山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

渥美半島(2)

【2016年2月20日(土)】渥美半島
浜名湖・舘山寺(かんざんじ)温泉から竜ヶ岩(りゅうがし)洞へ移動してきた。
ここは昨年暮れに訪ねた場所だが、鍾乳洞の中には入らなかったので、今回はトライしてみることにした。
洞窟の入口近くには、岩石の展示場があった。
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入洞料は1000円。
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さて、いよいよ入洞。
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蝙蝠の顔はめは遠慮しておく。
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檻の中で蝙蝠が飼われていた。
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普通は上から逆さにぶら下がっているが、こうして地面にうつぶせになることもあるのを初めて知った。エサを食べているようだ。

細い道をくぐり抜けていく。
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黄金柱。
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ノジュール群。
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ノジュールとは、堆積岩の中に含まれている珪酸や炭酸塩が化石や砂粒を核として凝集してできた塊。母岩より固く、球状になることが多いとか。

猿ヶ石。
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乳石。ちゃんと乳首がとがっている。
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亀の子滝。真ん中に亀の形の石が見える。
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三体羅漢。
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川底天井。円形に窪んでいる。
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竜の爪。
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かわいい石筍。
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なぜか鐘が設置されていた。
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俊吾池。由来は不明。
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考える人。
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秀和洞の入口(案内板の右)。
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喜びの窓。鍾乳石が林立する大広間に到達した喜びを表した。
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かつては、地元の人や研究者がこの地点まで探検に入り、この先は小さな穴が開いているだけで行き止まりだと思われていた。
しかし昭和56年、2人の洞窟愛好家が手掘りでこの難所を抜け出ることに成功、さらに奥にある「黄金の大滝」などの発見のきっかけとなったという。

ヘチマフローストーン。
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ワニの岩。
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雄々しい石筍。
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大広間の天井。
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竜の抜け穴。
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陰陽石。背後が女性。
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マリア観音。
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雲上界。
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天恵の泉。分かりにくいが水が浸みだしている。
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慈母観音。
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長寿の泉。
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天女の鏡。
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青く輝く黄金の滝。
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水が天井から降ってくる。背後に壁がないので、普通の滝とはちょっとイメージと違う。

龍宮。
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流れ石。
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三段の空滝。
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練磨の教え。
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宝石の間。
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名前忘れてしまったが、いろいろ。
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鳳凰の間。
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またまたあれこれ。
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くらげの滝のぼり。
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なかよし。
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時の壺。手ぶれ容赦。
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シャンデリアの間。
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黄金の富士。
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知の七福神。
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鍾乳管。
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これでおしまい。よくまあ、いろんな名前を考えたものだと感心。
竜ヶ岩洞は東海地方最大規模の鍾乳洞で、総延長は約1000mあるという。
このうち公開されているのは400m。
その中にこれだけの濃密な奇観が広がっている。
全く飽きるということがなかった。

この鍾乳洞が約2億5000万年前の秩父古生層と呼ばれる石灰岩の中に展開しているが、公開されたのは昭和58年10月ということなので、まだ30年ちょっとしか経っていない。
かなり「新しい」鍾乳洞と言えよう。
ここに鍾乳洞があることは大正時代から地元の方々には知られていたという。
夕暮れになると蝙蝠が飛び出してきたりして、子供たちの格好の遊び場であったとか。
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昭和56年6月から、洞穴内の粘土を一輪車で運び出して洞内の整備を進めていた地主の戸田貞雄氏の理解を得て、同年10月さらに奥の探検を行った2人の洞窟愛好家が腹ばいのまま手掘りで3日作業を進めた結果、細い穴を抜けだすことができ(「喜びの窓」)、11月には「大広間」を発見。12月には「黄金の大滝」にたどりついた。
その後、調査とともに開削も続けられ、58年10月に公開に至ったとのこと。
(以上、「竜ヶ岩洞」パンフレットより)
だから、かなり鍾乳石を傷めたところもあるのだろう。

洞窟から出ると、土産物売り場。商売っ気十分だ。
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つられて、焼きみそまんとドラ焼きの「いい!直虎”」(来年の大河ドラマの主役井伊直虎にあやかった商品)を購入。車中のおやつにする。
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ついでに見かけは石ころそのもののチョコも買ってしまった。200円。
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店内には遠州鉄道奥山線をしのぶ展示もあった。
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この路線は大正3年(1914年)11月に浜松軽便鉄道として開業。
浜松から国鉄二俣線の金指駅を経由して方広寺のある奥山を結ぶ25.7kmの路線だった。
昭和39年(1964年)に廃止されている。
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暮れにこの付近を歩いた時、廃線跡も少し見学しようと思っていたが、行けなかった。
今回も天気が悪いのでパス。

とりあえず、この展示で我慢することにした。
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外に出ると、日本一の顔ハメなる看板が目に飛び込んできた。
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なるほど、その辺の観光地にある安っぽいものと違い、絵がリアル。
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これはやってみざるを得まい。
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どうですか? よく似合うでしょう。

(つづく)
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渥美半島(1)

【2016年2月20日(土)】渥美半島
2月は足首の傷口養生のため禁足月間にしてあるので、この週末は山ではなく観光旅行に出かけた。
そんなに遠くはなく温暖そうな場所ということで渥美半島を選んだ。
いろいろ調べていたら、伊良湖ビューホテルからのオーシャンビューが素晴らしいようなので、宿泊はそこに決定。

天気予報は土曜日が雨、日曜日が晴れ。
土曜日はかなり荒れた天気になりそうだったが、天気が持ちこたえてくれることを祈って、8:03東京発のひかり463号に乗り込む。
まずは朝食。コンビニ🍙2個。
天気は曇りで、富士山は裾野しか見えなかった。
9:32浜松に到着。とうとう雨が降り出してきたが、まだポツポツなので、傘なしでレンタカー屋さんに移動できた。
ここは昨年の暮れにも来ているので勝手知ったお店だ。

手続きを済ませて、9:50頃に出発。
まずは浜名湖の舘山寺(かんざんじ)に向かう。
道路も順調で、10時半前に舘山寺温泉の無料駐車場に到着。
小雨になっていたので、傘をさして、ロープウエー乗り場へ。
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舘山寺には大学2年の時、1983年2月23日に自転車で来たことがあるが、ロープウエーには乗っていない。
今回はこれに乗るのが一つの目的だった。

ゴンドラはピンク。料金は往復820円。
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乗客はほかに女性2人だけだった。

このロープウエーは舘山寺温泉から大草山(113m)を結ぶ延長724mの路線。
高低差はわずか94mだが、湖(内浦)の上を横断するように架けられているのがユニークだ。
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かんざんじ駅は遊園地「浜名湖パルパル」の一角にある。
雨なのに、そこそこ賑わっていた。
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あちらが大草山。
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舘山寺方面。
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舘山寺温泉のホテル街。
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ものの4分で大草山駅に到着。
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舘山寺温泉街を見下ろす。
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「秋惜しむ松に夕日や舘山寺」の句碑がたたずんでいた。
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地元の俳人原田濱人(1884~1972年)の作品のようだ。

早速、大草山の山頂に向かう。
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徒歩1分で登頂。
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展望もそれほどではなく、山名板もないので、ちょっぴりがっかり。
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下ってくると、「ビルマゆかりの碑」なるものを見つけた。
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ビルマ建国の父と言われるオンサン将軍が昭和15年、日本に亡命し、当地出身の陸軍少将鈴木敬司とともに独立運動の秘策を練った場所なのだそうだ。
それを記念するとともに、ビルマで戦没した英霊を慰めるために昭和49年に建立されたのだという。
ビルマ語で「日緬永遠の友好を!」と書かれているらしい。

ロープウエーの大草山駅には浜名湖オルゴールミュージアムが併設されているが、それほど興味がないので、そちらは見学せず。
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通り過ぎて、逆方向の展望台に行ってみる。
大草山より見る浜名湖は「かんざんじ八景」に選定されているらしいし。
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階段をかなり下って、ベンチのある展望台へ。
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こちらの展望もやや木に邪魔されている。
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浜名湖の西岸。
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本当は、大草山駅の屋上に登れば、もっとすっきり見えたのだが、うっかり失念してしまった。残念。
これで大草山遊覧は終了。雨風がそれほど強くなくて助かった。

この後は車で、舘山寺温泉街へ移動。
お腹が空いたので、何か食べよう。
浜名湖と言えば、やはり鰻でしょう。
温泉街のどん詰まりにある駐車場の奥に「舘山寺園」という食堂があったので、他に店を探し歩くのも面倒なので、さくっとここに決める。
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目の前を遊覧船が通過して行った。
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鰻を食べるつもりだったのだが、カバ牡蠣丼というメニューがあるのを見て、気が変わった。
浜名湖は鰻だけでなく、牡蠣も古くからの特産らしい。
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2400円と結構いいお値段だが、かなりしっかりした刺身と茶碗蒸しまで付いていたのでうれしかった。ただ、肝心の牡蠣はややくどかった。
牡蠣は蒲焼きにするものでないのかも。

それでも満腹になって、舘山寺に参拝。
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舘山寺は弘仁元年(810)、弘法大師(空海)が高野山より仏道行脚の際、当地に訪れて修行を行い、開創されたと伝えられる。
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ここは34年ぶりの再訪である。
この看板を見て、当時を思い出した。
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34年前のものとは掛けかえられているが、雰囲気は同じだった。
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本堂の隣には縁結地蔵尊。
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おびただしい数の絵馬が奉納されていた。

さらに進むと、お寺のような建築だが愛宕神社。
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とりあえず参拝は後回し。まずは丘に登って、穴大師を目指す。
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ここは古墳の横穴式石室であった。
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弘法大師が修行を行った場所らしい。
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引き続き、ロープウエーから見えた聖観音を見学。
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高さ16mで、昭和12年に建立されたとのこと。

見上げると、安倍首相にそっくりでびっくり。
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周辺にはいくつか石仏もあった。
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この丘は舘山(たてやま)と言う名があるらしく、思いがけず「登った山」を稼げてしまった。
舘山は縦横に遊歩道がめぐらされている。
頂上は富士見岩というところのようだ。
そこに向かう途中に、水が涸れた天辺池なる人工の庭園があった。
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こちらは千年椎ノ木。
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このコンクリートの廃墟のような建物は何なのか、よく分からない。
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富士見岩は標高50m。
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ここからの展望は西方面のみ。富士見岩というくらいだから、晴れていれば富士山が見えるのかと思ったら、東方面は何も見えない。
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浜名湖大橋。
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昔の写真を見ていたら、ここで撮ったものが見つかった。
全然記憶にないが、当時ここにも来ていたようだ。
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ちょっと変わった植物。
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石仏がもう1体。
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最後に愛宕神社に参拝して、駐車場に戻る。
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温泉街にもおさらば。
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ここまで雨はなんとか持ちこたえてくれて助かった。
さて、次なる訪問地、竜ヶ岩(りゅうがし)洞に向かおう。

(つづく)
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美の山(下)

【2016年2月14日(日)】美の山
蓑山神社の鳥居まで下ってきたところで、道は分岐する。
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いずれも皆野駅に通じているが、直進が2.6km。左折が2.5km。
表参道を下るつもりだったので、参道は当然直進でしょ、と地図を確認せずに進んでしまった。
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でも道はどんどん右にそれて、トラバース道になり、明らかに参道とは異なる様相。
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出発点にあった丁目石もずっと見当たらず、道を間違えたのは明白だった。
でも、皆野駅に向かっているのだから、戻る必要もない。
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そのまま、ちょっとつまらない気持ちで下った。

下りはやや道が悪く、傷口の当たりがちょっぴり痛かった。
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いったん林道を横断。
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この先はコケ生した岩が露出しており、スリップがめちゃめちゃ怖かった。
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朽ちかけた木橋をいくつか渡る。
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蓑山神社から30分ちょっとで下界に下ってきた。
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すぐに国道140号を渡る。
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右手に宝登山(497m)が近い。
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道端に県立秩父農工高校の分校跡。
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その先に役場があったのでコレクション。小さな町のわりに立派な建物だ。
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休みの日なのに出入りしている人がちらほらいるので不思議に思っていたら、この日は町議会議員選挙の投票日だった。
防災無線でも「投票に行きましょう」と呼びかけていた。

駅に近づくと旧街道のおもかげを残す古い建物がいくつか残っている。
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そのうちのひとつ金子医院の旧宅は、金子元春・兜太父子の実家だった。
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路地から美の山を望む。山容は蓑虫ならぬ芋虫に似ている。
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駅前のバスターミナル横に秩父音頭家元碑があった。
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その背後に望楼。
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皆野駅の前を通過して、梵の湯に向かう。
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駅近くの踏み切りからは武甲山のりりしい姿が望めた。
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逆方向は駅のホームの向こうに宝登山。
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ちょうど目の前を電車が通過して行った。
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しかし、ここからお風呂まではめちゃめちゃ遠い。
改めて地図を見て、やっぱり止めて帰ろうかと思ったほどだ。
でも、行程も何とか楽しみつつ進む。
猿田彦神社。
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社殿は見えないが、椋神社の標柱。
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大浜稲荷神社。
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皆野橋で荒川を渡る。いい眺めだ。
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振り返ると美の山。
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皆野橋はコンクリート製のアーチ橋だった。
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駅から20分以上歩いてきたが、まだ800mもある。
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宝蔵寺まで来れば、もう少し。
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田んぼの中に島状に浮かぶ墓地があったが、これも宝蔵寺と関係があるのか。
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バス停発見。帰りは時間次第でバスも検討しよう。
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梅もしっかりほころんでいた。
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帰りに同じ道を通るのはいやなので、荒川を渡るバイパスに歩道があるかどうか確認しようとしたら、歩いている人が見えたので、帰りは別ルートで駅に戻れそうだ。
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ただ、さっきの小柱バス停の時刻表では西武秩父駅行きが17:29。
現在は15:30。まだ2時間あるが、お風呂に1時間弱、すぐそこにある梵天茶屋で「山麓酒場」をして1時間すごせば、ちょうどいい感じだ。
歩くのは止めてバスに乗ることに決めた。

梵の湯まで駅から30分。いやあ遠かった。
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入浴料は880円。

浴室は駐車場にとまっていた車の数のわりには、すいていた。
アルカリ性のつるつるの湯である。
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今日はたくさん汗をかいたので、実に気持ちよかった。

16:30に梵天茶屋へ移動。
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生ビール(600円)でまずはぐびっ。
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ただ、つまみがみそおでん(450円)とカツ(1枚400円)しかない。
おでんを食べ終わったところでカツを頼み、カツを食べ終わったところで、もりそば(750円)を注文。
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カツは秩父名物わらじカツ丼の味付きカツ。冷凍ぽかったが、わりとおいしかった。

そばを頼んだのは5時をちょっと回ったところ。
「え、言ってなかったけど、ラストオーダー過ぎたんです」と女将さんらしき人。
「ちょ、ちょっと待って下さい」とあわてた様子。
(おいおい、そりゃ普通は通用しないでしょ。まあ、別にNGでも文句は言わないけど)
と思っていたら、大丈夫のようだった。
このそばが手打ちでかなりうまかった。
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お腹いっぱいだ。
都合2200円を支払って、夕暮れのバス停へ。

バスは5分ほど遅れて到着した。
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18:00西武秩父発の急行に乗りたかったが、タッチの差で間に合わず、18:25の特急になってしまった。
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行きと同様入間市までの切符を買ったが、調べてみたら、飯能で降りても乗り継ぎは同じ電車だった。ちょっと損した。
小手指には19:29に到着。
8時前には帰宅できた。
手術後初の本格的な登山だったが、とくに問題は見当たらなかった。
今後は徐々にグレードを上げていくことにしよう。

【行程】2016年2月14日
和銅黒谷駅(12:11)~和銅遺跡入口(12:19)~和銅遺跡(12:33撮影12:35)~美の山展望台(13:23撮影13:28)~美の山山頂(13:47休憩13:56)~蓑山神社(14:11)~皆野登山口(14:47)~皆野駅(15:02)~梵の湯(15:32)
※所要時間:3時間21分(歩行時間:3時間2分)
※登った山:1座(美の山)
※歩行距離:8.8km
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美の山(中)

【2016年2月14日(日)】美の山
美の山山頂(587m)の展望台から、すぐ下に銅像が見える。
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誰だろう。下りて確認すると、金子伊昔紅先生とある。
秩父音頭の復興者とのことだが、それ以外にも様々な分野で地域に貢献した人物らしい。
明治22年(1889年)、皆野村生まれ。本名元春。京都で医学を修め、帰郷後、壷春堂医院(現在の金子医院)を開業、農山村医療に心を砕いた。
その傍ら、道場を建てて武道を指導、論語を講じて、青少年の心身鍛錬に尽力した。
さらに俳句雑誌を発行し、文芸の興隆にも努めたというから、かなりのマルチ人間だ。
あとで分かったことだが、あの俳人金子兜太の実の父親であった。

銅像の足元には「秩父音頭」の歌碑があった。
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美の山を歌った部分が刻まれている。
「一日千本万本咲いて かすむ美の山花の山」
秩父音頭は今から200年近く前、皆野村の愛宕神社で村人たちが豊作を祝って踊ったのが始まりとされる。
しかし歌詞も踊りも卑俗的なものだったので、伊昔紅先生が品位と詩情のある民謡に改め完成させたという。
秩父音頭、聞いてみたい。

売店は冬季閉鎖中。
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頂上台地の東のへりに立つと、木々に邪魔されることなく、外秩父の山々を眺めることができる。
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左から順に見て行こう。
外秩父ではないが、まずは赤城山。
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右から黒檜山(1928m)、地蔵岳(1674m)、荒山(1672m)、ひとつ飛んで鈴ヶ岳(1565m)。

そして陣見山(531m)。
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続いて釜伏山(582m)。左の雲の中に男体山(2486m)があるはず。
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登谷山(668m)。
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左の3つのこぶの中央が皇鈴山(679m)。右のゆるやかな鞍部は二本木峠。
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手前は秩父国際カントリークラブ。

粥新田峠(左)と大霧山(767m)。
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以上は、頂上台地の東南にある展望台からの眺めと混ざっています。
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今度は南の展望台から。
右から武甲山(1304m)、武川山(1052m)、二子山(883m)。
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左手前は丸山(960m)の尾根。

武甲山と奥多摩の山々。
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大霧山(左)と丸山(右)。
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左のちょっと隠れているが堂平山(876m)、中央のアンテナのある山が剣ヶ峰、右が川木沢ノ頭。
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これで計3つの展望台からほぼ360度の眺望を満喫した。
ここから見える山はほとんど踏破済みだ。

これをもって下山することになるのだが、まだちゃんとした山頂の標識を拝んでいない。
最初の大きな展望台の建っている場所の北側が少し高いので試しに行ってみたら、ちゃんとあるではないか。
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あやうく見逃したまま下るところだった。

ここのベンチで本日初の休憩。パンを1個食べた。
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美の山は本来「蓑山」という。
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たぶん、桜をたくさん植えた際に、「みのやま」の音を残して「美の山公園」と命名したのだろう。
ちなみに、「蓑山」の由来は古代まで遡る。
秩父国造秩父彦命が秩父を治めていた頃のこと。
ある年、長梅雨のため農作物が大きな被害を受け、領民ははなはだ困っていた。
そこで、秩父彦命はこの山に登って、祈晴祭を行ったところ、雨はたちまち上がって、無事に実りの秋を迎えることができたという。
この時、命が着ていた蓑を掛けた松が蓑懸け松、山の名は蓑山と呼ばれるようになったとのことである。

山頂付近、まだ5cmほど積もっている雪の上をあえて歩いて、北へ下っていく。
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「さくら植樹記念」の標柱があるあたりは一面の雪原。
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現在、美の山公園には70 種8000本のサクラ、3500株のツツジ、4500株のアジサイが植えられているそうだ。
花は春から秋までいつでも楽しめるようだが、私は何もない時期に来てしまった。
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でも、それでいいのだ。混んでいるのはきらいだから。

しばらく平坦な道を北に進む。
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すると神社が出てきた。地図にある蓑山神社かと思ったら、榛名神社だった。
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門前の展望台は水びたしだったが、奥秩父方面が望める場所だ。
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中央の最も高く見えるのが芋ノ木ドッケ。そのすぐ左の突起が雲取山(2017m)。
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中央が和名倉山(2036m)。
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展望台のところを左折して、蓑山神社方面に下る。
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この先は急坂で滑りそうだが、北斜面なのにこちらも雪がなくて助かった。

300mほど下ると、蓑山神社に出た。
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平安時代末期の武将畠山重能が蓑山の由来を知って、秩父彦命の業績を讃え、大山祇神などを祀ったのが蓑山神社の始まりとされる。

狛犬は秩父ではめずらしくない狼。
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ここで無事下山を祈願する。

この先は滑りそうな急な石段が続く。
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手すりにつかまって、慎重に下った。
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立派な杉並木の参道だった。
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(つづく)
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美の山(上)

【2016年2月14日(日)】美の山
バレンタインデーの週末は春一番が吹く大荒れの天気との予報だった。
もともと禁足月間だし、どこにも出かける予定はなかったのだが、13日の土曜日が終日いい天気で何となく損した気分になり、未明に風雨が強かった14日も朝9時から日が差してくる回復ぶりで我慢できなくなった。
10時を過ぎた時に決断した。
どっか行こう。近場でどっかないか。
「山の高原地図」の「奥武蔵・秩父」を広げて、しばし思案。
禁を破って、美の山(587m)に行くことに決めた。
車で頂上まで行ける山なので、栃木の御亭山(こてやさん)のように車で登ってしまう選択肢もあったが、やはり歩きたい。
駅探で検索すると、15分後に家を出れば、登山口のある秩父鉄道和銅黒谷駅に12時過ぎ着く。
これなら車より早い。
帰りの風呂が近くにないことが懸案だったが、それは電車の中で検討することにして、急いで飛び出した。

小手指駅10:50発の飯能行きに飛び乗り、入間市で特急ちちぶ11号に乗り換え。
待ち合わせ時間が3分しかないのに、特急券売り場が入間市駅のホームにない!
焦ったが、車内で買うことにして、とにかく特急のホームへ急ぐ。
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座席はかなり空席があったので助かった。
高麗駅のあたりで車掌さんから特急券(420円)を購入。
西武秩父までずっと「山と高原地図」と突き合わせながら、車窓を眺めていた。
途中、どんより雲ってきたが、秩父に着く頃には再び晴れてきた。
11:48、西武秩父着。
御花畑発の電車は11:54なので、やや小走りで移動する。

改札口を入ったところで、ちょうど羽生行きが入線してきた。
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今日の秩父鉄道は空いている。やはり冬はシーズンオフなのか。
和銅黒谷駅には12:06に到着。
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ホームに巨大な和銅開珎のモニュメントがあった。
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ここまで車内で検討した結果、本日は和銅遺跡経由で美の山に登頂し、蓑山神社表参道を皆野駅へ下るコースを取ることにした。
風呂は皆野駅からかなり遠いが、秩父川端温泉「梵の湯」。
和銅鉱泉「ゆの宿 和どう」は部屋付きでないと日帰り入浴ができず、高いので断念した。

駅舎は木造平屋建てでレトロな雰囲気。
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運賃表もそれらしくしている。
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駅前がすぐ国道140号。正面に本日の目標、美の山が横たわる。
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まずは国道沿いのセブンイレブンで昼食と飲み物を調達。
本日のメニューは相変わらずのおにぎり2個。それと行動食にレーズンパターパン1袋。
おにぎりはすぐに開封、歩きながら2つとも食べてしまった。
それはともかく、やはり陽射しが暑い。
帽子を忘れてしまったのは失敗だった。

標識に従って右折するが、駅の手書き地図にあった道より1本手前の気がする。
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まあいいやと進んでしまい、そのせいで聖神社には立ち寄れなかった。

周辺には銅の採掘にからんだ古地名が残っていた。
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このあたりは「殿地」というとのこと。
採掘時の役人の屯所があった場所で、蔵人屋敷とか「どんじいり」とか呼ばれていたらしい。それの名残のようだ。

間もなく軽自動車しか入れないような道になる。
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少し標高が高くなるだけで、西に両神山(1723m)が姿を現した。
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左手には古い石碑や五輪塔が集められている場所も。
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小さな尾根を切通しで横切ると、露天掘りをしていた沢を祝山橋で渡る。
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この沢は「どうねんぼう」と呼ばれたらしい。
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鉱石の泥を洗い流した「銅洗堀」、鋳造した銅銭を洗い浄めた「銅銭掘」がなまったものだ。

坂は傾斜を増す。
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和銅遺跡への遊歩道には雪が結構残っていた。
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下界でこんなに残雪があるなら、北斜面の登山道はまだかなり積もっているかもしれない。
今日は暑いくらいだから雪解けは進むだろうがちょっと不安になる。
今日はチェーンアイゼンも持って来ていないのだ。

日向はきれいに解けていたけれど。
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遺跡に着く手前に、鳥の群れの鳴き声のようなものが聞こえてきた。
でも近づいてみると、なんとカエルだった。
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この暖かさで孵化したのかなと思ったが、いきなりカエルが卵から大人になるわけではないので、冬眠から覚めたということなのだろうか。
ものすごいにぎやかさで、池のようになった雪解け水の中をあちこちで活発に泳いでいた。

和銅遺跡には20年近く前の正月に、秩父神社への初詣の帰りに寄ったことがあるのだが、ここはどうも記憶とは違う。
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こんなに巨大なモニュメントを見た覚えもない。
前回行ったのは別の地点だったのだろうか。
「日本貨幣発祥の地」を名乗っているが、最古の貨幣は「富本銭」に譲ってしまったので、この呼称も本当は使いづらくなってしまったに違いない。

沢の対岸の崖が露天掘りの跡とのこと。
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和銅開珎について、ちょっとだけおさらいしておこう。
慶雲五年(708年)、武蔵国秩父郡から和銅(自然銅)が発見され、朝廷に献上された。
これを喜んだ女帝の元明天皇は年号を「和銅」と改め、和銅開珎を発行した。
歴史が苦手な人でも和銅開珎を知らない人はいないだろう。

聖神社は自然銅をご神体として和銅元年(708年)に創建された神社だそうだ。
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通り過ぎてしまって失敗だった。

閑話休題。廃車その1。
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車道を横切って、美の山への道を登る。
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遺跡のある谷の底で木々も生い茂っていたので肌寒いくらいだったが、谷から車道に出ると、日差しが燦々。ほんとに汗ばむほどだ。

両神山も全容がしっかり見えてきた。
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こちらは二子山(1166m)。
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背後には武甲山(1304m)。
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のどかな山里をしばし歩く。
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間もなく、本格的な登山道に入る。
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傾斜はかなりきつく、汗が流れてきたので、頭の保護のためタオルでほっかむりをする。
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1か月ぶりの登山ということもあり、ペースはスロー気味に抑えていたが、それでも時々息が上がった。
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ヒノキ林に入ると、日差しが避けられるので、ホッとする。
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山頂まであと0.4kmの道標のあたりで、再び疎林となった。
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登山道には雪がほとんどなかったが、日蔭にはそこそこ残っている。
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おお、やっと頂上近くの車道が見えてきた。
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さあ、あともう少し。
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午後1時20分すぎ、駅から1時間10分ほどで登頂した。
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コースタイムより20分も早い。
足首もほとんど違和感がなかった。順調な仕上がりだ。

頂上広場に出ると、目の前に大きな展望台があるので、早速登ってみた。
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山頂の標識がないのが残念だったが、眺望はすばらしい。
山座同定用の案内図があったのでありがたかった。
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方向表示盤もあったが、これは見づらい。
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まずは、東側の外秩父連山。
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右は登谷山(668m)。
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その右(南)は、皇鈴山(左、679m)と愛宕山(右、655m)。
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さらに右。粥新田(かいにだ)峠の放牧場。
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南東は大霧山(767m)方面だが、木々でよく見えない。
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南には、武甲山(右)。その左は、武川山(1052m)と二子山(883m)。
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南南西。秩父盆地と奥多摩の山々。
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南西。やや雲がかかっているが、奥秩父の主稜線。
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中央が甲武信ヶ岳(2475m)。
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西には両神山と二子山。
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二子山アップ。
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北西に城峯山(1038m)。
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すぐ下には、ベンチが並ぶ広場を見下ろせた。
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(つづく)

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侍塚古墳(下)

【2016年2月11日(木)】侍塚古墳
上侍塚古墳をあとにして、大田原市なす風土記の丘湯津上資料館に移動。
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以前は「栃木県立」だった気がする。合併を機に移管されたのだろうか。
それはともかく、ここで(中)で書いたような蘊蓄を勉強した。
館内は撮影禁止なので写真はなし。
職員の方に、埋め戻してある遺物を再発掘する計画はないのか聞いてみたら、「文化庁からなるべく現状のままにという指導を受けていますので」とのことだった。
ただ、何かあれば考えるかもしれません、とのこと。
個人的には、そのままにしておくのがいいと思う。

となりにある大田原市歴史民俗資料館も見学して行ってくれと言われたので、ついでに立ち寄った。
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これで本日のミッションは終了ということになるのだが、まだ日が高いし、帰るのはもったいない。
さっき下侍塚から見えた御亭山(こてやさん、513m)が頂上まで車で行けそうなので、行ってみることにした。
しかし、なぜかガソリンの減り方が激しく、さっきから警告灯が付きっぱなし。
このまま山に行けるか不安だったので、いったん町の方へ戻る。

往路で見つけておいたスタンドなのだが、往復15km、時間にして20分ほどの損をした。
しかもガソリン代が1㍑125円。
この原油安で都心では103円で入れられるのに、満タン30㍑入れたので600円以上も高くついた。
ちょっと凹んだ。

でも気を取り直して、山へ向かう。
那珂川を湯殿大橋で渡る。
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快調に登っていたら、前方でUターンしている車がある。
いやな予感がしたら、やはり路面が完全凍結。
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先日の大雪で積もった雪が日蔭だけ解けずに残り、つるんつるんのアイスバーンになっている。

引き返すのも悔しいので、想定外だったが、チェーンを巻くことにする。
久しぶりだったが、意外にさくっと装着できた。
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それより、実はもよおしてきていたので、山頂にあると予想されるトイレに早く行きたかったのだ。

頂上には広い駐車場があり、ちゃんとトイレもあった。
冬期閉鎖でなくて助かった。
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ホッとしたところで歩き始める。
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山頂まではわずか100m。
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この付近はキャンプ場になっているようだ。
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右奥にうっすらと筑波山(877m)が見える。
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南西には男体山(左、2484m)と女峰山(右、2483m)。
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山頂直下に巨大な石碑があった。
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ここに小手谷林道を切り開いたことを記念したもののようだ。

なんとここから富士山が見えるらしい。
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今日は天気がいいけど、この時間になるとさすがに無理だった。

さて頂上まではひと登り。
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2分ほどで登頂。
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ベンチがたくさんある。
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それもそのはず、展望が見事だ。
北西には高原山。中央左の最も高いピークが釈迦ヶ岳(1795m)、その左に中岳(1728m)と西平岳(1712m)が並ぶ。
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右に少し離れて前黒山(1678m)。これらもいずれ登りたい山だ。

北北西には那須連峰。左から白笹山(1719m)、南月山(1776m)、茶臼岳(1915m)、朝日岳(1896m)。朝日に隠れるように三本槍岳(1917m)。
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茶臼岳より右。
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茶臼岳の左。
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北東の方角。
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なだらかなピークは茨城県の最高峰・八溝山(1022m)。
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手前は萬蔵山(502m)。
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南東の方角。左奥のピークは奥久慈男体山(654m)。
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右手前は高倉山(502m)。

北に目を凝らすと、うっすら磐梯山(1819m)が。
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那須連峰と高原山の間には百村山塊。見えているのは大左飛山(1908m)。
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南の方角。ビルが見える。宇都宮あたりだろうか。
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山頂にある「愛林の碑」。
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これで、見える角度はすべて撮影終了。
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稜線に沿って、北のピーク、希望ノ峰に向かう。
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距離はわずか200m。
いったん下って、階段を登る。
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東屋のあるところが頂上。
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標高はちょうど500m。
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ここからはさっき隠れていた百村山塊の全容が拝めた。
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大佐飛山の左は、鹿又山(1817m)と日留賀山(1849m)。

宇宙基地のような電波塔。
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というわけで下山。
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ほとんど歩いていないわりには充実した眺望だった。
やはり普段行かないところへ行くと、眺めも新鮮だ。

帰りは北側の林道を下ったが、こちらはもっと凍結が激しかった。
結局、平野に下りて来るまでチェーンを外せなかった。

下界から見る那須連峰もすばらしい。
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こちらは百村山塊。
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片田の交差点に車を止め、温泉神社に参拝。
これは鳥居の手前にあるお堂。
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階段を登る。
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石碑、石仏が多い。
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鳥居をくぐる。
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小さな摂社が並ぶ。
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本殿の覆い屋。
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中に本殿がある。
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さて、これで本日は打ち止め。お風呂に向かう。
ゆけむりふれあいの丘に上がると、大田原市湯津上支所の立派な庁舎が建つ。
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その向かいが湯津上温泉やすらぎの湯。
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つるつるのお湯だった。

夕暮れの道を帰途につく。
でもお腹がすいた。栃木と言えば、やはり餃子だろう。
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目に付いた店に飛び込んでしまった。
宇都宮餃子スタミナ健太。
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名店なのかどうか分からないが、今回の目的は食じゃないので、こだわらない。
12種の食べ比べができるというセットをオーダー。1050円。
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見た目はみな同じだが、それぞれやはり味が違う。
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おいしくいただきました。

あとはひたすら高速を飛ばして帰るのみ。
幸い、渋滞もなく、8時前には帰宅できた。

(おわり)



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侍塚古墳(中)

【2016年2月11日(木)】侍塚古墳
再び、笠石神社を訪ねると、社務所が閉まっていたので、呼び鈴を鳴らした。
すると、宮司の奥さんが出てきて、「今日は建国記念日なので、宮司はたった今出かけちゃったんですよ」と申し訳なさそうに言う。
つまり、解説はできないということのようだ。
私も説明があまり長くなると困るので、「10分バージョンでお願いします」と言うつもりだったので、それほどがっかりしなかった。
説明なしだと那須国造碑の拝観料は300円、説明付きだと500円だそうだ。
さっき来た時、他のお客さんに説明しているのを後ろで数分聞いていたが、第19代宮司伊藤克夫さんの口上はなかなかの名調子であった。

奥さんが碑堂のカギを開けて、碑を見せてくれた。
国造碑
撮影禁止なので、500円で販売していた写真を購入した。
実物を見るのは、2度目である。前回のことはあまり覚えていない。

延宝四年(1676年)、磐城(福島県)の旅僧円順が那須郡湯津上村の草むらに倒れている碑を見て、「この古碑は高貴な人の石碑かもしれない」と、那須郡武茂郷小口村(旧馬頭町)の名主大金重貞に伝えたことが、大発見につながるきっかけだった。
なぜ、円順はそう思ったのか。
腰をかければ痛みを発し、馬をつなげば脚をくじく、といった不思議なことが度々あることを村人から聞いたからである。
重貞は息子の小右衛門、佐太郎とともに湯津上村に6度も通って、表面を覆っていた苔を落として判読に努めた。
そして、自著の『那須記』に草壁皇子(天武天皇の皇子)の御廟碑であるとの説を書き記したのである。

実は円順の「発見」以前より、この石碑の存在は知られていた。
内容は把握されていなかったが、笠石をかぶせて雨乞いをすれば必ず雨が降るという霊験あらたかな石碑として、近在の信仰を集めていたようである。
そういう神聖な存在であるからこそ、腰を掛けたり、馬をつないだり、粗末に扱うと罰が当たると信じられていたのだろう。

さて、ここで水戸光圀の登場である。
光圀は寛永五年(1628年)、徳川家康の十一男頼房の第三子として水戸で生まれた。
つまり家康の孫である。
寛文元年(1661年)、三十四歳で光圀は第二代水戸藩主となった。
光圀は「天下の副将軍」などと言われるが、「副将軍」という公式の職制はない。
諸大名は参勤交代が義務付けられたが、水戸藩主は御三家のうちでも参勤交代がなく「江戸定府」であったので、後世そのような名称で呼ばれるようになったらしい。

ただ、光圀は歴代藩主の中でも突出して国元に帰る「就藩」期間の長い藩主であった。
初代頼房は藩主在任53年のうち11回就藩し、水戸在留は4年3か月だったが、光圀は在任30年のうち同じく11回だが、期間は7年2か月に達している。
2人以外では三代綱條(つなえだ)が4回で最も多く、八代斉脩(なりのぶ)に至っては0回である。
光圀は就藩のたびに領内をくまなく巡村した。
こうした旅の生活がモデルとなり、供に俳人を連れて諸国を漫遊して世直しをするという講談『水戸黄門漫遊記』に発展、現代の黄門様のイメージが形成されていったのである。
ちなみに「黄門」とは中国唐代の官職で、日本では中納言に相当することから、隠居してから中納言に任じられた光圀は「黄門様」と呼ばれるようになった。
この理屈で言えば、中納言格の人物はみな「黄門」と呼べることになるが、日本で「黄門様」と言えば、水戸光圀ただ一人である。

その光圀が天和三年(1683年)六月、那須七騎の居館を上覧するため武茂郷に巡村に訪れた。
那須七騎とは江戸幕府成立に功のあった那須、芦野、伊王野、大田原、大関、福原、千本の那須に根を張る七氏のことで、光圀はこれらの旧居館を重貞宅に近い小口長峯から眺めたのである。
案内した重貞は、この時、光圀に『那須記』を献上した。
ここに記された古碑に深い関心を持った光圀は貞享四年(1687年)9月、碑の主を突き止めるための発掘調査を思い立ち、テレビドラマ「水戸黄門」の助さんのモデルとなった佐々介三郎宗淳にその指揮を命じたのである。

ここで、この碑には何が書かれているのか確認しておきたい。
碑文は全部で152文字。1行19字詰めで8行に割り付けている。
碑詳細
最初の3行にはこのように刻まれている
 永昌元年己丑四月飛鳥浄御原大宮那須国造
追大壹那須直韋提評督被賜歳次庚子年正月
二壬子日辰節殄故意斯麻呂等立碑銘偲・・・
「永昌元年(689年)四月、飛鳥浄御原の大宮(持統天皇)から、那須国造を務めた追大壹(ついだいいち)那須直韋提が評(のちの郡。すなわち那須郡)の長官に任ぜられた。その後、庚子年(700年)正月二日辰の節に亡くなったので、意斯麻呂らが碑を立てて、(以下のように)銘を刻む」といったところが大意である。以下は、韋提がどれだけ立派な人物だったかが、るる書かれている。

要するに、この碑は那須国造、那須郡長官を歴任した那須直韋提(なすのあたい・いで)が西暦700年に亡くなったため、その遺徳を顕彰するために立てられたものなのである。
建立者の意斯麻呂とは誰のことかこの碑文だけでは分からないが、韋提の息子ではないかと考えられている。
建立年代は韋提の死後そう時間が経っているとは思われないので、西暦700年頃とみられる。
ただ、上記のような解釈が光圀の頃から確立していたわけではない。

宗淳は、「直韋提」の部分を「宣事提」と読んだことから、このくだりを、那須地方の長官である「那須国造の追大壹」と、その補佐に当たる次官の「那須宣事の提評督」と解釈してしまった。
つまり、いずれも官名しか書かれておらず、肝心の碑の主の名前が記されていないと理解したのである。
「本邦の碑これより古なるはなし、奇絶世に冠たり」と絶賛していた光圀は、碑の主を明らかにすべく、墓誌を求めて、まずは碑が横たわっていた塚を発掘するよう命じたのである。
ちなみに、日本で最も古い石碑は、京都府宇治市にある宇治橋断碑で、大化二年(646年)の建立。那須国造碑は3番目に古い。

元禄四年(1691年)3月、碑を保護する碑堂の普請が始まるとともに、塚の発掘調査も行われた。
重貞が記した『那須拾遺記』によれば、石碑が倒れていた塚は深さ7尺(約2.1m)ほど掘ったが、墓誌などは見つからなかった。
このため、高さ7尺のうち3尺削って平らにし、1間四方の碑堂を建立したという。
ということは、現在の笠石神社の碑堂のある場所がまさに円順が古碑を発見した場所であり、おそらくはこの地こそが碑建立の原位置ということになる。
つまり、碑の位置は建立以来1300年以上にわたって動いていないのである。
これは実に奇跡的なことだ。

碑があった塚から何も出なかったことで、光圀は村人が那須国造の墓と伝える侍塚古墳の発掘に着手する。
それまで「発掘」と言えば、珍品を得て金に換えようとする盗掘でしかなかったが、墓の主を突き止めようとする日本で初めての学術的な古墳の発掘調査がここに行われることになったのである。

発掘調査は下侍塚、上侍塚の両古墳を対象に、元禄五年(1692年)二月に行われた。
しかし、ここでも期待した墓誌などは発見できなかった。
実は近代になってから分かったことなのだが、中国などと違い、日本の古墳には被葬者が誰かを示すような誌石などは入れないのが普通である。
見つからないのは当然だった。

しかし、いくつかの出土品はあった。
すべて木箱に入れて、埋め戻されているので、実物を見ることはできないが、記録が残っている。
光圀は忙しかったのか、墓誌が出なくてがっかりしたのか、出土遺物を見ることはなかった。
ただ、水戸から絵師を派遣して、絵図など記録は残すよう指示した。
そのおかげもあり、両古墳の築造年代は4世紀後半から末にかけて、ということが後になって判明したのである。
遺物の埋め戻しは三月一日に行われた。

当時の発掘によるものと思われる凹みが今も、前方部の墳頂に残っている。
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墳頂からは東に御亭山(こてやさん、513m)のなだらかな稜線を望むことができた。
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下侍塚古墳は昭和26年に国の史跡に指定されている。

光圀は目的こそ果たせなかったものの、古墳に対しては丁重に扱った。
発掘した場所は埋め戻し、墳丘には芝を張り、修理記念に松を植えるよう、指示したのである。
遺物を埋め戻したのも立派だが(おそらく近代の発掘では例がない)、これもまた頭の下がる行為である。
本邦初の文化財保護活動と言われるゆえんだ。
この美しい古墳をもう一度見てほしい。
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日本の考古学の父はモースなどではなく、黄門様なのである。

感激を新たにしたところで、もう一つの古墳、上侍塚古墳に向かう。
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下侍塚古墳の南800mの地点に位置する。
那須地方に現存する6基の前方後方墳の中でも最も大きく、全長114mに達する。

上侍塚の近くにも馬頭観世音が祀られていた。
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上侍塚の北約50mの場所に上侍塚北古墳が横たわる。
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全長48.5mの前方後方墳だが、ほとんど原形をとどめていない。
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上侍塚はビニールハウスに囲まれている。
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その間を縫って、近づいていく。
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ここからは銅鏡のほか、石釧、管玉、鉄鏃、鉄鉾、鉄刀、鐙の破片、高坏などが出土した。
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後方部は高さが12mもあり、傾斜も急なので、墳頂に登るにはやや骨が折れる。
墳頂からは、上侍塚北古墳や那須連峰を望むことができた。
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前方部を見下ろす。形がほとんど崩れていない。
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古墳を守った原点は光圀だが、その後も日本一美しい古墳であり続けたのは、地元の方々の尽力があった。
せっかく光圀が植えた松も明治以降は減少し、大正期に入るとハゲ山に近い状態になってしまっていたという。
戦時中は両古墳の間に飛行場の滑走路が造成されるなど、危機が迫っていたらしい。

そのため戦後になると、地元有志が松を植林したり、下草を刈ったり、保護活動に乗り出した。
現在は地元の「松守会」が継承しており、冬には害虫駆除のための「こも巻き」が風物詩になっている。
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前方部から。
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ビニールハウスの向こうに那須連峰。
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雪が若干残っていた。
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古墳と那須連峰のコラボ。
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この古墳も実に美しい。

(つづく)

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侍塚古墳(上)

【2016年2月11日(木)】侍塚古墳
仕事の関係でちょうど20年ぶりに栃木県大田原市の下侍塚・上侍塚古墳を訪ねることになった。
当時はまだ合併前なので、那須郡湯津上村だった。

本当は7日(日)に出かけるつもりだったのだが、愛車のエンジンがかからない。
入院を挟んで1か月以上、車に乗っていなかったせいで、バッテリーが上がってしまったのである。
JAFを呼んでエンジンをかけてもらい、その足でバッテリー交換のため中古車屋さんへ。
ついでにスタンドでオイル交換などしてもらっているうちにお昼を過ぎてしまい、この日出かけるのは断念せざるを得なくなったのだった。

11日の建国記念日は高気圧に覆われて、北関東も穏やかに晴れるとの予報だったので、この機に出かけることにした。
8時半前に出発。
関越道はスキー客で下り線が渋滞しているとの情報だったが、行ってみたらもう解消されていた。
所沢ICから関越道、圏央道、東北道を通って、西那須野塩原ICへ向かう。

埼玉県内からも日光連山が実に鮮やかに見えた。
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利根川を渡る。
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中央に男体山(2486m)、その左に小さく飛び出している白い突起は日光白根山(2578m)。
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右は女峰山(2483m)である。

途中、小腹が空いたので、大谷SAで休憩。
「御用邸の月」を1個買って食べた。
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御用邸とは那須御用邸のことだろう。ほとんど仙台の「萩の月」と同じ味だった。
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西那須野塩原ICで下りて、まずは駅舎コレクション。
東北本線の西那須野駅。
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駅舎の上を走るのは東北新幹線。
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駅前のペデストリアンデッキからも男体山や女峰山を望むことができた。
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こちらは高原山(1795m)。
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右は百村山(1085m)。
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地面に下りてもう1枚。
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那須塩原市の消防用マンホール。
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次の寄り道は大田原市役所。
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しかし、どこかに移転新築中なのか、仮庁舎しかなかった。
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那須与一をあしらった大田原市のマンホール。
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市街地を抜けて、旧湯津上村に入った。
まずは那須国造碑のある笠石神社に参拝する。
時刻は11:40。寄り道したとは言え、自宅から3時間以上かかった。
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平成5年建立の第18代宮司夫妻の歌碑。
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宮司「埋れて飛鳥の御代の国造碑 今ここに国の宝を仰ぎ奉る」
妻「飛鳥より那須国造の守り神 わが子五人の幸のみ祈る」
それぞれの最終学歴を書いてあるのが興味深い。
宮司は「昭和十五年栃師卒」とあるので栃木師範学校、奥様は「昭和二十年大女高卒」なので県立大田原女子高校だろう。

那須国造碑見学希望の方は社務所へとある。
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社務所へ行ってみたら、今の第19代宮司が他のお客さんに説明をしていた。
数分聞きながら待っていたが、長くなりそうだったので、出直すことにする。
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一応境内の見学だけは済ませておく。
もう1つ歌碑があった。「邦夫」とは誰のことか。
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昭和天皇が即位前にお手植えになった松。
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右が拝殿。
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その左奥にご神体の那須国造碑を保護する碑堂がある。
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摂社。
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もうお昼なのでお腹が空いてしまった。
ここらへんには何もないだろうなあ思っていたら、なんと下侍塚古墳の真ん前に「百個ラーメン」なる店があるではないか。
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営業しているので、躊躇せずここに入ることにした。

お客さんもそこそこ入っている。
当方はネギラーメン(700円)をオーダー。
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味はごく普通。手打ちラーメンということで縮れていたが、麺にコクが足りなかった。
つゆもオーソドックス。
でも、ごちそうさまでした。
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会計の時に、店の名前の由来を聞いてみたら、「1日100個限界なので、そういう名前にしたんです。手打ちだからそんなに作れないの」とのこと。
「余ることも多いんですが」と笑っていた。
確かに、こんな田舎で百食出すのは大変だろう。

お腹がふくらんだところで、下侍塚古墳の見学をスタート。
すぐ横を国道294号線が南北に走っている。
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電線がうるさいので、東側に回り込む。
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ここは「歴史の路」として整備されていた。
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下侍塚古墳は全長84mの前方後方墳。古墳時代前期、4世紀末ごろの築造と考えられている。

これは南側(前方部)から見たところ。
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元禄五年(1692年)、水戸光圀の命により発掘調査が行われ、銅鏡のほか、鉄斧、太刀柄頭、鉄刀の破片、鐙の破片、高坏、壺などが出土している。

南東から。
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真東から。右が後方部、左が前方部である。
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この古墳は、考古学者の故森浩一が「日本一美しい古墳」と折り紙をつけただけあって、確かに実に美しい。
ほとんど形が崩れていないし、墳丘の松の配置も絶妙である。

後方部のアップ。
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下侍塚の回りには、いくつかの小古墳が散在している。
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かつては10基ほどあったが、現在確認できるのは8基のみだそうだ。
一つ一つ見ていこう。
まずは一番近くにある8号墳。
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一辺約17mの方墳。かなり上部が削平されている。4世紀末ごろの築造とされる。
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5号墳。直径約27mの円墳。6世紀の築造。
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6号墳。直径約12mの円墳。
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7号墳。直径約15mの円墳。
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地元の方によると「山芋が掘れないほど、びっちり石がつまっている」のだという。

墳丘の形が分からないが、4号墳。直径約16mの円墳。
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この奥に3号墳があるが、見落としてしまった。

1号墳。全長約35~50mの前方後円墳。
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2号墳。直径約17.5mの円墳。墳頂に「山の神」と呼ばれる小祠があるそうだ。
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いずれも測量もしくは発掘調査が行われているが、遺物がそれほど多くないようである。
これで侍塚古墳群周遊は終了。
今度は歩いて、笠石神社に向かう。
国道には古い納屋や廃業?した商店が目につく。
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この佐藤商店は完全に廃業している。
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笠石神社前の交差点に、北向地蔵がたたずんでいた。
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はっきりとは分からないが、おそらく江戸時代のものだろう。
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背後にある石柱は風化が激しく、字がほとんど読めなかった。
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笠石神社前のバス停近くには、月待ちの石碑などが並んでいた。
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馬頭観世音ほか。
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意味はよく分からない。
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六地蔵。左後方に那須連峰が見える。
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中央は茶臼岳(1915m)。
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道祖神など。
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で、笠石神社に着いた。
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(つづく)
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品川宿(5)

【2016年2月6日(土)】品川宿
海徳寺から旧東海道に戻った。
美味しそうなお菓子屋さんを見つけた。
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でも、この後、ラーメンを2杯食べないといけないので我慢。

浜松市の有賀氏から寄贈された「浜松宿の松」。
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街道松の広場。
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電柱の住居表示にも「旧東海道」とあって、うれしい。
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1本右に入ると御嶽稲荷神社。
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門前すぐ横に駄菓子屋。単なるお休みなのか廃業したのか。
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このあたりはこの神社にちなみ「三岳」と呼ばれているそうだ。
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今度は三島市教育委員会から寄贈された「三島宿の松」。まだ幼樹である。
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ここも広場になっていた。
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古さを意識した看板を掲げる富田屋工業所。
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創業明治27年(1894年)の水道工事の店だ。

常行寺に寄り道。
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ここは城南小学校創立の地。
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境内は広く子供の遊び場になっている。
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赤レンガの仏堂。
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旧街道の東側には、かつて海岸だったことを示す石垣が残る。
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この先は石垣ではなく、コンクリート壁や段差として残っている。
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今度は長徳寺に寄り道。
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「品川のお閻魔様」と呼ばれているそうだ。
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閻魔堂を覗いてみた。
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山号は「泰敬山」というらしい。
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またまた街道松が出現。今度は袋井宿の松。
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このすぐ向かいから天妙國寺に入る。
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かなり大きな寺である。
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両袖をぶった切ったような山門。
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本堂。
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華道遠州流元祖本松斎一得師の顕彰碑。
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庭園も立派である。
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ここは墓地も「しながわ百景」に選ばれている。
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その中に桃中軒雲右衛門(1873~1916年)なる人物の墓がある。
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雲右衛門は明治、大正期に活躍した浪花節の名手だそうだ。
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案内板によると、得意の演題は赤穂浪士を扱った「義士銘々伝」で、レコードの普及も相まって絶大な人気を博したという。
浪花節中興の祖とも呼ばれ、浪曲史上に偉大な足跡を残した方だということである。
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関係ないけど、東京消防庁のマンホール。
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やはり小腹が空いてしまったので、さっき買った「品川宿」煎餅を1枚かじる。
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旧街道に戻って、松岡畳店。
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鮮魚「魚長」は居酒屋えいちゃんに様変わりしている。
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諏方神社にも寄り道。
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「まち歩きマップ」にある「地元の人がよく通る裏道」を歩く。
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真了寺は異国情緒たっぷり。
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再び旧街道に戻る。
銅板で作った三菱鉛筆の看板。これは珍しい。
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ここで青物横丁駅に通じるジュネーヴ平和通りにぶつかった。
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もう16時を過ぎたので、本日の旧東海道歩きはここで打ち止め。
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急いで海水湯に向かう。温泉の天神湯にすればよかったなあと後で思ったが、なんだか混んでいるような気がしたのだ。

品川警察署の前に「真浦」の説明板。
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新品川橋で目黒川を渡る。
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北浜公園前を通過。
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さっきぶらぶら寄り道しながら1時間20分近くかけて歩いた道を15分かからずに戻った。
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タオルも何も持っていないので、買わねばと思っていたら、貸しタオル(50円)があってラッキーだった。入浴料含め510円。
浴室はお年寄りで随分混んでいたので、写真撮影は断念。
石鹸もないので、体は洗わず入浴のみにする。
さすがに高齢者が多いだけに湯温は熱め。

別室は気持ち悪いくらいの緑色をした湯だった。
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玉露カテキンを配合していたからだった。
30分ほどで上がり、出発。
かなり温まったので気持ちいい。

再び荏原神社の横を通り、京急新馬場駅に向かう。
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新馬場駅は1976年の高架化に伴い北馬場駅と南馬場駅が合体してできた駅。
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その名残で普通列車しか停まらないのに、ホームが200mもある。

第一京浜の東海橋を渡る。
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もう灯りがともっていた。
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新馬場駅に着いたのは17:15。
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ここまで昼食やお風呂も含めてほぼ5時間半。10.8km歩いた。
足の方も平地を歩く分には全く問題なさそうだ。
この日履いたトレランシューズはこれまでスポンジを挟まないと、痛くて履けなかった靴だが、その点も問題なかった。
今年はハードな山も何とか行けそうな気がしてきた。

さて品川、新宿を経由して京王の幡ヶ谷駅に向かう。
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今夜は同窓会の拉麺部によるラーメンツアーが幡ヶ谷を会場に繰り広げられるのだ。
私は集合時間の10分前に到着。
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参加者8人全員そろったところで、お目当ての店「不如帰」へ。

商店街から細い路地に入ったところにあるが、人気店なので開店(18:30)前から8人も並んでいる。
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貝でだしを取った汁が売りのようだ。
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19時前になってやっと入店できた。店はカウンターだけで8人しか座れないのだ。
で、定番の醤油をオーダー。
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うん、確かに貝の味がする。新鮮な感覚だ。
でも、麺が私の好みではない。
コショウをかけたら、貝の味が消えて、普通のラーメンになってしまった。
でも、見た目より丼の底が深く、麺がたくさん入っていた。
チャーシューは私好みで大変気に入った。
総合評価は3.5といったところか。
みな黙々と食べていて、なんだか修行のようだった。

次の店は3つ候補があるらしいので、近くのモンゴル料理「青空」で“休憩”しつつ、どの店に行くか多数決で決めた。
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結果、私が行きたかった新潟ラーメン「弥彦」に決まった。
私は何度もモンゴルに行ったことがあり、モンゴル料理なるものが、それほどおいしいものではないことを知っているので、ここはとくに期待していなかったが、やはりその通りだった。
先輩が珍しがって黒蟻酒というものを頼んだら、ほんとに蟻が入ったお酒が出てきて、一同騒然。
この瞬間から、彼は「アリンコ先輩」と呼ばれるようになってしまった。

私は次のラーメンに備え、ほとんど食べないようにしていたのだが、それでもまだお腹いっぱいのまま。
でも、逃げるわけにはいかない。
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ここは、濃厚な味噌ラーメンで、それを薄めるための白いスープも付いてくる。
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二種類の味をお好みの濃さで味わえるという長岡近辺では普通の食べ方らしい。
私は、先輩女性と半分ずつシェアしてカロリーの取り過ぎを防ぐことにした。
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さすがに濃い。
満腹でなければ、もっとおいしかったと思う。やはり1杯目に食べたかった。
麺がものすごく太くて、断面積でさっきの店の4倍はあった。
今度からは、やはり1日2杯は避けようと思う。
でも、ごちそうさまでした。

(おわり)
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品川宿(4)

【2016年2月6日(土)】品川宿
品川神社から北馬場通りを通って旧東海道に戻る。
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北馬場町の由来は以下の通り。
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右手の路地を行くと本照寺だが、今回はパス。
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この近くにダンボール発祥の地があるらしい。
段ボールの最大手レンゴー株式会社の創業者井上貞治郎氏が明治42年(1909年)、初めて機械で段ボールを作った場所だそうだ。
ネット情報によると、「説明板など何もない」とあるが、さっきの観光案内所で入手した「まち歩きマップ」には「初」印が付いているので今は何か立っているのだろうか。
この路地には入らなかったので確認できていない。

通りの左側(北側)には銅板葺きの看板建築など、昭和初期と思われる建築が残っていた。
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虚空蔵横丁への入口。
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その先に正徳寺。ここも境内には立ち入らず。
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旧東海道と交差する前に、南を走る山手通りに出て、天神湯を確認。
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ここは北品川温泉を名乗る弱アルカリ性の温泉だが、料金は都の銭湯料金(460円)だった。
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地下100mで掘り当てた黒いお湯だそうだ。

北品川教会の前を通って、旧街道に出る。
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旧街道を突っ切ると竹や横丁。地名の由来は不明。
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旧東海道歩きに空白を残さないため、虚空蔵横丁の入口まで戻る。
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入口まで達したら、またきびすを返す。

そして本陣跡に整備された聖蹟公園へ。
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公園の入口に、東海道土山宿(滋賀県)から寄贈された松が植えられていた。
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本陣跡には明治5年(1872年)に警視庁病院などが置かれたこともあったらしい。
ただ当時の建物は跡形もなくなっている。これは井戸の跡だろうか。
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初代歌川広重が描いた「東都名所 御殿山花見品川全図」の陶板が地面に埋め込まれていた。
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こんな時代に生まれたかったという気持ちもないではない。

これは中庭の跡だろうか。
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公園敷地の東側にいろんな像や碑が集中している。
こちらは新聞配達の少年像「夜明け」。
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昭和24年に二宮尊徳の像が設置されたが、名誉区民の石井鐵太郎氏から「もっと少年に親しみやすいものを」ということで、昭和42年に贈られたものだという。
しかし、今や新聞少年も「親しみやすい」存在ではなくなってしまった。
作者は不明である。

その隣に、石井氏の胸像。
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酒類商を営みながら、地元の社会福祉活動に貢献された方のようだ。

御聖蹟の碑。
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本陣跡は維新後、明治天皇が明治元年(1868年)、東京へ下る際の行在所になった。
ここが昭和13年、東京市の公園になったのを機に、建立されたものだ。

碑文はすでに風化して後半はほとんど読めなくなっている。
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聖徳の碑。
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御聖蹟の碑が建立されるまでの、明治天皇品川聖蹟保存会の活動について記したものだそうだ。

旧街道を振り返り
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山手通りを渡る。
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交差点には、つぶれた三角形のような建物が残っていた。
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山手通りより南は少し雰囲気が違う。ちょっと町が新しい気がする。
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しばらく歩き続けて、くたびれたので品川宿交流館という施設で休ませてもらう。
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しかし、ここの管理を任せていると思われるおばちゃんが、店内で駄菓子屋の店番をしている若い女性に、この前に来た客のことを大声で延々と愚痴っているので、気が休まらない。
仕方ないので早々に立ち去ることにした。
客商売をしているなら、客のいる前で他の客の悪口は言わない方がいい。

「まち歩きマップ」にある「石畳」というのを確認したくて、該当する路地に入ったのだが、どうも見当たらない。
その代わり、かつての土地の高低を示す石垣を発見した。
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ここは山側の方が1.5mほど低くなっている。

いったん旧街道から離れ、陣や横丁を下って八ツ山通りに出る。
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(陣や横丁の廃屋)

近くの寄木神社に参拝。
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品川猟師町鎮守で、本殿の伊豆長八の扉絵があるとのことだが、よく分からなかった。
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かつては、門前のすぐ先が海だったのだろう。

海だったと思われる場所に、銭湯の海水湯があった。
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海水を使っているのだろうか。このあたりはかなり汚いだろうから、それはあるまい。

品川宿は銭湯が多い。これで3か所目だ。
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帰りはここで温まってから、夜のラーメンツアーに合流しよう。

洲崎公園を横断して、旧街道に戻る。
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(かっぱの碑)

ここにも井戸を発見。でも水は出なかった。
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この個人宅の井戸は現役なのだろう。
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名前は分からないけど、わりと雰囲気のある横丁。
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北品川最後尾のお店たち。
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品川橋を渡る前に、北品川宿を振り返る。
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北品川と南品川を分ける目黒川にかかるのが、この品川橋。
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でも、まだ渡らずに、川に沿って上流へ少し歩く。
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すると、荏原神社が見えてくる。
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ピンクの寒緋桜が満開だ。
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東海七福神めぐりの恵比寿様。
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まずは参拝。
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ここも明治天皇にゆかりの場所のようだ。
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立派な神楽殿もある。
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改めて、ゆっくりと寒緋桜を愛でる。
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咲き方は八重桜に似ているが、もっと控えめだ。
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神社の目の前にある鎮守橋を渡る。
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先代の鎮守橋の擬宝珠が保存されていた。
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橋の上から東に品川橋を望む。
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渡ったら、川沿いを品川橋へ。
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街道歩きに空白を作らないため、品川橋を渡り直す。
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橋の上の歩道は公園っぽく整備されている。
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橋詰には、かつては交番だったようにも見える小さな建物が残っていた。
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このあたりは百足河岸と呼ばれたらしい。
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さて、南品川宿を歩くとしよう。
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無名の路地。
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左手奥に海徳寺。
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参道に古い石碑、石仏が集められている。
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軍艦千歳殉難者之碑。
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明治39年(1906年)12月9日、品川沖に投錨する軍艦千歳へのはしけが突風のため転覆、千歳の乗組員65人ら計83人が死亡するという事故が起きた。
殉難者の大法会はここ海徳寺で催され、13回忌にあたる大正8年(1919年)、この碑が建立された。
揮毫は、千歳の元艦長だった海軍大将山屋他人である。

境内のたたずまい。
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ここにはホームラン地蔵なるものがあるらしいが、見つけられなかった。
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約250年前の本堂。
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旧街道より1本西よりの道を、旧街道と勘違いして南へ進む。
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地図と様子が違うので、間もなく勘違いに気付いたが、空白を作らないため、また戻ることになってしまった。

(つづく)



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品川宿(3)

【2016年2月6日(土)】品川宿
旧東海道に面した一心寺に参拝。ここは江戸三十三観音の第三十番札所にあたる。
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正式名称は豊盛山延命院一心寺だが、成田山新勝寺の不動明王の分身を本尊としているので、成田山とも呼ぶらしい。
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その不動堂の再建記念碑があった。
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嘉永七年(1854年)、井伊直弼が国家鎮護のため台場を築いた、ここ品川の地に開山したとのことである。
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ゆるやかにカーブを描いた石畳が美しい。
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ちょうど向かいにある虚空蔵横丁にも寄り道する。
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沿道にある養願寺に虚空蔵菩薩が祀られているため、そう呼ばれるようになったそうな。
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しゃれた店があるかと思えば
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ちょっと驚くようなネーミングの店も。
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入ってみたいが、当然ながらまだ開店前。

突き当りが養願寺。
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ここは参拝せず、素通り。
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左にはレンガ塀の道が続いている。
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この界隈にはあちこちに赤レンガの塀や壁が残っているが、多くは品川白煉瓦社製のものではないかと想像している。
同社は明治8年(1875年)の創立。ガス灯のための耐火レンガの製造を目的に設立された。
「白煉瓦」という社名だが、建築用の赤レンガも製造しており、東京駅の赤レンガはすべて同社が供給したものだったという。
現在は、JFE炉材と合併して、「品川リフラクトリーズ」となっている。

私は直進。すると、左手に歴史のありそうな旅館「静正」。創業60年だそうだ。
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ネットで口コミを見ると、外国人のコメントしか載っていない。
料金は1人1泊4000円とのことで、おおむね好評だ。
東京で宿が取れなくて困っている人には、ここを紹介しよう。
私も興味はあるが、泊まる理由が見つからない。

さらに進むと、北品川公園にぶつかる。
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このあたりはかつて小泉長屋と呼ばれていたようだ。
由来は看板の通り。
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公園を囲むように、いくつか井戸がある。
これは壊れているが
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こちらは現役。押してみたら、ちゃんと水が出た。
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でも飲用水としては不適のようだ。
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この向こうに於春稲荷神社。
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神社の名称は、姑にいびられて、この近くにあった池に身投げした於春に由来するという説と、品川大火の際に消火に活躍した娘が於春だったという説があるそうだ。

地面にはチョークで地元商店街の絵地図が書かれていた。
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最近こうした落書きはとんと見かけなくなっていたが、品川にはまだ昭和がたっぷり残っている。

なぜか北海道の地図が書いてあったのも、うれしかった。
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北馬場通りに出て、京急線のガードをくぐる。
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すると第一京浜をはさんで正面に品川神社が姿を現す。
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巨大な大黒天がお出迎え。品川神社は東海七福神めぐりの一つだ。
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同社は文治三年(1187年)、源頼朝が千葉県館山の洲崎明神から天比理乃●(口へんに羊)命を勧請したのが創始とされる。双龍の鳥居は初めて見た。
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家康が関ケ原の戦いの前に戦勝祈願したことでも知られる。
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東京都が「都民の日」30周年を記念して1982年に実施した「新東京百景」にも選ばれた。
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脇の石段から登ることにした。
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ここも富士塚の一部なのだろうか、溶岩も交えて組んである。
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境内には様々な石碑が林立していた。
こちらは「八名勝入選」の碑。
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「新東京八名勝」は東京市が昭和7年11月1日、隣接5郡82町村を編入して15区から35区になったのを記念し、報知新聞が行った企画だ。
品川神社は第3位で、他は1位から順に池上本門寺、西新井大師、北品川天王寺、日暮里諏訪神社、赤塚松月院、目黒祐天寺、洗足池、亀戸天神だった。

恩賜養老杯碑。
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昭和3年に昭和天皇から長寿者に養老杯が贈られたことを記念したものである。

包丁塚。
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品川区鮨商組合連合会が発足25周年を記念し、昭和51年に建立した。

東海七福神めぐり発祥の碑。昭和26年建立。
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その50周年記念碑。読めない。
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こちらの角柱には「天地開闢 大日本大社廻」「神社仏閣 四國四拝」と大書してある。
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「応需 勝安芳 之」とあるので勝海舟の筆のようだが、真意、由来はよく分からない。
明治26年の建立である。

御嶽神社。
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品川三笠山元講建立の石碑。今も活動しているのだろうか。
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さて、社殿に向かおう。
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その前に神楽殿。
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戦火は免れたようだが、老朽化のため昭和39年に現在の社殿が再建された。
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右手奥には鳥居が並ぶ阿那稲荷神社。
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大砲型の忠魂碑と祖霊社。
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社殿の後ろに回り込み、板垣退助(1837~1919年)の墓に向かう。
墓の入口に、「秋の日に・・」と刻んだ句碑がたたずむ。
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鈴木安五郎の名があるが誰かは不明。
検索すると相模国の石工として名があるが、まさか句碑に石工の名は彫るまい。

その奥に乾庄右衛門信武の墓。退助の祖父にあたる人物だそうだ。
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右が退助の墓。太い。
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その右手に退助が暴漢に襲われた時に、発した言葉の碑が立つ。
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「板垣死すとも自由は死せず」
明治15年(1882年)4月6日、当時自由党の党首だった板垣退助は岐阜市内で暴漢に襲われた。
命に別状はなかったが、胸や手などに7か所も刺し傷を負った。
この時、板垣は「板垣は死すとも自由は亡びませぬぞ」と叫んだとされている有名な言葉だ。しかし、本人が後に「アッと思うばかりで声も出なかった」と書いているので、この言葉はそばにいた内藤魯一が叫んだ言葉だという説もあるそうだ。

確かにかっこよすぎる気もする。
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揮毫は元総理大臣の佐藤栄作である。

品川神社の狛犬。石工は品川の清三郎。
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境内にある浅間神社。
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こちらにも参拝。
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奥には富士塚「品川富士」が見える。
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浅間神社の狛犬には富士山が彫り込まれている。
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山麓には「ぶじかえる」。
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いよいよ登山開始。
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大量の石が積み上げられている。
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この富士塚は明治2年(1869年)に品川宿の丸嘉講社によって造られたそうだ。
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第一京浜の開削に伴い、大正11年(1922年)に現在地に移されたとのことだが、もともとはどの辺にあったのだろう。

頂上は広場状になっている。
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見晴らしはすこぶるよい。
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眼下の第一京浜の向こうに京浜急行線が走り抜けていく。
昔は東京湾もよく見えたのだろう。

品川神社の鳥居方面に下山する。
石段5段くらいごとに合目が減っていく。
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こちらが、鳥居側の登山口。
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こちらから登り直している、几帳面な家族連れがいた。

(つづく)
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品川宿(2)

【2015年2月6日(土)】品川宿
旧東海道品川宿を散策中。
土蔵相模跡の先、西に延びる路地は大横町(大横丁)と呼ばれる。
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御殿山に向かう道で、ほかの路地より道幅が広かったので、そう呼ばれたらしい。

沿道には、銭湯がまだ現役だった。
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ここから北に入ったさらに狭い路地(旧街道に並行した道)に、ユニークな居酒屋を発見した。
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雑誌やテレビで紹介されたことが何度もあるようだ。
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つゆ焼きそばを食べたかったが、残念ながら、この日はランチの営業はしていなかった。

その並びには「医道五十三次」なるドクターズレストランバー。
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医者しか入れないのだろうか。単価は高いかもしれないが、客は限られてしまうなあ。
それともお医者さんごっこができる、いかがわしい店なのか。
興味津々である。

大横丁から旧街道に戻ってきた。
昭和初期の建築と思われる星野金物店。
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お腹がすいたので、そば屋に入ることにした。
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メニューはいろいろあったが、せっかく品川なので「品川宿そば」(980円)をオーダー。
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出てきたものは、全く予想に反するものだった。
まず、汁がそばつゆではない。ごま油も入ったピリ辛のたれだ。
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しまった、失敗した。と思ったが、意外にイケた。
アサリのトッピングがうれしい。
そばを半分食べたら、生卵をたれに入れると味がまろやかになるというので、指導の通り、そのようにいただいた。
まあまあ美味しかったが、1回食べればいいかなって印象だった。

お腹が膨らんだところで、台場横丁を下り品川浦方面に寄り道。
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幕末に築かれた御殿山下台場に下っていく道なので、そのように呼ばれたそうだ。

沿道には、品川消防団の器具置場。
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下りきったところを旧街道に並行して走る通りが八ツ山通り。この道に沿って、品川浦公園がある。
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品川宿は古くから漁業基地でもあったが、1968年に埋め立てられて、旧目黒川の長い漁撈の歴史に幕が下ろされるにあたり、往年を偲ぶ場として、この公園が作られたそうだ。

公園に隣接して、利田(かがた)神社がある。
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ここは寛永三年(1626年)に東海寺の沢庵和尚が弁財天を勧請したのが始まりとされる。
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このあたりは南品川宿名主の利田吉左衛門によって、安永三年(1774年)から天保五年(1834年)にかけて開発されたことから利田新地と呼ばれ、この神社も利田神社と呼ばれるようになったそうだ。
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狛犬は明治38年に、新地の有力者が寄進したもの。
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神社の裏には寛政十年(1798年)5月に暴風雨のため品川沖に迷い込んだ鯨を供養する鯨塚がある。
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体長16.5mに達する大鯨で、江戸中の評判となり、時の将軍家斉が浜御殿(現在の浜離宮恩賜公園)で上覧するという騒ぎになった。
この碑は明治になってから作られた2代目で、この下に鯨の骨が埋められているという。

古い鯨塚は碑文が剥がれてしまっているので、隣にその碑文を再現した新しい鯨碑がある。
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こちらは鯨塚の由来を記した昭和44年建立の碑。
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「江戸に鳴る冥加やたかしなつ鯨」(谷素外)の句が紹介されている。

品川浦公園にある鯨のモニュメント。
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このすぐ先に品川浦の船溜まりがある。
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かつての海岸線に近い場所だ。

この入り江を北品川橋で渡る。
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竣工は大正14年(1925年)9月。
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北側には大型の屋形船が停泊している。
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高層ビル群を背景にすると、ちょっとおもしろい景観だ。
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こちらは釣り船。
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この界隈はお寿司屋さんや屋形船の店が軒を連ねている。
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あまり街道をはずれても何なので、切りのいいところで引き返す。
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かつて品川台場があった場所に建てられた品川区立台場小学校。
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校門前に、台場があったことを示すモニュメントがあった。
嘉永六年(1853年)のペリー来航を期に、幕府は江戸を守るため品川沖から深川洲崎にかけ11基の台場を築くことを決定した。
その指導には、先ごろ世界遺産に登録された韮山反射炉を築いたことで知られる江川太郎左衛門英龍があたった。
ただ、第1~3、5、6の台場は完成したが、第4と7は途中で工事は中止され、第8以降は着工されなかった。
その代わり、陸続きのこの場所に五角形の御殿山下台場と呼ばれる砲台が築かれた。
明治になって回りも埋め立てられて姿を消したが、台場の輪郭は道路として残っており、今でもその形と大きさを体感することはできる。
今回は時間の都合もあり、省略してしまったが。
台場跡からは当時の石垣が発見され、灯台のモニュメントはその石垣の上に建てられた。
明治3年(1870年)、第二台場に日本で3番目に洋式灯台として作られた灯台がモデルになっているそうだ。
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実物は国の重要文化財として愛知県犬山市の博物館明治村に移転されている。

さて、再び旧街道に戻る。
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日本橋から2里の地点であることを示す道標。
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ここは品海公園ということになっている。
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品川宿は東海道の玄関口として栄え、宿内の家屋は1600軒、人口は7000人に達していたという。
今の道幅は江戸時代と変わらないのだそうだ。
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この看板の写真を撮ろうとしていたら、目の前を小学4年生くらいの女の子が自転車でやってきたので、どうぞと促したら、目の前で止まってしまった。
靴ひもが自転車のチェーンにからまって回らなくなってしまったのだ。
自分では取れない様子なので、取ってあげた。
友達に「靴ひも結ばないからだよ~」と言われていた。
確かにひもがほどけたのではなく、両足とも全く結んでいなかった。
これは危ない。事故にならなくてよかった。

喜楽寿司の向かいからまた路地に入る。
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伊豆の長八の鏝絵(こてえ)があるという善福寺。
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これが本堂。
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一部剥がれているが、龍の鏝絵が残っていた。
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嘉永7年(1854年)寄進の雨水桶。
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老舗のお煎餅屋さん「あきおか」で「品川宿」という大判の煎餅を2袋購入。
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これは今夜のラーメンツアーに集まる同窓生たちへのお土産だ。

引き続き、法善寺に立ち寄る。
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ここはもともと品川小学校があった場所である。
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境内は広い。本堂に向かって右側に杉森稲荷が鎮座する。
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中世の板碑や五輪塔などの説明が書かれていたが、中を覗くと近世の石仏ばかりだった。
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レンガ造りなのは、明治期にレンガ工場が品川に建てられたからだろう。

その右に流民叢塚碑がある。
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これは天保の大飢饉で亡くなった方々を祀る供養塔である。
案内板によれば、当時、品川宿には農村などから流浪してくる人が多く、病や飢餓で倒れる者が891人に達した。
このうち法善寺には500余人が埋葬され、円墳状の塚が築かれた。
流民叢塚碑は明治4年(1871年)に、その塚の上に建立されたものである。
その後、昭和9年(1934年)に境内が整備された折り、同じ場所にコンクリート製の納骨堂が建てられ、碑もその上に移されたとのことだ。

品川区の天然記念物に指定されている大イチョウ。
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明るい布袋様。
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本堂の側面はレンガで覆われている。
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巨大な萬霊塔。
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街道に戻り、少し進むと左手に溜屋横丁。
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ここは覗くだけに留める。

街道にはいい感じの店がちらほら。
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丸屋は履物のお店だ。

(つづく)
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品川宿(1)

【2015年2月6日(土)】品川宿
まだ山には行けないが、ちょっと長めに歩く練習として、旧東海道に出かけた。
日本橋が起点だが、そこから歩くとずっと繁華街の中になるので面白くない。
よって品川から歩くことにした。
川崎くらいまで歩けるかなあと思ったが、いろいろと寄り道しているうちに、結局品川宿から脱出することすらできなかった。

10時半前に自宅を出発。
JR品川駅に着いたのは11:45頃。
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駅前の横断歩道を渡り、さっそく第一京浜を南に向かって歩き始める。
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すぐ、右手に高山稲荷神社が現れた。
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創建は不詳だが、500年ほど前に京都の伏見稲荷から勧請されたと言われる。
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高輪の小高い丘陵の上に建てられたので、「高山」と呼ばれるようになったらしい。
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もともと二百数十段の階段があったが、関東大震災に伴う道路拡張により、現在地に移転したとのこと。
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江戸時代には、品川沖を行く船の目標となっていたという。
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第一京浜は高台のへりを走っており、傾斜地がコンクリートで固められている。
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左手には、品川駅港南口に展開する超高層ビル群。
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学生時代、高島屋の配送のバイトでよく港南口に通ったのだが、当時の風景とはまるで一変してしまった。

さて「登った山」を稼ぐべく、御殿山に登りたいのだが、ずっと堅固な石垣が続いていてなかなか入口が見当たらない。
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左手の八ツ山橋も通り過ぎ、新八ツ山橋に至っても、石垣は途切れない。
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どうなっているんだろうと思いつつ、我慢して歩き続けると、三菱開東閣と書いた立派な門が現れた。
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御殿山は公園のようになっていると勝手に想像していたが、その多くが三菱に囲い込まれていたのだった。

引き返そうかと思ったが、すぐ先に御殿山交番が見えたので、一応確認してみた。
「あのお、御殿山って山はあるんですか?」
「山はないですね。このあたり一帯を御殿山と言います」
ここのおまわりさんは親切で、御殿山のことをいろいろと教えてくれた。
お礼をして辞去する。

御殿山の歴史は調べてみると、面白い。
もともとは太田道灌が江戸城に入る前に城を築いた場所で、徳川の時代になると、歴代将軍の鷹狩りの休息所として長く使用されていたらしい。
しかし、元禄十五年(1702年)の大火で御殿が焼失してしまい、休息所としての寿命はそれでおしまい。
ただ、それ以前から桜の移植が行われており、桜の名所としての御殿山は健在であり続けた。
幕末には、品川沖のお台場建設のための土取り場となり、山の北側はかなりえぐられてしまった。
開国後は諸外国の公使館の建設用地となり、文久元年(1861年)に尊王攘夷派による英国公使館焼き討ち事件が発生した。

しかし、これらの舞台は三菱開東閣がある場所ではなく、都道317号(八ツ山通り)をはさんで南側の高台のようで、開東閣がある丘は八ツ山と呼ばれていたようだ。
御殿山の名を冠したマンションや施設は開東閣がる港区高輪4丁目から品川区の北品川3~5丁目にまたがっているので、ややまぎらわしい。

交番まで来てしまったので、開東閣を西から回り込んで、一周してもう一度八ツ山橋あたりに出ることにする。
坂を登ると、ソニー労組の看板のある小さな建物があった。
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ソニーの本社は現在、品川駅の東側に移転しているが、かつてはここ御殿山地区にあった。
当時はソニー関連のたくさんの建物がこの周辺に密集しており、「ソニー村」と呼ばれていたそうだ。
今ではソニー関連の建物はほとんど売却されているので、労組事務所は「ソニー村」の貴重な遺産である。

右手に開東閣の門が開かれていたが、さすがに中に入るのはためらわれた。
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奥に見える石造りの建物が、いわゆる旧岩崎家高輪別邸だろうか。

一般には公開されておらず、敷地には鬱蒼と木々が生えているので、外からはうかがい知ることはできないが、こんな建物のようである。
開東閣
明治22年(1889年)、岩崎久弥が伊藤博文からこの土地を購入、岩崎弥之助が明治41年(1908年)に建てたものだという。
戦災で内部はかなり焼けてしまったが、修復されて現在は三菱グループ29社で管理しているとのこと。

この門前あたりに24.1mの三角点があるはずなのだが、発見できなかった。
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この高台の北面は削られて、垂直な崖になっているが、かなりおおげさな階段が設けられていたので、そこから下りることができた。
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下りた先は港区立高輪南町児童遊園。
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この階段は完全に付近住民の生活道路になっていた。

第一京浜に戻ろうとしたら、忽然とヨーロッパ風の町並みが出現した。
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高輪プリンスガルテンというところらしい。
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ドイツ・ローテンブルグの街並みを再現したのだそうで、結婚式場があったり、高級レストランがあったりする。
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ほんの一画のみなのだが、外見だけは少なくともそれらしい。
全く、ここの存在は知らなかったので、びっくりした。

さて、やっと振りだしに戻った。
八ツ山橋から、旧東海道歩きの始まりである。
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現在の橋は昭和60年3月に竣工したものだが、初代の橋は大正3年(1914年)に架けられた。
当時の欄干が橋詰に保存されている。
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この橋から南の品川教会方面を望む景観が「しながわ百景」の一つに選ばれている。
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奥の高層ビルは御殿山ガーデン、右の緑は開東閣の森。

山手線、京浜東北線、東海道線、東海道新幹線などが居並び壮観な眺めだ。
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逆方向では京急線がJR各線をまたいでいる。
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少し進むと、京急線の踏切を渡る。
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ちょうど電車が通過。
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さあ、いよいよここから品川宿に入る。
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落ち着いたたたずまいの店が、今も旧街道の雰囲気をほんの少し醸し出している。
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問答河岸の碑。
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3代将軍家光が、この近くにあった波止場から東海寺に向かう時、出迎えた沢庵和尚と問答をしたとの故事にちなむ。
将軍「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」
和尚「大軍を率いても将(小)軍というが如し」
なるほど、うまい。

ちょっと街道を外れて、北品川駅に寄り道。
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「品川駅より南にあるのに、なぜ北品川?」とよくクイズになる駅だが、答えは簡単。
本来、品川と呼ばれていた地域の北側に位置することによる。
もともとは、1904年に京急の前身である京浜電気鉄道の品川駅として開業した。
すでに1872年に開業していた現在の品川駅とはかなり離れているにも関わらず、同じ名を名乗ったようだ。
その後、京浜線が現在の品川駅前にあたる高輪駅まで軌道を延伸したのに伴い、なぜかこのタイミングで「北品川」と改称した。
当時の住居表示としては「荏原郡品川町大字北品川宿」であり、もっと南には「南品川宿」の地名もあったので、品川駅の南だからといって「南品川」とは名付けるわけにはいかなかったのだろう。

北品川駅は第一京浜に面している。
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駅前の昭和レトロな喫茶店が今も現役だった。
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旧街道に戻る路地を清水横丁という。
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かつて、このあたりに磯の清水と呼ばれる名水が湧いており、北品川宿の半数以上の家でこの井戸の水を用いていたことにちなむという。
磯というくらいだから、海はすぐ近くだった。
当時は、街道の東側の町並みのすぐ裏がもう海辺だったのだ。
今では東京湾に出るまで3km以上もある。

この横丁付近にも、いい雰囲気の店がいくつかあった。
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街道に戻ると、土蔵相模の石碑。
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土蔵相模とは、品川宿を代表する旅籠だった「相模屋」の俗称である。
往来に面した部分などが土蔵造りやなまこ壁だったので、そう呼ばれたという。
ここが有名になったきっかけは、文久二年(1862年)11月、高杉晋作や井上聞多(のちの馨)ら長州藩の尊王攘夷派のグループが外国人襲撃の謀議を練った場所だったからだそうだ。
この建物は戦前まで貸し座敷「相模楼」として存続。当時の再現模型が品川区立品川歴史館に展示されているとのこと。
戦後は、木造モルタルに改築され「さがみホテル」として1982年まで営業していた。
フランキー堺主演の映画「幕末太陽傳」(昭和32年)のファーストシーンで、「さがみホテル」の本物が映っているらしい。
まだ、そのころはもっと旧宿場町の面影を残していたに違いない。

今はせいぜいこんな感じである。
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(つづく)
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早稲田界隈

【2015年1月31日】早稲田界隈
2週間にわたる入院のせいで月間出勤日数が足りず、本日は無理やり休日出勤。
一応仕事はあったのだが、2時間ほどで終わってしまったので、職場には誰もいないし、引き上げることにした。
ただ、まだ日も高いし、このまま真っすぐ帰るのはもったいない。
2月末まで本格的な登山は禁足にしてあるので、都内の超低山でも登ってから帰ろうと、検索したら、戸山公園の箱根山(45m)が引っかかってきた。
そうだ、そんな山が確かにあった。
山手線内の最高峰である。
なんと、地下鉄の早稲田駅から歩いて行ける。通勤ルート上ではないか。
即決で、そこに寄ってから帰ることにした。

午後3時頃、早稲田駅に降り立ち、何やら賑わっている穴八幡宮の手前を左折。
緩やかな坂を登っていく。
すると間もなく戸山公園の標識が現れた。
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意外に近い。

すぐ先の道路を横断。その名も箱根山通り。
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戸山公園は2地区に分かれており、こちらは「箱根山地区」というらしい。
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園内にはグランドもあり、野球少年たちの元気な声が響き渡っていた。

せせらぎ広場を横に見ながら、奥へと入っていく。
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花の広場を過ぎると、箱根山の入口。
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もう目の前に、こんもりした高まりが見える。
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ふもとをしばらく巻いて歩く。
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山頂には人影が見える。“登山者”もそれなりにいるようだ。
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すぐには登らず、まず山腹の“中間道”を1周する。
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階段以外にも踏み跡があるが、ツツジを荒らすのでやめてね、との標識。
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箱根山の全景。
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説明板があったので、お勉強タイム。
この周辺はかつて源頼朝の御家人和田義盛の領地で、和田村と外山村に属していたことから、和田外山と言われていた。
寛文八年(1668年)に尾張徳川家の下屋敷となり、約45万㎡にわたる広大な敷地は「戸山荘」と呼ばれるようになった。
邸内には回遊式築山泉水庭が設けられ、巨大な築山(玉円峰)が築かれた。
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それがこの箱根山である。
明治維新後は陸軍戸山学校用地となり、戦後はその一部が公園化された。
玉円峰は明治以降、誰言うともなく「箱根山」と呼ばれるようになったという。
庭園に小田原宿を模した町並みが築かれたというので、おそらくそこから見える山ということで、そう呼ばれるようになったのかもしれない。
尾張藩下屋敷を偲ぶ唯一の遺構である。

さらに周遊。
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階段は全部で東西北の3か所ある。
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私は西口から登った。
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頂上には、44.6mの三角点。
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桜の時期になると山頂で花見の宴を繰り広げる人がいるらしいが、「禁止」とのことである。
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また、近くの事務所で「登頂証明書」も発行してくれるらしい。
ご希望の方はどうぞ。

まわりは木々に囲まれ、眺望は必ずしもよくない。
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東側には都営戸山ハイツアパートが並んでいる。
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南側には戸山教会。
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下山は東側の階段から。
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戸山ハイツアパートの給水塔?が見える。
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西山麓に「箱根山 陸軍戸山学校址」の石碑があった。
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ちょっと教会にも立ち寄ってみた。
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宗派は日本基督教団。
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建てられたのは1949~50年にかけてのことらしい。

地下部分は堅固な石積みの造りである。
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GHQが都の建設局に敷地提供を命じて建てたものだそうだ。
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帰りは戸山ハイツの脇を通って早稲田駅に向かう。
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戸山ハイツは陸軍戸山学校の跡地に木造の都営住宅が建てたのが始まり。
戦後初の大規模都営住宅で、昭和40年代に高層化されたという。
戸山公園を取り囲むように35棟が並んでいる。
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都営アパートはどこも住民の高齢化が進んでいるようで、1階の商店街は転業したり廃業したりしてしまった店が多い。
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それにしても、公園利用者なのか、このあたりで立ち小便をする不届き者が少なくないらしい。こんな注意書きを見つけた。
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ただ、正確に言うと、箱根山にはトイレはない。戸山公園にある。
それに、「大」はここでしてもいいようにも読めてしまう。

早稲田大学に近づいてくると、こんな落書きが。
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「馬超」って何のことか分からなかったが、「孫権」の名が出てくるので、三国志の時代の人物だろうか。
調べてみると、やはりそうだった。蜀の将軍で曹操に反乱を起こして敗れた人物らしい。
なぜそれが早稲田なのか。
これって、早稲田の人自身が書いているように読めるが、「お前は孫権」の「お前」が誰なのかも気になる。
いずれにしても謎である。

穴八幡宮まで戻ってきた。
随分賑わっているのが気になって、ちょっと覗いてみることにした。
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ここは「高田馬場の流鏑馬」の起源となった神社である。
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露店が並ぶ参道を登ると、拝殿には大行列。
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いったい今日は何があるんだ?。
これも調べてみたら、冬至の日から節分の日にかけて、お金にご利益がある「一陽来復」の御守を授かることができるらしい。
これは江戸時代から続く風習のようだ。
それで、期間中の休日はこんな人出になるわけだ。

私もお金は欲しいが、「並ぶ」のがとにかく嫌いなたちなので、もちろん御守は断念。
布袋様にだけ、ご挨拶して街に戻る。
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あとは、早稲田の学生が行くような安い大衆酒場で1杯だけひっかけて帰りたい。
そんな店を探して、ちょっとその辺をうろついてみた。

穴八幡宮の鳥居前。そのはすむかいに元近衛騎兵連隊、大隈重信がひいきにしていたらしい三朝庵というそば屋があった。
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でも、ここは何となく高そうなので、とりあえずパス。

早稲田通りを早稲田駅まで戻って左折するも、何もない。
早大通りに出て右折、また早稲田通りに戻ることにする。
途中、右手に銭湯を発見。鶴巻湯。完全なビル型銭湯だ。
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しかし、当方は風呂より酒だ。

このすぐ先で今度は天祖神社を発見したので、ついでに参拝していく。
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天祖と言えば、奥多摩の天祖山(1723m)を思い出すが、その系列なのだろう。
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案内板によれば、天和二年(1682年)に榎町からここに移されたとのこと。
当時、このあたりは一面のミョウガ畑だったらしく、「茗荷畑の神明宮」と呼ばれていたそうだ。
昭和20年の空襲で焼けたが、昭和41年に再建された。

早稲田通りに出て、また早稲田駅に戻るが、一向に飲み屋は見つからない。
昔、見覚えのある学生街みたいなの探しているのだが。
それはぐるっと一周して、三朝庵から北東に下りる道にあった。
グランド坂と呼ばれる道だ。
しかし結局ここにも何もなかった。
ちょっとそそられたのは、このレトロは洋服屋さんだけ。
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でも、ここでは飲めない。

とうとう正面に大隈講堂が見えてきた。
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前庭に早稲田の校歌「早稲田の栄光」歌碑。
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創立70周年を記念して、昭和22年に作られた歌だそうだ。
作詞は西条八十、作曲は芥川也寸志。
私の母校ではないので歌えない。

うろうろしている間に本格的にお腹がすいてきてしまった。
もう酒は諦め、ラーメンに方針を切り替える。
また、早稲田駅へ戻るのも面倒なので、都電の早稲田駅方面に向かう。

新目白通りに面して、面白そうな油そばの店があったので、思い切って入ってみた。
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「武蔵野アブラ学会」早稲田総本店である。

店内はかなり狭い。1人なのでカウンターに案内されたが、席の1人分の幅が体の幅より狭い。
客は数人いたが、みな学生風。
私は600円の油そばを注文した。とりあえずは定番で。
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油そばを食べるのは初めてだったが、汁がないことにびっくり。
まずくはなかったが、やはり汁があるラーメンの方が好きなので、もう油そばは食べないだろう。

お腹もふくらんだところで、都電に乗る。
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近くには、なつかしいフレーズのたばこ屋さん。
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ショッキングピンクの電車がやってきた。
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さて、どこまで乗ろうか。
西武線には池袋から乗ることにして、雑司ヶ谷で下りることにしょう。
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駅4つ分だ。

5分ほどで到着。
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目の前の通りを西に進む。すると、また布袋様。
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今日は随分と縁がある。布袋尊は千客万来、商売繁盛の神様なので、取りあえず手を合わせておく。

明治通りに出る1本手前の道を右折すると、立ち呑みの店を発見。
「かぶら屋」という看板。チェーン店のようだ。
カウンターしかないような大衆酒場が第一希望なのだが、もうそんなことは言ってられない。
ここならほんとに1杯で済みそうなので、思わずのれんをくぐってしまった。
静岡起源の店のようで、メニューには黒おでんが豊富。
私は熱燗と大根、さつま揚げを注文。
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このあと、しらたきも頼んで、お会計は確か720円だったかな。
さっきの油そばの量が少な目だったので、これでお腹もちょうどいい具合。

随分と寄り道してしまったが、7時前には帰宅。
箱根山以外は何も決めずに歩き始めたが、いろいろと発見があってなかなか面白かった。

※所要時間:約2時間半
※登った山:1座(箱根山)
※歩行距離:不明
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入院

昨年1月に右足首を骨折してから、まる1年。
骨を固定していたプレートを抜き去る手術を1月13日(水)に受けることになった。
入院期間は12~15日の3泊4日の予定。
週末は自宅療養して、翌週月曜日18日から普通に出勤できるとばかり思っていた。
だが・・

12日朝に入院のため所沢市内の西埼玉中央病院へ。
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この日は個室でのんびり過ごし、夜9時から絶食に入る。
夜はよく眠れた。
翌朝は浣腸。私はこれが嫌いだ。
3~5分我慢するように言われたが、とても我慢できるものではない。
トイレで控えていていいですよと言われたのを救いに、便座にまたがったら、あっという間に出てしまった。たぶん1分も辛抱できなかった。
しばらくは出し切るまで腹痛との闘い。
15分ほど脂汗を流した。

手術は午後2時からと決まり、1時半すぎに歩いて手術室に向かう。
麻酔をかけられたら、あっと言う間に眠りに落ちてしまい、気づいたらもう病室に着いていた。
1か月前の術前検査のとき、局部麻酔と全身麻酔どちらにするか担当医に聞かれた。
自分としては、手術そのものを見たいので、局麻志望だったのだが、その場合、尿管カテーテルを入れることになるというので、迷わず全麻を選択した。
あれは抜くときが痛くていやなのだ。

看護士さんに時間を聞くと、4時半だという。
手術は1時間で終わると言われていたのに、やけに長かったんだなと思ったが、それより何より、切った部分が痛む。
痛み止めの座薬を入れてもらって、徐々に痛みは和らいだが、とにかくしばらくは何もせず横になったまま耐えていた。

ちなみにこれが抜去したプレート。
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6時を過ぎて、痛みもほとんどなくなり、意識もはっきりしてきたので、取りあえず各方面に無事手術を終えたことをSNSやメールなどで報告した。
やれやれと思っていたら、執刀医が病室にやってきた。
「骨はしっかりつながっていて問題ないが、感染症の恐れがある」
「培養してみないと断定はできないが、壊死した組織がかなりあったので、感染の可能性は高い」とのこと。
手術時間が長かったのは、その壊死した組織を除去する手間がかかったからだったのだ。

感染症の恐れがある以上、抗生剤を点滴で投与するため、入院を継続しなければいけないという。
培養の結果が出るまでに通常1週間ほどかかるらしい。
つまり、早くても20日頃までは退院できない。
これは全く想定外であった。

術前検査で炎症反応はなかったのに感染していたとしたら、検査後のこの1か月の間に感染したということか、と質問。
医師は、どうもそれは考えにくいような口ぶり。悪い組織は皮膚がぷよぷよしていた部分にあったのだが、いつからぷよぷよしていたかと逆に聞いてきたので、「最初からですよ」と答えると、なんとなく口ごもってしまった。

院内感染か。それとも最初の手術のときに感染したのか。
手術ミスとは言えないのだろうが、確率何%かの貧乏くじを引いてしまった。
今回の執刀医によると、壊死した組織はプレートの上部にも広がっていたという。
それを聞いて思い当たる節がいくつもある。

術後のむくみが全然引かず、表面が痛くて登山靴が履けなかったのは、おそらく壊死した組織があったせいだ。
時々、何の脈絡もなくプレート上部が痛くなることもあったが、それも壊死くんのいたずらだったのだ。
それだけの組織を壊死されるほど活動していたバイ菌がいるのになぜ、炎症反応が出なかったのか不思議だが、先生は「活動を終えていたのかもしれない」といったニュアンスのことを言った。
つまり、私は自力(白血球くんとかの活躍?)でバイ菌を封じ込めていたのかもしれない。

いずれにしろ今回また手術をしたことにより、免疫力が落ちてバイ菌の活動が復活するかもしれない。
先生は骨髄炎や敗血症になったら大変だと脅し、入院を継続した方がいいと薦める。
もちろん医者の指示には従うが、陽性だったらさらに2か月の入院が必要になるとの言葉を聞いて、さすがに困ったことになったと思った。

個人的には陰性であることを祈りたいところだが、壊死の話と自分の感覚が一致していたので、間違いなく感染しているという自信があった。
この先2か月会社を休むのは、さすがにいろんな支障がある。
点滴は、7時、15時、23時と8時間おきに1日3回(各1時間ほど)なので、会社近くの病院に転院して、点滴の合間の8~15時の間に働くことにしようか、などと考えたりもした。

それはともかくとして、術後の出血がひどい。
切ったところが完全にふさがっていないので、貼り付けてある透明のシールの中にどんどんしみ出て来る。
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これが17日(日)頃まで続いたので、やはり15日(金)に退院は無理だったかもしれない。

血を拭いた後はこんな状態である。
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20日(水)頃と想定していた培養結果は早くも18日(月)に出た。
やはり陽性だった。黄色ブドウ球菌。皮膚に普通にいる常在菌の一つである。
しかし、点滴期間は最初に言っていた2か月ではなく、2週間。しかも、今後2週間ではなく手術日から2週間だという。
ということは、28日(木)には退院できる計算だ。

もちろん数値(CRP)が下がったらという前提なのだが。
19日(火)の血液検査の結果はまだ平常ではないが、かなり順調に下がっていた。
22日(金)の検査で平常値に戻ったので、25日(月)の退院が決まった。
予定より3日早い。ありがたい。

もうその頃にはすっかり傷口もふさがったのか血も全く出ず、歩行も普通にできる状態になっていた。
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完全にふさがっていない頃の、ちくちくとした痛みもなくなっていたので、生活も普通にできそうだ。

気分に余裕も出てきたので、病院の窓から見える山々もしみじみを眺めることができた。
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左端が富士山、右端の突起は大岳山である。

こちらは左端が大岳山、右端は武甲山。その間は奥多摩・秩父の山々である。
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25日の朝、傷口を留めていたホチキスを1本1本はずしてもらった。
その都度、ちくっとした痛みはあったが何てことはなかった。
抗生剤は次の外来まで3週間は内服薬で続けることになっている。

この日は自宅までは40分ほど歩いて帰った。
とくに痛みが出たりといった違和感は生じなかった。
家で着替えて、その足で出勤。
仕事はいろんな人に引き継いであるので、翌日からゆっくり出勤してもいいのだが、なにせ出勤日数が足りない。
1月は正月明けの5~8日まで4日間出勤しただけ。
わが社は1月に11日間出勤しないと、ある手当てが半額にされてしまう。
これが非常に大きいので、退院日も出勤、この週の土日も出ることで何とか11日に達するので、ちょっと無理をすることにした。

壊死した組織を取り除いてくれたおかげで、その後も足の調子はすこぶるいい。
これなら今年は槍でも穂高でも登れそうだ。
自分の不注意で招いてしまった災難だが、随分高い授業料を払ったので今後は細心の注意を払って山を歩きたい。
具合がいいからと言って調子には乗らず、徐々に復帰していこう。
取りあえず2月いっぱいは、本格登山は禁止。
3月から再開の予定だ。

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三浦アルプス(下)

【2016年1月11日(月)】三浦アルプス
二子山(208m)をあとにして、縦走を続ける。
正面に二子山の片割れ、下二子山(下ノ山、206m)。
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50mほどガッと下って、すぐ登り返し。
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上二子山を振り返る。
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50m一気に登って、下二子山の頂上。
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展望ゼロなので、すぐに通過。
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ここから密林の中を100mも下ってしまう。
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阿部倉山(161m)の巻き道の途中で、山頂に登る分岐を発見。
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赤テープがありがたかった。
急坂をよじ登ると、すぐに山頂。
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ここも狭いし、何も見えない。
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期待はしていなかったがベンチもない。
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やむなく通過せざるをえないが、もう午後1時に近いのでさすがにお腹が空いてきた。
時間の節約も兼ねて、歩きながら食べることにした。結局この日は4時間休憩なしだった。
まずはサケのおにぎり。
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風倒木を乗り越えて、巻き道と合流。
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引き続き、いくら。
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道の真ん中に基準点。
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ここまであまり歩かれていないような道だったのに、いきなり幅広のえぐれた道になる。
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小走りでどんどん下る。
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下り切ったら、お地蔵さんが迎えてくれた。
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長徳寺の跡である。随分前に廃寺になったらしいが、平成18年更新の2万5000分の1地形図にはまだ寺の記号が残されている。

近くに横浜貿易新報社選定の県下名勝史跡45佳選のひとつ「畠山重忠公御守護地蔵尊 白田山長徳寺」の石碑がある。
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長徳寺は廃寺となったので、地蔵尊は現在、近くの長谷山仙光院に移されているが、この碑だけはもとの場所にあるようだ。
45選という中途半端な数字は、横浜貿易新報の創刊45周年を記念した事業だったから。昭和10年の選定である。

これなどは地蔵尊の近くにあったものなのだろうか。
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コンクリート製の祠の中には馬頭観音と牛明神が祀られていた。
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というわけで下界に下りてきた。
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ここからは舗装道路を歩く。
振り返ると、お饅頭のような阿部倉山。
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時刻はまだ1時すぎ。このまままっすぐ新逗子駅に行くと早く着き過ぎる。
長柄桜山古墳群に寄り道して帰ることにした。
逗子新道を渡って、葉山桜山団地への道を登っていく。
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高台からもう一度、阿部倉山を眺める。
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団地の中をどんどん登っていくが、古墳群への入口が分からない。
入口がなかったら、ヤブこぎかなあなんて思っていたら、団地の北西の端っこにあった。
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なんと現在、保存整備工事中だ。でも休日だから大丈夫だろう。
ここにも、決して分かりやすいとは言えない「ふれあいロード」の案内板。
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すぐ道は二手に分かれるが、桜山7丁目バス停へ通じる右の道は「迷路デス」「自己責任デス」との脅し文句があった。
当方は左の階段で古墳に向かう。
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すぐに長柄桜山1号墳が現れた。
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この古墳は1999年に地元の考古学愛好家が埴輪の破片を見つけて、古墳だと分かったという。比較的「新しい」古墳なのだ。
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その後の調査で、古墳時代前期(4世紀後半)に築かれた全長約90mの前方後円墳と判明。
被葬者は、畿内と東国を結ぶ海上交通を担った有力者だろうか。
神奈川県内の古墳としては最大規模であることもあり、2002年に早くも国の史跡に指定された。市街地に近く、早く指定しないと開発の手が及ぶ恐れもあったのだろう。

後円部の墳頂。
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標高は127mとのことで、ここは桜山として「登った山」に認定する。

根拠はこの標識。
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後円部から見た整備途中に前方部。
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前方部の端から全体を眺める。見学終了。
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次の2号墳とは500mも離れている。
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葉山と逗子の境界ある丘陵地帯を西に向かって歩く。
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海が見える位置に2号墳はあった。前期古墳はたいてい景色のいい場所にある。
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前方部からはちょうど江ノ島が望めた。
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2号墳は1号墳発見後、県内の考古学研究者が「これも古墳ではないか」との指摘があったことから、県教委が試掘調査をしたところ、古墳と確認されたとのこと。

規模は約88m、築造年代は4世紀後半なので、1号墳と同じ規模の古墳がほぼ同時に造られたことになる。
ただ、こちらは葺石と埴輪の両方を持つ、南関東では初めての前期古墳であった。
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測量図を見ると、いずれも明らかな前方後円墳である。
これがずっと気づかれずにいたということは、濃い暖帯の樹木に覆われ、里山としてもほとんど利用されていなかったということなのだろうか。

これで後は駅に向かうだけ。
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とことこと下っていく。
町場に下りてきたところに、六代御前墓なる旧跡があった。
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電車の時間が気になるが、見過ごすわけにはいかない。
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六代御前とは平維盛の嫡男で、文治元年(1185年)平家滅亡の折、文覚上人の嘆願により助命され、高雄山神護寺で仏門に入った。
文覚上人は源頼朝と昵懇だったため、頼朝存命中は幕府の要人として大きな影響力を持っていたが、死後は様々な政争に巻き込まれ、佐渡に流されてしまった。
この影響で六代も再び罪に問われ、ここ田越川のほとりで処刑されたとのこと。

村人はその死を悲しみ、川畔に塚を設け、懇ろに葬ったそうだ。
その塚が、ここだと伝えられている。
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墓碑は幕末、水戸藩士の斎田三左衛門の建立。
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近くには、「六代御前最後之故址」の石碑も立っていた。
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その田越川。六代御前をしのび、「御最後川」とも呼ばれるという。
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おっと、やばい。時間がない。あと8分。
ここから駅まで意外に近いので、速足で歩いてみる。
すると、14:02に新逗子駅に到着。
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間に合ったので、予定通り14:04発の急行に乗車。

金沢文庫、京急川崎で乗り換え、14:53大森町着。
歩いて大森湯へ。近くにお寿司屋さんがあったりして、なかなか下町風情がある。
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ただ、大森湯そのものの構えは少し残念。
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入浴料は460円。番台は男女脱衣所の間ではなく、玄関にあった。
3時の開店に合わせ、一番風呂に入ろうと、近所のじいさんが大勢来ていて大混雑。
多少覚悟はしていたが、これほどとは。
湯は若干熱めだったので、よく温まった。

30分ほどで上がり、三田の新年会会場に向かう。
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新年会は7期下の後輩の自宅にて。
10数人が集まり、楽しく飲んで食べて懇談した。

帰りは、地下鉄三田駅上の「學虎」で〆ラー。
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すっかり眠くなり、西武特急に乗れたのに乗り過ごして、タクシー帰宅。
随分散財してしまったが、山&湯&酒のディープな1日だった。

【行程】2016年1月11日
風早橋(9:53)~葉山教会(10:04体操10:06)~仙元山(10:19)~189mピーク(10:44)~観音塚(11:06)~森戸川林道終点(11:48)~上二子山(12:21撮影12:26)~下二子山(12:37)~阿部倉山(12:50)~長柄桜山1号墳(13:34)~新逗子駅(14:02)
※所要時間:4時間9分(歩行時間:4時間2分)
※登った山:6座(仙元山、観音塚、上二子山、下二子山、阿部倉山、桜山)
※歩行距離:10.4km

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三浦アルプス(中)

【2016年1月11日(月)】三浦アルプス
三浦アルプス分岐を左折すると、何となく植生が変わった気がする。
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道も狭くなった。
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だらだらと登っているうちに観音塚(167m)に着いてしまった。
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ここで3人ほどの単独男性が休んでいた。
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山の名の通り観音様がハイカーを見守っている。
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寛政十一年(1799年)六月の建立だった。

歩き始めて1時間ちょっと経ったが、こちらは休まずさらに進む。
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ちょっとササがうるさいところもあるが、歩行に差し支えはない。
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こんな丁寧な手書きの道標もある。迷いやすいのかもしれない。
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何だかジャングルの中を行くような気分になってきた。
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三浦アルプスのメジャーな道なのだが、あまり初心者向けでもなさそうな雰囲気。
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スズタケのトンネルをくぐって進むようなところもある。
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やはり三浦半島は南国だ。
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このルートは里山だけに分岐が多い。
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消防本部の標識にも手書きされている。
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展望が開けると、すかさずパチリ。大山(1252m)。
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すぐ近くの二子山(208m)もやっと見えた。
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もう、椿の季節だ。
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地形図を見ながら、そろそろ森戸川に下る分岐じゃないかと思った途端、分岐が現れた。
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分岐にあった大島桜と「火の用心」の看板。
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ここを左折し、河原まで下る。道はあまりよくない。
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「レンラ」までは読めるが、その後が読めない。「連絡」だとしても意味が分からない。
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気にせず進む。椿ロードだ。
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そして急な下り。また二子山に登ることを考えると、かなりもったいない。
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下り切ったら、こんな道標が。
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さっきのは「レンラクオネ」と書いてあったのか。

ここが森戸川林道終点。とても雰囲気のいい場所だ。
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森戸川と南沢が合流する地点でもある。
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マムシが出るらしいので注意。
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「二子山順路」という標識があったので、それに従う。
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森戸川に沿った道だ。
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三浦半島のどれも川は大した長さではないのに、上流部は峡谷にようになっているところが多い。
その分、山深く感じる。

川が削った壁には、いくつもの顔が埋め込んであるように見えた。
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いきなり渡渉。
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対岸に湧き水。でも、泥が混じっているので飲用には適さないとの注意書き。それは残念。
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でも、その20m上流の湧き水は飲めるのだそうだ。
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沢沿いというより、ほぼ沢歩きになっている。
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何度か渡渉を繰り返す。
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ロープを登って、トラバースするような箇所もある。
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再び、ロープで川原に下ると、大きな話し声が聞こえてきた。
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外人さんのグループだ。
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さすがに外人は自由人。道ではなく、そのまま沢を歩いて行ってしまう人の方が多かった。
彼らが通り過ぎるのをしばし待つ。

再び、トラバース道が現れたが、私も外人さんを真似して、そのまま沢の上をショートカット。
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水が少ない時期なので何の問題もなかった。

むしろ、トラバース道の方が危なっかしかった。
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右の枝沢を進むと、うなぎ淵というところに行けるようだが、今回はパス。
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二子山に向かって、さらに本沢を詰め上げていく。
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最後には、沢が道になってしまった。
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このロープ場でとうとう沢とはお別れ。
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警告を受けながら、ぐいっと登る。
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ひと登りで、二子山の中継所に通じる林道に合流。
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ここからはリラックスして歩ける。
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道沿いに旧制横浜一中(現県立希望ヶ丘高校)による植林の説明板があった。
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昭和15年から19年にかけて、二子山の東斜面に3000本のスギやヒノキの苗を植えたという。
それから70年以上が立ち、現在は水源涵養林として環境保全に貢献しているそうだ。

ほどなく、頂上直下のKDDの葉山中継所に到着。
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階段を登ると、広々とした二子山の頂上に出た。
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ここは一等三角点だった。
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展望塔があるので当然登ってみる。
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山名板はその手すりにくくり付けられていた。
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それでは、じっくり眺望を楽しみましょう。
南には湘南国際村と仏塚山。
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徐々に視線を左へ移していく。大楠山(241m)。
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横須賀方面。左奥に霞んでいる双耳峰は房総の富山(350m)。
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その左には鋸山(329m)も見える。
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東の方角。芽塚(右、211m)と乳頭山(左)。
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住友の横須賀ドック。右奥に光るのは東京湾アクアライン。
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田浦方面。
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右の島状の小山は野島公園。左は金沢八景のあたり。
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北は横浜方面。右のベイブリッジのすぐ左にスカイツリーがかすかに見える。
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はるかかなたに東京都心の高層ビル群が霞んでいる。
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横浜ランドマークタワー。
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南を広く見てみる。これが三浦半島の丘陵地帯だ。
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北西方面は木々に隠れて、中継所の電波塔しか見えない。
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下の芝生では多くの家族連れがお弁当を広げていた。
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ここは絶好の休憩場所だが、人が多すぎて落ち着かないので、先に進むことにする。
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(つづく)

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三浦アルプス(上)

【2016年1月11日(月)】三浦アルプス
この日は同窓会有志の新年会が三田で開かれる。午前11時スタートで夜8時過ぎまで出入り自由なので、4時すぎに合流するという条件で、山行の行き先を考えた。
前日、伊豆大島からの帰りに三浦半島を眺めていたこともあり、真っ先に三浦アルプスが浮かんだ。
山と高原地図の対象外なのでヤマレコなどを参考にコースを検討。
仙元山から乳頭山までの横断コースではやや物足りないので、途中から森戸川に下り、二子山、阿部倉山を縦走して、逗子に戻る周回コースを仕立てた。
帰りのお風呂は、東海道沿いで最も駅に近い大森湯(京急大森町駅から徒歩3分)を選択。
午後3時の開店と同時に入浴できるよう、できれば14:04新逗子発の電車に乗ることも決めた。

6:59新所沢発に乗って、9:01逗子着の計画を立てたので、6時には起きたかったのだが、布団から出たのは6時半前。
結局、新所沢発は30分遅れの7:33になってしまった。
小平と高田馬場、品川で乗り換え、逗子には9:36着。
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ずっと「山の本」2015冬号を読んでいた。

登山口に近い風早橋まではバスに乗る。
その前に駅舎撮影。なかなか昭和っぽくて好ましい駅である。
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9:44発の京急バス長井?行きに乗車し、風早橋バス停には10分かからずに到着。
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国道134号を南に向かって歩き出す。ここはもう葉山町だった。
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葉山隧道はくぐらず、手前を森戸海岸の方へ右折。
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レストランボンジュールのところで木の下通りに入る。
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150mほど歩くと、木の下交差点。
ここで左折するのだが、その手前に石碑があった。
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「海岸連絡道路奉仕工事竣工紀念」とある。
敷地提供者、工事費寄付者の名前が列記されている。
昭和7年10月の建立だ。

交差点には仙元山ハイキングコースの古い案内図が掲げられていた。
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必ずしも分かりやすいとは言えない。

それにしても、左折した道は異常な勾配である。
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ちゃんと車の通れる道なのだが、地形図では徒歩道扱いになっている。
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登るにつれ、眺望が開けてくる。
左後方に丹沢が展開してきた。
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富士山も晴れていれば見えるのだろうが、この日は雲が垂れ込めている。

坂を登り詰めたところに葉山教会。
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ここの駐車場で、軽くストレッチ。

教会の横にハイキングコースの入口がある。
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ササがうるさそうだが、気にせず入るときちんとした道になる。
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すでに標高50mくらいまで登ってきているので、しばらく平坦だ。
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再び傾斜が出てくると、仙元山の頂上は近い。
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急な階段を登っているうちに暑くなってきたので、ダウンからウインドシェルに着替え。
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おお、江ノ島が見えてきた。
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その向こうに丹沢の山々。大山(1252m)は手前に輪郭がかすかに確認できる。
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森戸海岸。岩礁は菜島。
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大峰山(148m)の西半分と、海の向こうは伊豆半島。
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ぐっと引いて全景を見る。
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トレランの人が登ってきた。今日のコースはかなりランナーが多かった。
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森戸の町並みをアップで。
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なんてあれこれ写真を撮っていたが、すぐ先が頂上だった。
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大きな木の幹に山名板がくくり付けてある。
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目立つのは、この拓魂碑。
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西南の役(1877年)と日露戦争(1904~05年)で亡くなった戦没者計10名の名が刻まれていた。
建立年は見当たらなかったが、明治末頃だろうか。

山名の由来となったと思われる「不二仙元大菩薩」の石碑も立っていた。
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丁寧におトイレもある。
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私は休まず、観音塚(167m)へ向かう。
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この先も道はよく整備されていた。
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しばらくはなだらかなアップダウンが続く。
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路面も結構変化に富んでいる。
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一瞬、左手の展望が開けた。右のピラミッドは鐘ヶ岳(561m)だろうか。
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相模原方面。
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マユミがピンクの花を咲かせている。
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このおじさんは、ゆっくりいろんなものを観察しながら歩いていた。
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正面は観音塚の手前にある189mピーク。
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葉山中学校のグランドから歓声が聞こえてくると、ちょうど稜線の鞍部あたり。
ここから長い長い階段になる。
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三浦アルプスのハイキングマップには「約250段の階段を登る」と書いてあるが、数えてみたら208段しかなかった。
標高差は40mほどだが、結構きつかった。

階段が終わったところに、葉山町設置の一級基準点があった。
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このコースには四つの石で囲まれた基準点をよく見かけた。
すれ違った家族連れの小さな子供が「これから恐怖の階段?」と父親に聞いていた。お父さんは歩いたことがあるようだ。

しばらくは傾斜もゆるくなってひと息。
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なんかの実がなる道を進む。
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間もなく、木々が伐採されて展望のいい189mピークに到着。
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丸太を縁石代わりにしている。
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これだけ登ったのだから、山の名前が付いていないものかと、あちこち探してみるも見当たらず。
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「→大山」という標識があって、「大山というのかな」と期待したが、大山とは北に下った里の地名だった。
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仕方ない。眺望を楽しもう。まずは横幅のある大峰山。
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ハイキングコースもよく整備されていて、山頂からの眺望もいいらしい。
今度機会があったら行ってみよう。

その右奥に前日行ってきた伊豆大島が浮かんでいる。
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何だか、とてもうれしくなった。
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一番高いのが三原山(758m)、その左は白石山(736m)だろうか。
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長者ヶ崎。後ろに見える小島は尾が島。
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江ノ島と手前に仙元山。
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相模湾と箱根の山々。左の突起はたぶん金時山(1212m)。
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白い断崖は稲村ヶ崎。奥のピラミッドは大山。
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しばし、巻き道を行く。
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このベンチに座っても何も見えない。
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クリーンセンターに下る分岐を通過。
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このすぐ先にもう一つ分岐があり、左折すると観音塚方面。
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ハイキングマップには「分岐わかりづらい 戻るように左上に登る」とあるが、これだけ大書してあれば間違いようがないわ。
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(つづく)
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三原山(5)

【2016年1月10日(日)】三原山
三原山登山道路を登山口に向かって歩いている。
朝、立ち寄った「新火口展望台」まで来たので、もう一度立ち寄る。
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朝よりはだいぶ見やすくなった。ここから見える稜線はみな歩いてしまった。
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鏡端方面。
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朝は気づかなかったが、このすぐ先の海側に展望台があったので、こちらにも行ってみた。
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こちらも素晴らしい眺め。大島空港と富士山のコラボ。
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大島灯台と丹沢連峰。
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伊豆半島・天城山(1405m)。
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青い海。
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大島空港の管制塔。
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車道に戻り、鎧端の稜線を行く道を探す。
こちらはちゃんとあった。遊歩道かと思ったら、トラック出入口の看板があって、びっくり。
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確かに車の通れる道が続く。
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樹林帯の中なので展望はなし。
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標高差で40mほど登って、603mの三角点に到達。
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ここにも観測施設があった。道はそのためのものだろう。

景色も抜群だった。
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大島温泉ホテル方面の外輪山。
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あとはいちいち説明しない。
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この先、細い道を行くと、数分でちゃんとした展望台に出た。
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壁が溶岩でできている。

再度展望を楽しもう。
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溶岩流がくっきり。
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さらに望遠で。まさに今流れているようにも見える。
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遊歩道にはカップルが2組。
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おお北の外輪山の途切れたところに房総半島が見える。
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何度見ても生々しいカルデラだ。
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時間がないので、ベンチでは休まない。
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外輪山展望所に戻ると、テレビクルーが撮影していた。
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噴火30周年記念番組だろうか。
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売店では溶岩の無料サービス。もうモノを増やしたくないので持って帰らなかった。
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御神火茶屋と歌乃茶屋。
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少し冷かしたかったが、時間が押しているのでスルー。

順光の元町港や集落だけ確認してバイクに戻る。
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時間は予定通り12:20。
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このまま行けば12:45にはくるみやに着ける。
でも、「割れ目火口」に寄り道してしまった。
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この道は三原山登山道路に通じているので、近道になるかもと思ったのだが、火口部分は遊歩道なのでバイクは通行不可だった。
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道も悪く怖かったし、これで10分近くロスした気がする。
と言っても、下りなので挽回のためのスピードが出せない。

くるみやに着いたのは12:55だった。
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早速、600円払って、お風呂へ。
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三原山の御神火がくれた湯とのことである。
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女湯にはこれ。覗いて下さいと言わんばかり。
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お風呂は広くて、しかも一番湯なのでうれしい。
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時間は少ないが、ゆっくり浸からせてもらった。
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なぜか信楽焼のたぬきさん。
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洗い終えたら、急ぎ着替えて、バイクに飛び乗る。
髪の毛が乾いていないのにヘルメットをかぶるとつぶれてしまうが、贅沢は言っていられない。

レンタバイク屋で指示されたスタンドに行ったら2軒とも休日でお休み。
やむなく給油せずに戻ると、レンタバイク屋さんも留守。
「留守の時は電話して」と張り紙があるので、かけてみたらしかも留守電。
留守電には「スタンドは2軒とも休みだったので、そのまま返却してある。ガソリン代は後で請求してください」と吹き込んだ。
三原山を往復しただけだし、良心的な店なら請求して来ないだろう。
まあ、こんないい加減さも島ならではだ。

とにかくバス停に向かう。
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結局、10分ほど時間が余ったのでちょっと散策。
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これはターミナル前。本土なら駅前みたいな場所。
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そこから見た三原山。
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ターミナルの中に入ってみる。
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きれいな女性が「今日は岡田港よ」と言っている。
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あんこ娘たち。萌え系じゃない。
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外に出て、朝みた景色を再確認。
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御神火のモニュメント。
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バスは定刻通りやってきて、最前列に陣取る。
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10数分で、岡田港に到着。
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出港まで時間が少しあるので、またまたターミナルを見学。
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こちらはさすがに人がいる。

さて桟橋へ。真正面に富士山が見える。かっこいい。
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はい、またお会いしましょう。
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私が乗るのは、こちら高速ジェット船「セブンアイランズ友」号。
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後ろに、私が乗ってきたさるびあ丸。彼は横浜経由で東京へ。
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私の船は久里浜経由だそうだ。
すべて座席で、すべて指定席。
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窓側の席じゃないのが残念だったが、時々席を離れて、車窓の富士山をカメラに納めた。
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それ以外は、山では飲めなかった牛乳を飲みながら、行動食のお菓子を食べ続けた。

約1時間で久里浜港に寄港。
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窓側の客が下りたので、そちらへ移動する。
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あれは、金谷と久里浜を結ぶ東京湾フェリーではないか。
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海の車窓(いや船窓か)も楽しい。
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三浦半島。
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霞んで分かりにくいが、富士山と丹沢連峰。
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横浜ランドマークタワー。
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恐竜たち。
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レインボーブリッジをくぐる。
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東京タワー。
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中央に世界貿易センタービル。
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レインボーブリッジ夕景。
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というわけで16:25、竹芝桟橋に到着。
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船旅&登山もなかなか楽しいものだった。
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竹芝通りを通って浜松町駅へ。
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旅の〆は、地元新所沢駅前「日和」のワンタンメン。
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あれもこれも、みんなごちそうさまでした。

【行程】2016年1月10日
登山口(7:30)~1986年溶岩流最先端(7:46)~三原神社(8:16)~火口展望場(8:30)~三原新山(9:06)~剣ヶ峰(9:26)~櫛形山分岐(10:07)~櫛形山(10:27)~ベンチ(10:59休憩11:08)~大島温泉ホテル(11:24)~大島空港展望台(11:58)~登山口(12:22)
※所要時間:4時間52分(歩行時間:4時間43分)
※登った山:3座(三原新山、剣ヶ峰、櫛形山)
※歩行距離:14.9km

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三原山(4)

【2016年1月10日(日)】三原山
剣ガ峰(749m)からかなり下り、右手に櫛形山(670m)が全貌を現してきた。
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分岐に着いたので、右折する。
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大島公園に向かう道を見送り、櫛形山に向かう。
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なんと、4駆のタイヤの跡があるではないか。
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こんなところまで入り込んでいいのだろうか。車止めはないのか。

とにかくここから標高差は150mある。
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なだらかだが、まさに不毛の大地だ。
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これはいわゆる落石でなく、火山弾なのだろう。
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うまくサークルを描いている。神の仕業か。

うぬぬ、気になる。きっと関係者の車ではないと思う。
大島町は車の侵入を認めているのだろうか。
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珍しく白い石。ここだけだった。
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北のカルデラは広大である。
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高度を上げるに従い、風が強くなってきた。
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植物が育たないのは風のせいもあるのか。
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どうやら車の跡は山頂まで続いているようだ。
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愛好家にとっては楽しくて仕方ないのだろう。

こりゃ、1台や2台ではないなあ。
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右手に剣ガ峰を見ながら進む。
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再び海が見えてきた。
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裏砂漠。
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分岐から20分で櫛形山に登頂した。
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それにしても猛烈な風だ。
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それに耐えて、山頂からの眺望を撮影。
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左から流れてくる溶岩と富士山。
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カルデラ内でも傾斜のある谷には川筋ができている。
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どこの惑星だろうと思わせる。
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あれは白石山。登山道がなくても登れそうだ。
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その左に二子山(約630m)。
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なんかずっと向こうまで車の轍が続いている。コースなのか。

奥山砂漠。
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大島温泉ホテルと大山(1252m)。
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そしてトリは富士山。
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山頂の二等水準点が大トリ。
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もう限界。さっさと下ろう。と歩き始めたら、前方からオフロードバイクが。
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私を無視して通り過ぎて行った。
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こちらも小走りで下る。
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天城山(1405m)。
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溶岩流。
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涸れ川。
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地面の溶岩はかなり細かい。
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こんな火山弾に当たったらひとたまりもない。
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奇妙な植生だ。
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分岐に戻ってきた。直進して大島温泉ホテルに向かう。
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溶岩流の中を横断する道である。
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さすがに奇岩が多い。
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ホテルまでは、あと2km近く。
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ちゃんと道を作ってくれてありがたい。
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またまたお腹が空いたので、ジャムパンを歩き食べ。
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左手に見事な溶岩流。
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だんだん植生が復活してきた。このあたりはススキの原。
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ここが溶岩流の末端か。
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前方の2人に接近するも、追いつけず。
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振り返ると、右から三原山、白石山、櫛形山。
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櫛形山単体。
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緑の木も出てきた。
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いい加減歩き疲れたので、ここで小休止。
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パンは食べてしまったが、行動食のエンゼルパイとカフェオレでひと息つく。
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お湯はさるびあ丸の給湯室で入れてきたのを使う。

ここはホテルまでちょうど1kmの地点だった。
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10分ほど休んで出発。
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だんだん緑が濃くなってきた。
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このあたりはここ100年くらい噴火の影響をあまり受けていないのかもしれない。

ホテル直下にたどり着いた。
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大島と言えば、やっぱり椿でしょう。
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ホテル横からの眺めも素晴らしい。
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前庭には「富士見晴台」なる看板があったが、富士山は見えなかった。
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大島温泉ホテル。
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本当なら、ここで入浴したかったのだが、日帰り入浴は午後1時から。
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それでは14:25の船に間に合わないので断念。
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さっき歩きながら、「湯の宿くるみや」という宿に電話をしたら、ここも1時から日帰り入浴を受け付けているという。
元町に近い宿なので、ここなら1時からでも間に合いそうだ。
「くるみや」は朝、バイクで三原山に向かう時に見つけた宿。
ここで入浴できたらいいなあと目を付けておいたのだった。
でもバイクのガソリンを入れて、返却し、13:50元町港発のバスに乗らないといけないから、くるみや1時でもかなり忙しい。
12:45くらいに行っても入れるだろうから、早めに行こうと決めた。

現在11:20。登山口まで3.3kmを1時間で戻ればいいから余裕だ。
電子版地形図にある外輪山沿いの道を行こうと入口を探したが見当たらない。
廃屋や廃車が見つかるばかり。
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諦めて、車道を行くことにした。
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今度来る機会があったら、ここに泊まろう。
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車道は結構な勾配。
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でも沿道は牧場になっており、馬があちこちに放牧されていた。
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アスファルト道路を歩くのはきついが、牧場のおかげで芝の道があった。
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ありがたく利用させてもらう。
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牧場は馬糞だらけ。
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富士山が見えるのだから、車道歩きも悪くない。
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牧場&海越しの丹沢連峰。
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こちらは、外輪山展望台の馬と違い、餌やり禁止だった。
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おっと、これぞ馬並み。
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こちらは珍しく足をたたんで寝ていた。
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(つづく)

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三原山(3)

【2016年1月10日(日)】三原山
火口展望台から三原山(758m)の山頂へ向かっている。
カルデラはまるで黒い砂漠だ。
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その向こうに伊豆諸島。
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利島の左に新島。その手前は無人島の鵜渡根島。
実は新島と利島の間にうっすらと神津島も見えている。
式根島はよく分からない。

富士山もだいぶはっきりと見えてきた。
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海が青い。青すぎる。
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三原新山(758m)のシルエット。
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火口は展望場よりも、こちらからの方がよく見える。
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小ピークに地殻変動観測施設が設置されていた。
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これはGPSでわずかな地面の動きを観測している。
現在も伊豆大島は年に数㍉から数㌢のペースで膨張を続けているとのことで、これは地下にマグマが蓄えられていることを意味するという。
また何十年か後には噴火するのだろう。

ここではトゲトゲではなく、牛の糞のような溶岩を見かけた。
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広大な溶岩の海。
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三原新山が大きく迫ってきた。
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地面から水蒸気が出ているので、手をかざしてみたらやはり温かかった。
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三原新山を回り込むと、意外に長い山であることが分かった。
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おっと、前方から人が現れた。大島温泉ホテルから歩き始めた人だろうか。
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さっきの小ピークを振り返る。
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大島南岸。
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南側の外輪山。670mピーク。
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そのさらに左に白石山(736m)。
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鷹かしら。
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三原新山の山腹を登っていく。
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振り返ると、後ろからも二人やってきた。
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そうこうしているうちに、南東カルデラが全貌を現した。
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遊歩道は三原新山のピークを巻いていたので、自己責任で頂上に向かう。
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右は切れ落ちているので慎重に。
山頂には何の標識もなかったが、そこが一番高いところであることは、周囲に遮るものが何もないので、よく分かった。
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さすがにここからの眺めは絶景である。
剣ガ峰(749m)。
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火口がド迫力。
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アップにすると、かなりおどろおどろしい。
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過去の噴火時の溶岩が層状に積み重なっているのが分かる。

観測施設の電源となるソーラーパネルもあちこちにあった。
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そして今なお絶え間なく吹き上げる水蒸気。
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剣ガ峰の前衛峰。
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それらを満喫して、遊歩道に戻る。
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遊歩道からも火口が覗けた。
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この中央火孔は直径300~350m、深さ200mに及ぶ。

平らな面からぽっかり開いているのがユニークだ。
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さっきの2人も三原新山の頂上に行ってみるようだ。
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と思ったら、今度は剣ガ峰方面からまた二人現れた。外国人だった。
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東の砂漠。
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私も剣ガ峰を目指す。あそこには山名板があるといいなあ。
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三原新山を振り返る。
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火口の北壁。
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右手に外輪山の櫛形山(670m)。
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間もなく剣ガ峰頂上。
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東から北にかけてのカルデラ。
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新山と剣ガ峰の鞍部から利島が覗く。
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とうとう中央火孔の全体を捉えた。
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北に流れ出た1986年溶岩流の跡。
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まるで氷河のようだ。
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その先端。
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剣ガ峰頂上。これは山名板ではなかった。
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足元から水蒸気が吹き上げてくる。
ほとんど臭いはしないので、火山性ガスではないようだ。
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前衛峰と富士山。
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この瓦礫が自然のものなのだろうか。
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前衛峰の裏には1986年B2火口が口を開けていた。
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当時の噴火では中央火孔のほかに、南東から北西に向かって1kmにわたって割れ目火口が8か所できた。そのうち南から数えて2番目がB2火口。

ここから流れ出た溶岩がさっきも見た「氷河」だ。
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一緒に見ると、こういう状況。
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前衛峰にも登ってみよう。
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ここも大展望だ。
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振り返って剣ガ峰。
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水蒸気が等間隔に並んで吹き出しているのが分かる。
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そして秀峰富士。海と伊豆半島をはさんでいるのに実に大きい。
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すぐ遊歩道に戻る。
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少し下ると、大島温泉ホテルへの分岐に至った。
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ホテルまで1時間、そこからバイクを置いた登山口まで40分くらいか。
まだ9:40なので、それだと早く着き過ぎてしまう。
本当は、櫛形山(670m)や白石山(736m)など、東から南、西の外輪山を回って登山口に戻ることを考えていたのだが、今見てきた感じでは相当時間がかかりそうなので、そこまではできない。
であれば、櫛形山ピストンを加えて大島温泉経由で戻ることにしよう。

それなら、おそらくプラス1時間程度なのでちょうどいい。
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でも、後で実際に地図を見てみると、外輪山経由の方がずっと短かった。

そうとも知らず、どんどん北のカルデラを下っていく。
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振り返ると、ゴリラが何匹も。
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このあたりの溶岩は流れが急だったのか、せり上がっている。
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ここまでダウンを着ていたが、盆地に下りてかなり暖かくなってきたので、ウインドシェルに着替える。
ついでに、ちょっと小腹が空いたので、パンを1つかじりながら歩く。
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北から望む剣ガ峰。
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地面の溶岩はわりと細かく歩きやすい。
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この辺はアア溶岩だらけ。
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モンスターの競演だ。
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だいぶ剣ガ峰から遠ざかった。
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あの黒いのは割れ目火口。左がB1、右の大きいのがB2だろう。
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外輪山越しの富士山はクセになりそう。
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あれ、その隣に見えるのは丹沢じゃないか。
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ということは、右のピラミッドは大山(1252m)だ。
大島からの大山もなかなかいい。

(つづく)
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三原山(2)

【2016年1月10日(日)】三原山
三原山(758m)登山のスタートである。
出発点は、外輪山三原山展望所。
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山内の遊歩道はこんな感じで整備されている。
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外輪山から火口原(カルデラ)に下る。
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その斜面に馬が放牧されていた。
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管理はブルーヘイズ農場。じゃれたつもりで咬むことがあるので注意とのこと。
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西の外輪山。
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北西の外輪山の603mピーク。
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外輪山展望所を振り返る。ずっと舗装道路だ。
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正面は三原山の中央火口丘。1986年噴火の溶岩流が流れた跡がよく分かる。
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この黒々とした溶岩も当時は真っ赤に燃えていたのだ。
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当然のように避難壕もある。
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登りで暑くなりそうなので、ここで、ダウンの下に着ていたジャケットを脱ぐ。
雨具の下はそのまま。帰りにまた履くのが面倒だから。

1986年溶岩流の先端部。
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先端部の厚さは5mほどあり、このような表面がゴツゴツした岩塊となる溶岩を「アア溶岩」というらしい。
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発音からしてハワイ語起源の用語と思われる。
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ここから先は火口丘に向かっての登りとなる。
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西側の外輪山は鏡端と呼ばれる。
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この黒砂が鏡に見立てられたのだろうか。
奥には天城山(1405m)が見えてきた。

鎧端と呼ばれる北西の外輪山の向こうからは富士山も姿を現した。
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標高が高くなるに従い、いろんなものが見えてくる。
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生々しい溶岩流にも近づいてきた。
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どんどん風景が変わっていくのが面白い。
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遊歩道も傾斜を増してきた。
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カルデラの植生が少しずつ回復しているのが分かる。
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三原山は約2万年前から現在に至るまで、100~200年ごとに計100回前後の大噴火を繰り返してきたらしい。
中でも、1684~90年にかけての噴火と、1777年の安永の大噴火では溶岩が外輪山を越えて流れ出るほどの規模だったという。
記憶に新しいのが1986年の噴火。外輪山の山腹に割れ目火口ができ、溶岩流が元町集落まであと数百㍍のところにまで迫ったことから、全島避難が行われた。約1万人の島民全員が脱出したのは、噴火が始まって1週間後の11月22日だった。
あれから今年でちょうど30年である。
ちなみに火口周辺への立ち入り禁止が解除されたのは、10年後の1996年11月だった。

今歩いている遊歩道はその後に整備されたのだろう。
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一般観光客も多いだろうから、舗装してあるのは仕方あるまい。

外輪山の北端に位置する大島温泉ホテルも視野に入ってきた。
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陽が高くなって、天城山もくっきり見えてきた気がする。
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休憩スポットがあったが、通過。
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火口原が標高550mほどなので、100mくらい登ってきたことになる。
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カルデラの広さも段々と把握できるようになってきた。
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まるで月のクレーターみたいだ。
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登山口から40分ほどで火口の縁にのった。
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そこには、巨大な溶岩の塊があった。
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アグルチネートというらしい。
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噴火で吹き上げられた溶岩のしぶきが落ちて積み重なったもので、これは高さ5mに達する。
1986年の噴火の時は火口が溶岩で満たされ、溶岩の湖になったらしい。
この岩はそのときの表面の溶岩のかけらで、あふれた溶岩でここまで500mも運ばれてきたものの、火口の縁を越えることはできず、ここに残ったのだとか。

この巨岩の直下に三原神社が鎮座している。
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地形の関係か、鳥居の向きと本殿の正面の向きが一致していない。
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明治以降3回の噴火による溶岩流はなぜか、この三原神社を避けて流れており、被害に遭っていない。大島の七不思議に数えられているそうだ。

私もあやかって参拝。
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さっき見学した溶岩流の先端部を上から眺める。波の跡まで分かる。
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アグルチネートを振り返る。
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神社から数分で火口展望塔。
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その途中に、ゴリラに似た岩が。
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1984年に公開された映画「ゴジラ」では、ゴジラが三原山の火口に落とされてしまうのがラストシーンだった。
このため、2年後の噴火は「ゴジラの祟りではないか」とも言われたという。
もしかして、これが噴火後にできたという「ゴジラ岩」なのだろうか。

展望塔に登るのは後回しにして、火口展望場へと向かう。
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剣ガ峰(749m)方面。
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三原新山(758m)。
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いまだにあちこちから水蒸気が立ち上っている。
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このあたりまで来ると、すべて溶岩で、景観は真っ黒だ。
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火口の落ち口が見えてきた。
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溶岩の向こうに富士山。富士山も三原山とは実は親戚のようなものだ。
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5分ほどで展望場に到着。
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巨大な火口がぱっくりと口を開けている。
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このあたりはすべて1986年の溶岩流で埋め尽くされている。
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火山を見ると、地球は生きているということを本当に実感する。
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地球時間で言えば、30年なんて、ほんの一瞬。
活動の直後に、その場所にいることに感動すら覚える。

島を囲む海が太平洋という名なのも、不思議に思えてしまう。
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とその時、防災無線がいきなり声を挙げた。
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「防災大島です。本日の出帆港は岡田港です。繰り返します・・」
あとで、ネットで確認しなきゃと思っていたが、こうやって広報もしてくれるんだ。
そうじゃないと島民は不便だもんなあ。
それにしても、やはり岡田か。早めに下山しないといけないな。
ところで、岡田は「おかた」と読むことをこの放送で初めて知った。

火口も見学できたので引き返す。
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全くここは溶岩の森である。
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展望塔に戻ってきて、まずはトイレ。
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なんと扉が壊れて、外れていた。周りには誰もいないので気にせず、用を足す。

展望塔からの眺めをひと通り紹介しよう。
三原新山。
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利島。
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南西側の外輪山。
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西の方角。
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北西から北の方角。
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熱海の町並みと右に箱根山(1438m)。
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大室山(580m)と南アルプス。
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これでおしまい。山頂に向かう。ここからは舗装されていない。
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この山は樹木というものがないので、ずっと見晴らしがいい。
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だから「みはら山か!」なんて思ったが、そんなはずはない。

出産のように溶岩や土石流を噴出することから、子宮や胎内を表す「御腹(みはら)」からきているらしい。
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(つづく)
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三原山(1)

【2016年1月10日(日)】三原山
1月の3連休、9日は用事があったので、10~11日で伊豆大島に行くことを思いついた。
大島へは1984年4月に夜行で行ったことがあるが、今は昼間の高速船が何便も出ている。
ただ、宿を探すと連休中でもあり、結構高い。
しかも考えてみたら、三原山に登るだけなので、2日も必要ない。
だったら、夜行で行って、朝イチで登り、午後の便で帰れば、宿も必要ない。
よし、そうしよう。

夜行の船は朝6時に大島に到着する。
しかし、その時間に三原山登山口に行くバスはまだ出ていない。
港から歩いて登ってもいいのだが、それでは帰りの船に間に合わない。
というわけで、レンタバイクを借りることにした。
元町のお店(レンタバイク屋は元町にしかない)に電話したら、予約してくれれば、朝6時に店を開けて待っててくれるという。

ただし一つ問題があった。
船は、当日にならないと、元町港に着くか、岡田港に着くか分からないのである。
岡田港に着いてしまったら、元町への足はどうする?
レンタバイク屋さんに聞いてみたら、船が着くと、お互いの港に行く連絡バスが出るので大丈夫とのこと。それで、ひとまず安心。
でも、帰りがまた岡田港発だと面倒だが、とにかくそれに間に合うよう行動することにしよう。

竹芝桟橋の出港は夜10時。
30分前までに乗船手続きを済ませておくように言われていたが、早く行けば早く乗船できるかもと思い早めに出たら、8時半前に竹芝客船ターミナルに着いた。
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なんだ、ガラガラじゃないか。
すぐにクーポン券を乗船券に換え、まずは腹ごしらえ。
本当は、浜松町からここまで来る間に、うらぶれた大衆酒場があったら、そこで1杯ひっかけたかったのだが、適当な店がなく、ここまで来てしまった。

やむを得ず、ターミナル内にある「TOKYO ISLANDS SHOP&CAFÉ」に入る。
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生ビール(500円)と、つまみに「大根とさつま揚げの柚子風味島おでん」(700円)をオーダー。
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これが晩御飯代わり。正月太りをしてしまったので、多少控えめにしておいた。

食事をしていると、式根島出身のシンガーソングライター夏一(なついち)さんという方が、ここでミニライブを9時からするので、ぜひ聞いて行ってくださいと声をかけてきた。
どうせ乗船まで時間があるので聞いていくことにする。
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5曲ほど歌ってくれた。
声もいいし、歌もうまいと思うが、曲の感じは、メガヒットは難しいだろうなと感じた。

店から出ると、ターミナルには大勢の人がいた。
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やはり、私が来るのが早すぎただけだったようだ。
半分以上は釣り客という印象だった。

乗船は結局20分前から。
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私は、大島、利島、新島、神津島行きの「さるびあ号」に乗る。

こちらは三宅島、八丈島に行く「橘丸」。
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さるびあ丸は、1992年12月の就航。全長120m、旅客定員816人、航海速力20ノット。
総トン数4973トンで、東海汽船では初の5000トン級の貨客船だそうだ。
主に、東京~大島・神津島航路や東京~八丈島航路で使用されている。
以前、八丈島に行こうとした(接岸できず引き返し)時に乗ったのも「さるびあ丸」だった記憶がある。

船室は雑魚寝ではなく、2段「ベッド」の特2等にした。
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料金は2等だと4270円、特2等が6410円だった。
ただ、ベッドや布団ではなく、寝床はカーペット、寝具は毛布と枕だけだった。

寝酒に、小笠原パッションフルーツの缶酎ハイを買い込んで、指定された下段に潜り込む。
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しかし、これはほとんどジュースだった。

デッキに出て、出港シーンなども撮りたかったが、寒いのでやめた。
以下は、乗船時に撮ったもの。
佃島あたりの超高層マンション群とレインボーブリッジの夜景である。
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スカイツリーも見えた。
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その代わり、船内を探検。
これは2等座席。夜行便だけに誰もいない。
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レストランは夜12時まで営業。グループで来たら、ここで飲むのも悪くない。
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荷物置き場は釣り道具の山。
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この船は横浜にも寄るので、11時頃にはまた騒がしくなるはず。
早めに寝てしまおうと横になったが、なかなか寝付けなかった。
それでも何とか眠れたようで、目が覚めたのは朝5時20分。
間もなく、船室の照明も付き、「大島で下船のお客様はそろそろ準備を」とのアナウンスがかかった。

入港したのは事前に告知はあったものの、あいにくの岡田港。
5:55真っ暗な中、着岸。
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元町港への連絡バス(大島バス)に乗り込む。
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私の後にもどんどん乗って来て、ほぼ満席。6:12に発車した。
十数分で元町港のターミナルに到着。
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なんとなく薄明るくなってきた。
南に利島が見える。あの宮塚山(508m)にもいつか登ってみたい。
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ターミナルの壁伝いに西に回り込むと、伊豆半島やかすかに富士山も見えた。
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今日もいい天気になりそうだ。天気予報でも快晴だったし。

予約したレンタバイク屋さん「らんぶる」は、すぐ近くにあった。
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さっそく手続き。1日4500円。
原付に乗るのなんて何年ぶりだろう。簡単に操作の仕方を教えてもらったが、肝心の発進ができない。
再び質問。アクセルを回せばいいだけだった。
6:40スタート。

私はかつて250ccを乗り回していたのだが、久々のバイクは非常に怖かった。
時速30kmを超えると、ビビッてしまう。
寒かったこともあり、20km台でちんたら走った。
登山口までは、わりとすぐ着くイメージだったのだが、分岐で「三原山11km」の標識を見て、びっくりぽん。
このスピードで行ったら、あと30分もかかるではないか。
でも、だからと言って速度を上げる勇気はない。
とにかく寒くてたまらなくなってきたので、途中でダウンの下にもう1枚着込み、下は雨具を履いた。それでも顔が寒くてどうしようもなかった。

走っている途中でやっと陽が昇ったようだ。
大島温泉ホテル前を過ぎると、展望台が現れた。「新火口展望台」とある。
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バイクを止めて撮影に勤しむ。
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完全な逆光だが、これが三原山(758m)の全景。
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その左半分。左のピークが剣ガ峰(749m)。
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三原新山(758m)。
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三原新山は1950~51年にかけての噴火で形成された山で、それまでの最高峰だった剣ガ峰を抜く高さに成長したという。

右は三原神社周辺。
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西側の外輪山。
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ここの標高は565mだそうだ。
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道路をはさんで向かい側には、真正面に富士山が見えた。
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海越しに見る富士山は実に美しい。ただ、この時期にしては雪が少ないのがやや残念だ。

さらに少し進むと伊豆半島方面の展望台があった。こちらにも立ち寄る。
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眼下に元町港。
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最も高く見えるのは万二郎岳(1299m)。そのすぐ左のピークが天城山最高峰の万三郎岳(1405m)。
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右のなだらかな山は遠笠山(1197m)。

左の先端は石廊崎。黄砂の影響か、かなり霞んでいる。
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左の小さな茶色い山は大室山(580m)。
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富士山の中腹から左に延びる白い帯は南アルプスだ。

アップにすると、少しは分かりやすいかもしれない。
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乳ヶ崎(左)と大島灯台(右)。
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7:20、三原山の登山口に到着。標高673m。
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歩き出す前に、すこしあたりを探検する。
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まず海側を確認。さっきは一部しか見えなかった大島空港がばっちり見える。
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交番があった。警視庁大島警察署外輪山警備派出所が正式名。
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名代歌乃茶屋。昭和の香りぷんぷん。まだ早朝なので開いていない。
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だいたい見たので、そろそろ出発することにしよう。

(つづく)
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円山(下)

【2016年1月3日(日)】円山
中間地点の展望スポットで休憩中。
H君からもらったくるみを掌にのせてかざすと、小鳥がついばみに来た。
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手に止まって食べるのではなく、くわえたらすぐ逃げ去ってしまう。
これはシジュウカラだそうだ。
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木の枝にとまって、慎重にタイミングをはかっているヤツも。
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そしてチョン。
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小鳥は雌なのか、女子のくるみはあまり関心を示さなかった。
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小鳥とのふれあいタイムも10分弱で終了。
山頂を目指す。
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子抱き地蔵?
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七十七番まで登ってきた。
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四国霊場第七十八番札所の郷照寺はかつて道場寺と称していた。
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八十五番は昭和37年の寄進。古いものと取り替えたということだろうか。
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ラス前。八十七番。
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頂上直下にあるこちらが八十八番なのだろうか。
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稜線にのったところで左折。
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山の神に参拝。
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そして円山(225m)に登頂。
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登山口から40分ほどだった。
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頂上からも札幌市街が一望できる。
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晴れていれば、大雪山とか暑寒別とかも見えたのかもしれない。
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さらに望遠で。
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あちらは藻岩山(531m)。
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雪に埋もれた三角点。
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気温はわずかに0℃を上回っている。
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ここでも、小鳥たちとふれあい。ゴジュウカラやヤマガラも。
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さて、止まっているとだんだん冷えてくる。
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出発するとしましょう。
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下りは軽快。
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チェーンがよく効いて、ほとんど滑らない。
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15分ちょっとで下ってきてしまった。
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何度か渡渉。
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しばらく円山動物園の縁に沿って歩く。
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カツラの古木を守ろう。
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ほぼ1時間半で、八十八か所登山口に戻ってきた。
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なかなか楽しい雪山ハイクだった。
円山公園駅まで歩いて取りあえず解散。
私は駅でN君と合流。地下鉄で西11丁目へ。目的は西12丁目にある極楽湯。

駅から歩いていると、古い門柱を発見。
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札幌市立大通小学校の児童通用門が保存されていた。
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調べてみると、大通小学校は明治22年(1889年)、札幌女子小学校として現在の札幌グランドホテルがある場所に開校。
昭和44年(1969年)に市立陵雲中学校の旧校舎に移転。
2004年に創成、豊水、曙小学校とともに統合され、現在は資生館小学校となっている。
後ろに見えるのは新設の市立札幌大通高校(2008年4月開校)。
札幌もとくに中心部は少子化の影響をもろに受けたようだ。
私が札幌に暮らしていた頃と比べると、小中高校の再編が随分進んでいて驚かされる。

これまたノスタルジーをかき立てられる古い民家。
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元下宿屋さんだろうか。実に北海道らしい。

というわけで極楽湯に到着。
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ここは400円と安いだけあって、めちゃめちゃ混んでいた。
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男のはだか祭の様相で、ちょっとげんなり。

上がった後は、休憩室で北海道定番のソフトクリームをいただいた。
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このあと、徒歩で赤れんがテラスの「牛たん利久」に移動。
さっきのメンバーと女子2人も加わり、計8人で宴会。
すっかり気持ちよくなりました。

お開きの後は、拉麺部のメンバーで部活。
すすきのまで歩く。
途中、新しく開業したばかりの札幌市電のループ線を確認。
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乗りたかったが、今回は断念。撮影のみで我慢する。
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〆ラーは結局、N君おすすめのお店。酔っていて名前は忘れてしまった。
こってり、にんにくの効いた味噌ラーメン。
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生ビールも頼んでしまったので、お腹がパンパンになってしまった。
典型的な正月太りだ。

前夜はタッチの差でタクシーになったが、この日は地下鉄の最終に間に合った。
ドニチカきっぷ(520円)を買っていたので、損しないで済んだ。
連日、同期や同窓生と飲んで充実した帰省であった。
付き合ってくれた皆さん、ありがとう。

【行程】2016年1月3日
八十八か所登山口(13:12)~展望所(13:30観鳥13:37)~山頂(13:51休憩・撮影14:09)~動物園登山口(14:26)~八十八か所登山口(14:39)
※所要時間:1時間27分(歩行時間:1時間3分)
※登った山:1座(円山)
※歩行距離:2.5km

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円山(上)

【2016年1月3日(日)】円山
今年の正月は1~4日まで札幌の実家に帰省した。
そのうち、3日は高校の同窓生と円山(225m)に登ることにした。
登り初めは、今シーズン初の雪山でもあった。
集まったのは、同期4人と5期下のIさん。
ただ、同期のN君は、膝が痛いので今日は登れないとのこと。
下山後再び合流することにした。登れないのに来てくれるなんて、なんていいヤツなんだ。

八十八か所登山口に午後1時集合とした。
N君と事前に相談して、登下山に1時間半、その後、お風呂に行って、夕方5時から街で飲む計画である。
この日のため、私は東京から長靴でやってきた。
飛行機の中ももちろん長靴だった。
母には「みっともない」と言われてしまったが関係ない。

雪なのでトレランシューズでは歩けないし、ハイカットの登山靴も足首の関係でまだ履けない。長靴にチェーンアイゼンをして登ることにしたわけだ。

実家を12時過ぎに出て、地下鉄円山公園駅に12:40に到着。
北海道神宮への初詣客でかなり混雑している。
公園の敷地内に入ると、初詣客は右へ、私は左へ。
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やっと喧騒から解放される。
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正面にこれから登る円山が見えてきた。
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円山に登るのは2回目。1回目は確か小学校の登山遠足だったと思う。
何年生の時だったかはっきりとした記憶はない。
3年生だった気がするが分からない。
何となく頂上の雰囲気が思い浮かぶだけで、歩いているときの光景などは記憶の彼方だ。
だから、実質初めて登ると言ってもいい。

道標に従って集合場所に向かう。
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実は「登山口集合」と呼びかけたものの、自分も初めてだし、ちゃんとした地図もないので、出たとこ勝負だったのだ。

おお、どうやら間違っていなかったようだ。もう2人先に着いている。
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新年の挨拶を交わす。

全員が集まるまで、ちょっと付近を探検。
円山は藻岩山(531m)と同様、ほぼ全山が国の天然記念物になっている。
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奥に大師堂が見える。
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小さな橋に、こんなに大きな石柱。
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「大師橋」ということはよく分かった。
原始林であることも、漢字7文字で示している。

橋を渡ると、「開山始」の石碑。「大正三年五月二十日」の文字が大きい。
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「奉納新四国八十八ヶ所奥野院大日如来」とある。
ここに新四国八十八ヶ所を奉納したのが、大正三年(1914年)ということらしい。

こちら大師堂。
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説明板によると、円山村の開拓功労者である上田万平、善七兄弟が円山登山道を開き、四国から北海道に移住してきた札幌近郊の信者に観音像の寄進を呼びかけ、八十八体の像が大正三年に建立されたという。
その後も寄進があり、今では200体以上が登山道に並んでいるとのこと。

翌年には大師堂が建立。その後も大日如来像や開山碑など多くの仏像や石碑が建てられ、今のような景観になったようである。
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なるほど勉強になった。全然知らなかった。

熊出没情報! 昨年の秋だ。
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よく読むと、動物の糞があったという情報が寄せられたが、確認できず。でもヒグマの可能性もあるので気をつけて、との趣旨。

集合場所に戻る。
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登山道からは樹齢100年を超えるカツラやシナノキなどの巨木が見え、リスや小鳥などの小動物が目を楽しませてくれるという。う~ん楽しみだ。

ここではストックを無料貸し出ししている。
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さっきの案内板の裏に15本ほどかけてあった。
Iさんがこれを借りた。

さて全員そろったことだし、13時すぎに出発。総勢5人のパーティーである。
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積雪は10cmほど。例年よりかなり少ない。
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これは稲荷神社かな。
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坂はそれほどきつくない感じ。
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いつもはリスがいるらしいが、冬眠中なのか姿が見えない。
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石仏も全部撮っていたらキリがないので主だったものだけにする。
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こちらは第十番。
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雪に埋もれても、必ず誰かが掻き出してくれるんだそうだ。
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これは寄進者の名前がはっきりと分かる。
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旧丘珠村の岡島伊三郎さん。隣も親戚なのか岡嶋杉蔵さん。

原始林はそれほど鬱蒼としているわけではない。冬枯れということもあるが。
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十五番の石仏には、合格祈願のよだれかけが掛けられていた。
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いつも世話をしてくれる熱心な信者がいるのだろう。この柄のエプロンが多かった。
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琴似村、斉藤カツノさん。
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案内板の通り、巨木も迎えてくれる。
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三十番。古いもののはずだが、修復したからなのか、「神田 平成五年五月」と彫り直してある。
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隣のは明らかに新規。

三十一番。これも台座との接続部分を修復してある。
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三十六番は丘珠村の岡島スギさん。左の不動明王が随分風化している。
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どんどん登る。
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保育園のよだれかけは内容がかわいい。
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ほぼ中間地点の展望スポットに出た。札幌の中心街が一望できる。
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最奥の一番高いビルが札幌ステーションタワー。
その左に見える白い扁平な三角はモエレ沼公園のモエレ山だ。
わが町さっぽろ。

(つづく)
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