【2016年9月10日(土)】日光白根山
歩き始めてから1時間45分ほどで座禅山(2317m)の頂上に到着。

真の山頂が立入禁止の場合は、直近の場所に行けば「登った山」として認定するという自己ルールがあるので、それに従う。
今回は幸い「山名板」もあったので、世間からの批判もあるまい(笑)。
このまま進めば、ロープウエー方面に行ける。

我々はすぐに引き返して、本チャンの白根山(2578m)に取り掛かる。

筋骨隆々の山という印象だ。

やはり日光の盟主は男体山(2486m)ではなく、白根山だなと納得する。

左手には、5月に登った前白根山(2373m)が望めた。

さっきの鞍部に戻ってきた。

いま一度、座禅山を振り返る。


弥陀ヶ池も再び見えてきた。

座禅山山頂付近。

これはロープウエー方面に直行する道。

座禅山の全容。

すぐに森林限界を越え、雄大な展望が開けた。
この先は何度も立ち止まって、写真を撮ることになる。
すぐ北にある尾瀬の燧ヶ岳(2356m)、至仏山(2228m)は言うに及ばず、谷川岳(1977m)や苗場山(2145m)も見えた。
それらの奥に見える山々は何なのか、にわかには分からなかったけど。
まずは燧ヶ岳。

左は根名草山(2330m)、右は温泉ヶ岳(2333m)。手前は座禅山。

これらは特定できず。


東に五色山(2379m)。

ときどき頂上を振り仰ぐ。

この木を見ると、やはり雪は多いみたいだ。

登るにつれて、五色沼も見えてきた。

五色山と前白根山の鞍部の向こうに見えるのは、女峰山(左、2483m)と大真名子山(2375m)。

根名草山方面の全景。

燧ヶ岳の手前は燕巣山(2222m)、その左は四郎岳(2156m)。

四郎岳は白根山の絶好の展望台らしい。

弥陀ヶ池。

もう座禅山を見下ろす位置まで来た。

おお、鬼怒沼も見えた。あそこもいずれ行かなければ。

至仏山も視界に入ってきた。

雲をまとっているのは、もしかして先週登った会津駒ヶ岳(2133m)だろうか。

再び、五色沼を味わう。

手前から、座禅山、燕巣山、燧ケ岳。

お、左手に男体山の頂上が見えてきた。

その左には、奥様の女峰山。

五色山と五色沼。

同定中。

頂上を振り仰ぐ。

おお、大勢登っているわい。

谷川岳(中央左)方面。

谷川岳を望遠で見てみよう。

左奥の平らな山は苗場山(2145m)。
右奥の二つ並んだ山はどこだろう。
方角的には妙高山(2454m)がありえるのだが、妙高山っぽいのは左側の方。
そうすると、右の山は何だ?
というわけで結論が出ず。
帰宅して調べてみたら、左が妙高山、右が火打山(2462m)だった。
妙高の方が東側にあるので、いつも妙高は右側に見えていたが、緯度的には妙高の方がやや南にあるので、この角度からだと、妙高が左に見えることになるわけだ。
なるほど勉強になった。
弥陀ヶ池と温泉ヶ岳(ゆせんがたけ、右奥、2333m)

展望を満喫しながら快適な登り。

菅沼も見えてきた。

溶岩ドームの片鱗。


五色山の向こうに高原山(1795m)を発見。

温泉ヶ岳。

これはさすがに立ち止まって見てしまいますね。

笠ヶ岳(左、2058m)の奥はたぶん巻機山(1967m)。

頂上も目前に迫ってきた。

ちょっと気になる雲。

菅沼が大きく成長した。

こちらは左半分。

そして右半分。

お馴染み弥陀ヶ池。

さあ、岩稜付近まで登ってきた。


岩に名前を付けてあげたいが。

整いました!って感じ。

座禅山を取り囲む湖沼群を眺めつつ

岩稜帯のゴルジュへと突入する。

このあたりまで来ると、かなり人口が増えてきた気がする。

これでは頂上は大変な人出だろうと懸念していたが、案の定そうだった。
しかし、眺めは抜群だ。

ゴルジュの中から北面を展望。

五色山(中央)と女峰山(右上)。

弥陀ヶ池から五色沼に至る峠道を俯瞰。

丸沼もすっかり全貌を現した。

五色山は「風の谷のナウシカ」のオウムのようだ。

こちらはダメよ。

いや、何度見ても飽きない絶景だ。

なので何度もごめんなさい。

一つ岩稜を越えると、西の風景が突然開けた。

上の写真の中央右に見えていたのは武尊山(2158m)。

おそらく白錫尾根方面。

いやあ、勇気あるわ。

モデルにさせていただきました。

日光白根山ロープウエーの山頂駅を発見。

山頂付近の岩峰群。

たぶん草津白根山(2160m)方面。

北から西への大パノラマで今回は締めくくり。

(つづく)
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【2016年9月10日(土)】日光白根山
この週末は当初、巻機山に登る計画だった。
割引沢コースを登って、山頂直下の小屋に泊まり、井戸尾根を下るつもりで、同窓の沢ヤTさんの助言なども得ていた。
しかし、週間天気予報はどうも芳しくない。
忙しさにかまけて、結構するか否か棚上げにしていた水曜日、やはり同窓のS君から連絡があった。
「(土曜日)晴れそうなんで、久しぶりにどこかに行こうと思うんですが、1人では、心なしか億劫で」と、山のお誘い。
彼はこの夏、アイガーの単独登頂を果たした超ベテランの実力者。
そんな人からお誘いがかかるとは。天にも昇る気持ちで、謹んで承諾させていただいた。
S君は栃木県在住なので日光は庭のようなもの。日光をご案内していただくことにした。
思い付いたのは日光白根山(2578m)。3年前にロープウエーで登った時は雨にたたられ、頂上も真っ白で何も見えなかった。
そのリベンジを兼ねて、菅沼起点で金精山(2244m)なども回るコースを提案した。
菅沼~弥陀ヶ池~日光白根山~五色沼~五色山~金精山~菅沼というコースタイム7時間の周回コースである。
当日は朝7時くらいから登り始めたいが、そうなると前夜のうちにせめて宇都宮入りしておかなくてはならない。
駅前のホテルを予約しようと思っていたら、S君が「山岳会の事務所に泊まりましょう」と言ってくれたので、お言葉に甘えることにした。
実は前夜、高校同期の飲み会が入っていたので、お開きになってから、その足で新幹線に乗ることになる。
ザックを背負って会場に行ったら、1人が「来年、富士山に連れていってくれないか」と言い出した。すると、他の2人も「おれも」「おれも」と。
私も未熟なので不安なのだが、結局、来年8月に決行することになってしまった。
それはともかく夜9時に散会。
21:44発の東北新幹線やまびこ223号に乗り込む。

もういい加減酔っ払っているので、ビールなどは買わない。
車内から「22:34に宇都宮に着くよ~」とS君に連絡したら、22時半前に電話をくれた。
爆睡していたので、寝過ごさなくて済んで助かった。さすがに気が利く。

S君と合流した後は、コンビニで少しだけお酒を買って、大谷にある事務所へ。
1時間ほど歓談して、午前0時すぎに就寝した。
ここに泊まるのは3回目。過去2回は1月、3月と寒い時期だったが、今回は夏なのでシュラフはかけるだけでよかった。
翌朝は4時半に起床、5時出発のつもりだったが、目が覚めたのはすでに5時。
ちょっとしたアクシデントがあったが、あわてて処理して出発した。
今日は晴れの予報だが、なんとなく雲が多い。
途中のコンビニで朝食と昼食を調達。
車の中でパンを2個食べた。
女峰山(2483m)の山頂は見えているが、男体山(2586m)はガスがからんでいる。
いろは坂を登り、中禅寺湖に出ると、対岸の山は完全にガスの中だった。
多少不安がよぎったが、湯元温泉まで着くと、金精山はくっきり見えたので、おそらく大丈夫だろう。
金精トンネルを抜けて群馬県側へ。
左手の森の中に、本日の下山路があるが、そこはS君も初めて歩くとのことだった。
菅沼の登山口には7時前に到着。

ここの駐車場は有料(1000円)なので、なるべく避けたい。
すると、登山口にあるドライブイン「山小や」の駐車場の奥に、誰も管理していないスペースがあり、そこが1台分空いていたので、無料で停めることができた。

ここで準備をしていると、隣の車の人が、「登山口はあそこでいいんですか」と聞いてきた。
「歩き出せば、とくに迷うところはない」とは言われたんですけど。
これに対して、何度も登ったことがあるS君は迷いやすい場所があると説明。
でも、彼らはちゃんと理解している様子ではなかった。
トレランぽいスタイルだったが、地図も持たずに来るとは。
今日は人も多いし、天気も悪くないから、おそらく大丈夫なのだろうが、随分と山もなめられたものである。
出発前にトイレに入ったが不発。
結局、軽い便意を抱えたまま、ずっと歩くことになったが、下山するまで切羽詰まったことにはならなかったので助かった。
軽くストレッチをして7時すぎに出発。

駐車場には40台くらいの車が停まっていた。

右手に不必要なほどの大きな、登山口であることを示す石碑。

ここは日光国立公園。

まだ奥にも駐車場があるようだ。先着15台とのこと。

5分ほど歩くと、突き当たり。

登山道はここを右折する。

まだ、ここまで日が届いていない。

しばらくは樹林帯の中を歩いていく。

涸れ沢のような登山道だ。

突き当たりのところで抜かしたご夫婦がピッタリ後ろにくっついて来るのが気になったが、こちらもずっとおしゃべりをしながら歩いた。

おかげで、樹林帯の中の写真は数えるほどしかない。

やっと谷間にも日が差し込み始めた。

一瞬、木々の隙間から見えたのは金精山。

ゴゼンタチバナの実やキノコに秋を感じる。


1時間くらい休まず歩いて

弥陀ヶ池まであと0.9kmの道標があるところで小休止。

と言っても、3分ほど立ち休みをしただけ。

この先はトラバース気味となり、斜度がかなり楽になる。

キノコがコケの滝を滝上りしている。

しばらくすると開けた道に出た。

白根山が初めて見えた。

そして、休憩地点から30分かからずに、弥陀ヶ池に到着。

よく晴れているので、白根山の緑がまぶしいほど。

全体としてはずんぐりしているが、鋭い岩峰がいくつも見える。

弥陀ヶ池もキラキラ。

気持ちのいいところだ。

しばらく池のほとりを歩く。

うわ~エメラルドグリーン。

水面に白根山が映り込んでいる。

桟橋歩き。

水底。

恒例の振り返り。

あちらは座禅山(2317m)と白根山の鞍部。

白根山を背に弥陀ヶ池を眺めると

登山者が続々と登ってくる。

湖畔は白根山山頂方面と五色沼方面との分岐になっている。

我々は当然、山頂方面へ。もちろん後で五色沼にも行く予定だが。

これらの岩は火山弾だろうか。

さて、登り再開。

右手は座禅山だ。

岩から草木が生えている。

左手は白根山の斜面。

ほとんどの方が、そちらの方へ向かっている。

でも、私は座禅山に寄り道させてもらう。

つまり、この分岐を右に行く。

緩やかに登りながら

分岐を見下ろす。

弥陀ヶ池は陰になってしまった。

分岐から5分もかからずに山名板のある場所に着いた。

2317mの本当のピークは、柵の向こう。

でも高山植物保護のため立入禁止だ。
ちょっと残念だが、やむを得ない。
(つづく)
【2016年9月4日(日)】会津駒ヶ岳
桧枝岐温泉を満喫して、町歩きを再開。村はずれの役場に向かう。
平野商店。この村は江戸の香りだけでなく、昭和の雰囲気も残している。

セイロウ造り板倉。

村に現存する最古の板倉で、正倉院と同じ様式で建てられているそうだ。
板倉が並ぶ往年の桧枝岐集落。

平野家先祖平右衛門の墓。

由来は以下の通り。

そのすぐ隣に星家先祖の墓もあった。

虫歯様と言われているらしい。

あたりには古い石塔や石仏などが林立していた。



村の共同墓地にようになっているようだ。

この墓地より北には明治中頃まで人の住んでいる家はなかったらしい。

絵馬奉納板。

六地蔵。

村人が季節ごとにきれいな衣装を着けてあげている。
このあたりは石仏が多い。


橘家先祖橘助兵衛好政の墓があるらしいが

どれのことか分からない。

桧枝岐は、星、平野、橘姓で圧倒的多数を占めている。


村は歴史と混然一体になって存在している感じだ。


墓地がとても美しい。


克雪管理センター兼JAストアー。

臨時派出所。駐在所ではないんだ。

小さな五輪塔。

桧枝岐小学校。

校門の文字が歴史を感じさせる。

東雲館は何をするところなんだろう。

あとでここからバスに乗ろう。

公衆便所。

ここでカメラのバッテリーがなくなり、コンパクトカメラに交代。
観光案内所の前に立つ万里姫の像。

かつて尾瀬沼のほとりに住んでいた万里姫は、近くに湧く温泉のおかげで雪のように白く餅のようにやわらかな素肌美人だったんだとか。
桧枝岐村役場。

駒の湯。


ここを発見するのに、ちょっと苦労した。
この散策で風呂上がりなのに汗をかいてしまった。
バスの中で飲もうと、ドリンクを観光管内所で買っておいたが、暑いので飲んでしまった。
ビールがなく残念だった。
バス停には、さっきは誰もいなかったのに、駒の湯を確認して戻ると、5人くらい並んでいたので、ひとつ手前の「桧枝岐中央」まで戻って乗車することにした。

今度はわりと時間通りに来た。
バスの中では車窓風景を楽しみ、いろいろと写真を撮って過ごした。

ちょっと匂ったかもしれないが、濡れた靴をバスの窓辺に置いて乾かす。

バスには駒の小屋で見かけた人も乗っていた。

キリンテの食堂にいた人が、さっき乗ったバスに乗っていたが、その人たちだったかもしれない。たぶん、駒の湯に入っていたのだろう。
桧枝岐川改め伊南川。

燧ヶ岳の撮影に成功。

舘岩川。

前沢曲家集落は通過。

このバスは湯の花温泉に寄り道する。

温泉街の風景をいくつか。



車内からなので、あまりろくな写真は撮れなかった。

寄り道終了。

そば畑。

その他車窓風景。



佐倉山(1157m)。

山あいの集落。

変わった地名だ。

そば畑と黄金色に稔った稲。


銀竜橋。

15時過ぎに会津高原尾瀬口駅前に到着。
みんなが、ゴミ捨てやトイレをしている間に、私は日光8号の切符がここで買えるのかどうか確認すべく駅へ一目散。

日曜日の夕方なので満席かもしれないし、他社の切符は売っていないかもしれない。
でも買うことができた。席も比較的空いているみたいで、窓側が取れた。

ザックをホームに置いて、売店に戻ろうとしたら、切符を求める人の行列ができていた。

作戦成功!

ゆっくり売店に行き、缶チューハイを購入。
再び戻って、ホームに並ぶ。この乗降口では2人目だ。

地元の人の後ろなので、ここなら間違いなく車両が止まるだろう。
最初に下り電車がやってきた。

正面の山を眺めながら、上り電車を待つ。


15:21発の新藤原行き普通列車が入線。

席は空のボックス席を取れたが、後からおばちゃんグループの2人が乗ってきた。
構わず、缶チューハイでひとり打ち上げ。

申し訳ないけど、靴下が濡れているので裸足にならせてもらう。

中三依温泉あたりで、15分遅れの下り電車とのすれ違いのためしばらく待機。

向かいのおばちゃんは心配になったのか、新藤原や下今市で予定の電車に乗り継ぎができるかと乗務員に訪ねている。
まあ間違いなく、乗り継ぎができるだろうけど、できないなら仕方ない。
下今市で日光8号は待っていてくれるだろうと考え、とくに動かなかった。
もし特急が先に出てしまったら、特急料金は当然だが、払い戻しになるだろう。
おばさんたちも特急に乗る雰囲気だったので聞いてみたら、やはり同じ日光8号だった。
「大丈夫だと思いますよ」と伝え、それをきっかけ少し話す。
今回は沼山峠から尾瀬沼へのピストンだったそうだ。
1人は山の格好ではなかったので、そんな感じだろうと思った。
ヤナギランもほとんど終わっていたとか。
新藤原で無事に乗り換え、今度はボックス席を独占し、旅のメモを書く。
そうしているうちに、いつの間にか鬼怒川を渡る。

下今市には特急の時間前に着いたので、ひと安心。売店でビールとつまみを購入。
駅弁はなくなっていた。
車内販売でももう売り切れだろうと言うので、煮卵を購入。
前のホームをスペーシアが通過していった。

間もなく、日光8号(16:47発)が入線。

特急は日曜日の夕方なのにガラガラだった。これで大丈夫か。
でも、快適なので、二次会に突入。

車内販売はあり、弁当もあった。
売り子さんはバレー選手かと思うほどの巨大な人。声も低いので一瞬男かとおもったら、胸もあるし、ひげもないので、女だった。

湘南の弁当だったが、仕方ない。

ビールを飲んで、17時すぎに弁当も食べてしまった。

日没を眺めながら、またメモを書いた。

この後、何度か乗り換え、午後7時すぎに帰宅。
会津の初秋を満喫した山旅だった。
【行程】2016年9月4日
駒の小屋(5:26)~駒ヶ岳(5:53)~駒の小屋(6:06準備6:12)~大津岐峠(7:22撮影7:27)~電発避難小屋(8:28休憩8:43)~大杉岳(9:31履き替え9:39)~登山口(10:10)~御池(10:19休憩10:27)~(田代散策コース一周)~御池(10:52)
※所要時間:5時間26分(歩行時間:4時間40分)コースタイム:6時間20分
※登った山:2座(大津岐山、大杉岳)
※歩行距離:13.4km
【2016年9月4日(日)】会津駒ヶ岳
御池から近くの湿原を回って、また御池まで戻る途中。


道端にはキオンが今を盛りと咲いていた。

御池には、バスの時間の10分前に戻れた。

改めてトイレで顔を洗い、売店をちら見して、券売所で上の原までのチケット(660円)を購入。バス停に並ぶ。

11時すぎにバスが到着。2人目で乗り込む。

これは沼山峠始発のバスだが、ちゃんと席は空いていて、一番前に陣取った。
11:07、2分遅れで発車(間違えてシャトルバスに乗ってしまった人が戻ってくるのを待つため)
あまりにゆっくり走るので、ちょっとイライラした。
上の原には定刻(11:25)より7分ほど遅れて到着。

途中通過した七入というところは、沼山峠を経て尾瀬沼に至るコースの登山基地なのだが、なかなか雰囲気のよさそうなところだった。

降りてすぐ目の前に食堂があったので、迷わず入る。
「裁ちそば」の開山。名前もいい。

靴下が臭いのでイヤだったが、座敷席しか空いていなかったので、靴を脱いで上がる。
あまり愛想のよくないおばさんに、おろしそば(1000円)と缶ビール(400円)を注文。
まずはビールで生き返った。

そばも田舎そばらしい(つなぎを使っていないので、ぶちぶち切れる)そばで満足。

おろしがめちゃめちゃ辛かった。

「裁ちそば」の名の由来は、つなぎを使っていないため、薄く伸ばしても折りたたむことができず、伸ばしたまま重ねて布を裁つようにして細く切ったことにちなむという。
店を出た後は、通りを見学しながら、温泉に向かう。
民宿かねほん。

町を貫流する檜枝岐川。

対岸にある宿「木の実」

下流方向。

福寿草群生地だそうだが、季節が完全に違う。

ここにも、裁ちそば。「かどや」

その向かいは民宿の「かどや」

通りにはあちこちに檜枝岐歌舞伎の幟がはためいていた。


そばの宿「丸屋」

ますや旅館。

ここにはバス停があった。

お土産の「かねまる商店」

檜枝岐川はかなりの清流だ。

日用品の「井桁屋商店」

檜枝岐口留御番所跡

檜枝岐はかつて幕府の直轄地だった。漆ロウソクを作るためのロウの主産地だったからだそうだ。
檜枝岐歌舞伎の舞台がある鎮守神も訪ねた。

さすがに幟がすごい。

御神橋を渡る。

橋場のばんば。

この石仏は子供たちを水難から救ってくれる水神様だそうだ。
最近では、縁結びや縁切りの神様として信仰され、悪縁を切りたいときは新しいはさみを、良縁で切りたくないときは、さびて切れないはさみを供えるそうな。
縁を切りたい人がこんなにいるとは。

また、ばんばの頭にお椀をかぶせるとどんな願いを叶えてくれるという。

なんか生々しい。

以前は、前川橋という橋のたもとにあったが、明治35年(1902年)の洪水の際、流失しそうなところを平野与吉という力持ちが、ここまで担いできたと伝わっている。
今年の演目。昨日がちょうど上演日だった。

歌舞伎伝承館「千葉之家」は取りあえず素通り。

袖萩とお君の像。

檜枝岐歌舞伎の代表的な作品「奥州安達ヶ原袖萩祭文の段」の一場面を再現したものだ。
境内に入ると石垣で築かれた歌舞伎の桟敷に取り囲まれた。

約1500人収容できるという。

地味な鎮守神の本殿。

こちらは重厚な歌舞伎舞台。

昨夜、公演があったとは思えないほど、ひっそりとしている。

檜枝岐の歌舞伎舞台は江戸時代に建てられたが、明治26年(1893年)に焼失。
この舞台は明治中頃に再建されたもので、昭和51年に国の重要有形民俗文化財に指定されている。
ちなみに、歌舞伎自体は県の重要無形民俗文化財だそうだ。
舞台の横に、顔はめパネルがあった。

顔を取り外して、自分の顔をはめられるようになっている珍しいタイプだった。
鎮守神の隣にある疱瘡神を参拝。

元禄九年(1696年)秋、疱瘡にかかったこの村の次郎助に神が乗り移り、「我は疱瘡観音なり。信州善光寺に住んでいたが、火付けにあって、そこを逃げ出し、諸国を回っていたが、当地は山川の眺め清く、人心も誠実なので、ここに住むことにする。ついては社を設けよ」と告げたという。
鎮守神の氏子一同、さっそく社を建てたところ、村で疱瘡が流行っても軽く済んで、村はますます栄えたという。
桟敷は何段くらいあるのだろうか。


数えてみたら15段あった。

桟敷から舞台を望む。

小さな石祠たち。

遅ればせながら本殿に参拝。


帰りに、伝承館を見学した。
「千葉之家」とは、桧枝岐歌舞伎を伝承している一座「千葉之家花駒座」の名にちなむ。
桧枝岐歌舞伎は江戸時代後期に村人がお伊勢参りをした際に上方や江戸で見聞きした歌舞伎を村の娯楽に取り入れたのが始まりと言われている。
今でこそ、桧枝岐にしか残っていないが、かつては奥会津一帯に数多くの歌舞伎一座と農村舞台があったという。

お勉強した後は、また散策を再開。
民宿白木屋。

お風呂は日帰り入浴施設の「駒の湯」に入るつもりだったが、秘湯を守る会の提灯を見つけたので、予定を変更して訪ねてみた。「かぎや旅館」

でも、日帰りはやっていないとのことだった。残念。

ミズバショウ形の源泉は燧ヶ岳開山100年を記念して平成元年に建立したもの。

ほかに日帰り入浴をしている宿はないかなあ。

お、あそこにも「秘湯を守る会」の提灯が。

ここ「旅館ひのえまた」は日帰りOKとのこと。やった!
玄関掃除をしていたお兄さんに「いくらですか?」と聞いたら、「フロントでお願いします」というので、フロントに行ってみたが誰もいない。
鈴を鳴らしたら、ご主人が出てきた。聞くと、料金は500円とのことだ。
このご主人に聞いてみると、昨夜の歌舞伎は観光客向けの舞台だったそうだ。
1500人の桟敷が観光客でいっぱいになったらしい。
お風呂「燧ヶ岳の湯」は当然独占。

単純泉で源泉は63.7℃とのこと。

露天もあり大満足。とても気持ちよかった。

いいところだったので、ここで山ゴミを捨てるのは止めた。
ロビーには誰もいなかったので、厨房に向かって「お世話様でした」と大声で声をかけて出発した。
(つづく)
【2016年9月4日(日)】会津駒ヶ岳
8:43、電発避難小屋を出発。

この先、大杉岳(1922m)までのコースタイムは1時間10分。
まずは、樹木の覆いかぶさった木道を行く。

正面には、まだかろうじて燧ヶ岳(2356m)が見える。

鉄塔とはおさらば。

しばらくは樹林帯のようだ。

展望はほとんど望めないのか。

と思ったら、いきなり北の方角が開けた。重畳たる山並みだ。

所々、土が剥き出しになっているのは、雪崩のせいだろうか。

右は浅草岳(1585m)。

奥はたぶん、会津朝日岳(1624m)。

この山が特定できなかった。

紅葉を始めたオオカメノキ。

時々、木々の合間から燧ヶ岳が覗く。


大杉岳。

燧ヶ岳が見えなくなることはないのかな。

両者の位置関係。

右前方に平ヶ岳(2141m)。

雲は完全に取れたみたいだ。

鬼怒沼山(2141m)方面の雲は依然として居座っている。

両者の位置関係。燧ヶ岳の裾野がかなり長いことがわかる。

頭を垂れているノアザミ。

花が重そうだ。

しばらくアップダウンを繰り返す。

あのあたりは、また眺望が楽しめそうだ。

何度見ても飽きない。あそこには一昨年の夏に登ったんだよなあ。

左手は七入沢の谷。

通過してきた1871mピーク。

なかなか、1本1本の木々が美しい。


葉っぱも。


再び木道が現れた。

この「山口営林署」の「山口」とは、旧南会津郡南郷村の山口地区から採ったものと思われるが、ここがこの地域の中心地だったのだろうか。

小さな湿原に出た。

イワイチョウがまだ咲いていた。

背後には会津駒ヶ岳(2133m)が大きく横たわっている。

頂上付近を望遠で。

これは大津岐山(1945m)。

干上がりかけている池塘。

会津駒が見られるのは、これが最後かな。

一部足元がかなりぬかるんでいた。

そうこうしているうちに、電発小屋から50分かからずに、大杉岳に到着。

コースタイムより20分も速かった。

ここでとうとう水を飲み干してしまった。
駒ヶ岳を往復してきた時点で、靴は朝露でぐちょぐちょになっていたが、もはや我慢できずここで靴下を履き替える。昨日履いたやついかないけど。

ここは全く展望がきかないので、その作業だけで通過。

古びた木道を下っていく。

御池の登山口までの標高差は400mほどだ。

ここまで来ると、燧ヶ岳はまさに目の前。

景気よく駆け降りていく。

さらに10分ほど下ったところでお茶も飲み干した。

これで、所持している水分はゼロになったが、あと小1時間我慢すれば、缶ジュースでも何でもござれだ。
そんなに急じゃないので楽に下れる。


途中、真っ白なキノコに遭遇。

お皿状になっているキノコも。

こちらは育ちすぎて裂けてしまったのかな。

木漏れ日の中の穏やかな道だ。


終盤の急坂。

思ったより早く道路に出た。

大杉岳から30分しかかからなかった。

歩きながらバスの時間を調べてみると、次は11:05だ。

今は10:15。あと50分もあるが、さて、どうするか。

道路をこのまま歩いて下って行くか、御池でめしを食ってしまうか。

車道を歩くこと10分ほどで、1年ぶりの御池に到着。

ここは燧ヶ岳の登山口でもある。

乗るバスはこれではなさそうだ。

とにかくトイレで顔を洗って、さっぱりし、自販機でコーラを購入。のどを潤す。

トイレ前の案内板で、このすぐ近くに湿原の散策コース(1.2km)があることに知った。

よし、これを歩くことにしよう。
バスの時間まで持ち時間は40分。道路を戻ってくる距離も含めて2kmと考えれば、何とか間に合うだろう。
ザックはトイレ前のベンチにデポして、橅の森ミュージアムの横から走り出す。

まずは角力取田代。

田代とは湿原のことだが、なぜここが角力(すもう)取りなのかはよく分からない。

湿原が土俵に見えたのだろうか。

角力取田代を駆け抜けて、小さな沢を渡る。

ちょっとした峠を越えると、次の小沼田代が見えてきた。

もう9月なので、湿原には何も咲いていない。

ほんとにところどころで写真を撮って、あとは走るだけという感じだ。

あっという間に、小沼田代を通過。小沼は見当たらなかった。

しばし樹林帯に入る。

ここもトレランのように走る。

階段も駆け降りる。

最後の湿原、ウサギ田代に出た。

ひたすら殺風景だ。

ほぼ、ただの草っぱら。

休んでいる暇はもちろんない。

おっと、ウメバチソウが待っていてくれた。

ウサギにはとくに会えなかった。

小さな沢をもう一度渡る。

ヨツバシオガマがしおれかけていた。


意外に早く道路に出たので助かった。

(つづく)
【2016年9月4日(日)】会津駒ヶ岳
駒の小屋を出て1時間10分、7:22に大津岐峠に到着した。

左手にはキリンテ(変わった地名だ。由来は調べ切れていない)に下る道が分岐している。

正面の燧ヶ岳(2356m)はやっと雲が取れた。

左が俎嵓、右が柴安嵓。


白い建物は電発避難小屋。右奥に横たわるのは大杉山(1922m)。

日光白根山(2578m)。

実は、翌週にここに登ることになるとは想像もしていなかった。

左右に大きく翼を広げる会津駒ヶ岳(2133m)。

しかし、この散乱具合はひどい。

座って休む気にもなれず、撮影だけで出発。

御池まで6.8kmだそうだ。先は長い。

この雲だと尾瀬は雲海の下なんだろうなあ。

峠のすぐ先に大津岐山(1945m)の三角点があるはずだが、文字通りヤブの中。

仕方ないので、三角点未確認ではあるが、直近の登山道を通過したということで「登った山」に加算することにする。
そうと決まったら、未練なく進む。

それにしても山深いところだねえ。

人工物が何も見えない。


どうやら、大津岐山は巻くみたいだ。

つまり頂上はあの中。さっきのヤブは早とちりだった。

でも加算は撤回せず。

ほんとにずっと正面に燧が見えていて、まったく飽きさせない。

ミヤマコゴメグサの大群落。

たまには露岩。

大津岐山の波打つ稜線。

一番奥は、大津岐峠横の小ピークだ。

何度でも撮っちゃうよ。

空も友達。

ササも友達。

このあたりから、少しずつ高度を下げていく。

再度、大津岐峠を振り返る。

いよいよ樹林帯の中に入った。

このルートは、意外に歩かれていないみたいで、ササヤブがうるさい。

しばらく見晴らしは、あまり期待できないのかな。

燧も隠れてしまいそう。

木道もかなり老朽化している。

ちょっと、助けて。

一瞬、小さな湿原に出た。

池塘は干上がりかけている。

湿原を取り囲む木々。


ヤブに入ったり出たりの繰り返し。


中央左の台倉高山(2067m)を隠していた雲がやっと消えた。

鉄塔を目標に進む。

アキノキリンソウ。

オオカメノキの実。

大津岐山。

この稜線は時々、白骨樹を見かける。

でも、このダケカンバはしっかり生きている。

クリスマスツリー候補。

シャクナゲはもしかして今回始めてかも。

1749mまで、200m近く下って、登り返し。

ササを掻き分けていく感じだ。

大津岐山の左奥に会津駒。

1851mピーク手前の尾根はちょっとした展望台だった。

東真正面に帝釈山(2060m)。これもいずれ登りたい。

コケむした木道は慎重に歩く。

1851mピークを過ぎると分岐に出た。

右はJPOWERの巡視路である。

でも景色が良さそうなので、ちょっと行ってみた。

平ヶ岳(2141m)。

これから通過する1871mピーク。

あれが電発避難小屋。

ここを鉄塔が通過している。

撮影終了、登山道に戻る。

そろそろ休憩したいねえ。

鉄塔の下を通過。

ここからも会津駒がかろうじて見えた。

小屋は入れるのかな。「山と高原地図」には「一般使用不可」とあるが。

こんなところにも池塘。

高床式だ。

ハシゴもなく、やはり入れない。
登山道を離れて見晴らしのいい場所へ移動する。

会津駒の見える場所に腰を下ろして、本日初の休憩タイム。

絶好の会津駒展望スポットだった。

御池から登ってくる人と電発小屋あたりですれ違うのではないかと思って歩いてきたが、結局誰とも会わなかった。
これは実にゆゆしきことだ。
多くの登山者は百名山をピストンして登るだけで、他の有名じゃない山やルートは歩かない。
それで山に来た気になっている。
まさに「百名山栄えて、山滅ぶ」である。
はっきり言って景色は、会津駒の登山道よりも、この稜線の方が圧倒的にいい。
せめて、駒の小屋から大津岐峠まで歩くだけでも十分堪能できるのに。
大津岐峠からキリンテに下ることができるので、車で来たとしても、バスまたは徒歩で駐車場まで戻ることができる。
ほんの少しでも工夫してほしいなあ。
実際、バスで温泉に向かう時、キリンテに下りてきた人も目撃した。
でも、わずか1パーティーだけだった。
ここまで来るまで、だんだん気温も上がって暑くなってきた。
大して登っていない(むしろ下っている)のに、喉が渇くので、水をよく飲んだ。
御池まで足りるだろうか。
今回、小屋で水の補給はしなかったし、買ってもいない。
朝食はカップ麺だったが、天水があったのにそれを使わず、自分が担ぎ上げた水をわざわざ500ccも使ってしまったのは失敗だった。
水の量を確認してみたら、もうほとんど残っていなかったので大切に飲むことにする。
早くもお腹が空いたが、下界で昼食を食べるつもりだったので、食料もほとんどない。
グラノーラ半分とグミでお茶を濁す。
それで逆に水が欲しくなり、お茶を飲んだが、これもあとわずかになった。
不安を抱えつつ15分ほど休んで出発。

(つづく)
【2016年9月4日(日)】会津駒ヶ岳
会津駒ヶ岳(2133m)の駒の小屋から尾瀬の御池方面に向けて縦走を開始したところ。

しばらくはトラバース気味に進む。

比較的遅くまで咲いているオヤマリンドウ。

ミヤマコゴメグサ。

正面には雲のベールをまとった燧ヶ岳(2356m)。

振り返っても、まだ小屋は見えない。

左手はカワゴイワ沢の深い谷。

もうかなり日も高くなった。

右手は越後三山と奥只見湖。

1996mピークが目前だ。

この稜線の東斜面の森林限界はやけに低い。

風雪がかなり強いのだろう。

おお、日光白根山(2578m)がかなりはっきり見えてきた。

1996mピークをからませると、このように見える。

左手後方に見えるのは未丈ヶ岳(1533m)だろうか。

振り返ると、やっと会津駒ヶ岳の頂上(左)が見えた。

なだらかな頂上だ。

1996mピークへのハシゴ。

次のハシゴはヤブにかかっており使えない。

その先は岩場。

意外にまだピークまで距離があった。

でも、間もなく到着。

東には田代山(左、1927m)から帝釈山(右、2060m)あたりの稜線。

南にはなかなか雲が取れない燧ヶ岳。

振り返ると会津駒(左)。

これだけ撮ったら、さらに前進。

1996mピークはあんなに尖っていたのに、南から見ると、こんなにまるい。

また、しばらくはほぼ平らな空中漫歩。

極楽である。

すばらしい斜面だ。

ここはほんとにお薦めの稜線だなあ。

ありゃ、また隠れちゃうの?

湿原には時折傾いた木道。

振り返りも楽しい。

一部ササがうるさく、朝露に濡れてしまう。

おっと、まだ完璧ではないが、白根山と燧のコラボ。

再びミヤマコゴメグザ。

一部ヤブこぎあり。

お、やっと小屋が見えてきた。

実はトイレなんだけど。

山のひだひだ。

木道っていいなあ。

小さな池塘発見。

この先はいったん樹林帯に入る感じかな。あれが1956m標高点のようだ。

すぐに抜けました。

再び木道歩き。

だんだん燧が近づいてくる。

日光白根山の溶岩ドームもかなり全容を現してきた。

まだまだ見晴らしのよい稜線が続く。

右手は樹木の間から平ヶ岳(2141m)。

左手は、うっそうとした広葉樹の森。秋には真っ赤に染まるのだろう。

稜線には針葉樹がちらほら。

1956mピークを振り返る。左奥はお馴染み会津駒。

日光白根山が富士山のようだ。

めずらしく岩壁。

ロケット樹。

うわ~またきれいな高層湿原が広がっている。

これはたまりませんな。

まずは、ササをかきわけて、と。

ここにも木道が敷かれていた。

平ヶ岳が真横に横たわる。

あそこにも、いつか行きたいねえ。

ここにも愛らしい池塘さん。

いったん振り返り。

越後三山。

またまた振り返り。

北東の方角は厚い雲が覆っていた。

湿原終了。

と思ったら、また小さな湿原。

薄毛の生えた池塘もあった。

左手にも。

底はただの土だった。

いやあ、ここは天国ですな。

木道終了。

紅葉開始。

振り返ると、まだしぶとく会津駒が見えている。

しかも、この青さ。

神様、私は何かいいことをしたのでしょうか。

なんて、こんなに毎週歩いていれば、当然晴れの日にも当たるよね。

久しぶりの日陰。

ゴゼンタチバナの実。

うわ~、とうとう日光白根山、完成!

大津岐峠手前の湿原。

木道で登っていく。

振り向くと、会津駒の左に中門岳(2060m)も見えてきた。

今日は実に空気が澄んでいる。

昨日、小屋に泊まった人で誰か、こちらに向かっている人はいないかなあ。

ぱっと見、人の姿は見えない。

田代山(左)と帝釈山(右)。

少しササをこぐと

大津岐峠に出た。

(つづく)
【2016年9月4日(日)】会津駒ヶ岳
朝4:30に目が覚めた時にはまだ暗かったが、活動を開始する。
まずはトイレへ。
すっきりと晴れているわけではなく、ガスがわりと流れていたが、天気はまあまあ。
早くも外で御来光を待っている人がいた。


東の空には、犬のような雲が浮かんでいた。

私はガスストーブを持って、自炊室へ。
朝食はちゃんぽんのカップ麺。

随分前に買っておいたものだったので、賞味期限が9月中旬に迫っていた。
食べ始めたところで、外から「出た!」という言葉が聞こえたので、カップを持ったまま外に出て撮影。

でも、実はまだ出ておらず、これが本当の御来光。時刻は5:16だった。

今日も無事に歩けますよう。パンパン。
食べ終わったら、すぐにパッキング。
5:25、ザックを小屋に置いて出発する。

今朝もほとんど風がない。

昨日はすこし展望がはっきりしなかったので、再度チャレンジということで、頂上の巻き道を目指す。

駒の小屋さん、後ほどまた伺います。

駒ノ大池。

東の空。

昨日も挨拶した石祠。

小屋と大池を振り返る。

朝日に湿原は赤く染まる。

今日はもう頂上には行かないつもり。

ササは朝日が当たっても緑だ。

湿原は黄色い草紅葉となっている。

南の山々は残念ながら雲をまとっている。


燧ヶ岳(2356m)も雲がからんでいる。これはこれで美しい。

中央左に見える白い点は電発避難小屋。

今日の平ヶ岳(2141m)は雲の帽子をかぶっていた。


あの開けた稜線を歩くのが楽しみだ。

越後三山。左は中ノ岳(2085m)、右が越後駒ヶ岳(2003m)。

八海山(1778m)は二つの山の稜線に隠れて見えない。
望遠で見てみよう。まずは越後駒。手前は荒沢岳(1969m)。

中ノ岳。

それら全景。

手前は奥只見湖の先端。奥は越後平野。

ずっと奥に霞むのは、もしかして佐渡島?だとしたらすごいなあ。

昨日歩いた中門岳(2060m)への木道。

今日は空が真っ青だ。

北の方角。中央は丸山岳(1820m)。左奥は浅草岳(1585m)。

浅草岳をアップで。

丸山岳の向こうに、おそらく会津朝日岳(1624m)。

その右に展開する山々はよく分からない。


とても美しいのだけど。



大戸沢岳(2089m)。

その右の山も同定不能。

昨日より草紅葉の黄色が濃くなったような気がする。朝日のせいだろうか。

ササの緑も目にまぶしい。

シラビソの林。

中門岳への稜線と越後三山をコラボで。

中門岳の向こうに毛猛山(左、1517m)と杉村岳(右、1535m)。

中門岳の鞍部から覗くこれらの山は特定できなかった。


本当は、富士山や武尊山、谷川岳も見たかったのだが、やはり叶わなかった。
北東の空。

会津駒の頂上には行かないつもりだったが、やはり行くことにした。

でも、あちらにはもう行きません。

さらば中門岳。

頂上には誰もいなかった。

さっき北に見えた山は実はよく分からなかったのだが、ここの展望図で浅草岳、会津朝日岳などであることが確認できた。
南の山々はまだ雲の中。あれは取れてくれるのだろうか。

燧ヶ岳でさえ、この状態だ。

こっちは間もなく取れそうな気はするけれど。

池のほとりの小屋というのもいいものだねえ。

これから歩く稜線。

下っている途中、昨日会った星のお姉さんとすれ違った。

(ここには写っていません)
昨夜トイレに行った時、星が見えていたので、彼女もたぶん見れたことでしょう。
これから中門岳まで行くとのこと。気をつけて。
小屋まで戻ってきた。


今日も風もなく、大池は鏡のよう。

池の反対側から。

ここでザックを回収。

さくっと出発しようとしたら地図を置き忘れたことに気づき、取りに戻る。
せっかく靴を履いたのに、面倒くさ。
ストレッチをするのを忘れたまま、6:10に出発。

気温は12℃。結構冷え込んでいたようだ。
はい、気を付けます。

現在6:12.結構、出発が遅くなってしまった。
帰りのバスの時間は、御池が10時、12時、14時過ぎだというおぼろげな記憶があるが、はっきりしない。
たぶん11時には着けるだろう。

樹林帯の中をほんの少し歩くと、すぐに展望が開けた。

これはすごい。今日は素晴らしい稜線歩きになりそうだ。
前も横も後ろもみんな素敵だ。
やはり、双耳峰の燧を正面にずっと見ながら歩けるのがいい。
この尾根を歩かない手はない。会津駒ピストンだけじゃ本当にもったいない。
南東方向の山並み。

お~雲の上から日光白根山(2587m)の頂上が顔を出しているではないか。

すぐ先に見えるとんがりは、1996m標高点。

あそこは巻かずにピークを通過するのだろうか。

引いてみると、こういう位置関係。

燧ヶ岳も二つのピークがだんだん姿を現してきた。

中央に見えているのは大津岐山(1945m)から東に延びる尾根。

この稜線からも越後三山を望むことができた。

足元は若干、岩が露出している。そんなに歩きにくくはない。

小屋のあるピークを振り返ってみた。

(つづく)
【2016年9月3日(土)】会津駒ヶ岳
中門岳(2060m)から駒の小屋に戻る途中。

湿原にはイワショウブの実がひっそり。

左手に会津駒ヶ岳(2133m)から北東に延びる稜線。

形のいい池塘だこと。

木道は破損箇所が少なくなかった。



このあたりの草が倒れているのは、皆さん傾いた木道を避けて、草の上を歩いているからだろうか。

紅葉の始まり。

こういうところを逍遥できるのは、本当に幸せだ。

駒ヶ岳の頂上が近づいてきた。

間もなく草紅葉の季節。

池塘に映る空がこんなに美しいとは思わなかった。

明日はもっとすっきり晴れてね。

これまた妙な群生の仕方だこと。

またまたお腹がすいたので、今度はソーセージ。

駒ヶ岳山頂に日が当たる。

でも、空にはこんなに大きな雲。

地面には干上がった池塘。

シラビソの林。

黄色く色づいたバイケイソウの葉。

このあたりは山麓と違って夏の終わりの風景だ。

帰りは頂上を避けて巻き道経由で。

ちょっと、ヤブっぽいところに入っていく。

駒ヶ岳の西側はかなりの急斜面だ。

越後三山と光のカーテン。

越後三山の手前に立ちはだかる荒沢岳(1969m)。

一瞬、樹林帯の中へ。

駒の小屋を遠望。

山頂への分岐を通過。

山頂直下を回り込む。

再び、小屋方面が開けた。

日が傾いて燧ヶ岳(2356m)もすっかり影が薄くなってきた。

湿原の中を下っていく。

さっき歩いた道である。

やはり燧はカッコいい。

北東方面。

もう少しでビールが飲めるぞ~。

駒ノ大池まで戻ってきた。

さっきは歩かなかった池の東側に回り込む。

小屋と雲が写り込んでいる。

ベンチはガラガラなので、夕食は外でのんびり食べよう。

そうそう、トイレであれの処理をしなければ。

もちろん、100円をちゃりん。

ここの小屋は、いろいろとかわいらしく作っている。

処理終了。小屋へ戻る。

ちょうど午後4時にチェックイン。
案内された部屋は2階の13人部屋。本日は28人満室とのことだった。
一番奥の、三角屋根の傾斜のある天井の下で、少し狭かったが、一人分の布団は確保できているので、とくに文句はない。

荷物を整理し、ザックをザック置場に移動。
必要なものだけ持って、大池のほとりにあるベンチへ。
あの後みんな出てきたのか、空きは1つだけになっていた。
でも座るところがあって助かった。
この小屋は食事がついていないので、自炊しなければならない。
まずはビール(500円)でひとり乾杯。ちょっとぬるかったのが残念。

頂上を眺めながら、飲み干した。

同時に湯を沸かして、ビーフカレーのレトルトを湯煎する。
タイトルは「ビーフカレー」になっているが、実際はドライカレー。

でも、うまかった。

食事の支度をしながら、靴下を脱いで、足を濡れティッシュで拭き、新しい靴下に履き替えた。
食べている最中に、単独の女性が「空いていますか」と言ってきたので、二、三、言葉を交わす。
彼女は登山口までは車で来て、頂上には明日登るとのことだった。
ガスストーブに毛糸の手づくりカバーをしていたのが印象的だった。
5時にいったん部屋に戻り、誰もいないことをいいことに体を濡れティッシュで拭いて、ジャージに着替えた。

今回はかなり汗をかいて、ズボンもパンツも財布もびっしょりだった。
バッジが中門岳の分もあったので、会津駒と合わせ2つ買ってしまった。計1200円の出費。
焼き鳥缶詰を取りに行ったついでに、今度は缶チューハイ(450円)を買った。
部屋でメモを書こうとしたが、暗いのでもう一度、外に出た。
次第に頂上にガスが発生し、5時半にはあたり一帯、ガスに包まれてしまった。

18時すぎに完全撤収。再び部屋に戻る。
天井が低いが寝る分には差し支えない。
毛布と厚い布団があったが、夏なので布団は余計だ。
足元に置くと狭いので、丸めて隣の人との仕切りにした。
我ながら名案であった。
あとは何もすることがないので、6時半に目を閉じる。
7時には寝入っていたと思う。
夜中は、8:30、12:00、3:30に目が覚めた。
【行程】2016年9月3日
駒ヶ岳登山口(11:09)~登山口(11:35登山届提出11:38)~水場入口(12:53昼食13:03)~駒の小屋(14:12デポ14:18)~駒ヶ岳(14:32撮影14:35)~中門岳(15:07)~駒の小屋(15:53)
※所要時間:4時間44分(歩行時間:4時間16分)コースタイム:5時間45分
※登った山:2座(会津駒ヶ岳、中門岳)
※歩行距離:11.7km
【2016年9月3日(土)】会津駒ヶ岳
駒の小屋にザックをデポして、会津駒ヶ岳(2133m)の山頂を目指している。

振り返れば、肩の小屋と燧ヶ岳(2356m)。

そして湿原とササ原。やさしい風景だ。

真っ黒な松ぼっくり。

だいぶ上まで上がってきた。

燧ヶ岳の双耳峰は北から見ても格好いい。

左手には平ヶ岳(2141m)がなだらかな稜線を浮かべている。

巻き道を右折して、頂上に向かう。

なおも木道だ。

西に越後三山。

眼下に駒の小屋と大池。

随分、雲が低くたれ込めてきた。

ちょうど14:30、駒ヶ岳に登頂。

頂上は樹林に囲まれており、展望図があるわりには展望に恵まれなかった。

このうち見えていたのは、燧ヶ岳のみ。


でも、ここは一等三角点だった。

誰も来ないうちに出発。

中門岳(2060m)方面に下る。

見事な湿原の尾根が続いている。

斜面はササ原。

右前方にはおそらく坪入山(1774m)。

駒ヶ岳の北東に延びる稜線の主峰、大戸沢岳(2089m)はガスがかかり始めていた。

これから登り返しが待っているが、あれはそれほどきつそうではない。

左手は越後三山方面の山並み。

左への分岐が見えているところが鞍部に当たる。

黄色いのはイワイチョウ。

頂上を振り返る。もう、すっかり曇ってしまった。

鞍部に到着。

ここにも小さな池塘あり。

戻って来る人と一人だけすれ違ったが、あとは誰にも会わなかった。


うわ、大きなガスが流れてきた。

こちらは干上がってしまった池塘。

登り返し始めてから、会津駒山頂を振り返る。

いくつかの池塘の横を通りすぎて行く。



しかし、駐車場にあれだけ車があったのに、中門岳まで足を延ばす人は本当に少ないみたいだ。

こういう池塘も、たまにだと面白い。

稲が生えているみたいだ。

池塘の連続でうれしい。



こんなに広く尾根に展開する湿原はめずらしいのではないか。

近くでは尾瀬のアヤメ平があるけれど。

奥は会津駒山頂。

はい、了解しています。

あれが中門岳の頂上だろうか。

それにしても池塘が多い。



木道は延々と続く。

池塘は次々に出てくる。


いったん、下ってトラバース。

しかし、木道が完全に傾いていて歩きにくい。

池塘も傾いているように見える。

そんなわけはないんだけど。

別の角度から。

しばらく、コメントなしで、木道を歩いていただこう。






おお、中門岳頂上手前の鞍部にある中門大池が見えてきた。

背後にあるシラビソのシルエットが美しい。

おや、池のほとりにある標柱に「中門岳」と書かれている。

ここが頂上ではないことは明らかなのに。

湿原の向こうは平ヶ岳。これはなかなかの芸術写真かも。

池に映る曇り空。これもいいんでないかい?

池の先にも木道は続いているので、進んでみた。

湿原というより草原みたい。

広い頂上にもたくさんの池塘があった。


分解されたロボットのような島。

これが、本当の頂上。会津駒からちょうど30分で着いた。

このあたりは島のある池塘が幅をきかせていた。


まさに空中の楽園だ。


振り返れば、会津駒山頂が随分遠い。

頂上の先にもまだ踏み跡が続いている。

1988m三角点に通じているのだろうか。よく分からないが、もちろんここで引き返した。

池塘を楽しみながら、来た道を戻る。



もう、トンボの季節だねえ。

さらば、中門岳山頂。

ピストンだが、見る方向が違うと景色もまた違う。

だから、違った写真も撮れないことはない。

コロッケ。

滝雲のようなササ原だ。

右は2094mピーク。

中門大池を逆方向から。

あえて、さっきは振り返り撮影をしなかったのだ。

その方が帰りの楽しみが増えるので。

ここで本当はのんびりしたいところだけど、早く小屋にも戻りたい。

標柱をよく見ると、中門岳とは「この一帯を云う」と書かれている。

それにしたって、一番高いところに立てるのが普通じゃないだろうか。

登り始めたところで、いきなり催してきた。かなり強烈だ。

行きの電車の中で(新藤原付近)で済ませたのだが、少し残っていたやつが活動を始めたようだ。
結局、紙も何も持っていないのに、バイケイソウの葉っぱで拭けばいいと、ヤブの中へ突入。
しかし、葉っぱは簡単に裂けてしまい、全然拭けない。どうしよう。
考えた結果、仕方なく、さっき飲んだゼリーの容器を肛門に当てて、トイレまでのつなぎにすることにした。
歩いているうちに段々、容器が上がってくるので何度も直した。
小屋に戻ってきたら、すぐトイレへ入り、改めて患部を拭いた。
パンツにも被害はなく、容器もとくに汚れていなかった。作戦成功だった。
(つづく)
【2016年9月3日(土)】会津駒ヶ岳
桧枝岐から出発して、会津駒ヶ岳(2133m)を登山中。

オオカメノキの実が早くも実っている。

登り始めてから1時間45分で、水場入口にあるベンチに着いた。

今日はなかなか調子は出ないが、コースタイムは2時間なので、タイム的には悪くない。
ここの標高は約1650m。バス停から700m以上登ってきた。
ここまで休みなしだったので、ベンチに腰掛けて、おにぎりの残りを食べる。

近くで休んでいた人に、水場までの距離を聞いてみたら、「結構長いけど、すごくおいしい」との答え。やはり1、2分で行けるわけではないらしい。

さすがに5分も10分も下って、また登ってくる元気はない。
間もなく、さっきかなりのスピードで歩いていたカップルが水場から戻ってきて、同じように「長かったけど、おいしかったですよ」と勧められたが、やはり心は動かなかった。
おにぎりを食べ終わったところで出発。

ここからは比較的傾斜がゆるくなったので、体調はまだ回復しなかったが、何とか歩けた。


お菓子のようなキノコを発見。

これはオヤマリンドウ。

再びオオカメノキ。

お、やっと会津駒の稜線が見えてきた。

でも、頂上はまだ確認できない。

いったん、ヤブの中に入って

再び、北から東にかけての展望が開けた。



整備された階段で少しずつ高度を稼ぐ。

丸太のベンチで休みたい誘惑をこらえ、目をそらす。

アキノキリンソウ。

たぶん帝釈山(左、2060m)と台倉高山(右、2067m)。

手前に横たわるのは大中子山(1844m)。
平坦なところは木道。

この壁は何かと思ったら、倒木の根っこの裏だった。

さっきのカップルの姿がまた見えたが、追いつきはしなかった。

頂上付近が再び見えてきた。


勾配が緩やかなのは、ほんとにありがたい。


木々の合間から一瞬見えたのは燧ケ岳(2356m)。

至仏山(2228m)は雲の中だった。

北東に見えるのは七ヶ岳(1636m)だろうか。

頂上近くになって、すこし傾斜が出てきた。

会津駒の山肌はササに覆われている。

ん? あれが山頂かな。

元気をもらって、木道を進む。

視界もほぼ開けてきた。

お~、やっと駒の小屋が見えた~

水場入口の手前で抜かして、私が食事中にまた先に行った単独女性に、小屋直下で再び追いついた。

「結構きついですね~」と声をかける。
二言三言雑談したあと、「今夜、星が見えるかな~」と話していたのが印象的だった。
星がお目当ての人もいるんだなあ。
ここは素晴らしい展望スポットでもあった。

会津駒は滑らかな女性的な稜線を描いているのがよく分かる。

頂上までは1.2kmだけど、小屋まではもうひと登りだ。

今度は私が先に行く。

このあたりは湿原になっている。

とてもいい雰囲気だ。

木道のカーブも美しい。

池塘は大好き。


いろんな形の池が点在していた。

最後は急傾斜の木道。

湿原の端っこにも池塘。

あれは日帰りの方々でしょう。

あの池塘はゴルフのカップみたいだ。

木道、かなり傷んでいるなあ。

小屋はとてもいい位置にある。

あそこまで、木道を黙々と登る。

左の大きい建物はトイレ。母屋は右の方だ。

山頂に至るこれまた女性的な斜面。

またまた池塘群。



背後の突起はたぶん笠ヶ岳(2058m)。


下りてくる登山者もかなりいる。

至仏山は見えそうで見えない。

燧ヶ岳はくっきり。

その手前に見える稜線はあす歩く道。

小屋はもうすぐそこ。


木道と湿原を振り返る。


お腹空いたので、小屋直前だが行動食。

頂上もだいぶ近づいてきた。

そして、午後2時すぎ、ようやく小屋に到着。

小屋の真ん前に駒ノ大池。

まるで鏡のようだ。

山頂からは続々と登山者が戻ってくる。

駒の小屋はわりと小さな小屋だった。

でへ、いろいろあるね。山頂から帰ってきたら飲もう。

かわいらしい手作り看板。

何気ない柵にも絵が描かれている。

こんな動物たちも。オコジョかな?

まずはトイレへ。

小屋で荷物をデポさせてもらい、頂上に向かう。

ガスがかかっていなければ、中門岳(2060m)まで行ってしまうつもりだ。

しかし、若干雲行きが怪しい。

ちょこんとたたずむ石祠にご挨拶。

ここから頂上まではコースタイム20分ほど。
小屋と大池、なかなか絵になる風景だ。

振り返ってばっかり。

湿原の端っこにまた小さな池塘を発見。

イワイチョウの花はとっくに終わり、もう紅葉が始まっている。

木道は頂上まで続くのかな。小屋からの標高差はわずか80mほどだ。

(つづく)
【2016年9月3日(土)】会津駒ヶ岳
この週は火曜日に南アルプス2泊3日の旅から帰ってきたばかり。
休養したいところでもあるのだが、週末の天気予報が抜群にいい。
会津駒ヶ岳の駒の小屋へ電話を入れてみたら、まだ空きがあるというので、行くことにした。
ここも以前から気になっていた山なのだ。
それにしても、この夏は精力的に歩いた。
7月中旬から8月末まで振り返ってみると、3日山行(大雪山)→4日出勤→1日山行(新潟)、1日休み→3日出勤→4日山行(四国)→3日出勤→4日山行(南アルプス)→3日出勤→1日休み、3日山行(北海道)→4日出勤→2日山行(磐梯山)、1日休み→5日出勤→3日山行(南アルプス)、1日休みという感じ。
1か月半の間、山20日、休み3日、出勤22日と、休暇の方が多かったほどだ。
そのほとんどが山だった。我ながらちょっと異常である。
それはともかく、会津は遠いので、やはり電車を利用した。
土曜日は4:45に起床。準備は前日のうちに整えておいたので、手早く歯磨き&洗髪だけして、5時に出発。
5:23新所沢発の電車に乗り込む。川越、大宮でそれぞれ乗り換え。
朝食のパンは川越線の中で食べた。
春日部で会津田島行きの快速(東武線)に乗り換えると

前回(昨年8月:至仏山登山)と同様、朝から酒盛りをしているグループがいた。
空いているボックスはすでになかったので、年配の方2人が座っていたボックスに相席させてもらう。
車中、しばらくはまじめに仕事の資料を読んでいた。
うるさい方々は板倉東洋大前で下りてくれた。彼らはゴルフだったのかな。
車内を見渡すと、登山の人より、自転車の人の方が目立つ。
日光方面はサイクリストにも人気のようだ。
下今市を過ぎたあたりで、資料は読み終わったので、その先はずっと車窓を眺めていた。
男体山や女峰山がよく見えた。

毎回、鬼怒川温泉付近の車窓は楽しい。

川治温泉駅で上り電車待ち合わせのため数分停車。

湯西川温泉駅を通過して、五十里湖の向こうに見えたのは、おそらく明神ヶ岳(1595m)。

車窓から見えた山村風景。

中三依温泉駅でも少々停車。

ホームに下りて伸びをする。

正面に見えたピラミダルな山は荒海山(1581m)だろうか。

9:25、定刻通り、会津高原尾瀬口駅に到着。

ここでは30人くらいが下りたが、山支度の人は20人くらいの見当。

会津鉄道の赤い車両が発車を待っていた。

いってらっしゃい。

バスの時間は9:50なので、まだたっぷり時間がある。

20人なら座れるのは確実なので、バス停まで急いで並んだりはせず、悠然とまずはトイレで水を調達。売店でお茶を購入した。
バスのチケットも購入。運賃は駒ヶ岳登山口まで1760円だった。

バスは定刻に発車。

予想通り20人くらいが乗っていた。
右側の席に陣取る。前回とは逆だ。
前半はほとんど寝ていた。
目を覚ますと、車窓には白い花で満開のソバ畑が広がっていた。

バスは桧枝岐川に沿って、遡っていく。

小腹が空いたので、早くもおにぎりを1つ食べてしまった。

一瞬、燧ケ岳(2356m)も確認できた。

下車する停留所が次になので、降車ボタンを押したが、反応がない。
前の席の人も困っていたようで、運転手に直接言ってくれた。
大声を出さなくて済んで、助かった。
駒ヶ岳登山口のバス停に着いたのは5分遅れで、11:03。

ここで6人くらいが下りた。
ストレッチをして11:08出発した。

桧枝岐村のマンホールはミズバショウ。

国体山岳競技開催記念碑。

すぐ先にあった公衆トイレに立ち寄る。

結局、6人のうち2番手で出発した形になった。

まず駒一の橋を渡る。

右手に流れるのは下ノ沢。

しばらくは林道歩き。

前を単独の女性がわりと早いペースで歩いていくのが見えた。
下ノ沢もいろんな表情がある。



途中で林道をショートカットする登山道に入る。

この道はかなり急だった。

途中で用水路を渡る。

再び林道に出ると、登山口の駐車場が近いらしく、かなりの数の車が停まっていた。

すぐ先に正規の登山口の駐車場があった。

下の方は見ていないので、どの程度路駐しているか分からないが、合計で50台くらいあったのではないか。

この先は当然一般車両通行止め。

少しだけ車道を歩く。

もうススキが穂を延ばしていた。

なんだか、ものすごい木だこと。

その向かいに登山口。

登山届を書いている間に、バスで一緒だったと思しきカップルが抜かして行った。

いきなり階段だ。

その後も、急坂が続いている。

緑の濃い夏の山である。


そんな中にアキノキリンソウ。

頂上まで4.7kmの標識。あまり知りたくない数字だった。

早くも下りてくる団体さんとすれ違った。

昨日、肩の小屋に泊まったのだろうか。

しばらく登ってきたが、どうも調子が出ない。

先週登った南アルプスで体ができ上っているはずだと思ったが。

暑いからか、それとも荷物が重いからか。ここで休んでしまいたい。

それとも飲み物がアクエリアスではなくて、ただの水だからだろうか。
塩飴はなめているのだが。
もしかして、山に行きすぎて夏の疲れが出たのか。
とにかく、そんな調子なので、立派なブナの木を見上げながら、ゆっくりゆっくり歩く。

こんな木の根も負担になってしまう。

「山と高原地図」に「ヘリポート跡」なる記述があるが、現地ではそれらしきものを確認することはできなかった。

あらら、またこんないたずら書きが。尾瀬の山の中でもたくさん見かけた記憶がある。

このあたりが多発地帯だったのだろうか。

一瞬、北の方角の視界が開けた。

傾斜が緩んで、ほっとひと息。

でも、まだ4.1kmもある。

しばらくして、さっき抜かして行った男女がまた見えてきた。

(ここには写っていません)
でも、2人は軽口をたたきながら、楽々と登っており、その後は全く追いつけなかった。
青い~~~~

緑~~~~~

今度は南東方面の視界が開けた。帝釈山(2060m)かな。

早くも紅葉が始まっている。やはり9月の東北だからなあ。


あと3.7km。たいぶ登ってきた。

国道までは3.0kmとあるので、バス停から頂上までは6.7kmあるということになる。

名も知らぬ山。

ほんとに木を傷つけても平気なんだねえ。

(つづく)
【2016年8月29日(月)】奈良田
奈良田温泉「白根館」の投宿中。
午後6時は、お待ちかねの夕食の時間。

「山人料理」と呼んでいるらしい。なかなかおいしそうだ。
鹿肉のしゃぶしゃぶの食べ方を聞きながら、若旦那に取材。

このあたりの鹿はこの10年で数百倍になったという(ちょっと大げさだけど)。
かつては1日かけて1頭獲るのがやっとだったが、今なら5分で5、6頭仕留めることができる。弾を込める時間もないほどだとか。
鹿が増えたせいで、ヒルが蔓延しており、七面山の方はひどいらしい。
白い足袋を履いて登っても、下りてくる頃にはヒルに噛まれて真っ赤になってしまうそうだ。
ご令息は何キロも離れた町立北小に通っている。全校児童17人、ほとんどは他の地域から来ている山村留学の子供で、地元の子は2人だけらしい。
通学は無料のスクールバスで、運用によってタクシーになることもあるとのこと。
白根館は創業53年というから、私と同じ年だ。
たぶん、若旦那さんが3代目。4代目はあの小学生が継ぐのだろう。
「山人料理」はこんなメニュー。

この木は黒文字という木で、用途は爪楊枝である。
メニューの中では、とくに川魚の薫製もおいしかった。

そばがきの揚げたのはボリュームがあってお腹いっぱいになった。

とろろのお吸い物も食べたことがないが、すこぶる美味。

ごはんもおいしくてたくさん食べたいところだったが、そんなには入らなかった。
もちろん、冷酒もいただきました。

ごちそうさまをして、ロビーに立ち寄り、方言のお勉強。

ちゃんと「こんぼうず」が書かれていた。
さっき見た「アラク小屋」の「あらく」とは焼畑の1年目のことだった。

その他もろもろ。

横綱も大関も聞いたことのないものばかりで、さっぱり分からなかった。

奈良田の方言は、なぜか関西アクセントだそうだ。その利点を生かして、奈良田の村人は行商人を装い、信玄の隠密として全国で諜報活動を行っていた、という説がある。
このアクセントのおかげで、甲斐武田の衆だとは分からず都合がよかったのだとか。
この地が甲斐国で唯一、年貢を免除されていたのは、隠密の任務を担っていたからだとも言われているが、村の方々としては、ここが孝謙天皇ゆかりの地なので、かの信玄公もはばかったのではないかと信じているようだ。
部屋に戻り、またまたお風呂。
今度は男女入れ替わりで、別の露天風呂に入った。ここも独占。
今日は月曜日ということもあり、客は我々のほかに2組4人だけだった。
風呂から上がったら、あとはもう寝るだけ。

翌朝はそんなに早くないので、頑張って起きていたかったが、これだけ満腹ではもたない。
9時にはみんな寝てしまった気がする。
【2016年8月30日(火)】奈良田
翌朝は全員5時半までには目が覚めてしまい、すぐに朝風呂へ。
今度は檜風呂。ここも独占。

それにしてもいい湯だ。この湯に入るためだけに、この宿に来てもいいくらいだ。
今朝は緑色になっているような気がした。さすが七不思議の湯。

部屋に戻って、台風の進路をテレビやネットで確認すると、今夜の羽田→千歳便はかなり危ないことが判明。
午前中は雨の予報だし、登山はもちろん観光もできないから、朝食を食べたらすぐ帰ることにした。
H君の飛行機は早めの便に変更したようだ。
食事も15分ほど早めてもらった。
朝食のきび入り御飯もおいしくて、めずらしくおかわりしてしまった。

8:15に出発。車内では早川町のことをスマホでいろいろと調べていた。
ここは人口が1123人(11月1日現在)で、日本で一番人口が少ない町だそうだ。
しかも、辻一幸町長は現在10期目というから、もう36年以上務めていることになる。
これは驚異的だ。
下部温泉駅に9:05着。

私は電車で帰るので、ここで下ろしてもらった。

10分ほど待って

9:15発の各駅停車に乗り込む。

平日だけあって、ガラガラだ。

外は大雨。

1時間ちょっとで甲府駅に着くと、乗る予定だった特急あずさは27分遅れており、その前のあずさが幸運にも間もなく到着したので、それに乗る。
下部温泉に早く着いて、予定していた列車より1本早いのに乗れたのが幸いした。
所持金が5000円しかなくなっていたので、足りるか心配だったが、運賃は3520円で済んだ。
その後、さらなる遅延は発生せず、立川に到着。
快速に乗り換え国分寺。
新所沢駅前で、お昼のラーメンを食べ、午後1時前に帰宅した。

雨はもう止んでいたので助かった。
帰宅したら、さっそく洗濯に取りかかった。
今年2回目の南アルプスは雨にたたられたが、核心部は晴れてくれたのでラッキーだった。
去年の白馬とほぼ同じパターンだった。
【行程】2016年8月29日
大門沢小屋(5:23)~1530m地点(6:03休憩6:08)~作業小屋跡(6:20)~大古森沢渡渉点(6:50)~早川水系発電所取水口(7:27)~広河原庵(7:50)~広河原橋(8:14)~奈良田温泉(8:45)
※所要時間:3時間22分(歩行時間:3時間17分)コースタイム:3時間25分
※登った山:なし
※歩行距離:8.5km
【2016年8月29日(月)】奈良田
午後1時に「白根館」にチェックイン。

部屋の中に濡れたものを干してから、またまたお風呂へ。

これは温泉ではなく湧き水。

今夜のごちそうかな?

では、入りましょう。

ここは気温や天候でお湯の色が変わる「七不思議の湯」として知られる。

露天風呂からは早川の河川敷を眺めることができる。

ここでも露天風呂は独占で、名湯を思い切り堪能した。

このときのお湯は、ほぼ無色透明だった。

上がってからはロビーで新聞を見たり、早川フィールドミュージアム公式ガイドブック「めたきけし」を読んだり。
館内には、白籏史朗撮影の間ノ岳の大きな写真が額入りで掲げられていた。

ダム湖に沈む前の奈良田の集落の写真があったが、かつてはかなり大きな町だったようだ。

当時の村は水の底ではなく、土砂の下に埋まっている。
ダムができてから半世紀で上流から大量の土砂が流れてきて、堆積しているのだ。
あと50年もたたないうちに、あのダムは水を貯めることができなくなるのではないか。
いったん部屋に戻って、缶チューハイで乾杯したが、夕食の6時まで何もすることがない。
鍵屋でゲットしてきたパンフレットを見ていたら、奈良田集落の見どころを随分素通りしていたことに気づき、午後4時前に散歩に出かけることにした。
H君も「どうせ暇だから」と付き合ってくれることになった。
O君は部屋でゴロ寝を決め込んだ。
玄関にお供えしてあったのは、オホンダレ。

奈良田には小正月にオホンダレを玄関先に飾る風習があるそうだ。
カツの木の枝に顔を彫り、頭の上に団子や木を削って作った花を乗せる。
男女一対になっていて、魔よけの意味があるそうだ。
ガイドマップを見ながら、あちこち撮影して歩く。
消防団の車庫。

白鳳観音。

山の神。

再び、多良寺。

かつては、ここで孝謙天皇が伝えた「外郎(ういろう)」という薬を作っていたらしい。
この薬は今でも小田原の薬屋で「ういろう」として売られているそうな。
ここは日蓮宗の寺のようだ。

こちらは「南無立正日蓮大菩薩」の石碑(昭和6年建立)。

山号は「身栄山」。

昔使われていた立派な鬼瓦。

歴史民俗資料館には焼畑農耕農具が大量に保存されているらしい。

覗いてみようと思って行ってみたら、玄関前に座っていた腰の曲がったおじいさんが「いま閉めちゃったよ。時間だからね」としたり顔。
時計を見ると、4時5分。
入館は4時まで、閉館は4時半までということなので、普通なら、「見るなら開けるよ。4時半で閉めますから」ということになるのだろうけど、そんな素振りは全くなかった。
ちょっと笑ってしまった。
開けてくれても、白籏史郎写真館と合わせて600円ということなので、たぶん見なかっただろう。
そこへ行く手前に、詩人田中冬二(1894~1980年)の詩碑。

冬二は昭和11年、奈良田を訪れて「山郷」という作品を残した。
夕暮れは雨となり 雨にまじり山焼の灰が降ってきた
父も母も兄も嫂も皆山仕事に出かけてもう七日・・・
と、厳しかった当時の山村の暮らしを写している。
その34年後の昭和45年、冬二はこの地を再訪し、その印象を「奈良田のほととぎす」という文章に残した。
「奈良田の山郷らしいカラーは殆ど失われてしまった・・・板屋根に石をのせ千木をおき、上段の間のあった家は、瓦葺スレート葺となり、台所はタイル張り電気洗濯機電気冷蔵庫まで揃えた都会並みの瀟洒な住居と化してしまった。山深く開墾小屋へ泊まりがけで開墾にゆくような人はもういなくなったらしい」
奈良田は近代化してはいけないかのような冬二の言い草には違和感を覚えないでもないが、彼の言うように村の暮らしを一変させたのは、言うまでもなく西山ダムの建設である。
この事業を主導したのは、山梨県初の県人知事、天野久(1892~1968年)だった。
天野はもともと大月市の笹子に「笹一酒造」を創業した実業家で、昭和26年の知事選で初当選。以後4期にわたり、山梨県の開発に尽くした。
現在の国道笹子トンネルや富士スバルライン、南アルプス大衆化のきっかけとなった野呂川林道の建設なども天野の仕事である。
冬二とは立場が正反対だが、奇しくも二人は同世代である。
坂を登り始めると、左手に小さな天神様。

祠にはミミンコと呼ばれる飾りが吊り下げられていた。

中には、菅原道真公が祀られていた。もう一人も天神様なのだろうか。

昭和7年建立の道祖神(表側は既出)

石垣にしつらえた階段を登る。

路地を通り抜けてゆく。

冬二が批判がましい感想を持った瓦屋根やトタン屋根。

奈良法王神社はさっき参拝したので通過。

民俗資料館の奥にあるアラク小屋「山城屋」。

アラク小屋とは焼畑のために山に建てられた作業小屋のこと。
これはそれを再現したもの。冬二の描写通り屋根に石がのせられている。
現在の民家は赤いトタン屋根。


再び県道に下って、西山ダム方面に向かう。

振り返って、「白根館」を遠望。

奈良田湖にかかる吊り橋(塩見橋)。

そのたもとに山の神が祀られていた。

橋は渡らないつもりだったが、H君が対岸の公園に行きたがったので、渡ることに。

随分距離があった。

左手には水が貯まっており、何とかダム湖らしく見える。

右手は土砂がかなり堆積しているのが分かる。

ここから斜面に展開する奈良田の集落を一望できた。


吊り橋を渡り終えると、「笹山」の道標。

笹山って、目の前に見える山のことかなと思ったら、ここから7時間以上もかけて登らないといけない黒河内岳(2733m)のことだった。
すぐ先に、「奈良田の七不思議」の説明板があった。

この公園では、そのうちの2つを見ることができた。
1つは「塩の池」

奈良田では塩が手に入りづらいことに心を痛めた奈良王様(孝謙天皇)が八幡神社に祈願したところ、お手洗池から塩水が湧くようになったという。
近くには製塩の碑が建てられていた。

それにしても暗い道だ。

その八幡神社。


次の七不思議は「染の池」

ここは奈良王様が衣を染めた池で、村人もここでタホ布なるものを染めたそうだ。
さらに「片葉の葦」という七不思議もここに生えているそうだが、それは見つけられなかった。
もう一度、奈良田の町並みを眺める。

北の方角に見えたのは大崖頭山(おおがれあたまやま、2186m)だろうか。


笹山方向に通じる隧道。

旅館大家。

あれこれ回って満足して宿へと戻る。

珍しそうな鳥を発見したが、名前はもちろん分からない。

宿に着くと、ちょうど、ここのご令息がタクシーで小学校から帰宅したところだった。
山間部ならではだ。
ちょっと汗をかいたので、もう一度お風呂へ。
またまた今度も独占だった。
(つづく)
【2016年8月29日(月)】大門沢・奈良田
9時前に大門沢小屋から奈良田まで下りてきた。

雨が降っているので、私とH君が今宵の宿「白根館」の屋根付き駐車場で待機。
O君は、第一町営駐車場に置いてある車を取りに行った。
宿に置かせておいてもらうつもりだ。
しかし、町営駐車場はすぐそばなのに、なかなかO君は戻って来ない。
しばらくして、彼は車に乗ってではなく、徒歩で現れた。
なんとバッテリーが上がっていたという。
ライトが付けっぱなしだったのか。古い車なのでとは言っていたが。
とにかく宿のご主人に相談。車を貸してくれたので、バッテリーをつなぎ、何とか復旧した。
でも、この作業の間、裸足でサンダル履きだったO君は駐車場の草むらにひそんでいた蚊にやられ、両足の足首から下、計50か所くらい刺されてしまった。

痛々しいほどだった。全くふんだりけったりだ。
車は充電のため、しばらく走らせた方がいいので、奈良田の日帰り温泉ではなく、すこし離れた西山温泉までドライブがてら行くことにした。
出発の準備が整うまで、私はあとで拾ってもらうことにして、ちょっと散策。
奈良田温泉のバス停に早川町乗合バスが待機していた。

その先に、「旅館大家」。

まだお住まいのようだが、営業は止めてしまったらしい。
このお宅(深沢定富家)はかつての庄屋だったのか、戦国時代に甲斐国で唯一年貢を許されたことを示す武田信玄・勝頼の印判状が伝わっているそうだ。

ここで、ピックアップしてもらった。
西山温泉に「湯島の湯」という日帰り入浴施設があるらしいのだが、見つけられず、結局奈良田まで戻り、車を今度こそ白根館に止めて、徒歩で「奈良田の里温泉」に向かうことにした。(実は、「湯島の湯」はもっと先だった)
温泉まで、ちょっとした奈良田散策である。
しっとりと濡れた道祖神と地神。

奈良田の里はこんなふうな感じで営まれている。

「温泉」は高台にあるので、ちょっと登る。
家並みを見下ろすことができる。

もうクリが実りつつあった。

分岐を右へ。

源泉かけ流しだそうだ。

この温泉は「女帝の湯」と名付けられている。

その名は、奈良時代の女帝孝謙天皇の伝説に由来する。
天皇はある夜、夢を見た。真っ白な鬚をたくわえた翁が「甲斐国巨摩郡早川庄の湯島郷に効験あらたかな霊湯がある」と告げた。病を患っていた帝がこの地にやって来たのが天平宝宇二年(758年)のこと。20日ほどの湯治で病は治ったが、この地をこよなく愛された帝は8年間ここに遷居し、村人たちの暮らしを助けたという。
もちろん、孝謙天皇が甲斐国に下ったという史実はない。

孝謙天皇は僧の道鏡を寵愛したことでよく知られる。
そのせいか、伝説には尾ひれが付いて、帝が患っていた病気とは、道鏡のイチモツが大きすぎたことによる下の病だったとも伝わっているそうな。

入浴料は550円。

平日の朝ということもあり、温泉はわれわれ3人の独占状態。

湯はぬるぬるというより、とろとろというのがぴったりくるくらいのなめらかさ。

源泉の温度は42℃。phは8.6のアルカリ性低張性高温泉だ。

源泉からは、ほのかに硫黄のにおいがした。

浴槽は2つに分かれており、右側の方はややぬるくなっていて、いつまでも入っていられた。ほんとうにいい湯だった。

湯から上がって、我々が着替えているころ、昨日何度も見かけた法政二高の生徒たちが入ってきた。
ちょうど入れ替わりでよかった。
彼らは最寄りの駅までタクシーに分乗して帰るとのことだった。
湯上がりのビールは古民家カフェ「鍵屋」に行こうと思っていたが、この建物内に食事処があるので、まだ10時半だが、ここで早めのお昼にしてしまうことにした。

「こんぼうず」とは、奈良田の方言で食いしん坊の意味だとか。
まずは生ビールで乾杯。
つまみは、なすの煮浸しにおでんに川魚の塩焼き、主食はほうとうをいただいた。



これがボリュームもあって、なかなかうまかった。
調子に乗って、冷酒もいただいてしまった。

山梨県北杜市・谷櫻酒造の「たにざくら」。
この古銭の文字が浮かび上がると飲み頃だそうだ。

1時間かけて、ゆっくりランチ&お酒を楽しんだ。
いい気分になったところで、もう1回風呂に入ろうと思ったら、「お風呂は1回のみです~」とのことでNG。
仕方ないので、宿にチェックインできる午後1時まで、あたりをぶらついて時間をつぶすことにした。幸い雨は止んでいた。

遊歩道を通って県道に下りる。

これは何の葉っぱかな?

県道に下りて、奈良田の里温泉を見上げる。

意気揚々と県道を歩く。

いったん白根館に戻って、傘を置く。

オオバギボウシの紫が鮮やか。

珍しい火の見櫓。半鐘も吊り下げられていた。

再び坂を登る。

ニラの白い花。

昔ながらの民家。


現在の奈良田の集落は、西山ダムの建設に伴い、昭和35年に全戸移転して成立した。
だから古くてもまだ半世紀ちょっとしか経っていない。


この水道もその頃のものかもしれない。

かつての集落は西山ダムを埋めつつある土砂の下だ。
石垣の脇の細い道を登る。

間もなく奈良法王神社に着いた。

奈良法王とは孝謙天皇のことだ。


村人の天皇への敬愛の念が強く、そんな名前がついたらしい。
孝謙天皇はこの地に着いた時、「奈良の都は七条なるが、この地は七段、ここも奈良だ」とのたまった。それが「奈良田」という地名の由来らしい。
境内には「御符水(ごふうすい)」と呼ばれる手水があった。

帝が掘った用水で、どんな干ばつや長雨でも水の増減がなく、諸病に効くとされる。
「奈良田の七不思議」の一つだそうだ。
試しに、一口いただいてみた。

今のところとくに悪いところはないが、これでしばらく病気にはかからないだろう。
白壁の社殿に参拝。

神社の創建は延暦三年(784年)だそうだ。

早川町歴史資料館は素通り。

皇太子殿下は昭和62年に奈良田を訪ねたらしい。

お目当て、古民家カフェ「鍵屋」ののれんをくぐる。

ケーキがおいしいらしい。

この建物はもともとここにあったものではなく、富士吉田から昭和60年に移築されたものだそうだ。

建築は18世紀後半頃と推定されているらしい。
ここでO君は鹿肉のトマト煮(1300円)を注文。

さっきの店での食事だけでは足りなかったようだ(彼だけ、ほうとうではなくそばだった)。
私とH君は「えだ豆アイス」(400円)。枝豆の砕いたのがそのまま入っていたが、かなり固かった。

食感的にも今いちで、めっちゃうま~いって感じでもなかった。

ここで、店内にあった白嶺史朗の南アルプス写真集をめくって風景を復習した。

帰りにH君が「エコパーク」のバッジをもらって喜んでいた。
そろそろ1時なので宿に向かう。

(これは「奈良田の里温泉」)
野外に露出した便器を横目に下っていく。

ちょうど1時に「白根館」にチェックイン。
昨日乾かなかった汚れ物を含め、3人分の衣類で部屋は埋まり、一気に男の汗くさい部屋となった。
(つづく)
【2016年8月29日(月)】大門沢・奈良田
大門沢の巨岩地帯を通過中。


沢の水を改めてよく見ると、本当にきれい。


お馴染みの標識。

この枝沢には、木橋がなかった。

雨が降っているのに、濁っていなくてうれしい。

いったん岩を登る。

そして下る。

滑りやすい岩にはステップあり。

つい小石を乗せたくなる四角い岩。

おお、やっと吊り橋が見えた。

吊り橋手前の大岩。

O君、吊り橋を渡るの図。

ここは峡谷になっている。

H君に続いて、私も渡る。

結構高さがある。

うへ、こえ~

無事渡り終え、発電所関係の施設を振り返る。

しばらく施設内を歩く。

取水口の横を行く。

「山と高原地図」には「早川水系発電所取水口」と書かれている。

取水口通過。

一気に開けた場所に出た。

これは道路の橋台のようだ。こんなところに道を通す気だろうか。

縁石に沿って下る。

以前このルートを歩いたことのあるO君が言うには、以前とは景観が異なっているという。

以前の登山道は堰堤工事のため一部寸断されてしまったようだ。

その堰堤がこれだ。

吊り橋も1つ消えてしまったらしい。

沢にも手が加えられていた。

この道路が今後、奥まで延びていくのだろうか。

旧道らしき道は立入禁止になっていた。

この堰堤はかなりデカい。

その下流を吊り橋で渡る。

森山橋だそうだ。

上流側を見ると、堰堤は3段になっている。

なかなか派手だ。

角度を変えて。

無事渡り終えました。

一旦、登山道に戻るが

すぐに林道に出た。

あとは延々舗装道路。

小腹が空いたので、歩きながらもっちりあんドーナツ。

これはお気に入りなのだ。
入山前に買ったので賞味期限は今日まで。
まもなく広河原庵と呼ばれる休憩所を通過。

さっきの堰堤工事の際の写真が貼り出されていた。

2008年頃に造られたようだ。
ポカリスエットのサービスも(笑)。

寄り道はこの程度で。

この登山マップは、ほんとにイメージだけ。ほとんど役には立たない。

隣にあった登山届のボックスは「登山者名簿」なる古めかしい表記。

もはや誰も使用していないだろう。
あちこち寄り道している間に、2人の姿は見えなくなってしまった。

いつものことだ。気にしない。
と言いつつ、トレランで追いつく。
雨にしっとりと濡れたツリフネソウ。

これを見ると、里が近いことを実感する。
法面工事の概要を示した案内板。完全にひしゃげている。

落石のせいだろうか。
小さな祠にはペットボトルがいっぱい。こんなのも珍しい。

やっと林道のゲートに達した。

そこには扉が取れてしまった便所が。

林道に名残を惜しむ。

車が見えた。あそこが県道だ。

林道を歩くこと30分ほどだった。

ここは第一発電所のバス停。

トンネルのゲートの前にいたおじさんに挨拶をしたら、「8:11のバスが今ちょうど行ったところだよ。奈良田のお風呂は9時からやっているから、着いた頃には入れるよ」と教えてくれた。ラッキー。

右側のトンネルを行くと、あの奈良田第一発電所に至る。

これは大門沢が早川に合流する直前。

この橋の上でカメラのメモリーがいっぱいになってしまった。
ザックの奥にしまい込んでいた一眼レフを取り出して、それに差し込んであったメモリーと交換する。


この作業で随分遅れてしまったので、速足で2人を追いかけた。

奈良田橋を渡る。

1961年の完成。私より年上だ。

広い早川の河川敷。

ダムのせいか、水量は少ない。

枝沢に造られたピカチュウ堰堤。

奈良田橋のトラスを振り返る。

奈良田の第二駐車場を通過。

さすがに平日だと、車はほとんどない。

丸山林道の入口、宿まであと500mというところでまた雨が降り出し、面倒だが雨具を着た。

さらば南アルプス。

まもなく9月だというのに、まだアジサイが鮮やかに咲いていた。

この県道は「南アルプス街道」と呼んでいることに、初めて気づいた。

早川総合開発事業殉職者の慰霊碑。

外良寺。やっと奈良田の集落に入った。

落ち着いたら、ゆっくり散歩しよう。

8:45、まだ朝早いが今宵の宿、白根館にとうちゃこ。

3日ぶりに帰ってきた。

(つづく)
【2016年8月29日(月)】大門沢・奈良田
昨夜は大門沢小屋に泊まった。この日は4時半に起床。
夜中じゅう雨が降っていたが、そんなに強くはなかった。
今は小降り程度。
でも、湿気のおかげで干していた衣類などは、さらに湿っていた。
朝食の前にめずらしく催したので、トイレを済ます。
板の間に穴を開けただけの便所でちょっと怖かった。
パッキングをほぼ済ませて5時の朝食へ。
これまた、かなりの粗食。

生たまごの殻が固くてなかなか割れないので、テーブルの角に勢いよくぶつけたら、卵がぐしゃぐしゃになり、身はほとんど床にこぼれてしまった。
拭くのに一苦労だった。
H君が「生卵はあまり好きじゃない」というので、恵んでもらった。
これでおかずが梅干しとお新香だけじゃなくて済んだ。ありがとう。
それにしても、ここの食事は朝夕ともあまりに貧弱だった。
先輩方3人はまた先に出発してしまい、最後まで影も形も見なかった。

こちらは小雨の中、雨具フル装備で出発。

カメラを手に持って歩ける程度の雨だったが、暗いのでいちいち発光禁止に設定しなければならず、面倒だった。
なぜ設定がすぐ解除されてしまうのか謎だ。
いったん沢に出て、また離れる。


まだ薄暗いので、フルオートだとシャッタースピードが遅くなってしまい、手ぶれの連発だ。

大きな岩がゴロゴロした道を下っていく。


再び沢に出た。


そして1回目の渡渉。

木が濡れていて、スリップが怖い。

落ちたら、大ケガは免れない。

ロープがなかったら、はいつくばらないといけなかっただろう。

無事にクリアして、2人の後を追う。

カニコウモリかな。

しばらく沢沿いを下る。

水量はかなり多い。


華奢な桟橋を通過。

雨の日はやはり歩きにくい。

大門沢は枝沢も迫力がある。

2度目の渡渉。

これはわりと安定している方だ。

でも、私はちょっと躊躇気味。

これまたくたびれたハシゴだこと。

樹林帯。

雨で地面が川になっていた。

丸木橋。でも、ここは乗らなくても通過できる。

沢はどんどん迫力を増す。

久々にまともな路面に出くわした。

早くも紅葉。

道はトラバースに転じた。

沢からはどんどん離れて行く。

葉っぱは雨に濡れて、緑が鮮やかだ。

出発して40分ほどで、ちょっと平らなところに出た。

ここで、O君が○んこタイム。

小屋のトイレでは怖くてできなかったらしい。
と言っていたが、後で聞いたら、紙を持って行くのを忘れただけだったんだとか。
終了を待って、5分ほどで出発。

コケが目立ってきた。

再びトラバース。

元気なキノコ。

この「現在地」という表示は、いつも思うのだが、地図上に示さないと、ほとんど意味がないと思う。

標高1500m地点で小尾根を越える。
そこに、完全に崩壊して残骸しか残っていない小屋跡があった。

だんだん、傾斜が緩やかになってきた。

おかげで歩きやすい。

ちょっと、振り返ってみた。

うん、この書き方で十分だと思う。

トリコロールのドラム缶。

1380m付近の平場。

平らな場所だけに、このあたりにもかつて作業小屋があったのかもしれない。
ドラム缶はその名残なのだろうか。

平場は間もなく終わり、難所へと差しかかる。

八丁坂と呼ばれる急坂だ。

山側は岩がむき出しになっている。

大きな舌のようは岩にびっくり。

ジグザグに下っていく。

まさに断崖。


そんな壁にもキノコは生える。

ロープを伝ってトラバース。

再び、つづら折り。

おっと、O君バランスを崩した。が、大丈夫。

谷底まで、ぐんぐん下る。

八丁坂の標高差は100mもある。

やっと、谷底にたどり着いた。

3度目の渡渉。こりゃ、ひどい。

二人とも慎重に。

無事クリア。でも、O君が一瞬よろめいたのを見て、これは危険と判断。

沢の写真を撮って、気を落ち着かせる。

私はあえて橋を渡らず、正真正銘の渡渉をした。何とか靴を濡らさずに済んだ。

すぐに4度目の渡渉。

ここは、そもそも橋を渡らずに済んだ。

しばらく、なだらかな下り。

イルカ岩(勝手に命名)。

対岸の枝沢を遠望。

再び、難所。


これを抜けると、また本流が近づいてきた。

大門沢の全景。

赤石山脈には赤い岩。

ブルドック岩(これも勝手に命名)。

巨岩が目立ち始めた。


岩が倒れないよう、つっかえ棒が立ててあった(笑)

(つづく)
【2016年8月28日(日)】間ノ岳・農鳥岳
午後2時前に、大門沢小屋に到着。

小屋の前に建てられたテントの中で、先行していたおじさん3人がすでにビールを飲んでいた。

とても追いつけないようなスピードで下っていたので、奈良田まで下るつもりなのだろうと思っていたが、結局ここ泊まりにしたようだ。
「随分ゆっくりだったなあ」と言われたので、「いえいえ、のんびり歩くのも山ですから」と苦しい言い訳。
雑談しているうちに、3人のうちの1人が我々のおそろいTシャツのロゴ(背中の漢字)を見て、それは何て読むの?と聞いてきた。
「リッカです」と答えると、「私の高校の同窓会もリッカって言うんだよ。○○高校なんだ」と言うではないか。
我々一同、これにはびっくり。「え~我々も○○高校です。うわ~大先輩じゃないですか~。こんなところで同窓の方に会えるなんて」と感激。
偶然の出会いを喜んだ。
ここは1泊2食で8000円。北岳山荘より500円安い。
今日の宿泊者は我々3人と先輩たち3人の計6人だけなので、どこに寝てもいいという。

やはり、ここは泊まる人が少ない。
濡れたものは干して、濡れタオルで体を拭き、下着も着替えた。
連日きれいになれてうれしい。
着替え終わったところで、外に出て、テントの下で乾杯。

今日は沢の水で冷やした缶ビール(500円)。
となりで飲んでいる先輩たちともしばし雑談。
先輩は私たちより17期上なので70歳ということになる。
ある官庁を定年退職し、今勤めている会社の仲間と毎月歩いているという。
しばらくして、法政二高の山岳部員たちが到着した。
「農鳥小屋のおやじに言われたのでという理由でキャンセルが入った」と、ここのご主人に聞いていたので、てっきり高校生たちは農鳥岳(3026m)から農鳥小屋に戻ったのかと思っていた。
キャンセルしたのは別のグループだったようだ。全く営業妨害だよなあ。
聞いてみると、法政二高のパーティーも、やはりおやじにあれこれ言われたらしい。
天気図書いてないのかとか、いろいろと言いがかりを付けられたんだとか。
もう病気だね。
でも、先生は「いつものことですから」と気にしていない様子だった。
彼らは当然テン泊である。
ほかに単独の女性も下りてきたので、ちょっと小屋内のスペースを空けたりしたのだが、彼女もテン泊だった。いやあ女性は元気だ。
夕食は5時。食堂はプレハブ風の別棟で。
かなりの粗食だった。

建設コンサルの会社に勤めているというので、先輩方に、南アルプスのリニア新幹線のトンネルの件を訊ねたが、酔っていたせいもあり、よく分からなかった。
結論は大丈夫だとのことのようだが、年間4mmも隆起している山に掘ったトンネルに、なぜ亀裂が入らないのか、いまだ理解できない。
食後もしばらくテントの下で飲み続けた。
途中、雨が降ってきたが、暗くなるまで酒宴は続いた。
H君の○んちの話が出色だった。
子供頃、「ママ~、出たよ~」とトイレから叫んで、拭いてもらうのが習いだったという話。
当時はめずらしかった水洗便所の水流が激しくて、怖かったという話も。
翌日歩きながら補足してもらったのだが、H君が山で大が出ないのは直腸が長いことも関係しているそうだ。
子供の頃から大人並みのが出て、医者である父親から○○病の疑いがあるのではないかと思われたほどだと聞いた。
今も尺物が出るという。
あとは乳首と乳輪の話。
限界集落問題など話題は多岐にわたった。
7時半くらいにお開きに。小屋に戻って布団に入ったら、さすがにすぐに眠りに落ちてしまった。
【行程】2016年8月28日
北岳山荘(5:02)~中白根山(5:37休憩5:44)~3060mピーク(6:08撮影6:16)~間ノ岳(6:57撮影7:11)~農鳥小屋(8:17)~西農鳥岳(9:03休憩9:18)~農鳥岳(9:54休憩10:11)~大門沢下降点(10:52昼食11:08)~2420m地点(12:02休憩12:09)~2030m地点大門沢(12:53休憩13:06)~大門沢小屋(13:55)
※所要時間:8時間53分(歩行時間:7時間16分)コースタイム:7時間20分
※登った山:4座(中白根山、間ノ岳、西農鳥岳、農鳥岳)
※歩行距離:10.3km
【2016年8月28日(日)】間ノ岳・農鳥岳
大門沢小屋に向けて下っている。途中、7分ほど小休止して出発。

傾斜はなかなか楽にならない。

むしろさらに急になっているのではないか。


しかし、雨に濡れた森の中の緑はとても美しい。


それに比べ、キノコはちょっとグロテスク。


この標識の数字はあまり信用していない。

2355mとあるが、実際は2320m。
下ったのに、2370mに増えているし。

休めそうな場所だが、さっきひと息入れたばかりなので通過。

カニコウモリ。

セリバシオガマ。

石の次は木の根か。

名付けて肛門岩。


滑りそうで怖いハシゴをそろそろと通過。

巨岩の下を行く。

再び平和な道へ。

トリカブト。

ゴゼンタチバナの実がたわわ。

しかし、長いねえ。まだ半分も下っていない。

ただ歩いているのも飽きるので、こんなどこにでもある植物でも撮ってしまう。


これは何コケと言うんだろう。


標高が下がるに従い、周りの樹木も太くなってきた。

ちょっと情けなげなキオン。

オオカメノキ。

これはあまり見たことのないキノコ。

ホタルブクロ。

2120mあたりまで下ってきたところで、初めて大門沢が見えた。

かなりの急流である。

大雨が降ったら、すぐに鉄砲水が発生しそうだ。

並行している登山道も、いきなり直登ならぬ直降。

あの水量であの河川敷の幅はすごい。

御親切にどうも。めずらしい看板だ。

この沢はやはり、ちょっと恐ろしい。

河原に下りるのをためらわせるものがある。

沢の横に出た途端、浮石が多くなった。

このあたりは広い谷だから通じるのだろうか。

ゴマナ。


イタドリ。

右手から枝沢が迫ってきた。

そして道は本流に接近する。

おや、沢に下りられる場所がある。

ちょうどいいので、ここで河原に出て2度目の休憩タイム。

水流に手を入れて、直接沢の水を飲む。

さすがに冷たい。

この大木の上に寝そべって、しばし体を休めた。さすがに疲れた。

上流に視線を向けると。

下流。

心霊写真。これはかなり怖いよ。

右下の岩にローマ人の横顔と、亡くなった赤ちゃんが写っている。

十数分で、退散。

登山道に戻る。

コウシンヤマハッカ。

色鮮やかで恐ろしいほどのトリカブト。

下から中を覗くと、さらに怖い。

サラシナショウマ。

オオハナウドに似てるけど。

とうとう2000m。これは、ほぼ正確だった。

あと250m。

ハシゴをいくつか渡る。


滑ってかえって危険なので、あえて渡渉。

実は折れていた。

テーブル石。

左手に水流の見えない大門沢。

シダ街道。


うお、あの橋もやばそう。

今度は、そう簡単に渡渉できそうもない。

まずはO君。

続いてH君。

なんだ、楽勝だった。

枝沢の横断が増えてきた。


1850mあたりで、一瞬傾斜が緩む。


廃棄されたハシゴ。

沢と随分離れてしまった。


この棒状の植物は何だろう。

そして、この毛むくじゃらの植物は。

雰囲気的にそろそろ小屋が現れてもいい感じなんだけど。


まだ、この子たちに構っていないといけないの?


コケの世界になってきたよ。


ややや、これはもしかしてテン場?

ということは?

やった、やっと着きました。

時刻は2時前。下降点から2時間45分ほどかかった。

コースタイムは2時間半だから、休憩時間を除くと同じくらいか。

ここは、昔ながらの山小屋らしい小屋だ。

さっそく小屋のご主人に聞いてみると、今夜は雨が降るが、明日の午前中は曇り、あわてて下らなくても大丈夫との見立てなので、文句なく泊まることにした。

まったく農鳥小屋のおやじは人騒がせだわい。
(つづく)
【2016年8月28日(日)】間ノ岳・農鳥岳
農鳥岳(3026m)を後にして大門沢下降点に向かっている。
ちょうどお花畑に差しかかった。これはオンタデ。

綿毛になったチングルマ。

お馴染みのハイマツ。

ヤマハハコに似たタカネヤハズハハコ。

タカネナナカマド。

かなりガスが濃くなってきた。雪山なら遭難確実だ。

二重山稜地帯を抜ける。

分かりにくいが、自然にできたと思われる石の穴。

白いのは何だ?

ツツジの仲間。

足元はこんな状態なので比較的歩きやすい。

でも、ガスのせいで、どこまで来ているのだか、よく分からない。

後ろを振り向いても、ぼんやりしている。

いきなり、鐘が出現。

大門沢下降点の目印だ。

銘板を読むと、昭和43年1月4日、吹雪のため下降点を確認することができず遭難した木村将也さんの御遺族が、二度とこうした悲劇が起きないよう祈って、建てた櫓状の鐘であることが分かる。

おかげで我々も、すぐに下降点を見つけることができた。
ありがとうございました。
まだ11時前だが、この先また雨が降ってくるかもしれないので、ここで昼食とする。

ケルンの横に角材が渡してあったので、そこに腰掛けた。
ちょうど雨が上がっていて、よかった。
お昼は北岳山荘で作ってもらったお弁当。

弁当には肉やウインナーが入っていて、しかも酢飯だったのがうれしかった。
O君は「全然お腹空いてなかったのに、ペロッと食べちゃったよ」とつぶやいていた。
正面に見えるのは広河内岳(2895m)のニセピークだろう。

晴れていたら、頂上までピストンすることも考えていたが、ガスで真っ白なので、当然行く気なし。2人にはいつものように「行ってきていいよ」と言われたが。

15分ほどで出発。

これは何かと思ったら、進行方向を示す矢印だった。

さらば広河内岳。今度は晴れている時に来ます。

なんと、矢印はさらに2つあった。

ケルンの陰には、ペンキの缶がいくつも転がっていた。

さすがに作業が終わったら、持って帰るべきではないだろうか。
見納めの鐘。

小屋の標高は1700mなので、ここからの標高差は1100mちょっと。

奈良田までだと2000m近くなる。

(いきなりロープ)
もし、大門沢小屋のご主人に「下った方がいい」と言われたら、かなり厳しいことになる。

O君はすでに奈良田まで下る気はないようだった。
それはともかく、ハイマツの斜面を容赦なく下っていく。


まわりにはハイマツしかない。


かなりの急斜面で、あちこちにロープが備えられている。


これが続くようでは、O君の膝がちょっと心配だ。

しかし、下りは速い。さっき見えていた小ピークがもうあんな上にある。

せっせと下っている間に熱くなってきた。雨も降らなそうなので、2人は雨具を脱いだ。

私はもう少し我慢。

ちょっと岩の目立つ下りになってきた。


どこにでもいるヤマハハコ。

標高2700mあたりから植生が変わってきた。


細いダケカンバが現れた。

岩雪崩の跡みたい。

タカネナナカマド。

ノアザミ。

ガスがまた濃くなってきた。

幹が曲がっているのは雪のせい。

うわ、ものすごい数のナナカマドの実だ。

向こうの尾根には樹林と言えそうな木立が現れた。

2650m地点でちょっとした谷に出た。

岩がゴロゴロしている。


ここは新道との分岐のようだが、旧道はすでによく分からなくなっていた。

さすがに私も熱くなってきたので、ここで雨具を脱ぐ。

このあたりには、ユニークなテーブルロックがいくつもあった。



脱いでいる間に2人に置いていかれてしまった。

すっかり道は露岩帯となった。

小規模な土砂崩れをトラバース。

木が黒いのは雷のせいだろうか。

ダケカンバも随分、背が高くなってきた。

鏡石(私が命名)を通過。

シャクナゲ。

下りは楽なようで、結構きつい。

いろんな障害物を乗り越え進む。


石や岩が湿っているので、要注意。


すでに全く判読不能。木自体が死んでいる。

赤と緑。


私もしつこく写真を撮っていると、つくづく思う。


再び、キノコvsコケ。別に闘う意味はないんだけど。


日の丸。

2555mとあるが、GPSでは2525mだった。30mの誤差。

キノコ2態。後者はちょっと気持ち悪い。


このすぐ先で、軽装の若い男性が下ってきた。

さっき、農鳥の先ですれ違った人だ。
もうピークを極めて戻ってきたようだ。速いねえ。
しばらく尖った岩を飛び石のように伝いながら下る。


いや、なかなか激しい。

まわりはだんだんシラビソの森になってきた。

南アルプスらしい風景だ。


毒々しいベニテングタケ。

ちょっと庭園のような雰囲気。

あれから100m下った。

これは食べられるのかな。もちろん手出しはしないけど。

下降点から1時間近く下った2420m地点で、小休止。

やっぱりO君は足が痛むようだ。
(つづく)
【2016年8月28日(日)】間ノ岳・農鳥岳
西農鳥岳(3051m)を後にして、農鳥岳(3026m)に迫っている。

振り返っても、西農鳥は見えない。

いくつもある小さな岩峰を一つ一つ巻いていく。

右手の谷もずっと気になっている。

この裏側(北側)は断崖絶壁。


ちょっと高度を下げる。


振り返り。

このあたりも岩が多いねえ。


その岩のへつり。


落石注意だ。


無事通過。


もう一丁。


乗り越えないといけない岩も少なくない。


やっと安定した道に出た。

と思ったら、もう一発。

今度は登り系トラバースが待っている。

そこに突入していく。

ガスってるのが農鳥の頂上あたり。

振り返り。

農鳥の西斜面。

最後の小ピークを巻く。

すでに山行から2か月以上たったので、もうどこの山なのか、さっぱり分からない。

波頭のような稜線。

イワツメクサ。

岩登り。

まだしばらく巻き道が続く。

こんな景色、白馬にもあったなあ。

あの標識の先あたりが頂上だろうか。

振り返ると、面倒な岩場を下ってきたことが分かる。

右斜面と左斜面。


ちょっとだけ、ガスが切れた。

西農鳥岳方面。

あ、高校生たちも西農鳥を通過したようだ。

西農鳥は猫の耳。

望遠で見ると、こんな形をしている。

少しだけ視界の条件がよくなった。

崩壊地形。

間もなく頂上。

やっと見えた。

お待たせしました。


トウヤクリンドウ。

東側はやはり断崖。

9:52、農鳥岳にとうちゃこ~。山梨でよく見かける丸太の輪切りの標識だった。

我々が到着すると同時にさっきの3人は出発していった。
ここには大きなケルンがあった。

三角点は二等。

こちらは文字が消えかかっているが、山梨百名山の標柱。

大町桂月の歌碑。

「酒のみて 高根の上に吐く息は 散りて下界の雨となるらん」
大正3年(1914年)7月、桂月が白峰三山を縦走した時に詠んだ歌だそうだ。
酒を愛した桂月らしい歌だが、標高3000mを超える場所に歌碑があるのも珍しい。
我々は酒こそ飲まないが、ここでもゆっくり休憩。
私はランチパックの残りを食べる。

でも、相棒たちは2人とも全然お腹が空いていないという。
さっき、行動食に食べたあんパンが効いているようだ。
目の前の岩稜。こっちの方が標高高くない?

来た道を振り返る。もうすっかりガスに覆われた。

頂上付近もこんな状態。

なんと、桂月の古い歌碑が真っ二つに折れて岩陰に置かれていた。

こちらは昭和32年に西山観光協会が建立したものだ。
新しい方はいつの再建なのか確認するのを忘れてしまった。
ここでも15分以上休憩し、すっかりあたりがガスに包まれた頃に出発。

一段下に下がり、ペンキに従う。

「ノウトリ」と「ダイモンサワ」は分かるが、真ん中にある「カエレ」とは何だ?

「ゴミモチカエレ」とのことだった。

近年、山でゴミを見かけることは少なくなったが、ひどかった時代の名残だ。
左の崖の上が頂上。これで一応、白峰三山はすべて踏破したことになる。

もう真っ白で、視界は20m程度か。

ここから大門沢下降点まで200m近く下ることになる。

相変わらず、誘導のペンキは派手だ。


黄色く染まり始めたオンタデ。

しばらく岩場が続く。


このあたりで軽装の若者とすれ違った。

こんなところをピストンするなんて考えにくいので、農鳥小屋のバイトの人かと思った。
でも、大門沢に下る途中、彼が追いついてきた。
聞いてみたら、大門沢小屋にテン泊して農鳥をピストンしたんだそう。
そんな歩き方をする人もいるんだと、びっくり。
2970m地点で登山道は尾根を離れる。

ここで雨が落ちてきたので、一眼レフカメラをしまって、コンパクトに交代した。

雨具も着たが、着た途端ほとんど止んでしまった。
左に折れて、今度は尾根の東側を歩く形になる。

周りはまだまだ岩。

この時点ではまだ、大門沢小屋に泊まるかどうか決めかねている。

これも読み取りにくかったが「カコウテン(下降点)」のようだ。

言葉通り、どんどん下降する。

取りあえず見納めの尾根。

しばらく行くと鐘の音が聞こえた。
O君によると大門沢下降点には鐘があるそうだ。
あのおじさんたちはもう下降点に着いたのだろうか。
あまりに早いので、てっきり奈良田まで下ってしまうつもりなのだろうと思っていた。
さすがに、これはちゃんと読める。

正面のピークは2946m標高点。

なおもガレ場が続いた。

(つづく)
【2016年8月28日(日)】
間ノ岳(3190m)から農鳥小屋に向かって下っている。

いきなりですが、ぱっくり。

テン場の石囲いのようだ。小屋はもう近いということだろう。

農鳥小屋に近づくと、噂のおやじが見晴らしの利く場所でたばこを吸っているのが見えた。

(ここには写っていません)
我々が横を通り過ぎようとすると、「縦走路はこっちだよ」と声をかけてきた。
道なりに行くと、小屋の間を通る形になるが、もちろんその先で縦走路に出る。

小屋の方には行かせたくないらしい。

「今日はどこまで行くんだい」
「大門沢小屋です」
「昨日は静岡で集中豪雨、伊豆でもあったんだよ」
「そうらしいですね」
「台風が近づいているんだ。それがこっちに来たらどうなる? 沢なんて下れないよ」
「・・・」
「何にも考えてないんだな」
ここまで言われては、まともな返答をすることができず、そのままやり過ごす。
噂に違わぬ口の悪さだ。
評判は聞いていたので別に腹も立たず、もう関わりにならないようにしてさっさと通り過ぎようとしたが、バッジ好きのH君は用が済んでいない。

小屋の売店に「農鳥小屋」のオリジナルバッジを見つけた。

小屋にはこのおやじさんしかいないようなので、大声で声をかける。
「すいませ~ん、休んでいるところ申し訳ないんですが、バッジ買いたいんですけど~」
「え~?」
「バッジ売ってもらいたいんですけど~」
「ノーサンキューだ」
これには、H君もさすがに激怒。ケンカこそしなかったが、一堂しばらくムカムカが続いた。

台風が近づいている中、沢を下るのは確かにリスクがある。
ヤマテンの予報も確認して大丈夫と判断して行動しているわけだが、確かに警戒すべきことではある。
善意に解釈すれば、登山者の安全を考えて、あえて厳しいことを言っているもかもしれない。

しかし、それとこれとは話が別。バッジを売らないというのは、ただの嫌がらせだ。
しかも、言葉の使い方がおかしい。
「これ、召し上がりませんか」「ノーサンキュー」なら分かるが、「これ買います」「ノーサンキュー」はないでしょう。
このやりとりで、おやじの本性が分かった気がした。
彼の態度は「善意」に基づくものではなく、ただ「偏屈」なだけなのだ。
あの人は登山者のほとんどを「バカ」だと思っている。そんな態度だ。
99%の登山者は不愉快に思うだろう。
本人は「商売」をしているつもりはないのかもしれないが、よくあれで小屋の経営が成り立つものだ。
我々は偏屈ではないので、それでも彼の言葉をかみしめ、戦略を練り直した。
大門沢小屋泊まりにするか奈良田まで下ってしまうか。
奈良田まで下るとしたら、白根館の宿泊を1日早めないといけない。
それは可能だと思うが、結論としては、大門沢小屋のご主人に意見を聞いてから決めることにした。
そんなことを3人で話しながら歩いた。
これもテン場のようだ。

さらば、農鳥小屋。

そうこうしている間にすっかりガスってしまった。

小屋のすぐ先で、さっき先に行ってもらった年配の3人組が休んでいるところに追いついた。
話しかけてみると、やはり小屋のおやじに同じようなことを言われたらしい。
3人も大門沢小屋に泊まる予定だったが、どうしようか考えているとのこと。
「我々も同じです」と話して、取りあえず先に出発した。
ここから西農鳥岳(3051m)に向けて急登になる。

振り返っても、もう稜線は見えない。

ついさっきまでは、あんなに青空が広がっていたのに。

3人組もすぐに出発。ゆっくり差を縮めてくる。

前方は真っ白だが

後方は印象が最悪になった農鳥小屋が、しばらく見えていた。

おやじはドラム缶に寄りかかって、また次の獲物を待っているようだ。

ここは標高差250mほどの登り。

間ノ岳もすっかり雲にまぎれてしまった。

なんだか雲が遊んでいるように見える。

巨大な岩盤が露出していた。


三国平へのトラバース道が見える。


この雲は、ちょっと取れそうもないなあ。

高校生たちの姿が見えなくなったので、また農鳥小屋のおやじに同じことを言われて、そこに泊まることにしたか、三国平方面に行ってしまったのか、どうしたのかなあと思っていたら、やはりこちらに向かってきた。

小屋で言いがかりを付けられ、時間を食ってしまったのだろう。
登るにつれ、激しい岩稜帯になってきた。


標高3000mに達すると、傾斜は穏やかになった。

稜線の右(西)側をトラバースしていく。

(これは振り返ったところ)
左奥に見えるピークが西農鳥岳だろうか。

まだ先かな。
しかし、ほとんど視界が利かなくなってきた。

振り返ると、3人組はまたバラバラになっている。

そのうち1人がとうとう我々にぴったりとくっついて来た。
他の2人はかなり離れている。
仲間がいるのだから、自分だけ先行グループを抜かすわけにはいかないはず。
だったら、追いついた時点で後ろの仲間が来るのを待ってあげればいいのに、2人のことは全く気にかけず、我々のすぐ後ろをついてくる。
すぐ後ろに人がいると、気を遣って写真を撮りにくいので、立ち止まった時に声をかけてみた。
「いつも、こんなに離れて歩いていらっしゃるんですか?」
「ああ、後ろの人は足が悪くてね、年も年だし。彼は74歳。私は64だから」
足が悪い人がいるなら、それに合わせてあげるべきでは?
こちらの牽制には全く気付いてくれなかったので開き直って、何度も立ち止まって写真を撮った。
あおられるような形になって、先頭のO君も休むきっかけがつかめず、頂上まで登り切るしかなかった。
標高3040mの屈曲点を通過。

ここまで来れば、頂上はもう目と鼻の先だ。

あの標柱を目指す。

右手は吸い込まれそうな深い谷。

9時ちょうど、西農鳥岳に到着。

ここで15分ほど休憩。私はピーナッツのランチパックを1個食べる。

このガスでは、お隣の農鳥岳(3026m)すら見えない。

さっきの3人がすぐ追いついてきたので、写真を撮ってもらった。
そして私どもが休んでいる間に、先に行ってしまった。年齢のわりに、かなり元気だ。

こちらは休憩がてら、あたりを撮影。
さっきの屈曲点。

その左(南西)に突き出した尾根。

それでは我らも出発しましょうか。

右手の谷は滝ノ沢に続く。

この先の岩峰ピークはすべて巻くことになる。

3人の姿ははるか先でもう見えない。

西農鳥岳山頂を振り返る。

表記は「西ノウトリ」。

鋸のような稜線。

いや、こちらこそまさに鋸か。

尾根がガスの防波堤になっている。

それにしてもトラバースは楽ちんだ。

しかも農鳥岳は西農鳥より25mも低いから下り基調。

右手の山襞。


ちょっと判読しにくいが、「ニシノウトリ」「ノウトリコヤ」だろうか。

あの平らな稜線がおそらく農鳥岳の頂上だ。

(つづく)
【2016年8月28日(日)】間ノ岳、農鳥岳
間ノ岳(3190m)山頂で15分ほど休憩して出発。

行く手はすでにガスの中だ。

漢字だと画数が多すぎるのでカタカナ。

でも、一瞬何のことか分からなかった。
立派なピラミッド状のケルンを通過。

農鳥小屋に向けて一気に下る。

振り返ると、もう間ノ岳の頂上はガスの中に隠れてしまっていた。

だだっ広い斜面が展開している。

岩だらけのガレ場だ。

間ノ岳の南面は北面と全然表情が違う。

このペンキがかなり派手派手だ。

こちらは赤系。

この先も延々とガレ場が続くみたいだ。

頂上から小屋まで標高差は400m近い。

正面に見えるガスのかかった山が西農鳥岳(3051m)。

お、噂の農鳥小屋が見えた。

今となっては、どこの山を写したのか判然としない。

富士山はかろうじて、まだ見えている。

今のところ、東からのガスはまだ稜線を越えてはいない。

お、高校生たちが後を追ってきた。

こちらはマイペースで進む。

100mほど下ると、いったん傾斜がゆるむ。

富士山はやっぱり高いねえ。

さっきから、あのピークが気になっているのだが、登山道とは随分離れているので行けない。

ストックを使っているのは先生だろう。学生には使わせていないのかな。

はい、了解してます。

おお、間ノ岳方面も再び晴れ上がった。

なんか白馬鑓の南斜面によく似ている気がした。
鋭い岩峰群。

小腹が空いたので、こっそり行動食を食べながら歩く。

これらはみな同じ岩です。



農鳥小屋の手前にある小ピーク。

こういう位置関係にある。

その右側はガスが流れ込んでいる。

岩の造形にも、いちいち目を見張る。


ちょっと日本離れした風景。インカへの道みたい。

なんだかガスが湯気のようでもある。

はいはい、分かっていますよ。

だから、分かっていますって。

再び急斜面。


青空がうれしいよ~


ほんとに白馬鑓を思い出す。

名付けて夫婦岳。

農鳥岳も雲はもう取れないのかなあ。

北の空はこんなに晴れているのに。

見えそうで見えないねえ。

再び緩斜面。

このあたりで、頂上から250mほど下ってきたことになる。


ハイマツ帯に入った。


これは絶景。太陽に感謝だ。

間ノ岳から南へ延びるもう1本の尾根。

とうとう「コヤ」の表記が登場。

高校生たち早くも疲れ気味だろうか。


美しいガレ場だ。

2950m地点を通過。

すると、ガスの中から農鳥小屋の建物群が忽然と現れた。

背後はこんな感じ。まさにマチュピチュのようだ。

かなり雲は大きい。

西農鳥岳が一瞬顔を出した。

これまた、素晴らしく絵になる風景だ。
しかし、こんなに下らなくてもいいのになあ。

この鈍角ピークは右を巻く。

後ろから学生ではなく年配の方が下ってきた。

「アイノダケ」は白くて目立たない。

農鳥小屋の雰囲気。何だか波乱の予感。

年配の3人組には先に行っていただいた。速いわ。

この方々はこの後何度も会うことになる。

2900m付近。


振り返り。

ほんとに岩だらけだ。


巨大な賽の河原といった景観。


あの道はちょっと楽しそうだ。

間ノ岳は南から見ると、台形状の山であった。

優しげなカーブを描いている。

やや、とうとうガスが稜線を越えてきたかな。

前方の年配者3人組はなぜか、それぞれ随分離れて歩いている。

まあ、いつも遅れがちの私は人のことは言えないんだけど。

だんだん雲の影ができてきた。


また、ガスの中に入ってしまったようだ。

高校生、順調に下っている。

赤石山脈の赤い石。

やっと、さっきから楽しみにしていた道。

ハクサンイチゲのお出迎えを受けた。

うわあ、やっぱりガスの再来だ。


8:10、三国平への道との分岐を通過。

背後にもとうとうガスが進出してきた。

これは判読不能。「クマ」としか読めない。

学生たちはなかなか追いついてこない。

(つづく)
【2016年8月28日(日)】間ノ岳、農鳥岳
6:10、出発して1時間ほどで、(約)3060mピークに到着。
ガスが晴れてきたので、ここでカメラを一眼レフに交代する。
振り返ると、中白根山(3055m)がはっきりと見えた。

そして、なんと槍穂高も雲のかなたに見えるではないか。

全く期待していなかっただけに、これには一同感涙。
そして仙丈ヶ岳(3033m)の頂上部分もぴょこんと顔を出した。

うっすら姿を現したのは北岳(3193m)。

我々は祝福されているのだろうか。
単に、ヤマテンの予報(朝のうちは晴れ間がある)が当たっただけか。
さっき、用を足した小ピーク。大変、失礼しました。

重装備の青年たちが登ってくる。学生の山岳部かな。

仙丈の雲がさらに取れてきた。

そして北岳も。

これから目指す間ノ岳(3190m)の標柱もはっきりと確認できた。

そこに至る稜線。

これが間ノ岳の全容だ。

西には雲に挟まれて中央アルプス。

しばし、全員で撮影タイムとなった。
1日に3枚しか撮らないH君もたくさんシャッターを押していた。
間ノ岳は深田久弥が書いているように、本当に大きかった。
一同満足して出発。

怪しげなガスの中、間ノ岳を目指す。

最高の稜線歩きになりそうだ。

振り返ると、薄いガスをまとった仙丈とその左奥に槍ヶ岳(3180m)の穂先。

中央アルプスも稜線だけが見えている。

仙丈の右のなだらかなピークは小仙丈ヶ岳(2855m)。

望遠で見ると、間ノ岳頂上には、もう先客がたくさんいる。

奥に見える稜線は農鳥岳(3026m)から延びる大唐松尾根ではないか。

すると、あのピークは大唐松山(2555m)か。

な、な、なんと富士山!

「お~富士山だ」と叫んで写真を撮っていたら、もう間ノ岳ピストンから戻ってきた人が、「え、わ~」と喜んでいた。

O君は富士山撮影がライフワークなので、先頭だけどこの先立ち止まることが多くなった。
東斜面の様子。

西斜面の様子。


間ノ岳への道。

まだ少々アップダウンがあるようだ。

お~仙丈全開!


おっと、今度は鳳凰三山が姿を見せてくれた。

突起は地蔵岳(2764m)のオベリスク。

この後、間ノ岳まではずっと展望に恵まれた。

やった! ガスが完全に消えた。

意気揚々である。


次なる小ピークにもケルンが見える。

ややや、北岳がかなりはっきりしてきたぞ。

今日は、ほんとはいい天気になるのかも。

茨城大学山岳部青柳定夫さんの慰霊碑(昭和44年12月24日没)に合掌。

美術科の学生だったらしいが、そんな雰囲気のあるレリーフだ。
おお、初めて見た西農鳥岳(3051m)。

なかなか堂々としているではないか。
振り向いて、右端は中白根山(3055m)。

北岳は双耳峰に見える。尖っていて格好いい。

いや~昨日、あそこに行ったんだなあ。

眼下は雲海。

青空も全開!

これらは、どのあたりだろうか。


あちゃ、仙丈がまた隠れてしまった。

やはりまだ大気は不安定なようだ。

雲の動きが刻々と変わっているし。

この稜線はケルンが一定間隔で設置されている。

これまで歩いてきた稜線と北岳。

頂上にはもう誰かいるようだ。

また仙丈が開眼。

いや、それより、その後ろ。立山(左、3015m)と剱岳(右、2999m)が見えるぞ。

これは乗鞍岳(3026m)かな。


三峰(みぶ)岳(2999m)の北斜面。

間ノ岳から三峰岳に続く稜線。


間ノ岳直下の複雑なカール。

間ノ岳直前の小ピークに立つ。

北岳がまた見えなくなりそう。

我々の影がハイマツの中を進む。

朝の鮮やかな光。


でも、またうっすらガスが。

間もなく頂上なのに。

青空よ、そのままでいてくれ。

うわ、虹だ。ていうか、ブロッケン現象?

これはガスのおかげだ。
6:55、間ノ岳に登頂。

コースタイム1時間40分のところ、1時間50分かかった。

ここも三等三角点。点名は「相ノ岳」の表記になっている。

平成19年プレート設置の時点では、まだ標高は3189m。
南アルプスは今も隆起を続けており、北岳も間ノ岳も以前より1m高くなった。

ここからも富士山を望むことができて感激。

しかし塩見岳(3052m)は見えなかった。

そのせいで、「show me しおみ~」という替え歌が生まれた。
またまたガスが発生してきた。


おかげで再度ブロッケン。

一瞬、虹が三重に見えた瞬間もあった。

農鳥岳はガスの中で、頂上からはとうとう見ることができなかった。
北岳山荘でテン泊していたと思われる学生たちが追いついてきたのを潮に出発。

顧問の先生らしき人もいたので、高校の山岳部であろう。
後で大門沢小屋でも一緒になったので、その時に聞いてみたら法政二高だった。

(つづく)
【2016年8月28日(日)】間ノ岳・農鳥岳
昨夜から北岳山荘に泊まっている。
朝3時頃目が覚めてトイレへ。
窓の外を見てみると、ガラスが曇っていてはっきりしないが、三日月が見えている。
ヤマテンの予報では「朝のうちは晴れ間もある」とのことだったので期待できるかも。
でも、もうひと眠りして4時に起きてみると、雲海の上にさらに雲があり、まわりの山もガスに包まれている。

う~ん、今日もやっぱり厳しいか。

小屋の水は水道の蛇口から出ており、自由に使える。無料だ。
300m下の沢からポンプアップしているとのこと。
「山と高原地図」を見ると、確かに300mほど下に「水 北岳小屋跡」の表記がある。
こんなところに小屋があったとは。昔はそこを通る登山道があったのだろうか。
廃屋がまだあるのなら見てみたいが、当然そんな時間も体力もない。
往復1時間半かかるそうだ。
ネットで調べてみたら、1929年に建てられた石積みの小屋で、今はガレキになっているとのこと。いつまで成立していたのかは分からなかった。
昨日は登り一辺倒なのに水分を1.3㍑ほどしか飲まず、プラティパスにまだ半分スポーツ飲料が残っていたので、補充はせず。500ccの水筒に水を詰めただけで、今日も1.5㍑で持たせることにした。
4時過ぎに部屋に電気が付いたが、昨日遊んだ子供たちはまだ眠たそう。
子供はいくらでも寝られるもんなあ。
干していた衣類は、完全には乾いていないが、まあ仕方ない。
準備を整えて、4時半に食堂へ。
朝食は粗食。昨夕と同様、味噌汁の具が少なすぎる。

また、昨日の家族連れと隣になったが、お嬢ちゃんが箸を付けない。
「まだ、お腹すいてない」とボソリ。
確かにそうかもしれない。こんなに朝早く起きることはないだろうし。
とにかく、こちらはさっさと食事を済ませ、再びトイレへ。
昨夜に引き続き、まずまずの快便。
隣の個室では、おばさんらしき人が、ゲーゲー吐いている声が聞こえた。
高山病だろう。私も昨日からちょっと頭痛があったが、ひと晩寝たら治まっていた。
H君は今回がキャリアハイだが、全く高山病の症状はないとのこと。
高山に強い体質みたいだ。
5時すぎ、防寒具代わりに雨具を着て出発。

5:05が日の出とのことだが、このガスでは御来光は望むべくもないので気にしない。

仙丈ヶ岳(3033m)もすっぽりガスの中だ。

ほとんど展望がきかない中、まずは中白根山(3055m)に向けて、ゆるやかに登っていく。

すぐに、コンクリートで固めた古いケルンを通過。

右手にかろうじて仙塩尾根が見える。

3000mの稜線。ガスがなければ、さぞや。

左手の斜面もガスがお友達。

奥は間ノ岳(3190m)から延びる弘法小屋尾根だろうか。

広い尾根を振り返る。まだかろうじて北岳山荘が見えた。

こちらは手作りのケルン。

あのガスの中に中白根山があるはず。

う、ちょっと待て。今朝もたくさん出したはずなのに、また催してきた。
しかもお腹の痛みを伴っている。
ちょうどいいハイマツの茂みがあったので、駆け込んだ。

晴れていたら、そう簡単にはできなかっただろう。
こればかりはガスに感謝である。
用が済んだら、素早くズボンを上げて、2人を追いかける。
左手に小さなカール。

あれれ、少し視界が開けてきたかな。

弘法小屋尾根の岩峰群。

でも稜線のガスはなかなか晴れない。

やや、モルゲンロート。ガスを通り抜けてくる朝日に感激。

とても幻想的だ。
尾根から若干右にトラバース。

すぐに日陰に入ってしまった。

霧にむせぶロウソク岩(勝手に命名)。

結構、巨大だ。

通り過ぎて振り返ると、ちょっと情けない形になっていた。

イワツメクサはまだおねむ。

お、中白根山のピークに着いたかな。

小屋から30分ちょっとで到着。

しかし、まわりは真っ白。

と思いきや、あれはもしかして間ノ岳?

青空もかすかに覗いているではないか。

お~みるみる風景が変化していく。

間ノ岳を流れ下る滝雲。

足元もすっきりしてきた。

でも、ここで待っていれば完全にガスが消えるというわけでもなさそうなので前進する。

3人そろっての記念写真は、私のスマホが湿気のため調子が悪いので、今日はO君のスマホで代用することになった。
必然、facebookへの投稿の彼発だ。
あたりはトウヤクリンドウのお花畑。

矢印に従って、しばし下る。

おい、行っていいのか、悪いのか、はっきりしろ!

通過して振り返ってみても、分かりにくい。

前方に(約)3060mピークが見えてきた。

いい感じじゃないですか。

前を行くのは軽装の方々。

昨夜、食事の時に、小屋のスタッフが「間ノ岳に行かれる方は荷物を置いていってもいいですが・・」と呼びかけていたのを思い出した。
我々も間ノ岳に行く予定だが、なぜ荷物を置かないといけないのか、???だったが、要するにピストンする人に向けて話していたのだ。
だったら「間ノ岳にピストンする人は・・・」と言えばいいのにと思ったが、そんな区別をする必要がないくらい、ここを拠点に間ノ岳をピストンする人が多いのだろう。
つまり、白峰三山縦走ではなく百名山2座踏破が目的の人が圧倒的に増えたのだ。
まあ、人それぞれではあるが、つまらない登り方だなあと思う。
それはともかく、ガスは晴れる方向のようで、うれしい。

うれしいのだが、また陣痛がやってきた。
晴れてきただけに、今度は場所の確保が厳しい。
稜線から外れると今度は奈落の底。
考えた末、トラバース道の上の岩場にあえて登ることにした。
ここに腰掛けて、写真を撮っているふりをしつつ、事を成すのだ。
こういう風景を見ながら、ということになる。

最中に、このおじさんが通過したが、私には気づかないでくれた。

ふう、危なかった。
「いや~、こんなふうだったよ~」と後で2人に説明したら、「そんなことができるのは、おまえくらいだ」と褒められた。
いや、呆れられたのか。
とにかく出し切った感があるので、もう大丈夫だろう。
どんどん晴れていく空に気をよくして進む。

相棒たちには随分離されてしまった。頑張らねば。

明るいのは日が当たっている場所。

3000m超の稜線を速足で登るのは、かなりきつい。

ここで中白根山を振り返る。

右手は明るい雲海になってきた。

そして稜線の西側のガスはきれいに消えた。

3060mピークに到着。

おお、正面に間ノ岳が見えるではないか。

さすが、晴れ男H君の神通力。

あっちも晴れてくれると、もっとうれしいな。

(つづく)
【2016年8月27日(土)】北岳
北岳(3193m)から吊尾根分岐まで下ってきた。

西側の谷。

左俣沢方面。

西側は信州かなと一瞬思ってしまうが、実は違う。
南アルプスの主だった山はほとんど県境にそびえているが、北岳は日本第2位の高峰であるにも関わらず、山梨県にすっぽりと収まっている。
知っている人には常識かもしれないが、あまり知られていないのではないか。
甲斐駒も仙丈も間ノ岳も山梨と長野の県境にある。
農鳥は山梨と静岡の県境を作り、塩見、赤石、聖、光は静岡と長野を分けている。
北岳に降った雨はピークの東西南北どちらに降っても、みな野呂川に集まる。
分水嶺ですらないのだ。
これは実に興味深い。
それはともかく、だんだん見えてきた展望を楽しむ。

左手の立派なピークは八本歯ノ頭だ。

クマの夫婦。

山頂に向かう登山者たち。

ガスがもやもやしているのは、中白峰沢ノ頭(2841m)かしら。

さあ、20分も休んでしまった。出発しよう。

北岳山荘まではあと1kmだ。

あとはアルペンムードたっぷりの稜線を下っていく。

晴れていれば、もっと素晴らしい眺めなのだろうが、まあ贅沢は言うまい。


まだ、若干後ろ(北岳)に未練がある。


でも、鋸のような稜線をガスの中に下る。


これはなかなか怖い。


天気は諦めているんだけど、どうもすっきりしない。

ひっそりとイワギキョウ。

森林限界の稜線歩きが、私の一番好きな世界だ。


立派な階段があった。これは下る。

さらに下る。

ミヤマシオガマ。

奇妙な亀裂の入った岩。

ハイマツ帯まで下ってきた。

トラバース。


1枚岩。

トウヤクリンドウ。

変わった角度からイワベンケイ。

ハハコヨモギ。

広い尾根に出た。

分岐から20分ちょっとで八本歯のコルからの巻き道と合流。

巻き道方面。

そのまま通過し、クサリのなくなった支柱の列の道をゆく。

これがかなり長く続いた。

3人の名が刻まれた遭難慰霊碑。

遭難は昭和27年7月29日。静岡県立吉原高校山岳部の部員のようだ。
岩、岩。


花、花。


ガス、ガス。


前方に、ちょっとしたピークあり。

後方より登山者あり。

小ピークを越える。

眼下に広い鞍部。

その先はなだらかに登っている。

石になった動物たち。

鞍部にケルンあり。

振り返ると、小ピークの向こうに中白峰沢ノ頭の稜線が見えた。

この突起がたぶん中白峰沢ノ頭。

私は積まない。

スヌーピーと言うには苦しいか。

おお、いきなり左手に北岳山荘がガスの中から出現した。

ここから左に下りればいいようだ。

テン場の石垣。


併設されている昭和大学医学部の診療所。

分岐から50分弱で到着。時刻は14時半を回ったところだ。

「今日は1つの布団に2人です」という掲示を見て、「やっぱりかあ」とげんなり。
O君が手続きをしてくれている間に、O君の雨具や靴も含め、乾燥室にあれこれ干す作業を進める。
大勢並んでいるのに、受付は1人だけ。
手際が全く悪く、O君は30分も待たされた。
市営だからか、オペレーションが全くよくない。
それはともかく、取りあえず、まだどれだけお客さんが入るか分からないので、1つの布団に2人という配置で、寝場所を指示されたが、館内を見渡すとガラガラ。
たぶん、これなら1人1つの布団で寝られるだろうと確信した。
我々があてがわれたのは「北岳」という大部屋のホの列。
一番壁側だったので、ありがたかった。
布団も清潔で乾いている。
とにかく、まずは着替えと、濡れたもの干し。
大部屋にはほとんど人がいなかったので、裸になって濡れタオルで体中を拭き、下着も全部着替えた。雨ですっかり濡れていたから、やっと落ち着いた。
乾燥室は火力が全然弱いうえに、他の宿泊者の干しものが大量あって、回収しろと指示された20時までにはとても乾かないと思ったので、衣類は大部屋の中で干した。
(翌日になっても全然乾かなかったが)
着替えた後、生ビール(900円)を買って、食堂で乾杯。

ビールの量は去年の唐松岳頂上山荘の半分なのに、値段は同じ。
ちょっと面白くないが、やはりうまい。
でも、食堂の使用は3時半までということなので、5分で追い出されてしまった。
部屋では飲んではいけないが、廊下ならいいというので、3人で床に車座になる。
そこでお店を広げて、4時半の夕食まで盛り上がった。

その途中、小屋の人が1人1つの布団で寝ていいと伝えに来た。やった!
食事はまずまず。

相席になったのは、お父さんと5年生の男の子、3年生の女の子の家族連れ。
会話しているうちに、どんどん女の子がH君になついてきて、H君はデザートのゼリーを彼女に上げてしまった。
それを見た男の子がちょっと悲しそうな顔をしたので、O君が自分のを彼に上げた。
でも、彼女はゼリーがあまり好きではないらしく、お兄ちゃんに押し付けたので、彼は結局3つも食べることになった。
次の回(17:10)の食事は10人ほどだったので、このままテーブルに残っていいと言われたので、そのまま飲んでいた。
女の子がお父さんに「おじさんと一緒にいてもいい?」と聞くので、一同びっくり。
お父さんは「いいよ」と言ったが、やはり恥ずかしかったのか、女の子は部屋に戻って行った。
でも、すぐに2人して食堂に戻って来て、我々の隣に座ってマンガを読み始めた。
それがなんと「武田信玄」。
2人とも戦国武将の名前や主従関係など、実によく知っている。
理由を聞いたら、「真田丸」を見ているからだそうだ。
恐るべし大河ドラマ。
子供たちをこんなに物知りにさせるとは。
彼女は「小松姫」が好きだと言っていた。
正室と側室の区別もちゃんとついているようだった。
お父さんに側室がいてもいいかと聞いたら、女の子はOK、お兄ちゃんはNGだった。
これも興味深い回答。
随分親しくなってしまったので、お揃いのTシャツで写真を撮ってもらった。

部屋に戻ったら、神経衰弱を一緒にすることになってしまった。
トランプは小屋にあるのを借りてきたらしい。
お兄ちゃんが実に強く、大人の我々も全く敵わなかった。
お嬢ちゃんはちょっと奔放だけど、可愛気のある子で、H君はめろめろだった。
神経衰弱をしている時に、酔っぱらったO君は横でいびきをかいていたので、「気が散る」とO君を蹴っていた。
最後に大貧民と七並べをしたが、お嬢ちゃんが全敗。
でも、癇癪を起こしたり、泣いたりせず、とても楽しくゲームをしていた。
それにはちょっと感心した。
19時くらいにお開きにして、我々も用を済ませて、20時すぎには就寝。
子供と遊んだのは何年ぶりだっただろうか。
実に楽しかったのが意外だった。
まあ、非日常だからだろう。毎日だと大変だ。
明後日の29日から学校が始まるので、あすもう下山するそうだ。
ぐっすり寝て、気をつけて帰ってね。
【行程】2016年8月27日
広河原(6:40)~広河原山荘(6:45見学6:52)~白根御池分岐(7:11)~2100m地点(8:20雨具8:25)~大樺沢二俣(8:49)~2370m地点(9:18休憩9:28)~ハシゴ場始まり(10:38)~八本歯のコル(11:05休憩11:18)~吊尾根分岐点(12:09休憩12:15)~北岳(12:32休憩13:09)~吊尾根分岐点(13:25休憩13:46)~北岳山荘(14:34)
※所要時間:7時間54分(歩行時間:6時間16分)コースタイム:6時間25分
※登った山:1座(北岳)
※歩行距離:7.3km
【2016年8月27日(土)】北岳
八本歯のコルを後にして、北岳山頂(3193m)を目指している。
ガスの流れる斜面もそれなりに幻想的だ。


尾根道も傾斜が緩むわけではなく、露岩帯の厳しい登りが続く。

ふと、今日は北岳を諦めて、巻き道から北岳山荘に直接行ってしまおうかという邪念が湧いた。
翌日晴れたら、山荘からピストンすればいい。晴れなかったら、縁がなかったということで。
でも、H君はめったに内地には来られないのだから、ピークを踏ませないわけにはいかない。
本人も、どんなに雨が降っても登頂しないという選択肢はないようなので、黙って登る。
ただ、この雨でテンションがめっきり落ちているのは事実。
白根御池コースを取っていたら、山頂は明日にして北岳肩ノ小屋に泊まるという選択肢もあったなあと、ちょっと残念な気持ちにもなった。
ただ、同じように考えて北岳山荘を諦め、肩ノ小屋に泊まる人も少なくないだろうから、意外に北岳山荘は空くかもしれない。
そう期待することにした。
ミネウスユキソウ。

シャクナゲとハイマツ。二人はいつも友達。

どこを歩けばいいのか。

でも、雨はほとんど止んでくれたので助かった。

そう言えば、有名なバットレスが全然見えなかったなあ。

そんなことも思いながら、黙々と登る。

おや、なんか先が見えてきたぞ。

岩の波のよう。

この棒は、ルートを示すもののようだ。

こんなところではイワクメクサくらいしか生きられない。

最後の階段かな。

山頂直下のコルに着いたと思ったら、北岳山荘に直行するトラバース道との分岐だった。

ここで年配の男性3人組と遭遇。八本歯のコルでも見かけた方々だ。
北岳は諦めて、このまま山荘に行くから、ここを「北岳」ということにして写真を撮ってほしいと頼まれた。

それはお安い御用だ。
私はさっきの弁当の忘れ物はこの方たちではないかと思って、聞いてみたら、レジ袋は彼らが着くより前からあったという。
それはともかく、この3人のうちの1人が我々と深く関係する人であると後に知ることになるのである。
とにかく、頂上直下の分岐まではもうひと踏ん張りだ。

その間に様々な花が咲いていた。
キタダケキンポウゲの大群落。

一輪。

キタダケキンポウゲの花が散ってしまった状態。

真っ赤に染まったイワベンケイ。

雨に負けそうなヨツバシオガマ。

ミヤマコゴメグサ。

雨露をたたえたキタダケヨモギの葉。

八本歯のコルから50分ほどで吊尾根分岐に到着。

この頃には、雨もほとんど止んでいた。
しかし、山頂方向はしっかりとガス。

かと言って、登頂しない選択肢はない。
ここにザックをデポして頂上までピストンすることにする。

最初は水分確保のため、ザックを担いでいくつもりだったが、標高差100mくらいだから、なしでも大丈夫だろうと判断。置いていくことにした。
デポしている人が他にいないのは、それだけ山頂に行っている人が少ないということだろう。
ザックを下ろして歩き始めると、最初背中が寒くてびっくりした。

O君もH君もそうらしかった。
石を乗せられる岩があると、大抵こういうことになる。

山頂への登山道は丸太が縁石のように続いている。

ガスの向こうにいくつかピークが見えるが、あれが頂上なのだろうか。

間もなく稜線に乗った。

あとは、尾根づたいに進む。

トラバース道にはクサリが手すり代わりに張られている。

すっかりしおれてしまったイワベンケイ。

おお、あれが頂上か。

一度振り返ってみる。

オオコメツツジが雨粒をまとって咲いていた。

この先にはもう高いところは見えないが。

分岐から15分ちょっとで北岳山頂に到着。

相変わらずのガスだが、少し北にある北峰のピークだけは確認できた。

さらに奥の小さなピークも瞬間的に見えた。

そちら方面から登ってくる方も当然、雨具を着ている。

山頂に咲くタカネビランジ。

三角点は三等。日本第2の高峰なのに。

地点名は「白根岳」である。
ほっかむりをしたい石仏が風雨にさらされていた。

南無妙法蓮華経の石碑の前には小銭がたくさん。

雷鳥ではないが、誰かいる。

雨具を半分下げてズボンを乾かしているお兄さんに撮影を依頼。

「歩きにくい格好をしているところをすいません」
しばらくすると、時々上空の雲が切れて、日が差してきた。

日が差すと暑いくらいなので、雨具を脱いで、その辺に置いて干しておいた。

しばらくガスが晴れ渡るのを待つ。


下の方もだいぶ見えてきた。

これは今、歩いてきた道。

30分以上粘ったが、どうやらそう簡単には取れそうもないので、諦めて出発することにする。
間もなく、こんな石板を見つけた。

「友よ眠れ安らかに 憧れのやま北岳に」と彫ってあった。
心の中で合掌。
回りの景色はすっきり見えるようになったが、やはり遠くまでは見えない。


再訪を誓って、下って行く。


改めて、北岳はやはり岩でできた山なのだと実感する。


滑るので、急な下りは慎重に。


お、ちょっと先まで見えるようになってきたかな。


彼らも今日はもう北岳山荘泊まりだろう。

しかし、あのトラバース道も晴れていたら、最高だろうなあ。

さっきはガスのせいで、よく見えなかった岩の表情。


落石止めの丸太。

さっきも見た岩だが、イノシシのようだ。

右も左も深い谷。吸い込まれそうだ。


15分ほどで、分岐まで下りてきた。


ここでおにぎりの残りを1個食べる。

さっきよりは全然視界はいい。

八本歯ノ頭まで見えた。

(つづく)
【2016年8月27日(土)】北岳
広河原から北岳(3193m)を目指し、大樺沢に沿って登っている。
しばらく雨が続いていたからか、枝沢も水量が豊かだ。


大樺沢はまだ見えないまま、樹林帯を黙々と進んでいく。

桟橋がやけに多い。



ハクサンボウフウ。

サラシナショウマ。

大きく成長しているが、たぶんイタドリ。

しばらくして、開けた場所にでた。

対岸に崩落箇所を発見。かなり新しい。1か月と経っていないだろう。

山の方はやはりガス。今日はおそらく消えることはないだろう。

早川尾根もすっかり雲に隠れている。

多少荒れた沢を渡る。

いよいよ大樺沢の本流が現れた。


これを左岸から右岸に渡る。

右岸でも相変わらずの桟橋歩き。

こちらの枝沢はコケが美しい。


左岸に比べてアップダウンがある。

再び橋を渡って、左岸に戻る。

さすがに沢にある岩のスケールが大きい。


標高2100mあたり、8:15頃から、とうとう雨がぽつぽつと落ちてきた。

5分ほど我慢していたが、もう止みそうもない感じなので、鳩首会談。

とりあえずザックカバーを装着することに決定。
私は寒がりなので雨具も着てしまった。
登りの雨具は蒸れて嫌なのだが、やむを得まい。
このあたりのキオンの群落はスケールが違う。


大きな岩も目立ってきた。


あのプレートは遭難慰霊の関係だろうか。

傾斜もかなりきつくなってきた。

間もなく、ガスの中に突入しそうだ。

ヤナギランはぽつん。

ノアザミも雨に濡れて寒そうだ。

キノコもしっとり。

大水が出ると、こんな巨岩も押し流されるのか。


とうとう、我々も雲の中に入ったようだ。

ラショウモンカズラ。


この矢印は手書きではない。型枠を当てて、スプレーしたのかな。

富士山に似た岩。真ん中から御来光?

解読が難しかったが、「八本バ」=「八本歯のコル」のことのようだ。

知らぬまま通過したが、ここが大樺沢二俣だったようだ。
涸れ沢を横断。


広河原から2時間以上分歩き続けて、2370m地点でようやく休憩。

座っていたら、汗が冷えて急に寒くなり、手もかじかんできたので、軍手をする。

このあとのハシゴの連続で手すりに捕まっているうちに、軍手がびしょぬれになり、絞れるほどになってしまった。
実際、何度か脱いで絞った。それでもしていないよりはマシだった。
さすがにOH砲の2人もここで雨具を着込んだ。
寒いので長居はせず、10分ほどで出発する。
このあたりもお花畑だった。
ヤマハハコ。

シナノオトギリ。

ホタルブクロ。

ハクサンフウロ。

イワギキョウ。

クガイソウ。

イブキトラノオ。

ミヤマアキノキリンソウ。

タケネナデシコ。

ツリガネニンジン。

盛りを過ぎてしまって、判別できず。

雨に濡れた花々も悪くない。いや、むしろ美しい。
ここでこっそりおにぎりを1個食べてしまう。

おや、あれは雪渓かな。

もう8月も末だというのに、まだ残っているんだ。
タカネナナカマドの実。

大樺沢がこんな細い流れになるところまで登ってきた。

それに反比例して岩は巨大になる。


傾斜もかなりきつくなった。

ほとんど落石の中を突き進む感じである。


巨大な一枚岩。

むむ、解読不能。

赤い石は南アルプス南部だけのものではないみたいだ。

なめ滝。

矢印も豪快だ。

ここは上部二俣と呼ばれるところ。

八本歯のコルまであと1時間だ。
一体、右か左か、どっちなんだ!

一応、矢印を信じよう。

山頂まで1時間40分というあたりから、階段の連続となる。


2枚しか写していないのは、この付近が最も雨が強くカメラが出せなかったからだ。
軍手もずぶ濡れで操作するために軍手を脱がないといけないのも億劫だった。
というわけで、しばらく写真がないが、階段地獄は約30分続いた。
そして、11時過ぎにやっと、八本歯のコルにたどり着いた。

所要は4時間25分。ほぼコースタイム通りだ。
これはいつものことなので、我々は自らのことを、サーカスの「ミスターサマータイム」になぞらえて「ミスターコースタイム」と自称している。
すぐ左手にかろうじて見えているピークは八本歯ノ頭。

時折ガスが薄くなって、このピークだけは確認できたが、眺望はその程度だった。

天気が良ければ、ちょちょいとそこまでピークハントして来るのだが、今回はとてもそんな気にならない。

ガスが薄くなるタイミングで、休憩しながら、あちこち撮影。
これは今歩いてきた道だ。

標識のたもとに、レジ袋が置いてあったので、「誰だこんなところにゴミを捨てて行くのは」とむかついたが、持ってみると、まだ食べる前のお弁当だった。
誰が忘れたのだろう。ひもじい思いをしていなければいいが。
寒いし、濡れているので座るところもないから、十数分で出発。

この先は、この断崖の上を伝っていくようだ。

振り向くと、さっきよりきれいに八本歯ノ頭が見えた。

(つづく)
【2016年8月26日(金)】北岳
白峰三山はいずれ行かなければと思ってはいたのだが、なかなかその機会がなかった。
というのも、2泊3日の休みが取れて、しかも天気予報がよくなければならない。
でも、2泊3日の休みが取れるのは夏休みか、暦上の3連休。
そんな時は混むに決まっているので、天気がいくらよくても二の足を踏んでしまう。
というわけで、自ら遠ざけてきた面もあったのだった。
ところが、毎年恒例になってきた、高校の同級生O君、H君との夏の山行について、O君が白峰三山を提案してきた。
5月半ばのことである。
そんな機会でもないと、いつになっても実現しないので、これ幸いと飛びついた。
日程は8月27~30日。
27日:奈良田(バス)広河原~北岳~北岳山荘
28日:北岳山荘~間ノ岳~農鳥岳~大門沢小屋
29日:大門沢小屋~奈良田(奈良田温泉白根館泊)
30日:天気が良ければ、思親山もしくは身延山に登る
という計画だ。
最初は北岳肩の小屋、農鳥小屋に泊まる案だったのだが、そうすると最終日に標高差2000mの下りが待っているし、農鳥小屋のおやじの評判が最悪なのが問題。
結局、初日頑張って北岳山荘まで進み、2日目は大門沢小屋まで下ることにした。
下りはあまり好きではないので、2回に分けるのは妙案だ。
ただ、3日目の行程が短すぎて、奈良田に泊まることを考えると、ちょっと時間を持て余しそう。
まあ、どう過ごすかは、その時に考えるとして、「白根館はものすごくいい温泉だから、絶対泊まりたい」というO君の意向に従うことにした。
8月初めにO君と南アルプス南部に行った時と同様、静岡県裾野市にあるO君宅に前泊する。
必然的に、26日(金)はザックを背負って出勤。
退社後、いつものように東京駅のコインロッカーからザックを回収して、17:25東京発のこだま675号に乗り込む。
前回はガラガラだったのに、今回は随分混んでいる。やはり金曜日だからだろうか。
前日上京し、この日は高尾山に登っていたH君が品川で合流する予定なので、座席を確保しておかなくてはならない。
申し合わせておいた4号車の2人掛けの席はすでに埋まっているので、何とか3人席で2人分確保した。
取りあえず、缶チューハイと柿ピーで景気付け。

予定通り、品川駅でH君が乗り込んできた。
この日はかなり暑さで、北海道在住のH君は「東京は生きているだけで、汗をかく」とぼやいていた。
いい天気だったのに、期待していた富士山は見えなかったそうで、残念がっていた。
でも、高尾山のバッジは標高入りのものを2つゲットしたらしく、ご満悦だった。
三島には定刻通り18:19に到着。

迎えに来てくれたO君とも合流し、まずは夕食。
レストランよし乃という釜飯が評判のお店で、3人ともミックスフライ定食をいただいた。

ボリューム満点で満腹になった。
この後は、湯郷三島温泉へ移動。

ゆっくりと仕事の汗を流した。
地下1200mから汲み上げたアルカリ泉(源泉29℃)だそうで、お肌がすべすべになった。
コンビニで明日の朝食と昼食を調達して、21時前にO君宅に戻り、準備をしてすぐに就寝。
明日は2:15起きということで、ショートの宴会も省略した。
エアコンのない部屋なので、窓を開け放して寝た。
外を走る車の音も耳栓をしたら、ほとんど聞こえなかったので安眠できた。
【2016年8月27日(土)】北岳
スマホのアラームで2:15に起床。
2:30過ぎには出発した。もちろん真っ暗。
東名を富士川スマートICで下りて、県道10号を北上する。
しかし、身延線芝川駅の先で左折しなければならないところを、暗いせいもあって直進して県道398号に入ってしまい、途中で引き返し。
新内房橋を渡って、10号に戻るも、今度は災害のため通行止め。
またまた引き返して、結局、国道52号を行くことにする。
(帰宅してから改めて道路地図を確認したところ、県道398号をそのまま行っても全然問題なかった)
この関係で10数分ロスしたが、大勢には影響はない。
裾野から奈良田までは2時間半で行けるので、5時半のバスには十分間に合うのだ。
でも、遅れを取り戻すべく、O君がかなり飛ばしてくれたので、奈良田には4:45に着いてしまった。
白根館の浴室には雰囲気のいい灯りがともっていた。

途中、七面山の登山口である早川町の角瀬地区からは私が運転した。
駐車場はバスの始発である第一と500m先に第二があるが、たまたま第一にまだ1台空きがあったので、こちらに駐めた。

(明るくなってから撮影)
夜はまだ明けていないが、天気は曇りだ。

雨にならなければいいのだが。
さてと、バスが出るまであと45分もある。
トイレに行ったり何だりして時間をつぶす。


バス停に並んだのは5:10頃。

すると、すぐに広河原行きの山交タウンコーチバスが来て、10番手くらいで乗ることができた。

料金は、南アルプスマイカー規制利用者協力金100円を含め1230円。
(規制されて、さらにお金まで取られるのは、ちょっと解せない。「協力金」と言いつつ、ほぼ強制的に徴収しているのもちょっとおかしい)
結局、最終的には25人くらいの乗客でほぼ満席。

定刻の5:30に発車した。
次の停留所がある第二駐車場はものすごく大きく、バス停にも30人くらいの人が並んでいた。

バスは2台連ねていたので、空だった「2号車」にほとんどの人が乗った。
我々のバスには釣り人と思しき人が3人乗車し、彼らはみんな立ちだった。
結局、ここの乗客の処理に時間を要し、発車したのは5:45を過ぎていた。
「山と高原地図」を開きながら、南アルプス街道(県道37号)の車窓を見ていたが、だんだん眠くなってしまい、釣り人が下車した野呂川発電所の先はほとんど寝ていた。
広河原には定刻より5分遅れの6時半に到着。
芦安からのバスもちょうど着いた時間帯なのか、バス停周辺は登山客で大賑わい。

(この写真では、閑散としていますが)
トイレもかなり並んでいたが、それは「大」の方で、「小」はすぐにできた。
奈良田で無理やり済ませておいてよかった。
ここは標高1520m。山頂までは標高差1700m近く登らなければならない。
覚悟を決めて6:40に出発。

やはり予報通り、空はどんよりしていて、北岳(3193m)は見えない。

まずは、吊り橋を渡る。


眼下は野呂川である。


H君がバッジを買いたいというので、広河原山荘に立ち寄る。

去年、白馬山荘で売り切れていたことに懲りて、あるところで買っておくことにしたらしい。
本来なら「登った山」しか買わないのだが、今回は「これから登る山」ということで問題ないらしい。
北岳、間ノ岳、農鳥岳、白峰三山の計4点2000円のお買い上げだった。

この間、O君が「大」を済ませ、みんな憂いなく出発できる態勢が整った。
小屋の奥はテン場。

実にこの賑わいである。

最盛期はどういうことになっているのだろう。
北岳へのルートはいくつかあるが、北岳は3度目というO君が登ったことのないルートということで大樺沢を行くことにした。

山小屋コレクターとしては、白根御池小屋にも寄りたい気もあったが、大樺沢コースは北岳への最短コースということなので、雨の降りそうなこういう日は、かえってその方がいい。
今回はたぶん頂上からの眺望は期待できないので、リベンジする際に小屋ルートで登ることにしよう。
いきなり急登。


かなり古いケルン?の前を通過。

天気予報があまり芳しくないのに、登山者が多い。さすがに日本第2の高峰だ。

北岳山荘の混雑が予想され、若干気が滅入る。
しばらく行くと、傾斜は落ち着いた。

山荘から20分ほどで、白根御池への道との分岐を通過。

早くも休んでいる若者たちを尻目に歩を進める。

南アルプスらしい樹林帯が続く。


枝沢も水量が豊富だ。

本日最初のお出迎えは、キオンさん。

続いてクサボタン。

そしてキツリフネ。

ノアザミ。

コウシンヤマハッカ。

頑張りま~す!
(つづく)
【2016年8月20日(土)】猫魔ヶ岳
猫魔ヶ岳(1404m)から下山中に激しい雨に見舞われた。
全身ずぶ濡れである。

でも、30分くらいで止んでくれたのは幸いだった。

雄国沼が見えて間もなく、舗装道路に出た。


ここまで来れば金沢峠の駐車場まではもうすぐだと思ったが、15分も歩かされた。

途中、ハンググライダーの離陸場があった。

下界はもうすっかり晴れている。

あ~、やっと車が見えた。でも、まだあんなに先だ。

それにしても、かなり雨脚が強かったので、靴も何もかもびちゃびちゃ。
局地的な雨にぶち当たってしまったようだ。
ほぼ予定通り、午後2時に駐車場に到着したものの、とにかく着替えなければ。
パンツも替えたかったので、着替えを持って、さっきも使わせてもらったトイレへ。
いやいや、ひどい目にあった。
車で下界に下ると、しっかり晴れており、暑いくらいだ。
帰り道で喜多方ラーメンを探そうと思ったが、なかなか見つからないので国道121号を喜多方方面に引き返す。
すると、5kmほどで国道沿いに「すがい」という店を見つけて、迷わずそこに入る。

靴がびちょびちょで、昨日履いたソックスに履き替えて、水分を吸わせていたが、それでも足りないので、お店から古新聞を貸してほしいと願い出た。
快く貸してくれて、感激だった。
食事は喜多方ラーメン(650円)と餃子(400円)を注文。
太めの平麺であっさりスープ。メンマとネギとチャーシューだけだが、スープとチャーシューは美味しかった。

ちょうどテレビで甲子園の北海と熊本・秀岳館の準決勝をやっていて、北海が4-3で逃げ切り、決勝進出を決めた瞬間をテレビで見ることができた。
明日は自宅で応援しよう。熊本に勝ってしまい、空気が読めずすいません。
ラーメンを食べながら、日帰り温泉をスマホ検索で探していたのだが、帰り道沿いのちょうどいい場所にあるのがなかなか見つからない。
塩川町の「花しょうぶの湯」が一番近いのだが、人工温泉と書いてあって、あまり食指が動かず。
思い付いて、磐梯熱海温泉に行くことにした。
ホテルによっては600円でやっているところもある。
「山城屋」というところに狙いをつけて、ナビにセットして向かった。
15:30出発。
磐越道では正面にずっと虹が見えていた。
今日は土曜日なので、日帰り入浴は受け付けていないというケースもあるだろうなと心配していたが、「山城屋」がまさにそうだった。
仕方ないので、向かいの宿にも聞いてみたら、「ここは宿ではない。奥にある華ノ湯はやっているよ」というので行ってみた。
巨大なホテルで、こりゃだめかなと思ったけど、聞いてみたらOKだった。

(手ぶれすいません)
時間もないので料金は分からないがここに決定。時刻は16:20。
受付に行ったら、1200円だった。
ちょっと高めだが、まあいいだろう。
この時間、男湯は1階の庭園風呂。

駐車場にはあれだけ車が駐まっていたのに、お風呂はわりとすいていて、浴室内の写真も撮れた。


くり抜き湯やアルキメデスの湯など、いろいろあったが、全部はとても入りきれなかった。
いい湯だった。
ここは有名歌手がディナーショーに訪れる有名ホテルなようだ。
17:15に上がり、ロビーでひと息。


車内で干していた雨具など荷物を整理して、17:30に出発。
ナビでは郡山駅まで30分の予定だったが、レンタカー屋まで途中の渋滞で45分もかかってしまった。
18:30の新幹線の指定をとっていたので焦ったが、駅まで送ってもらえたので、何とか間に合った。


車内ではサッポロビールロング缶で祝杯。

今回の旅を締めくくった。

東京には19:58着。自宅には9時半頃たどり着いた。
最後の最後で雨にたたられたが、磐梯山は最高の天気で登れた。
充実した山旅であった。
あす日曜日も休みだが、さすがに出かける気力はなし。
自宅でまる1日過ごすのは3月27日以来なんと5か月ぶり。
ゆっくり休養しよう。
【行程】2016年8月20日
金沢峠(9:43)~木道終点(10:02)~雄国沼休憩舎(10:24休憩10:29)~猫石(11:37撮影・昼食11:58)~猫魔ヶ岳(12:19撮影12:28)~猫石分岐(12:46)~厩岳山分岐(13:02)~金沢峠(13:56)
※所要時間:4時間13分(歩行時間:3時間40分)コースタイム:3時間50分
※登った山:2座(猫石、猫魔ヶ岳)
※歩行距離:10.9km