面には赤い石の中に白い石が散在している。


あれが熊ヶ岳のピークだったら行ってみよう。

と思って、地形図を確認したら、熊ヶ岳の頂上はもっと奥だった。
でも時間はあるし、寄り道しようかとも思ったが、濃霧で危ないので今回は止めておいた。
素直に道を下っていく。

あとは本当に下る一方だ。

これは振り返り。

道は急で、かなりザレている。

滑らないように注意する。

浮石はとくに危ない。

地面は真っ赤っか。

このあたりの大きな岩はみな、火山弾なのだろうか。


こんなのが飛び散る噴火を見てみたい。もちろん遠くから。

なんとなく、山のシルエットが見えてきた。

方角的には後旭岳(2216m)だろうか。

うん、まさしくそうだ。

すると、あの雪渓は旭岳の裏斜面だ。

だいぶ下りてきた。

少しガスが薄くなったのかな。

左手、白雲岳(2230m)方面もガスが上がってきた。

しかし、肝心の裏旭がガスの中。

ガスの通り道になっているようだ。

なんとなくモンゴルの風景を思わせる。

熊ヶ岳と旭岳の鞍部にあたる道。

その鞍部に下りてきた。

さっきの雪渓もわりとよく見えるようになった。

一昨年8月上旬に来たときと比べるとかなり小さい。

後旭岳にはその時に登った。

熊ヶ岳方面を振り返る。

依然として、ガスは晴れない。

午後から晴れるというヤマテンの予報はめずらしく外れてしまった。

テン場は登山道から右に入って間もなくのところにある。
結局、15時前に着いてしまった。
コースタイムより1時間半ほど速く、4時間40分しかかからなかった。

テントは1張り。目下、もう2張りが設営中だった。

一番奥まで行って、沢を覗いてみたら、水が流れていない。

ここは水場があるのではなかったのか。
この季節になると涸れるのか。そんな記述は「山と高原地図」にはなかったが。
ちょっと、びっくりしたが、炊事用の水が一応用意してきてあるので、とくに支障はない。
テン場はいくつか防風のための石垣が組んであり、この場所を利用させてもらうことにした。

ひどいガスだが、雨が降っていないだけマシである。

早速、設営開始。

実は、単独行で山の中でテン泊するのは初めてだ。

でも、手順は簡単だし、先日、自宅で練習もしてきたので、全く問題なし。

10分かからずに完了した。

それにしても、ガスが濃い。

まだ、夕食には早いが、他の登山者もテントの中に入っているし、私もしばらく中にこもることにした。

まずは濡れた服を脱いで、体を濡れティッシュで拭き、乾いた下着に着替える。
靴下も脱いでリラックス。

意外にテントの天井が低く、作業がちょっと窮屈だった。

落ち着いたところで、待ちに待ったビール。

大雪山で沖縄のビールを飲むなんて、なかなか乙なものだ。
気温が低いので、しばらく外に置いておいたら、あっという間に適温まで冷えていてくれた。
水場で冷やすつもりだったが、その必要はなかった。

ピーナツをつまみに、持ってきたラジオを聞きながら、ちびちびと飲む。
飲み終わって、外を覗くと、ガスが少し晴れていた。

他の登山者の方も外で山を眺めていた。

しかし、旭岳の頂上は依然として見えない。

これではやはり野外活動はできない。
まだ早いが、夕食の準備に取り掛かった。と言っても湯を沸かすだけである。
外は寒いので、テントを焦がさないよう注意しながら、ガスストーブを点火した。
メニューはカップめしの豚キムチチゲ・ウマーメシ。

外付けの辛いスパイスもあったが、液体なので、ゴミの処理が面倒だと思い使わなかった。
本体だけで十分辛かった。
お湯を入れて5分待つと、おじやのようになる。

分かっていることだが、アルファ米のように、しっかりした御飯にはならない。
しかし、これがまた美味しいのだ。
カップの場合は、麺よりこっちの方が好きだ。
もっと、いろんな種類を出してほしい。
でも、今は実験段階だろうから、あまり売れ行きがよくなければ販売中止になっちゃうかも。
食べ終わって、また外を見たら、外人さんがテントから出たり入ったりしている。
外で炊事を始めようとしているようだ。
コッフェルを持って、沢の上流の方に出かけたので、水を汲みにいったらしい。
上には水場があるのか。
私も頃合いを見計らって、行ってみることにした。

ちょうど、彼が返って来る頃に出発。
すれ違いざま、「明日は晴れるといいですね」と日本語で話しかけたら、英語で「すいません、日本語だめなんです」と答えが返ってきた。
(つづく)
【2019年8月26日(月)】旭岳
中岳温泉を過ぎて、中岳分岐を目指している。

イワウメかな。

はるか西の方角に沼が見えたが、名前のない沼のようだ。

左後方に小塚(1877m)が見える。

この日の山行では、ちゃんとピークが拝める数少ない山だった。
右手の谷には有茎尖頭器(矢じり)のような形の雪渓が残っている。

その上部、熊ヶ岳(2210m)はガスの中だ。

古い崩落の跡。

登山道はなだらかに続いているが、その先はガスに吸い込まれていた。

スギゴケ?

上に生えているのはハイマツ。

まるで盆栽のようだ。

このあたりは登山道の土砂の流出が激しく、植物の根がむき出しになっている。

そこからキノコが生えていた。

中岳温泉の谷の最上流部。

さらに遡ると涸れ沢である。

あの溶岩壁の連続がすごい。

右前方の北鎮岳(2244m)は全く姿を現してくれない。

土砂が流れて、幅が広くなった登山道。

周りが削られ、舌状に残った高山植物の半島。


断面はこのようになっている。


このあたりも養生、補修をしないとどんどん高山植物は失われていくだろう。


改めて、中岳温泉の谷を振り返る。


広大な裾合平。

さらに歩を進めると、金網で補修している箇所があった。

8月下旬でも、雪渓はそれなりに残っている。


左手は北鎮岳、鋸岳(2142m)の谷。

ウラシマツツジが色づき始めている。

変わった溶岩を発見。

孤高のハイマツ。

小さな陥没。

謎のもこもこ。

うわ、行く手は真っ白だ。

これはウラシマツツジではない。

雨に濡れて萎れているが、イワツメクサだろうか。

小宇宙。

ガスっていると、足元への注目度が高くなる。

こちらも力がないが、イワギキョウ。

シラス(笑)

これも海藻のようだ。

二つの苔のセット。

道は左にカーブした。

さっきのシラスが雪のように地面を覆っている。

ゆで卵ではなくキノコ。

あそこが中岳分岐かな。

いや、もう少し先だった。

13:45過ぎに、中岳分岐に到着。

中岳温泉から約45分。コースタイムより15分速かった。

これなら、裏旭のキャンプ指定地には予定より随分早く着けそうだ。
しかし、お鉢平はガスで全く見えない。
休憩はせず、右折して間宮岳(2185m)を目指す。

中岳分岐から間宮岳への道は、今までにも増して、土砂の流出が激しい。

随所で土留めの工事がなされている。

この道は旭岳から黒岳への縦走ルート、言わば大雪山の表銀座に当たるので登山者も多いのだろう。

加えて、大雪山は総じて火山灰質なので、雨水に浸食されやすい。

凍上現象なども加わって、このような有り様になるのだろう。

石垣で補強しようとしている箇所もあるが、末端はすでに崩れていた。

このあたりは環境省の管轄のようで、補修が必要な最重要地点と認識しているように思えた。

大雪山という大自然の中であまり見たくない光景ではあるが、これ以上の荒廃を食い止めるためにはやむを得ないのだろう。

土砂の流出は登山道以外でも進んでいた。

最も有効なのは植物を再生させることだろうが、これでは手の施しようがない。

まずは登山道の土砂流出を軽減することが先決だろう。

そもそも、植物が生えにくい土壌みたいだし。

旭岳周辺はまだ若い火山なので、お世話が大変だ。

こういう斑状になっているところは、人が歩かなくても、土がえぐれていくのだろう。

こんなに粒が粗かったら、なかなか植物は根付かない。

せめて、ロープの外側は歩かないようにしないと。

三角岩と四角岩。

登山道以外にも土嚢で砂防ダムを設けてあった。

う~ん、やはりひどいね。

火山の宿命なのだろうか。

この倒れた看板は見覚えがある。3年前も、ここにあった。

それにしても、ガスが濃い。

ただ、だいぶ斜度がゆるんできた。

平らになって、登山道が拡散してしまった。

平原状だと、さすがに土砂は流れないのだろう。

間もなく、ガスの中に忽然と標柱が現れた。

間宮岳の山頂だ。

平らすぎで、とてもここが山頂だとは思えないが。

相変わらず、何も見えないので、写真だけ撮って通過。

ちゃんと、縁石の中を歩く。

すると、間もなく、また何か見えてきた。

間宮岳分岐である。

中岳分岐からちょうど30分。この区間はなぜかコースタイム通りだった。

ここに単独の男性が一人いて、挨拶を交わしたら、すぐ白雲岳方向に向かっていった。
その後、もう一人旭岳方面から男性が来たが、同じく白雲岳方向へ。
2人を見送って、通信を試みようとしたら、なんとここは圏外だった。

ザックを下ろしてしまったので、チーズを食べて栄養補給。

寒かったが、5分ほど腰を下ろして休憩した。
(つづく)
【2019年8月26日(月)】旭岳
旭岳(2291m)に裾合平経由で登っている。

目下、中岳温泉の間近まで来ている。

溶岩が何だか生々しい。

右手の崖は崩落が激しい。

川底に硫黄分が付着している。これは温泉が近いぞ。

標高は1800mを超えた。

中岳温泉は北海道最高所にある温泉ということになるのだろうか。

おおお、青空ではないか。

でも、もう期待はしない。ただの気まぐれだろう。

ただ、入浴中だけは雨が降らないでほしい。

もう目の前のはずなのだが、なかなかたどり着かない。

岩に隠れて浴槽も見えてこない。

もう12時半近いし、お腹も空いてきた。

いつも不思議に思う、大雪山系の甌穴。

黄色と白の地衣類。

温泉成分のせいで、川は泡立ちやすいのだろうか。

岩がすっかり白くなっている。

だんだん、じれったくなってきた。

ほとんど40数年前の記憶はないのだが、温泉はこんな奥だっただろうか。

確か、四角い木の枠があって、隣にテントがひと張り張れるスペースがあった気がするのだが。

ピンクテープをくくり付ける枝がないので、石に巻き付けて置いてあった。

川底が真っ白だ。さすがにもうすぐなのだろう。

ふと上を見ると、登山道を下ってくる方々が見えた。

あの方々と「混浴」することになりそうだ。

うわ、すごい縞々。

この層状の地形も奇観である。

近くにある岩なのに、こちらは表情が全く違う。

不思議な現象を発見。
地面の色が三つに分かれている。

赤は鉄分だろう。

黄色は硫黄?

緑は何だろう。苔だろうか。

沢を見下ろす位置まで来た。

すぐ横を流れる沢は完全に真っ白である。

実に見事。一つだけ黒いままの石があるのも不思議だ。

わくわくする。


この水たまりにもお湯が湧いている。

さっき見えた登山者たちが下りてきた。

12時半過ぎに、やっと到着!

裾合平からの所要時間は50分。コースタイムより40分も速かった。
「山と高原地図」はやはり問題だ。実際と差がありすぎる。

それはともかく足湯だ。
湯は白濁しているが、意外に透明感もある。
裾をまくり上げて、靴と靴下を脱いで、早速浸してみた。

上は熱いが下は冷たい。
温泉は底からぷつぷつと湧いているが、比重の関係で熱いお湯は上に、流れ込む沢の冷たい水は下に行くのだろう。
ずっと足を付けておくと、熱くなりすぎるが、足でその辺をかき回せば適温になることが分かった。
ふと、まわりを見渡すとものすごいロケーションであることに改めて驚く。
大きな岩がゴロゴロしているし、上流はグランドキャニオンのような垂直な岩壁が控えている。
絶景を楽しみながら、足を浸したままランチとしゃれこむ。

ちょうど昼時なので、いいタイミングだった。

さっきの登山者(男女2人ずつの4人組)も次々に足を突っ込む。

リーダーらしき男性が「天候が不安定ですね~」と声をかけてきた。
「ほんとですね。でも、ここで止んでくれているのは助かりました」
彼らは昨夜、黒岳石室に泊まったらしい。
本当は独り占めして、くつろぎたかったのだが

せっかくなので写真を撮ってもらった。

彼らも、足湯をしながら、パンなどをかじっていた。
泉質などについては、ネットでざっと調べた限り、よく分からない。
所有者がいないので分析がされていないのかもしれない。
おにぎりを食べ終わったので、出発の準備。
皆さんに、「お先に」とご挨拶。

この奥にも実は岩に隠れたプライベート温泉があったそうだが、それは後で知ったことなので、確認できなかった。

出発は、ちょうど13時。30分ほど、休憩できた。

ここは峡谷としても素晴らしい地形だ。

歩き始めて、ズボンが下がっていることに気付き、道端で直したのだが、彼らには立ちションをしているようにしか見えなかったかもしれない。

違いますからね~

中岳峡谷の大岩壁。

この岩壁には眠そうな平安貴族の女性が隠れていた。

では、いよいよ峡谷の壁を登る。ザックの重さもあまり気にならない。大丈夫そうだ。

沢筋は岩また岩である。

本日初の本格的な登り。

ここで標高差50mほど稼ぐ。

対岸を見ると、岩が崩壊した様子がよく分かる。

あの辺りは川原を掘ると、どこでも温泉が湧いてくるのかもしれない。

白人のご夫婦とすれ違った。彼らも足湯をするのかな。

眼下では、例の4人組も出発の準備を始めていた。

テン場らしきスペースは、今は全然ない。

やはり記憶違いだろうか。
でも、当時同行してくれたいとこに「ここでキャンプできるね」と言ったら、「ここよりもっといいところがあるよ」と裏旭を教えてくれた記憶はあるのだが。

そんなことを思い出しているうちに、2回の屈曲で峡谷の壁を登り切った。

ここで標高は1860m。

温泉ももう見えなくなった。

でも、熊ヶ岳(2210m)の裾野はよく見える。

崩落の跡。

「夫婦」という文字はかろうじて読めるが意味は不明。

比布岳(2197m)は完全に雲の中。

小塚(1877m)は頂上が見えたり隠れたり。


中岳分岐に向かって、そこそこの斜面を直登していく。

熊ヶ岳も頂上までは見えない。

振り返ると、今歩いてきた木道が裾合平の高原を横切っていた。

おや、鋸岳(2142m)が見えているではないか。

これにはちょっと驚いた。
(つづく)
【2019年8月26日(月)】旭岳
旭岳(2291m)に北側から回り込んで登っている。
時刻は11:45。ちょうど裾合平の分岐に着いたところだ。
標高は1690m。これまでの最高地点より50m以上低く、姿見駅からも90mしか登っていない。

分岐に碑霊碑らしきものが立っていた。

昭和45年(1970年)11月28日に天候の急変により遭難した金沢市在住の電通職員、倉武夫さん(27)の慰霊碑であった。
とくに休憩はせず、合掌して右折する。

この先もなだらかな登りで、延々と木道が続く。

ただ、破損がひどい。


破損個所は左側に踏みつけの道ができてしまっている。

こうして、登山道の荒廃は進んでいくわけだ。

行政には予算がないし、入山料が議論されるゆえんである。

木道のないところは、雨で沢のような状態になっていた。

えぐれがひどい箇所は片方だけ通すように、ロープが張られている。

裾合平の高原ではバイケイソウが目についた。

このあたりは土砂の流出が激しく、道幅がものすごく広くなっている。

むしろで養生中だ。

ドラム状のダムも設置されていた。

ところどころに池塘。


こんな傾斜がゆるいところでも、浸食が進んでいるのはとても不思議だ。

木道の破損がひどいので、登山者が下を歩いているうちに、地面が削られてしまったのかもしれない。

何年前に作った木道なのだろう。補修しないと、この上を歩くのは危険だ。

こういう局所的な養生は、どういう目的なのか、よく分からない。

あたりは一面の綿毛。この辺りも7月はチングルマで真っ白に染まるのだろう。


日帰りで十分歩けるコースなので、多くの登山者が訪れているはずだ。

めずらしく、登山者とすれ違った。単独男性だった。

破損箇所は後を絶たない。

すぐ横を沢が流れる、感じのいいところなのだが。

雨のせいで水量が多くなっているような気がする。

う~ん、これはひどい。

さすがに、「木道の脇を歩いてください」という指示があった。

その脇は土砂が流れないような処置が施してあった。

応急処置なのだろうが、木道を付け替えるより安上がりなのだろう。

設置者は「上川総合振興局環境生活課」。つまり、道庁の管轄だ。

古いチングルマの看板。

木道のすぐ脇にもチングルマ。

おや、ここには新しい木道が。

でも、それはほんのちょっと。

あとは、また延々と老朽化した木道が続く。

道庁も限られた予算で頑張っているのだ。

やはり、快適な登山を楽しむためにも、利用者負担は必要だろう。

こんなところで、つまずいてけがをしたら、シャレにならない。
保険のつもりで1000円くらい出してはどうだろう。

でも、荒廃が進まないよう、極力、木道の上を歩いた。

せめてもの気持ちだ。

いつの間にか、雨が止んだような気がする。

池塘にバイケイソウ。

アキノキリンソウ。

標高は1750mを超えてきた。

このあたりはほぼ平らである。

霧に煙る池塘たち。



ここには初夏の晴れた日にもう一度来てみたい。

せっかく近くにある山なんだから、機会は何度でもあるだろう。

久々の涸れ沢。

石は、赤と黒の溶岩だ。

見事なバイケイソウ。

アザミもぬれそぼっている。


うひゃ、これまた飛び石祭りだ。

その先には渡渉が待っていた。

水はとてもきれい。

バイケイソウはコバイケイソウと比べてどぎつい感じがするのだが、ここのはすっきりしていて、とても気に入った。

その葉っぱたち。

再び渡渉。

そこに、終わりかけのヨツバシオガマ。

尖り石。

イブキトラノオ。

いよいよ中岳温泉への谷へと差し掛かる。

前方にはドーム状の盛り上がり。

穴の開いた岩がぽつぽつ現れてきた。


孤高のアキノキリンソウ。

いつの間にか、高原の雰囲気が一変した。

斜度も出てきた。

この先は谷あいの道となる。

さっき前方に見えていたドームが右手に。

岩を乗り越えて進む。

川の水は白濁しているように見えるが、よく見ると、水泡だった。

裾合平方面を振り返る。

温泉はまだだろうか。

水が少し濁ってきた気がする。

これも石狩川の源流の一つだ。

このあたりは岩の造形も楽しめる。

黄色く染まった土は硫黄の成分が含まれているのだろう。

この葉っぱはエゾノリュウキンカかしら。

水辺を好む植物だから、きっとそうだろう。

苔。人の顔に見えません?

黒い苔。

このあたりの岩はなぜ、このような穴が開いているのだろう。


あたりはエゾノリュウキンカだらけだ。


やはり花の咲いている初夏に来なければ。

(つづく)
【2019年8月26日(月)】旭岳
旭岳(2291m)に1泊2日の行程で登山中。

さっき雨が降り始めたと思ったら、なんと陽が射してきた。
せっかく雨具を着たのに、やっぱりキルトヤームの法則は健在だ。

でも、おかげでオヤマリンドウが輝いている。

このあたりはオヤマリンドウの大群落だ。

こんな景観は今回初めて見た。

ちょっと別世界のようである。

これは、とくとご覧に入れなければならない。

ガスが何となく薄くなってきた気がする。

これは期待してもいいのだろうか。

前方にアンギラスのようなギザギザも姿を現した。

まさにガスが晴れてゆく瞬間である。

一面のササ原。

雨もすっかり止んでくれたので、ザックを下ろして、雨具を脱ぐ。

このまま晴れ上がってくれるといいな。

ザックの重さは17kgあるが、それほど重さを感じない。
24日のトレーニングで慣れたのかもしれない。
小さな谷を通過するたびにアップダウンがあるが、むしろ変化があって楽しいくらいだ。
私の好きな岩たち。

小さな沢を渡って

えぐれた道を登る。

このあたりはアップダウンの繰り返しで、ほとんど標高を稼げない。

おおお、旭岳の輪郭が見えそうになってきたぞ。

これは楽しみだ。

ギザギザ岩の小さな尾根を越えていく。

標高はやっと1660mほど。

この大きな岩がちょうど峠に当たる。

峠を越えると高原状の台地に出た。

すそ野の方にも、なだらかなササ原が広がっている。

岩の上から水蒸気が上がっているのは、火山性ガスだろうか。

まだ若々しい溶岩たちを右手に見ながら

ゆっくりと進んでいく。

またまた小さな谷を横切る。

そこには、またまたオヤマリンドウ。


小さな葉っぱにも雨粒がたくさん。



道はガレ場あり、ササあり、えぐれあり。



遠くには沼が見える。

さっきは晴れる予感がしたのだが、なかなかガスは抜けてくれない。

やはり気まぐれだったのかねえ、溶岩くん。

わりと大きめの涸れ沢を通過。

下流にはロープが張ってあったが、上流にはなかった。

ちょうど標高1700mを超えた。

ハイマツ帯に入ったようだ。

ササ原と代わりばんこだけど。

う~ん、旭岳くん、じれったいねえ。

ああ、一瞬、頂上が!

よ~し、これは行けるかも。と思ったが、結局はぬか喜びだった。

初めて、裾合平方面から来る人とすれ違う。

そして、初めてバイケイソウとも出会った。

おや、こちらにも金庫岩?

11:15、展望台に到着。

ここはちょっとした峠になっており、標高は1724mと地形図で分かる。

本来なら雄大な景色が広がっているのだろうが、これまでととくに変わり映えしないので通過。

間もなく、大きな涸れ沢が目の前に展開した。

依然として、雲は低い。

ここに水が流れるのは、かなりの大雨が降った時なのだろう。

荒々しい雰囲気だ。

沢に入り込まないよう、ロープが張ってある。

涸れ沢を通過すると登り返し。

土砂の流出が激しい箇所が、むしろで養生してあった。

この状態で植物が生えてくるのを待つのだろうか。

旭岳もキノコの季節である。

いよいよ、道がぬかるんできた。

葉っぱがあまりないが、これはナナカマドのようである。

次の谷が見えてきた。

すそ野の方向には、岩のモンスターたちが並んでいる。

石段の段差が大きい。

涸れ沢は当然ながら、山の地肌がむき出しになっている。

火山らしく赤茶けた地面だ。

ここからは標高差30mほどの登りとなる。

アップダウンを繰り返しているので、ここまであまり標高を稼げていない。

これらは激流が運んだ岩なのだろう。ものすごい威力だ。

歩き始めて1時間。めずらしく急登が出現。

そんなタイミングで、また雨が降ってきたので、潔く雨具を着る。

歩き出すと、先行していた2人が戻ってきた。

中岳温泉まで行くつもりだったが、雨なので諦めたのだろうか。

こちらは引き返すわけにはいかない。

でも、今日はもう晴れることはなさそうだ。

かなりの本降りなので、もう一喜一憂せず、腹をくくって進む。

何度目のひだひだだろうか。

まだ昼前なのに、なんだか夕方のように暗くなってきた。

道が中岳温泉とは逆の方角にどんどん下っていくので、山旅ロガーで現在地を確認してみたが、道は間違えていなかった。
一時的に逆方向に進んでいただけだった。
雨はさっきと違って降り続いている。

路面もすっかり水浸しで、飛び石状態で歩かなければならない。

今度の沢は水がたっぷり流れている。

そこを木道で下っていく。

滑りやすいので要注意だ。

沢の下流。

上流を振り返る。

本降りなので、カメラを濡らさないように撮るのが大変だ。

でも、このあたりは探検気分。

間もなく、裾合平に到着した。

鏡池の分岐から1時間15分。コースタイムより45分も速い。

やはり、「山と高原地図・大雪山」は甘すぎる。
(つづく)
【2019年8月26日(月)】旭岳
8月24日から9月1日まで、平日の5日間を勤続休暇として9連休のつもりだったのだが、27日(火)に仕事が入ってしまった。
ただし、現場は旭岳にある姿見の池である。
これはかえって好都合。会社のお金で山に行ける。
旭岳は一昨年登ったばかりだが、40年以上前に歩いた中岳温泉周回コースを逆から歩いて新鮮感を出すことにした。
仕事は12:30からなので、前日に歩き出して、裏旭キャンプ指定地に泊まり、翌日のお仕事に臨む計画だ。
この週の後半に予定している東大雪テン泊縦走の予行演習にもなる。
天気は、26、27日とも晴れ時々曇りの予報なのでラッキーだ。
準備は25日(日)のうちに整えて、26日(月)は6:20に家を出発。
17kgのザックを背負い、パソコンなど仕事道具を入れた小さなリュックを手に、地下鉄幌平橋駅までえっちらおっちら歩いた。
旭川へは6:56札幌発の特急オホーツク1号網走行きで向かう。

今回は行きも帰りも始発なので自由席。

ホームにはそれなりに人が並んでいたが、余裕で座れた。

車内では朝食を食べた後、ずっとこの日の朝刊を読んでいた。

美唄あたりで読み終えたので、あとはぼ~っと車窓を眺めて過ごした。
途中、東川町のライブカメラで旭岳の様子を確認してみたが、完全にガスの中。
晴れてはくれないのだろうか。
実は、ヤマテンの予報もあまり芳しくない。
無事に車内で排○し、旭川駅には定刻の8:32に到着。

下界は晴れているが、やはり雲が多い。
すぐに駅前のトヨタレンタカー屋さんから、8:45に出発。
当初はバスで行くことも考えたのだが、かなり旭岳温泉への到着が遅くなるし、仕事道具の置き場所にも困るのでレンタカーにしたのだった。
旭岳温泉へは、駅前からまさに一本道。
真正面に大雪山系が見えるはずだが、ライブカメラの映像通り、全山雲の中だ。
せっかく晴れの予報だったのに、残念至極だ。
でも、ヤマテンでは午後から晴れる予報なので期待することにしよう。
途中、東川町のセコマで昼食と行動食を調達。
東川神社で祭りをしていたり、写真を撮りたくなる様々なポイントは結構あったが、それには目をつむって(帰りに時間があったら寄ることにして)一路、旭岳温泉を目指す。
旭岳ビジターセンターの前にある公営の無料駐車場に、9:40に到着。

9:45のロープウェイには間に合わないので、パソコンなどは車内にデポし、ゆっくり支度をして車を後にした。

このビジターセンターは一昨年の8月に来た時には、まだ工事中だった気がする。
勇駒別川を白雲橋で渡る。


大雪山旭岳ロープウェイ山麓駅のすぐ手前が旭岳への登山口。

前回は復路だけロープウェイを使わず、歩いてここに下りてきた。
山麓駅はなかなかおしゃれな建物である。

玄関口に旭川電気軌道のバス停。

山頂駅(姿見駅)の天候は曇り。
気温は7℃、風速7m、視界は不良とのこと。

かなり条件は悪い。雨が降っていないだけ、ありがたいと思わなくては。
トイレの洗面台でプラティパスに、炊事用の水を1リットルほど補給。
2900円の往復券を買って、10時ちょうどの便に並ぶ。

10数人ほどのお客さんが並んでいたが、このくらいなら余裕だ。

乗り込む前に、山頂方向をパチリ。

山支度の方もちらほらいたが、観光客が7~8割を占めていた。

窓際は他の方々に占領されてしまったが、視界はあまり良くないので、おとなしく内側で立っていた。

わずかに撮った北の方角の眺め。

瓢沼をかろうじて確認することができた。

7分ほどで、標高1600mの姿見駅に到着。

まずは入林届を記入。

今、咲いているお花もチェックしておいた。

姿見平の散策は一周1時間。

ここで東川町大雪山国立公園保護協会が募っている協力金のポストを発見。
環境省の方が以前話していた姿見駅のポストとは、これのことだったのか。

登山道の清掃や動植物の保護など旭岳エリアの環境保全に役立てているのだそうだ。
年間どのくらいの協力金が集まるのだろう。
ポストの裏には休憩コーナーがあった。

テラスに出てみると、やはり旭岳は雲の中で全く見えない。

気温はかなり低いが、幸い雨は落ちていない。

平日だが、観光客の姿が目立った。

スパッツのゴムを付け替えたので、久々にスパッツを装着してみた。
ストレッチも済ませて、当方も10:20に出発。
カメラは一眼レフも持ってきているが、ほとんど展望は得られないのでコンパクトにしておいた。

足元が濡れている道を、まずは裾合平を目指す。

8月も下旬となれば、チングルマはとっくに綿毛である。

裏旭キャンプ指定地までのコースタイムは約6時間。

中岳温泉での休憩も入れたら、到着は16時半になってしまう。

まあ、まだ明るい時間帯なので、とくに問題はないだろう。
ちょっと歩いただけで、ロープウェイの駅はガスに煙ってしまった。

アキノキリンソウはどこにでも生えている。

白いのはおそらくハクサンボウフウ。

しばらくは整備された姿見平の散策路を登っていく。

一部でナナカマドが色づき始めている。

最初の分岐は左のすり鉢池方面へ。

オヤマリンドウの青がものすごく鮮やか。これにはちょっと驚いた。

しかし、行く手は深い霧の中。

間もなく、左手に満月池が見えてきた。

右には、すり鉢池。

これらは、みな火口湖なのだろう。

第3展望台を通過。

天気が良ければ、もっときれいなのだろうけど。

次の分岐も左へ。

この分岐からは鏡池が見えた。

大きいのでカメラに収まりきらない。

さて、この先は実質的に未知の道である。

40数年前に歩いたことはあるとは言え、ほとんど記憶がない。

あれは中3の時。年の離れたいとこに連れてきてもらったのだった。

鏡池は本当に鏡のように山肌を映し出している。

こうなったら、しっとりした山の雰囲気も楽しむことにしよう。

オヤマリンドウがこんなにきれいなんだから。


このあたりで鏡池とはさようなら。


それにしても、旭岳がこんなにオヤマリンドウが咲く山だったとは知らなかった。


チングルマやエゾノツガザクラが咲き乱れる6~7月の華やかさには敵わないが、これはこれで実に美しかった。

道は徐々に下っていく。

この先、こうした涸れ沢をいくつも渡ることになる。

どれも合流してピウケナイ第三沢川となる。石狩川の支流である。
このあたりの道はよく整備されている。


気持ちよく歩いていたのに、とうとう雨が落ちてきた。

しばらく我慢したが、やはりウインドシェルから雨具に着替えることにした。

ついでにザックカバーも装着して

3分ほどで出発。

この間に、熟年の男女2人組に追い越されてしまった。

(つづく)
【2019年8月24日(土)】ピンネシリ
ピンネシリ(1100m)から下山中。

右手を砂金沢川が流れている。

沿道はヨツバヒョドリやヤマハハコから、イタドリやオオハンゴンソウに変わった。


エゾニュウは高山にも低地にも生えている。

すっかり、いい天気になってしまった。

でも山頂の方はまだガスなのだろう。

まあ、今日は練習のつもりだったのだから、いいのだ。

ピンボケになってしまったが、ツリフネソウ。

イタドリの紅葉。

やった~、やっとゴールだ~。
当然ながら、先行者の車はなくなっていた。

下りの10kmをほぼ2時間で歩き切った。疲れた~
さて、風呂に入って帰ろう。
車で林道を引き返す。
途中、ピンネ橋や扇橋を撮影。


ピンネ橋の竣工は昭和52年(1977年)だった。

往路で発見した、不思議な構造物を車から下りて、きちんと確認してみた。

これは、治山ダムの中でも「摩擦型ダム」と呼ばれるもので、ここ砂金沢川に全国で初めて試験的に建設されたものだそうだ。

通常の砂防ダムでは水流の堰き止めや生物の不連続性の問題が生じることから考案されたとのことである。

説明板に、いつ設置されたものかの記述がなかったのは残念だった。
この林道は登山口の駐車場まで5.5kmほどあった。

林道から出て間もなく、そっち岳スキー場に至る。

窓には板が渡してあるが、現役のようである。

標高差は80mしかないが、ナイター設備が整っている。

それなりにお客さんが来るのだろう。
真っすぐ、お風呂に向かうつもりだったのだが、道を間違えてしまった。

どうやら、新十津川駅の方向に進んでいるようなので、ついでだから、そちらにも行ってしまうことにした。

あたりは、そばの白い花が満開だった。

稲もよく稔っている。

「総進」という地名を見て思い出した。

旧石器捏造事件の最初の発覚地となった総進不動坂遺跡はこの近くだったのか。
遺跡を探す時間がなかったが、私の仕事にも深く関係していたので感慨深いものがあった。
自治会館の隣には、総進小学校跡の碑があった。

閉校は昭和56年(1981年)のこと。

間もなく、新十津川駅に到着した。

ここに来るのは3回目だ。

廃止を来年5月に控えて、カウントダウンが始まっている。
8月24日現在で、あと256日だ。

駅舎内の様子。


この駅は「日本一早い最終列車が出発する終着駅」としても注目を集めている。

顔ハメは当然やります。自撮りしやすい顔ハメだった。

顔ハメのお隣は「しんとつかわ駅市」。

こちらの閉店時間はなんと午前10時半。

終電が行ってしまったら、店も閉めてしまうわけだ。
私のように車で来る人もぽつぽついるだろうに。
せっかくなのでホームにも出てみた。

当然ながら、今日はもう列車はやってこない。

静寂に包まれていた。

この駅舎はおそらく保存されるだろう。

駅舎だけでなく、ホームも含めて残してほしいものだ。

ピンネシリ山、行ってきました。

今度この駅に来るのは廃線跡だろうか。
「葬式テツ」が群がる時期には来たくない。

というわけで18時ちょうどに、うらうす温泉に到着。

ここは道の駅つるぬまの真向いにある。

泉質はカルシウム・ナトリウム-塩化物強塩温泉。源泉の温度は22.6℃で、ph値は7.8の弱アルカリ性だった。

窓からは石狩川の三日月湖、鶴沼を望むことができた。

入浴後は、近くの中華料理店「しいたけ飯店」に立ち寄った。

もう19時前なので、すっかり暗くなってしまった。

店内は、まさに中華屋さんという雰囲気である。

シェフは中国人の方らしい。

オーダーしたのは、当然、しいたけラーメン。

塩味のスープにしいたけがたっぷり。

スープとしいたけはよかったのだが、麺がいまいちだった。
会社に寄って、ひと作業してから、21時頃に帰宅。
今回の目的はトレランシューズで15km以上のザックを担ぎ、足が痛くなることなく歩けるかというミッションがあった。
長い舗装道路のせいで、終盤ちょっと足裏に疲労を感じたが、大したことはなかった。
東大雪縦走もこのトレランシューズで大丈夫そうだ。
そういう結論を得られたという点では意味のある山行だったが、眺望に全く恵まれなかったのは残念至極だった。
【行程】2019年8月24日
駐車場(11:15)~あと5km地点(11:45)~あと4km地点(12:04)~林道交差点(12:13)~あと3km地点(12:31)~標高約590m地点(12:34昼食12:44)~711mピーク(13:04)~あと1km地点(13:40)~稜線分岐(13:48着替え13:52)~待根山(14:03撮影14:05)~稜線分岐(14:13)~標高約950m地点(14:15着替え14:18)~ピンネシリ(14:46撮影14:50)~第2ゲート下(13:58休憩16:03)~林道交差点(16:05)~第1ゲート(16:22)~駐車場(16:55)
※所要時間:5時間40分(歩行時間:5時間15分)
※登った山:2座(待根山、ピンネシリ)
※歩行距離:16.2km
※累積標高差:約980m
【2019年8月24日(土)】ピンネシリ
ピンネシリ(1100m)登山中。標高1000mを超えたところだ。

このあたりはヨツバヒヨドリが群生している。

そして、エゾトリカブト。

急斜面を階段で登っていく。

ガスは濃くなる一方だ。

ウメバチソウの乱舞。


花々に励まされ、もうひと息。

早くも紅葉。

今度はユキバヒゴタイ?がたくさん。


その中にオヤマリンドウが混じっている。

こげ茶色に枯れた登山道に

オヤマリンドウの青がとても鮮やか。

しかし、めったに花が開いていることはない。

頂上を目前にして、慰霊碑を発見。

「安全登山を願って 故富久尾眞人君 中央アルプス空木岳で殉する」とあった。
現地ではなく、ここに碑があるということは、このあたりの出身の方なのだろう。
もう、ほぼ頂上なのだが、まだ気象レーダーが見えない。

謎の遺構。

頂上は一等三角点だった。

ああ、レーダーがやっと見えた。

しかし、山名板がないではないか。
道標しかない。これには、かなりがっかりした。

しかも、ここから神居尻山へも隈根尻山にも行けないのである。

一番川地区に下る道など、そもそもここではないのでは?
山神様は倒れたままの状態。

この祠は、やけに賽銭箱が大きかった。

説明板によると、昭和8年(1933年)にピンネシリ登山会が鉄製銅板葺きの航空神社(ピンネシリ神社)を建立したが、損傷が激しくなったので、新十津川町観光協会が1997年に建て直したのだそうだ。

方向指示盤があったが、本日は無用の長物。

寒くて、ベンチで休む気にもならない。

気象レーダーは正式には「ピンネシリレーダ雨雪量観測所」というようだ。
設置者は北海道開発局である。

雨が降ってきたので、早々に退散。

帰路は舗装された管理道路を下る。
そちらの方向にはかつて神居尻山への縦走路があったが、崩落のため通行禁止だ。

頂上から急な坂をほんの少し下ると

誠にきれいな舗装道路に出る。

振り返れば、ピンネシリレーダ。

さあ、気楽な道だ。

神経をすり減らさないで済むし、ピストンも避けられるので、とてもありがたい。

沿道にはヨツバヒヨドリやヤマハハコが咲き乱れている。


ただ、この道だと、かなりの遠回りになる。

最終的には登り6kmに対し、下りは10kmもあった。

行動食として持ってきたピーナツとカツオのジャーキーを食べながら下る。

雨は依然として降ったり止んだり。

一応、熊鈴は鳴らしているが、暇つぶしとクマ除けを兼ねて、1970~80年代の流行歌を大声で歌いながら歩いた。

演歌からアイドルの歌謡曲まで30曲くらい歌った。

誰も来ない自信があるので、全く遠慮はしなかった。

非常に気持ちよかった。

路面に転がっていたのは、モグラの死体?

車にひかれたわけでもなさそうだが、どうしたのだろう。
めずらしく赤いヤマアジサイ。

延々と歌い続けているが、ほぼ中間地点に当たる登山道との交差点になかなか着かない。

反射板が出てきたところで、山旅ロガーを確認したら、標高はまだ800m。頂上から2.7kmしか歩いていない。

まだ4分の1を過ぎたばかりではないか。

これは大ショックだった。

しかし、あの登山道をピストンするよりは、余程マシなのだ。

開き直って歩くことにする。

コンパクトカメラはザックの腰ポケットにちょうど入ることが分かり、今回は随分重宝した。

普段はカメラを右手に持ったまま歩くのだが、雨が降った時や手を使うときは、そこにしまえばいい。

さっきの行動食だけでは足りなかったので、もらいものの抹茶クリームどら焼きも食べる。

頂上から50分で4kmほど下ってきた。

下り坂だけあって時速4kmより速い。

ムカデじゃないよ、葉っぱだよ。

1時間で5km下った。あと半分だ。

ということは、あと1時間もかかるのか。ちょっと、うんざり。

これは初めて見る花だった。名前は分からない。

登山道との交差点の手前にゲートの跡があった。

以前はここまで一般車が入れたのだろうか。

しかし、駐車スペースは全くない。

交差点のすぐ手前にある大きな木の下で雨宿りを兼ねて、ひと休み。
ここでザックの雨袋からグラノーラを取り出し、暇つぶし&栄養補給とする。

14:05、やっと登山道との交差点を通過。

アスファルトの水たまりに生える植物。たくましい。

さて、ここからがまた長丁場。

U字形のカーブの連続で標高を下げていく。

なんと青空が見えてきた。登山あるあるである。

今度は舗装の継ぎ目に沿って生えるすき間ちゃんたち。

やった~ゲートだ~

右側に歩行者用の通路があった。

これが出てきたということは、ゴールは近いのかなと思ったのだが

山旅ロガーを見ると、あと2.5kmくらいありそうだ。

再び、がっくり。

実は登山開始前、車で行けるところまで行ってみようかという色気が生じたのだが

もし、そうしていたら、ここから駐車場に戻らなければならないので、往復5km、時間にしたら約10分無駄にしたことになる。

ただ、路肩に停めて、ここから歩き始めたら、1時間くらい節約できたという計算も成り立つ。

普通、下界側が舗装で、山側がダートのはずだが、この道は逆だった。

傾斜が急で土砂が流れやすい方を舗装にしたのかもしれない。

あとは砂金沢川に沿って、ひたすらほぼ真っすぐな道を進んでいった。

(つづく)
【2019年8月24日(土)】ピンネシリ
ピンネシリ(1100m)を登山中。

標高750m付近で小さな小さな沢を渡った。

このあたりから、ようやく傾斜が急になってきた。

傾斜しているのに、ぬかるんでいるという不思議な道。

歩き始めて2時間が経過した。

そこはアジサイ畑。

おそらくサマニヨギ。


再び、細い沢をまたぐ。

水はしっかり流れている。

展望が開けると晴れているところもあるのだが。

これはアジサイの葉っぱ。

道は右にトラバースを始めた。

それとともに、刈り払いが行き届かなくなってきた.

雪の重みで横に伸びている木々。

ここで道を踏み外し、尻もちを付いてしまった。

おそらくカニコウモリ。

コケとシダ。

ハクサンボウフウの白い花火。

ヤマアジサイの青。

エゾオヤマリンドウの青。

そして標高900m突破。

ちょうど待根山(1002m)を巻きながら登っていることになる。

根曲り竹を踏みしめて進む。

とうとうガスの中に入ってしまった。

さっきはあんなに陽が射していたのに。

しかも、ササが登山道に覆いかぶれっており、歩きにくい。

自分の頭は避けても、ザックに引っかかってしまうのだ。

アダムとイブのイブ。葉っぱで股間を隠している感じ?

やっと、あと1km地点。

ここまでの5kmに2時間半かかっている。平均時速2kmだ。

山頂はガスで全く見えない。

何か動くものがいた!と思ったらカエルだった。

全然、ササ刈りが追いついていない。

アザミ初登場。

ガスのおかげで幻想的ではあるのだが。

待根山とピンネシリの分岐(鞍部)に向け、最後の急登。

さあ、もう少し。

13:48、ようやく分岐に到着。

頂上は全く見えず。しかも、いきなりすごい風だ。

これはたまらんので2歩退いて、風の来ないところで雨具の上を着込むことにした。

防寒をしっかりして、まずは左手の待根山へ向かう。

階段が整備されているが、その間隔が非常に短く、歩きにくい。
これが延々と続く。

ピークらしきところに出たが、まだ先に別のピークが霞んで見える。

ササの背の高いところは風を防いでくれるので助かった。

このあたりには、ウメバチソウやトモエシオガマが咲いていた。


ウメバチソウがこんなに集中しているのも珍しい。

アキノキリンソウはこの季節の定番だ。

頂上はあそこだろうか。

分岐から8分で標高1000m地点を通過。

頂上は間違いなくあれだろう。

ハイオトギリが雨に濡れている。

分岐から10分ちょっとで待根山の山頂に到着した。

真っ白なので眺望はゼロ。

以前はこの先の隈根尻山(971m)まで縦走できたようだが

現在は廃道になっている。

旧縦走路には通行禁止のロープが張られていた。

あたりは一面のササ原である。

ひっそりと咲いていたエゾトリカブト。

南斜面の方にはウメバチソウが点々と咲いていた。

風も強いし、何も見えないので長居は無用。2分で引き返す。

途中、クマの糞を発見。何か赤い実を食べたようだが消化しきれてなかった。

可憐なチシマフウロ。待根山は花の山だ。

再び標高1000m地点を通過。

この階段は滑るので、本当に「足もと注意」だ。

頂上から8分で分岐まで戻ってきた。

今度は直進して、ピンネシリに向かう。

こちらではヤマハハコが迎えてくれた。


徐々にヤブがうるさくなってきたので、雨具の下を履いた。

このすぐ先に標高950mの標識。

ここから登山口まで4.8kmとある。
これは私が登ってきた道ではなく、南斜面の一番川コースのことだ。

ちなみに、標高950mというのは誤りで、実際はほぼ1000mある。
おや、オヤマリンドウ。

このあたりはしばらくアップダウンだ。

またしても、この階段。

ガスでよく見えないが、右側は深く切れ込んでいるようだ。

崩落箇所にはロープが張られている。

ちなみに、鞍部からピンネシリの頂上までの標高差は約150m。

待根山方面を振り返るも、やはりガス。

行く手に、うっすら頂上らしきラインが見えてきた。

孤高のエゾニュウ。

おそらく、あのあたりが頂上なのだろうが、確かに気象レーダーは全く見えない。

雨に萎れたコバギボウシ。

こんな天気の日はカタツムリだよね~

傾斜が急になったと思ったら、ロープのご用意が。

見上げると、標高1000mの標識。これはあっている。

さっきのロープはいつのまにか結界代わりになっていた。

このあたりの階段は間隔があって歩きやすかった。

(つづく)
【2019年8月24日(土)】ピンネシリ
樺戸三山の一つ、ピンネシリ(1100m)に来ている。

この標識の「アト」は「あと」にしてほしかった。

どうも「アート」と読めてしまうのだ。
緩斜面ではあるが、二つ目の小ピークに差し掛かっている。

ここまで、天気はどうにか持ちこたえてくれている。

早くも紅葉。


こちらは地味な花だが、見たことがない。

小ピークからの下りで一瞬、山頂方面が望めた。やはりガスっている。

やはり、今日はキノコの山ということで我慢するしかないか。


50分弱で2kmちょっと進んだ。
やはり緩斜面なので、ザックは重いが、それなりのペースで歩けている。

しかし、この「標語」はいただけない。
古い時代の遺物なのだろうけど。
キノコは本当にいろんな姿を見せてくれて、面白い。


小ピークから下り切って、ここからまた登り。

そこにクマの糞。

クマは、キノコは食べないのだろうか。

倒木2連発。

いや~、この糞はかなり新しい。怖いよ~

熊鈴だけでは心もとないので、テン泊装備として持ってきたラジオを付けてみたが、ポケットに入れるとノイズがひどくなるので、結局消してしまった。
ほぼ1時間で、管理道路との交差点に出た。
なんと舗装ではないか。帰りは文句なく、この道を使おう。

この地点の標高は464m。さっきの小ピーク(約500m)より低い。

とくに休憩はせず、登山道へ。

ここから中盤戦ということになる。

序盤戦で200mしか登っていないとは。

まだまだ先は長い。

道は依然として緩斜面。

この数字も、随分中途半端だ。3.5kmでいいのに。

道のど真ん中で成長中。

これはツタウルシかな。

お~眺望!ただの稜線だけど。

親子。

ササはきれいに刈ってくれているので、とてもありがたい。

白樺の並木道。

白い殻を破って出てきた赤いキノコ。

こちらは右のキノコがなぜか粉々になっている。

標高550m付近は左手がかなり切れ落ちていた。

きっと、さっきと同じ種類のキノコだろう。
その成長過程を見ることができた。



「あと3km」地点は12時半に通過。

そろそろお腹が減ってきた。適地を探そう。

色にムードがないがハート形。

白樺林。

このあたりで、下山してくる先行者とすれ違った。
40代くらいのご夫婦であった。
お互い、人恋しかったのか、少々会話。
頂上はガスで風も強く、頂上に立っても気象レーダーが見えないほどだったという。
「でも、登りの時と違って随分、雰囲気も変わってきたから、きっと晴れますよ」と、ありがたいお言葉。
しかし、さっき見えたピンネシリの山頂はしっかり雲がかかっていたのは分かっているので、とくに期待はしていない。
お2人は8時に出発したのだという。
私より3時間以上早い。なのに、ここですれ違ったということは、登りにまだ1時間半かかるということだ、ちょっと甘く見ていた。
お互い明るく「気をつけて~」と声を交わしたが、この先、山の中には私とクマしかいないことになる。
どうか鉢合わせしませんよう。
12:45頃、いい倒木を見つけた。

これをイス代わりに、お昼にしよう。

もうこの先には誰もいないのだから、気兼ねする必要はない。
本日は、山わさびおにぎりと稲荷寿司。

のんびり休むつもりが10分で平らげてしまった。

久々の15km超えザックで1時間半休まずに歩いてきたのに、なぜか全く疲れていない。
これは調子がいいわ。
それにしても、この虫食いみたいな模様は何だろう。


オオカメノキの葉っぱの形が好きです。

キノコの家族。

ホットケーキのようなキノコ。

あれあれ~なんだか晴れてきたぞ。

これ、この通り。

このまま頂上も晴れてくれるといいのだが。

これらはもしかして同じ種類のキノコなのだろうか。


晴れて明るくなると、クマも出てこなくなるような気がするのは勘違いだろう。

今度は「アト」ではなく「まだ」になった。

巨大なヨツバヒヨドリ。

お馴染みの花々。


ここは標高680m。

陽が射していたのは、ほんの一瞬だった。

おかげで影のない写真が撮れる、というのは負け惜しみ。

13:00。

標高的にはやっと半分のところまで来た。

ピンネシリのキノコはその名の通り、ピンと立っている。

りりしい。

そろそろ711mピークのはず。

このリボンがその目印だろう。

再び稜線が見えたが、やはり頂上付近はガスの中。

結局、しっかり曇ってしまった。

天気は必ずしも回復に向かっているわけではないようだ。

久々に展望が開けたが、この程度である。

まだ、山は緑一色。

まだまだ夏である。

ヨツバヒヨドリが増えてきた。

この季節の北海道の低山では定番の花である。

タカネニガナもよく見る花だ。

マッシュルーム的な。

同じものです。


やっと標高750mを超えた。

(つづく)
【2019年8月24日(土)】ピンネシリ
先週の札幌岳(1293m)登山で、新しい登山靴での東大雪縦走は厳しいことが分かった。一緒に買ったトレランシューズならどうだろうということで、試しに1回登ってみることにした。
天気予報は全道的にあまり芳しくないが、その中でも何とか持ちそうなピンネシリ(1100m)を選んだ。
札幌近辺の山に登ると、北の方角に見える樺戸三山の一つである。
頂上に気象レーダーがあることでも知られている。
いずれ行きたいと思っていたので、この機会を生かすことにした。
普段なら日帰り装備なのだが、この日はテン泊縦走のトレーニングも兼ねて、65㍑のザックを担ぐことにした。
今回は炊事用の水と酒は入れなかったが、重さは15kgある。
この重さを担ぐのは昨年の十勝岳・オプタテシケ山縦走以来。
あの時は十勝岳の登りでバテバテになってしまったので、重さ対策として、骨折直後のリハビリ登山で使った片手用のストックを持っていくことにした。
おそらく、これがよかったのだろう。ほぼ通常通り歩くことができた。
靴も問題なかったので、東大雪に向け、明るい展望が開けた。
一応、曇りの予報だったのに、札幌は朝から雨だ。
もう一度、天気予報を見直すと、ピンネシリのある新十津川町は降水量ゼロなので、それを信じることにした。
7時出発、9時登山開始のつもりだったが、若干寝坊してしまい、7時半の出発となった。
北の空はちょっと明るいので期待した通り、当別あたりは路面も乾いていたし、晴れ間も見えたのだが、その後はまた降ったり止んだり。
目まぐるしい変化だ。
今日はトレーニングなのだから、多少の雨でも歩くつもりだったのだが、山がすっぽり雲に隠れている状況を見て、気持ちが萎えた。
浦臼町に入っても天候回復の兆しが見えなかったので、潔く断念。
駅舎めぐりに切り換えることにした。
函館本線も美唄以北砂川までと旭川近辺の2駅がまだ未撮影なのだ。
ちょうどいいので、浦臼から右折して、茶志内駅に向かった。
国道275号沿線は雨模様だったが、国道12号沿線は明るめの曇り。
茶志内駅、奈井江駅、豊沼駅と1時間半ほどかけて北上していくうちに

なんと樺戸三山方面の雲が取れてきたではないか。

雨雲レーダーを確認すると、今後、このあたりに雨雲はかからないことも分かった。
すでに10時半を過ぎていたが、再び方針変更。
登山口へとハンドルを切った。

取りあえず目指すのは、そっち岳スキー場。

ちゃんと標識があり、スキー場も標高差が100mもなさそうな小さなところだったが、現役のように見えた。

登山口への林道は、スキー場のさらに奥。
700mほど進むと分岐があった。

標識がないので、どちらが登山口への道なのか分からない。
右は舗装のままなので、そっちに行きたくなるが、幸い道路地図を持っていたので確認したら左だった。

この先はダートである。
砂金沢川という、明治末期にゴールドラッシュに沸いたという川に沿って遡っていく。
間もなく入林届のボックスがあったが、まさかここが登山口ではないのでスルー。

ところどころに土砂崩れの跡があるが、道はそれを乗り越えるような形で応急措置がしてあった。

この道は山頂の気象レーダーの管理道路も兼ねているので、簡単には通行止めにしないのだろう。
いくつか老朽化した橋を渡って、どんどん山奥へ入っていく。
沿道には外来種のオオハンゴンソウが咲き乱れていた。

林道を6km近く進むと、やっと登山口の駐車場に到着した。
車が1台あって、ものすごく安心した。
本当に北海道の山に単独で入るのは怖い。
マイナーな山であればなおさらだ。
先行者が1人いるのといないのとでは気分的に大違いだ。
念入りにストレッチをして、さあ出発!というところで、何とまた雨が降ってきた。
さっきは青空も見えていたのに何と言うことだ。
あわててザックカバーを装着して仕切り直し。
そのうち、すぐ止んでくれたので、雨具は着ないでスタートした。
時刻はすでに11:45。下山は17時くらいになってしまうだろう。
駐車場にある大きな「ピンネシリ登山コース案内」の看板には、ピンネシリ命名の由来が書かれていた。

ピンネシリとはアイヌ語で「男の山」、隣にある待根(尻)山(マツネシリ)は「女の山」という意味だ。
もともとは、「家の形をした山」ということで「チセネシリ」と呼ばれていたが、津波の際にこの山に避難して難を逃れたことから「神の山」と呼ばれるようになり、いつの間にか、男のように強く、女のように優しい山というイメージに変わり、双耳峰がそれぞれ「男山」「女山」と呼ばれるようになったそうだ。
登山口は駐車場から100mほど戻ったところにあった。

さて、ようやく登山開始。

コンパクトカメラを右手に持っている関係上、ストックは左手となった。
頂上への距離は6.12kmとのことである。結構長い。

時速2kmで歩いても3時間かかるではないか。
2時間半くらいで登れると高をくくっていたが、これはかなりしんどうそうだ。

登山口の標高は約270m。単純標高差で730mもある。
これにアップダウンや待根山(1002m)が加わるので累積標高差は1000m近くになるだろう。

取り付きで40mほど一気に登るが

あとは延々と基本的になだらかな道である。
これが結果的にはありがたかった。
ザックが重いので最初から急登だったら、バテてしまっただろう。
緩斜面でペースをつかめたのが、最終的に疲れないで済んだ一因だと思っている。

ただ、事前に見たヤマレコのレポートの通り、倒木が異常に多い。

またいだり、くぐったり、ひと苦労だ。

それと、キノコもものすごく多かった。

種類が分からないので眺めるだけなのだが、食べられそうな(実際は分からない)ものもたくさんあった。

キノコも名前が分かったら、もっと山が楽しくなるかもしれない。


基本的にはずっと樹林帯である。

ピンネシリへのゲートのような巨樹もあった。

歩き始めて20分で、「アト5.5キロ」の標識。

700mに20分かかった計算になる。ほぼ時速2kmだ。

倒木をまたぐ際、ストックは邪魔のようだが、乗り越えて、下りる時には便利だ。

くぐる時は、ザックの背が高いので、かなりかがまないと引っかかってしまう。

これらの倒木はやはり台風によるものなのだろう。

北海道もひと頃と比べると、台風の上陸が増えた気がする。
咲いている花は、まだ標高も低いし、大味なものが多い。
ヤマアジサイはその一つ。

オオカメノキはもう真っ赤な実を付けて、紅葉も始まっていた。

キノコを見ると、つい写真に撮ってしまう。


倒木の枝は払ってくれているが、人力では運べないからか、幹を切断してスムーズに通れるようにまではしてくれていない。

ただ単調な道だけに、倒木が一つの刺激になってくれたことも確かだった。

紅白のキノコがかわいい。



ところで、先行の人はどのくらい前に出発したのだろうか。
なるべく、長い間、山の中にいてほしい。

小さい秋を見つけながら、黙々と進む。



夏も終わりかけのこの時期になると、葉っぱの虫食いも進んでいる。

ちょうど30分で「山頂まで5km」の表示。

「急がずにゆっくり守ろうマイペース」。一応七五調になっている。
木々の隙間から、やっと隣の尾根の稜線を覗くことができた。

475m標高点を通過。

まだまだ倒木祭りは続く。


キノコもにょきにょき。



コンパクトカメラだと、ローアングルで撮れるのでおもしろい。

それにしても、こんなに平坦では、全然標高が稼げない。


たまに開けたところに出ると、そこはササ原だった。

(つづく)
【2019年8月18日(日)】札幌岳
札幌岳(1293m)から下山中。

靴を洗いながら渡渉する。

冷水小屋から30分ちょっとで、林道横断地点に到着。

ここまで我慢していたが、やはり靴が合わない。
登っている途中から、かかとが痛かったが、ここにきて足裏がかなり疲れている。
インソールを入れたのに、入れなかった前回よりひどい症状だ。
これはインソールの問題ではなく、慣れるしかないのかもしれない。
10数分休んで、出発。あと2kmちょっとなので我慢して歩く。

慣れると言っても、月末にテントを担いでの東大雪縦走が待ち構えている。
それまでに慣れるのはとても無理だ。

一緒に買ったトレランシューズで行かざるを得まい。
ただ、それもフィットするかどうか分からないので、少し練習しなくては。

そんなことを考えながら歩いた。

終盤になって、こんな花を見つけた。

こちらはそのつぼみ。

初めて見た。何という花なのだろう。特定するまでに時間がかかりそうだ。
15時を過ぎると、もうすっかり夕方の雰囲気である。

この橋を渡れば、あと1km。

植林帯では、若者たちに道を譲って

16時過ぎにやっとゴール。

コースタイム5時間50分のところ、1時間オーバーの6時間50分。
でも、休憩時間を除けば、歩行時間は5時間20分なので、遅かったわけではない。
やっと登山靴から解放されて、さっそく豊平峡温泉へ。

前回の露天風呂は「無意根の湯」だったが、今回は別のお風呂だった。
名前は忘れてしまったが、今回の方が広かった。
男女を入れ替えているわけだ。別の風呂に入れてよかった。
1時間近く、のんびりして、今回はレストランへ。

やはり、ここに来たら有名なカレーを食べなくては。
これまでは時間がちょっと早かったりして機会に恵まれなかったが、今日はやっと食べられる。

いろいろと種類があったが、肉も食べたかったのでキーマカレーにした。

水分としては、久々のラッシー。

ナンの大きさにもびっくりしたが、カレーの量も見た目以上にある。
味自体はオーソドックスで、私の好み。
途中からお腹いっぱいになったが、きれいに平らげた。
ナンを焼いているイケメンのお兄さんに挨拶して退出。

いい湯、いいカレーでございました。

17:45に豊平峡温泉を出発。

18:30には帰宅した。
靴のせいで狩場山以上に疲れた登山になったが、東大雪に向けていい勉強になった。
【行程】2019年8月18日
登山口(9:09)~第1渡渉地点(9:30)~林道横断地点(9:57休憩10:06)~冷水小屋(10:44休憩10:59)~頂上台地北端(11:44)~標高1190m地点(12:06休憩12:11)~1280m地点(12:30休憩12:34)~頂上(12:36昼食13:16)~冷水小屋(14:32休憩14:44)~林道横断地点(15:18休憩15:22)~登山口(16:01)
※所要時間:6時間52分(歩行時間:5時間20分)コースタイム:5時間50分
※登った山:1座(新規なし)
※歩行距離:11.6km
※累積標高差:約900m
【2019年8月18日(日)】札幌岳
札幌岳(1293m)を登山中。

冷水小屋からの急登が一段落したところだ。

あの急坂に、こんなふうにひと息つける平坦地があったっけと、ちょっとびっくり。

地形図を見ると、確かに50mほど登ったあたりに等高線の間隔の広いところがあった。
しかし、それもわずかの間。すぐにまた急登が始まった。

冷水小屋が標高860m、頂上台地のへりが1100mなので、250mを一気に登らなければならない。

ここが、まさに札幌岳の核心部である。

(シロバナニガナ)
依然として樹林帯で展望はきかない。
なので高山植物を撮影しながら登っていく。
オオカメノキの実とか、アキノキリンソウとか。


ナナカマドの紅葉が早くも始まっていた。

登山道は岩あり、滑りやすい土あり。


標高1050mに達したあたりで、やっと背後の視界が開けた。
無意根山(右、1464m)と中岳(左、1388m)がちゃんと見えた。

間もなく、直登は終わり、右へとトラバースしていく。

傾斜は緩くなったが、あちこちに露出している岩を乗り越えなければならず、それほど楽はさせてもらえない。

こんな状態のいい路面はまれだ。

このあたりですれ違った単独男性が「上はひどいですよ。川みたいです」と教えてくれた。
さっき、長靴の人ともすれ違ったが、そんなに昨日の雨の影響が残っているのか。
どうしようもないので、とくに聞きたくない情報だった。

ダケカンバの並木を抜けると

頂上台地に出た。

しばらくは、ほぼ平らだ。

間もなく、水たまりが出てきた。

そこにミミズさん。

ずっと路面には水があるが、この程度なら、とくに気にならない。

道幅いっぱいに水とぬかるみが広がっているところも何か所かあったが、道の端っこをササをかき分けて歩けば、そんなに靴は汚れないで済んだ。

傾斜が出てくると、沢状態になったが、石があるので大丈夫。

こんなところも、避けて歩くことは可能だった。

石をとびとびに歩くところはスリップ注意。

このようなところは、水の中を歩いた方が、靴の汚れが取れてありがたいくらいだった。

水量はやはり多いみたいで、段差のあるところは滝になっていた。

白いキノコさん。

標高1150mに達すると、固く締まった路面になった。

火山灰なのだろうが、なぜこの土はぬかるみにならないのだろう。
冷水小屋からずっと歩き続けてきたので、標高1190mのあたりで立ち休み。

5分弱で登山を再開した。

あとは標高差100mだが、だらだらとした登りが延々続く。

でももう、ひと踏ん張りだ。

頂上には12時半過ぎに到着。

冷水小屋から1時間40分弱。
水たまりに邪魔されて、コースタイム(1時間半)を少々オーバーしてしまった。

登頂するまでに10数組の登山者とすれ違ったので、駐車場にあった車の台数(約20台)から差し引いて、10人くらいの登山者がいると予想していたが、その通りだった。
休むのにいい場所は、ほぼ埋まっていたので、奥の岩の近くに陣取った。

昼飯前にまずは眺望を撮影。
北側は雲があったが、南側は霞んではいるものの晴れ渡っていた。
この突起は、お隣の空沼岳(1251m)。

右の三角は狭薄岳(1296m)、その左が漁岳(1327m)。

恵庭岳(1320m)ははじめ雲に隠れていたが、間もなく姿を見せてくれた。

尻別岳(1107m)はうっすら見えたが、羊蹄山(1898m)はだめだった。
ひと通り撮影したところで昼食。
今日のおにぎりは「悪魔」を混ぜてみた。

天かすと青のり入りめんつゆ混ぜご飯だそうで、結構おいしかった。
しばらくして北側の雲が少し晴れ、札幌の市街地が見えてきたので、撮影再開。

白いお饅頭は、つどーむ(札幌コミュニティドーム)だろうか。

岩が露出しているのは八剣山(498m)。

その左上に砥石山(826m)。

こんもりしているのは、すぐ北にある1190mピーク。

昨年春に登った盤ノ沢山(939m)。

市街地。

そんなこんなで頂上では40分ほどゆっくり過ごした。

風もほとんどなく、全く寒くなかった。

もう13:15になってしまった。それでは引き上げるとしましょう。

石鎚神社よ、さようなら。

ちなみに、ここは一等三角点でした。

当然ながら、来た道を引き返す。

でも、前回は豊滝側に下りたので、この道を下るのは初めてだ。

石は濡れているので、スリップ注意。でも結局、この日は転倒しないで済んだ。

この土は意外に滑らない。

下りはさすがに進むのが速い。

頂上台地には一部、樹木が生えていない空間がある。
これも洞爺丸台風の影響だろうか。

頂上台地を40分で通過。

ここからは急な下り坂。頑張らなくては。

倒れた木の根アートを横目に下っていく。

それにしても、よくこんな坂を登ってきたものだ、と下りの時には思う。

途中で、かしましいおばさんグループを抜かして、やっと冷水小屋の赤い屋根が見えてきた。

煙突から煙が出ている。

誰がいるみたいだ。
頂上から1時間15分ほどかかって冷水小屋に到着。ふう。当然休憩。

小屋の扉が開いていたので、覗いてみた。

2階にいるのか、人の姿が見えなかったので、中まで入るのは遠慮しておいた。

掃除が行き届いている感じだった。
玄関前の階段でチョコなどを食べていたら、10分くらいで例のおばさんたちが追いついてきたので、それを潮に出発。

ここから登山口までコースタイムは1時間20分なので、下山は16時を過ぎてしまいそうだ。

しかも暗い樹林帯の中。頑張らなくては。

お花はいくらか気晴らしになる。

これは何の花だろうと思っていたが

サラシマショウマのつぼみであることが分かった。

沢を渡るときには靴を洗う。

さすがに水はきれいだった。

(つづく)
【2019年8月18日(日)】札幌岳
台風10号は温帯低気圧となって前日のうちに通り過ぎてしまったのだが、まだ天候が不安定だ。
17日(土)の午後にはすっかり晴れ上がったのに、翌18日(日)はどの山も雲が取れるのは午後になるとの予報である。
当初は旭岳(2291m)を考えていたのだが、遠出をして不発に終わるとショックが大きいので、ニセコ・イワオヌプリ(1116m)か札幌岳(1293m)で検討。
結局、当日、230号を南下して、札幌岳に雲がかかっていたら、ニセコに行くという方針とした。
朝8時に家を出たときには藻岩山(531m)にも雲がかかっていたが、石山を通り過ぎると前方が晴れてきた。
そして、なんと札幌岳に雲がかかっていないことを確認。
行き先は札幌岳に決定となった。
2年前の9月以来、2回目ということになる。
定山渓温泉のコンビニで昼食を調達。
登山口には9時前に到着した。
おニューの登山靴にとっては2回目の登山だ。
今回はインソールを入れてきた。
これで、長く歩いても足裏が痛くならないはずだ。
ただ、余計なものを入れた分、ちょっときつくなった気がした。
ソックスの縫い目の出っ張りが靴擦れの原因になりそうだったので、一旦脱いで、はさみでカットした。
これで、たぶん大丈夫だろう。
ストレッチをして、9:10前に出発。

しばらくは、冷水沢川に沿った平坦な道を行く。

すっかり夏草が茂り、登山道にも進出しているが、スパッツを装着しなければならないほどでもなかった。
いつもよく見る変わった形の葉っぱの植物に花が咲いていた。

とっても小さな、ちょっとピンクがかった花だった。初めて見た。
次に気になったのは、白いまだら文様の入った葉っぱ。

これも名前は分からない。
こちらはカニコウモリ。こんなに集中して群生しているのはめずらしい。

大きな倒木をくぐる。

歩き始めてから10分ほどで、右手に木々を透かして、建物が見えてきた。

何だろう?と思ったが、豊平峡ダムへのバス乗り場であることが分かった。
ちょうど、建物が見える位置にお地蔵様が安置されていた。

いつ頃のものなのだろう。いい感じに苔むしていた。
再び倒木。

このあたりはトドマツの植林だ。

石仏から10分ほどで1回目の渡渉。
右岸から左岸へと渡る。ここには立派な橋が架けられていた。

左手に沢を見ながら、徐々に道は勾配を増していく。

さらに5分で、第二渡渉地点。

ここは丸太を組んだ橋が架けられていたが、滑りそうなので、かなり慎重を要した。
この橋を嫌って、あえて川を渡る人もいると見えて、すぐ先に踏み跡があった。
冷水沢川の川幅もかなり狭くなってきた。

今度は枝沢を渡渉。

樹林帯の中の比較的単調な道だが、こうした渡渉があると気分転換になる。
この橋のすぐ近くに、エゾトリカブトが咲いていた。

トリカブトは、あちこちで見られた。
かわいらしい葉っぱの塊。

この赤い実は、ナナカマドでもオオカメノキでもない。何だろうか。

これまた名前の分からない花だ。


植物図鑑はこういう地味な花が、ちゃんと分かるように載せてほしい。
調べるのが大変なのだ。
もう一度、枝沢を渡渉。とうとう橋も何もなくなってしまった。

このあたりで標高600mほど。

登山口から40分かけて、まだ150mしか登っていない。
ハート形の大きなキノコ。

この葉っぱの形が気に入ったので写真に撮っておいた。

登山口から50分弱で林道横断地点に到着。

コースタイムは1時間なので、ここまでは順調だ。

とりあえず、ここでひと息入れることにした。
ここに掲げられた冷水小屋の看板によると、開館日は第1・第3土日とある。
これを「土曜日」と読んでしまって、今日は開いていないのだなあと勘違いしていた。

10分ほど立ち休みをして出発。

再び、黄色い巨大キノコを発見。

こちらは小さな白いキノコ。もう山は秋の気配だ。

3回目の枝沢渡渉。

右岸から冷水沢川を見下ろす。


その先で、左に逸れる踏み跡にロープが張られていた。

土砂崩れの跡でもあるのかなと思ったら、20m程でこの踏み跡は登山道に合流していた。

何のための通行止めなのか不明。道を1本に統一して、荒れる面積を減らそうとしたのだろうか。
標高750mほどのこのあたりは「台風高原」と呼ばれる。

ここだけ台風が来やすいということはないのだろう。
台風の影響を受けやすい場所ということか。
調べてみたら、1954年(昭和29年)の洞爺丸台風で多くの木々がなぎ倒されたことが名前の由来らしい。
現在は、ダケカンバやトドマツの再生林になっている。
ツリフネソウの仲間のキツリフネ。

本当に、細い茎1本で吊り下がっている。
ヤマアジサイ。

これはたくさん咲いていた。

久しぶりに冷水沢川の本流を渡る。

ここにもエゾトリカブト。水辺が好きなのかな。

サラシナショウマ。

サルノコシカケ。

カニコウモリ。

おお、やっと冷水小屋が見えてきた。

黒い壁に赤い屋根。なかなかしぶい。

涸れ沢を渡ると到着である。

とにかく、ひと休み。玄関前の階段に腰を下ろす。

林道横断地点からはコースタイム50分のところ、40分かからずに着いたので、かなり順調だ。「山と高原地図」のタイムが甘いのかもしれないが。

鉄パイプからほとばしる沢水で、さっそく顔を洗った。

その名の通り、めちゃめちゃ冷たい。
ただ、「夏山ガイド」によれば、以前、大腸菌が検出されたそうで、飲用不適だそうである。

とくに、「飲用不適」との看板は掲示されていなかった。
北海道は大腸菌以前にエキノコックスの心配があるので、生水はそもそも飲用には適していない。だから、あえて注意書きがないのかもしれない。
チョコやグミなどの行動食で栄養補給。

ちなみに、この日は第3日曜日だから人がいるはずだが、小屋は開館していなかった。

15分ほど休んで出発。ここからとうとう急登が始まる。

手を使わないと登れないほどの斜度だ。

アキノキリンソウも慰めにならないほどだが、写真を撮る口実で休むことはできる。

この木の根は強烈だった。

(つづく)
【2019年8月4日(日)】狩場山
狩場山(1520m)から下山中。
高山植物パトロールの人に案内され、通行禁止になっている廃道を特別に歩かせてもらっている。

ここはアオノツガザクラの大群落であった。


人が滅多に立ち入らないエリアなので、クマの糞も多い。

6合目付近は落石だらけだった。

というわけで6合目に到着。

ここは登りの項でも紹介した通り、エゾカンゾウの大群落。

あとはミヤマキンポウゲ。

大落石地帯でもある。


私どもが着く前に、団体さんは出発していた。

ここで、ゆっくり15分ほど休憩した。

出発したのは12:40頃。

ここから、おそらく1時間くらいか。

5合目を15分ほど通過。

狩場山地を眺めながら、どんどん下る。



さらに10分で四合目。

ここで10分ほど休憩。
あとは一気に登山口までノンストップで下った。



本日、登ったのは8組だった。

お疲れ様でした。

最後にもう一度、千走川を見学にいった。

するとナメ滝の中に牛がいた!

最近人気のエゾニュウ。

というわけで、駐車場に戻ってきた。

所要時間は6時間20分。ちょうどいい運動量だった。
新しい靴は、ちょっと左足のかかとが軽い靴擦れになった程度。
終盤、足裏が疲れてきたのは、インソールを入れ忘れたせいかもしれない。
まだ、14時を過ぎたばかりで時間があるので、ふもとのドラコンウォーターなるものを見学に行った。

途中、高山植物パトロールの人が教えてくれた、珍しいブドウマイマイをO君が発見した。

でも、誰かに踏まれたのか、つぶれていた。
殻も身も真っ黒なのが特徴で、東北地方や北海道に分布しているそうだ。
まだ蘇生できるかもしれないので、もうつぶされないよう、道の脇によけておいた。
林道から脇道を200mほど歩くと、小さな園地に出た。
そこに龍を描いた石碑がある。

賀老の滝には、龍神伝説が伝わっているそうだ。
大略、以下の通りである。
昔、小太郎という青年が龍神の住むという大きな滝のそばで怪我をした小鹿を助けた。
それから数年が経ち、小太郎は金山奉行所を預かるようになったが、当時、幕府の税の取り立てが厳しく、金を隠そうと考えた松前藩主の命で、隠し場所を探して滝の前まで行くと、以前助けた鹿が現れ、滝壺を指し示す仕草をする。
すると龍神が現れ、小太郎の優しさに応えるため、金を守ることを約束。小太郎は滝壺へ金を隠した。
幕府はそのことを知り探索に行くが、役人が滝壺へ近づくと龍神が現れ、嵐を呼ぶ。
みな一目散に退散し、その後も金を盗もうとして滝壺に近づく者は、ことごとく龍神の怒りに触れ、 誰一人その埋蔵金を手にすることはなかった。
賀老の滝には普通あるはずの滝壺がないが、それはまだ金が埋められているからだと言われている。
小公園内に鳥居があったが、祠みたいなものは見当たらなかった。

ドラゴンウォーターは川原から湧き出しているようなので、河原に下りてみた。

パッと見、どこが湧き出し口なのか、よく分からなかったが、ちょっと上流にみかん色に染まっているところを発見。

コップも設置してあったので口に含んでみたら、確かにかなりの炭酸である。

しかし、この色から想像できる通り、鉄分の含有量がものすごく多く、とても飲めた代物ではなかった。
これを飲んだせいか、急にO君が「やばい、出そうだ」と言い出した。
あわてて車に戻り、賀老の滝展望台は省略して、賀老高原キャンプ場のトイレへ急ぐ。

どうやら間に合ったらしい。
男子用は和式だったが、障害者用が洋式だったので、「洋式もあるよ~」と個室に声をかけたら、O君は移動。
洋式でもしっかり出したらしい。

結局、賀老の滝は観光せずに帰ることにしたが、至近距離で見える展望台へは徒歩30分くらいかかるので、何かの機会に滝目的で再訪することにした。

それでは、賀老の滝よ、さようなら。

O君のお腹も落ち着いたので、近くにある千走川温泉へ。

入浴料金は1人500円。

ここは宿泊もできる。

先代の建物の写真が掲示されていた。木造だったようだ。
現在の本館は1981年に完成、95年に改築されている。

泉質はナトリウム-炭酸水素・塩化物泉(中性低張性温泉)、旧泉質名は含食塩-重曹泉。
源泉の温度は39.2℃、ph値は6.5とのことである。

露天風呂もあるが、この日は湯を埋めていなかった。

温泉が発見されたのは1871年(明治4年)で、温泉施設が造られたのは1885年のことだそうだ。
とにかく、3人で入湯。全員笑顔である。

床は温泉の成分で波の文様ができていた。


浴室が異様に暑かったので、露天風呂への扉を開けたら、アブが侵入してきて、私とH君が噛まれてしまった。
でも、お湯は最高だった。
ここで、私は全国400湯を達成した。
15:20過ぎに出発。札幌へ向かう。

その前に、海沿いのコンビニでソフトを購入。
セコマのオリジナルソフトは、○んこの形をしていて面白かった。

下山後、とくに風呂から上がった後のソフトは格別だ。
晩御飯は黒松内の道の駅で有名なピザを食おうと立ち寄ったが、とっくに完売閉店していた。


結局、晩飯は諦めることにした。

途中、中山峠のふもとにある農園売店でとうきび(1本180円)をおみやげに買い、
18時半頃に帰宅。
H君、運転ありがとうございました。
夕張岳に続き、気持ちのいい登山だった。
【行程】2019年8月4日
駐車場(7:37)~登山口(7:38撮影7:40)~1合目(7:54)~2合目(8:07)~3合目(8:21)~4合目(8:30休憩8:36)~5合目(8:50)~6合目(9:08休憩・撮影9:23)~7合目(9:36)~8合目(9:42休憩9:46)~9合目(10:05撮影10:12)~南狩場山(10:19撮影10:22)~親沼(10:37撮影10:39)~小沼(10:44)~山頂(10:52昼食・撮影11:28)~南狩場山(11:51)~9合目(11:58)~8合目(12:11)~7合目(12:14)~6合目(12:24休憩12:39)~5合目(12:55)~4合目(13:06休憩13:16)~3合目(13:23)~2合目(13:32)~1合目(13:41)~登山口(13:54)~駐車場(13:56)
※所要時間:6時間19分(歩行時間:4時間35分)コースタイム:5時間15分
※登った山:2座(南狩場山、狩場山)
※歩行距離:8.3km
※累積標高差:約870m