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山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

旧戸井線(5)

【2019年3月20日(水)】旧戸井線
軍用鉄道として建設された旧戸井線を歩きながら、汐首岬にたどり着いた。
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岬の澗に下りていく坂は石畳になっていた。
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澗の入口はわりと狭い。
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これも戦前の遺構なのであろう。
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汐首岬を後にして、さらに国道を東に進むと、崖の中腹にトンネルの坑口が見えてきた。
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ただ、あそこまで登るのは至難の業だ。
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そのトンネルの反対側。
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ちょっと木が邪魔だ。
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戸井線はなおも続く。
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瀬田来町地区に入ると、今度は小さなスパンのアーチ橋が現れた。
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白く化粧されているのは、遺構の保存のためではなく、防災のための補修工事らしい。
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しかし、これだけ見事なものが残っているのに、観光に生かそうという動きがほとんどみられないのは実にもったいない。
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と思っていたら、トンネルの手前に廃線跡まで上る階段を発見。
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案内板も何もないが、一応、現地を見学できるようにはしてあるのか?

とにかく車を停めて上ってみたいのだが、集落の中の道が狭く、駐車できる場所が見つからない。
たまたま人がいたので、「ここに車を停めていいか」と聞こうとしたら、「そこから入れば階段があるよ」と教えてくれた。
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身馴れぬ人が来たら、大抵アーチ橋の見学者だと分かっているのだろう。
車も駐車OKとのことなので、お言葉に甘えた。

階段への入口はとても自力では発見できないようなところだった。
階段を上ると、当然ながら徐々に集落や海が見えてくる。
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トンネルまで来られるとは思わなかった。
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シンプルな坑口である。
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中に入ると、天井に異常はないのに、落盤の跡のように土砂が積もっていた。
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それを乗り越えてみる。
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トンネルの長さは30mくらいだろうか。
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向こうまで行ってみたいのはやまやまだが、落盤が怖いので止めておいた。
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路盤の方はヤブが刈られていて歩けるので、行けるところまで行ってみた。
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なぜ、ここだけ、このように整備されているのだろう。
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相変わらず、何の案内板もないのだが。
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100mほどで廃線跡は途絶えてしまった。
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ここは橋をかけるべき場所だったのだろう。
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国道が東へと延びていた。
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海岸のほんの狭い空間に道路と民家がひしめいているのが、よく分かる。
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その向こうに武井ノ島。
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東側の端にも階段があったので、それで下ることにした。
下りながら西側を見ると、白いアーチ橋が美しい。
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国道まで下ってきて、やっと合点がいったのだが、ここは津波の際の一時避難地として指定された場所だった。
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やっと謎が解けた。案内板などないはずだ。
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地元の人にとっては当たり前の風景で、これが観光資源になるとは思っていないのだろう。
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この辺りは基本的には漁師町であり、コンブ漁が盛んなようだ。
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少し進んで、脇道に入ると、蓬内川を渡る。
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この新しい橋の下に戸井線の橋脚が隠れていた。
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危うく見逃すところだった。
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蓬内橋の近くには廃線跡が歩ける状態で残っていたが、写真だけに留めておいた。
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これが瀬田来町地区にある最後のアーチ橋。
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こちらは白く塗っていない。
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真下に民家があるので、ちょっと撮りにくかった。
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カメラを向けていたら、このお宅の方に「何を撮っているの!」と気色ばまれてしまった。
「アーチ橋です」と答えたら、納得したように引っ込んでいった。

蓬内橋の近くにあった鳥居。
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これが本殿。
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鉄道工事はこのあたりまでしか進んでおらず、あとは戸井駅予定地跡まで数分。
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戸井のバス停がある館町地区である。
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上り方向(函館市街方面)のバス停には古びた待合所があった。
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中は鉄道の駅と違って殺風景。
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今度は廃線ではなく廃道歩きのため、あの先まで行ってみたい。
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戸井漁港を屏風のような岩が隠していた。
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その右に戸井漁港の灯台と武井ノ島。
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山側にはまっすぐ神社への参道が続いていた。
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あたりをちょっと散策。車の中から撮ったら斜めになってしまったが、この大きな建物は函館市総合学習センターである。
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とっくに廃業してしまったマルゼンストアー。
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戸井町漁業協同組合東戸井支所。
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ここは函館の漁協とは合併してないようだ。
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「めざそう早期実現」とあるが、本気だろうか。
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旧役場の前に戸井村道路元標を発見。
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こちらが、もともとは戸井町役場だった函館市役所戸井支所。
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連絡橋より戸井線の活用法を考えてほしい。
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とりあえず、これにて旧戸井線行脚は終了。
この後は昨日回り残した函館本線の駅舎めぐり。
そちらの方はすでに「函館本線(道南)」編で紹介したので省略する。

帰路は国道278号のバイパスは避けて海岸沿いの旧道を選んだ。
すると、こんなロマンチックなバス停を発見。
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字の部分の修正の跡があるので、もとは違う名称だったのだろう。
「白い浜」というわりには、海岸が護岸工事で固められており、白砂の海岸というイメージではなかった。

そのすぐ先で見つけたのが、釜谷富士の説明板。
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蝦夷地の時代から、航海の目印になっていたそうである。
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残念ながら、登山道はないらしい。
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付近には古びた木造家屋がいくつもあった。
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この床屋さんはさすがに廃業したようだ。
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というわけで、函館本線駅舎の旅に移行。
旧戸井線は思った以上に迫力のある遺構がたくさん残っていて、満足できた。
実際に廃線跡を歩くのは危険が伴うが、眺めて楽しむくらいの観光案内はあってもいいのではないかと思った次第。
ご検討のほどを。

(おわり)





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旧戸井線(4)

【2019年3月20日(水)】旧戸井線
函館の旧戸井線の廃線跡を踏査中。
石崎町を過ぎると、廃線跡を転用した市道は国道278号バイパスに合流した。
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この後はしばらく、この国道が廃線跡ということになる。

国道が海岸に向かって下り始めるところに分岐があり、そこを左に入る。
おそらくこっちの方が廃線跡だろうと思ってのことだ。
間もなく左に広い空地が広がっているところに出て、その奥に立派な石碑が立っていた。
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戸井町立汐首小学校が創立百周年を迎えた時に建立されたもののようである。
この小学校は1880年(明治13年)に開校、1998年に閉校した。

ある方のブログによると、2016年の時点ではまだ校舎が残っていた。
ということは撤去されたのは最近のことだ。道理で砂利が新しいはずだ。
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旧小学校前の道はその後、急勾配で海岸に下りてしまった。
戸井線は小学校の裏に敷かれていたようである。
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廃線跡は崖の中腹を走る形になり、ちょっと通行不能だ。
見上げると、路盤を支えるためのコンクリートの擁壁が続いているのがわかる。
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廃屋の前に車を停めて、その遺構を撮影した。
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路盤の山側は石垣で固められている。
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海岸の西側を振り返ると、尖った山が目についた。
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この時点では同定できなかったが、後に釜谷冨士(228m)であることを知った。

汐首神社前バス停を通過。
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旧戸井町のマンホール。
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右下にいるのが戸井町のマスコットキャラクター「トーパスちゃん」。
背景には海とカモメも描かれていた。

汐首神社の背後あたりに汐首駅予定地跡があるらしいので、急斜面を登っていった。
しかし、その場所がよく分からないので、たまたま外にいた人に聞いてみたら、さらに上だという。
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児童館のあるところがそうだと教えてくれた。
そこまで行ってみると、西の方にまさに廃線跡らしき道路が延びていた。
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まず、そっちの方に行ってみることにした。
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間もなく道は途切れるが、まだ行けそうだ。
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この付近は昭和58年から平成2年にかけて保安林の改良工事が行われたようである。
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戸井線の路盤跡が出現。
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海の眺めが素晴らしい。
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暗渠を渡る小さな橋があった。
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山側の擁壁は1975年に改修されたもので、当時の遺構ではない。
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この暗渠もその時に切られたものかもしれない。
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下まで排水路として続いているようだし。
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この先はヤブになっているので引き返す。
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車を横づけに停めたあの建物のあたりが汐首駅予定地跡のようだ。
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さっきのおじさんは児童館と言ったが、実際は公民館(汐首西会館)だった。
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しかも「元」だから、今は使われていないみたいだ。
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奥の団地のような建物にもひと気がなかった。
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ここは駅を建設するために、かなり広い土地を造成したようだ。
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さらに東へ廃線跡は続いていたので、そのまま進んでみた。
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しかし、すぐに道は行き止まりになり、あとはヤブになってしまった。
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やむなく引き返す。
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車はバックするしかない。
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ここからは海岸沿いを走る国道がよく見えた。
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そして汐首漁港も。
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汐首神社まで下りてきた。時間の都合で参拝は省略。
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海岸沿いの国道を走っていると、山側に戸井線の擁壁が延々と続いているのが確認できた。
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国道より20mほど高い位置を走っている。
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そして、いよいよ真打ちの登場。まさにローマの水道橋である。
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端からちゃんと見ていこう。
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ここは汐首岬灯台のすぐ手前の位置にある。
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全長62m、アーチは8連くらいある。
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よくもまあ、これだけのものを戦時中に造ったものだ。
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近代土木遺産に選定されているらしい。
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あの上を歩いてみたいが、取り付きはあるのだろうか。
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景観的に手前の民家や電線がなければ完璧なのだが、こればかりは仕方がない。
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右にちょっぴりのぞいているのは、汐首岬灯台。
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アーチの高さはやはり20mくらいあるだろうか。
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せっかくなので、汐首岬灯台にも行ってみることにした。
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下から仰ぎ見ると、戸井線の橋脚と灯台が見事なコンビネーション。
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灯台の方がはるかに先輩のはずだ。
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国道ぶちにあった灯台入口に「立入禁止」などという寝ぼけた表示があったが無視。
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コンクリートの道を登っていく。
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この橋脚には孤高の美がある。
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奥に橋台もかすかに確認できる。

東側の橋台。
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眼下に国道278号と津軽海峡。
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このヤブがまさに廃線跡。
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初点灯は1893年(明治26年)11月2日とのことである。
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橋脚の上面はこのようになっている。
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路盤跡と橋台も上から見ることができた。
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灯台に到着。
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塔の高さは11m、海面からは50mある。
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右手が一段高くなっていたので登ってみた。
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石垣やコンクリートの柵のような構造物があったが、何の遺構なのかは分からない。
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ここには車で直接来ることはできないようだ。
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駐車場が必要なわけではないのに、灯台の敷地がなぜこんなに広いのかも不思議である。

東側の橋台を真正面から。
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車まで戻る途中に、再びアーチ橋の雄姿。
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物資不足のため鉄は使用されておらず、現地の砂利と木や竹を使った「木筋コンクリート」だそうである。
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アーチ橋周辺の斜面は治山施行地であった。
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十分堪能させていただきました。ありがとうございました。
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すぐ近くだが、車で汐首岬まで移動。
そこには、北海道~本州最短の地と書かれた看板が立てられていた。
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距離は17.5kmしかない。
以前は、戸井と大間の間にフェリーも運航されていたはずだ。

陸側を見上げると、戸井線の遺構がよく見える。
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山側の擁壁である。
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せっかく岬なので海にも注目しよう。
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岩礁にはカモメさんがたくさん休んでいた。
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海の色がとてもきれい。
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東の方角には、標高57mの武井ノ島が浮かんでいた。
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岬の突端は澗になっていた。
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(つづく)
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旧戸井線(3)

【2019年3月20日(水)】旧戸井線
旧戸井線の廃線跡を歩いている。と言っても、車を使ってではあるが。
廃線跡は湯川町を過ぎると、松倉川を渡るが、そこには橋台などは残っていない。
その後、根崎公園の東側に沿って高台へと登っていく。
その道に合流すべく別ルートを走っていたら、なにか石碑を発見。
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道南口説節の歌碑だった。歌の存在自体初めて知った。
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根崎公園の南辺を東に進むと、廃線跡と交差した。
これが松倉川から登ってきた廃線跡である。
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ここで右折し、廃線跡を転用して整備された市道を進む。
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函館空港の南側を滑走路に沿って走る一直線の道である。
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途中にあった出雲大社函館講社を通過。
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さらに行くと、高松展望広場なるものを見つけたので寄ってみた。
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函館空港の展望台ということで、滑走路を模したモニュメントが設置されている。
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そこから飛行機が飛び立つ情景だ。
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その向こう本物の滑走路が見える。
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滑走路全景。
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管制塔。
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待機している小型機。
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アンテナ。その左に五稜郭タワーも見えた。
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休憩所まである。
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中にはカーペットが敷かれており、マンガ本まで用意されていた。
観光客というよりは地元の人向けのようだ。
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高松展望広場を後にして間もなく、今度は中央広場なる園地があった。
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ここからは旧戸井線の築堤が明瞭に見てとれた。
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廃線跡はかなり拡幅されて道路になっている。
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この辺は銭亀沢駅が置かれる予定だったあたり。
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銭亀沢地区の東端で舗装道路が終わり、廃線跡はダートになった。
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と思ったら、この道は廃線跡ではない。すぐ横のラインに築堤と橋台が見えたからだ。
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今回初めて見た戸井線の遺構である。
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戦時中に建造された質の決してよくないコンクリートだが、わりときれいに残っていた。
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海側から見た姿。
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このアンダーパスは何かの施設への通路になっている。
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校門らしきものが残っているが、もともとは学校でもあったのだろうか。
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実は廃線跡の山側にも門のようなものがあった。
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国道からは、その施設に通じる階段が設置されている。
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両サイドからワイドで。
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西側の橋台の脇から上に登る小路があったので行ってみたら、きれいに刈られた築堤の上に出た。
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ここまででは、もっとも廃線らしい雰囲気を残す場所だ。
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この地図では、今、登ってきた小路は青で示されている。
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少し高い位置から俯瞰。
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ここからだと橋台の構造がよく分かる。
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橋台の西側はヤブがひどく、廃線跡は歩けなかった。
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もともと学校だったと思われる場所は、函館協働宿泊所になっている。
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ここは1897年(明治30年)に開設された「仲山救護所」をルーツとする障害者のための支援施設である。

橋台遺構のすぐ東に「紀念」と刻んだ石碑が道路脇にぽつんと立っていた。
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明治四十一年十月工藤福松氏●●●
建築御影奉置所寄付為●有志七村●
●資建石傳●●●●不朽
  正五位勲四等龍●●・・・
現地でちゃんと確認しなかったので、写真だけでは判読できない字が多いが、工藤福松はここ銭亀沢で明治時代に財をなした漁業家らしい。

枯れたイタドリに覆われた廃線跡。
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高台から汐泊川まで下ってくると
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河口近くに4本の橋脚が現れた。
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高さは7~8mくらいだろうか。
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手前西側には橋台も残っていた。
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旧戸井線のハイライトの一つである。
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西端の橋脚。
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コンクリートの表面がかなり剥がれ落ちている。
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混ぜてあるのは、かなり粒の大きい礫だ。
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しかし、潮風にさらされて約80年、よくもっていると言った方がいいのかもしれない。
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上流側から見た橋脚群。
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そして下流の汐泊川橋から。
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鉄橋は架けられることなく終わったのだろう。
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川の左岸に渡ってきた。
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実にいい眺めである。
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近くに銭亀沢中学校があるようだ。
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川の東、築堤の続きと思われる場所を行く。
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この先は雪捨て場となり行き止まりだったが、ここがおそらく渡島古川駅の予定地であった場所なのだろう。

築堤の北側の道を東に進む。
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すると、再びアンダーパスが現れた。
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これは予想外だった。
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近くには廃屋がいくつもあった。
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これだけしっかりした遺構があれば、地域の人も「昔ここに鉄道を作ろうとしたんだなあ」と忘れないでいてくれるだろう。
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ここに橋台があるということは、この道は戦前からあった道だということだ。
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非常に保存状態もいい。
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橋台の上に上がれるので登ってみた。
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上部の構造はこのようになっている。
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コンクリートにはやはり大きな礫が混じっている。
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振り返って、築堤上の路盤跡。
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格好の子供の遊び場だが、もうその子供すら、ここにはほとんどいないのだろう。
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橋台の東側は、生活の小路として廃線跡が活用されていた。
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橋台方向は侵入禁止にしてある。
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ちょっと、芝生状になった廃線跡を歩いてみた。
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その先は細い舗装道路となって続いている。
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道路に転用されて市道石崎白石線だ。
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斜面をトラバースするような形で建設されている。
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トラバースが終わると高台に出る。
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右手眼下に見えてきたのは、石崎漁港。
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津軽海峡の向こうには下北半島が見えるはずだが、今日は残念。
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道は細くなって、さらに続く。
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このくらいの幅員だと、往年の雰囲気を感じ取りやすい。
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車ではなく、とぼとぼ歩いてみたくなった。
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(つづく)

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旧戸井線(2)

【2019年3月20日(水)】旧戸井線
未成線・旧戸井線(函館市)の跡を歩いている。
切通しの上をまたぐ橋まで来たが、随分古いコンクリート製の橋だ。
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戦後間もなく架けられたものかもしれない。

コンクリート製のアーチ橋をくぐると、また別の橋が見えてきた。
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湯の沢川を渡るさつき橋である。
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それぞれ、ちゃんと銘板があった。
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これも、もちろん戸井線の遺構ではない。

次から次へと構造物が出てくるので、なかなか引き返せない。
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相当な距離を、こうして保存してくれているのに、ここが戸井線の跡だったというガイダンスは残念ながら一切ない。
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案内板ひとつ置くだけで、観光にもひと役買うことになると思うのだが。
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この青い橋はライラック橋。
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川ではなく道路をまたぐ橋である。
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なかなか立派なトラス橋だが、これも当時のものではない。
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橋を渡ると築堤がゆるやかにカーブを描き始めた。
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そして湯の川を渡る黄色い橋は緑園橋である。
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この先もまだ続いているが、もう15分以上歩いてきたので、そろそろ引き返すことにした。
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ただ同じ道を戻るのも芸がないので、ライラック橋の手前で下に下りて側面を観察。
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築堤の断面をしっかり確認することができた。
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銘板を見ると、1979年12月の製造。
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こちらの製造者の表記は「函館どつく」ではなく「函館ドック」になっていた。

遊歩道に戻り、来た道をたどる。
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坂道を登ると、さっきの古いアーチ橋が見えてきた。
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切通しの壁を登る道があったので、そちらへ行ってみた。
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すると、アーチ橋の上に出ることができた。
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残念なことに銘板が4つの欄干すべてで失われており、橋の名称や完成年などを知ることはできなかった。
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橋自体もかなり傷んでいた。
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アーチ橋から旧戸井線跡を俯瞰してから
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再び、遊歩道に戻る。
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アーチ橋はコンクリートの劣化が激しいようで、破片の落下で事故が起きないよう、覆いが設置してあった。
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レンガっぽく彩色したガードをくぐる。
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函館大有斗高校の横を通過。
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融雪液の自動散布装置「しみる君」の存在は初めて知った。
幕末、英国人のE・H・ハンターが神戸で創業した貿易会社「範多商店」を源流とする道路機械メーカー「範多機会」の商品である。
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これだけ太い樹木は公園化する際に植樹したのだろうか。
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廃線後、自然に生えていたものを残すというのは、ちょっと考えにくいから、おそらく植栽なのだろう。

というわけで30分ちょっとの散策を終えて車に戻り、遊歩道の終点に向かう。
その途中、地形図にあった温泉マークをチェック。
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日帰り入浴施設の「にしき温泉」であった。
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開店は正午からなので、まだ開いていなかった。
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ここに入りに来る機会は死ぬまでに訪れるだろうか。
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せっかく湯の川地区に戻ってきたので、湯倉神社を参拝していくことにした。
裏の駐車場脇にあった摂社の日吉神社。
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湯倉神社の本殿&拝殿の側面。
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拝殿の正面。
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私もささやかな額の賽銭を入れてお参りした。
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境内にあった御神木のイチイ(オンコ)。樹齢は推定370年とのこと。
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願い事を何でも書いていいのか、この掲示板は皆さんの書き込みで真っ黒になっていた。
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神輿殿と豊受稲荷大神の鳥居の列。
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その手前に控えていた神兎(なでうさぎ)。
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なでると神のご加護が得られるそうだ。
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神楽殿には、振れば万病が治るという治癒の小槌や開運の小槌が置かれていた。
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豊受稲荷は撮影だけにしておいた。
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境内には石碑もいくつか。これは忠魂碑。
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湯川昆布の養殖で功績のあった坂田孫六(1844~1911年)の遺徳碑(1916年建立)。
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浜中栄吉の都々逸歌碑「帰り咲きした花にも宿る情け変わらぬ月の影」(1963年建立)。
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参拝者の休憩所「常若の杜」では、おじさんがたむろして煙草を吸っていた。
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水琴窟。
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手水鉢。
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社務所に寄ると、「函館イカすおみくじ」なるものが1杯300円で売られていた。
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なかなか商魂たくましい。
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湯の川温泉の開湯は約550年前。
承応二年(1653年)、後の松前藩9代藩主松前高広となる千勝丸が難病の折、母の清涼院が夢のお告げで湯の川の存在を知り、湯治で全快したので、翌年にもともとあった薬師様の社殿を改築したのが、湯倉神社の開創とされているそうだ。
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神社の正面。
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階段で20段くらいある。
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境内はだいたい回った。
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湯の川温泉は函館市街からちょうどいい距離にある気がする。
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ついでに湯川町2丁目の案内図。
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神社のある高まりのふもとに「湯川温泉発祥之地」の碑があった。
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湯の川温泉には元和三年(1617年)から湯座があったそうだ。
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この碑が建立されたのは、意外に新しく1947年(昭和22年)のことである。
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その後ろの境内に「湯倉の大銀杏」。
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門前にある湯の川電停を遠望。
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では、もう一度大鳥居をくぐって、参拝は終了。
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車で緑園通の終点まで移動してきた。
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ここから少し、始点に向かって歩いてみた。
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相変わらず、よく整備されている。
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市道をくぐるトンネル。
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この辺りは、歩道と自転車道が段違いになっていた。
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歩道が赤、自転車道が青である。
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見覚えのある橋がでてきた。
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さっき、始点からここまで歩いてきて引き返した緑園橋だった。
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これで緑園通りは両方から攻めてすべて歩いたことになる。
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満足したので、自転車道の方を歩いて戻る。
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少しでも同じ道は歩かない主義なので(笑)。
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誰が書いたか、明るい落書き。
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ハリストス正教会バージョンの函館市マンホール。
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緑園通の先の廃線跡は車道として続いていたが、侵入禁止のため省略させてもらった。
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(つづく)

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旧戸井線(1)

【2019年3月19日(火)】旧戸井線
函館市内での仕事を終え、この日の宿、湯の川観光ホテル祥苑に到着した。
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チェックインして、早速お風呂へ。
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ここの湯はナトリウム・カルシウム-塩化物泉(中性等張性高温泉)とのこと。
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源泉は64.8℃で、ph値は6.5。弱酸性である。
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浴室は広く
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露天風呂もゆったりとしていた。
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内湯には天然鉱石ブラックシリカの湯のコーナーも。
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平日だし時間が早かったからか、わりと空いていた。
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風呂から上がって、ひと息ついたところで、街へお出かけ。
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今夜は五稜郭界隈の寿司屋で函館勤務の先輩と懇談する約束をしている。
湯の川電停まで10分ほど歩き、そこから市電に乗って向かう。
お隣のホテルは河畔亭。
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湯の川の夜景。
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竹葉新葉亭は高級感がある。
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18時半ともなるともう真っ暗である。
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18:35、湯の川電停に到着。
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電車は行ってしまったばかりだったが、すぐに次がやってきた。
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「美鈴号」に乗り込む。函館が発祥の地である美鈴コーヒーにちなむ電車だ。
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始発なのでガラガラだったが、すぐに中国人観光客とかで満員になった。
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1次会は鮨島うた。奥尻島出身の大将のお店だった。
写真は撮りそびれたが、お寿司はとてもおいしかった。
2次会は、元町のカフェバー「やまじょう」。
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「キッチン」など函館ロケ3部作のある森田芳光監督のメモリー・スペースがあるお店だ。
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マスターは映像文化関係に造詣が深い函館文化人である。
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ギリヤーク尼ヶ崎の話題で盛り上がりキリがなくなったので、深夜12時をもって切り上げ。
タクシーで宿に戻ってきた頃にはもう12時半になっていた。
すぐ布団に入って、即沈没した。

【2019年3月20日(水)】旧戸井線
7時から朝食だったので、6時半頃に起床。
パッキングとトイレを済ませ、バイキング会場に行ったら、中国人でほぼ満員。
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昨日の18時頃にはほとんどお客さんがいなかったのに、少し遅めに到着したのだろう。
おかげで、席取りが大変だった。
今朝のチョイスはご覧の通り。
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白いご飯は止めて、ラーメンにしたが、スイーツは確保した。
おかずは函館に敬意を表してイカ中心にした。

食後、チェックアウトして8時に出発。
まずは旧戸井線の廃線跡を利用した歩行者・自転車専用道路「緑園通」の入口を目指した。
戸井線は函館本線五稜郭駅から戸井町(現函館市)の戸井駅までの約29kmを結ぶ計画だった未成線のことである。
津軽海峡は国防上重要なエリアであることから、1922年(大正11年)の改正鉄道敷設法の別表で「函館ヨリ釜谷ニ至ル鉄道」が整備すべき鉄道として位置づけられた。
1944年(昭和19年)の完成を目指して、36年に着工され、路盤工事は9割方終了していたが、戦時中の資材不足のため43年に工事は中断。結局、完成せずに終わった。

地形図を見ると、ちょっと知識があれば、そのラインを容易にたどることができる。
五稜郭駅から北に延びた道が右へ大きくカーブして南東に進路をとる道路が特徴的だが、これこそが廃線跡を転用した道路である。
この道路は五稜郭の北をかすめ、本通二丁目と三丁目の境で一旦途切れ、遊歩道となる。
その入口がここだ。
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振り返ると、この通り、車道である。
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レンタカーは近くの郊外型店舗の駐車場に置かせてもらって、少し遊歩道を歩いてみた。
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それなりの幅があるからか、歩道をゆるやかにカーブさせながら、築山を築いたりして、園地っぽくしつらえている。
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市民の憩いの場になっているようだ。
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実際に、犬の散歩をしている人やジョギングをしている人など、様々な人が利用していた。
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休憩所もあちこちに設置してある。
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函館市の市章は巴の形。函館港の別名「巴の港」が由来である。
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しばらく歩いたところで引き返す。
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さっきの交差点まで戻ってきた。
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ちなみに、この交差点の目印は川原二号橋。
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今度は車で、さっきの遊歩道の出口に移動。
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すると、外国人が速足で歩いてくるのに出くわした。
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このあたりでも、歩道はうねうねしていた。
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出口の先(南東方向)は一旦、市道になる。
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柏が丘通である。
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ただ200mほどで市道はまた途切れ、遊歩道となる。
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ホテル緑園通の駐車場に一瞬だけ置かせてもらい、遊歩道を確認する。
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入口の目印は、「深堀小学校」の看板だ。
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今度は歩道と自転車道に分離されている。
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最も右側にある舗装路は車道である。
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市街地では、ほとんど直線のまま湯の川温泉方面に続いている。
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徒歩で歩き切るのも結構大変だが、車でのつまみ食い歩きも気があせってよくない。
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2分くらい歩いたところで引き返した。
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それにしても、こうやって廃線跡を歩道として残してくれているのは、ありがたい。
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車に戻って、また少し前進。遊歩道沿いの駐車帯みたいなところに停めてまた歩く。
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古い住民はいざ知らず、この道が昔、鉄道を敷こうとしたところだったことは知らない人が多いのではないか。
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鮫川を渡るところは鉄橋になっていたので
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橋の下に下りてみた。
戸井線の遺構であることを期待したが、見るからに新しい。
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橋台のコンクリートも明らかに戦前のものではない。
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銘板があったので見てみたら、1989年12月の完成。やはり最近のものだった。
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製造者はなんと「函館どつく」。船以外も造るんだ。

上に戻って橋を渡る。つつじ橋というようだ。
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ここはかなりの勾配がある。
当時のままの傾斜ではないのだろうけど、SLにとってはかなりの難所だったことだろう。
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鮫川の護岸はコンクリートでしっかり固められていた。
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さっき車を置いた所は、人の敷地ではないので、気にせず長く歩ける。
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歩けば歩くほど、戻る距離もその分増えるのだが。
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一般道を横断。
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さらに信号のある交差点も通過。
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この先が峠になっているようなので、あそこまで行ってみよう。
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登り坂の右手に函館大学付属有斗高校の裏門があった。
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甲子園出場経験もあり、道内では有名な高校だが、実物は初めて見た。
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学校裏は休憩スポット。
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路面の雪はほとんど解けていてありがたかったが、一部まだ残っていた。
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峠を越えてしまったが、あのトンネルの先まで行ってみよう。
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これまでのところ、この遊歩道が廃線跡であるというだけで、具体的な遺構は全くない。
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しかし、ここに線路が通るはずだったんだなあと思いながら歩くだけで、気持ちがいい。
一種の「ヘンタイ」である。
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トンネルを抜けると、また登りに転じた。
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見ものが次々に現れるので、なかなか引き返せない。
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このあたりは切通しになっていた。
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(つづく)
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函館本線(道南)(6)

【2019年3月20日(水)】函館本線
函館本線の駅舎めぐりを終えて、ニヤマ温泉に到着したのが15:45。
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16:30には駅前のレンタカー店に着いていたいが、そのためにはここを16:20に出ればいい。時間は35分ある。大丈夫だ。
入浴料は西大沼温泉の半額で540円。
なんと先客は誰もおらず、独占かつ撮影し放題だった。
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ここの源泉は正式名が仁山高原温泉。
泉質は単純温泉(低張性弱アルカリ性温泉)である。
泉温は38.8℃。ph値は7.7とのことだ。
少し加温しているようで、奥の浴槽はちょっと熱い。
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手前の方が適温だったので、そちらでゆっくりと背筋を伸ばした。
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10分以上入っていられそうだったが、時間が限られているので、そうもしていられない。
体を洗って、最後に熱い方にも入り、汗が出る前に上がった。

休憩室では薪ストーブが焚かれていて、熱いくらいだった。
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すぐ近くにある仁山駅にも別れを告げて、新函館北斗駅へ急ぐ。
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予定通り、レンタカー屋に16時半に到着。
あとはもう急ぐ必要はない。
駅前にあったモニュメントも、ゆっくり撮影。
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全国各地の石材を埋め込んだもので、北海道ストーンクラブが寄贈したものだそうだ。
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駅に入る前に少しだけ探検。
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前庭に「カール・レイモンゆかりの地」の説明板。
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函館でドイツ製法のハム・ソーセージを作り続けた方だ。

北斗市内にある四稜郭の形を模した花壇。
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四稜郭は松前藩が築いたもので、桜の名所としても知られているそうだ。
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その向かいに、三橋美智也生誕の地の石碑があった。
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ミッチーについては説明不要であろう。

石碑の後ろに、函館湾の地底鉱山「峩朗鉱山」で産出された石灰岩が展示されていた。
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この鉱山では1892年(明治25年)頃から採掘が行われているという。
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隣に、新函館北斗駅の前身、渡島大野駅にあったレンガ造りの油庫も保存されていた。
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1911年(明治44年)に建築されたもので、駅構内の照明や機械設備に使用する油類を保管していた倉庫だそうだ。
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では、駅舎に入りましょう。
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エスカレーターで2階へ。
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2階から南口を一望。開業から3年経ってもあまり市街地化は進んでいないが、車を借りたトヨタレンタカーの営業所が写っている。
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函館市内や洞爺湖町の縄文遺跡で構成される「北海道・北東北の縄文遺跡群」は今年、世界遺産に推薦される見通しだ。
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ご当地乗車券。売れてるのかな?
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こちらは新幹線の改札。
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当方は「函館みかど」の売店で駅弁「北の家族」を購入。
在来線ホームでビールとつまみを買い込み、特急の到着を待つ。
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列車はまず16:56発の函館行きが入線。
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間もなく、私が乗車する特急スーパー北斗17号がやってきた。
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上下の特急がきれいに並んだ。
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指定席はとっていなかったので通路側の席も覚悟していたが、なんとか窓際を確保できた。
それでは、さっそくビールの栓を抜いて、ひとり打ち上げ。
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暗くなるまで、ゆっくりと車窓を楽しむことにした。
早速、仁山駅の加速線が確認できた。
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仁山駅通過。
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小沼の夕景。
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大沼・小沼にはいずれ、山とは関係なくゆっくり歩きに来たいものだ。
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長万部あたりで暗くなったのでパソコン作業開始。
南千歳を過ぎたあたりで、お腹が空いたので駅弁をいただいた。
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札幌には定刻通り、20:33に到着。
ちょっとだけ会社に寄って、21時に帰宅した。

(おわり)
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函館本線(道南)(5)

【2019年3月20日(水)】函館本線
函館本線の赤井川駅を訪問中。
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すると、ちょうど普通列車がやってきた。
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14:38発の函館行きだった。
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北海道ではお馴染みのキハ40である。
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驚いたことに1人下りた。荷物が多いようだが、これから迎えが来るのだろうか。
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ホームから離れて、列車を見送る。
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駅舎の横にもう1棟あったが、これは便所ではないようだ。
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お隣の駒ヶ岳駅までは車で10分。
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しかし、ナビに駅舎の反対側に案内されてしまった。
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せっかくなので反対側からの眺めも楽しませてもらう。
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駒ヶ岳の頂上までは、ここから3時間だそうだ。
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駅名の由来は言うまでもあるまい。
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反対側からだと、駅舎と駒ヶ岳を並べて撮ることができた。
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2面2線の相対式ホームである。
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中央に側線があり、上下線のホームはかなり位置がズレている。
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駒ヶ岳駅は1903年(明治36年)6月28日、北海道鉄道(当時)の延伸に伴い宿野辺駅として開業した。
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翌年10月15日に駒ヶ岳駅に改称されている。
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駅の裏側のわだちをそのまま車で進んだら、構内に入ってしまったので引き返す
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駅の正面へは跨線橋ではなく、車で移動。
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踏切を渡ると、駒ヶ岳は剣ヶ峯が中央に見えた。
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これが駅舎の正面観。
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三角屋根のデザインはやはり剣ヶ峯を意識したのだろう。
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JRに移管された翌年の1988年(昭和63年)3月に改築された駅舎である。
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駅前には、古い木造の倉庫と随分前に閉店したように見える商店が並んでいた。
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この駅と大沼公園駅の間には「維新の道」と呼ばれるフットパスが設定されているようだ。
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これは駅横にあった関連施設。
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駅舎の大きさのわりに待合室は狭い。
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改築の時点ですでに、それほどの利用客は見込まれていなかったのだろう。
1972年(昭和47年)4月5日に早くも無人化されているくらいだし。
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跨線橋が設置されたのは40年前の1978年(昭和53年)12月30日。
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隣の駅が「もり」になっているのは、隣にあった東山駅が2017年3月4日に廃止されたからである。
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ちなみに、旧駅名の宿野辺は、アイヌ語の「シュプン・オ・ペ」(ウグイの群生地)に由来するとされている。
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今度は貨物列車がやってきた。
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相当に長い。
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様々な種類のコンテナを連結している。
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宅配便もJRを利用していることを知って、うれしくなった。
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それでは跨線橋に登ってみよう。
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しかし、期待した駒ヶ岳はちょうど樹木の陰になっていた。
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函館方面。
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森方面。
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ここから駒ヶ岳が見えたら完璧だったのだが。
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駒ヶ岳駅の1日の乗降人員は2011~15年の平均で10人以下だったそうだ。

線路に沿った未舗装の道を通って、東山駅跡に向かう。
その道からも駒ヶ岳の雄姿をばっちり望むことができた。
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その名称の由来については、山が馬の背の形に似ているからとも、または相原季胤(中世の津軽安東氏の配下にあった松前守護職)が戦死した際にその愛馬がこの山に上ったためとも言われている。
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あの間伐材はおそらく薪にするのだろう。
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このあたり、すっかり雪が解けてしまっていた。
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春が近いのだ。
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駒ヶ岳駅から10分弱で東山駅跡近くの踏切にたどり着いた。
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踏切のすぐ横に、駒ヶ岳の裾野(サミットは175m)を越えるためのスイッチバック(加速線)の跡が残っていた。
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この加速線は道路を越えて、さらに延びていたらしいが、そちらの築堤はすでに消滅していた。
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「鉄道林」の標識を発見。「○ふ」とは何のことだろう。
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踏切からだと、駅のホームがあった場所は確認できない。
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でも、奥は排雪と泥濘だったので、ホーム跡まで行くのは断念、この施設だけ記録しておいた。
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ちなみに、東山駅は1943年(昭和18年)2月26日、東山信号場として開設された。
1949年8月1日に東山仮乗降場となり、1987年4月1日、駅に昇格した。
廃止は前述の通り、2017年3月4日である。
1面1線の単式ホームで、車で行ける道路はなく、踏切から線路際の小道を歩く必要があったらしい。
2012年の1日平均乗降人員調査は0人だった。

次は姫川信号場。
1913年(大正2年)8月1日、姫川信号所として開設され、1951年(昭和26年)5月19日(?)、姫川仮乗降場となり、旅客の取扱いを開始した。
駅に昇格したのは、JRに移管された1987年(昭和62年)4月1日である。
1991年12月24日には駅舎が改築されたが、2017年3月4日、東山駅などとともに廃止となった。現在は信号場として機能している。
それはいいのだが、駅に行く道が見つからない。
国道から関連施設らしきものが林越しに見えたので、路駐してやぶこぎをすることにした。
車を停めたところから見た駒ヶ岳。また形が全然違う。
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畑の縁を横断して、林を抜けると、信号所の電気関係施設が現れた。
CIMG6284_20190324153325381.jpg

階段は駅だった当時、ホームに下りるために使用していたものなのだろう。
CIMG6283_20190324153323379.jpg

廃止される前はこんな駅舎だった。
Himekawa_Station_20090308.jpg(ネットより)
時間もないし、線路内に立ち入るのは危険なので、対岸からの観察のみで撮影は終了。

4月中旬並みの陽気の中、あちこち歩き回って汗をかいたので、温泉に立ち寄ることにする。
現在、15:25。乗る予定の特急は新函館北斗発が16:55。
あと1時間半しかないが、入浴時間30分のカラスの行水なら間に合うだろう。
最初は、西大沼温泉にナビをセットしたのだが、信号待ちでHPを検索してみたら、なんと日帰り入浴が1080円もする。
それはちょっと高いので、昨日外観だけ撮影済みのニヤマ温泉に行き先を変更。
国道5号をひたすら南下した。

(つづく)
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函館本線(道南)(4)

【2019年3月20日(水)】函館本線
昨夜は函館市・湯の川温泉の「湯の川観光ホテル祥苑」に泊まった。
20日は旧戸井線(未成線)の廃線跡を巡ってから、昨日回り切れなかった駅舎を訪ねる予定だ。
しかし、思った以上に戸井線の遺構が残っており、かなり時間を費やしてしまった。
おかげで、今日の函館本線はかなり急ぎ足になってしまった。
戸井線の踏査(これについては別稿で紹介します)を終えたのは13時前
お昼を食べる時間がなくなったので、コンビニでパンを買って、運転しながら食べた。
五稜郭駅のお隣、桔梗駅に着いたのは13:45。
CIMG6175_2019032406355934b.jpg

随分メルヘンチックな駅舎ではないか。
1989年に改築されたものらしい。
CIMG6176_20190324063600dc0.jpg

開業は1902年(明治35年)12月10日。
CIMG6177_2019032406360294e.jpg

現在は北海道キヨスクへの業務委託駅となっている。
CIMG6179_20190324063605045.jpg

函館圏の近郊駅ということで、かなりの本数が運行されている。
CIMG6178_201903240636034ec.jpg

駅員がいるので改札の中に入るのは諦め、ホームは外から覗くだけ。
真ん中に側線があるが、基本的には2面2線の相対式ホームであった。
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駅名は地名から採ったものだが、この辺りにキキョウが群生していたことから「桔梗野」と呼ばれていたのだという。
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この跨線橋は1976年(昭和51年)11月23日に設置されたもの。
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2015年度の1日平均の乗車人員は320人とのことである。
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駅前に、開業75周年を記念した石碑とSLの動輪が置かれていた。
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75周年ということは1977年の設置ということになる。
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駅舎のすぐ横に「赤松並木を歩くみち」の案内板があった。
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ここから七飯町役場あたりにかけての国道5号線の沿線には、明治時代に植えられたアカマツの並木が延々と続いているのだ。
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実際に、その道を車で走ることになった。
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江戸末期の1858年(安政5年)、当時の箱館奉行組頭、栗本瀬兵衛(鋤雲)が佐渡からアカマツの種子を取り寄せ、五稜郭周辺に植樹した。
その後、1876年(明治9年)に明治天皇が開拓使の七重勧業試験場に行幸したのを記念して、相当数が札幌本道(国道5号線)沿いに移植されたという。
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1986年(昭和61年)に「日本の道百選」に選ばれ、1990年には公募で「赤松街道」と命名された。
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赤松街道は函館市桔梗町から七飯町字峠下までの14.3kmに及ぶが、保存されている樹木数が多い核心部分は七飯町の大中山~鳴川町あたりの約2kmの区間だそうだ。
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その起点となる大中山駅に到着。
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2013年12月12日に改築されたばかりの新駅舎である。
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それ以前はこのような、雰囲気のある駅舎であった。
oonakayama050820(4)1.jpg(ネットより)

駅前からは北東に横津岳(1167m)を望むことができた。
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駅舎のホーム側。正面とそっくりだ。
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跨線橋はホームの中からと外から、どちらからでも渡ることができる。
つまり自由通路を兼ねているわけだ。
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新しい駅舎だけに、トイレがめちゃめちゃきれいで機能的だった。
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JR側は「新たに建て直す無人駅にトイレは設置しない」方針だったが、通勤通学客などのために七飯町が設置したのだそうだ。

木調が美しくセンスのいい駅ではある。
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開業したのは1946年(昭和21年)12月1日。当初は大中山仮乗降場だった。
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2面2線の相対式ホームである。
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駅名に採用された地名は、近くを流れる大川から採った大川村と、幕末の箱館奉行所開拓係・中島辰三郎の名字から採った中島村の2村が合併した際、村名を大中山村としたことに由来する。
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駅に昇格したのは1950年(昭和25年)1月15日。
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1992年4月1日に完全無人化された。
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跨線橋に入ってみると、自由通路とホームをつなぐ道が中で分離されていたのに驚いた。
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しかし、2番線ホーム側ではふたつの道がつながっていたので、さらに驚いた。
考えてみれば、無人駅なのだから、通路を二つに分離する意味は全くないのである。
有人駅時代の名残で仕切りの柵が残っているのだろう。

函館方面。
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森方面。
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跨線橋から望む横津岳。
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その東の峰に林立するアンテナ群。
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1日の平均乗車人員は92人(2013年)とのこと。
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2016年3月26日の北海道新幹線開業に伴い、この駅を含む函館本線の五稜郭駅~新函館北斗駅間が電化されたのだそうだ。
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駅舎と反対側の自由通路出口。
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ここからだと、すぐにホームに行くことができる。
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背後には函館の駅弁を製造している「函館みかど」の工場があった。
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跨線橋内に「きっぷ入」。
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ちょうど、下りの特急が通過していった。
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函館13:53発のスーパー北斗13号だ。
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再び、赤松街道を北上し、赤井川駅を目指す。
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この辺がもっとも密度の高いところだ。
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アカマツは青森県が自生の北限とされているが、すでに樹齢130年余に達しているものもあるという。
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北海道開拓の歴史を伝えるアカマツ並木も、排気ガスなどの影響もあって倒木・枯損が目立つことから、後継樹の育成・補植が進められているのだそうだ。
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この美しい景観をぜひ守っていきたいものである。
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しつこくてすいません。
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しかし、幹のうねり具合がなんとも芸術的である。
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まあ、これで最後にしておきます。
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あとは時間節約のため函館新道を経由する。
その途中に七飯町役場があったので、またコレクションしてしまった。
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これじゃあ、時間の節約にはならない。
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14:30過ぎに赤井川駅に到着。
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開業は1904年(明治37年)10月15日。
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JRに移管する直前の1987年(昭和62年)3月に改築された駅舎である。
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無人化されたのはかなり古く1972年(昭和47年)4月5日のことだった。
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待合室はかなり狭い。
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運行本数は桔梗駅などと比べ極端に少なく、1日6往復のみである。
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2番線ホームへは構内踏切で移動する。
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駅名の由来となった赤井川という地名は、アイヌ語の「フレ・ペッ」(赤い・川)を意訳したもの。
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この付近を流れる川の水が常に濁っているためとされる。

ホームは1面1線の単式ホームが2つ並ぶ珍しい方式。
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島式ホームには片側しかホームがないということだ。
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ご覧の通り、島式ホームの駅舎側の線路が埋められているのが分かる。
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ここもホームが長いが、かつては長大な列車が走っていたのだろう。
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私が大学1年の夏、東京から札幌に帰省したとき、函館発小樽経由札幌行きの普通列車に乗ったが、それもそれなりの長さがあったような気がする。
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ずっと窓を開けて風に当たっていたら、ディーゼルの排気ガスで顔が真っ黒になったっけ。
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この駅の利用者は1日たった4人(2012年)だそうである。
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ただ、雰囲気はとても好み。
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列車はたいてい駅舎側の1番線に発着するが、列車の待避などに利用する場合は2番線が使用されるという。
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(つづく)
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函館本線(道南)(3)

【2019年3月19日(火)】函館本線
函館本線の砂原支線池田園駅を訪問中。
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駅の名称は、当地の開拓の祖、池田醇(あつし)氏が、大沼国定公園に付随して、付近一帯を公園にしようという計画を持っていたことに由来するという。
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しかし、公園化は実現しなかったようだ。
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この駅には長大なホームがあるが、かつてはこんなに長い連結の列車が発着したことがあったのだろうか。
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跨線橋から鹿部寄りのホームは廃線状態で雑木が生い茂っている。
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しかし、その中にちゃんとナンバリング表示のある駅名標が残っていた。
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2011~15年の1日平均乗降客数は10人以下だそうだ。
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ホームの縁石はコンクリートの表面が剥がれて、中の礫が露出していた。
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おそらく1945年開業当初のものだ。

駅前は別荘風の家屋が多かった。
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次の大沼公園駅に向かう途中に、前を通過した七飯町立大沼中学校。
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どこから見ても、駒ヶ岳は美しい。
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大沼公園駅近くにあった巨大な建物はホテルではなく、福祉施設だった。
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名称は「野畔(あぜ)の花」。130戸もあるという。
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その向かいにあった空き家。
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間もなく大沼公園駅に到着。ちょっと電線が邪魔だ。
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左に近代的な観光案内所があった。
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正式名称は「七飯町大沼国際交流プラザ」。
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駅前の雰囲気。ここは「千の風になって」誕生の地なのだそうだ。
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主な宿泊施設とスキー場(函館七飯スノーパーク)を結ぶ送迎バス乗り場がロータリーにあった。
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派手な色彩のステーションホテル旭屋。
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レンタサイクルのフレンドリーベア。
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この周辺には、大沼の島々を巡るいろんな遊歩道があるようだ。
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改めて大沼公園駅のファサード。
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この駅舎は1983年(昭和58年)に改築されたものだそうだ。
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開業は1907年(明治40年)6月5日。当初は北海道鉄道の大沼公園臨時乗降場だった。
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1924年(大正13年)11月10日、駅に昇格し、大沼駅(2代目)となった。
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キオスクは無期限休業中。
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業務委託駅で駅員がいるので改札の中へは入らず、外から覗いた。
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特急が停まるわりには1面1線の単式ホームである。
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1日の平均乗降客数は244人(2012年)。

お隣の観光案内所には顔ハメがあったが、受付嬢を連れてきて撮らせる勇気はさすがになかった。
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大沼公園駅を後にして、仁山駅へ向かう。
国道5号の峠を越えて、右折を繰り返す。
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すると、正面に仁山スキー場が見えてきた。
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もうかなり雪は解けており、すでにクローズ状態だ。
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そのスキー場のふもとに仁山駅はある。
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駅のトイレも木造で屋外にあった。
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手洗い場も独立した感じで立っていた。
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駅の横に顕彰碑。仁山駅が1944年(昭和19年)に移転する際、工事用の道路のための土地を提供してくれた大道寺小市医師に感謝の意を表したものである。
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建立はそのかなり後の1997年盛夏。裏面には、大道寺氏の経歴が書かれていた。
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そもそも仁山駅が開業したのは、1936年(昭和11年)9月15日。国鉄函館本線の仁山信号場として開設された。
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現在は2面2線の相対式ホームである。
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このほかに、「加速線」と呼ばれる、下り列車専用のスイッチバックの引込線が函館方に分岐している(この写真では確認できない)。
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ここは20‰に達する急勾配なのである。

駅名は当地の地名に由来する。語源はアイヌ語の「ニ・ヤマ」(木・栗山)との説があるが、はっきりしないという。
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栗がたくさん取れたところだったのだろうか。
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ホームを見学していると、ちょうど上り列車が入線してきた。
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14:53発の函館行きである。
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続いて、同時刻発の長万部行き下り列車も。
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ちょうど、ここで列車交換だったのだ。
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絶妙のタイミングだった。
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上り列車からは誰も下りなかったが、下り列車からは1人だけ下りた乗客がいた。
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乗った客はゼロだった。
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ちなみに、仁山駅は1943年(昭和18年)に仁山仮乗降場として旅客の取扱いを開始。
翌年9月、信号場前への取り付け道路建設に伴い移転し、現在の駅舎に改築された。
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開業以来、有人の信号場・仮乗降場だったが、1986年11月1日に完全無人化され、翌年4月のJR移管と同時に無人のまま駅に昇格した。
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お隣の新函館北斗駅は、新幹線開業前は渡島大野駅だった。
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1日の乗降客数は最新データで18人。
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森方面。かなりの急勾配であることが見てとれる。
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うれしいことに、上下両方のホームの駅名標が同時に撮影できた。
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周辺の名所はニヤマ温泉と仁山高原。
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やはり戦前の駅は味わい深い。
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いくら眺めていても飽きない。
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この改札口など涙が出るくらい懐かしい。
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待合室も殺風景だが、それがまた哀愁をそそる。
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屋内は清潔に保たれていた。
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しかし、残念ながら壁にはいたずら書きもあった。
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駅に昇格した後も駅名表示はしばらく「仁山信号場」のままだったそうである。
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駅の真向いには、ニヤマ温泉あじさいの湯があった。
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その隣に、レストランN・Kヴィラ。
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N・Kとは「仁山高原」のことだろうか。

最後に車の中から仁山駅に別れを告げた。
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もう15時を回ったので、仕事先へと向かうことにする。
16時からの仕事は、ほぼ1時間で終了。
今宵の宿へ向かう。仕事先の向かいに立派な廃屋があった。
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函館市役所が近くにあったので、これもコレクションしておいた。
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宿は、湯の川温泉の湯の川観光ホテル祥苑。
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現在は、伊東園ホテルズの傘下に入っている。
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かなり大きなホテルで、棟が3つか4つもあった。
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わりと静かな感じなので、ゆったり過ごせそうだ。
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それでは、お邪魔致します。
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エントランスは和風のたたずまい。
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部屋は4階。窓からは湯の川を望めた。
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すでに布団が敷かれていた。
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では、さっそくお風呂に参りましょう。
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(つづく)




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函館本線(道南)(2)

【2019年3月19日(火)】函館本線
函館本線の砂原支線銚子口駅からさらに東へと分け入り、休業中のホテル白樺を過ぎて
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100mほど行くと、旅館留の湯があった。
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こちらは元気に営業中であった。
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近くの小屋の壁に掲げられていた、有史以来の駒ヶ岳の噴火の歩みと温泉の成分などを書いた説明板。
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単純温泉で、源泉の温度は42.3℃(1981年測定)とのことである。

この宿は水曜日が休館日だそうである。
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別棟もあり、わりと大きな宿だ。
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見た目、旅館というより日帰り入浴施設っぽい。
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でも、宿泊者専用の露天風呂も用意されていた。
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いずれ泊まりに来ることはあるだろうか。
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当然ながら、ここは大沼国定公園のエリア内。
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近くに「東大沼温泉」そのものの説明板があった。
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かつて、大沼周辺には亀の湯、鳳の湯、留の湯、熊の湯などの温泉があったが、このうち留の湯は1856年の駒ヶ岳噴火で湯治客が被災したとの記録も残っているほど歴史が古い。
旅館「留の湯」の営業が始まったのは1876年(明治9年)だそうだ。

銚子口駅から東大沼温泉に至る道の脇に朽ち果てた小さな小屋がたくさんあったが、キャンプ場のバンガローの跡だろうか。
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道端には「留の湯」へ誘導する手作りの標識がいくつも立っていた。
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大沼電鉄の廃線跡はよく分からないが、もしかして、この道路がそうなのかも。
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銚子口駅の隣にあったのは「東大沼駅前会館」。
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銚子口駅が東大沼駅を名乗ったことはないのだが、不思議な名称だ。
「東大沼」地区にある「駅前会館」という意味なのだろうか。
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釈然としないまま流山温泉駅に向かう。
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その途中にあった交差点で、どろ亀先生「高橋延清氏」を囲み記念植樹と書かれた標柱を発見した。
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高橋延清(1914頃~2002年)の名は初耳なので調べてみたら、岩手県出身の林学者で長く東大の北海道演習林長を務めた方だった。
作家の高橋克彦のおじであった。

流山温泉駅に行くべく、流山温泉踏切を渡る。
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しかし、車で行ける道がよく分からず引き返し、近くの道道沿いにあった駐車場に車を置いて、ホームの反対側から歩いていくことにした。

この駐車場は大沼の湖畔に出られる地点にあったので、ついでにそちらにも行ってみた。
ここはちょうど北緯42度に位置するようだ。
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ちなみに42度というと、アメリカ大陸ではエリー湖を横切る位置だ、
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湖面の氷はだいぶ解けていたが、岸には氷が押し寄せているような景観だった。
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もう水が現れている場所もある。
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駒ヶ岳はこれから雪解けなのだろう。
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割れると怖いので氷の上にはのらないでおいた。
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大沼は浅いし波も静かだから凍りやすいのだろう。
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西の方角には二股山(826m)らしき山を望むことができた。
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流山温泉駅に向かう途中で見つけた路盤の下をくぐる暗渠。
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林を抜けて、ホームの反対側に出た。
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正規の通路ではないが、やむを得まい。
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流山温泉駅は、JR北海道が主体となって開設した自然体験型観光施設に接続するため、施設オープンの前日、2002年4月27日に開業した。
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流山温泉はその施設の中核であったが、赤字経営が続き、2015年2月28日をもって閉館した。
その後、事業は大沼流山牧場を運営する「どさんこミュゼ」に譲渡され、2017年6月から週末を中心に営業しているとの情報もあるが、依然休業中との情報も。
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そういうような状況なので、1日の乗降人員は2011~15年の平均で10人以下。
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いくら駅に近くても、1日に8往復くらいしかない鉄道で遊びに来る人はめったにいなかったに違いない。
現在は通過列車も多く、上下合わせて7本しか停まらない。
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書体には力が入っていたのだが。
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池の向こうに見えるのが、流山温泉の施設(のちに判明)。背後は横津岳(1167m)北面のスキー場「函館七飯スノーパーク」。
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流山温泉がJRの手を離れた以上、ここに駅を存続させる理由はないのだが、事業を受け継いでくれた「どさんこミュゼ」さんへの義理もあるのだろう。
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ホームの後ろに置いてある動輪は、東北・上越新幹線で使われていた200系電車のものだそうだ。
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かつてここには新幹線の車両そのものが静態保存されていたが、老朽化のため2013年に撤去されたとのことだ。
BMIcxwOCEAERcWx.jpg(ネットより)

代わりに展示されている動輪も相当錆びついている。
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ここは風光明媚なところなのだが、大勢の人を呼ぶには魅力が今ひとつだったのか。
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現在は、在来和種馬の道産子を扱うミュージアムになっている。
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言わずもがなだが、1面1線の単式ホームであった。
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駅を離れた直後、貨物列車が通過していった。
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相当な数のコンテナを連結していた。
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JR貨物のためにも、なるべく廃線にしないでおいてほしいものだ。
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青函トンネルを通って内地まで行くのかな。ガンバレ~!
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ぐるっと回って、その大沼流山牧場の正面に来てみた。
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最初はこの中に流山温泉があるとは知らなかったので、遠巻きに写真だけ撮って通過してしまった。
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しかし、結局見つけられないまま、はるか遠くまで来てしまった。
駒ヶ岳を望む駐車場に車を停めて、ネットでよく調べてみたら、やはりさっきの牧場の中にあることが判明。
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引き返して、牧場内に侵入。
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ここからの駒ヶ岳の眺めも秀逸だった。
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そして、あれがおそらく旧流山温泉の施設。カフェレストランの表示が見えるので、やはり温泉の営業はしていないのかもしれない。
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ここでは、道産子に体験乗馬などができるようだ。
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でも、せっかくなので温泉の再開も期待したい。
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それでは、次の池田園駅へ。こちらは駅裏にあった大沼牛ステーキの店「ランバーハウス」。
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ランバーとは材木のことである。
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ここが池田園駅への入口なのだが、かなり遠回りだ。
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陸橋で線路を渡る。
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かなり粗悪なコンクリートが使用されていた。1945年開業当時のものだろう。
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池田園駅も銚子口駅のようにオレンジ色にペイントされていた。
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背後に跨線橋が見える。
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駅舎側にホームがないので、乗客は必ず跨線橋を渡らなければならない。
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1945年(昭和20年)6月1日、砂原支線の開通に伴い開業した駅である。
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この駅舎に改築されたのは1980年(昭和55年)3月のこと。
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上り列車はすべて函館行き、下りはほとんどが森行きだが、1本だけ長万部行きがあった。
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ホームは島式だが片方しか使用していないようだ。
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跨線橋を登る。
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ポスターなど1枚もない。
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かつては島式ホーム1面2線の列車交換可能な駅であった。
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ホームの鹿部寄りは全く使用されず、草木が生い茂っている。
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駅舎の裏側。すぐフェンスになっているのが、妙な光景。
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駅の裏側には跨線橋を渡らず、構外に出られる通路があった。
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(つづく)
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函館本線(道南)(1)

【2019年3月19日(火)】函館本線
19日はほぼ1年ぶりの函館出張。
アポは午後4時なので、早めに出て空き時間を作り、駅舎めぐりに充てることにした。
自宅を朝8時に出発。8:39札幌発の特急スーパー北斗6号に乗車した。
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チケットは1週間前くらいに買ったのだが、その時点ですでに窓側はなかった。
乗ってみたら、指定席は満席とのこと。この時間帯の平日はビジネス客が多いのだろう。
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駅弁は高いので、コンビニで助六寿司を買った。
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窓側は20代のサラリーマンという感じの男性だった。
発車間もなくして、検札の車掌さんが来た。
時々、行き先の駅を声に出して言う人がいるが、あれは止めてほしいと思う。
一種の個人情報ではないか。
それはともかく、おかげでお隣さんは森駅まで行くことが判明した。
私は新函館北斗までなので、窓側に移れるのはわずか30分だ。
がっかりしたが、気持ちを切り替え、読書に勤しんだ。1時間近く寝てしまったが。
11時を過ぎたら、もうお腹が減ってきたので、八雲駅あたりで助六を食べてしまった。

間もなく森駅とのアナウンスがあり、お隣さんが準備を始めた。
しかし、到着してもなぜか下りようとしない。
なして?と思っていたら、発車間際になって、急に立ち上がって出口に向かった。
妙な動きであったが、間に合ったのだろうか。
と、いぶかしんでいたら、なんと新函館北斗駅で彼が前を歩いているのを発見。
結局、乗り越してしまったようだ。
でも、もしそうなら手前の大沼公園駅で下りるはず。
それともどちらで下りても、引き返す列車の同じなので、新函まで行ったのか。
実に不思議であるが、関係ないので、詮索はここまで。

いずれにしろ、青年は森駅で席を立ってくれたので、そこから車窓を楽しむことができた。
すぐ左手に見えたのが、明治天皇御上陸地碑。
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ここは明治期に森桟橋(函館と札幌を結ぶ交通は当初、森~室蘭間は海路だった)のあった場所で、干潮だと当時の桟橋の杭が林立しているのが見えるはずなのだが、あいにく今日は水没していた。

左手は砂原回りの線路。
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真っ赤な鉄橋を渡ると
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砂原支線は左へ徐々に離れていった。
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しばらくすると、駒ヶ岳の雄姿が現れた。
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左が砂原岳(1112m)、右が剣ヶ峯(1131m)である。

その西側の山並みは二股岳(826m)や弥五兵衛岳(650m)あたりだろうか。
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駒ヶ岳は見る方角によって、表情ががらりと変わるのが面白い。
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大沼が見えてくると
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間もなく大沼公園駅に停車する。
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というわけで、12:07、定刻通り新函館北斗駅に到着。
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そそくさと、駅南口にあるトヨタレンタカーの営業所に向かう。
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駅前にひとつだけあるホテルは、ホテル・ラ・ジェント・プラザ函館北斗。
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新函館北斗駅は北斗市観光交流センターも併設している。
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北斗市のマンホールは新幹線とトラピスト修道院だった。
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レンタカー屋で手続きを済ませ、12時半に出発。
まずは砂原支線の銚子口駅に向かう。
砂原支線は北部の鹿部駅から東森駅まで撮影済みなので、今回は南部の3駅が対象となる。
途中、トイレに行きたくなったので、先に大沼駅に寄った。
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駅前には、「大沼駅の歩み」の説明板を埋め込んだモニュメントが立っていた。
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それによると、大沼駅の開設にあたっては、1897年(明治30年)5月、当地に入植した宇喜多秀夫氏の功績が大きかったとのことである。
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開業は1903年6月28日。
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1920年(大正9年)6月15日、軍川(いくさがわ)駅に改称され、隣の大沼公園駅が大沼駅となったが、1964年(昭和39年)6月1日、再び大沼駅に戻った。
同時に、当時の大沼駅も大沼公園駅と、元の名称に変更されている。
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七飯町の町章は七つの輪。
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ウィキペディアによれば、この駅舎は1982年3月に改築されたものとのことだが、本当だろうか。かなり古く見えるが。
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運行本数は1日12往復半。
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有人駅なので改札の中には入れなかったが、窓越しに1面1線の単式(1番のりば)と島式1面2線(2、3番のりば)、計2面3線のホームが見てとれた。
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駅舎の外からホームを覗くと、駒ヶ岳が一望。
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剣ヶ峯が鋭く尖っていた。
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ちなみに、1905年から近くの「沼の家」が製造する「大沼だんご」が駅で販売されていたが、1993年頃に打ち切られた。
車内販売は続いていたが、これも今回のJR北海道車内販売全廃に伴い、終了してしまった。
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跨線橋。
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駅名もちろん、隣接している大沼に由来する。
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1日平均の乗降客数は最新のデータで126人だった。
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駅前通りの様子。
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トイレも済ませたので、改めて銚子口駅に向かう。
途中、池田園駅近くの線路脇にコンクリートブロックの廃墟があった。
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銚子口駅の奥に東大沼温泉もあるようなので、これもついでに確認しておこう。
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鬼柳4号踏切を渡ると、駅は間もなくだ。
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銚子口駅は箱型のシンプルな駅舎だった。
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1945年(昭和20年)6月1日、砂原支線(大沼駅~渡島砂原駅間)開通に伴い開業した駅である。
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完全無人化されたのは1992年。
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無人化された当時の1日平均乗降客数は44人だったが、2011~15年の平均では10人以下に減ってしまった。
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この日は暖かかった。13℃近くあった。
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運行本数は上り7本、下り5本となっている。
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待合室の中にトイレがあった。
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ホームは2面2線の相対式。
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跨線橋はなく、構内踏切で横断する。
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この駅からも駒ヶ岳を望むことができた。
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大沼方面。
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鹿部方面。
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駅名は、この付近が大沼の北東端にあたり、湖の端が細く銚子の形のようになっていることから付けられた地名に由来する。
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東大沼温泉までは徒歩でも20分ほどだ。
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ホームから見た駅舎。オレンジ色に塗色したのは最近のことらしい。
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線路際の作業小屋。
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かつては、この路線に並行して、大沼電鉄が走っており、駅前に新銚子口駅があったという。
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大沼電鉄は国鉄大沼駅と鹿部駅(砂原支線の鹿部駅とは別)を結んでいた鉄道で、1929年(昭和4年)に開業した。
しかし、1945年(昭和20年)の国鉄砂原支線の開通と同時に廃止。
戦後の1948年1月、新銚子口~鹿部温泉間で営業を再開したが、1952年12月に業績悪化のため廃止された。
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大沼電鉄の廃線跡はもうほとんど痕跡を残していないと思うが、機会があったら、ちょっと探してみたい。
こちらは賑わっていた頃の駅前商店「北川商店」。
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別荘っぽいお宅の前を通って、東大沼温泉へ。
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たどり着いたホテルの様子がおかしい。
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立派な看板は残っているが廃業してしまったようだ。
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調べてみると、ここホテル白樺は1980年に函館バス興業が開業した。
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2001年から湯の川温泉の名門湯の浜ホテルが経営を引き継いでいたが、宿泊者の減少と施設の老朽化のため2009年9月から休業に入った。
2~3年でリニューアルして営業を再開する計画だったが、10年経っても動きがない。
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館内には「レストラン銀河」も営業していたようだ。
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ここは駒ヶ岳噴火降灰量測定地点であった。
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(つづく)
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鳥越山(下)

【2019年3月16日(土)】鳥越山
鳥越山(669m)の頂上を目指して登山中。
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2時間15分くらいかけて標高500mあたりまで来た。
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きれいな隊列である。
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私だけ、撮影のため少し離れている。
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斜面は雰囲気のいい白樺林。
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これらは同じ木なのだが、左の方は樹皮がかなり剥がれていた。
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傾斜は徐々に急になっていくので
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ジグザグに登る。
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私は遅れを取り戻すべく、真っすぐショートカットして登った。
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先頭を引くのは、ガイドのAさんではなく、ラッセル大好きという若い女性。
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コース取りについては、Aさんが後ろから指示していたように見えた。
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ショートカットしたおかげで、後半チームを追い越してしまった。
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この斜面は疎林で見晴らしがいいので、写真がとても撮りやすい。
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左手の尾根の雪崩斜面がよく見えた。
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さて、いよいよ急斜面が迫ってきた。
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こんな角度である。
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樹木が、雪が下に流れるのを押しとどめている様子がよく分かる。
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前方に大規模なクラック発見。
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それにしても完全にガスってしまった。
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かろうじて、眼下にふもとの雪原が見える程度だ。
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やっとのことでニセピークに到着。
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すると、左手の斜面に大きなクラックが見えた。
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上は雪庇状態。
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この山は雪崩が多いのか、樹木が生えていない斜面が多い。
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山頂直下で、Aさんからスノーシューを脱ぐように指示があった。
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斜度があまりに急なため、つぼ足の方が安全と判断したようだ。
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雪が固く締まっているので、つぼ足でも踏み抜くことはない。
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どうやら、あそこが頂上のようだ。
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しかし、あいにくのガスである。
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これが頂上に立つ白樺。
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残念ながら山名板はなく、目印のリボンがくくり付けてあるだけだった。
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とりあえず、登頂を祝して、Aさんとハイタッチしてから、自分の陣地を確保する。
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幸いなことに風がほとんどない。
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おかげでダウンを着込むことなく、お昼にすることができた。
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本日はお手製のコッペパンである。
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どなたかが誕生日だとかで、誰かがお祝いのロールケーキを持ってきてくれたので、私にも一切れ回ってきた。ごちそうさまです。
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登頂したのは12:25だったので、所要時間は2時間50分。
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ランチタイムは25分ほどで終了。
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これは皆さんの食い散らかした、いや踏み荒らした跡(笑)。
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全員で記念写真を撮ってから下山を開始する。
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スノーシューをデポしてあった場所で、再び装着。
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急斜面では尻セード大会となった。
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順番が後の方が、お尻トレースがついているので滑りがいい。
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その分、スピードが出過ぎて怖いけど。
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下りはみな思い思いに歩ける。
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だから足跡がたくさん。
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480mピークのトラバースで、ご高齢の女性が足をつってしまい、Aさんが救助。
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雪も固いので、スノーシューを外して持ってあげたようだ。

では、本日の核心部。急斜面の長い下りだ。
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坂が急だと、スノーシューは扱いにくい。
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こんなにペロリと皮を剥がれた樹木を発見。シカの仕業だろう。
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山頂から1時間弱で林道まで下りてきた。
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ここで小休止。
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私はもう食べるものがなくなったので、ドリンクだけで我慢した。
ここもぴったり10分で出発。
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往路では気づかなかったが、林道にはネコヤナギが咲いていた。
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こんな雪の中でも植物はちゃんと春を感じ取っているのだ。
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再びきれいな隊列に戻った。
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右手は深い谷になっている。
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誰かが小さなハチの巣を見つけて、教えてくれた。
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これは、まつ毛の長い顔だこと。
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中腹の林道も終盤戦。
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カーブミラーのところから樹林帯の中に入る。
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このショートカットも急斜面なので、3か所目の尻セード。
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段差があるので、ちょっとお尻が痛かったかもしれない。
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ここは、私は歩いて下った。
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というわけで、札的内川の河畔まで下ってきた。
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すると、Aさんがフキノトウを発見。
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もう顔を出しているとは驚きだ。
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順調に砂防ダムを通過。
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前方に廃屋が見えたら、間もなくゴール。
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5時間ちょっとの山行であった。
今日は春の訪れを随所で感じた山行だった。
ここで皆さんに別れを告げて、私は先に出発。札幌へ向かう。

その前に近くにあった札沼線札的駅を確認。
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ついでに札比内駅も。
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国道275号の月形駅前交差点を通過すると
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すぐ先に、「月形まんじゅう」の溝口菓子舗があった。
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で、お目当ての中小屋温泉へ。
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ここは、ずっと来てみたかった温泉なのだ。
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入浴料は540円。
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1904年の開湯とのことなので、100年以上の歴史がある。
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脱衣所に2人ほどおじさんがいたが、幸い浴室には誰もいなかった。
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泉質の表示などはなかったが、硫化水素泉らしい。
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加温してあるが、なめらかでとてもいい湯であった。
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効用等は以下の通り。
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ゆっくり浸かってしていたかったが、用事があって17時半までに帰らなければならない。
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45分ほどの滞在でおいとまさせていただく。
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子熊ちゃんとシカさんにさようなら。
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国道に出る前に、温泉道路踏切を渡る。
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ここにはまたいずれ来ることになるだろう。
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ついでなので、最寄り駅の本中小屋駅にも寄ってみた。
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ここもあと1年とちょっとの命である。
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温泉まで駅から10分なので、廃線になる前に鉄路で来てみようかな。
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哀愁の漂うホームである。
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駅舎の中をちょっと拝見。
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ここは月形駅より札幌寄りなので、それなりの本数が運行されている。
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廃止になったら、蕨岱駅のようにこの駅舎も撤去されるのだろう。残念である。
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途中のコンビニで風呂上がりのアイスをゲット。
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160円と安いので買ってみたが、やはりそれだけ小さかった。
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札幌市内に戻ってくると、今朝積もった雪はすっかり解けていた。
帰宅は17:20。
行きたかった温泉にも行けたし、おまけの駅舎もあったし、楽しい山旅であった。

【行程】2019年3月16日
登山口(9:35)~約1km地点(9:57休憩10:02)~林道分岐(10:07)~林道合流(10:20休憩10:25)~標高300m地点(10:55休憩11:00)~480mピーク(11:32休憩11:42)~頂上直下(12;15着脱12:18)~山頂(12:25昼食12:50)~林道(13:47休憩13:57)~登山口(14:47)
※所要時間:5時間12分(歩行時間:4時間)
※登った山:1座(鳥越山)
※歩行距離:8.5km
※累積標高差:約600m
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鳥越山(上)

【2019年3月16日(土)】鳥越山
3月に入って初めての登山。ここのところ何かと忙しい。
統一地方選挙が近いせいだ。
その合間を縫って、Aさんのツアーに参加した。
1週間前に申し込んだら、すでに満員御礼とのことで、マイカー参加にさせてもらった。
今回は浦臼町の鳥越山(669m)である。
お隣の美唄市にマガンやハクチョウなどの渡り鳥の飛来で知られる宮島沼があり、鳥が越えてくる山だからというのが、名称の由来らしい。

登山口に近い道の駅つるぬまに9時集合とのことなので、自宅を7時半に出発した。
今朝は久しぶりの雪。夜中のうちに2~3cm積もっていた。
天気予報も雪のち曇りなので、山もそこそこ積もっているのだろう。
その方が春のガザガサの雪よりは、スノーシュー歩きの喜びを味わえるかもしれない。
車道は濡れており、凍結はしていない。ほぼ夏道同様に走れた。
途中、当別のコンビニで行動食を購入。
道の駅には8:55に着いた。
間もなく本隊も到着。お待たせせずに済んでよかった。

Aさんにご挨拶して、トイレを済ませ、少し戻る形で登山口に向かう。
登山口は国道275号を札沼線札的駅のところを右折(北西へ)。
すると前方に鳥越山が見えてきた。わりと登りでがありそうだ。
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除雪が途切れるところが登山口。
そこに車2台を並べて停め、準備を開始する。
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本日はAさん含め総勢11人。

全員で円陣を組み、簡単に自己紹介をしてから9:35に出発した。
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まずはしばらく平らな林道歩きである。
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まだ雪が降っている。前方に見える平らな白い線は何だろう。
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すぐに左折して、橋を渡る。
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札的内川である。
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川を渡ると右折して、札的内川の右岸を遡っていく。
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積雪は10cm程度。ほとんどラッセルはしなくていい。
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大きな木の下はもう土がむき出しになっていた。季節はもう春なのだ。
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さっき見えた白いラインは砂防ダムだった。
道路の訳はないし、何だろうと思っていたのだ。
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そのわきにある説明板で、Aさんが付近の山の概念についての説明があった。
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ここ樺戸山系は断層があって、傾斜も急なため、土砂が流出しやすいのだそうだ。
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この砂防ダムはかなり幅広で、夏には貯水池となるらしい。
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今はこんな感じで、まだ冬の表情だ。
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川の規模のわりに河川敷も広く、灌木が生い茂っている。
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20分ほど歩いたところで、着替え休憩。
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私は長袖の肌着、少し厚手の長袖シャツにアウターの3枚だったが、気温が高いせいか(雪は降っているが、たぶん2~3℃はある)すでに汗ばんでいる。
しかし、これは脱ぎようがない。
せめて肌着を半袖にしておけばよかったと、ちょっぴり後悔。
でも、思い付いて、Iさんの真似をしてアウターの前を開いたら、うまく温度調整ができた。

5分ほどで出発。
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林道の分岐を左へ。
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間もなく、林道を離れて、林の中に入っていく。
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ここは林道の大きなカーブを迂回する箇所なので、いきなり傾斜が急になる。
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標高差で70mほどを一気に登ることになる。
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新雪が松の枝に積もっていた。
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途中から最後尾に付いたので、写真が撮りやすい。
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登山口の標高が約90mだったので、頂上まで580mほど登ることになる。
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天気は今いちだが、途中、木々の隙間から石狩平野を望むことができた。
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やっと傾斜が緩んできた。
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13分でショートカットを終え、再び林道に出た。
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ちょうどその地点にカーブミラーがあった。
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登り切ったところで2度目の休憩。
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なんだか晴れてきた。いい感じだ。
ここでは、行動食のクッキーをつまんで、お腹に収める。
昨夜は会社の同僚とディープな焼肉屋に行って、かなり飲んだので、起きたときは軽い頭痛がしたのだが、そちらの方はもう全く大丈夫。
ただ、朝御飯があまりしっかり食べられなかったので、お腹が空かないよう、こまめに補給に努めた。

ここも5分で出発。
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林道を横断する形でまた林へと入っていく。
休憩中、地形図を確認したら、しばらくこのまま林道かなと思ったが、それは避けるようだ。
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数分歩いたところでまた林道に逆戻り。
ちょっと判断を誤ったのかな。

この林道から鳥越山の山頂を確認することができた。
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浦臼方面も。
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この林道は緩やかに登っており、約1kmで80mほど稼ぐことになる。
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それでも、まだ標高280mだから、先は長い。
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カーブミラーに映るツアー客たち。
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左手が開けると、斜面にたくさんのツリーホールを確認できた。
もう春がそこまで来ているのである。
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歩き始めて1時間ちょっと経過。
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どうやら雪は止んだようだ。
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林道を1kmほど歩いたところで尾根へと登っていく。
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標高300mに達したあたりで3度目の小休止。
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ここでも休憩はきっかり5分。
Aさんが「5分よ!」と言っているわけではないのに、よく統制が取れている。
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右手に見えてきたのは、480mピーク。
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Aさんが、そのピークのことを「ポコ」「ポコ」というので、参加者の中から「ポコって何ですか」という質問があった。
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要するに、小ピークのことである。「ぽこっと」出ているという意味なのだろう。
北海道山岳界の方言なのか、全国共通なのか。
内地では「こぶ」という言い方をよく耳にした気がする。
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ちなみに参加者11人のうち男は私も含め2人だけ。あとはみな女性だ。
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さて、そのポコへの急登が始まる。標高差は130mほどある。
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左手に小さなクラックが確認できた。
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Aさんによると、全層雪崩の前兆だそうだ。これも春を予感させる現象である。
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天気がいいと大雪山などがよく見えるそうなのだが。
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今日はこの程度が限界かな。
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さっき晴れ間がのぞいたのは、ほんの一瞬だけだった。
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20分かけて、やっと急登を登り切った。
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女性たちは一人を除いて、みな60~70代に見えたが、皆さんお元気である。
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私以外で唯一の男性Tさん。
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あそこがポコだ~!
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もうひと息である。
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というわけで、登山口から2時間ほどで、480mピークに到着した。
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ここで4回目の休憩。
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お腹が空いたので、行動食のパンケーキをいただいた。
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雪が浅いので、みな好き勝手に歩けるので足跡が拡散している。
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右手(北東の方角)に見えたのは、浦臼山(718m)方面だが、完全にガスの中だった。
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ここの休憩はぴったり10分。
みんなが出発するのをやり過ごして、私は大きな木の陰でキジ撃ちしてから後を追った。
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若干下ってから登り返し。
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しばらくは緩斜面である。
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ダケカンバの樹皮がアーティスティックだった。
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(つづく)
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夕張駅

【2019年3月12日(火)】夕張
函館本線の駅舎めぐりを終えて、仕事先の夕張に向かっている。
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しかし、まだ時間に余裕があるので、旧国鉄万字線の上志文駅跡に立ち寄ることにした。
場所をきちんと調べてきたわけではないので、とりあえず、ナビを上志文郵便局にセットして車を走らせた。
上志文の集落内に入ると、かつては駅前商店だったかに見える空き店舗を道道沿いに発見。
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車を停めて、反対側を見ると、なんとそこに駅舎があるではないか。ズバリだった。
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こんなにしっかり残っているとは思わなかったので、びっくり。
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しかし、積もった雪に阻まれて、近づくことは叶わなかった。

廃止を記念した石碑もまだ雪に埋もれたままだった。
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これではまた来ざるを得まい。
万字線全線をたどる時に、はしょらないで、また立ち寄ろう。
ちなみに、万字線は室蘭本線の志文駅と万字炭山駅を結んでいた23.8kmの路線である。
万字炭鉱で産出される石炭を運ぶため、1914年(大正3年)11月11日に万字軽便線として開業したが、1985年4月1日に廃止された。
上志文駅は同線開通と同時に開業。
当初は単式ホーム2面2線のほか、副本線や貨物ホーム、2本の引き込み線があったそうだが、廃止時には1面1線の単式ホームとなっていた。
現在は駅舎以外すべて撤去されている。

駅の裏には萩の山市民スキー場があった。
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このスキー場は標高差が110mしかないので、ロングコースはないが、幅1.5kmに及ぶ広いゲレンデが特徴。
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札幌から上志文まで直数の臨時スキー列車「銀嶺号」が運行された時代もあったらしい。

リフトは5本あり、ナイターも可能。
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しかし、早くも3月10日をもって営業を終了していた。
やはり、今年は雪が少なく、雪解けが進んでいたのだろう。
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スキー場、上志文駅ともに再訪を誓って出発すると、間もなく奇妙な看板を見つけた。
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メープル小学校! 随分思い切った名前だ。
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この小学校は1999年に、上志文小学校と朝日小学校が統合されてできた新設校である。
児童数は2018年5月1日現在で35人。
学校のHPによると、校名は「幌向川沿いのメープル街道の基点として位置する」ことに由来するという。
北海道でメープル街道と言えば、小樽から赤井川を経て倶知安に通じている国道393号がよく知られているが、ここの場合は毛陽温泉にあるホテル「メープルロッジ」が発祥ということになるのだろうか。

それはともかく、校章もしっかりメープルであった。
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地元の方々の「思い」も尊重したいのはやまやまだが、こういうキラキラネームはやはりあまり感心しない。

しばらく進むと、今度は旧夕張鉄道新二岐駅跡の近くに「法隆寺」を発見。
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山号は「大湯山」であった。
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というわけで、夕張市街には12時過ぎに着いてしまった。
アポが13時なので、まだ随分時間がある。
お気に入りの鹿ノ谷駅の前に車を停めて、車内で弁当を食べ始めたら、こんな田舎の無人駅にどんどん車がやってくる。
どうやら、間もなく列車が到着するらしく、それを狙っている撮り鉄さんたちであった。
3月31日の夕張支線廃止を目前に控えているので、「葬式テツ」が続々繰り出しているわけだ。
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(読売新聞の夕張の読者に配られているミニコミ紙)
私ひとりだったら、撮りに出てもよかったのだが、彼らの仲間には入りたくないので、そのまま食事を続けた。
その間に列車は行ってしまった。
帰り際に廃止間際の駅舎の写真を撮っておきたかったが、列車撮影を終えた方々が群がっていたので、断念して夕張駅に向かった。

夕張駅に行くつもりはなかったのだが、トイレのため、しぶしぶ。
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当然のことながら、さっきの列車で到着した方々がたくさんいて、狭い駅舎内はごったがえしていた。
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それでも、せっかく来たことだし、夕張支線に別れを告げておくことにした。
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「最期だから会いにきて。」と訴えているし。
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廃止まで、あとわずか19日だ。
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映画「幸福の黄色いハンカチ」にちなみ、「黄色いハンカチ」にメッセージを残してというコーナーも駅の一角にあった。
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ホームからの通路も「黄色いハンカチ」が出迎える趣向になっていた。
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訪ねたタイミングがちょうど、「ありがとう夕張駅弁当」の販売時間帯だった。
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でも、たった今食べたばかりなので購入せず。
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ホームには12:38発の千歳行き普通列車が控えている。
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メープルならぬメーテルが引導を渡す役割を担っていた。
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たぶん、夕張駅舎は残されるので、駅構内の線路もメモリアルとして保存されるだろう。
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貴重な観光資源だから。

駅のすぐ横にあるホテルマウントレースイ。
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ここは、鉄路がなくなっても、そんなに営業に支障はないのかもしれない。
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ホテルには泊まらなくてもいいから、この温泉にはいずれ来てみたい。
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最終運行日には、このあたりも撮り鉄さんでごったがえすのだろう。
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ホームの反対側からよく見てみると、2両編成だった。
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やはり、廃線前だから乗客が多いのだろう。

キハ40「千歳-夕張」。目に焼き付けておかなくては。
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先頭車両はラッピング列車だった。
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「道央 北海道の恵み」号である。
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この「北海道の恵み」シリーズは、昨年3月から道北・道東・道南・道央の4つのエリアに分けて展開している観光列車で、北海道らしい自然と爽やかさを感じられるよう、外装は各地域の特色をイメージしたデザインになっているそうだ。
「道央」バージョンは7月に運行開始。北海道ゆかりの草花や動物たちをイメージした車両が室蘭本線や石勝線夕張支線などを走っている。
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ラッピングだけでなく、内装も改造されているとのこと。
夕張支線が廃止になっても他路線で運行されるだろうから、一度乗ってみたい。

さあ、12:38。発車である。
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さようなら。たぶん、3月31日までに、もう一度来ることはさすがにないだろう。
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列車の去ったホーム。
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哀愁が漂う。
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それでは、仕事場に向かうとしましょう。
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また、今度ね。
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仕事は2時間ほどで終えて、お相手の方に連れられて、こちらへ。
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さっき、お昼を食べたばかりだったが、せっかくなので握りをいくつかいただいた。
こんな山奥のお寿司屋さんとは思えないくらい、美味しかった。

さて札幌に戻るわけだが、その前にちょっとだけ清水沢駅に寄り道。
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ずっと以前から開かれているのだが、炭鉱が栄えていた頃の写真がたくさん掲示されていた。
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寄せ書きもたくさん。
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かつて、この駅にも大きなキオスクがあったようだ。
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駅前商店街(1975年当時)。リリーズの実家「ツバメ電器」も写っている。
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1977年早春の待合室。
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祭りも賑やかだったみたいだ。
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想い出を書き込むコーナー。
ちなみに。私が初めて夕張を訪ねたのは大学3年の時。1983年だった。
多くの炭鉱が閉山し、すでにかなり寂れていた頃だ。
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この写真展も13回目で最後。
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駅舎は取り壊されてしまうのだろうか。

残してほしいと思いつつ、夕張をあとにする。
途中、道東道を千歳東ICで下りて松原温泉に立ち寄った。
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以前、偶然発見して、目を付けておいた温泉だ。
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道内で最も腐植質の濃度が濃いモール温泉との触れ込みである。
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確かに、こんなに黒い。
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温泉は重曹泉と弱塩泉の2種類がある。
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重曹泉の方がねっとりするほどのぬるぬるで、とても気持ちがよかった。
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それぞれの正式名称は、大きい方(3号井)が含硫黄-ナトリウム・炭酸水素塩冷鉱泉(アルカリ性低張性冷鉱泉、旧名:含重曹-硫黄泉)。小さい方(2号井)がナトリウム-塩化物温泉(弱アルカリ性等張性低温泉、旧名:食塩泉)。
ph値や源泉の温度の表示はなかった。
すっかり温まったので、帰路につく。
レンタカー返却時間ギリギリの19時に札幌に到着。
会社で残務を片付けて帰宅した。1日を有効に使えました。

(おわり)
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090312函館本線

【2019年3月12日(火)】函館本線
この日は夕張でお仕事。アポは午後からなので、早めに出発し、午前中は函館本線の駅舎めぐりに充てることにした。
岩見沢方面にまだ未撮影の駅がいくつかあるのである。
まずは厚別駅。レンタカーのナビに従ったら、裏側(西口)に案内されてしまった。
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ナビはこういうことが本当に多い。
でも、連絡橋(自由通路)で正面(南口)とつながっていたので助かった。
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西口のすぐ向かいには、開拓時代の生き残りのような木造家屋がポツンとあった。
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連絡橋はかなり真新しい。
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橋上からの眺め。
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ホームは単式と島式の組み合わせで2面3線の構造であった。
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連絡橋から西口改札への入口。
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ここに駅員はいないようだ。
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ちょうど札幌方面行きの上り普通列車が発車していった。
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駅舎は南口にある。
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江別駅や深川駅などで見られる間口の広い平屋建てのタイプであった。
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1978年(昭和53年)の完成である。
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開業は1894年(明治27年)8月1日。当初は北海道炭礦鉄道の駅だった。
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ここはしっかり駅員がいるので、ホームには入らなかった。
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でも、窓からホームを覗くことはできた。
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ちょうど、苫小牧方面の下り列車が入線。
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札幌近郊区間なので、列車の本数は北海道とは思えないくらい多い。
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1日平均の乗車人員は2016年で3300人。道内では28番目に多い。
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駅前にはだだっ広い通りが伸びているが、商業施設はそれほど見当たらなかった。
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駅舎には床屋さんが同居していた。
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お隣の森林公園駅や大麻駅は撮影済みなので、次は高砂駅に向かう。
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20分ほどで着いた。
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駅前にロイズ上江別店。最近なぜかロイズづいている。
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高砂駅は連絡橋に埋もれたような雰囲気。
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塔屋のような連絡橋はJRの施設ではなく、江別市が設置したものだ。
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まずは渡ってみよう。
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反対側には駅員がいなかったのでホームに出ることができた。
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高砂の地名は全国あちこちにある。
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移住者の故郷から採ったのだろうか。
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ホームは2面2線の相対式である。
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一旦、北口に出てみた。
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駅周辺は宅地化が進んでいるようで、江別市役所も近くにある。
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再び南口に戻りつつ、連絡橋から札幌方面を望む。
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これは上り線(南口)の駅舎。
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こちら側には駅員がいたので、上り線のホームには出なかった。
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高砂駅は1986年(昭和61年)11月1日、高砂臨時乗降場として開業。
翌年4月1日にJRに移管したのに伴い、駅に昇格した。
現在の駅舎は2001年2月26日に完成、同時に連絡橋も開設された。
駅員は江別駅からの派遣だそうである。

まもなくダイヤ改正だ。新幹線の時間短縮はありがたいが、初田牛駅など3つの駅がこの改正を機に廃止されることになっている。
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撮影済みの江別駅を飛ばして、豊幌駅に移動。
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日本語の駅名表示ではないことに猛烈な違和感を覚える。
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駅前に中世ヨーロッパの城郭をイメージしたような電話ボックスのモニュメントがあった。
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江別市は昔からレンガの産地だったので、それを意識してのものだろう。
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1990年の設置で、設置者は「豊幌自治会」「豊幌町内自治会」。施工は「上野煉瓦工務店」だそうだ。約1万1千個のレンガが使われているという。

江別市のマンホールは、石狩川でヤツメウナギを獲る漁師がモチーフ。
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漁師の後ろにあるのは漁具の「ドウ」。

待合室に入ると暖房が入れてあった。ホッとする。
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一角には「ふれあい図書コーナー」。
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駅員さんは江別駅にお出かけであった。
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駅舎のホーム側の表示もローマ字。怒りを禁じえない。一体、どこの国の駅なのか!
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ホームは2面2線の相対式。
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反対側には跨線橋ではなく構内踏切で渡る。
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開業は1956年(昭和31年)11月1日。
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1日の平均乗車人員は113人(2002年)とのことだ。
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1980年代前半頃までは人家もまばらな地区で、通過する普通列車もあったという。
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駅の近くには、「豊幌はみんぐ町」という残念な地名があることを記しておく。
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雨が降ってきたので、急いで退散。
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こんな貼り紙が出るほど、この駅は撮り鉄さんが多いのか。ちょっと不思議だった。
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5分ほどで、お隣の幌向駅へ。
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国道12号と接しており、巨大な連絡橋がある。
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幌向はかなり古くから開けていたところというイメージがある。
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バスは1時間に1本程度の運行なので、JRの方が比較的便利だ。
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橋上駅のようなので、連絡橋に登ってみた。
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現在の駅舎が完成したのは1998年3月20日。
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開業はかなり古く、1882年(明治15年)11月13日まで遡る。
官営幌内鉄道の幌向太フラグ・ステーションとして開設された。
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位置は現在より約800m江別寄りの幌向川右岸近くだったという。
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連絡橋の階段部分は、自転車も通れるようになっており、ものすごく広く複雑だ。
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国道とは反対側の様子。
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1日平均の乗車人員は1233人(2016年)とのことだ。
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ホームは島式ホームを含む2面3線だった。
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帰りは、自転車用の通路を駆け足で登る。
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その直後に、旭川方面の下り普通列車が入線した。
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お次は上幌向駅だが、幌向駅とほとんど同じ雰囲気。
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正直言って、味気ない。
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ここも国道に沿っているので、歩道橋代わりの連絡橋があった。
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名称は「上幌向歩道橋」。
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めずらしくこんな標識があったが、矢印の差す方向に駅はない。
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貨物を扱っていた時代の名残と思われる農業倉庫が線路の向こうに見えた。
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構造は幌向駅と同じ。
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1面2線の島式ホームである。
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開業は1907年(明治40年)11月25日。
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2015年10月1日に無人化された。
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橋上駅になったのは1995年のこと。
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1日の平均乗車人員は503人(2012年度)に達する。
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周辺の宅地化がかなり進んでいるらしい。
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幌向の地名は、「大きい・川が曲がっていて、水がゆったり流れている所」を表すアイヌ語の「ポロモイ」に由来するのだそうだ。
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駅の全景。
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ちょうど、特急オホーツク2号が通過していった。
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ほぼ定刻通りと思われる。
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上幌向駅近くには北海道中央農業試験場がある。
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「スカイロード」という名のシェルター形式の歩道橋は長都駅で初めて見たが、あちこちにあるようだ。
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(おわり)
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太美温泉

【2019年3月10日(日)】太美温泉
この日は朝から快晴。絶好の登山日和だったが、めずらしく体が山に行きたいと言わないので、温泉に出かけることにした。
今回は当別町の太美温泉。
午前中、自宅でたまった録画番組をいくつか見てゆっくりし、12時半前に出発した。
ここのところの高温傾向で道路の雪もすっかり解け、道は乾いている。
豊平川沿いに北上、モエレ沼公園の横を通って、温泉に到着したのは13時過ぎだった。
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正式名称は「ふとみ銘泉 万葉の湯」という。
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箱根や熱海、湯河原などで温泉施設を展開する「万葉倶楽部グループ」の経営である。
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駐車場が満杯だったので、こりゃ大変だと思いつつ入館。
入館料は1200円(税別)で、当別町からさらに50円の入湯税を取られるので1346円にもなる。
HPには「入館料とは入浴料・浴衣・バスタオル・タオル・館内利用料金のセット割引料金」との説明があるが、入浴料や浴衣使用料などの個別料金の設定はないので、こういう場合は「割引料金」とは言えないのではないか。
素直に「入館料には・・・の料金も含みます」とした方が、あざとくないだろう。

それはともかく、お腹が空いたので先に2階のレストランで食事をしようと思ったのだが
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広大な大広間がなんと満席。
食堂(HPより)

仕方ないので先にお風呂に入ることにした。
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ここで温泉が発見されたのは、1957年(昭和32年)とのこと。
万葉倶楽部が乗り出してきたのはいつなのかは分からないが、傷み具合などからして現在の施設ができてから20年以上は経っているような気がする。

4階に上って、のれんをくぐる。
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脱衣所にはロッカーが何百も並んでいた。
私のロッカーは入口を入ってすぐ目の先。

服を脱いで浴室に入ると、意外なことに駐車場の車の数ほど混んでいない。
レストランやリラックスルームなどに人が分散しているのだろう。
カランのシャワーでかけ湯をして、まずは露天風呂へ。
roten.jpg(HPより)
正面にはまだ真っ白に雪が積もった石狩平野が見渡せた。
お湯は褐色。やや薄めのモール温泉である。
正式な泉質名はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉(弱アルカリ性低張性低温泉)、旧名だと含重曹-食塩泉という。
ph値は8.1なので、ぬるぬるの美肌の湯である。
食塩泉というわりには、ほとんど塩気はなかった。
源泉は25.6℃なので加温していることになる。
湧出量は毎分507リットル。自然湧出ではなく動力で揚げている。
湯温はややぬるめだったので、ゆっくりとお湯を味わうことができた。
数日風呂に入っていなかったので、かなりすっきりした。
隣で入っていた小さな子が大声で数を数えていたのが、ほほえましいというか、うるさいというか、だったけど。

5分ほどで湯から上がり、カランで丁寧に垢を落とす。
アメニティがかなりしっかりしており、シェービングローションがあったのがありがたかった。
最後に内湯で体を整え、入浴タイム終了。
内湯(HPより)
3階のリラックスルームのソファに腰掛け、しばらくほてった体を落ち着かせた。
ここは新千歳空港みたいに、1人ひとりがテレビを見られるシートがあり、マンガも蔵書も充実していた。
休憩をはさんで何度でも入浴できるという仕組みだ。
だから、それなりのお値段になるのだが、私のような本当に垢落としのためだけに来るような人には余計な施設でもある。

14時くらいに、そろそろレストランも空いただろうということで2階へ。
さすがに、いくつか空席があったが、畳は足がしびれるので、イス席にした。
メニューを見ると、やはりどれもそれなりのお値段。
それは覚悟していたが、なるべく安くて量の多そうな、あんかけ焼きそば(税別990円)をお願いした。
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量も満足するものだったし、お味も全然文句はなかった。

食後はお借りした作務衣から着てきた服に着替えて、1階の売店を冷かす。
懐かしい三日月饅頭は当別町の銘菓だった。
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外に出ると、当別町のマンホールを発見。
こちらは石狩川に札沼線のトラス橋を配したデザイン。
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トラス橋の下には、本庄陸男の代表作「石狩川」の文学碑があしらわれている。

もう一つは、北欧風の住宅が立ち並ぶスウェーデンヒルズと町のマスコットキャラクターこめちゃんをモチーフにしたもの。
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なんだか、ちょっとミスマッチ感がある。

近くに札沼線が走っているようで、列車の通過する音が何度か聞こえたので、近くにある石狩太美駅まで行ってみた。
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このメルヘンチックな駅舎は出来たのは1990年11月4日だそうである。
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駅自体は1934年(昭和9年)11月20日、国鉄札沼南線の桑園~石狩当別間の開通と同時に開業している。
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1999年、自動券売機導入に伴って簡易委託が廃止され、完全無人駅となったが、現在は観光情報プラザ「FIKA」(当別町運営の売店)が併設され、日中はスタッフが常駐しているようだ。
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この売店は以前はロイズの支店だったという。
今回、初めて当別町がロイズの拠点であることを知った。

ホームは2面2線の相対式。駅舎と反対側が1番線というのもめずらしい。
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1日平均の乗車人員は2014年で942人。完全な札幌通勤圏の駅だ。
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ちょうど回送列車が通過して行った。
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ここは電化区間だが、車両はディーゼルだった。
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1980年に新森清治さんという方が寄贈した「いしかりふとみ」の銘板が2番線に掲げられていた。
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ちなみに「石狩太美」「石狩当別」の駅名は、石狩市内にあると誤解を招くとのことで、当別町は「石狩」の冠を外してもらえるようJR北海道に申し入れているらしい。
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駅名は地元の地名「太美」に旧国名の「石狩」を冠したもの。
旧国名はすでに同名の駅名が国鉄路線内にあった場合にかぶせるのが普通だが、ここは同音の駅(JR内房線・太海駅)があることで対象とされたようだ。
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ところで、「太美」の地名は、周囲の当別太(とうべつぶと)地区と、隣接する美登江(びとえ)地区から一字ずつ取って生まれたものだそうだ。
当別太はアイヌ語の「トウペツフト」(沼から来る川の落合)、美登江は「ポンピトイ」(小石の多いところ)に由来するという。

FIKAを冷かしてみたら、三日月饅頭を製造している藤澤製菓の「えぞわらび餅」が販売されていた。
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説明に「蕨岱」の地名にちなんだ銘菓とあるが、蕨岱と言えば、遠く離れた長万部町の地名。
なんの関係があるのだろう。
創業80年の藤澤製菓のHPには「篠津川一帯の石狩原野にはわらびが繁茂しており・・」とその由来が書かれているのだが。

「石狩川羊羹」はもちろん地元ならではだが、おそらく本庄陸男の「石狩川」を意識した命名だろう。
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それでは、石狩太美駅とはさようなら。
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ロイズ工場の直売所があるというので、そちらに向かった。
すると、工場敷地の一角に、その本庄陸男生誕之地の石碑が立っていた。
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裏面には「石狩川」の一節が刻まれている。
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本庄は当別開拓の歴史を取材した「石狩川」を世に出した2か月後の1939年(昭和14年)、肺結核のため34歳という若さで亡くなったそうである。
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大長編のようだが、近いうちに読んでみたいと思う。

さあ、いよいよお待ちかねのロイズだ。外観はかなり立派でおしゃれな工場である。
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町の雇用にも大きく貢献しているのだろう。
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ホワイトデーも近いのでいろいろと取り揃えてあるが
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私のお目当てはソフトクリーム。
せっかくチョコレートメーカーのロイズなので、チョコの入ったミックスを注文。
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この量で300円なら安い。
ふとみ銘泉のソフトは580円だったが、あそこは暴利である。

ちなみに、本庄陸男に敬意を表してか、本庄家の土地だったからか、店内に本庄の解説コーナーが設けられていた。
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こういう配慮も気に入った。
これからはロイズを積極的に応援しよう。

これで今回の慰安旅行はおしまい。
温泉では出なかった○んこがいよいよ生まれそうになり、ちょっと焦ったが、中島公園近くのコンビニで逃げ込んで、ギリギリセーフ。
17時には帰宅できた。
軟弱な1日だったが、いい休日になった。

(おわり)
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2019釧網本線(4)

【2019年2月26日(火)】釧網本線
啄木ゆかりの米町公園を訪ねている。
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米町展望台からの釧路市街の眺め。
中央の小さなカマボコ形の建物は釧路市観光国際交流センター。
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左中段のえんじ色の建物は釧路フィッシャーマンズワーフ。
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以上は、このパノラマ図に教えられた。
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本当は目立つ建物が何なのか知りたかったが、民間の施設を紹介すると不公平になると考えたのだろう。

11時になったので、これで釧路市内の観光は終了。
沿道で適当な食事処を探しながら、内陸ルートで仕事先の別海に向かう。
ここから約100kmあるが、アポは14時だから余裕だ。
国道44号を別保原野で左折、国道272号に入る。
快調に飛ばせるかと思ったら、工事中の箇所が多く、何度も信号で止められた。
それで、ゆっくり食事をしている時間がなくなってしまった。
途中に寄り道するつもりだった旧標津線の西春別駅跡に着いたのは、12:20を過ぎていた。
ここまでの70kmが、かなり遠かった。
駅跡は道路になり、その右側が立派なバス停になっていた。
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運行しているのは阿寒バスである。
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それと町営バス。
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西春別駅前待合所という名称。「駅」という位置付けを維持しているのはうれしい。
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待合室の入口には、どなたかの歌が掲げられていた。
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室内にもちろん暖房はない。
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バスは平日10本。標茶と標津を結ぶ路線の途中のようだ。
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雰囲気が、なんだか現代アートのようだった。
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バス停の奥に立っていたのは鉄道記念館。
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別海町鉄道記念公園は夏期のみの営業で、SLはシートにくるまれて保護されていた。
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記念館は開館していたので見学していく。
エントランスにはかつての別海駅や西春別駅のスケッチが掲示されていた。
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中に入ると、旧標津線の駅名標がずらり。
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でも、きれいなのでオリジナルではなく、新しく作ったものだろう。
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これもおそらくレプリカだと思う。
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別海町のマスコットキャラクターは「りょウシくん」。
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漁業と酪農をミックスさせたわけか。

当時の車両なども展示されている。
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廃線後しばらくはトロッコ遊びができたのかもしれない。
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通標閉塞器。
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通標(タブレット)そのもの。
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かつてはここから硬券を取り出して販売していたのだ。懐かしい。
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保線用の道具あれこれ。
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さよなら列車のヘッドマーク。
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標津線(標茶~根室標津)は支線(中標津~厚床)も含めて、総延長116.9kmの路線で、1933年(昭和8年)12月1日に開業、1989年4月30日に廃止された。
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現役時代の駅舎の写真があったので、一つ一つ紹介していこう(順不同)。
標茶駅。これは釧網本線の駅として現在も健在だ。
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泉川駅。ボケてしまって、すいません。
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光進駅。
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根室標津駅。
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中標津駅。
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西春別駅。立派な駅だったのになあ。
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上春別駅。
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春別駅。
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平糸駅。
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別海駅。
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奥行臼駅。この駅舎は保存されている。
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厚床駅。この駅は根室本線の駅として現役だが、モダンな駅に改築されている。
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駅舎シリーズはこれで終了。列車内で焚いていた?だるまストーブ。
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各駅での廃止当日風景。
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そして代替バス運行開始。
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かつての記念切符たち。
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ついつい見入ってしまった。

見学を終えて、かつての駅前通りを渡り
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Aコープ西春別店で昼食を調達。
何かお弁当を買うつもりだったが、めぼしいものはなく、結局お寿司になった。
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車の中で、いただいた。さすがに美味しかった。
食べ終わったところで、あとはまっすぐ仕事先に向かう。
その前に西春別市街の核心部を撮影。
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かなり寂れていたが往年の賑わいを想像することはできた。
これはかつての旅館。
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西春別は国道272号と国道243号が原野の中で交差する地点で、小学校の頃からどんな風景なんだろうと思いをはせていたのだが、生まれて初めて来てみて、がっかり。
ものすごく立派な立体交差になっていた。
もっと早く来るべきだった。

仕事先はとある牧場。
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サフォーク種の羊を飼っている農家さんだ。
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この子たちはみんな繁殖用のメスである。
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とってもかわいかった。
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仕事は2時間弱で終了。
根室中標津空港へと向かう。
その途中、別海駅跡に寄り道。
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そこには別海町交流館ぷらとなる施設が建っていた。
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おそらく、「ふらっと来る」のと鉄道の「プラットホーム」を掛けているのだろう。

入居しているレストランの名は、駅にちなんで「ていしゃ場」だった。
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ここにも「りょウシくん」がいたが、まわりに誰もおらずハメ撮りは叶わなかった。
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ここはバスの待合所でもある。
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札幌と根室を結ぶ夜行バスオーロラ号や中標津空港行きのバスなどが出ている。
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町営バスも4方向に運行されているようだ。
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こちらは市街地のバス路線図。
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おっと、こうしてはいられない。急がねば。
午前中は晴れていたが、とうとう雪が降ってきた。
根室中標津空港には17時頃に到着。
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レンタカーを空港前の営業所に乗り捨てして、さっそくチェックイン。
新千歳行きはANA4886便で、17:50発だ。
空港にも顔ハメがあったが、空振り。
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この空港は来るのも乗るのも初めて。
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これで道内13の空港で、行ったことがないのは奥尻空港だけになった。

飛行機は皆さまのご協力により定刻通りに離陸。
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プロペラ機であったが、比較的快適だった。
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途中、街灯りが見えたのは帯広だっただろうか。
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でも、これを過ぎて間もなく着陸態勢に入ったのにはびっくりした。
距離がやはり短いのだ。
飛行時間は1時間の予定だったが、10分近く早く新千歳空港に着陸した。
荷物は預けていないので、すぐに新千歳空港駅へ。
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会社に戻ったのは、20時頃だったか。
公私ともに充実した旅であった。

(おわり)
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2019釧網本線(3)

【2019年2月26日(日)】釧網本線
もう釧網本線の駅舎めぐりは終えたのだが、連続行程なので一応タイトルは「釧網本線」のままにしておきます。
現在地は春採公園内にある釧路市立博物館。
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外観は博物館というよりは美術館の趣だ。
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この日はとくに面白そうなものはやっていなかったので、入館はしなかった。

こちらは天文台。
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公園内には2つの遺跡がある。
一つは春採台地竪穴群。
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1935年(昭和10年)に国の史跡に指定されている。
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12~13世紀(擦文時代後半)の集落跡で、59軒の住居跡が確認されており、うち31軒が地表面から窪んだ状態で観察できるという。
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もう一つの遺跡である鶴ヶ岱チャシ跡は見学するのを忘れてしまった。

釧路教育研究センターの外階段から見た春採湖。
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湖岸沿いを太平洋石炭販売輸送の臨港線が走っているのが分かる。
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湖岸まで下りてくると、釧路地域イオル再生事業の案内板が立っていた。
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イオルとは、アイヌの伝統的生活空間のことである。

その近くにあったのが東家総本店の竹老園。
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1874年(明治7年)に創業した老舗のおそば屋さんである。
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この後はしばらく臨港線見学。
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千代ノ浦の踏切はかなり交通量が多かった。
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知人駅方面。
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少しだけ線路をたどってみた。
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左は弁天ヶ浜。
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6kmのキロポストがあった。
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米町方面を望む。
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臨港線を後にして、その米町へ。
啄木の碑がある米町公園に行くのが目的だが、その途中、厳島神社前を通過。
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思い付いて、釧路埼灯台のある高台から臨港線の先端部を見ておくことにした。
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昨日、下から見ているが、上から見ると、また違う感慨がある。
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これは知人駅付近の分岐。
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貯炭場への高架橋へと続く。
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その先端。
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灯台の立つ高さまで登ってきて、もう一度全体を俯瞰。
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ついでなので、灯台も見学していこう。
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実はここで、ちょっと嫌なことがあった。
その件は後ほどにして、まずは灯台の説明を。
初点灯は1891年(明治24年)。
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高さは17m、海面からだと51mもある。
光の強さは38万カンデラで、光達距離は約34kmに及ぶという。
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紅白のしましまデザインが印象的だ。
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正面玄関の扉が開かれており、「展示室3階」という貼り紙があるので、それに導かれて階段を登っていった。
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しかし、展示室は目下、工事中。
「あれ、今、見学はできないんですか」
「あ、ダメだと思いますよ」と作業中の業者の方。
すると、灯台職員の方が出てきて、「今、入れないんですよ」とのたまう。
これだけオープンにして、観光客を誘導しておいて、「入れない」とはどういうことだ!
とくにどうしても見たいわけではなかったので、見られないならそれでもよかったのだが、あまりの木で鼻をくくったような態度にむかついたので、苦情を申し上げた。
「玄関は開けっ放し、展示室は3階って案内があって、閉館ってどういうことですか」
「冬は開けていないんです」と、こちらの疑問など全くお構いなしだ。
おそらく、玄関を開けていたのは、単に業者が出入りしやすくするだったということなのだろう。
「冬が閉館だなんて分かりませんよ。こんだけ開いているんですから」
「下の道にチェーンかかっていませんでしたか」
お役所の人はなかなか手ごわい。
専門のお仕事が本職で、人を迎えるのなんて二の次なので、サービス精神というものが著しく欠如している。
「あのチェーンは一般車両の進入防止のためのものでしょう。人はあれで立ち入り禁止だなんて思いませんよ。それに、冬が休館かどうかなんて、表示がないと分かりません。あなただけ分かっていてもだめなんですよ。このままの状態だと私じゃなくたって何の疑問もなく入ってきますよ」
それでも納得がいかない表情なので、外に連れ出して、何が不親切なのかいちいち説明してあげた。
「車はどこに停めたのですか」と聞くので、ここと指差すと、「ここはだめです。私有地ですから」。
「私有地って言ったって、その敷地内に大きく釧路埼灯台って書いてあるじゃないですか!」
これだけは、さすがにまずいと気づいたらしく(今さらだが)、「ああ、これはちょっと」と口ごもる。
「言いたいことはそれだけです」と言って、あとはお引き取りいただいた。
どれだけ分かったのかは分からないが、冬期は玄関に「閉館中」と1枚貼り紙をすればいいだけなのだ。
改善されたかどうかは確認していない。

心がささくれ立ったので、もう一度臨港線を眺めて、気持ちを和ませた。
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ちょうど分岐する地点。
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拡大してみた。
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その両側。
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再度、先端。
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これでやっと落ち着きました。
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しかし、米町公園に裏から行こうとして、釧路漁業無線局に着いてしまった。
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出直しだ。正面から入り直して、まずはトイレ。
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園内には児童センターが同居していた。
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米町公園は言うまでもなく、啄木ゆかりの地である。
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釧路を代表する観光地の一つだ。
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展望塔を目指して、階段を登っていく。
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米町の再開発を記念した「未来の窓」のオブジェ。1993年の建立である。
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未来の窓から、というわけではないが、釧路市街を望む。
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南新埠頭方面。
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釧路港の全容。
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高浜虚子の句碑「燈台は低く霧笛は峙(そばだ)てり」。
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虚子は1933年(昭和8年)8月13日に釧路を訪れ、知人岬あたりでの感慨を詠んだものとされている。

左下が補修されているが、1909年(明治42年)建立の「釧路港修築碑」。
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釧路港の修築は地元住民の念願だったらしく、予算が国会を通過した際、とくに滋賀県から移住してきた人々は、その年(1909年)が彦根藩主井伊直弼が暗殺された桜田門外の変からちょうど50年目にあたっていたため、大老の遺徳であると喜び、故郷の琵琶湖になぞらえ、春採湖畔にこの碑を建てたという。
しかし、1952年(昭和27年)の十勝沖地震で倒壊・破損してしまったので、1964年に港を見下ろす、この地に移築されたのだそうだ。
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そして真打ち、石川啄木の歌碑「しらしらと氷かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな」。
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啄木は1908年(明治41年)1月21日に釧路駅に下り立ち、76日間を釧路で過ごした。
この歌は歌集「一握の砂」に収められたもので、1934年(昭和9年)に啄木生誕50年を記念して建立されたものだ。

建碑の地として、ここを選んだのは作家の林芙美子とのこと。
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釧路では初めての啄木の歌碑で、全国でも6番目に古いという。
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米町公園の核心部。
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せっかくなので展望塔にも登ってみる。正式名称は「米町展望台」
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お寺の集中する東の方角。
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北西の方角は釧路の中心部。
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東は南新埠頭。
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湾状になっている釧路港。
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南にはさっき鳥居の前を通過した厳島神社が間近に見えた。
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(つづく)
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2019釧網本線(2)

【2019年2月26日(火)】釧網本線
釧網本線駅舎めぐりの2つ目は細岡駅。
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ここも茅沼駅と同様、ログハウス風である。
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このあたりも釧路湿原の範囲内だ。
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近くに木造の家屋があったので、ちょっと拝見。
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「釧路町分別収集モデル地区 細岡実践会」の看板が掲げられていたが、扉や窓には板が打ち付けてあった。
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冬囲いのようなものだろうか。
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まあ、駅に戻りましょう。
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この駅舎が完成したのは1993年6月1日とのことなので、茅沼駅改築の4年後だ。
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開業は1927年(昭和2年)9月15日なので、これは茅沼駅と同時。
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駅名の由来は、釧路川の左岸に「細い岡」が連なっていたから、または、鉄道建設の際の監督官の名が「細岡」だったから、など諸説あるらしい。
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2013~17年の平日の平均乗車人員はわずか0.2人。
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これでは廃止の対象になってしまうかもしれない。
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ホームは1面1線の単式である。
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ここも以前は味わい深い木造駅舎があったそうだ。
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駅名はアイヌ語地名の「達古武」の方がよかったように思う。
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次の釧路湿原駅は撮影済みなので、ひとつ飛ばして遠矢駅へ。
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この駅舎は茅沼駅より1年早い1988年に改築されている。
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開業は茅沼駅、細岡駅と同じ1927年9月15日。
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1992年4月1日に完全無人化されている。
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駅舎のホーム側の表記はひらがなで「とおや」。ちなみに洞爺は「とうや」である。
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茅沼駅、細岡駅と同様1面1線の単式ホーム。
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駅名は所在地の地名に拠る。
語源は、アイヌ語の「トヤ」(沼の岸)に由来するが、付近に沼はないらしい。
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網走方面。
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釧路方面には跨線橋というか連絡橋があった。
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登ってみると、北西の方角に雌阿寒岳と阿寒富士が白く光っていた。
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あの微妙なカーブは、この駅にもう1本ホームがあり、かつては列車交換が可能であったことを示している。
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網走方面にも同様のカーブが見て取れる。
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ちなみに、2013~17年の平日の平均乗車人員は19.6人。
集落の中にあるだけに、それなりに利用者はいるようだ。

さて、最後は釧網本線の起点、東釧路駅。
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写真では示しにくいが、とても駅とは思えないところにあった。
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というか、一見、駅とは気づかない立地だった。
駅舎とホームの間に駐車場があったりするし。
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この駅舎は1957年(昭和32年)1月17日の完成なので、もう還暦を過ぎている。
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確かに、それなりの歴史を感じる。
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複数の鉄道路線が接続する駅としては日本最東端だそうで、1日計29本の列車が発着している。
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この駅は1925年(大正14年)3月16日、鉄道省の別保信号場として開設された。
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1927年9月15日に釧網線開業すると、同線と根室本線の施設上の分岐点となり、翌年11月11日に東釧路駅として駅に昇格した。
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線路脇ではなく、駅舎の横にキロポストがあった。
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0はもちろん釧網本線。根室本線としては313.8km(滝川から)である。
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ホームは1面2線の島式ホームだが、跨線橋ではなく構内踏切で1番線を渡る。
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もちろん、駅名は釧路駅の東にあるから、である。
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東の方角を見ると、釧網本線(左)と根室本線(右)が分かれてゆくのがわかる。
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通常は1番線が釧網本線、2番線は根室本線の列車が発着している。
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おそらく、1番線と駅舎の間の空白にはかつて何本もの線路があったのだろう。
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1986年10月までは釧路臨港鉄道も乗り入れていたわけだし。
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これにて今回の釧網本線の駅舎めぐりは終了。
まだアポの時間までしばらくあるので、釧路市内の遺跡めぐりをすることにした。
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最初は東釧路駅の南側の裏山にある東釧路貝塚。
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縄文時代前期(約6000年前)の貝塚だ。
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こんもりしているのは展望広場。
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貝塚はその東側に広がっている。まだ雪が積もっていて何がなんだか分からない。
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展望広場まで登ってきた。
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東釧路駅は屋根だけ見える。
住宅地の中に完全に埋もれている。
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この貝塚が発見されたのは、1935年(昭和10年)というから、かなり古い。
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かすかに見える凹みは竪穴住居の跡である。
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モシリヤチャシ跡に向かうと、巨大な仏塔が見えてきたので立ち寄った。
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この仏舎利塔は城山の頂上にあり、日本山妙法寺に帰依した地元「中村水産株式会社」の社長、故中村小三治氏が私財を投げ打って、世界恒久平和のシンボルとして建立したものだそうだ。
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完成したのは1959年(昭和34年)8月とのことである。
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仏塔の隣に寺務所があった。
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ここからの釧路市街の眺めは素晴らしかった。
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中央下に見える高まりがモシリヤチャシ跡である。
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モシリヤチャシ跡のふもとまで下りてきた。
この高まりは「お供え山」とも呼ばれているらしい。
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チャシ(アイヌの砦)は、1751年にトミカラアイノと呼ばれるアイヌが築いたものとされる。
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直径約170m、短径約70mの楕円形の丘で、内郭と外郭に分かれ、内郭の周囲には空堀がめぐらされているとのこと。
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高さは5~10mくらいだろうか。
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釧路市教育委員会の解説板が設置されていた。
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続いて鶴ヶ岱公園に転戦。
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ひょうたん池などがあるようであるが、自然の池なのかどうかは不明。
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池の雪ははまだ解けていないが、上に乗るのはもう危険な状態だ。
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園内にある大きな建物は武道館。
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春になるとチューリップフェアなどが行われるらしい。
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ひょうたん池のくびれ部に架かるひょうたん橋。
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少し上から俯瞰。
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無数の足跡はスノーシューと思われる。
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次は春採公園。
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立派なゲートがあった。
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特徴のある建築は釧路市立博物館。
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春採湖北岸の台地上に展開している。
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春採公園から見下ろした春採湖。
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湖の南岸を太平洋石炭販売輸送の臨港線が走っている。
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ポンプ場の建物の横に踏切がかろうじて確認できた。
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春採駅方面。
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釧路市立博物館は古代イスラム建築のようだ。
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野外展示として、道内各地で産する岩石を集めたロックガーデンがあった。
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(つづく)






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2019釧網本線(上)

【2019年2月26日(日)】釧網本線
56歳の誕生日を釧路湿原で迎えた。
と言っても何かが大きく違うわけではない。
昨夜はお腹いっぱいになって早めに休んだので、今朝は4時半に起きて、パソコン作業に勤しんだ。
6時半頃、一段落したところで朝風呂へ。
宿泊者はほとんどいないはずなので、たぶん独占できるはずだ。
行ってみたら、案の定そうだった。
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おかげで昨夜撮影できなかった内湯も撮ることができた。
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露天風呂を覗いてみてびっくり。
なんと、湯があふれている。
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ちょうど、陽が昇ったところで、なんともすがすがしい朝風呂となった。
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湯量は豊富で、源泉かけ流し100%。
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露天風呂は内湯より熱めの設定になっている。
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しばらくしたら、他のお客さんが入ってきたので、入れ替わりに出ることにした。

朝食は7時にお願いしていたので、すぐに食堂に向かう。
その前に大広間を見学。
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こちらはフロント。
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そして食堂。昨夜は風呂上がりにカレーを食べている女性がいた。
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朝食は質素だが、このくらいがちょうどいい。
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朝日を浴びながらの食事だ。
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食事が終わって、何気なく窓の外を見ると、タンチョウが2羽歩いていた。
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タンチョウを生で見たのは、釧路市丹頂鶴自然公園を訪ねた小学6年の時以来なので、なんと45年ぶりだ。
昨日は11時頃に来たと言っていたので、時間的に無理かなと思っていたから、その分うれしかった。

7時半前に「くしろ湿原パーク憩の家かや沼」(名前が長い!)をチェックアウト。
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出発しようとしたら、車の窓が霜で真っ白。
積んであったガラススクレーパーの幅が狭く、削り落としに時間がかかって仕方がない。
トヨタレンタカーさん、ケチらず、もっと幅広のものを備え付けて下さい!

宿の前になぜか、小さな鳥居と祠があった。
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さっき見たタンチョウはもういなくなってしまったんだなあと思っていたら、少し離れたところにたたずんでいた。あそこにも餌場があるのだろう。
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しばらくとどまっていてくれてありがとう。

すぐ近くで眼下のシラルトロ湖に向かって、大きな望遠レンズを向けているおじさんがいたので声をかけてみた。
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「いますか?」
「何が?」
タンチョウのことしか頭になかったが、それだけではないみたいだ。
「タンチョウ・・・ですけど」
「いますよ、あそこにたくさん。オオワシもいます」
「そうなんですか。どこですか」
「あの小さな山の六合目くらいの木の先」
と言われても全然見えない。
「ちょっと肉眼では無理ですね」と言ったら、400ミリのレンズでたった今撮った写真を見せてくれた。
それを確認した上でもう一度、小山に目を凝らしてみたが、それでも分からなかった。
鳥を撮る人の眼は全然違う。
「ここに来ると、7、8割の確率であの木にいますよ」
と教えてくれたが、そんなに興味があるわけではないので、お礼を言って辞去した。

一応、氷結した湖の写真だけは数枚撮っておいた。
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こちらは今日も駅舎めぐりをしなければ。
まずは最寄りの茅沼駅。
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こちらは、駅のすぐ前にあった「ひだまり」。
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「SOUL MATE」とあるが、何の施設なのかよく分からない。
カフェではなさそうだ。

この駅はタンチョウの餌付けで有名なところだが、いてくれるだろうか。
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周辺の観光マップを確認していると、何やら鳴き声が聞こえてきた。
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タンチョウさんはたくさんいるみたいだ。
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ホームに出てみると、その向こうは広大な雪原で、20羽以上のタンチョウが思い思いにエサをついばんでいた。
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声をそろえて鳴いているつがいもいた。
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タンチョウはあとでじっくり観察するとして、まずは駅舎見学。
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駅名は、付近一帯がカヤの群生する沼地だったことに由来するという。
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めずらしくアイヌ語とは関係なく付けられたようだ。
近くにある沼にちなんで「シラルトロ」とかにすればよかったのに。

ご覧の通り1面1線の単式ホームである。
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正面は「タンチョウの私有地」だそうだ。
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茅沼駅は釧網本線の開通に伴い、1927年(昭和2年)9月15日に開業した。
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現在の駅舎は1989年に改築されたもので、92年4月1日に完全無人化された。
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2013~17年の平日の平均乗車人員は2.0人という。
観光地だし、夏の休日などはもっと利用者がいるだろうが、タンチョウ目当てに車で来る人が多いのかもしれない。
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それでは、タンチョウの間近まで行って観察してみよう。
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と言いつつ、それなりに離れている。
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線路からはこのくらいの距離だ。
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望遠で見てみよう。
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この2羽はどちらも、あちこちかゆい所があるようだ。
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1羽歩き出した。
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私の目の前を通過していく。
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どうやら餌場を目指していたようだ。
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美味しそうにエサを食べて始めた。
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その様子をしばらく観察して、駅舎に戻る。
途中にSLの動輪が展示してあった。説明板などはなかった。
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待合室の様子。
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ログハウス風だ。
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手書きの解説板で釧網本線の歩みを説明してくれている。
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釧路湿原駅を通過するサホロ・エクスプレス号の写真なども掲示してあった。
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それではネクスト。
次は塘路駅だが、8年前にすでに撮影済みなので、その次の細岡駅に向かう。
もう一度じっくり塘路駅を見たい気もしたが時間節約のためパスした。
途中、シラルトロ湖のビュースポットで停車。
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雪解けが進んで
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湖面がかなり姿を現していた。
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何かが飛んでいたが、あれはカラスかな。
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橋の下ではハクチョウが身をすくめていた。
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この子たちはガンの仲間だろう。
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橋の名称は冷泉橋だった。
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峠を越えて、塘路湖が見えてくると、サルボ展望台への入口があった。
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しかし展望台まで400mも登らなければならないので、今回はパス。
季節がよくなったらまた来よう。
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ただ、塘路湖には一応ご挨拶。
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こちらも、結構雪解けが進んでいた。
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ワカサギ釣りが盛んな湖だが、これではもうシーズン終了だ。
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夏はカヌー遊びができるようだ。
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廃屋のようだが、夏にはカヌークラブの事務所になるのかもしれない。
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国道から右折して、達古武踏切を渡る。
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もうすぐそこに細岡駅が見えた。
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踏切を渡ると、すぐ右手に「細岡」というカヌー用の港があった。
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ひと月前は結氷していたのかもしれない。
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ウチダザリガニは生きたままの持ち出しは禁止とのこと。外来種なので拡散させたくないということなのだろう。
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(つづく)
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釧路・臨港線(下)

【2019年2月25日(月)】臨港線
根室本線の駅舎めぐりを終え、太平洋石炭販売輸送の臨港線を訪ねている。
知人駅を後にして、釧路の市街地を横断、春採駅にやってきた。
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かなり広い構内である。
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連日、石炭貨車を牽引していたディーゼル機関車D801が長い休息に入っていた。
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D801は雄別鉄道(1923~70年)の機関車として1966年に完成した。
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雄鉄の廃止により、埠頭線を引き継いだ釧路開発埠頭に移籍。
さらに1984年の釧路開発埠頭線の廃止に伴い、太平洋石炭販売輸送が引き継いでいた。

赤い車両はD401。
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春採駅構内の踏切。
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奥は選炭工場に通じている。
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春採駅(輸送課事務所)の扉には2月23日から当分の間全休する旨の貼り紙が出ていた。
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北海道新聞の報道によれば、同社は早ければ3月に国土交通省に鉄道事業法上の廃止届を出すとみられる。その場合、正式には6月にも廃止になるらしい。
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炭鉱全盛時代の1970年代後半には1日15本前後も運行していたが、近年は運行しない日も多くなり、運行しても1日1本にとどまっていた。
運休後はトラック輸送への転換が検討されているという。

石炭を運んでいた貨車の列。
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6月の廃止までの間にさよなら列車を走らせたりするようなイベントはあるのだろうか。
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ずっと旅客扱いはしていなかったので、それほど一般には馴染みがないかもしれないから難しいかな。
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選炭工場まで足を伸ばしてみた。
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この日も稼働している様子だった。
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しかし、いかにも寂しげな雰囲気である。
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夕暮れだからというのもあるんだろうけど。
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立入禁止ではなく通り抜け禁止だから、入っても構わないと解釈しよう。
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もちろん端っこから眺めるだけだが。
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鉄道が廃止になっても、採炭している限りこの施設は存続するはずだ。
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でも、レールは撤去されて、トラックの駐車場になってしまうのか。
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栄枯盛衰とは言え、やはりやりきれない思いがする。
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私にできることは記録に留めておくことだけだ。
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この鉄道の存在はつい最近知ったのだが、こんなに美しいとは思わなかった。
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たまたま道東に仕事ができたからではあるが、いいものを見せていただいた。
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長い間、お疲れ様でした。
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おまけの廃電話ボックス。
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と、その他。
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これで臨港線見学は終了。時刻は結局17時を回ってしまった。

明るいうちに茅沼温泉に着きたかったが、これではとても無理だ。
距離は40km近くあるので、50分もかかってしまった。
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18時前にやっとチェックイン。
新館221号室に入ると、すでに布団が敷かれていた。
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食事は18時半にお願いしたので、急いで温泉に入る。
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宿泊者はほとんどいない感じだったが、日帰り入浴のお客さんが何人かいた。
でも、露天風呂には誰もいなかったので、しばらく独り占め。
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急がねばいけなかったが、のんびりと湿原の湯を満喫した。
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湯は舐めるとちょっと塩気があった。
泉質は、ナトリウム-塩化物泉(旧名:食塩泉)なのでさもありなん。
ph値は7.5で弱アルカリ性等張性高温泉である。
源泉の温度は47.1℃なので、加温・加水はほとんど必要ないだろうから、経費的に助かるに違いない。

18時半にやや遅れて食堂へ。
今夜はこんなメニュー。
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メインはマス。あとは、カニの甲羅揚げ、茶碗蒸し、お刺身(タコと甘エビ)、ホタテとイカの山椒漬、阿寒ポークのお鍋である。
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生ビールはわりと高かったので、小ジョッキを頼んだら、これっぽっち。
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これで550円もするとは。

阿寒ポーク、味噌仕立てでとっても美味しかった。
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御飯もいただいてしまったので満腹。

腹ごなしに売店を冷かすと、「大鵬」の煎餅が地元の銘菓として売られていた。
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廊下にはタンチョウヅルの写真がたくさん。
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フロントの人に聞いてみたら、近くで餌付けしているので、昨日も食べにきたという。
会えることを期待して、部屋に戻った。
しばらくパソコン作業をしていたが22時には寝てしまった気がする。
明日は4時半に起きて、作業を再開するつもりだ。
おやすみなさい。

(おわり)
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釧路・臨港線(上)

【2019年2月25日(月)】太平洋石炭販売輸送臨港線
根室本線の駅舎めぐりを終え、太平洋石炭販売輸送の臨港線に向かっている。
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たどり着いたときには、かなり陽が傾いていた。
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青い屋根の建物が終点、知人(しれと)駅である。
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駅周辺は一応、住宅街になっている。
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知人駅は1925年(大正14年)2月11日、釧路臨港鉄道の駅として開業した。
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1926年(大正15年)2月から63年(昭和38年)10月までは、旅客営業もしていたらしい。
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このコンクリートは駅舎の基壇跡かホームの跡か。
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線路は海岸沿いを春採方面に続いている。
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港の方向には石炭ならぬ石油タンクが見える。
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踏切には簡素な警報機が設置されていた。
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踏切と言っても、こんな状態。
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線路に沿って走っていた道路はここで行き止まりだった。
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列車が来る気配はないので、少し線路を歩いてみることにした。
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何とも言えない旅情がかき立てられる。
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完全に廃線の趣である。
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間もなく太平洋に陽が沈む。
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あばら家が夕陽に照らされていた。
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力不足で、こういうものが何なのかの説明はできない。
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これが信号なのは分かるけど。
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ポイントに差し掛かる。
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これがポイントそのもの。
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まだ稼働するはずである。
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ポイントを通過すると単線になった。
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知人駅方面を振り返る。
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知人駅のさらに向こうにも線路は続いている。
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キロポスト? 春採駅から3.8kmということか。
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最高の時間帯に訪ねてきた気がする。
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あのカーブの先まで行ってみることにしよう。
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オブジェのように見えるけど、生きています。
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この鉄道の経営体である太平洋石炭販売輸送株式会社(本社・釧路市)は、石炭の販売や倉庫業、不動産業などを行う、太平洋興発(東証一部)グループの企業だ。
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臨港線は釧路コールマイン選炭工場から釧路港東港区の知人貯炭場を結ぶ石炭輸送専用線である。
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2002年1月に太平洋炭礦が閉山した後も、同年4月にその一部鉱区を利用して採炭している釧路コールマインの石炭輸送を担っていた。
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会社は1970年(昭和45年)9月1日に設立され、79年4月30日、太平洋炭礦から釧路臨港鉄道の路線を譲り受けた。
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それにしても、素晴らしいロケーションである。
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6月の廃止が予定されているが、その後線路は撤去されるのだろうか。
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何か観光で利用できないか検討してほしいものだ。
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この先は別の集落に入っていくようなので、このあたりで引き返すことにする。
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半島状に見える陸地の先端に見えるのは釧路炭鉱。
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露天掘りのようである。
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こっちの方がキロポストっぽいが、7kmもないはず。
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線路のすぐ下が海である。
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L。意味は分かりません。
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わりと砂浜も広い。
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遠くに見えたのは貯炭場関連の施設だろうか。
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北側は斜面になっている。
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さっきの踏切。海側の線路には板が敷いてあった。
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こちらのレールはすっかり錆びついている。しばらく使用されていないのだろう。
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使用されていたのは海側の線路だ。
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凹んでいる部分はおそらく貯炭場の跡。
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知人駅構内に戻ってきた。
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その駅正面。
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周辺の住宅。台地の上には釧路埼灯台が見える。
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知人駅を後にして、線路の先端まで車で行ったら、ものすごい光景に出会えた。
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線路は高架になっており、突然途切れている。
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この場所で貨車から石炭を下ろすのだろう。
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どう下ろすのかは想像もつかないが、ここが貯炭場であることは間違いない。
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興味深いので、いろんな角度から撮ってしまう。
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これだけ見て線路だと分かる人はかなりのテツか専門家だろう。
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石炭を船に運ぶためなのかベルトコンベアーも設置されていた。
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ほとんど見惚れてしまった。
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しかし、ぼやぼやしていると日が暮れてしまうので、この辺で切り上げて春採駅に向かった。
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(つづく)
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2019根室本線(下)

【2019年2月25日(月)】根室本線
釧路周辺の根室本線の駅舎を撮影中。
西庶路、庶路、大楽毛、新大楽毛駅を経て、最後の新富士駅に向かっている。
途中、道路脇にコンクリート製の橋脚が現れた。
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炭鉱か製紙工場への専用線の痕跡だろうか。
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得した気分でいると、今度はJR貨物の釧路貨物駅を発見。
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この駅は、1989年8月1日に廃止された浜釧路駅(釧路東港)の機能を移転させて開業したものだそうだ。
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さらに少し東に進むと、新富士駅の入口に到着。
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駅舎はとくになく、ホームへの跨線橋に駅名板が掲げられていた。
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新富士駅は駅前にある製紙工場の専用線を分岐させるため、1923年(大正12年)12月25日に]開業した駅である。
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駅名は、富士製紙(現・日本製紙釧路工場)にちなむが、すでに東海道本線に富士駅があったために新富士駅となった。
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1988年3月13日に開業した東海道新幹線の新富士駅と同じ名称だが、こちらの方が実は先輩だ。
新幹線の新富士駅は会社が違うということで問題にはならなかったのだろう。

跨線橋からは何本もの線路が輻輳しているのが見て取れる。
CIMG5091_2019030216404588b.jpg
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ホームに下りてきた。
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ホームのど真ん中に、工場施設の支柱が突き刺さっている。
CIMG5093_20190302164008b38.jpg
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1面2線の島式ホームである。
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貨物列車がアイドリングをしていた。間もなく発車なのだろう。
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周りにはコンテナがたくさん。
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ここから、かつては西港臨港線や北埠頭線、十條製紙、本州製紙の専用線、雄別鉄道などが分岐していたらしいが、いずれも廃止されている。
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旅客列車は各駅しか停まらないはずだが、ホームが異常に長い。
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それにしても、内地の「新富士」の方になじみがある当方としては、かなり違和感がある。
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こちらが先輩なのに、すいません。

ホーム上にあった待合室。
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陽が当たると暖かそうだ。
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それにしても、これは何のための陸橋なのだろう。
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疑問は解けないまま、これで根室本線の駅舎ねぐり終了。
廃止されることになったという太平洋石炭販売輸送臨港線の確認に向かった。

(つづく)
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2019根室本線(中)

【2019年2月25日(月)】根室本線
釧路近辺の駅舎めぐり中。
西庶路駅の撮影を終えて庶路駅へ。
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駅舎を見学する前に周辺をチェック。
こちらは駅前にあった古い社宅のような建物。もう誰も住んでいる気配はない。
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地域のスローガンのようなものが掲げてあった。
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「庶路・恋ドンと来い」。何のことだろう。
「恋」は近くにある恋問という地名に関係していそうなこと、「恋」と「来い」で韻を踏んでいるつもりであろうことは分かるが、真意は全く分からない。

かつては跨線橋だった連絡橋(自由通路)。
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待合室の壁面はピンクだった。
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運行本数は上り9本、下り10本。朝の下りが手厚い。
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ここは標高3mしかないので、津波注意だ。
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窓に造花が飾ってあった。駅は地元の方に愛されているのだろう。
CIMG5001_20190302092032f1a.jpg

ホームに出てみた。跨線橋はもともと反対側のホームに行くためのものだったが、駅舎側のみの運用になったため、ホームとは遮断され、連絡橋になっている。
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開業は1901年(明治34年)7月20日。
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庶路という駅名は所在地の地名によるが、語源はアイヌ語の「ショ・オロ」(滝の所)に由来する。
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庶路川の上流に滝が多いことにちなむそうだ。
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廃止された2番線ホームに国鉄時代の駅名標が残っていた。
CIMG5006_201903020920082ee.jpg

ということは、2番線が廃止されたのはJRになった時点ということになるのだろうか。
CIMG5008_20190302092011a46.jpg

背後にはわりと新しい住宅が建っている。
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開業100周年を記念した植樹が行われたようだが、それらしき樹木は見当たらなかった。
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連絡橋を渡ってみよう。
CIMG5010_201903020919440e0.jpg

帯広方面を眺める。
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なんだか哀愁が漂っている。
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レールの右側に白く雪が積もっているところが廃止された2番線である。
CIMG5013_20190302091946c07.jpg

駅舎の裏側に書かれた駅名はひらがな表記だった。
CIMG5014_20190302091947411.jpg

柵を越えて、旧2番線ホームに入ってみた。
CIMG5016_201903020919193ba.jpg

古い駅名標の裏は真っ白である。
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ということは、3番線はなかったということだ。

それにしても、この駅名標を残しておいてくれたのには感謝したい。
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2番線ホームにはまだ雪が積もったままだった。
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橋に戻って、釧路方面を望む。
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2011~15年の1日平均の乗降人員は10人以下だったそうだ。
CIMG5020_20190302091854db4.jpg

駅前には庶路駅の沿革を記した石碑が置かれていた。
CIMG5021_20190302091855355.jpg
かつてこのあたりは馬産が盛んだったらしい。

それでは次の大楽毛駅に向かうとしよう。
CIMG5022_201903020918576ac.jpg

と思ったのだが、その前に東庶路信号場に行けるなら行っておきたい。
このあたりだろうか。
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信号場の施設の一部なのかもしれないが、よく分からない。
CIMG5024_20190302091900afb.jpg

ここは3線を有する信号場で、列車交換だけでなく、上下線とも追抜きが可能だそうだ。
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上下の普通列車の交換中に、本線を特急列車が通過する光景も見られるという。
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もう少し釧路方面に進むと信号場の建物があった。
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1966年(昭和41年)9月27日に開設されたとのこと。
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信号場を確認できたことに満足して、大楽毛駅へ。
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ここはいわゆる無人駅だが、食堂と釧路市役所の大楽毛支所が入居しているので、かなり大きい駅舎だ。
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これは旧駅舎に掲げられていた駅名板の再現だろうか。
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JRになって2年後の1989年10月2日に改築された駅舎である。
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向かって右側が支所。かなり出入りが多い。
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それでは中に入ってみましょう。
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最初の扉を開けると、入口が駅と支所の二つに分かれている。
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私は左側を開けて、駅の待合室へ。
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壁には観光マップがいくつか掲示されていた。
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自動券売機も設置してあった。
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2001年に完全無人化されるまで使用されていた切符売り場の窓口。
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かもめ食堂は焼肉ダイニング。のれんは掛かっていたが、お客さんはいなかった。
時間的に仕方ないか。
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このあたりも有名な馬産地だったらしく、馬の絵も何枚か飾られていた。
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柔らかそうなクッションだこと。
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支所には待合室から出入りすることもできる。
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それではホームに出てみよう。
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開業は庶路駅や釧路駅と同じ1901年7月20日である。
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現在は1面2線の島式ホームになっている。
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駅舎側の旧1番線は駅舎改築の際に廃止されたのだろう。
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その痕跡がまだ残っている。
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かつては古い木造の駅舎だったらしい。見届けておきたかった。
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ホームには待合室はない。
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なぜかホーム上に木の電柱が一直線に並んでいた。
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駅名は所在地の地名を採用したものだが、その語源はアイヌ語の「オタノㇱキ」(砂浜の中央)に由来するという。
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跨線橋から帯広方面を望む。
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駅前の風景。
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1903年(明治36年)頃、この駅から舌辛(現・釧路市阿寒町)まで馬車鉄道が敷設されたのだそうだ。
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1959~84年には、本州製紙(後の王子製紙)釧路工場の専用線も運用されていた。
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軍馬として名高い「日本釧路種」の銅像。
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いつまでも我々を見守っていてください。
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というわけで、お隣の新大楽毛駅へ。
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この駅は1988年(昭和63年)11月3日に開業したかなり新しい駅である。
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この待合室が完成したのは、2013年11月28日。
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枠だけになっているのは、もともと時刻表がはめ込んであったのだろう。
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待合室内に移されたということか。
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ログハウス風の建物である。
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室内に列車接近ランプが設置されていた。
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2012年の1日平均乗車人員は23人ということなので、それほど多くはない。
にもかかわらず、待合室を設置したのは地元から要望があったからかもしれない。
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1面1線の単式ホームである。
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駅の向こう側は倉庫。
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帯広方面。
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駅名標はかなりくたびれていた。
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そして駅全景。
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まだ15時半前だが、随分夕暮れの雰囲気になってきた。
急いで、次の新富士駅に向かった。

(つづく)
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2019根室本線(上)

【2019年2月25日(月)】根室本線
25、26日は1泊で道東に出張。
先方の都合もあり、25日は午前に帯広、26日は午後に別海というアポになった。
となると、25日午後と26日午前が空いてしまう。
せっかくだから、空き時間は駅舎めぐりに費やすことにした。
ちょうど釧路付近に未撮影の駅が多数あるので、釧路湿原の茅沼温泉(くしろ湿原パーク憩の家かや沼)に宿を取った。

自宅を6時半すぎに出て、いつも通り幌平橋から地下鉄に乗る。
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朝7時ちょうど発の特急スーパーおおぞら1号で札幌を出発。
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翌日は高校生の飛び込み自殺で朝のダイヤが大幅に乱れたが、この日は幸い定時の発車だった。
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指定席を取っておいたが、意外に空いていて、帯広まで隣には誰も座ってこなかった。
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車内では仕事関連の本を読んでいた。
途中うとうとしたりもしたが、幸い読み終えることができた。

十勝清水を過ぎたら、再度、羽帯駅跡の撮影に挑戦。
目印は、すぐ手前にある平野川信号場。
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これを過ぎると、すぐ2017年3月に廃止された羽帯駅跡が登場する。
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前回はこんな案内板があるのを知らなかったので撮影に失敗したが、今回はばっちりな感じで撮ることができた。

帯広にはほぼ定刻(9:24)通りに到着。
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1時間半ほどで仕事を済ませ、帯広駅に戻る。

まだ11時半だが、朝が早かったせいで猛烈にお腹が空いた。
あるといいなと思っていた豚丼の駅弁があったので、勇んで購入。
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11:40発の特急スーパーおおぞら3号に乗り込んだ。
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釧路までは自由席にしたが、予想通りガラガラだった。
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この区間では常豊信号場の駅名標を撮らないといけないので、右側の窓際に陣取る。
まずは腹ごしらえだ。
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まだ、ほのかに温かい。いただきます!
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他のおかずは全くなし。豚肉だけ、というところが潔い。
味付けも濃すぎず、いいお味であった。

車窓を見ていると、もう土が出ている畑もある。
もともと十勝は雪が少ない上に、このところの高温傾向で雪解けが進んでいるようだ。
浦幌駅を過ぎると、スマホを構えて、臨戦態勢に入る。
常豊信号場の建物が見えてきた。
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信号場としては、めずらしくホームもある。
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そして駅名標。こちらもばっちり成功した。
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この信号場は1966年(昭和41年)9月30日に開設された。
ホームがあるのは、タブレット(通標)を交換するためだったようだが、駅名標は不要のはず。
なぜ設置されたのか、JRに経営体が変わった時もなぜ撤去せずに更新されたのか、非常に興味深い。
常豊通過後は座席を左側に移し、ずっと山側の景色を眺めていた。

釧路駅には定刻通り13:20に到着。
1番線ホームでは日本食堂(にっしょく)の売店がシャッターを下ろしたままだった。
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釧路駅構内にはいくつかのお店があるが、ブックス二分の一が閉店セールをやっていた。
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何でも2冊で100円という投げ売り。
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営業不振だったのだろう。釧路市内では3年前にも駅前の「ブック亭」が閉店しており、全国各地、街の本屋さん受難の時代である。

安いのでちょっと物色したかったが、荷物になるし、時間ももったいないのでパス。
早々に釧路駅を後にして、レンタカー屋さんに向かう。
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駅のすぐ東に、くしろバスのバスターミナルがある。
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今夜の宿はここにする手もあったのだが、いくら天然温泉とは言え、やはりちょっと味気ないので止めてしまった。
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根室本線を渡る跨線橋。
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登って写真を撮りたかったが、ここも時間節約のため我慢。
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お目当てのトヨタレンタカー釧路店は、この跨線橋のすぐ向かいにあった。
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手続きを済ませて13:40頃出発。まずは帯広方面に戻る感じで、白糠駅のひとつ釧路側の駅、西庶路駅に向かう。
根室本線では、白糠~釧路間の5駅がまだ未撮影なのである。
釧路市街を抜けて、幅の広い国道38号を西進。
ついついスピードが出てしまうが安全運転を心がける。
幸い路面が乾いているので走りやすかった。

途中、庶路駅に近い道の駅しらぬか恋問でトイレ休憩。
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1993年にオープンした比較的古い道の駅で、ここの「炭焼豚丼」は道の駅弁第1号だそうだ。
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地名にちなんで、恋のキューピッド役を自任しているらしい。
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恋問館のマスコットキャラクターは男子がタコのコイタくん、女子がイカのメイカちゃんだそうだ。
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恋問海岸には、タコとイカの恋の物語があるらしい。
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売店もちょっとだけ冷やかし。
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顔ハメがあったので、スタッフの方に撮っていただいた。
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でもあまり、面白くない顔ハメだ。

それではコイトイを出発。
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庶路駅の手前で、13:48釧路発の帯広行き普通列車と並走。
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これなら、庶路駅のひとつ先の西庶路駅で、この列車を撮影できそうだ。
西庶路駅に着いたら、駅舎撮影はそっちのけで跨線橋に急ぐ。
数分で、さっきの列車がやってきた。
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駅舎の裏側もきれいに写って、いいアングルである。
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少し高い位置から。
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乗客2人を下ろし、列車は帯広方面へと走り去った。
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帯広着は15:19の予定である。
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釧路からお帰りになった奥様の後ろ姿を見送り
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こちらはホームを探索。
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西庶路駅は1941年(昭和16年)3月28日、国鉄の西庶路信号場として開業した。
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10年後の1951年4月1日に西庶路仮乗降場として旅客の取扱いを開始。
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翌52年3月5日に駅に昇格した。
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1面2線の島式ホームである。
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1984年(昭和59年)12月1日に無人化されたが、翌年5月に簡易委託による乗車券の発売を再開。
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2005年7月29日に完全無人化された。
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1941~64年に、明治鉱業庶路専用線(西庶路〜庶路炭鉱)と本岐鉱運搬軌道(庶路炭鉱~本岐炭鉱)が分岐していたが、両炭鉱の閉山とともに廃止された。

帯広方面の眺め。
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釧路方面。
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2015年の1日平均乗降客数は40人。
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まずまずといったところか。
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待合室は比較的広い。
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しかも清潔に保たれている。
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ただ、かつてあった窓口は完全に閉鎖されていた。
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やっと外観の写真が撮れる。
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この駅舎が建てられたのはいつ頃なのだろう。
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出入口のすぐ左側にトイレがあるめずらしい構造だが、男女の別が分からない。
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確か、左側の鍵が開かなかったので、右側を共用にしているのだろう。
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駅前はこんな閑散とした風景。
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それでは次の庶路駅へ向かうとしよう。

(つづく)
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狩振岳(下)

【2019年2月24日(日)】狩振山
狩振山(1323m)のツアー登山に参加している。
まだ頂上まで標高差で300m近くあるが、正午近くになったので昼食ということになった。
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みんなはパンなどをかじっているが、私はカレーメシ。
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熱湯を入れて5分待たなくてはならない。
雪の中で気温も低いので、本来なら7分くらい欲しいところだが、のんびりしていると、みんなの食事が済んでしまう。
まだメシが固いのを覚悟で5分で開けたら、メシはまあ大丈夫だったものの、ルーが溶け切っていない。
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汁もぬるくなっていて、一生懸命かき回しても溶けてくれなかった。
結局、塊のまま飲み込むしかなかった。
でも、それだけ溶け残っていたのに、味はまずまず。
食べ終わったカップをゴミ袋にしまおうとしたら、突風で飛んでいってしまった。
すいません。

15分ほどの休憩で出発。
稜線まで標高差で150mほどの急登だ。
必死にスキー部隊についていく。
途中、展望が開け、ふもとから見えた十勝連峰がまた姿を現した。
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1233mピークは巻いていく。
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気温が低いだけに、太陽の光がありがたい。
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稜線に近づくと、前方に狩振岳の頂上が見えてきた。
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もちろん、名称の由来は石狩国と胆振国の境界にあったことに由来する。
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なかなか端正なお姿である。
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左手に十勝連峰。
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稜線付近は雪原になっており、スキーの方にとっては格好のゲレンデだ。
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空が抜けるように青い。
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トマム山(左、1239m)と落合岳(右、1166m)が一望だ。
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いい眺めなので、皆さんしばしうっとり。
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さあ、稜線までもう少しだ。
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隊列の影が雪に映る。
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稜線に乗って初めて見えたのは、双珠別岳(1383m)。
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意外に近いので縦走もできそうだ。
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風が強いのか、見事な風紋ができていた。
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それを踏みしめて頂上を目指す。
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雪が締まっているので、ほとんど埋まらない。
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そういう意味では楽なのだが、いかんせん風が強い。
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ダケカンバもややかしいでいる。
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右手は日高連峰。
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振り向くと、1233mピーク方面には樹木がほとんどなく、真っ白な雪原になっていた。
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これぞ雪山という感じ。
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美しい光景だ。
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雪原越しのトマム山。いずれ、あそこにも行かなくては。
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さあ、頂上まで標高差はあと100mちょっとである。
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左手には冠雪した十勝連峰。なかなかこんなにきれいに見られるものではない。
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日高の山々は意外に黒々としている。
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いよいよ急斜面に差し掛かる。
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風が激しく、皆さんフードをかぶっている。
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しかし、追い風なのがせめてもの救い。
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風速は10mくらいだろうか。
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スキー部隊、結構格好いい。
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風はどんどん強くなる。
手袋が飛ばされるのが怖くて、この先は全く写真が撮れなかった。
頂上直下で、スキー部隊がスキーを外す。
風で雪がほとんど付いておらず、ハイマツがむき出しになっているからだ。
頂上付近は20m以上あるかと思われる強風で立っていられない。
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文字通り這って登った。
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13:23、標高と同じ数字の時間に到着したが、山名板はなし。
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山頂らしき場所にタッチしただけで、すぐに下山を開始した。
スキー部隊は置き去りにして、どんどん下る。
今度は逆風なので、顔がめちゃめちゃ痛い。
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体をひねって顔を後ろ向きにしながら下った。
これはスキーだったら大変なことになった。
顔が血だらけになったのではないだろうか。
5分ほど下ると、少しゆとりがでてきた。
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それでもスキー部隊はいずれ追いついてくることは分かっているので、ずんずん進む。
稜線の陰の風のないところまで行って、小休止とした。
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ここからはトマムの星野リゾートがよく見えた。
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ここで、やっと記念撮影。
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H君は山名板がないことをちゃんと調べて、またお手製のものを用意してきてくれた。
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そうこうしているうちに、スキー部隊がやっと下りてきた。
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先頭はもちろんガイドのIさん。
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続いて、3人。
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残る1人はまた動画を撮っているのか、随分遅れていた。
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いったん全員合流したが、すぐにスノーシュー部隊は出発。
この先、樹林帯なので、スキーの方々はかなり神経を遣うだろう
やはり私にはスキーは無理だった。
スノーシュー部隊の先頭を歩くNさんは女性だが、ものすごく歩くのが速い。
付いていくのが一苦労だし、喉も乾いたので勝手に一人で小休止。
水分を摂っている間に、皆さん先に行ってしまったのをいいことに戦線離脱し、あとは写真を撮ったり、お絵描きを楽しんだりしながらマイペースで下った。
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稜線から30分弱で白樺林まで下ってきた。
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さらに送電線の下を通過。
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林道を横断。
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境界見出標が現れたら、雪原に出る。
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雪原の先で皆さんが待っていてくれた。
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暇だったのか、雪原をキャンバスにお絵描きをしていたようだ。
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皆さんと合流して間もなく、スキー部隊も下ってきた。
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動画おじさんはかなり疲労しているようで、Iさんが付いて下ってくるというので、我々だけで出発。
登りの時には気づかなかったが、林道脇にクマ用?のわなが仕掛けてあった。
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というわけで、間もなくゴール。
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お蔭さまでずっといい天気に恵まれた。
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さようなら、狩ちゃん。
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名も知らぬ山よ、さらば。
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14:50、登山口に到着。歩行距離は7.5kmだった。
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お風呂は国境山の時と同じ、湯の沢温泉・森の四季へ。
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ちょうど混み合う時間で脱衣場のカゴがすべて使用されていたが、お風呂にはゆっくり入ることができた。
冬山登山の後の温泉はやはり体にしみますわ。
帰りは、H君と一緒に私の車で。
あれこれおしゃべりをしていたおかげで眠くならずに済んだ。
H君をお宅まで送り届けて、19時過ぎに帰宅。
頂上は猛烈な風だったが、最高の天気で気持ちのいい山行だった。

【行程】2019年2月24日
登山口(10:08)~標高670m地点(10:13撮影10:18)~標高750m地点(10:39休憩10:46)~標高900m地点(11:21休憩11:28)~(11:57昼食12:14)~頂上(13:20)~稜線下(13:42休憩13:48)~登山口(14:50)
※所要時間:4時間42分(歩行時間:4時間)
※登った山:1座(狩振山)
※歩行距離:7.5km
※累積標高差:約680m

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