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山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

2017年よ、ありがとう

今年は6月に、ふるさと北海道に転勤するという大きな変化がありました。
当然、それは「山と鉄」のフィールドにも大きな変化をもたらしました。

2017年を締めくくるにあたり、簡単に今年の山行を整理しておきます。

山行回数61回(延べ69日):365日のうち、ほぼ2割方、山にいたことになります。
登った山:150座(年間最高記録は2014年の305座なので、その半分でした)
通算歩行距離:約690km

独断と偏見による今年のベスト20(順位なし)
・富士山
・宮之浦岳
・利尻富士
・由布岳
・権現岳(八ヶ岳)
・九重連山
・美ヶ原
・旭岳
・富良野岳
・札幌岳
・地蔵岳(鳳凰三山)
・妙義山
・昭和新山
・無意根山
・尻別岳
・白雲山
・ウエンシリ岳
・ホロホロ山
・崕山
・イチャンコッペ山

って感じかしら。

それぞれコメントしたいところですが、今回は項目だけに留めておきます。
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根室本線・十勝(下)

【2017年12月24日(日)】十勝
プチ根室本線駅舎の旅。来年廃止になる羽帯駅(清水町)に列車が停車している写真を撮るべく、列車の到着時間(13:22)に合わせて戻ってきた。
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まだ時間があるので、しばらく車内で待っていたが、到着5分くらい前になって外に出た。
列車は遅れているようで、定刻を過ぎても到着しない。
さっき声をかけてくれた撮り鉄のおじさんが、「先に札幌方面の特急が来て、この先の(平野川)信号場ですれ違ってから来ますので」と教えてくれた。
何でも知っている。筋金入りのテツなのだろう。

その言葉通り、まず特急スーパーおおぞら6号が通過して行った。
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釧路発11:24、札幌着15:41の列車である。
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続いて、定刻より5分ほど遅れて、「ダブルタラコ」がやってきた。
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下車した人はゼロ。
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乗客はどのくらい乗っているのか、外からはうかがい知れなかった。
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この列車は滝川9:42発の釧路行き普通列車(運行距離は308、4km)。
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釧路着はなんと18:01着。まる1日かけての旅だ。
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東鹿越~新得間は台風被害のため運休中(代行バス運行)なので、この車両は滝川~東鹿越間を走る車両とは別のものということになる。
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でも、列車番号は同じ2427Dで、ダイヤも連続したものだ。
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それはともかく。無事、撮影を終え、神田日勝記念美術館に向かう。
国道を通らず、近道をしたつもりが、抜け道の路面は圧雪状態であまりスピードが出せなかった。
午後2時に美術館に到着。
館内はもちろん撮影禁止なので、写真はないが、生活に根ざした芸術の力強さ、リアリズムに圧倒された。
つい最近、倶知安出身のエリート画家の西村計雄の美術館にも行ってきたが、こちらの方が断然すきだ。
1枚1枚、こんなに時間をかけて絵を見たのは初めてだった。
展示室を出てからも書棚にあった画集を見たり、奥様の一文を読んだりして、すっかり長居してしまった。
北海道立近代美術館が所蔵しているという、他の作品もいずれ見てみたいものだ。

では暗くなる前に、残りの時間で行ける駅は行ってしまおう。
まずは新得駅。
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ここも駅より大きい新得町商工会館が併設されていた。
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この駅舎は1986年(昭和61年)12月31日に建て直されたものだ。
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駅前には、蒸気機関車(機関士)のモニュメントがあった。
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北海道のへそは富良野市だが、重心は新得町にある。
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カラフルなバス停は、新得町のコミュニティバス「そばくる」。
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ここも有人駅なのでホームには入れないので、外から覗き込んでみた。
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ホームは2面3線のようだ。
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ちなみに1日の平均乗客数は251人(2015年度)とのこと。
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開業は十勝清水駅と同じく1907年(明治40年)9月8日。
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1928~68年までの40年間、この駅から上士幌駅まで北海道拓殖鉄道(拓殖バスの前身)が運行されていたそうだ。
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駅名の由来はアイヌ語の「シリ・トク(山の突起)」にちなむという。
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ここは石勝線と根室本線の合流駅なので、かなり立派な駅だ。
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ポスターによると、来年1~2月に釧網本線釧路~標茶間で観光列車「SL冬の湿原号」が運行されるそうだ。
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時刻表は特急おおぞらだらけ。
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では、もう4時近いので帰りますか。
帰路だが、ここから十勝清水まで戻って、道東道にのると、高速乗車時間が長くなって危ない。
狩勝峠経由でトマムICからのることにしよう。
もう日が暮れてしまったが、まだ何とか薄明るいので、通り道にある落合駅にも寄ることにした。
これで、金山駅から御影駅まで8つの駅舎を制覇したことになる。
一つだけ残しておくと、あとあと面倒なのだ。

駅の近くに、田中陽希さんが「グレートトラバース」で立ち寄った「こいで百貨店」があった。
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放送の中で、間もなく店じまいをすると、お店の方が言っていたが、その通り廃業していた。
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向かいのお弁当屋さんも「こいで」だが、こちらも閉店している。
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集落の人口が減り、国道274号が開通し、道東道までできてしまっては、狩勝峠を経由する車も激減したことだろう。
とても商売はやっていけまい。
長い間、お疲れ様でした。

台風による運休で落合駅には列車が来ないのに、駅舎に電気が灯っていた。
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代行バスが来るからだろう。
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親切に離れのトイレにまで電気が付いていた。
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このコンテナは物置代わりだろうか。
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列車の来ないホームにも電灯が。
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落合駅は1901年(明治34年)9月3日に開業。
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1日の平均乗降客数は5人(2015年度)。
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運休中だけあって、線路は雪に埋もれたまま。
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これではほとんど廃線である。
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跨線橋の入口も閉じられていた。
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それにしても、だれも来ないホームに灯る電気ほどわびしいものはない。
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駅名の由来は空知川とルウオマンソラプチ川との合流地点であることに因るという。
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この駅が1986年までは有人だったというから、驚く。
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座布団がやけに豪華。いちいち涙を誘う光景だ。
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かつては、この駅からトマム森林鉄道と落合森林軌道が延びていたらしい。
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乗車する際は整理券を取りましょう。
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バス代行の仕組み。
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ワンマン列車の乗り方。
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というわけで本日の駅舎めぐりは終了。
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道東道は予定通りトマムICから乗車。
占冠PAでトイレ休憩を取った後、夕張ICで下り、国道274号をひたすら走る。
ガソリンは間に合いそうではあったが、ガス欠を心配しながら走るものいやなので、月寒のGSで1000円分だけ給油。
その後、兄貴のGSにもう一度寄って満タンにし、業務用スーパーで買い物も済ませて、午後7時半に帰宅した。
冬場は日が短くて、活動時間が限られる。
でも、あまり雪が深くなく駅舎撮影の支障にならなかったのでよかった。
結局、今年の12月は1度も山に登らなかった。

(おわり)
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根室本線・十勝(上)

【2017年12月24日(日)】根室本線
世の中では「クリぼっち」などと言うらしいが、負け惜しみでも何でもなく、イブに1人でも全く構わない。
前日、22年ぶりにスキーをやって全身筋肉痛の私は、もう運動系は無理。
来年3月のダイヤ改正で根室本線の羽帯駅(清水町)が廃止になるというので、雪が深くならないうちに行っておくことにした。
ついでに、近くの駅いくつかと、鹿追町の神田日勝記念美術館にも寄ってくるつもりだ。

「熊野古道」の最終回を書き終えて、9時過ぎに自宅を出発。
兄貴のGSで給油して、道央道・道東道経由で十勝に向かう。
気温が高く、路面が乾いているので、ありがたい。
途中、占冠PAで休みたかったのだが、ノロノロの車を追い越したばかりだったので、通過してしまった。
眠かったが、なんとか耐えた。

羽帯駅の手前にある十勝清水駅に先に行くことにした。
11:40に駅前の駐車場に到着。GSから2時間10分かかった。
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駅の隣に、駅より大きな「ハーモニープラザ」(十勝清水観光情報ステーション)が立つ。
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駅前には集合住宅のコーポカワイ。
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拓殖バスが運行している。
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箱型の十勝清水駅。
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十勝清水駅は1907年(明治40年)9月8日に国鉄の清水駅として開業した。
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十勝清水に改称されたのは、1934年(昭和9年)11月10日。
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早速、駅舎の中に入ってみた。
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ここは特急も停車する有人駅である。
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清水町は「第九のまち」だそうだ。
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札幌~帯広を結ぶ「特急スーパーとかち」は全列車停車する。
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1日の平均乗客数は321人(2012年)。
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有人なのでホームには入れず、駅名標は外から望遠で撮るしかなかった。
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この後、となりの観光情報ステーションで十勝地方の観光パンフレットをゲット。
清水町のご当地グルメに「牛玉ステーキ丼」というものがあるそうなので、そのメニューを提供している、国道38号沿いの「ごはん屋ゆめあとむ」に向かう。
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もちろん、牛玉ステーキ丼を注文。
ここでは、牛とろ丼なるメニューも人気のようだ。
牛玉丼はサイコロ状にカットした十勝若牛を味噌味で炒め、とろとろのスクランブルエッグの上にのせている。
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値段は980円。十勝若牛をこの値段で食べられるのは、実にお得。
めちゃめちゃ美味しくて、山わさびをちょっと付けるとさらに美味だった。

満足して、本日の主たる目的である羽帯駅に向かう。
十勝清水駅の1つ帯広寄りの駅である。
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十勝清水方面(北)はレールが一直線に続いている。
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駅舎はないが、立派なコンクリートのホームがあった。
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駅のすぐ横に踏切がある。
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名称は「学校通り踏切」。
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国道の反対側に、かつて町立羽帯小学校(1977年3月31日閉校)があったようだ。
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この道をまっすぐ西に向かうと芽室岳(1754m)の登山口に至る。
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駅舎の代わりに、ホームに小さな待合室があった。
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羽帯駅の開業は1958年(昭和33年)9月10日。
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ご覧の通り、1面1線の単式ホームである。
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1日の平均乗客数は0人(2012年)。廃止はやむを得まい。
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廃止の意向は今年9月の段階で地元清水町に示されており、同町は容認していた。
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廃止は来年3月17日の予定である。
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その日には、葬式鉄の方々がたくさん撮影に見えるのだろう。
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廃止が発表されたのは12月15日だった。
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駅名標はもう日焼けして緑が消え、地の白も茶色くくすんでいた。
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待合室には、除雪道具が置かれている。
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時刻表を見ると、通過する普通列車も多いようで、停まるのは4往復のみだ。
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ベンチに落書き帖が置かれていた。
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なんと昨日、栃木から来た方が置いていったものだった。
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「はおび」の名は、アイヌ語の「ポンイオプ」(小さい、それ=蛇、多くいる、ところ)が転訛したものと言われているらしいが、かなり激しくなまった感じだ。
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次に列車が来るのは13:22。
現在は12時半過ぎなので、まだ1時間近くある。
せっかくだから、列車が停まっている羽帯駅の写真も残しておきたいので、隣の御影駅を撮影したあと、また戻ってくることにした。

国道に出て、御影駅に向かう。
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御影駅入口を右折。
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御影集落はわりと家が多く、かつては駅前商店街を形成していたようだ。
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吉野時計店はたぶんもう廃業しているのだろう。
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スーパーにしやまは現役っぽい。日曜日だから休みなのかな。
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川端商会はお酒屋さん。
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その隣の隣が輝寿司。おそらくいずれも現役だ。
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商店街には、「御影」のバス停。こちらは十勝バスだ。
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御影駅。結構大きい。
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先に駅前の石造倉庫を再利用したレストラン「石倉家」の外観を確認。
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絶賛営業中。
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十勝若牛ステーキの店のようだ。今度ここに来てみよう。
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隣には、コンクリート造りの倉庫。
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その向こうにはレンガ造りの倉庫も。
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これが駅前通り。
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御影駅は十勝清水駅と同様1907年9月8日の開業。
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御影駅バス停は拓殖バスだった。
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駅舎の中は、見事ながらんどう。
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ベンチはこれだけだった。
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かつての改札口がまだ残っていた。
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北は羽帯駅方面。
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駅名は当地の名産、花崗岩(御影石)にちなむ。
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開業当初はアイヌ語地名にちなみ、佐念頃駅という名称だった。
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でも、語呂が悪いということで、1922年に改称された。
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ホームは行き違いのできる相対式2面2線。
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跨線橋の断面はかまぼこ形になっている。
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南に芽室方面を望む。
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1日の平均乗客数は46人(2012年)。
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駅前は集落を形成しているだけに、それなりの人数がいる。
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かつては御影石を運ぶための帯広石材馬車軌道が敷設されていたそうだ。
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駅と反対側のホームは、改札を通過せずに外に出られるようになっていた。
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無人化されたのは1984年(昭和59年)12月1日。
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では、そろそろ退散することにしよう。
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と思ったら、特急スーパーとかち3号帯広行きが駆け抜けて行った。
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羽帯駅への入口の目印は、この看板。
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もう列車が来る時間に近いので、誰かいるかなと思ったら、誰もいなかった。
到着時間まであと15分ほどあるので、車内で待っていると、やっぱり車が1台やってきた。
私とは違って、立派なカメラを持っている、ちゃんとした撮り鉄さんだ。
窓越しに会釈をすると、「今度来るのはダブルタラコですよ!」と興奮気味に言い残して、撮影場所を探しに雪原の中を進んで行った。
車両にはあまり興味のない私には、「ダブルタラコ」と言われても何のことか分からない。
でも、来た列車を見た瞬間に分かった、柿色(タラコ色)の気動車2両編成ということだった。

(つづく)
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熊野古道(12)

【2017年11月26日(日)】熊野古道
熊野古道の旅、4日目。この日は最終日である。
日本一距離の長い路線バス(奈良交通、大和八木駅~新宮駅)や新幹線、飛行機に乗って、ここ奈良県十津川村の十津川温泉から、まる1日かけて札幌まで帰る予定だ。

朝は6時過ぎに起床。
泊まった田花館の窓からは、他の宿や十津川が見えた。
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朝食は7時から。アマゴの甘露煮が美味しかった。
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バスの時間は8:01なので、7:40に宿を出発。
宿のすぐそばに、明治22年(1889年)の大水害の後に立てられた石碑があった。
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災害時には水位がここまで来たので警戒するようにという趣旨のもので、かつては現在地より50m下に設置されていたが、ダム建設のため、ここに移されたとのこと。

つまり、このあたりの十津川はダム湖(二津野ダム)になっている。
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支流にかかる庵之前橋は新旧2本。
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まだ時間があるので、ちょっと付近を散策してみた。
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十津川温泉もいくつかの宿は廃業してしまったらしい。
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では、バス待合所に戻るとしよう。
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一応、古い家屋は記録に留めておく。
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朝の「庵の湯」。
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温泉そのものは道路より低いところにあった。
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バス待合所の隣は高岩寺・平谷小学校跡。
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随分、大きな広告塔だこと。
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植村忠知氏の頌徳碑。地元出身の政治家で、温泉の開発などに尽力したそうだ。
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というわけでバス待合所(十津川バスセンター)に到着。
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入口の前には、足湯ではないが、温泉が「展示」されていた。
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十津川温泉は元禄年間に発見されたそうである。
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まずは切符を購入、近鉄に乗り換える高田市駅まで、なんと3250円!
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バスの終点は大和八木駅だが、そこまで行ってしまうと、飛行機の時間に間に合わないので、なるべく早く、近鉄に乗り換えないといけないのだ。

待合室になぜか、ねこバスの顔ハメがあったので、もちろんハメます。
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バスは発車5分前に到着した。
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早速乗り込む。
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人気路線なので、それなりに乗客がいるだろうと思っていたが、ガラガラだった。
トイレタイムは谷瀬の吊り橋がある上野地とどっか(忘れた)で20分ほどあるという。

この路線は総延長166.9km。停留所は全部で166か所もある。
それを約6時間半で結んでいる。私はその中の4時間ほどの区間を乗車することになる。
バスは集落のある細い旧道を縫っていく。
バイパスに戻るためUターンすることもしばしばだ。
車窓を見ているだけで全然飽きない。

1時間ちょっとで、上野地に到着。
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トイレ休憩を利用して、有名な谷瀬の吊り橋を見にいく。
他の乗客もトイレを済ませて、みな見学に出かけた。
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バスには沿線自治体のマスコットキャラクターが大勢ラッピングされていた。
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吊り橋までは数分歩かないといけない。
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眼下に十津川の流れが見えてきた。
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「山の駅」。最近は「川の駅」もあるし、いろんな「駅」がある。
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吊り橋の支柱が見えてきた。
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橋のたもとに石仏が。なんと昭和56年に橋から墜落死した方の慰霊仏だった。
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三十代の男性のようである。ふざけていたのか、酔っていたのか。いずれにしろ合掌。
帰宅後、ネットで調べてみたら、「酔ってロープにぶら下がり、そのまま力尽きて落下」という情報があった。
家族はさぞや悲しんだことだろう。

さあ、これが谷瀬の吊り橋。
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長さ298m、高さ54mで、人が渡る吊り橋としては日本一だそうである。
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説明板によると、完成したのは昭和29年(1954年)。
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銘板にも昭和29年とあった。
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せっかくなので少し歩いてみた。
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わりと幅をもって板が敷かれているし、側面にはネットもあるので、そんなに怖くない。
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このあたりの河原が水量のわりに広いのは、明治22年の洪水で流されるまで、集落や耕地があったからだという。
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被災した人々は新天地を求めて北海道に渡った。今の新十津川村である。
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橋は1戸あたり当時としては大金の20万円を拠出し、800万円余を投じて建設されたそうだ。
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橋の途中で、バスに同乗していた女性に撮影を頼まれたので、撮って差し上げた。
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彼女は熊野古道(小辺路)を高野山から歩き始め、本宮に到着する手前の十津川温泉でタイムアップとなり、戻ることにしたのだという。

さすがに渡り切る時間はなかったので、半分手前で切り上げて戻った・
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帰りに、さっきの山の駅「吊り橋の里」に立ち寄った。
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観光案内所も兼ねていたので、いくつか観光パンフをゲットしてきた。

熊野サイダーも八咫烏。
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生いも串こんにゃく。
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十津川村は広い。
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ここも雰囲気としては古い街道筋だったようである。
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バスは9:25に出発した。
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実のところ、高田市駅での乗り換えに若干の不安を抱えていた。
高田市駅到着は12:02の予定。
そこで12:10発の吉野行き特急に乗り継がないといけない。
バスが仮に5分遅れたら、間に合わない恐れが十分ある。
これは賭けだなあと、思っていたら、車内案内で次は「五條なんちゃら」などと言っている。

それを聞いて、「そうだ、五条駅乗り換えという手もあった!」と思い付いた。
あわてて、乗り換えアプリで調べてみると、五条から乗れば、乗り継ぎ時間も十分あって、余裕で間に合うことが判明。
五条駅~高田市駅間のバス代(600円分)がもったいなかったが、安全策を取り、あわてて五条駅で下りた。
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定刻は10:57だが、時計を見ると、11:02。
この時点ですでに5分遅れていた。やはり、ここで下りて正解だった。

五條市のマンホールは、市の花キキョウ。
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五条駅はJR和歌山線の駅である。
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電車の時間は11:30。30分近くあるので、ちょっとお散歩することにした。
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とはいえ、そう遠くまでは行けない。
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駅前をちょろちょろするだけだ。
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こちらは駅前旅館の「芳成館」。
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観光案内所にも立ち寄り、パンフレットを入手しておいた。
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あまり歩かず、すぐ駅に戻ってきた。
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ここは柿で有名だそうなので、柿の葉寿司を買い求めた。
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改札口を抜けると、すでに電車が待っていた。
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乗るのは、普通列車の奈良行き。
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ここから2つ目の吉野口駅で近鉄線に乗り換えることになる。
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北に見えるのは金剛山地。
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付近の名所など。
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ちなみに、駅名は「五条」で、市名は「五條」だ。
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何枚か、構内も撮影しておいた。
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私はテツでもあります。
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それでは、出発。
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吉野口駅近くで、このあと乗り換える近鉄の電車と並走。
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結構、面白かった。
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吉野口駅では、改札を出ず、近鉄線のホームで駅員から切符を購入。
乗り継ぎ時間4分で、11:46発の近鉄吉野線の急行大阪阿部野橋行きに乗車。
次の乗り換え駅、橿原神宮前までは飛鳥など昔なつかしい土地を通るので、何だか楽しかった。

橿原神宮前駅には12:02に到着。
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昔、出張で何度も下り立った、この駅の構内を撮影。
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次に来られるのは、いつのことか。
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来年は吉野山金峯山寺の特別御開帳だそうだが、混むだろうなあ。
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ビールなどを購入して、近鉄橿原線の特急京都行き(12:20発)に乗り込む。
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この特急に乗るのも久しぶりだ。
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休日なのに席はガラガラ。
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特急なので、落ち着いてビールを飲みながら、柿の葉寿司を食べることができた。
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デザートは柿もなか
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京都には1時間弱で13:16に到着。
10分の待ち合わせで、13:26発の東海道新幹線のぞみ354号東京駅に乗り換える。
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内地、最後の〆。
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富士山がとてもきれいだった。
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新幹線は品川でおり、京急で羽田空港へ。
17時発の新千歳行きANA073便には、余裕で間に合った。
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ほぼ定刻通りに離陸して、帰宅したのは20:17。
十津川温泉から12時間かかった。
北海道から熊野は遠いわ。
でも、天気にも恵まれ、充実した熊野古道の旅であった。

(おわり)
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熊野古道(11)

【2017年11月25日(土)】熊野古道
熊野古道の旅、3日目。本宮大社から7時間近くかけて、やっと小辺路の果無集落にたどり着いた。
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車道をショートカットする形で石畳の道が残る。
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しかし、かなり波打っており、非常に歩きにくい。
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鬱蒼とした杉林で、もうすっかり薄暗くなってしまった。
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文政四年(1821年)建立の石碑。墓ではなさそうだ。
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西国三十三か所の第三十番。
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再び、展望が開けた。
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ここから果無集落の核心部に入る。
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と言っても、木造の民家がちらほらある程度。
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「世界遺産石碑前」なるバス停があった。
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これのことだ。
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一度、振り返る。
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前方はこんな感じ。わりとよく使われる風景であることを後で知った。
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左手に何やら祭祀の場のような石造物が。
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何の遺構だろうか。
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集落は堅固な石垣で支えられている。
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古道は民家の敷地内を通過していく。
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その民家には、干し柿が吊るされている。
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ご親切に、水飲み場まで用意してくれていた。
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水が豊富なところのようだ。
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この道は巡礼者が多いと思われるが、売店を出したりしないのだろうか。
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わずかな平地しかないが、お米を作っているようだ。
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このあたりの石畳はきちんと組み直されている。
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右手に十津川温泉方面に下る別ルートが分岐にしていたが、そのまま古道を直進する。
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ここで一眼レフカメラのバッテリーがとうとう切れた。
3日間で1000枚以上撮っているからなあ。
コンパクトカメラに選手交代しがてら、しばし休憩。
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小腹が空いたので、お昼の残りのパンを食べた。

時刻はすでに午後4時半を回った。急がないとほんとに暗くなってしまう。
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鹿の侵入を防ぐための防護柵。
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この先も石畳の道が続く。
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そういえば、観音様が見えなくなった。
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ガイドマップをよく見ると、さっきの分岐を右に行った道が西国三十三か所の道だったようだ。
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石仏が設置された大正期には、あっちの方がメインの生活道路だったのかもしれない。
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この石仏は地蔵菩薩で、三十三か所の観音菩薩ではない。
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ダムでせき止められた十津川が見える。
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この大規模な建物群は福祉施設のようだ。
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あれが十津川温泉街。近いようで遠い。
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それにしても長い。
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もしかしたら、三十三観音ルートの方が歩きやすかったかもしれない。
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こちらの方が正規の古道なのだろうけど、石畳は消耗する。
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でも、間もなく車道に出られそうだ。
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すっかり遅くなってしまったけど
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やっと車道が見えた。
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ゴーーーーール!と言いたいところだが
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宿までは、まだしばらく車道歩きがある。
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謎の樽。
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温泉街はあの橋を渡って、まださらに向こうだ。
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時刻は間もなく午後5時。
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右手に芭蕉の弟子、向井去来の句碑「つづくりもはてなし坂や五月雨」。
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「つづくり」とは通行料のことらしい。江戸時代、この道は有料道路だったわけだ。

この案内マップにある道をずっと歩いてきた。
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柳本橋から見た十津川の流れ。
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もう明かりが灯り始めた。
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ようやく国道に出た。
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ここはすでに十津川温泉郷なのだが、今宵の宿はまだ先。
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昔ながらのお米屋さん。
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蕨尾バス停を通過。
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あらら、あと800mもある。
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これでは、あと10分以上歩かねばならない。
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十津川は大きく蛇行している。
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民宿杉乃家さん。
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日高屋本店。
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あそこに建物が固まっているのが温泉街。
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橋を渡って、日帰り入浴施設「i庵の湯」の角を右折する。
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すると、間もなく、予約してある「田花館」。
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17:18、ついに到着。
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歩き始めてから、9時間20分近くかかった。
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こんなに遅くなるとは思わなかった。
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とにかくチェックイン。
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夕食は6時半にしてもらったが、明日の昼食を調達するのを忘れていた。
幸い、来る途中に商店があったので、そこに改めて買いに行くことにして、7時に変更してもらった。
買い物を済ませて、ようやくお風呂へ。
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十津川温泉は2016温泉総選挙「健康増進部門」で2位だったそうだ。
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源泉かけ流しである。
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いや~疲れがとれる~~~~。すごく気持ちよかった。
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夕食のメインは、このモクズガニ。
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そして鹿肉のカルパッチョ。
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さらには、しし鍋。
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川魚を開いて揚げたもの。
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コンニャクの和え物。
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その他、あれこれ。
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モクズガニは伊豆で食べたズガニと同じもの。
川で獲れるカニで、結構おいしかった。
北海道出身者としては、いい加減な食べ方をすると恥ずかしいので、細部まで全部ほじくり出して食べたので、平らげるのに1時間くらいかかった。

満腹になって部屋に戻り、疲れもあって、あっという間に沈没。
明日は長時間のバスの旅が待っている。

【行程】2017年11月25日
本宮大社前(8:00)~大斎原(8:06見学8:18)~本宮大社(8:35参拝9:12)~見晴台(9:40休憩9:50)~三軒茶屋跡(10:10トイレ10:15)~道の駅奥熊野(10:36買い物等10:51)~八木尾(11:12)~ベンチ(11:34昼食11:54)~七色辻(12:36)~花折茶屋跡(14:10)~果無峠(14:36撮影14:43)~果無観音堂(15:05撮影15:10)~山口茶屋跡(15:31)~果無峠登山口(16:00)~果無集落(16:19休憩16:32)~柳本橋(17:00)~十津川温泉(17:18)
※所要時間:9時間18分(歩行時間:8時間10分)コースタイム7時間40分
※登った山:なし
※歩行距離:18.0km
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熊野古道(10)

【2017年11月25日(月)】熊野古道
熊野古道の旅、3日目。果無峠を目指し、小辺路を歩いている。
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こんもりした山は、さっき通過してきた765mピーク。
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西国三十三か所第十五番。
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十一面観世音である。
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その先に、平らに整地してあるところがあった。
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説明板はないが、花折茶屋跡と思われる。
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このあたりで標高は900mを超えた。
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右手に「南無阿弥陀仏」と刻まれた六字名号碑。
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勾配がだんだん緩やかになってきた気がする。
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第十六番。施主の名前が記されていた。
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平らだ~。ありがたい。
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峠の直前は緩やかなトラバース道となった。
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14:36、やっと果無峠にたどり着いた。
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やはり、ふもとから3時間半近くかかった。
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ここは標高1060m。
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峠は第十七番。
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中段が抜けた(?)宝篋印塔も残されていた。
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大休止する間もなく下山開始。
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果無集落まであと3.6kmもあるので、あまりゆとりはない。

下り始めは何となく奥多摩の山と雰囲気がよく似ている。
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第十八番。
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峠からは標高差で900m以上下らなければならない。
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杉林の中、しんどい下りになりそうだ。
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第十九番。観音様がほんとに唯一の慰みだ。
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いきなり視界が開けた。
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白く霧氷に覆われているのは、おそらく大峰山系の釈迦ヶ岳(1800m)。
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その右で尖っているのは大日岳(1568m)だろうか。
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眼下には十津川温泉。
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集落は十津川に沿って展開している。
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手前の山腹にたたずむのが果無集落である。
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山名は特定できない。
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もう一度、全景を確認して出発。
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急坂をさらに下ると第二十番。
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そのすぐそばに果無観音堂があった。
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堂内には、中央に石造丸彫りの聖観世音菩薩坐像、左に舟形光背石造半肉彫り十一面千手観世音菩薩立像、右に火焔光背石造肉厚彫り不動明王坐像が安置されている。
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観音堂の前には、頂部が欠けてしまった石灯籠。
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「五十五丁」と読めるので、丁目石か。
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境内に給水所があったので、一口だけいただく。
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わざわざ、こんな看板があった。これも世界遺産か!
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果無集落まであと2.5km。気合を入れて頑張ろう。
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道には小石が浮いていて、若干歩きにくい。
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第二十一番。
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平らな道は少しホッとする。
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第二十二番。やっと峠越えの3分の2を歩いてきたことになる。
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このまま、ずっと平らならいいのに。
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第二十三番。
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今度は右手の展望が開けた。
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いわゆる果無山脈である。
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あちらに登山道などはないようだ。
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「有田山の会」なるサークルの方が吊るした看板。
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第二十四番。
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そのすぐ隣に地蔵菩薩立像。
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いきなりデカいのが現れたので、ちょっとびっくり。
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またまた平らに整地してあるところに出た。
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山口茶屋跡であった。
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わずかに石垣が残っている。
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ここは、ふもとから「四十丁」の位置にあたるらしい。
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向かいの木の切株が休憩用のベンチになっていた。
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もう樹齢数十年の樹木が生えているので、ここも昭和初期には廃れていたのかもしれない。
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この先は石畳の道。
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300mほどで、また平らな場所が現れた。
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天水田である。
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山口茶屋の主人が、ここで天水だけを頼りに田んぼを営んでいたそうだ。
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当時の石垣も残っていた。
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集落まであと1.1km。頑張れ!
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すぐ先に第二十五番。
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続いて第二十六番。
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さらに第二十七番。
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このあたり、一気に下っている。
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標高554mピークを巻く。
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第二十八番。
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石畳の上に落ち葉のじゅうたん。
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石畳は滑るし、かなり歩きにくい。
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あ~やっと集落が見えた。
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集落の手前に第二十九番。
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車道に出た~!
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ここが果無峠への登山口である。
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なんと登山届のポストがあった。
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昨日も下りてきたところにあったし、どうも私は逆方向に歩いているみたいだ。
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この案内図を見ると、確かに小辺路はアップダウンが激しい。
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おお、バスが来ている。
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三十三観音とは別の石仏。地蔵菩薩か。
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古い道しるべがあったが、判読できなかった。
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この先、古道は民家の中を通過している。
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今はお住まいではないのかな。
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ご親切にトイレがあったので、拝借させていただいた。

ここからも車道が通じているが
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古道はその右を下っていく。
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(つづく)
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熊野古道(9)

【2017年11月25日(土)】熊野古道
熊野古道の旅、3日目。本宮大社から高野山に向かう小辺路を歩いている。
しばらく車道を歩いてきたが、11時過ぎに、山道への入口である八木尾集落に着いた。
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これから登っていく山々が左手に見える。
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古道の入口は、いきなり急な階段だ。
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小辺路は高野山まで、1000m以上の峠を3つも越えないといけないという。
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この先、十津川温泉までの間には、33体の観音様が配されているらしい。
大正11年(1922年)から翌年にかけて建立されたもののようだ。
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なんと、果無(はてなし)峠まで5.4kmもある。
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標高差は1000m近くあるし、これは3時間半近くかかりそうだ。
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紅葉はきれいなんだけど。
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登り口付近には廃屋が目立った。
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すぐに観音様の第二番。
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一番は集落内にあったそうだ。見落としてしまった。
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これはただの石かな。何となく怪しげ。
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右手に、いい雰囲気の山村が展開していた。
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第三番。
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さすがにぐいぐい登っていく。
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今日は日本人としかすれ違っていなかったが、初めて外国人の姿を見た。
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昨日は外国人ばかりだったのに、この違いは何だろう。
こちらは熊野三山詣でのメインルートではないからかもしれない。

まだ、時間的には若干早いが、ベンチがあったので、お昼にすることにした。
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めはりすしのほかに、あれこれ。もちろん、これを全部食べるわけではない。
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めはりずしは、寿司というより、おにぎりを高菜の浅漬けで巻いたものだった。
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それから宿から持ってきた和菓子も。どれも、美味しかった。
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20分ほどで出発。

間もなく、第四番。
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道には一応、木の階段がこしらえてある。
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またベンチがあった。こちらの方がきれいだった。
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急峻だからか、石畳は敷かれていない。
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第五番。
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この石仏は石垣に守られていた。
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束の間の平坦な道。ひと息つける。
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木々が若いので、昨日と比べると、ずっと雰囲気が明るい。
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オヤマリンドウのような花だが、何だろう。
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「七色領」の標石。
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第六番。
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一瞬、展望が開けた。
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大森山(1046m)方面と思われる。
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ここまでで300mほど登ってきた。
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距離にすると2km。
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第七番。
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続いて第八番。
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七色集落へと下る道との分岐、七色辻に到着。
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ここが和歌山県と奈良県との境界にあたる。
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旧七色村は奈良県側。
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昔、ここには茶屋みたいな建物があったのかもしれない。
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第九番。
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辻のすぐ先に三十丁石があった。
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しかし、ガイドマップの表記と位置が違う。
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おや、石畳が出現。
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と同時に、いきなり展望が開けた。
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本宮町の山村を望む。
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眼下に七色集落。
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熊野川。
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七色集落と熊野川。
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はるかに大塔山系。
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この先も容赦なく登る。
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やっと3km登ってきた。
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第十番。
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そのようには見えないが、文字は「千手観世音」と書かれている。
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路肩注意。
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このあたりで、ようやく標高500m。
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あと500m以上ある。
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この真っ赤な葉っぱは何だろう。
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東日本ではあまり見たことがない。
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第十一番。
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全行程のやっと3分の1か。先は長い。
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紅葉がせめてもの慰め。
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今年は全国的に紅葉の当たり年かもしれない。
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あれ、また三十丁石。
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これがガイドマップに載っているものだった。
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またまた展望。手前はさっき渡った三里橋だ。
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その向こうに道の駅も見える。
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道沿いだが、展望所の扱いになっていた。
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大塔山系。紀伊半島南部の山々だ。
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眺望を堪能して通過。
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再び、林の中へ。
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誕生石の看板。
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どの石のことだろう。
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第十二番。
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どんどん険しくなってくる。
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第十三番。
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如意輪観音である。
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どの石仏にもコウヤマキが供えてあった。
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二十丁石。
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これは、ほとんど判読できない。
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時々、山が透けて見えるので、昨日の大雲取越えよりはありがたい。
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第十四番。
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昔の人はよくこんな道を何日も歩いたものだ。
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信仰の力だろうか。もともと脚力もあったのだろうけど。
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枝道との分岐を通過。
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485mピークが随分下に見える。
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熊野川の河川敷の広さは上から見てもよく分かった。
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(つづく)
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熊野古道(8)

【2017年11月25日(土)】熊野古道
熊野古道の旅、3日目。メインイベントの一つ、熊野本宮大社詣でを終えた。
社務所には「熊」の文字ののれん。
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「八咫烏」がとっても気に入ったので、お守りと車のステッカーを買ってしまった。
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境内に、たらようの木があった。
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この木の葉っぱの裏に針などで手紙を書いたことが、「葉書」の語源だという。
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その隣に、八咫烏の黒い郵便ポスト。
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裏の鳥居から神社の外に出た。
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これは何だろう。
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すぐ先に祓殿王子社跡。
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本宮から分かれた子供の神を「若宮」と呼んでいたが、神仏習合が進むと、仏に従う児童の姿で表現される「童子」が若宮と合わさり、「王子」と呼ばれるようになった
熊野権現信仰では、とくにこの「王子」が顕著であった。
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王子では禊やお祓いが行われたが、熊野本宮参詣の直前に行う祓殿王子での祓いは、他のどの王子での祓いよりも重要だったらしい。
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「禁殺生穢悪」
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道標は75。ここはまだ中辺路なので、大雲取越えからの続きなのかしら。
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具体的なモチーフが何もないマンホールも珍しい。
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少し舗装道路を歩いて、間もなく階段に至る。
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紅葉が美しい。
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この先、三軒茶屋跡までは中辺路を行く。
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林の中に入った。
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古道らしく石畳も現れた。
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しっかりと登りだ。
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道標74。さっきより数字が減ったということは、起点は那智山ではなかった。
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路傍の石仏。
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今日もずっと杉林なのかしら。
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まあ、このまま行くしかないのだけど。
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前方に先行者を発見。
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彼らがたむろしていたところに、こんな案内板があった。
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見晴台まで、どのくらいの距離があるのか知りたいが、とにかく行ってみた。
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すると5分もしないうちに展望が開けた。
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大塔山系の山並みが幾重にも折り重なっている。
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眼下に大斎原の大鳥居が見えた。
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そのための見晴台なのかもしれない。
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ここは新たに作られた展望台のようだ。
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そして昨日通過した那智高原公園と同様、和歌山県朝日夕陽百選の一つでもある。
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見事な紅葉にうっとり。
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ベンチがあったので、しばし休憩をとった。
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別の道を経由して本道に戻る。
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こちらの分岐には「名月観賞の地」の案内板もあった。
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やはり石畳より土の方が歩きやすい。
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このあたりは「熊野蘇生の森」というらしい。杉を植え直したのだろうか。
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10:10、三軒茶屋跡に到着。
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古い道しるべを発見。
「右 かうや(高野)十九り 左 きみい(紀三井)寺 三十一り みち」とある。
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ここが高野山へ向かう小辺路と和歌山(紀三井寺)に向かう中辺路との分岐点ということだ。
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休憩所とトイレがあったので、小用を済ます。
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近くのおばあさんが、自宅で採れた野菜などを並べていた。
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「どこから来たの」と聞かれたので、「札幌から」と答えたら、「この前も札幌の人が来たよ。ほらこれがその人の住所」とメモを見せてくれた。
もちろん知らない人だったが、私の家と500mくらいしか離れていないところだった。

振り返ると、「九鬼ヶ口関所」の門。
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現在、中辺路と小辺路は立体交差になっている。
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小辺路は下の道なので、階段を下ると、バス停があった。
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本宮町の町の花はささゆりなのか。
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バス停の向かいにあった記念碑は、音無川林道の開通を記念したもの。
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陸橋をくぐる。
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左手に石仏。
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5分ほど車道を下ると、町並みが見えてきた。
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間もなくバス通りに出た。初めて見る「小辺路」の道標。
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平岩口バス停。ここは奈良交通と龍神バスが運行されている。
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左手の三里念珠寺を通過。
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しばらくは車道歩きだ。
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これはただの枝道。幅1.7mの標識が珍しかった。
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10時半過ぎ、道の駅奥熊野に着いた。
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せっかくなので、ちょっと寄り道。
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店の名称は「奥熊野古道ほんぐう」となっている。
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まずは熊野川の河原に出てみた。
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人が近くにいたら、顔ハメは必須。
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北に見えるのは三里橋。
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熊野川は本当に河原が広い。
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東に見えるのは国道168号バイパスの橋梁。
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冷やかしに店内に入ってみた。
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店内にあった熊野古道の解説コーナー。京都からの道(九十九王子)が示されている
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藤原定家(1162~1241年)は建仁元年(1201年)に後鳥羽上皇の随員として熊野参詣を果たした。
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その際に記した「熊野御幸記」は国宝に指定されているそうだ。
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店内には、いろんな特産品に目移り。
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見ているうちに食べたくなって、めはりずしなどを買ってしまった。

おっと、随分時間を食ってしまった。
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先を急ごう。
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世界遺産熊野古道は直進になっているが、当方は左折して十津川方面に向かう。
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橋を渡ると、三里橋のバス停。
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川にぶつかると、熊野萩のバス停となる。
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木造家屋の残る、いい感じの集落だ。
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この橋も三里橋。なんかまぎらわしい。
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しばらく熊野川沿いを歩く。
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前方に見えているのが、八木尾の集落。
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川の色はモスグリーン。
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対岸は切畑の集落。
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車道だけど川沿いを歩くのは楽しい。
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485mピークから飛行機雲。
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サギかしら。
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河川敷では工事が行われていた。
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八木尾橋が近づいてきた。
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(つづく)
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熊野古道(7)

【2017年11月25日(土)】熊野古道
熊野古道の旅、3日目。中辺路の大雲取を越えて、川湯温泉「大村屋」に泊まっている。
目覚めると、部屋の窓から、昨日渡った吊り橋が見えた。
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朝食は7時から。味噌汁まで温める方式だったのが驚きだった。
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ここではお弁当を熊野本宮に卸しているらしく、朝早くから総出で作っていた。
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今日は、熊野本宮大社から果無峠を越えて十津川温泉まで歩く小辺路の旅。
本宮までの足はバスがあるが、時間が合わない。
9時頃発の便があるが、それでは十津川温泉に着くのがかなり遅くなってしまう。
宿の方に相談したら、朝8時頃、お弁当を本宮に届けことになっているそうで、その車に便乗させてくれることになった。
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ありがとうございます。

それまでの待ち時間、宿の裏にあった十二薬師に参拝。
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川湯温泉が発見されたのは、鎌倉時代とされている。
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このお堂は享和元年(1801年)に本宮大工の嘉八繁浅が建てたもの。
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今日も無事に歩けますよう。
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龕(がん)を作りつけた丁寧な石垣だった。
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仙人風呂の方を振り向くとと、朝風呂を楽しんでいるカップルがいた。
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というわけで、出発。
8時ちょうどに本宮前に着いた。
本宮町のマンホール。
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本宮を参拝する前に「大斎原(おおゆのはら)」なるものがあるというので、先にそちらへ行くことにした。
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「日本第一」だそうである。
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途中、産田社があるらしいが、これは帰りに寄ることにする。
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巨大な鳥居が見えてきた。
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周辺のたたずまい。
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なかなか神々しい。
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高さ34m、幅42m、日本一の大鳥居だそうだ。
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竣工は2000年5月31日。
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大斎宮は熊野本宮大社が明治22年(1889年)の洪水で流される前の旧社地にあたる。
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ここも世界遺産の構成資産の一つだ。
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この手水鉢も大鳥居とともにつくられたものだろうか。
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流される前の熊野本宮大社(江戸時代成立の「熊野本宮幷諸末社図絵」より)。
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これが旧社地。
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かつては「伊勢に七度、熊野に三度、どちら欠けても片参り」と謳われるほど流行し、「蟻の熊野詣」という社会現象を巻き起こした。
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旧社地にあった12の末社のうち、中四社と下四社を左の石祠に、元境内摂末社を右の石祠に祀ってある。
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中下各四社のラインアップはご覧の通り。
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一遍上人の神勅名号碑。
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その由来はこちらに詳しく書かれている。
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ここは紅葉がきれいだった。
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真っ赤である。
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「しばらくは花の下なる御輿かな」。稀山とは誰なのかはよく分からなかった。
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前方をカップルが歩いている。
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さすがに、この石垣は流されなかったようだ。
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境内を一周したので、大斎原を後にする。
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今朝は冷え込んだので、熊野川の川面から湯気が上がっていた。
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鳥が何羽も羽を休めている。
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見晴らしよさそうなので、川の堤防の上を歩いて戻ることにした。
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あの、こんもりした小山が今の本宮大社。
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大鳥居を振り返る。
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大斎原のまわりは田んぼだった。
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予定通り産田社に立ち寄る。
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本日もよろしく。
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安産の神様でもあるようだ。
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さあ、いよいよ本宮へ。
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その前にコンビニで今日の昼飯を調達。
コンビニは周囲の景観に配慮して地味な色合いだったが、この郵便局はそんなことお構いなしって感じだった。
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来年は創建2050年だそうだ。切りがいいようでもあり、中途半端でもあり。
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熊野本宮名物、からす屋のからすまんじゅう。まだ店が開いていなかった。
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「那智瀧のひびきをもちて本宮にぬかづくわれや生きむとぞする」
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吉野出身の歌人、前登志夫(1926~2008年)の詠である。

扁額には「熊野大権現」とある。
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梁塵秘抄によれば、熊野詣ではどの道を通っても遠くない。
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幟がすき間なく並ぶ参道の階段を登る。
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境内見取り図。
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参道脇の道が「熊野道」。
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幟は1つ1つ、寄進されたものだ。初穂料は1流につき5000円。
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階段の途中にあった功霊社。
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そして祓戸大神。
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全国の熊野神社の分布図。都道府県別で最も多いのは意外なことに千葉県で368社。全国では3831社あるんだそうだ。
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珍しい斜め看板。
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ここにお参りの順番が書かれていた。
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神門をくぐる。
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牛王符、宝印符の由来。
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酉年もまもなくおしまい。
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本宮大社は平安時代には「熊野坐(います)神社」と呼ばれていたらしい。
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その後、熊野本宮の名称が定着していたが、明治4年(1871年)に「熊野坐神社」が正式社号として登録された。
この社号標は昭和15年(1940年)の建立で、時の首相近衛文麿の揮毫だそうだ。
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本社に祀られているのはスサノオノミコト。
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熊野では八咫烏を神の使者としている。
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本殿は厳かなたたずまい。
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結局、お参りする順番とは逆に回ってしまった。
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白河上皇御製「咲きにほふ花のけしきを見るからに神のこころぞそらにしらるる」
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秩父宮勢津子妃殿下のお筆だそうだ。
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向かって右端に満山社。
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その左に天照大神を祀る第四殿。
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続いて、スサノオノミコトを祀る第三殿(本社)。
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「平家物語」より。
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第二殿は速玉大神。
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第一殿に夫須美大神。
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和泉式部の祈願塔。
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和歌山の名産「南高梅」。
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こちらは古城梅。
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謎の大黒石。
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本宮本社の最後に黎明殿にお参りした。
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そこには地元の日本酒が奉納されていた。
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(つづく)
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熊野古道(6)

【2017年11月24日(金)】熊野古道
熊野古道の旅、2日目。中辺路の大雲取越えを下っている。
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道標28を通過した。あと残り500mだ。
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道は一瞬、天然の石畳になった。
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そして一瞬の展望。
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木の根の下に石仏。
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「左、大平、東大(寺)」と読める。
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対岸には、巨大な岩陰が出現。
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その右手には、完全にコンクリートで固められてしまった砂防ダム。
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あ~、やっと人里に下りてきた。
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人家と思った家屋は、崩落寸前だった。
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隣の家も同様。
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廃屋だらけだ。
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ゴーストタウンを過ぎて、道は小雲取へと続いていく。
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平石で組まれた石垣の横を通過。
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見事な紅葉のグラデーション。
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この蜜柑は野生化してしまったのか。
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こちらは、いつ頃の石垣だろうか。
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あれ、下に木造校舎のような建物が見える。
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ただ、明らかに廃校の雰囲気。
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小口集落の町並みも見えてきた。
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ここが大雲取越えと小雲取越えの中間地点。
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登山届のポストは那智山側になかったような気がする。
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この階段で完全に大雲取越えは終了。
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ここは和田川松浪林道の起点にもなっているらしい。
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終点を示す道標29は西行の歌碑のところにあった。
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「雲とりや しこの山路はさておきて おぐちかはらのさびしからぬか」
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碑は地衣類がはびこって、ひどいことになっている。
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ご承知の通り、ここは世界遺産である。
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集落の中に潜入。
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中ノ川と東川の合流地点。
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さっき見えた校舎を訪ねてみた。
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やはり廃校である。
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ここに一般の人が利用できるトイレがあるというので拝借した。
すると、こんな丁寧な貼り紙が。
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窓越しに校舎を覗くと、廊下にこんな大きな地図が掲示されていた。
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車寄せ風の玄関。
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小口小学校創立百周年記念碑。
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背後の山は標高516m。無名峰だ。
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学校を後にしてバス停に向かう。この橋を渡ると近そうだが、向こうの道と接続していない。
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やむなく大迂回。
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小口集落と大雲取越えの山並みを振り返る。
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中ノ川。
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ここに宿泊を申し込んだのだが、満室だった。
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今夜はバスで移動し、川湯温泉に泊まる。
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小口は大雲取と小雲取の結節点。
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人工に見えるが、自然の造形。
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15:20過ぎ、小口バス停に到着。
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バスの時間は15:35なので何とか間に合った。
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ここは今も、交通の要衝のようだ。
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大きく迂回して来たが、西行の歌碑のところを直進すれば、すぐに来られたようだ。
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ここで、札幌から持ってきたお菓子で栄養補給。
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定刻通りにバスは到着。
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まずは志古というバス乗り継ぎ地点に向かう。
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車窓には赤木川。
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熊野川の支流である。
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17分で志古に到着。
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バス停の真ん前に、道の駅的な施設「瀞峡めぐりの里 熊野川」がある。
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熊野古道には「伊勢路」という道もあるらしい。
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「熊野川」の石碑。揮毫した瀧川政次郎は法学者。熊野川との関係は不明。
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瀞八丁はマグマによって地層が陶器のように焼き固められ、それを川が浸食してできたものらしい。
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幅広い熊野川の河川敷。
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ここから遊覧船が出るようだが、今日はもう営業を終了していた。
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だいぶ日が傾いてきた。
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熊野川はなかなかの大河だ。
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上流方向の眺め。
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しばらく「瀞峡めぐりの里」の売店などひやかしながら時間をつぶした。
熊野三山にも萠キャラが設定されていることにびっくり。
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本宮大社前行きのバスの時間が近づいてきたので、バス停に並ぶ。
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寒くて震えながら待つこと15分。バスは10分も遅れてきた。

川湯温泉には17:02に到着。
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今宵の宿、温泉民宿大村屋は少し戻ったところにあった。
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こちらは新館。
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私が泊まるのは本館。
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吊り橋の真ん前にあった。
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早速、チェックインして、まずはお風呂へ。
本館は小さなお風呂が2つしかなく、いずれも貸し切りだというので、部屋に荷物を置いて風呂へと走る。セーフだった。
出遅れて、2つとも埋まっていると、新館まで移動しないといけないのだ。
風呂は源泉かけ流しだけあって、めちゃめちゃ熱い。
でも、バス待ちで体が冷えていたので、気持ちよかった。
温泉分析書を見てみたら、ここは中性低張性高温泉で、源泉は64℃もあった。

夕食は18時半から。鹿肉のステーキと鴨鍋がメインであった。
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もちろんビールも。
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デザートにリンゴをいただいて、ごちそうさま。
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また満腹になってしまった。

でも今夜は簡単には寝てしまわず、川向うにある露天風呂の「仙人風呂」へ遠征。
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たまたま、人がいたので晴れ姿を撮ってもらった。
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ここは混浴で水着着用とのこと。水着は宿が貸してくれた。
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幸か不幸か女性はいなかった。
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いい気分になって、宿へ戻る。今夜は満月だった。
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午後8時半すぎには宿に戻り、そのまま寝てしまった。

【行程】2017年11月24日
民宿(7:28)~熊野古道入口(7:45)~那智高原公園(8:23休憩8:31)~舟見茶屋跡(9:46休憩10:05)~色川辻(10:25)~地蔵茶屋跡(11:20昼食11:50)~迂回路合流地点(12:35)~越前峠(13:00休憩13:04)~楠の久保旅籠跡(14:07)~円座石(14:40)~小口登山口(15:05)~小口バス停(15:22)
※所要時間:7時間54分(歩行時間:6時間50分)コースタイム6時間5分
※登った山:なし
※歩行距離:17.8km
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熊野古道(5)

【2017年11月24日(金)】熊野古道
熊野古道の旅、2日目。中辺路の大雲取越えを歩いている。
土砂崩れで通行止めとなった石倉峠の迂回路から、古道に合流したところ。
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間もなく、石段が現れた。
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看板の文字は読みにくいが、下段は「越前峠を経て小口へ」と読める。
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長塚節の歌碑「虎杖のおどろが下をゆく我のたぎつ速瀬をむすびてのみつ」。
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ここから石畳の登りとなった。
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ぱっくり割れた恐竜の卵。
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杉林の中の急登である。
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苔をまとった卵。
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合流地点からの標高差は120mほど。
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でも、越前峠を越えれば、あとは下りのみだ。
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道標20。10km地点を通過。
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生まれ出づる卵。
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午後1時すぎ、越前峠(870m)に到着。
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中辺路の最高地点とある。さっき越えてきた舟見峠(883m)の方が高いのに。
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ここにも茶屋があったとされるが、その正確な場所ははっきりしないという。
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土屋文明の歌碑が立つ。「輿の中海の如しと嘆きたり石を踏む丁(よぼろ)のことは伝へず」
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ちょっとだけ立ち休みをして出発。
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しばらくは土の道。
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歩きやすくて助かる。
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傾斜もそれほど、きつくない。
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杉林がずっと続く。
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今度は池本皎目の句碑「瑠璃啼くや雲取山のいきいきと」。
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卵ケルン。
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道標21を通過。あと4kmだ。
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この先、石畳の下りとなった。
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苔むしており、滑るので要注意。
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しかも、かなりの急坂だ。
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ゴールの小口まで、標高差は800m近くある。
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これは忍耐が必要だ。
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完全に登山である。
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この長い長い坂を「胴切坂」というらしい。
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名前の由来はよくわからないが
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上半身は早く先に行きたいのに下半身が付いてこないので、胴が切れてしまう。
そのくらい急な坂という意味だろうか。
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514mの標高点で大きく左に屈曲し、尾根を離れる。
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道標23を通過。まだ3kmもある。
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全く容赦がない。
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せめてもの慰みの歌碑。
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また土屋文明だ。「風のゆく梢の音か瀬の音か下りの道は心たのしも」
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輿に乗っているから、そんなことが言えるのだろう。

ちょっと人体に似ているが、自然の造形なのだろうか。
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熊野古道は信仰の道なのに、こうした石仏が極端に少ない。
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道標24通過。気分的にはカウントダウン。
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杉林の中に石垣を発見。
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建物があったのだろうか。
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苔で文字は読めないが石碑もある。
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道の脇にも石垣が。
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またまた石仏。
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ここには、かつて集落のようなものがあったのかもしれない。
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千手観音か。基壇には、見ざる、言わざる、聞かざる。
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これらの杉は樹齢50年ほどだろうか。
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楠の久保旅籠跡まであと100mとある。
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石畳のつくりがかなり丁寧だ。
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斜面に何か字の書かれた岩がある。
「南無観世音菩薩」と読めた。
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楠の久保旅籠跡に到着。
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案内板には、このあたり約1.5kmの区間には十数軒の旅籠があったという。
やはり、これまで見てきた石垣は集落の跡だったのだ。

北に見える小雲取の桜茶屋を指さして、「あそこまで宿屋がないから、ここで泊まるように」と客引きが激しかったとか。
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畑に野菜を植えても猿や鹿に食べられてしまうので、干しわらび以外の野菜の類は出なかったという。
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旅籠は大正期まであり、「豆腐あります。風呂わいてます」が宣伝文句だったそうだ。
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この枝道も旅籠街があった頃のものなのだろう。
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しかし、もはや当時の賑わいをしのぶのは、なかなか難しい。
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賑やかな時代に来てみたかった。
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再び、急な石畳の下りとなる。
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ふう、あと2km。
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それにしても、朝からずっと同じ風景だ。
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なので、石垣のような構造物が清涼剤になる。
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須川峡生の句碑「鯉のぼり大雲取の一軒に」。
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句碑のところに東屋があった。休みたかったが、またしても外国人が占拠していたので通過。
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久しぶりに、ほんの一瞬開けた。
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石仏ではないが、何だろう。
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道標26通過。13km歩いてきた。
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岩を削った切通し。
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ここには「南無地蔵菩薩」の文字が刻まれていた。
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まだ先は長い。
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束の間の平らな道。
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さっきからずっと杉林の中で暗かったのだが、天気は最高。
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さあ、あと1kmだ。
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杉浦勝の歌碑「わが超ゆる大雲取の山中に円かに坐す地蔵菩薩は」
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俳人は知らない人ばかりだ。
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「連花□村」と読めるが、そのような名前の村があった記録は見つからなかった。
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「弥宗八」とは人の名前だろうか。
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こうした石碑・石仏があるということは人里が近いのだろう。
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と思っていたら、また看板だ。中根の旅籠跡であった。
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その直下に円座(わろうだ)石。
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円座とは、丸く渦巻状に編んだ座布団のような敷物のことである。
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それに似ているというので、その名が付いたという。
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表面には梵字が彫ってあった。
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(つづく)
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熊野古道(4)

【2017年11月24日(金)】熊野古道
熊野古道の旅、2日目。大雲取越えを歩いている。
宿から2時間ほどかけて、3.5km地点に達した。
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このあたりから卵の殻が剥けているような石が目立ち始めた。
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これなどは、その石を半裁して石畳に利用している。
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道標8を通過。
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間もなく、前方に東屋が見えてきた。
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何となく、登り切った感じの場所だ。
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舟見茶屋の跡である。
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この茶屋は「西国三十三所名所図会」や「紀伊名所図会」に載っているそうだ。
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やっと展望の開けた場所に着いた。
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紀伊勝浦の海岸が一望だ。
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港を取り囲んでいるのは、狼煙山。
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その右にクジラで有名な太地の半島。
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南には妙法山(750m)。
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その全景。
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ここで休みたかったのだが、日蔭なので寒い。
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日の当たるところに腰を下ろし、温かいカフェオレをいただいた。

20分ほどで出発。間もなく道標9を通過する。
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そのすぐ先に舟見峠(883m)。
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宿が標高280mくらいだったので、知らぬ間に600mも登っていた。

こういう景色がかつては見えたのかもしれないが
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今は木が成長して、こんな状態だ。
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おお、またまた恐竜の卵。木の根が入り込んで、ぱっくり割れている。
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一瞬の眺望。
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5km地点の道標10。やっと3分の1だ。
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この巨大な卵のでき方が知りたい。
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表面がはがれやすいのも共通している。
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舟見茶屋跡から20分で、色川辻と呼ばれる場所に出た。
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切通し状になっているところは、八丁の掘割と呼ばれている。
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この先は花折街道だが、通行止めになっていた。
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少しだけ舗装された車道を歩く。
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小麦街道というのは、この斜面を登っていくのだろうか。
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すぐに右折して、林道から外れる。
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うっかり、道標11を見逃してしまった。
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石橋をたたかずに渡る。
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珍しく、石仏に出会った。
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その先に古びた鳥居があったが
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何を祀っているのだろう。
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かなり荒れた石畳の道を下る。
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間もなく登りに転じた。
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恐竜の卵はこれでいくつ目だろうか。
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道標12を通過。
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この石畳は後年の補修が入っている。
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それにしても不思議なところだ。
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石段が随分乱れている。
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アップダウンが激しい。
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再び、林道と交差。
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白い卵。
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道標13。あと8kmだ。
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これまたデカい。
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珍しく、手書きの道標。
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卵は土の中にも埋まっていた。
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道標14通過。
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地道街道なる道が派生している。
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車道に出て、しばらく歩くと、東屋が見えてきた。地蔵茶屋跡である。
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小口まで全行程を示した案内板。
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東屋からは川が見えた。
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もう11時半なので、ここでお昼にしたいが、日蔭は寒い。
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向かいに休憩所があったので入ってみた。
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寒さはしのげるが、ちょっとカビ臭い。
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日なたにベンチは外国人が占領していて、何となく近寄りがたい。
とにかく先に地蔵堂(大雲取地蔵尊)の参拝を済ませることにする。
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お堂の中には、33体もの地蔵尊が安置されていた。
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目の前には小さな池。
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そうこうしているうちに、ベンチが空いたので、そちらへ移動した。
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美滝山荘で作ってもらったお弁当を開く。
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大きなおにぎりが3つ入っていた。海苔が巻いてなかった。

25分ほどで出発。
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道標に沿って進むと
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コンクリートの橋となる。
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本来ならここを右に曲がって
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石畳の道を行くはずなのだが
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石倉峠は崩落のため迂回しなければならない。
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強行突破しようかとも考えたが、やはり迂回路を行くことにした。
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迂回路は林道である。
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林道だけに、古道よりは開けている。
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景色がいいのだけはありがたい。
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天気がいいので紅葉が鮮やかだ。
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岩を削って、道を拓いているところが多い。
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これは何の裂け目だろう。恐竜の卵の生まれる瞬間か。
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車輪石のようだが、卵の断面?
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また卵が目立ち始めた。
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道は歩きやすくて助かる。
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卵はどんどん大きくなる。
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細かい落石の道。
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その中に小さな卵も混じっている。
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川の中も卵だらけ。
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清らかな流れだ。
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はい、わかっておりますが。
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あ、ここで古道と合流したわけだ。
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迂回に40分ちょっとかかった。
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(つづく)
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熊野古道(3)

【2017年11月23日(木)】熊野古道
熊野古道の旅、初日は那智の滝近くの「美滝山荘」に泊まった。
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夕食は食堂で午後6時から。
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このほかに茶碗蒸しとデザートが出た。
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量が多くて、エビフライを一つ残してしまったが、みんな美味しかった。
宿は混んでおり、食堂はほぼ席が埋まっていた。
半分は外国人で、中には付け鼻のように尖った鼻の白人女性がいて目を引いた。
満腹になったので起きていられず、8時には寝てしまった。

【2017年11月24日(金)】
翌朝は6時に起床。6時半頃、陽が昇った。
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なるべく早く出発するため、食事前にパッキングと歯磨きも済ませた。
朝食は7時から。
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ごく普通の民宿の朝食だった。
部屋に戻ると、那智の滝はすっかり明るくなっていた。
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トイレを済ませて、7時半に出発。
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いろいろとお世話様でした。
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昨日と同様、表参道を登る。
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昨日見逃した謎のオブジェ。
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この時間、まだほとんど人影はない。
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随分風化した石仏があった。
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熊野那智大社の鳥居は見送り
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青岸渡寺の参道を行く。
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御詠歌の石碑を通過。
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仁王門をくぐる。
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那智大社の鳥居より高いところまで登る。
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青岸渡寺への階段。
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今朝は黙礼のみ。
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判読不能。
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タブノキの古樹。
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昨日に引き続き見晴台からの那智の滝。
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光の角度が違って神々しい。
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では、熊野古道へ突入。
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いきなりの急な階段。
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寄進の額を記した柵を見ながら登っていく。
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ここにも石倉峠の通行止め迂回を示す看板が。
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残念だが致し方ない。
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妙法山阿弥陀寺はかなりの寄り道になるので今回はパス。
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ケルン的な。
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早速、一丁目を示す丁目石。
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左手には古い石垣が残る。
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前方に先行者を発見。
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追いつきそうで追いつかない。
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杉並木が延々続く。
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二丁目通過。
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かなりしっかりした石垣だ。
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なかなか古道らしい雰囲気である。
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何か見えてきた。
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ちょうど三丁目の地点。
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妙法寺との分岐であった。
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当方は右に折れて、このまま熊野古道を進む。
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「青岸渡寺山」の標柱。寺の領域ということか。
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地図だけではイメージできなかったが、ずっと登りだ。
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丁目石とは別の距離表示。500m毎にあるようだ。
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「他人の山を大切に」。その通りです。
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名古屋那智会なる団体の植林協力地の碑。
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イノシシやシカの侵入を防ぐシシ垣が残っていた。
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その裏には素朴な石仏がちんまり。
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このあたりは昭和天皇の即位を記念して植林したところのようだ。
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古道入口から30分ほど歩くと開けた場所に出た。
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那智高原公園である。
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この公園で古道は分断されている。
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中辺路と色川街道が交差する地点で、昭和52年に植樹祭が行われた跡地のようだ。
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その時、昭和天皇が詠んだ歌が碑になっている。
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傾斜地を利用してローラースライダーが設置されていた。
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すっかり晩秋のたたずまいである。
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道標2。やっと1km歩いてきた。あと13.5kmもある。
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公園内の坂を登り切ると、大きな石碑が。「みんなで育てる みどりの郷土」
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このあたりは大戸平ともいうらしい。
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見えているのは烏帽子山(909m)。
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那智高原は
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和歌山県朝日夕陽百選の一つのようだ。
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きれいなトイレがあったので、小用を済ませておく。
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那智高原には、当然ながら車でも来られる。
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近くで木材の積み込みが行われていた。
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では、熊野古道へ戻ろう。
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古道にほぼ沿うように林道が通じており、その完成を記念した「大雲取山林道記念碑」があった。
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ここは中辺路。
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再び杉林の中に突入する。
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古い石畳の道だ。
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眺望はこの程度で、ほとんどが杉林の中。
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道標3。いつの間にか、丁目石はなくなってしまった。
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いかにも古道といったたたずまい。
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黙々と歩いて、道標4を通過。
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やはり土の道の方が歩きやすい。
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道標5。なぜか、どの道標にも石が積まれている。
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この山は私有林のようだ。
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最初の見もの、登立茶屋跡に着いた。
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「西国三十三所図絵」に出ている茶屋の跡だそうだ。
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今の国道42号が開通するまでは、重要な幹線道路だったらしい。
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道が尾根の左側になると、いきなり風が強くなった。
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日蔭なので猛烈に寒かった(道標6)。
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(つづく)





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熊野古道(2)

【2017年11月23日(木)】熊野古道
熊野古道の旅、初日。那智山で青岸渡寺に参拝中。
境内に、大雲取越えへの入口があった。
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明日は、この道を上って熊野本宮大社を目指す。
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境内を抜けて、那智の滝へと向かう。
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最後に一度、青岸渡寺を振り返っておこう。
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平清盛公、那智参拝(1163年)の図。
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大阪探勝旅行クラブの第一回旅行記念の碑。随分古い団体なのだろうが、碑を建てるとは。
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三重塔は中に入れるようだ。
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おお、紅葉が素晴らしい。
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大弁財天女の碑。
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三重塔の裏に五輪塔が並ぶ。
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ちゃんと梵字が刻まれていた。
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ここは吉野熊野国立公園。
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三重塔はもともと平安時代に建立されたとされるが、江戸時代に暴風のため倒壊した。
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現在の建物は昭和47年(1972年)に再建されたものだ。
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那智の滝の眺めがいいらしいが、入場料が300円もかかるのでパス。

那智児の句碑「薄紅葉して神の那智滝の那智」。
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那智児はホトトギスの同人で本名は片山忠雄(1906年生まれ)。
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滝の落ち口の上にしめ縄が見える。
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紅葉とともに。
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望遠で見ると、滝は3筋に分かれて落ちているのが分かった。
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庚申塔。
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何かの遺構があるぞ。
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那智の滝の遥拝所の跡だ。
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毎年7月14日、熊野那智大社の例大祭(扇祭・那智の火祭り)に扇立ての神事を行う聖地で「伏し拝み」と呼ばれているようだ。
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これは柱を立てた礎石だろう。今は杉が成長してしまって、ここから滝は見えない。
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石段を振り返る。
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この下は鎌倉積みと呼ばれる階段で、建設当時のまま残っているとのこと。
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また、平安衣装体験のお嬢さんを発見。
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調べてみたら、レンタル代は2時間で3000円だそうだ。

この石段は538段あって、建久4年(1193年)に源頼朝が那智山社殿の復興とともに、寄進したと伝えられる。
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かなりの急勾配である。
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扇祭の際には、松明の火を頼りにこの坂を駆け下るのだそうだ。
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那智原始林に囲まれ、昼なお暗い道である。
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土産物店街まで下ってきた。
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結構、バス利用の人が多い。
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臨時バスが出るほどだった。
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ここまで下りてくると、滝が見える角度も全然違う。
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一応これで那智山はぐるっと一周してきたことになる。
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ほう、ここもジオパーク(南紀熊野ジオパーク)なのか。
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那智の山々はマグマが作った火成岩と砂岩や泥岩でできているが、火成岩は浸食されにくいので、あのような岩壁になったのだそうだ。

それでは、滝へと参りましょう。
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滝そのものが飛滝神社のご神体となっているようだ。
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滝は飛滝権現なのだそうだ。
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鳥居をくぐる。
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平安コスプレのお二人はやはり絵になる。
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「そのかみに熊野灘よりあふぎみし那智の大滝今日近く見つ」
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昭和37年(1962年)、昭和天皇の御製である。

あちこちに「世界遺産」の文字が誇らしげに刻まれている。
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参道左に、華畦女史(諸井久楽)の書による春畦居士(諸井直行)観瀑詩碑。
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「百尺喬杉擁巖獄 風翻素練半空垂 山中三日不知暑 巨瀑真成天下奇」
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諸井春畦(1866~1919年)とは埼玉県本庄生まれの書家だそうだ。

少し下って振り返る。
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あそこまで行けば滝が見えるんだな。
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ここからも、ちょっとだけ見える。
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その前に、亀山上皇御宸翰木碑建立地の跡。
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これは亀山上皇が弘安四年(1281年)に建てた碑の写しだそうだ。

一番下まで下りてきた。
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高さは133m。34年ぶりの対面だ。あの時は雨だったなあ。
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那智の滝は世界遺産である前に国の名勝。
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近づいて、よく見ると、半分から下が二つに分かれて音叉のような形をしている。
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その下半分。
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滝は神様なので、賽銭を入れて参拝。
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正面に金色の幣が祀られていた。
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後鳥羽上皇御製。
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滝の下には大きな石がごろごろ。
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小さな滝を作っている。
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その下流に砂防ダム。
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再び振り仰ぐと、柱状節理らしきものが見えた。やはり火成岩だ。
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十分堪能したので、宿へと戻ることにする。
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前方にまたコスプレのお二人。
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さっきは気づかなかったが、石段の下に光ヶ峯遥拝石なるものがあった。
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土産物店街から見えた光ヶ峯が、熊野の神様が降臨した山で、この石はその光ヶ峯に通じているのだそうだ。
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では、さらば。那智の滝。
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高浜虚子句碑「神にませばまこと美はし那智の滝」。
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午後4時を過ぎて、観光客もだいぶ減った。
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あとは土産物店の前を通って宿へ。
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那智の滝バス停。
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実にシンプル。
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車道に崩落があり、迂回路が設けられていた。
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那智勝浦町のマンホール。中央は町の花ツツジ。
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中国風の那智山滝見寺は廃寺になっていた。
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道案内は八咫烏。
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というわけで、今宵の宿「美滝山荘」にチェックイン。
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窓から滝の見える、いい部屋だった。うれしい。
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一服してからお風呂へ。ここは温泉ではなかったが、湯がかなり熱かった。
玄関ロビーに張ってあった、この紙を見て愕然。
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明日歩く大雲取越えの峠に崩落があり迂回しなければならない。
しかも、そのせいで40分もロスしてしまう。残念だ。

(つづく)
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熊野古道(1)

【2017年11月23日(水)】熊野古道
24日の金曜日に有休を取り、23~26日まで4連休とした。
どこに行くかは直前まで決められないでいたが、せっかく4日もあるので紀伊半島まで足を伸ばすことにした。
熊野古道を初めて歩く。
最初に考えたコースでは、なかなか宿がうまく取れなかったが、那智山~小口の大雲取越え(中辺路)と熊野本宮大社~十津川温泉の果無峠越え(小辺路)とに分けることで、何とか歩けることになった。
22日(水)の仕事終了後、コインロッカーからザックを回収。
札幌駅から快速エアポートで新千歳空港に向かう。
夕食はコンビニで買ったあんパンとミックスサンドを車内で立ったまま食べた。
20:30発のANA82便羽田行きに搭乗。
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天気は雨。早く止んでほしい。
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翌朝はありがたいことに快晴となった。
東京駅8:00発ののぞみ207号新大阪行きに乗車。
早速、缶ビールを開ける。でも、まだ朝っぱらだし、1本だけにしておいた。
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名古屋には9:41に到着。
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すでに特急南紀3号は入線していた。
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在来線のホームで、ひつまぶし弁当と赤福を買い、特急南紀3号紀伊勝浦行きに乗り込む。
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定刻通り、10:01に発車。
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これから紀伊勝浦まで3時間55分の長旅である。
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まずは赤福。
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でも、これはとても一度には食べ切れない。
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途中、近鉄特急伊勢志摩ライナーと並走。
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車両はあちらの方が恰好いいが、こっての方が速かった。
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三重県の県庁所在地「津」を通過。日本で一番短い駅名だ。
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赤福であまりお腹が空いていなかったが、12:20頃、お昼にすることにした。
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お出汁もちゃんと別袋で付いていて、早めにかけて食べた。
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突っ込み系の駅「あたしか!」を通過。
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13時半過ぎ、新宮手前で熊野川河口を渡る。
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13:56、定刻通り紀伊勝浦駅に到着。
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真っ先に「黒あめ 那智黒」の看板が目に飛び込んできた。
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那智黒(石)というのは、近くの熊野市で採れる黒い粘板岩で、碁石や硯、置石、装飾品などに用いられる。
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ここは温泉町である。
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駅前に足湯「滝の湯」があった。
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そこに那智黒石の原石が展示されていた。
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まぐろ丼!
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お弁当屋さん。
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那智山行きの熊野交通バスは14:10発。
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14:10発の熊野交通バス那智山行きに乗車。
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34年ぶりの那智の滝に向かう。
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途中、JR那智駅前を通った時、34年前に入った喫茶店と思しき店が、まだあるのを確認できた。
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30分で終点の那智山に到着。
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まずは荷物を置きに、今宵の宿、美滝山荘に向かう。
「お滝もち」や佃煮などを扱う、和か屋本店。
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滝の見える食堂、美滝荘。
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向かいに美滝山荘があった。美滝荘とは親戚なのかな。
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荷物を預け、熊野那智大社、青岸渡寺、那智の滝の散策を始める。
山荘前の道路から、すでに那智の滝が見えた。
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景気付けに美滝荘で、那智黒をイメージした黒あめソフトをいただく。
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猛烈に甘ったるく、1個食べるのがひと苦労だった。

北東に見えるのは、光ヶ峯(686m)。
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表参道からまずは那智大社へ。
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周辺はだいたい、こんな感じになっている。
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いきなり長い階段だ。
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祝日だけに、それなりの人出がある。
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今年は那智大社創建1700年、青岸渡寺開創1300年の記念の年だそうだ。
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那智黒石のお店「山口光峯堂」。ほとんど冷かさずに通過。
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しばらく登ると、清涼亭なるお店があった。
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お店の前の空間は、実方院跡。日本庭園になっている。
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中世、熊野行幸を行った上皇や法皇の宿泊所となった場所だそうだ。
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実方院の庭園にあったとされる木斛(モッコク)の巨樹。
樹齢は400年だそうだが、それだと中世には遡らないのでは?
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まだまだ階段は続く。
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一刀彫も那智の名物なのかな。
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那智黒あめは、さっきのソフトでもう十分。
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観音堂でひと休み。
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見晴台から那智山の町並みを見下ろす。
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振り返ると、観音堂と那智大社の大鳥居。
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その右に青岸渡寺の山門。
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では、熊野那智大社へ突撃。
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ここは熊野三山の一つ。世界遺産である。
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「養正」かな? 意味はよく分からない。
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摂社の兒宮。
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古色を帯びた趣のある階段だ。
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まもなく「頂上」。
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毎年掛け替えられる巨大な絵馬が迎えてくれた。
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なんと本殿は改修中。
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神倭磐余彦命は八咫烏の案内で大和の地にたどり着き、神武天皇になった。
その際、那智の滝を大己貴命の御霊代として祀ったのが那智山信仰の始まりと言われているそうだ。
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山女とコスプレ。
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境内には樹齢800年といわれるクスの木。
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幹回り8.5m、樹高27mに及ぶという。
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根幹部は空洞になっている。
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胎内くぐりができるそうだ。
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300円かかるみたいだが、折角なので体験してみた。
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他の参拝者も護摩木を手にしている。
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私も「大願成就」と書いた護摩木を護摩舎に納めて、青岸渡寺へ。
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青岸渡寺は西国三十三か所の第一番札所だ。
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「滝落ちて群青世界とどろけり」秋桜子と「きらきたとまだ見ゆ雁の別れかな」吾亦紅の連結句碑。
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吾亦紅とは長崎生まれの俳人米澤忠雄(1901~86年)のことだそうだ。

では参拝させていただく。事故なく歩き通せますよう。
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おや、またまたコスプレの2人が出現。この方々とはこの後何度も遭遇する。
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振り返ると、那智大社。二つの社寺は完全に隣接しているのだ。
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青岸渡寺ももちろん世界遺産。
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本堂の背後に水子堂。
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漢詩の碑だが読めない。
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水子堂の後ろは絶好の展望台だった。
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那智の滝は、まっすぐ一直線に落ちているところが美しい。
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全く乱れがない。
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青岸渡寺の伽藍も立派だ。
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樹齢700年のタブノキ。
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御詠歌の歌碑。「補陀洛や岸うつ波は三熊野の那智の御山にひゞく滝津瀬」
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鎌倉時代の宝篋印塔。
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これは解読できず。
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大黒天堂は見上げるのみで通過した。
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(つづく)
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瀬棚線(4)

【2017年11月21日(火)】瀬棚線
瀬棚線の終点、瀬棚駅跡まで到着し、周辺を散策中。
浜に下りて、三本杉岩を観賞している。
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すぐ脇には馬場川の河口堰が見える。
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こちらは上流側から見た河口堰。
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前回も紹介した岩だが、やはり、これには名前が欲しい。
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トンネルの名称は「三杉トンネル」だから、岩の名前ではない。

旧瀬棚町のマンホール。
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バス停は三本杉岩ではなく「三本杉」。
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立象山(95m)に登るべく、登山口のある事比羅神社へ。
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「事比羅(ことひら)」なのに、「金毘羅」のように金マークがある。
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境内には殉難消防員之碑(昭和55年建立)。
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本殿にお参りもせず、登山開始。
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頂上まで567段の階段があるようだ。
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雪山登山だ。
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登るにつれ視界が広がってくる。
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三本杉岩は下で見るより、離れた一本杉との距離がある。
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奥尻島に天使のカーテン。
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くっついた二人も、よく見ると頭の形が若干違う。
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6分で半分登ってきた。
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下からは恐ろし気に見えた三本杉岩も、見下ろすとかわいい。
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ちょうど10分で登頂。
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三等三角点も確認できた。
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早速、展望台に上ってみた。
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なんと、ここは三本杉岩の1本が半分隠れる位置だった。
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瀬棚市街。
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瀬棚港と奥尻島。冬の日本海だ。
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頂上は雲に隠れているが、北に狩場山(1520m)。
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北東にカスベ岳(左、1050m)とメップ岳(右、1148m)。
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南東に遊楽部岳(1277m)。
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瀬棚港の蝋燭岩。
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三本杉岩は約1000万年前の火山噴出物の火道の名残とされている。高さは約30m。
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市街地の南には毛無山(816m)。
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頂上には車でも来られたみたいだ。でも登山道からの景色がいいので徒歩がお薦め。
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瀬棚町は北檜山町と合併したが、役場を北檜山に譲って、町名を取った(ひらがなだが)形だ。
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この町には風力発電用の風車がたくさんある。今日は風が弱めで助かった。
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眺望を満喫したところで下山開始。
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階段はジグザグと何度も屈曲している。
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帰りは5分で下りてきた。
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もう一度、別角度から三本杉岩を見にいこう。
途中、民宿海の家の前を通過。
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こんなにきれいな家なのに、当分の間、休業だそうだ。
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民宿三杉館は現役営業中。
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今度はタコではなく人魚のオブジェ。
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三本杉のうち二本杉。
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孤独な一本杉。
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二人組。
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アップ。
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海岸には、天皇陛下の御製。奥尻島の津波を詠んだものだ。
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「五年の昔の禍を思ふとき復興の様しみてうれしさ」

こちらは海難慰霊碑。
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輪掛岩。
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アップ。
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立岩。
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蝋燭岩と天使のカーテン。
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白波。
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歌碑と海難慰霊碑。
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さっきの人魚オブジェの裏側。
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人魚と三本杉岩。
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これにて観光は終了。もう15時を過ぎた。
すっかりお腹が空いてしまったので、さっき目を付けておいた食堂に向かう。
途中で見た民宿長栄。
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しかし、なんとランチタイム後の休憩時間に入っていた。
また、しくじった。他を探してみたが、どこにも開いている店は見当たらない。

諦めて、港に向かった。
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蝋燭岩(高さ24m)の根元に神社を発見。
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港から望む立象山。
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ひやま漁協の建物。
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フェリーターミナルも見学。
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しかし、営業していない。
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調べてみたら、瀬棚~奥尻航路は夏季(5月1日~10月15日)のみの運航のようだ。

南の毛無山を確認して、瀬棚港を後にする。
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昼食は結局セコマでパンを2個買って、車の中で食べた。
こんなことになるなら、長万部でかにめしを買っておけばよかった。

とにかく、帰途につく。
帰り道、往路では通過してしまった二つの「松」に立ち寄った。
最初は、荷卸の松。
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樹齢270年と推定されるイチイ(オンコ)で、会津藩士だった丹羽五郎が明治25年(1892年)にこの地に入植した際、この木の下に荷を下ろしたことから、この名で呼ばれているそうだ。
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横に「是より東 玉川里丹羽村」の境界標があった。
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国道をはさんで反対側に瀬棚線の廃線跡と思しき道路があった。
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このカーブは間違いない。
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続いて、今金町の常代の松。
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樹齢は1000年を超えると言われ、新・北海道名木百選に選ばれている。
こちらも開拓の歴史を見守ってきた存在である。

暗くなる前に美利河ダムに着いてよかった。
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北電のピリカ発電所。
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美利河ダムが架るのは後志利別川。
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その名はアイヌ語の「ツウシベツ(山の走り根・大きい・川)」に由来するらしい。

ついでに大量の旧石器が出土したピリカ遺跡にも寄ってみた。
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国指定遺跡である。
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ピリカ旧石器文化館はまだ冬期休業には入っていなかったし、閉館時間前だったのにしっかりとシャッターが下りていた。
入館時間は閉館の30分前までみたいな感じだったからだろうか。
まあ閉館まで10分しかなかったので、開いていても入らなかったが。

この後は寄り道せず、ひたすら伊達に向かう。
もう暗いので安全運転だ。
伊達のトヨタレンタカー営業所には17:30頃に到着。
伊達紋別駅まで送ってもらい、17:51発の室蘭行き普通列車に乗る。
東室蘭で特急すずらん11号札幌行きに乗り換え。
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上り列車がシカに衝突したとかで、こちらも影響を受け、20分程度遅れた。
不思議に思うのは、車内放送が「シカと衝撃したため」と言うことだ。
業界用語なのだろうか。それにしても、そんな表現に「衝撃」を受けた。

昼飯が遅かったので車内でお腹が空かなくてすんだ。
晩飯は、前から気になっていた札幌駅構内のそば屋「北海道そば蕎麦紀行」に入る。
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ここでは幌加内そばが食べられるのだ。
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山菜なめこそばをいただいた。汁もしょっぱくなく美味しかった。
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列車に乗らず、入場券で入った場合、それを提示すれば、その分負担してくれるということを知ったのも収穫だった。
というわけで、21時過ぎに帰宅。
何十年かぶりの冬道運転だったが、事故もなくよかった。
瀬棚方面はまた雪のない時期に行ってみたい。

(おわり)
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瀬棚線(3)

【2017年11月21日(火)】瀬棚線
瀬棚線の廃線跡めぐりの合間に、今金町のインマヌエルの丘に寄り道している。
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キリスト教徒を中心とした開拓者たちの共同墓地の入口には小さなお地蔵様が控えていた。
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手を合わせて、墓地へと進んでいく。
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墓地もすっかり雪景色だった。
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最も高い場所に十字架が立つ。
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上部に十字架が彫り込まれている墓標も。
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昭和59年段階での「神丘共同墓地」の名簿。
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洗礼名が記されている墓標も発見。
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1892年(明治25年)、この地に初めて入植した志方之善(1864~1905年)の墓地があった。
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志方は熊本の出身だが、両親もここに眠っているということなのだろうか。
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「神は愛なり」
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「主我を愛す」
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こちらの墓標は比較的新しい。
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十字架自体を墓標にしているタイプの墓もあった。
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この共同墓地にはキリスト教徒だけでなく仏教徒も埋葬されているようだ。
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その証拠に、キリスト教を示す十字架と仏教を示すまんじが隣り合って彫られている。
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日本ならではである。
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墓の写真ばかりですいません。
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文化の融合を示すこういう光景が好きなのである。
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長崎県の五島列島では角柱の墓標の上に十字架が立っていたが、ここにはそのタイプのものはなかった。
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この石碑は今金インマヌエル教会が建立したもの。
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アーメンの前に南無阿弥陀仏。平和の象徴だ。
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異なる宗教の共存。今、世界が学ぶべきことではないだろうか。
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ありがとう。神丘墓地。
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墓地から南下すると、瀬棚線の築堤跡らしきものが見えてきた。
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これは間違いない。
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この小島のような地形が神丘駅のホームの跡だったりするのだろうか。
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あたりに人気はなく、確認するすべはなかったが、帰宅してから調べてみると、どうやらそのようだ。

近くにあった今金インマヌエル教会に立ち寄った。
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ここが志方之善らによる今金町開拓発祥の地とされている。
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なぜなら、ここが志方と荻野吟子夫妻の住まいの跡だったからだ。
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当時の過酷な生活を詠んだ吟子の歌碑が立っている。
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「雲はらふ風につけてもこの頃をとしべつ原の朝夕の空」とあるのだが、隣の説明板には別の歌が紹介されていた。
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「窓たたく夜半の嵐にねぎめしてとしべつ原の寒さいかにと」
なぜだろう。

現在の建物は昭和43年(1968年)に建てられたものである。
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隣の小屋に、「教会敷地内での、一切の採捕を禁じる」の貼り紙。
まわりは畑なのか。誰か、作物を盗って行く人がいるのか。罰当たりな。
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それにしても、代々ずっと信仰を守り続けていくことは、とても尊いことだ。
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私は信者ではないが、敬意を払いたい。
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北には狩場山地が見えた。
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少し離れた場所に、今度は神丘発祥之地の石碑があった。
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ここは志方とともに内地から渡ってきた丸山要次郎が単身越冬した地なのだそうだ。
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廃線歩き再開。丹羽駅跡に着いたが、すでに跡形もない。
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こんなにきれいに消さなくてもいいのに。
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もしかしたら、この道が線路跡だろうか。
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廃止になる6年前の1981年には、なんと1日734人の乗客があったそうだ。
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今なら、絶対廃止にはならない数字だ。

次の北檜山駅に行こうとして、間違えてたどり着いてしまった温泉ホテルきたひやま。
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その後も、ネットからプリントした当時の地図を見ながら探すも見当たらず。
線路跡らしきものは見つけられたが
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駅舎跡は確認できなかった。
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後で調べたら、当時の駅舎はバスターミナルの営業所として今も利用されており、この裏にあった。
10分もさまよった挙句、見つけられず大失態。
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予め、もう少し調べて行くべきだった。
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10分ほどで瀬棚駅跡に到着。
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35年前はこうだった。
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国縫駅からちょうど48km。キロポストも残っていた。
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駅名標の隣に、旧国鉄瀬棚駅跡地記念碑。
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跡地には温泉施設「やすらぎ館」が建っていた。
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寒いので入りたいが、もちろんそんな時間はない。
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駅跡地は荻野吟子公園として整備されている。
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吟子は日本で最初の女医で、志方の後を追って今金に入り、しばらく瀬棚で開業していた。
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その荻野吟子の顕彰碑が立つ。
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渡辺淳一の「花埋み」のモデルにもなった方だ。
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私も読んだが、壮絶な人生である。
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明治時代にはすごい人がいたと思う。
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この石像はちょっと胸を大きく作りすぎているけど。
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近くの町医療センターは「荻野吟子記念」の名が冠されていた。
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では、荻野吟子が開業した医院の跡に向かおう。
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地形図が示す碑の場所と違うので、ちょっと迷ったが、見つけた。
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吟子は「セタナイの八景」なる詩を書いていることを知る。
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木の碑には「荻野吟子開業の跡」と刻まれていた。
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背後には瀬棚児童会館が控えていた。
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その裏には、象のような立象山(95m)。
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こちらはカバみたい。
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この後は名所の三本杉岩に行ってみることにした。
防波堤の手前に、タコのようなオブジェが。
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裏側に回ると、龕のような穴があるが、以前は何か置かれていたのか。
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防波堤の上にのぼって三本杉岩を望む。
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私的には、瀬棚と言えば、三本杉岩だ。
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実は1本だけ、ちょっと離れている。
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南の防波堤の向こうに見えるのは蝋燭岩。
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北に浮かぶのは立岩。
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その手前に輪掛岩。
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振り返ると立象山の頂上に展望施設が見える。
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あの海坊主のような岩には国道229号が貫いているが、地形図に名前は出ていない。
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浜まで下りてみた。
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冬の海である。
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それにしても見事な奇観であった。
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(つづく)
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瀬棚線(2)

【2017年11月21日(火)】瀬棚線
国鉄瀬棚線の廃線跡を歩いている。
最初は茶屋川駅跡。函館バスのバス停が目印だ。
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目の前は国道230号が走っている。
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この自販機は駅があった頃の名残なのだろうか。
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なんと、○ンドームの自販機まで。なんか現役っぽかった。
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その隣には、いかがわしい本の自販機もあった。こちらは厳重に守られている。
どういう所なんだ!
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ともかく背後にあると思われるホーム跡に行ってみる。
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2010年時点では崩れたホームが草に埋もれていたというが。
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その後7年も経過し、おまけに雪が積もっているので、遺構は確認できない。
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低い方が路盤だろうか。
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ここでは敷地の境界を示す杭と思われるものを発見しただけだった。
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バス停前には民家が1軒だけ。
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次の駅は美利河駅なのだが、まずは美利河ダム前バス停を確認。
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クアプラザピリカ入口に車を停めて、駅跡を探す。
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南にはクアプラザピリカのスキー場を望む。
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結構、雪が降ってきた。
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奥美利河温泉「山の家」は老朽化のため休業中。
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ピリカ遺跡は帰りに時間があったら行ってみよう。
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駅の跡ははっきりとは分からない。この辺ということにしておこう。
ちゃんと駅舎のある駅だったらしいのだが。
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長万部方面のバス停は小屋とバス停標識のデザインが瀬棚方面とは違っていた。
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路面は圧雪状態で、運転がちょっと怖い。
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次の花石駅跡は、この交差点のあたりのはずである。
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こちらは国道230号の旧道。
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花石バス停。
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廃線跡は国道230号の新道に変わってしまったが、当方はあえて旧道を行く。
花石郵便局。
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次の北住吉駅に向かう途中、「友愛の森げんき公園」なる公園があった。
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今金町と地元出身の篤志家石黒克彦氏が整備したもののようだ。
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このあたりは、かつて「シンコヘ」と呼ばれていた。
やがて甚五衛なる男がこの地で砂金採掘に成功して大金を得たことから、その名にあやかって「ジンゴベ」と言われるようになった。
その後、松浦武四郎が当地を訪れ、チャシ跡で土器やメノウ、勾玉などを見たことから「珍古邊」と漢字を当てた。
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その字に引きずられ、今度は「チンコベ」と呼ばれるようになる。

昭和4年(1929年)、瀬棚線が開業する際、花のように美しい石メノウが採れるということで、駅名は「花石」となり、以後、地名も「花石」となった。
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松浦武四郎がこの地を訪れたのは安政三年(1856年)のことである。
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その65年ほど前に、菅江真澄も立ち寄ったとみられている。
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なぜか古代の住居が想像復元してあった。
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そして、愛子さまのお印であるゴヨウツツジ(シロヤシオ)の苗が雪の中に植わっていた。
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向かいに今金町地域特産品生産センター。
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メノウのことである。
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隣にはその名も瑪瑙(めのう)寺。
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明治37年(1904年)に開校した今金町立花石小学校は平成19年3月に閉校した。
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建物はやけに新しいので今は何かに再利用されているのだろう。
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ゴールドラッシュ時代の名残、黄金神社。
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ハイカラな造りの美しい廃屋が残っていた。
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北住吉駅跡の近くにある北住吉バス停。
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瀬棚線が現役だった頃からあった建物だろうか。
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駅跡そのものは国道230号新道となってしまい、その痕跡を見ることはできない。
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次の種川駅跡近くで頑張っている商店「ファミリーストアさとう」。
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その前の信号を左折する。
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すぐに種川温泉休憩所。公衆浴場だ。
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駅跡はたぶん、このあたり。
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道路の脇に延びる平地が線路跡だろうか。
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瀬棚線は、痕跡を見つけるのが難しい。
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廃線からはや30年。訪ねるのが遅すぎた。
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最寄りのバス停は種川ではなく、種川温泉入口。
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今金町はメノウのほかに、男爵いもも特産だ。
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今金町の市街地に入り、八幡神社の前を左折すると、今金駅跡に出る。
そこは函館バスのバス停になっていた。
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近くには国鉄が現役だった頃の名残である農協の倉庫があった。
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駅を中心とする線路跡は公園として整備されている。
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レールと町内の駅の駅名標が復元展示してあった。
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まずは美利河駅。
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花石駅。
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北住吉駅。
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種川駅。
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今金駅と思われる駅名標は盗まれてしまったのか、枠しか残っていなかった。
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駅の跡には、なぜかオランダ風の水車が。
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とくに今金とオランダのどこかの町が姉妹都市だというわけではなく、今金の町の花がチューリップなので、チューリップと言えばオランダ、という単純な発想だったようだ。
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駅舎の跡に建てられたこの建物は、「デ・モーレンいまかね」という。
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「デ・モーレン」とはオランダ語で風車のことだそうだ。
ここに今金町商工会の事務所が入っていたので、町内の散策マップをいただいた。
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(これは観光案内板)

線路跡の散策路はオランダ通という名称になっている。
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今金の名はこの地を開拓した今村藤太郎と金森石郎の頭文字を採って命名されたが、町名が「いまかね」であるのに対し、駅名は「いまがね」だった。
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昔、北海道に住んでいた若い頃はてっきり「いまがね」だと思っていた。
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市街地の北西の方角に巨大なループ橋があるのが不思議であった。
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オランダ通を歩く時間は残念ながら、なかった。
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ウォーキングコースも取りあえず省略。
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あたりを一周してバス停に戻ってきた。
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せっかくなので中を見学。
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函館バスの路線図が掲示されていた。結構、営業エリアが広い。
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トイレをお借りして外に出ると、ちょうど瀬棚行きのバスが着いたところだった。
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お昼時になっていたので、市街地をぐるぐる回ったが、適当な食堂がない。
オランダ通と交差したところで、もう一度写真を撮って
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次の神丘駅に向かうことにした。
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神丘バス停は、神丘駅跡とはかなり離れた場所にある。
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「神丘」とは、日本最初の女医である荻野吟子(1851~1913年)の夫、志方之善らキリスト教徒が1892年(明治25年)に入植し、この地をインマヌエル(神のいる丘)と名付けたことに由来する。
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このバス停の近くには、「インマヌエルの丘」を開拓した先人たちの共同墓地があるので訪ねてみた。
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小高く見える、あの丘の上である。
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(つづく)
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瀬棚線(1)

【2017年11月21日(火)】瀬棚線
この日は訳あって、せたな町に行くことになった。
道すがら、瀬棚線の廃線跡をたどる。
自宅から車だと疲れてしまうので、伊達でレンタカーを借りることにした。
朝早く起きて、札幌6:53発の特急スーパー北斗4号に乗車。
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駅の売店で買った助六寿司を食べて、あとはずっとその日の朝刊を読んでいた。
8:33、定刻通り伊達紋別駅に到着。
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伊達市の名は亘理伊達家当主だった伊達邦成が明治政府から有珠郡の支配を命じられ、開拓を担ったことに由来する。
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もともとは紋鼈(もんべつ)と呼ばれていたので、駅名は伊達紋別となった。
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ここは私が幼稚園の時に1年だけ住んでいたことがある町である。
駅にレンタカー屋さんからのお迎えが来ていたので、それに乗って営業所へ。
8:50頃、国道37号を長万部に向かって出発した。
せっかく伊達から走り出したので、道の駅あぷたの奥にある歴史公園に寄った。
ここは、江戸時代に開かれた蝦夷牧(有珠虻田牧場)の跡である。
幕府の箱館奉行戸川安論が蝦夷地の警備や物資の運搬に使役する馬を育成するため、文化2年(1805年)に開設した牧場だ。
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なだらかな斜面に多数の石碑が林立している。
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どれも馬頭観世音である。
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中央に立つ小屋の中には、入江馬頭観世音碑が納められている。
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牧場開設の際、地元の福井政之助と村田卯五郎が馬の守護を祈って建立したものだそうだ。
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当初は2千数百頭を放牧していたが、文政5年(1822年)の有珠山大噴火による熱雲のため約1500頭が焼死、弘化2年(1845年)3月の大雪では900頭余りが凍死したと伝えられる。
明治2年(1869年)に廃止された。

丘の上の方に「ペットの碑」なるものがあるらしい。
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登ってみよう。
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途中、幕府の虻田場所請負人、和田屋茂兵衛の墓碑があった。
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茂兵衛は1822年の有珠山大噴火の際に絶命したそうだ。
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アイヌ文様が施されている。トイレでも何でもない。謎のオブジェ。
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これらの石はまさか噴火の際に飛んできた火山弾ではあるまい。
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虻田町先住アイヌ民族慰霊碑。
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1980年(昭和55年)に虻田町(現・洞爺湖町)と北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)が共同で建てたものだ。
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虻田は歴史的に、和人とアイヌの関係が良好だった地区と聞いている。

丘の上からが有珠山(737m)が望めた。
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これがペットの碑。2000年の有珠山噴火で犠牲となったペットを慰霊するためのものだった。
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公園内には、菅江真澄の歌碑もあった。
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「蝦夷見ても くもりも 波の月きよく 吹く口びわの声の涼しさ」
口琵琶とはムックリのことだそうだ。

真澄は寛政三年(1791年)6月7日に当地を訪れ、月明かりの浜でメノコが奏でるムックリの響きに心惹かれ、この歌を詠んだそうだ。
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ついでに道の駅あぷたによると、寛政八年(1796年)9月15日の英国船プロビデンス号来航に関する案内板が掲示されていた。
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松前藩は船に退去を求めたが、船員がホロナイヌプリから薪を切り出したり、モロラン(室蘭)の港を調査したりするなど、勝手な振舞いをしたことも、幕府が蝦夷地を直轄地とする背景となったらしい。

ここは支笏洞爺国立公園。
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ユネスコの世界ジオパークでもある。
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道の駅あぷたには、アイヌの民俗資料の展示コーナーもあった。
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ほたてっ子カレーにそそられたが、1箱800円はちょっと高かった。
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車を走らせて、虻田市街を通過、清水団地バス停のあたりまで来ると
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虻田の海岸線がきれいに見えた。
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雪の中、虻田洞爺湖ICから道央道に乗る。

45分ほどで長万部駅に到着。
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長万部名物は、かにめしだけかと思ったら、折詰そばなんてものもあるようだ。
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駅前をうろつくのは学生の時以来のような気がする。
あれは大学2年だったから、1982年の暮れ。東京から帰省する途中だった。
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駅舎の外観は当時とかなり変わっているが、おそらく同じ建物だろう。
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長万部のマスコットキャラクターまんべくん。
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駅舎の中も見学。
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あれこれ見ものはあるのかもしれないが、今回は長万部観光が目的ではない。
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でも、かにめし本舗だけは見届けておこう。
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お昼は温かいものを食べたいので、駅弁はよしておいた。
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向かいは見事なまでのシャッター街。
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長万部が「湯の郷」とは知らなかった。
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そっか、二股ラジウム温泉も長万部か。

では、旧瀬棚線の旅を始める。
瀬棚線は1987年(昭和62年)3月16日に廃止された。
起点は国縫駅だが、すべての列車が長万部発だった。
だから、この中ノ沢駅にも瀬棚線の列車が止まった。
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中ノ沢駅は1904年(明治37年)、北海道鉄道の紋別駅として開業した。
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10年後に「中ノ沢駅」に改称している。
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現在は1日6往復の運行。
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瀬棚線が廃止される直前の1987年1月、旧駅舎が取り壊され
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ヨ3500形の車掌車を改造した駅になってしまった。
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ちなみに駅前には「御宿仲乃澤屋」があった。
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ライダーハウスのようだ。1泊1000円。
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ホームは2面3線。
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1日の平均乗客数は2人(2013年度)。
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かつては快速アイリスの停車駅だった。
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快速アイリスは1966年(昭和41年)10月に運行を開始した急行せたなの後継列車。
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私が一度だけ瀬棚線に乗ったのは1982年12月。廃止される5年前だ。
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上野から夜行急行の八甲田か津軽に乗り、連絡船を乗り継いで、函館から長万部までは特急で来たはずだ。
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かつて発売されていた周遊券は指定の周遊圏内であれば特急の自由席が乗り放題だった。

というわけで国道5号に戻り、瀬棚線の分岐駅だった国縫駅に向かう。
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国道5号を右折すると、右手に国縫神社。
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そして公民館的な存在なのだろうか、国縫地区振興会館。
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駅前の民家。商店でも何でもなかった。
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国縫駅は駅舎が残っていた。
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1903年(明治36年)11月、北海道鉄道の森~熱郛間開通に伴い開業。
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1986年(昭和61年)11月に無人化された。
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1日平均の乗客数は4人(2013年度)なので、こんなにイスは要らない。
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かつては石炭ストーブが設置されていたのだろう。
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地元の方々が花を植えたり、清掃をしたりしてくれているようだ。
ありがとうございます。
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かつて使われていた鉄道荷札が懐かしい。
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ホームは2面3線。
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こんなに利用者がいないと、北海道新幹線が札幌まで延伸するまでに廃駅になってしまうかも。
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特急が頻繁に行き交う路線だけに、さすがに廃線の雰囲気はないけれど。
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跨線橋を渡ってみた。
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ポスターも何もない。宣伝効果ゼロだからなあ。
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このレールの外側が瀬棚線のレールがあった敷地だろう。
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ホームの幅がやけに広い。
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それがまた哀愁を誘う。
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JR北海道も大変である。
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おそらく路線廃止協議と並行して、利用客の少ない駅は順次廃止していくだろう。
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では、瀬棚線の廃線跡をたどることにする。
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(つづく)
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大森山道(下)

【2017年11月5日(日)】大森山道
コンターサークルSの遠足「西積丹・大森山道」はウエンチクナイ4号トンネルで引き返すことになった。
キナウシ川を渡る橋まで戻ってきたところで、Kさんが「キナウシ」の地名票を発見。
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その先の渡渉地点の手前では、橋の銘板を発見した。
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昭和35年10月竣工とあるので、この頃に、車道は素掘りのキナウシトンネルを経て珊内まで通じていたのかもしれない。

渡渉地点とは別方向に道が延びているように見えたので行ってみた。
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しかし、砂防ダムへと道は消えてしまった。
これはたぶん工事の際の作業道路だったのだろう。

やむなくさっきの渡渉地点に戻った。
そこにはハクション大魔王の壺のような岩があった。
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川を渡って振り返ってみると、旧道の擁壁が残っていた。
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その奥に支流をまたぐコンクリート橋。
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やはり、この方向で間違っていないようだ。

平成23年に完成した砂防ダム。
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これを建設するために橋は撤去されたに違いない。

旧道に草がないのも、やはり工事の際に再利用されたからなのだろう。
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その時のわだちまできれいに残っていた。
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見上げると、さっき通った切通しの片側と思われる岩が見えた。
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少し下って別角度から見ると、陽が当たってオレンジ色に光っていた。
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キナウシトンネルまで戻ってきたので、これも通り抜けてみることにした。
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長さは200mほどだった。
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反対側(北)には、キナウシトンネルの標識が残っていた。
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北側の坑口。
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断崖がものすごくオーバーハングしている。
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この先は道が消滅していた。
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地面の高さがガクンと下がっているので、二代目のトンネル(覆道)を建設する際に削ってしまったものと思われる。
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岩自体も鑑賞に値する。
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江戸時代のトンネルの跡か!と思ってしまうような穴もあった。
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三角に尖った奇岩が連続しているが、こうした海岸風景は新トンネルができて見えなくなってしまった。
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平らに見えている部分は、覆道の屋根の部分(封鎖されている道)。
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岩から突き出してきたように見える初代トンネル。
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絶壁に張ったネットは、道路がなくなってもまだ残っていた。
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この標柱の工事とは何を指しているのかが、よく分からない。
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平成10~11年度で、工事延長は1212mもある。
ということはトンネルに関連したものではなさそう。謎だ。

もやもやが残るが、堀さんも待っているので戻ることにする。
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トンネル内は意外に荒れていなかった。
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Tさんが地形図を落としてしまったと言っていたので、探しながら歩いたら、トンネル内で2枚とも発見。

午後3時前にやっと戻ってきた。
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私はパンをかじって空腹を満たしながら歩いていたが、皆さん昼食抜きだったので、車の中でそれぞれ弁当などを食べることになった。
私はその間、あたりを散策。

キナウシトンネルの手前(南)は大森トンネル。
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地形図には、ウエンチクナイトンネルとあるが、2004年以降、掘り直され、大森トンネルと連結したので、全体として「大森トンネル」となった。
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トンネル内に連結部分があり、その坑口もふさがれていた。
写真は撮れなかったが、実にめずらしい光景だった。

この連結に伴い、両トンネルの間にあった大森大橋は放棄された。
トンネルが連結されたのには、この大森大橋に原因があった。
2004年9月の台風18号による高波で橋桁が約160mにわたり落下。間もなく仮復旧したが、本格的な復旧は橋を直すことではなく、この区間もトンネルにすることによって解決されたのだ。
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この結果、2004年に完成したばかりのウエンチクナイトンネルと、2005年に完成した大森トンネルの工事がやり直されて、2007年に連結。ウエンチクナイトンネルの名が消滅してしまった。
1985年に完成した大森大橋はわずか22年の短命に終わったのである。
その遺構を見るには、もはや海から行くしかない。

鉄筋がむき出しになった初代キナウシトンネルの横っ腹。
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封鎖された2代キナウシトンネル。
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その脇から海岸を覗いてみた。
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この先すぐに覆道になるはずだが、そこまでは見えなかった。

三代目のキナウシトンネルは2001年11月の着工で03年3月の完成。
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延長は1008m。

皆さんが食事を終えた15:15頃に出発。
大森トンネルを抜けて、大森側の大森山道入口を確認した。
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こちらには立派なゲートがあった。
関係者の車は、しばらく奥まで入れるようで、ある意味現役だ。
次回はこちらから歩こうということになった。

ここは神恵内市街から4kmの地点。
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北村の澗というバス停のあるところだった。
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女性のTさんがトイレに行きたいとのことで、大森トンネル入口にある道の駅オスコイに戻る。
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「オスコイ」って一体なんだ?と思ったが、その由来はここには書かれていない。
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ここは、にしん街道。
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海岸に流れ着いた流木で作ったアート人間がえらそうに座っていた。
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店内に入って、やっと「オスコイ」の意味が分かった。
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ニシン漁の船で、櫂をこぐときの掛け声だそうだ。

帰りに、かつては「モイワ」と呼ばれた弁天岩に立ち寄った。
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ここは盃海水浴場で、浜には大きな民宿たなかがある(冬期休業中)。
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その背後に旧道のトンネルが見えた。
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そのトンネルに続く旧道。わかるだろうか。
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積丹の西海岸は旧道の宝庫だが、ほとんどが封鎖されて立ち入ることができない。
でも機会があったら、歩けるところは歩いてみたい。

この時は猛烈に風が強かった。
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ちょうど、夕陽のカーテンが下りてきたところだったので
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しばらく寒さを辛抱した。
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でも、さすがに沈むまで待つことはできず退散。
旧岩内線の幌似駅に立ち寄って、稲穂峠、小樽経由で札幌に帰った。

札幌に着いたのはもう19時に近かった。
堀さんがよく食事に来るという京王プラザホテルで、軽く打ち上げ。
とは言え、車なのでアルコールは飲めない。
この日の遠足を振り返りながら楽しく歓談した。
帰宅は21時頃だったか。
堀さんとは四半世紀ぶりにゆっくり話せた。

堀さんはこの10日後、急逝された。91歳だった。
長生きされたと言えないことはないが、これからいろいろと薫陶を受けようと思っていたところだったのに残念でならない。
ご冥福をお祈りする。
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大森山道(中)

【2017年11月5日(日)】大森山道
西積丹の大森トンネル旧道(山道)を歩くコンターサークルSの遠足に参加している。
キナウシ川河口の砂防ダムの法面をよじ登って、旧道に出たところ。
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もう一度、初代のキナウシトンネルを確認。
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三代目のキナウシトンネルを施工した川元建設(函館市)のHPによると、初代トンネルの完成は1968年(昭和43年)ということになっているが、昭和41年測量の2万5000分の1地形図には、なぜか記載されている。
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遡って昭和32年測量の5万分の1地形図を見てみると、徒歩道の表記しかないが、キナウシトンネルはすでに記載されている。
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この段階では、素掘りのトンネルだったのかもしれない。
あるブログでは、大森山道は昭和24年から43年まで19年かけて車道化されたとあるので、杣道みたいな生活道路が順次整備されていったのだろう。

海岸線は断崖絶壁が続いている。まるで、人の横顔のような形だ。
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早速、旧道の痕跡、ガードロープ。
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道にはかなり背丈の高い草が繁茂している。
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でも、ほとんど草が生えていないところもある。
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さすがに愛好者だけあって、みな楽しそうだ。
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北海道は11月ともなると、あたりはすっかり冬枯れ状態である。
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道路を切り開いた時に削ったと思われる法面。
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緑の水をたたえた大きな砂防ダムに達した。
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最新の地形図にも、このダムの表記はまだない。
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このダムは平成23年度完成なので、もう6年経っているのに。
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この先で道は不明瞭になり、ヤブ漕ぎとなった。
しかもキナウシ川を渡っていたはずの橋が失われており、渡渉が必要な事態である。
それほど水量も水深もなく、はまったからと言って流される心配はないが、靴を塗らさずに渡るのは、それなりに技術が必要だ。
手を引いて助け合いながら、何とか全員渡ることができた。
ただ、帰りが心配。

渡渉すると、再び道が現れた。
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もう廃道化して30年以上経っているはずなのに、なぜ、道路の部分だけ草がないのか不思議だ。
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むむ、熊の落とし物? 熊鈴を忘れたのは失敗だった。
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でも5人もいれば大丈夫だろう。

再び、キナウシ川を渡る地点では、舗装された橋が残っていた。
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欄干も残っている。標高は88m。
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キナウシ川の流れ。
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コンクリート橋だが、竣工年などの銘板は発見できなかった。
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これまで川に沿って登ってきたが、ここでU字ターンして、山肌をトラバースしていく。
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何かが貼り出されていた時期があったのだろうか。
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間もなく、道が寸断された箇所に差しかかり、崩落箇所の急斜面を登らなければならない羽目に。
そこにS字カーブを示す道路標識が転落していた。
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場合によって、廃道・旧道歩きは登山より危険を伴う。
もともとは車道なので、条件のいい場所は楽なのだが、崩落した箇所は自己責任で通過しないといけない。
ヤブ漕ぎも普通にあるし、普段人が来ないところだけに、熊の方も油断しているから、ばったり遭遇する可能性は登山道よりも高い。
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とくに、山深くにある道の場合は、単独行動は避けた方がいい。

砂防ダムを見下ろしつつ進む。
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ここも道路が消滅しており、難所である。
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振り返ると、何となく道のラインが分かる。
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カーブミラーの支柱。
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こういう遺構を見つけるのが廃道・旧道歩きの醍醐味の一つである。

シダが繁茂している。
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滑り止めの砂を入れるボックスを発見。
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大規模な切通しに差しかかる。
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法面にはネットが張ってあった。
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ガードレール。
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ふと気づくと、今回はめずらしく私が先頭を歩いている。
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道路に生えていた樹木。樹齢20年といったところか。
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海岸沿いの新道ができたのが1985年だから樹齢30年の木があってもおかしくはない。
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それにしても、路面に全く草が生えていないのが実に不思議だ。
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反射板?
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標高は150mを超えてきた。
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道路の路側帯を支える石垣の遺構。
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この道を作るにあたっては、相当崖を削らなければならなかったようだ。
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まだ、きちんと立っているカーブミラー。
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もう何年、車を映していないのだろう。

海側の小さな法面を残した切通し。
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路面自体は落石もあって、かなり荒れている。
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ガードロープはかなりしっかり残っていた。
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今なら、このぐらいは削平してしまうだろう。
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またまたカーブミラー。遺構が多くて、うれしい。
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やっとススキが繁茂してきた。
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私が速すぎるのか、後ろが付いてこない。
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これもカーブミラーの残骸。
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崩落が結構激しい。
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でた~トンネル!
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でも、やけに新しい印象だ。
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標識が倒れていたのを起こして撮影。
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ウエンチクナイトンネルは1~4号まであるが、地形図で確認すると、この4号が一番長い。

とても50年前のトンネルとは思えない。
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Kさんは、地面に埋もれた標識を探し当てる天才だった。
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「昭和 年」と書かれた道路標。
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あえて年代が彫られていないのは、大量生産して、現地で削るよう指示されていたからなのだろうか。

4号トンネルを反対側から。
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坑内。
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この先も道はずっと続いているが、もう出発してから1時間半近く経過しているので
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今日のところはここまでにして、引き返すことにする。
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それにしても断崖がすごい。
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海に浸食されたようにも見えるが、あれだけ隆起したのだろうか。

トンネル坑内のしみ。
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来た道を忠実に戻る。
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この砂箱は完全に腐っている。
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往路でも出会った砂箱。
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Kさんはトラックの運転手。それだけに「道」が好きなんだそうだ。
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紅一点のTさんが一番、活動的。
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帰路はいつも通り最後尾についた。
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(つづく)
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大森山道(上)

【2017年11月5日(日)】西積丹
本日はコンターサークルSの遠足で、積丹半島西海岸の旧道を歩く。
このサークルは、地図エッセイストの堀淳一さん(札幌市在住)が主宰する地図愛好者の集まり。
地形図を見ながら、旧道や廃線跡などおもしろい場所をあちこち歩き回っている。
私も北海道に転勤してきたのを機に、仲間に入れてもらった。
過去に部外者の立場ながら、静岡と岐阜で行われた遠足には参加したことがある。
北海道での参加は初めてだ。

集合は10:03に余市駅。
10:02着の列車に合わせた設定だ。
私は現地での足が必要とのことで、車で行くことにした。
一応、余市まで1時間半とみて、8時半に自宅を出発。
高速は使わず、下の道をちんたら行った。

ちょっと早く着いてしまいそうなので、忍路(小樽市)に寄り道していくことにした。
その存在はよく知っていたが、一度も行ったことがなかったのだ。
国道5号の忍路トンネルの手前を右折する。
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海岸線の眺めがいいので、すぐに車を停めて、シャッターを押した。
東には、桃岩。奥に窓岩方面。
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忍路半島の竜ヶ岬方面。
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集落に入っていくと、さっそく古い漁家風の家屋があった。
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集落の菩提寺と思われる大忠寺。
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せっかくなので参拝させていただく。
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浄土宗のお寺である。
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なので、南無阿弥陀仏。
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今日の旅も無事に事故なく帰宅できますよう。
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境内には、古い石仏や石塔が残っていた。
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山名は「西忍山」。
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近くには、石山軟石を使った重厚な倉庫もいくつかあった。
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ニシン漁で栄えていたころの名残だろう。
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モダニズムの見本のような建築の忍路郵便局。
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こちらは木造家屋。
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こうした建物が往年の記憶を細々と伝えている。
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鎮守の神、忍路神社。
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忍路の地名は、アイヌ語の「オショロ・コッ」(お尻のような窪み)に由来するという。
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集落の突き当りが忍路漁港。
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昭和30年頃まではニシン漁でかなり栄えたらしい。
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江戸後期に成立した江差追分には「忍路高島およびもないが、せめて歌棄磯谷まで」と唄われたほど。
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その賑わいぶりに「千石場所」と呼ばれたそうだ。
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近年はウニ漁が盛んらしい。
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港の奥には恵比須岩が見えた。
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そのさらに先に、忍路のシンボル三角岩。
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湾内の対岸に、何やら場違いな瀟洒な建物がある。
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行ってみると、北海道大学共同利用施設忍路臨海実験所なる施設だった。
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一部平屋の木造2階建てで、調べてみると、設計は北海道帝国大学営繕課。
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1907年(明治40年)に札幌の東北帝国大学農科大学水産学科の施設として建設され、臨海実験所としては東京大学の三崎臨海実験所に次ぐ古い歴史を持つとのこと。
この建物は1924年(大正13年)10月に改修されたものだそうだ。
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この施設のすぐそばに、忍路験潮場なる三角点のような石柱があった。
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傍らの開設百周年記念碑によると、これは潮位を継続的に観測するための基準点。
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国土地理院の前身である参謀本部陸地測量部が明治時代に全国に10か所設置したものの中の一つで、この験潮場は1905年(明治38年)11月28日から観測を始めているという。
もともとは500mほど北にあったが、1961年(昭和36年)11月に現在地に移されたとのことだ。

おっと、忍路探索に時間をかけすぎた。急がなくては。
余市駅にはちょうど10時に到着。
本日の参加者は6人で、車で参加の4人がすでに到着していた。
堀さん以外とは初めてお会いする方ばかりなので自己紹介を兼ねてご挨拶。
10:02の列車到着とともに全員集結した。
この日は堀さんももちろん参加していた。

今回歩く大森トンネル旧道は堀さんが1989年に歩いた道だ。
堀さんは著書「忘れられた道~北の旧道・廃道を行く」(北海道新聞社)の中に、その印象を「神恵内・珊内間では新道は断崖の下を通っていて、古い道がまだそのままのこされている。あるいは海を見下ろし、あるいは森の緑にたっぷりとひたり、あるいは草かげの可憐な花々を賞で、あるいは今にも崩れてきそうな素掘りのトンネルにスリルを味わいながら散策することのできる、静かな山路として」とつづっている。
それから、さらに30年。現地はどうなっているのだろうか。

駅前の駐車場でどのように歩くか作戦会議。
当初は、大森集落側(南)から入り、キナウシ川河口(北)に下ってくる計画だった。
しかし、以前近くを歩いたことがあるメンバーによると、キナウシ川河口付近は砂防工事が行われていたので、旧道そのものが寸断されているかもしれないという。
もし、そうだったら、3kmほどの行程を引き返さないといけなくなる。
ならば、まずキナウシ川河口まで、まず状況確認のため、車で行き、通行可能であれば、車を1台デポして、大森側に戻り、そこから歩き始めればいい。
万が一、歩行不能であれば、全員で大森に戻り、そこからピストンするしかない。
ただ、6人全員乗れる車がないのが問題。
一応、私の車は荷台に布団が敷いてあるので、そこに乗ってもらうのは可能だ。
まあ、何となくそういう方針にして、3台に分乗して出発。
私の車には、京都から参加したというYさんに乗ってもらった。

あれこれと会話を楽しみながら、先導の車に着いていく。
岩内経由の南回りルートではなく、古平・当丸峠経由の北回りルートだ。
当丸峠は積丹西海岸の道路の全面開通によって、国道229号から道道998号に格下げされてしまった。
峠付近には若干雪が積もっているところがあり、びっくりした。
標高610mしかないので、全く想像していなかった。
冬タイヤには交換してあったが、下りはとくに注意して運転した。
峠を越えて神恵内村側は、トンネルや大きな橋が続いており、ここにもかなり旧道(廃道)がありそうだなと想像されたが、これは開通当時からこういう設計だったようだ。

神恵内で国道229号に出て北上。
長大なウエンチクナイトンネルを抜けて、キナウシ川河口地点に出た、驚愕の光景が目に飛び込んできた。
なんと、目の前に新道、旧道、旧々道と、3つのトンネル坑口が並んでいるではないか。
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もちろん、中央が新道、その左のコンクリートで固められているのが旧道、上段で坑口を開けているのが旧々道。
ウエンチクナイトンネルの北に続くキナウシトンネルである。
参加者みんな大喜びで、写真を撮りまくった。

さて、肝心の道路状況だが、やはり国道に通じる旧々道(以後、煩雑なので旧道とする)は砂防ダムのため消滅していた。
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しかし、脇の斜面をつたって旧道にたどり着けるかもしれないと、メンバーのTさん(女性)が真っ先に登って行ってしまった。
私も後を追う。この段階で、全くグループの統制がとれていない(笑)。
どうやら登っていけそうだ。
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旧道にたどり着いて、まずこのトンネルを確認する。
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鉄筋コンクリート製で、銘板は剥がれている。
初代のキナウシトンネル(1968年完成)である。
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ちなみに、二代目は1985年完成、現役の三代目は2002年に開通した。

地上20mほどだろうか。振り向くと大森トンネルが見える。
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肝心の旧道へは砂防ダムの法面をつたって、接続することができた。
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ただ、放棄されたままの状態ではなさそうだ。
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砂防ダム工事に際に多少養生し直して使用されたのかもしれない。
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それにしても、かつてはこのトンネルをバスが通っていたというのだから、信じがたい。
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大森側の海岸。猛烈な断崖だ。
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こちらはキナウシ岬。
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とにかく、通行可能なことは分かったので、一旦下に戻り、全員で方針を確認することにする。
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結局、車のデポは止めて、ここに3台車を停め、ある程度歩いたら引き返すということにした。
堀さんは体力的に厳しいので、車内待機ということになった。
幸い、開発局の施設の前に駐車スペースがあった。
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時刻はすでに正午になっていたが、改めて出発。
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この砂防ダムは平成22年に完成したもののようだ。

砂防ダムの上流は急流が流れていた。
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(つづく)
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ペラリ山(下)

【2017年11月19日(日)】ペラリ山
日高のペラリ山(718m)に登っている。
標高が高くなって、だいぶ展望が開けてきた。
北の方角を望む。
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林道でズタズタにされたお隣の山。
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北西の方角の丘陵地帯。
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あら、雪が残っていた。
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日高山脈を見るために、雲と競争するように登る。前方に頂上が見えた。
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頂上手前の小ピークを巻く。
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最後の登りだ。
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さあ、日高山脈の名峰は見えるのか。
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10時半前に登頂。
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標高差約500mを1時間半かからずに登れた。

頂上にある天測点にはとりあえず目もくれず、頂上を通り越して、日高連峰が見えるところまで、踏み跡をたどっていく。
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すると、三つの顕著なピークが確認できた。
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H君のアプリによると、左(写真上)から順に神威岳(1756m)、カムイエクチカウシ山(1979m)、ペテガリ岳(1736m)と出た。
しかし、家に帰って、地図を検討してみたが、まず、この3つの山は20km以上離れており、あの視野で収まっているとは、ちょっと思えない。
なおかつ、神威岳は手前のナメワッカ岳(1799m)に、ペテガリ岳はやはり手前のピセナイ岳(1027m)に隠れて見えないはずだ。
他の方々のブログを見ると、とりあえず、下の写真の左端のひときわ高いピークはカムエクで間違いなさそうだ。
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しかし、①と④の写真を比べてみてほしい。
①は手前の冠雪した山の奥に黒い富士山形の山が見える。これがカムエクである。
しかし手前の山より高いはずなのに冠雪していないのはなぜか?
その1分後に撮った②の写真は、さっき黒かった山が白くなっている。
1分で真っ白になるほど冠雪したのだろうか。
そんなことはありえないので、おそらく光の加減で①は黒く見えただけなのだろう。
④だけを見ると、手前の山とカムエクは一つの山のように見えてしまうが、両者は明らかに別の山である。
手前の山はハンベツ山(1336m)かもしれない。

②は冠雪していない山の向こうに見えている。
角度的にありえるのは、コイカクシュサツナイ岳(1721m)だが、確信は持てない。
③は1839峰なのだろうか。これまた全く自信がない。
いずれにしろカムエクだけは、しっかりと目に焼き付けることができた。
以前、近くのピセナイ山に登った時はほとんど見えなかっただけに、うれしかった。
この後しばらくして、雪が降り出したので、きっと見えなくなってしまっただろう。
間一髪だった。
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それでは山頂に戻ろう。
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まずは、天測点で記念撮影。
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天測点は天体観測をするための基準点で、昭和29年から5年の間に全国48か所設置された(現存43か所)。
北海道には8か所あり、そのうちの一つがここ。
第2号ということになっている。
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そして、ここには一等三角点もあった。
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これは熊の落とし物?
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撮影後、ちょっと風も出て寒くなってきたが、ここでお昼にする。
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私はバナナとカップ麺。
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冬になったら、やはりおにぎりよりカップ麺だ。
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でも、汁を全部飲み干すのが結構大変だった。

食事をしている15分ほどの間にすっかり手先が冷えてしまった。
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軍手の上から息を吹きかけながら下山する。
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視界は遮られていないが、さっきとはうって変わった空模様。
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どんよりと曇っている。
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お隣のハゲ山を見下ろす。
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林道が激しく切られている。
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急坂なので、慎重に下った。
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時々、路面が凍結していて、つるっと滑るし。
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山頂直下の小ピークを通過。
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北斜面には若干、雪が残っていた。
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白樺の冬枯れ。
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静内平野。
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牧草地。
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これから雪になるんだろうか。
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今歩いてきた展望ロードを振り返る。
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順調に高度を下げていく。
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林道との交差点を通過。
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これは緑泥片岩だろうか。
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鞍部から前ペラリ(504m)への登り返しが結構きつかった。
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前ペラリからのペラリ山。
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ペラリ山は大半が白樺で覆われている。
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赤いのは鉱物ではなく、地衣類のようだ。
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前ペラリをトラバース気味に下る。
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30分ちょっとで登山口まで下りてきた。
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この後は林道歩きだ。
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もう滑ることもないだろう。
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またしても落とし物。
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冬の華と名付けておこう。
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とうとう雪が降ってきた。
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まわりの山も次第に霞んできた。
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間もなく、本降りに。
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時々あられになり、道もあっという間に白くなった。
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先を急ごう。
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でも、景色が見られてよかったと喜びながらの林道歩きだった。
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ほぼ3時間で往復。車に戻ってきた。

お風呂は新冠温泉レ・コードの湯へ。
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ここに来るのは初めてだ。
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さっきの巨大な岩は新冠川源流に産する緑泥片岩だそうだ。
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ここは宿泊もできるようだ。
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旧新冠町(現・新ひだか町)は1991年から全国のレコード愛好家にレコードの寄贈を呼びかけ、97年に「レ・コード館」を創立。レコードによる町おこしを続けている。
そのコレクションのいくつかが、この施設にも展示されていた。
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とにかく、お風呂、お風呂。
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ここはph8.7のアルカリ性鉱泉(源泉17.8℃)。
つるつるのやわらかいお湯だ。
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でも風が強くて露天風呂は頭がキンキンになるくらいだった。
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でも、やはり冷えた体に温泉はたまらない。よく温まった。
休憩室で少し休んでから、出発。

ちなみに、幌尻岳新冠ルートで登った人に、ここで記念のピンバッジと登頂証明書が1000円でもらえるそうだ。来年は行けるかな。
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売店では、縁起のいい木彫りの左馬が販売されていた。
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ここから幌尻岳が望めるらしいが、あいにく今日は見ることができなかった。
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帰りに、H君お薦めのいずみ食堂(日高門別)に寄った。
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田舎の食堂なのに、かなり駐車場が広く、店内も奥行きがあった。
みんなでかしわそば(800円)を注文。
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うわさのねじれたそばを味わった。
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そばというより、うどんかそばがきに近い食感。
量もたっぷりあって、お腹いっぱいになった。
評判の店だけあって、さすがに美味しかった。

日高本線の橋梁崩落箇所は、厚賀と清畠間で発見。
廃止になる前に、撮影しに来なければ。
車窓からは樽前山(1041m)が海の上に見えたりして、新鮮だった。
途中、ガムを噛みながら寝てしまった。

高速は輪厚あたりからまた雪が残り始め、札幌は朝と同じ雪景色だった。
O君をまず自宅に送る。
O君宅前の雪はきれいに避けてあり、O君は今度降ったら近所の分もみんなおれがやらないといけないと恐縮していた。
我が家には16:40に着。到着と同時に大量の○んこが出た。
これで、今年の無雪期登山も終了。
これからは、スノーシューや山スキーのツアー登山に参加することになるだろう。
北海道の長い冬が本格的に始まる。

ちなみに、ペラリ山の名は「高い崖」を示すアイヌ語に由来するとも言われるが、はっきりしたことは分からないらしい。

【行程】2017年11月19日
林道登山口(9:00)~登山口(9:34休憩9:37)~前ペラリ(9:55)~ペラリ山(10:27撮影、昼食10:56)~前ペラリ(11:17)~登山口(11:28)~林道登山口(11:57)
※所要時間:2時間57分(歩行時間:2時間25分)コースタイム:3時間20分
※登った山:2座(前ペラリ、ペラリ山)
※歩行距離:6.4km
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ペラリ山(上)

【2017年11月19日(日)】ペラリ山
先週の藤野三豊山登山の際、天気が悪かった場合の代案として浮上した、日高のペラリ山(718m)。
先週は無事に藤野を歩けたので、今週行くことになった。
前夜降り始めた雪は、朝になって15cmくらい積もっていた。
先週ペラリにして、今週藤野だったら、猛烈なラッセルを強いられるところだった。
先週=藤野、今週=ペラリというH君の判断は大正解だ。

H君は5:40過ぎに迎えにきてくれた。
6時の予定だったが、雪でスピードが出せないので早めに出発することにしたのだ。
藤野にあるO君のお宅には6:10頃に着いた。
O君のまわりのお宅はみな雪かきをしている。
それを横目に、何もせず、遊びに出かけるのは、かなり心苦しいようで、O君は謝りながら朝の挨拶をしていた。

近くのコンビニで朝食と昼食を買って、日高方面に向かう。
雪はもう止んでいるが、路面は圧雪状態だ。
滝野経由の抜け道を通って、北広島ICから高速に乗る。
最初は高速にも路面に雪があったが、だんだん少なくなり、千歳に入ると、もう道は乾いていた。
雪もほとんど積もっておらず、日本海側と太平洋側の気候の違いを目の当たりにした。

苫小牧に至っては快晴で、西の方に芦別岳や夕張岳の稜線がくっきりと見えた。
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日高方面にも全く雲がない。
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とても同じ北海道とは思えなかった。

国道235号を、ほとんど廃線状態の日高本線を見ながら南下。
静内で左折し、内陸に入る。
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H君が「北海道登山口情報350」をもとに設定したナビに従って進む。
前方にペラリ山と思われる山が見えてきたが、全く雪がついていない。
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これならアイゼンはいらないわ。

実際の登山口には、全く標識がなく、どこから歩き始めていいのか分からない。
何とか、前記の本も参考にして林道へ入っていったが、この道が正しいのかどうかすら分からない。
大丈夫かなと思い始めた頃、ちょうど作業中の車がいたので、中にいた人に聞いてみたら、100mくらい下った(戻った)ところが登山口だという。
昔は登山口の看板があったが、もう無くなっている。でも、ピンクのリボンがかかっているから分かるだろうとのこと。
そのリボンには、さっき気づいていたので、どこのことを言っているのか、すぐに分かった。
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そこに車を停めるスペースもあるというので、そこまで戻った。
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助かった。あそこに人がいなかったら、しばらくさまよい続けるところだった。
登山口の標高はちょうど200mなので標高差は500mちょっと。

スパッツを装着し、ストレッチをして、9時ちょうどに出発した。
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気温はジャスト0℃だったが、陽が当たっているので長袖シャツと雨具だけで十分寒くなかった。
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でも、今朝はあられが降ったようだ。
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わだちの水たまりも凍っていた。
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木々の向こうは静内平野。
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しばらく林道歩きが続く。
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他の人のブログでは、倒木のところで車を引き返している痕跡があるとのことだったが、道をふさいでいるという倒木はすでになかった。
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林道は1か所、路肩が軽く崩落しているところがあったが、私のエブリーなら行けそうなくらい道はしっかりしていた。
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この花のようなものがいっぱい咲いていたが何だろうか。
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正面に見えてきたのが前ペラリ(504m)。
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日当たりのいい道だ。
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右手の山はすっかり葉が落ちて黒々としている。
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林道の法面はところどころ崩落していた。
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札幌の大雪が信じられないほどの快晴。
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道は決して悪くなく、さっきも書いたが、軽自動車なら十分入ってこられそうだ。
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通行止めにはなっていないので、実際、侵入してくる人もいるだろう。

左手に見えているのは、おそらく694mピーク。
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巻いて登ってきた400mピークを振り返る。
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一部しか凍っていない水たまり。
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つららがキラキラ輝いていた。
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ペラリ山の山頂らしきピークが見えてきた。
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赤い岩石が露出している。
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林道入口から30分ちょっとで、登山道の入口に到着。
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今まで歩いてきた林道は右へとそれていく。
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かつての駐車スペースが3台分くらいあった。
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ここに「ペラリ山登山口」の標識があったが、「ペラリ山」という文字を見ることができたのは、唯一ここだけだった。
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この先の林床は一面のササ原だ。
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やはり白樺の木はきれいだね。
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上着を脱いでいたO君が追いついてくるのを待って出発。
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まずは前ペラリ(504m)への急登だ。
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標高差100mほどを一気に登る。
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とは言え、中盤はトラバース気味に登るので、それほどきつくなかった。
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大木あり。
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所々に大きな岩が露出していた。
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登山口から20分足らずで、前ペラリに到着。
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もちろん山名板はなかった。
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でも、H君が「前ペラリ」の名が本に書いてあるというので、ここも「登った山」に認定する。

木々の隙間から太平洋が望めた。
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前方にそびえるのがペラリ山。
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ここではとくに休まず、すぐに通過。
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20m弱下る。
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振り返って見た前ペラリ。
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海の方に、たおやかな丘陵地帯が見える。
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谷の並びがとても規則正しい。
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鞍部から頂上までは230mほどの登り。
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静内川流域の眺め。このあたりは全国有数の馬産地だ。
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静内港が見える。
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尾根筋を登っているうちに、何度も右側から古い林道がぶつかってくる。
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かつては、ここでかなり木材の伐採が行われたのだろう。
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対岸の山も林道だらけだ。
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ところどころにぽつんぽつんとある岩はどういう由来のものなのだろう。
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岩や木の種類はほとんど分からない。
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今歩いてきたのは、旧作業道のような気がする。
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遠く、新冠方面。
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694mピーク。
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途中、左手奥に冠雪した山が木々の隙間からかろうじて見えたが、同定には至らず。
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イドンナップ岳(1747m)あたりだろうか。
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だいぶ展望が開けてきた。
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う~ん、すっきり!
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地肌が緑色なのはササのせいである。
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束の間の緩斜面。
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あと15分くらいで登頂というあたりで、陽が陰り、太平洋の方から雲が迫ってきた。
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さっきまであんなに晴れていたのに、あっという間だ。
まさか、午後から雪という予報も当たってしまうのだろうか。

(つづく)
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藤野三豊山(4)

【2017年11月12日(日)】藤野三豊山
登山口から1時間20分かけて、豊平山(663m)に登頂した。
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素晴らしいパノラマだ。まずは撮影に専念。
北西方向に定山渓天狗岳(左、1145m)から烏帽子岳(右、1109m)の山並みが連なる。
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烏帽子岳。その手前に王冠型の神威岳(983m)。
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定山渓天狗岳の右に見える白井岳(1301m)。
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鋭い岩峰の定天。
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その左に余市岳(1488m)。
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西に雲をまとっているが無意根山(1464m)。
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南西に札幌岳(1293m)。
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その手前に簾舞富士(893m)。
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南に空沼岳(1251m)。
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空沼岳(左)から札幌岳(右)にかけての稜線。
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空沼岳の左に恵庭岳(1320m)。
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そして、樽前山(左、1041m)と風不死岳(右、1102m)。
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その左はイチャンコッペ山(829m)。
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さらには紋別岳(866m)。
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東に藤野富士(651m)。
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お隣、豊見山(579m)。
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豊滝方面。
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八剣山(498m)。
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石山の住宅街と札幌ガーデンヒルズGC。
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藻岩山(531m)。
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ちょっとワイドで見てみましょう。
北の方角。
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南東の方角。
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おお、無意根山の雲が取れた。
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360度確認したので、お昼にしましょう。
今日は天ぷらそばと筋子のおにぎり。
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山専ボトルのおかげで、湯を沸かすことなく、カップ麺を食べることができた。

食後、改めて頂上周辺の状況をチェック。
西の方に下っていく踏み跡らしきものがあったが、これは下まで通じているのだろうか。
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山名板の裏に古い山名板が貼り付けてあった。
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これは三角点ではない。
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狭い山頂には我々のほかに都合3人の登山者がいた。
ほんとに人気の山だ。
H君によれば、「今の時期だけ。夏は誰も来ないよ」とのこと。
まあ、それはそうだろう。
みんな、ノーアイゼンで下って行ったが、我々は2分の手間を惜しんで、1か月の怪我をするのもバカバカしいので、ちゃんと履くことにした。
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30分ほどの滞在で、下山開始。
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やはりアイゼンを付けていると安心感が違う。
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閑話休題。キノコ。
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帰りは、女坂。東面コースを下る。
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こちらも結構、雪が積もっている。
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このコースは旧作業道路なので、路面に小さな石がたくさんある。
アイゼンだと、ちょっと歩きにくかった。
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それでも、サクサク下る。
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その途中で遭遇した、影豊平山。
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採石され残した岩かしら。
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豊栄山の方はどこまで削られ続けるのだろう。
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通行禁止を無視して縦走する人は、あのあたりを通るのだろうか。
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烏帽子山(左)と百松沢山(右、1038m)。
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再び、影豊平。さっきよりくっきりしている。
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日蔭の道を黙々と下る。
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まだ13時半を過ぎたばかりなのに、もう夕方の雰囲気。
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岩盤が露出している。
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倒木を越える。
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採石の残骸。
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豊平山での採石はもう止めてしまったみたいだ。
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やっと、平らなところまで下ってきた。
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間もなく、男坂と女坂の分岐に到着。
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ここでアイゼンを外す。
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ああ、歩きやすい。
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横の黒い線が登山道。
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正面は豊見山。
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1.5km下ってきたが
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さらにササの道を行く。
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帰りは申し訳ないが、車道を通ることにした。
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その方が断然早いし、今日は休日なので採石場も営業していない。
おかげで10分ほど短縮することができた。

途中、巨大なダンプカーを発見。タイヤの直径が背丈ほどもある。
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ブルドーザーも配備してあった。
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無残に削られた豊栄山。
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階段状になっている。
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採石工場。
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ここで砕いて砂にしているようだ。
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廃車たち。
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このローリーは現役なのか。
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こちらは完全に現役だろう。
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堆積場の横を通過。
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採石しているのは、安山岩のようだ。
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あとは、登山口へ一直線。
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影が長くなった。
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ゲートを通過。
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14:15に駐車場に到着。豊平山は所要2時間45分だった。
以上をもって、藤野三豊山コンプリートである。

この後は、O君は定山渓のホテルミリオーネの入浴割引券があるというので、そこに行くことにした。
通常1500円がグループ5人まで1人500円になるという。
それは大変ありがたいが、そもそも1500円というのは高すぎるのではないか。
定山渓に着いて、車から出ると、やけに寒い。
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みんな「山より寒いぞ」と震えていた。

駐車場の脇に、「北海道三景之碑」があった。
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小樽新聞社が1923年(大正12年)に、北海道三景を募集したところ、ここ定山渓と利尻山と洞爺湖の3つが選ばれたとのこと。
他の2つは理解できるが、定山渓は果たして「景色」のいいところなのだろうか。
昔はよかったのか、それとも組織票か。
一応「仙境」ということになってはいるが。
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ミリオーネは2001年の暮れに、大同窓会を開いたホテルで、来るのはそれ以来なのだが、全くホテル内の記憶はない。
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3階が大浴場だというので行ってみたが、見ても全然記憶が蘇らない。
まあ、風呂というのはそういうものだけど。

浴室はかなり広くて、たくさん浴槽があったが、北斎の浮世絵に似た「ペンキ絵」のある浴槽に入った。
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体はやはり冷えていたようで、芯から温まる感じで、ほんとにいい湯であった。
露天風呂にも行ってみた。冬の露天は頭がすっきりするのがいい。

先週の温泉でO君が貴重品ロッカーのカギを脱衣所に忘れたまま入浴していた話を、脱ぎながら聞いていたのに、私も忘れてしまった。
入浴中、そのことを思い出して、脱衣所に取りに戻った。
すると、O君も戻ってきて、「おれも忘れたわ」とのこと。
自分で言ったそばから忘れるなんて、しかも彼は2度目。
お互い、年は取りたくない。

上がってからは、2階の休憩室「原生林」で一服。
2人がガラナを飲んでいたが、私はあずきミルク最中(130円)を食べた。
下山アイスである。
しばらく、FB投稿などして遊び、16時頃、ホテルを出た。
まずO君宅に本人を送り届け、私は17時前に帰宅。
H君と来週の再会を約して別れた。

今日は通算6時間近く歩いて、3座ゲット。
最近「登った山」を稼げていなかったので、久しぶりに数が増えた。
ちなみに登った山は1742座となった。

【行程】2017年11月12日
◆豊見山 登山口(8:00)~ニセピーク(8:29)~頂上(8:43撮影8:52)~旧リフト終点(9:19休憩9:24)~登山口(9:28)
※所要時間:1時間28分(歩行時間1時間19分)
※歩行距離:2.0km
◆豊栄山 登山口(9:48)~頂上(10:38撮影10:48)~登山口(11:18)
※所要時間:1時間30分(歩行時間1時間20分)
※歩行距離:2.9km
◆豊平山 登山口(11:30)~林道交差点(11:56)~分岐(12:12着替え12:14)~道路終点(12:41)~頂上(12:48撮影・昼食13:20)~道路終点(13:26)~分岐(13:49アイゼン13:51)~林道交差点(14:02)~登山口(14:15)
※所要時間:2時間45分(歩行時間:2時間9分)
※歩行距離:4.5km
◆合計
※所要時間:5時間43分(4時間48分)
※登った山:3座(豊見山、豊栄山、豊平山)
※歩行距離:9.4km
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藤野三豊山(3)

【2017年11月12日(日)】藤野三豊山
豊見山(579m)、豊栄山(562m)に登頂し、三豊山の最後は豊平山(663m)。
別名、焼山ともいう。
フッズスキー場の駐車場から10分で、登山口である藤野ペット霊園「緑の杜」の前に到着。
ここは豊栄山よりも人気の山で、駐車スペースには、すでに車が2台停まっていた。
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H君のよると、この山の登山道は地元のおじさんが整備してくれているらしく、あちこちに道標が設置してあるとのこと。
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「写真撮りまくりだよ」と笑った。

ここは11時半にスタート。
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登山道に入ってすぐのところに掛けられた手書きの地図によると、登山道はしばらく野々沢川に沿って登り、途中から車道を横断することになっている。
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これを見る限り、車道を通った方が明らかに早いが、車道は基本的に採石場の専用道路なので通行止め。
せっかく登山道を整備してくれたわけだし、もちろん、そちらの方を歩くことにした。
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こちらは三豊山をすべて表記した地図。
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H君の言う通り、とても丁寧だ。
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ここを登り始めたことから、ありがたいことに陽が差してきた。
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左手に砂防ダムが見える。
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ここは砂防指定地なのだ。たった今見た手書きの地図にもたくさん砂防ダムらしきものが書かれていた。
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右手にはさっき登った豊栄山。
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冬枯れの道を行く。
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あと2km。通常だと、それほどの距離ではないが、標高差は400mある。
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ちょっと登ったあと、すぐ河原まで下った。
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最初の渡渉は飛び石が置かれていた。
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全く護岸を固めていない、自然のままの川である。
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でも、水はあまりきれいではない。
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支流の小規模な連続砂防ダム。
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野々沢川本流の2段式砂防ダム。
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O君はいくつも砂防ダムを撮影して、FBに投稿していた。
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同級生の女子に砂防ダムファンがいるのだ。

次の渡渉地点に至った。
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結構な水流があり、渡りやすそうな場所を探す。
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なかなか適地が見つからない。
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それでも何とかクリアして、再び左岸に戻った。
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沢沿いを木橋を渡りながら進む。
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ピンクリボンは沢コースと山コースの両方についていたが、我々は山コースを採った。
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その方が足場が安定している。
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なかなか雰囲気のいいところだ。
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時々、布の切れ端をリボン代わりにしている。
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とにかく、例のおじさんはあれこれと世話を焼いてくれる。
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砂防ダム脇の急登。
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このダムは昭和54年度の工事であった。もう40年近く前だ。
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沢に沿った登山道がかなり長い。
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巨大な礫岩?がごろり。
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またしても砂防ダム。
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給水桝の残骸かしら。
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やっと沢から離れた。
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30分近く歩いたところで車道を横断。
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採石場の専用道路なので通行禁止とのこと。
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道を渡ると、ストックを調整している人がいた。この山で初めて人にあった。
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いよいよここから本格的に豊平山に取り付くことになる。
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右手に豊栄山。
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頂上まで、あと1.5km。
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登山口から850mほど歩いてきたようだ。
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この先しばらくは廃道化した旧作業道路を行くことになるらしい。
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豊栄山の南面は階段状に激しく削られている。
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北面はスキー場だし、満身創痍だ。

作業道路があちこちで交差している。
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とにかく道標&トレースに沿って進む。
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左手に豊見山。
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山頂まで1km地点。ほぼ雪道になった。
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この山は北尾根コースと東面コースがあり、北尾根コースが急登、東面コースは採石の作業道くずれの道なので、遠回りだが、傾斜はやさしい。
要するに男坂と女坂だ。
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我々は登りに男坂、下りに女坂というルートを採った。
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男坂も最初はなだからだ。
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大きな岩が迫ってきた。
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頂上まで、あと500m。
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尾根へと登っていく。
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尾根に着くと、豊栄山方向に「通行禁止」の警告。
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豊平山と豊栄山とは尾根続きなので縦走する人もいるらしいが、柵を越えて採石場の中を突破しないといけないので通行が禁じられている。
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危険だから通行禁止というなら自己責任で行っても法的な問題はないかもしれないが、私有地に侵入するのは完全にアウトだろう。

尾根に達するといきなりきつくなった。
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背後に豊栄山が見える。まるで秩父の武甲山だ。
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札幌市街のビル群も見えてきた。
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あと300m。近いようで、かなり遠い。
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藤野登山口のほかに簾舞登山口もあるらしい。
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急登に次ぐ急登である。
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撮影しながらじゃないと息が切れる。
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ロープや木に捕まりながら、必死だ。
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里山あなどりがたし。
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やせ尾根20分のアルバイトで、やっと女坂と合流。
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ここが旧作業道路終点という位置づけになっている。
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何とも言うが、豊栄山への縦走は禁止である。
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ここから頂上まで、あと110m。
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この先がまたさらなる急登だった。
雪が付いているので、つかまる木がないと本当に大変だ。
でも、体力的にはそれほどきつくなく、あせもほとんどかかなかった。

右手に下りていく道のようなところに「通行禁止」の文字。
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これが簾舞登山口からの道なのだろうか。

やっと頂上らしきものが見えてきた。
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12:48、豊平山に登頂。
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ずっと木陰だったのが、いきなり日なたに出たので、ぽっかぽか。びっくりするほどだった。
大抵頂上に出ると風が強かったりして寒いのに、頂上が暖かい山は初めてだ。
しかも眺望はほぼ360度。
札幌周辺の山はほとんど見えた。

(つづく)
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藤野三豊山(2)

【2017年11月12日(日)】藤野三豊山
豊見山(579m)から豊栄山(562m)に車で転戦。
10分ほどで登山口のフッズスキー場に到着した。
ここはちょっとした高台にあって、駐車場からの眺めがいい。
北東に藻岩山(531m)がよく見える。
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真北には市民の森の山並み。
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その左に砥石山(826m)。
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砥石山(右端)を含め、北西方向の峰々。
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フッズスキー場の拠点は札幌市藤野野外スポーツ交流施設。
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車を駐車場に置いて、アイゼンを手に持って出発した。
ここでH君がトイレに入ろうとしたが、開いていなかった。
仕方なく、そのまま出発。

この案内図に言うところのクリスタルコースを登っていく。
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もちろん、まだスキー場は営業していない。
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このゲレンデをひたすら登っていくことになる。
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リフトのあるクリスタルコースからマイルドコースに転じていく感じだ。
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振り返ると、硬石山。
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藻岩山を裏側から見るのも新鮮だ。
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実際はゲレンデを直登しなくても、作業道がずっと続いていたので、その道をたどって行った。
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となるとアイゼンは使わないで済みそうなので、みんなでザックにしまった。

20分ほどでクリスタルコースを登り切った。
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眼下に、旧国立療養所札幌南病院。今は閉鎖されている。
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藤野に展開する住宅地。
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その背後の山肌で工事が行われている。山崩れでもあったのだろうか。
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北西に、神威岳(983m、手前の王冠形の山)と烏帽子岳(1109m)。
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そのさらに左に、定山渓天狗岳(1145m)。
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砥石山(右)から烏帽子岳(左)にかけての稜線。
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奥の突起は百松沢山(1038m)だろうか。
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砥石山の右肩から三角山が覗く。
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これは小天狗岳(765m)かな。
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烏帽子岳(右)から定山渓天狗岳(左)。
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その中央に八剣山(498m)。
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雪がついた山々は、白黒のツートンカラーだが、とても美しい。

石山の住宅地の背後に藻岩山(左)と硬石山(右)
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遠くに見えるビル群は新札幌あたり。
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教会のように見えるのは、歯科衛生士の専門学校、池見学園。
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奥は白川浄水場。
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山並みと住宅地の全容。
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3人ほどの足跡があるので、先行者がいるようだ。
でも、下り方向の足跡もあるので、もう下山しているのだろう。
でも、上を見ると、3~4人の登山者の姿が見えた。
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下山者を1人と仮定すると、我々も含めて、今日の登山者は計約8人。
こんな天気なのに、わりと人気の山だ。

しばらく登ると、下山してくる先行者とすれ違った。4人グループだった。
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右手前方に簾舞富士(893m)。ナイフの刃のようだ。
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札幌岳(1293m)は簾舞富士と完全にかぶってしまって見えない。
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ゲレンデの向こうに烏帽子山。
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さっきより少し登ると、簾舞富士の上に札幌岳が姿を現した。
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稜線の鞍部から狭薄山(1296m)がちょこんと覗いている。
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そしてお隣の豊平山(663m)。
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ふもとから45分ほどで頂上直下のリフト終点に到着。
ここのトイレも当然閉鎖中。
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その後ろに頂上に通じる階段が設置してあった。
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登山者なんて金にならないのに、なんて親切なスキー場なんだ!と感心したけれど、O君曰く「このテレビアンテナのメンテ用じゃないの」。
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「なんだ、そゆこと?」
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そうだよなあ、ほとんど金を落とさない登山者に、そんなサービスをするわけがない。

まあ、そういうことで、豊見山のような苦労をすることもなく、50分で登頂。
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ここも木が生えていて、すきっとした眺望ではなかったが
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恵庭岳(1320m)が見えて感激した。
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そして樽前山(左、1041m)と風不死岳(右、1102m)も。
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アンテナが立つのは紋別岳(866m)だ。
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O君がお腹が空いたというので、私からはチョコを提供。
H君からは、すあまが配布された。
ここの山名板は杭がなくなって、木の枝に掛けてあっただけなので、手に持って撮影。
15分ほどで出発した。
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階段を下りると、ダイナミックコースのリフト終点なので、そこから北側の展望を楽しんだ。
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石狩平野の向こうに冠雪した樺戸山地が望める。
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その左に白く浮かんでいるのは増毛山地か。
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それとも、さらに左のうっすらとしか見えないのが、そうなのか。
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札幌の市街地。あちらの方は晴れている。
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札幌ドームだ。
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うっすら雪が積もったフッズスキー場のゲレンデ。
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素晴らしい眺めだった。

右側には使用されなくなったリフトの残骸が見えた。
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ここから一気にふもとまで下るダイナミックコースのゲレンデを、スキーヤーのO君は下りたがった。
が、あまりに
ここはO君が少年時代によく滑ったゲレンデらしい。
でも急すぎて、アイゼンが必要そうだったので却下。
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付けたり外したりが面倒だからだ。

でも一段下ったマイルドコースは斜度もそれほどきつくないで、ここを下ることにした。
これでO君の希望も達せられるし、私の嫌いな完全ピストンも避けられるから一石二鳥だ。
それにしても、真正面に札幌近郊の山々を見ながら下れるなんて、とっても贅沢だ。
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でも、それなりに急な坂なので、蛇行しながら注意して下った。
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今度はこちらから恵庭岳がくっきり見えた。
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かなり下ったところで、O君が誤って溝にはまり、足をねじったが、大事なかったようだ。
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ここで怪我でもしたら、スキーのインストラクターができなくなってしまうので助かった。

リフトの下に池塘を発見。スキーシーズンには雪に埋もれてしまうのだろうけど。
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右手に見えてきたリュージュ競技場の壁は廃墟のように見えたが、今も現役で、北海道では唯一のコースらしい。
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札幌五輪のときは、練習コースとして使われたのだとか。
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今は競技人口もかなり少ないだろう。
ちなみに前回ソチ五輪の日本代表選手は、当時札幌学院大学4年の金山英勢選手一人だけだった。

11:18、出発からちょうど1時間半で無事に下山。
外のトイレは閉まっていたが、スポーツ交流施設は開いていたので、そこのトイレをお借りした。
ロビーにスキー場の模型が展示してあった。
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次は最後の豊平山。すぐに車で移動し、登山口に向かった。

(つづく)
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藤野三豊山(1)

【2017年11月12日(日)】藤野三豊山
11月ともなると、北海道で登れる山は限られてくる。
この日は、H君の提案で札幌・藤野地区にある3つのピーク、豊見山(579m)、豊栄山(562m)、豊平山(焼山、663m)、いわゆる藤野三豊山を登ることにしていた。
しかし、週間予報では曇りのち雨か雪という状況だったので、晴れマークの付いている胆振・日高地方の山を代案として提案したところ、稀府岳を登ったばかりのO君は「近すぎるので、別のところがいい」と気が進まない様子。
そこでH君は、では日高のペラリ山(691m)はどうか、との対案を出してくれた。
しかし、ペラリ山までは片道3時間はかかる。
ちょっと遠いので、車を出すことになるH君にまた負担をかけてしまうのが心苦しい。

ともかく当日は一応、藤野三豊山とペラリ山、両にらみということで出発することにした。
藤野三豊山だけなら、そんなに急ぐ必要はないが、ペラリの可能性もあるので、藤野のO君宅に6:30集合ということになった。
H君に6時に私の家に迎えに来てもらい、そのままO君宅へという形だ。

直前の札幌の天気予報では、朝のうち雪が残るが、午前中は曇り、お昼頃から晴れるという。
その予報通り、H君が迎えに来てくれた6時には結構激しくあられが降っていた。
車内で「これはペラリだねえ」と言うと、H君は「いや、日高の低山は雪が降るのが遅いのでとっておきたい。このあたりはすぐに雪になってしまうから、O君宅で少し様子を見てから藤野三豊山にしたい」との意向。
当方に異存はないので、その言葉に従った。
セブンイレブンに寄ってもらってから、6時半前にO君宅に到着した。

O君はすでにザックと風呂道具を玄関に置いてあり、準備万端。
でも、こちらの意向を伝え、しばらく待機することになった。
O君は今、実家の一軒家で、一人で住んでいる。
家族の写真がたくさん飾ってあった。
窓からは藤野富士(651m)と豊見山が望める。
私はここで、さっき買ってきたパンを2個食べた。
時々、外を見ると、青空が覗き始めているが、雪は依然としてちらつている。

でも、完全に止むのを待っていたら何時になるか分からないので、小止みになったタイミングで、7時半すぎに出発することにした。
現地で靴を履いたりするのは寒いので、玄関で登山靴を履き、スパッツも装着しておいた。

車は札幌藤の沢すずらんゴルフ場の入口を右折、小鳥の村スキー場跡の中を通過していく。
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正面に豊見山が見えてきた。
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左手に、崩れかけたロッヂの廃屋があり、撮影のため、H君が車を停めてくれた。
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なのに、肝心の写真が保存されていなかった。がっくり。
まあ、近くなので、また撮りに行けばいいや。

間もなく、登山口に到着。
路肩が広くなったところがあり、車はそこに停めた。
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もちろん先行者などいない。

振り返ると、小鳥の村スキー場の使われなくなったリフトが道路を跨いでいる。
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木々の向こうに見えるのは藤野富士。
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ここで、ほんとに軽くストレッチ。
8時ちょうどに出発した。
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登山口には、ちゃんと「豊見山登山口」という標識が木にくくり付けてあった。
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まずは、もう林になってしまったスキー場のゲレンデを登っていく。
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積雪は3cmほど。
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藤野富士が木の上に姿を現してきた。
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3分で、旧リフトの終点に到着。
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ここから藤野富士の全容を確認することができた。
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その裾野にある霊園「藤野聖山園」にH君のお父様が眠っているそうだ。
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ここから本格的な登山道。
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しっかりと道標がある。
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「➡10」の意味は謎。
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雪の積もったササの道を進んでいく。
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湿った地面に積もった落ち葉の上にさらに雪が数cm積もっているので、急傾斜の箇所ではかなり滑った。
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こんな状態だと、下りは危険なので、アイゼンを付けなければ。
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途中で暑くなったので、中に来ていた長袖を1枚脱ぐ。
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冬用の帽子も夏用に換えてしまった。

それにしても猛烈な急勾配である。
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すぐ先に見えるピークが頂上だと思って急坂を登ったが、そこはニセピークで、頂上はさらに先だった。
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束の間の緩斜面。
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右手に階段状に削られた豊栄山が見える。
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緩斜面の後には、また滑りやすい急坂が待っていて、かなり難儀した。
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さらには、突然風が強くなってきて、耳が冷たい。
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帽子を換えたのは失敗だった。

サルノコシカケ。
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雪をかぶっている子もいた。
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ニセピークから15分近く歩かされて、やっと頂上直前のアンテナに着いた。
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ここまで来れば、あとはほぼ平らだ。
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8:43、無事に豊見山に登頂。
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たった1kmの距離に45分近くかかった。
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立派な山名板があったが、眺望は今ひとつ。
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でも冬枯れで葉っぱがないので、木々の隙間を通して、この後に登る豊栄山や豊平山を見ることができた。
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頂上はそれほど風が強くなく助かった。
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撮影とアイゼン装着を済ませて、10分ほどで下山。
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やはりアイゼンはよく効く。
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H君と私は6本爪だったが、O君のは4本爪で途中、爪が靴の横にずれたりしていた。
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やはり6本の方が安定する。
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それにしても、やはり下りは速くて、楽ちんだ。
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アイゼンの爪に何度も落ち葉が突き刺さって、除去するのが面倒だったけど。
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下っている途中で、青空が見えてきた。やはり天気予報はよく当たる。
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ニセピークからしばらく下ったところで、O君が「ごめん、○んこするわ」と言って立ち止まった。
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山に入ったら絶対出ないH君は「よく出るねえ」と感心しきり。
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2人でゆっくり先に行くことにする。
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考えてみれば、この山は完全ピストンだった。
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旧リフト終点で、彼を待った。
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さっき登った男坂ではなく
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女坂を下ったら、古い除雪機のようなものが打ち捨てられているのを発見した。
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O君の○んこは今日3回目だそうだが、昨日の飲み会で火鍋を食い、しこたま飲んだというので、間違いなくそれが原因だろう。
登りの頂上手前で催して、しばらく我慢していたらしいが、もはや限界だったようだ。
利尻富士の地獄を思い出していたことだろう。

リフト終点の広場状のところで、藤野富士を眺めながら、このスキー場はいつ廃業になったのか想像してみた。
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白樺の木の直径が10cmくらいになっているので、20年は経っているのではないか。
でも、帰宅して調べてみたら、2004年の廃業だから13年しか経っていないことが判明した。
白樺は成長が速いらしい。

それはともかく、この山の中ではここが一番、眺望がいい。
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藤野富士の左にあるピーク(460m)はなぜ、あんな網目模様のように林道が走っているのか。
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南西奥に見えているのは鞍馬越(808m)だろうか。
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O君が追いついてきたところで、3人そろって下山再開。
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旧ゲレンデを下る。
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あれが今登ってきた豊見山。
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9時半前に登山口に戻ってきた。
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ここでアイゼンを外し、豊栄山の登山口であるフッズスノーエリアスキー場まで車で移動した。

(つづく)
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三江線(9)

【2017年10月29日(日)】三江線
三江線、芸備線の乗り鉄を終え、呉線に突入している。
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読めないけど、坂駅。
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あ~右側にとうとう島が見えてきたが、席は左側だ。
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小屋浦駅。もういや。
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吉浦駅。
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なんだか分かりませんが、続けて参ります。
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もう、ぼろぼろ。
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呉駅通過。
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呉の町並み。
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安芸阿賀駅。
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新広駅。
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12:14、広駅に到着。
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乗り継ぎ時間は3分。
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12:17発の三原行きに乗り換える。
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残念ながら、ロングシートだったが、もうお腹ペコペコなので、ひざの上に弁当をのっけて食べることにした。
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清盛瀬戸の彩り弁当である。
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私はこういう幕の内っぽくて、おかずがたくさんある弁当が好きなのだ。

安登駅。
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安浦駅。
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合わせて竹原駅。
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大乗駅。
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忠海駅。読みは「ただの海」である。
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向かいの席が空いたので海側に移った。
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でも、レールウェイマップルを忘れてしまったので、見えているのが何島なのか、さっぱり分からない。
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大きな島は大三島だろうか。
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安芸幸崎駅。
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海岸沿いを車と並走。
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抜かします。
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須波駅。
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どうやら雨は止んだようだ。
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あれが名所の筆影山なのかな。
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13:44、三原駅に到着。
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呉線は乗り換え時間も含めちょうど2時間半の旅だった。
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ここから新幹線に乗ってもいいのだが、時間もあるし、特急料金節約のため、福山まで山陽本線で行くことにした。
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福山行きは11分の待ち合わせで13:55発。
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こちらも比較的すいていた。
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この先はあまり駅にはこだわらず、純粋に車窓を楽しむ。
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ホワイトセメント。
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糸崎駅の車両基地。
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三備アルミ。
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備後みかん共同選果場。
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対岸に因島方面が見えてきた。
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そして、あれは因島大橋。
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望遠で。
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あこがれの尾道。いずれは来てみたい。
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東尾道駅。
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松永駅。
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備後赤坂駅。
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そして14:28、福山駅に到着。ここまで石見川本から7時間余。
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JR西日本は2015年に山陽新幹線が全線開業から40周年を迎えたのを記念して、テレビ放送開始から20周年を迎えた「エヴァンゲリオン」とコラボ。
同年11月から「新幹線:エヴァンゲリオン・プロジェクト」を始動している。
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「エヴァンゲリオン」庵野秀明監督の監修のもと、メカニックデザイナーの山下いくと氏がデザインした「500・TYPE-EVA」車両を運転しているそうだ。

福山から14:46発のさくら554号新大阪行きに乗る。
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JR西日本の新幹線に乗るのは初めてだ。

この駅のホームからは、すぐ後ろに福山城が見える。
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随分、昔に入城したことがある。懐かしい。
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新幹線が来るまで、じっくりと鑑賞した。
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向かいに入線したのは、のぞみ27号博多行き。
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そして、わが方にも、さくらが到着した。
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「のぞみ」で運行しているN700系を基本に、「寛ぎ」「安らぎ」をさらに進化させた新幹線で、JR西日本とJR九州が共同で開発したものだそうだ。
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では、乗り込みましょう。
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乗り継ぎ時間が18分あったので、ちゃんと呑み鉄の用意もできた。
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さくらについては自由席だったが、楽勝で座れた。
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車内では、パソコン作業をしたり、居眠りをしたり。
新大阪には15:48に到着。
ここで、のぞみに乗り換え。
しかし雨の影響で、新幹線に遅れが発生。
でも、結局20分程度だったので、飛行機には乗り遅れずに済んだ。

羽田空港でまだ時間があったので、晩御飯を食べていくことにした。
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この垂れ幕に誘われて、野菜のあまみ「たっぷり」タンメンを注文。
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野菜好きにはたまらなかった。

東京五輪まであと1000日を切りました!
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というわけで、予定通り20:15発のANA4737便に搭乗。
例によって帰宅は日付変更ギリギリになってしまった。
本日は乗り物に乗りっぱなし。JR在来線、新幹線、京急線、飛行機、地下鉄と乗り継ぎ時間も含め15時間近くに達した。
それでも全然飽きなかった。
これにて、苗場山赤湯温泉から始まった1週間に及び旅は無事に終了。
半分は雨にたたられた感じだったが、内容の濃い旅であった。

(おわり)
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三江線(8)

【2017年10月29日(日)】三江線
昨日の三江線駅舎めぐりを終え、本日は改めて三江線完乗を目指す。
すべての駅を撮り終えているので、車内でカメラを持ってあちこち移動しながら写真を撮るという落ち着かない行動をしなくて済む。
やはり、50代の大人としてはどっしりと構えていたいものだ。

昨夜から泊まっている石見川本駅前の旅館みかみ。
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7:02発の列車に乗るため、6時半に起床した。
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歯を磨き、顔だけ洗って出発。
昨夜は疲れていたので、すぐ寝てしまったが、今朝はちょっとだけ内部を探検。
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6:45に宿を出た。会計は4968円。田舎の宿の素泊まりにしてはやや高かった。
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今日は昨日にも増して、しっかり降っている。
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和菓子の店、表日進堂。
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駅の真正面。
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本日の石見川本駅。
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昨日は見逃していたが、こんな豆知識をPRしていた。
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時刻は6:58。まだ列車は入線していない。
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先に浜田行きが入線。ここで行き違いをするようだ。
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三次行きもやってきた。
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定刻通りの到着である。
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日曜日だというのに、それほど混んでいない。
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やはり広島側から乗る人が多いのだろう。

乗ってはみたものの、雨で窓が濡れており、あまり写真を撮る気にならない。
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天気も悪く、景色もくすんでいる。
とにかく、朝食のパンをむしゃむしゃと食べた。

7:14、竹駅を通過。
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列車は江の川沿いをゆっくりと進む。
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すぐ横を、昨日車で走った道が寄り添っている。
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乙原駅を過ぎた先にある橋。
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道路橋を見下ろす。
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晴れていれば、もっときれいな写真が撮れるのだけど。
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粕淵駅通過。座った席の前に駅名標がちょうど来た時だけ、駅の写真は撮った。
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浜原駅で再び行き違い。
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潮駅でカメラを抱えた雨具姿の撮り鉄さんたちがたくさん乗ってきた。
昨夜は近くの潮温泉大和荘に泊まり、この列車を狙っていたのだろう。
このグループの中に、母子らしき2人がいた。
息子は20歳くらいだろうか。
撮り鉄だけでなく、録り鉄でもあるようで、車内アナウンスをスポンジ付きのマイクで収録していた。

もう何だかよくわかりません。
CIMG2861_20171202131553235.jpg

8:07、石見都賀駅通過。
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「天空の駅」宇都井駅では、みな窓の曇りを拭いて、盛んに写真を撮っていた。
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こちらが、お母さんの方。母と息子でテツというのも珍しい。
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この駅でも、ホームで待ち構えている人がいた。
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宇都井駅の先のトンネルを抜けると鉄橋。
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浜原~口羽間は1975年(昭和50年)に開通した比較的新しい区間だけに、トンネルと鉄橋が多く、なるべく短距離でつなごうとしている意図が伝わってくる。

江の川はどこまで遡っても川幅が広い。
CIMG2864_2017120213152813a.jpg

信木~所木間あたりは渓流区間。
CIMG2868_20171202131529ada.jpg

長谷駅手前の堰堤。
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真横を通過。
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三次駅に近くなると、いつの間にか、こんなに乗っていた。
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下車する前にトイレも済ませておいた。
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9:21、三次駅に到着。列車は、折り返し10:02発の石見川本行きとなる。
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約2時間20分の乗車であった。

三次駅は福塩線、芸備線も乗り入れる交通の要衝だ。
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ここで私は芸備線に乗り換える。
DSC_1574_201712021310491b3.jpg

乗り継ぎ時間は7分。
DSC_1575_20171202131051db2.jpg

乗り換えるだけなら楽勝だが、あちこち写真を撮りたい私には足りない。
ボックスの窓際の席がなくなると困るので、早めに芸備線の列車に乗った。
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しかし、三江線から芸備線に乗り換える人はほとんどおらず、ガラガラだった。
DSC_1578_20171202131054e20.jpg

余裕で窓際に陣取り、おやつの柏餅をいただく。
DSC_1579_20171202131055886.jpg

西三次駅通過。
CIMG2872_20171202131506a9e.jpg

志和地駅で列車交換。
CIMG2873_20171202131507a86.jpg

芸備線は駅舎めぐりをしていないので、極力、駅名標の写真を撮っておく。
CIMG2876_201712021315093af.jpg

しかし、窓の汚れと雨のため、もちろん、ろくな写真にならない。
CIMG2877_20171202131438c8f.jpg

ほとんど、乗りましたよという証拠の意味しかない。
CIMG2878_20171202131439e7b.jpg

でも、努力の跡をみてください。
CIMG2879_20171202131441a95.jpg

何山かは不明。
CIMG2881_20171202131442003.jpg

すでに広島市内に入っている。
CIMG2882_2017120213144456b.jpg

白木山駅のある白木町は1973年に広島市に編入された。
CIMG2883_20171202131412dee.jpg

狩留家駅。「かるが」と読む。
CIMG2884_20171202131413278.jpg

ここで少々停車時間があったので、駅舎の写真を撮るべく、雨の中を走った。
CIMG2885_201712021314154b7.jpg

これはホーム側の駅名板。
CIMG2886_20171202131416e50.jpg

待合室。
CIMG2887_20171202131418f2c.jpg

わりと昔ながらの雰囲気を残している。
CIMG2888_2017120213134846c.jpg

乗り遅れないように、急がなくては。
CIMG2891_20171202131349da0.jpg

まあ、行き違いの列車が来るまでは大丈夫だけど。
CIMG2892_201712021313511f8.jpg

下深川駅。シャッターを押すのが一瞬遅かった。
CIMG2894_2017120213135209f.jpg

このあたりから乗客が増えてきた。
CIMG2895_201712021313546fa.jpg

駅もだんだんローカル線ではなく、近郊路線の雰囲気に。
CIMG2896_201712021313205aa.jpg

今となっては何駅なんだか。
CIMG2897_20171202131322305.jpg

というわけで、11:14、広島駅に到着。
DSC_1580_201712021310250d8.jpg

芸備線1時間46分の旅であった。
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ここで私は大失態を演じてしまった。
芸備線の列車の中に、レールウェイマップルを忘れてしまったのである。
DSC_1582_2017120213102866c.jpg

気づいた時には、すでに駅弁を買い終えて、呉線に乗る直前だった。
DSC_1583_20171202131030c58.jpg
もう、取りに戻る時間もないので諦めるしかなかった。
発売されてから随分経っているし、もう在庫はないだろうなあ。

失意のまま、呉線の11:30発安芸路ライナー広行きに乗車。
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こちらはかなり混んでいた。

何も考えずに開いていた左側の窓際に座ってしまったが、これも失敗だった。
DSC_1585_201712021310115bf.jpg

なぜなら、海が見えるのは右側だったからだ。
CIMG2898_201712021313233c3.jpg

快速なので、いくつかの駅はすっ飛ばしていく。ここは天神川駅。
CIMG2899_20171202131324b8f.jpg

その天神川。
CIMG2900_201712021313267ea.jpg

海田市駅。
CIMG2903_201712021312482e3.jpg

ここから山陽本線とは分かれて、南へと向かい
CIMG2905_20171202131249b53.jpg

瀬野川を渡った。
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(つづく)
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