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山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

迷沢山(下)

【2018年12月23日(日)】迷沢山
とくに迷うこともなく、迷沢山(1005m)登頂を果たした。
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まだ、お昼には早いので、昼食は鉄塔の下で食べることにして、出発。
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林道に戻って間もなく、例のスキー部隊とすれ違った。
彼らは我々より30分ほど遅れている。
おそらくショートカットはせず、ずっと林道を歩いてきたのだろう。
彼らは、帰りはこの道など直滑降であっという間に違いない。
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でも、登山口まで抜かれることはなかった。

送電線下の開けた斜面に出ると、正面に定山渓天狗岳(1145m)が再び姿を現した。
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その右は白井岳(1301m)だろうか。
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下りは、ストックはないけれど、ズボズボと新雪の中を歩いていく。
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札幌国際スキー場の右奥に真っ白く冠雪したピラミダルな山容がうっすらと見える。
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しかし、この方角に高い山はない。雲なのだろうか。

11時過ぎに再び鉄塔下に到着。
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地面の雪を踏み固めて、ザックの上に腰を下ろし、お昼にする。
今日は「トマトチキンカレーメシ」。AIが考えたらしい。
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熱湯5分だが、雪の中なので7分待った。

開けてみると、昨日の謎肉丼の卵かけご飯状態どころか、スープカレー状態。
これも見た目は、あまり美味しそうには見えない。
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お湯を入れ過ぎたか?と思いつつひと口。
何だか微妙な味なので、もう1回ちゃんとかき混ぜて食べたら、うまい!
さすが、AI! もともとトマトカレーは好きなので、気に入ってしまった。
汁も当然飲めるし、腹もちも良さそうだし、これからは愛用させていただこう。

食べている途中、カップルのスキーヤーが登っていった。
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たぶん、彼らは車を、我々が除雪した排雪場に置いたに違いない。

20分ほどで出発。
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さっき汗をかきながら登ったショートカットの急斜面を軽々と下る。
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林道合流地点に来ると、やはりスキーヤーたちは林道に沿って登っていったことが、トレースで分かった。
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人の後を付いていくのがいやな人もいたようだ。
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林道に下る段差で、ストックのない私は見事に尻餅。
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でも、そんなの関係ね~

さっき、スキーヤーたちを抜かした場所を通過。
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沢には、小鳥が何羽も水を飲みにきていた。
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完全に雪に埋もれてしまったら、彼らはどうするのだろう。
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今日は完全ピストンだが、もう慣れっこになってしまった。
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木のアーチ。さっきはこの先で、先行部隊に「先に行って」と声をかけられたのだった。
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さあ、終盤戦。
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ゴールを目指して黙々と進む。
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妖怪人間ベムの妖怪の姿。と言ったら、想像力がたくましすぎるでしょうか。
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正面に小樽内川をはさんだ西側の山々が見えてきたら、ゲートも近い。
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ゲートには12時過ぎに到着。
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上平沢川を渡り
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車まで往復4時間15分ほどで戻ってきた。
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トレースのおかげで、かなり楽勝だった。
それはいいのだが、後発のスキーヤーの車がない。
どこに停めたのだろう。ここは排雪場だから、ということであえて避けたのだろうか。
せっかく除雪したのにと思いつつ、定山渓温泉に向かった。

昨日は「湯の花」だったが、今日のお目当ては「ぬくもりの宿ふる川」。
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確か、12月13日に新大浴場がオープンしているはずなのだ。
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しかし、フロントで日帰り入浴を申し込むと、8階の展望風呂を案内された。
「あれ、新しいお風呂ができたんじゃなかったでしたっけ」
「25日からなんです」
「13日オープンの予定じゃなかったですか?」
「地震の関係で資材の納品が遅れまして・・・」
なるほど、まだオープンしていなかったのか。
でも、それならそれで好都合。
8階の展望風呂にも最後に入っておきたいと思いつつ機会を逸していたからだ。
新大浴場はこれからいつでも来られるが、8階は今日明日のみ。
逆にタイミングがよかったくらいだ。

8階に上ると、脱衣所に入る手前に貴重品ボックスがあったので、そこに財布を預けた。
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これが思わぬ失態を招くことになるとは知らずに。
のれんをくぐって、脱衣所のトイレに直行。
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今朝からずっと出そうで出なかったのだが、とうとう生まれそうだったのだ。
DSC_5100_201812262215014b1.jpg(トイレの壁にあったプレート)
大量に出して、ドアを開けると、韓国人親子があわてて入っていった。
かわいそうに。
何分も待たされた揚げ句、強烈なにおいに見舞われたはずだ。

H君は露天風呂にいた。
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それほど寒くもないし、お湯も適温。
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究極のパワーストーン「神明石」が置かれていた。
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相田みつをの詩もあちこちに。
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熱くなると湯から上がって、定山渓温泉の眺めを楽しんだりして、のんびり浸かった。
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内湯はこんな感じ。
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「ふる川」の会社名は「定山渓パークホテル」であることを、この温泉分析書で初めて知った。
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そういえばここも昔は団体さんを受け入れる「定山渓パークホテル」だったのだ。
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すっかり温まって、H君の待つ3階の休憩室へ。
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ここでは山で飲みきれなかった、アクエリアスを飲んだ。
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H君がソフトクリームやパフェがあるよと壁のメニューを見て言う。
それは承知していたが、「今夜は宴会でたくさん食べることになるから遠慮しておく」と答え、我慢。
実はここで食べていれば、いや、せめて食べるかどうか検討していれば、あんな事態にはならなかったのに。

この宿は「文化」というものを大切にしていることがよく分かる。
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「相田みつを 心のギャラリー」という空間も。
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売店もこだわりが感じられた。
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というわけで、宿を出て、H君の車で札幌市街に向かう。
30分ほど走って、川沿に差し掛かったあたりで、ポケットの中にいつもはないものが入っていることに気づいた。
ぎゃ~~~~~~~~!!!
貴重品ボックスのカギだ。
H君はいやな顔ひとつせず、定山渓まで引き返してくれた。
朝の雪かきといい、なんて親切な人なのだ。
私は恐縮するしかなかったが、努めて明るく振る舞った。

もちろん、財布はあって、事なきを得たのだが、このまま帰させるわけにはいかない。
お礼として、となりのスイーツ屋さんでソフトクリームを買い、ごちそうさせてもらった。
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結局、私も食べるはめになったが、これがまたうまいのなんの。
H君もおいしそうに食べてくれたので、救われた。

あとは、さっきと同じ場所を通過するたびに、その時と同じ会話を繰り返し、笑いながらドライブ。
結局、1時間も貴重な時間を無駄にさせてしまった。
申し訳ない。そして、ありがとう。
帰宅したのは16時前。
楽しい山行ではあったが、ストックを忘れたり、財布を取り出すのを忘れたり、確実な老化を実感せざるをえない平成最後の天皇誕生日であった。
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【行程】2018年12月23日
登山口(7:55)~標高約600m地点(8:45休憩8:50)~ショートカット地点(9:08)~標高約780m地点(9:25休憩9:30)~鉄塔下(9:40)~迷沢山頂上(10:23撮影10:35)~鉄塔下(11:02昼食11:21)~ショートカット地点(11:32)~登山口(12:08)
※所要時間:4時間13分(歩行時間:3時間30分)
※登った山:1座(迷沢山)
※歩行距離:9.0km
※累積標高差:約610m
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迷沢山(上)

【2018年12月23日(日)】迷沢山
3連休の中日は、H君と迷沢山(1005m)に登る約束をしていた。
この日は参加したいツアーがなかったらしく、ガイドなしでも行けそうな山ということで、迷沢山を選んでくれた。
頂上直下までずっと林道なので、道に迷わなくて済みそうだというのが最大の理由だった。
前夜はO君宅で騒ぎ、O君の出勤に合わせ、朝6時半に出発した。
朝食と昼食は、近くのコンビニで調達。
登山口の上平沢林道ゲートには、7時半すぎに到着した。
ゲート前にはすでに2台の車があり、車を置くスペースがない。
やむなく50mほど戻り、排雪場になっている場所に駐車することにした。
今日は雪が降らない予報なので、ここに車を置いても、除雪車が雪を捨てに来ることはないだろう。
H君によると、夏には登山者用の駐車場として利用されている場所だそうだ。
ただ、奥には広いスペースがあるのだが、入口に高さ50cmほどの雪の段差があって、その手前には1台しか停められない。
そこに停めてしまっては、後から来る人がかわいそうだと言って、H君はトランクからスコップを取り出し、除雪を始めた。
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なんて親切なやつなんだ!
スコップが小さく、1人では大変なので、交代で作業。
手の空いている方は、雪をよけた場所を踏み固めて、車を通りやすくした。
作業はおそらく10分もかからずに完了したはず。
車は難なく奥に進むことができた。
これで、あと5台くらい来ても大丈夫だ。

さて、我々も準備を、と思った瞬間、重大なミスに気付いた。
ストックをO君宅に忘れてしまったのだ。
まあ仕方がない。今日はストックなしで歩くしかない。
スノーシューに左右があることを、この日初めて、H君に教わったが、これまで特に間違ってはいなかったような気がする。
準備をしている間に、ゲート前に車を停めていた4人組が出発して行った。
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こちらは、それに遅れること5分。7:55に出発した。
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上平沢林道の1本、定山渓寄りに迷沢林道があるが、そちらは迷沢山頂上には通じていない。
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上平沢林道の長さは1977mとあるが、どこまでのことを言っているのか。
頂上までの距離はおそらく、それだけでは済むまい。実際4km以上あった。
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猟銃マークのある立入禁止の札が出ていたが、石狩森林管理署がシカ撃ちなどしているのだろうか。
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しかし、それに従うわけにはいかない。

ゲートは開いていたが、夏も施錠はされていないことがあるらしく、かなり上まで車で行けるらしい。
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迷沢山は濁って、「まよいざわやま」と読む。
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先行者の一部はスキーのようだ。
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右手には、上平沢川が流れている。
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沢の雪景色はなんともかわいらしい。
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見上げると、お正月に飾る繭玉のよう。
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この山は概して白樺が多いように感じた。
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迷沢山は反対側(東側)の平和の滝から登る旧送電線コースが昭和初期から山スキーのコースとして知られていたらしい。
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夏に利用される上平沢コースは迷いようがないので、初級者向けのコースということになっている。
「北海道雪山ガイド」(北海道新聞社)によると、登り3時間、下り40分になっているが、これはスキーの場合の所要時間だろう。
「山と高原地図」によれば、夏は登り2時間半、下り2時間ということになっているので、スノーシューだと登り3時間、下り2時間といったところだろうか。

20分ほど歩くと、先行部隊が視野に入ってきた。
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このままだと追いついてしまうので、すこしペースを落とす。
トレースがあることは、出発前にちらっと林道を見て分かっていたが、彼らが踏み固めてくれた後の方が、より楽なのは確かだ。
でも、どうしても追いついてしまうなら、こちらが先行するのもやむなしと思っていた。
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積雪は50cmほどのようで、路面がたまに露出していた。
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しばらく、一定の間隔を開けて歩いていると、先行部隊の一人が遅れ出し、我々に話しかけてきた。
「どうぞ先に行ってください。トレースもばっちり付いていますので」
わざわざ遅れてまで声をかけてくるということは、先に行って踏み固めてほしいとのことなのだろう。
まあお互い様なので、そういうことにしようと思ったが、でもなかなか追いつかない。

そうこうしているうちに、出発から1時間ほど経ったので、休憩をとることにした。
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ちょうど標高600mの地点だった。
後で気づいたことだが、地形図の道路表記がこのあたり間違っている。
道が谷筋を離れ、尾根を登ってしばらくトラバースするように書かれているが、実際の林道はそのまま谷筋を直進していた。

5分ほど休んで出発すると、間もなくこの標識を発見。
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そのすぐ先で、先行部隊が休んでいた。
一部の人だけがスキーだと思っていたら、全員スキーだった。
しかも、女性はおらず、年配の男性ばかりだ。
挨拶をして先に行かせてもらったが、ひと言も口をきかない人もいた。
もしかしたら、「なして、とっとと先に行かないんだ、俺たち老人にばかりに苦労させて」とでも思っていたのかもしれない。

この先は、スキーの踏み固めなしのトレースとなったが、それほどの差はなかった気がする。
標高660mのヘアピンカーブを曲がり、100mほど行くと、林道からトレースが消えた。
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トレースは道を外れて、尾根に取り付いたのである。
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延々林道歩きを覚悟していたのだが、これはありがたい。
ただ、ここまでストックなしでもとくに不自由はなかったが、さすがに急登はきつい。
木の枝につかまりながら、なんとか登り続けた。

そんな中でも遊び心は忘れず。
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イナウのようにビラビラになった白樺の樹皮。
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あとでH君が入手した情報によると、前日、山岳ガイドSさんのツアーがあったらしい。
ショートカットも含め、完璧なルートだったのは、そういうことだったのか。
ご本人はフルラッセルで汗だくになったそうだが、我々としては本当にありがたかった。
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送電線の下まで登ってくると、西に札幌国際スキー場が見えてきた。
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O君は今日もあそこで仕事なので、彼の名を小さな声で叫んだ。

北に見えてきた山は960mピークだろう。
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「雪山ガイド」によれば、鉄塔までのコースタイムは2時間15分。
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我々は1時間45分で登ってきた。
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これもトレースのおかげだろう。

この先は送電線の下の開けた斜面を登っていく。
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中央左のピークは股下山(820m)かな。
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雲に隠れているのは、定山渓天狗岳(1144m)。
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時々、林道と交差しながら登る。
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スキーだったら、ここは格好の滑走斜面だ。

この斜面を登り切り、標高900mを超えると、緩斜面の直線道路となる。
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まわりは若い白樺の林。
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ゆるやかに右にカーブして進むと、やっと右前方に迷沢山のピークが見えてきた。
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峠状になっているところから、右の尾根に取り付く。
夏は仮払いされているヤブらしいが、この時期はその苦労はない。
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間もなく展望が開けた場所に出て、手稲山(1023m)が驚くほど近くに見えた。
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手稲山の登山口である平和の滝からのコースもあるのだから、まあ当然なのだろう。

あそこには今年、冬と夏に2回登った。
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このこぶは手稲西峰(991m)。
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10時半前に登頂。2時間半かからなかった。
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立派な山名板があったが、この高さではあとひと月もすれば、雪に埋もれてしまう。
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この時期に登っておいてよかった。

あんな高いところに赤テープがあるということは、あの高さの近くまで雪が積もるということなのだ。
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山頂からもちゃんと手稲山を望むことができた。
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西峰の左に見えたのは奥手稲山(949m)かと思ったら、西峰のすぐ西にある961mピークだった。
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白樺のこずえの間からは藻岩山(531m)の姿も確認できた。
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ということは藻岩山からもこちらが見えるということになるのだが、迷沢山はあまり特徴のない山容なので、見つけるのはかなり難しいかもしれない。

山頂付近は以前、木々が切り払われたらしいが、すでに白樺の幼木が繁茂し始めていた。
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それでは恒例の部活で今回の締めくくりとしましょう。
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(つづく)
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庚申草山(下)

【2018年12月22日(土)】庚申草山
庚申草山(918m)の頂上を極め、山頂台地の北端にある三角点に向かっている。
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三角点への案内はかなり丁寧だった。
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おかげで5分ほどで到着した。
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こちらには、かなり立派な山名板があって、うれしかった。

でも、展望もなく狭いので、写真だけ撮ってすぐに退散。
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雪ん娘に挨拶して下山を開始する。
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正面に見えている高原は962mピークだろうか。
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下りはあえてトレースを無視して歩いた。
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途中、単独で登ってくる男性とすれ違った。
「トレースありがとうございました」と言ってくれるかと思ったら、ただの「こんにちは」だったので、Iさんがちょっと不満げだった。

13時ちょうど、廃道分岐まで下りてきたところで、ランチタイム。
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私は初めて買ったカップ麺ならぬカップ飯の「謎肉丼」。
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アルファ米みたいなものだが、5分で戻るところがすごい。

待つ間に、しっとりバウムクーヘンをつなぎにした。
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出来上がった謎肉丼は、肉丼というより卵まぜご飯の趣だったが、意外に美味しかった。
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これは汁を飲み干す必要がないので、カップ麺よりもずっとありがたい。
しばらく、このシリーズをいろいろと試してみることにしよう。

20分弱の休憩で出発。
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アラスカ地帯を進む。
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旧国道に出ると、さっきすれ違った男性が中山峠方面から来たことが、足跡から判明。
しかも、その足跡は森の中へと続いていた。
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中山峠からだとしたら随分距離があるし、道をあえて外して歩いてきたのだとすれば、かなりの熟練者だ。
我々とはルートがかなり違うので、「トレースありがとう」と言われなくても仕方ないかと納得した。

このあと、遅れ気味の女性2人を待ち、旧道を外れて、中山小屋を探検に行った。
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5分ほどで到着。屋根には1mほどの雪が積もっていた。
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ここは北海学園大学北海岳友会が管理しているらしい。
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それにしても格好いい銘板だ。
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庚申草山への夏道を仮払いしたりしてくれているのは岳友会なのだという。
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写真とは関係ないが、二王岩の上にはケルン状になった遭難者の慰霊碑があるらしい。
今回は雪に埋もれていたのか、それらしきものは何も目に入ってこなかった。
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立派な小屋を全員でしばし観賞。
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ついでに休憩もとった。
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このあたりもちょっとアラスカっぽい?
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積もった雪でちょっといたずら。チコちゃん。
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なんて、10分ほどで出発。
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旧国道に戻った。
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帰りは、定山渓トンネルの真上を通って、ショートカットすることに。
ルートはこの電柱が目印だ。
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道を外れる前に、遅れ気味の2人をしばし待つ。
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追いついてきたところで出発。
遅れ気味だった初心者の方はやはり急な下りも苦手なようなのだが、Iさんは例によってとくに指導も何もしないので、代わりに私がアドバイス。
「誰も踏んでいない雪の中に、重心を少し後ろ気味にして、かかとから足を下ろすと勝手にブレーキがかかりますよ」
「両足はそろえないで。股を前後に広く開いて進んでください」
いわゆるテレマーク方式だ。

この下りは標高差が90m程度。
途中、いたずら書きをしたくなる雪の盛り上がりがいくつかあった。
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大きなトドマツ。
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ハロウィンはもう過ぎました。
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パックマン。古い。
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マッコウクジラ。目の位置を間違えた。
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Iさんはいつも通り、さっさと下ってしまう。
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おお、やっと国道が見えてきた。
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林道に出たところで、また例の女性の到着を待つ。
が、最後の急坂で彼女は尻餅。
やっと到着したと思ったら、後ろに下がろうとして、今度は背中から転倒。
体が重いみたいで、自力では起き上がれず、2人がかりで引き起こした。
手間のかかる方だが、Iさんはとくに助言はしない。
Iさんのツアーは自分で学ぶのがルールなのだ。

大曲林道を下っていると、正面に真っ白く冠雪した狭薄岳(1296m)の雄姿が一瞬だけ見えた。
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15時前に定山渓トンネルまで下りてきて、6時間近くにわたる山行は終了。
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定山渓温泉へと向かった。
今回はさすがに、「風呂には寄らなくていい」という人はいなかった。
Iさんのツアーは、ホテル山水が定番だったが、今年営業を終えてしまったので、日帰り温泉の「湯の花」へ。
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通常800円のところ、Iさんが回数券(11枚つづり6500円)を買ってくれたので、600円で入浴することができた。
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ここはナトリウム-塩化物泉の中性低張性高温泉(旧泉質名・弱食塩泉)。
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源泉の温度は87℃。ph値は6.6である。
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日帰り温泉ということで、ちょっとなめていたが、ここはとてもところだった。
1-01.jpg(HPより)

まずは露天風呂で温まってから、体を洗い、その後、寝転び湯でのんびりした。
1-06.jpg(HPより)

1時間で2階の休憩室にとのことだったので、55分で行ったら、皆さんすでに上がっていて恐縮。
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お支払いを済ませて、皆さんを見送る。
今夜はO君宅に泊まることになっており、札幌国際スキー場での仕事が終わったら、O君がここまで迎えに来てくれる予定なのだ。
しかし、彼が到着するまで、あと1時間もある。
靴箱の横に置いておいたストックが心配だったので、休憩室を離れ、靴箱コーナーへ。
ちゃんとあるのを確認して、そこのベンチでしばらく居眠りをしていた。
O君は17時半過ぎに到着。
藤野の東光に寄って、麦酒や酎ハイ、追加の牛肉とフルーツを調達した。
H君が最高級の神戸牛700gを持ってきてくれることになっている。

今夜は、同期ですき焼きパーティーなのだ。
肝心の肉の写真は撮り忘れたが、霜降りなのに、脂っこくなく、めちゃめちゃ美味しかった。
おかげで大盛り上がり。
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最後はくるみやのシフォンケーキと紅茶で締めた。
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「さあ、飲み直そう」というO君をなだめ、12時に就寝。
明日は、H君と2人で迷沢山(1005m)に登ることになっているのだ。
おやすみなさい。

【行程】2018年12月22日
定山渓トンネル(9:15)~標高710m地点(9:35休憩9:42)~中山峠旧道合流地点付近(10:10休憩10:18)~林道分岐(11:10休憩11:21)~廃道分岐(11:45)~大岩(12:12待機12:17)~庚申草山(12:25撮影12:30)~三角点(12:34撮影12:38)~廃道分岐(13:00昼食13:17)~中山小屋(13:38撮影13:48)~電線交差点(14:24)~定山渓トンネル(14:58)
※所要時間:5時間43分(歩行時間:4時間30分)
※登った山:1座(庚申草山)
※歩行距離:9.6km
※累積標高差:約350m

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庚申草山(上)

【2018年12月22日(土)】庚申草山
12月の3連休、初日は先週に引き続き、Iさんの山岳ツアーに参加した。
庚申草山は中山峠の国道230号旧道近くにある標高約920m(三角点の標高は918m)の山である。
全然知らなかったが、定山渓温泉から中山峠に向かう途中、無意根大橋にさしかかると正面に見えるわりと鋭い三角の山だ。
その名は、三角点の点名が「庚甲草」(庚申草の誤植?)であることに由来する。
庚申草(コウシンソウ)とは絶滅危惧Ⅱ類に分類されている食虫植物のことである。
1890年(明治23年)に植物学者の三好学が栃木県の庚申山で発見し、山の名前をとってコウシンソウと命名したのだそうだ。
庚申山の自生地は国の特別天然記念物に指定されており、現在知られている自生地はほかに男体山、女峰山、袈裟丸山などで、栃木、群馬両県に限られている。
その植物の名がなぜ、北海道の山の点名に採用されたのかは、よく分からない。

Iさんの車は自宅近くのコンビニ前に7:45に迎えに来てくれた。
指定の時間より10分早かったが、私も早めに出たので、お待たせせずに済んだ。
今日の参加者は私のほか女性ばかり5人。
いずれも、(おそらく)60歳以上の方々である。
Iさんのツアーは年配の女性客が多い。

途中、豊滝除雪ステーション(トイレ)に立ち寄る。
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ここからはいつも八剣山(498m)がよく見える。
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登山口にあたる定山渓トンネル出口には、9時すぎに到着した。
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積雪は国道沿いで50cmくらいだろうか。
先週登った銭函南岳(838m)の登山口、桂岡付近よりは多いが、まだ全然少ない印象だ。

みんなで、ゆっくりと準備を整え、軽くストレッチ。
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9:15に出発した。
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まずは大曲林道に入っていく。
ここの標高が約650mなので、今日の標高差は単純計算で270mほどである。
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先行者はいなかったが、昨日以前のトレースが付いていて、Iさんはうれしそう。
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これでラッセルはしないで済む。私もホッとした。
ただ、一応今日は黒一点ということで、いざという時のラッセル要員として、Iさんの後ろ2番手に付けた。
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しかし、トレースの幅が微妙に狭く、かなり歩きにくい。
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まあ、ラッセルしないだけありがたいので、贅沢は言わないことにしよう。

左手には、962m三角点とみられるピークが見えていた。
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20分ほど歩いて、林道が大きく右にカーブするところで、着替えを兼ねた小休止。
私は先週の反省もあり、最初から薄着なので、着替えないで済んだ。
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今日も気温は高めで、風もほとんどない。
曇っているが、穏やかな天候だ。

ガイドのIさんは暖かそうな上着を着ていて、登りの時は前を開けて、体温調整をしていた。
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ここは林道をショートカットして旧国道に直登する起点なのだが、Iさんは遠回りになっても、トレースのある林道の方が楽と判断し、森の中へ突入はしなかった。
7分ほどの休憩で出発。
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出発前に、「今日はほとんど林道歩きですよね」と尋ねたとき、Iさんは「いや、そうでもないよ」と話していたので、果敢にショートカットをするつもりだな、と思っていたら、結局はトレースに負けて、ほぼ林道歩きになってしまった。

その先で、イタヤの幹にヒグマの爪跡のようなひっかき傷を見つけたが、Iさんによると、きれいな3本線じゃないし、位置も低いので、これはシカの角によるものだという。
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林道が旧国道に合流する直前で、Iさんはやっと森の中に踏み入り、ショートカットを敢行。
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あっという間に旧国道に出て、そこで2回目の小休止となった。
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ここで標高が790m。1時間弱歩いてきた。
このあたりの道は、実は夏に自転車で走っている。
しかし、雪が積もってしまうと、全く風景が変わってしまい同じところとは思えない。

10分弱で出発。
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この先はゆるやかな登りがしばらく続く。
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土塁ならぬ、雪塁のようなものを発見。
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登山口から1時間半ほど歩いたところで、トレースが突然なくなった。
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先行者はラッセルがきつかったのか、ここで引き返してしまったようだ。
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Iさんが「帰るなよな~」と悲しそうにつぶやいていた。
仕方ないので、この先はラッセル。
雪もそれほど深くないし、傾斜もゆるやかなので、それほど過酷ではないが、いずれにしてもラッセルは骨が折れる。
一歩一歩がきついだけに、歩数を少なくしようと無意識に大股になってしまう。
私の後に付いてくる方々は、ラッセルが軽くて済む分、その歩幅に合わせるのが大変だ。
とくに後ろはみな小柄な女性陣だけに、私がIさんの歩幅に合わせていると、後ろの方々が苦労することになる。
極力、Iさんが踏んでいないところを踏み固めるようにして歩いたが、それでは先頭のラッセルとあまり変わらないので、ときどきIさんの歩幅に合わせて楽をしてしまった。

そうこうしている間に、見覚えのあるゲートを通過。
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ラッセルを始めて20分ほどで、庚申草山への林道との分岐に到着した。
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ここで3回目の休憩。参加者の一人からもらった、くるみ餅で栄養補給。
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このあたりの旧道は道幅が広く、中山峠方面は無垢な雪原が続いていた。
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10分ほどで出発。
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間もなく、Iさんが周りの風景を見て、「いやあ、いいなあ。アラスカみたいだ。行ったことないけど」とつぶやいた。
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背の高い針葉樹に雪が積もっている感じがタイガを思わせるのだろう。
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そういえば、ガイドツアーの日程表にも「ここはアラスカ?ロシア?雄大な景色」と宣伝文句が書いてあった。
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これがアラスカかあと思っているうちに、青空が見えてきた。
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一瞬だったが、陽が射す瞬間もあった。
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分岐から標高差で10mほどなだらかに下り、沢を渡って、またなだらかに登る。
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間もなく、ピンクリボンが目印としてくくり付けられた分岐に到着。
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この先は、地形図でも「幅員3m未満の道路」という区分の細い実線になっているが、雪の上から見た感じでは、ほぼ廃道になっていると想像された。

その道からすぐに離れて、山頂方向へ直登していく。
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やっと本格的なスノーシュー登山になった。
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ただ、傾斜はそれほどでもない。
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わりと若い白樺林を抜けていく。
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疎林になっているので、大きな木がわりと目立つ。
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分岐から標高差で70mほど登ったところで、巨大な岩が現れた。
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Iさんに聞くと、とくに名前はないというので、私は「二王岩」と名付けた。
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三陸の三王岩になぞらえた命名である。二つに分かれているので。
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この岩にコアラの顔が隠れているのに気がついただろうか。
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岩のたもとまで行って、触ってみたら、ボロボロとすぐに剥がれてしまい、非常にもろい。
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なのにクライミング用の金具が打ち付けてあった。
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他には見当たらなかったので、打ってみて、こりゃだめだと諦めたのかもしれない。

近くの中山小屋を管理している北海学園大学岳友会の方々は庚申草山を「岩峰」と通称しているそうだが、この岩を意識してのことなのだろう。
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この岩の直前がちょっとした急登で、初心者の方が苦労していたので、Iさんが助け上げるまで、しばし待機。
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岩の後ろに回り込んで、ひと登りすると、「三角点110m」の道標が現れた。
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しかし、とりあえず、それとは逆の方に進む。
この山の真の頂上は三角点とは逆方向にあたる頂上台地の南側にあり、標高は720mちょっとある。まずそちらへ行かねばならない。

二王岩から10分もかからずに登頂したが、山名板が見当たらない。
Iさんが木に積もっている雪をストックで落として探したが出てこない。
あ、あったと思ったら、文字が剥がれて読めない古い板だった。
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ネットで見るかぎり、縦書きのきれいな山名板が確かあったはずなのだが。
結局、見つけられないまま、しびれを切らし、自作の山名板(紙)で記念撮影。
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この紙はほかの参加者にも貸してあげた。

雲が低いが、そこそこ眺望を楽しむこともできた。
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これは中山峠(837m)方面。
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たぶん中岳(1388m)方面。
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北西の方角。いくつかピークが見えるが、山は特定できない。
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感激したのは眼下に無意根大橋の優美なカーブが見えたことだ。
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晴れていれば、羊蹄山(1898m)なんかも見えたのだろうが、この時期の北海道でそれを望むのは贅沢というものだろう。
とりあえず頂上を後にして、三角点に向かう。
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(つづく)
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廃湯めぐり(下)

【2018年12月4日(火)】廃業温泉
蟠渓温泉(壮瞥町)で最も古かった老舗の伊藤旅館ひかり温泉跡を見学している。
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旅館の裏側に回ると、旧胆振線の廃線跡が走っていた。
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ここもいずれじっくり歩かなければならない。
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裏庭に池があった。
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まだ、ニジマスが泳いでいる。誰か世話をしている人がいるのだろうか。
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廃業から半年が過ぎて、建物はかなり傷んでいた。
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これは前回も紹介した、地区住民専用の旧共同浴場。
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敷地内の看板によると、足湯は勝手に入っていいことになっていたようだ。
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真っ黒くて読めないと思うが「湯神」様である。
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この宿の前が蟠渓温泉バス停であった。
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ななめ向かいには、旅館蟠岳荘が元気に営業中。
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伊藤旅館の廃業で、蟠渓温泉の宿はこの蟠岳荘と湯人家の2軒だけになってしまった。

旧国鉄胆振線蟠渓温泉駅前に立つ大きな「蟠渓温泉」の看板。
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この後は洞爺湖南岸を経由して、ニセコ昆布温泉郷の鯉川温泉に向かう。
途中、真狩村のあたりで濃霧が発生していた。
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おかげで幻想的な羊蹄山(1898m)の姿を撮影することができた。
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決定版がこちら。巨大なUFOが着陸したように見える。
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14時半すぎに昆布温泉に到着。
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道道から温泉への道は雪が10cmくらい積もっており、車で進入するのは断念。
車は近くの駐車場に停めて、歩いて向かった。
長靴を履いてきたのは正解だった。
一昨年泊まった鶴雅グループの「杢の抄」の前を通過。
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その向かいには、居酒屋こびとがあった。
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この橋脚が何のためのものなのか不明。とても旧道の痕跡とは思えないし。
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2005~06年頃に廃業したとされる富士観光ホテル。
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お湯には定評があったようだが、それにしてもニセコで「富士」は無理がある。
例え、蝦夷富士のことだとしても。
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では、鯉川温泉に向かうとしよう。
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入口には太い丸太の門が立っている。
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ここも評判の宿だったらしい。
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雪道を数分歩くと、正面に大きな池と建物が出現。
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ここも1899年(明治32年)に開湯した老舗であった。
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閉館は今年3月1日。
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昨年3月末で宿泊営業を終え、以後は日帰り入浴とカフェだけでやってきたが、それでも力尽きたようだ。
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ただ、すでに買い手がついていて、来年から新しい経営者が再開するとのうわさもある。
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そうなったら、ぜひ入浴しに来たい。
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その日まで、さらば。
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これで廃湯めぐりは終了。
ニセコ町の有島記念館に向かう。
その前にいくつかの宿を確認しておいた。
昆布温泉の格安宿として知られる千秋館。
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混浴風呂が人気のニセコグランドホテル。
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ニセコアンヌプリ温泉を名乗る湯心亭。
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なかなかしゃれた店構えだ。
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ニセコ駅の裏を通って、有島踏切を渡る。
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15:15頃、有島記念館に到着。
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駐車場のとなりに、有島農場の管理人だった吉川銀之丞の顕彰碑が立っていた。
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その業績はここに刻まれているが、かなり読みにくいので、内容は省略。
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ここに来た目的は、この展覧会を見るためだ。
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岩内出身の木田金次郎は有島武郎「生れ出づる悩み」のモデルとなった画家で、今年2018年はこの作品が発表されてから、ちょうど100周年の節目にあたるのだ。
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記念館前の園地には、いろんなモニュメントがあった。
こちらは、有島が幼年時代を過ごした横浜のミッションスクールにいた優しい女教師をしのんだ童話「一房の葡萄」の末尾。
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有島武郎本人。
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有島はこの地に所有していた農場を土地共有という形で小作人に解放している。
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教会の廃墟をイメージしたモニュメント。
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かたわらに「クララの出家」の一節。
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蔦が絶妙にからまっており、本物の遺跡のようだ。
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祭壇。
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代表作「カインの末裔」の文学碑。
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その冒頭部分。
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有島記念館には展望塔があるが、今日はニセコ連峰も羊蹄山も全く見えない。
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未完の大作「星座」の一節。
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ちょっと離れて場所にある建物は有島謝恩会館。
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今日は霧のおかげで幻想的な雰囲気だった。
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それでは入館。
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最初に有島の生涯をたどったビデオを鑑賞し、常設展の展示室へ。
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おっと、館内は撮影禁止だったので、写真はここまで。
特別展も含め、1時間ほどかけてじっくり見学させていただいた。
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時刻は16:30。館外に出ると、すっかり暗くなっていた。
これからお風呂に入って帰る。
帰り道にある温泉ということになると、ワイス温泉とか余市温泉などがあるが、今回は近道も兼ねて、赤井川カルデラ温泉にした。
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かなり雨が降っていたので、あわてて館内に駆け込んだ。
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施設の名称は正式には赤井川村保養センターだそうだ。
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入浴料は400円だった。
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源泉名は「赤井川温泉」。泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)である。
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旧表記だと、含石膏-食塩泉ということになる。
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源泉は57.5℃。露天風呂には誰もおらず、独り占めで現役の温泉の喜びに浸った。
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こちらは内風呂。露天風呂よりやや熱めだった。
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湯上りに、ちょっと売店を覗く。
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カルデラの底にある赤井川村は農業が盛んだけに、いろんな野菜が売っていた。
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地元のじゃがいもで作ったカルデラチップスも人気なのかな。
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でも、自販機でドリンクだけ買って、車中の人に。
時刻は18時を過ぎた。
これではレンタカー返却時間の19時に間に合わないので、返却を20時までやっている店舗に変更してもらった。

あとは、暗闇の雨の中、目を凝らして運転。
風呂上がりで眠くなったが必死にこらえた。
札幌北ICで高速を下り、札幌駅方面に向かっていたら、赤信号停止の直前に左のミラーが路駐していたタクシーにこすってしまった。
向こうの運転手が怒って、身振り手振りで、「下りて出てこい」と言っている。
まあ、逃げるわけにもいかないので、「すいません」と言いながら、先方のところへ。
向こうは最初こそ怒っていたが、私が傘を差し掛け、めちゃめちゃ低姿勢で接していたら、なんとなく態度が軟化してきた。
先方はキズがないか確認している。
「キズがついちゃうと、社長に怒られるからさあ。でも、暗くてよく分からん。後で確認して問題あったら連絡するから、名刺ちょうだい」という。
連絡のないことを祈って、素直に渡した。
結果として連絡はなく、事なきを得た。
暗い道での運転は本当に気をつけないと。
というわけで、350kmほどのドライブを終えて、無事に帰宅したのであった。

(おわり)
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廃湯めぐり(上)

【2018年12月4日(火)】廃業温泉
北海道の温泉のことを調べていたら、今年は営業を止めた一軒宿がかなりあることを知った。
「廃」と名の付くものに目がない私は、それらのうち主要なところを1日で回ることにした。
この日はぐずついた天気だが、気温が13℃くらいまで上がる予報で、雪が降る前の今季最後のチャンスである。
まずは10月いっぱいで閉館した長沼町の馬追温泉旅館から。
札幌駅前のレンタカー店を9時すぎに出発。
国道274号で長沼町に向かう。長沼には2日前にそれこそ温泉に入りに行ったばかりだ。
10時過ぎに長沼神社の前を通過。
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由仁町に抜ける馬追丘陵の峠の手前で、馬追温泉の看板が現れた。
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温泉旅館は道道から左に折れてすぐなのだが、その手前にワッカポップ川が流れている。
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馬追さくら橋を渡ると、右手に駐車場があったので、そこに車を停めた。
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ここ馬追丘陵はレクレーションの森として遊歩道が整備されているようなので、いつかゆっくり歩いてみたいと思う。
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こちらが馬追温泉旅館。
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前庭。
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玄関はカーテンが引かれ、堅く閉じられている。
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貼り紙にはこう書かれていた。
「閉館のお知らせ 十月末日を持ちまして当館を閉館とさせて頂きます。永年のご愛顧に心より感謝申し上げます。馬追温泉旅館」
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ここは1908年(明治41年)に新納(しんの)市衛門という方が創業した温泉旅館で、今年が創業110周年の節目の年であった。
800mほど沢をさかのぼったところにある岩の間から湧き出す冷泉を引いて、加温して提供してきた。
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泉質は無色透明の単純硫黄冷鉱泉で、源泉の温度は16℃。
ここには水道が引かれておらず、飲料水や調理もすべて、この冷泉でまかなっていたという。

2階建ての母屋は1960年代に建てられたもので、部屋は10室ほどという。
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お風呂は正面に向かって左側の端にあるのが、窓から見るとわかる。
湯船は比較的小さいく、露天風呂はなかった。
4代目が閉館を決めたのは、施設の老朽化と後継者がいなかったためで、飲食業の営業許可が切れる10月末を区切りにしたのだという。
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2代目がまわりの山に植えたエゾヤマザクラが5月になると、周囲をピンクに染めて、それはきれいだったという。
桜を楽しみに来ていたお客さんも多かったことだろう。
この温泉旅館を引き継いで再開してくれる方がいたら、とてもうれしい。
できれば、今の建物をそのまま使ってほしいが、それはさすがに無理か。
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母屋の近くに小さな小屋があった。これが旅館に関係したものなのかはよく分からない。
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小屋の横にはアイスクリームを運んだ冷凍車が朽ち果てていた。
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旅館の裏からは、遊歩道が森の中へ続いている。
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ここから長官山(254m)まで1.6kmだそうだ。
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ハイカー用のトイレまであった。
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さようなら、馬追温泉! いつか入浴できる日まで。
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ちなみに道道に並行して廃道のような道があったが、「このカーブ事故多し」なんて看板があるところをみると、道道の旧道だったのかもしれない。
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今回は旧道歩きが主眼ではないので、探索は省略して、次の伊藤旅館ひかり温泉(蟠渓温泉)に向かうことにした。
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途中、通過した幌内支所前。
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千歳市街、支笏湖南岸を経由して蟠渓に向かうつもりだったが、その途中、「腐植質含有量道内一 松原温泉」「営業中」という看板を見つけて、びっくり。
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全く聞いたことのない温泉だったので、偵察に向かった。
温泉入口にあった泉郷神社。
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斜面に「開拓百年記念」碑が立っていた。
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ここ泉郷地区で開拓が始まったのは1887年(明治20年)のことだそうだ。

国道337号から嶮淵川に沿って右折。
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しばらく進むと、正面に木造の建物が見えてきた。
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あれが浴場かと思ったが、どうやら左のちゃんとした建物の中にあるらしい。
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調べてみると、この松原温泉旅館は1903年(明治36年)開業の老舗で、かつては湯治客で賑わったらしい。
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腐植質(モール)の含有量が多く、コーヒー色のぬめりのある湯が特徴だそうだ。
浴槽は小さいが、メインの重曹泉とサブで熱めの弱塩泉、2種類の湯が楽しめるとのこと。
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飲泉用の蛇口もあり、重曹泉の方は糖尿病や消化器炎、肝臓に効能があるという。
日帰り入浴もできるようだし、今度ゆっくり入りに来よう。

お昼は適当な店もないし、あまり時間もかけたくないので、伊達市大滝地区のきのこ王国の立ち食いで済ませた。
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炊き込みご飯のおにぎりと100円のなめこ汁だ。
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蟠渓温泉の前に、北湯沢温泉のユースホステルを確認したかったので、北湯沢地区を徘徊した。
その時に見つけた見事な木造の廃屋。
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普通の民家ではなさそうだが、温泉宿でもない。何かの事務所だったのだろうか。
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そのとなりにあった祠。
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これはYHではない。
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でも、温泉施設であったことは間違いなさそう。すでに閉館している。
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あちこち探してYHは見つからず、まさかここではあるまいと思って入った脇道の奥に、それはあった。
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私が高校生の時に泊まった北湯沢YHと外観も違うし、場所も違う気がする。
場所については記憶があやふやなので、もともとここにあったのかもしれないが、建物はやけに新しい。
2009年6月から長期休業中とのことだが、別の用途で使われているのか、灯りがともっていた。
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YHから坂を下りた国道453号沿いにあったのが、老舗の御宿かわせみ。
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築80年を超えるという純和風旅館だ。
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ここにも一度泊まってみたい。
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すこし国道を南下すると、右手にあるのが湯元ホロホロ荘。
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ここは背後から湯けむりをもうもうと上げていた。
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北湯沢温泉は概して源泉の温度が高い。ここも80.6℃あるという。

さあ、蟠渓温泉街に入ってきた。
ここは日帰り温泉の蟠渓ふれあいセンター。
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なんと、この日は休館日だった。別に入るつもりはなかったのでいいんだけど。
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そしてお目当ての伊藤旅館ひかり温泉。
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ここは今年の5月7日で閉館した旅館だが、さっそく不動産屋さんの「売り物件」表示が出ていた。
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この近くに野天湯の「さる湯」があるようだが、見学は次の機会とした。
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伊藤旅館の正面観。
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ここは1883年(明治16年)の創業というから、相当に古い。
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しかし、馬追温泉旅館と違って、経営者は何回か交代したそうである。
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旅館のすぐ前には、小さな共同浴場の跡のような建物があった。
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「部落外の方の入浴 ご遠慮願います」の掛札が見える。
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屋外には足湯があったようだ。
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お湯は出ておらず、浴槽の底には落ち葉が積もっていた。
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露天風呂風の浴槽も当然ながら、空だった。
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敷地内にお社がある。
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やはり「売」の文字が悲しい。
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ここにも一度も来たことがなかったが、こうした湯治宿はもう世の中から求められていないのだろうか。
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いや、そうではあるまい。
湯治客相手にかつかつの経営をしていると、施設が老朽化したときに設備投資をする資金がないのだ。
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後継者がいれば、借金してでも設備を更新することもできようが、いなければ店をたたむしかない。
なんか、豪華な温泉ホテルやきれいな日帰り温泉施設ばかりになっていくのは、とても残念だ。
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(つづく)
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1812室蘭本線(下)

【2018年12月12日(水)】室蘭本線
室蘭本線の駅舎巡りをしている。
安平駅、早来駅を経て、遠浅(とあさ)駅に着いたところ。
遠浅駅は安平駅の小型版のようなイメージで、虎杖浜駅と同型である。
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イチイ(たぶん)の木が彩りを添えていた。
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駅前にあった開拓記念碑「飛雪百年」
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解説板によると、当地の開拓の始まりは1898年(明治31年)で、山形県人の大島清吉が最初に鍬を入れたという。
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駅前にはもう一つ。「ノースゲートインアビラ」というしゃれた宿があった。
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では、駅舎を見学しよう。
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1902年(明治35年)9月21日に開業した駅である。
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壁には、地元遠浅小学校の版画受賞作品が掲示されていた。
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入選作がこんなにたくさんあるということは、版画に力を入れている学校なのだろう。

普通に読めば「とおあさ」だが、ここは「とあさ」と読む。
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駅名は地域の地名に由来するが、その語源については、アイヌ語の「トワ・サ」(シダの原)、「ト・アサム」(沼の奥)、「ト・サム」(沼の端)など諸説あるという。
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駅舎のホーム側。
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ホームは2面2線の相対式。2つのホームは跨線橋で連絡している。
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2013~17年の1日平均乗車人員は35人とのこと。
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側線の車止め。
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跨線橋を渡ってみる。
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岩見沢方面。
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苫小牧方面。
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これで、今日の室蘭本線は終了。

駅前のよろず屋、西田商店を横目に千歳線の植苗駅に向かう。
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千歳線の植苗遠浅線踏切を渡る。
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植苗駅の駅舎も遠浅駅と同じタイプ。
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ここにもイチイ(たぶん)の木が植えられていた。
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なんと自動改札機があってびっくり。
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こういう無人駅で首都圏ではタッチ方式のものはあるが、狭い待合室を占領してしまっている状況が面白い。
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丁寧に、自動改札機の使用方法が案内されていた。
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1日上り19本、下り17本の運行。さすがに室蘭本線の倍以上ある。
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新千歳空港まで400円か。
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自動改札にはなっていたが、古いきっぷ受箱も残っていた。
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跨線橋は変則的で3本足。単式ホーム2線2面となっている。
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一見、島式ホームに見えるが、反対側の線路は撤去されているらしい。
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駅舎の裏面。
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上り線、下り線とも跨線橋を使わなければ行けない構造になっている。
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跨線橋から見た下り線2番ホーム。
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島式ホーム状だが、右側に線路がないのが分かる。
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2番線に下りてみよう。
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階段がやけに狭い。
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向こう側が上りの1番線。
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植苗駅の名は地元の地名から付けられたが、その語源はアイヌ語の「ウェン・ナイ」(悪い・川)に由来する。
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札幌方面の駅名が「みなみちとせ」に修正されているのは、隣の美々駅が昨年3月4日廃止され信号場となったためだ。
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現在の駅舎が建てられたのは、1979年6月~81年10月の間ということで、はっきりしていないらしい。
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と、ここまででJR研究は終了。

仕事現場の平取町へ向かう。
早めに着きそうだったので、町内のふじい食堂で昨年に引き続き、キトピロラーメンをいただいた。
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仕事は15時過ぎに終了。
かなり雪が降っているが、あとは札幌に帰るだけなので、むかわ温泉四季の館に立ち寄った。
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ここは道の駅でもあり、2010年にノーベル化学賞を受賞した鈴木章氏の記念ギャラリーもあるようだ。
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しかし、私は入浴に専念する。
ここは含ヨウ素-ナトリウム-塩化物強塩温泉で、源泉は27.5℃。
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ph値は7.4とのことなので、ほぼ中性である。
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露天風呂は雪が降っており、内湯よりややぬるめだったが、十分気持ちよかった。
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こちらが内湯。さすがに、かなりしょっぱかった。
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十分温まったので、湯上りソフト。
ここでは石屋製菓のソフトを提供していた。う~ん、癒される~
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お昼が軽かったので、ついでに牛肉コロッケ(1個110円)もおやつ代わりにいただいた。

売店を覗いてみると、見たことのないキャラクターが。
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「ししゃもねこ」って何だ?
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ほかにも、いろんなデザインがあるぞ。
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むかわ町はシシャモが名産なので、むかわのゆるキャラかと思ったら、原産地は徳島県北島町とのこと。
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シシャモつながりで、ここにも出品しているのだろう。
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ライバル&師匠が「ウナギイヌ」だというのは笑ってしまった。
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思わぬ収穫を得たことに気をよくして帰社。
19時前に車を返却して、本隊に戻った。
みんなまだ働いているのに、私だけ湯上りですいません。

(おわり)
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1812室蘭本線

【2018年12月12日(水)】室蘭本線
今日は平取町でお仕事。
まだ未撮影の駅舎に立ち寄りながら現地に向かった。
今回は、安平駅、早来駅、遠浅駅、そして千歳線の植苗駅の計4駅である。
札幌駅前のレンタカー店を朝9時に出発。
創成川沿いに北上して、札幌北ICから札幌新道に乗る。
道央道を南下、道東道の追分ICで下りた。

安平駅前には10:10頃に到着。
まずは駅前通りの古い民家を写しながら、駅に向かう。
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小笠原洋品店はすでに廃業していたと思われるが、今回の北海道胆振東部地震で建物が傾いてしまった。
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こちらの民家は壁にひびが入っており、見るからに居住不能だ。痛ましい限りだ。
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こちらは無事だったようで、今もお住まいの様子である。
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駅前通り。
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で、こちらが安平駅。
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安平駅は安平町の名を冠しているが、安平町の市街地は両隣の追分駅と早来駅の周辺にある。安平町は追分町と早来町が合併して生まれた町名だ。
もともとあった安平村から追分村が分村し、残った安平村が早来村を名乗っていたという経緯があり、両町が合併して安平の名に戻るのは、ごく自然なことであった。
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今の駅舎は1982年(昭和57年)に建て直されたもの。
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切符売り場にはシャッターが下りているが、安平駅は2001年7月に簡易委託が廃止され、完全に無人化されている。
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1日8往復の運行である。
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岩見沢まで930円、苫小牧まで540円。
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地震の影響で、三川~遠浅間は現在も徐行運転を継続しているようだ。
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ホームは2面2線の相対式で、下り2番線ホームへは跨線橋で連絡している。
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雪の中のレールも味わい深い。
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安平駅は室蘭本線の三川駅や栗丘駅と同型の駅舎である。
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駅名は地名に基づくが、その由来はアイヌ語の「アラピラペッ(一面・崖の・川)」「アラピラ(片側・崖)」「アビラ(光る・崖)」など諸説あるようだ。
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開業は1902年(明治35年)10月11日。当時は北海道炭礦鉄道室蘭線であった。
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国鉄に移管されたのは4年後の1906年10月1日のことである。
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跨線橋を渡ってみた。ここも何のポスターも貼られていない。
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2013~17年までの1日平均の乗車人員が15.4人とのことなので宣伝効果はあまりないか。
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でも、1992年度には1日平均乗降客数が86人もいたそうである。
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跨線橋から苫小牧方面を望む。
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岩見沢方面。
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室蘭本線の岩見沢~苫小牧区間もJR北海道が単独では維持困難とした路線だ。
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すでに石勝線の夕張支線と札沼線(石狩当別~新十津川)の廃止が決まっている。
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ここも早晩、廃止の議論が具体的に遡上に上ってくるだろう。悲しいことだ。
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駅前では、このお豆腐屋さん、新沼商店だけが元気だった。
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駅前、国道沿いのたこ焼き屋。店名は掲げていなかった。
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次の早来駅へ移動。
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早来駅は安平町の物産館と同居したシンメトリーな建物だ。
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北側が駅舎ということになる。
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ここから知決辺(厚真)まで、三井物産がかつて馬鉄を走らせていたようだ。
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木材の搬出が目的で、1904年(明治37年)から1949年(昭和24年)まで営業していたらしいが、こういう案内板があるのは、とてもうれしい。

そして、安平は馬産の町でもある。
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七冠馬ディープインパクト、懐かしいねえ。
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鶴の湯温泉もこの近くなのか。いずれ行かなくては。
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早来駅前バス停。あつまバスが運行しているようだ。
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国道をはさんで向かいには前田ライスセンター。
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では、駅舎の中に入ってみよう。
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今の駅舎が竣工したのは1989年(平成元年)のことである。
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開業は1894年(明治27年)8月1日。
安平駅と同様、北海道炭礦鉄道室蘭線の駅としてスタートした。
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となりの物産館はあとで見学することにして、ホームへ。
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駅名は現地の地名に基づくが、アイヌ語の「サク・ルペシペ」(夏に越える沢道)の上半分に当て字をした「早来」(さっくる)が「はやきた」と読み替えられたことに由来するとされる。
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または、単に「サクル」(夏越す道)に漢字を当てたもの、「ハイ・キ・ト」(麻や茅のある沼)を語源とするという説もあるらしい。
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ホームは2面2線の相対式で、互いの跨線橋で連絡している。
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かつては上下線の間に、貨物列車の待避に使用された中線があったらしいが、現在は撤去されている。
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駅の向こう側は安平川。
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跨線橋を渡ってみた。壁面は純白。
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跨線橋から見た駅舎の裏側。
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2013~17年の1日平均の乗車人員は133人だったという。
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それなりの数がいることが分かって、うれしい。
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現在は簡易委託駅で、おそらく物産館が窓口業務を行っているのだろう。
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馬鉄は1922年(大正11年)1月18日、早来軌道(後の早来鉄道)となり、後に幌内駅まで延伸された。
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この早来鉄道の後身があつまバスである。

来春、近くに道の駅あびらD51ステーションが開業するようだ。
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では、物産館を見学。
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これはジュースではなく、菜の花の油である。
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ほかに、競走馬関連のグッズがたくさんあったが、何も買わずに退出。
次の遠浅駅へ向かった。

(つづく)
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銭函南岳(下)

【2018年12月16日(日)】銭函南岳
銭函峠を通過して銭函南岳(838m)を目指している。
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峠から標高653mの鞍部まで30mほど下らないといけない。
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しばらく、札幌市と小樽市のほぼ境界線上を進む。
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鞍部から60mほど登り返すと、左の展望が開け、石狩湾と銭函天狗岳(538m)がくっきりと見えた。
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目指す山頂はあのあたりだろう。
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もう時刻は間もなく正午。かなり遅れ気味だ。
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でも、最後の登りの手前で小休止。
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行動食の麦チョコを喉に注ぎこんだ。
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休憩地点は小さな鞍部で、ちょっとした雪原になっていた。
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5分ちょっとで出発。あと30分くらいか。
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木々の隙間が狭くなって歩きにくい斜面を登っていくと、背後に春香山(左、907m)と和宇尻山(右、856m)が見えてきた。
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春香山は今年の夏に登ったが
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和宇尻山は夏道がないので、まだ登れていない。
ガイドのIさんによると、頂上がかなり分かりにくいそうだ。
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その左には日本海。
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徐々にきつくなる斜面を進むと、林道跡に出た。
頂上はそのまま林道を横断して直進する方向にあるが、灌木が密なので、少し林道跡を巻いて、登りやすいルートを探す。
50mほどで右に折れて進むと、すぐにまた林道に合流。
しかし、その林道は、そこが終点だった。
あとは、木々をすり抜けて突撃するのみ。
その途中にあった、キリン木。
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頂上はどこだ~!
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もう頂上付近に来ているのだが、頂上を示す山名板はおろか、ピンクテープも見当たらない。
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目印を求めて、さらに進む。
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東には手稲山(1023m)が現れた。
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その右には奥手稲山(949m)。
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白骨化した樹木が1本。
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お、完全に色あせたピンクテープを発見!
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ここが頂上だ。
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幸い、ここも東側の展望が得られた。
さっきも紹介した手稲山(左)と奥手稲山(右)。
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こぶこぶ3兄弟。
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銭天と石狩平野。
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銭天の東壁の様子もよく分かる。
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石狩湾。
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石狩新港。
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札幌西部の町並。
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銭天西斜面の伐採地。
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頂上付近の景観。
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ひと通り撮影を終えたところで、H君と恒例の部活。
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彼は今回もラミネートの山名標を用意してきてくれた。

撮影後は昼食。今日はカレーヌードル。汁を全部飲み干せるものにした。
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やはり冬は暖かいものに限りますな。
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雪で座れないので、立ち食いし、20分ほどの休憩で13時過ぎに出発。
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正面に春香山(左)と和宇尻山(右)を眺めながらの下りだ。
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春香山に何人かいると思われた登山者の姿は確認できなかった。
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和宇尻山にはいつか登らなければ。
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下りはやはり速い。でも、スパッツの中で靴の紐が緩んでいるのが気になる。
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銭函峠では、このままトレースを進むか、トレースのない近道を行くか、Iさんが少々思案している。
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H君の「まっすぐ行くと随分遠回りですね」の発言で、近道に突撃することになった。
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わりと雪が深かったが、下りなので、それほど苦労しないで済んだ。
これを登りで使っていたら、さぞかし大変だっただろう。

土場には14時前に到着。
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ここで小休止となったので、靴の紐を締め直した。
10分弱で出発。
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土場から先は来た道ではなく、スキーのシュプールが残る林道を行く。
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右手に銭函南岳の北壁。
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さすがに午前中と違って、標高が低くなると雪が重い。
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気温が高く、ベタ雪になっているのだ。
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雪が固くて、トレースを歩く方がしんどいので、みんな横に広がって歩いている。
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林道は見晴らしがいいので、歩いていて飽きない。
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まだ雪が少ないので、法面の土が見えているところもあった。
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採石場より低いところまで下ってきた。
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写真を撮ってばかりいるので、どうも皆さんより遅れがちになる。
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林道のヘアピンカーブ。
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登山道と林道の交差点。ここで一旦、林道を離れる。
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しばらく、往路でも使った登山道。
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桂岡からの登山道との合流地点を通過。
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斜面には崩れた雪がアンモナイトのように渦巻になっていた。
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銭函川沿いの道。
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15時過ぎに登山口に到着。
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総距離12km弱、6時間に及ぶ長い雪あそびであった。
結局、一度も座れなかった。

この後の温泉を楽しみにしていたのだが、参加者の皆さまは早く帰りたいのか、混んでいるところが嫌なのか、「お風呂は行かなくていい」との声が上がり、まっすぐ帰ることになった。
参加者のお宅を一軒一軒回ったので、地下鉄の北12条駅に下ろしてもらった時には、もう暗くなっていた。
帰宅したのは17時前。
すぐにお風呂を沸かして、冷えた体を温めた。
今季スノーシューデビュー戦、天気も穏やかで、いい山行になった。

【行程】2018年12月16日
登山口(8:51)~桂岡登山口分岐(9:18休憩9:25)~登山道入口(9:38)~標高380m地点(9:57休憩10:04)~土場(10:39休憩10:52)~市境界(11:13休憩11:23)~銭函峠(11:27)~705mコル(11:55休憩12:01)~銭函南岳(12:41昼食13:02)~銭函峠(13:38)~土場(13:52休憩14:00)~登山口(14:54)
※所要時間:6時間3分(歩行時間:4時間50分)
※登った山:1座(銭函南岳)
※歩行距離:11.8km
※累世標高差:約800m
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銭函南岳(上)

【2018年12月16日(日)】銭函南岳
いよいよ本格的な冬に突入した。
11月はほとんど雪が降らなかったが、12月に入ると帳尻を合わすかのように連日の雪。
札幌の積雪は16日午前零時現在で22cm。このまま根雪になるのは間違いないだろう。
意を決して、札幌山岳ガイドセンターのツアーに申し込んだ。
行き先は札幌市と小樽市の境界にある銭函南岳(838m)。
地形図に、その名は載っていない。
が、標高を手掛かりに位置は分かった。
ふもとの小樽市桂岡町から春香山(907m)への登山道を進み、銭函峠で左折した場所にある。
等高線の密度は東西で大違い。銭函天狗岳(537m)とよく似て、東側が急斜面だ。

登山口からの標高差は約700m。
登りに3時間半かかるとスケジュール表にあったので、かなり登りでがある。
今季デビュー戦にしては長丁場だが、なまった体に喝を入れてこよう。

札幌駅北口に、7:30に迎えに来るとのことなので、6:50に出発すべく、6:20に目覚ましをかけておいたのだが、1時間も早い5:15に目が覚めてしまい、布団の中でブログなど書いていた。
6:20から準備開始。
パンを1個だけ食べて、予定通り6:50に家を出た。
今朝は暖かい。ここのところ氷点下が続いていたが、今朝はプラスの1℃だ。

長袖2枚の上にダウンを着て出てきたが、歩いているだけで暑いくらいだった。
これでは登山中は大汗をかくことが必定なので、札幌駅のトイレで半袖の肌着に着替えた。
北口には7:23に着いたが、もう迎えの車が来ていた。
今日のお客さんは私も含め6人。
同級生のO君も含め、なじみの方も何人かいらっしゃった。

食料調達と最終トイレということで、コンビニに2か所立ち寄ってくれた。
私は1か所目でアクエリアス(500cc)を1本購入。
温かい紅茶350ccとカップ麺用の熱湯500ccしか持ってきていなかったので、この気温では水分が足りなくなってしまうからだ。
結果として全部飲んでしまったので、これは正解だった。

登山口には8:30過ぎに到着。
スパッツとスノーシューを装着して、軽くストレッチ。
全員の準備が整うのを待って、8:50頃、出発した。
林道は夏も一般車両通行止めのようで、ゲートになっており、たくさんの看板が立っていた。
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春香山に登る人が多いと見え、先に来ていた車も数台あったし、すでにしっかりトレースが付いていた。
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右手を流れるのは銭函川。石の上に雪が積もって、いい感じだ。
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その先にすぐ大きな砂防ダムがある。
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このダムにちなんで、こちら側の登山口は砂防ダム登山口と呼ばれている。
ちなみに、少し手前の住宅地から入るところは、桂岡登山口という。

銭函川2号砂防ダムとのことなので、地形図を見てみたら、確かにもう一つ堰の記号が下流にあった。
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砂防ダムところで道が二股に分かれており、われわれはゲートのある右側を進む。
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このあたりの積雪はまだ10~20cm程度で、枝沢などからあふれた水が路面に流れているところは土が見えている。
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ササもまだ全然埋まり切っていない。
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ただ、気温が高いわりに雪質は悪くない。
朝方だからか、まだべた雪にはなっていなかった。
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橋で銭函川を渡る。
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曇りのち雪の予報だったが、時々日が差す、いい天気になった。
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右手に流れる川は銭函峠川に変わった。
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銭函川の支流である。
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今のところ、傾斜はとても緩やかだ。
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ガイドのIさんはゆっくりゆっくり歩いてくれているので、写真を撮っているうちに遅れてしまっても、すぐ追いつけるのでありがたい。
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お客さんは6人だと思っていたが、登山口に自分の車で来ている女性がいて、合わせて7人になった。
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男性3人、女性4人。ガイドさんを含めて、やっと男女半々になる。

30分ほど歩いたところで、桂岡登山口からのコースと合流した。
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その分岐点で小休止。
朝パンを1個食べただけでお腹が減ってきたので、ここでもう1個パンをいただく。
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実は、われわれが出発した登山口のことを「砂防ダム登山口」ということは、この標識で初めて知った。
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ここから銭函天狗岳が見えた。と言っても真ん中の山ではなく、左の木に隠れている山だ。
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7分ほどで出発。
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歩き始めはきつかったが、だんだん慣れてきた。
これなら落伍せずに済みそうだ。
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Iさんが足を止めて、この辺にはタランボノメ(タラの芽)がたくさんあると教えてくれた。
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こんなに分かりやすい場所にあるんじゃあ、春になったら、あっという間に採られてしまうだろう。

林道のヘアピンカーブを通過。
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歩き始めて50分ほどで林道から離れ、登山道へと入る。
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我々は行かないが春香山の頂上直下にある銀嶺荘まで3.5kmだそうだ。
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この先はさすがに斜度が出てきた。
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左手が開けると、銭函南岳の険しい北斜面が姿を現した。まだ頂上は見えない。
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標高はやっと300mを超えたところ。
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右手の斜面にキタキツネと思われる足跡を発見した。
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標高380mに達したあたりで、メンバーのひとりから休憩のリクエストがあり、ストップ。
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時計を見てみたら、出発してから1時間10分が経っていた。
ちょうどいいので、私はここでキジ撃ち。すっきりした。
7分ほどで出発。
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岩に積もった雪にちょっといたずら。
銭函南岳のマスコット、ゼニゴン。昔いたのはカネゴンだっけ。
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道は延々トラバース気味に続く。
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左手奥に奥手稲山(949m)が姿を現した。
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中央奥には銭函天狗岳。左手前は440mピーク。
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銭天をアップで。
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おお、海も見えてきた。石狩湾である。
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銭天と石狩湾をセットで。
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これは石狩新港だろうか。
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改めて銭天。左下の白い部分は採石場跡。
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ゼニゴンのびっくりバージョン。
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右から林道が合流してきた。スキーのシュプールが残っている。
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合流した場所が土場と呼ばれるところ。昔、伐採した木材が置かれていたそうだ。ここで標高は約560m
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ここで3回目の休憩。
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白樺林の向こうに和宇尻山(856m)のシルエットが見えた。
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これで「ワウス」と読むと、Iさんから初めて聞いた。

「岳人よ!ゴミと恋人は捨てないで」なんて、ふざけた看板があった。
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ここはでかなり長居して、10分以上休んだ。
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ここから一気に斜度がきつくなる。
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スノーシューのサポーターに頼らざるをえなかった。

しかし、間もなくまた緩斜面になったので、元に戻す。
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この先で銭函峠に向かうルートと春香山に向かうルートの分岐に達した。
銭函南岳は直進して銭函峠に向かった方が近いのだが、トレースがない。
Iさんはラッセルを嫌って、とりあえずトレースのある春香山方面への道を選んだ。
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開けた場所では、スキーヤーのシュプールとスノーシューのトレースが並行していた。
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昔の道標かな。文字はすでに全く読めない。
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札幌市との境界にあたる稜線に到着(標高695m)。
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ここでIさんがスノーシューに補助板を取り付けるため時間が少々かかり、10分ほど停滞。
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さっきの境界見出標があったところから、5分かからずに函館峠に到着。標高は580mでコルではない。
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いろいろと書かれているが「銭函峠」の文字がどこにもないので、返す返すも残念だった。
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(つづく)
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ながぬま温泉

【2018年12月2日(日)】長沼温泉
寒くなって、なかなか山に行く気分にならない。
温まりたい。だったら、温泉だ!
というわけで、湧出量が豊富なことで評判の長沼温泉に出かけることにした。
山に行かない休日なので、たっぷり寝坊をして、10時頃に出発。
昨夜からの雪で路面はべちゃべちゃ。しぶきでフロントガラスがすぐ汚れてしまう。

1時間ちょっとで、「ながぬま温泉」に到着。
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ここは源泉豆腐が有名だ。
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1987年に町営「ながぬま温泉」として開業したが、指定管理者制度導入に伴い、現在は民間に移管されている。
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写真とは関係ないが、この温泉は翌88年に環境庁(当時)の国民保養温泉地に指定されている。
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北海道新聞でも紹介されていた。
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早速、入湯。
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ここはナトリウ-塩化物強塩泉(弱アルカリ性高張性高温泉)。かなり塩分が濃い。
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源泉は50.2℃で、加水せず熱交換器で温度を下げている。
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湧出量はなんと毎分1150㍑。道内有数の量である。
じっくり堪能させていただいた。
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長沼町は、いろいろとキャッチコピーに力を入れているようだ。
「どぶろく特区」に認定されており、自家醸造できるらしい。
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いや、ばれると思います。
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長沼のジンギスカンはかなり有名。
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白菜の栽培も盛んなようだ。
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お米づくりも得意らしい。
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北海道の大豆生産量は全国一、長沼町は全道一。
「つまりは日本一」とのことだが、論理的にそうはならない。
簡単なことだ。例えば二番目の県の一番の市町村が長沼より多いということは理屈としてはあり得るからだ。
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しかしまず、場所を分かってもらうのは確かに重要だ。
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農業は、長沼の唯一の基幹産業だ。
農業しかない。と肩を落とすのか。
農業があるじゃないか。と胸をはるのか。
大豆の生産量は、北海道一位。
「長沼納豆」というブランドがあったっていいはずだ。
それどころか大豆といえば十勝。イメージで負けている。
・・・・
新鮮な野菜を一大消費地へと届ける使命は果たしている。
・・・・
でも、それだけでは、どうにも取り残されてしまう気がする。
・・・・
新たなメニューを、おみやげや加工品を、どんどんつくろう。
・・・・
できない言いわけは、ぐっとこらえて。
・・・・
おいしさで、人を呼ぼう。
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全国各地の地方が同じ課題を抱え、真剣に取り組んでいる。
競争だ。頑張らないと生き残っていけない時代だ。大変だ。

それが、わたしたち長沼町の覚悟です。
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その覚悟に敬意を表して、源泉豆腐、お買い上げ。
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本来であれば、ジンギスカンを食べてからお風呂なのだろうが、順番が逆になってしまった。
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それでも、せっかくなので食べ比べコースをいただいた。
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まおいロース、長沼ロース、かねひろロースの3種類。
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個人的には、長沼ロースが一番柔らかくて美味しかった。

食後はインカルシというカフェでお茶っこ。
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ながぬま温泉から車で数分ほどである。
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「インカルシ」とは、アイヌ語で「いつも眺めるところ」という意味だそうだ。
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その名の通り、眺めが良さそう。
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店内には、しゃれた薪ストーブが。日当たりがいいこともあって、これ1台で汗が出るほど暖かかった。
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お庭からの眺め。
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手稲山(1023m)や余市岳(1488m)が見えている。

恵庭岳(1320m)や樽前山(1041m)方面。
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紋別岳(866m)や風不死岳(1103m)も見える。
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中央のとんがりは烏帽子岳(1076m)だろうか。
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ゆっくり、あまり飲みつけないコーヒーなどを飲んで、30分ほどでおいとました。
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この後は、先日空振りだった「れんがもち」を買いに野幌経由で帰宅。
10個入り600円だが、1日しか持たないというので、冷凍して少しずつ食べている。

これから近郊の温泉をひとつひとつつぶして行こうと思っている。
本当は日帰り温泉施設より(ながぬま温泉は宿泊施設もあるが)、歴史ある一軒宿に注目していきたい。

(おわり)

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野幌散策

【2018年11月26日(月)】野幌
この日は午前中から江別市野幌でお仕事。現場への行き帰りに、あれこれ見学した。
野幌駅到着は10:26。
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初めて来たが、かなり新しい駅舎だ。2011年10月23日に建て替えられたらしい。
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駅前に出ると、いきなり「登窯」の説明板があった。
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ここ江別市内でレンガの生産が始まったのは1891年(明治24年)。
大正時代以降は全道一の陶土地帯である野幌がレンガ製造の中心地となり、重要な産業の一つとして今も受け継がれている。
そうした歴史から、「江別のレンガ」は2004年に「北海道遺産」に選定されている。

目の前にあるレンガをアーチ形に積んだモニュメントは、レンガを焼く登り窯をイメージしたものだそうだ。
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そんなレンガ工場のうちの一つ、野幌煉瓦土管製造工場の創業者、館脇平蔵氏は事業の繁栄と労働者の安全を祈り、商いの神様として庶民に崇拝されている聖徳太子を祀った「太子堂」を工場敷地内に建立したそうだ。
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その後、1926年(大正15年)に、土地と堂宇を天徳寺に寄進、毎年8月15、16日は労働者の休息日として、聖徳太子祭りが開かれるようになったとのことである。

その天徳寺が駅のすぐ近くにあった。
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一応、仕事前なので、あまり寄り道も撮影もせず、現場に直行。
仕事を終えてから、ゆっくりと散策に勤しんだ。
まず、現場のすぐ近くに、錦山緑地という園地がある。
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西側の入口にあったオブジェ。
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小石巧という方が作った「胞」(1994年)だそうだ。
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奥に由緒ありげな建物が見える。
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江別市屯田資料館と書かれている。
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もともとは、屯田歩兵第三大隊第二中隊の本部だったらしい。
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中を見学したかったが、すでに冬期休館の期間に入っていた。
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野幌が屯田兵の入植地であったとは、恥ずかしながら初めて知った。
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大東亜戦争の忠霊塔。
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元北海道知事・町村金吾の揮毫である。
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説明文によれば、明治・大正期の戦没者を慰霊するため、1926年、市内荻ヶ岡に忠魂記念碑が建てられた。
その後、大東亜戦争の戦没者も合祀することになり、1959年に忠霊塔として立て直されたが、荻ヶ岡に江別市水道庁舎などが建設あれることになり、1982年に当地に移されたとのことである。
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碑文には「日露より大東亜戦争までの諸戦役に従軍し国家の為尊い生命を捧げた四百六十余柱の英霊を顕彰」とある。
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となりに包丁塚。
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これまで見てきた三役、そろい踏み。
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この園地は錦山天満宮の境内林で江別市指定保存樹林地の第1号に指定されている。
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錦山天満宮は、明治18~19年に野幌に入植した屯田兵が熊本の錦山神社から神霊を戴いてきたのが、その起源とされる。
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「錦山神社」とも呼ばれているようだ。
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参道から見た旧第二中隊本部。
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地元の「観櫻会」は2009年、錦山天満宮の山口清峰氏が二代目宮司に昇格したのを祝って、桜を植樹したそうだ。
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この会は2014年にも創立20周年を記念してチシマザクラを植樹している。
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当方も錦山天満宮に参拝させていただく。
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その前にお清め。
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こちらの手水鉢は激しく破損していた。
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威厳のある狛犬。
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扁額は「神社」ではなく「天満宮」だった。
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社務所もかなり立派だ。
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屯田兵二世の歌碑「屯田の祖父母が拠と伝へ来し天満宮の護符を受けむか」
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こちらは堂垣内尚弘・元知事の謹書。
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それでは、また。
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神社を後にして、野幌駅と錦山緑地を結ぶ野幌グリーンモールを歩く。
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目に入ってきた瀟洒な洋館は、江別市ガラス工芸館。
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北海煉瓦合資会社の土木技師だった石田惣喜知氏が、自ら設計・施工して、1945年(昭和20年)に建てた自宅だそうだ。
給与代わりに受け取った規格外の煉瓦製品を用いて建てたともいわれている。

こちらも残念ながら冬期閉館中。
北海道のこうした施設で冬期休館が多いのは、入館者が極端に少なくなることもあるのだろうが、そもそも暖房費がかかり過ぎるからだろう。
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池塘めいた水たまり。中から木が生えているということは、普段は溜まっていないのか。
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地形図にも内水面の表記はなかった。

江別市立江別第二中学校の横を通過して
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野幌開拓緑地に入る。
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こちらの緑地には、野幌兵村の開村記念碑が立っていた。
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基壇の一部に移住者の出身地と戸数が刻まれていた。
書き写してみよう。
明治十八年 鳥取県三四戸 鹿児島県三〇戸 石川県二九戸 佐賀県二四戸 熊本県二一戸
明治十九年 鹿児島県三七戸 鳥取県三〇戸 山口県二〇戸
とある。西日本を中心に2年間で225戸の旧士族が移住してきたことになる。

こちらは真っ黒でよく分からないと思うが、開村五十年碑。
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裏面には屯田兵来住者の名がひとりひとり彫られていた。
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隣接地に野幌屯田兵村記念館。
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もちろん絶賛閉館中。
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棟続きの白亜の建築は野幌公会堂。
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1938年(昭和13年)に野幌公民館として建設されたものだ。
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史跡野幌兵村練兵場。このあたりは屯田兵がらみの文化財が集中している。
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江別市野幌公民館に、屯田兵の歴史をまとめた小冊子みたいなものがあるかと思って立ち寄ってみたが、何もなかった。
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さてと、お腹が空いた。
国道12号沿線にスシローがあったので入ってみたら、行列ができていたので即座に退散。
となりの「すき屋」で安い豚汁定食を食べて、飢えをしのいだ。

ところで、野幌と言えば、レンガつながりで、れんがもちである。
検索してみたら、わりと近くに店舗があるみたいなので行ってみた。
おお、あれじゃ、あれじゃ。
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さすがに、外観はレンガ。
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しかし、ちょっと様子がおかしい。
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なんと月曜日は休業ではないか!
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これには愕然。となりのイオンに売っていないかと思って入ってみたが、「扱っておりません」と、けんもほろろ。
とぼとぼと帰途につくしかなかった。
駅への途中にあった江別市民体育館。
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その入口に、江別100年の記念プレートが埋め込んであった。
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旭公園を経由して野幌駅へ。
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江別市のマンホールもレンガ。
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13時半前に野幌駅に到着。
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2015年1月31日で駅キオスクは閉店しており、当然、れんがもちは駅でも入手できなかった。
駅周辺に売っていそうなところがないか、この地図で探してみたが、それらしき店はなかった。
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気落ちしてホームへ。
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この駅はかつて夕張鉄道(1930~75年)の始発駅で、駅でれんがもちがバカスカ売れていたらしいが、それも今は昔である。
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13:33発の区間快速いしかりライナーで札幌へ。
社で通常業務に戻った。

(おわり)
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苗穂駅

【2018年11月17日(土)】苗穂
今日はJR函館本線苗穂駅の新駅舎開業日である。
それを念頭に、苗穂方面で遊ぶことにした。
まずはサッポロファクトリーで、大ヒット中の映画「ボヘミアン・ラプソディー」を鑑賞する。
サッポロファクトリーはもうクリスマスの装いだ。
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煙突には早くもサンタさんが登り始めている。
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レンガ館の蔦もクリスマスカラー。
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屋内には巨大なクリスマスツリーがそそり立っていた。
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実に華やかな雰囲気だ。
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私は実はクイーン世代なのだが、当時は日本のアイドル(とくに石野真子)に夢中で、ほとんど洋楽は聞かなかった。
クイーンも耳に入ってくる程度のものしか知らなかったが、映画自体は非常に面白かった。
次は、「こんな夜更けにバナナかよ」でも見にくることにしよう。
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映画鑑賞後は近くにある旧永田武四郎邸へ。
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永山武四郎は北海道庁の第2代長官で、屯田兵生みの親とも呼ばれている人物である。
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この旧永田邸は明治10年代後半に私邸として建てられたそうだ。
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その後、1911年(明治44年)に三菱合資会社(現・三菱鉱業セメント)が買収し、1937年(昭和12年)に寮を増築した。旧三菱鉱業寮である。
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ここは2年間の耐震補強と保存修理を終え、今年6月23日にリニューアルオープンしたばかりだ。
早速見学させていただく。
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こちらは洋室。
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2005~06年にも腐朽箇所の補修工事が行われたとのこと。
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説明パネルがかなり充実している。
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鉱業寮の2階に上ってみると、しゃれた談話室がしつらえられていた。
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展示コーナーには、札幌市内の石造建築の写真がいっぱい。
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どれも札幌軟石で造った建物だそうだ。
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本当は旧三菱鉱業寮の中にあるカフェ「ナガヤマレスト」でカレーを食べたかったのだが、残念ながら満席だったので断念。
北3条通に出て、苗穂駅へ向かう。
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10分ほどで到着。まあ、きれいな駅になったこと。
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こちらは300mほど東にある旧駅舎。
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当然ながら、店舗のシャッターも閉まっている。
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前日深夜に営業を終え、「苗穂駅」の駅名板も瞬時に外されていた。
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なんと郵便ポストまで封鎖されている。
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随分古びた駅前交番が取り残された感じ。
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ここも早晩、移転することになるのだろう。
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自転車置き場も当然移転したわけだが
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まだ、大量の放置自転車が残されていた。
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この駅舎も近い将来取り壊されるに違いない。淋しい限りだ。
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十分、名残を惜しんでおかなくては。
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というわけで再び、新駅舎に戻ってきた。
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自転車を押して登れるゆるい階段を上る。
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連絡橋からは、かつての跨線橋の階段とそれに通じる通路が見える。
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橋上駅となった苗穂駅の改札入口。
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この赤レンガは、近くにあるサッポロボール園など開拓時代の建築を意識したものなのだろう。
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連絡橋から都心部を望む。中央が札幌駅のJRタワー。
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反対側の苗穂工場方面。
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ボケてしまったが、工場の車庫は健在である。
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ここに広大な土地があるわけだが、どうか売却などしないでほしい。
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左端のマンションに住んでいる人がちょっとうらやましい。
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この景観をぜひ残してもらいたいものだ。
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北口のロータリー。
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北口の外観。
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北口コンコースの壁面を飾るレールの断面。
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ひとつひとつに個人名などが刻まれているのは、寄付をしてくれた人の名前なのだろうか。
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コンコースの一角に「苗穂駅周辺地区まちづくり事業」の模型が展示されていた。
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南口に超高層マンションが建つようだが、当面鉄道工場に手を付けることはなさそうだ。
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北口のアリオ札幌に直通する連絡通路はこれから設置するらしい。
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というわけで苗穂駅見学は終了。
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アリオ札幌であれこれお買い物。滅多に買い物などしないので貴重な機会だった。
買い物が済んだら、あっという間に外は暗くなっていた。
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せっかく、サッポロビール園まで来たのだから、ここでジンギスカンを食べて帰ろう。
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ここの赤レンガも紅葉に包まれていた。
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肉の写真は撮り忘れたが、美味しくいただきました。ごちそうさまでした。
外に出ると、ツリーのてっぺんにきれいな半月が浮かんでいた。
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それでは帰りましょう。
苗穂駅に向かう途中に見つけたこのデコレーション。
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「新苗穂駅オープン」はおかしい。「新大阪駅」とか「新」のつく駅名はたくさんあるのだから、「新苗穂」という名称に改められたという誤解を与える。
「苗穂駅新駅舎オープン」とすべきだっただろう。
細かくてすいません。A型なもので。

苗穂駅のしゃれたトイレ。こっちには入っていませんよ。
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札幌まで1駅だけ乗る。
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旧駅舎にも掲げてあった萩原朔太郎の詩「旅上」の一節「ふらんすへ行きたしと思へども・・」の額はちゃんと、こちらに移されていた。
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もちろん、麦酒工場の説明も忘れていない。
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札幌駅に下りたら、太平洋フェリーの新生「ニューきたかみ」号のデビューが大々的に宣伝されていた。
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これで苫小牧から名古屋に行けるようだ。
でも、名古屋ならやはり飛行機の方が早いなあ。

改札となりの土産物屋で「どら焼きヌーボー」を買って帰った。
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うまかった。

(おわり)
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四十三山(下)

【2018年10月11日(木)】四十三山
四十三山(252m)の散策を終え、洞爺湖畔に向かっている。
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外輪山の向こうに見えているのはホロホロ山(1322m)かな。
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四十三山の山麓を流れているのは四十三川だった。
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この川も普段は水が流れていないのだろう。
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正面に羊蹄山(1898m)とトーノシケヌプリ(455m)。
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これらは町営団地だろうか。
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左手に大きなマンションのような建物があるが、こんなところにマンションはあるまい。
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と思ったら、「洞爺湖カトレア」というマンションだった。でも、分譲の別荘なのだろう。
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有珠山(733m)を振り返る。
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湖畔まで下りてきたら、「明治新山」の入口表示があった。
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洞爺湖は長流川水系に位置付けられているようだ。
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このあたりの湖畔は「洞爺湖園地」として公園化されている。
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そして、洞爺湖八景のひとつでもある。
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洞爺湖八景は2008年の洞爺湖サミットを機に選定された。
ここは「壮瞥温泉」だが、残る7か所は「洞爺湖温泉」「滝之上キャンプ場」「仲洞爺キャンプ場」「財田湖畔」「浮見堂」「月浦展望台」「中島」である。

確かに美しい眺めだ。
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園内には様々な野外彫刻が展示されていた。
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米坂ヒデノリ作「啓示」(1990年製作)。
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弁天島と羊蹄山。
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四十三川にかかる五十二橋を渡る。
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ん、女性の姿が。
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タイトルは「薫風」だそうである。
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こちらは、中井延也作「シグナル」(1995年)。
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湖岸に沿った園路を歩いて駐車場に向かう。
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この彫刻はかなり古いようで、すでに劣化が始まっていた。
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タイトルは不明である。
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湖畔をこんなにゆっくり散策したのは初めてかもしれない。
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間もなく洞爺サンパレスにぶつかり、車道に出た。
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「なんてったって宇宙一」のCMで有名になったサンパレスは洞爺湖温泉では最大規模のホテルである。
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運営は、定山渓ビューホテル、ニュー阿寒ホテルなどを手掛けるカラカミ観光。

ちょうどクリスタル館の建て替え工事中であった。
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15時過ぎに駐車場に到着。
このあとはどこかで日帰り入浴をして帰ることにした。
洞爺湖温泉にいるのだから、すぐそこで入ればいいのだが、洞爺湖は何度も入ったことがあるので、違うところがいい。
狙うは国道36号沿いに点々と昭和っぽい温泉宿が並ぶ虎杖浜温泉だ。
帰り道なので、まだ乗り残してある室蘭本線の東室蘭~室蘭の乗り鉄をすることも考えたが、さすがに時間が合わず断念した。

今回は入ったのは、パッと見、「ここほんとに営業してるの?」という外観のホテルほくよう。
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入浴料は500円。
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ここはナトリウム-塩化物泉(緩和性低張高温泉)で、美人の湯として知られているようだ。
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館内の様子。
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暖簾をくぐる。
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虎杖浜温泉は2011年9月、全国で10番目(道内で3番目)に「源泉かけ流し宣言」をしたとのこと。
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温泉は地下1000mから汲み上げているようだ。
源泉は47~49℃というからわりと効率がいい。
宿の名称が違うのは、いつかの段階で改めたからなのだろう。
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かなり年季の入った宿だが、敷地面積は7万平方㍍もあるらしい。
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内湯はこんな感じ。
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大露天風呂があるとのことなので、さっそく行ってみた。
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これまた随分長い野外廊下を歩かされる。冬は大変だろう。
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50mくらい歩いて、やっと脱衣所の入口にたどり着いた。
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しかし、女湯の廊下との仕切りが、なぜかここだけない。
女性客から苦情が来ないのだろうか。
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脱衣所を抜けて、びっくり。ものすごく広い露天風呂である。
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しかも誰もいない。
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湧出量は毎分1700㍑だそうだ。それなら、これだけ巨大な露天風呂もかけ流しにすることは可能だろう。
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とりあえず裸で歩いてきたので、とくに着替えの必要なし。
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いやあ、解放感。
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あんよも大喜びだ。
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ちょっと小雨が降っていたが、独り占めで大満足であった。
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温泉分析書によると、温泉名はとくになく、源泉名として「竹浦5」とある。
ph値は8.5なのでアルカリ性、美肌の湯だ。
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内湯に戻って、しっかり体を洗い、入浴終了。
帰り際、どどっとどこかの高校の運動部の面々が入ってきた。
彼らとかち合わなくてよかった。

夕食は苫小牧市内で回転寿司。
満腹になる前に切り上げ、ちょっと戻って道央道の苫小牧西ICに向かう。
しかし、ゲートインしてから札幌方面が通行止めになっていることに気付いた。
そういえば、「苫小牧西~苫小牧東 通行止」という表示が出ていたが、何日か後の工事による通行止めの予告と勝手に勘違いしていたのだ。
ここで引き返して、一般道に出ることも可能だったのだが、後ろから車が来ていたので、思わずそのまま白老方向に走ってしまった。
白老まで10数km走って、ICを下り、また乗り返して、苫小牧西ICで下り、市街地を一般道で抜けて苫小牧東ICからまた乗り直すという面倒なことになった。
おかげで、レンタカー屋の閉店時間の20時に間に合わなくなってしまった。

レンタカー屋にその旨、連絡すると、「車は置いておいてくれればいい。申し訳ないが、清算のため、明日もう一度来てほしい」という。
それはもちろんありがたいし、問題ないのだが、実はマイカーをレンタカー屋に預けてある。
「その車はどうすれば受け取れるか」と尋ねたら、ドアのロックははずしておいて、キーはダッシュボードの中に入れておいてくれるという。
お手数をかけてしまって申し訳ない。
でも、これで安心して、急がずに運転することができた。

札幌市内のレンタカー屋に着いたのは20時半すぎ。
私のエブリィはちゃんとあったのだが、キーがダッシュボードの中にない。
シートの上やあちこち探したのだが、ない。
置いておくのを忘れたのか、それとも違うところに置いたのか。
車を置いて歩いて帰ることもできるのだが、雨が降っているので、それは避けたい。
途方に暮れながら、この時間でも開いているトヨタレンタカーの店を検索してみた。
すると、千歳空港店が開いていたので電話をかけ、事情を説明して、この店のスタッフに連絡が取ってもらうようお願いしてみた。
すると、同じトヨタでも、会社が違うのだという。
でも、電話に出てくれた女性は「何とかやってみます」と言ってくれた。ありがたい。
待つこと数分。電話がかかってきた。
「連絡は取れないのですが、私どもはそういう場合、キーを庇の上に置くことが多いのですが、ございませんか?」
とのこと。なるほど、と思い、見てみたら、あるではないか!
「ありがとうございます。ありました!」
とお礼をして、やっとエンジンをかけることができた。
全く、ダッシュボードに置くと言ったら、そこに置けよ!
脱力しつつも、ちょっとむかついたが、翌朝、清算に行ったときも文句は言わなかった。
もとはと言えば、こちらの不手際なのだから。
対応してくれただけ、ありがたく思うことにした。
というわけで、車のキーはやはり私には鬼門であると実感した1日であった。

【日程】2018年10月11日
駐車場(13:28)~第20火口三叉路(13:59)~四十三山(14:16撮影14:20)~登山口(14:33)~洞爺湖園地(14:48)~駐車場(15:06)
※所要時間:1時間38分(歩行時間1時間30分)
※登った山:1座(四十三山)
※歩行距離:5.2km
※累積標高差:約200m
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四十三山(上)

【2018年10月11日(木)】四十三山
有珠山の災害遺構見学を終えて、四十三山(よそみやま、標高252m)に向かう。
その前に洞爺湖を観賞。
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洞爺湖温泉が「北海道三霊泉」とされているとは初めて聞いた。
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「北海道三霊泉」とは、小樽新聞社が1930年(昭和5年)に読者投票によって選んだものだ。
ちなみに、もう2つはニセコ昆布温泉と根崎温泉(函館・湯の川温泉)だった。

対岸奥に羊蹄山(1898m)の雄姿。
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中島の最高峰トーノシケヌプリ(455m)。
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手前は弁天島(左)と観音島(右)。

四十三山への登山口は洞爺湖温泉ホテル華美の向かいにある。
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となりの駐車場に車を置かせてもらって出発。

四十三山は1910年(明治43年)の火山活動で生成された山である。
だから、「四十三山」という。昭和新山が誕生してからは、兄貴分として「明治新山」とも呼ばれるようになった。
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最初は、泥流を流すために人工的に作られた「小有珠右の川」に沿って登っていく。
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川床はコンクリート。普段、水は流れていないという。
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四十三山周辺はきれいなフットパスとして整備されている。
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ユネスコ・ジオパークに認定されているからでもあるが、火山というものをよく知ってほしいという地元の意志でもある。
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200mほどで左手の尾根に取り付く。
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階段を上ると、すぐ石段になる。
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丸い石を四つずつならべた石段が延々と続く。
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登り切ると、西丸山火口の縁に出る。
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1910年以前から存在する形成年代が不明の火山だそうだ。
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樹木が生い茂っているので、窪みをそれと分かるように撮影するのは難しい。
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植林されたところもある。
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右手の窪みは第12火口。
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1910年の噴火が始まって3日後の7月28日に形成された。
この時の噴火で、熱泥流を発生させた5つの火口のうちの一つで、ここから流れ出た泥流は洞爺湖温泉街の東部を通って、洞爺湖に流れ込んだという。
ちなみに有珠山は約2万年~1万年前に生まれた、比較的新しい火山である。
記録に残る最初の噴火があった1663年(寛文3年)以来2000年まで9回の噴火があり、最近100年はほぼ30年の間隔で活動している。

このフットパスは「北海道自然歩道」の中の「火山回道」に位置付けられているようだ。
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山中に、洞爺湖温泉の源泉のひとつ「共同第2泉」の施設を発見。
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地形図を見ると、この付近には8個もの温泉記号が集中しているが、源泉は12本あるそうだ。
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そこからはしばらく林道状の道を行く。
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この説明板によると、この源泉は地下60~150mから汲み上げられているとのこと。
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12の源泉から湧き出たお湯は一旦すべて一つのタンクに集められ、温泉街の各ホテルに配湯されているそうだ。
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こちらは4号泉。
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向かいには、有珠山火山監視システムの震動2観測局があった。
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再び、林道を進む。
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天気はいまひとつだが、雨が落ちてこないので助かる。
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標高は200m近くまで登ってきた。
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三叉路。直進すると山頂まで約400mだが、ここは右折して、噴火口めぐりを楽しむ。
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四十三山は当初296mの高さまで隆起したが、その後マグマが冷えて収縮したため、現在は252mにまで縮んでしまった。
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この第20火口は直径130m、深さ43mで、45ある噴火口のうち2番目の大きさだ。
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噴火当時はこんな状態だったらしい。
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噴火口の縁をぐるりと歩く。
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坂道には石段が組んである。
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げげ、熊の糞だ。やばい。
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こんな火山地帯にもいるとは。
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右手に第21火口があるのだが、やはり樹木に隠れて、よく分からない。
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このゆるやかな段差は噴火の時に生じた断層の跡だそうだ。
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火山と植物について解説した案内板。
噴火後まず、オオイタドリやススキ、ツルヨシなどの草本類が生え、徐々にヤナギ類やドロノキ、シラカンバなどが育ってくるそうだ。
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こちらは夏から秋にかけて咲くエゾノコンギク。
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左手に第23火口の「外輪山」を見ながら進む。
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いよいよ四十三山頂上への道。このあたりは植林だ。
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太い幹が途中でポッキリ折れているが、台風の仕業だろうか。
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頂上への最後の登り。
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歩き始めて50分ほどで、四十三山に登頂。山名板は残念ながらなかった。
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展望台があったので登ってみた。
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すでにかなり樹木が成長していて、眺望が遮られているが、隙間から羊蹄山を望むことができた。
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こちらは瞥温泉方面。
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案内板には昭和30年代の写真が掲載されているが、当時はほとんど木が生えておらず、洞爺湖がまる見えだったようだ。
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今はこんな状態でしか洞爺湖を見ることができない。
60年ほど経って、それだけ植生が回復したということだ。
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振り返ると有珠山の北屏風山(左)と西山(右)。
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展望台から休憩用のベンチを見下ろす。
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ベンチでは休まず、三角点を探す。
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それはすぐに見つかった。四等三角点だった。
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では下山開始。
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途中、見学できる噴気孔に立ち寄る。
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この岩の下から、蒸気がうっすらと上がっていた。
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蒸気の温度は約50℃とのこと。
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噴火から100年が経過し、温度もかなり下がっているようだ。
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あれは大有珠かな。
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写真がボケてしまったが、そのようだ。
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金比羅火口や西山火口の周辺も100年経てば、このくらい緑が回復するのだろう。
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下山路から見た洞爺湖。
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下山路も延々と石段が続く。
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お、クマゲラ発見!
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暗くて分かりにくいが、脳天が赤い。
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やっと林道まで下ってきた。
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下界とは逆方向だが、ちょっとだけ源太川の方に行ってみた。
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でも見たかった第32火口はよく分からず、すぐ引き返して、林道を下る。
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エゾノコンギクはこの時期あちこちに咲いている。
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林道から右に入ると、北大有珠火山観測所の旧庁舎。
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ここは1977~78年の噴火活動の途中から、2000年の噴火を予知して避難するまで20数年間、有珠山を含む道内の主要5火山の噴火予知研究の拠点だった。
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現在の観測所は避難の必要がない場所に移転しているとのこと。
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プレートは外されていた。
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(つづく)
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有珠山噴火災害遺構

【2018年10月11日(木)】有珠山噴火被災遺構
伊達市内での仕事は正午頃に終了。
せっかく遠出してきたので、研鑽を積んでから社に戻ることにした。
まずは仕事場の近くにあったバチラー八重子の歌碑を見学。
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バチラー八重子(1884~1962年)はアイヌの歌人であり、キリスト伝道者である。
当時の伊達町有珠に生まれ、戸籍名は向井八重子といった。
英国人宣教師ジョン・バチェラーから洗礼を受け、22歳の時、養女となった。
ともに樺太へ伝道に行くなどし、代表作に歌集「若きウタリに」がある。

歌碑の奥に、ジョン・バチェラー夫妻を顕彰した「記念堂」が建っている。
門には「有珠聖公会」と書かれていた。
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この巨岩は有珠山の噴石である。
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この石造建築が記念堂。
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アイヌ語学者でもあったバチェラー博士は1882年(明治25年)、夫人とともにこの地でキリスト教の伝道を始めた。
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翌年、信者となった地元住民らが木造の礼拝堂を建設。1937年に改築されたのが、この建物である。
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玄関の柱には「大日本」「聖公会」と刻まれていた。
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石材は有珠山の噴石とのこと。
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境内には、秋の花が咲いていた。
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中には入れなかったので、見学は外観だけに留め、洞爺湖に向かう。
途中、トイレを借りに有珠駅へ。
ついでに駅前にあった「かあちゃん食堂」を記録に残しておく。
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西山山麓火口の展望台(西展望広場)に立ち寄った。
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ここからは2000年噴火の活動域が観察できる。
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中央右が西山、その左が有珠新山である。
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かろうじて第二展望台が確認できる。
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西山山麓からは今も白い噴気が上がっている。
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有珠新山の左奥は大有珠(733m)。
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湖畔近くにある金比羅火口災害遺構散策路まで移動してきた。
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見えているのは、被災したまま保存されている「やすらぎの家」と「桜ヶ丘団地」である。
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「やすらぎの家」は町営入浴施設。
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「桜ヶ丘団地」はここからだと、あまり被災の様子が分からない。
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「I ♡ Toya」
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1977年噴火に伴って建設された泥流防止のための砂防ダム群。
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では散策路開始。
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沿道には色とりどりのアジサイが咲いていた。
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団地を見ると、ところどころ窓が開いたままだ。
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振り返ると、洞爺湖に中島が浮かんでいる。
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その左に羊蹄山(1898m)も見えた。
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先に「ゆかりの碑」がある園地に行ってみた。
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ここは教員の初期結核患者の保養所として1940年に設置された北海道教育保養所の跡地だそうだ。
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1977年の噴火で被災し、翌年閉鎖のやむなきに至ったという
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その「ゆかりの碑」なのである。
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こちらは安田侃の手になる「ゆかりの碑~後に回生」のモニュメント。
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いずれも2000年の熱泥流では奇跡的に何の損傷もなかったという。

「やすらぎの家」へ移動。窓ガラスがかなり割れている。
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屋内は泥で埋めつくされていた。
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泥流が窓を突き破って入ってきたのだろう。
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悲惨な状態である。
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しかし、事前にみな避難しており、この噴火では奇跡的に1人のけが人もなかった。
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玄関。
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「やすらぎの家」全景。
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これは上から流れてきた橋だそうだ。
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この「木の実橋」は元の位置から90mほど流されて、桜ヶ丘団地に激突し、さらに60m流されて現在地に止まったという。
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その向かいに桜ヶ丘団地。
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噴火した火口はここから500mしか離れていなかったという。
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この傷は「木の実橋」がぶつかった跡。
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1階部分は建物ごと埋まっており、今見えている最も下の階は2階である。
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泥流は2階も襲ったようだ。
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噴火から18年が経ち、5階にはもう木が育っている。
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窓ガラスはどこも割れており、戦争の跡のようだ。
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下流側は一応、1階部分が見えている。
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それでは散策終了。
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次は四十三山(明治新山)散策をはさんで(報告は別稿で)、1977年の災害を遺構へ。
このあたり全域は、ユネスコ世界ジオパークの「洞爺湖有珠山ジオパーク」に認定されている。
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これは1977年の噴火時の地殻変動で倒壊した三恵病院だ。
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まずは、どんな状態なのか見ていただこう。
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ここは1977年火山遺構公園として遺構が保存されている。
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噴火災害遺構は、「周囲に芽生えた木々を、人の手を加えずに残すことで、人と森林の持続可能な関係や、時間の経過による植物の成長などを学べる場所として利用している」という。
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立派な「廃墟」保存理念である。
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そして今度は、その植物が建物を破壊し始める。
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人間は自然を改変して、生活の利便性を向上させるが、ひとたび人の手が離れると、自然は想像以上のスピードで巻き返してくる。
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最終的には、自らの治癒力でもとに戻してしまう。
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木々に覆い隠された廃墟は、人間の営みなど、ちっぽけだと気づかせてくれる。
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しかし、自然に自己治癒力があるのだからと言って、自然に対して何をしてもいいということではない。
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むしろ、その力に敬意を払うべきなのだ。
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廃墟はよく、「心霊スポット」として紹介される。
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人間中心の発想である。
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人間の「生と死」「盛衰」でしか、廃墟を見ていないからだ。
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私も「心霊写真大好き少年」だったが、廃墟を「霊」と関連付けて見たことはない。
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こちらは現役の施設「壮瞥町研修センター」。
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その近くに、地殻変動で傾き、放棄された民家を発見。
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ここまでで、災害遺構巡りは終了。
虎杖浜温泉で汗を流し、社に戻ることにする。

(おわり)




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1810室蘭本線

【2018年10月11日(木)】室蘭本線
随分、前のことになってしまったが、一応、報告しておきます。
この日は伊達市内で仕事があり、レンタカーで出かけた。
約束の時間までに、まだ訪ねていない室蘭本線の駅舎を見ておくことにした。
1つ目は本輪西駅。
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2015年3月18日に供用を始めたばかりの新しい駅舎である。
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隣には、以前の駅舎の一部と思われる建物が残されている。
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その右側には、取り壊した部分の基礎が地面に露出していた。
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かつての駅舎は木造平屋の間口の広い建物で、1957年(昭和32年)に建て直されたものであった。
20150402_144514.jpg(ネットより)

駅前はとくに商店があるわけでも何でもない。
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かなり古い観光案内板が掲げてあるだけだった。
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駅前の植え込み。ロータリーの中心の役目を果たしていたものと思われる。
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石碑には「安全塔」と書かれていた。
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1965年(昭和40年)5月に駅員一同が建立したものだ。
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破損した三重塔のミニチュアも残っていた。
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待合室に入ってみた。ベンチがとても現代的で清潔だ。
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運行本数は1日往復10本、室蘭方面行き(下り)は朝7時台に3本もある。
通学の高校生のためのダイヤだろう。
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この頃まで9月6日の北海道胆振東部地震による影響が残っていたが、あす10月12日から、特急すずらん1号の運行が再開されるという。
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待合室を通り抜けて、ホームに出た。
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最も駅舎側の線路は使用されていないようだ。
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列車に乗るには、跨線橋をわたる必要がある。
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壁にはポスター1枚貼られていない。ちょっと淋しい。
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跨線橋の窓から。たくさんの線路は、かつての貨物の専用線だ。
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旅客は1面1線の島式ホームである。
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旧駅舎から延びる構内踏切の痕跡があった。
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開業は1925年(大正14年)8月20日。
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ここでは、2014年5月29日まで、専用線発着の貨物を取り扱っていた。
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JXTGエネルギー室蘭製造所へ続く専用線があり、鉄道による石油輸送の拠点となっていたそうだ。
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専用線の全部で16本もあり、総延長は6.6kmに達したという。
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室蘭港を挟んで、対岸に測量山(199m)が見えた。
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駅名の由来はここの地名に基づく。
「本輪西」の名は、対岸にある「輪西」が本来はこの地のことを指していたことを示している。
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「もとわにし」の名は、少年の頃、テレビの「サンヨー薔薇チェーン」のCMでよく本輪西店が登場していたので、その関係で記憶に残っている。
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この跨線橋が設置されたのは1959(昭和34年)3月。
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このホームには、せいぜい2両編成の列車しか停まらないはずだが、かなり長い。
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ホームの床面は多くが砂利敷で、その中には貝殻も混じっていた。
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ちょっと古いデータだが、2010年度の1日平均乗車人数が36人。
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現在はおそらく30人を割っているものと思われる。
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貨物の専用線はすっかり廃線の雰囲気。
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ホーム上にあった標識。構内踏切用のものだったのだろうか。
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旧駅舎側に古いホームの跡を発見。
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本輪西駅は工業都市室蘭を象徴する駅の一つであったが、町の衰退とともに駅も往年の輝きを失ってしまっていた。
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それでは、次の崎守駅へ向かおう。
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その途中にあった陣屋バス停。
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ここ「陣屋町」の地名は、南部藩モロラン陣屋跡に由来する。

10分で崎守駅に到着。
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高架駅だった。
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1968年(昭和43年)9月19日開業の比較的新しい駅である。
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かつて、ここに待合室があったらしいが、落書きや放火などの被害に遭い、1999年8月末をもって閉鎖されたという。
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まずは上り線(東室蘭方面)ホームへの階段を上る。
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2面2線の相対式ホームである。
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本輪西駅と同様1日10往復の運行。
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ちょうど10:29発の豊浦行き普通列車が入線してきた。
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静かに発車を見送った。
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ここは開業時からの無人駅で、駅舎も待合室もない。
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一応、上屋だけはあった。
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高架下を走るのは、道道704号・崎守停車場線。
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この駅は前後をトンネルに挟まれている。
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もともとは1955年(昭和30年)11月1日頃に崎守町仮乗降場として設置されたのが始まりだそうだ。
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黄金駅~陣屋町駅間の複線化および線路付替えに伴い崎守町仮乗降場を1968年に廃止し、新線上に現在の崎守駅が設置されたとのことである。
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下り線のホームにも行ってみる。
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1日平均の乗降客数は、これも古いデータだが1992年度で200人とのこと。
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今はとてもそんなにいるとは思えない。
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せいぜい二ケタであろう。
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高台にあるのは元室蘭仙海寺。
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伊達紋別方面は元室蘭トンネル。
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というわけで見学終了。
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次は5分で黄金駅に着いた。
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1988年に建て直された比較的新しい駅舎である。
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待合室。
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2面2線の単式ホーム・島式ホームである。
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北に有珠山(733m)を望む。
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現在の駅名は「黄金(こがね)」だが、1925年(大正14年)8月20日に開業した当初は「黄金蘂(おこんしべ)」だった。
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黄金駅に改称されたのは1952年(昭和27年)11月15日のことである。
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「おこしんべ」はアイヌ語の「オコムプウシベ」(川尻に・コンブ・群生する・者)に由来するという。
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ホームへは、構内踏切で線路を渡る。
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駅舎の裏側も正面と同じデザイン。
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2011年から15年までの1日平均の乗降客数は10人以下であった。
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駅構内にあったかなりの線路が撤去されているのがわかる。
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この駅の近くには、世界文化遺産への登録を目指している北黄金貝塚がある。
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ちなみに同盟の駅が近鉄名古屋線(名古屋市)にある。
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駅前の様子。
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随分古い看板だなと思ったら、たかだか17年前だった。
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では、そろそろ仕事に向かいましょう。
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(おわり)
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三陸の旅(9)

【2018年11月25日(日)】三陸の旅
12時過ぎに八戸港に到着。
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ターミナルで早速、乗船手続きを済ませる。
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ちなみに、同乗者の方はバスで乗船場まで連れて行ってくれるらしい。
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八戸にもいろいろと見どころはあるのだが、今回は見送り。
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これが、今回初めて乗るシルバーティアラ号。
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今年6月就航の室蘭~宮古航路に移行する予定になっていたシルバークイーン号の代わりに建造され、昨年12月に進水した船だ。
今年4月25日から八戸~苫小牧航路で働いている。
全長148m、総トン数8543トン。
旅客定員は494人、積載台数はトラック82台、乗用車30台の規模である。

帰りも快適性を優先して1等洋室を利用した。
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でも、のんびりするのは後にして、まずは探検。
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風呂はもう少し後で。
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天気もよくて暖かいので、もちろん甲板にも出てみた。
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ちょうど係留していたロープが外されたところだった。
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港には林立するクレーン。
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東北グレーンターミナル社の巨大な飼料コンビナート。収容能力は17万トンだそうだ。
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八戸の臨海工業地帯。
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工場群の向こうに、真っ白に冠雪した八甲田山が望めた。
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お隣に停泊していた貨物船。
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午後1時ちょうどに出港!
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徐々に岸壁から離れていく。
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エネオスの石油タンクも遠ざかる。
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防波堤先端の灯台を通過。
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港から外海へと進んでいく。
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右手に、ウミネコで有名な蕪島が見えてきた。蕪島神社は改修中なのか、工事用の覆いがかかっている。
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なだらかなスカイラインは階上岳(740m)だろうか。
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こちらは名久井岳(615m)かな。自信はない。
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石灰岩を露天掘りしている八戸鉱山のベルトコンベアー。
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八戸の肩に当たる岬。左端は日出岩。
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最後の防波堤。
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さようなら、八戸港!
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13:30着のシルバーフェリー「べにりあ」が入港してきた。
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港内ですれ違うなんて、びっくり。
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そういえば、八戸もかつては新産業都市に指定されていたなあ。
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今日は、外海も穏やかなようだ。
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航跡にも乱れがない。
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いざ、太平洋へ。
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前方の甲板には行けなかったのが、ちょっと残念。
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でも、やっぱり、昼間の航海は楽しいものだ。
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出港して15分ほどで部屋に戻る。
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しばらく、部屋でくつろいだ後、14時過ぎにお風呂へ。
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シルバープリンセスとほぼ同じ大きさだが、やはり展望が素晴らしかった。
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誰もいなかったので、しばし海を眺めながら、のんびり過ごした。
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入浴後は外には出ず、部屋で読書をしているつもりだったが、15時過ぎに思い立って、甲板へ。
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すると、18:00八戸着のシルバーフェリー「シルバーエイト」とすれ違うところだった。
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なんというタイミング。

背後に見えている陸地は下北半島である。
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満足して、部屋に戻り、おやつ。
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青森県産ぶどう(スチューベン)の果汁を使ったジュレ入りのカスタードケーキ「いのち 冬のぶどう」。
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上品な甘さだった。

この後は、えびせんを食べながら読書したり、うとうとしたり。
めずらしく、ごろごろとのんびりとした1日を過ごした。
19時頃、八戸市内のコンビニで買っておいたお弁当をいただく。
20時前には苫小牧の街の灯りが見えてきた。
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船は定刻通り、20:15に入港。
でも、またかなり待たされて、下船できたのは20時半すぎ。
雨に迎えられた。
行きは雪、帰りは雨か。この3日間、北海道を脱出していたのは正解だったということだろう。

雨で路面が光って運転しづらいが、行きの時の大雪よりはまだまし。
22時前には無事に帰宅できた。
船でゆっくり休めた分、それほど疲れていない。
久々に登山のない旅行を楽しめた。

(おわり)

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三陸の旅(8)

【2018年11月25日(日)】三陸の旅
花巻温泉郷台温泉の観光荘に泊まっている。
今日もぐっすり寝て、6時半に目が覚めた。
もう2回風呂に入ったのだが、朝6時から男湯と女湯を入れ替えるということなので、朝風呂に行くことにした。
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昨日の湯(太郎の湯)より、ちょっと格好良かった。

しかし、こちら姫の湯は、ぬるめでも熱い。45℃くらいあった。
熱い方にも行ってみたが、とても入れる温度ではなかった。
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すぐに上がって、出発の準備を済ませる。
朝食は7時半から1階の食堂で。
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朝から湯豆腐があった。

今日はフェリーの時間が13時なので、どこにも寄らずに真っすぐ八戸港に向かう予定。
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でも、それでは味気ないので、出発前に台温泉の温泉街を歩いてみることにした。
8:20にチェックアウトをして荷物を車の中に放り込んでから散策開始。
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温泉街はこのような感じになっている。
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これで見ると、宿は20軒、食堂・商店が7軒あることになっているが、実際に歩いてみると、廃業しているところも少なくなかった。

まずは地図には書かれていなかったが、ホテル花仁。
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かなり前に廃業しているように見える。
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2012年にはすでに「差し押さえ」の貼り紙が出ていたとのネット情報があった。

温泉街の入口にバス停がある。
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バス停に、台温泉の歴史について書いた案内板があった。
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700年以上の歴史があるようだ。

バス停の裏にある観光荘の駐車場。
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この奥に、日帰り温泉施設の「精華の湯」がある。
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「はな 台の湯」は和風モダンな感じ。
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向かいの土産物屋「八百春」は閉店。かつては八百屋だったのか。
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食料品店の山下商店は朝早くから元気に営業中。
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自炊旅館の吉野屋は現役。昔ながらの湯治場なのだろう。
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その隣のそめや旅館。
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坂の上にあるのは滝の湯旅館。
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私が泊まった観光荘では、温泉卵を自分で作れる施設があるらしいが使用しなかった。
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花巻市のマンホール。
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中央に市章。その周りに、花巻まつりで踊られる鹿(しし)踊りと市の花キクがあしらわれている。

山神宮と馬頭尊の石碑。その手前にある善霊尊の石碑は文政六年(1823年)の建立。
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温泉街は少しずつ坂を登っていく。
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こういう古い木造の小屋などがあると、うれしくなる。
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精華の湯に併設されている「そば房かみや」
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家族的雰囲気を大切にする金矢ホテルは廃業。
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小瀬川は理容店であった。
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精華の湯はおそらくもともとは宿だったのだろう。
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その一部をそば処にしたという印象だ。
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精華の湯の隣は、やまゆりの宿。
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その向かいに源泉の「寿の湯」があった。
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ホースから湯が出ていたので触ってみたら、めっちゃ熱かった。

続いて、ホテル三右エ門。
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ここで道は右にカーブする。
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高台にある台公園の登り口に、台温泉の詳しい案内板があった。
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ただの空き家かな。さっきの案内図にも名称は付いていなかった。
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道が狭くなる。
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左手に楽知館(廃業)。
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右手に光明荘(廃業)。
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自炊旅館藤助屋(薬師の湯)。内風呂は混浴らしい。
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素泊まりのみの水上旅館。築60年の建物だとか。
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松田屋本館。玄関先におじいさんが座っていて、何かと話しかけられた。
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向かいに別館「湯の沢荘」
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かねがや旅館。
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時折、屋根の方にも温泉街らしい雰囲気を感じることができる。
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冨手旅館。NHKの「普段着の旅館」でも紹介されたそうだ。
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その向かいに温泉神社。
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もちろん参拝していく。
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境内には八将神などの石碑がずらり。
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温泉神社がある温泉街は何だか信頼できる気がする。
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100年の歴史を持つという老舗の「福寿館」。
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かつてはスナックだったんだろうなと思わせるデザインの建物と扉。
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木造4階建ての近代和風建築が美しい中嶋旅館。
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本当はここに泊まりたかったのだが、すでに満室だった。
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やはり人気があるのだろう。
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その奥のさなぶり荘は台温泉で最も大きな施設だが、閉鎖されている。
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使用者は千葉ニュータウン中央クリニックとある。
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温泉療養施設として再開する計画があるのだろうか。
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さばぶり荘の空中廊下をくぐってさらに奥へ進む。
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廃業した居酒屋「賢」。宮沢賢治の「賢」かしら。
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こちらは、もう一つの源泉「台大山神源泉」。
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立派な標札が出ていた。
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その大山神というのは、これのことだろう。
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単純硫黄泉で、泉温は89℃だそうである。
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見事な廃屋。
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この奥はただの民家のようなので引き返す。
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台温泉スイーツって何かしら。そば房かみやで売っているらしいが、朝食を食べたばかりなのでスルー。
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40分ほどの散策だった。
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それでは、一路八戸へ。
花巻ICから東北道に乗って、北上。
左前方には、南部片富士と呼ばれる岩手山がずっと見えていて、気持ちのいいドライブだ。
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早池峰山や春に登った姫神山も見えた。

しっかりと写真を撮りたくて、岩手山SAに立ち寄ったが、頂上部分しか見えない場所だった。
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八戸市街には11:20に到着。
お昼にはまだ早いが、フェリーターミナルでの食事は味気ないので、八戸一の人気というラーメン店「らーめん寺子屋麺座鷲ノ巣」に突撃した。
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混んでいるかと思ったが、まだ時間が早かった分、すぐに座れた。
店内には「スマホいじりは着麺まで」と、スマホをいじりながらの食事を禁止する貼り紙が。
「行儀が悪い」とか「集中して食べてほしい」という意味もあるのだろうが、たぶん混んでいるので回転を速くするためなのだろう。
食べる前の撮影までは禁止していないと思うが、あわてて撮影して食べ始めた。
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煮干しで出汁をとった背油系の味噌ラーメンだったが、自信があるだけあって、さすがに美味しかった。
というわけで、八戸港へと急いだ。

(つづく)
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三陸の旅(7)

【2018年11月24日(土)】三陸の旅
宮古駅前をうろついている。
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「超我の碑」なるものがあった。
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1944年(昭和19年)3月12日、山田線を盛岡から宮古に向かっていた機関車C58283は平津戸~川内間で雪崩に遭い、遭難転覆。命を失った2人の機関士を追悼する碑である。

こちらは山田線の鉄道開通記念碑。
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そして三陸鉄道の開通記念碑「三陸鉄道いま成る」。
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駅前ステージでは、地元の高校生が吹奏楽を演奏していた。
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それでは、山田線駅舎めぐりに出かけよう。
まずは千徳駅。
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ここは内陸区間なので運行されている。
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1934年(昭和9年)11月6日の開業。
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旧駅舎の中には喫茶店「駅馬車」があり、駅舎にかかっていた駅名板は「千徳民衆駅」だったという。
旧千徳駅(ウィキペディアより)

津波の被害にあったのか、今は新しい駅舎になっている。
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次の花原市(けばらいち)駅は入り口がよく分からないまま通過。
花原市駅(ウィキペディアより)

ひとつ飛ばして、蟇目駅に行ってしまった。
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旧新里村(現宮古市)のマンホール。
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りんごとりんごの花がモチーフだ。

蟇目駅も千徳駅と同じ1934年の開業。
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列車は1日6往復運行されている。
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待合室はきれいに掃除されていた。
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単式ホームの1面1線。
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かつてあった木造駅舎は撤去されてしまったという。
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駅名「蟇目(ひきめ」の「蟇」は「疋」と同じ意味で、肥沃な耕作に適した土地であることを、「目」は集落を表すとのことだ。

次の茂市駅は撮影済みなので飛ばして、腹帯(はらたい)駅へ。
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ブロック積みの立派な駅舎がつい最近まで残っていたそうだが、今は待合所のみの簡易駅舎である。
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ホームは1面1線の単式。
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開業は、千徳、蟇目と同じ日だ。
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それにしても変わった駅名だが、地名の由来はよく分からない。
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3駅回っただけで、もういい時間になってきたので、あとは本当に行きたかった区界駅だけにして、途中の陸中川井駅や箱石駅はすっ飛ばす。
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区界駅には15:40に到着。
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「くかい」と読むと思っていたら、「くざかい」だった。
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「区界」の由来については、上閉伊郡と下閉伊郡の境にあたるからという説と、南部藩の牧草地がこの付近一帯にあり、「草刈り」が「くざかい」と変化したという説があるらしい。
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駅舎は、1928年(昭和3年)9月25日開業当初からのものである。
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中にお邪魔してみた。
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待合室には、想い出ノートみたいなものが置いてあった。
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この駅は訪ねてくる鉄道ファンが多いらしい。

周辺の観光案内を記したパネルも。
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標高744mの位置にあり、東北地方では最も標高の高い鉄道駅である。
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この貼り紙を見て驚いた。
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2018年4月21日に窓口業務を終了したとある。
ということは、ついこの間まで、ここは有人駅だったということだ。
2017年度の1日平均乗車人員がたった1人の駅で、JR東日本の駅の中では最も利用者が少ない駅なのにである。
調べてみたら、この駅が有人だったのは交換駅としての役割があったからのようである。
今年4月22日に、盛岡~宮古間がCTC化され、その任務は終えたようだ。
それまでは、2面2線の相対式ホームだったが、現在は1面1線の単式ホームに変更されている。

現在は、ホームの改良工事が行われており、ホーム側の出入口は使用できなくなっていた。
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停車本数は上り4本、下り3本。利用者は1人なのに快速が1往復停まるようだ。
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駅前には、区界駅の開業五十周年を記念した石碑があり、「区界小唄」の歌詞が刻まれていた。
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ホームは昔のまま長大だが、奥のホームのレールは外されている。
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駅舎近くのホームは工事中で新しくなっている。
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おそらく宮古よりのホームは撤去するのだろう。

この駅に向かって国道を走っている途中、頂上がちょこんと飛び出ている印象的な山が見えたが、それは兜明神岳(1005m)という山のようである。
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ここから1時間かからずに登れるようだ。
ホームからも、道の駅区界高原を挟んでギリギリで望むことができた。
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さすがに700mを超える高所だけに、昨日降った雪がまだ残っていた。
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ちなみに、2016年3月のダイヤ改正で、区界駅と上米内駅の間にあった浅岸、大志田の2駅が廃止されたことに伴い、区界~上米内の駅間距離が25.7kmとなり、JR東日本の中では駅間距離が最も長い区間となった。
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この廃止駅のことを知っていたら、現役の駅舎めぐりではなく、そちらを優先していたのだが予習不足だった。残念。

さて、区界駅見学は10分足らずで終了。
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区界トンネルを抜けて、長い峠の下り道を下りていく。
盛岡盆地に出たら、すっかり冠雪した岩手山が見えて感激。
晴れている日にもう一度登りたい。
東北新幹線をくぐって、盛岡南ICから東北自動車道にのる。
明日は帰るだけなのに、北海道とは反対方向の南に向かう。
なんか、ちょっとプランがちぐはぐだ。
まあ、計画当初は2日目も三陸を南下するつもりだったのを、魹ヶ崎散策に変更したのだかから仕方がない。
これも天気に恵まれたおかげだ。

花巻ICで下りて、県道を東進。
華やかな花巻温泉のホテル前を過ぎると、間もなく台温泉街へと入っていく。
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到着はもう真っ暗になった17時だった。
DSC_7143_20181205212122ef9.jpg(翌朝撮影)

今宵の宿は、観光荘。わりと古い宿だった。
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でもお部屋はきれい。
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この日は優勝争いをしている高安と貴景勝の直接対決があるので、急いでお風呂へ。
温泉法第14条第1項に基づく掲示がしっかりとあった。
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加水、加温、循環・ろ過、入浴剤の使用は一切していないとのことである。
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泉質はナトリウム-硫酸塩・塩化物泉(低張性弱アルカリ性高温泉)で、源泉の温度は71.3℃。ph値は8.2である。
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ぬるい湯と熱い湯があったが、ぬるい方にゆっくり浸かった。
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ぬるいと言っても42℃あった。

部屋に戻ってみたら、もう取り組みは終わっていた。
今回は横綱が全員休場なので進行が早いのだ。
あとでニュースを見て、結果を知ったが、ちょっと残念だった。
高安も好きなのだが、今回は貴を応援していたから。

食事は18時半から。お部屋にお膳を持ってきてくれた。
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やはり量が多いが、そばがうれしい。
今日もご飯は食べられなかったが、どれもおいしくいただいた。

ビールの後、冷蔵庫から岩手誉の冷酒を取り出して、ちびちびと。
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今夜もご機嫌である。

最後にデザートで〆。満腹だ。
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この日は頑張って、ブラタモリの旭川を見た気がする。
その後は沈没。
実は、なぜか花粉症が発生し、鼻水だらだらだったが、充実した1日だった。

夜中1時に目が覚めたので、もう1回お風呂に行った。
さすがに独占できた。
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湯上りに、ちょっと館内を探検。
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でも、湯冷めしそうなので、すぐ部屋に戻った。
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(つづく)
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三陸の旅(6)

【2018年11月24日(土)】三陸の旅
本州最東端の魹ヶ崎灯台に来ている。
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この灯台の初点灯は1902年(明治35年)3月1日のこと。
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1945年(昭和20年)、太平洋戦争で破壊されたが、5年後に再建された。
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高さは34mで、光度は53万カンデラもある。
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沖を行く「さんふらわあ号」。意外に陸地の近くを航行していることに、びっくり。
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スピードもかなりあるように見えた。
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最東端の海岸線。
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右下に見えるのが本州最東端の碑だ。
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碑の立つあたりは、ちょうど海食台のようになっている。あとで行ってみよう。
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とりあえず、東屋で休憩。朝食に出たたい焼きをいただく。
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あの鉄塔の役割がよく分からない。
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灯台の背後には船舶気象通報送信所なる施設があったが、これと関係があるのか。
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塀の上に上って、もう一度太平洋を見渡す。
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あのあたりが真の最東端だろうか。
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北側は入り江になっている。
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小さな漁船が操業していた。
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これはトイレ。
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では、碑の方に行ってみよう。
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大きな裂け目があった。
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青い空に青い海、そして白亜の灯台。
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実に絵になる風景だ。

断崖の高さは20mほどある。
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深いからか、このあたりは海の色が濃い。
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岩の上にあった水たまりは、雨水なのか海水なのか。なめてみればよかった。
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ごつごつしています。
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これが本州最東端の碑。
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右下の碑文には、こう書かれていた。
「東経142度4分35秒
昭和31年“喜こびも悲しみも幾年月”の手記を世に発表して反響を呼んだ魹ヶ崎灯台長夫人田中きよさんの筆です
昭和42年11月1日建設」
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私のあとに単独男性がやってきた。この人はすぐにいなくなってしまった。
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南に見えるのは、船越半島。
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水平線。地球がまるく見える。
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恐竜の足跡(うそ)。
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ありゃ、あんな断崖の真ん中に人が!
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何をしているのだろう、何かの調査だろうか。
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大声を出して聞くのも何なので、謎のまま。
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岩石の採集?
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はるか沖合に貨物船。
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すぐそばには小船。ああいうのをザッパ船というのだろうか。
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小型の磯船のことを言うのだから、ザッパ船で間違いないはずだ。
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では、そろそろ引き上げますか。30分ほどの滞在だった。
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帰り道で地を這う紅葉を発見。
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あの尖った岩は、名付けて剱岩。
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帰路は写真が極端に少ない。
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ピストンなのだから、必然的にそうなる。
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沢を通過するあたりは石垣で道を補強してある箇所が多かった。
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もうお昼近くになったので、光線の加減が行きとはかなり違う。
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50分ほどで姉吉漁港近くまで戻ってきた。
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津波の際の残骸のようなものが波打ち際に残っていた。
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舗装された遊歩道を下る。
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浮き玉さんは、よく7年間も風雨に耐えてきたものだ。
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というわけで漁港に到着。トイレを済ませておく。
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姉吉漁港。
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ザッパ船がいくつも停泊していた。
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これは錨の一種なのだろうか。
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駐車場には、12:20に到着。
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魹ヶ崎周遊に半日を費やしてしまった。
でも、やはり歩くのはいい。
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お昼は宮古で食べることにして、重茂半島を北上。
前述の通り、数キロ走った重茂集落にスタンドがあったので、ひと安心。
高かったら、10㍑程度にしておこうかと思って値段を聞くと、リッター105円だという。
「え、本当ですか?」(そんなわけないでしょ)
「はい、105円です」
「え~、本当にそれでいいんですか」と聞くと、「あ、ちょっと待ってください」と言って、事務所に確認しに行き、「158円でした」と言いながら戻ってきた。
あのお兄さんは灯油の値段と勘違いしていたようだ。
それにしても、ガソリンの値段を知らないスタンド店員がいるとは、驚いた。
かなり高かったが、面倒なので満タンにしてもらった。
給油できて気分が全く楽になった。
重茂半島の展望の山、月山(456m)には頂上まで車で行けるそうなので行きたかったが、お腹が空いていたので、やはり止めておいた。

宮古湾まで下りてきた。
どこもかしこも海岸は延々と堅固な防潮堤で固められていて、何とも言えない景観だった。
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津波の防災はやはりハードが重要なのだろう。
ソフトで命を守ることはできるが、財産は守ることができないからなあ。

宮古駅前には13:20過ぎに到着。
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銀行裏のコインパークに車を停めて、「魚彩亭すみよし」へ。
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宮古で最近売り出し中の「瓶ドン」なるものを注文した。
出てきたのは、海鮮のネタが何種類も詰まった牛乳瓶。
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これを自分で丼のご飯の上にのせて食べるわけだ。
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形が崩れないようにするためか、カニだけは最初からのっていた。

陸中海岸沿岸では獲れたてのウニを牛乳瓶に詰めて保存するスタイルが一般的らしい。
滅菌処理を施した海水と一緒に牛乳瓶で保存することで、地元でしか味わえない新鮮で美味しいウニを食べることができるという。
この独特のスタイルからヒントを得て、考案されたの海鮮丼が「瓶ドン」だ。
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宮古観光文化交流協会の旗振りで、市内の飲食店6店舗が独自商品を考案した「体験型のメニュー」で、なんと今年10月から発売されたばかりだそうだ。
この店の牛乳瓶には、焼きウニ、イクラ、メカブ、タラ、ホタテ、タコが入っており、カニと合わせて7種の魚介類が食べられる計算だ。

あまり上手に盛り付けできなかったが、こんな感じになる。
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ネタそのものは美味しかったのだが、贅沢を言わせてもらえば、ご飯は酢飯にしてほしかった。私はその方が好きなのだ。
1杯1500円也。

さて、もう時刻は14時に近い。
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今宵の宿は花巻温泉郷の台温泉なのだが、ここから2時間ほどかかる。
真っすぐ行っても到着は16時。
もう、じっくり寄れる場所はない。
となると、駅舎めぐりだ。いくつか撮影しがてら花巻に向かうことにしよう。
手始めに、目の前にある三陸鉄道の宮古駅を撮影。
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JR山田線の沿岸区間(宮古~釜石)は三陸鉄道に移管され、来年3月23日、震災から8年ぶりに運行が再開される。
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これに伴って、久慈から盛まで163kmがひとつの会社の路線として結ばれることになる。
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JRは赤字路線を切り離せてよかっただろうが、三陸鉄道や地元にとっては良し悪しといったところか。
どうか頑張ってほしい。皆さんも応援のため乗りに行ってほしい。
と言いながら、自分は車で来てしまったが。

(つづく)
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三陸の旅(5)

【2018年11月24日(土)】三陸の旅
岩手県大槌町の小川旅館に泊まった。
昨夜は20時頃に沈没。10時間以上たっぷり寝て、6時半に目が覚めた。
今日もすこぶるいい天気である。
冬型の気圧配置で晴れるのは関東以南の太平洋側と思い込んでいたが、東北でも同じだと知ったのは発見だった。
ゆっくり出発の準備をして、7時半に朝食。
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わりと普通のメニューだったが、スイーツのたい焼きがミソ。
ここでは、夕食ではなく朝食にいろんなスイーツを出しているらしい。
でも、これは今日のおやつ用に取っておいた。

8:20に宿を出発。
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さらに南下して、唐桑半島やら巨釜半造などの観光地を巡ることも考えていたのだが、わりと暖かいので、もう一つの選択肢だった本州最東端の魹ヶ崎に行くことにした。
灯台に行くには遊歩道を片道1時間ほど歩かなければならない。
32年前にも訪ねたことがあるが、そんなに歩いた記憶がない。
でも、歩かなければ行けないのだから歩いたはずだ。

魹ヶ崎に行くには、かなり北へ戻る必要がある。
運休中のJR山田線に沿って、昨日走った道を20kmほど引き返す。
その途中、四十八坂という展望スポットがあったので立ち寄った。
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かつては曲がりくねった坂が続く道だったので、こう呼ばれるようになったそうだ。
命名の意味合いとしては「いろは坂」のようなものだろう。
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ここからは船越湾を望むことができた。
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正面に浮かぶのは、タブの大島。
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小さな灯台があるのは弁天島。
後ろの半島と一体になって見えるが、離れ小島である。右の小さな島は唐島。
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眼下は断崖。ここの標高は50mほどある。
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よく見ると、小舟がいくつか操業している。
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長い棒を使って漁をしているが、ウニだろうか。それともアワビか。
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句碑があった。「涼しさや海より秋の風薫る」
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京の落柿舎の二代目重厚が1788年(天明8年)8月に、この地で詠んだ句だという。
あまりに凡庸な気がするのだが。

レストラン磯よしはまだ開店前だった。
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車に戻って、山田町の大沢漁港のあたりで右折し、県道に入る。
ここから魹ヶ崎への遊歩道入口にあたる姉吉漁港までは、山の中の細い道を20km近く走らなければならない。
それはいいのだが、重大な心配事が生じた。
もう、ほとんどガソリンがないのに、スタンドに寄るのを忘れてしまったのである。
このままでも、姉吉までは確実に行けるが、その先でガス欠になる恐れがある。
山田の市街地まで戻って給油するのが最善の策だが、姉吉経由で宮古まであと40km。
タンクに3㍑入っていれば行ける距離なので、たぶん大丈夫と踏んで、前進を続けた。
しかし、内心はひやひや。本当にガス欠になったら、JAFを呼べばいいと開き直ってはいたが、祈りながらの運転だった。
結果的に、宮古に着くずっと手前の重茂集落にスタンドがあり、事なきを得た。
実はロードマップにも、重茂にスタンドマークが書かれていた。
でも、あまりに僻地なので、もう廃業している可能性が高いと思っていただけに助かった。

そんな事情もあって、びくびくしながら、9時半に駐車場のある姉吉キャンプ場に到着。
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ここに魹ヶ崎の立派な案内板があった。
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このあたりは中生代白亜紀にあたる約1億3000年前頃の火山活動で形成された岩でできているという。
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岬に向かって歩き始めた途端、沖をさんふらわあ号が通過していった。
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苫小牧と大洗を18時間で結ぶ三井商船のフェリーだ。

姉吉漁港はほんとに小さな入江だ。
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魹ヶ崎までの遊歩道は、八戸から相馬の太平洋沿岸を結ぶロングトレイル「みちのく潮風トレイル」(全長900km)の一部をなしている。
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いつか全行程を歩いてみたいが、いつになることやら。なんて、さあ出発。
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いきなり、ムラサキシキブの実を発見。
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日本全土でみられる植物だそうだが、この目で見たのは初めてかもしれない。

なんと、あんなに高い木の上に浮き玉がぶら下がっていた。
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震災の時の津波が、あんな高さに達したということだ。にわかには信じられない。

エメラルドグリーンに透き通った、こんな静かな海なのに。
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あの車の方たちは散策ではなく、ダイビングのようだ。透明度も高いのだろう。
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ぽっかりと釣り船。
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津波浸水地点の標識があった。ここで軽く標高20mはある。
やはり、さっきの浮き玉はいたずらではないのだ。
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遊歩道はしばらく舗装されていた。
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紅葉が見事である。北海道はもう終わっているので得した気分。
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眼下には、恐竜岩やらアザラシ岩やら。
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どの岩にも海鳥がとまっていた。

道はさらにぐいぐい登っていく。
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でも、紅葉がきれいなので、気持ちのいいハイキングだ。
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美しいグラデーションにうっとり。
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ふもとから15分ほどで、遊歩道の最高地点(標高110m)に達した。
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ここまで来ると、すっかり樹林の中なので、海は木々の隙間から見える程度。
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樹木の根っこも力強い。
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道はいくつかの沢を越えていくが、最初に出てきたのがガケオトシ沢。
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物騒な名前だ。

路面は落ち葉の絨毯。
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紅葉が青空に映える。
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一度登り切ってしまうと、あとはほぼ等高線に沿って道が切ってあるので歩きやすい。
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はい、煙草などは吸っていませんよ。
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海に網が仕掛けてあった。何を獲るのだろう。
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今日は昨日よりずっと海が穏やかである。
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橋を渡る。
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2km歩いてきた。ほぼ中間地点だ。
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でも、すでに40分も経っている。まあ登りだったから、時間がかかるのも仕方あるまい。
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次の沢は、カゴシルシ沢。語源が想像しにくい。
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この沢は角張った岩がゴロゴロしていた。
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続いて、コヒガシリ沢。コシヒカリと読めてしまった。
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岬にはおそらく船を付けられるところがないので、灯台への物資はこの道を使って運んだのだろう。
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灯台は1996年まで有人だったという。さぞかし大変だったに違いない。
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あんな感じでは、船から陸に上がるのはとても無理だ。
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最後はアカサキ沢。やっと普通の名前になった。
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だんだん、岬が近づいてきたような気がする。
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空も開けてきた。
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「魹崎燈臺」と書かれた標柱も出現。
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最東端の碑との分岐を通過。
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ここには北の重茂漁港からも遊歩道が通じているらしいが、現在は通行止めのようだ。
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やった、やっと灯台にたどり着いた。1時間10分近くかかった。
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なんだか南国のようなムードではないか。
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ここは1957年(昭和32年)に公開された映画「喜びも悲しみも幾歳月」(木下恵介監督)の舞台である。
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この灯台で7年を過ごした灯台守の妻、田中キヨの手記をもとに製作されたという。
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おお、またしてもさんふらわあ号。
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今度は苫小牧に向かう船だ。
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魹ヶ崎は北緯39度32分、東経142度04分。
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東京が東経139度46分なので、2度58分東にあることになる。
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(つづく)

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三陸の旅(4)

【2018年11月23日(金)】三陸の旅
岩手県岩泉町の龍泉洞を見学中。
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二つ並んだ石柱。ピエロの足首のようだ。
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青く透き通っているのは、「長命の泉」。
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そしてコウモリの穴。
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ここにはコキクガシラコウモリという種類のコウモリがたくさん棲息しているそうだ。
夕方になると一斉に飛び出し、外で虫などを捕え、明け方までにまた戻ってくるのだという。
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そろそろ冬眠の時期なのかもしれない。

出口が近づいてきた。
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「玉響の滝」を通過して
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見学終了。お疲れ様でした。
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龍泉洞には32年前に来ているのだが、全く記憶にないので、とても新鮮だった。
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とくに地底湖の深さには驚いた。

ちょっと休憩所におトイレへ。
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岩泉町のマスコットキャラクター、龍泉洞の「龍ちゃん」と「泉ちゃん」が迎えてくれた。
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両方ともイニシャルが「R」なのが、ちょっと気になる。

岩手県と言えば、南部せんべい。
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この後の目的地は、浄土ヶ浜なのだが、その前に岩泉駅に立ち寄った。
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岩泉線は2014年4月1日に廃止されたが、駅舎はまだ残っていた。
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前回訪ねたのは震災1年後の2012年3月11日。
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その前の2010年7月31日に台風による土砂崩れが発生。
脱線事故が起きて以来、不通のままになっていた時だった。
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あの時は、廃止か存続かで揺れていた頃だ。
当時のステッカーがまだ、駅舎の扉に貼られたままだった。
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結局、廃止となり、当然だが駅名標もはずされていた。
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残っている時に訪ねておいて、よかった。
DSC_6863b.jpg(2012年撮影)

ただ、岩泉線の列車に乗ることができなかったのは、返す返すも残念だった。
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岩泉線は1942年(昭和17年)に小本線として、茂市~岩手和井内間10kmが開通。
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実質70年に満たない寿命だった。
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レールも外され、路盤も草に覆われつつある。
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晩年は輸送密度が50人以下。
2013年の運賃収入はわずか300万円で、JR東日本では最大の赤字路線だった。
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会社としては廃止したくて仕方なかったところに、災害が発生し、ある意味好都合だったに違いない。
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構内で唯一残されていたレール。
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駅舎は岩泉町商工会が事務所として利用しているので、JRとしては一応、家賃収入だけはあるはず。
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しかし、維持管理費と家賃のバランスがとれなくなれば、取り壊しもありうるだろう。
残してほしい駅だが、問題は町民の熱意。難しいかもしれない。

駅前には、「女啄木」と呼ばれた岩手県出身の歌人西塔幸子(1900~36年)の歌碑があった。
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「紺碧の水わくところ天そそる城とぞみらむ大き岩かも」。龍泉洞を詠んだ歌である。

小本に向かう途中、正面に見えた尖峰は缼山(382m)の前山と思われる。
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小本に出て、国道45号を南下していると、「鮭・あわびまつり」の幟がはためいているのが目に飛び込んできて、思わず突入してしまった。
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場所は道の駅たろう。会場は大賑わいである。
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知らない人だけど、演歌歌手・瀬口侑希の歌謡ショーが行われていた。
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無料で、あわびの刺身なんかが振舞われることを期待していたのだが、さすがにあわびは2割程度安く売っているだけ。
無料で配っていたのは鮭汁だが、限定500食とのことで、すでに完売していた。
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すごすごと引き返す。
収穫は、売店で久々に能年玲奈(今は「のん」)の姿を見かけたことくらいだった。
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寄り道していたら、すっかり遅くなってしまった。浄土ヶ浜へ急ぐ。
着いたのは15時過ぎ。浜はすっかり日蔭になってしまっていた。
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少し沖の方には、まだ日が当たっているのだが。
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手前の岩たちは白肌どころか、もう黒っぽくなっている。
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浄土ヶ浜は、約5200万年前の古第三紀に形成された火山岩からなる白い岩塊で外海と隔てられた入江で、日本庭園のような景観を形づくっている。
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その名は、天和年間(17世紀後半)に、宮古山常安寺の霊鏡竜湖(1727年没)が「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことにちなむとされている。
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入り江を利用した海水浴場は環境省の「快水浴場百選」に選定されているほか、かおり風景100選、日本の渚百選、日本の白砂青松100選などにも指定されている。
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記憶では、ここは白浜のイメージだったが、浜は砂ではなく、小石だったことにちょっとびっくりした。
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南の方の岩塊はまだ日が当たっていた。
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ボートの方々は青の洞門めぐりだろうか。
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条件は悪かったが、何度見ても美しいところだ。
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時間が早ければ、もっとゆっくりしたかった。
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かの宮沢賢治は1917年(大正6年)7月にこの地を訪れ、「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」と歌った。
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このレストハウスは2010年4月の開業。
その翌年に津波で被災し、再開したのは12年7月だったという。
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浜の北側には、1960年チリ地震の津波記念碑が立っていた。
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その記念碑前あたりからの眺め。
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これはレストハウスの上の展望台から。
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これらの岩の列は自然の防波堤ではあるが、津波を防ぐことはさすがにできない。
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並び方としては南紀の橋杭岩と似ている気もする。
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レストハウスで特産品などを物色。
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宮古~室蘭のフェリー就航を記念して、海の幸カレー味噌ラーメンなるものがレストランで供されていた。
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店先には、新巻鮭が大量に吊るされていた。圧巻。
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最後は、お決まりの顔ハメで締めた。
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というわけで、本日の観光は終了。

予約してあった、大槌町の小川旅館に向かう。
実は、このあたりでは唯一の温泉である山田町の光山温泉とどちらにするか迷ったのだが、小川旅館は被災した後も頑張っているという話もあり、魚料理が美味しいという口コミを信じて、後者に決めたのであった。
温泉でないのが、かなり減点だったのだが、まあ食事にかけよう。
宿には暗くなる寸前の16時半頃に到着。
DSC_4830_20181203082530860.jpg(翌朝撮影)

常連客から応援のために送られたのか、ぬいぐるみがやけに多い宿だった。
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新井満も泊まったことがあるようだ。
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お部屋は2階。
大相撲を見るべく、テレビを付けようとしたが、電源が入らない。
リモコンの電池が切れているのかと思って開けてみたら、電池が液漏れを起こして、さび付いていた。
最近、この部屋に泊まった方々は、テレビは見なかったのだろうか。
とにかく、ご主人に電池の交換をお願いして、やっと見ることができた。
お風呂はとくに温泉ではなかったので撮影せず。
狭い風呂に先客が2人もいて、ちょっと居心地が悪かった。

18時。いよいよ待ちに待った夕食だ。
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ひとつひとつ見ていこう。
カツオとタラ、ホタテのお造り。
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これはブリ。
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イカと大根の煮物。
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カニとキュウリの酢の物。
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もずくとイクラにホヤ。
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わかめ入りの餃子。
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さすがにどれも新鮮かつ美味であった。
お鍋もあったので、満腹でご飯は食べられず。
ビールと地酒もいただき、もうお腹はパンパン。
部屋に戻ったら、あっという間に寝てしまった。

(つづく)
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三陸の旅(3)

【2018年11月23日(金)】三陸の旅
三陸鉄道北リアス線の鳥越駅跡を訪ねている。
ここに来るのは1986年以来3回目だ。
このモニュメントは、旧駅舎をイメージして建てたものだろう。
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かつては、こんな駅舎であった。
鳥越駅(1986年撮影)

現在の駅は旧駅舎から北に100mほどの位置に再建された。
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駅の愛称「カルボナード」は、宮沢賢治の童話「グスコーブドリの伝記」の舞台のひとつ、カルボナード火山島に由来するとのこと。
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新駅が着工したのは被災してから2年半も経った2013年12月であった。
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翌年4月6日に小本(現・岩泉小本)~田野畑間が営業を再開して、北リアス線は被災から3年を経てようやく全線が復旧した。
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線路は津波に流された鉄橋の代わりに築かれた防潮堤の上に敷かれている。
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開通した時点で、駅舎はまだ完成しておらず、新駅が供用を開始したのは、14年7月27日だった。
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現在は1日11往復が運行されている。
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待合室を覗くと、吉村昭の著作(文庫本)が並んでいた。
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吉村氏が、中編ルポルタージュ「三陸海岸大津波」の著者であることにちなむのだろう。

三陸鉄道支援を応援する「キット、ずっとプロジェクト」(ネスレ)に、横綱白鳳と志村けんが協力しているらしい。
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こんな顔ハメがあったので参戦。
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それでは、鵜の巣断崖に向かいましょう。
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鳥越駅から10数分で到着。
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駐車場に車を停めて、アカマツ林の小路を進む。
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路傍に、吉村昭の文学碑がひっそりとたたずんでいた。
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太宰治文学賞受賞作「星への旅」の一節が刻まれているが、ここが舞台の一つになっているのだろうか。
若者の集団自殺を扱った作品だそうだが(作品は読んでいない)。

5分ほどで展望台に着いた。
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32年前に訪れた時と同じ看板が立っていた。
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展望台からは、高さ150mに及ぶ断崖絶壁が延々と続いているのが見える。
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ここも北山崎と同様、隆起海岸である。
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写っているのは、松島と島の越漁港。
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はるか北に矢越岬が望めた。
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それら全景。
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山もいいが、海もいい。とくに岩があると。
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奥に見えるのピークは、大峰山(348m)と思われる。
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ちょっとだけ南側の柵を越えて、下を覗いてみた。
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海の色がめちゃめちゃきれいだった。
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こうした岩塔があちこちに突き出しているのも三陸海岸の特徴だろう。
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鵜ノ巣断崖の名は、断崖の中腹にウミウやカワウの営巣地があることから名付けられたそうだ。
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地形の変化に富んでいる北山崎と比べると、ここは単調とも言えるが、その分、あまり観光開発されていないのがよかった。
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このあとは岩泉町の龍泉洞を見にいくので、途中にあった道の駅いわいずみで昼食。
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辛味噌麻辣麺をいただいた。
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岩泉特産の龍泉洞黒豚を使用しているということで、これを選んだのだが、見た目ほど辛くもなく、実に美味しかった。

出発して15分ほどで龍泉洞に到着。
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入洞料1000円を支払って、さっそく潜入する。
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この時期は、洞内の方が外よりずっと暖かい。

龍泉洞は日本三大鍾乳洞のひとつだ。
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洞内に棲むコウモリとともに国の天然記念物に指定されている。
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龍泉洞の長さは、すでに知られているところだけで、3600m。
そのうち700mが公開されているという。
調査は今も続いており、総延長は5000m以上にもなると考えられているそうだ。
奥からは地下水が大量に湧き出ていて、地底湖は8か所確認されている。
そのうち、第三地底湖の水深は98m。
未公開の第四地底湖は国内で最も深い120mもあり、世界有数の透明度を誇る。

龍泉洞と清水川を挟んで東側にあるのが龍泉新洞。
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そちらにも新洞科学館から入って見学することができるが、今回は時間の関係もあり、龍泉洞だけにさせていただいた。

入洞して、まず迎えてくれるのが、「長命の淵」。
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とくに青くライトアップされているわけではないのだが、スマホで撮るとなぜか、こうなってしまった。

天井の高い「摩天楼」を進む。
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しばらくは、右手に湧き水が流れる「百間廊下」。
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「玉響の滝」をへて
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「龍宮の門」をくぐる。
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鍾乳石の造形が生々しい。
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右手に「亀岩」。
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青の洞門?
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「洞穴ビーナス」。ビーナスに見えなくもない。
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石筍の「地蔵岩」。石筍は1cm成長するのに100年かかると言われている。
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「音無の滝」
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「月宮殿」
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「守り獅子」。目を凝らして見ると、そんなふうに見えてくる。
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すこし階段を登ると第一地底湖(水深35m)。
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龍泉洞は大量の湧水のため、なかなか奥深くまでは入れなかったが、1920年代から本格的に探検が始まり、小舟を浮かべての観光も行われるようになった。
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第一地底湖の調査が初めて行われたのは1959年(昭和34年)のことだったという。

すぐ先に第二地底湖(水深38m)。
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この地底湖は、1962年(昭和37年)に越智研一郎氏による潜水調査で確認された。
龍泉洞地底湖の水は、北部の森林地帯に降った雨を集めたもので、最も遠い地点で約14km離れており、集水面積は約43平方キロに及ぶという。

さらには第三地底湖(水深98m)。
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これは1967年の調査で発見された地底湖で、観光コースとしては終点にあたる。
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この先、階段でかなり上まで登らされる。
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全部で165段あるそうだ。
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お年寄りなどは大変だろうが、この鍾乳洞の高低差は180mもあるというのだから仕方がない。
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途中に山ぶどうワインの貯蔵庫があった。
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「フローンストーンの滝」と呼ばれる場所だが、何だかよく分からない。
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本当にコウモリが出てきそうなところだ。
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階段を登り詰めたところが「三原峠」。気温は12℃まで上がっている。
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石筍発見! その右後ろに禿げた老人がいるのは分かるだろうか。
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まるで映画のセットのようだが、こちらの方が本物だ。
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青の宮殿。
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鍾乳石と石筍がつながった石柱。何万年かかってできたのだろう。
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鍾乳石が結構折られている。
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発見当初、記念に持ち去った人がいるのかもしれない。

ライトアップしているところは、苔のようなものが生えて、黒く変色していた。
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(つづく)
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三陸の旅(2)

【2018年11月23日(金)】三陸の旅
三陸海岸北部の北山崎に来ている。
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第一展望台から南の海岸を望む。
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拡大してみよう。特徴的な矢越岬がよく見える。
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この望遠鏡は残念ながら故障中。望遠カメラがあるからもともと使わないけど。
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第二展望台へはかなり下らなければならないが、行ってみることにした。
道すがら、北側の半島に第三展望台が見えた。
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海が青い。
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遊歩道からの眺め。第一展望台からより、ちょっと近づいた気がする。
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10分弱で第二展望台に到着。
高さ200mの大海食崖が連なるここの景色は、日本交通公社による全国観光資源評価の「自然資源・海岸の部」で唯一の特A級に格付けされているという。
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こんな感じだもの、誰も文句は言うまい。

断崖を構成しているのは、黄褐色の塩化鉄や酸化鉄が含まれる火山砕屑岩だそうだ。
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ミサゴの営巣地でもある。
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第二展望台から戻る途中、鞍部には分岐があって、そこから波打ち際まで行くことができる。
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さらに下るわけだが、ついでだから思い切って行ってみることにした。
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標高20mほどのところに展望スポットがあった。
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ここから陸側に滝が見えた。
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名前がある滝なのかどうかは分からない。

この展望台からの南の眺め。低いところから見るのも、海が近い分、迫力がある。
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滝の近くまで行って、海岸方面を振り返ってみた。
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波が激しいのか、岩には空洞が多い。
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まさに岩の殿堂である。岩の殿堂は山だけでなく海にもあるのだ。
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波打ち際まで行けると標識には書いてあったが、その直前で立入禁止になっていた。
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しかし、自己責任で前進。
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コンクリートの階段を下る。
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その下にはコンクリートの桟橋もあった。
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でも、さすがに桟橋の上まで行くのは止めておいた。
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かつては、あそこから小舟を出したりしていたのだろうか。
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入江はかなり入り組んでいる。
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褶曲のような文様。これはすごい。
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断崖の上には松の木が生えていて、実に日本的な風景だ。
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本当に高波が来ると危ないので、長居は無用。
早々に退散する。
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階段が破損しているのは震災の時の津波によるものか、それともその前からなのか。
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いずれにしろ、あの程度の損傷で済んだということだ。

帰りは下りてきた長い階段を延々と登らなければならない。
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暑くてダウンを脱いでしまった。

まだ、海沿いは紅葉が比較的残っている。
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紅葉と矢越岬。ちょっと得した気分だ。
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沖合を近海郵船のフェリーが行く。
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近海郵船のフェリーは貨物専用で、苫小牧から常陸那珂を結んでいる。
船は「ましう」か「まりも」だろう。

波打ち際から20分ほどで第一展望台に戻ってきた。
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ついでなので、第三展望台まで足をのばしてみた。
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展望台は木が腐って踏み抜く危険があるとのことで、立入禁止になっていたが、用心しながら登ってみた。
でも、見えたのは、これだけ。
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ここまでは来る必要はなかった。
ただ、説明板によると、北山崎は地盤沈下や海面上昇によってできるリアス式海岸ではなく、地盤隆起、海面低下によってできた隆起海岸なのだそうだ。
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ギザギザの海岸はみなリアス式だと思っていたが、生成のあり方で区別されているとは知らなかった。

もう9時を過ぎて、ビジターセンターが開いていたので、ちょっと立ち寄ってみた。
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中には「三閉伊一揆」のポスターが貼られていた。
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ペリーが来航した1853年にこの地で起きた百姓一揆で、百姓側の全面勝利で終わったそうである。
大仏次郎の「天皇の世紀」で紹介されているらしいが、全く知らなかった。
まったく知らないことだらけである。

駐車場に戻る道すがら、地味な記念碑を発見した。
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1962年(昭和37年)に北山崎に通じる車道が開通したことと、1970年に北山崎レストハウスが開業したことを記念して、同社の創業者である熊谷勝支さんが2013年に建立したものだ。

その近くで、勝支さんのお嬢さんと思われる女性が掃除をしていたので声をかけて、ソフトクリームを頼んだ。
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さっきはこんなに寒いのにと思っていたが、海岸から標高差200mを一気に登り、第三展望台まで往復したら、汗をかいてしまったのだ。
黒いのは、ご当地名産、黒昆布のスプーン。
これで食べると、ミルクソフトもほんのり昆布の香りがした。

NHKの朝ドラで一躍有名になった「まめぶ汁」も売っていたので、こちらも味見してみた。
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番組の中で、「おかずかおやつか分からない微妙な食べ物」と言っていたが、その通り全くはっきりしない味だった(笑)。
まめぶ汁とは、クルミや黒砂糖を包んだ団子(まめぶ)を、野菜や焼き豆腐、油揚げ、かんぴょうなどともに昆布と煮干しの出汁で煮込んだ、この地域(と言っても、もともとは旧山形村だけ)の郷土料理である。

店の敷地にこんな顔ハメがあったので、撮ってもらった。
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というわけで次の観光スポット、鵜の巣断崖に向かう。
その途中、整備された震災遺構があったので立ち寄ってみた。
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津波で破壊された明戸海岸防潮堤(田野畑村)の残骸である。
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こちらは新しく作られた防潮堤。かなりの高さがある。
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穏やかさを取り戻した美しい明戸浜。
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明戸浜は昔から製塩業が盛んな土地だったらしい。
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津波の高さは17mもあったと推定されている。
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第一波はかつての防潮堤を軽々と乗り越えた。
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防潮堤を破壊したのは、押し寄せる波ではなく、引き波だったそうだ。
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現在の防潮堤は、かつての防潮堤の100mほど後方に築かれている。
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津波は、海の中にあった消波ブロックが200mも移動して防潮堤に乗り上げるほどの破壊力であった。
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残った旧防潮堤の付け根もきれいに切断して保存してあった。
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ここからは南方に鵜の巣断崖が望めた。
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アザラシが泳いでいるかのような美しい海岸であった。
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震災遺構の全景。
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鵜の巣断崖に至る前に、もう一つ震災遺構があった。
三陸鉄道北リアス線の鳥越駅跡である。
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新しく築かれた巨大な防潮堤の海側に大津波追悼記念碑が立っている。
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鳥越駅の出入口への階段が保存されていた。
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これは私がちょうど震災1周年の日に訪ねた時、確認してあったものだ。
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よくぞ保存してくれたと感激した。
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その隣には、これも津波に流されなかった宮沢賢治の詩碑。
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よく見ると、左上の部分が少しだけ破損している。
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宮沢賢治は明治の大津波があった1896年(明治29年)に生まれ、昭和の大津波があった1933年(昭和8年)に亡くなった。
その賢治の詩碑が平成の大津波に耐えて生き残った。
実に不思議な符号である。

(つづく)
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