【2017年5月14日(日)】権現岳
乙女の水で水を補給して青年小屋に戻ってきた。

玄関前のブランコでくつろぐY君。

前回O君と来たときは、ここでラーメンを食べたっけ。

間もなく、昨日の夜部屋で騒いでいたと思われるグループが出てきて、また騒ぎ始めた。

それには構わず、小屋をバックに記念撮影をして、6:30に出発。

もともとは7時発の予定だったので、最初から30分貯金ができた。

編笠山(2524m)さん、ではまた!

権現岳(2715m)まで1時間半とのことだが、もう少しかかりかも。

最初は雪道であることは分かっていたが、樹林帯を抜けたら雪がなくなることが予想できたし、登りだから大丈夫と判断して、アイゼンは付けなかった。

結構、雪は残っていたが、結果としてはやはり付けなくてよかった。

わずかに登っただけで、振り返ると編笠山が全容を現した。

その左には2週間前に登った地蔵岳(2764m)が雲海の上に浮かんでいる。

富士山はちょっと残念な状況。

間もなく、坂は急になり、早くもH君、Y君が悲鳴を上げ始めた。

でも、すぐに北アルプスが見えてくると、悲鳴は歓声に。

やはり眺望があると元気になる。

ただし、雪道の急登は容赦なく続く。

でも、我々はみな北海道育ち、このくらいの雪は苦にならない。

ノロシバ手前の岩場で南アルプスも見えてきて、しばし撮影タイム。

北岳(3193m)が姿を現した。

その右には甲斐駒(左、2967m)と仙丈ヶ岳(右、3033m)。

編笠山との位置関係はこうなっている。

それにしても見事な雲海だ。

編笠山への登山道が一直線に頂上へ続いているのが分かる。

その右奥には中央アルプス。

そのさらに右は雲海の向こうに御嶽山(3067m)が霞む。

槍・穂高連峰もばっちり見えた。

みんなで代わる代わる撮っているうちに、後発隊が追いついてきたので出発。

間もなく、ノロシバに着くと、360度の大パノラマが広がった。
すぐ西に西岳(2398m)。

北西には霧ヶ峰(1925m)と、その向こうに美ヶ原(2034m)。

南西には、入笠山(1955m)のスキー場。ハート形だ。

その向こうは中央アルプス。

北に蓼科山(2530m)と北横岳(2480m)。

南は南アルプス。左から北岳、甲斐駒、仙丈ヶ岳。

南東に富士山。右の小島は毛無山(1964m)だろう。

正面にはギボシの前山。

その左に阿弥陀岳(2805m)。

北東に目指す権現岳(2715m)の頂上が見える。

眼下は深く切れ込んだ谷底だ。

どれが何山なのか、みんなに丁寧に説明してあげた。
ここは5年前に初めて来た時、長い雨の後やっと富士山が見えて感激したところだが、今日はなぜか頂上付近が霞んでしまった。
これは、どういう気象現象なのだろうか。
撮影しているうちに、さっきの後発隊3人も到着。
先頭の女性がリーダーのようで、彼女だけ小さなザックを背負い、あとの男2人は空身だった。聞くと、やはり権現岳ピストンだそうだ。
我々は先に出発。

まずは、ちょっとだけ下る。

下り切ったところから、ノロシバを振り返る。

再び雪道に突入。

左手は鋭い岩峰になってきた。


残雪の稜線を歩いたりして、ちょっと緊張。

でも、みんな上手にクリアしてくれた。さすが雪国育ち。

さっきの3人も後を追ってくる。背後は西岳。

編笠山と南アルプスの北端部。

いよいよ眼前に岩場が迫ってきた。

ここを登るわけではないけど。

それでもY君、H君、M君には未体験ゾーンだ。

かなり急なガレ場である。

右手に、後ほど歩く木戸口の尾根が見える。

Y君からは「これぞ登山だねえ。これはもう上級の下でしょう」と、得意のセリフが飛び出した。

でも、威勢のいい発言の直後に息切れ。

早くも休憩だ。

ひと息ついてから、クサリ場に挑戦。

「クサリは一人ずつ、体重かけないで、あくまで補助ね」と後ろから声をかける。

後日、H君は何度かあった同期の飲み会で「Kに怒られたよ」と、繰り返しうれしそうに語っていた。

でも、確かにここの登りは彼らにとっては、初めてのアルペン体験だったことだろう。

だんだん、権現岳が近づいてきた。

西岳方面の雲海。

クサリ場を振り返る。確かにここはヘルメットがあった方がよかったかも。

編笠山と南アルプス。

鳳凰三山。中央に地蔵岳のオベリスクがくっきり。

急登の途中、2度の休憩を入れた。

ちょっと体重のあるH君とY君には、さすがにきついみたいだ。

急登をクリアすると正面にギボシが雄姿を現した。

その左に阿弥陀岳。奥には蓼科山も見える。

ササの稜線を進む。

再び、残雪の稜線。

アイゼンなしのま、ここも慎重に通り抜けた。

振り返ると、結構な絶壁だ。

でもM君は余裕の撮影。

左手の阿弥陀岳。

ギボシは巻くことになる。

こんなところは登れない。

雪の稜線を振り返る。

ギボシを巻く終盤のへつり。

結構怖い。

でも、みんな危なげなくクリアした。

編笠山とさっき越えた小ピーク。もう少し登りは続く。

(つづく)
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【2017年5月13日(土)】権現岳
押手川を渡渉したすぐ先で、急いで昼食を済ませ、12:10に出発。
再び水との格闘が始まった。

このあたりで気づいたのだが、なんと山旅ロガーが最初の1kmで途絶えている。
雨に濡れて、私が誤操作をしてしまったのか。
雨で写真がほとんど撮れないため、何時にどこにいたのかを振り返るには山旅ロガーが頼りだったのに、痛恨事であった。
標高2200mに達すると、登山道はほぼ雪に埋もれてしまった。

今度は踏み抜きとの戦いである。

そんなに頻繁ではないが、たまにズボっといってしまう。

H君もY君もスパッツがなかったので、靴の中に雪が入ってしまって、かなり足が冷たかったことだろう。

沢に雪が残っているところはもう水没を避けようがない。

靴がびちょびちょになってしまった。
最後の100mほどの登りの途中で、少なくとも70歳は超えていると思われる女性2人に追いついた。
「あんな年で、こんなところを登るとは」と、H君もY君も驚いていた。
この時点で、われわれ3人は、前方を行くO君、M君、Dさんに大きく離されていた。
O君はゴールが近くなるとピッチが上がるクセがある。
早くビールが飲みたいからだ。
それはともかく、今回はH君の方が少々グロッキー気味。
ももがぴくぴくして足が上がらないようだ。
少し歩いては休むを繰り返しているうちに、さっきの高齢女性に追いつかれてしまった。
それでも、何とか3時間ちょっとで青年小屋にたどり着いた。

やっと屋根のあるところで落ち着けるわい。

と思ったのだが、ちょっと困ったことが。
玄関に入ると、宿泊者の濡れた雨具や衣類が大量に干してある。
我々が着いたのはまだ午後1時半前なのに、もうびっしりでハンガーすらない。
談話室の中に入って、「濡れたものを干したいんですが」とスタッフの女性に告げた。
すると、「ハンガーを使ってください。ない場合はスタッフに申し付けてください」と言う。
「いや、ないから言っているんです」
「そうですか。いくつ必要ですか?」
「雨具の上下や衣類など、みんな濡れているので、1人4本として24本くらいお願いします」
「それは無理です。1人1つでお願いします」
「先に入っている人も1人1つなんですか? そうは見えませんが」と少し強く言ったが、
「あとで乾燥機を出します。乾いた人は取り込んでもらいますから」とひるまなかった。
そんなやりとりがあり、釈然としないものの、とりあえず1人1つで我慢することにした。
みんなにハンガーを渡して、ようやく受け付け。
1人8500円の6人分、計5万1000円をまとめて支払った。

夕食、朝食とも5時半からとのこと。
部屋は、予約した時の約束通り6人で個室を与えられた。
8人分の布団が敷いてあったが、とりあえず2人分はよけて、活動するスペースを確保した。
部屋には暖房がないので、とにかく寒い。
濡れた服のままだと風邪を引いてしまうので、あわてて下着も上着も着替えた。
全員着替えたところで、早速酒宴といきたいところだが、それぞれ石油ストーブとこたつのある2つの談話室はどちらも先客が占拠している。


(翌朝撮影)
「ちょっとスペースを空けてください」とお願いすれば詰めてくれるかもしれないが、もうかなり酔っぱらっている様子。
声もうるさいので、あんな部屋には行きたくなかったが、寝室ではやはり寒すぎる。
ストーブを少しずらして、板の間にスペースを確保しようとしていたら、4人ぐらいのグループが「もう引き上げますから」と言って退出してくれたので、何とかテーブルを囲んで座ることができた。
そのグループにいた女性は選挙の候補者のようなキラキラのたすきをかけていて、テーブルにはケーキがのっていたので、もしかしたら誕生日のお祝いでもしていたのかもしれない。
H君がわざわざ担ぎ上げてくれたビールはなぜか温くなっていたので、小屋で缶ビールを3本購入(1本500円)。H君のビールは窓際に置いて冷やしておいた。
まずはビールで乾杯。あとは、私が持ってきた焼酎と日本酒、O君持参のウイスキーで、どんどん隣のグループに追いついていった。
O君はピッチが速く、早々に酔っぱらってY君にくっつき始めていた。
今日はここで餅つき大会があるとのことで、3時ごろ会場の食堂に行ってみた。

大量の餅が生産されており、突きたてのお餅がみんなに振舞われた。

あんころもちにして食べておいしかったが、夕食もあることだし、1個で我慢しておいた。
もう夕食の準備も進んでおり、こんな皿がたくさん並んでいた。

タラの芽も大量に。

これは夕食が楽しみだ。
わくわくしながら再び談話室に戻って、夕食の5時半まで延々飲み続けた。

5時半になって夕食に呼ばれて、改めてびっくり。
山菜(タラの芽、ウドの葉っぱ、コシアブラ)のほか、藤やニセアカシアの花もてんぷらで。
鶏肉に馬刺しもある。

藤の花なんて食べられるのかと思ったが、これが淡白でなかなか美味しい。

こちらはお惣菜の数々。

しかも日本酒が一升瓶でどんと置いてあり、これはサービスだという。

そばもあるし、みんなおいしくて、ガツガツ食べて満腹。

晩餐のメニューを見せてもらったら、こんなにあった!

ふきみそのおにぎりは食べ切れなかったので部屋に持ち帰った。
こんな豪勢かつ贅沢な山小屋の料理は初めてだ。みんなも大満足である。
これが普通だと思われてしまったら大間違いなんだけど。
でも、雨の中、氷を踏んで登ってきた苦労が報われたというものだ。
晩餐は8時近くまで続いたが、飲み過ぎたO君がおねむなので、部屋に戻り、みんなそのまま就寝。
Y君などは「8時になんか眠れないよ~」と言っていたけど、あっという間に沈没していた。
向かいの部屋のグループは消灯の10時まで騒ぎ続けているし、さっきの乾燥機が寝室の暖房代わりにたかれて、私のすぐ横でゴーっと轟音を立てていて、しばらく気持ちよく眠れなかったが、朝4時半までトイレにも行かずに寝続けることができた。
断眠だが、まあ睡眠時間は十分だった。
【行程】2017年5月13日
観音平(10:14)~雲海(11:05休憩11:07)~押手川(11:52昼食12:10)~青年小屋(13:22)
※所要時間:3時間8分(歩行時間:2時間33分)コースタイム:3時間
※登った山:なし
※歩行距離:6.0km
【2017年5月14日(日)】権現岳
4時半に目が覚めた。
昨夜、朝飯前に編笠山(2524m)に登るというプランもあったので、とにかく様子を見に外に出てみたら、なんと雲海の上に富士山がぽっかり浮かんでいる。

ここからだと富士山は編笠山の陰になって見えないと思っていたのでびっくりしたと同時に、感激。
まさに目の覚めるような景色だった。

しかも、とにかく今日はいい天気だ。
こちらは編笠山(2524m)のゴーロ。

まだ月も浮かんでいた。

部屋に戻って、みんなに「富士山がすっごく、よく見えるよ~」とささやいたら、一部の人はもそもそと起き出して、それぞれ富士山を確認しに行った。
雨具などはお陰様で乾いていたが、靴はまるでダメ。
衣類は最初から諦めて、昨日、濡れたまま袋に入れてしまった。
どうやら編笠山登山はなさそうなので、朝食までの間に水を汲みに行った。

朝5時ともなると、もうだいぶ明るい。

テン場にはもう全然雪はなかった。

小屋から水場の乙女の水までは5分ほど離れているが、ずっと雪道。
注意深く歩かないと、時々踏み抜いてしまう。
水は勢いよく出ており、あっという間にボトルは満タンになったが、異常に冷たかった。
かなりの悪路だったので往復するだけで結構疲れた。
小屋の長靴を借りて行ったのだが、靴の中が汚れていて、靴下に泥が付いてしまった。
戻ってから、再びトイレへ。今度は「大」。

完全なポットン便所だったので、下は見ないようにした。
パッキングを済ませ、布団も上げたところで、朝食。
朝も充実したメニューだ。

オーナーの奥さんお手製のシュウマイが美味しかった。
朝の男たちは寡黙だった。

食後はすぐ外に出て、男3人を案内して、もう一度乙女の水へ。
O君は私の後に水汲みに行ったらしいが、この道をサンダルで行ったというから驚きだ。
昨日は雨のためしまってあったが、今朝は「遠い飲み屋」の提灯が玄関先に出ていた。

戻ってくると、富士山の頂上部分はもう隠れ始めている。

編笠山にはほとんど雪がない。

振り返って、権現岳(2715m)方面のギボシを仰ぎ見る。

権現岳のギザギザ。天気もいいし、今日はあそこまで気持ちよく登れそうだ。

(つづく)
【2017年5月13日(土)】権現岳
高校の同級生「富士山登山隊」の練習登山第4弾は、思い切って八ヶ岳に決めていた。
まだ、この時期は雪がかなり残っている可能性があり、初心者を連れての登山はやや不安があったが、権現岳(2715m)を南斜面から登れば、何とかなるだろうと判断した。
当初は、観音平から一気に権現小屋まで登り、翌朝ご来光というプランだったのだが、O君の助言もあり、初日は編笠山(2524m)経由で青年小屋泊まりとし、翌朝、権現岳にアタックする計画に変更した。
これが大正解だった。
というのも、初日は終日雨だった上に、青年小屋ではこの日、たまたま「山菜祭り」で超豪華な夕食を食べることができたからだ。
今回のメンバーはH君、Y君、M君、O君、Dさん(女子)、私の6人である。
参加予定だったYさん(女子)は直前に右足首腱鞘炎になってしまい、残念ながら不参加となってしまった。
電車組の5人は千葉6:38発の特急あずさ3号に、それぞれ新宿、立川、八王子から乗車し、小淵沢駅で車のO君と合流する計画である。
私は連休明けから送別会月間が始まっていたが、前夜の12日(金)だけは予定を入れず、万全を期した。
当日は5時半に起床。予報通り雨である。
今日は終日雨の予報だから、きっとずぶ濡れになるだろう。
それは覚悟の上だが、自宅からザックカバーを装着して出発しなければならなかったのが、かなり悔しかった。
新所沢駅前で、飲み物と今日の朝食&昼食、明日の昼食を購入して、7:09発の電車に乗り込んだ。
朝食(パン)は国分寺までに車内で済ませ、立川であずさ3号(7:52発)に乗り換え。
八王子で5人がそろい、賑やかにおしゃべりをしながら、2時間弱の鉄旅を楽しんだ。

9:36、定刻通り小淵沢に到着。

9時には着いていたというO君と合流。
O君の車に2人、予約しておいたタクシーに3人乗って、登山口の観音平に向かう。
そのタクシーの運ちゃんの飛ばすこと、飛ばすこと。O君の軽では全然付いて来られなかった。
小淵沢も雨が降っており、八ヶ岳方面はガスで真っ白。
苦行が待っているという感じだ。
10時前に観音平に到着。タクシー代は3340円だった。
最初から、本降りの中を歩き出すのは、6年半に及ぶ登山歴の中でも初めてかもしれない。
こんな天気でも登山者はいるようで、車が5~6台ほど停まっていた。

駐車場の奥に行けば東屋があったのだが、それに気づかず、雨の中の身支度となった。
スパッツも装着して、雨具の下も履いて、フードもかけて、とフル装備である。

それでも、ストレッチをしてトイレ(仮設のがあった)を済ませ、10:10に出発。

本当は、車道を少し戻って、富士見平から屏風山(1649m)を経由するコースを採り、「登った山」を1座稼ぎたかったのだが、こんな天候ではわがままも言えない。
素直に観音平から登っていく。

ここは標高1560m。すでに前回登った塔ノ岳(1491m)より高い。

しばらくなだらかな道を進む。

林床は背丈の低いササ原だ。

まだマメザクラが咲いていた。

だんだん斜度が出てくる。

みんなうつむき加減。

雨なので、写真が撮りにくい。今日はコンパクトデジカメを使用している。

カラマツ林。あちこちにサルオガセが巻き付いている。

大きな岩も結構ある。

歩き始めて30分ほどで早くも休憩。止まると寒いけど。

雨具の中で厚着をしていたY君は、薄手の長袖に着替えた。
半袖にしようとしていたので、それは止めさせた。
肌に濡れた雨具が直接接していると、低体温症になる恐れがある。
Y君はいきなり足をつってしまい、先が思いやられたが、その後は無事に乗り切ることができた。
着替え終わったところで出発。

矢印に従って黙々と歩く。

登山道は右側が急傾斜の尾根上で、樹林帯の中なのにかなり風が強い。

風が弱ければ、傘を差して歩いて、写真を撮るときの雨除けにすることもできるのだが、それができないので、ポケットから取り出して写真を撮るたびにカメラが濡れてしまう。
シャッターをきちんと押せるよう、雨の中あえて軍手をしているのだが、いつも使っている軍手ではなく、指の短い変な軍手を間違えて持ってきてしまった。
これがどうも気色悪い。
しばらく素手でいたが、やはり寒いので、ゴアの手袋をすることにした。
でも、これがまた厄介。
写真を撮るたびに、脱がないといけないし、またはめる時に湿って指が入りにくい。
これが面倒で、初日の写真は本当に数えるほどになってしまった。
しかも、ゴアなのに、この手袋は最終的にぐしょぐしょになってしまい、搾ったら、大量に水がしみ出すほど。
一度も洗ったことがないから劣化してしまったのかもしれない。
「雲海」の分岐の手前で再び小休止した際、O君と話して、編笠山の登頂は無理と判断。
巻き道で直接、青年小屋に行くことに決めた。
頂上に行っても何も見えないし、猛烈な風が吹いていることが予想されたからだ。
雲海には、こんな天候にもかかわらず、コースタイムより10分速い50分ほどで到着。

ここで富士見平からの道と合流する。

ここは展望スポットのはずなのだが、当然何も見えない。

数分の休憩で出発。

ここから先は急登となる。

相変わらず雨がひどい。

雲海から15分ほどでまた休憩。やはりこの天気では疲れも早いのだろう。

でも数分で出発。

湿った岩の上を登っていく。

標高1900mを超えると、路面に凍りが出てくるようになった。
これが雨に濡れて、めちゃめちゃ滑る。
Y君は氷でスリップして、今度は腹筋をつってしまったという。
雪ならとくに問題ないのだが、氷だと、道を外れたり、泥の中を歩いたりしなければならず、随分難儀した。
それに追い打ちをかけたのが、水。

登山道はすでに滝のようになっている。


普段は水が流れていないようなところも、激流が発生。


鉄砲水でも出たら大変なことになる、とちょっと不安になった。

あまりの状況に、15分ほど歩いただけで、また腰を下ろす。

彼らにとってはもちろん初めての経験だろうが、私もこんなことはめったにない。

この水を避ける際も道を外れたり、結局はどっぷんしてしまったり。
激しい氷攻めと水攻めを、初心者の面々はよく耐えたと思う。

「きつい」「ももがぷるぷるする」「修業だ」と口走りながらではあったが。
押手川(編笠山と青年小屋との分岐)の手前で、100円カッパを着たグループが下りてきた。
我々より少し先に観音平を出発した方々だ。
「事情により、押手川で引き返すことにしました」とのこと。
わりと軽装だったので、青年小屋泊の予定ではなく、編笠山ピストンのつもりだったのだろうか。
3人からしばらく遅れて1人が下りてきたので、天候と彼の体力を見て諦めたのかもしれない。いずれにしろ、ここは100円カッパで入るような山ではない。
新人諸君はゴルフカッパでも、下着まで濡れてしまったのだ。
押手川には12時前、雲海から45分で到着。

ここはもともと沢が流れているところだったのだろうが、その沢がかなり幅広くなっている印象だ。

もう、ほとんど沢登り状態である。

ここは標高約2100m。その昔、ここを訪れた登山者が水を求めて岩を手で押したところ、こんこんと清水が湧き出したことから、その名が付いたという。

「登山者」というところが、言い伝えとしては稚拙だ。新しすぎる。
それはともかく、ここ編笠山の原生林は山梨の森林100選に選ばれているようだ。

編笠山へはこの「沢」を登っていくことになるが、我々は巻き道を行く。

かなりの水量だが、ここを渡らなければならない。


でも意外に渡渉は簡単にできた。

渡渉後は若干雨が小降りになったような気もしたので、ここでお昼を食べることにした。

みんなには、この雨だと立ち止まるのも何だから、このままお昼を食べずに小屋まで行ってしまおうと提案してあったのだが、食べられるなら食べた方がいい。
私はカップ麺の予定だったが、麺ができあがるのを待っていられるような雰囲気ではないので、おにぎり1個と行動食のつもりだった大福で、さっさと済ませた。
みんなもパンやらおにぎりを立ち食いして、20分弱で出発。
私は多少汗はかいているものの、体は小屋まで結局温まらず終いだった。
(つづく)
【2017年5月5日(金)】高ボッチ山・鉢伏山
諏訪大社下社春宮の参拝を終え、日帰り入浴施設の片倉館へ向かう。
諏訪湖畔の道でちょっと渋滞したが、15時前に到着。

片倉館は昭和3年の建築で国の重要文化財に指定されている。

ここでお風呂に入るのは9年ぶり3回目だ。
ちなみにお隣の近代和風建築は諏訪市美術館。

駐車場はそこそこ混んでいたが、浴室はそうでもなかった。

千人風呂を名乗るくらいの大きな浴槽なので10人くらい入っていても、全然窮屈ではない。
底に玉石が敷いてあるので、足裏刺激のため、入浴しながら少しだけ歩いた。
カランは浴室の広さのわりに少なかったが、ちゃんと空いていたので助かった。
入浴料は650円。
上がった後は休憩所でソフトクリーム(300円)をいただき、体を冷やす。

今日は気温が高いからか、湯がちょっと熱く感じた。
替えの靴下を忘れてしまったのが痛恨だった。
バルコニーに出られるというので出てみた。

片倉館はヨーロッパの古城を思わせる。


設計は台湾総督府などを手掛けた森山松之助(1869~1949年)だそうだ。


正面に諏訪湖が広がる。

さっき登った高ボッチ山(1665m)や鉢伏山(1928m)も見えた。

予は満足じゃ。

ここでは映画「テルマエ・ロマエ」のロケが行われたようだ。

確かにこんなシーンもあった。

主演の阿部寛さんや上戸彩さんのサイン色紙も飾られていた。

外に出て顔はめパネルで、おふざけ。

ちょっと体が大きすぎだ。
ガソリンスタンドを探すのにちょっと手間取ったが、無事に満タンにして、トヨタレンタリース上諏訪駅前店に車を返却。歩いて上諏訪駅へ向かう。

駅舎は知らないうちに、ちょっときれいになっていた。

構内でなんと「峠の釜めし」を売っていたので、それを購入(1000円)。
おぎのやは諏訪市内にも店を構えていることが包み紙から判明した。
検索してみると、本家の横川以外に長野と諏訪に出店している。
いずれも高速のICの近くだ。
信越本線という大動脈の切断によって存亡の危機にさらされたおぎのやは、鉄道客ではなくマイカー利用者に商売の間口を広げる戦略にしたようだ。
ビールも買ってホームへ。電車の時間までまだ10分ほどあるので、ホームにある足湯に入ってみた。

目下、靴下を履いていないので入りやすいのだ。

下駄箱のある方から入ろうとしたら、出ようとしていた奥さんに「入口はあちらですけど」と言われてしまった。
これは失礼。でも、だったら下駄箱は入口に置いてほしい。紛らわしい。

足湯はかなり混んでいた。

しかも熱いので、すぐ退散して、ホームに戻った。

諏訪の市木はかりんでした。

ホーム脇に植えてあった。

あずさ56号は3分ほど遅れて、17:01に入線。

往路と同様、南の窓側だったが、帰りも山岳車窓を存分に楽しめた。
もちろんビールでプチ打ち上げ。

その後は釜めし。

これでお腹いっぱいになった。

寝ている間に、電車に15分ほどの遅れが出ていた。
新宿には定刻よりかなり遅れて19:35頃到着。
この後は高田馬場で西武新宿線に乗り換え、20:45にやっと帰宅できた。
でもGWなのに、ほとんど混雑というものと無縁で山と温泉を楽しむことができた。
とくに高ボッチ高原は予想以上の眺望で感激だった。
北海道へいい土産ができた。
【行程】2017年5月5日
高ボッチ高原第2駐車場(9:23)~高ボッチ山(9:33撮影9:42)~展望広場(9:53)~三大標高展望広場(10:00)~駐車場(10:13)
鉢伏山荘(10:35)~見晴らしの丘(10:42撮影10:45)~歌碑(10:59)~展望塔(11:08撮影11:16)~鉢伏山(11:18)~前鉢伏山分岐(11:34)~前鉢伏山(11:45昼食12:22)~鉢伏山荘(12:35)
※所要時間:2時間50分(歩行時間:1時間50分)
※登った山:4座(高ボッチ山、鉢伏山、前鉢伏山、横峰)
※歩行距離:5.8km
【2017年5月5日(金)】高ボッチ山・鉢伏山
前鉢伏山(1837m)での昼食を済ませ、鉢伏山荘へ引き返す。
左前方に霧ヶ峰と北八ツが見えた。

その右には、さっき鉢伏山に登る途中に立ち寄った小ピーク。

しばらく来た道を戻っていたのだが、途中からは、登山道を外れて、こんもりした丘を越えていくことにした。

もちろん頂上には山名板など何もなく、ただの遠回りになってしまった。

その丘の上から鉢伏山を望む。いい雲が出ている。

鉢伏山は起伏が少ないので、小さい子供にはもってこいの山だ。

というわけで12時半すぎに鉢伏山荘の駐車場に到着。3時間弱のハイキングだった。

駐車場料金に「徒歩100円」と書かれているのが、ちょっと解せない。

つまりは入山料ということなのだろう。私有地なのか。
暑くなった車に風を通して、出発。
本日の総仕上げは諏訪大社下社春宮の参拝なのだが、その前に高ボッチ高原への林道沿いにある横峰(1635m)に立ち寄る。

とくに登山道はなかったが、踏み跡はあったので、それを伝って距離にして50mほど。
1分で登頂したが、残念ながら山名板はない。

眺望もかろうじて鉢伏山のみ。

それでも「登った山」を1つ稼いだことにはなる。

がっかりはせず車に引き返した。

では、諏訪大社に向かおう。
ここから、まっすぐ岡谷方面に下る道もあるはずなのだが、ナビは違うルートを示している。それに、さっきのおじさんライダーたちが、たぶんその道のことを「いやあ、あんなひどい道だとは思わなかった」とつぶやいていたのを聞いていたので、そちらは選択せず。
ピストンになってしまうが、崖の湯経由で向かうことにする。
道もいいから、その方が早いのだろう。
お腹いっぱいでだんだん眠くなってきたが、我慢我慢。
塩尻ICから高速に1区間だけ乗って、岡谷ICで国道20号に下りた。
高速はすでに混んでいて、首都圏での大渋滞を予感させた。
春宮は門前の駐車場が10台くらい並んでいた。
でも出口から、1台また1台と出てくるので、回転は速いと判断。待つことにした。
予想通り10分ほどで駐車できた。
しかも、この駐車場は無料だ。なぜ案内の人がいないのか、と思ったけど、無料なら仕方がない。というか、こんな観光地の真ん前なのに無料なのはえらい!

暑いので半袖になった。

春宮は境内がこじんまりしていていい。

しかも、この時期、神様は秋宮ではなく春宮におわすのだ。

鳥居をくぐると神楽殿。

左手には諏訪の銘酒の樽がズラリ。

結びの杉。

先端で二つに分かれているとのこと。

確かに。

神楽殿は天和年間(1681~84年)の落成だそうだ。

現在立っている御柱は昨年切り出したものだ。

こちらは向かって右手にある一之御柱。

御柱は干支の「寅」と「申」の年に行われる。

御柱祭りはよく「7年に1回」「7年ごと」行われると言われるが、日本語としては「6年に1回」「6年ごと」が正しい。
慣例で数え年の「7年」が用いられているのは、奇数の方が縁起がいいとされてきたからかもしれない。
ただ現代人の感覚としては実に紛らわしい。
荘厳な幣拝殿。

こちらは安永九年(1780年)の落成だ。

ここは摂社も大きい。

子安社。

幣拝殿左の奥にあるのは三之御柱。

下社独特の神事である筒粥神事が行われる筒粥殿。

境内全体がいい雰囲気だ。。

この木には名前がないのだろうか。

ここでも、あれこれとお願い事をして、万治の石仏に向かう。

私はこの石仏が好きで、再会したかったのだ。

赤い神橋を渡る。

神橋架設碑。

足元は砥川。

砥川の中島に浮島社が鎮座する。

火伏の神、秋葉山大権現の石灯籠。

一茶の句碑「一番に乙鳥(つばめ)のくぐるちのわ哉」。

今度は浮島橋を渡る。

万治の石仏の手前に、その由来が書かれている。

このあたり砥川の流れは早い。


伝説によると、明暦三年(1657年)、高島藩主諏訪忠晴が諏訪大社下社春宮に石の鳥居を寄進しようとした。この仕事を請け負った石工が、この石を加工しようとノミを入れたところ、石から血が流れ出した。驚いた石工は作業を中断。その後、夢で上原山によい石材があるとのお告げがあり、鳥居は完成した。石工たちは、この不思議な石に阿弥陀如来を彫って祀ったという。
「万治」とはてっきり年号のことかと思っていたが、「万(よろず)のことがうまく治まる」ありがたい石仏という意味だそうだ。
それはともかく、この石仏に参拝の仕方があるなんて初めて知った。

「よろず治まりますよう」と唱えて、時計回りに3周回るのだそうだ。

初耳だったが、その通りにさせてもらった。

このように阿弥陀様がレリーフ状に彫られている。

しかし、これを彫る時は、血は出なかったのだろうか。

背中の方はこんなふうに大きく欠けている。

「阿弥陀」の文字も彫られていた。

この顔は誰かに似ている。まさかゴルゴ?

皆さん、くるくる回っていた。

近くでシジミバナが満開。

ヤマブキも咲いていた。

こちらは岡本太郎揮毫の「万治の石仏」。

この裏面に歌が刻まれている。「峡の田に座して石仏のどかなり」

ただ、この「正人」というのが誰のことか分からない。

案内板に書いておいてほしいものだ。まさか岡本太郎のことなのだろうか。
それに、こちらの説明には石仏が刻まれたのは「万治三年」(1660年)とある。
説明も統一するか、注釈をしてほしい。というわけで参拝終了。

まだ帰りの電車まで時間はたっぷりあるので、片倉館に寄ることにした。

下諏訪町のマンホール。


シロヤマブキも満開だった。

駐車場に戻って、車で諏訪方面へ向かう。

(つづく)
【2017年5月5日(金)】高ボッチ山、鉢伏山
鉢伏山(1928m)でハイキング中。
山頂近くに、歌碑経由で山頂に行ける道との分岐があったので、そちらへ行ってみた。

諏訪出身の歌人、島木赤彦かなあと思ったら、若山牧水夫妻だった。

牧水「鉢伏の山に朝日さし まろやかに降りつみし雪はよべふりしとふ」(大正14年4月、松本から塩尻に向かう車中にて)

喜志子「常念の峰にゐる雲 しばしだに晴れよとまちて 時たちにけり」(昭和28年5月)

ここは最近まで立入禁止になっていた場所だそうだ。

では、山頂に向かおう。

おや、もう一つ石碑があるようだが、あれは帰りに確認することにしよう。

右手に雪渓。

その向こうに御嶽山(3067m)が見える。

鷹かな。気持ちいいだろうなあ。

鉢伏山に至る林道。

間もなく、鳥居が見えてきた。

鉢伏神社である。石の祠が土塁で守られていた。

欲張って、いろんなことを祈願した。
土塁の手前に古い鳥居の礎石のようなものがあった。

ここから少し下ったところに展望塔が見える。

近くに山名板もあるので、少し低いが山頂扱いになっている場所のようだ。

展望塔の手前に2つあるベンチはともに埋まっており、それぞれランチ中。
私は展望塔に登り撮影タイムだ。

ここは北東方面が山頂の陰になっているので360度というわけにはいかなかったが、もちろん高ボッチに劣らぬ素晴らしい展望だ。
ぐるりと見ていこう。まずは南に高ボッチ高原と中央アルプス。

望遠にすると、放牧地や自然保護センターがよく見える。

縞枯れ状態の林の向こうは八ヶ岳。

その右は諏訪湖と南アルプス。高ボッチ山(1665m)からとはやはり角度が違う。

岡谷市街。

霊峰富士山。

南アルプス。北岳(3193m)の鋭さは変わらない。

鉢伏山の真の頂上。

松本盆地と北アルプス。

その核心部。穂高連峰から槍ヶ岳(3180m)にかけて。常念岳(2857m)も。

霞沢岳(2646m)。

乗鞍岳(3026m)。

御嶽山。

塩尻近辺。

長野自動車道と松本空港。やまびこドームも見える。

こうして見ると、鉢伏山荘に至る林道はかなりの急勾配だ。


白馬方面。

前鉢伏山(1836m)。

美ヶ原のアンテナ群。

ここでお昼でも悪くないのだが

まだ11:15だし、ちょっと早いかな。

やっぱり、もう少し歩くことにする。

真の頂上には三角点があり、ここにもちゃんと山名板があった。

牛伏寺からも登山道があるようだ。

三角点は二等かな。

正面に美ヶ原。

その右から浅間山(2568m)を望むことができた。

簡素な山名板だった。

では下山しよう。その前にちょっと登山道を外れて、さっき見えた大きな石碑を見にいく。
「御嶽大神」なんて書いてあるかなと想像していたが、「鳴雷神」と刻まれていた。

おおまかに言えば、「雷神」のことのようだ。
たもとに、鉢伏大神と刻んだ小さな石もあった。

あとはしばらく登ってきた道を戻る。

右手に二ツ山(1827m)への道を見送る。

こんなケルンがあった。登りでは気づかなかった。

見れば見るほど、美しいデザインだ。

北アルプスを正面に見ながら、さくさく下る。

ここは本当に素晴らしいハイキングコースだ。

さっき立ち寄った小ピーク。

こんなに空が広い。

頂上から15分で前鉢伏山への分岐まで下ってきた。

二ツ山の代わりに「登った山」を1つ稼ぐため、前鉢伏山に向かう。

もともとこの山の存在を知っていれば、最初からこっちにしたのだが、ここに来て初めて知ったのだ。
途中、残雪を乗り越える。

多分、あそこが頂上。

右手に高原状の美ヶ原が展開している。

遊歩道以外立入禁止。

いや~真っ平らな道だ。

楽ちんすぎる。

これが唯一の障害物?

ほぼ平らなまま、分岐から10分で前鉢伏山に着いてしまった。

さっそく鉢伏山を振り返ってみる。

ここにも三角点があった。

昼前に着いてしまったが、ほかに適地もなさそうなので、ここでお昼にする。
幸い、腰をかけられる半裁された丸太があった。

今日はペヤングの焼きそばと、そのお湯を処理するためのみそ汁。&ゆで卵。

朝がわりと遅かったし、御飯も2杯食べた後なので、これだけでお腹いっぱいになってしまった。

目の前は屏風のような北アルプス。

(槍ヶ岳と常念岳)
最高の展望レストランだ。

(穂高連峰)
手前の黒いシルエットは有明山(2268m)。

このあたりは同定が難しいが、左は餓鬼岳(2647m)あたりだろうか。

鹿島槍(2889m)はちょうど雲に隠れていた。

白馬連峰。

蓼科山(2530m)。

ここは背中から太陽が当たって暑い。

うなじの熱さに耐えきれず、旧日本兵のようにタオルを被った。
30分ちょっと休んで出発。

来た道を引き返す。

(つづく)
【2017年5月5日(金)】高ボッチ山・鉢伏山
高ボッチ高原の草競馬場近くの展望台に来ている。

ここにおじさんライダーが3人いて、素晴らしい眺めだと感嘆していた。
そのうちの1人が「富士山がよく見えるねえ」と言ったら、もう1人が「え、どこ。あ、ほんとだ」と驚いていたのには、こっちが驚いた。
この場所から富士山が目に入らないとは。
1人で来ていたら気づかずに帰ったのだろうか。
別の1人が「富士山は風が強いんだねえ。雪があんなに飛んでいる」とも言っていたが、あれは明らかに雲だ。風が強いのはその通りだろうけど。
それはともかく、霧ヶ峰の向こうは蓼科山(2530m)。

あの道を今、下ってきた。

今年の草競馬は8月6日に行われるそうだ。

その向こうは放牧地。背後に鉢盛山(2446m)が見える。

牛の水飲み場らしき池があった。

車道をはさんで反対側の高まりに登ると、三大標高展望広場なる展望所に出た。

「三大標高」とは、富士山、北岳、農鳥岳・穂高岳の標高トップ3が同時に見える場所という意味なのだろうが、5位の槍ヶ岳も見えているのだから、「五大標高」にすればいいのになあと思った。

パノラマを示すモニュメントには山の名を示すプレートがはめ込んであったが、富士山や穂高岳などいくつかの山のプレートはなくなっていた。

誰かが持って帰ったのだろうかと思ったが、自分でも爪を入れてみたら簡単に剥がれたので、もしかしたら風で吹き飛んだのかもしれない。
ここからも草競馬場と高ボッチ牧場が見えた。

でもまだ馬も牛もいなかった。

では、車を停めたところまで戻ろう。

北アルプスの眺めがさっきよりくっきりしてきたような気がする。

牧草地は牛の糞だらけだけど。

眼下は松本市街。松本城はどうしても見つけられなかった。

草競馬場とは反対方向に歩いている。


駐車場に接して、自然保護センターがあったが、開いていなかった。

GWだというのに、いつから業務を始めるのだろう。
高ボッチ山(1665m)のバッジがあったら欲しかったんだけどなあ。
ひょうたん池は遠いのでパス。

1時間弱で高ボッチ高原の散策は終了。車で鉢伏山(1928m)の登山口、鉢伏山荘に向かう。

以前、高ボッチ山と鉢伏山を縦走することを考えたことがあるのだが、それには7kmもの舗装道路を往復しなければならない。
14kmになるので、それだけで軽く4時間かかる。
しかも同じ道を引き返さないとならなくなるのが致命的だ。
というわけで、今回のようなつまみ食い登山になったのだが、大目に見てほしい。
途中、見晴らしコースなる登山道があったが、これもスルー。

近くに「鉢伏高ボッチ開発記念碑」。

その隣には中河与一の歌碑「天ちかき国のたかはら霧ふりて神話の如し君としゆけば」が立っていた。

中河(1897~1994年)は横光利一や川端康成とともに新感覚派として活躍した小説家だそうだ。
ここから鉢伏山までは6kmある。

鉢伏山の方が高ボッチ山より300m近く高いので、林道もぐいぐい登っていく。

鉢伏山にはまだ残雪があった。

鉢伏山荘には10時半に到着。

ここでは駐車料金を500円も取られてしまった。

さっき歩いたままの出で立ちで運転してきたので、すぐに出発。

ここから頂上までの標高差はわずか100m弱だ。

扉温泉への道は、例のヘリ墜落事故現場に近いので通行止めになっていた。

鉢伏山と前鉢伏山(1836m)の分岐点にパトロールの車が2台停まっていた。

事故の関係だろうか。
ここも美ヶ原高原ロングトレイルの中に含まれているとは驚き。

さすがにここまで来ると、美ヶ原(2034m)が見えた。

鉢伏山荘方面を振り返る。

頂上はあのあたりかな。
すぐ先に標柱のある小ピークがある。

道が付いていたので、行ってみた。

目の前に美ヶ原の大高原が見えて、しばしうっとり。

ここから見ると、どんなに平らな山か、よく分かる。

さっきの分岐を見下ろす。

平らな前鉢伏山と北アルプス。

東は二ツ山方面。

これが二ツ山(1827m)。

その先には蓼科山や八ヶ岳が望める。

その左に三峰山(1888m)。

美ヶ原の東に連なる茶臼山(2007m)。

山腹はわずかに新緑が芽吹いていた。

赤い屋根は扉峠の売店。

このピークに「美しの丘」とか名前が付いていれば「登った山」に数えられたのになあ。

と思いつつ、登山道に戻る。

最初は二ツ山まで足を延ばすつもりだったけど、遠いし、前鉢伏山の方が景色も良さそうなので、鉢伏山の後は前鉢伏山に行くことした。

4駆なら登っていけそうな広い道をゆっくり登る。

やはり北斜面は残雪が多い。

おお、槍が初めて、くっきりと見えた。

穂高連峰の手前は蝶ヶ岳(2677m)。

ちょっと雲が邪魔だが、御嶽山(3067m)。

乗鞍岳(3026m)は真っ白だ。

鉢伏山荘の別館かな。

これもそうかな。

まだ現役なんだろうか。

さっきのピークの向こうは美ヶ原。

正面は鉢伏山。本当にそんな形をしている。

雲と美ヶ原。

鉢伏山の高原と北アルプス。実に絵になる。

遠くに蓼科山。

休憩所があったけど通過。

ほぼ中央の突起は浅間山(2568m)の東にある鼻曲山(1655m)かしら。

この案内板では荒船山になっているが、それはありえないだろう。

だらだらした坂が続く。

二ツ山方面への分岐を通過。

ちょっと普通の登山者には見えない団体さんが扉峠方面から登ってきた。

しつこいけど、さっきの小ピーク。

鉢伏山荘に車を停めているのは10台ほど。

めずらしく石仏があった。

(つづく)
【2017年5月5日(金)】高ボッチ山・鉢伏山
松本の崖の湯温泉・山上旅館に宿泊中。
朝食は8時とのことなので、のんびり7時に起床。9時間も寝てしまった。
窓の外を見ると、今日もいい天気だ。
まずは朝風呂にさっと入ってから、パッキング。
朝食に呼ばれたのは8:07だった。待ちかねたぜ。
でも、どのおかずもおいしかった。

わさびの花のお浸しにびっくり。卵焼きやしらすも美味で、とろろもあったので、めずらしくご飯をお代わりしてしまった。
ここは1泊2食で8500円+消費税+入湯税。
会計のときに聞いてみたら、わさびはその辺に生えているものだとか。
これがそうだ。

大相撲に関連した額などがたくさん館内にあったのは、元横綱の琴桜が関脇の頃、療養のためしばらくここに滞在したのがご縁だそうだ。
宿から乗鞍岳の真っ白な山頂がちょっぴり見えた。

旅館のご主人と女将に見送られ、9時ちょうどに出発。

ここから高ボッチ高原へは20分ほどの道のりだ。
その途中、廃業した旅館などを車の中から撮影させてもらった。
山七旅館はまだ現役。

山二旅館はもう閉じてしまっていた。

みな「山」が付いているのは、親戚か何かだからなのだろうか。
昨日と同様、急坂をどんどん登っていく。
でも、距離にして6kmほどだ。
高ボッチ高原の第2駐車場には9:20に到着。
10数台ほどの車が停まっており、テントもいく張かあった。

駐車場自体がアルプス連峰パノラマ展望台になっており、御嶽山から北アルプス、妙高山まで一望できた。

ただ、昨日より霞んでいる気がする。順光なのに、ちょっともったいない。
これは白馬連峰。

中央は爺ヶ岳(2670m)。

あとは順番に北から。


中央のピラミッドは常念岳(2857m)。

槍は隠れているが、左は穂高連峰。

白い稜線の最高地点は霞沢岳(2646m)。

乗鞍岳(3026m)は上に雲があって残念。

鉢盛山(2446m)。

そして御嶽山(3067m)。

北に目を転じると妙高山(2454m)。

その左に雨飾山(1963m)。

北東すぐそこに鉢伏山(1928m)。

ここから最も目立つのは、常念だった。

やはり残雪の北アルプスは素晴らしい。
南にはアンテナ群。

自然保護センターには後で寄ることにする。

雄大な眺望に満足して、高ボッチ山(1665m)の山頂へ向かう。

と言っても徒歩7分程度。標高差は20mもない。

高ボッチ高原には長野在勤時代に一度来たことがある。
でも、山頂に立ったかどうかの記憶がはっきりしないので、「登った山」には数えないでおいたのだが、これでやっと加算することができる。

ふもとから登ったわけではないけど、大目に見てください。
少し登ったところから南西方面を振り返る。
左から御嶽山、鉢盛山、乗鞍岳が一望できた。

南には中央アルプス。

いい天気だ~~!

空が大きい。

南アルプスも恰好良すぎる。
中央の北岳(3193m)が左の甲斐駒(2967m)より尖っている。右は仙丈ヶ岳(3033m)

その右には、南アルプス南部の峰々。

高ボッチ高原は最高だ!

休憩所があったが、まだそんなに疲れていません(笑)

山頂に立ってびっくり。

ここまで来れば富士山や八ヶ岳が見えるだろうことは予想していたが、眼下の諏訪湖のことは考えていなかった。

諏訪湖の奥に富士山。

その両側に八ヶ岳と南アルプスを従えているこの光景は、まさに天下一品である。
振り返れば、さっき見えた北アルプスもそのまま見えるし、360度の大パノラマとはまさにこのことだ。
北側の鉢伏山(1928m)のせいで、美ヶ原(2034m)や浅間山(2568m)が見えないのは残念だが、鉢伏山自体が見事な景観となっている。
いやあ、こんな絵に描いたような眺望は初めてである。
一つ一つ確認していこう。
まずは地蔵岳(左、2764m)と甲斐駒。

北岳(左)と仙丈ヶ岳(右)。その間には間ノ岳(3190m)が覗いている。

諏訪湖の西岸は岡谷市街。

北岸は下諏訪町。

東岸は諏訪市街。

見事な八ヶ岳。

気象ドームがある車山(1925m)の向こうは北八ツ。
左から北横岳(2480m)、縞枯山(2403m)、茶臼山(2384m)。

諏訪富士、蓼科山(2530m)。

左から横岳(2829m)、赤岳(2899m)、阿弥陀岳(2805m)。

この後登る鉢伏山。

さすがにあそこまで歩くのは大変なので、ふもとまで車で行くつもりだ。

鉢伏山から東に続く稜線。

これを絶景と言わずして何と呼ぼう。

ライダーたちも見とれていた。

高ボッチ高原と北アルプス。

目を転じて、木曽谷方面。

その左は中央アルプスの北端、経ヶ岳(2296m)。

そのさらに左。最も高いのが木曽駒(2958m)。その左の黒い尖塔が宝剣岳(2931m)。

高ボッチ高原の南部。

草競馬の競馬場あたり。

というわけで、撮影終了。山頂を後にして、競馬場方面に行ってみよう。

いい雲だねえ。

電波塔と穂高連峰もよく似合う。

まさに高原の散歩道だ。

左手に諏訪湖。

さらに下ると富士山もまた顔を出した。

こんなにいいところなのに、こんなに人が少ないなんて、もったいない。GWなのに。

外国人にも見せてあげたいくらいだ。

この廃屋は私へのサービスかな。

車道に出たところに別の駐車場があり、パノラマを説明した石碑があった。

ここからは高ボッチ山が初めて山らしく見えた。

(つづく)
【2017年5月4日(木)】美ヶ原
美ヶ原のアルプス展望コースを歩いて、烏帽子岩に着いた。

鉄平石の表面が幾重にも剥がれていたので、安全第一ということで先端までは行かなかった。

それにしても、ものすごい剥がれ方だ。

逆方向から烏帽子岩を見ると、さすがにそれらしく見える。

激しい断崖だ。

白く見える部分は地衣類のせいだろうか。

進行方向も断崖だ。

崩落防止のためのコンクリートの構造物も一部崩れている。

王ヶ頭ホテル。

御嶽山(3067m)も残念ながら雲の中。

烏帽子岩と茶臼山(2006m)。

鉢伏山(1928m)。

円柱状になっている崖がなかなかユニークだ。

中腹の三城牧場に牛が放牧されているのが見えた。

八ヶ岳。

だいぶ王ヶ頭が近づいてきた。

鉄平石もどんどん浸食されている。

気持ちのよいトラバース。

こうして見ると、烏帽子岩あたりも崩落寸前だ。

かなり激しく崩れている。

このおじさんはさっきからずっと付いてくる。抜かしてもらっていいんだけど。

園地から40分ほどで王ヶ頭の直下を通過。

ここから頂上へ直登することもできるみたいだ。

この崖のどこを登るのか。

私はそのまま巻いていく。

左手に鉢伏山。明日よろしくお願いします。

間もなく、さっき登ってきた車道に出た。

すぐ先の王ヶ鼻の分岐では、おじさんが「ほら富士山が見えるよ」と連れの外国人に話している。
あれは御嶽山なんだけどなあ、日本人なのに間違えちゃだめだよと思いつつ、王ヶ頭まで登れば分かることだから、と構わないでおいた。
あとは車道をさくさく下り、15時前に駐車場に着いた。
歩いた時間は3時間ほど。
自然保護センターの見学は省略して、売店でアイス(300円)をいただく。

今日は暑くかったので、冷たいものが欲しかった。
王ヶ頭ホテルでも、美味しそうなソフトを売っていたが、お昼を食べたらお腹いっぱいになっちゃったので、断念していたのだ。
やはり山でのアイスクリームは堪えられない。
というわけで15時すぎに車で出発。
武石峰(1973m)の登山口に本当に駐車スペースがないか、もう一度入念に見ながら進んだが、やはり堂々と停められるような場所はない。
思い出の丘から歩くのは、やはり距離があるので、今回は断念。
余った時間は美鈴湖散策に回すことにした。
湖に行く途中にあった林道美ヶ原線開設改良舗装記念碑。

この道は整備されて昭和32年に有料道路となり、平成13年に無料開放されたという。
全然知らなかった。
その隣には地元の本郷森林組合の初代組合長、三浦忠夫氏の胸像。

15時半すぎ、美鈴湖畔に到着。

ここはまだ桜が満開だった。


青空に映えて実に美しい。

あの桟橋を歩いてみることにした。

対岸に赤い鳥居が見える。

湖畔にはロッジ風の建物。

黄色はヤマブキかな。

桟橋では釣り人が糸を垂れていたので、静かに歩いた。

あるおじさんは私が通った時も引き返してきた時も、へら鮒を釣り上げており、「よく釣れますねえ」と声をかけたら、「たまたまです」と謙遜していた。

鳥居があるだけで祠らしきものは見つけられなかった。

堰堤の向こうに見えるのは戸谷峰(1629m)。

それでは宿に向かいますか。

さようなら、美鈴さん。


人造湖なのでそれほど興味はなかったが、実にいいところだった。

では、改めて出発。

今夜は、高ボッチ高原のふもとにある崖の湯温泉の山上旅館に予約を入れてある。
ナビを崖の湯に合わせて出発。
今度は松本市街をスムースに抜けられた。
途中のスーパーで明日の昼食を購入。
宿には16:45に到着。美鈴湖から55分かかった。

山上旅館は噂通りの古めかしい旅館だった。

離れはもう崩れかかった建物もある。

創業は明治7年(1874年)だそうだ。
今の建物はおそらく戦後のものだとは思うが、それにしても相当年季が入っている。
でも、予約した時もチェックインした際も、女将はとてもいい人で、安心して泊まることができた。
部屋は3階の角の「るり」に案内された。

部屋の真ん中にこたつがあり、床の間にはファンヒーターがあった。

取りあえず、窓際のイスに座って、ひと息。

窓からの眺め。北アルプスが見えるわけではない。

GWなのに、私以外には誰も泊まっていない雰囲気。

電車も指定席は取れたし、レンタカーでの移動も渋滞知らずだったので、ここまで全くGWの苦労をしないで済んでいる。
それだけ旅上手になったということだろうか。
落ち着いたところで、さっそくお風呂へ。
その途中、館内をいろいろと探検してみた。まずはレトロなお手洗い。

洗面所。

モノクロ写真は高ボッチ山からの眺めかな。

風格のある廊下だこと。

私が泊まっているのは、この建物。

この廊下に面したお部屋は使用されていないようだった。

というわけで浴室に到着。

ここは源泉12℃の塩化物泉だ。

浴室はシンプルで、浴槽はそこそこ広い。

「わ~い、独占だい」と喜んでいたら、間もなくおじさん3人組が入ってきた。
ちょっとむさくるしくなったが、ゆっくり体を洗って、部屋に戻った。
このおじさんたちも登山の方で、この日ここに泊まったのは私と彼ら2組だけだった。
風呂から上がったのが、17:40頃。
晩餐は18:30どころか19:00と言われていたので、まだかなり時間がある。
となれば、やることは一つ。
プシュッと「信州に乾杯」して、のんびりテレビを見ていた。

夕食に呼ばれたのは19:04。待ちかねたぜ。
食事の内容はちょっと心配だったが、予想以上にちゃんとしていた。

さすが老舗旅館。
山菜の天婦羅や鮎の塩焼き、鯉の刺身、ホタルイカ、湯葉、白和えに煮付け、どれも美味しかった。
でも、さすがに御飯は食べられなかった。
満腹で動けなくなり、22時には寝てしまった。

【行程】2017年5月4日
美ヶ原自然保護センター(11:45)~王ヶ鼻分岐(12:07)~王ヶ頭(12:19撮影12:21)~王ヶ頭ホテル(12:25昼食12:47)~塩くれ場(13:12)~美しの塔(13:19休憩13:26)~トイレ(13:35休憩13:38)~百曲り園地(13:44)~烏帽子岩(14:03)~王ヶ頭下(14:24)~自然保護センター(14:49)
※所要時間:3時間4分(歩行時間:2時間30分)コースタイム:2時間30分)
※登った山:1座(新規なし)
※歩行距離:8.6km
【2017年5月4日(木)】美ヶ原
王ヶ頭(2034m)の頂上で御嶽神社に参拝。

食事の場所を探しに、裏から王ヶ頭ホテルの正面に回り込んできた。

ホテルのテラスは宿泊客専用なので使用不可。

ホテル前にいくつかあるベンチは、すでに全部埋まっていた。
あたりを見渡すと少し下がったところに丸太があったので、そこに腰を下ろして休むことにした。
正面に富士山が見える絶好のビューポイントだ。
本日のメニューは、トムヤムクンと鮭のおにぎりに野菜スティック。

トムヤムクンはカップ麺だけど、それなりの味がした。

ラーメンやそばではないので採点が甘いのかもしれない。
お腹を満たして20分ちょっとで出発。

「不畏艱険 勇攀高峯」と書かれた石碑がホテル前にあった。

「艱険(かんけん)を恐れず、高い峰に勇ましく登る」くらいの意味だろうか。
裏面には「ミニヤコンカ奇跡の生還 松田宏也生還第一歩を記す」と記されていた。
右手眼下に諏訪湖を発見。

方位指示盤があったが、だいたい分かるので通過した。

王ヶ頭ホテル。一度は泊まってみたいけど、もう無理だろうなあ。

美ヶ原高原へと下っていく。

美ヶ原は本当にまっ平らだ。

高原にも、まだほんの少し雪が残っている。

蓼科山(2530m)もよく見ると、北斜面には残雪があった。

焼山沢川の源流部。

王ヶ頭を振り返る。

平らなところまで下ってきた。

残雪。

前方遠くに美しの塔が見える。

この時期はまだ牛は放牧されていない。

右手にアルプス展望コース。

柵で囲われた道を進む。

ここは、本当にいつ来ても気持ちのいいところだ。

空が広い。

美しの塔の鐘が聞こえないなあ、冬期は取り外しているのかな、なんて思っていたら、近づくにつれ聞こえてきた。

それもそうだ。冬期こそ遭難の危険が高いのだから、取り外してしまっては意味がない。

ホワイトアウトでこんなところに迷い込んだら、それこそ最後だ。

今日は雲もなかなか面白い。

王ヶ頭ホテルから25分ほどで、塩くれ場の分岐に到着。

畜魂碑に再会した。

その隣に1971年建立の「美原尊和」の碑。

これなどは、牛に食べさせる塩を置いておく塩くれ石だろう。

いくつかのグループが休んでいたが、こちらはこのまま美しの塔へ向かう。

ひなを乗せて飛ぶツバメのよう。

それを追う怪鳥。

この電波塔群が美しく見えるのはなぜだろう。

むしろ、これがないと美ヶ原ではないと言えるくらいシンボル的な存在になっているのが不思議だ。
あ、牛糞発見。

美しの塔にはさすがに大勢の観光客が集まっていた。

まさに、これこそが真の美ヶ原のシンボルである。

山本小屋に車で来た観光客は、ここまで来て引き返す人がほとんどだろう。

壁面には尾崎喜八の一文を記したレリーフが埋め込まれている。

私もせっかくなので鐘を鳴らしてみた。

取っ手を振っても鳴らないのでおかしいなと思ったら、洋式の鐘なので下に引かないといけなかった。
私の後に来た家族連れも「あれ、どうやったら鳴るの?」と困っていたので、「下に引くんですよ」と教えてあげたら、子供たちが喜々としてガンガン鳴らすので、うるさいくらいだった。
塔の前のベンチに座って、しばし休憩。

柵の向こうは八ヶ岳。

観光客がひっきりなしに訪れては写真を撮っていく。

数分たたずんでから出発した。

あとは駐車場に引き返すわけだが、帰りは高原の縁に沿ったアルプス展望コースで戻る。

この道は歩いたことがないので、今回の目的の一つだ。
塩くれ場で左折する。

すぐ先にトイレがあるので、一応立ち寄った。

牛のマークがかわいい。


やはり空が広いと雲の表現力も豊かだ。

美しの塔方面を振り返る。

山本小屋ふる里館と牛伏山(1990m)。

茶臼山(2006m)との分岐を通過。

この道が茶臼山に通じている。

すぐに、アルプス展望コースの起点、百曲り園地に着いた。

南の方角を望む。

まだ割れる前の鉄平石。

ここから左手に崖下を見ながらの道になる。

振り返ると茶臼山。

断崖の向こうに蓼科山。

左手眼下に三城牧場。

やっと登山道らしい道になった。

美ヶ原は高原の縁はほとんどが急な崖になっている。

その縁を歩く。

松本盆地が見えてきた。

対岸に明日登る鉢伏山(1928m)が見える。

このルートは美ヶ原高原ロングトレイルのコースにもなっているようだ。

確かに、ここでランチもいいね。

景色は飽きないのだが、実は今日はあまり空気が澄んでいない。

ちょっともったいないが、春なので仕方ないか。

地蔵岳のオベリスクのようなケルンがあった。

こいつらはシカの糞かしら。

路面は土だったり鉄平石だったり。

さっきまでの砂利道より歩きやすい。

こちらには雪が少し残っているかなとも思っていたが、全くない。

考えてみれば、南斜面なので当然か。

烏帽子岩らしきものが見えてきた。

歩いてきた道を振り返ってみる。

烏帽子岩に到着。

こちらから見ると、ただの石舞台にしか見えなかった。

(つづく)
【2017年5月4日(木)】美ヶ原
GWの第2弾は2日に分けて、美ヶ原と高ボッチ・鉢伏山ハイキング。
第1弾の地蔵岳が結構ハードだったので、今回はゆるゆるにした。
愛車のパジェロミニは車検切れと同時に処分してしまった関係で、電車&レンタカーの旅になった。
この日は朝5時に起床して、5:50に出発。
いつも通り、新所沢駅前のコンビニで朝食と昼食を購入し、6:11発の電車に乗った。
高田馬場で山手線に乗り換え、新宿駅には7時頃に到着。
特急あずさが出る9番線に行くと、ちょうど私が乗る「あずさ51号」が入線したところだった。

先頭車両まで行って、まずはお勤め。

座席は10号車の6D。左の窓側だ。
8:23頃、大月を通過。停車していたのは富士急の普通列車。

今日は日本晴れで、車窓から富士山はもちろん、南アルプスの白峰三山、甲斐駒、八ヶ岳などがよく見えた。

(勝沼ぶどう郷駅付近から見た南アルプス)
編笠山の雪がほとんど消えてなくなっていたので、ちょっと安心。
来週、初心者を連れて登らないといけないからだ。
雪がわずかに残った入笠山の富士見パノラマリゾートスキー場も見えた。

終点の松本駅には定刻通り10:20に到着。

松本駅に下り立つのは、蝶ヶ岳に登った時以来だから、もう5年ぶりということになる。
お城口から外に出ると、暑い。気温はこの時点ですでに20℃に達していた。
歩いて駅前のトヨタレンタリースへ。ちょっと迷ってしまった。
手続きを済ませ、ナビを美ヶ原自然保護センターに合わせて、10:45に出発。
市街地は何度も信号につかまり、なかなか進まなかったが、浅間温泉あたりからスムースに走れるようになった。
でも、ここからの山道が長い。21kmもある。
サイクリストがよく走っている道をぐいぐい登っていく。
登るにつれて北アルプスの峰々が見えてきた。
運転しているので写真は撮れないけど、やはり残雪の穂高や常念は素晴らしい。
天気に恵まれて、本当によかった。
途中、武石峰(1973m)の登山口に駐車スペースがあるかどうか確認しつつ走ったが、やはり、頂上までの距離が長い「思い出の丘」にしか駐車場はなかった。
美ヶ原散策の後、武石峰もつまみ食いしたいのだが、まあ気分次第ということで。
自然保護センターには11:35に到着。
真正面に王ヶ頭(2034m)のアンテナ群が林立していた。

駐車場には、かなり多くの車が停まっていたが、並ぶこともなく普通に入れた。
好天のGWにしては、この程度なのね、と幾分拍子抜けした。
こちらはイメージとしては美ヶ原の裏口に当たる。

表玄関はやはりビーナスラインにつながっている山本小屋の方だろう。
頂上の王ヶ頭が目的なら、こちらの方が近いが、美しの塔に行きたいなら山本小屋の方が圧倒的に近い。
それにしても、ここは2000mに近いというのに、風が全然冷たくない。生温かいほどだ。
長袖シャツだけで十分なので、ウインドシェルは着なかった。
まずはここからの展望をチェック。
北東の方角は浅間山(2568m)方面。

3月に登ったばかりだが、もうほとんど雪がなくなっている。

根子岳(左、2207m)と四阿山(右、2354m)。

その手前には、2年前に登った独鈷山(1266m)。

美しの塔のあるあたり。

その左に鹿伏山(1977m)。

トイレを済ませて、11:45に出発。

自然保護センターは帰りに余裕があったら寄ることにする。

多くの人々は車道をそのまま登っていくが、私は左の登山道を選んだ。

王ヶ頭までわずか1kmだ。

こちらも車が通れそう。

小さなケルンがたくさんある。

鉄平石なので積みやすいのだろう。

このあたりが1922m標高点かな。

あれ、すぐに、さっきの車道に合流してしまった。

この道は結局、1922mピークに行くための道でしかなかった。

このあたりは天狗の露路というらしい。

車道を進むとすぐにゲートがあり、その左に登山道があった。

でも、雪が残っているため通行禁止とある。
これは観光客向けの掲示で、私のようなアイゼンを持っている登山者には適用されないとは思ったが、みんなが見ている前でロープをくぐり抜けていくのも目立つので、素直に車道を行くことにした。
しかし、車道からでも北アルプスの見晴らしが素晴らしい。

穂高連峰。

右の尖塔が槍ヶ岳(3180m)。雪が付いておらず、黒いのでちょっと分かりにくい。
右端は常念岳(2857m)。

その右。真っ白なのは大天井岳(2922m)。

さらに右へ目を転じると、中央あたりに燕岳(2763m)。
その右下に有明山(2268m)の黒いシルエットが確認できる。

これはどの方角を写したのか忘れてしまったので分からない。

爺ヶ岳(左、2670m)と鹿島槍ヶ岳(右、2889m)。

それも含めて白馬方面の全容。

振り返ると、武石峰(1973m)。

ではゲートをすり抜けて参りましょう。

この道はわりと日常的に関係者の車が入るので、あまり荒れていない。

巨岩の横を通過。

道の左手には多少雪が残っていた。

まさにハイキングだ。

王ヶ鼻への分岐まで20分ちょっとで着いた。

この分岐からの眺めがまた素晴らしい。
南西の方角には、鉢伏山(1928m)の向こうに中央アルプス。

南東の方角、霧ヶ峰・車山(1925m)の先に富士山。

鷲ヶ峰(1798m)の奥には、先週登った地蔵岳(2764m)。

蓼科山(2530m)。

八ヶ岳。

この分岐を左折する。

さすがに登山者が多い。

左手に以前、探索したことがある王ヶ山荘。

2年半前は倉庫として使われていたが、今はどうなのだろう。

まもなく王ヶ頭へのショートカット登山道との分岐に出た。

道標に従って行ったら、巻き道であることが判明。
もちろん巻き道からも行けるのだけど、これは不親切。
数㍍先の分岐から入り直した。

正面に蓼科山と八ヶ岳が展開する。

右下は三城牧場。

頂上には人だかりが。

振り返れば、王ヶ鼻近くのアンテナと穂高連峰。

鉄平石の道を登ること5分で、王ヶ頭に登頂。

ここに来るのは、3年ぶり2度目である。

わりと混んでいたので、自撮りもせず、早々に立ち去る。

後ほど、あの崖の縁、アルプス展望コースを歩く予定だ。

南アルプス方面は残念ながら少し雲が多い。

甲斐駒(2967m)も仙丈ヶ岳(3033m)も頂上は見えなかった。

食事の適地を探して、王ヶ頭ホテルに向かう。

時刻はもうとっくに正午を過ぎている。お腹が空いた。
でも、その前に、御嶽神社に参拝しておいた。


(つづく)
【2017年4月30日(日)】地蔵岳
巨大な擁壁工事現場を過ぎて青木鉱泉に向かっている。

ちょっとカッコいい案内図があった。

平和な林道歩きだ。

ここはバス停ではないが、バス利用者のためのお知らせ時刻表。
シーズン中は1日4往復もあることにびっくり。

でも、これが出てきたということは青木鉱泉も近い。

そういえば、青木鉱泉はまだ営業していないとの噂を鳳凰小屋で聞いた気がするが。

またしても、ミヤマキンバイの群落。まだ5月にもなっていないのに。

やっと建物が見えた。

工事現場から10数分。10:25に青木鉱泉に到着。予想していたのより、かなり大きい。

しかし、雰囲気が静か。やはりお休みなのだろうか。

とにかく、ここで登山道は終了。

ツツジが満開だった。

ここは薬師岳(2780m)に至る中道コースの起点でもある。

とりあえず、しばし休憩。

御座石鉱泉には入りたくないので、お風呂はどこかの日帰り入浴施設になるかなあと思っていたら、ここで入れるらしい。

御座石鉱泉まで行く道の状況を宿の人に聞きにいってくれたO君が仕入れた情報だ。
本営業は明日からだが、男だけなら今日入れてあげられるとのこと。
ありがたい。だったら、御座石で車を回収したら、ここに戻って来よう。
肝心の登山道の件だが、近年はほとんど誰も歩いておらず荒れているので、林道を歩いた方がいいとのこと。
登山道のコースタイムは1時間だが、林道経由でも1時間くらいで行けるそうだ。
時間がそれほど変わらないなら、別に登山道にはこだわらない。
むしろリラックスして歩けて、開けている方がいい。林道経由で行くことにした。
またまたお腹が空いてきたので、ここで麦チョコを食べ切ってしまった。
水道があったので、水も補給した。
15分ほど休んで出発。

12:15発のバスがすでに待機していた。


そっか、ここから甘利山方面にも行けるんだった。

ここの駐車場は有料。

しばらくはダートの道を歩く。

開けた場所に出た。

正面に見えているのは、金峰山(2599m)だろうか。
あまり見たことのない角度からなので形が随分違うけど。

御所山(1892m)方面。

見えるのがちょっと不思議な気がするけど、櫛形山(2052m)かな?

背後は薬師岳(左)と観音岳(右、2840m)。

林道はカラマツ林の中を貫いている。

カラマツの新緑と観音岳の残雪の組み合わせ。実に素晴らしい。

ドンドコ沢は砂防工事が念入りに行われているようだ。

昭和34年建立の造林記念碑。

この先はずっと舗装道路。

ヤマザクラがまだ咲いていた。

砂防ダムで遊んでいる人を発見。

右は燕頭山(2105m)。

「床固」というのは文字通り、河床をコンクリートで固めて土砂の流出を防ぐもののことなのだろう。

それにしても新緑が美しい。カラマツは紅葉した季節ばかり見ているので、新緑は新鮮だ。

甘利山への分岐を通過。

帰りは、この道を通って帰ることにした。

このあたりの河原には、山菜採りの家族連れなどが、たくさん来ていた。

実にすがすがしい車道歩きだ。


ドンドコ沢改め小武川を渡る。

右前方に八ヶ岳。

再来週、あそこに登るので、雪はどんどん解けてほしい。

左は編笠山(2524m)。

いや~いい季節だ。

青木鉱泉から40分で御座石鉱泉への林道に合流。

ここから登りに転じる。

ここが御座石林道の起点。

湯沢を渡る。

こちらも砂防ダムが累々と連なっている。

正面に薬師岳が覗いていた。

分岐までは下りで楽だったが、この先はかなり急勾配の登り。

御座石鉱泉まで160mも登らなければならない。

しかも下界はかなり暑い。

途中、北精進ヶ滝に行く道が右に分岐していた。

写真を撮ったりして、ぐずぐずしているうちに2人とは離れてしまい、最後まで追いつくことができなかった。

急な登りで最後の最後に汗をかいてしまったが、小屋から6時間かからずに御座石鉱泉に到着した。

青木鉱泉のおやじさんの言う通り、林道歩きは1時間ちょっとだった。
すぐに、車に乗って再び青木鉱泉に向かう。
一堂、「車は速いねえ」と改めて感心。
またお腹が空いたので、車内でグラノーラを食べてしまった。
青木鉱泉にとっては我々が今年最初の客となった。

沸かし湯なので、途中で宿の主人が「湯加減大丈夫?」と様子を聞きにきてくれた。
いい人だ。

入浴料1000円の価値はあった。

蛇口からお湯は出なかったけど大満足。
それにしてもさっぱりした。
お礼を申し上げて、午後1時に出発。
韮崎には往路とは別ルートの鳥居峠を経由して向かった。
八ヶ岳などが望める景色のいいドライブコースだった。
この付近にはろくな店がないので、昼食は甲府で食べることにして、国道20号を東進。
正面にちょっと霞んだ富士山が大きく見えた。

お昼は結局、甲府市内の甲州名物ほうとうの店にした。

チェーン店の「小作」である。

私は、ほうとうは汗をかきそうだったので、忍野そばとミニうな丼のセット(1300円)にした。

二人はほうとうのセット。
その前に、つまみとして甲州のB級グルメ鳥モツと馬刺しを頼んだ。


いずれも、おいしかった。
二人はノンアルを飲んだが、私は止めておいた。
そばセットだけでお腹いっぱいなのに、ほうとうセットの方はさらにボリューム満点で、H君は食べきれないからと、少しほうとうを分けてくれた。
全部食べるのは大変だけど、少しだとおいしいね。
一堂満腹になって車に戻る。
甲府駅には14時半前に着いた。

ここでO君とはお別れ。

H君は15:55発のあずさの指定券を買ってあるが、早い電車が空いていたら、その方がいい。
15:03甲府発の特急あずさが運よくまだ空いていたので、彼はそれに変更。
私はみどりの窓口でH君と別れ、14:46発の普通列車へ。

その前にトイレで不要なものは出しておいた。
始発ではなかったが、ちょうど1つボックス席が空いていたので、そこに陣取る。
南側なので陽射しが暑いが、私には車窓を見る方が優先だ。

電車は各駅に停まるたびに登山者を乗せていく。
どんどん混んでくるのに、前に座っていた若者は隣の席に置いたカバンをどけようとしない。
暑そうにしていたので、最初は日よけを下ろしてあげようと思っていたが、そういう態度なら罰として陽射しの刑に処した。
大月あたりでほぼ満席となり、上野原でぎゅうぎゅうになった。
さすがにGWだ。
高尾で特別快速に乗り換え。
こちらも座ることができた。
国分寺発の電車は新所沢直通でうれしかった。
帰宅したのは18時。
今回もまた雪山だったが、気になっていた鳳凰小屋泊の周回コースを歩けて、滝もすべて見られて満足。
何より、北海道から来たH君が喜んでくれたのがうれしかった。
【行程】2017年4月30日
鳳凰小屋(6:00)~五色の滝(6:43)~白糸の滝(7:09撮影、身支度7:18)~鳳凰の滝分岐(7:54)~鳳凰の滝(8:05撮影、休憩8:16)~青木鉱泉分岐(8:23)~南精進の滝分岐(8:53)~南精進の滝(8:59撮影9:01)~分岐(9:04)~沢コース分岐跡(9:51)~法面工事現場(10:12)~青木鉱泉(10:25休憩10:41)~林道分岐(11:21)~御座石鉱泉(11:48)
※所要時間:5時間48分(歩行時間:5時間20分)コースタイム:5時間40分
※登った山:なし
※歩行距離:10.9km
【2017年4月30日(日)】地蔵岳
鳳凰小屋から3時間で南精進ヶ滝に着いた。

2段の滝の間に滝壺が見える。

水量が多く、今回見た4つの滝の中では最も迫力があった

岩壁もほぼ垂直。

水がめちゃめちゃきれいだ。

やけに早いが、日向にミヤマキンバイが咲いていた。

というわけで、南精進ヶ滝を後にする。

「南」というくらいだから「北」もあるのだろうと調べてみたら、燕頭山(2015m)をはさんで北にある石空川の上流に「北精進ヶ滝」があった。
慰霊碑のある分岐を通過。

ちょっと大きめの沢を渡渉する。

しかしここで不覚にもスリップし、左手を沢の中にザブンと付いてしまった。
シャツの袖がびしょびしょになったが、絞るわけにもいかず、そのまま乾かすしかない。

それにして転倒しなくてよかった。

ここから先がまた長い。

またまたコバイケイソウの群落。

でも、コバイケイソウではなくバイケイソウなのかな。

これだけでは、ちょっと見分けが付かない。

標高1500m付近まで下ってきた。

正面に巨岩が見えるが、あの下をくぐるのかな。

胎内くぐりかと楽しみにしていたら、道は手前で右折していた。

またまた渡渉のようだ。

今度はすんなり。

でも、この沢は別の意味で随分危なげだ。

ほとんど崩れかけている。

対岸にも大規模な崩落箇所が見えた。

真っ白な花崗岩。

花崗岩の沢はほんとに水がきれいだ。

こういう崩落予備軍な感じも南アルプスの特徴だろう。

この程度の滝なら無数にある。

燕頭山のピークかしら。

久々に見えた稜線。たぶん観音岳(2780m)の北にある2840mピーク。

山腹のトラバースなので、道が細いところもあるし、アップダウンもある。

その連続なので、いい加減疲れる。

それだけにコバイケイソウの緑に癒される。

もうしばらくの辛抱だ。

9時半頃、青木鉱泉から登ってくる人とすれ違った。

右手に見える稜線。

なおもトラバース。

ただ斜面はだいぶなだらかになってきた気もする。

かと思えば、崩落箇所の上を行く。

ロープのある細いトラバース。

わりと古めの道標。

こちらは随分略式だ。

ここからはジグザグに100m以上下っていく。

文字通りのつづら折りだ。

黙々と行ったり来たりを繰り返す。

いったん山側を振り返る。

写真を撮っている間に2人は随分先まで行ってしまった。

途中、分岐っぽいところに出た。山腹トラバースの道は通行禁止のようだ。

「山と高原地図」にはしっかりした実線で書かれているのだが。

大きな砂防ダムのあるあたりまで下ってきた。

このあたりで標高は1300m。

標高差120mの斜面を下り切った。

南精進ヶ滝から1時間近く歩いて、やっとドンドコ沢の谷底まで下りてきた。

振り返れば、地表が剥がれ落ちたかのような岩壁。

右手には本流の砂防ダムが見えた。

こちらは支流の石積み砂防ダム。

登る人にとっては、ここからが本格的な登山道だ。

さっきの支流を渡渉。

鉄分が多いのか水の色が赤い。

これまた、やけに早いタテヤマリンドウ。

やっと平らな道を歩ける。

振り返ると、木々を透かして、地蔵岳(2764m)、観音岳の稜線が見える。

谷底に下りてきても、まだまだ下るようだ。

鳳凰小屋から4時間が経過。10時を過ぎた。

落ち葉を踏みしめて進む。

完全に河川敷の中に入った。

平和通りである。

韮崎北西小学校の仁科里夏ちゃんが揮毫した小武川第三砂防堰堤を通過。

岩の隙間から健気に咲くツツジ。

壁だ。

作業用道路に入ってきた。

このあたり広範囲で工事をしているようだ。

法面工事だ。かなり大規模である。

それを避けるため、ここから登山道は右岸に迂回する。

本流の堰堤を渡ることになる。

巨大なピカチュウだ。

川を渡ったおかげで、ダムの向こうに観音岳を望むことができた。


やはりまだ雪が多い。

景観は損ねてしまうが、崩落防止のためには止むを得まい。

この工事は何年がかりなのだろう。

資材を運ぶケーブル。

警報機。

さすがに今日は日曜日なので作業はお休みだ。

再び左岸に戻る。

再度、観音岳。

左岸に渡った。

あとは、ダートだけど車道歩きになる。

すっかりリラックスムードだ。

(つづく)
【2017年4月30日(日)】地蔵岳
五色滝を見学して、青木鉱泉を目指している。

次は白糸滝に向けて下っていく。

この道標、いったい五色滝はどっちなのか。

小さな谷を横断。

このあたり、踏み跡が正しいのかどうか慎重に見極めながら進む。

もう沢が露出しているところもあり、安全なルートを選ばないといけない。

時折、夏道が見えるとホッとする。

ただ、トラバースはかなり歩きにくい。

振り返ると、たいぶ土が見えてきていることがよく分かる。

巨岩。

岩壁をトラバース。

白糸滝の前には五色滝分岐から20数分で着いた。

かなり古い看板も残っていた。

滝はここからすぐ見える。

上の方が白糸滝だろう。

ほとばしる雪解け水。

巨大な岩がゴロゴロしている。

南に見えるのは千頭星山(2139m)か。


やはり岩の固いところが滝になるようだ。

だいぶ雪も少なくなったので、ここでアイゼンを外そうということになった。

私はこの先もしばらく日蔭にはかなり残っていそうな気がしたので、まだ早いかなと思い、チェーンに履き替えるにとどめた。
その後も氷が残っていたり、雪があったりしたので、これで正解だった。

でも、氷は見えにくく、チェーンも効かないことが多いので細心の注意を払った。

標高1900m付近でほぼ雪がなくなったので、チェーンを外した。

あとは、夏道。

やっとリラックスできる。

ただ、下りの傾斜がかなりきつい。

辛抱、辛抱。

着実に下ってはいるのだから。

この角柱状の巨岩は上から滑り落ちてきたのだろうか。

末端につっかえ棒がしてあった。

下り始めて2時間近く経過。

小さな沢を渡渉したりする。

清冽な流れだ。

崩落で道が寸断されている箇所に出た。

迂回のためかなり登らなければならない。

二日酔いの影響で登り返しがかなりきつい。

尖塔の下でやっと下りになった。

ここの下りには凍結箇所があった。スリップ注意だ。

迂回路をクリアして間もなく、鳳凰の滝への分岐に到着。

鳳凰の滝まで200m5分と書いてあったが、10分近く歩かされた。
また戻るのが面倒だったが、途中、直接青木鉱泉に通じる道が分岐していて助かった。

段々になっている、それなりの滝が見えてきているのに、O君はどんどん進んでいく。

これが鳳凰の滝ではないのか。

その上は雪渓だけど。

じゃあ、あれのこと?

いや、この白い岩の奥にも何かありそうだぞ。

あ、見えた、見えた。

ずっと死角になって見えなかったが、向かい合って2つの滝が流れ落ちている。

それが鳳凰の翼のように見えたから、その名が付いたのだろう。

名前の由来を勝手に想像して、納得した。

そういえば、この岩は面長な人の横顔のように見えるね。

朝食をろくに食べていないので、さすがにお腹が空いてきた。
ここで小休止して、非常食のあんパンを1個食べることにした。

これで青木鉱泉までは持つだろう。
医者のH君が二日酔いには、水をどんどん飲むのがいいとアドバイスしてくれたので、ここまで本当によく飲んできた。
お茶500ccと小屋の水500ccはもうなくなりそうだったので、ここで沢水を1㍑補給した。
10分ほどで出発。

坂の途中で、間違えてこの枝をつかんでしまい、指に棘が刺さってしまった。

滝の分岐までは戻らず、ここを右折する。

もう、雪は完全になくなってしまった。

左手に見えるのは、昨日巻いた2216mピークかな。

急な下りはなおも続く。

標高が下がって、だいぶ暖かくなってきた。

岩場のへつり。

小さな沢を通過。

花崗岩なので、川の水も透き通っている。

この沢も渡る。

しめ縄をかけたような岩。

左手の稜線の岩も花崗岩だ。

下にも花崗岩がゴロゴロ。

地形図では、次の南精進ヶ滝までわりと近く書かれていたのに、かなり下らされている。

もう滝はいいや、くらいな気持ちになってくる。

コバイケイソウの新芽が出ていた。

道端に群生している。

今年は豊作だろうか。

春の息吹を思い切り感じた。

花崗岩の小さなケルンを通過。

それにしても遠いぞ。

結局、南精進ヶ滝の分岐まで30分もかかった。

ここには遭難者の慰霊碑があった。

遭難は11月とのことだが、天候の急変にでも遭ったのだろうか。

手を合わせて滝へ向かう。

このあたりも崩落箇所が多い。

一つ間違うと奈落の底。

滝まで随分歩かされた。

しかも岩場まで登らされた。

滝展望台経由で地蔵岳に行ける道があるようだ。本当かね。

6分かかって、やっと到着。

滝は上下に分かれていた。


(つづく)
【2017年4月29日(土)】地蔵岳
地蔵岳(2764m)から下りてきて、13時半に鳳凰小屋のこたつ部屋で祝杯を上げた。
はじめは我々3人だけで飲んでいたが、少しずつ人が増えていった。
最初に来た単独の男性は、東京の人。甲府に前泊して、韮崎発の始発バスで来たとのこと。
本当は東京を朝出て、2番目のバスで来ようと思ったが、踏み抜き情報で時間がかかると思ったので前泊にしたのだとか。登頂は明日にして、そのままピストン下山する予定らしい。
我々より3つ年上で、山を始めてまだ2年だが、去年はテントをかつぎ3泊4日で、三伏峠から塩見、間ノ岳を縦走したという。大した脚力だ。
次に入ってきた熟年夫婦は、なんと秋田から。
百名山をやっているらしく、「まだ60座ほどです」と謙遜していた。
自営で歯型を作っていらっしゃる方で、仕事の都合をつけて、まとまった休みを取り、集中的に百名山を登っているらしい。昨年は北海道を随分回ったのだとか。
間もなく、バイトの女の子が「今ひまなので、ちょっといいですか~」と言って、こたつに入ってきた。
山は好きだけど、小屋のバイトは初めてで、ここまで登ってくるだけで心が折れたと言っていた。
学生さんかと聞くと、もう卒業しており、就職はせず、新宿のバーで働いているという。
出身は上田で、長野の山ばかり登っていたのだとか。うらやましい話だ。
H君は「女の子がつく小屋なんて初めてだ。素晴らしい」と感激していた。
次に登場したのは単独女性。
O君と同じ静岡市内在住&我々と同じ学年ということで、これまた盛り上がった。
同じ年とは言うが、一回りくらい違うではないかというくらい若かった。
翌朝4人で記念撮影をしたが、我々のカメラには残っていない。失敗した。
このあたりからかなり酔いが回ってきたので、記憶があいまいだ。
カップルの2人はつい最近、別の山で出会って意気投合し、今度は韮崎駅で待ち合わせしようということになり、今ここにいるとのこと。
これにはみんなで「お~」と感激した。
みんなで話しているうちに、ドンドコ沢コースを上がってきたパーティーがいるらしいとの情報を得て、私が詳しいことを聞きにいくことになってしまった。
テン泊の人だったというので、テン場まで行き、だれかれ構わず「ドンドコ沢から来ましたか」と聞きまくった。

ずっと「いいえ」の連続だったが、酔っぱらっていて私の声が大きかったのか、テントからわざわざ顔を出して、「私ドンドコ沢ですけど」と名乗り出てくれた。
聞くと、踏み抜きもそれほどではないし、道にも迷わなかったという。
酔っていなければ、知らない人に聞いて回るような真似はできなかっただろう。
部屋に戻って、その旨報告。
あすは天気がいい予報なので、赤抜沢ノ頭まで登って北岳を拝んでから下山する案もあったが、ドンドコ沢をまっすぐ下ることにした。
車は御座石温泉に置いてあるので、ドンドコ沢の登り口、青木鉱泉から御座石まで1時間余計に歩かないといけないが、下山するだけなら時間はたっぷりあるので、とくに問題ない。
そういうことで明日はドンドコ沢を下ることに決定した。
わたし的には、ピストンが避けられて、ピンクの線を地形図にたくさん引けるので、この上なくありがたい。
夕食は17時半からカレー。みんなで一旦、食堂に移動する。

カレーは生姜味が効いていたとH君が言っていたが、これまで4時間飲み続けており、味はほとんど記憶にない。
私も半分おかわりしたらしいが、それも記憶にない。
でも具がたっぷり入ったおいしいカレーだったことは間違いない。
食後またこたつに戻り、さっきより大勢の方々(20人くらい?)と歓談したのだが、内容は全部忘れた。

19時半に消灯となり、電気からランプに変わったことだけは覚えている。
小屋開けのため雪掘りをしたアオト君やオーナーにあれこれ取材していたらしいが、それも翌日H君から聞いた話。
20時半にはお開きになったので、寝床へ。
耳栓をしようとポーチを探したが、見当たらないので、そのまま寝てしまった。
夜中はものすごく寒くて何度も目が覚めた。
下に敷いていた毛布を上にかけ直してもまだ寒かった。
それに目が覚めるたびにひどい頭痛。完全な二日酔いだ。
担ぎ上げた、ウイスキーと焼酎計1㍑を3人で飲み干してしまったのだから、さもありなん。
【行程】2017年4月29日
御座石鉱泉(6:38)~西ノ平(7:27)~旭岳(8:47)~燕頭山(9:26休憩9:37)~鳳凰小屋(11:14昼食11:44)~地蔵岳(12:36撮影12:43)~鳳凰小屋(13:08)
※所要時間:6時間30分(歩行時間:5時間35分)コースタイム:7時間40分
※登った山:3座(うち新規2座:旭岳、燕頭山)
※歩行距離:7.2km
【2017年4月30日(日)】
まだ暗いうちから、パッキングをしている人々の音がする。
それがかなり長い。
早出するなら、前夜のうちにある程度やっておいて、仕上げは1階に下りてからしてほしいものだ。
それにしても頭が痛い。
夜中何度も目が覚めながら、その都度、眠りに落ちたが、4:40にとうとう眠れなくなってしまった。
便意を催していたので、外のトイレへ。
20分近く粘って大量に出た。二日酔いのわりにはゆるくなかった。

部屋に戻って布団の中に潜り込んだが、間もなくほとんどの人が動き出した。

やむなく我々も起きてパッキングを始める。

激しく気持ち悪いので、お茶をぐびぐび飲んだ。
5時半に朝食のため1階の食堂に下りたが、全く手が付けられない。

ご飯とおかずを3口ずつ食べてギブアップ。
おかずはO君に進呈した。
向かいに座った人が「二日酔い大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。
昨夜の酔っぱらった私の醜態を見ていたのだろう。
「だめです。ひどいです」と答えるのが精いっぱいだった。
ただ吐き気はそれほどでもなく、歩くにはとくに問題なさそうだ。

わりと早く準備ができたので、ドンドコ沢コースの入口を確認しておく。

道標はあるのだが、そちらの方向は雪捨て場になっており、昨日上がってきたという方々の足跡がない。
小屋のスタッフに聞いてみたら、「あの木の間が登山道なんですが、足跡がないですね。どこから入ってきたんだろう」と彼も首をひねっている。
「登山道にペンキとかはあるんですよね」
「ええ。夏道なら迷うことはないんですが。この先いったん沢に出て、また樹林帯に入りますので」
という情報を得て、とにかくその木の間を行くことにする。
OH砲の準備も整い、ちょうど6時に出発。
いい天気になった。

「こっちだそうだよ」と言って、最初だけ私が先導。
するとトイレの先に、踏み跡を見つけた。

ラッキー。あとは、これをたどって行けばいい。

道も間違いない。

まだ朝方なので、雪も固く締まっており、歩きやすい。

でも、昨日歩いた人の足跡はかなり深いのもあり、それなりに踏み抜きはあったようだ。

結果論だが、ドンドコ沢を行きではなく帰りに使ったのは正解だった。

小屋番の人が言った通り、一旦、沢に出た。

この下は水が流れているのだろう。

歩きやすいので、このままずっと下まで下っていきたいほどだ。

背後は赤抜沢ノ頭かな。

谷にはこんな大きな岩も転がっている。


お、オベリスクも見えた。

今日登る人は吹雪に遭わないで済むだろう。

これはミニオベリスク?

正面に霞んでいるのは、もしかして富士山?

20分弱で沢道は終了。

再び樹林帯に入る。

途中で暑くなり、ダウンを脱いだ。

とりあえず目指すは五色滝。

早くも、ところどころ、土が見えてきた。

昨日の踏み抜きも目立つ。

かなり傾斜がきついところがあり、下るのも結構難儀だ。

出発してから40分ほどで五色滝の分岐に着いた。

ときどき、昨日の足跡が道を間違えていて、こちらもそれにつられて誤った方向に行ってしまったりしたが、その都度、3人で回りを見渡し、赤いペンキを探しながら軌道修正して、何とかたどり着いた。

五色滝までは分岐から2分ほど。

とくに五色には見えないが、なかなかの迫力だった。


下には氷柱が出来上がっていた。

残雪も面白い。

ゆっくり眺めを堪能して、出発した。

(つづく)
【2017年4月29日(土)】地蔵岳
鳳凰小屋の前でお昼を食べて、11:45頃、地蔵岳(2764m)山頂に向けて出発。

お酒など、余計な荷物は小屋に置かせてもらったので、ほぼ空身だ。
オーナーさんに「だいたい1時間だよ。いってらっしゃい」と見送ってもらった。
山頂への道は水場の前を通っていく。

雪解け水なので、かなり冷たそうだ。

奥に見えるあの建物はハイシーズンに使用するのかもしれない。

この先はもう完全な雪道。

しばらくは樹林帯の中を行く。

かなり雪が深い。

O君は体が冷えてしまったと言ってダウンを着込んでいたが、すぐに暑くなり、やはり脱いでしまった。

急登が続く。

間もなく、木々の隙間から激しい岩壁が見えてきた。

あそこでクライミングする人はいるのだろうか。

地蔵岳から東に延びる稜線。

再び樹林帯へ。

真ん中に氷の尾根がある木橋を渡る。

1時間とは言え、なかなか歯ごたえがある。

美しい森を抜けて、ぐいぐい高度を稼いでいく。小屋からの標高差は370mほど。

まだ陽射しがあるが、天気は持ってくれるかな。

左手に観音岳(2841m)への稜線も見えてきた。

しかし、観音岳の向こうに大きな雲が。

とにかく、いよいよ最後の直登にかかる。

植生はダケカンバに変わった。

やっと、オベリスクが出現。

樹林帯を抜けると、大雪渓のような急斜面が目の前に展開した。

頂上は眼の前のように見えるが、あと20分はかかるだろう。

最終的には25分もかかってしまったけど。

左手は観音岳。

陽射しを遮るものがないので、雪がまぶしくて、雪目になりそうになった。

それにしてもきついぞ。

かなり息が上がる。何度も立ち止まって観音岳を眺めた。

振り返ると、まだそれほど登っていないことが分かる。

オベリスクはすぐそこにあるのに。

ピークはさっき通過した燕頭山(2105m)。

当然、あの上にまで登る気はさらさらない。というか登れない。

途中でO君が落としたタオルを拾って、頑張って追いつき渡した。

花崗岩。

この雪の下は、花崗岩が風化した真砂土の斜面だ。

雪とどっちが登りやすかっただろう。

背後に奥秩父の稜線が霞む。

時折、強い風が吹き抜けていく。

あやや、正面から不穏な雲が湧いてきたぞ。

大丈夫だろうか。

オベリスクの背後も白くなってしまった。

そして完全に日が隠れてしまった。

頂上付近は多少、真砂土が露出している。

もう一度、振り返り。

地蔵岳の東稜。

オベリスクの下に連なる岩の波。

先端の形が面白い。

観音岳山頂を仰ぐ。

ようやくオベリスクの真横まで来た。

さあ、もうひと踏ん張り。

正面は赤抜沢ノ頭方面。

振り返ってみると、それほど急な坂には見えないが、かなりきつかった。

というわけで、やっと頂上扱いの鞍部にたどり着いた。

小屋から50分ちょっと。

コースタイムは1時間20分だからかなり速い。

あまり記憶になかったが、ここ賽の河原の手前に立派な山名板があったので記念撮影。

天気は何とか間に合って、正面に甲斐駒(2967m)を望むことができた。

左はアサヨ峰(2799m)。

石仏が並ぶ懐かしい賽の河原。

ここに来るのは、5年ぶりである。

その間に随分新しい石仏も立っていた。


よく見ると、オベリスクに登ろうとしている人々の姿が見えた。

しかし、着いた途端、猛烈に強い風が吹き始め、雪が舞い始めた。

ヤマテンの予報が的中。

すぐにダウンを着て、早々に下山を開始した。

霞み始めた観音岳。

下りは文字通り滑るように下った。

折角階段状になっていたトレースを3人でどんどん破壊しながらになるが、仕方ない。

後半は登りの人とすれ違ったのでルートを変えたが、踏み抜きはなかったので、最初から別ラインを下ればよかった。

後から来る人には申し訳ないことをした。

とにかく小屋へと急ぐ。

さっき渡った木橋。滑らないよう慎重に渡る。

下りはわずか25分しか、かからなかった。

ここまで来たら、また陽がさし始めた。

小屋に着くと、土間の食堂に案内されたので、そこでアイゼンとスパッツをはずす。
アイゼンを屋根の上に干してから、荷物を置きに寝床へ。
バイトの女の子が案内してくれたのは、2階の上段角。
ちゃんと1人分の布団は確保できそうだ。
でも今日は予約がかなり多く入ったので、今空いているスペースにも客が入るかもとのこと。
最終的にはほぼ満室になったかもしれない。
H君からウエットシートをもらい、布団の上で体をふきふき。
局部もしっかり拭いたら、とてもスースーした。
今回はあえて着替えは持ってこなかった。
この時期あまり汗をかかないし、かいてもすぐ引いてしまうからだが、思った通りとくに問題なかった。
「1階にこたつがありますから~」と言われていたので、作業が終わったら、お湯とウイスキーを持って下に下りた。
空になったペットボトル2本に水場の冷たい水を入れて持ち込み、準備万端。
こたつ部屋は寒いが、こたつの中は暖かい。
なんと、中に炭が入っている。
「やけどしますので、足は四隅に置いてください」とのことだった。
正しくは「4辺」だろうけど。
早速、缶ビール(600円)を3本注文。
無事登頂を祝って乾杯した。

(つづく)
【2017年4月29日(土)】地蔵岳
燕頭山(2105m)を通過して地蔵岳(2764m)を目指している。

頂上台地の北側をトラバース。

すると、いきなり右手が開け、観音岳(2840m)が目に飛び込んできた。

その右には地蔵岳。

オベリスクを初めて拝むことができた。

残雪があると、やはり風格が増す。

さらにその右奥に甲斐駒(2967m)が姿を現した。

摩利支天を従えた甲斐駒の威容には目を見張るばかり。

H君も「かっこいい」を連発していた。

私もバシャバシャ、シャッターを切ってしまう。

今日は本当に最高の天気に恵まれた。

鼻の穴を膨らませて、雪のトラバースを再開。

10分ほどで巻き終えて尾根に出た。左手は崩落している。

鞍部を木道で渡る。「アイゼンが食い込む~」とH君が喜んでいた。

左は千頭星山(2139m)。

右は離山(2307m)方面。

八ヶ岳もまる見えだ。

この先は2216mピークに向けて、緩やかな登り。

谷にはしっかり雪が残っている。

崩れかけた場所には木の階段が設けられていた。

残雪と土、かわりばんこだ。

このあたりで標高は約2100m。

なんと階段も崩れかけていた。

あれが2216mピークかな。

再び、北斜面をトラバース。

かなり雪が多くなってきた。

しかし、開けたら眺めは抜群。

地蔵岳の岩肌もよく見える。

尾根に戻ると、雪はまた少なくなる。

樹林帯の中を黙々と登っていく。

岩が露出するようになってきた。

こういう標識には距離か時間を書いてほしいなあ。

雪道は踏み抜かないよう、踏み跡をちゃんとたどって歩く。

大岩の横を通過。

まだ、このあたりは雪のないところも結構ある。

丸太の橋のあるあたりはすっかり解けていた。

コケも雪が解けて、うれしそう。

ここから尾根を外れて、再び北斜面のトラバースに入る。

古い道標。

間もなく、地蔵岳が見えてきた。

今日は午後から大気の状態が不安定になるとの予報。
稜線では風が強くなり、雪が舞うところもあるという。雷にも要注意だ。
そんな心配は全然ないのではないかと思っていたら、地蔵岳の背後に不穏な雲が発生してきた。

なんとか持ちこたえてほしい、とサルオガセに祈る。

やはり北斜面は雪がかなり残っている。

2216mピークを巻き終わり、2200mを超えると完全な雪道になった。

次の2401mピークは2350m付近まで尾根を登り、その先を巻くように地形図には書いてあるが、ほぼ最初から巻き始めた。

でも、これがかなりの勾配。

急斜面のトラバースもあり、O君はここでピッケルを取り出した。

積雪は1mくらいある。

道標がこんなに埋まっているくらいだ。

しかし、しっかり踏み固められており、ほとんど踏み抜かずに歩くことができた。

なおも樹林帯は続く。

さすがに下ってくる人がいないので、脇に避けなくて済むのがありがたい。

夏道より1mくらい高いところを歩いていることがよく分かる。

それにしても、H君はせっかく北海道から内地に来たのに、また雪道を歩かされて、ちょっと気の毒。

でも、私も残雪期に2800m級の山に登るのは初めてだ。

オベリスクがだんだん近づいてきた。

その左は、赤抜沢ノ頭。

これこそ峨々たる山容というのだろう。

この角度から見ると、オベリスクはカニのはさみのようだ。

実にかっこいい。

それにしてもトレースが付いているので助かる。

45分かけて標高差150mの巻きは終了。

今度は南側の緩斜面をリラックスして歩く。さすがに雪道のトラバースは緊張していたから。

こちら側からは観音岳がよく見える。

その頂上付近。

南斜面は陽が当たるので暖かい。

あの雲はそれほど不穏さを感じないけど、本当に天気は下り坂なのか。

標高2300mを超えると、さすがに南斜面にも雪が大量に残っている。

巻き終えてから15分ほどで鳳凰小屋が見えてきた。

わりと大きな小屋だ。

この黒い小屋はトイレ。

11:14、小屋に到着。登山口から4時間40分かからなかった。
コースタイムは5時間半なので、かなり成績がいい。そう言えば、あまり休まなかったし。

オーナーさんが外に出ていて、元気に迎えてくれた。
「トイレはあそこ。手続きはあとでいいから、まず休憩して」と案内されたのは、雪から掘り起こされたベンチ。

お言葉に甘えて、そこに陣取り、とりあえずお昼にすることにした。
雪の壁が風を防いでくれるので、陽が当たっていると暖かいが、日が陰ると寒い。
早々にダウンを着込んだ。
お昼はカップ麺とおにぎり1個。

H君はパン2個、O君はおにぎりだった。

私だけカップ麺なので、ちょっと2人を待たせてしまった。

天気もまだいいし、時間も早いので、当然頂上へ登ることにする。

その前にチェックイン。
明日のお昼のお弁当(1000円)含め9000円だったが、「明日は下るだけなので、お昼は下界で食べられるんじゃない?」とH君。
確かにそうなので1泊2食(8000円)にした。
鳳凰小屋オリジナルのバッジが3種類あり、H君は全部お買い上げ。

しめて2200円。彼は上客だ。
ちなみに、ここが水場です。

(つづく)
【2017年4月29日(土)】地蔵岳
西ノ平を過ぎて、急登中。

これはユリ・ゲラーの仕業か。

それにしても、かなり厳しい坂だ。

でも、前方に先行者を捉えた。

ぐいぐい登って、差を詰めていく。

道は小刻みなつづら折りだ。

時折、展望が開けて、八ヶ岳を望むことができた。右の尖塔は赤岳(2899m)。

眼下には韮崎の北に展開する七里岩(段丘崖)。

先行者を抜かし、えぐれた道を進む。

標高1730m付近で初めて雪を発見。

徐々に増えてくる。

でも、まだアイゼンを装着するには早い。

道標を通過。

「立身山五竜不動尊」の石碑。ここも信仰の山のようだ。

束の間の緩斜面。

「旭」と読める。右下の標柱「八合」は燕頭山(2105m)の8合目ということだろう。

この先で、左手が開けた。

崩落地形だ。

かなり崩れている。

急登はなおも続く。

崩落箇所も連続している。

これは落ちたらヤバい。

御所山(左、1892m)から千頭星山(右、2139m)にかけての稜線。

甲府盆地は霞んでいる。

日蔭はかなり雪が残っている。

そして、またまた崩落箇所。

どんどん崩れていく感じだ。

亀裂が無数に走っている。

左手はドンドコ沢の谷。

快晴だ。

1850mを過ぎると、雪がかなり多くなってきた。

でも、締まっているので、踏み抜くことはない。

標高1870m付近の斜面に祠があった。

標柱に「旭嶽」「頂上」とある。
改めて「山と高原地図」を見ると、現在地に「旭岳」と記されている。
ただの坂の途中で、ピークでも何でもないが、「登った山」に認定する。
これはH君も認めてくれた。

さっきの「八合」はどうやら旭岳の8合目だったようだ。

猿田彦大神の石碑は昭和7年の建立だった。

ここは左手が若干開けており

正面に燕頭山の頂上が望めた。

旭岳は写真を撮っただけで通過。

再び、崩落箇所のへりを伝っていく。

一体、こういう所がいくつあるのだろうか。

刻々と崩落が進んでいることがうかがえる。

この道もあと何年持つことやら。

右手の谷にとうとう雪渓が現れた。

かなり深そうだ。

登山道にはまだそれほどない。

この調子で燕頭山まで行きたいものだ。

しかし、なかなかそうもいかない。

ついに登山道が雪渓と合流してしまった。

それでも雪は締まっているので、しばらくアイゼンなしで頑張る。

しかし、ここまで来るともう限界か。

標高1970m付近で、一面残雪となったので、アイゼンをすることにした。

踏み跡以外は踏み抜いてしまうので、人を通るスペースは空けておかないといけない。
脇によけて、雪に埋まりながら、装着した。
この間にさっき抜かした外人のような顔をした男2人組に再び先行された。

準備ができたので出発。

谷はもう完全に雪だ。

4月にこれだけ残雪がある山を歩くのは初めてである。

緊張もするが、それなりに楽しい。

さすがにアイゼンを付けていると足元が安定する。

とくに急坂で威力を発揮した。

再び、八ヶ岳。あちらはあまり雪がないように見える。

霞む蓼科山(2531m)。

八ヶ岳の広大な裾野。

全体像。

八ヶ岳は初心者と2週間後に登ることになっているので、早く雪が解けてほしい。

しばらく行くと、さっき先行された2人組のうち、自称「ど素人」の男性を抜かす。

もう1人は、雪道をアイゼンなしで登っているど素人の相棒が遅れているのにおかまいなく、どんどん登っていく。
ああいう姿勢でいいのだろうか。
まあ、燕頭山の頂上で待っているつもりなのだろうけど。
いよいよ頂上が近づいてきた。

木々を透かして見えている雪にまみれた山は、目指す地蔵岳(2764m)だろうか。

どうやら頂上台地にのったようだ。

ベンチで先行者が休んでいる。

9:26、燕頭山に登頂。

コースタイム3時間半のところ、2時間50分で登り切ってしまった。

休んでいたのは若者のグループで、2人組だと思っていた人たちは、このグループの一部だった。

このあたり、かなりハルオガセが繁茂している。

とろろ昆布のようだ。

残念ながら展望は今ひとつ。

我々もしばし休憩。倒木に腰掛けてグラノーラを少し食べた。
若者たちに写真を撮ってもらって、出発。

休憩は10分ほどだった。

頂上台地にはあまり雪がない。

谷にも雪渓がなかった。

しばらくなだらかな道だ。

なかなか、よい雰囲気。

なんと木々の隙間から、甲斐駒(2967m)の雄姿が見えた。

(つづく)
【2017年4月29日(土)】地蔵岳
高校の同級生H君が4月末に学会出張で内地に来るとのことだったので、2月上旬にこの日の予定は決めていた。
御座石鉱泉から鳳凰三山の地蔵岳(2764m)に登り、鳳凰小屋に宿泊。翌日は青木鉱泉に下るというプランだ。
早々に鳳凰小屋に予約の電話を入れると、例年、4月末で小屋周辺には1mくらいの積雪があるという。
予想以上だが、それもまたよし。
当初はレンタカーを借りて現地まで行き、車を2台デポして、周回コースをとるつもりだったが、直近になってから小屋のブログを見ると、ドンドコ沢コースの雪の踏み抜きがひどいらしい。
O君からの助言もあり、尾根コースのピストンに決め、電車で行くことにした。
車はO君の1台のみだ。
前日の金曜日(28日)は登山靴にザックを背負って出勤。
東京駅のコインロッカーにザックを預けて、出社した。
18時すぎに退社。ザックを回収して、東京駅18:30前発の中央線快速に乗車。
新宿には18:46に到着した。

ホームであずさの写真を撮っていたら、松本のNさんから電話がかかってきた。

私の札幌転勤を知り、5月15日の送別会にわざわざ来てくれるそうだ。光栄な話だ。
売店で缶ビールと缶チューハイを1本ずつ買って、19時ちょうどのあずさ31号に乗り込む。

アナウンスによれば、今日は指定席が満席だそうだ。やはりGW前夜だけに混み合っている。
となりの席はしばらく空いていたが、外国人の大柄な女性が八王子から乗ってきた。
でも、次の大月で下りたので、ほとんど1人のようなものだった。
4分ほどの遅れで、20:50に韮崎に到着。

ここは南アルプスの玄関口の一つだ。

サッカーの盛んな土地でもある。

暗闇の中、徒歩で清水屋旅館へ。

10分ほどで着いた。

OH砲の2人は先に着いて、すでに夕食を済ませており、部屋でテレビを見ながら、焼酎を飲んでいた。

去年、瑞牆山に登った後に泊まった時と同じ部屋だった。
すぐに風呂に行ったが、脱衣所の鍵がかかっている。
女性が入っていると鍵がかかっていることがあるとのことだったので、バッドタイミングと思ったが、人の気配がしたので、一応「これからですか? 出るところですか?」とドア越しに聞いてみたが、返事がない。
やむなく、しばらく時間を空けることにして、部屋に戻り、お笑い(ドッキリ)を見ていた。
アキラ100%という芸人を初めてみた。おかしかった。
10時前に再挑戦で風呂に行くと、まだ鍵が閉まっている。
「え~」と思ったら、中から鍵が開き、おじさんが顔を出した。
中に入ると、そのおじさんは「風呂にまだ人がいるよ」というような顔をして、出て行った。
「そんなのは分かるよ」と思いつつ入浴。
中にいる2人は3つあるカランの両端で、立って体を洗っている。
そんなふうにされたら、間に入りにくいじゃないかと思いつつ、しばし湯舟で待機。
すると、一人が出て行ったので、やっとカランで髪を洗うことができた。
どうも様子がおかしいと思ったら、彼らは中国人だった。
だから、男のくせに鍵を掛けたり、立って体を洗ったりしていたのだろう。
部屋に戻って、ニュースなどを見ながら、11時には就寝した。
朝5時に起床。カーテンを開けると、真っ青な空。
今日登る地蔵岳のオベリスクもくっきりと見えた。

さくさくとパッキング。
6時出発の予定だったが、早く準備が整ったので、5時半に出発。

朝食用に用意してもらった弁当は車内で食べた。
小さいおにぎりだったが、3つもあったので、結構お腹いっぱいになった。
魚肉ソーセージは行動食にすることにした。
宿から1時間弱、6時半前に御座石鉱泉に到着。

駐車場にはすでに10台ほどの車が停まっていた。

ここは無料の市営駐車場だ。

40台ほど停められるらしい。

バスは今日から運行が始まるようだ。

正面に見えるのが、燕頭山(2105m)。

登山口周辺には、黄色いスイセンが一面に咲き乱れていた。

実は、この温泉、あまり評判がよくないので、下山後の入浴は青木鉱泉の予定。

身支度をして、ストレッチ。
トイレがあったので、まだ早いかなと思ったけど、2本ほどひねり出すことができた。

朝日をいっぱいに浴びて6:38に出発。

御座石鉱泉の裏を登っていく。

いきなりの急坂だ。

鳳凰小屋までは5時間半の行程。コースタイムは「山と高原地図」も同じだ。

スイセンのお見送りを受ける。

ツツジさん、おはようございます。

山麓は新緑の季節。上はまだ雪らしいが。

斜面にはまだ下草も生えていない。

つづら折りの道を行く。

束の間の緩斜面。

左手(南)に見えるのは御所山(1892m)かな。

道はトラバース気味に続く。

足元にはタチツボスミレ。

崩落箇所のすぐ上を行く。

歩き始めて20分ほどで130mほど登り、稜線にのった。

小さな鞍部を左折する。ここで標高は約1200m。

左手に再び御所山。

さらにぐいぐい登る。

右手には八ヶ岳が見えた。

この先しばらく緩斜面。

ドーム状の山は、北に位置する1307mピーク。

地べたに道標。

案内板も枠だけ。

突然、巨大な擁壁が現れた。

南アルプスは今も隆起を続けており、大規模な崩落があちこちで発生しているのだ。

ロープの柵が倒れていた。

崩落しているだけに、展望が開けた。

おかげで、櫛形山(2052m)も望むことができた。

擁壁のすぐ脇に設けられた道を進む。

ここから再び、なだらかになる。

まさに平和通り。

巨木の横を行く。

再び燕頭山も見えてきた。

最初の小ピークで休んでいた中高年のグループを抜かして、林道の終点、西ノ平に到着。

ここまでコースタイム1時間のところ50分。まずまずのペースだ。

林道終点には、鳳凰小屋のスタッフのものと思われる車が停めてあった。

林道終点を導線に従って横断。

標高は1320m

ここからまた急登となる。

ザックには800ccのお湯と、ペットボトル2本、ウイスキー500ccが入っているが、それほど重く感じない。

燕頭山への急坂は標高差約800mもある。

ガシガシ登って、2,3組のグループを抜かした。

コバイケイソウの新芽を発見。

天気は最高だ。

でも、昼過ぎからは雪の予報。ちょっと信じられない。

(つづく)
【2017年4月23日(日)】竜ヶ岳
竜ヶ岳(1485m)の頂上でお昼を食べながら晴れるのを待った。
でも、やはり富士山は見えないので30分ほどで出発。往路とは逆方向に下る。

御岳山塊もガスで霞んでいる。

西湖もかろうじて見える状態。

金峰山や国師ヶ岳などの奥秩父の山々も雲の中だ。

東の登山道からも結構登ってくる。

しばらくは前回歩いた道だ。

本栖湖が相変わらず青い。

ああっ! 富士山がほんの一部だけ顔を出した。

あの雲、早くどっかに飛んで行ってくれないか。

でも、時間がかかりそうなので、とりあえず進む。

眼下は青木ヶ原の樹海。

中央の突起は王岳(1623m)、右端は鬼ヶ岳(1738m)。

本栖湖の向こうは三方分山(1422m)。

本栖湖の湖岸道路がよく見える。

10分ほどで湖畔への道と石仏ルートとの分岐に到着。

まずは頂上を振り返る。

お、またまた富士山が。

雲よ、早く消えろ~!

しばらく待ってみた。

しかし、結局はまた雲の中。

もうちょっと粘ってみよう。

北の空に浮かぶシーラカンスのような雲を撮ったりしながら。

大室山(1468m)にも注目。

ほら、また出てきた、出てきた。

いい感じだぞ~

しかし、これが限界か。

8分ほど待ったが、状況はあまり変わらないので、断念して湖畔へ下る。この先は初めて歩く道だ。

眼下に本栖湖レストハウスあたりの湖岸が確認できた。

道はつづら折れになって続いている。

苔むした樹木に小さなサルノコシカケも。

たまには娘に前を歩いてもらう。

真っ白なキノコ天国。

曇ったかと思ったら

すぐに晴れた。

途中、ベンチがあったので小休止。

突然、娘に北朝鮮のことを聞かれたので、太平洋戦争終戦まで遡って説明してあげた。

周遊道路との分岐を通過。

ミズナラの巨木。

これがそう。

最後は木の階段を下る。

これで登山道はおしまい。

竜ヶ岳一体は「本栖の森」だった。

ここから車道歩きなのだが、早速ランナーが走り去って行った。

ここは富士五湖ウルトラマラソンの85km地点なので、もう終盤のはずなのに、かなり速いペースで走っていた。

この裏を見て、本日のレースの名称を知ったわけ。

ランナーたちは次から次へとやってくる。
私たちはなるべく湖岸側を歩きたいのだが、ランナーが湖岸側を走っているので、そうもいかない。
やむなく山側を行く。
しばらく歩いていると、かなり強めに催してきた。
さすがに下界に下りてくると適地がない。
駐車場まで間に合いそうもないので、湖畔に下りることにした。

ひゃ~めちゃめちゃきれいじゃん。

こんな美しいところで野○ソとは。

しかし、山側からは死角だが、湖側からは丸見え。

釣り人からは見られてしまう。

こうなったら奥の手。しゃがんでカメラを構える作戦。

これなら○んこをしているようには見えないだろう。

娘には、ちょっと離れたところで待っていてもらった。

こういう時に、批判がましい目をしないのがうちの娘のいいところだ。

道路に戻ると、この状態。

最初に見た人たちより、かなり疲れているように見えた。
ここまで来れば、車を置いた駐車場はすぐそこだ。

端足峠への登山口も通過。

残るは直線300m。

給水場のトイレにはこんなポスターが貼ってあった。

ここで私どもの登山は終了。4時間ちょっとの山行だった。

車で温泉に向かうべく、湖畔を走っていると、なんと富士山がまる見えではないか。

竜ヶ岳の雲もすっかり消えていた。

まさに「登山あるある」の巻だ。

湖水はどこまでも青い。

この姿を山頂から娘に見せてあげたかったぞよ。

大室山もいつか登ってみたい。

今日の温泉は、東海林湖畔にある山田屋ホテルの上九温泉・日乃出の湯。


富士山とサクラとランナーを撮影してからホテルの中へ。

ここには2011年11月、毛無山に登った時に入ったことがある。

わりといいお風呂だ。

実は露天風呂がユニーク。

1階なのに柵が低く、普通に立つと外から丸見えだ。女湯も同じだそうで、娘も驚いていた。

中から、こんな写真も撮れてしまう。

でも、いい湯だった。ロビーで娘が上がってくるのを待って、二人で湖畔に出てみた。
ツツジもきれいに咲いている。

サクラはまだ八分咲きといったところ。

4月の富士山は残雪が多くて、富士山らしい。

このサクラは随分密集して花を付けている。

大室山を前に抱えた「子抱き富士」。これが精進湖からの富士山の特徴。

噴煙を上げているような雲だ。

しつこくてすいません。

これは娘が撮ってくれました。

サクラとツツジのコラボ。

そんな感じで精進湖も楽しみ、帰途についたのだが、マラソンによる交通規制の影響で国道139号は大渋滞。
しばらく我慢したのだが、どうも進まないので、風穴前まで引き返し、西湖の北岸を経由して、河口湖ICに向かう。こちらはスムースだった。最初から迂回すればよかった。
河口湖は南岸を通り、富士河口湖町役場前からは、真正面に富士山の姿を捉えることができた。

中央道も最初は流れていたのだが、やはり上野原より先は渋滞の模様。
そのまま行くかどうか迷ったが、とりあえず談合坂SAに立ち寄って

ソフトクリーム休憩をとった。

これがそもそも間違いの始まりだった。

食べ終わって、SAから出ようとしたら、駐車場からすでに詰まっている。

前の車が別の駐車場ルートから出ようと、路面の矢印を無視して強引に逆方向に行ったので、おらも真似をしてしまった。
これが最大のミス。
もとの道なら、車の列は1列だったのに、駐車場はいくつもレーンがあるから、そこから次々に出てくる車の合流に時間がかかって、全く(本当に全く)進まない。

原因は事故のようだったが、本線がこの渋滞。

結局、駐車場から出るため200m進むのに1時間もかかってしまった。
娘はこういう時でも、絶対いら立ったり、八つ当たりをしたりしない。
やはり私に似たのだろうか。ちょっと申し訳なくなってしまった。
本線に合流しても渋滞には変わりない。
ノロノロ、ノロノロでいつになったら帰宅できることやら。
さすがに根負けして上野原ICで下りてしまった。
こういう時は下の道(国道20号)も渋滞しているに違いないので、県道33号を遡り、甲武トンネルで檜原、五日市に出る作戦にした。
もう真っ暗で道はあまりよく分からなかったが、勘だ。
途中、妻に「晩御飯よろしく」とラインしておいてと娘に頼んだら、「車がないから買い物に行っていない。ろくなものができないので食べてきてもいいよ」との返信。
私どもが彼女の車を借りているのだ。
まあ、そう言うということは「食べてこい」ということなので、五日市のファミレスに入った。
さすがに私も疲れ気味。

放心しているところを撮られてしまった。
何を食べたかは忘れてしまったが、帰宅できたのは21時を過ぎていたような気がする。
精進湖のホテルから6時間半もかかってしまった。
でも、娘と一緒に過ごせる時間が長くなったのだから、よしとしよう。
【行程】2017年4月23日
湖畔駐車場(8:48)~端足峠入口(8:52)~分岐(9:02)~端足峠(9:46)~鞍部(9:53休憩10:06)~竜ヶ岳(10:38昼食・撮影11:08)~分岐(11:17撮影11:25)~中腹(11:49休憩11:53)~湖畔登山口(12:16)~湖畔(12:29撮影等12:35)~駐車場(13:00)
※所要時間:4時間12分(歩行時間:3時間12分)コースタイム:4時間50分
※登った山:1座(新規なし)
※歩行距離:7.5km
【2017年4月23日(日)】竜ヶ岳
娘と1年ぶりのデート登山。4年前におつ山さんと一度登ったことがあるが、大きな富士山を娘に見せてあげたかったので、本栖湖の南にそびえる竜ヶ岳(1485m)に行くことにした。
無論、前回とは違うコースを歩く。
朝6時半に妻の車を借りて出発。
今日は予報通りよく晴れている。
でも、圏央道に乗っても、見えるはずの富士山が見えない。不安がよぎる。
小仏トンネルを抜けると朝霧。
これは晴れの前兆のようなものだから気にならなかったが、大月を過ぎて見た富士山はなんと厚い雲の中。
ガーン。こんなことってあるのか。
これじゃあ、竜ヶ岳に登る意味がないので、行き先を変更しようかと思ったが、とりあえず行ってみることにした。
すると、精進湖を過ぎたあたりで、目の前に真っ白な残雪を乗せた富士山が姿を現したではないか。

これには2人で歓喜の声を挙げた。
8時半前に、中之倉トンネル手前の駐車場に車を停めて、予習。

そこには絶景が広がっていた。

雲の帯をまとった富士山。

これが本日登る竜ヶ岳だ。

コブシも満開だった。

ちなみに富士山の左下に見えるのは、寄生火山の大室山(1468m)。

湖面には釣り船がぽつんぽつんと浮かんでいた。

富士山の左のとんがりは白山岳(3756m)。右が最高峰の剣ヶ峰(3776m)。

サクラともコラボしてみた。


さすがに、テンションが上がった。

頂上からの眺めが楽しみだ。
車に戻って、本栖キャンプ場近くの駐車場に向かう。

ここで給水場の設営が行われていた。
なんと、今日は第27回チャレンジ富士五湖ウルトラマラソンの開催日であった。
ランナーたちは山の上までは登って来ないだろうが、帰りの車道歩きの際はぶつかるかもしれない。ちょっと面倒だ。
それはともかく、念入りにストレッチをして、9時前に出発。
ここからすぐに始まる登山道で行ってもよかったのだが、入口がわかりにくかったし、少し遠回りなので、端足峠入口から登ることにして、まずは車道歩き。

登山口には5分かからずに着いた。

最初は幅の広い道を行く。

本栖湖畔歩道というわりには湖畔を歩かない道があって、それが左に分岐していた。

「山と高原地図」のコースタイムは頂上まで2時間25分だが、道標には2時間とあった。

間もなく、こんな貼り紙が巻き付けてある木が現れた。

確かに、踏み跡がはっきりしないところがあり、テープが頼りだった。

10分で駐車場からの道と合流。

ここからが本格的な登りになる。

しかも、かなりの急登。

間もなく、背後に本栖湖が見えてきた。

右手には雨ヶ岳(1772m)。

左手は竜ヶ岳。

それにしても本栖湖の青はまぶしいほどだ。

このあたりはまだ新緑には早いみたい。

なんとなく峠が見えてきた。

歩き始めて、ほぼ1時間で端足峠(1265m)に到着。

娘の足に合わせてゆっくり登ってきたつもりだが、コースタイムより25分も早かった。
やはり「山と高原地図」は甘々だ。
ここからも若干の眺望が得られた。
南東方向には竜ヶ岳から南に延びる稜線。北ノ平ノ頭(1206m)あたり。

その右には朝霧高原。

広大な牧場が広がっている。

雨ヶ岳方面は雲が流れていた。

ここでひと休みしたいところだったが、少し先の鞍部にベンチがあった記憶があるので、そこまで進むことにした。

鞍部まで思ったより距離がある。

正面に竜ヶ岳。

結局、記憶違いだったのか、ベンチはなかったので、鞍部のすぐ先の道端、コケの上に腰を下ろして休憩。

二人で熱いカフェオレを飲む。

ここからは南アルプスを正面に望むことができた。

甲斐駒(右、2967m)と仙丈ヶ岳(中央、3033m)。

雨ヶ岳の北の稜線。左の最も高いとんがりが1393mピーク。

これが雨ヶ岳だ。

10数分ほど休んで、登山再開。

ちょっと雨ヶ岳に迫る雲が不気味だ。

雨ヶ岳から1393mピークにかけて。

ササの急坂をぐいぐい登っていく。

端足峠から雨ヶ岳へ続く尾根を振り返る。

結構、風が強い。

とうとう雨ヶ岳に雲がかかった。実はこちらにも雲が流れてきている。大丈夫かな。

雨ヶ岳の稜線の向こうに覗くのは、おそらく塩見岳(3052m)。

大岩の横を通過。

う~ん、やはりこちらにも気になる雲が。

傾斜はかなり緩やかになった。

頂上までもう少し。

愛鷹山(1188m)は雲の中だ。

やばい、陽が隠れてしまった。

八ヶ岳はあんなにくっきり見えるのに。

ちょっと引いてみよう。

さあ、ラストスパート。

駐車場から1時間50分で竜ヶ岳登頂。道標のタイムより早かった。

石の山名板が真っ二つに割れて倒れていた。

こちらは山梨百名山の新しい標柱。

しかし、かかし残念ながら富士山が見えない。

富士山と竜ヶ岳の間にだけ雲があるという、悔しい状況だ。

まだ10時半すぎなのでお昼には早いのだが、食べながら晴れるのを待つことにする。

私は昨日の九鬼山に続いての生姜タンメンとわさびいなり。

風もあってかなり寒いので、ダウンを娘に貸し、私はウインドシェルと雨具を重ね着して我慢した。それでも寒かった。
こんなに人がいるのに、ベンチが空いていてラッキーと思ったのだが、それはみんな風を嫌って、ササのすぐそばに避難していたからだった。
娘をちらりとだけ紹介しましょう。

カップ麺で体を温めています。
でも、ちゃんとスープをかき混ぜなかったらしく、食べるに従って濃くなってきて飲めないというので、残りは私が飲んであげました。
甘やかしています。
私の方が先に食べ終わったので、しばし撮影活動。

雨ヶ岳はとうとう雲に隠れてしまった。

手前右のグループは、竜ヶ岳の刻印の入った石を運んできてガスストーブの台に使っていたので、「それは写真に撮りたい人もいると思うのでまずいんじゃないですか」と注意した。

すると、字が書いていない方の石と取り換えていた。
どうも公共のものであるという意識が希薄で困る。
(つづく)
【2017年4月22日(土)】九鬼山
天狗岩を後にして、九鬼山(970m)の頂上を目指している。

4月も下旬となれば、こんなに若葉が成長している。

石舞台を通過。

おそらく最後の急坂。

ロープに頼りながら登る。

ラストスパート。

天狗岩からちょうど10分で稜線に乗った。

ここまで来たら、もう頂上はすぐそこだ。

歩き始めてから1時間40分で、九鬼山に登頂。

ここは大月市の秀麗富嶽十二景の一つだ。

この木の間から富士山が見えるはずだが、やはり見えない。

2人に見せてあげたかったなあ。

九鬼山は二等三角点だった。

北の眺望はやや霞んでいるものの、わりとよく見えた。

北東の方向は、中列右に百蔵山(1003m)。その奥は権現山(1312m)の稜線。

北西は、小金沢連嶺。

小さな祠に無事登頂のお礼を。

それでは乾杯といきますか。

今日はビールを保冷材にくるんで持ってきたので、とても冷えている。
これには両君とも感激してくれた。
とくにT君は「山はいいなあ、ほんとに」と喜んでいた。
昼飯は生姜タンメン。山専ボトルのお湯でいただいた。

デザートのプリンはS君提供。甘いものもありがたい。

30分ちょっと休んで出発。

さっきの分岐を今度は落合橋方面に下る。

ここからも本当は富士山が見えるはずだったのだが。

ほんの少し稜線を歩いて

次の分岐は右に下る。左方面の道は以前歩いたことがある。

なんと、ここに「久美山」の文字が。標高は786m。

前回は気づかなかったが、思いがけず「登った山」が1つ稼げてうれしかった。
さあ、ここからは本格的な下山。

マメサクラを愛でながら下る。

このルートは初めて歩くのだが、杉山新道というらしい。

古い倒木が激しくほぐれている。

新緑の疎林を通過。

道はわりとよく踏まれている。

しばらく曇っていたが、一瞬日が差した。

久美山から15分ほどで弥生峠に至る。

向かうは禾生駅。

かなり急な下りだ。

時々、一服できるけど。

激しく密集したキノコだこと。

こちらは見事に成長したサルノコシカケ。

なかなか気持ちいい。


足元にイカリソウ。

クロモジも咲いていた。

下りが長いので、ちょっとひと息。

「庚申組」という名前は珍しい。地元の共有林なのだろうか。

これはヤマブキ。

なんとなく人の顔にも見える。

低山でも、こういう色が見られるから、山は楽しい。

新道のわりには、道標が朽ちかけていた。

思いがけず、渡渉。

終盤は植林の中の道。

かなりえぐれている。

間伐材。このあたり、ちゃんと手入れがなされている。

地面にはサクラの花びらが散って、美しい。

そろそろ里に出る頃かな。

はい、出ました。

ヤマブキのお見送りを受けて、さようなら。

そしてシダレザクラのお出迎え。

ここからは車道を歩いて禾生駅へ。

石仏たちも勢ぞろいで迎えてくれた。

これもサクラなのかしら。

このあたりでタクシー会社に電話をして、20分後に禾生駅に来てもらうようお願いした。
左手に見えるのは、赤レンガの落合橋。

随分、立派だ。

駒橋発電所の落合水路橋で、明治40年(1907年)に東京電灯株式会社(今の東京電力)が建設したとのこと。

国の有形文化財に登録されている。

ホテルスターらんどの入浴は800円とあるが、営業しているのだろうか。

ピンクのサクラが目に鮮やか。

その背後が今登ってきた九鬼山だ。

朝日川を道路橋で渡る。

間もなく国道139号に出た。リニア実験線が近い。

でも、駅まではまだちょっと距離がある。

改めて、7連アーチの落合水路橋を眺める。

春の九鬼山。

水路橋の延長線上にある水路を国道がまたぐ。

これから向かう芭蕉月待ちの湯までは、5.5kmあるが、そこまで歩くわけではない。

「富士みち」と呼ばれる国道139号を禾生駅まで行って、そこからタクシーに乗る予定だ。

国道沿いにある禾生駅バス停。

落合橋から15分ほどで禾生駅に到着。時刻は13:48。

もうタクシーは待っていたが

一応、駅構内を撮影して、本日の登山は終了。

タクシーで月待ちの湯に向かう。

のんびり湯に浸かって、すっきり。
バスの時間までまだ1時間以上あるので、休憩室でもう乾杯してしまうことにした。

みんなで適当につまみも頼んで、それぞれ3杯くらいは飲んだはず。
でも、注文したものをおばちゃんが忘れていたりして、ちょっといい加減な感じだった。
それにしても、醤油やソースが50円もするのは、どういうことなのだろうか。

すっかりいい気分になって16時前に、玄関の正面にあるバス停に並んだ。

それなりに乗客がいて、座席は満席。

あちこち遠回りして、富士急の都留市駅に着いたのは16時半前。

電車の時間まで6分あるので、急いで駅前の商店でビールやつまみを購入。

何とか間に合った。

河口湖行きはもちろん見送る。

我々が乗るのは特急車両のホリデー快速富士山2号(16:34発)。

幸い、ボックス状に座れたので、2次会を楽しめた。

3次会は三鷹にある馴染みのそば屋で。
ここでもあれこれ頼んで、最後にはもちろん〆の蕎麦。
20時半にお開きにして、私だけ残って、転勤のご挨拶。
餞別に、なかなかクセのある日本酒を飲ませてくれた。

こちらは、この店の看板娘が描いたポスター。
三鷹駅構内に何枚も貼り出されていた。

お店は21時前に出て、帰宅したのは22時頃。
予想通り酒にまみれた山行だった。
【行程】2017年4月22日
田野倉駅(10:25)~登山口(10:42)~池の山(11:11休憩11:14)~分岐(11:24)~九鬼山(12:05昼食12:38)~久美山(12:43)~登山口(13:31)~禾生駅(13:48)
※所要時間:3時間23分(歩行時間:2時間43分)コースタイム:3時間
※登った山:3座(うち新規2座:池の山、久美山)
※歩行距離:6.9km
【2017年4月22日(土)】九鬼山
昨年12月、一緒に伊豆の玄岳に登った会社の同期T君から、「またどっかに行こうよ」とお誘いがあった。
では、4月22日か23日に、ということで前回と同じメンバーに石和温泉の背後にある大蔵経寺山を提案したのだが、都合のつく人が誘ってくれたT君だけだった。
「2人だけじゃあなあ」と断念しかけたが、彼がもう1人S君を呼んできてくれたので、3人で決行することになった。
ただし、よくよく調べると大蔵経寺山は展望がよくないとのことなので、計画を変更。
一度登ったことはあるが、その時とは別ルートを歩くことにして、山梨の九鬼山(970m)に行くことにした。
このメンバーだと、下山後にお酒を飲むのがお約束なので、車じゃないと行けないようなところはNG(そもそも車検切れを機会にマイカーを手放したので、私自身すでに車はないのだが)なので、ちょっと選ぶのに苦労した。
本当は登っていないところに行きたいのだが、近郊ではもうマニアックなところしか残っておらず、そこにお二人をお連れするのは気が引けるのだ。
富士急の田野倉駅から歩き始めて、禾生(かせい)駅に下山するのに要するのは3時間ほど。
かなり短いので、スタートも遅めにして、10:22田野倉駅集合ということにした。
田野倉駅集合と言っても、大月で一緒になって、富士急に乗ることになるのだが。
前夜は札幌から23時半に帰宅したばかりだったが、即沈して、この日は朝6時に起床。
ゆっくりパッキングして、朝食も食べてから出発。
新所沢8:20発の電車に乗った。
東村山、国分寺、高尾で乗り換え、大月には9:56に到着。

移動中は、ずっと7月の連休に計画している利尻山登山のため、宿のネット予約をしていた。
すでにかなり埋まっていて、かなり苦労した。
連泊で泊まれるところはすでになかった。

それはともかく、他の2人はホリデー快速を使って少し前に着いていた。

富士急の普通列車内で合流。

出発まで15分近くあったので、富士急の車両の写真を撮影した。
まずは線路。

こちらは富士山ビューエクスプレス。

こっちが、私どもが乗る各駅の電車。

並んで停車している。

富士急はスイスのマッターホルン・ゴッタルド鉄道と姉妹提携を結んでいる。

去年が提携25周年だったようだ。

こちらにもいずれ乗ってみたい。

席に戻ってからは、しばらく、私の転勤のことなどを話していた。
電車は10:16に発車。2駅だけなので6分で田野倉駅に着いてしまった。

駅前でストレッチをして、3分後には出発した。

まずは線路に沿って、舗装された里の道を南下する。

駅前のサクラの大木。幹から、直接花が咲いていた。かわいい。

正面が、本日の目的地九鬼山。

沿道の畑にチューリップが1株。

このレンガのお宅は古いのか新しいのか、よく分からない。

都留市のマンホール。

踏切を渡る。

馬頭観世音の向こうは高川山(976m)。

これはトンネルなのか、橋なのか。どちらにしても、あり得ない位置にある。

菜の花畑。

もうすっかり新緑の季節だ。

どちらもサクラ。右は八重だ。

畑仕事のおじさん。

少し坂を登ると、左手に廃屋。かつての札金温泉か?

この廃屋の向かいが九鬼山の登山口。

この登山口は標識がないと絶対分からない。

いきなりの渡渉だからだ。

川を渡ると、さすがに道はしっかりしている。

このルートでは登るのは、もちろん初めてである。

足元にタツツボスミレ。

最初から、かなりきつい坂だ。

新緑がまぶしい。

昨年の落ち葉が降り積もった急坂を登っていく。

ヒトリシズカも咲いていた。

こちらはマムシグサ。

急登を登ること15分ほどで尾根に乗った。

あとはずっと尾根筋を行く。

すると、右手が開けて、リニアの実験線が姿を現した。

左から文台山(1199m)、鹿留山(1632m)、倉見山(1256m)。手前は生出山(662m)。

その右には、590mピークの向こうに三ツ峠山(1785m)。

桂川の谷を中央道の富士五湖ルートが貫く。

ヤマブキの黄色が濃い。

標高520mあたりの平坦面で、やっと一息つけた。

また右手が開けたが、今日はあいにく富士山は見えない。

桜と富士山のコラボを楽しみにしていたのだが。

そこは諦めて行くしかない。

再び急登。

そこを登り切ると、3分の1地点の池の山(638m)に到着。

ここで小休止。S君(右)はダイエットのため上着を着ており、汗だくだ。

四等三角点。

この特徴的な葉っぱは何の木だっけ。

3分ほどで出発。

このあたりまで来ると、木々の若葉はまだ芽吹いたばかりだ。

ツツジもつぼみのまま。

モミジイチゴは大きく花開いていた。

お、目指す九鬼山の山頂が見えてきたぞ。

田野倉駅を出発してちょうど1時間で、禾生駅からの登山道との合流地点に到着。

ここから山頂まで50分とのこと。

平坦なのは最初だけだ。

すぐに傾斜度が増していく。

突然、石垣が出現。何のためのものかは不明。

「これより急坂」だ。

道が二つに分かれているような道標だが、実際は「新登山道」しかなかった。

写真で見るより実際の傾斜はきつい。

ロープが張られているほどだ。

途中、右手の道を行くと、天狗岩。

折角なので行ってみた。1分ほどだった。

この岩のことなのだろう。

岩自体は大したことはないが、看板通り眺めは抜群だった。

とは言え、やはり富士山は見えない。

北西方面は高川山(976m)の向こうに滝子山(1620m)。

というわけで、登山道に戻り、再び急登に挑む。

(つづく)
【2017年4月16日(日)】楢抜山・周助山
周助山(383m)から原市場に下りてきた。

今日は地区のお祭りのようだ。

地元の方々が山車を引いているところにちょうど合流。

でも、もちろん先に行かせてもらった。

山車の背後は周助山。

県道に出たところで、もうバスに乗ればいいのだが、以前、大仁田山(506m)に登った時に歩いたルートと線をつなげたいだけのために、30分以上も県道を歩いた。

案内板によると、このあたりも見どころが多いようだ。

再び、周助山。山の中では気づかなかったが、頂上付近は桜で覆われていた。

原市場中学校前を通過。

ここの時刻表から推測すると、目的地の上赤沢ではかなり待つことになりそうだ。

でも、こういう古い木造家屋に会えるので、車道歩きもあまり苦にならない。

原市場バス停通過。

まだスイセンが頑張っていた。

今年はソメイヨシノが咲いている期間が長い。

来週は飯能市議会議員の選挙なのか。

中屋敷バス停通過。

あちらの木はサクランボかしら。

左手は大仁田山方面。

のどかな風景だ。

川遊びの「ゆのた」。名栗川は川遊びのメッカだ。

こちらのお宅は立派なお庭をお持ちだこと。

唐竹橋バス停も通過。

こんなに山奥に向かって歩いたら、バス代が高くなるだけなのに。

まだ川遊びには早いが、河原でバーベキューをしている人がいた。

川遊びをするには、川が浅すぎないか。

あくぬきわらびあります。

こちらは古民家を利用したレストランかな。

「ぽれぽれ」という店で4月27日にオープン予定だった。

茶内バス停通過。

その先に金錫寺。


山門も趣がある。

ここには鎌倉時代の木造宝冠釈迦如来坐像があるそうだ。

でも、参拝はしないで先を急いだ。

この木なんの木?

う~ん美しい。やはり車道歩きをしてよかった。

菜の花畑。

名栗川。

わりと水がきれい。

正式名称は入間川だけど。

赤沢バス停。

そして、次の上赤沢バス停でゴール。

時刻は14:57。次のバスは15:06だから、あと10分近くある。

汗をぬぐったり、荷物を整理したりして、のんびりしているうちに、飯能駅行きのバスが到着。

バスの中では車窓を見るため、なるべく寝ないようにしていたつもりだが、ついうとうとしてしまった。
東飯能駅経由なので、手前のバス停で下りて、飯能駅まで数分歩く。
15:40発の快速元町・中華街行きに乗車。

小手指には15:53に到着。
駅前の王将で恒例のプチ打ち上げ。

つまみは麻婆豆腐と、もちろん餃子。


どれも少な目にして、お腹いっぱいにはならないようにした。
今日は、実働3時間半で10km弱歩き、4座も登ることができた。
屋久島帰りとしては適度な運動量だった。
【行程】2017年4月16日
河又名栗湖入口バス停(11:20)~尾須沢鍾乳洞(11:37見学11:43)~見晴台(12:07道案内12:10)~楢抜山(12:18昼食12:37)~仁田山峠(12:55)~登戸登山口(13:24)~登戸(13:45)~周助山(14:05)~原市場中学校交差点(14:22)~上赤沢バス停(14:57)
※所要時間:3時間37分(歩行時間:3時間7分)
※登った山:4座(楢抜山、根藤、登戸、周助山)
※歩行距離:9.4km
【2017年4月16日(日)】楢抜山・周助山
仁田山峠(401m)から周助山(383m)の登山口に向かって車道を歩いている。

右手にさっき登った楢抜山(左、554m)が見えた。

結構、東に延びる尾根が大きい。

植林の中に咲くぽつんとヤマザクラ。

沿道に咲く(散り際)の桜もきれい。

その右には棒ノ嶺(969m)。

そして奥武蔵の山々。

車道は木のトンネルだ。

時々、自転車やバイクが追い抜いていく。

タチツボスミレとヤマザクラ。


車道が尾根を越えるところが、周助山への入口。
これがそうかな。

でも、念のため、もう少し進んでみよう。
すると、別のところに入口の道標があるではないか。

危なかった。尾根を上から下りて来る道も探してみたら、少し尾根を回り込んだところにあった。

では、登山道に入ろう。

まずは少しだけ下り。

その後は、ほぼ平らな道が続く。

所々に切り株がある。

つい最近、伐採したばかりのようだ。

踏み跡はわりとしっかりしている。

これ何の実だっけ。

メインルートは404mのピークを巻いているが、念のためピークの方へ行ってみた。

ここがピーク。

なんと、「根藤」なる名前が付いていた。

「登った山」を思いがけず、1つ稼いでしまった。祝福のお花までいただいた。

さらに、なだらかな尾根道を進む。

アセビの新芽がたくさん出ていた。

登戸(ノボット)への登り。

このあたりも石灰岩地帯のようだ。

めずらしく登りが続く。

植林が美しい。

登山口から20分ほどで、登戸(436m)に到着。

読みは「のぼりと」ではなく「のぼっと」。地形図には「ノポット」とあるが、どちらも間違いではないのだろう。

左手(北)の尾根は通行止めになっている。

ここの三角点は角が激しく欠けていた。

ここにもテープ表示あり。

これらの写真だけ撮って、すぐに出発。

この先は登山道に低木が繁茂している。

幼木が育っているようだ。

時々、空がすこんと抜ける。

次の420mピークに「周助山」の表示が。

これは誤りと、「分県登山ガイド」に書いてあった。

ここは直角に左折するのだが、その角にこんな写真が。

奥武蔵周辺に出没する「同一犯」の仕業と思われる。
直進は通行止め。

木々の隙間から飯能方面を望む。

本当の周助山に向けて、ゆるやかな登り。

微妙なバランスを保っているケルンの横を通過。

登戸から20分で周助山に着いた。

謎の挿し木。

この標柱を立てたのは、行政ではなく、地元の団体のようだ。

裏にもアクリル板の山名板がぶら下がっていた。

ここも写真を撮っただけで通過。

ここからは急な下り。

先日の強風のせいか緑の葉っぱが大量に落ちていた。

周助山を振り返る。

「山と高原地図」にルート表示のない道だが、原市場側には道標が整備されていた。

里に近づくと、傾斜もさすがになだらかになる。

このあたりは完全に植林の中。

途中、またしても見事なケルン。

これは、たい焼き岩(仮名)。

この道を「山と高原地図」が無視しているのは、どうしても解せない。

だいぶ下りてきた。

いきなり、町が目の前に展開した。

里はソメイヨシノが満開。


ツツジも見事だった。


(つづく)
【2017年4月16日(日)】楢抜山・周助山
この週は屋久島に行ってきたばかりなので、週末は家で休養しようと思っていたのだが、土日ともつぶしてしまうのはもったいないので、やはり日曜日だけは出かけることにした。
朝ゆっくり寝てしまったので、近場だ。
奥武蔵も「山と高原地図」にルートが書かれているようなところはほぼ行き尽してしまったので、山と渓谷社の分県登山ガイド「埼玉県の山」の新装版に出ていた楢抜山・周助山に行くことにした。

目次には「!道なし」の表示がある。
もちろん、踏み跡はあるに違いないので、恐れることはない。
9時半ごろ自宅を出て、9:50小手指発の電車に乗り込んだ。
18分で飯能駅に着いてしまったが

お目当てのさわらびの湯経由名栗車庫行きは10:30発。時間があるので、5月の連休の宿を予約したりしていた。

バスは定刻通り発車して

河又名栗湖入口バス停には11:10に到着。

ストレッチをして11:20に歩き始めた。

このあたりはまだ桜が満開だ。

数分、車道を歩いて

尾須沢鍾乳洞入口から登山道に入る。

鍾乳洞は500mくらい奥にあるらしい。

こうもり岩の名で親しまれているそうだ。
沢に沿った道を登っていく。

さすがに鍾乳洞までは道標が整備されている。

だんだん石灰岩が露出してきた。

ただ道はそれほど険しくはない。

新緑がまぶしい季節だ。

基本的には植林なんだけど。

路面はかなり踏み固められている。

何度か沢を渡る。

傾斜がきつくなってきたあたりで、奥の方から歓声が聞こえてきた。

男女のはしゃいだ声がするので、引率の先生と女子たちかなと思ったら

なんとコウモリ岩でクライミングをしている方々だった。

ここは石灰岩の岩壁だ。

クライマーは何組かの方々がいた。

これがその鍾乳洞。

岩壁自体は高さ25mもあるそうな。

中に入って、振り向いてみた。まさに石灰岩だが、鍾乳洞という感じでもない。

外には石仏。

別の洞窟。こちらには鍾乳石っぽいものがあった。

ここは幅百数十mにわたって岩壁が続いている。

クライマーの邪魔にならないよう、左へと巻いていく。

こちらでもクライミング中。

しばらく踏み跡に沿って進んだら、ちょっと下り気味になったので、不審に思って少し戻ると、左手に楢抜山(554m)へのルートであることを示す赤いリボンを発見。

引き返してよかった。

しかし、この斜面はかなり急峻だ。

基本的に眺望はきかないが、たまにこういう時もある。

70mほど登ると、傾斜もやっと一段落。

でも、またすぐに急登。

間もなく、標高520mほどの小ピークを通過。

さらに尾根道を進む。

右手は木々を透かして棒ノ嶺(969m)方面。

間もなく、530mピーク(見晴台)だ。

ピークの直前で、ハイカーのグループに追いついた。

こんなところを歩いている人がいるなんて、とびっくり。
しかし、彼らはハイカーではなく外国人を含むクライマーの方々だった。
こうもり岩とは別のクライミングスポットを探して山に入ったが、現在地がよく分からなくなったとのことで、この私に道をたずねてきた。

彼らが持っているガイドブックの概念図を示されたが、それだけではよく分からない。
でも、彼らがどこからどこに向かっているのかを聞いて初めて、彼らの行きたい場所への行き方が分かった。
このまま、楢抜山に向かって下り、その鞍部から右に回り込んでいけばいい。
私が先に下ったら、鞍部の手前のあたりで、右の方から別のクライマーたちの声が聞こえてきた。

やはり、さっきの道案内で間違っていなかったようだ。

実際にクライマーの姿も確認できた。

この方がそうだ。

これは鞍部にあった巨岩。

私は楢抜山への登りに取り掛かる。

標高差は50mほど。

バス停から、ほぼ1時間で楢抜山に登頂。

このあたりでよく見かける手作りの山名板。

こんなところにも山名板が。

木にも直接書いてあった(下)。

眺望はこんな感じで今イチ。

ともかく三等三角点に腰をかけてお昼にする。

本日のメニューはおにぎり2個にピリ辛きゅうりを添えた。

山頂付近には早くもツツジが咲いていた。

20分ほどで出発。

いったん着た道を見晴台まで引き返す。

さっきは気づかなかった石灰岩のケルン。

こちらは見逃すはずのない石灰岩の巨岩。鯨岩と名付けよう。

石灰岩の露出した斜面を登る。

数分で見晴台を通過。

ピークの分岐を右に行く。

ここから仁田山峠(401m)まで130mほどの下り。

傾斜が緩やかなので、ありがたい。

途中、奇妙な造形が。誰かが立てたのだろう。

ヤマザクラが満開だった。

午後1時前に仁田山峠に到着。

ここからしばらく車道歩き。

一応、楢抜山への道を振り返っておこう。

茶内へ下る道の入口には、こんな不気味なものがぶら下がっていた。
「呪詛」とは穏やかでない。何があったのか。

こちらの桜はもう終わりかけ。でも、きれいだ。

道端にはタチツボスミレ。

群落になって咲いていた。

車道歩きは30分ほど続く。

(つづく)