FC2ブログ

山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

十勝岳(2)

【2018年9月23日(日)】十勝岳
十勝岳(2077m)を登山中。
登山口の望岳台から1時間ほど歩いて、雲ノ平分岐で休んでいる。
DSC_3162_20181001041338d88.jpg

美瑛岳方面の斜面は石だらけである。
DSC_3161_20181001041336637.jpg

前方には避難小屋が見える。
DSC_3160_201810010414080cc.jpg

ザックが重くて、今日はもうあそこで泊まってしまいたくなるほどだ。
DSC_3159_20181001041406fd7.jpg

5分ほどで出発。
DSC_3163_2018100104134048f.jpg

これは泥流が削られた跡だろうか。
DSC_3164_20181001041341282.jpg

ぽこんとした硫黄の山を発見。噴気の噴き出し口だったのだろう。
DSC_3165_20181001041342fca.jpg
かつて十勝岳では中央火口丘付近から良質な硫黄が採掘されていたが、1962年の噴火で施設が被害を受けたことなどから廃鉱となったらしい。

下界はだいぶ晴れてきた。早く頂上の雲も取れてほしいものだ。
DSC_3166_20181001041306545.jpg

白金温泉のホテル群が朝日を浴びて光っている。
DSC_3167_20181001041307b3f.jpg

十勝岳避難小屋はもともと雲ノ平分岐のすぐそばに設置されていたが、2006年の春、大雪のため破損。管理者の道は予算の関係で建て替えを断念し、9月に解体した。
その後、地元の美瑛町が2008年10月、旧小屋の少し上、標高1300m付近に再建して現在に至っている。
DSC_3168_201810010413083b9.jpg

下界はみるみる晴れていく。
DSC_3169_20181001041310f27.jpg

分岐から十数分で、避難小屋に到着。休憩がてら覗かせてもらった。
DSC_3170_20181001041312bbb.jpg

中には、ヘルメットなどが備え付けられており、完全な防災小屋だ。
DSC_3171_2018100104123268f.jpg

壁には、再建にあたって寄付した方々のご芳名が記録されていた。
DSC_3172_20181001041233706.jpg
旭川山岳会や美瑛山岳会などの団体に混じって、山岳写真家の市根井孝悦の名もあった。

5分で出発。外に出ると、吹上温泉の白銀荘の姿が確認できた。
DSC_3173_20181001041235a1c.jpg

こちらは望岳台の防災シェルター。すっかり晴れている。
DSC_3174_201810010412369b0.jpg

かすかに虹が。
DSC_3175_20181001041238c55.jpg

白金模範牧場の手前の赤い屋根は、高校時代、十勝岳に登った時に泊まった「国立大雪青少年交流の家」。
DSC_3176_20181001041156f72.jpg
我々が泊まった頃(1978年)は、国立大雪青年の家と呼ばれていたはず。
2001年に独立行政法人国立青年の家の一機関となり、06年に国立青少年教育振興機構国立大雪青少年交流の家に改編されたという。
ちなみに開設されたのは1966年で全国4番目の「青年の家」だったそうだ。
わりと軍隊式の「教育」をしており、「青年の家」の歌を覚えさせられた。
私の代は学生紛争の影響で、母校の校歌は教えてもらえず、覚えないまま卒業してしまったが、全校生徒が歌えるのが、この「青年の家」の歌なのだ。
「白樺の~林をゆけば~とかあちいだあけ~雲間に呼ぶよ~♫」

うれしいことに、自分たちがいるところにも陽が射してきた。
DSC_3177_2018100104115861a.jpg

これから徐々に晴れていくものと、この時は信じで疑わなかった。
DSC_3178_201810010411598a8.jpg

前十勝岳(約1795m)にもかつては登山道があったらしい。
DSC_3179_20181001041202471.jpg

現在は通行止めになっており、山スキーのメッカになっている。
DSC_3180_20181001041202fed.jpg

我々は前十勝とは逆の左方向に舵を切って
DSC_3181_201810010411307b1.jpg

尾根へと取り付く。
DSC_3182_2018100104113199a.jpg

実はここまで歩いてきたあたりには、かつて国設十勝岳スキー場があったという。
DSC_3183_201810010411336b5.jpg

しかし、1988年の噴火の影響で閉鎖され、5年後に再開されたが、2シーズン営業したのみで再び休止。99年には廃止され、リフトも撤去されてしまった。
DSC_3184_20181001041134bb4.jpg
しかし、定期的に噴火し、泥流が発生するようなところに、よくスキー場など作ったものだと思う。

尾根への取り付きは急斜面の上に、かなりのガレ場である。
DSC_3185_20181001041136ba0.jpg

避難小屋から10分以上経つのに、まだ200mしか進んでいない。相当な難所だ。
DSC_3186_20181001041103672.jpg

黄色いのはおそらくイタドリ。
DSC_3187_201810010411054e6.jpg

溶岩の壁。
DSC_3188_20181001041106b9a.jpg

晴れてきたのだけが救いだ。
DSC_3189_20181001041108ffc.jpg

白く見えていたのは残雪かと思ったが、白っぽい岩だった。
DSC_3190_201810010411093ab.jpg

巨大な火山弾があちこちに。
DSC_3191_2018100104103618d.jpg

奇岩が林立する斜面だ。
DSC_3192_2018100104103813d.jpg

活火山ならではである。
DSC_3193_20181001041040cd6.jpg
DSC_3195_20181001041042409.jpg

しかし、あまりに歩みが遅く、日帰りの人にどんどん抜かれてしまう。
DSC_3194_201810010410411cd.jpg

ちなみに十勝岳は1989年以降、目立った活動をしていない。
最近では2013年6月に大正火口で発光現象が観察された程度である。
DSC_3196_201810010410048af.jpg

現在、十勝岳の噴火警戒レベルは1(活火山であることに留意)である。
DSC_3197_2018100104100637e.jpg

あれも溶岩の流れた跡であろう。
DSC_3199_20181001041009d93.jpg

かなり新しい気がする。
DSC_3198_20181001041007328.jpg

尾根に乗ったが、この傾斜のまま延々と続く。
DSC_3200_20181001041011ab5.jpg

でも、前方に稜線が見えてきた。
DSC_3201_20181001040937bc6.jpg

時刻は8時半、標高は1500mを超えた。
DSC_3202_2018100104093972e.jpg

しかし、まだ600m以上もある。
DSC_3203_20181001040940bb5.jpg

それにしても、いくら歩いても全く高校時代の記憶がよみがえってこない。
こんなに完全に忘れてしまうものなのだろうか。
DSC_3204_2018100104094261d.jpg

再び、白銀荘。あの近くに、中谷宇吉郎が雪氷の研究のためこもった旧白銀荘があるはずだ。
DSC_3205_20181001040943aaf.jpg

1530m地点で休憩をとる。
DSC_3206_201810010409119d2.jpg

普段なら2時間くらい休まずに歩けるのだが、今日だけは別だ。
定期的に休まないと、本当に動けなくなってしまう。
ここでは8分ほど休んで出発。
DSC_3207_2018100104091207e.jpg

右手にグラウンド火口からの谷が見えてきた。
DSC_3208_201810010409145cc.jpg

グラウンド火口は大正大爆発を起こした火口である。
DSC_3210_2018100104091703c.jpg

相変わらず急斜面が続く。
DSC_3209_20181001040915b7a.jpg
DSC_3212_20181001040840e9e.jpg

風もやや強く寒い。
DSC_3211_2018100104083809c.jpg

1650m通過。あそこまで登れば、傾斜が緩くなるはずだ。
DSC_3213_2018100104084213a.jpg

左手は昭和火口。
DSC_3214_20181001040842c2f.jpg

さっきまで晴れていたのに、とうとうガスの中に入ってしまった。
DSC_3215_20181001040844074.jpg

3時間近くかけて、やっとスリバチ火口の縁にたどり着いた。
DSC_3216_20181001040813d6b.jpg

が、ここからは強風が吹き荒れている。
あまり風を防がないウインドシェルを脱いで、ゴアの雨具に着替えた。
カメラも濃いガスのせいで、すぐに水滴が付いてしまうので、ここでコンパクトカメラに交代した。
なんだかんだで10数分ここで停滞。
CIMG1205_20181001041522d05.jpg

強風の中、出発する。
CIMG1208_20181001041526002.jpg

ここからは幸い緩斜面だ。
CIMG1206_20181001041523e40.jpg

視界は20m程度か。かなりガスが濃い。
CIMG1207_20181001041525e1c.jpg

これじゃあ話が違うぜよ。
CIMG1209_20181001041528f9c.jpg

間もなく、だだっぴろい尾根に差し掛かった。
CIMG1210_201810010414535f2.jpg

道を見失わないよう、石が並べてある。
CIMG1211_201810010414555c9.jpg

ふと左を見ると、谷のような地形が現れた。
CIMG1212_201810010414570db.jpg

知らないうちにスリバチ火口は通り過ぎてしまったようだ。
CIMG1213_20181001041458551.jpg

1850m地点でにわかにガスが晴れ始めた。
CIMG1214_20181001041500485.jpg

あたりは完全な不毛地帯である。
CIMG1215_20181001041427d38.jpg

ニセピークらしきものも見えてきた。
CIMG1216_201810010414299db.jpg

しかし、ものすごい急斜面を見たくもないのに見てしまった。
CIMG1217_20181001041430737.jpg

左手は2008mピークと思われる。
CIMG1218_20181001041432270.jpg

この亀裂がものすごい。
CIMG1219_20181001041433760.jpg

噴火も激しいが、浸食も激しいようだ。
CIMG1220_20181001041402e03.jpg

まさに生きている山である。
CIMG1221_20181001041403b2d.jpg

途中、硫黄の臭いがきつく、せき込むほどのところもあるほどだった。
CIMG1222_201810010414058de.jpg

(つづく)
スポンサーサイト



このページのトップへ

十勝岳(1)

【2018年9月23日(日)】十勝岳
シルバーウイーク後半の3連休は、1泊2日で望岳台から十勝岳、美瑛岳を経てオプタテシケ山まで縦走する計画である。
このプランは高校の同級生H君が、昨年9月の連休ために用意してくれたものだが、その時は天候不順のため中止。日程を短縮して、道北のウエンシリ岳に登った。
そのリベンジということで、今年8月の連休にもう一度設定してくれたが、またしても天気予報はすぐれない。
結局、オプタテシケ山ピストンのみの日帰りに変更して出発したのだが、朝から雨が止まず、緑岳・白雲岳に行き先を変更した経緯がある。
そのまたリベンジということで、この連休に三たび計画されたのだが、地震の影響で私自身の仕事が忙しくなり、あきらめざるを得ない事態に陥った。
それが一転、休みが取れたので、天気予報は今ひとつだったが、決行することになったのである。
まさに三度目の正直である。

直前の天気予報(山テン)によると、初日は午前中こそ雨が残るかもしれないが、次第に天気は回復、2日目は朝のうちは晴れるが、徐々に下り坂ということであった。
当日は午前2時すぎに起床。
準備を整えて、O君の迎えを待った。
今回は水場のない避難小屋泊の予定なので、シュラフやマット、2日分の水と食料等を持たなくてはならない。
とりあえず詰めてみたら、ものすごい重さになった。
水分は炊事用に2㍑、スポーツドリングが2㍑、お茶500cc、焼酎200ccの計4.7kg。これがずっしりと応えることになるのである。

O君は約束通り2:45に到着。彼もかなりの重さになったという。
今夜は小屋でキムチ鍋をする予定なので、その食材も分担して持たなくてはならない。
重さは20kgにはなっていないと思うが、かなり不安だ。
3時にH君宅に到着。2台で登山口のある美瑛町に向かった。
今回は、オプタテシケ山の登山口、涸沢林道奥の駐車場に1台をデポして、十勝岳の登山口である望岳台から登る計画だ。

真っ暗で天気はよく分からないが、少なくとも星は見えない。
札幌ICから道央道に乗って三笠ICで下り、桂沢湖経由で富良野方面へ向かう。
この山道を真っ暗なのに、H君はかなり飛ばす。
スピードが「出ささってしまう」車なのだそうだ。
富良野あたりでだんだん薄明るくなってきたが、十勝連峰は雲に隠れているのが分かって、ちょっとがっかり。
でも、天気予報は回復基調なのだから期待することにしよう。
中富良野町のコンビニでトイレ休憩。
すでに食料は明日の昼の分まで買ってあったので、ここではただ乗りみたいなことになってしまった。申し訳ない。

涸沢林道のゲートには5時半すぎに到着。
DSC_4005_20180930060619aa5.jpg

H君が森林管理局に教えてもらった番号を合わせて、鍵を開け、中に進入する。
DSC_4003_20180930060647369.jpg

林道は駐車場までずっと舗装だった。
林道入口は標高650m、駐車場は820mなので、170mの標高差がある。
3連休の中日ということもあり、車はすでに2台停まっていた。
DSC_4004_20180930060616192.jpg
そのうちの1台の方がちょうど登り始めるところだった。
ここから美瑛富士までは登り5時間半、オプタテシケ山までは7時間半の行程。
日帰りするとなると、いずれもかなりの長丁場である。
こちらは、H君の車をデポして、望岳台へ。

望岳台には6時すぎに到着。駐車場はかなりの空きがあったので余裕で停められた。
DSC_4008_2018093006062300d.jpg

まだ山の上の方はガスがかかっており、美瑛富士(1888m)しか見えない。
DSC_4006_201809300606200e3.jpg

肝心の十勝岳(2077m)もすっかりガスの中である。これから晴れてくれるのだろうか。
DSC_3115_201809300610077ac.jpg

ほぼ準備が整ったところで、防災シェルターに寄って、排出を試みたが不発に終わった。
DSC_4007_201809300606217c0.jpg

美瑛富士がくっきり見えることに気をよくして、6:15すぎに出発した。
DSC_3116_20180930061009ffc.jpg

十勝岳に登るのは実に40年ぶりである。
DSC_3117_20180930061010fe0.jpg

1978年、高1の時の学校行事で登ったことがある。
確か時期は6月だったので残雪もかなりあったはず。
そんな山にズック靴のまま全校生徒を登らせていたなんて、おおらかな時代だった。
今なら安全が確保されないとして、絶対に挙行されないだろう。
DSC_3119_201809300610133ca.jpg

振り返ると早くも上富良野の町並みが見える。日が当たっているところもあるのがうれしい。
DSC_3118_20180930061012725.jpg

それにしても背中のザックがめちゃめちゃ重い。
DSC_3120_20180930060943e2f.jpg

望岳台は標高935m。
DSC_3121_20180930060945235.jpg

十勝岳山頂までの標高差は1100m以上もある。
そんな標高差に耐えられるのだろうか。
DSC_3122_201809300609463ef.jpg
昨年4月に屋久島の宮之浦岳に登った時も同じくらいの重さをかついだはずだが、こんなに重くは感じなかった。
感覚としては、5年前に飯豊連峰を縦走したときの重さに匹敵するが、あの時はだんだん慣れていったから、たぶん今回も大丈夫なのだろう。
(実はそう甘くはなかった。へとへとになった上に、下山後アキレス腱炎を発症してしまった)

十勝岳は早くも火山の様相を呈してきた。
DSC_3123_201809300609484b7.jpg

これは溶岩が流れた痕跡なのだろう。
高校の時の記憶はほとんどないので、初めて見たといってもいい景観だ。
DSC_3124_2018093006094939d.jpg

5分ほど歩いたところに、「望岳台」の巨大な石碑があった。
DSC_3125_20180930060917fc1.jpg

当然、十勝岳を望む場所なのだが、あいにくガスの中だ。
でも、左手には美瑛富士のとなりの美瑛岳(2052m)が姿を現してきた。
DSC_3126_20180930060919daf.jpg

ここから見ると、美瑛岳はかなり尖った山である。
DSC_3131_201809300608532b5.jpg

右手に見える台形状の山は三段山(1748m)。
DSC_3128_20180930060922fea.jpg

左後方は旭川方面である。
DSC_3129_20180930060924347.jpg

溶岩流の跡の上を水が流れている。
DSC_3127_201809300609208c0.jpg

足元にはこの前の樽前山同様、シラタマノキが咲いていた。
DSC_3130_20180930060852b88.jpg

前方の十勝岳は見えそうで、まだ見えない。
DSC_3132_20180930060855378.jpg

しばらくは緩斜面なので、今のところ何とか歩けている。
DSC_3133_2018093006085690c.jpg

背後に広がる方形の緑は白金模範牧場。
DSC_3134_20180930060858b03.jpg

下界は少しずつ晴れ間がのぞいているように見える。
DSC_3135_20180930060826f8a.jpg

登山道からちょっと離れたところに石碑があった。
DSC_3136_20180930060828387.jpg
普段なら隊列から離れて、なんの碑なのか確認に行くのだが、今回は体力温存のため、望遠で撮影するだけにしておいた。
帰宅後にPCで拡大してみると、「大正大爆発丸谷温泉遭難者慰霊碑」だった。
大正大爆発とは1926年(大正15年)5月24日の大噴火のこと。
この噴火による泥流で、現在の望岳台にあった丸谷温泉が一瞬にして流失し、温泉主の丸谷吉之助、次男吉幸、三男政幸の3人が犠牲になった。
ちなみに、4時間後に起きた2回目の噴火で、現在の白金温泉近くにあった畠山温泉も被害を受け、4人が亡くなったという。
この年の一連の噴火で発生した大規模な泥流は29km先の美瑛まで達し、死者行方不明者144人に及ぶ大惨事となった。
三浦綾子の小説「泥流地帯」のこの時の被害を題材としたものだ。

今は十勝岳も小康状態を保ってくれているので、こうして登山を楽しめるわけだ。
DSC_3137_20180930060830d63.jpg

黒いスコリアと白いシラタマノキ。
DSC_3138_20180930060831972.jpg

標高は現在1000mほどだが、噴火の歴史が新しいためか灌木しか生えていない。
DSC_3139_20180930060833ff3.jpg

右前方は前十勝岳(約1795m)。
DSC_3140_20180930060801486.jpg

出発して40分ほどで、吹上温泉白銀荘への分岐を通過。
DSC_3141_20180930060803ead.jpg

ここから白銀荘までの道には、九条武子の歌碑や十勝岳爆発記念碑などいくつか石碑があるようなので、ちょっと遠回りだが、今度十勝岳に登ることがあったら、吹上温泉から登ってみたい。
DSC_3142_20180930060804fd9.jpg

黄色いペンキの道しるべ。望岳台は判読できるが、行く先が分からない。
おそらく、「十」が消えて「勝岳」の一部だけ残っているということなのだろう。
DSC_3143_20180930060806f3b.jpg

左手に涸れ沢。
DSC_3144_201809300608072d1.jpg

表層は火山灰なのでいとも簡単にえぐれてしまう。
DSC_3145_201809300607354f5.jpg

イタドリの紅葉。
DSC_3146_20180930060737dfa.jpg

角はないが、サイの後姿のような赤い岩があった。
DSC_3147_20180930060738eeb.jpg

黒い火山噴出物もたくさん。
DSC_3148_201809300607404e8.jpg

溶岩流が削られ、断面をさらしていた。
DSC_3149_20180930060741d19.jpg

前十勝岳は見えるが、依然として山頂は姿を現さない。
DSC_3150_2018093006071029a.jpg

登山道周辺はいかにも火山らしく荒涼とした雰囲気だ。
DSC_3151_201809300607128a4.jpg
DSC_3152_2018093006071391d.jpg

望岳台の文字がさかさまになっている。岩が起き上がったのだろうか。
DSC_3153_201809300607151c2.jpg

十勝岳にも金庫岩。
DSC_3154_20180930060716f78.jpg

望岳台から1時間5分で、美瑛岳へ行く道との分岐(雲ノ平分岐)に到着。
DSC_3155_2018093006064148a.jpg

コースタイムは1時間なので、それほど遅れてはいない。
DSC_3156_201809300606432d3.jpg
2kmを1時間ならまずますのペースだ。
でも、さすがに疲れたので、ここで小休止。
また持ち上げるのが面倒だが、ザックを下ろした。

ここから美瑛岳までは3時間半の道のり。十勝岳までは3時間5分だ。
DSC_3157_201809300606441f0.jpg

雲ノ平とは、美瑛岳に行く途中にある高原の名称である。
DSC_3158_201809300606465e4.jpg
そちらの方面に向かう若者のパーティーの姿もあった。

(つづく)
このページのトップへ

定山渓天狗岳(5)

【2018年9月18日(火)】定山渓天狗岳
定山渓天狗岳(1145m)から下山して、定山渓温泉に到着した。
「鹿の湯」の駐車場から豊平川をはさんで、定山渓万世閣ホテルミリオーネを望む。
DSC_4049_20180928215129564.jpg

こちらは章月グランドホテル。
DSC_4052_201809282151314a8.jpg

同じく駐車場から、豊平川の上流方面。
DSC_4056_201809282151344c0.jpg
右奥は定山渓グランドホテル別館福寿苑、左奥は定山渓グランドホテル瑞苑。

そして、これが鹿の湯。
DSC_4054_20180928215132aa0.jpg

では、さっそくお邪魔しましょう。
DSC_4057_20180928215136501.jpg

日帰り入浴は夜8時まで。
DSC_4058_201809282151020f4.jpg

現在、地震による観光客激減から盛り返そうと、温泉街挙げて入浴料の半額セールを実施中。
DSC_4060_20180928215105c64.jpg

ここは正規料金が820円なので、410円で入ることができた。
DSC_4061_20180928215106447.jpg

鹿の湯の大浴場はかなり広かった。
DSC_4062_201809282151083d7.jpg
39℃とぬるめに設定してある湯船に浸かって、ゆっくり汗を流した。

定山渓温泉は、無意根山系の地下水が、地下2000mほどにあるマグマの熱で加熱され、豊平川に噴出してきたもので、無色透明のナトリウム-塩化物泉である。
DSC_4064_201809282150370a7.jpg
鹿の湯の源泉は69.7℃で、phは6.9。ほぼ中性だ。

定山渓名物「鹿の湯まんじゅう」は売店が開店前だったので購入できず。
DSC_4059_20180928215104561.jpg

入浴後、ちょっとだけ温泉街を散策してみた。
定山渓温泉には「かっぱ伝説」があるそうで、かっぱがマスコットになっていた。
DSC_4066_20180928215039c7c.jpg

豊平川の向こうに章月グランドホテル。左下は鹿の湯。
DSC_4067_2018092821504019e.jpg

定山渓グランドホテル瑞苑。
DSC_4069_201809282150424c9.jpg

定山渓ホテル。
DSC_4070_201809282150436fd.jpg

定山渓ホテルの前庭には、定山渓温泉を開いた美泉定山(1805~77年)の像が立っていた。
DSC_4072_201809282150118a9.jpg

定山は岡山県生まれの修験者で、1853年(嘉永6年)に48歳で北海道へ渡り、江差、瀬棚を経て、1866年(慶応2年)、61歳の時に小樽の張碓に移り住んだ。
この年、豊平川上流に温泉が湧出しているとの話を聞き、アイヌの若者を先導に現地に入り、後に湯治場を設けた。そのうち「三の湯元」と呼ばれる源泉が、現在の定山渓ホテルの浴場だそうだ。
ここの温泉については、幕末の探検家・松浦武四郎の紀行文にも登場するが、温泉宿を営むきっかけを作ったのは定山であり、「定山渓」の名前の由来となった。
温泉街にある定山寺も定山の開山である。
定山は1870年(明治2年)頃、「平民苗字許可令」の発令に伴い、苗字を温泉にちなみ「美泉」とした。
1871年には、開拓使判官の岩村通俊より、「湯守り」に任じられ、1876年には現在の道道1号線となる小樽と定山渓を結ぶ山道開発に携わった。
DSC_4071_201809282150090a5.jpg

定山渓ホテルの向かいは定山渓物産館とホテル「花もみじ」。
DSC_4073_20180928215012d73.jpg

橋を渡って、国道側に戻ると、正面の崖に「湯の滝」があった。
DSC_4074_201809282150149c5.jpg

ここからミリオーネの方に登っていく階段は湯けむり坂。
DSC_4075_20180928215015235.jpg

反対側、章月の方に向かう車道が見返り坂である。
DSC_4076_201809282149287f4.jpg

見返り坂のすぐ下に定山渓源泉公園があった。
DSC_4077_20180928214929b71.jpg

そこでは、お母さんや女の子たちが足湯を楽しんでいた。
DSC_4078_20180928214932bdd.jpg

奥には定山の坐像。
DSC_4079_201809282149330d7.jpg

病に悩む人を祈祷と温泉で救おうとした方と紹介している。
DSC_4080_201809282149355b0.jpg

それにしても、なぜが女性ばかりだった。
DSC_4081_20180928214904973.jpg

ここの源泉は37.1℃で、phは6.6であった。
DSC_4082_2018092821490675d.jpg
今回はこれで切り上げて帰宅した。
今度はまた別のホテルの温泉に入ってみたい。
定山渓はまた、ゆっくり散策しようと思っている。

(おわり)
このページのトップへ

定山渓天狗岳(4)

【2018年9月18日(火)】定山渓天狗岳
定山渓天狗岳(1145m)から下山中。
DSC_3026_20180928212957b5d.jpg

頂上直下のルンゼを何とかクリアして、登りの時とは違ったものに注目して歩く。
DSC_3027_20180928212958153.jpg
DSC_3028_20180928213000a25.jpg

第2峰との鞍部「ウエストコル」に差し掛かる。
DSC_3029_201809282130014e8.jpg

鞍部はササ原になっている。
DSC_3030_20180928213003911.jpg

幹が大きく曲がったダケカンバを迂回。
DSC_3031_20180928212923e17.jpg

無意根山(1464m)。
DSC_3032_201809282129251e9.jpg

この先は危険です。
DSC_3033_2018092821292636d.jpg

なので、近づかずに望遠で。
DSC_3034_20180928212928c52.jpg

それにしても、この壁は見事。まるで城塞のようだ。
DSC_3035_201809282129291e5.jpg

鋭利な刃物でスパッと切り落としたかのような景観である。
DSC_3036_20180928212847af4.jpg

地質的にはハイアロクラスタイトと呼ばれる火山岩だ。
DSC_3037_20180928212848546.jpg

20分ちょっとで500m下ってきた。
DSC_3038_20180928212850140.jpg

熊ノ沢源流部の石舞台。
DSC_3039_2018092821285147f.jpg

この先で、単独の男性とすれ違った。もう13時を過ぎている。
かなり遅いスタートだ。
DSC_3041_201809282128542bf.jpg

涸れ沢をどんどん下っていく。
DSC_3043_20180928212750f20.jpg

ここで一旦沢を左に離れる。
DSC_3044_20180928212751fd2.jpg

登りの時に不可解に思ったここのテープは、沢をこのまま下らないようにするためのものだったことが分かったので、ちゃんと進路が明確になるよう張り直しておいた。
DSC_3045_20180928212753f3d.jpg

沢に水が流れ始めた。
DSC_3046_20180928212754c6f.jpg

頂上から45分ほどで1.2km下ってきた。
DSC_3047_20180928212756d83.jpg
標高は670mではないが、ここがどうやら二股らしい。

登りでは見かけなかったキノコたち。
DSC_3048_201809282127243b6.jpg
DSC_3049_20180928212725f40.jpg

輝石安山岩の黒壁と再会。
DSC_3050_201809282127276bb.jpg

細かい柱状節理になっている。
DSC_3051_201809282127283fb.jpg

1時間ほど経過したので、この倒木に腰掛けて、ひと息入れた。
DSC_3052_20180928212730885.jpg

小滝と流木。
DSC_3053_201809282126296c0.jpg

登山道が浸水しているところもあった。
DSC_3054_20180928212631edd.jpg

柱状節理とナメ滝。
DSC_3055_20180928212632c56.jpg

滝壺。
DSC_3056_20180928212634944.jpg

ラショウモンカズラ。
DSC_3057_20180928212635a8c.jpg

最初の高巻き地点まで戻ってきた。
DSC_3058_201809282125543d1.jpg

沢沿いに進まないよう通せんぼの丸太たち。
DSC_3059_20180928212556d80.jpg

高巻きも難なくクリア。
DSC_3061_20180928212558dfa.jpg
DSC_3062_20180928212559486.jpg
この先はもうだらだらの下りになる。

柔らかそうなサルノコシカケ。
DSC_3063_20180928212601659.jpg

それにしても、なぜこんな半端な数字の標識を作ったのだろう。
DSC_3064_2018092821252523a.jpg

まだ14時なのに、ここはもう夕暮れの雰囲気。
DSC_3065_20180928212526058.jpg

この渡渉で、沢からは離れることになる。
DSC_3066_201809282125284fd.jpg

赤と緑のオオカメノキ。
DSC_3067_20180928212529c0d.jpg

トドマツ林。
DSC_3068_20180928212531887.jpg

秋ですなあ。
DSC_3070_20180928212455fb4.jpg

誰かが大きなキノコをちぎったまま捨ててあった。
DSC_3071_20180928212456b54.jpg

ひっくり返してみた。食べられないキノコなのかな。
DSC_3072_201809282124581e4.jpg

黄葉。
DSC_3073_201809282124593d2.jpg

1時間半弱で登山口に到着。
DSC_3075_201809282124299e7.jpg

コースタイムより40分以上速かった。
DSC_3076_20180928212430415.jpg

登る時にはなかったバイクがあった。さっきの単独男性のものだろう。
DSC_3074_201809282125015bf.jpg

バイクがあれば、所要時間を1時間近く節約できる。
DSC_3077_20180928212432afc.jpg

私も自転車を持ってくればよかったと、ふと思った。
DSC_3078_2018092821243321e.jpg

あとは30分の林道歩きだ。
DSC_3079_20180928212435a56.jpg

往路ではあまり気にしていなかった白井川に注目しながら歩く。
DSC_3080_20180928212351f77.jpg

オオカメノキとナナカマドは紅葉が早い。個体差も大きいけれど。
DSC_3081_201809282123532e9.jpg

成長しきったイタドリの茎。この後、茶色く枯れてパキパキになってしまう。
DSC_3082_20180928212354070.jpg

枝沢からの土砂で埋まった林道。
DSC_3083_201809282123562d0.jpg

白井川の流れ。
DSC_3084_20180928212359a7b.jpg

今日はずっと天気が崩れず、本当によかった。
DSC_3085_201809282123238f3.jpg

だいぶ花が落ちてしまったウツボグサ。
DSC_3086_2018092821232438d.jpg

カーブミラーに哀愁が漂う。
DSC_3087_20180928212325f0d.jpg

映っているのは、岩を切り崩した法面。
DSC_3088_20180928212327276.jpg

これのことだ。
DSC_3089_201809282123295bb.jpg

このあたりは白井川が峡谷になっている。
DSC_3090_20180928212250676.jpg

帰りはちょっと登り気味なので、汗をかく。
DSC_3091_201809282122514d9.jpg

白く見えるのは雲ではなく、白井川の奔流。
DSC_3092_201809282122537f3.jpg

しかし、林道からはすっきり撮れる場所がなかなかない。
DSC_3093_20180928212254a32.jpg

ここがベストか。
DSC_3094_20180928212256976.jpg

日なたは透き通って見える。
DSC_3095_2018092821220696e.jpg

秋なのに水量がものすごく多い。
DSC_3096_2018092821220757a.jpg
DSC_3097_201809282122096c2.jpg

しかも急流だ。
DSC_3098_201809282122100e2.jpg

釣り人の姿はなかった。
DSC_3099_20180928212212e57.jpg

やっとゲートに到着。
DSC_3100_201809282121351fc.jpg

あの滝は、人工のようにも自然のようにも見える。
DSC_3101_20180928212137e4c.jpg

こうしてみるとコンクリートではなさそう。
DSC_3102_20180928214526b31.jpg

でも手を加えてあることは間違いなさそうだ。
DSC_3104_20180928212142b44.jpg
DSC_3107_20180928211954668.jpg

白井川(左)と右股川(右)の合流地点。
DSC_3103_20180928212140fac.jpg

そのすぐ下流に右股橋がある。
DSC_3105_201809282119520cd.jpg

というわけで、往復5時間ちょっとで天狗小屋に戻ってきた。
DSC_3108_20180928211955b49.jpg
コースタイムより1時間以上速かった。

では、定山渓温泉に向かおう。
車の中で、スマホ検索して、行き先は「鹿の湯」に決めた。
定山渓に途中、何度も車を停めて、復習をした。
DSC_3109_20180928211957f3e.jpg

左から、第3峰。第2峰、第1峰だ。
DSC_3110_20180928211959a02.jpg

あの鞍部から右の第1峰に取り付いたわけだ。
DSC_3111_20180928211918233.jpg

少し進んだ場所から撮った東尾根。かつては登山道があったらしいがもう廃道になっているという。
DSC_3112_2018092821192055f.jpg

何度見ても気高いお姿だ。
DSC_3113_20180928211922c90.jpg

今日はありがとうございました。
DSC_3114_20180928211923c71.jpg

【行程】2018年9月18日
天狗小屋(9:45)~登山口(10:15)~1.9km地点(10:37)~670m二股(11:03)~500m地点(11:42)~山頂(12:21撮影・昼食12:52)~500m地点(13:14)~670m二股(13:38)~1.9km地点(14:01)~登山口(14:18)~天狗小屋(14:53)
※所要時間:5時間8分(歩行時間:4時間半)コースタイム:6時間40分
※登った山:1座(定山渓天狗岳)
※歩行距離:9.9km
※累積標高差:約820m
このページのトップへ

定山渓天狗岳(3)

【2018年9月18日(火)】定山渓天狗岳
定山渓天狗岳(1145m)の頂上近くまで登ってきた。
DSC_2938_20180928062210ae3.jpg

左手には日本三百名山の余市岳(1488m)が見えている。
DSC_2937_20180928062208469.jpg

北海道地質百選のハイアロクラスタイト。
DSC_2939_20180928062211afe.jpg

第2峰(1070m)との鞍部が近づいてきた。
DSC_2940_20180928062213354.jpg

第1峰を回り込む。
DSC_2941_20180928062214e0d.jpg
DSC_2943_20180928062147c28.jpg

左手に第2峰の岩壁。
DSC_2942_201809280621459c4.jpg

その山頂部。
DSC_2944_201809280621487bf.jpg

ハイアロクラスタイトの柱状節理。
DSC_2945_20180928062150c82.jpg

ダケカンバの乱舞。
DSC_2946_20180928062151daa.jpg

標高1000mに達すると、かなり紅葉が進んでいる。
DSC_2947_20180928062120784.jpg
DSC_2948_20180928062122598.jpg

鞍部から少し登ると、第2峰の全容をとらえることができた。
DSC_2949_2018092806212365d.jpg

頂上部は意外に平らだ。
DSC_2950_2018092806212561c.jpg

日が当たって鮮やか。
DSC_2951_20180928062126e61.jpg

断崖。
DSC_2952_20180928062055b13.jpg

いよいよ頂上直下のルンゼに挑む。
DSC_2954_20180928062057490.jpg

長大なロープ場だ。
DSC_2955_201809280620589e4.jpg

なるべく使いたくないのだが、足場も滑るし、確実な手がかりもほとんどない。
DSC_2956_20180928062100753.jpg

これはロープに頼らざるを得ない。
DSC_2957_20180928062101606.jpg

標高差は30mくらいだっただろうか。
DSC_2958_20180928062027356.jpg

登り切ったところが狭く、勢い余って反対側の崖下に落ちるところだった。
DSC_2960_2018092806203077c.jpg
この山で最も怖かったところだ。

ここは頂上の山体とその西にある岩峰との鞍部にあたる。
これがその岩峰。
DSC_2959_20180928062029e85.jpg

そのてっぺん。
DSC_2962_201809280620363a3.jpg

こちらは山頂側。
DSC_2961_2018092806203263d.jpg

あとは普通に登れる。
DSC_2963_20180928061959755.jpg

一段登ると、一気に展望が開けた。
DSC_2964_20180928062001cbe.jpg

無意根山(1464m)。人工物は一切見えない。
DSC_2965_2018092806200375d.jpg

その右に羊蹄山(1898m)。残念ながら、頂上に雲がかかっている。
DSC_2966_201809280620042ae.jpg

眼下の山肌。
DSC_2967_201809280620068ce.jpg

たおやかな余市岳。
DSC_2968_20180928061933713.jpg

この先も断崖の縁を歩く箇所があって、ちょっと怖かった。
DSC_2969_2018092806193471f.jpg

ちなみに、天狗岳のアイヌ名は「キトウシヌプリ」(行者ニンニクが群生する山)だそうだ。アイヌはあの岩にはあまり注目しなかったようだ。
DSC_2970_20180928061936aba.jpg

間もなく北側が開けた。
DSC_2971_20180928061937d5a.jpg

おそらく春香山(左、907m)と和宇尻山(右、856m)。
DSC_2972_201809280619394ef.jpg

ちょっと特定不能。
DSC_2973_20180928061906b97.jpg

もう一度南側。今度はニセコ連峰。
DSC_2974_20180928061908c3d.jpg

主峰のニセコアンヌプリ(1308m)。
DSC_2975_20180928061909076.jpg

左から、ホロホロ山(1322m)、徳舜瞥岳(1309m)、オロフレ山(1231m)。
DSC_2976_20180928061911e82.jpg

第2峰の山頂を見下ろす。
DSC_2977_20180928061912244.jpg

第3峰(1114m)の向こうに白井岳(1301m)。
DSC_2978_2018092806183865a.jpg

冬に登った時はホワイトアウトだったなあ。
DSC_2980_20180928061841509.jpg

その右はおそらく939mピーク。
DSC_2979_20180928061840436.jpg

そうこうしている間に、三角点に到着。
DSC_2981_20180928061843905.jpg

二等であった。
DSC_2982_201809280618442c2.jpg

山頂標識は、もう少し先に進んだところにあった。
DSC_2985_20180928061815575.jpg
標識は「天狗岳」、「山と高原地図」も「天狗岳」だが、地形図には「天狗山」と出ている。
昔の地形図は「天狗岳」だったらしい。なぜ、変更されたのだろう。

山頂には、こんな丸い岩が二つ。
DSC_2983_20180928061812fde.jpg
登頂は12:21だったので、2時間45分かかった。

コースタイムより45分速かった。
DSC_2986_2018092806181698f.jpg
この山の初登については明らかではないが、1918年(大正7年)10月に日本山岳会の竹内亮が水松沢から登った記録があるという。

まずは眼下のさっぽろ湖(定山渓ダム)に目を奪われる。
DSC_2987_201809280618186c4.jpg

東に突き出す岩峰は神威岳(983m)
DSC_2988_2018092806173936d.jpg

その左のピラミッドが烏帽子岳(1109m)。
DSC_2989_20180928061741866.jpg
烏帽子岳は南北から台形状の山容しか見たことがなかったので、こんな形は新鮮だ。

そのさらに左には百松沢山(左、1038m)。
DSC_2990_2018092806174272a.jpg

北東には手稲山(1023m)。
DSC_2991_20180928061744c90.jpg

南東眼下に小天狗岳(765m)。
DSC_2992_20180928061745422.jpg

左から空沼岳(1251m)、札幌岳(1293m)、狭薄岳(1296m)。
DSC_2993_201809280617137bf.jpg

札幌岳(左)と狭薄岳(右)を望遠で。
DSC_2994_20180928061714f07.jpg

盤ノ沢山(939m)の向こうに、アンテナが林立する紋別岳(866m)。
DSC_2995_20180928061716fd4.jpg

さっぽろ湖にかかる木挽大橋。
DSC_2996_20180928061717bc7.jpg

滝の沢大橋。
DSC_2997_20180928061719642.jpg

道道1号線(小樽定山渓線)。またの名を定山渓レークライン。
DSC_2998_20180928061645879.jpg

手稲山の奥にうっすら見えるのはピンネシリ(1100m)だろうか。
DSC_2999_20180928061647255.jpg

第2峰頂上と白井岳。
DSC_3000_2018092806164823c.jpg

第2峰はいい感じに紅葉している。
DSC_3001_201809280616506ae.jpg

頂上からは木々が邪魔をして余市岳方向は見えなかった。
DSC_3002_2018092806165124c.jpg

南側眼下には大きな施設が見える。
DSC_3004_20180928061621b86.jpg

その奥に、鉱滓堆積場があった。豊羽鉱山の関連したものだろう。
DSC_3005_20180928061622619.jpg

頂上からの無意根山と羊蹄山。
DSC_3007_20180928061625424.jpg

羊蹄山の雲は依然として取れない。
DSC_3006_20180928061624575.jpg

手稲山が晴れたのでもう1枚。
DSC_3009_2018092806155371e.jpg

丸岩を横から。
DSC_3008_20180928061552b29.jpg

一応、360度撮り終えたので、丸い岩に腰掛けてお昼にしよう。
DSC_3003_2018092806162054b.jpg

どっこいしょっと。
DSC_3011_20180928061556a1d.jpg

本日は、おにぎり2個のみ。副菜なし。
DSC_3012_20180928061558010.jpg

風もなく、ぽかぽかでいい気分。
誰もいないし、眺望も最高だし、このままずっとここにいたくなる。
のんびり、おにぎりを食べながら、豊かな時間を過ごした。
DSC_3013_201809280615237f1.jpg

それでも、ほんとにいつまでもいるわけにはいかないので、30分ほどで下山開始。
DSC_3014_2018092806152536e.jpg

来た道を引き返す。今日は完全ピストンだ。
DSC_3015_20180928061526c0f.jpg

山頂部からルンゼ方面に至る急斜面を慎重に下る。
DSC_3016_20180928061528b88.jpg

ここにも一応、ロープが張ってあった。
DSC_3017_20180928061529c6c.jpg

一段下りると第2峰と第3峰が並んで見える。
DSC_3018_20180928061450ac7.jpg

南側が開けた展望台。
DSC_3020_201809280614541ee.jpg

さっきの岩峰頂上部。
DSC_3021_201809280614545c1.jpg

平和な感じはここまでだ。
DSC_3019_201809280614527d3.jpg

もっとも怖かった鞍部に下りてきた。
DSC_3022_20180928061456412.jpg

再度、岩壁を見下ろす。
DSC_3023_20180928061425b8e.jpg

あそこが頂上でなくてよかった。
DSC_3024_20180928061428177.jpg

ルンゼの下りもロープに頼りっぱなしだった。
DSC_3025_20180928061428799.jpg

(つづく)
このページのトップへ

定山渓天狗岳(2)

【2018年9月18日(火)】定山渓天狗岳
定山渓天狗岳(1145m)に登っている。
DSC_2840_20180927090136605.jpg

熊ノ沢を遡行中。
DSC_2841_20180927090138b20.jpg

9回目の渡渉。
DSC_2842_20180927090139c21.jpg

対岸に黒い壁が現れた。
DSC_2843_20180927090141800.jpg

岩のキャンバスに描かれた影絵。
DSC_2845_20180927090144337.jpg

もう渡渉の回数をいちいち書くのはやめておきます。
DSC_2847_20180927090110e93.jpg

清流だ。
DSC_2848_20180927090112d49.jpg

今度現れた壁は四角い柱状節理の断面のような模様をしている。
DSC_2850_201809270901139cb.jpg

上の方はさっきと同様、真っ黒。
DSC_2851_20180927090115b42.jpg

これらは輝石安山岩だそうだ。
DSC_2852_20180927090116dfc.jpg

エゾノハクサンボウフウ。
DSC_2853_201809270900488c4.jpg

熊ノ沢がとうとう峡谷になってきた。
DSC_2854_201809270900505a6.jpg

再びロープ場。
DSC_2856_20180927090052ef6.jpg

これは軽くクリア。
DSC_2857_2018092709005440a.jpg

これは初めて見た花だが、名前は特定できていない。
DSC_2858_201809270900222c3.jpg

枝沢を渡る。
DSC_2859_20180927090024fe8.jpg

キリンに遭遇。
DSC_2860_20180927090026e15.jpg

右手に小さな滝が見えた。
DSC_2861_201809270900277b6.jpg

こちらは、あの滝を高巻きしていることになる。
DSC_2862_20180927090029725.jpg

うわ、熊の爪跡だ。
DSC_2863_20180927085950ba8.jpg

なぜか、この1本に集中していた。
DSC_2864_20180927085951d94.jpg

あの区画だけ、なぜかイタドリ畑になっていた。
DSC_2865_20180927085952c44.jpg

時刻は11時を回った。
DSC_2866_201809270859541c3.jpg

「山と高原地図」にある670m二股というのは、まだだろうか。
DSC_2867_20180927085955565.jpg

二股というくらいだから、沢の合流地点があるはずなのだが、見当たらない。
DSC_2868_20180927085923d85.jpg

頂上まで1.2kmの地点を11:03に通過。
DSC_2869_20180927085923ec5.jpg

ここでまだ標高は640mだ。
DSC_2870_201809270859256cd.jpg

めずらしいゴーロ。
DSC_2871_20180927085927ddf.jpg

二股ではないが、このあたりが標高670m。
DSC_2872_2018092708592823a.jpg

壁は岩ではなく土になっている。
DSC_2873_20180927085857449.jpg

一応、ここを「670m二股」ということにしておこう。
DSC_2874_20180927085858f5d.jpg

とすると、登山口からここまでの所要時間は約50分。
DSC_2875_20180927085900687.jpg

コースタイム1時間40分はあまりに甘すぎる。
DSC_2876_20180927085901e90.jpg

二股を過ぎると、傾斜が徐々にきつくなる。
DSC_2877_20180927085903379.jpg

岩を乗り越えていかなければならないところも出てきた。
DSC_2878_2018092708582988a.jpg

熊鈴の鳴りが今イチなので、胸元に付け替えようと、ちりんちりんと激しく鳴らしていたら、上から下りてくる人が突然現れてびっくり。
DSC_2879_201809270858301ee.jpg

少し遅れて、奥様と思われる女性も。
DSC_2880_201809270858324de.jpg

2台あった車のうち1台はやはり登山の方だったのだ、これでちょっと安心した。
熊も人の気配に気づいて退散してくれただろう(甘い?)。
DSC_2881_20180927085833f97.jpg

久々に見たマムシグサ。
DSC_2882_201809270858351a2.jpg

とうとう沢は涸れてしまった。
DSC_2883_201809270858006b6.jpg

そこをぐいぐい遡っていく。
DSC_2884_20180927085802a61.jpg

傾斜もにわかに急になる。
DSC_2885_20180927085804269.jpg

左手の踏み跡(旧道?)に通行禁止のテープが張られていた。
DSC_2886_2018092708580534c.jpg

しかし、そちら側の木に赤テープが結びつけてあった。
DSC_2887_2018092708580727b.jpg

これは、まぎらわしいので、外してあげた。
DSC_2888_20180927085734317.jpg

かなり上流に来たのだろう、岩がデカい。
DSC_2889_20180927085736840.jpg

その先で沢を横切るように通行禁止のテープが張られていた。
DSC_2891_2018092708573977e.jpg

しかし、ルートは沢に通じている。これも何だか分かりにくい。
DSC_2893_20180927085740234.jpg

いつの間にか、かなり詰め上げてきた。
DSC_2894_20180927085705c9c.jpg

涸れ沢から湿り気すら失われてしまった。
DSC_2895_20180927085706189.jpg

オオカメノキの青葉と紅葉。
DSC_2896_2018092708570899c.jpg

そして、道はふつうの登山道に。
DSC_2897_201809270857090ef.jpg

フィルムケースが落ちていたので、中を見てみたら、正露丸が入っていた。
申し訳ないが、そのままにしておいた。
DSC_2898_20180927085711d7c.jpg

歩き始めてから2時間近く経ったあたりで、木々の向こうに岩壁が見えてきた。
いよいよ核心部だ。
DSC_2899_201809270856379b1.jpg

ほんのり紅葉。
DSC_2900_201809270856393c7.jpg

白いハートマーク。
DSC_2901_20180927085640627.jpg

おお、あと500m!。
DSC_2902_20180927085641c19.jpg

岩が角ばってきた。
これらは天狗岳の壁から落ちてきた転石なのだろう。
DSC_2903_2018092708564479b.jpg

2時間経過。
DSC_2904_201809270856099a6.jpg

かなり頂上部の岩壁に近づいてきた。
DSC_2905_201809270856113d9.jpg

左手には第2峰(右)と第3峰(左)も見えてきた。
DSC_2906_20180927085612817.jpg

白い紅葉。
DSC_2907_2018092708561490f.jpg

右手の岩壁方面は侵入禁止になっている。
DSC_2908_20180927085615ebc.jpg

壁に付着している白い斑点は何だろう。
DSC_2909_201809270855429e7.jpg

貝の化石ではないみたいだ。
DSC_2917_201809270855208e7.jpg

うわ、すごいわ。岩壁の高さは200mもあるらしい。
DSC_2910_20180927085543853.jpg

あれが最も高く見えるが、頂上はさらにあの奥だ。
DSC_2911_201809270855454ae.jpg

左手に現れた名峰は余市岳(1488m)。
DSC_2912_20180927085546336.jpg

標高も1000m近くなり、徐々に紅葉も進んでいる。
DSC_2913_201809270855489b7.jpg

ちなみに、定山渓天狗岳は「北海道地質百選」の一つ。
DSC_2914_20180927085515f1e.jpg

この南に傾斜した堆積構造はハイアロクラスタイトと呼ばれる岩石だそうだ。
DSC_2915_20180927085517929.jpg

ハイアロクラスタイトは水中で形成される火山岩の一つである。
DSC_2925_201809270854274b1.jpg

径5cm以下の火山角礫と計20cmほどの火山弾からなっているという。
DSC_2926_201809270854294ac.jpg

地質学的にも貴重な存在なのだ。
DSC_2927_20180927085430d7d.jpg

右手に岩峰が現れた。
DSC_2916_20180927085519bd0.jpg

これも、かなりの高さである。
DSC_2918_2018092708552234d.jpg

その右に横たわるのは無意根山(1464m)。
DSC_2921_20180927085455b73.jpg

この角度から見るのは初めてだ。
DSC_2919_20180927085452c4a.jpg

なだらかな山の海にぽこんと頂上を浮かべている。
DSC_2920_20180927085454b01.jpg

岩壁には近づくなということだが、ここでクライミングをする人はいるのだろうか。
DSC_2923_20180927085457220.jpg

調べてみたら、東尾根や第2峰は登られているようだが、こちら側は確認できなかった。
DSC_2924_201809270854585cc.jpg

紅葉が壁に映えるねえ。
DSC_2928_20180927085432c34.jpg

登山道は第2峰との鞍部に通じている。
DSC_2929_20180927085433e16.jpg

その第2峰(右)から3峰(左)。
DSC_2930_20180927085347caf.jpg

第2峰。
DSC_2931_20180927085349663.jpg

左が3峰。
DSC_2933_201809270853509c9.jpg

ということは、これが1峰だ。
DSC_2935_20180927085352335.jpg

余市岳と大きな雲。実にいい眺めだ。
DSC_2936_20180927085354f22.jpg

(つづく)
このページのトップへ

定山渓天狗岳(1)

【2018年9月18日(火)】定山渓天狗岳
シルバーウイーク前半の3連休は9月6日に発生した大地震のため、1日しか休みが取れなかった。
その代休が18日(火)にもらえた。
連日深夜の帰宅で疲れがたまっているので、天気が悪ければ自宅で静養できると思っていたのだが、幸か不幸か、晴れてしまった。
こうなったら、山に行ってリフレッシュするしかない。

それでも、さすがに早起きして遠出するのはきついので、近場にした。
行き先は定山渓天狗岳(1145m)。いつもつるんでいるO君、H君がすでに登ってしまっているので、一人で行くには都合がいい。
前夜も12時の帰宅だったが、7時に起床。
朝食を食べて、準備をして8:20に出発した。
途中、藤野のセブンイレブンに寄って、昼食と飲み物を調達。定山渓に向かう。

定山渓温泉で旧豊羽鉱山方面に右折、しばらくすると、「定天」が見えてきた。
DSC_4040_20180927061925e6a.jpg

ちょっと電線が入ってしまったので、少し進んだ位置からもう1枚。
DSC_4041_201809270619263c5.jpg
なかなか激しい山容だ。

登山口に行くには道道から白井二股というところで右に入るのだが、その入り口を見逃してしまい、10分ほどロスしてしまった。
白井二股にある天狗小屋には結局、9時半過ぎに到着。
DSC_2777_20180927062441df0.jpg
平日なので誰もいないと思っていたが、車が2台あって、ちょっと安心。
北海道の山は熊が怖いので、あまり一人では入りたくないのだ。
しかし、小屋の中にある入山届のノートを見ると、うち1人は釣りであった。
もう1台の方は記載がなかったが、釣りだろうか、登山だろうか。
登山であってほしいものだ。ていうか、ちゃんと記入してね。

天狗小屋の壁の標識で、ここは余市岳(1488m)白井右股川コースの入口にもなっていることに気付いた。
DSC_2774_20180927062510d3b.jpg

この右股林道を3km以上奥に行ってから登るわけだ。
DSC_2772_2018092706250695a.jpg
DSC_2773_20180927062508e2c.jpg
このルートは長く廃道状態であったものを、2002年晩秋に有志の方々がササを払って再開させたと『北海道夏山ガイドⅠ道央の山々』(北海道新聞社)の2003年版には書いてあるが、2012年秋にキロロの方から登った時は、かなりのブッシュに覆われている様子が確認できた。
「山と高原地図」にも登山道としての赤線は引かれていないし、再び廃道になってしまったのかもしれない。

ストレッチをして、右股橋を確認し、9:45に出発。
DSC_2778_20180927062442633.jpg

この山は熊だけでなく、岩場や急登が多いらしいので気を引き締めて行かねば。
DSC_2775_20180927062511d5d.jpg

季節がよければ、アツモリソウに出会うこともできるみたいだが、もう秋なので、それは無理。
DSC_2776_201809270625138ea.jpg

まずは白井川に沿って林道を行く。
DSC_2779_201809270624441d2.jpg
DSC_2780_20180927062445642.jpg

すぐに一般車通行止めのゲートが見えてきた。
DSC_2781_20180927062447c8a.jpg
「熊出没注意」の看板が今日はやけに意識される。

このルートは「天狗岳支線」と言うようだ。
DSC_2782_201809270624176d5.jpg

ふつうの登山は林道から登りになっているが、登山口までは下流方面に歩くので、道はなだらかに下っている。
DSC_2784_2018092706242184a.jpg
天狗小屋は標高428mだが、登山口はちょうど400mなので30m近く下ることになる。

白井川は渓流をなしているようで、いい音が聞こえてくるのだが、草木が邪魔をして川面はあまりよく見えない。
DSC_2783_20180927062419475.jpg

9月とは言え、まだまだ緑が濃いのだ。
DSC_2785_20180927062422ff8.jpg

そんな中にも秋の気配が。
DSC_2786_20180927062424094.jpg

でも、雲はまだ夏っぽい。
DSC_2787_20180927062350cc1.jpg

沿道には野の花が咲き乱れていた。
DSC_2788_20180927062352765.jpg

トリカブトも青く光っていた。
DSC_2791_2018092706235661b.jpg
DSC_2800_20180927062302ddc.jpg

このほかに目立つのはイタドリとフキ。
DSC_2789_20180927062353ed0.jpg

でも、さすがにこの時期になると茶色くくたびれている。
DSC_2790_2018092706235598a.jpg
DSC_2802_20180927062232a24.jpg

春のあの勢いはどこへやら。
DSC_2795_20180927062329da7.jpg

イタドリもフキも、寒い北海道でなぜ大きく育つのか不思議だが、きっと短い夏のうちに子孫を残さないといけないので必死に成長しようとするのだろう。
DSC_2801_201809270623034a5.jpg

寒い地域の動物が大型化するのは、一定の体積あたりの表面積を小さくして熱の発散を抑えるためだと聞いたことがあるが、植物には当てはまりそうもない理論だ。
DSC_2804_20180927062235fb9.jpg
そんなことを妄想しながら歩いた。

道はわりとしっかりしており、管理用の車は定期的に入っていることが分かる。
DSC_2792_20180927062325997.jpg

こんなに岩を切り開いている箇所もあった。
DSC_2793_20180927062326bdc.jpg

前方に見えてきたのは雨量計だろうか。
DSC_2794_20180927062328afe.jpg

近づいてみると、北電の「上流水位局」なるものだった。
DSC_2796_20180927062332d3d.jpg

このあたりで、再び、定天の頂上が顔を見せてくれた。登攀意欲が湧く。
DSC_2797_20180927062257e6c.jpg

左手に小さなナメ滝。
DSC_2799_20180927062301ca8.jpg

これを過ぎると、道のわだちが薄くなってきた。
DSC_2798_20180927062259457.jpg

地面にクルミの実が落ちていた。熊の餌食になるのだろう。
DSC_2803_20180927062233ff8.jpg

前方に不穏な雲があるのだが、天気は崩れないでほしい。
DSC_2805_201809270622366b9.jpg

これはニセアカシアかな。
DSC_2806_20180927062238e08.jpg

ゲートから25分くらい歩いたところで、「天狗岳3号」なる林道との分岐に着いた。
DSC_2807_20180927062204384.jpg
テープが張ってあるので、登山口はここではない。
丁寧に、登山口は100m先と書いてあった。
その100mがそれなりの勾配の登りで、ひと汗かいてしまった。

コースタイム通り、ちょうど30分で登山口に到着。
DSC_2808_20180927062206d66.jpg

天狗岳周辺は「高山植物保護林」に指定されているようだ。
DSC_2809_201809270622070f3.jpg

ここからは白井川の支流熊ノ沢に沿った登山道を進んでいく。
DSC_2810_2018092706221061e.jpg

「山と高原地図」には、ご丁寧に「ヒグマ注意」と書いてある。
DSC_2811_201809270622104de.jpg

こちらの「武器」は熊鈴しかない。
DSC_2812_201809270621383d4.jpg

よく鳴るように、あちこちに付け替えしながら歩いた。
DSC_2813_20180927062139faa.jpg

しばらくは、沢よりかなり高い位置をトラバース気味に進む。
DSC_2814_2018092706214103c.jpg

道が斜めになって、慎重に歩かなければならない箇所もある。
DSC_2816_20180927062144a63.jpg

倒木にすくうキノコたち。
DSC_2815_20180927063554b0f.jpg

岩を覆うのはツタウルシかな。これも要注意だ。
DSC_2817_201809270621115aa.jpg

左手下に熊ノ沢が見えてきた。
DSC_2818_20180927062113fbc.jpg

さすがに人気の山のようで登山道は全く荒れていない。
DSC_2819_20180927062114e1c.jpg

登山口から10数分ほど歩くと、登山道は沢へと下りていく。
DSC_2820_20180927062116fa3.jpg

そして1回目の渡渉。
DSC_2821_20180927062117fc5.jpg

この後、何度も渡渉を繰り返すことになる。
DSC_2823_20180927062043370.jpg

2回目の渡渉。
DSC_2822_20180927062041de3.jpg

そして3回目。
DSC_2825_201809270620443b1.jpg

沢に沿った気持ちのいい道だ。
DSC_2826_20180927062046617.jpg

4回目。
DSC_2827_20180927062047e42.jpg

5回目。
DSC_2828_201809270620153d7.jpg

幸い、靴を濡らさなければならないような場所はなかった。
DSC_2829_20180927062017df1.jpg

数えてみたら全部で18回も渡渉した。
DSC_2830_20180927062018754.jpg

3kmほど歩いてきたところが、山頂まで1.9kmの地点。
DSC_2831_20180927062019c3a.jpg

この先で7回目の渡渉。
DSC_2832_20180927062021b53.jpg

渡ったところで、最初のロープ場に差し掛かった。
DSC_2833_2018092706194987b.jpg

登山口から20数分、標高約510mの地点だ。
ここはロープを使わずに難なくクリアすることができた。
DSC_2834_20180927061951e48.jpg

渓流部分を高巻きする感じだ。
DSC_2835_20180927061952b98.jpg

なので、またすぐ沢に下りる。
DSC_2836_2018092706195416f.jpg

登っていく方向に踏み跡があったが、ちゃんとテープで通せんぼがしてあった。
DSC_2837_20180927061956e98.jpg

対岸もまた急な登りになっている。
DSC_2838_201809270619215a4.jpg

7回目の渡渉をもって。次号に続く。
DSC_2839_201809270619245d0.jpg

(つづく)
このページのトップへ

1809樽前山(下)

【2018年9月15日(土)】樽前山
樽前山・東山(1022m)の山頂に来ている。
正面(西)には、1909年(明治42年)に誕生した溶岩ドームが迫力のある姿をさらしている。
DSC_2738_20180926202441b43.jpg

カルデラの底に歩道らしきものが見えるが、一般の登山者は入れない。
DSC_2739_2018092620244313f.jpg

樽前山は約9000年前の火山活動で生まれたそうである。
DSC_2740_201809262024446ff.jpg

溶岩ドームの付け根。
DSC_2742_20180926202447437.jpg

ドームは登山禁止だが、北大の調査隊などは登っているらしい。
DSC_2745_20180926202354d31.jpg

溶岩ドームからは、まだ細々と噴煙が上がっている。
DSC_2744_20180926202352e81.jpg

頂上のケルン。
DSC_2743_201809262023512fc.jpg

支笏湖の向こうにイチャンコッペ山(左、829m)と紋別岳(右、866m)。
DSC_2741_20180926202446baa.jpg

北に風不死岳(1102m)。
DSC_2746_20180926202356e19.jpg

いずれ、登らなくては。
DSC_2749_20180926202326d7c.jpg

風不死岳への縦走路。
DSC_2747_20180926202357af5.jpg

風不死岳山頂の右奥に恵庭岳(1320m)の山頂が見える。
DSC_2748_20180926202324744.jpg

眼下に七合目駐車場。
DSC_2750_20180926202327627.jpg

溶岩ドームの規模は直径450m、高さ134mもある。
DSC_2751_20180926202329b08.jpg

1909年には3か月にわたり、噴火と鳴動が断続したという。
DSC_2752_20180926202331191.jpg

中規模のマグマ噴火で、広範囲に火山灰を降らせたそうだ。
DSC_2753_201809262022559ef.jpg

西山(994m)頂上。
DSC_2754_20180926202257cdb.jpg

うっすらと尻別岳(1107m)が見えた。
DSC_2755_2018092620225812e.jpg

さっき登りですれ違った方が、頂上は虫がひどいと言っていたが、あまりの強風のため、我々が着いた時には全く飛んでいなかった。しかし、頂上のケルンの石にはカメムシがたくさん張り付いていた。
DSC_2756_20180926202259832.jpg

少し前までは風が弱くて、こいつらが飛び回っていたのかもしれない。
DSC_2757_20180926202301317.jpg
それは、かなり嫌だ。強風に感謝、というところか。

頂上でもちろん記念写真を撮ったのだが、若い女性2人なので一応、非公開にしておきます。
DSC_2758_2018092620222731f.jpg

それでは風も強いことだし、下山開始。
DSC_2759_20180926202228cdd.jpg

それにしても見事な眺めであった。
DSC_4025_20180926202125bc9.jpg
DSC_4026_20180926202127bed.jpg

カルデラの底は徐々に植生が回復しつつあるが、100年経ってもやっとこの程度。
DSC_2762_20180926202230b46.jpg

分岐まで戻ってきた。
DSC_2763_20180926202231001.jpg

トラバースに入るとやっと風をしのげる。
DSC_2764_20180926202233d97.jpg

滑りやすい道なので、ゆっくりと下った。
DSC_2765_201809262021564be.jpg

左手に見えているのは、おそらく空沼岳(1251m)。
DSC_2766_20180926202158fb6.jpg

すっかり秋の空だ。
DSC_2767_20180926202159440.jpg

全く木が生えていない山頂付近。
DSC_2768_2018092620220136c.jpg

展望台まで下ってきたので、ひと休み。
DSC_2769_20180926202202a13.jpg
この下りで、姪っ子の花粉症が再発してしまった。
つらそうだったので、私の鼻かみ用ハンカチをあげた。

支笏湖はそれほど開発されていない。
DSC_2770_2018092620212265c.jpg

というわけで、14時半すぎに駐車場まで下りてきた。
DSC_2771_20180926202124c72.jpg
わずか2時間半程度の山行であった。

この後は、汗を流しに、お風呂へ。
DSC_4027_201809262021290c5.jpg

休暇村支笏湖で日帰り温泉。
DSC_4028_2018092620205501c.jpg

こもれびの湯の料金はひとり720円。
DSC_4029_20180926202057715.jpg

ここのお湯はナトリウム-炭酸水素塩・塩化物温泉で、1974年にボーリングで湧出したそうだ。
DSC_4032_20180926202059407.jpg

いい湯でごわした。
DSC_4033_20180926202059329.jpg

帰りに、石山の果林樹に立ち寄り、ジェラートを食べてもらった。
DSC_4034_201809262021027c8.jpg

私は、コーンでごまをいただきました。
DSC_4035_20180926202030b5a.jpg
連れの二人はカップで2~3種類を楽しんでいた。

このあと、実家に寄って、一族でジンギスカンを食べ、帰宅。
短かったけど、華やかな山旅でした。

【行程】2018年9月15日
登山口(12:05)~展望台(12:12昼食12:33)~分岐(13:19撮影13:23)~頂上(13:34撮影13:45)~展望台(14:29休憩14:32)~登山口(14:37)
※所要時間:2時間32分(歩行時間:1時間50分)コースタイム1時間35分
※登った山:1座(新規なし)
※歩行距離:3.4km
※累積標高差:約360m
このページのトップへ

1809樽前山(上)

【2018年9月15日(土)】樽前山
北海道を襲った最大震度7の地震のため、仕事がにわかに忙しくなり、休日も休めず、帰宅は毎日深夜。
でも、この日だけは随分前から予定していたことがあったので、頼み込んで休みをもらった。
埼玉の自宅から娘が遊びに来るので、石狩に住んでいる姪っ子も加えて3人で樽前山(1041m)に登る計画を立てていたのだ。
幸い、天気に恵まれた。
6月に登った時は雨と風で途中撤退したので、今回はリベンジができそうだ。

樽前山の七合目駐車場は相当朝早く行かないとすぐ満車になってしまうということなので、前回と同様あえて遅目に出かけることにしていた。
そうすれば下山した人の車の空きに潜り込めるからだ。
地震のせいで毎晩遅く帰る日々だったので、遅目出発は個人的にも好都合だ。

この日は朝7時半くらいに起きて、9:20に出発。
10時着目指して、石狩まで姪っ子を迎えに行く。
ちょうど10時に着いたら、彼女は今朝から突然の花粉症だそうで、かなりつらそうだ。
点鼻薬は持ってきたというが、飲み薬もあった方がいい。
私のマンションは石狩からだと樽前山に行くちょうど通り道なので、いったん戻って、ディレグラをゲット。姪っ子に飲んでもらった。
間もなく、鼻水は止まったようだ。よしよし。

連休初日だが、とくに渋滞にはまることもなく、支笏湖のポロピナイに11時半頃に到着。
ここでトイレ休憩。
スポーツドリンクも自販機で調達した。
湖岸道路からは、風不死岳(1102m)や樽前山がくっきりと見える。
しかし、近いうちに登ろうと思っていた風不死岳の楓沢が、今回の地震のため、あちこちで崩落してしまったそうだ。
苔の洞門と同様しばらくは歩けないのかもしれない。

樽前山は五合目で止められることなく、無事に七合目まで行くことができた。
それでも、まだほぼ満車状態だった。
振り返ると、今日は風不死岳がよく見える。
DSC_2680_20180926062300d90.jpg
前回はガスで何も見えなかったから新鮮。
この角度から見るのは初めてだ。

駐車場にはちょうど正午に到着。ストレッチをして、12:05に出発した。
一応、登山届にも記入しておいた。
DSC_2679_2018092606225964e.jpg
連れの2人は初心者なので、よちよち歩きでゆっくりゆっくり登る。
この日は暑いくらいだったし。

最初の樹林帯を抜けると、風不死岳の裾野にいくつも地肌をさらしているのが見えてきた。(681)
まさか、あれも今回の地震で崩れたの?
DSC_2682_20180926062303e21.jpg
しかし、カメラの望遠でよく見ると、地肌の部分にも緑の斑点(植生)がある。
土の色も、もともと禿げていたと思われる部分と同じなので、あれは今回の地震によるものではないと判断できた。

左のとんがりは932m峰。風不死岳に縦走する際には立ち寄りたいピークだ。
DSC_2683_20180926062305a64.jpg

7分ほどで支笏湖を望む展望台に出た。
DSC_2684_20180926062234048.jpg

まだ歩き始めたばかりだが、もうお昼だし、ベンチのあるところはここしかないので、食べてしまうことにした。
DSC_2686_2018092606223787f.jpg

姪っ子の母親、つまり兄嫁が用意してくれたものだ。おいしくいただいた。
DSC_4022_2018092606180629f.jpg

日蔭がないので暑いかと思ったが、それほどでもなく助かった。
DSC_2685_20180926062236d13.jpg
食事中に普通の観光客っぽい中年夫婦が登っていった。
奥さんはかなり太めで、早くもぜいぜいしていた。
あんなんで頂上まで行けるのだろうかと心配になる。

20分ほどで食事を済ませ出発。再び樹林帯へ入る。
DSC_2687_20180926062240868.jpg
下ってきたカップルのうち女性の方が顔を覆っていたので、「虫まだいますか」と聞いたら、「頂上は結構いました」とのこと。
まだいたとは。それはちょっと想定外だった。

展望台から8分で、森林限界を越えた。
DSC_2688_201809260622400e3.jpg

改めて風不死岳を望む。
DSC_2689_20180926062209065.jpg

何度も疑ってみるが、谷に崩落した土砂や樹木がたまっているようにも見えない。
DSC_2690_201809260622119b4.jpg

やはり地震は関係なさそうだ。
DSC_2694_20180926062143d48.jpg

それにしても風不死岳はこんなに近いのになかなか登る機会が訪れない。
DSC_2691_2018092606221213b.jpg
8月上旬に企画されたが、風邪気味だったので断念したのだった。

樽前山の広大な裾野と、中央にモラップ山(506m)。
DSC_2692_201809260622142e9.jpg

支笏湖の対岸はイチャンコッペ山(中央左、829m)と紋別岳(右、866m)。
DSC_2693_2018092606221501c.jpg

イチャンコッペ山のアップ。
DSC_2696_20180926062146e4b.jpg

振り仰ぐと樽前山の頂上(東山)のあたりが見える。
DSC_2695_20180926062145380.jpg

足元にはシラタマノキがたくさん白い花を咲かせていた。
DSC_2697_20180926062148f75.jpg

おお、駐車場が見えてきた。
DSC_2698_20180926062149630.jpg

北海道名物の大原生林。
DSC_2699_20180926062118c4c.jpg

しばらく急勾配が続く。
DSC_2700_201809260621200e0.jpg

階段が終わったところで小休止。景色を楽しみながら、息を整える。
これは苫小牧市街。
DSC_2702_2018092606212178e.jpg

前方にさっきのご夫婦が見えた。
DSC_2703_20180926062124df1.jpg
ご主人が奥さんの腰に手をあてて、やさしく支えている。
奥さんも何とか頑張れているようだ。

「きついと早く登ってしまいたいから、オーバーペースになって、結局登れなくなってしまうんだよね」なんて言ったら、姪っ子が「なるほど、人生と同じだね」とぽつり。
大笑いになった。

階段を過ぎると、すこし傾斜がゆるくなる。
DSC_2704_201809260621244a5.jpg

左手の斜面はわりと急だ。
DSC_2705_201809260620494cf.jpg

その先は太平洋。
DSC_2707_20180926062052d79.jpg

地面は早くも紅葉が始まっている。
DSC_2706_2018092606205152d.jpg
DSC_2710_201809260620217be.jpg

シラタマノキにも赤い葉っぱがちらほら見える。
DSC_2708_2018092606205435e.jpg

緑のもふもふ。
DSC_2709_20180926062055aa6.jpg

グラデーション。
DSC_2711_20180926062023370.jpg

登り始めて1時間15分くらいで、稜線に到着。
DSC_2712_2018092606202445f.jpg
食事の時間を除いても55分かかっている。
コースタイム(45分)より、かなりゆっくりだった。
さっきのご夫婦はここまでにしたようだ。

ここから前回は見えなかった溶岩ドームがどど~んと見えた。
DSC_2713_201809260620265d2.jpg

1909年(明治42年)の噴火で生成されたものだ。
DSC_2714_2018092606202725d.jpg

まだ100年ちょっとしか経っていないので、妙に生々しい。
DSC_2718_20180926061957ed0.jpg

あちらは西山(994m)の頂上。
DSC_2715_20180926061952130.jpg

そして、これから向かう東山(1022m)の頂上。
DSC_2716_20180926061954cf9.jpg

現在、溶岩ドーム(1041m)は立入禁止になっているので、東山が実質、樽前山の頂上ということになる。
DSC_2717_20180926061955d03.jpg

樽前山のカルデラ。
DSC_2719_2018092606195840e.jpg

広大である。
DSC_2722_20180926061926b5a.jpg

今回は、外輪山の周回はしない予定。
DSC_2720_201809260619228ae.jpg

とにかく頂上を目指す。
DSC_2721_20180926061924ab5.jpg

100年前に飛んできた火山弾。
DSC_2723_20180926061927e3d.jpg

さっき歩いてきたトラバース道を見下ろす。
DSC_2724_20180926061928d69.jpg

稜線に出た途端、ものすごく風が強い。
DSC_2725_20180926061853534.jpg

寒いほどだ。
DSC_2726_2018092606185514b.jpg

それにしても地球とは思えない眺めである。
DSC_2728_2018092606185611c.jpg
DSC_2733_20180926061831687.jpg

いつかカルデラの中を歩けるようになる日が来るのだろうか。
DSC_2729_201809260618580c8.jpg

一応、道らしきものはあるのだが。
DSC_2730_201809260619003b5.jpg

風不死岳への縦走路。
DSC_2731_20180926061828d93.jpg

いくつものピークがある風不死岳。
DSC_2732_20180926061829d91.jpg

あちらに樽前山神社奥宮があるはずなのだが、それらしきものは確認できない。
DSC_2734_201809260618322c2.jpg

分岐から10分ほどで、東山に登頂。
DSC_2735_20180926061835d39.jpg

私は中学2年の学校キャンプの時以来なので、実に42年ぶりである。
DSC_2736_20180926061802ea1.jpg
何も覚えていないから、初めて来たようなものだ。

一等三角点が歓迎してくれた。
DSC_2737_2018092606180452b.jpg

(つづく)
このページのトップへ

旧渚滑線(下)

【2018年8月22日(水)】旧渚滑線
旧国鉄渚滑線の廃線跡を歩いている。
次は上渚滑駅。
上渚滑駅(ネットより)
渚滑線開通(1923年)と同時に開業。2面2線の相対式ホームで駅舎もあったらしい。

駅跡の一部は現在、バス待合所になっている。
CIMG0858_20180924223408ec6.jpg

その待合所に上渚滑鉄道資料館が併設されていた。
CIMG0859_20180925054250fac.jpg

駅名標やその他の備品などが展示されていたが、鍵がかかっていて中に入れなかった。
CIMG0860_201809250542511ae.jpg

隣の町民センターに申し出れば、開けてもらえたのかもしれないが、時間がもったいないので止めておいた。
CIMG0861_20180925054252011.jpg

これが待合所と資料館が入った建物である。
CIMG0862_20180925054254213.jpg

駅の跡の一部は上渚滑交通公園として整備されている。
CIMG0863_20180925054223032.jpg

ホームと線路が再現されていた。
CIMG0864_2018092505422435d.jpg

線路にはトロッコも置いてあったが、これも動かなかった。
CIMG0865_20180925054226661.jpg

ところで、この線路の向きは本来の向きと直交している。
CIMG0866_201809250542272d1.jpg

どうせ再現するのであれば、遺構と同じ向きにしてほしかった。
DSC_3784_2018092505571937a.jpg
鉄道に愛のない人の仕事であることが歴然としている。

駅名標の書体もオリジナルとは異なるし。
CIMG0868_20180925054158ca5.jpg

これだけはもしかしたら本物かもしれない。
CIMG0869_20180925054159469.jpg

転轍てこ。
CIMG0867_2018092505422989b.jpg

この施設は、ないよりマシ程度のものでしかなく、これでは鉄道ファンはがっかりだろう。
CIMG0871_20180925054202c6e.jpg

駅の跡が上渚滑町民センターになっているのは、地域にとってはいいことかもしれない。
CIMG0872_20180925054205a43.jpg

上渚滑駅前通りは往年の雰囲気をかなり残している。
CIMG0873_20180925054135f93.jpg

老舗っぽいお菓子屋さんは絶賛営業中だ。
CIMG0874_20180925054137875.jpg

衣料品の「はしもと」も現役だった。
CIMG0875_20180925054139681.jpg

とは言えシャッターがないというわけではない。
CIMG0876_20180925054140f6d.jpg

飲食系はさすがに厳しかった。
CIMG0877_20180925054141113.jpg

次の奥東仮乗降場は、十六号線、上東と同様、1955年の開設。
CIMG0879_20180925054112c85.jpg

現在は農地になっていた。
CIMG0878_2018092505411051c.jpg

紋別を離れ、滝上町に入る。童話の村のようだ。
CIMG0880_20180925054113d01.jpg

滝上町なのに、次の駅は滝ノ下駅。
滝の下(ネットより)

下、中、上渚滑駅と同様、渚滑線開通(1923年)と同時に開業した駅である。
滝の下駅(ネットより)
単式ホームで、駅舎は下渚滑駅や上渚滑駅と同じタイプのものだった。

駅の跡の前にあったバス停は「滝下」。
CIMG0882_20180925054116b6c.jpg

西側の面は完全に色あせていた。
CIMG0881_201809250541150cd.jpg

2011年時点ではまだ駅舎が残っていたらしいが、もうなくなっていた。
CIMG0883_20180925054041d2c.jpg

しかし、駅前にあったというモミの木は残っていた。
CIMG0884_2018092505404231c.jpg

鉄道関連施設と思われる電柱も。
CIMG0885_20180925054044d3c.jpg

これはホームの残骸だろうか。
CIMG0886_20180925054047def.jpg

線路跡は農地に転換されず、ヤブになっていた。
CIMG0887_20180925054047683.jpg

これまで見てきた渚滑線の駅では、唯一駅の痕跡がかろうじて残っていた。
CIMG0888_20180925053954f7c.jpg

2005年3月末で閉校となった滝上町立滝下小学校の前を通過。
CIMG0889_201809250539564fd.jpg

次の雄鎮内仮乗降場跡に行く途中にあった雄鎮内センター。
CIMG0890_20180925053957b0d.jpg

雄鎮内仮乗降場は元西を除く他の仮乗降場と同じく1955年に開設された。
ゆうちんない2
(ネットより)
単式ホームの上に待合室があったらしい。

今は完全に農地になっている。
CIMG0891_20180925053959520.jpg

ゆえに正確な場所は分からなかった。
CIMG0892_20180925054000c4d.jpg

次の濁川駅は、なんと駅舎がそのまま残っていた。
CIMG0893_20180925053854628.jpg

涙が出るほどうれしい。
CIMG0894_20180925053856b27.jpg

今まで、ほとんど何もないところばかりだったので。
CIMG0896_20180925053859bbc.jpg

駅前の栄旅館も健在だった。
CIMG0895_20180925053857d84.jpg

開業は渚滑線開通の翌年1924年(大正13年)10月21日。
CIMG0897_20180925053900b67.jpg

改札の跡。
CIMG0898_2018092505382418c.jpg

ホームも原形をとどめていた。
CIMG0899_20180925053827cdd.jpg

かつてはこんな駅名標があった。
にごりかわ
(ネットより)
駅構内は渚滑駅跡同様ここもパークゴルフ場になっていた。
このあたりの人はパークゴルフが好きなんだなあ。

残すは終点の北見滝ノ上駅ひとつのみなのだが、時刻は12時前。
北見滝の上駅(ネットより)
札幌で16時半の仕事に駆けつけるためには、旭川14:30発の特急カムイ28号に乗らなければならない。
旭川までの距離はここから100kmちょっとなので、滝ノ上駅を回っても間に合うとは思うが、あまりあわてたくはない。
時間に余裕があるうちに帰路につくことにした。
北見滝ノ上駅は滝上町観光に来た時にでも立ち寄ることにしよう。

滝上市街から国道を離れて、上紋峠を越え、岩尾内湖を経由していく道が最短距離で、走ったことのない新鮮な道だったのだが、分岐を見落として、そのまま国道273号を直進してしまった。
国道は浮島湿原を経由する道で、夕方の仕事がなければ、散策していこうかと思っていたのだが、素通りせざるを得なくなった。
それにしても、滝上から浮島までの道は長かった。
こんなに山深いところだったとは。

浮島トンネルを抜けると石北本線沿いの道に出た。
前日と同じ道を走るのもばかばかしいので浮島ICから旭川紋別道に乗った。
高速をぶっとばして、愛別ICで下り、国道39号を旭川駅に向かう。
途中、お腹が空いたので、道の駅とうまでクルミパンとハムチーズパンを買って、運転しながら食べた。
旭川駅前のトヨタレンタカーには想定より随分早く13:40に到着。
これなら予定より1本早い14:00発の特急ライラック26号に間に合うので乗ってしまった。
始発だし、自由席で十分座れた。
さっそくパソコン作業を始めたが、あっという間に寝てしまった。
15:25、札幌駅着。
仕事へと戻った。

(おわり)
このページのトップへ

旧渚滑線(上)

【2018年8月22日(水)】旧渚滑線
名寄本線の廃線歩きは渚滑駅跡で終了。ここから旧渚滑線に移る。
渚滑線は渚滑駅~北見滝ノ上駅間(34.3km)を結んでいた路線で、1923年(大正12年)11月5日に全線開通した。
駅は起点・終点・仮乗降場を含め12か所あった。
1985年(昭和60年)4月1日に廃止され、沿線は現在、北紋バスが運行している、

渚滑駅は前回「旧名寄本線(4)」の項で紹介したので省略。
ひとつひとつ北見滝ノ上駅方面に遡っていく。
左手に見えた渚滑神社。
CIMG0821_201809221730229ce.jpg

その先に紋別市立渚滑小学校。
CIMG0822_20180922173023331.jpg

ここには校地内に渚滑線の線路が保存されている。
CIMG0823_20180922173025a98.jpg

反対側の線路跡は芝生で整備されている。
CIMG0824_20180922173026499.jpg

全国で唯一、校庭を列車が走る学校として知られていたことから、郷土学習の資料として、廃止4年後の1989年に、鉄路を復元したのだそうだ。
CIMG0825_20180922173029d35.jpg

なかなかいいではないか。
DSC_3783_201809221726564e1.jpg

駅名標はおそらく当時使用されていたものだろう。
CIMG0828_20180922172949c64.jpg

踏切もちゃんとある。
CIMG0827_20180922172947fb4.jpg

腕木式信号も。
CIMG0829_20180922172950c81.jpg

トロッコは勝手に遊べないようロックされていた。
CIMG0830_20180922172952c7e.jpg

渚滑駅の次は元西仮乗降場。
元西仮乗降場
(ネットより)
1956年(昭和31年)5月1日に開設され、駅に昇格しないまま廃線を迎えた。
うっかり、ここを訪ねるのを忘れてしまった。

というわけで次は下渚滑駅。
下渚滑駅
(ネットより)
下渚滑駅は渚滑線開通(1923年)と同時に開業した。
1978年に無人化されると、有人駅時代の駅舎は取り壊され、中名寄駅と同型のプレハブ駅となっていた。

下渚滑の集落に入る。
CIMG0831_20180922172917f60.jpg

駅跡は現在、協立運輸(株)の敷地になっている。
CIMG0834_201809221729216f0.jpg

用途はなんと砂利採石場。
CIMG0832_201809221729185f9.jpg

なので跡形もなかった。
CIMG0833_20180922172920220.jpg

近くに、駅を偲ぶように下渚滑のバス停があった。
CIMG0835_2018092217292339c.jpg
ちなみに、渚滑の地名はアイヌ語の「ショーコツ」(滝壺)に由来するという。

次は十六号線仮乗降場。
十六号線2

元西仮乗降場より半年ほど早く、1955年(昭和30年)12月25日に開設された。
十六号線
1面1線の板張りの単式ホームで待合室もなかった。

駅はおそらく、このあたりにあったものと思われる。
CIMG0836_2018092217285261d.jpg

今はもう完全に畑に還ってしまった。
CIMG0837_20180922172854dcd.jpg

従って、正確に位置を特定することはできない。
CIMG0838_20180922172855569.jpg

たぶん、地元の人でも無理だろう。
CIMG0839_20180922172857799.jpg

次の中渚滑駅の跡に行く途中に、中渚滑学校のバス停があったので、寄り道。
CIMG0840_201809221728588ce.jpg

紋別市立中渚滑小学校は2004年3月末をもって閉校したようだ。
CIMG0841_2018092217282512f.jpg

校庭も草がぼうぼう生えている。
CIMG0842_201809221728274c6.jpg

開校したのは、1900年(明治33年)6月15日。104年の歴史を刻んだ。
CIMG0843_201809221728289c9.jpg

校門も草に覆われそう。
CIMG0844_20180922172830def.jpg

校舎は1974年(昭和49年)に完成したものだそうだ。
CIMG0845_20180922172831ee7.jpg

紋別市「コンニチワ」運動はまだ継続中かな。
CIMG0846_20180922172752ac6.jpg

中渚滑駅跡近くにあった馬頭観世音。
CIMG0847_20180922172754520.jpg

中渚滑駅の位置がちょっと分かりにくいので、一応1本ずれていると思われる交差道路も撮っておいた。
CIMG0848_20180922172755641.jpg

駅前商店のさくら商店。
CIMG0849_20180922172756606.jpg

商店の向かいにあった開基百年碑。
CIMG0850_20180922172758712.jpg

となりに入植者が勧請したと思われる出雲神社。
CIMG0851_201809221727212e7.jpg

中渚滑のバス停。駅もこのあたりにあるはずだ。
CIMG0852_20180922172723510.jpg
ここには札幌や旭川行きの長距離バスも停まるようだ。

このバス停近くから少し左側に入ったこのあたりが中渚滑駅跡と思われる。
CIMG0853_20180922172724b27.jpg

ちなみに往年の中渚滑駅はこんなだった。
中渚滑駅
(ネットより)
中渚滑駅は渚滑線開通(1923年)と同時に開業。単式ホームであった。

次は上東仮乗降場。
上東
(ネットより)
1955年に十六号線仮乗降場と同時に開設されている。

現在、駅跡はヤブの中。
CIMG0854_2018092217272655a.jpg

こんなところを鉄道が走っていたこと自体、不思議に思えてくる。
CIMG0855_20180922172727ef3.jpg

近くの上東会館すらシャッターが閉まっていた。
CIMG0856_20180922172653c04.jpg

上東会館の横には、重要な交通路に置かれる馬頭観世音が立っていた。
CIMG0857_20180922172654b0f.jpg

(つづく)
このページのトップへ

旧名寄本線(4)

【2018年8月22日(水)】旧名寄本線
遠軽駅から旧名寄本線の駅の跡を順々に訪ねて、元紋別駅の跡までたどり着いた。
CIMG0785_20180922064608f5b.jpg

元紋別駅の跡地は現在、北紋バスの本社敷地となっている。
CIMG0786_201809220646102d6.jpg

駅舎がどの位置にあったのかは、もはや正確には分からない。
敷地の隅っこは、停留所の標識の墓場になっていた。
DSC_3779_20180922064229ca2.jpg
CIMG0789_201809220646168a7.jpg

ちょっと欲しいかも。
CIMG0788_20180922064613cce.jpg

北紋バスのデザインは赤と白のラインが基調となっている。
CIMG0791_201809220645400b0.jpg

関係ないが、近くにあった木造家屋。
CIMG0792_20180922064542ba7.jpg

道路を挟んで、少し北に元紋別のバス停があった。
CIMG0793_20180922064543e85.jpg

紋別市のマンホールの別バーションは、オホーツクタワーがモチーフ。
CIMG0787_20180922064612331.jpg

再び、紋別市街に戻ってきた。本当は泊まりたかった紋別プリンスホテル。
CIMG0794_201809220645450dd.jpg

紋別駅の跡地は「オホーツク氷紋の駅」になっていた。
CIMG0795_20180922064546277.jpg

紋別駅は鴻之舞金山に通じる鴻紋軌道(延長28km)の始発駅でもあったので、その記念碑があった。
CIMG0796_20180922064513fbc.jpg

鴻之舞金山は1917年(大正6年)~1973年(昭和43年)まで56年間操業し、当時は東洋一の金山として栄えたという。
CIMG0798_201809220645163bc.jpg

鉱山町の人口は1万4600人を数え、金の生産量は1940年(昭和15年)には2480kgにも達したとか。
CIMG0797_20180922064515a91.jpg

ちなみに作曲家宮川泰の父は鴻紋軌道の敷設技師であったという。
宮川の代表作はザ・ピーナッツや園まり、西田佐知子などに楽曲を提供、代表作に「恋のバカンス」とか「宇宙戦艦ヤマト」などがある。
その宮川が作曲した「銀色の道」(1966年、ザ・ピーナッツとダーク・ダックスの競作)の紹介があった。「とおおいい、とおおい~はるかな道は~♫」。懐かしいねえ。
CIMG0799_20180922064518c46.jpg

こちらは紋別駅のモニュメント。
CIMG0800_20180922064519c57.jpg

1998年に紋別を訪ねた時は、バスターミナル建物の脇に線路とホームが保存されていたように記憶しているが、記憶違いだろうか。
CIMG0804_20180922064452306.jpg

駅舎とはちょっと離れた場所に駅名板だけ保存されているわけだが、まあ、ないよりはマシか。
CIMG0802_20180922064449715.jpg

しかし、もう少しまともな保存の仕方はなかったのだろうか。
CIMG0803_20180922064450a86.jpg

線路の跡1810mを「メモリアル通り線」として残しているそうだが、この説明ではどこにあるのか、さっぱり分からなかった。
CIMG0801_20180922064447a5b.jpg

紋別市民憲章の石碑に添えられたオブジェはなぜかフクロウ。
CIMG0805_201809220644539f0.jpg

バスターミナルのバス停の列。
CIMG0806_20180922064411b32.jpg

紋別駅の次は潮見町駅。
潮見町駅看板(ネットより)
潮見町駅は1959年(昭和34年)11月1日に開業した。
単式ホームで、駅舎も待合室もなかった。

ホームはこのあたりにあったと思われる。後ろが同じ建物だ。
CIMG0807_20180922064412306.jpg

潮見町駅付近の線路跡はこの道路の拡幅のため消滅してしまった。
CIMG0808_20180922064414eaa.jpg

次は渚滑駅。
渚滑駅(ネットより)

渚滑駅の開業は1921年(大正10年)3月25日。
国鉄時代末期に無人化される前までは、2面3線の複合式ホームがあった。
渚滑駅看板

現在はパークゴルフ場になっている。
CIMG0809_20180922064415978.jpg

ゴルフ場の休憩所に「渚滑駅」の駅名板が掲げられているが、これが当時の駅舎だったわけではない。
CIMG0810_2018092206441788d.jpg

駅の記憶を留めるのはいいが、こういう「ウソ」は止めてほしい。
CIMG0812_20180922064341e86.jpg

それにしても平日の朝っぱらから、このゴルフ場やけに賑わっている。
CIMG0811_201809220643399d1.jpg

いったい、町の人は働いているのだろうか。みんな年金生活者ってわけでもあるまいし。
CIMG0813_201809220643426b4.jpg

信号にはまだ「渚滑駅前」の名が残っていた。こういう痕跡はうれしい。
CIMG0814_20180922064346bfd.jpg

近くにSLが保存されていた。
CIMG0819_20180922064304a52.jpg

9600形である。
CIMG0818_20180922064303aba.jpg

このレールは原位置を保っているような気がする。
CIMG0817_201809220643014f3.jpg

駅名標がはずされた枠だけが立っていた。枠だけ移設して保存するのは珍しい。
CIMG0816_20180922064300adc.jpg

これは渚滑駅から分岐していた渚滑線のキロポストだろうか。
CIMG0815_20180922064346562.jpg
「2」と読めるので、これも移設したものだろう。

このSLはもともと紋別市運動公園(紋別市南が丘町)で静態保存していたものを、渚滑ふれあいパークゴルフ場など周辺の再整備に伴い、ここに移転したものだという。
CIMG0820_20180922064306a61.jpg

紋別市としては解体して一部保存の方針だったが、全国の鉄道ファンの声に押されて、補修の上、ここに完全保存したのだそうだ。
DSC_3782_20180922064230ce6.jpg

ここから名寄本線を離れて、渚滑線の駅跡めぐりとなるので、「旧名寄本線」の項はこれでおしまいです。

(「渚滑線」につづく)
このページのトップへ

旧名寄本線(3)

【2018年8月22日(水)】旧名寄本線
紋別の夜が明けた。なんと雨が降っている。
雨がひどいようなら、今日の廃線歩きは止めて真っすぐ社に帰ろう。
そう腹をくくって、朝7時の朝食をいただいた。
DSC_3774_20180921224731adb.jpg

会計を済ませて、外に出ると、幸い、雨は止んでいた。ありがたい。
出発する前に、すぐ裏手にある紋別港を見学した。
CIMG0729_201809212252585d1.jpg

もう7時半だが、船が出港している。これから漁に出かけるのだろうか。
CIMG0730_20180921225300bec.jpg

いずれにしろ静かであった。
CIMG0731_2018092122530157e.jpg

昨夜泊まった民宿まるたけは、つり船の店と一体になっていた。そのわりには・・・
CIMG0732_201809212253033dd.jpg

紋別市のマンホールは、船の舵輪とアザラシ。
CIMG0733_20180921225305117.jpg
アザラシは紋別市のマスコットキャラクター「紋太」ではなかった。

今日は仕切り直しということで、名寄本線支線の終点、湧別駅から。
湧別駅
湧別駅駅名標(ネットより)
紋別から30kmほど引き返す。

この新しい行政機関が立ち並んでいる一帯が湧別駅の跡である。
CIMG0734_20180921225233a64.jpg

これは湧別町文化センター。
CIMG0735_2018092122523589b.jpg

その北隣には遠軽地区広域組合消防署湧別出張所がある。
CIMG0736_20180921225236848.jpg

出張所の前に、「湧別駅跡」の石碑が設置されていた。
CIMG0737_2018092122523895d.jpg
湧別駅は1916年(大正5年)11月21日に湧別軽便鉄道の下湧別駅として開業した。
湧別駅に改称されたのは1922年9月2日のことである。
名寄本線の湧別支線は、末期の列車本数は1日2往復しかなく、国鉄時代には清水港線に次いで、旅客列車の少ない区間として鉄道ファンにはよく知られた存在だったという。

湧別町のメインストリート。
CIMG0738_20180921225239741.jpg

この町もまた典型的なシャッター街である。
CIMG0740_20180921225158c83.jpg

汚れのせいで、「ゴミ理容院」と読めてしまった。
CIMG0739_2018092122515661c.jpg

昨日も訪ねた四号線駅跡であるが、この標識を撮り忘れたので、もう一度立ち寄った。
CIMG0741_20180921225159262.jpg

湧別支線の廃線跡は道路に転用され、リラ街道と名付けられている。
CIMG0742_20180921225201b15.jpg

たぶん、この歩道が線路跡だ。
CIMG0743_2018092122520288e.jpg

では、名寄本線の「本線」に戻ろう。
昨日の続きということになるが、中湧別駅の後は川西駅である。
川西駅(ネットより)

川西駅は1957年(昭和32年)8月1日の開業。
1面1線の単式ホームで駅舎はなく、ホーム上に待合室があるだけだった。
川西駅ホーム

川西駅への途中、エゾシカさんに遭遇。
CIMG0744_20180921225130f69.jpg

向こうもびっくりしたのか、こちらを警戒しながら道路を横断。
CIMG0745_20180921225132381.jpg

そのまま、ヤブの中に逃げ込んでいった。
CIMG0746_2018092122513368c.jpg

この並木はたぶん防雪林なので、川西駅跡はこの近くのはず。
CIMG0747_20180921225135f22.jpg

しかし、あたりは一面の畑だ。
CIMG0748_20180921225136061.jpg

ここがおそらく駅の跡だと思うが、痕跡はまるでなし。
CIMG0749_201809212251025c1.jpg

次は旭駅。
旭駅看板
(ネットより)

1947年(昭和22年)9月10日の開業。
石組土盛りの単式ホームで、ホーム上に待合室があるだけだった。
旭駅
(ネットより)

このダートの道は線路と交差していた道。
CIMG0750_20180921225104cad.jpg

駅はこの林の中にあったと思われる。
CIMG0751_20180921225106e23.jpg

廃線(1989年5月1日)から30年近くも経つと完全に自然に戻ってしまう。
CIMG0753_20180921225108f59.jpg

帯状に樹木が細いところはないかと目を凝らす。
CIMG0752_20180921225109fad.jpg

結局、確証が得られないまま林を抜けてしまった。
CIMG0754_20180921225020821.jpg

次は沼ノ上駅。
沼ノ上駅看板(ネットより)

沼ノ上駅は1921年(大正10年)3月25日の開業。
かつては2面2線の相対式ホームだったが、廃止時は単式ホームになっていた。
駅舎は中名寄駅などと同型のプレハブ駅舎だった。
沼ノ上駅
(ネットより)

その途中、遠軽町と紋別市の境をなすシブノツナイ川には名寄本線のガーター橋が残っているとの情報があり、車を停めて行ってみた。
CIMG0756_20180921225023070.jpg

道路橋の名称は漢字表記だった。
CIMG0755_2018092122502191e.jpg
川に沿って、廃道を進んでみたが、雨の後の草むらなので、靴がびしょびしょになってしまい、たどり着く前に断念して引き返した。

沼ノ上駅跡はホームが保存され、新しい駅名標(レプリカ)が設置されていた。
CIMG0757_201809212250249f7.jpg

2001年の時点では現役時代のものが残っていたらしい。
CIMG0759_20180921224953eaf.jpg

2003年に紋別市が公園として整備したのだそうだ。
CIMG0758_2018092122502670d.jpg

ホームも崩れかけていたそうだが、補修されてアスファルト舗装をほどこしていた。
CIMG0760_20180921224955e66.jpg

駅名の由来は、近くにあるコムケ湖とシブノツナイ湖を望む高台になっていることによるという。
CIMG0761_20180921224956f15.jpg

駅の近くにあった古い民家。まだお住まいの様子だ。
CIMG0762_20180921224957881.jpg

紋別消防団第四分団。
CIMG0763_20180921224959dcf.jpg

名称は分からないが駅前商店。電気はついているので現役のようだ。
CIMG0764_20180921224923a21.jpg

駅前ロータリー的な空間。
CIMG0765_201809212249252c9.jpg

沼ノ上地区生活改善センター。公民館のようなものと思われる。
CIMG0766_20180921224926728.jpg

紋別市立沼ノ上小学校はものすごく新しい校舎だが、2011年3月に廃校となっている。
CIMG0767_20180921224927e92.jpg

何かに再利用していないのだろうか。人気が全くなかった。
CIMG0768_201809212249294a0.jpg

国道238号沿いにあった沼ノ上のバス停。これもかなり立派である。
CIMG0769_201809212248557bb.jpg

次は弘道駅。
弘道駅(ネットより)
弘道駅は1956年(昭和31年)5月1日の開業。
単式ホームで、ホーム横に待合室があった。

この駅の跡はすぐに分かった。防雪林が規則正しく2列に並んでいたからだ。
CIMG0770_201809212248578e1.jpg

道路にも踏切の跡が確認できた。
CIMG0771_2018092122485842b.jpg

駅はこのあたりにあったはずだ。
CIMG0772_201809212249009e4.jpg

国道沿いにあった弘道のバス停。
CIMG0773_20180921224901acd.jpg

弘道の地名は、当地の入植者が水戸学の弘道精神を伝えたことに由来するという。
CIMG0774_201809212248281d3.jpg

次は小向駅。
小向駅看板(ネットより)

小向駅は1921年(大正10年)3月25日の開業。
2面2線の相対式ホームで、立派な駅舎もあった。
小向駅(ネットより)

現在、駅跡は紋別市小向農園公園として整備されている。
CIMG0775_20180921224830642.jpg
奥に見えるのは、紋別市立小向小学校。

赤茶色に舗装されているのが線路跡なのだろう。
CIMG0776_2018092122483104d.jpg

駅のあった位置には、駅名標のレプリカが設置され、転轍てこなど関連施設が展示されていた。
CIMG0780_201809212248015e8.jpg

遠軽方面の隣の駅は「弘道」ではなく「沼ノ上」になっている。
CIMG0777_20180921224833856.jpg

弘道駅が1987年3月31日まで仮乗降場だったことによるものと思われる。
CIMG0778_20180921224834226.jpg

紋別方面も一本松駅ではなく元紋別駅の表示だった。
CIMG0779_201809212247598c7.jpg

国道に戻ると、集落の真ん中に小向のバス停があった。
CIMG0781_201809212248025d0.jpg

次は一本松駅。
一本松駅ホーム(ネットより)

一本松駅は1955年(昭和30年)12月25日に仮乗降場として開業。
単式ホームで、ホーム横に待合室があった。
一本松駅
(ネットより)

この駅もわりとすぐに分かった。
CIMG0782_20180921224804ffd.jpg

林の中に線路の幅だけ樹木の生えていない部分があったからだ。
CIMG0783_2018092122480582a.jpg

ここにも1本、「一本松駅跡」などと標柱を立ててくれたら、いいのだけどなあ。
CIMG0784_20180921224730ff3.jpg

次は元紋別駅。
元紋別駅看板(ネットより)

1921年(大正10年)3月25日、名寄東線の中湧別~興部間開通に伴い開業。
国鉄末期に無人化される前は、2面3線の複合型ホームを有し、木造の駅舎も伴っていた。
元紋別駅
(ネットより)

(つづく)
このページのトップへ

旧名寄本線(2)

【2018年8月21日(火)】旧名寄本線
旧名寄本線の駅跡めぐりをしている。
遠軽駅から湧別支線の四号線駅跡まで来たところで一旦切り上げ、紋別での仕事現場に直行する。
直行と言いながら、途中に立ち寄った紋別オホーツク空港。
CIMG0690_20180921084555d43.jpg

開港したのは1966年(昭和31年)7月21日だから、もう半世紀以上前のことになる。
北海道では11番目の空港だった。
CIMG0691_2018092108455683b.jpg
その後、1999年11月にジェット化した新空港の供用が始まった。
定期便は現在、羽田便(ANA)が1日1往復しているだけだ。
過去に札幌便(丘珠、千歳)が何度も就航と休止を繰り返してきたが、2013年1月31日にANAの新千歳便が廃止されて以来、定期便は飛んでいない。
年間利用客数は2017年で75190人。種子島空港より少ない。

この後、お土産を物色しに、道の駅オホーツク紋別に立ち寄った。
DSC_3761_20180921084242fb9.jpg

ここは紋別四大ステーションの一つだそうだ。
DSC_3762_20180921084243fe2.jpg

流氷のふるさとアムール川にちなんだアムールの架け橋なるものがあった。
DSC_3763_20180921084245f1a.jpg

架け橋につるされたホタテの「絵馬」。願い事を書けば叶うのかな。
DSC_3770_201809210842236e4.jpg

道の駅には、道立オホーツク流氷科学センターが併設されている。
DSC_3764_20180921084247506.jpg

それでは、ちょっと失礼します。
DSC_3765_20180921084248ec5.jpg

ここでも萌えチャラがお出迎え。
DSC_3766_20180921084217170.jpg
オホーツク観光大使の結月ゆかりちゃんだ。

ヒグマではなくシロクマも歓迎してくれた。
DSC_3767_20180921084219dc7.jpg

顔ハメはアザラシさんかな。
DSC_3768_20180921084220bd6.jpg

結局、それほど美味しそうな名産のスイーツはなく、オホーツクの塩を使った「塩キャラメルブッセ」を購入した。
DSC_3990_20180921085528283.jpg

それでは、道の駅を後にする。
DSC_3769_20180921084222acc.jpg

この後は今度こそ、仕事先の紋別市図書館に直行。
1時間ほどで仕事を済ませ、暗くなる前に紋別市内をしばし見学した。

図書館の横にある公園には、「消防魂」と題した石像があった。
CIMG0694_20180921084558cbb.jpg

紋別消防団の発足は1897年(明治30年)。その100周年を記念して建てられたものだという。
CIMG0695_2018092108460149a.jpg

そのまた隣が紋別市役所。
CIMG0696_20180921084601101.jpg

紋別市の人口は2018年8月末現在で2万1783人
1970年には3万5110人もいたが、他の地方都市と同様、減少の一途をたどっている。
CIMG0698_201809210845311c6.jpg

市役所前も寂れている。
CIMG0697_20180921084529faf.jpg

お風呂は宿で入れるので、日帰り入浴は省略。
CIMG0699_201809210845333fe.jpg

港町らしく厳島神社があった。
CIMG0700_2018092108453459e.jpg

「皆さまの金物センター あまがた」は廃業。
CIMG0701_20180921084535a9c.jpg

本町1丁目バス停。運行は北紋バス。
CIMG0703_20180921084504c6f.jpg

そして紋別市街を一望すべく、紋別山(大山)へ。
CIMG0704_20180921084506f89.jpg

山頂周辺は「大山山頂園」という公園になっている。
CIMG0705_20180921084507cbd.jpg

芝生には野外彫刻がいくつも展示されていた。
CIMG0706_201809210845092fe.jpg
CIMG0707_20180921084510b52.jpg

これらは地元出身の渡辺行夫さん(1950年生まれ)の作品だ。
CIMG0708_20180921084442522.jpg

道を挟んで反対側の作品群。
CIMG0709_20180921084443e43.jpg

これも地元出身の作家、斎藤顕治さん(1933~2006年)の作品だった。
CIMG0724_201809210843086ab.jpg

こちらは地元の政治家、松田鉄蔵氏(1900~1974年)。
CIMG0711_201809210844468b3.jpg

自民党の衆議院議員を連続7期務めたが大臣になることはなかったようだ。
CIMG0712_20180921084448093.jpg

こちらが、オホーツクスカイタワー。
CIMG0710_20180921084444684.jpg
1994年に完成し、各テレビ局の中継局を兼ねている。
もう17時半を過ぎているので、営業を終了しているだろうと思ったが、まだ空いていた。
なんと夏期は夜9時までの営業だった。夜景も見せてくれるのだ。
でも赤字だろうなあ。
せっかくなので入館料200円を払って中に入る。

標高約300m+高さ31mの展望台からの眺め。
DSC_3771_20180921084155020.jpg

もうかなり薄暗いし天気もぱっとしないが、紋別市街と紋別港そしてオホーツク海を望める。
CIMG0714_2018092108435745e.jpg

網走方面。
CIMG0715_20180921084358527.jpg

内陸方面。何山なのかはさっぱり分からない。
CIMG0716_201809210844001b4.jpg

パノラマの説明板もなかった。
CIMG0717_201809210844014c4.jpg

天気が良ければ、大雪山なども見えるのかもしれない。
CIMG0718_20180921084405759.jpg

駐車場と紋別山(334m)山頂方面。
CIMG0719_20180921084331746.jpg

ここには中継塔らしきものが林立している。
CIMG0720_201809210843348c2.jpg

半島状の緑は紋別公園。
CIMG0721_20180921084334b11.jpg

1階には地元作家の作品が展示されていた。
CIMG0722_201809210843365eb.jpg
CIMG0723_20180921084337e1b.jpg

ちょっと雨が降ってきたが、ついでに紋別山の真の山頂にも行ってみることにした。
山頂には中継塔が立っているようなので、車が行ける道がついているはずだ。
もちろん一般車は通行できないので、徒歩で行く。
タワーから10分くらいで到着。
CIMG0725_201809210843101f6.jpg

しかしフェンスが張り巡らされており、三角点のあるところまでは行けなかった。
CIMG0726_20180921084311545.jpg
でも、ほぼ同じ高さまで来たので、「登った山」として認定する。

シシウドが2m以上の高さに成長していた。
CIMG0727_2018092108431329d.jpg

北海道は寒いのに、植物はデカいと思う。
CIMG0728_20180921084314ce6.jpg

この日は、学生の音楽関係、スポーツ関係の合宿が紋別市内に集中しているらしく、数少ないホテルはどこも満室。
天然温泉のある紋別プリンスホテルに泊まりたかったのだが、やむなく紋別港に近い民宿まるたけを予約しておいた。
DSC_3772_20180921084158fb1.jpg

港に近いので、夕食の魚に期待したが、それほど豪華ではなかった。
DSC_3773_20180921084158d73.jpg
ちょっとホッケに似た焼き魚ははっかく。
大根と一緒に煮付けてあるのは、おひょうだった。
刺身は甘エビとサーモン。あとはズワイガニといったメニューだった。
あまり食べたことのないものを食べれたのはよかった。
一応、缶ビールを1杯。
この日同宿したのは、小さな男の子2人を連れた家族連れだけで、食事も隣り合わせたのだが、ちょっとユニークな家族(日本人)であった。

食後は、ふつうの沸かし湯に入って、汗を流し、夜はしばらくパソコン作業をするつもりだったが、眠くてあっという間に寝てしまった。

今回の内容は名寄本線でも何でもなかったが、明朝から再開します。

(つづく)
このページのトップへ

旧名寄本線(1)

【2018年8月21日(火)】旧名寄本線
JR石北本線の駅舎めぐりを遠軽駅で終え、旧名寄本線の駅の跡めぐりに移った。
遠軽駅の次は北遠軽駅。
1956年(昭和31年)11月以前(時期不詳)に学田仮乗降場として開設され、59年11月1日に駅に昇格したのと同時に、北遠軽駅に改称された。
北遠軽駅
(ネットより)

その30年後、名寄本線の廃止に伴い、89年5月1日に廃止された。
もともと単式ホームに待合室があるだけの駅だったので、位置の特定がむずかしかったが、鉄道の防雪林と思われるこの並木が手がかりとなる。
CIMG0615_20180920212554624.jpg

おそらく水路と防雪林の間を線路が走っており、駅もこのあたりにあったと思われる。
CIMG0616_20180920212555d1a.jpg

目印はこの「小池低温倉庫」の標識だ。
CIMG0617_201809202125571cb.jpg
基本的に痕跡は全くなかった。

次は開盛駅。ここには「開盛駅跡之碑」が立っていたので、探し回る必要はなかった。
CIMG0621_2018092021252922f.jpg

開盛駅は1915年(大正4年)に鉄道院湧別軽便線の社名淵(さなふち)駅として開業した。
開盛駅駅名標
(ネットより)

この碑は、開盛開基100周年を記念して、地元の川名富子氏の寄贈により建立されたものだ。
CIMG0624_201809202125335a3.jpg

廃止時は単式ホームだったが、立派な駅舎があったそうである。
開盛駅
(ネットより)

この舗装道路がおそらく線路跡だろう。
CIMG0623_20180920212532660.jpg

すこし離れたところにあった開盛開基百年記念碑。
CIMG0620_20180920212528368.jpg

バス停も百年記念碑の前にあった。
CIMG0618_20180920212558e3c.jpg

おそらく集落唯一の商店だったであろう音羽商店はすでに廃業していた。
CIMG0619_20180920212600588.jpg

次の共進駅跡は、畑の真ん中なので、正確な位置は分からない。
CIMG0626_20180920212501a60.jpg

近くにあった廃屋。駅とはおそらく関係ないだろう。
CIMG0627_2018092021250328c.jpg

もしかしたら、この倉庫が立っているあたりだったのかもしれない。
CIMG0628_20180920212504695.jpg

ちなみに、共進駅は1955年(昭和30年)12月1日に一区中通仮乗降場として開設され、59年11月1日に駅に昇格、同時に改称された。
共進駅駅名標
(ネットより)

開盛駅もそうだが、いかにも開拓地ならではの名称だ。
この駅も単式ホームで、ホーム上に待合室があるだけだったという。
共進駅
(ネットより)

そんな駅が廃止され、線路跡が削平されて畑に戻ったら、痕跡など残るわけがない。
何の面影もない駅跡を訪ねて、何になるのかと思うなかれ。
縄文時代の遺跡だって地上には何もない。そこに立つことに意味があるのだ。

近くに村の鎮守、川上神社があったので足をのばしてみた。
CIMG0629_201809202125068f0.jpg

境内には、何周年かの記念碑があったが、何が何周年なのか判読できなかった。
CIMG0630_20180920212428e30.jpg

こちらは行啓記念碑。こんなところにも皇族の方がお出ましになったのだ。
CIMG0632_2018092021243209d.jpg

ささやかな社殿。
CIMG0631_20180920212430bf5.jpg

境内には駅の旧名称を伝える小屋が残っていた。
CIMG0633_20180920212433be0.jpg

次の上湧別駅に向かう。
旧上湧別町(現・湧別町)のマンホール。チューリップと「かみゆうべつチューリップ公園」がデザインされている。
CIMG0634_20180920212436460.jpg

別のタイプのマンホールも。こちらはマスコットキャラクターのチューピットくん。
CIMG0637_20180920212408081.jpg

駅はなくなっても、駅前通りの名だけはいつまでも変えないでほしい。
CIMG0635_20180920212405e66.jpg

正面にあったと思われる上湧別駅の駅舎はもはやない。何となく間が抜けた感じだ。
CIMG0636_2018092021240634d.jpg

鉄道の面影が全くないが、ここが上湧別駅の跡地。
CIMG0638_20180920212409fb4.jpg

何か記憶を残そうという発想がまるでないのが、非常に残念だ。
CIMG0639_20180920212411f66.jpg

かつてはこんな立派な駅があったのに。
上湧別駅
(ネットより)

上湧別駅は1916年(大正5年)11月21日に開業。単式ホームだったが立派な駅舎があった。廃止前の1981年度には1日平均221人もの乗降客がいたという。
上湧別駅駅名標
(ネットより)

この木々は駅前にあったものだろうか。ちょっとズレているので違う気もする。
CIMG0640_2018092021233239d.jpg

この空き地は明らかに上湧別駅近くの線路跡である。
CIMG0641_20180920212333c4d.jpg

駅周辺には、石造やレンガ造りの倉庫がいくつも残っていた。
CIMG0642_201809202123352e0.jpg
CIMG0643_20180920212336e18.jpg
CIMG0644_201809202123388d0.jpg

倉庫の一つは、焼肉屋さんとして再利用されていた。
CIMG0647_20180920212309805.jpg

運送会社の事務所だったと思われる建物。
CIMG0645_20180920212306954.jpg

昔は「デパート」まであったのだ。
CIMG0646_20180920212307c31.jpg

次の北湧駅への線路跡。
CIMG0648_20180920212310e67.jpg

途中にあった上ゆう別公園。
CIMG0649_20180920212312070.jpg

奥に大きな石碑があったが、内容は確認せず。
CIMG0650_20180920212237475.jpg

ここに長さ100mの藤棚があるそうだ。
CIMG0651_20180920212239c36.jpg

となりに上湧別神社。
CIMG0652_20180920212240f61.jpg

チューリップ館の入口には北湧尋常・高等小学校跡の石碑が立っていた。
CIMG0653_201809202122426d9.jpg

北湧駅は、このチューリップ公園の敷地内にある。
CIMG0654_2018092021224330e.jpg

今は全くチューリップの季節ではないので閑散としている。
CIMG0655_201809202122094a7.jpg

昭和30~40年代、上湧別はチューリップの一大産地で、米国にも輸出するほどだったが、オランダの球根ダンピングで次第に衰退してしまったという。
町に活気をもたらしたチューリップを後世に伝えようと、花いっぱい運動が始まり、それが発展したのがチューリップ公園なのだとか。全然知らなかった。
CIMG0656_20180920212211b28.jpg

このあたりは北兵村一区とも呼ばれているようだ。
CIMG0659_201809202122157c4.jpg

園内には、当時の開拓農家を再現した屯田生活体験館もある。
CIMG0657_2018092021221208d.jpg

この巨大な建物は湧別町ふるさと館JRY。
CIMG0661_20180920212140661.jpg

オランダ風車。
CIMG0662_2018092021214157a.jpg

そして肝心の北湧駅跡はたぶん、このあたりである。
CIMG0658_20180920212214f2e.jpg

北湧駅は1966年(昭和41年)10月1日に北湧仮乗降場として開設された。
87年にようやく駅に昇格したのに、その2年後には廃止されてしまった。
北湧駅
(ネットより)

次の中湧別駅方面の線路跡は道路に転用されていた。
CIMG0660_20180920212138124.jpg

チューリップをイメージしたバス待合所。
CIMG0663_201809202121432b6.jpg

「北兵村1区」のバス停もチューリップ形だった。
CIMG0664_20180920212144ef7.jpg

間もなく、中湧別の市街地に入ってきた。
CIMG0665_20180920212111d97.jpg

中湧別駅跡には道の駅かみゆうべつ温泉チューリップの里が建設されている。
CIMG0666_20180920212113721.jpg

温泉にはさすがに入っている暇はなかった。
CIMG0667_201809202121143ae.jpg

中湧別駅は駅の一部が保存されていた。
CIMG0668_201809202121167e7.jpg

中湧別駅は1921年(大正10年)3月25日の開業。
CIMG0669_20180920212117c0f.jpg

当時は結構大きな駅だった。
中湧別駅
(ネットより)

JRではなく国鉄時代の車両が保存されている。
CIMG0670_20180920212039b74.jpg
DSC_3757_20180920211845357.jpg

ラッセル車も。
CIMG0671_20180920212041d50.jpg

当時の駅名標。これは本物だろう。
CIMG0672_20180920212042fe3.jpg

1980年まで運行されていた急行「天都」の停車駅であった。
CIMG0673_20180920212043de0.jpg

隣の駅が北湧(ほくゆう)になっていないのは、北湧が駅に昇格する前に作られたものだからだろう。
CIMG0674_201809202120459dd.jpg

当時の構内放送まで流れていた。
CIMG0675_20180920212013bcb.jpg

この週の金曜日にはイベントがあるようだ。
CIMG0676_20180920212015fad.jpg

この名所を見ても、恥ずかしながら、ひとつとして聞いたことがあるところはなかった。
CIMG0677_20180920212017b79.jpg

車両の中には入れないが、覗いてみた。
CIMG0678_20180920212018197.jpg

イベントの日には入れるらしい。
CIMG0679_20180920212020c79.jpg

かつて、この駅から網走方面に湧網線が分岐していたが、JRとなる直前の1987年3月20日に廃止されている。
DSC_3758_20180920211846ba3.jpg

かつては2面3線の複合型ホームであった。
CIMG0680_201809202119465b4.jpg
CIMG0684_20180920211952c6e.jpg

駅跡ではなく「保線区之碑」とはめずらしい。
CIMG0682_201809202119494a8.jpg

保線区OBが建立したもののようだ。
CIMG0681_201809202119471ae.jpg

地域は鉄道には長年にわたりお世話になったのだから、こんな風に残しておくのはとても意味のあることだと思う。
DSC_3760_20180920211848004.jpg

麺屋おほーつく(うどん屋)へはここから4km。
CIMG0685_201809202119166bc.jpg

ここはまだ旧上湧別町のエリアであった。
CIMG0686_20180920211918c37.jpg

駅前の名残、松屋旅館。
CIMG0687_201809202119192cd.jpg

次は湧別支線の四号線駅の跡へ。
線路跡はリラ街道になっていた。
CIMG0688_20180920211920ade.jpg

おそらく、このリララ公園が四号線駅の跡だ。
CIMG0689_20180920211922d93.jpg

かつてはこんな駅だった。
四号線駅
(ネットより)

仮乗降場時代の駅名標はこんなに小さかったのか。
四号線駅駅名標
(ネットより)

ここでタイムアップ。これ以上寄り道をしていると、アポの時間に遅れてしまうので、この後もたくさん駅跡があるが、それらは明日に回して、紋別市街へ向かうことにした。

(つづく)
このページのトップへ

18石北本線(4)

【2018年8月21日(火)】石北本線
JR石北本線の駅舎めぐりを継続中。
白滝を抜けて、丸瀬布の市街地に入ってきた。
CIMG0551_2018092008312230d.jpg

この町のメインストリートもシャッター街になっている。
CIMG0552_20180920083124fa3.jpg

駅前の農業倉庫。
CIMG0553_20180920083125f78.jpg

駅前旅館だったと想像される古い家屋。
CIMG0557_201809200831019fa.jpg

この駅は構外から駅名標を見ることができた。
CIMG0554_20180920083128936.jpg

ホーム上の待合室。
CIMG0555_20180920083128c07.jpg

丸瀬布は「SLと昆虫のまち」だそうだ。
CIMG0556_20180920083059d91.jpg

その触れ込みの通り、マンホールのモチーフもSLと蝶。
CIMG0559_2018092008310442e.jpg

これが丸瀬布駅の駅舎。
DSC_3749_20180920082617cef.jpg

生涯学習館と一体化している。
CIMG0558_20180920083102bf5.jpg

というか入口に駅の表示はない。
CIMG0560_2018092008310550d.jpg

なぜか屋外に駅名板があった。
CIMG0561_20180920083036ae4.jpg

運行本数は6往復。白滝駅よりは多い。
CIMG0562_20180920083037cab.jpg

ホームに出てみた。
CIMG0563_20180920083039f55.jpg

遠軽方面。
CIMG0564_20180920083040bab.jpg

丸瀬布にはSL「雨宮21号」が運行している「森林公園いこいの森」と「丸瀬布昆虫生態館」が観光施設として人気だ。
CIMG0565_20180920083042eb6.jpg

「雨宮21号」は、1928~63年にかけて存在した武利意森林鉄道で活躍していたSLである。
CIMG0566_20180920083010ab3.jpg

丸瀬布の地名は、アイヌ語の「マウレセプ」(3つの川の集まる広い所)に由来する。
CIMG0567_20180920083012021.jpg

1998年に家族でここを訪ねた折、「雨宮21号」に乗った気がするのだが、記憶がおぼろげだ。
CIMG0568_20180920083013d0a.jpg

この駅舎(というより生涯学習館)は2000年に改築されたもので、図書館や託児所が併設されている。
CIMG0569_20180920083014b06.jpg
開業は1927年(昭和2年)10月10日である。

駅前通り。
CIMG0570_20180920083016505.jpg

町営バスが運行していた。
CIMG0571_20180920082946506.jpg
次は、廃止になった伊奈牛駅の跡を探す。

ネットの情報によると、この看板の近くらしい。
CIMG0572_20180920082948289.jpg

確かに、「伊奈牛」のバス停もある。
CIMG0573_20180920082949954.jpg

あのヤブのあたりにホームがあったものと思われる。
CIMG0574_20180920082951710.jpg

でも、ヤブこぎをするほどの元気はないので、近くの踏切から遠望するも、それらしき痕跡を確認することはできなかった。
CIMG0575_2018092008295272b.jpg

ちなみに伊奈牛駅は1956年(昭和31年)11月1日に仮乗降場として開業、87年4月1日に駅に昇格したが、そのわずか3年後の90年9月1日に廃止されてしまった。
CIMG0576_20180920082923573.jpg

かつては板張りのホームと木造の待合室があったようだ。
伊奈牛駅
(ネットより)

遠望した場所は「岡崎」踏切。
CIMG0577_20180920082925439.jpg

次は現役の瀬戸瀬駅。
CIMG0578_20180920082926159.jpg

駅前の立派な廃屋。
CIMG0579_20180920082928fd1.jpg

向かいにも、折り重なるように廃屋。
CIMG0580_2018092008292948f.jpg

短い駅前通り。
CIMG0581_20180920082848b54.jpg

瀬戸瀬駅の開業は丸瀬布駅と同じ1927年10月10日。
この駅舎が建てられたのは1988年である。今年でちょうど30周年だ。
CIMG0582_201809200828508c4.jpg

2面2線の相対式ホームで、2番線には跨線橋で渡る。
CIMG0583_201809200828519d4.jpg

森の中にあるような駅名標。
CIMG0584_2018092008285409b.jpg

瀬戸瀬の由来は、アイヌ語の「セッウㇱイ」(巣・多い・川)の転訛、もしくは「セタニウシウトゥルコッ」(エゾノコリンゴの木・群生する所・の間の・沢)の前半部「セタニウシ」が「セタウシ」となり、さらに転訛したものという説があるが、はっきりしないそうだ。
CIMG0585_20180920082855b69.jpg

2013~17年の平日の平均乗車人員平均は1.8人とのことなので、早晩廃止の対象となりそうだ。
CIMG0586_20180920082825335.jpg

ホーム側の正面。
CIMG0587_201809200828273bf.jpg

跨線橋から遠軽方面を望む。
CIMG0588_2018092008282822e.jpg

白滝方面。
CIMG0589_20180920082830d49.jpg

かつては2面3線として運用されていたらしく、側線がある。
CIMG0590_201809200828319a3.jpg

2016年3月のダイヤ改正により、白滝~遠軽間の普通列車が減便され、瀬戸瀬駅に停車する列車は4往復から2往復となった。
CIMG0591_201809200827597b5.jpg

今後さらに減らされて、1日1往復となり、そして白滝各駅のように廃止されてしまうのだろうか。
CIMG0592_20180920082801cd1.jpg

それとも石北本線自体の廃止が先か。たぶん大丈夫とは思うが。
CIMG0593_20180920082803200.jpg

跨線橋にはポスター1枚貼られていなかった。
CIMG0594_2018092008280467c.jpg

待合室。
CIMG0595_20180920082805bc9.jpg

下り列車は始発7:32に出た後、終発21:11まで、なんと14時間近く空白だ。
CIMG0596_2018092008272978f.jpg

ここを訪ねる旅行者は遠軽からバスで来て、列車で上川方面に行くしか方法はないらしい。
CIMG0597_201809200827318cc.jpg

それでは遠軽駅に向かうとしましょう。
CIMG0598_201809200827334ab.jpg

お花に囲まれた廃屋というのは何とも風情がある。
CIMG0599_20180920082734b76.jpg

20分ほどで遠軽駅に到着。
CIMG0600_201809200827359f3.jpg

コスモスの階段を登る。
CIMG0601_20180920082702d25.jpg

なんと駅そばの店が営業していた。
CIMG0602_201809200827046e4.jpg
でも、昼時なのに客がおらず、店のおばちゃんは床に寝そべって熟睡していた。
さすがにその写真を撮るのははばかられた。

わりと賑やかな駅前通り。
CIMG0606_20180920082636824.jpg

立派な跨線橋。
CIMG0603_20180920082705ac2.jpg

普通列車が控えていた。どこ行きになるのだろう。
CIMG0604_20180920082706429.jpg

遠軽駅は1915年(大正4年)11月1日、鉄道院湧別軽便線下生田原駅(現在の安国駅) ~社名淵駅(のちの開盛駅)間開業にともない開設された。
CIMG0605_201809200827082fc.jpg

駅舎自体は1934年(昭和9年)に建てられた古いものである。
CIMG0607_2018092008263750b.jpg

LS北見のメンバーと一緒に写せる顔ハメがあったが、頼める人がいなかった。
CIMG0610_2018092008264319c.jpg

ここは有人駅なので、勝手にホームに出ることはできない。
CIMG0608_20180920082639bfe.jpg

かと言って、入場券を買うのもばかばかしいので、覗くだけにしておいた。
CIMG0609_2018092008264023a.jpg

待合室にお客さんがひとり。
CIMG0611_20180920082611cfa.jpg

この先にはかつて名寄本線が続いていた。
CIMG0612_201809200826135e1.jpg

網走土木現業所のマンホール。デザインは他の現業所と同じだ。
DSC_3753_20180920082548d80.jpg

遠軽町のマンホールは、車窓からも見える瞰望岩(がんぼういわ)。
CIMG0614_201809200826168ad.jpg

瞰望岩には、いずれ登ってみたいと思っている。
CIMG0613_2018092008261414d.jpg

改めて、遠軽駅の全景を眺めて、今回の石北本線の旅の締めくくりとする。
DSC_3754_2018092008255100e.jpg

実は、瀬戸瀬駅と遠軽駅の間にあった新栄野駅跡を確認するのを忘れてしまった。いつかついでがあったら訪ねてみよう。
新栄野駅
(ネットより)

(「18名寄本線」につづく)
このページのトップへ

18石北本線(3)

【2018年8月21日(火)】石北本線
JR石北本線の白滝駅を見学中。
CIMG0477_20180919111222e82.jpg

廃止検討路線になっている石北本線の沿線市町村は危機感が強い。
遠軽町石北本線利用促進協議会はJRを利用すると、いろんな特典が得られるキャンペーンを実施していた。
CIMG0475_20180919111219cc9.jpg

白滝駅の運行本数は4往復半(9本)。
CIMG0476_20180919111220ca6.jpg
そのうち4本が特急である。

駅前にあった「開通記念」碑の説明が貼り出されていた。
CIMG0479_2018091911122345a.jpg
旭川~遠軽間は従来名寄経由で214.3kmもあったが、石北トンネルの開通により、89.8km、時間にして3時間余も短縮されたそうだ。

待合室には、白滝産の黒曜石で作った旧石器時代の石器が展示されていた。
CIMG0480_20180919111225205.jpg

白滝駅の開業は、1929年(昭和4年)8月12日である。
CIMG0481_20180919111143479.jpg

ホームは2面3線の単式・島式の複合ホーム。
CIMG0483_20180919111145153.jpg

2番線、3番線には跨線橋ではなく、構内踏切を渡る。
CIMG0485_20180919111150341.jpg

旭川方面には北大雪らしき山が覗く。
CIMG0482_20180919111144e42.jpg

駅は1992年に無人化された。
CIMG0484_2018091911114703e.jpg

2013~17年の平日の平均乗車人数は11.4人。
CIMG0486_2018091911112008c.jpg

ホーム側からの姿は特急列車の車窓から何度か見たことがある。
CIMG0487_20180919111122979.jpg

白滝の名は、村内に白滝があることに由来するそうだ。
CIMG0488_2018091911112397b.jpg

駅の中心線。
CIMG0489_20180919111125415.jpg

この辺で駅の見学は終了。
CIMG0490_20180919111126ecf.jpg

それではさようなら。ずっと存続しますよう。
CIMG0496_2018091911110426b.jpg

駅前の食堂「天狗」は廃業しているように見えた。
CIMG0491_20180919111058db4.jpg

旧白滝村のマンホールのモチーフは、村の木だったイチイ。
CIMG0492_201809191111007e0.jpg

駅前通りのレトロな建物群。
CIMG0493_2018091911110145e.jpg

ほぼシャッター街になっている。
CIMG0494_20180919111102c16.jpg

白滝駅横の駐車場より北大雪を望む。
CIMG0497_20180919111032b6b.jpg

白滝村の人口は、2005年の合併時点で1152人だった。
CIMG0498_2018091911103406d.jpg

よろずやの「まえもと」は現役で営業中。
CIMG0499_201809191110368c8.jpg

すでに閉鎖されてしまった郷土館。
CIMG0500_201809191110371e1.jpg

支湧別川を渡る。
CIMG0501_20180919111039307.jpg

橋の少し上流に奇妙な構造物があった。
CIMG0502_20180919111009cd7.jpg

橋台ではなさそうだし、何だろう。
CIMG0503_20180919111010f27.jpg

橋のたもとに素朴な石仏が安置されていた。
DSC_3740_20180919110500484.jpg

実は次の旧白滝駅の場所がよく分からない。
これまではウィキペディアに掲載されている空中写真とスマホの地図を照合させて、位置を特定してきたのだが、旧白滝駅の場合はホームの写真なので位置は推測できないのだ。
随分離れているので、たぶんきちんと説明はできないだろうとは思いながら、橋のそばで庭仕事をしていたご婦人に聞いてみた。
DSC_3741_201809191105015bb.jpg
「近くに農場があるんだけどねえ」というだけで、やはりはっきりとは分からない。
「近くに行ったら、誰かに聞いてみて」とも言われたが、おそらく誰とも会わないだろう。

とりあえず、白滝駅と旧白滝駅の駅間距離は分かるので、それを頼りに車を走らせる。
すると、いい頃合いに「旧白滝」の町名表示が出てきた。
CIMG0504_20180919111012832.jpg

ということは、この近くのはずだ。
CIMG0507_20180919110948b94.jpg

ちょっと、それらしき場所で下りて、線路の様子を見てみた。
CIMG0505_20180919111013998.jpg

しかし、駅の痕跡は全く感じられなかった。
CIMG0506_20180919111015c87.jpg

もう少し進んで、旧白滝墓地への入口の反対側に、また怪しげなところがあったので、車を停める。
CIMG0508_20180919110948352.jpg

しかし、どうもよく分からない。
CIMG0509_20180919110950665.jpg

駅舎がなく、1面1線の単式ホームだったので、そもそも発見が難しいのだ。
CIMG0510_201809191109519aa.jpg

さらに進んでみるが、どんどん距離も増えてしまい、あり得ない場所まで来てしまった。
もう一度戻ってみることにする。
「旧白XK」という表示のある施設のある付近を確認してみた。
CIMG0511_20180919110953cc1.jpg

ここは踏切になっているが、駅の面影はやはりない。
CIMG0512_20180919110923133.jpg

別の踏切にも寄ってみた。
CIMG0513_20180919110924478.jpg

児玉という踏切だが、ここでもない。
CIMG0514_20180919110926746.jpg

もう諦めようと思ったが、2番目に寄ったところがどうも気になるので、もう一度行ってみた。
CIMG0523_20180919110835e9e.jpg

すると、さっきは気づかなかったが、ホームを崩した跡があるではないか。
CIMG0515_20180919110927e6c.jpg

なぜ、これに気付かなかったのか。
CIMG0516_20180919110929e6c.jpg

15分くらい損してしまった気がするが、いいこともあった。
ちょうど、快速列車がやってきたのである。
CIMG0517_2018091911085631a.jpg

白滝駅12:21発の特別快速きたみ旭川行きである。
CIMG0518_201809191108578c5.jpg

動画でも撮りたかったが、そんな暇はなかった。
CIMG0519_20180919110859f36.jpg

旧白滝駅跡をスピードも緩めずに通過していった。
CIMG0520_201809191109015b5.jpg

ウィキペディアの写真をよく見ると、この右の家屋が写っているではないか。
CIMG0521_20180919110902f97.jpg
旧白滝駅
(ネットより)

もっと自分の長年の勘を信用すべきだった。
CIMG0522_20180919110833d9d.jpg

下白滝信号場に向かう途中、「村名“白滝”発祥の地」なる石碑が国道沿いにあったので寄ってみた。
CIMG0525_20180919110837c92.jpg

湧別川の急流が織りなす光景が「白滝」と呼ばれるようになったとのことである。
CIMG0526_20180919110838c57.jpg

ちょうど湧別川を見下ろせる場所があるようなので行ってみたら、びっくり。
CIMG0527_2018091911083924e.jpg

絶好の鉄道撮影ポイントではないか。
DSC_3743_2018091911050276f.jpg

さっきは旧白滝駅跡で快速列車に出会ってラッキーと思ったが、迷わなければ、ここで快速列車の撮影をできたかもしれない。
DSC_3744_20180919110505777.jpg

ちょっと残念であった。
CIMG0530_201809191108079b3.jpg

白滝状態の流れを見ることはできなかった。
CIMG0528_201809191108042e8.jpg

下白滝信号場の入口には、旧村道「下白滝駅前線」の標識があった。
CIMG0531_20180919110808f52.jpg

正面に見えるのが旧駅舎である。
CIMG0532_20180919110809571.jpg

駅前にある廃屋がしぶい。
CIMG0533_2018091911081181b.jpg

商店というわけではなかったみたいだ。
CIMG0534_20180919110613600.jpg

奥白滝駅舎のように全面に板が張られているわけではないので、それなりの雰囲気を味わうことができた。
DSC_3745_20180919110443e2d.jpg

当然のごとく駅名板は外されている。
CIMG0535_2018091911061562d.jpg

もとはこんな感じであった。
下白滝駅
(ネットより)


廃止されたのは、上白滝駅、旧白滝駅と同じ2016年3月26日である。
CIMG0536_20180919110616713.jpg

この時のダイヤ改正に伴い、奥白滝~上白滝~白滝~旧白滝~下白滝と続いた白滝5駅のうち白滝駅以外はすべて消滅してしまった。
CIMG0539_2018091911062007b.jpg

廃線は気にかけていたつもりだが、廃駅まではキャッチできず、直前に駅舎撮影に来ることができなかったのは返す返すも残念である。
CIMG0540_201809191105481c1.jpg

しかし、駅舎を取り壊さないでくれたことには感謝しなくては。
CIMG0541_20180919110549e98.jpg

もちろん、それは信号場としての機能が残ったからだけど。
CIMG0542_2018091911055176f.jpg

ここは2面2線の相対式ホームであった。
CIMG0538_201809191106182b6.jpg

駅舎と反対側のホームも比較的よく残っている。
CIMG0543_20180919110552e0d.jpg

側線。
CIMG0545_20180919110523b42.jpg
CIMG0544_20180919110554dd9.jpg

こうして見ると、まだ現役のようにも見える。
CIMG0546_2018091911052428a.jpg

これで白滝シリーズを終了して、次の丸瀬布駅に向かう。
CIMG0547_201809191105262f2.jpg

途中、巨大な「七號駅逓跡之碑」があった。
CIMG0548_20180919110527306.jpg

この沿線の町は「駅逓」遺跡を大切にしている。
CIMG0549_2018091911052866c.jpg

現在はラッキーナンバーの国道になっている。
CIMG0550_20180919110458e13.jpg

(つづく)
このページのトップへ

18石北本線(2)

【2018年8月21日(火)】石北本線
JR石北本線の駅舎めぐりをしている。
と言っても今のところ、すべて廃止された駅ばかり。
ここ上越信号場もその一つだ。
CIMG0397_2018091908461443b.jpg

しかし、「石狩北見国境標高六三四米上越駅」の看板は外されず、まだ残っている。
CIMG0399_20180919084617989.jpg

この信号場は現在北海道にある停車場としては最も高い場所にある。
標高634mはスカイツリーと同じ高さだ。
CIMG0402_20180919084550a6a.jpg

たぶん、駅舎の横にあった庭(池)の跡。
CIMG0398_20180919084616829.jpg

駅舎は現在、保線詰所になっている。
CIMG0400_201809190846190bd.jpg

旭川方面には、石北本線をまたぐ旭川紋別自動車道。
CIMG0401_20180919084621632.jpg

駅にあった何らかの施設の基礎と思われる。
CIMG0403_20180919084552ff3.jpg

旧駅舎に付け足された施設。おそらく信号場になってからのものだろう。
CIMG0404_20180919084553371.jpg

側線。そうそう、上越駅の開業は1932年(昭和7年)10月1日である。
CIMG0405_201809190845557ef.jpg

宮脇俊三「時刻表2万キロ」によれば、信号場になってからも、ここで旅客の扱いをしていたとのことだが、その頃はまだ住民がいたのだろうか。
CIMG0406_201809190845569c5.jpg
現在は完全な無人地帯である。

入口は閉鎖され窓になっているが、足元のたたきはまだ残っていた。
CIMG0407_20180919084528683.jpg

駅名標はさすがに外されていた。ただ、枠だけでも残っていると、現役時代を偲ぶことができる。
CIMG0408_20180919084530421.jpg

幸い、保線の人には見咎められず見学を終えることができた。
CIMG0409_20180919084531cc2.jpg

吊り橋がかかっていたのは、留辺志部川である。
CIMG0410_201809190845337cc.jpg

語源は留辺蘂と同じアイヌ語の「ルペシュペ」(越える道)なのであろう。
CIMG0411_201809190845343b3.jpg

国道333号に戻って、北見方面へ。
上越信号場から10分もかからずに北見峠(標高857m)に到着。
CIMG0412_20180919084505b79.jpg

ここは上川町と遠軽町(旧白滝村)との境界にあたる。
CIMG0414_20180919084508a43.jpg

北見峠林道なる道が、960mピーク近くにある電波塔に延びているようだが、ほとんど廃道状態だった。
CIMG0413_2018091908450655a.jpg

実は、ここには大学3年の夏(1984年)に自転車で来たことがある。
CIMG0415_2018091908450931f.jpg

その時に、このような「中央道路開削殉難者慰霊の碑」があっただろうか。
全く記憶にない。
CIMG0416_20180919084511f37.jpg

北東方向に端正な山が望める。
CIMG0417_20180919084438583.jpg

地図を確認すると、チトカニウシ山(1446m)であった。初めて知った山だ。
CIMG0418_20180919084440765.jpg

かなり古くなってしまった旧白滝村時代の案内図。
CIMG0419_201809190844425a1.jpg

この建物は休憩所だったと思われるが閉鎖されている。
CIMG0420_20180919084443367.jpg

土産物店にもシャッター。
そもそも、この峠はそれほど交通量がなかったと思われるのに、高速道路までできてしまっては商売あがったりだろう。
CIMG0421_201809190844448db.jpg

なんだか、とても広い空間になっているが、35年前に来たときはもっと狭かった気がする。
CIMG0422_20180919084413fe5.jpg

白滝方面の山並み。
CIMG0423_20180919084415496.jpg

もはや、ポイ捨てする人すらいない感じだ。
CIMG0424_2018091908441676f.jpg

改めて記念碑とチトカニウシ山。
CIMG0425_2018091908441860b.jpg

峠から遊歩道があるようだが、クマが怖い。
CIMG0426_201809190844192ca.jpg

それでは、しらかばロード(国道333号)を下って、奥白滝駅に向かいましょう。
CIMG0427_20180919084346367.jpg

正面に見えているのは有明山(1635m)だろうか。
CIMG0428_20180919084347740.jpg

車はほとんど走っていない。
CIMG0429_201809190843495db.jpg

次の奥白滝駅も2001年7月1日に廃止され、信号場になってしまった。
CIMG0430_2018091908435085c.jpg

入口どころか壁一面に新たな板が張られ、全く趣がない。
CIMG0431_2018091908435201b.jpg

しかし、建物が取り壊されたわけではないのが救いだ。
CIMG0432_20180919084319ad3.jpg

現役時代は2面2線の相対式ホームだった。
CIMG0433_20180919084320453.jpg

ホーム側には古い改札が残されていて、ちょっとだけときめいた。
CIMG0438_20180919084234838.jpg

奥白滝駅は、中越~白滝間延伸に伴い1932年(昭和7年)10月1日の開業。
CIMG0434_20180919084322671.jpg

従って、中越駅と同じ歴史を歩んでいる。
CIMG0435_201809190843245e3.jpg

旭川方面で何やら工事めいたことが行われていた。
CIMG0436_2018091908432627a.jpg

1992年3月のダイヤ改正で、1日1往復のみの秘境駅になっていた。
CIMG0437_20180919084232414.jpg

確か1998年の夏、ここを訪ねたことがあるような気がする。
CIMG0439_20180919084235830.jpg

でも、その時の写真は残念ながら残っていない。
CIMG0440_20180919084238460.jpg

近くから見えたのは、天狗岳(1553m)だろうか。
CIMG0441_2018091908423863a.jpg

駅跡から国道を挟んで向かいに「奥白滝開拓記念碑」があった。
CIMG0442_2018091908420740d.jpg

基部には、1917年(大正6年)5月に当地を襲った大規模な山火事を歌った「大山火の歌」(田中源次郎作詞)の歌碑が埋め込まれていた。
CIMG0443_20180919084208a0c.jpg

畑の中に建っていた「奥白滝電話中継所」。もう使用していないのだろう。
CIMG0444_20180919084210eca.jpg

湧別川を渡る手前に「滝の上駅逓跡」の石碑が立っていた。
CIMG0445_201809190842111e3.jpg

上白滝駅跡に向かう途中で見つけた公民館風の建物。
CIMG0446_201809190842135a3.jpg

上白滝駅跡近くの廃屋。
CIMG0447_20180919084140b55.jpg

駅前商店だった前田商店は現役だ。
CIMG0448_201809190841422ca.jpg

その向かいに上白滝駅跡。
CIMG0449_201809190841431b8.jpg

ここは信号場に転換されたわけではないので、もともとあった木造駅舎は完全に撤去されてしまった。
CIMG0452_20180919084113e95.jpg

開業は奥白滝駅などと同様、1932年10月1日。
CIMG0450_20180919084145c38.jpg

2016年3月26日に廃止された。
CIMG0451_201809190841461dd.jpg

廃止前の運行本数は1日1往復だった。
CIMG0453_20180919084114b00.jpg

駅舎が解体されたのは廃止後3か月たった6月下旬だったという。
CIMG0457_201809190840462a0.jpg

廃止時には1面1線だったホームも撤去されていた。
CIMG0454_201809190841164c5.jpg

駅前にあった木造家屋。
CIMG0455_2018091908411784a.jpg

自動車整備工場っぽかった。
CIMG0456_2018091908411987f.jpg

次の白滝駅に向かうと、合気道ゆかりの地なる碑があった。
CIMG0458_201809190840477c3.jpg

なぜか、白滝ジオパークの一つという位置付けになっている。
CIMG0459_20180919084049a09.jpg

どんなゆかりがあるのかと思ったら、上白滝が合気道の創始者植芝盛平(1883~1969年)の父与六の本籍地だということらしい。
CIMG0460_201809190840524ef.jpg

盛平は1912年(明治45年)に白滝村に入植しているとのことなので、そちらの方が「ゆかり」なのではないかと思ってしまう。
CIMG0461_20180919084052e0e.jpg

この地をピンポイントで選んだのが、本籍地だからということなのだろう。
と想像していたら、盛平自身の自宅の跡だったということだ。
だったら、そう書いてほしい。
CIMG0462_201809190840131c5.jpg

園地には、大きな黒曜石の原石が置かれていた。
CIMG0463_20180919084015828.jpg

北大雪の山を遠望。
CIMG0464_20180919084016557.jpg

旧白滝村の市街地に入った。早速、私好みの古い家が現れた。
CIMG0465_20180919084017f50.jpg

駅前の白滝ハイヤー営業所。
CIMG0467_20180919083947a16.jpg

白滝駅は1989年に新しく建てられた駅舎だ。
DSC_3737_2018091908392109f.jpg

しかし、無人駅である。
CIMG0468_20180919083948b9d.jpg

白滝はジオサイトということで売り出している。
CIMG0469_20180919083950ab0.jpg
ユネスコのジオパークよりは格が低い。

なぜジオサイトかというと、黒曜石の一大産地だからだ。
CIMG0470_2018091908395247a.jpg

駅前の「開通記念」碑。1932年の中越~白滝延伸を記念したものだ。
CIMG0471_20180919083953eda.jpg

裏の文字はもうほとんど読めない。
CIMG0472_20180919083914a21.jpg

では、中に入ってみましょう。
CIMG0473_201809190839166bf.jpg

「駅文庫しらたき」はすべて持ち去られて空っぽ。誰も返さなかったのかしら。
CIMG0478_2018091908391845b.jpg

石北本線に乗ってイベントに行くと、1000円分の「お買い物チケット」がもらえるそうだ。
CIMG0474_20180919083918282.jpg

(つづく)
このページのトップへ

18石北本線(1)

【2018年8月21日(火)】石北本線
8月21日から1泊で紋別に出張することになった。
紋別への足はレンタカー。
先方とのアポは午後4時だったので、紋別まで駅舎めぐりをしながら行くことができる。
札幌から紋別まで270kmを通しで行くのは、かなり疲れてしまうので、旭川までJRで行き、そこでレンタカーを借りることにした。
レンタカー屋さんの開店は午前8時なので、6:35札幌発の特急ライラック1号に乗る。
事前に指定席を取っておいた。
しかし、当日札幌駅に着いたら、なんと早朝の人身事故でライラックの運行の見通しが立っていないという。
DSC_3717_2018091820470615f.jpg

館内放送とハンドマイクの声が錯綜して、何を言っているのかよく聞き取れない。
改札の係員に直接尋ねてみたら、ライラックは次の特急オホーツク1号(網走行き)の前に出るか、その後になるか、運行するかさえまだ分からないという。
DSC_3718_20180918204708343.jpg
そういうことなら、とにかく指定席を自由席に変更し、どちらにでも乗れる態勢を整えることにした。
普通ならこういう事態なので、ライラックの指定席を変更しないまま、オホーツクの自由席に乗っても払い戻しはしてくれるとは思うが、なにしろJR北海道なので油断はならない。
みどりの窓口に行って(なぜか誰も並んでいなかった)、自由席への変更をお願いしたら、「払い戻しは改札口でお願いしている」などという。
全く、こういうところがJR北なのだ。
「改札口なんて、人がごったがえしていて、そんなことできませんよ。なぜ、ここでできないんですか?」
と食い下がっていたら、館内放送でライラックの運休が発表された。
それを聞いて、「そういうことみたいなので、自由席ではなく、オホーツクの指定席に変更してください」と言ったら、「それならできます」と言って、やっと手続きをしてくれた。

自由席への変更は本当に、みどりの窓口ではできないのだろうか。謎だ。
DSC_3719_20180918204710acc.jpg

オホーツクに変更になったことで、30分近く時間ができてしまった。
その時間を利用して、駅構内のベンチで朝食を済ませた。
オホーツクのホームに行くと、自由席の乗り口に大行列ができていた。
DSC_3721_2018091820463609c.jpg
当然だ。ライラックの乗客がみな流れたのだから。

こりゃ、指定席も満席になっただろうなと思っていたら、あにはからんや意外に空いている。
私の隣の席も旭川まで空席のままだった。
DSC_3723_201809182046399d5.jpg

1両しかない自由席はぎゅうぎゅうの大混雑だそうだが、指定席に変更してくる人はほとんどいなかった。
DSC_3722_201809182046381d8.jpg
旭川まで1時間半だからそれほど長くないとは言え、皆さんなかなか我慢強い。
というか、もしかしたらほとんどが外国人観光客だったのかもしれない。

特急オホーツクは定刻通り6:56に発車。
DSC_3720_20180918204711cdb.jpg
私はずっとパソコン作業をしていた。
最初の停車駅、岩見沢が近づいてくると、「間もなく女満別、女満別・・・」と車内放送がかかった。
はあ? 何を寝ぼけたことを言ってるんだ!
もう1回「女満別」と言った直後に、車掌の訂正放送が入った。
「自動放送、不具合につき・・」などと説明していた。
ちょっと恥ずかしくないか! しっかりしろ、JR北海道!
もうひとつ気になったのは、ライラックの運休について「運行を休ませていただいています」という言い方。
別にこちらは休ませてあげてませんよ。むしろ休んでほしくなかったんだ。
素直に「運休となりました」と言いなさい。
そんな言い方をしても全然丁寧ではない。

レンタカー屋に到着するのは、予定より30分遅れることになるので、一応電話しておいた。
オホーツクはほぼ定刻通り8時半過ぎに、旭川に到着。
DSC_3724_20180918204642491.jpg

顔ハメをする時間も惜しんで、レンタカー屋に向かう。
DSC_3725_201809182046423c9.jpg

旭川駅の駅舎は4代目。2011年に全面オープンした。
DSC_3726_20180918204612b35.jpg

トヨタレンタカーはすぐ駅前にあり、手続きを済ませて、8:50に出発。
とりあえず、下の道(国道39号)を上川方面に向かう。
途中にあった老舗っぽいお米屋さん。
DSC_3727_2018091820461525f.jpg

上川の先で国道273号に入り、旭川から1時間ほどで天幕地区に到着した。
CIMG0354_20180918205200a33.jpg

かなりさびれた感じのところだが、いずれのお宅もお住まいのようだった。
CIMG0355_20180918205201dbb.jpg

ちょっと、迷って10時前に天幕駅跡に到着。
CIMG0356_2018091820520363b.jpg

2001年7月1日に廃止された駅である。
CIMG0357_2018091820520473c.jpg

駅跡には、廃止の2か月後に設置された記念碑が立っていた。
CIMG0358_2018091820520639a.jpg

この記念碑によると、1896年(明治29年)8月、当時の北海道庁鉄道部長・田辺朔郎(琵琶湖疏水の建設者)が鉄道線路踏査のため、当地に入った際、地元の天幕三次郎なる人物に世話になったことから、駅名に採用されたのだという。
CIMG0363_20180918205136879.jpg

天幕駅は1929年(昭和4年)11月20日の開業で、廃止直前までは2面2線の相対式ホームがあった。
CIMG0361_20180918205133fe9.jpg

かつては木造の駅舎もあったらしいが、信号関係の設備以外はみな撤去されてしまった。
CIMG0362_20180918205135f61.jpg

それにしても、廃止後すぐにJRが記念碑を建てたというのが興味深い。
CIMG0364_20180918205138acd.jpg

やはり、田辺が関連していることに配慮したのだろうか。
CIMG0365_20180918205138afe.jpg

国道に戻って間もなく、ニセイカウシュッペ山への分岐があったので、看板を確認してみた。
DSC_3729_20180918204616a15.jpg
今年7月29日にニセカウに登ろうと、ここに来た時にあった「通行止」の札は取れていたので、あれから1か月も経たずに解除されたようだ。
深刻な崩落ではなかったようでよかった。
また来年チャレンジしたい。

次の駅(跡)は、中越駅。
DSC_3730_20180918204617530.jpg

この駅も天幕駅と同時に廃止され、中越信号場となっている。
CIMG0368_201809182050040c1.jpg

一応、信号場という機能を保持してくれたおかげで旧駅舎も残っていた。
CIMG0369_20180918205005c9a.jpg
ただ、駅名標は撤去され、入口も封鎖されていた。

ちなみに、ここは第二中越官設駅逓所の跡でもあったようだ。
CIMG0366_2018091820500169f.jpg

中越駅逓所は1901年(明治34年)7月にポンルベシベ川の合流地点からこの地に移された。
CIMG0367_20180918205003c06.jpg
その後、1918年(大正7年)にチカリベツ拓殖地入口に移転されたということなので、存続期間はわずか17年間程度であった。

旧駅舎のかたわらには、手書きの石碑があった。
CIMG0370_20180918205007a65.jpg
「全線開通」と刻まれている。

裏には「昭和七年」とあるので、中越~白滝間延伸のことを指していると思われる。
CIMG0371_20180918204935ae8.jpg
「仝十年」が「建之」にかかるのだとすれば、碑を立てたのは3年後ということになる。

建立したのは「佐々木」さんと「稲垣」さん。
CIMG0372_20180918204937c64.jpg

このほか、「生林」さんと「宮本(?)」さん。
彫ったのは「万代」さんのようだ。
CIMG0373_201809182049385f7.jpg

中越駅は上川~当駅間の延伸に伴い開業したので、開業日は天幕駅と同日。
CIMG0374_20180918204940053.jpg

3線あって、現在も列車の交換が行われている。
CIMG0375_201809182049428a0.jpg

現役時代は2面2線の対面式ホームであった。
CIMG0376_20180918204908cb8.jpg

おや、信号関係の施設のドアが開いている。保守点検の人が来ているようだ。
CIMG0377_20180918204910b07.jpg

旧駅舎のホーム側に回ってみた。
CIMG0378_20180918204911a0f.jpg

ホームの跡も残っていて、うれしい。
CIMG0379_2018091820491241d.jpg

室内を覗いてみると、スノーダンプが3つ置かれていた。
CIMG0380_201809182049144b1.jpg

なんと、スミレの花が咲いていた。
CIMG0381_2018091820483394c.jpg

使われなくなった側線。
CIMG0382_201809182048347ae.jpg

天幕駅が跡形もなかったが、やはりこういう施設が残っているとテンションが上がる。
CIMG0383_20180918204836010.jpg

まるで廃線のたたずまいだ。
CIMG0384_201809182048389d5.jpg

レールが黄色い花に覆われていた。
CIMG0385_20180918204840ab7.jpg

ここで特急なんかがやってきたら最高なんだけどね。
CIMG0386_20180918204806f0f.jpg

というわけで退散する。
CIMG0387_20180918204807201.jpg

中越の次は当然上越である。
CIMG0388_201809182048091aa.jpg

国道からさっきの標識に従って脇道に入り、1分ほどで行き止まり。
そこに吊り橋があり、「係員以外立ち入り禁止」の札のところにかかっていたチェーンが下ろされている。
CIMG0389_20180918204810bb4.jpg

行き止まりの駐車スペースに車が1台停まっていたが、おそらく鉄道保守関係者が来ているのだろう。
見つかったら怒られるかなと思ったが、ここまで来てすごすごと引き下がるわけにもいかない。
注意されたら、ごめんなさいと言って退散することにして、潜入を試みた。
CIMG0391_201809182047389d1.jpg

これが旧駅舎である。
CIMG0390_20180918204812a14.jpg

旧駅舎の横にあった窪み。お庭の跡だろうか。
CIMG0392_20180918204739890.jpg

北見方面は石北トンネル手前の覆道。
CIMG0393_20180918204741b76.jpg

旭川方面は旭川紋別自動車道がまたいでいく(水月橋)。
CIMG0394_20180918204742a71.jpg

ホームが削られて土の斜面になっていた。
CIMG0396_20180918204705e0c.jpg

上越駅は天幕駅や中越駅より四半世紀も早い1975年(昭和50年)12月25日に信号場となっている。
CIMG0395_201809182047441a6.jpg

(つづく)
このページのトップへ

寿都鉄道(下)

【2018年8月19日(日)】寿都鉄道
旧寿都鉄道の駅舎跡を訪ねて、寿都町の市街地に入ってきた。
もう正午も過ぎて、お腹が空いたので、海の幸でも食おうと入ろうとした「かっぱ」には準備中の札が。
DSC_3673_2018091400472158c.jpg
さすがに正午を過ぎて、「準備中」はないだろう、のれんも掛かっているし、札を外し忘れたに違いないと思い、中に入ったら、営業は12時半からだと追い出された。
ものすごい殿さま商売だ。
ケンカをしても始まらないので、次の店へ。

「大谷会館」は駐車場がかなり混んでいたが、また別の店を探すのも面倒なので入ってしまうことにした。
DSC_3677_20180914004645f04.jpg

店内は広く、とくに待たされることなく座れた。
地元の人や観光客で賑わっていた。
注文を取りにきたのは、見るからに始めたばかりという感じの学生アルバイト。
ウニ系は高いので、ここの名物であるイカとホッケが食べられる「ほっけ半身焼・イカ刺セット」(1300円)にした。
DSC_3674_20180914004722ed2.jpg

10分ほどで料理は出てきた。
DSC_3675_20180914004724464.jpg

刺身も魚も美味しかったが、御飯が今いちだった。
日本人にとって御飯はいのち。
おいしい料理を出す店は、お米にもこだわってほしい。
銘柄もさることながら、炊き方にも。
DSC_3678_201809140046470c8.jpg

食後は、道の駅みなとま~れ寿都に立ち寄った。
DSC_3696_20180914004556f7c.jpg

夏祭りの最中なのか、提灯がたくさんぶら下がっていた。
DSC_3695_20180914004555d36.jpg

裏にはきれいな花が咲いていた。和む。
DSC_3679_2018091400464882e.jpg
DSC_3682_20180914004618046.jpg

ニシン漁に使われた保津船。
DSC_3680_20180914004650348.jpg

これは岩内町の畑沢さんという人から寄贈されたものだそうだ。
DSC_3681_20180914004653676.jpg

北海道南部の日本海側は「にしん街道」と呼ばれている。
DSC_3683_20180914004620755.jpg

寿都は1903年(明治36年)に積丹、小樽に次いで3位の漁獲高を記録したほどのニシン漁の盛んな町だった。
DSC_3684_2018091400462178e.jpg

現在の寿都港。
DSC_3685_201809140046236a2.jpg

今はホッケやイカ、サケが主な水産物だ。
DSC_3686_20180914004624bc9.jpg

店内には栄えていた頃の復刻市街図が貼り出されていた。
DSC_3687_20180914004550451.jpg

たい焼きのような「鮭最中」に興味がわいたが、結局は買わなかった。
DSC_3688_20180914004552efc.jpg

屋外には寿都の歴史を紹介するパネルがたくさん掲示されていた。
DSC_3689_201809140045533c9.jpg

オブジェとなった大きな錨。
DSC_3697_20180914004514cbd.jpg

寿都のマンホールは、マスコットキャラクター「風太」と風力発電の風車がモチーフ。
CIMG0261_20180914005116de7.jpg

それでは、そろそろ寿都駅に向かおう。
途中にあった法界寺。
CIMG0256_2018091400514002b.jpg

寿都駅跡は現在、寿都町役場になっている。
CIMG0257_201809140051412fe.jpg

寿都駅の駅名標は役場の前に。
CIMG0260_20180914005146991.jpg

「すっつ」ではなく「すつ」と表記するのが戦前っぽい。
CIMG0258_201809140051437a4.jpg

かつての駅前通り。
CIMG0259_20180914005144411.jpg

道道としての名称も停車場線のままだった。
CIMG0262_20180914005118c62.jpg

駅前の廃屋。
CIMG0263_201809140051197d1.jpg

駅前通り突き当りの古い木造家屋。
CIMG0264_201809140051218b2.jpg

市街地を抜けて、海岸の見えるところまで来た。
CIMG0265_20180914005122739.jpg

海岸にはエゾノハクサンボウフのような花が咲き乱れていた。
DSC_3700_20180914004515f03.jpg

このあたりの海岸には小さな石が無数に転がっているのが面白い。
DSC_3701_20180914004517e48.jpg
DSC_3702_20180914004518547.jpg

北を望むと、もう道は尽きていた。
CIMG0267_20180914005054db4.jpg

よく見ると海側の岩に小さなトンネルがある。
CIMG0270_20180914005058782.jpg

ニシン漁の船が港に入れるよう削ったところ。
CIMG0268_2018091400505528e.jpg

これが見られるということは、今は干潮の時間帯のようだ。
CIMG0269_20180914005058fed.jpg

歌棄(うたすつ)海岸方面を望む。
CIMG0271_20180914005028904.jpg

すでに廃線めぐりは終えているのだが、ついでにもう1か所、弁慶岬を観光していくことにした。
このあたりは狩場茂津多道立自然公園のエリアにあたる。
CIMG0272_2018091400502977d.jpg

弁慶はここで常陸坊念西の援軍を待ったという義経伝説の地だ。
CIMG0273_2018091400503186c.jpg

弁慶岬を訪ねるのは1989年以来、なんとほぼ30年ぶりだ!
CIMG0274_20180914005033eac.jpg

北海道の肩に着き出した角のようなところである。
CIMG0275_2018091400503497d.jpg

弁慶岬灯台は紅白のツートンカラー。
CIMG0276_20180914004959435.jpg

弁慶岬のまさに先端。
CIMG0277_20180914005001d47.jpg

弁慶は援軍を待ったが、ついに来たらず、雷電に向かったという。
CIMG0278_2018091400500262b.jpg

その弁慶像。
CIMG0281_20180914004933286.jpg

背後は月越山脈の尽きるところ。
CIMG0279_20180914005004850.jpg

あの家並みは現役なのだろうか。
CIMG0282_20180914004934624.jpg

弁慶岬休憩所は、かつては売店だったのだろう。
DSC_3704_20180914004520d93.jpg

灯台まで行ってみた。
CIMG0284_20180914004938075.jpg

初点灯は1890年(明治23年)12月1日。
CIMG0283_20180914004936890.jpg

現在の灯台に改築されたのは1952年(昭和27年)とのことである。
CIMG0285.jpg

立派な銘板があった。
CIMG0286_201809140049053e1.jpg

地上からの高さは13m、海面からだと33m。
CIMG0287_20180914004907b24.jpg

18万カンデラで光達距離は30.6kmだそうだ。
DSC_3708_20180914004448717.jpg

灯台をめぐる遊歩道にはハマナスが咲いていた。
CIMG0280_201809140050050ff.jpg

チシマフウロも。
CIMG0296_2018091400484754f.jpg

月越山脈を振り返る。
CIMG0288_201809140049083d9.jpg

弁慶岬は千畳敷のようだ。
DSC_3705_20180914004443395.jpg

左奥に小さな港が見える。このあと行ってみよう。
DSC_3706_201809140044455e1.jpg

晴れていたら、さぞ海は青かったことだろうなあ。
DSC_3707_2018091400444745e.jpg

それにしても角張った地形である。
CIMG0291_201809140048413a5.jpg

あの溝は人工的に削ったのだろうか。自然の造形のように思えるが。
CIMG0293_20180914004844301.jpg
CIMG0297_20180914004815b2b.jpg

釣り人がひとり。
CIMG0294_20180914004845f8e.jpg

というわけで岬からは退散。
CIMG0298_20180914004816252.jpg

岬下の港に行こうとしたら、車は通行止めだったので、時間節約のため止めておいた。
CIMG0299_20180914004818697.jpg

近くに弁慶の土俵跡なるものがあった。
CIMG0301_20180914004821a76.jpg

説明は風化してほとんど読めなかった。
CIMG0300_20180914004819e7d.jpg

ホウズキ?
CIMG0302_20180914004745625.jpg

国道沿いの民家にあった古い風除けの板塀。
CIMG0303_2018091400474704b.jpg

歌島の集落にも。
CIMG0304_2018091400474822d.jpg

歌島集落の海岸通りの行き止まり。
CIMG0305_20180914004749561.jpg

その奥には漁業関係の小屋が見えた。
CIMG0306_201809140047513a8.jpg

歌島神社は車内から参拝。
CIMG0307_201809140047182c1.jpg

さらに南下して美川地区で左折、山越えで黒松内に向かう。
すると、キタキツネに対面。
DSC_3709_201809140044515dd.jpg

明らかにエサをねだりに来た感じだ。
DSC_3710_201809140044101b2.jpg

申し訳ないが私は野生動物にエサはやらないのです。
DSC_3711_20180914004413195.jpg

しばらくうらめしい目つきをして諦めて帰って行った。
DSC_3712_20180914004414de8.jpg

それでもちょっと未練があるようだ。
CIMG0312_20180914004719daf.jpg

いい加減におさらばして、黒松内へ。
このあとは函館本線の駅舎めぐりを再開した。
(「1808函館本線」参照)

(おわり)
このページのトップへ

寿都鉄道(上)

【2018年8月19日(日)】寿都鉄道
JR黒松内駅から寿都鉄道の廃線跡探索を開始。
とはいえ、線路跡は残っていても大抵はヤブの中のようなので、駅舎跡にのみ照準を絞った。
寿都鉄道は黒松内駅から寿都駅まで16.5kmを結んでいた鉄道で、1920年(大正9年)から1968年(昭和43年)まで半世紀近くにわたり営業していた。
駅は起点と終点を含めて5つ。
黒松内駅は今、訪問してきたところなので、残るはあと4つとなる。
最初は黒松内駅から3.9kmの地点にある中の川駅。
そこに向かう途中に、使われなくなった公共施設らしきものがあった。
CIMG0185_2018091300404290f.jpg
看板には「黒松内監督員詰所」の文字が見えるが、何の監督員かは分からなかった。

その近くには、オオハンゴンソウに浸食された廃屋。北海道らしい風景だ。
CIMG0186_20180913004042e00.jpg

さらに進むと廃校が見えてきた。
黒松内町立熱郛小学校であった。
CIMG0187_201809130040449cb.jpg
熱郛駅から10km以上も離れているので、不思議だったが、よく地図を見ると、熱郛駅の方が熱郛地区から離れており、小学校の方が熱郛地区の中心部にあった。
ちなみにいうと、熱郛駅の倶知安側の隣駅、目名駅は蘭越町内にあるが、黒松町内の熱郛の隣にも「目名」という地区がある。
かなりまぎらわしい。

それはともかく、この門柱は開校60周年にあたる1961年(昭和36年)9月に建立されたものであった。
CIMG0189_201809130040460a6.jpg

体育館だけはかなり新しい。いつ新築されたのかは確認できなかったが、おそらく平成に入ってからのものだろう。
CIMG0190_20180913004047773.jpg

その手前右側には古い建物があった。
CIMG0195_201809130040245ac.jpg

これが旧校舎の玄関なのだろう。
CIMG0191_20180913004018ac6.jpg
「町立熱郛小学校」と書かれた、普通の民家のような表札がまだ残されていた。
開校は1901年(明治34年)9月2日。1998年3月31日に閉校した。
ほぼ100年の歴史をたどったことになる。

校庭の真ん中に立っている樹木は、1901年にこの小学校が作開尋常小学校熱郛分教場として開校した際に、その記念として植樹されたものだとか。
CIMG0192_20180913004019a3f.jpg

もともとは奉安殿の裏庭に植えられていたのだが、校舎の改築などに伴い、校庭の真ん中に位置するようになってしまったそうだ。
CIMG0194_20180913004022b81.jpg

校庭の隅っこに「母校を偲ぶ碑」がぽつんと立っていた。
CIMG0193_201809130040218a9.jpg

体育館は熱郛地区生涯学習館として再利用されているようだ。
CIMG0196_20180913003956cae.jpg

そのさらに先に現れたのは、「制札壱番の地」なる案内板。なかなか中の川駅跡に行けない。
CIMG0198_20180913003959fcb.jpg

読んでみると、こういうことだった。
ここは全国でも珍しい「一字一番地のみ」の地なのだそうだ。
CIMG0197_2018091300395733d.jpg
その面積も478平方㍍しかなく、一字としては全国最小だそうだ。
478平方㍍というと、20m四方の土地より一回り大きい程度。
普通の農家の母屋が立っている敷地より狭いくらいだ。
安政3年(1857年)に、黒松内山道(現在の道道寿都黒松内線)の開削に貢献した佐藤定右衛門・栄五郎父子らの功を讃え、通行人に告げた制札がここに立っていたらしい。
そのことと、「一字一番地」との関係は、この案内板の説明ではよく分からなかった。

さらに北上すると、「中の川」のバス待合所が見えてきた。
CIMG0204_201809130039377c4.jpg

これを目印に左折すれば、中の川駅跡に行ける。
CIMG0205_201809130039382f7.jpg

ニセコバスが運行しており、ここから長万部行きが1日2本も走っていた。
CIMG0206_201809130039077d4.jpg

左折して、朱太川(黒松内川)を渡り、さらに右折すべき道を探すが、見つけられないまま中の川地区集会所に着いてしまった。
CIMG0198_20180913003959fcb.jpg

ここは駅の跡ではないのだが、新たに作った駅名標が立っていた。
CIMG0199_20180913004000bf1.jpg

記憶を残そうとしてくれていることは、とてもうれしい。
CIMG0202_20180913003934446.jpg

でも、これで満足するわけにはいかない。
駅跡を確認しなくては。それは集会所から数百㍍も離れた場所である。
もう跡形もなく、町営住宅が建っていたが、おそらくこのあたりと思われる。
CIMG0203_20180913003935bcb.jpg

次の駅は6km先の湯別駅だが、その前に「白炭」という面白い地名のバス停があったので、これも記録に留めておいた。
CIMG0208_20180913003909c21.jpg

バス停の奥にあった、使われなくなったサイロ。
CIMG0209_20180913003910a17.jpg

自信はないが、寿都鉄道の廃線跡と思われる道路。
CIMG0210_201809130039137e7.jpg

湯別駅の駅名標は湯別地区の公民館「湯別会館」の前に設置されていた。
CIMG0211_20180913003913f80.jpg

小さく「寿都鉄道 湯別駅の跡」と書かれているが、どうも解せない。
CIMG0212_20180913003844146.jpg

湯別駅は道路の西側にあったはずである。
でも、湯別会館は東側だ。
かつては、この建物の裏に道路があった可能性もあると思い、裏に回ってみたが、それらしき痕跡はない。
集落をぐるっと回ってみたが、50年前から大きく改変されるような開発はなさそうだったので、真の駅跡は湯別会館の向かいにあったこの倉庫のあたりという結論となった。
CIMG0218_20180913003820bfc.jpg

集落を回っている間に、また廃校を見つけた。
CIMG0213_2018091300384541a.jpg

寿都町立湯別小学校であった。
CIMG0214_201809130038470e6.jpg

閉校は1991年。開校年については確認できなかった。
CIMG0215_20180913003848ca1.jpg

廃校は今日3か所目。廃線巡りというより廃校巡りの様相を呈してきた。
CIMG0216_2018091300385009e.jpg

校庭は避難場所になっているのに草ぼうぼうで、鉄棒がなぜか、こんなにひん曲がっていた。
CIMG0217_201809130038195b9.jpg

次は3.4km先の樽岸駅。その前に今度は廃業した農家を記録に留めておく。
CIMG0219_20180913003822e5f.jpg

そして、また廃校。樽岸小中学校跡だ。
CIMG0221_201809130038255ea.jpg
CIMG0220_20180913003823db4.jpg

定番の二宮金次郎の像の基壇には「至誠報徳」の文字。
CIMG0222_2018091300375271a.jpg

1881年(明治14年)11月27日に開校し、1991年3月31日に閉校した学校である。
CIMG0223_20180913003754eb8.jpg

現在は東海大学北海道臨海実験所として再利用されている。
CIMG0224_20180913003755547.jpg

校章は、三本のペンと働きもののミツバチを組み合わせたデザインだった。
CIMG0225_20180913003757724.jpg

この記念碑には「拓創」と書かれた銘板が埋め込まれていた。
CIMG0226_2018091300375839d.jpg

樽岸小学校開校100周年を記念して、1980年11月27日に建立されたものだ。
CIMG0227_20180913003725d81.jpg

閉校の11年前のことである。
校舎や体育館もその頃に新築されたものかもしれない。
CIMG0228_20180913003727917.jpg

さて肝心の樽岸駅だが、樽岸バス停の近くであることは間違いない。
CIMG0230_20180913003730840.jpg

待合所の写真を撮っていたら、後ろに見覚えのあるものが見えた。
CIMG0229_20180913003728ee8.jpg

樽岸駅の駅名標である。
CIMG0231_20180913003731597.jpg

ここも他の駅と同様、人が集まる場所(樽岸会館)に立てただけで、厳密には駅跡ではない。
CIMG0232_2018091300365961f.jpg

少し国道229号を進むと、駅前通りの雰囲気を残した路地があったが、確証はない。
CIMG0236_20180913003705565.jpg

古い地図や他の方の探訪記によると、この採石場のあたりのはずだ。
CIMG0233_2018091300370116d.jpg

しかし、こうなってしまうともう痕跡すら探すのは困難だ。
CIMG0234_201809130037029e6.jpg

しかも、この道が必ずしも線路跡というわけでもない。
CIMG0235_20180913003703a69.jpg

残念ながら、確信を持てないままであった。
CIMG0237_20180913003634030.jpg
かつては、近くに駅舎が移転されて残っていたそうだが、それらしきものも周辺には見つからなかった。

ここが唯一、線路跡を確認できた場所。
CIMG0238_20180913003635d3b.jpg

鳥居の先で線路と参道が交差していた。完全なヤブだ。
CIMG0242_20180913003605452.jpg

この沢の奥に橋台が残っていた。
CIMG0239_20180913003637395.jpg

暗くて手ぶれしてしまったが、このコンクリートの壁がそうだ。
CIMG0240_20180913003638501.jpg

その対岸の橋台。
CIMG0241_20180913003640161.jpg

次は3.2km先、終点の寿都駅。その前に海岸の風景を楽しむ。
CIMG0243_20180913003606c32.jpg

東の歌棄方面には風車が林立していた。
CIMG0244_20180913003608649.jpg

寿都港方面。
CIMG0245_20180913003610a78.jpg

沿道の古い民家。
CIMG0246_20180913003611a54.jpg

ここは樽岸漁港であった。
CIMG0247_201809130035388a3.jpg
CIMG0251_20180913003543e60.jpg

漁師の家の物置かな。風情がある。
CIMG0248_2018091300353973d.jpg

国道を離れて、海沿いの道道9号を走った。
CIMG0249_2018091300354165f.jpg

あの古いコンクリートはニシン漁が盛んな時代に築いた「澗」の跡だろうか。
CIMG0250_201809130035428dc.jpg

とくに文化財指定はされていないようだが、ニシン御殿のような建物があった。
CIMG0252_201809130035168b4.jpg

もうお住まいではないのだろうが、表札には田畑紀八郎とある。
CIMG0253_20180913003518c0d.jpg

対岸は雷電には山並みが見えた。
CIMG0254_20180913003519dcf.jpg

(つづく)
このページのトップへ

1808函館本線(下)

【2018年8月19日(日)】函館本線
JR函館本線の駅舎めぐり中。
蕨岱(わらびたい)駅跡を後にして、二股駅に到着。
CIMG0332_20180912082107d94.jpg

1987年1月に旧駅舎を撤去して、設置された貨車駅舎である。
CIMG0333_2018091208210986c.jpg

1903年(明治36年)11月3日の開業。
CIMG0334_20180912082110118.jpg

長いすを2つ並べれば、ちょうどいいベッドになる。宿泊可能だ。
CIMG0335_20180912082112f38.jpg

待合室には、落書き帳が置かれていた。ほぼ1日に1人は訪ねてきているようだ。
CIMG0336_201809120821131c6.jpg

駅名の「二股」はアイヌ語の「ベタヌ」(川股)に由来する。
CIMG0337_20180912082036715.jpg

長万部川とチライ川が合流し二股となっている場所なのだ。
CIMG0338_2018091208203741f.jpg

「横取り」とは、駅と駅の間や、駅構内の保守用基地線などに保守用の車両が出入りするために設けられた簡易な分岐器のこと。CIMG0339_20180912082039299.jpg

周辺にそれなりの集落があるだけあって、1992年度の1日平均乗降客数は48人もいたが、現在は10人以下だそうだ。
CIMG0340_20180912082041970.jpg

二股温泉には昨年行った。
CIMG0341_20180912082042ef1.jpg

ホームには菊のような黄色い花が大量に咲いていた。
CIMG0342_20180912082010cba.jpg
CIMG0347_20180912081946e80.jpg

その隣には、やはり黄色いオオハンゴンソウ。
CIMG0343_20180912082012b41.jpg
CIMG0345_201809120820156b8.jpg

用途不明。
CIMG0344_201809120820138f5.jpg

1面1線の単式ホームであった。
CIMG0346_201809120820168ee.jpg

昔の駅前スーパー(?)。
CIMG0348_2018091208194860f.jpg

駅に一番近い家も見事な廃屋になっていた。
CIMG0349_2018091208194957e.jpg

中はこんな有り様である。
CIMG0350_20180912081951fe6.jpg

本当はこのまま続けて室蘭本線の未踏駅にも行きたかったが、あまりに帰りが遅くなってしまうので、今日はここでおしまい。
CIMG0351_2018091208195297d.jpg

国道5号を引き返す。
蘭越町に入るとまた雨が降ってきた。
雨にも負けず、沿道にあった萱ぶき屋根の廃屋を撮った。
CIMG0352_20180912081920737.jpg

何かのロケに使えそうだ。
CIMG0353_20180912081922b9c.jpg

このあと、道の駅らんこし・ふるさとの丘に寄って、個室に入った。
DSC_3714_201809120819248f4.jpg
すると、鍵がかかっているのに、無理やり開けようとする人がいる。
「入ってるよ!」と大声で言っているのに聞こえないらしく、しつこい。
用が済んだので出る前に思い切り鉄の扉を蹴飛ばして、びっくりさせてやった。
開けると、中国人の少年だった。
ボロ屋じゃあるまいし、開かないということは鍵がかかっているということで、それは中に人がいるということなんだよ!
後ろに父親らしき男がいたので、そういう目をしてにらみつけてやった。
おちおち、○んこもしていられない。

ここ「ふるさとの丘」は奥行きが広いようだ。
DSC_3715_2018091208192599d.jpg

時刻は15時半を過ぎていた。
DSC_3716_2018091208192611e.jpg
昨日、バーベキュー用の食材を買った喜茂別町の久保田農園で果物を買って帰りたいが、閉店までに間に合うだろうか。
車内から電話をしたら17時くらいまでやっているというので、どうやら大丈夫そうだ。

16時半ごろに直売所に到着。
メロンとトマトを購入して、にっこり。
昨日食べたメロンがおいしかったので、また食べたかったのだ。
あとは、ふつうに中山峠を越え、18時頃に帰宅できた。
この日で、函館本線の駅舎も小樽~国縫間の駅舎はすべてクリア。
引き続き、少しずつ増やしていこう。

(「寿都鉄道」につづく)
このページのトップへ

1808函館本線(中)

【2018年8月19日(日)】函館本線
JR函館本線の熱郛(ねっぷ)駅を訪ねている。
CIMG0124_201809120049147b0.jpg

かつて、ここは急行せたなの始発駅でもあったらしい。
CIMG0125_20180912004915b0a.jpg

1981年度の乗降客数は1日平均68人あったが、現在は10人以下となっている。
CIMG0126_20180912004916900.jpg

反対側のホームに行くには跨線橋ではなく、線路上を渡る。
CIMG0127_20180912004918f3f.jpg

駅舎のネームをよく見ると「熱郛ホール」と書かれていた。
CIMG0129_20180912004847525.jpg
町民サロンも兼ねているようだ。

簡易委託駅時代はこの駅前のお宅が委託を受けていたのだろうか。
CIMG0130_201809120048483a7.jpg

駅前通りには何軒かの民家が軒を連ねていた。
CIMG0128_20180912004845b7b.jpg

次の黒松内駅に向かう途中、陸橋があったので、線路を俯瞰してみた。
CIMG0134_20180912004822f35.jpg

陸橋には橋の名前ではなく「函館本線」と銘板があった。これは珍しい。
CIMG0133_20180912004820465.jpg

私は車両よりもレールが好きだ。
CIMG0131_20180912004850b03.jpg

それはなぜなのかは、うまく説明できない。
CIMG0132_201809120048528d5.jpg

道自体が好きなのと多分関係していると思う。
CIMG0135_201809120048232c2.jpg

山奥だった開拓時代に、よくぞ切り開いたものだと思う。
CIMG0136_20180912004825d5e.jpg

廃線も嫌いではないが、鉄道はやはり現役でいてくれることに越したことはない。
CIMG0137_20180912004826817.jpg

ただ、普通列車は通学の高校生を除いて、あまりに利用客が少なくなってしまった。
CIMG0138_2018091200475416b.jpg

ほとんど車が走らないような道も何百億という金をかけて建設しているのだから、客が少ないから廃止というのは不公平だと思う。
CIMG0139_20180912004756cf7.jpg

などと考えているうちに、黒松内の市街地に入り、黒松内駅に到着した。
CIMG0140_201809120047576af.jpg

思ってもみなかったデザイン&色にびっくり。
1979年(昭和54年)12月に改築されたものだそうだ。
CIMG0142_20180912004800553.jpg

隣には木造の倉庫。
CIMG0141_20180912004759199.jpg

黒松内町のマンホールは、天然記念物のクマゲラと町の木ブナの葉2枚をあしらっている。
CIMG0145_20180912004729d29.jpg

駅前の及川旅館は新築されたのか、きれいだった。
CIMG0143_20180912004726577.jpg

黒松内駅は1903年(明治36年)11月3日の開業である。
CIMG0144_20180912004728e7f.jpg
11月3日は明治天皇の誕生日。最もおめでたい日を開業日としたのだろう。

縦書きの駅名表示はわりと珍しい気がする。
CIMG0146_201809120047315ea.jpg

駅舎の中に入ってみた。
CIMG0147_201809120047325cc.jpg

なぜか畳敷きの舞台があった。
CIMG0148_2018091200465864a.jpg
ここでいろんな町民イベントが開かれるのだろう。

この時は地元アマチュアカメラマンの写真展が開かれていた。
CIMG0149_2018091200465974e.jpg

切符売り場だったところはシャッターが下ろされ、大きな写真が展示されている。
CIMG0150_20180912004701631.jpg

黒松内市街の「いま」と「むかし」の写真だった。
CIMG0151_20180912004702502.jpg

時刻表を見ると、1日4往復半。
CIMG0152_201809120047045df.jpg
いわゆる「山線」の倶知安~長万部区間は極端に運行本数が少ない区間になっている。

黒松内町はブナの北限の里として知られている。
CIMG0155_201809120046344ca.jpg

かつては特急北海、急行ニセコの停車駅だった。
CIMG0153_20180912004631367.jpg

そして、銘菓「わかさいも」が初めて売られた駅でもある。
CIMG0154_20180912004633fa3.jpg

ホームは単式・島式混合の2面3線である。
CIMG0156_20180912004636e92.jpg

この裏側に3番線ホームがあるが、臨時ホームでほとんど使われていないようだ。
CIMG0157_20180912004638611.jpg

「黒松内」の地名はアイヌ語の「クルマッナイ」(和人の女性の沢)に由来する。
CIMG0159_201809120046081d7.jpg

何かおもしろい伝説がありそうだ。
CIMG0158_20180912004606139.jpg

1番線ホームに赤レンがの小さな倉庫があった。
CIMG0160_20180912004609998.jpg

何を収めてあるのだろう。
CIMG0161_20180912004611b40.jpg

ホームには、ピンクのきれいな花が咲いていた。
CIMG0162_20180912004612f33.jpg

背後にあるのは黒松内岳(740m)かしら。
CIMG0165_20180912004543379.jpg

跨線橋を渡って、2番線に行ってみよう。
CIMG0166_20180912004544f77.jpg

跨線橋から倶知安方面を望む。
CIMG0167_2018091200454513d.jpg
CIMG0170_20180912004516813.jpg

そして長万部方面。
CIMG0168_201809120045136c7.jpg

実は、かつて黒松内駅から寿都鉄道が別れていた。
寿都鉄道が開業したのは、1920年(大正9年)10月24日。
CIMG0169_20180912004514c5c.jpg

これが、その線路跡というわけではない。寿都鉄道の痕跡はよく分からなかった。
CIMG0171_20180912004517cb5.jpg

寿都鉄道は1968年(昭和43年)8月の豪雨で路盤が流出、運行休止に追い込まれた。
CIMG0172_2018091200451925d.jpg

その後、再開されることなく、1972年5月11日付で正式に廃止となった。
CIMG0173_20180912004439871.jpg

今まで見てきた線路は車庫への引き込み線であった。
CIMG0174_20180912004441f54.jpg

しかし、町の基幹駅なのに、これだけ誰もいないというのも、ちょっと淋しすぎる。
CIMG0175_20180912004442331.jpg

ぶらぶら見学している私にとっては好都合だが、駅は私のためにあるのではない。
CIMG0164_2018091200454160d.jpg

かつてはここで「わかさいも」を売って生活が成り立つくらいの人が利用していたのだ。
CIMG0163_201809120045392af.jpg

その人々はいったいどこに行ってしまったのだろう。
CIMG0176_20180912004444d6f.jpg

3番線の線路はもはや廃線同然のたたずまい。
CIMG0177_2018091200444652b.jpg

さすがに函館本線は現在、廃止検討路線にはなっていないが、北海道新幹線が札幌まで延伸したら、どうなるかは分からない。
CIMG0178_20180912004412a88.jpg

たぶん、津軽海峡線が道南いさりび鉄道になったように、新函館北斗から小樽までの区間をJR北海道が放棄する可能性は十分ある。
CIMG0179_20180912004414746.jpg

そんな長いローカル赤字線を第3セクターで引き継ぐことができるだろうか。
CIMG0180_201809120044158a1.jpg

私は新幹線が札幌まで通じた時に生きていれば、空路よりそちらを使うつもりだ。
CIMG0181_2018091200441728c.jpg

でも、新幹線のために在来線が切り捨てられるなら、新幹線などいらない。
CIMG0182_2018091200441887b.jpg

私は何を隠そう、北海道新幹線不要論者である。
CIMG0183_201809120043468b4.jpg

というわけで、黒松内駅をあとにする。
CIMG0184_20180912004348c34.jpg
この後は、寿都鉄道の廃線跡をたどったが、それは「寿都鉄道」の項に譲るとして、この項では函館本線の駅舎巡りを続ける。

寿都周辺をぐるっと回って黒松内町内に戻ってきた。
CIMG0314_20180912004349152.jpg

黒松内町役場はものすごく近代的な建築だった。
CIMG0315_20180912004351fe4.jpg

2015年に旧庁舎を改修したのだそうだ。
CIMG0316_201809120043520cf.jpg

先ほども書いたが、黒松内町は「ブナ北限の里」である。
CIMG0317_201809120043209b8.jpg

市街地から7分ほど車を走らせると国道5号線沿いにある蕨岱駅跡に着いた。
CIMG0320_2018091200432482a.jpg

ニセコバスの「ワラビタイ駅」バス停が目印だ。
CIMG0318_201809120043215d2.jpg

昨年3月4日に廃止になったばかりの駅だが、すでに駅舎は完全に撤去されていた。
CIMG0321_2018091200432607c.jpg

以前はこのような貨車転用の駅舎があったが、現物を見るのは間に合わなかった。
300px-Warabitai-station.jpg

でも、まだホームは残っていた。
CIMG0322_201809120042537b1.jpg

蕨岱駅は1904年(明治37年)10月15日の開業。
CIMG0323_2018091200425461c.jpg

1面1線の単式ホームであった。
CIMG0324_20180912004256f8a.jpg

ホームにはあれこれ関連施設がまだあり、機能している。
CIMG0325_20180912004257754.jpg

1986年11月1日に無人化。それ以前にあった駅舎は翌年1月に撤去され、貨車駅舎に入れ替わった。
CIMG0326_20180912004259f37.jpg

1992年度の乗降客数は1日平均8人だったという。
CIMG0327_20180912004225f52.jpg

廃止前はほぼゼロだったに違いない。
CIMG0328_2018091200422848d.jpg

国道をはさんで向かいには蕨岱稲荷神社が鎮座していた。
CIMG0319_20180912004323e8c.jpg

蕨岱駅跡を後にして、二股駅に向かう。
その途中に、何かモニュメントがあったので車を停めた。
北海道南西沖地震(1993年7月12日)の際、国道5号が100mにわたって崩落、通行中の車が巻き込まれた。その事故を忘れないための記念碑であった。
CIMG0329_20180912004229b5d.jpg

デザインは断層をイメージしたものだそうだ。
CIMG0331_201809120042329b0.jpg

(つづく)
このページのトップへ

1808函館本線(上)

【2018年8月19日(日)】函館本線
洞爺湖ハウスで、高校の同級生O君、ゲストのおつ山さんとともに朝を迎えた。
昨日の羊蹄山(1898m)に続き、今日はニセコ連峰に登る予定だったが、O君の登山靴もないし、天気予報も雨なので、登山は中止。7時半頃に解散となった。
DSC_3660_201809110828239e8.jpg
O君はそのまま帰宅、おつ山さんはとりあえずどこかのコインランドリーで洗濯の予定だという。
解散後、しばらく玄関前に停めた車の中で、スマホをいじっていたら、まだ出発していなかった、おつ山さんが家の中に忘れ物をしたと言ってきた。
あまり時間が経ってなかったのが幸い。
O君に電話をして呼び戻し、鍵を開けてもらって事なきを得た。

私は函館本線の駅舎めぐりをすることにした。
小樽~長万部間は、目名駅の先、長万部駅の手前までの5駅(廃止駅を含む)がまだ未撮影。
まずは、1984年3月31日に廃止となった上目名駅の跡に向かう。
その途中、廃校らしきものが目に入ってきたので、車を停めて見学。
DSC_1577_20180911082848ac2.jpg

真狩村立川崎小学校であった。
DSC_1575_20180911082844316.jpg

この小学校は、1905年(明治38年)9月29日に開校、1987年(昭和62年)3月31日に閉校している。
DSC_1576_20180911082845c33.jpg

校舎は1933年(昭和8年)に建築されたものだそうだ。
DSC_1579_20180911082850f90.jpg

川崎の地名は、神奈川県出身の川崎芳之助氏が開拓し、川崎農場を開設したことに由来する。そのためというわけではないだろうが、古いトラクターや農機具などが校庭に展示されていた。
DSC_1578_20180911082849df7.jpg

校門の向かいに建っていた廃屋は、児童向けの商店だったのだろうか。
DSC_1580_201809110828218bc.jpg
廃校はまじめにコレクションしているわけではないが、見つけたら記録にとどめておくことにしている。
満足して、上目名駅に向かったのだが、このあたりの道には軒並み「北海道トライアスロン」(8月19日開催)の自転車コースになっているようで、看板がたくさん立っていた。

ニセコに近づくにつれ、雨が降ってきた。
羊蹄山も昨日とはうって変わって、裾野まで雲の中だ。
これじゃあ、登山など到底できない。きっぱりと諦めがついた。
道の駅ニセコビュープラザに寄って、たっぷりと○んこを排泄した。
雨の中、国道5号を南下。ただ、蘭越町市街を抜ける頃には雨雲の下から抜けることができた。
上目名駅跡への入口は目名峠の手前あたりのはずなのだが、最初はよく分からなくて通り過ぎてしまった。
引き返して、やっと入口を発見。
そこに、こんな案内板が立っていた。
CIMG0074_20180911083248674.jpg
「上目名大玖(たいきゅう)鉱山跡地入口」とある。
1934年(昭和9年)にこの近くで金鉱脈が発見されたらしい。
翌年から昭和21年の閉山まで、日産最大40トンの金・銀・銅の鉱石が上目名駅から国富製錬所に運ばれていたそうである。

この入口周辺は美しい牧草地であった。
CIMG0075_20180911083250a0f.jpg

鉱山跡地入口という看板があるくらいだから、この先に跡地に至る道標があるのかと思ったら、全くそのようなものはなく、跡地を訪ねることは残念せざるを得なかった。
CIMG0076_201809110832519bd.jpg

左手に何か廃墟があったが、あれは鉱山関係の施設ではなく、ただのサイロ跡だろう。
CIMG0077_20180911083253ffa.jpg

しばらく砂利道を走っていると、300m先通行止めの標識が現れた。
CIMG0078_20180911083254f13.jpg

なんと、ゲートが固く閉じられている。
CIMG0079_201809110832231e7.jpg
う~む、ここから歩かなければならないとは。
とにかく車を脇に停めて、歩き出す。
人間だけなら、ゲートの横を簡単にすり抜けることができた。

すぐ先にスノーシェッドが壁のように現れた。
CIMG0080_20180911083225ae5.jpg

これを横に貫いて踏切になっている。
CIMG0081_20180911083226d27.jpg

駅が現役の頃はもちろん、この道が通行止めになるまで、この警報機は作動していたのだろう。
CIMG0083_201809110832303e2.jpg

このあたりは豪雪地帯なので、スノーシェッドはかなり長く続いていた。
地形図で見る限り、500mくらいはありそうだ。
CIMG0082_201809110832289ee.jpg

踏切からの眺めはこのようになっている。
CIMG0084_20180911083201315.jpg

駅まで、線路を歩いていった方が近いのだろうが、列車が来ると危ないし、そもそも犯罪行為なので、それだけは止めておいた。
CIMG0085_20180911083202882.jpg

踏切を渡って、スノーシェッドを抜けた。
CIMG0086_20180911083204d5a.jpg

すぐに橋を渡る。
CIMG0087_20180911083205e82.jpg

左折して、線路沿いの道を進む。
CIMG0088_20180911083207bdc.jpg
ここは人家もなく、鉄道管理の人以外来ないだろうから、クマがものすごく怖い。
熊鈴を持ってくればよかった。
車に取りに戻るのも面倒だったので、歌を歌ったり、声を上げたりしながら歩いた。

するとクマではなくカタツムリに出会った。
CIMG0089_201809110831377e2.jpg
こんなに大きいしっかりとしたカタツムリを見たのは久しぶりだ。

10分ほど歩かされて、やっと小さなスノーシェッドが見えてきた。
CIMG0090_20180911083138dde.jpg

さらに鉄道管理関係のものと思われる施設も。
CIMG0091_20180911083140558.jpg

スノーシェッドの長さは20mほどだろうか。
CIMG0092_20180911083141ea8.jpg

たぶん、ここがかつての駅前広場だった場所だろう。
CIMG0093_20180911083143c1f.jpg

上目名駅の開業は1913年(大正2年)11月3日。
山間部のためもともと周辺人口も少なく、列車交換のための信号場という意味合いが強かったらしい。
ホームは1面2線の島式ホームだったとのことで、当時の面影が枕木に残っている。
CIMG0094_2018091108311393e.jpg
CIMG0098_2018091108311901b.jpg

レールは完全に撤去されていた。
CIMG0095_201809110831147f4.jpg

熱郛駅と上目名駅間に北海道総局と青函船舶鉄道管理局との境界があったため、乗降客がほとんどいないにもかかわらず、昭和40~50年頃には小樽方面からこの駅で折り返す普通列車が1日に1、2往復設定されていたという。
CIMG0096_20180911083116bbc.jpg

また、このあたりはSLの撮影適地として、主に撮り鉄さんで賑わうこともあったとか。
CIMG0097_20180911083117849.jpg
末期の乗降客数は1日平均2人という状態で、当時の上目名駅駅長の娘が高校を卒業して乗降客がなくなり、旅客扱いが廃止となったとのことである。

スノーシェッドの中に入ってみた。
CIMG0099_201809110830487fa.jpg

なかなか風情がある。
CIMG0100_201809110830504a2.jpg
現在9:45なので、時刻表上、あと4時間近く、列車はここを通らない。
もしかしたら貨物が来るかもしれないけど。

バラストの上に白骨死体を発見。
CIMG0101_201809110830510e2.jpg
大きさからしてキタキツネと思われる。
列車にはねられ、死亡したまま白骨化したのだろう。南無阿弥陀仏。

それにしても、ここの駅に駅長がいたというのが驚きだ。
CIMG0102_20180911083053a42.jpg

それなりに雰囲気を味わったので、満足して車へと戻る。
CIMG0103_2018091108305426f.jpg

これも関連施設なのだろうが、用途はよく分からない。
CIMG0104_201809110830242d7.jpg

沿道では巨大なイタドリが花を咲かせていた。
CIMG0105_20180911083025bd7.jpg

この黄色い花は何者だろうか。
CIMG0106_20180911083026e91.jpg

と写真を撮りつつも、クマさんに会いたくないので、かなり速足で歩いた。
CIMG0107_2018091108302803a.jpg

長い方のスノーシェッドの出口。
CIMG0108_20180911083030408.jpg

シシウド?
CIMG0109_20180911082959331.jpg

やっと踏切まで戻ってきた。
CIMG0110_201809110830007a9.jpg

車両通行止めの標識が不思議だ。
CIMG0111_20180911083002e67.jpg

上目名駅跡見学に30分近く費やしてしまった。
再び、目名峠を越えて、次の熱郛駅に向かう。
CIMG0112_20180911083003285.jpg

熱郛駅は目名駅から営業キロで15.4km。わりと新しい駅舎だった。
CIMG0113_20180911083006d5e.jpg

駅前には古い農業倉庫があった。
CIMG0114_2018091108293349a.jpg

きれいな花壇は地元の人がお世話しているのだろう。
CIMG0115_20180911082935139.jpg

開業は1903年(明治36年)11月3日。駅舎が改築されたのは1990年12月15日だったそうだ。
CIMG0116_20180911082936037.jpg

駅舎の中には、黒松内町内のフットパスのパンフレットが貼り出されていた。
CIMG0117_20180911082938612.jpg

その黒松内町は「日本で最も美しい村」連合のメンバーである。
CIMG0118_2018091108293907b.jpg

1986年11月1日に無人化されたが、92年3月末までは簡易委託駅だった。
CIMG0119_20180911082909da7.jpg

2面2線の相対式ホームである。真ん中に使用していない、もう1本の線路があるが。
CIMG0120_20180911082911eb3.jpg

熱郛駅は開業翌年の1904年10月15日に「歌棄(うたすつ)駅」に改称されたが、そのまた翌年12月15日に「熱郛駅」に戻されている。
CIMG0121_2018091108291219a.jpg

この間にどういう議論があったのか興味深い。
CIMG0122_20180911082914d4e.jpg

私です。
CIMG0123_20180911082915a5a.jpg
それにしても熱郛とは面白い地名だ。
アイヌ語の「クンネ・ネッ・ペッ」(黒い標木の川)に由来するらしい。
普通なら「訓子府」とでもしたいところだが、「ねっぷ」と略することになった。
「ねっ」に「熱」を当てるのは分かるが、「ぷ」は「布」とか「府」を当てたくなるところ。
「郛」はお城の「郭」の意味。「郛」にしたのは、開拓期だけに、そういう意味を込めたかったのかもしれない。

(つづく)
このページのトップへ

穂高岳(16)

【2018年8月28日(火)】穂高岳
涸沢小屋から上高地に向けて下山中。
CIMG0924_20180909103346584.jpg

本谷橋を通過して、屏風岩と2日ぶりに再会した。
CIMG0925_20180909103348bd4.jpg

なんだか、おどろおどろしい。
CIMG0926_201809091033499d0.jpg
CIMG0927_201809091033514ac.jpg

どんより曇っているが、天気はなんとか持ちこたえてくれそうな気もする。
CIMG0928_201809091033529db.jpg

先頭グループの女子は頑張っているのに、男子が遅れがち。
CIMG0929_201809091033168ea.jpg
とくにMくんがふてくされたように、だらだらと歩いている。
O君だか誰だったか、H君やY君を「東京のサラリーマンの心意気を見せろ」と言って、奮い立たせていた。

その甲斐もあって、コースタイム50分のところ40分で横尾に到着。
CIMG0930_201809091033175a2.jpg
すこし挽回したが、まだまだゆとりはない。

ここでの朝食・トイレタイムは20分ジャストと区切って、急いで食べてもらった。
私はちょうど出そうになっていたので、とにかくトイレに走り、すっきり。
落ち着いて、お弁当を開く。
CIMG0931_20180909103319c9d.jpg

中身は稲荷寿司と焼売、サツマイモなどだった。お稲荷さんはうれしい。
CIMG0932_20180909103321b76.jpg
ろくに噛まずにあわてて飲み込んだ。
食べている最中にとうとう雨が降ってきた。
天気予報が的中してしまった。

傘を差して食べ、本降りの様相も呈してきたので、雨具の下も履いた。
CIMG0933_20180909103322a15.jpg
6:55に出発。傘を差したまま歩き出した。
濡れないようカメラをしまってしまったので、しばらく写真はない。
マジでさくさく歩き、次のチェックポイント徳沢園には、50分かからずに到着。
コースタイム1時間10分なので、この区間で20分稼いだことになる。

ここで、Nさんから提案。
「私とDさんが先行して、明神館に預けた荷物を受け取り、それを手に持ってそのまま上高地に向かう」とのこと。
それは名案。でも2人では足りないと思い、私も本隊から離れて、ともに先行することにした。
CIMG0934_20180909103252b7f.jpg
いつの間にか雨は止んでいた。

しばらく歩いてから後ろを振り返ると、本隊が100mと離れていない。
CIMG0936_20180909103254838.jpg

M君が徳沢園でソフトを食べて俄然元気になりスピードが上がったのだ。
ほとんど離れていないなら、先行している意味もないので、私は先頭チームから離脱、本隊に戻った。
CIMG0935_201809091032536d9.jpg

順調に古池の横を通過。
CIMG0937_2018090910325641f.jpg

曇っているだけに、水底まで影がなくきれいに見える。
CIMG0938_201809091032581d8.jpg
CIMG0939_20180909103226b00.jpg

結局、私がまた最後尾になってしまった。
CIMG0940_20180909103227ba0.jpg

明神館が近くなってから、Yさんが「私の荷物、Kの名前(戸籍上の姓)で預けてあるから、分からないかも」と言い出した。
CIMG0941_2018090910322967c.jpg

本人はメールで連絡しようとしていたが、私が走って伝えることにした。
知らないうちに、先行チームと随分差がついてしまっていたみたいで、結構走らされた。
CIMG0942_20180909103230cd4.jpg

追いついたのは、ちょうど受付で荷物を受け取っているところで、われわれの荷物は名前に関わらず、まとめて置いておいてくれたようで、何の問題もなかった。
CIMG0944_201809091032322ab.jpg
徳沢園から明神館の間もコースタイム1時間のところ45分ほどしかかからなかったので、パッキングやトイレ、ソフトクリーム購入などに15分の休憩をとることができた。
私はここで雨具の下を脱いだ。

荷物が随分重くなったが、8:45に出発。
CIMG0945_201809091031589c3.jpg

この調子なら、9:45には上高地に着くことができる。
CIMG0947_20180909103201292.jpg

しかし、今度はバスの時間が問題になった。
検索してみたら、入浴後のバスは10:40発と11:30発。
10:40のバスに乗るためには、入浴を済ませてホテルを10:20に出る必要がある。
9:45着ではかなり厳しい。
随分、時間を稼いだつもりだったが、相変わらず急がなければならない状況には変わりない。
CIMG0946_20180909103200eb9.jpg
小梨平キャンプ場に着く頃には、また雨が落ちてきた。
もうみんな雨具を脱いでしまっているが、ザックから取り出して着ている暇はない。

河童橋を9:25に通過。
CIMG0948_20180909103202aa3.jpg

これなら、なんとかお風呂の時間を確保できそうだ。
CIMG0949_2018090910320538c.jpg

9:30、上高地アルペンホテルに到着。
CIMG0950_20180909103132c65.jpg

先に着いていたDさんが全員分の支払いを済ませてくれていた。
CIMG0951_201809091031343cd.jpg

急いで、お風呂へ。3日ぶりに汗を流せる。
DSC_3920_2018090910313546c.jpg
DSC_3924_20180909103138685.jpg

あまりの気持ちよさに、みなこの表情。
DSC_3922_20180909103137e16.jpg
でも、時間が迫っているので、体を洗ったら、とっとと退散。
荷物をまとめて、ロビーへ。
10:20、外に出たら、なんと雨が激しく降っている。
せっかく着替えたのに、また雨具を着なければならなくなった。
私は傘があったので、そのままだったが、半袖のポロシャツなので、ちょっと寒かった。

10:30にバスターミナルに到着。
チケットを持っている人は整理券が必要だという。
それと、係員からは、濡れているものは雨具もザックカバーもみんな座席へとの指示。
逆じゃないか、とも思ったが、そういうオペレーションらしい。
みんなの濡れたものを、提供されたゴミ袋にまとめて持ち込んだ。

バスに乗り込んだ時はすでにかなりの席が埋まっており、みんなバラバラになったが、全員座ることはできた。
ふう、なんとか間に合った。
10:40、バスは定刻通りに発車。
帝国ホテルや沢渡などで、追加の乗客を補助席に乗せて、完全に満席となって、新島々駅へと向かった。
車中では、みんな眠りこけていたが、私は自分のスマホで撮った写真をメンバー一人ひとりに送る作業をしていた。
おかげでバッテリーがどんどん減ってしまった。

1時間ほどかけて、新島々駅には11:45に到着。
DSC_3927_20180909103108bde.jpg

上高地線イメージキャラクターの渕東なぎさちゃんが出迎えてくれた。
DSC_3925_20180909103105650.jpg

松本電鉄松本行きの電車は12:07発なので、20分ほど待ち合わせ時間がある。
DSC_3928_20180909103110c2d.jpg

喉が渇いたので、自販機で栄養ドリンクを買って飲み干す。
トイレを済ませて、国道をはさんで向かいにある旧・新島々駅を撮影。
DSC_3926_2018090910310761a.jpg

12時に改札が始まったので、まずは席を確保。
その後、松本電鉄の山ガール姿のなぎさちゃんにもう一度ご挨拶。
DSC_3929_2018090910311164c.jpg

ついでに、ツーショットも撮ってしまった。
DSC_3930_20180909103040072.jpg

車両は京王の井の頭線で使用されていた3000系。
DSC_3931_201809091030417f7.jpg

ロングシートに向かい合って座り、しばらくローカル線に揺られる。
DSC_3932_20180909103043912.jpg
その間、H君と「山麓酒場」のお店を検討。
平日の真っ昼間に空いている居酒屋はなく、そば屋に入ることに。
しかし、そのそば屋もたいていは1時半にはラストオーダー。
それじゃあ、ゆっくり飲むことができない。
幸い、駅ビルに榑木野なる店が午後も通しでやっているようなので、とりあえずここに決定ということにしておいた。

12:36、松本駅着。
東京方面への切符を買っていない人の購入や予約変更のため、しばし待つ。
全員準備が整ったところで、お目当ての店に行ったら、昼どきだけに満席。
こうなるともう、駅前の繁華街を歩いて探すしかない。
とある中華料理屋の外で、大将がたばこを吸ってきたので、声をかけたら、入れるという。
DSC_3937_201809091030168ab.jpg

ちょうど、お昼のお客さんが引けたところで、ガラガラだった。
みんな大きな荷物を持っていたのに、女将さんは快く迎え入れてくれ、気持ちのいい打ち上げとなった。
DSC_3933_20180909103044563.jpg

料理は、松本名物山賊焼きから肉野菜炒め、餃子、海老フライ、炒飯にあんかけ焼きそばと、みんなさすがに食うわ食うわ。
DSC_3935_201809091030460a7.jpg
山もいいけど、やっぱり飯を食うなら下界がいいね。
バイトの女の子もかわいくて、O君が激辛冷やし(ラーメン)のことを「激辛ヒロシ」と間違えても、「ヒロシはありませ~ん」と合わせてくれた。
15:19発の特急あずさ24号に乗るので、14時半にお開き。
会計もリーズナブルで、最高の「山麓酒場」だった。
全国の皆さんに、ここ「若大将」をお薦めしたい。

松本駅までは3分ほど。みんなが駅ビルで土産を買っている間に、席取りのためホームに並んでいた。
DSC_3938_201809091030181f4.jpg

わりと早く、列車は入線。私の後ろにまだ誰も並んでいなかったので、楽勝で自由席10人分を確保できた。
DSC_3939_2018090910302036c.jpg

みんなも三々五々集まってきて、発車前に乾杯できた。
DSC_3942_20180909103021a31.jpg
車内販売のお兄さんがとてもいい人で、すすんで写真を撮ってくれた。
塩尻までは1両独占だったが、その後は徐々に乗客が乗ってきた。
我々はかまわず騒ぎ続けたので、他のお客さんには随分迷惑だっただろう。
申し訳ありません。この場を借りてお詫び申し上げます。
ボックス状に座れなかったH君とY君が早々に寝てしまったが、O君は絶好調。
でも、飲み過ぎて途中で寝落ちしてしまった。
もう一人のH君もすっかりいい気分。
酔っぱらって、全員驚愕の告白があった。
楽しく過ごしていたのだが、人身事故の関係で電車が遅れだした。
停車駅ではない大月で一時停車したり何だりで、結局新宿着が30分も遅れてしまった。

私とTさんは飛行機の時間が迫っている。
O君はバスタ発の沼津行きバスが10分後。
酔いつぶれていたが、2人の付き添いでなんとか間に合ったらしい。
私もとくに乗り継ぎで滞ることなく、間に合う時間に羽田に着くことができた。
無事に20:00ちょうどのANA79便に乗り爆睡。
定刻よりやや遅れて新千歳空港に到着した。
帰りは車なので、面倒な乗り継ぎも徒歩もない。
札幌郊外のファミレス「とんでん」でオホーツク丼を食べて、24時前に帰宅した。
最後に雨に降られたけど、天気予報に反して、天気にも恵まれ、楽しい仲間にも恵まれ、大いに飲んで登った、いい山旅であった。
それにしても、北アルプスの景観には魅せられた。
来年は30年慰労休暇の残りを利用して、大縦走に出かけられたらいいなあ。

【行程】2018年8月28日
涸沢小屋(3:33)~涸沢ヒュッテ(3:43確認3:45)~涸沢(3:55着替え4:05)~Sガレ(4:50)~Sガレ先(4:54休憩5:03)~本谷橋(5:37休憩5:45)~横尾(6:35朝食6:55)~徳澤園(7:43休憩7:50)~明神館(8:30休憩8:45)~河童橋(9:25)~上高地アルペンホテル(9:30入浴10:20)~上高地バスターミナル(10:30)
※所要時間:6時間57分(歩行時間:4時間56分)コースタイム:5時間40分
このページのトップへ

穂高岳(15)

【2018年8月27日(月)】穂高岳
ザイテングラートを通過して、涸沢小屋に向かっている。
DSC_2656_20180909084749b5a.jpg

小屋のテラスはもう大賑わいだ。
DSC_2654_20180909084823330.jpg

ちょうど本隊が小屋に着いたところだ。
DSC_2659_201809090847539c7.jpg

私は本隊と離れて、パノラマコースを歩いているので、
DSC_2657_20180909084750af0.jpg

彼らより40mも低いところに下って、登り返さないといけない。
DSC_2658_20180909084751373.jpg

まあ、自ら選んだ道なので、それは承知の上。
DSC_2660_20180909084720485.jpg

涸沢カールの底には随分大きな岩がゴロゴロしている。
DSC_2661_20180909084721dc1.jpg
DSC_2662_2018090908472329e.jpg

とても日本とは思えない光景だ。
DSC_2663_20180909084725fde.jpg
ウィリアム・ゴーランドが「アルプス」と名付けたのもよく分かる。

広大なガレ場なので、○印に従って歩く。
DSC_2664_201809090847267b6.jpg

テン場の中に入ってきた。
DSC_2665_20180909084655360.jpg

このコンクリートの廃虚は、古い「山と高原地図」に記されている「山岳補導所」の跡だろうか。
DSC_2666_20180909084656df7.jpg

完全に撤去?されている。補導所そのものは現在、涸沢ヒュッテの中にあるらしい。
DSC_2667_2018090908465810b.jpg

北穂高岳(3106m)を背にした涸沢小屋。
DSC_2668_20180909084659b91.jpg

やっと本道に出た。
DSC_2669_20180909084701191.jpg

ここからは昨日歩いた道を登り返す。
DSC_2670_201809090846283b2.jpg

涸沢カールと吊尾根。
DSC_2671_20180909084629b39.jpg

涸沢小屋と涸沢岳(3110m)。
DSC_2672_20180909084631943.jpg

Nさんは道を無視して、直接小屋に向かっている。
DSC_2673_20180909084632dcb.jpg

彼女の背後には3本歯のフォークのような前穂高岳(3090m)。
DSC_2674_20180909084634182.jpg

昨日と同様、シシウドのお出迎え。
DSC_2675_20180909084602d93.jpg

9時間歩いた後の登り返しは、たった40mでもかなりきつい。
DSC_2676_20180909084605cd8.jpg

へとへとになってしまった。
DSC_2677_201809090846069c9.jpg

涸沢ヒュッテは1951年の創業だそうだ。
DSC_2678_20180909084607c04.jpg
今まで2回雪崩に流されたことから、現在は雪崩が上を通過するような低い構えになっている。

というわけで16:15過ぎ、本隊からは10分ほど遅れて涸沢小屋に到着。
皆さんはもうテラスでくつろいでいたが、私はまずはみんなのチェックインを済ませなければ。
連泊なので、要領は分かっている。
2泊目は規程料金より1000円引きで1泊2食8500円。
それに個室1部屋確保分12000円を10人で割って、プラス1200円。
昨日、余分に徴収した分が1人あたり500円あるので、差し引き9200円也。
全員から集めて、お支払いを済ませ、すかさず生ビール(800円)を購入。
全員そろったところで、無事穂高岳登頂を祝して乾杯した。
DSC_3916_20180909084610ab2.jpg
今日の夕食は18時からなので、このまま17時半くらいまで、テラスで宴会を続けた。
私が担ぎ上げた焼酎も消費してくれて助かった。
Nさんがお湯を沸かしてくれたので、お湯割りを飲めた。
Yさんも3時起床、3時半出発に賛同してくれたので、最終決定となった。
お開きとなってからは、部屋に戻って、またふきふき大会。
今日も今日とて、嬌声が上がった。

今夜のメインディッシュはハンバーグ。
DSC_3917_20180909084544926.jpg
結構ボリュームがあって美味しかった。
明日は早いので、今夜は2次会はなし。
歯を磨いて、そのまま布団に潜り込んだ。
昨夜は暑くて寝苦しかった反省から、今夜は少し窓を開けて寝た。
ちょうど風が入る位置に寝ていたので、ちょっと寒かった。
夜中は例によって何度も目が覚めたが、ちゃんと睡眠はとれたと思う。
意識が戻るたびに、おならをしていたのだが、みんなに聞こえていたようで、「Kはおならをした後にすぐいびきをかいていた」と言われてしまった。
ということは、やはり眠れたのだろう。皆さん、すいませんでした。

【行程】2018年8月27日
涸沢小屋(6:28)~約2430m地点(6:44休憩6:49)~パノラマ分岐(7:08休憩7:18)~ザイテングラート取付点(7:41休憩7:53)~(休憩7分)~地点~約2900m地点(8:47休憩8:58)~穂高岳山荘(9:11休憩9:31)~奥穂高岳(10:17撮影・休憩10:49)~転落現場(10:53休憩10:58)~穂高岳山荘(11:45昼食12:17)~涸沢岳(12:35撮影12:51)~穂高岳山荘(13:05休憩13:33)~約2870m地点(14:00休憩14:08)~ザイテングラート取付点(14:53休憩15:15)~パノラマ分岐(15:38)~涸沢小屋(16:16)
※所要時間:9時間48分(歩行時間:6時間20分)コースタイム:6時間30分
※登った山:2座(奥穂高岳、涸沢岳)
※歩行距離:5.6km
※累積標高差:約1020m

【2018年8月28日(火)】穂高岳
3時起床の予定が、3時前に目が覚めたので、早速準備を始めた。
今日は朝6時頃から雨の予報なので、雨具を出しやすいところに入れておくよう、メンバーには伝えておいた。
全員、3時半には小屋前に集結したので、予定通り、ヘッ電をつけて出発。
CIMG0900_201809090850545bd.jpg

さすがに曇っており、星も月も見えない。
それどころかガスがひどく、粒子がライトに照らされているのが、よく分かる。
CIMG0901_20180909085056e17.jpg
テン場にさしかかったあたりで、O君が「もっと、ゆっくり歩いて~」と叫んだ。
彼はコンタクトをやめて、今日は遠近両用メガネにしたらしく、足元がぼやけてよく見えないらしい。

ほどなく、パノラマコースとの分岐を通過。
CIMG0902_2018090908505722f.jpg

ここにこんなペンキ絵が描いてあるとは知らなかった。
CIMG0903_201809090850596b6.jpg

そのまま進んでいると、予定外に涸沢ヒュッテに着いてしまった。
CIMG0904_20180909085100a18.jpg
左へ下る分岐を、みんなで見逃してしまったのだ。
ここから横尾に下る道がどこにあるのか偵察すると、すぐに見つかったので、ちょっとだけ先導する。暗いとやはり何かと不便だ。

涸沢ヒュッテの玄関はテラスの下、地下のようなところにあった。
CIMG0905_20180909085027e76.jpg
登山道はこの真ん前を通過していた。

すぐ先に屏風ノ頭への分岐があったが、「残雪多く危険」なため、通行止めになっていた。
CIMG0906_2018090908502991b.jpg

防寒具代わりに雨具を着てきたが、間もなく暑くなってきた。
最後尾から「暑くないすか~、脱ぎませんか~」と声をかけて、小休止することになった。
そこがちょうど、ヒュッテと小屋の分岐にあたる「涸沢」だった。
CIMG0907_20180909085030860.jpg
ここで10分ほど休憩している間に、小屋から下ってきた後発の人に抜かれてしまった。
休憩時間を含めて、ここまで30分かかっているが、まっすぐ来たら10分で来れてしまうのだ。

そのうちガスの下に出たが、なかなか明るくならない。
北海道ならこの時期、4時を過ぎると薄明るくなってくるのに、4時半を過ぎても真っ暗だ。
途中、先頭のNさんが「道間違えているかも。こんなところ通った覚えがない」と言って、地図を見始めた。
でも、私は「ここは来る時に、Y君がおしっこしたとこだなあ」と思いながら来たし、一本道なので間違うはずはない。
GPSを見ても、ちゃんと予定の登山道の上にのっていたので、安心してそのまま進んだ。

Sガレを4:50頃に通過。
CIMG0908_20180909085033f6c.jpg

涸沢分岐から1時間近く歩いたので、Sガレのすぐ先で、再び休憩。
CIMG0909_20180909085033b7c.jpg

休憩中に5時を回り、やっと薄明るくなってきた。
CIMG0910_20180909084935a63.jpg

開けたところ、石の白いところはフラッシュなしでも撮れるようになった。
CIMG0911_2018090908493746f.jpg
CIMG0912_201809090849388ac.jpg

正面、東側の空が朝焼けに染まる。
CIMG0913_20180909084940372.jpg

本谷橋には5時半過ぎに到着。
CIMG0914_2018090908494103d.jpg

休憩地点から20分くらいで着くと思っていたら、30分以上かかってしまった。
CIMG0915_20180909084905274.jpg
ここから上高地までコースタイムは4時間。現在5:40なので、朝食を食べる時間や明神館に預けた荷物を受け取る時間を勘案すると、10時までに上高地に着くのはかなりタイトになってきた。
やはり、暗い中歩くスピードを考え、3時発にすればよかった。
しかし、それを言ってももう遅い。
みんなに状況を説明して、さくさく歩いてもらうようお願いした。

5:45出発。
CIMG0916_2018090908490799c.jpg

往路は木橋だったので、帰りは吊り橋を渡った。
CIMG0917_20180909084908d8a.jpg

明るくなって、前を向いて歩けるようになったO君は元気になって、吊り橋をぴょんぴょん跳んで揺らしながら渡っていた。
CIMG0918_20180909084911e3d.jpg

私は揺れが納まってから、ゆうゆうと渡る。
CIMG0919_20180909084911d1d.jpg

さて、間に合うかどうか。
CIMG0920_20180909084817ccb.jpg

横尾谷の奔流。
CIMG0921_2018090908481844e.jpg

この橋は水量が増えても流されないのだろうか。
CIMG0922_20180909084820167.jpg

ここが、小屋から横尾のほぼ中間地点。2時間かけてまだ2.4kmしか進んでいない。
CIMG0923_20180909084821a00.jpg

(つづく)
このページのトップへ

穂高岳(14)

【2018年8月27日(月)】穂高岳
奥穂高岳(3190m)、涸沢岳(3110m)を制覇して下山中。
DSC_2573_20180909001920f92.jpg

右手に聳えているのは前穂高岳(3090m)。
DSC_2572_201809090019184de.jpg

ザイテングラートの途中で、ひと休み。
DSC_2574_20180909001921bbd.jpg

眼下には涸沢カールが展開している。
DSC_2575_20180909001923ad2.jpg

変わらず端正な姿を見せ続けている常念岳(2857m)。
DSC_2576_20180909001924b7e.jpg

石舞台7。
DSC_2577_201809090018480d1.jpg

氷河が削った岩たち。このあたりはぐずぐず状態。
DSC_2578_2018090900185021f.jpg

きれいに削られたところ。
DSC_2579_201809090018511bf.jpg

10分弱休んで出発。
DSC_2580_20180909001854d16.jpg

指定された道を行かないと、危険なのだ。
DSC_2582_2018090900185402d.jpg

下りも神経を遣うので結構汗が出る。
DSC_2583_2018090900181534f.jpg

後ろの方は、わりと待ち時間があった。
DSC_2584_20180909001817da2.jpg

すれ違いの時などは全員で待機。
DSC_2585_20180909001819ffa.jpg

ハイシーズンは、これでかなり時間を食うのだろう。
DSC_2586_20180909001820e52.jpg

場所が良ければ、座って待つ。
DSC_2590_2018090900175477c.jpg

今日はわりと空いているので、ましな方だ。
DSC_2587_2018090900182147d.jpg

涸沢岳のギザギザ。
DSC_2588_2018090900175095e.jpg

北穂高岳(3106m)方面。
DSC_2589_20180909001752b01.jpg

若干傾斜の緩んだ中盤戦。
DSC_2592_20180909001755799.jpg

束の間の平和通りだ。
DSC_2594_20180909001756c62.jpg

それにしても、ものすごく贅沢な道を歩いている。
DSC_2595_201809090017240e7.jpg

ありがたく思わなければ。
DSC_2596_20180909001725af3.jpg

北穂高岳のサミットはどうやら右側の方みたいだ。
DSC_2597_201809090017270ae.jpg

涸沢ヒュッテ遠望。
DSC_2598_20180909001728852.jpg

だんだん、午後の光線になってきた。
DSC_2599_20180909001730d00.jpg

涸沢カールを横断する登山道。
DSC_2600_201809090016587d0.jpg

岩の殿堂。
DSC_2601_20180909001700e50.jpg

前穂&吊尾根。クリオネではありません。
DSC_2602_20180909001701b01.jpg

誰も、そんなことを連想しないか(笑)
DSC_2603_201809090017034dd.jpg

下ってきたガレ場。
DSC_2604_2018090900170548a.jpg

ザイテングラートの小ピーク。
DSC_2605_201809090016316cf.jpg

涸沢カール全景。
DSC_2606_20180909001633bd5.jpg

順調に下っていく、われら穂高岳登山隊。
DSC_2607_20180909001634218.jpg

久しぶりの金庫岩を通過。
DSC_2608_2018090900163678b.jpg

ザイテンの先端の尖塔を俯瞰する。
DSC_2609_201809090016378e4.jpg

下りの難所に差し掛かる。
DSC_2610_20180909001600c30.jpg

いつの間にか北穂がすっかり姿を現した。
DSC_2611_20180909001602716.jpg

無事に難所をクリア。
DSC_2612_201809090016033c5.jpg

お花の咲くところまで下りてきた。
DSC_2613_20180909001605f42.jpg

ここまで来れば、もうザイテンは終了。
DSC_2614_20180909001606803.jpg

取り付き点で、小休止。
DSC_2615_20180909001533c2a.jpg
ここで明日のスケジュールについて議論となった。
明日、朝食を食べてから出発すると、上高地で食事や入浴の時間をしっかり確保するのが実はなかなか厳しい。
それとは関係なく、H君が「せっかくヘッ電を持ってきたから、暗いうちに出かけたい。3時出発はどうだ?」と言い出した。
確かに、朝食を弁当にしてもらえば、何時に出てもいい。
わざわざそんな暗いうちに出なくても・・・とは思ったが、改めて上高地アルペンホテルの入浴時間を確認してみると、朝は10時受付終了で10時半までであることが判明。
これはリサーチ不足だった。
下りのコースタイムは約5時間半。
9時半までに上高地に着くには、遅くとも3時半には出なければならないが、早めに上高地に着ければ、松本到着も早くなり、ゆっくり「山麓酒場」ができる。
風呂にもゆっくり入れるし、早起き一文の得ではないが、いいことづくめだ。
というわけで、下で待っているYさんの了解も得た上で、明朝は3時半出発とすることに決定した。
これは大正解だったのだが、欲を言えば、3時出発にすればなおよかった。
なぜなら暗い道はあまりスピードも出せず、結果として、本谷橋の先をかなり急ぎ足で歩かざるを得なくなったからだ。

そんなこんなの議論に20分を費やし、15:15に出発。
DSC_2616_201809090015359a6.jpg

結構遅くなってしまった。
DSC_2617_20180909001536477.jpg

でも、やっと平和な道を歩ける。
DSC_2618_2018090900153851d.jpg

対岸には屏風ノ頭(2565m)に至るパノラマコースが見える。
DSC_2619_20180909001539265.jpg

雷鳥ではありません。
DSC_2620_2018090900150897b.jpg

北穂下のカール。
DSC_2621_20180909001511e66.jpg

再び、涸沢槍が姿を現した。
DSC_2622_20180909001511906.jpg

小屋まであと1時間くらいかな。
DSC_2623_20180909001513a04.jpg

何度も休んでいるとは言え、今日はもう9時間近く活動しているので、皆さんかなり疲れも出ているはず。
DSC_2624_201809090015142b5.jpg

しかし、歩き続けないと、小屋にはたどり着けない。
DSC_2625_20180909001443e8f.jpg

ザイテンからの道を振り返る。
DSC_2626_20180909001444adb.jpg

ザイテングラートと奥穂の峰々。
DSC_2627_20180909001446415.jpg

15時半すぎに、パノラマコースとの分岐に到着。
DSC_2628_201809090014479a0.jpg

ここで本隊と一旦分かれる。
DSC_2629_201809090014499bc.jpg

完全ピストンを避けたい私とNさんの2人でパノラマコースに行くことにしたからだ。
DSC_2630_2018090900141505c.jpg

涸沢ヒュッテ近くまで下り、涸沢小屋まで登り返すルートだ。
DSC_2631_20180909001417a22.jpg

本隊も休まず下山を続けている。
DSC_2632_201809090014189d6.jpg

こちらの方が遠回りなので、当然本隊が先に着くだろう。
DSC_2634_20180909001420c6e.jpg

朝には見えなかった北穂がばっちり見える。
DSC_2635_201809090014217b4.jpg

パノラマコースもきちんと平らな石が置かれて、歩きやすく整備されている。
DSC_2636_20180909001348153.jpg

過保護だとも思うが、難易度が高いのに初心者もたくさん来る人気の山なのだからやむを得ないのだろう。
DSC_2637_20180909001349f43.jpg

Nさんも軽快に下っていく。
DSC_2638_20180909001351ee1.jpg

下るスピードはこちらの方が断然速い。
DSC_2639_20180909001352264.jpg

しかも前穂を正面に見ながら歩く絶景コースである。
DSC_2640_20180909001355c78.jpg

いつの間にか屏風ノ頭より随分低いところまで来てしまった。
DSC_2642_2018090900132277a.jpg

北穂高岳。
DSC_2643_20180909001323730.jpg

石舞台8には「見晴岩」の名が付いていた。
DSC_2644_201809090013255a3.jpg

そこから見晴らす前穂姉妹の下の子たち。
DSC_2645_201809090013260e9.jpg

今日もテン泊の方々が集結してきた。
DSC_2646_20180909001328a37.jpg

今度来る時があったら涸沢ヒュッテに泊まってみよう。
DSC_2647_2018090900125414a.jpg

あのテラスも眺めが良さそうだし。
DSC_2648_20180909001256f1d.jpg

谷間の向こうに常念(右)と横通岳(左)。
DSC_2649_201809090012574cc.jpg

涸沢小屋のテラスも見えてきた。
DSC_2650_20180909001259cfb.jpg

こちらもぐいぐい標高を下げていく。
DSC_2651_201809090013006af.jpg

涸沢カールの景観をしめているのは、やはり前穂だろう。
DSC_2652_20180909001224436.jpg

この屏風ノ頭がまさに屏風の役割を果たして、カールを隠している。
DSC_2653_20180909001226630.jpg

こうして見ると、涸沢小屋は相当立派な山小屋だわ。
DSC_2655_20180909001228480.jpg

(つづく)
このページのトップへ

穂高岳(13)

【2018年8月27日(月)】穂高岳
穂高岳山荘から20分弱で涸沢岳(3110m)の山頂に到着。
DSC_2511_20180908095315ce8.jpg

そこに、Yさんそっくりの方がたたずんでいてびっくり。
DSC_2478_20180908095533cd4.jpg

東側眼下には涸沢カール。
DSC_2479_20180908095535297.jpg

その上部。
DSC_2482_201809080955391dd.jpg

ほかはガスでほとんど何も見えない。
DSC_2480_20180908095536d64.jpg

ひとつ奥の小ピークに三角点(3103m)があることを下山してから知った。
ちょっと失敗。
DSC_2481_20180908095538377.jpg

頂上直下は断崖だ。
DSC_2483_20180908095511951.jpg

このとんがりが、おそらく最も標高の高い部分。
DSC_2484_20180908095512497.jpg

その奥に屏風ノ頭(2565m)がかろうじて見えた。
DSC_2485_20180908095514df8.jpg

そのさらに向こうは蝶槍あたり。
DSC_2486_20180908095515845.jpg

ひとまず、4人で自撮り写真を撮ろうと山名板の前に集まった。
H君が操作に手間取っている間に、何だか奥穂高岳(3190m)方面が晴れてきた。
DSC_2487_2018090809551720d.jpg

わお、奥穂が姿を現し、自撮りどころではなくなった。
DSC_2488_2018090809544731d.jpg

自撮りは一旦中止して、歓声を挙げながらの撮影大会となった。
DSC_2489_201809080954495e0.jpg

奥穂(左)とジャンダルム(右、3163m)。
DSC_2498_201809080953587fc.jpg

左には前穂高岳(3090m)。
DSC_2491_20180908095452c9e.jpg

穂高岳山荘も見えてきた。
DSC_2493_20180908095423cfb.jpg

西穂高岳(2909m)方面への稜線。
DSC_2494_201809080954249c3.jpg

前穂からジャンダルムまで。
DSC_2500_20180908095401d24.jpg

ジャンダルムのアップ。
DSC_2496_20180908095427146.jpg

奥穂山頂。
DSC_2501_20180908095402b98.jpg

なんと、残留組が我々の写真を写してくれていた。
DSC_2503_2018090809533499a.jpg

O君が「Y○○~」と叫んだが、聞こえたかどうか。
DSC_2504_20180908095336afd.jpg
(後で確認したら、なんか叫んだのは聞こえていたと言っていた。そういえば、O君は奥穂山頂でも「Y子ちゃ~ん」と叫んでいた)

広角で1枚。
DSC_3912_20180908094747e0a.jpg

あの筋が、我々が往復した道だ。
DSC_3913_20180908094725397.jpg

再度、三角点のあるピーク。
DSC_2505_20180908095337e7b.jpg

北穂高岳(3106m)方面の道が見える。
DSC_2506_2018090809533887a.jpg

そこをやってくる登山者。
DSC_2507_20180908095340484.jpg

ひるがえって奥穂取り付きのハシゴ。
DSC_2508_20180908095311d2f.jpg

前穂側の涸沢カール。
DSC_2509_2018090809531295e.jpg

奥穂の山頂にまたガスが流れ始めた。
DSC_2510_20180908095314bc6.jpg

これでやっと落ち着いて自撮り写真が撮れる。
received_326196914791560.jpg

改めて、下を見ると、残留組はもう小屋の中に引っ込んでいた。
DSC_2512_2018090809531789e.jpg

20分弱で来られる場所にしては、素晴らしい山だった。
DSC_2513_20180908095242137.jpg

再び晴れてきたので、懲りずに撮影。
DSC_2514_20180908095243a5d.jpg

ここから見る前穂も恰好いい。
DSC_2517_20180908095247dc0.jpg

ただ、惜しくも山頂にはガスが。
DSC_2516_2018090809524654d.jpg

前穂の窓の向こうに安曇野まで望むことができた。
DSC_2515_2018090809524505f.jpg

再度、奥穂とジャンダルム。
DSC_2518_20180908095212d23.jpg

右がジャンダルムだ。
DSC_2520_20180908095215c72.jpg

奥穂山頂。
DSC_2522_201809080952199f3.jpg

その右奥の尖塔は西穂高岳だろうか。
DSC_2519_2018090809521302d.jpg

ここからだと奥穂への登山道がひと目で分かる。
DSC_2523_20180908095147b79.jpg

位置的に、前穂の並びを正面から見た感じになっている。
DSC_2524_20180908095149af7.jpg

それでは下山しましょう。
DSC_2525_201809080951508ab.jpg

なんだかんだで山頂に15分も滞在してしまった。
DSC_2526_20180908095151ddd.jpg

下山中に見た常念岳(2857m)。
DSC_2527_20180908095153e47.jpg

この角度からだと、あまり尖って見えない前穂。
DSC_2528_2018090809512482d.jpg

奥穂取り付き直近の小ピーク。
DSC_2529_20180908095124355.jpg

涸沢岳山頂を振り返る。
DSC_2531_20180908095127c2c.jpg

ちょうど5人ほどのパーティが着いたところだった。
DSC_2530_201809080951267e7.jpg

それにしても、あの壁は何度も撮りたくなる。
DSC_2532_20180908095129d99.jpg
DSC_2536_201809080951018bc.jpg

目下ハシゴは混雑中だ。
DSC_2535_20180908095100ee5.jpg

目を転じて蝶槍付近の稜線。ここから200mほど低い。
DSC_2534_201809080950583ee.jpg

というわけで、13時過ぎに白出のコルに戻ってきた。
DSC_2537_20180908095102b0c.jpg

ペットボトルをもう1本持ってきたはずなのだが、ザックをかき回しても見つからないので、100円だして水を補給。
DSC_2538_20180908095028cbb.jpg
(下山して見直したら見つかった。100円損した)

さらに30分ほどのんびりして、いよいよ下山開始。
DSC_2539_201809080950301f5.jpg

これからまた、あのザイテングラートを通過しなければならない。
DSC_2540_20180908095032ce8.jpg

隊列を組んで下る。
DSC_2541_201809080950336e5.jpg

改めて前穂。
DSC_2542_201809080950340a6.jpg

きれいに並んだ~
DSC_2545_20180908095005241.jpg

前穂への登山道が初めて見えた。
DSC_2543_20180908095001bde.jpg

カールを眼下に見えながらの下りは気持ちいい。
DSC_2544_20180908095003e4b.jpg

あのとんがりがただの小ピークだったことは、登ってみてよかった。
DSC_2546_201809080950060a2.jpg

ザイテンに突入。
DSC_2547_2018090809500757a.jpg

とうとう吊尾根に雲が押し寄せてきた。
DSC_2548_20180908094934d40.jpg

大カ~~~~ル。
DSC_2549_20180908094936345.jpg

北穂が少しずつ見えてきた。
DSC_2550_20180908094938fb3.jpg

どっちが頂上なんだろう。どっちでもないのか。
DSC_2552_20180908094941ad1.jpg

右手は奥穂の断崖。
DSC_2551_20180908094939341.jpg

前穂~
DSC_2553_20180908094906897.jpg

奥穂の頂上はやはり下からは見えていなかった。
DSC_2554_201809080949086a0.jpg

下りもかなり急だ。
DSC_2555_20180908094909192.jpg

前穂のカール。復習。
DSC_2556_2018090809491192b.jpg

北穂のカールも復習。
DSC_2557_201809080949122db.jpg

どれもこれも復習だ。
DSC_2558_20180908094836004.jpg

それにしても、こんなとこ、よく登ってきたもんだねえ。
DSC_2559_201809080948389dd.jpg

ザイテンの登りには1時間半かかったが、下りにはどのくらいかかるのか。
DSC_2560_20180908094840fb6.jpg

下ってはいけないコースは×印。
DSC_2561_20180908094841dd2.jpg

朝よりはだいぶ雲が増えてきたが、常念はずっと晴れている。
DSC_2562_2018090809484270c.jpg

カールにも雲の影が広がってきた。
DSC_2563_201809080948076cb.jpg

涸沢岳の復習。
DSC_2564_201809080948098db.jpg
DSC_2568_201809080947419a1.jpg
DSC_2569_20180908094743d81.jpg

左から蝶槍、蝶ヶ岳(2677m)、大滝山(2616m)。
DSC_2565_201809080948107e6.jpg

北穂はだんだん晴れてくるみたいだ。
DSC_2566_20180908094812143.jpg

ちょっと、おっぱいのように見える。
DSC_2567_201809080948133ca.jpg

鉄の杭が打ってあるが、旧道なのかな。
DSC_2570_20180908094745d1e.jpg

振り返ると、○印の連続であった。
DSC_2571_20180908094745824.jpg

(つづく)
このページのトップへ

穂高岳(12)

【2018年8月27日(月)】穂高岳
10:17に宿願だった奥穂高岳(3190m)に登頂した。
DSC_3892_20180907235644c63.jpg

祠のある頂上の隣に方位盤のあるピークがあった。
DSC_3891_20180907235643c8e.jpg

石工は岐阜県神岡町(現飛騨市)の輪方政吉とのことである。
DSC_2403_2018090800033230c.jpg

方位盤はかなり精密に書かれていた。
DSC_2405_20180908000301031.jpg

全員で記念撮影した後、近くに腰を下ろして休憩。でもすぐに立ち上がって撮影再開。
DSC_2399_20180908000326a31.jpg

雲に浮かぶジャンダルムが実に雄々しい。
DSC_3910_20180907235645b4b.jpg

ここから南西に進めば西穂高岳(2909m)、南東に進めば吊尾根を経て前穂高岳(3090m)である。いずれも未踏。
DSC_2400_201809080003279f0.jpg

前穂方面はすっかりガスに隠れて、全く展望がきかなくなっていた。
DSC_2401_20180908000329ea6.jpg

祠のある頂上の裏側。
DSC_2402_20180908000330a84.jpg

よく見ると、祠にいは「日本アルプス総鎮守 穂高神社嶺宮」と書かれていた。
DSC_2408_20180908000304c71.jpg

供えてあるお神酒は「獺祭」であった。
DSC_2406_20180908000303453.jpg

ジャンダルムは巻いてもいいから、西穂まで縦走してみたい。
DSC_2404_20180908000300d7f.jpg

しかし、実現はいつになることやら。
DSC_2409_20180908000306b72.jpg

ジャンダルムに登頂した2人がまだ上にいた。
DSC_2410_20180908000234e4a.jpg
まさか下りられなくなったわけじゃないよね。

西穂方面から歩いてきた登山者。勇者だ。
DSC_2411_20180908000235fe2.jpg

それにしても、この岩だらけの稜線はすざまじい。
DSC_2413_20180908000238ceb.jpg

それでは、そろそろ下山しましょうか。
DSC_2412_201809080002374ec.jpg

さらば奥穂高岳!
DSC_2414_20180908000240764.jpg

30分以上滞在して、10:50前に出発。
DSC_2415_201809080002059dc.jpg

ジャンダルムにも別れを告げる。
DSC_2416_20180908000207121.jpg

Y君は「フルネームで呼ぶのは通じゃない」と言って、「ジャン」と呼んでいた。
DSC_2417_20180908000208f7b.jpg

「ザイテングラート」をみな「ザイテン」「ザイテン」と呼んでいたことから学習したのかな(笑)
DSC_2418_20180908000210807.jpg

穂高岳山荘までは来た道をそのまま引き返す。
DSC_2419_20180908000211507.jpg

「峠」からは急な下り。
DSC_2420_20180908000140c23.jpg

その先もギザギザの稜線が続く。
DSC_2421_201809080001413d2.jpg

本当に至るところが尖っている。
DSC_2422_20180908000143381.jpg

このピラミッドは何を撮ったのか忘れてしまった。
DSC_2423_201809080001453ef.jpg

前方に見えてきたのは涸沢岳(3110m)。
DSC_2424_20180908000146d7c.jpg

依然として、見えたり隠れたりだ。
DSC_2425_2018090800011356c.jpg

なんて眺望を楽しみながら歩いていたら、前方で事故が発生。
なんと、3番手を歩いていたDさんが、足を登山道から踏み外して、左手の谷に滑落してしまったのだ。
幸い、ゆるいガレ場で、石が尖っておらず、2回転くらいしたところで止まることができた。
気を取り直して、動く石におののきながら、ゆっくりと登山道まで自力で上がってきて事なきを得た。
打ち身程度で済んだが、落ちたところがよかった。
傾斜もそれほど急ではなかったからだ。

その滑落現場がここ。
DSC_2428_20180908000118e1c.jpg

みんなでしばし停滞して、彼女の気持ちが落ち着くのを待った。
DSC_2427_20180908000117351.jpg

落ち方からして、はるか下まで転がり落ちていくようには見えなかったが、我々もびっくりしたのだ。
DSC_2426_20180908000115c4b.jpg

みんなで声を掛け合いながら、5分ほどで出発。
DSC_2429_20180908000120322.jpg

これまで以上に慎重に進む。
DSC_2432_20180908000049bae.jpg

手をつき、お尻をつきながら下るので、登りと同じくらいの時間がかかる。
DSC_2435_20180908000053203.jpg

振り返っても、もう山頂は見えなくなった。
DSC_2431_201809080000471ba.jpg

この後、涸沢岳に登る予定だが、ガスは晴れてくれるだろうか。
DSC_2433_20180908000050fb0.jpg

常念岳(2857m)はずっと一点の曇りもないのだが。
DSC_2434_20180908000052f69.jpg

すっぱり壁。
DSC_2436_20180908000021fcf.jpg

左側に切れ落ちた谷。やはり滑落したら痛そうだ。
DSC_2437_20180908000022520.jpg

O君は奥穂で満足したみたいで、北穂高岳(3106m)への周回は取りやめる気分になっていた。
DSC_2438_201809080000245ef.jpg

むしろ、早くビールを飲みたいモードなのだそうだ。
DSC_2439_201809080000256c9.jpg

まったくO君らしい。
DSC_2440_2018090800002730e.jpg

飛騨側の谷。
DSC_2441_20180907235954431.jpg

屏風ノ頭(2565m)。
DSC_2442_20180907235956ad8.jpg

涸沢小屋vs涸沢ヒュッテ。
DSC_2443_20180907235957cb2.jpg

再び前穂が姿を現した。
DSC_2444_20180907235959cea.jpg

石垣ピークを通過。
DSC_2445_20180908000000c9f.jpg

黙々と下っていく。
DSC_2447_20180907235927658.jpg
DSC_2448_20180907235928a25.jpg

穂高岳山荘も見えてきた。
DSC_2449_20180907235930a11.jpg

途端にまた急になる。
DSC_2450_2018090723593157c.jpg

滑り台のような涸沢岳。
DSC_2451_20180907235933936.jpg

北穂の岩峰の一つ。祠かと思っていたが、よく見ると自然の岩だった。
DSC_2452_2018090723590105d.jpg

○×多発地帯に突入。
DSC_2453_201809072359020f6.jpg

さあ、最後の難関。
DSC_2454_201809072359048f1.jpg

下りのへつりはおそるおそるだ。
DSC_2455_2018090723590545b.jpg

どれかが北穂のサミットなのだろうか。行っていないので、よく分からない。
DSC_2456_20180907235907768.jpg

登りの人とのすれ違いもあり、しばし渋滞。
DSC_2457_201809072358302bd.jpg

後ろからも、登山者が来る。
DSC_2458_20180907235832e6f.jpg

正面に涸沢岳を下ってくる方々を遠望。
DSC_2459_2018090723583391c.jpg

涸沢岳山頂部。
DSC_2460_20180907235835a27.jpg

こっちに登って行ってはいけません。
DSC_2461_201809072358366bc.jpg

ハシゴ、クサリ場を無事に通過して、11:45に山荘に到着。
DSC_2462_20180907235804b62.jpg
所要約1時間。登りより時間がかかってしまった。
それはともかくお腹が空いた。

今日は弁当でもコンビニおにぎりでもなく、外食。
穂高岳山荘のメニューから選ぶ。私はカレーにした。
DSC_3911_201809072356469b2.jpg
テーブルが石なので傾いていて食べにくかったが、カレー自体はそこそこ量があって満足。
味の方は普通だった。
ほかの男性陣はラーメン+ライスとか、やはり量狙いだった。

お腹が落ち着いたところで、またまた撮影タイム。
前穂。
DSC_2463_20180907235805c1b.jpg

常念。
DSC_2464_2018090723580755e.jpg

小屋の地盤を支える石垣。
DSC_2465_2018090723580835c.jpg

奥穂方面の尖塔。
DSC_2466_20180907235810e18.jpg

では、準備も整ったので、O君、H君、Nさんの4人で涸沢岳に向かう。
DSC_2467_201809072357358be.jpg

ここのテン場はとても窮屈な感じ。
DSC_2468_20180907235737b3f.jpg

階段状にテン場が築かれている。
DSC_2469_2018090723573932b.jpg

あら、前穂にもガスがかかってしまった。
DSC_2470_201809072357404ca.jpg

さっき見えたヘリポートの横を通過。
DSC_2471_20180907235741dfc.jpg

行く手は結局ガスだ。
DSC_2474_201809072357122e4.jpg

山頂から奥穂を望むには、こちらもあちらも同時にガスが晴れなければならない。
DSC_2475_20180907235713c5a.jpg

そんないいタイミングがあるだろうか。
DSC_2476_201809072357160e4.jpg

山頂はもうすぐそこだ。
DSC_2477_201809072356400da.jpg

(つづく)
このページのトップへ

穂高岳(11)

【2018年8月27日(月)】穂高岳
穂高岳山荘をあとにして、いよいよ奥穂高岳(3190m)にアタック開始だ。
DSC_2312_2018090521340217b.jpg

いきなり、この壁に取り付く。
DSC_2313_20180905213404d36.jpg

矢印が非情である。
DSC_2314_20180905214607110.jpg

まずは助走。
DSC_2315_20180905213407994.jpg

屋根で布団を虫干しにしているのが見える。
DSC_2316_201809052134082a5.jpg

垂直の壁を見上げる。
DSC_2317_20180905213333ea9.jpg

ただ、足場はしっかりしている。
DSC_2318_201809052133351a6.jpg

女性陣がハシゴに取り掛かった。
DSC_2319_2018090521333601c.jpg

下は見ずに、次々と登っていく。
DSC_2320_2018090521333851a.jpg

順番待ちのY君は余裕の表情。
DSC_2321_20180905213339008.jpg

H君も楽しそう。
DSC_2322_201809052133026f7.jpg

O君はどう見ても工事現場の監督さんだ。
DSC_2323_20180905213303a06.jpg

小屋が建っているのは完全に人工的な地盤の上であることが分かる。
DSC_2324_2018090521330515b.jpg

私もハシゴの足元まで来た。
DSC_2325_20180905213306131.jpg

真横の壁。
DSC_2326_20180905213308f03.jpg

ハシゴを二つ登ると、クサリ場。
DSC_2327_20180905213222a87.jpg

クサリ場を通過すると、ようやく普通に歩ける場所に出た。
DSC_2328_20180905213224819.jpg

ルートを示す丸印が無数に並ぶ。
DSC_2329_20180905213225b8a.jpg

そこを必死によじ登っていく。
DSC_2330_2018090521322723b.jpg

振り返ると涸沢岳(3110m)の基部にヘリポートが見えた。
DSC_2331_20180905213228ae6.jpg

穂高岳山荘との位置関係としてはこうなる。
DSC_2332_20180905213158e96.jpg

涸沢岳方面はガスがかかっている。
DSC_2333_20180905213200c6f.jpg

北穂高岳(3106m)南陵に登山者の姿が。
DSC_2335_2018090521320244e.jpg

涸沢岳の山頂がうっすらと見えてきた。
DSC_2336_2018090521320428c.jpg

西側の斜面は急だが、岩稜にはなっていない。
DSC_2337_2018090521312910b.jpg

斜度は違うが白馬岳(2932m)の景観を思わせた。
DSC_2339_20180905213131c50.jpg

北穂にかかる雲のせいで表銀座も見えにくくなってきた。
DSC_2341_20180905213134e39.jpg

前方にはジャンダルム(3163m)が姿を現した。
DSC_2334_20180905213201119.jpg

だが、奥穂の頂上はまだ見えない。
DSC_2340_20180905213133c84.jpg

前穂高岳(3090m)の妹たちと涸沢カール。
DSC_2342_20180905213135d80.jpg

進め、穂高岳登山隊!
DSC_2343_201809052130589ca.jpg

右手は猛烈なガレ場だ。
DSC_2344_2018090521305939c.jpg

しかし、青空が広がってきた。
DSC_2345_20180905213101465.jpg

穂高岳山荘から頂上までのコースタイムは50分。
DSC_2346_20180905213102012.jpg

標高差は200mほどある。
DSC_2350_20180905213022900.jpg

左手は絶壁の下に涸沢カール。
DSC_2348_2018090521301977a.jpg

ずっと陰になっていた涸沢小屋(左)もやっと見えた。
DSC_2347_20180905213104830.jpg

お馴染み前穂第4峰。
DSC_2349_20180905213020854.jpg

ジャンダルム周辺の岩峰には全く草木が生えていないのがすごい。
DSC_2351_20180905213023677.jpg

すぐ先に尖塔が見えてきた。あれが頂上だ!(実は違った)。
DSC_2352_20180905213026700.jpg

目標が見えると、元気が出る。
DSC_2353_20180905212952e0a.jpg

前穂の形は、涸沢小屋から見るのと随分印象が違う。
DSC_2354_201809052129539e7.jpg

頂上手前の小ピークを巻く。
DSC_2355_20180905212955c34.jpg

単独で来ていたら、きっとあそこまで登っただろうが、今回は団体行動なので止めておいた。
DSC_2356_20180905212956197.jpg

あらら~、行く手がガスで真っ白に。
DSC_2357_20180905212958abc.jpg

まあ、頂上で晴れるかどうかはタイミング次第。
DSC_2359_20180905212927869.jpg

ガスっていても待っていれば、晴れ間もあるだろう。
DSC_2362_20180905212931f1a.jpg

左手には、前穂6峰まできれいに並んでいるのが見える。
DSC_2358_20180905212925f90.jpg

常念岳(左、2857m)と蝶槍(右)。
DSC_2360_201809052129280d2.jpg

さっきの小ピークを振り返る。石垣のように見えるが、あれで自然の造形なのだろう。
DSC_2361_20180905212930614.jpg

西穂高岳(2909m)から奥穂までは、ずっとあんな岩稜地帯なのだろう。
DSC_2363_20180905212900729.jpg

岩の隙間から涸沢ヒュッテを覗き見る。
DSC_2364_20180905212902ab6.jpg

さっき頂上だと思った尖塔は結局そうではなかった。
DSC_2365_201809052129030c2.jpg

でも、ガスが抜けたのはうれしい。また流れてくるのだろうけど。
DSC_2366_20180905212905fca.jpg

もう一喜一憂するのは止めよう。
DSC_2367_20180905212906bfc.jpg

北の空。やはり槍ヶ岳や立山などは見えそうにない。
DSC_2369_201809052128341ba.jpg

北穂のサミットはあのガスの中かしら。
DSC_2368_20180905212832339.jpg

常念(右)から表銀座の稜線。
DSC_2371_20180905212837626.jpg

大天井岳(2922m)。
DSC_2370_201809052128362f1.jpg

涸沢カールの底。
DSC_2372_2018090521283808a.jpg

やっと、頂上が見えた。人の姿が見えるので、間違いない。
DSC_2374_201809052127514e8.jpg

今のところ晴れてくれている。
DSC_2373_20180905212749f55.jpg

振り返ると、涸沢岳も見えたり隠れたり。
DSC_2375_20180905212752c61.jpg
DSC_2378_201809052127181a8.jpg

画面左上にちょっとした峠が見える。
DSC_2376_201809052127546ee.jpg

左手下はナイフでスパッと切り落としたかのような岩壁。
DSC_2377_20180905212755d85.jpg

右手も吸い込まれるような谷だ。
DSC_2379_2018090521272001c.jpg

ゲート状になっている峠はすぐそこ。
DSC_2380_201809052127211c0.jpg

ここで軽装の方々とすれ違った。荷物は山荘に完全デポだったのだろう。
DSC_2382_20180905212726c72.jpg

これは、さっき頂上だと思った小ピークの裏側。
DSC_2381_20180905212722037.jpg

さらに下方。石垣のようだと言った小ピークがあんなに下に。
DSC_2383_20180905212650b79.jpg

穂高岳は剱岳、谷川岳と並んで日本三大岩場だそうだ。
DSC_2384_20180905212651f31.jpg

地質的には溶結凝灰岩で形成されている。
DSC_2385_2018090521265361f.jpg

この岩は約175万年前の噴火による火砕流に由来するもので、それが100万年ほどかけて2000m隆起して穂高岳になったとのことだ。
DSC_2386_20180905212655a5b.jpg

つまり、穂高岳はもともと火山だったのである。
DSC_2387_20180905212656afd.jpg

峠に立っていた道標。
DSC_2388_20180905212623b53.jpg

当時の噴火では、1914年(大正3年)の桜島噴火の約430倍、雲仙普賢岳の噴火(1991~95年)の約2800倍のマグマが噴出したらしい。
DSC_2389_201809052126250a2.jpg

さあ、頂上が目前に迫ってきた。
DSC_2390_201809052126268f5.jpg

10:17、穂高岳山荘から45分ほどで登頂。コースタイムより速かった。
DSC_2391_20180905212628cb3.jpg

記念撮影の順番待ちの間に、眺望を撮影。
DSC_2393_20180905212557086.jpg

ガスをまとったジャンダルム。
DSC_2392_2018090521262938c.jpg

涸沢岳から北穂。北穂はすっかり雲に隠れてしまった。
DSC_2394_2018090521255987f.jpg

常念岳。
DSC_2395_201809052126002ed.jpg

ジャンダルムの雄姿。
DSC_2396_20180905212601b7b.jpg

ジャンダルムとは、フランス語で国家憲兵の意味だそうだ。
DSC_2398_20180905212532a16.jpg

転じて、尾根上の通行の邪魔をする岩のことを言うようになった。
あのドーム状の岩峰については、名峰アイガーにある高さ約200mの絶壁の通称に由来するという。
DSC_2397_20180905212604a98.jpg
上に2人の姿が見える。あんなところに登ったんだなあ。

そうこうしている間に撮影の順番が回ってきた。
DSC_2399_201809052125349b0.jpg

(つづく)
このページのトップへ

プロフィール

かたこりまさかり

Author:かたこりまさかり
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (4)
北海道の山 (523)
東北の山 (75)
上信越の山 (147)
奥多摩の山 (58)
丹沢の山 (55)
奥秩父の山 (83)
栃木の山 (32)
房総・常陸の山 (9)
奥武蔵・秩父の山 (87)
中央線沿線の山 (100)
富士山周辺の山 (68)
八ヶ岳周辺の山 (53)
南アルプス (101)
史跡歩き (12)
中央アルプス (28)
北アルプス (61)
日本海の山 (8)
関西の山 (30)
四国九州の山 (61)
駅舎の旅 (96)
ドライブ (50)
廃線の旅 (46)
駅から散歩 (39)
乗り鉄 (51)
島の旅 (19)
山村の旅 (7)
超低山 (33)
東海の山 (5)
つぶやき (38)
旧道歩き (59)
伊豆の山 (39)
サイクリング (3)
ハイキング (17)
温泉旅行 (16)
ランニング (1)
観光 (3)
お遍路 (37)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR