山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

三浦富士(下)

【2015年1月3日(土)】三浦富士
武山(200m)の展望台に上り、360度のパノラマを楽しむ。
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房総半島の富山(349m)。
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NTT横須賀研究開発センター。
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細長く右から突き出た富津岬の向こうに富津火力発電所や新日鉄の工場群が見える。
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砲台山(204m)。
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鋸山(左、329m)から富山(右)へと続く房総の山並み。
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洲崎。貨物船の手前に小さな漁船がたくさん浮かんでいる。
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雨崎、剣崎。
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三浦半島先端部の全景。
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太平洋に悠然と浮かぶ大島。
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すぐ横にある武山不動院。
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富士山はちょうど、この陰に隠れて見えない。

方向指示盤で遊ぶ子供たち。
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下りると、老夫婦のご主人の方に「富士山は見えるかい」と聞かれた。
「残念ながら見えません」
「なんだ見えないのか。それじゃあ意味がない」
「ほかにもいろいろ見えますよ。大島とか」となだめたが、
「富士山が見えないと意味がない。それを見にきたんだ」となぜか不満たらたら。
「でしたら、砲台山まで行けば見えますよ。15分くらいです」
と教えてあげたが、まったく聞く耳をもたない様子だった。

武山の山頂は展望台のある場所ではなく、不動尊の立っている場所だ。
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ここでもお参り。
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武山の名は、日本武尊が弟橘比売命とともにこの山に登ったことに由来するという。
日本武尊の「武」ととったということだ。
不動尊の創建は応永四年(1397年)。

あとは舗装道路を下山。
途中、沿道の森の中にリスを発見。後ろから来る少年に、「リスだよ」と教えてあげると、家族そろって、どこだどこだと探していた。
あまりにすばしこく写真に納めることはできなかった。

さらに下ると、木々の切れ間から、相模湾と富士山が大きく見える場所があった。
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左は箱根の山々。
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小田和湾。
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結構人だかりができていた。
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ここは関東富士見100景の1つだそうだ。

右手にはこの後通る金子隧道が見えた。
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下りきる前に右折して竹林の登山道に入る。
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結構荒れていた。
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5分ほどで住宅地に下りてきた。
ここにも庚申塔と青面金剛。
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交通量の多い県道26号に出て右折、すぐ左に東漸寺がある。
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武山の「武」はこの地名に由来すると思うのだが、この「武」の起源が日本武尊なのだろうか。
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県道を衣笠に向かう。
途中、食べ物屋を探す。
まずは、セブンイレブンに入り、行動食代わりにちぎりパンを1個購入。
食べながら歩く。

金子隧道を抜ける。
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沿道には安楽亭やすし屋があったが、肉や寿司という気分ではない。
理想は、チャーハンと餃子が食べられる中華屋なのだが、まだ3が日ということもあり、それらしい店は開いていない。
結局、すき家に入り、牛鍋焼き定食を注文。680円。
温かい物が食べたかったので、よかった。満腹である。

もうしばらく歩いて、左折。衣笠山(134m)に向かう。
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昭和の香りたっぷりの町内会館。
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この奥には、温泉旅館もあった。
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地形図通りの道を行くと、踏み跡はあるが、ヤブになっているような場所が出現。
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この道でいいのかよ、ってくらいの雰囲気だったが、横に道標があって、まあ安心。
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しかし、この先で、工事中の道路の方から5人くらいのグループが入ってくるのを目撃。
どうやら、今は道路沿いの道にハイカーを誘導していたようだ。
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(この通路がそう)

彼らの後を追う形で登っていく。
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かなり急な登りだ。
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頂上の手前に大きな広場があった。
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最後の登りは石段。
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ここにも頂上に展望台があったので、上ってみる。
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見えたのは横須賀方面が中心。
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説明を省略して何枚か。
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富士山。
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丹沢。
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三浦アルプス。
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適当に切り上げて、真の山頂を確認。
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ここには、こんな動物の木像が散見された。
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下山を開始すると、すぐ先に「上の広場」なるところがあった。
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こちらにも展望台があったので立ち寄る。
しかし、そこにはこんな金網が。
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これはひどい。すみやかなる撤去を求めるものである。

やむなく下りて、展望台の回りから撮影。
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ここで芭蕉の句碑に寄りかかって望遠で写真を撮っている人を目撃。
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なんだろうと思ったら、獲物はリスだった。

ここではしっぽだけ捉えることができた。
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となりには「忠犬タマ公之碑」。
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忠犬タマは新潟県の旧川内村に住む刈田吉太郎氏の飼い犬であった。
昭和9年2月5日と同11年1月10日の二度にわたり、狩猟に出た主人たちが雪崩に遭った際、必死に雪を掘り起こして、主人たちを救出した。
この忠犬タマの美談は横須賀市に在住する新潟県出身の退役海軍将兵の会である「互立会」の知るところとなり、その一員が、タマが寝起きしている場所の土をもらい受けてきた。
この土をゆかりとして、タマの美談を伝え残すために、この碑を建てたものと推量されるという。
建立年月日は、昭和11年9月23日。長く、衣笠公園裏道入口付近にあったが、昭和58年に現在地に移設された、とのことである。
忠犬タマ公とは初めて聞いた。

ここ衣笠山公園は1907年に開設された古い公園のようだ。
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衣笠山は、馬の背に鞍を置いた形に似ていることから、かつては「鞍掛山」と呼ばれていた。
その山に「芳名不朽」の碑と数百の桜やツツジを植えて公園としたのは明治40年(1907年)4月18日のこと。
日露戦争で戦死した三浦半島出身の多くの将兵の霊を慰めるためだったという。
以後、ここは三浦半島随一の桜の名所となった。

衣笠神社に参拝して下山。
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衣笠山公園入口にはこんな石柱が。
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住宅街の道をJR衣笠駅に向かう。
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小矢部橋の跡を通過。
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衣笠駅手前からアーケードに入る。こんな商店街があったとは。
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衣笠駅はなかなかの名駅舎だった。
15:31発の上総一ノ宮行きに乗車。
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祝儀でグリーン車にする。ガラガラで2階は私1人。
車窓を見ながらの快適な旅だ。
品川で下りた方が近いのだが、少しでも長くグリーン車に乗っていたくて、東京まで行った。
自宅に着いたのは6時頃。正月らしい、のんびりしたハイキングになった。

【行程】2015年1月3日(土)
新所沢=所沢=池袋=横浜=津久井浜(10:17)~三浦富士(11:14撮影11:22)~砲台山(11:54撮影11:58)~武山(12:15撮影12:36)~東漸寺(13:04)~すき家(13:29昼食13:47)~衣笠山(14:27撮影14:44)~衣笠駅(15:20)=東京=高田馬場=新所沢
※所要時間:5時間3分(歩行時間:3時間50分)
※登った山:4座(三浦富士、砲台山、武山、衣笠山)
※歩行距離:11.8km

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三浦富士(上)

【2015年1月3日(土)】三浦富士
本当は、早起きして山梨のどこか1500m級の山にでも行きたかったのだが、どうも疲れが取れない。
この日は休養日にすることすら考えたが、こんなに天気がいいのにじっとしていたら、間違いなく後悔すると確信し、あまり体力を要しない場所に出かけることにした。
つい2週間前に行ったばかりだが、三浦半島。
今回は三浦富士から武山までの縦走。それだけだと、たぶん時間が余るので、そのまま歩いて衣笠山も登ってしまうことにした。

たっぷり眠って、前日と同様、新所沢発8時ちょうどの電車に乗る。
所沢、池袋で乗り換え、湘南新宿ラインで横浜へ。
横浜での乗り継ぎ時間を利用し、駅構内のコンビニでドリンクとパン1個を調達。
お昼は山の上ではなく、里に下りてきてから、ファミレスみたいなところで食べるつもりなので、行動食として買ったのだが、小腹が空いたので、京急の中で食べてしまった。

京急の車窓を楽しみつつ、津久井浜駅には10:09着。
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駅前には青面金剛の石塔が3基。
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青面金剛とは道教に由来し、庚申信仰の中で独自に発展した尊像だそうだ。
つまり、これらは庚申塔と同じ意味合いのものなのだろう。

線路をくぐると浅間神社があるので、まずはこれを参拝。
木花咲邪姫の幟がうるさい。とくに絵はない方がいいと思う。
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三浦富士(183m)の頂上には、この神社の奥宮がある。

では、三浦富士に向かう。歩き始めると、すぐに田園の雰囲気となる。
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このあたりはキャベツ畑が多い。
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(右奥のアンテナのある山は武山)

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(奥は三浦富士)

ビニールハウスはイチゴだろうか。
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この時期、観光農園ではイチゴ刈りができるので、寄って行きたいところだが、今回はパス。
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ハイキングに専念する。
だんだん温まってきたので、坂の途中で、ダウンからレインウエアに着替えた。

周辺の石塔を集めて安置したのだろうか。
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少しずつ車道を登っていくと、海が見えてきた。
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右が三浦半島の雨崎、左は房総半島の洲崎。

東京湾には船がいっぱい。
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視線を左にずらすと鋸山(329m)が意外に大きく見えた。
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富山(右の双耳峰、349m)や伊予ヶ岳(左の双耳峰、336m)も。
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さらに標高を上げていくと、丘の向こうに富士山が頭をのぞかせて、おーと声が出た。
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このあたりは立派な農業地帯なのだと感心しながら歩く。
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いよいよ生活圏内を抜けて、ハイキングロードに入っていく。
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浅間神社の鳥居がその目印。
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ワゴン車で抜かして行った車から下りてきた男性は、ハイカーだった。
三浦富士直下からの歩きだ。
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武山(200m)まで行ってピストンするのだろうか。三浦富士だけだと、あまりに短い。

車道の終点、警察犬訓練所の前で、下りてきたおじさんに声をかけられる。
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「いい写真撮れたかい」
一眼レフのカメラを肩から提げていると、こんなふうに聞かれることが多い。
当方としては、記録写真を撮っているだけのつもりなので、ちょっと困ってしまう。
適当に「はい」と答えておけば簡単なのだが、それがなぜかできない。
「いやあ、どうも。でも、この辺はいい景色ですね~」
などと曖昧な返事になってしまう。
おじさんは「上は富士山がよく見えるよ」と教えてくれた。

さて登山道。
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途中にお地蔵様。
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頂上直下には古びた手水鉢。
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奉納者には横須賀の人のほか東京・牛込の方もいた。

10分ほどで山頂。
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頂上には小さな子供を連れた家族連れが、ガスストーブでラーメン系のものを作っている。
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こちらが富士山は後にとっておいて、石の祠などの写真を撮っていたら、そばにいたもう1人のおばさんが「富士山がきれいよ~」と、これ見よがしに言っていた。
まるで、「あなた、そんなものより他に撮るべきものがあるでしょ」って感じだった。
別にむかつくほどのことでもない。

しかし、富士山から富士山を眺めるのは本当にめでたいことだ。
見てくだされ。実に見事ではありませんか。まさに正月にぴったりの山だ。
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ちゃんと大きくしてみましょう。まずはやはり富士山。
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箱根の駒ヶ岳(1356m)と神山(1438m)。
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相模湾と伊豆の天城山。
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なんと大島。
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金田湾と剣崎方面。
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ひと通り撮影して出発。
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今度は右手が開けて、横須賀方面が見える。
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なんと猿島の向こうに筑波山(877m)まで見えた。
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こちらも結構ハイカーが多い。なだらかな道で快適だ。
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砲台山下の見晴らし台では、少年たちが賑やかに休憩中。
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ちょっぴりお邪魔して写真だけ撮らせてもらった。

雨崎。
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三浦半島の台地と大島。
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天城山。
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砲台山(204m)への道は山頂を巻いているように地形図には書いてある。
ヤブをこがないと山頂には行けないのかと一瞬心配したが、考えてみれば中継塔があるのだから、車でいける道があるはず。案の定そうだった。
ちゃんとハイキングコースからの分岐があった。
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途中、用途不明の戦争遺跡のようなものがあった。
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分岐から5分もかからず頂上。
その名の通りコンクリートの砲台跡があった。太平洋戦争時のものだそうだ。
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これに並んでアンテナがあった。
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ここは砲台山だが、アンテナの名称は「第三管区海上保安部武山中継所」となっている。

中継所の手前で、黒いウエアのハイカーが地べたに大の字になって昼寝をしていた。
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気持ちよさそうだ。

ここからは富士山の眺めが素晴らしい。
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(手前は武山)
さて、その武山へ向かう。

途中、前方を歩いていたカップルのハイカーが猫にかまっていたので、合流。
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猫は人慣れしていて、みゃあみゃあ鳴いて、餌をねだっている。
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「迷い猫でしょうかねえ」と聞いてみたら
「いや、この辺で餌をもらって生きてるみたいですよ。この前来た時もいました。餌をあげに来る人もいるみたいです」とのことだった。
へ~。写真を撮る間も全く逃げずに、みゃあみゃあ言い続けていた。
瞳が真剣だ。
帰宅後、ネットで検索してみると、武山を根城に結構たくさんの猫がいるようだった。

武山へは最後に階段を登る。
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砲台山を振り返る。
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武山は頂上に不動尊があり、車で来ることも可能なので、雰囲気が俗っぽい。
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「展望台のふっくらふくらみ」って全然意味が分からない。

これはどう見ても女の子に見えるのだが。
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展望台の下から横浜方面を展望。
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横須賀方面。
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川崎方面。
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中央左にスカイツリー。
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三浦アルプス(かな?)。
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さて、展望台へ。

(つづく)
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宝登山(下)

【2015年1月2日(金)】宝登山&長瀞アルプス
宝登山神社奥宮の参拝を済ませ、山頂に向かう。
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すぐそこが山頂で、数組の家族連れなどが、お弁当を広げていた。
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ここも奥秩父方面の展望が開けている。
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説明は前回の山頂駅展望台とほとんど変わらないので省略する。

もうお昼は済ませたので、とくに休憩はせず、長瀞アルプスに向かう。
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とりあえずは下りだが、この道はいろんな表情を見せる。
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ここでも何組かのハイカーとすれ違った。お正月でもやはり歩く人はいるんだなあ。

10分ほどで林道に出る。
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ここからトレランを始めた。

5分ほどで再び登山道に入る。
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なだからかなので、走れるところは走る。
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地図にない小鳥峠を通過。
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無名の山々を眺める。
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こちらは地図にある野上峠。
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冬枯れの気持ちのいいアップダウンを走ったり歩いたり。
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天狗山分岐で右折。
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ここの道標に、坊山(正しくは防山か)とか御嶽山とか、想定していなかった山の名が書かれており、色めきたつ。

しかし、天狗山らしきピークには山名板なし。
ただし、山名板をとめていたと思われる針金は木に残っていた。
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坊山の方が先に書いてあったので、天狗山の手前にあると思ったが、それらしきピークはなかった。
このピークが坊山で、天狗山はまだ先にあるのだろうかと思っているうちに、「神まわり」という道標が出現。行ってみると御岳神社があり、「御岳山 353m」の山名板があった。
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神まわりはこのあたりの石碑めぐりのことのようである。
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しばらく下ったテラス状の場所に「防山不動明王」の石碑があり、とりあえずここを防山と認定する。
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このあたりから野上の集落が見下ろせる。
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天狗山から20分ほどで下界に下りてきた。
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武野上神社に立ち寄る。
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境内にあるケヤキの巨木。
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教育勅語を讃える石碑。
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なかなか雰囲気のある、いい神社だった。
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野上駅へ向かう。正面にこれから登る金ヶ岳(中央、約375m)が見える。
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金ヶ岳は駅の真後ろにそびえていた。
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野上駅は1911年に本野上駅として開業。1929年に現在の駅名になっている。
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現駅舎の建築年代は不明だが、開業当初のものではなさそうだ。

駅舎の横に宮沢賢治の歌碑があった。
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賢治は盛岡高等農林学校に在学中の大正五年(1916年)、地質調査研究のため、学友とともに秩父を訪れ、この駅から帰郷したそうである。

レトロカラーの急行「開運」がやってきた。
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列車を見送り、踏切を渡る。手前左が美の山(582m)、奥は武甲山(1304m)。
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地方の町らしい、廃業したスーパー。
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比叡山別院高砂山妙音弁財天を通過。
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高砂橋で荒川を渡る。
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金ヶ岳に登る前にふもとにある法善寺に立ち寄る。
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山号が「金嶽山」だ。
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すこし戻って、春日神社の鳥居をくぐる。
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金ヶ岳の山頂にはその社殿がある。
社殿には長さ1.8mの奉納額があるが、それには奉納者として丹治姓を名乗る5人の名が書かれている。これが古代から中世にかけて活躍した武蔵七党中丹党の根拠地であったことを示すものだと説明板に書いてあった。

山頂へはここから30分の道のり。
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この頃から曇ってきた。

植林の中の暗い道を登る。道はわりと荒れている。標高差200mほどが、かなり長く感じた。
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頂上にちゃんと春日神社はあったが、残念なことに山名板はなかった。
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すこし戻って、植平峠に向かう。このあたりも走れるところは走る。
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植平峠。
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ここで左折。稜線を北へ。
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一瞬、右手に関東平野。筑波山も。
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さいたま副都心あたりか。
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葉原峠で車道と交差する。
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車で犬の散歩をしている人と行き会った。

この先、小林山(大平山)へは登山地図にも地形図にも道はないのだが、しっかりした踏み跡があったので迷わず登る。
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10分かからずに登頂。
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頂上には小さな山名板があった。
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下る方向は踏み跡がはっきりしていないので、林道に出られそうな方向に下る。
林道はほとんど車の通っていないような路面状態だったが、気にせず下りは走った。
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林道の分岐で、迷いつつ左の道をとったら、ゴルフ練習場のネットにぶつかった。
ネットに沿って下る。
すると出た道は、想定していた金尾集落に至る道ではなく、直接、金尾山(229m)に行ける道だったのでラッキー。

ゴルフ場(長瀞カントリークラブ)のクラブハウスを過ぎて、広い舗装道路を下る。
この道からの眺めがいい。
筑波山。
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寄居の町並み。
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全景。
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あれは、下山後に入浴予定の「かんぽの宿 寄居」。
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ここの下りは坂がきついし、舗装道路なので走るのは自制。
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下り切ったところが金尾山(つつじ山)の登山口。
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道路を渡り、階段を登る。
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かなり整備されているなあと思ったら、ここは昭和34年に植樹祭が行われた場所のようだ。
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昭和天皇の御製の歌碑がある。
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「ひとひとと うえし苗木よ 年とともに くにのさちとも なりてさかえよ」

頂上へは木の階段を登る。
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頂上直下に愛宕神社。
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頂上には展望塔があり、波久礼の集落がよく見えた。
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長瀞方面も眺められる。
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陣見山に続く稜線。
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眼下に秩父鉄道の電車が走り抜けていった。
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小腹が空いたので、ここでオニオンスープを飲む。
ポットのお湯はもうぬるくなっていた。
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さあ、もうだいぶ薄暗くなってきた。
さっさと下山して、寄居橋を渡り、かんぽの宿へ。
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登山地図には駅から10分とあるが、もう少しかかりそうだ。
踏切を渡ると、急行列車が通過していった。
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かんぽの宿に16時20分に到着。
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帰りの電車は17:37なので、わりとのんびりできそうだ。
宿はお年寄りで大賑わい。入浴客だけでなく、宿泊客もかなりいたみたいで、満室のような雰囲気だった。
近在の方々なのだろうか。
あえて遠くから観光に来るところでもない気がする。

風呂は6階にあり、窓からは寄居橋や小林山がみえた。
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露天風呂は満員なので、遠慮しておいた。
でも、比較的ゆっくりして、17:10に出発。
外はもう真っ暗。

駅には11分で着いてしまった。下りは早い。
グレープゼリーの缶ジュースを飲む。
待合室で待っている間にすっかり冷えてしまった。
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寄居、小川町で乗り換え、本川越駅前の中華屋で麻婆丼を食べて帰宅。
お店のママの雰囲気が今いちだった。水も出さないので、「水お願いします」と言ったら、「あらごめんなさい」とも言わずに黙って出してきた。648円の客は迷惑だったってことか。
御飯もかたく、麻婆も辛かった。

そんな形で登り初めを締めくくったが、天気に恵まれたいい1日であった。

【行程】2015年1月2日(木)
新所沢=所沢=飯能=西武秩父/御花畑=長瀞(9:48)~宝登山神社(10:11参拝・撮影10:23)~ロープウエイ山頂駅(11:04撮影11:16)~奥宮(11:23昼食・撮影11:40)~宝登山(11:45撮影11:50)~野上峠(12:13)~天狗岳(12:37)~野上駅(13:16撮影13:21)~法善寺(13:41)~金ヶ岳(14:14)~植平峠(14:45)~葉原峠(14:49)~小林山(14:48)~ゴルフ場(15:17)~金尾山(15:46休憩15:52)~寄居橋(16:05)~かんぽの宿(16:19入浴17:10)~波久礼駅(17:21)=寄居=川越市/本川越=新所沢
※所要時間:7時間33分(歩行時間:5時間50分)
※登った山:6座(うち新規:天狗山、御岳山、防山、金ヶ岳、小林山、金尾山)
※歩行距離:19km

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宝登山(上)

【2015年1月2日(金)】宝登山&長瀞アルプス
2015年の登り初めである。
元日は出勤。2~6日が休みで、このうち4~6日で札幌に帰省する予定。
というわけで2~3日が空いている。
1泊で、牛ノ寝通り&日川尾根を歩くことも考えたが、年末の山行や元日の勤務後皇居ランの疲れもあり、まったくその気力がなくなってしまった。
早起きせずに行ける初詣風登山ということで、軟弱に宝登山&長瀞アルプスに行くことにした。
それだけでは多分時間が余ってしまうので、元気があったら、国道140号を越えて、金ヶ岳に登り、秩父鉄道波久礼駅に下ろうと思う。
波久礼駅の裏山にある「かんぽの宿」は日帰り入浴もできるようなので、ちょうどいい。

新所沢駅8時ちょうど発の電車に乗り、西武池袋線、秩父線と乗り継いでで西武秩父駅に9:12着。
秩父神社や宝登山神社へ初詣に行く人で混み合っているかと思ったら、ガラガラ。
飯能から先はボックス席を独占し、地図を確認しながら車窓を見て過ごした。
西武秩父駅では跨線橋から城峯山(左、1038m)、破風山(中央、627m)、宝登山(右、497m)が早速見えた。
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秩父鉄道に乗り継ぐため、一旦駅を出る。
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すると、びっくり。駅名のプレートが変わっている。いつ変更したのだろう。

駅前には「西武鉄道秩父線開通記念碑」があった。
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西武秩父線(吾野~西武秩父)は1969年10月14日に開業した。
レリーフは西武グループの創業者で、衆議院議長も務めた堤康次郎である。

仲見世を通り抜ける。まだ、ほとんどの店は開店前だ。
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あちこち写真を撮っている間に、時間を食ってしまい、大急ぎで御花畑駅へ。
乗り換え時間は7分しかなかったのだ。
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切符を買う前に、近くの踏切がカンカン鳴りだした。
駅員さんに「長瀞方面?」と聞かれ、「そうです」と言ったら、「じゃ、窓口で買って」と促された。1台しかない券売機で買っている人がいたからだ。
長瀞まで470円。財布にあった小銭を全部出すと490円。20円引っ込めるだけで、手間がかからなかった。
それでもあわてて、入線してきた羽生行きの上り普通電車に飛び乗った。

それにしても秩父鉄道は相変わらず窓が汚い。
もう洗っても落ちないのだろうか。観光路線でもあるのだから、そこはきちんとした方がいいと思う。
23分の乗車で、長瀞駅には9:42着。
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下りる人はまばらだ。

ホームでは昨年6月に誕生した秩父鉄道の鉄道むすめ、桜沢みなのちゃんが出迎えてくれた。
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駅舎は宝登山駅として明治44年(1911年)に創業した当時の建物(1923年に「長瀞駅」に改称)で、関東の駅百選にも選定されている。
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真冬だが、長瀞ライン下りは営業している模様。こたつ船があるらしい。
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秩父は最近、ジオパークとしても売り出し中だ。
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駅の真正面に大きな鳥居があり、駅前通りがそのまま参道になっている。
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駅前では昔懐かしい射的の店がまだ営業していた。
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今回もコンビニに寄る時間がないまま、ここまで来てしまったが、駅前にも国道沿いにも近くにコンビニがない。
朝飯は家で食べてきたが、お昼をどうするか。まあ、山頂駅あたりに食堂があるだろうと高をくくって歩き出す。
国道を渡り、参道に入ると、車がどんどん宝登山神社に向かって登っていく。
やはり参拝に来る人はほとんど車なのだ。

沿道にはライン下りの舟を積んだトラックが駐車していた。
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下った舟は自力で遡るのはなく、陸に上げてトラックで乗船場所まで戻す方式のようだ。

途中、国重文の旧新井家住宅なるものがあったので立ち寄る。
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中には入れなくても、外観さえ見られればいいと思ったのだが、なんと垣根で囲われ、まともに写真を撮ることができなかった。
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木造の切妻2階建てで、1745年頃の建築とされる。新井家は代々この地域に名主を務めた旧家らしい。

見上げると山頂へのロープウエーの支柱が見えた。
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北に目を向けると、左から不動山(549m)、雨乞山、陣見山(531m)への稜線。
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神社に近づくにつれ、人が増えてくる。
周辺の駐車場はだいたい1日500円。無料の神社駐車場に止めようとする車が長蛇の列。
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参道にはテキ屋もたくさん出ていて、正月らしい。
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拝殿手前の鳥居。
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手が冷たいし、混んでいたので、手水でのお清めは省略。

今年1年の安全登山を祈願して参拝。
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賽銭を投げ入れるのに、行列に並ばないといけないかと思ったが、いいタイミングですぐにお参りができた。
おみくじは小吉だった。

戻ると、手水はさらに長蛇の列。それを横目に奥社の参道を登る。
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奥社までは18丁の道のり。
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ずっと林道だ。
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さすがに暖かくなってきたので、途中でダウンからレインウエアに着替える。
その間に、子供4、5人と、そのうちの誰かのお母さんという感じのグループに抜かれた。
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登るにつれて、北武蔵の山々のよく見えてくる。
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9丁目が展望台のようになっていた。ちょうど半分の地点だ。
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このあたりで、子供たちが休憩。こちらもゆっくり撮影する。
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この先につづら折りの林道をショートカットする登山道があり、それを利用。
眺めはますますよくなる。
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東には小林山またの名を大平山(539m)。
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陣見山。
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榎峠の向こうには赤城山(1828m)が遠望できた。
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長瀞の盆地。
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全景。
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伐採されているのは、新たな「森づくり」の一環なのか。
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40分ほどでロープウエーの山頂駅に着いたが、なんと食堂が営業していない。困った。
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もう12時前だというのに、長瀞アルプスを下り、野上の集落に着くまで、あと1時間半以上我慢しなければならない。持ちこたえられるだろうか。
とにかく自販機で飲み物だけは確保。
となりにアイスの自販機もあったが、寒いし、あまり腹の足しにはならない。

人はそこそこいるのだが、宝登山神社の10分の1もいない。
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これでは売店の営業は難しいかもしれない。

とりあえず散策は続ける。
まずは外秩父連峰。左から釜伏山(582m)、登谷山(668m)、皇鈴山(679m)。
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長瀞の町並み。
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ゴンドラ「ばんび」号が上がってきた。
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これには、子供が小さい頃に乗ったことがある。いつだったっけ。

駅の裏は大展望が広がる。甲武信岳(2475m)を含めた奥秩父の山々のほか、やはり両神山(1723m)がかっこいい。
順番に見ていく。
いきなり両神山のアップ。これが一番迫力がある。
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その左に破風山(627m)。背後には奥秩父の核心部が見える。
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アップにしてみると、よくわかる。中央の山々は左から木賊山(2469m)、甲武信岳、三宝山(2484m)。
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そのさらに左は、奥秩父の主脈。右から破風山(2318m)、雁坂嶺(2289m)、左の大きい山体は和名倉山(2036m)。
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すべてつなげると、こうなる。
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右の高いのは城峯山。
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木の陰に隠れてしまっているピラミダルな山は武甲山(1304m)。
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私の嫌いな「恋人の聖地」まがいの鐘。
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でも、ここは最高の奥秩父展望台だった。
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さて、頂上に向かう。頂上への道は梅百花園の中を通っていく。
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黄色い梅ロウバイの名所だが、まだ時期が早いのか、咲いているのは、ほんのわずか。
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なぜか、花にも力がなかった。

ここまで登ると、美の山(簑山、582m)がばっちり見えた。
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秩父市街の向こうに武甲山も。
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粥新田峠の向こうに笠山(837m)。右手前は大霧山(767m)。
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梅園を抜けて、針葉樹の森に入ると、そこが宝登山神社の奥宮(奥社)だった。
ありがたいことに売店があった。
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おでん1串200円、カップ麺300円とある。
おでんは多分こんにゃくだと勝手に思い込み、カップ麺にする。
一番大きいのを選んで、湯を入れてもらった。
これで昼飯の心配はしないで済んだ。

たき火の回りに置かれたベンチに腰掛け、正月早々カップ麺をすする。
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あまり火が強くなく、日陰なので寒い。
「宝登山」のバッジもあったので購入。600円もした。
こんなものを集めるのは、もう止めたいのだが、つい買ってしまう。

そのうち、年寄りの男性が「はーはー」言いながら登ってきた。
「もう80だからきついな。若い時は誰にも負けなかったが。富士山にも8回登ったんだけど」と、誰に聞かれたわけでもないのに、独り言を言っている。
年をとると、構ってほしくなるのかな~と思う。

食べ終わってから、参拝。
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宝登山の名は日本武尊の伝説に由来する。
日本武尊は東国平定の折、この山の神秘的な雰囲気に心ひかれて、身を浄めようと山中に分け入った。すると突然の炎に包まれ、危ういところを、どこからともなく現れた山犬が火を消し止めてくれ、尊を山頂に案内すると消えてしまったという。
山犬を「山の神の使い」と悟った尊は、この山を「火止山(ほどさん)」と名付け、神武天皇や火産霊神(ほむすびのかみ)など3柱の神を祀った。
火止山はその後、霊場として栄え、弘仁年間(9世紀前半)に宝珠が山上に飛翔する瑞祥があり、それ以来、神社と山名が「宝登山」と改称されたとのことである。

(つづく)
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雲取山(4)

【2014年12月31日(水)】雲取山
タワ尾根の1602mピークを過ぎたあたりで、お腹がすいてきたので、まだ11時前だが、ここで昼食にすることにした。
少し風も出てきた。日陰なので寒い。
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(この切り株がテーブル代わり)

お湯がわくのにも、やや時間がかかった。
雲取山荘でもらったお湯が少しぬるかったのかもしれない。
昨日に続き、カップ麺。最後の方は手が冷たくて、軍手をして食べた。
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ここからは急な下り。コース取りがむずかしい。
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足跡も見失いがちだ。

さて、登り返し。かなりの岩場が眼前に現れた。
どういうルートを取っていいのか、よく分からない。
帰宅後、吉備人出版「詳細登山図」を見直すと、「岩場南を巻く」と書いてあったが、結局その岩場を登ってしまった。
雪も少なくなったことだし、チェーンアイゼンをはずし、カメラを斜め掛けにして、両手を使って登る。登る分にはそう危険ではない。

岩の上に出ると目の前にロープが張ってあった。
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下から登って来た人は「こっちには進むな」という印である。わざわざ難しいルートを選んでしまったようだ。

少々、岩稜の上を歩く。
左手、木々の間から、長沢背稜の酉谷山避難小屋が見えた。
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位置的には、こんな感じ。左が酉谷山、右に日向沢ノ頭(1702m)。
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その右には、坊主山と1595mピーク。
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最後の急坂をクリアするとウトウノ頭(1588m)。
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立派な手作りの山名板があってびっくり、かつなぜかホッとした。

ここには三等三角点。
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頂上はこのような状態で、眺望はほとんど得られない。
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写真だけ撮って通過する。

この先は急坂を少し下った後、しばらく平坦な道。
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その後は、右へ折れて、100mほど一気に下る。
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正面には篶坂ノ丸(すずさかのまる、1456m)が見える。
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下り切ると、再び平坦な道が続く。尾根が広く、今までの緊張がうそのようだ。
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雪もすっかり消えてしまった。

篶坂ノ丸へは、なだらかな登り。
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左手に長沢山稜。
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ウトウノ頭を振り返る。
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篶坂ノ丸の頂上は、だだっぴろい疎林の中。
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でも、ちゃんと山名板があって、うれしい。
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この先はだらだらした下り。
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700mほどで金袋山(1325m)に到達。ピークとも思えないような場所だ。
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冬枯れの木々の向こうに、やはり長沢背稜が寄り添っている。
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引き続き、だらだらと下っていく。
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落ち葉が降り積もって、かなり深い。
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しかし、どうにも靴のせいで、くるぶしが痛い。
両足とも靴下まで脱いで、ティッシュを折りたたんで患部に当て、クッションとした。
だいぶよくなった。

次の人形山(1176m)は、二つに分かれた稜線の左の方にあった。
踏み跡を真っすぐ進めば右の稜線なのだが、望遠で見ると、左下方に山名板らしきものが確認できたので行ってみたら、やはりそうだった。
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上から来ると、ほんの盛り上がりでしかない。
尾根を下るだけで、こんなに「登った山」が稼げるなんて、全くありがたい。
しかも、どの山にも山名板があるのも、うれしい限り。
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左の稜線をまっすぐ行く破線が登山地図には書かれているが、そちらに行くと、一石山(1007m)に行けないので、右の稜線に戻って、実線の道を行くことにする。

このあたり、広く削平されたようなテラスが2段あるのだが、建物の痕跡はない。
自然の地形なのだろうか。
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さて、ここから先の道がはっきりしない。
直進方向に赤テープとケルンがあるのだが、その先は急坂で植林の中に入ってしまう。
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いぶかりながらも、そのまま少し下ってみたが、踏み跡は散漫になり、これが実線の道とはとても思えないので、引き返し、左の稜線の方に向かう。
そちらに標識みたいのが見えたからだ。

しかし、この標識はミズナラの巨木の保護を訴えるもので、道標ではなかった。
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その巨木というのがこれ。
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手前の横になった丸太が、注意書きに言うウッドサークル。

この巨木を北から回り込んでみると、落ち葉に隠れた道のようなものがあったので、それを下ることにする。
植林の縁を下っていくような道で、登山地図のラインとは随分ずれているような気がしたが、どうやらこれが正しい道のようなので、そのまま下る。
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「巨樹周回コース」という道標もある。
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帰宅後、吉備人出版「登山詳細図」を確認すると、この巨樹のところから道が2つに分かれており、私の採った道は間違っていなかったようだ。

このまま一石山に向かうが、さらに問題発覚。
登山地図によれば、一石山を過ぎたあたりで、実線の道は大きく左折して、尾根を離れていくはずなのだが、一石山に達する前に道は右折して、急坂を下っていく。
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これはおかしいと思い、地図ロイドにご登場願う。
すると、なんと一石山はすでに過ぎている。
とにかく、山名板を見逃したかもしれないので戻ることにする。
すると、数分で一石山の山名板を2つも発見。
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う~ん、これは小さい。しかもピークでも何でもない。ただの坂の途中だ。
これでは、登って来る人じゃないと気づかないだろう。

で、道の謎も解けた。
一石山からわずかに下ったところに左折の道は確かにあったが、小川谷林道崩落のため通行止めと書いてあった。
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右折の道は、登山地図に言う一石山神社に直通する破線の道だ。
是非もなく破線の方を行く。
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ごく最近切り開いたような道に見えるが、そうでもないのかもしれない。

確かに道はあまりよくない。これを一気に300m以上下らなければならない。
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落石がかなり多そうだ。

途中、石の階段もしつらえてあった。
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植林の中を延々下る。
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木々の向こうに石灰岩の巨岩が見え隠れしている。
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ベンチまで来ると、あと200m。
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これは燕岩と呼ばれる絶壁。
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落石止めの鉄柵もいっぱいいっぱいの状態。
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小川谷の対岸には梵天岩。
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眼下に神社が見えてからの道も、かなり分かりにくい。
踏み跡に従うと、神社とは全然違う方向に行ってしまい、落石止めの柵の間に入って行きそうだが、とりあえずそのまま進む。
するとまた方向を急転換し、境内に降り立つことができた。
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この日の無事と今年(2014年)1年の無事を感謝し、参拝。
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さらに下ると、小川谷林道に出る。落石のため通行止めの柵がものものしい。
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そして、ここはかの日原鍾乳洞。
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皇太子殿下兄弟がそろって見学に来ている学術的にも貴重な有名観光地だ。
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なんと年末年始は休業。だったら、ここに車を置いて行ってもよかった。
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一応、入口付近まで下りて、あたりを探索。
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この鍾乳洞のうち新洞は昭和37年に東海大学の調査隊によって発見されたものだというが、存在自体は古くから知られていたようで、古文書に「剣ノ峰上ニ 一洞通ジ、ソノ窮極ヲ知ラズ」と書かれているという。かつては「一石山の御岩屋」と呼ばれていたらしい。
「昭和の観光地」のにおいがぷんぷんしており、こういうところは好みだ。
30年以上前の大学時代に1度来たことがあるが、中はかなり広かった記憶がある。

車道を歩いていると、一石山神社の正式な入口。
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石仏が金網で守られていた。
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湧き水があったので、一口いただく。
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雲取山荘でもらった湯水はきれいさっぱり使い果たしていた。


もう一度、あの暖かいトイレを借用。
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あとは、車を置いたおいたところまで歩くだけ。
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2時半前に到着。やっと、しっくりいかない靴から解放された。
ここも日原鍾乳洞の駐車場だったので、「駐車禁止」の貼り紙があるかと思ったが、休業中だけにそれはなかった。

奥多摩駅近くのもえぎの湯に向かう。
途中、東京都水道局小河内線の廃線アーチ橋と奥多摩工業氷川工場が見えた。
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この角度で見たのは初めてかも。

さあ、大晦日だが、もえぎの湯はやっているだろうか。
行ってみると、5時営業終了だったが、やっていた。
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まだ3時だったので、露天風呂にもゆっくり浸かり、6時前には帰宅できた。
新しい靴に悩まされ続けたが、それなりにハードで2014年の登り納めとしては満足のいく山行だった。

【行程】2014年12月31日(水)
雲取山荘(6:34)~大ダワ(6:48着替え6:52)~芋ノ木ドッケ(7:41)~住谷ノ頭(8:26)~長沢山(8:59休憩9:13)~水松山分岐(9:44)~タワ尾根分岐(10:28靴調整10:32)~1602mピーク(10:53昼食11:17)~ウトウノ頭(11:41)~篶坂ノ丸(12:14)~金袋山(12:31)~人形山(12:54)~一石山(13:26)~日原鍾乳洞(14:05撮影14:10)~日原渓流釣場(14:24)
※所要時間:7時間50分(歩行時間:6時間56分)
※登った山:11座(芋ノ木ドッケ、ヤケトノ頭、小屋背戸ノ頭、住谷ノ頭、仏小屋ノ頭、長沢山、ウトウノ頭、篶坂ノ丸、金袋山、人形山、一石山)
※歩行距離:14.4km

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雲取山(3)

【2014年12月31日(水)】雲取山
雲取山荘に宿泊中。
めずらしいことに、同室者のいびきはそんなにうるさくなかった。
4時半頃、回りがごそごそし始めたので、つられて起きてしまった。
朝食は5時半。この時間設定は、頂上で御来光を見られますよ、という意味であろう。
私は写真を撮るので明るくならないと出発しないから、無駄に早いが仕方ない。
朝食のメインは鮭。あと生卵。みんなおかわりをしていたが、私は1杯のみ。
部屋で、昨日書けなかったメモを書きながら、明るくなるのを待つ。
同室だった皆さんはほとんど先に行ってしまった。

給湯・給水は玄関の受付で行われる(無料)とのことなので、行ってみたら、あなたのポットは大きい(800cc)から、水かお湯のどっちかにしろと言われた。
「下りだから、そんなに飲まないよ。どうせ、みんな下界で捨てるんだ」と余計なことを言う。
こちらは、カップ麺用のお湯と、水分補給用の水が必要なのだ。
鴨沢までただ下りるだけの人ならまだしも、こちとら長沢背稜を歩いて、タワ尾根を下るのだ。
でも、そんなことは言わず、「なら、お湯は満タンは入れないので、水も半分下さい」と下手に出て、両方補給した。
この後、受付の中に入って、給水しているお客さんが、「中に入らないで」と怒られていた。
中に入らない場合は、玄関でサンダルに履き替えて、補給しないといけない。
そんなに手間ではないと言えばそうだが(自分もそうしたし)、でも中に入ってほしくないなら、もっと置く場所を考えてもいいのではないか。
山は不便だから、客の立場を考えなくていいというわけではない。

そんなこんなで6時半に外に出た。
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まだ日の出前だが、やっと明るくなってきた。
小屋正面の空もオレンジ色に染まっている。
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さっきの、文句おじさんも外に出てきて、「今日は穏やかだなあ。今夜は雨だって予報だけどね」と声をかけてきた。
こちらは「あ、そうですか」と相槌を打ち、「お世話になりました」と挨拶して出発した。

三峰神社方面に向かう。テン場はその道沿いにあった。
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前回は女坂から来たので、今回は男坂を行く。
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正面にこれから登る芋ノ木ドッケ(1946m)。
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眼下に三峰神社あたりの灯りが見える。
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(中央下あたり)

雲取ヒュッテの廃屋はもっと大きいような記憶があるが、意外に小さかった。
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男坂は次のコブをしっかり越えるのかと思ったら、西側を巻いているだけだった。
左手に両神山(1723m)や和名倉山(2036m)が覗けた。
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下りたところが大ダワ。
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ここから登りになるので着替え。ダウンをレインウエアに。

大ダワ林道通行不可のお知らせはこちらにも。
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出発した直後に日が昇った。まん丸だった。
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あたりが赤く染まってきれいだった。
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この付近は外国人の登山者も多いのだろう。
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中国語では、アイゼンのことを「冰爪」と言うようだ。

三峰へ行く道と芋ノ木ドッケに行く道の分岐の手前で一瞬、西の視界が開けた。
中央に東仙波(2003m)、その左奥は唐松尾山(2109m)。
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唐松尾山のアップ。
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竜喰山(右、2012m)と大常木山(左、1962m)。
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どっしりした山容の和名倉山。
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分岐からは急登になる。
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急坂が一段落したところがバラ尾根ノ頭というところだったことを帰宅後、吉備人出版「登山詳細図」を見て知るが、この時は何も知らず、そのまま通過。
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振り返ると、雲取山(2017m)が見えてきた。
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再び、左手が開ける。
和名倉山は名山だと思う。
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これは奥秩父の核心部。左から木賊山(2469m)、甲武信岳(2475m)、三宝山(2484m)。
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芋ノ木ドッケはわりと目立つ山なので、眺望を期待していたのだが、頂上直下の道標に山名が書かれてあるだけで、頂上には何もなしでがっかり。
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すぐに通過。
でも、この先は10~15cmほどの積雪があり、歩きやすいうえに、木がまばらで明るい。
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気持ちのいい下りだ。
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下りの傾斜もゆるいので助かる。

今度は右手の展望が開けた。石尾根の向こうに、うっすらと丹沢山塊。
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最奥の稜線はたぶん長沢背稜。
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雲取山もこの通り。
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これはたぶん、右から長沢山(1738m)、板小屋ノ頭(約1710m)、水松山(あららぎやま、1699m)。
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1820mピーク(ヤケトノ頭)の先は、木の根がうるさい下りで、少々神経を使った。
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1708mピークの住谷ノ頭は道標の裏に手書きで書いてあった。
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50mほど下ると、しばらく平坦な道。
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左手に秩父の山々。
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藻琴ヶ峰(1523m)の向こうに両神山。
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その右に、真っ白な浅間山(2568m)が浮かんでいる。
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長沢山(1738m)への登り。
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振り返ると奥に芋ノ木ドッケ。左に雲取山。右に白岩山(1921m)。
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長沢山には9時に到着。
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ここまでほぼ2時間半、ほとんど休みなしで来たので、休憩。
日の当たる場所に腰掛け、ホットココアで温まる。
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空が青い。気持ちのいい大晦日だ。
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15分ほど休んで出発。
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なかなか右手がいい雰囲気。
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おっと、この日初めて富士山が出現。石尾根の向こうに顔を出した。
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雲取山の全景もよく見える。
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この下りで単独男性とすれ違う。この日に会ったのはこの人だけだった。
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右谷ノクビレで板小屋ノ頭を北に巻く道へ入る。
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地形図ではピークに続く道の表記しかなかったが、登山地図は巻き道が示されている。

板小屋ノ頭は以前通ったことがあるので、今回は素直に巻く。
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巻き終わると、二重山稜になっており、この風景は見覚えがある。
DSC_4977_201501200732205ea.jpg

まっすぐ尾根を登ると水松山だが、これも踏破済みなので、天祖山(1723m)から来る巻き道と合流して、そちらを歩く。
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前回、稜線のピークはつぶしてあるので、今回は巻き道を堂々と行ける。楽ちんでうれしい。
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左手の水松山の尾根を眺めながら、巻き道を歩く。
尾根が巻き道に合流したコル。
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前回、この先、巻き道を行ったのか、そのまま尾根を行ったのか記憶が薄れているが、地図を見る限り、そのまま尾根を行ったようだ。

右手に富士山が大きく顔を出した。
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引き続き、岩下谷ノ頭を巻く。
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このあたり、雪がところどころ解けてなくなっている。
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天祖山の東斜面は採石のため激しく削られている。
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岩下谷ノ頭を巻き終えると、ヘリポートのあるコルに出る。
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ここからは奥多摩方面、秩父方面とも眺望がいい。
酉谷山(1718m)から熊倉山(1427m)へ続く稜線。
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その向こうには御荷鉾山(1287m)が遠望できる。
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右奥は両神山。
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手前は三峰神社の奥の院、妙法ヶ岳(1329m)。
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目を奥多摩方面に転じると、いつも目立って自己主張している大岳山(1267m)。
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天祖山。
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富士山。
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雲取山。
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ここから500mほど歩くと、タワ尾根への分岐。
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前回、滝谷ノ峰から下りてきた場所だ。

長沢背稜の道標はあったが、タワ尾根方向に「日原」などと表記した矢印はなかった。
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ここで靴の紐を少し緩める。やはり、右足の右くるぶしの下がとくに痛い。
少しマシになったところで出発。ここからは全く未知の道。
前回、酉谷山避難小屋で同宿した単独女性が日原から登ってきたという道だ。
冬山は初めてという女性が登って来られたくらいだから、踏み跡もしっかりしているのだろうと考えていたのだが、やはり、登りと下りでは大違いだった。

少し下って、滝谷ノ峰方面を振り返る。
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最近はこのルートを誰も通っていないのかと思ったら、1人の足跡があった。心強い。
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間もなく、何のためのものかは分からないが、モノレールが出現。
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これが下まで連れて行ってくれてしまうのだろうか。

「終点1780m」とあるのは、標高のことではないのは明らかなので、距離のことだろう。
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距離だとしたら、日原までそんなに短くはないので、途中で終わってしまうはず。

とにかく、これに沿ってしばらく歩くことになる。
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途中、レールに右に行ったり、左に行ったりしなければならず、面倒だったが、急なところは手すり代わりにもできて助かった。
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倒木を突き刺して通過している箇所もあり、おもしろい。
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1602mピークに至ると、レールは右斜面に下りていってしまった。残念だ。
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(つづく)

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雲取山(2)

【2014年12月30日(火)】雲取山
野陣尾根の1845mピーク付近からは、左手に石尾根やその向こうの稜線が幾重にも重なって見えた。
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これは石尾根の高丸山(1733m)。
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この先は林床が背の低いササの気持ちのいい道。やっと楽になった。
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正面のピークは小雲取山(1937m)。

そこへの登りも標高差が100mもあったが、それほどきつくなかった。
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石尾根への分岐を通過して、「もうすぐだ」と元気が出る。
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1時40分過ぎ、小雲取山直下に到着。
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休憩した分岐から3時間ちょっと。コースタイムより30分ほど早かった。

ここで、ずどんと展望が開けた。
左奥に大岳山(1267m)、その右に御前山(1405m)。大岳山の手前、防火帯が見えているのが高丸山。
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右に大菩薩嶺(2057m)。左に小金沢連嶺が連なり、左のとんがりは雁ヶ腹摺山(1874m)。
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左奥に丹沢がかすんでいる。
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手前から七ツ石山(1757m)、三頭山(1531m)、丹沢の山々。
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さすが奥多摩の銀座通り。石尾根からはどんどん登山者が登ってくる。
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富田新道では、1800m付近で単独男性とすれ違っただけだった。
足跡も、前日に2人程度という印象だ。

眺望を堪能したところで、雲取山(2017m)に向かう。道もよく踏まれている。
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展望がいいので写真を撮りながら歩く。
飛龍山(中央左、2077m)と三ツ山(中央右、1949m)。
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おお雲取山頂の避難小屋が見えた。
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前方には甲武信ヶ岳(2475m)、左に木賊山(2469m)、右に三宝山(2484m)。
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ぐずぐず何度も止まっている間に、何人かに抜かれてしまった。
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雲取山の巻き道を13:50頃通過。
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そちらにも足跡があってびっくり。あえて山頂を避ける人もいるなんて。
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ここまで来れば、山頂はすぐそこだ。
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こんな落書きも微笑ましい。
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さあ、最後の登り。
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避難小屋に泊まることも考えたが、調子の悪い靴なのに、荷物が重くなるのは避けたかった。
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急坂で立ち止まりつつ振り返る。
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山頂の気温は-0.4℃くらいか。暖かい方だろう。
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小屋の屋根の雪が解けて、滑り落ちている。

避難小屋を通過して山頂へ。
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14:12登頂。歩き始めてから6時間半近くかかった。
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ここには全国に3つしか残っていないという原三角測点がある。
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側面には「明治十五年十二月 内務省地理局」とある。
わが国の三角測量は明治初年、内務省地理局が行っていたが、明治17年6月26日に参謀本部に移管され、以来、参謀本部陸地測量部が担ってきた。
現在の型式の三角点はそれ以後のものである。
地理局時代の三角点はほとんどが陸地測量部によって付け替えられたため、ほとんど残っていないが、ここ雲取山と白髪山(群馬県・1512m)と米山(新潟県・993m)にだけ残存しているらしい。

もちろん、ここには陸地測量部設置の三角点もある。
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かなり欠けてしまい、修復してある。

富士山や南アルプスが見えないのが残念だったが、すばらしい展望が得られた。
鷹ノ巣山(1737m)。
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天祖山(1723m)の背後に三ツドッケ(1576m)。
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川苔山(左、1363m)と本仁田山(右、1225m)。
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三頭山の背後に丹沢。左から大山(1252m)、丹沢三峰、丹沢山(1567m)、蛭ヶ岳(1673m)。
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大菩薩嶺(右)と小金沢連嶺。
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飛龍山(左)と三ツ山(右)。
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甲武信ヶ岳(中央)。
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富士山は左の裾野が雁ヶ原摺山の向こうにうっすら見えるだけ。
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山頂の積雪は10cm程度。
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このまま北に下れば、20分ほどで山荘なのだが、色気が出た。
一度歩いた道なので、そちらは避け、いったん戻って巻き道を行くことにする。
巻き道は歩いたことがないのだ。
時間は30分ほど余計にかかることになるが、まだ2時半前だ。問題ない。

というわけで来た道を戻る。
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しかし、この下りでいきなり、くるぶしが痛み出した。
下りだと、靴に当たるのだ。一歩一歩がマジ痛い。
痛みが発症したせいで、平らな道でも痛い。困ったことだ。

この時間でもまだ登っていく人はおそらく小屋泊かテント泊であろう。
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単独の人ばかりだが、まだまだ結構いる。

痛みをこらえて巻き道に入る。
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しばらく歩いたところで再び、紐を緩める。1段から0段に。
いくらか楽になった。

巻き道は北斜面なのに、雪が10cmほどしか積もっていない。
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途中、めずらしく電波が通じたので、しばし立ち止まって、必要な連絡を済ます。

3時20分、やっと小屋に着いた。
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田部重治のレリーフに挨拶。
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ここに泊まるのは2度目だ。
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玄関には注連縄が飾られ、すでに正月の準備がしてあった。
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チェーンアイゼンを外して、中に入る。
受付のおじさんに「予約していた○○です」と告げて、ザックを下ろしている間に、他の人の応対を始めたので、その間に靴を脱ごうとしていたら、おじさんは「ほら、靴脱ぐ前に受け付けして」という。
早速、感じの悪いのが始まったなあと思いつつ、従う。
暖房費入れて、7800円。そんなに高くはない。

靴は袋に入れて、部屋の外にある棚に置くよう指示される。
案内されたのは、4-1号室。
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もう10人くらいの人が部屋にいた。単独男性がこの部屋に集められたようだ。
今日は彼らと同室である。

前にはなかった屋内のトイレで着替えを済ませ、ビール(500円)を買って部屋に戻る。
こたつの中で、この日のメモをつけるつもりだったが、同じこたつの人と会話になってしまい、メモは断念。
同じ年代の男性が、机の上に「みなさんでどうぞ」とナッツを提供してくれたので、私も自分のナッツを供出、ほかの方々もビーフジャーキーやチーズなどを次々と供出し、随分豊かな酒宴が、4時くらいから始まった。
6時の食事までに、さらにハイボール2缶(1缶500円)を飲んでしまい、すでにほろ酔い。
食事のメインディッシュはハンバーグ。まあ普通だった。
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ここでは隣に座ったご夫婦と雑談。
奥さんは山だけでなく、ダイビングもするそう。
そういう時、ご主人は1人で好きな山に行くのだそうだ。

部屋に戻って宴会再開。ハイボールだときりがないので、日本酒に切り替え。
地元の「秩父錦」のワンカップ(400円)をいただいた。
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同じこたつだったのは、父親の出身が福島という50代後半くらいの人、50歳前後の逗子在住の人、37歳の鎌倉在住の人、28歳の藤沢在住の人の4人で、若い2人は独身とのことだった。
いろんな話をしたが、槍穂高に登ったことがあるのは逗子の人だけ、富士山に登ったことがあるのは他の4人ときれいに分かれた。

歓談は消灯前の20:15に終了。
それぞれ布団に入り、私もあっと言う間に眠りに落ちた。
足はこたつの中で、練炭が熱いほどだった。
夜中1時半頃に一度、トイレに起きたが、またすぐ眠りに落ちた。

【行程】2014年12月30日(火)
日原渓流釣場(7:45)~八丁橋(8:20)~林道分岐(9:45)~富田新道分岐(10:23休憩10:37)~1600m地点(11:53昼食12:20)~サワラノ平(12:31)~小雲取分岐(13:41撮影13:44)~雲取山(14:12撮影14:20)~巻き道分岐(14:33)~(休憩10分)~雲取山荘(15:23)
※所要時間:7時間38分(歩行時間:6時間36分)コースタイム:7時間20分
※登った山:4座(うち新規3座:サワラノ平、野陣ノ頭、権衛ノ頭)
※歩行距離:13.9km

(つづく)

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雲取山(1)

【2014年12月30日(火)】雲取山
タイトルは雲取山(2017m)だが、今回の目的は雲取山ではない。
長沢背稜の未踏区間(芋ノ木ドッケ~水松山)とタワ尾根を歩くことだ。
それには1泊2日必要なので、雲取山荘に泊まるしかない。
雲取山荘に泊まるなら、これで3回目になるが雲取山も登ってしまおう。
どうせ登るなら、今まで歩いたことのないルートにしたい。
というようなわけで、富田新道を取り入れ、日原~富田新道~雲取山~雲取山荘~芋ノ木ドッケ~滝谷ノ峰下~(タワ尾根)~日原という周回コースになった。

前日の29日(月)、都内は雨が降る中、雲取山荘に予約の電話を入れたが、雪はほとんど降っていないという。日陰で15cm程度だとか。ちょっと拍子抜けだが、豪雪ラッセルよりはマシだ。
宿泊予定者も30人程度とのことで、以前泊まった時のような超満員の苦しみを味わわなくていい。
あまり好きな小屋ではないが、テントを担いでいくのはちょっときついので致し方ない。

30日当日は5:13、目覚ましが鳴る前に起床。5:40に出発した。
今回は周回コースをとれたので、マイカーだ。
駐車場が心配だったが、登山地図には日原鍾乳洞のところにPマークがあるから大丈夫だろう。
奥多摩駅より先は路面が凍結しているので、ゆっくり進む。
以前から地形図を見て気になっていた、石灰岩を運ぶ奥多摩工業曳鉄線の地上部分が確認できた。思わず、車を止めて撮影。随分高いところを走る鉄橋だった。
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日原鍾乳洞の駐車場は無料のようだが、「専用駐車場」と書いてあるので、駐められない。
うーむ。とりあえず、トイレに入る。
便座が温かくて感動。ゆっくり用を足すことができた。

さて、それなら日原林道を少し走ってみる。
どこかに適当な路肩があるだろうと思っていたら、日原渓流釣場の駐車場の先にちゃんとした駐車スペースがあった。
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安心して駐めて、準備を整える。
今日は、前回くるぶしが痛くなった冬用ニューシューズ。気が重い。
一応、普通のソックスの上に登山用靴下を二重に履いて、防御しているつもりだが。

出発しようとして、ふと見ると、ここにも日原鍾乳洞専用駐車場との表示があった。
黄色い字が薄くなっていて気づかなかった。
でも、この時期に、ここまであふれてくるほど鍾乳洞への観光客が来るとは思えない。
迷惑はかからないだろうと判断して、駐めさせてもらうことにした。

軽くストレッチをして7:45に出発。
ここから八丁橋までの日原林道は、ちょうど2年前、天祖山(1723m)に登った時に歩いた道だ。
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雪はないが、路面が凍って、わりと滑る。

伊勢橋を渡るとダートになる。
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前回と同様、氷川鉱山のケーブルがあった。
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滝にしては、変な音がする。何だろうと思っていたら、やはりホースからの排水だった。
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35分で八丁橋に到着。
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ここから先は未知の道だ。
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林道歩きがさらに延々と続く。
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日原川の渓谷も深くなっていく。
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やはり、靴の相性が今イチ。この林道で2度ほど紐を締め直した。

路面の凍結も派手になってきた。
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落石や湧き水のつらら。
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9時を過ぎて、やっと谷の中にも日が射してきた。
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天気は最高だ。
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山肌に目立った木を見つけたので遠くから撮影していたら、名のある木だった。
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名栗沢を渡る。橋の竣工は昭和42年。
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それにしても、この林道はこんなに金をかけて整備しなければならないほど重要な道路なのだろうか。確か施工は平成25年だった気がする。
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だったら、崩落している大ダワ林道の復旧も早めにお願いしたいものだ。
そのための関連工事であっのなら、ごめんなさい。

お、またまた巨木。
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これまた名木であった。
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なんだかんだで、スタート地点の標高620mからだらだらと登り、1000mを超えてきた。
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出発からちょうど2時間で、大ダワ林道と富田新道との分岐に到着。
大ダワ林道は2010年4月30日から通行止めのままになっている。
同年6月12日に転落による死者が出ており、かなり危険な状態のようだ。

もちろん、そんな危ない道に単独でロープもなく行くわけがない。
富田新道に向かう左の登山道に入る。
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いろいろと注意事項が多い。

日原川の河原近くまで標高差にして70mほど下る。もったいない。
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石垣でしっかり組んだ箇所があってびっくり。

かと思えば、落ち葉に埋もれて道がよく分からないような箇所も。
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こんなところにMTBのタイヤ跡が。下りてきたのか登る途中か。いずれにしても勇気がある。
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日原川の支流・長沢谷を渡る吊り橋「唐松橋」。
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滑りそうで怖い。
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ここからいきなり急な登り。
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足首が動かず、登りにくいので、靴の紐を3段から1段に下げる。

吊り橋から、富田新道と唐松谷林道との分岐まで標高差180mほどの登り。
後半はすこし傾斜がゆるんだので、息を整えることができた。
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林道から分岐まで、コースタイム30分のところ40分近くかかってしまった。
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靴のせいもあるが、もともとタイム設定が厳しいのかも。

しかし靴が合わず疲れた。ここでどっかり座り込んでしまった。
ホットレモンを飲みながら、回りの山や空を眺める。
風もなく暖かい。
それにしても、ここから小雲取山(1937m)までコースタイム通り3時間半もかかるとしたら、途中でお昼を食べる時間も計算すると、小屋に着くのは4時になってしまう。
地図を見る限り3時間で行けそうな気もするが、この靴ではどうなることやら。

15分ほど休んで出発。
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大きくジグザクを繰り返しながら高度を稼いでいく。
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振り返ると、天祖山が見える。
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1300mを超えて、雪が残るようになってきた。
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登りはかなりきついが、時々平らな道がはさまるので助かる。
1410mから1460mのあたりはとくに傾斜が緩く、歩きながら一息入れることができた。
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1450mあたりからは、もうすっかり真っ白に。
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さっきの自転車と思われるタイヤの跡がくっきり。
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足跡もないし、ラインが真っすぐなので下りのようだ。

尾根道をえっちらおっちら。
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サワラノ平と呼ばれる1708mピークでお昼にしたかったが、その先はなだらかになるので、休まなくても進める。それならば、と登りの途中で食べてしまうことにした。
というか力尽きた。
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この切り株をイス代わりにして、マットを敷いて座る。

メニューはカップ麺のみ。お湯はすぐ沸いた。今日は新調したテルモスにお湯を入れて持ってきた。
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おにぎりはこの時期ぱさぱさになってしまうので適さない。
パンとカップ麺は合わないし。

30分ほどで出発。休んだ後なのに、依然として足が重い。
昼食現場から10分で、サワラノ平を通過。山名板などは見当たらなかった。
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南には七ツ石山(1757m)が見える。
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ここからは、なだらかな道なのでありがたい。
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雪も深さ5cmほどになり歩きやすい。
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木々の間からだが、だいぶ周辺の山も見えるようになってきた。
天祖山。左のこぶはナギ谷ノ頭(1671m)。
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芋ノ木ドッケ(1946m)。
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奥は長沢背稜。手前は天祖山から梯子坂ノ頭(1662m)への稜線。
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1845mピークは権衛ノ頭という名称が付いていたことを帰宅後に、吉備人出版「登山詳細図」を確認して初めて知った。
現地には、山名板はなかった。
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(つづく)
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仙元山(下)

【2014年12月28日(日)】仙元山
小倉城跡に着いた。史跡としては、まだほとんど未整備の状態。
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個人的には、復元などの整備はしなくてもいいと思う。
遺跡というのは不思議なもので、当時の姿に復元すると、分かりやすくなる反面、遺跡としての魅力が半減してしまう。
遺跡とは、降り積もった時間も含めての存在なので、それをひっぺがえしてしまうと、失うものも大きいのだ。
「比企城館跡群」としての史跡指定であるなら、整備は菅谷足跡の方に任せて、こちらはなるべく手つかずにしておいた方がいいのではないか。
必要最小限の案内板と、ヤブを払うだけで十分だと思う。

ちなみに、この城の主は後北条氏の重臣遠山光景とされてきたが、発掘調査による所感では築造年代は16世紀前半から半ばというので、光景の築城とは言えないようだ。

いい時間なので、木の切り株に座って、早めの昼食をとる。菓子パン2個。
ここは標高136mのピークなので、小倉城跡として「登った山」の1つに加える。
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ちょうど食べ終わる頃に、小学生の女の子とお父さんが逆方向から登ってきたので、それを潮に出発。

小倉峠まで戻って、仙元山に向かう。
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このあたりからトレランを始める。登りは歩くが、平らなところや下りは走った。
この先のトレイルはわりと走りやすい道だ。

掘れた登りの道。
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緩やかな登り。
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植林は暗いが、雑木林は明るい。
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目指す仙元山とは別の「仙元山」の登りは、この日一番の急坂。
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「仙元山」(約270m)の頂上にはたくさんの石碑があった。
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この「仙元大日神」が仙元山の由来だろう。

写真だけ撮って出発。軽快に走る。
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次のピーク、物見山(286m)は、植林の中の樹木の1本に山名板がくくり付けられていた。
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あわててストップして撮影。

とてもピークとは思えない場所だった。
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しばらく行くと、外秩父の山が見える瞬間が。
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次のこぶにも「物見山」の表示があり、???
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「登った山」の1つに入れたかったが、あまりに近いので遠慮しておいた。

この道標はあちこちにある。
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トレイルが西方向から北方向へ屈曲する位置にある253mピークには、大日山の山名板があった。こいつはラッキー。今回はだいぶ稼げる。
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ここでおじさん2人が休んでおり、「小倉城の方から来たんですか。我々はこれからです」とのこと。

眺望よし。木の間からだが外秩父が一望。
右から、笠山(837m)、笹山(740m)、堂平山(876m)、川木沢ノ頭(874m)。
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こちらは雷電山(418m)。
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再び走って出発。一眼レフを手に持ったまま走ると腕がだるくなる。
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青山城跡のある山は城山(267m)と呼ばれているので、「登った山」審査で紛糾はしない。
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こちらは町指定史跡だが、国指定の小倉城跡より、案内板は充実している。
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この先、分岐が増えてくる。
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結構、汗が出てきた。
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1時前に仙元山(299m)に到着。
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展望はなかなかよい。まずは眼下に小川町の市街地。
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榛名山(1449m)のシルエット。背後の雪山は上越国境の山々。
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谷川連峰。
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見晴らしの丘公園に向かって下る。もう走るのはおしまい。
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道がかなり入り組んでいる。
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途中、右手が開けた場所に出た。パラグライダーの離陸場だった。
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これから飛ぼうとしている人が1人いた。向こうには遠ノ平山(200m)。

枯れ葉の道を進む。
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今度は下里の大モミジ。かなり弱っている。
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元気な頃は、目通り4mの大木で、樹齢は約600年という。
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(昭和38年頃の姿)

寛文年間(1661~72年)に、この地の検地を行った坪井次右衛門なる人物がこのモミジを見て、「これからは、この山をモミジ山と命名せよ」とのたまったとか。
モミジ山の名は定着しなかったようで、むしろ、このモミジを「オナワ(検地のこと)のモミジ」と呼ばれるようになったという。

車道に出るあたりにに、きれいな東屋とトラクターの廃車。
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車道を少し歩くと、「見晴らしの丘公園」に出た。
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ここには立派な展望塔があり、とにかくそこに登ってみる。
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まず背後に、ローラーすべり台。実は乗ってみたかった。
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近場では、金勝山(263m)と、その奥に鐘撞堂山(330m)。
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四津山(200m)。
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官ノ倉山(中央、344m)の右後ろに釜伏山(582m)、左後ろは登谷山(668m)。
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大霧山(767m)。
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さっきも見た笠山(右)と堂平山(左)。
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外秩父連峰の稜線。
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忘れていた。今登ってきた仙元山。
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小川町の市街地。
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中心部。かなり高層マンションが建っている。
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引き続き、遠くの山々。不動山(549m)の背後に浅間山(2568m)。
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これはかなり見えにくいが、左の白いのが日光白根山(2578m)、右のは男体山(2486m)。
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この塔では、高校生のカップルがずっといちゃいちゃしていたが、気にしないでおいた。

さて下山。
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ここは地元の方々の健康づくりの場になっているようで、頑張って登ってくるお年寄り何人かとすれ違った。

はい、人里に下りてきました。
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ここが遊歩道の入口。
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市街地に向かい、都幾川を渡る。
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次に東武線を越える。
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跨線橋は鳩の休憩所。
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そこから仙元山(右)を眺める。左は見晴らしの丘公園。
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立ち寄り湯は、おがわ温泉「花和楽の湯」。
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必要ないのに、浴衣やバスタオルまで貸してくれる施設で、1380円もした。
まあ、このあたりではここしかないので仕方がない。
露天風呂は信長の湯、秀吉の湯、家康の湯と威勢がいい。
かなり浅かったので、しばらく横になって浸かっていた。
トレランでかなり汗をかいたので、すっきりした。

1時間弱で上がり、小川町駅まで歩いて、15:23発の快速池袋行きに乗車。
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朝霞台、南浦和で乗り換え、蕨駅へ。
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ここはまだ地方都市の駅の雰囲気を残していて、気に入った。

開演までわりと時間があったので、駅前のラーメン店「屯ちん」で魚豚ラーメン。
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出汁がきいていておいしかった。
というわけで、ライブ会場へ。こちらも堪能しました。

【行程】2014年12月28日(日)
武蔵嵐山駅(8:00)~四辻(8:23)~大平山(8:48撮影8:52)~大平山下(9:02嵐山渓谷往復9:22)~鎌形八幡神社(9:57撮影10:10)~正山(10:38)~小倉城跡入口(11・10)~小倉城跡(11:30昼食11:43)~仙元山(12:06)~物見山(12:13)~大日山(12:25)~城山(12:40)~仙元山(12:51撮影12:59)~見晴らしの丘公園(13:21撮影13:32)~花和楽の湯(13:59入浴14:56)~小川町駅(15:10)
※所要時間:7時間10分(歩行時間:5時間30分)
※登った山:8座(大平山、正山、小倉城跡、仙元山a、物見山、大日山、城山、仙元山b)
※歩行距離:19.4km

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仙元山(上)

【2014年12月28日(日)】仙元山
この日は、午後5時半から埼玉県蕨市で娘の卒業記念ライブがあったので、それに間に合うよう、近場の超低山にした。
嵐山町の大平山から小川町の仙元山までの縦走。標高は300mに満たないが、「登った山」の数だけは稼げる。
小川町駅近くに日帰り温泉もあるので、ライブに行く前に入浴も済ませられる。

朝6時に起床。6:43新所沢発の電車で出発。
本川越駅から川越市駅に移動。川越市駅前のコンビニで朝食のおにぎりと昼食のパンを調達した。
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武蔵嵐山に7:52に到着。ちょうど8時に歩き始める。
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嵐山町の市街地を抜け、国道254号を渡って、菅谷城跡の横を抜ける。
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(菅谷城跡の土塁と濠)

かなり冷え込んでおり、なかなか手が温まらない。
軍手に何度も息を吹きかける。

市街地を抜けると、正面にこれから登る大平山(179m)が見えてきた。
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山麓に至ると、四辻に大正八年建立の「道しるべ」があった。
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この場所から、主要な行き先への距離が書いてある。
日本橋や県庁、郡役所は分かるが、「第十四師団」(宇都宮市)が興味深い。
当時この地方の人が兵役に服する場合、入営先は「第十四師団」だったらしい。
日本橋までは16里だが、宇都宮までは倍の33里もある。

ここは江戸時代に高札が置かれた場所で、すぐ後ろには馬頭観音のほか、地蔵尊、元亨三年(1323年)銘のある板碑もあった。
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登山口手前には明治十三年建立の馬頭尊。
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登山口には小さな祠があった。
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途中に山の神。真面目に安全を祈願。
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頂上への明るい道。
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稜線に乗ったところに東屋がある。
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ここからは西側の展望が得られた。あれはたぶん東松山市・物見山(135m)の頂上にある埼玉ピースミュージアムだろう。
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登山口から15分ほどで頂上。嵐山町の最高峰だ。
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山頂には雨乞い神事が行われる雷電神社があった。
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木の間から、嵐山町の市街地を見下ろせる。
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東に対面する小倉城の物見櫓が、かつてここにあったと伝えられる。

はるか北方に男体山が見えた。
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東屋まで戻り、そのまま嵐山渓谷方面に下る。
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下ったところは、緑のトラスト保全第三号地と呼ばれる。
「大平山とそれに続く緩やかな斜面林が槻川の流れと一体となって、埼玉を代表するすばらしい景観を作り出している」のが指定の理由のようだ。

ここには「嵐山町名発祥之地」の大きな石碑があった。
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嵐山町の町名は「嵐山渓谷」に由来するが、その景勝の地がここなのである。
嵐山渓谷自体、新しい地名で、昭和3年(1928年)、埼玉出身の林学博士・本多静六が「京都の嵐山によく似ている」ということで命名されたとのことだ。
「あらしやま」が「らんざん」になった経緯はよく分からない。

折角なので嵐山渓谷を見学する。行き止まりの道のピストンだが仕方ない。
河原への道は気持ちのいい散策路。
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途中、与謝野晶子の歌碑があった。
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「槻の川 赤柄の傘を さす私 立ち並びたる 山のしののめ」

5分ほどで河原に下りてきた。
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もっと切り立ったところかと思ったら、意外に穏やかな流れだった。

来た道を石碑まで戻る。正面に大平山。
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今往復してきたあたりは、槻川の嵌入蛇行によって形成された細長い台地で、縄文時代の住居跡も発掘されている。

石碑の近くにある木造の展望台に登ってみたが、とくに景色がいいわけではなかった。
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冠水橋を渡って、対岸へ。
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増水した際は水面の下に隠れてしまう、別名「沈下橋」とも呼ばれるタイプの橋だ。
洪水でも流されないようにする工夫である。

ここは景勝の地とは言え、派手さには欠ける印象だ。
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紅葉の季節であれば、もっときれいなのかもしれない。

森を抜けると、埼玉の田舎らしい風景が広がる。
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立派な長屋門もあった。
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ふるさと歩道を進むと、昔ながらの六差路に「べったら地蔵」が祀られていた。
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扉を開くと、温顔のお地蔵様が。
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横から見ると、扁平な青い石(緑泥片岩)にしか見えないので「べったら地蔵」と呼ばれるようになったらしい。宝永六年(1709年)の銘があるという。
この六差路はかつて「六道の辻」と呼ばれていたとのことだ。

この道は古くからの街道だったらしく、沿道には石仏や石碑が多い。
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ちょっと、寄り道して鎌形八幡神社に参拝する。
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この建物は拝殿で、本殿はこの中に納められている。
本殿の建立は寛延二年(1749年)だそうだが、見ることはできなかった。
この神社は、坂上田村麻呂が平安時代初期に九州の宇佐八幡を勧請したのが始まりとされ、頼朝や尼御前の信仰が篤かったらしい。

ひと通り境内を歩いたが、ここにあるという木曾義仲の産湯清水が見当たらない。
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ちょうど鳥居の近くの家でゴミを燃やしていたご婦人がいたので聞いてみたら、拝殿のすぐ下にあるのがそうだという。
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戻ってみると確かにそうだった。
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神社に裏から入ったので気づかなかった。

さてきびすを返して、「登山地図」にはコースの表記がなかった正山(165m)に向かう。
このあたりにある石碑群には必ず、板碑が混ざっているので、うれしい。
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(左から2つ目)

地図コース表記がないだけに、登山口がよく分からない。
付近を行ったり来たりしながら、やっと探し当てた。
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この中央が入口。これは分からないわ。

登山道というか頂上への道は、作業車が走れるような道。
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途中、地元の人が何かの採集に入っていたが、こちらが咎められるようなことはなかった。
なんか私有地のような雰囲気なので、ちょっとドキドキしていたのだ。

頂上はスズタケが刈り払われているだけで展望は全くなかったが、山名板があって感激した。
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帰りは、途中から右に下る道があったので、別の登山口に下りられるかと思って進んでみたら行き止まりだった。
結局、来た道をそのまま戻る。

舗装道路に出て、正山の西側から大平山方面に向かう。
さっき見た嵐山渓谷を対岸から見る形になる。
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このあたりが小倉城跡への入口のはずだが、道が2本ある。
地図ロイドの地形図では右の道が近道のように見えるが、そちらから下りてきた女性に聞いてみたら、左の道を指示されたので従う。
その道を少し行くと、こんな標柱があった。
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やはり地元の人が言うことに間違いはない。

しばらくはまた舗装道路。
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10分ほど登ると、分岐に出た。
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小倉城跡は、さっき通った菅谷城跡などとともに比企城館跡群のひとつとして2008年に国の史跡に追加指定されたとのこと。

城跡への道。
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小倉峠に出ると右折して、稜線を登る。
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これは城の竪堀。
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頂上部分にある主郭。
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かなりの数の樹木が伐採され、全容が把握しやすいようにされている。
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ただ、案内板があるだけで、本格的な整備にはまだ着手されていないようだった。
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(つづく)
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箱根・三国山(下)

【2014年12月22日(月)】箱根
午後2時に近づいて、山伏峠(1035m)直下のレストハウスレイクビューに着いた。
ここからの芦ノ湖の展望は実に見事である。
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ここは3年前に箱根の神山(1438m)を登った翌日、車で来た。

さっき登った屏風山(948m)。屏風というより饅頭に見える。
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大観山(1012m)。
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神山(左)と駒ヶ岳(右、1356m)。
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神山の左に丹沢の大室山(1587m)。
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さらに左に金時山(1212m)も見えてきた。
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元箱根の町並み。左の赤い鳥居は箱根神社。
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箱根園の「ザ・プリンス箱根」。
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富士芦ノ湖パノラマパーク。
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「パノラマ絶景」って場所があるように誤解されそう。
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とにかく山伏峠に向かって登る。ここはピークを「峠」と呼んでいるようだ。

そのパノラマ絶景をご堪能ください。
まずは当然、富士山。
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愛鷹山塊。ピークは左から愛鷹山(1188m)、位牌岳(1458m)、越前岳(1504m)。
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伊豆・天城山(最高峰は万三郎岳1406m)。
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大島(最高峰は三原山728m)。
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海ノ平(942m)。
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広くなった芦ノ湖。
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頂上には富士山の世界遺産登録を記念した模型が。
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しかし、この先に道が通じていると思ったのに、ない。
さっき、登ってくる時、右手に巻き道かなと思った道があったが、あれが縦走路のようだ。
戻って、そちらへ。
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東斜面はすでに日陰になっており、寒い。
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しばらく稜線を巻いて歩く。
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右手、木々のすき間から、丹沢の山々が見えた。
左から大室山、檜洞丸(1601m)、蛭ヶ岳(1673m)。
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金時山から西への稜線も。
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さらに進むと西丹沢がすべて姿を現した。
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手前は仙石原の背後にある台ヶ岳(1044m)。
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ハート形に水が溜まったうろを発見。
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芦ノ湖の東岸、都嶋ノ鼻の北にある静かな湖岸。
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それにしても、かなり下らされて、ちょっぴり滅入った。
時刻はとっくに午後2時を過ぎている。
当初の予定通り、長尾峠まで行くのはもう無理で、湖尻峠から下るつもりだが、それにしても桃源台に着くのは4時半ごろになりそうだ。
少し急いだ方がいい。

登り返して、少し平らになったところで、走ってみた。
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意外に走れるのにびっくり。
もう20km近く歩いているのに、どこにそんな余力が残っていたのか。

こんなところはスラロームのようで楽しくなる。
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登りは当然歩きになるが、普段より早めのペースで登れる。
登り切って、下りになると、体が自然に走り出したりした。
こんなこともあるのだ。走っている方が楽なのである。
私はトレランの素質があるのかもしれない(笑)

三国山には3時前に到着。樹林で展望はなし。
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ベンチがあったので、しばし休憩。本日の休憩はそばを食べて以来。

このあとも走れるところは走った。
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ただ、撮影ポイントではちゃんと止まった。
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(長尾峠への稜線)

湖尻峠の手前は眺望がいい。
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本当なら、あそこを登ったはずなのだ。今日はパスでよかった。

走ったおかげで、湖尻峠まで三国山からコースタイム40分のところ25分で着いた。
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峠から富士山は見えなかったが、愛鷹山が見えた。もう逆光だ。
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ここから湖岸までの下りは本当に暗い道。
階段が激しく、石畳も滑りそうで怖い。
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それでも少し走ったので、深良(ふから)水門には13分で着いた。
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この水門は湖尻峠の下のトンネルをくぐって、裾野市を潤しているのだが、案内板を読んでびっくり。
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なんと、このトンネルが掘られたのは江戸時代のことだった。
小田原藩深良村(現裾野市)の名主・大庭源之丞は芦ノ湖の水を引くことで、水田用水の不足に悩む村民を救おうと考え、土木工事の経験が豊富な江戸の商人・友野与右衛門に依頼。幕府の許可を得た寛文六年(1666年)から3年半の歳月をかけて、長さ1280mのトンネルが寛文十年に貫通した。
両方から手掘りで掘り進んでというから、驚くべき測量技術である。
これには素直に驚いた。

以来、灌漑のみならず飲料水や防火用水として、また明治以降は発電にも活用され、その恩恵は計り知れないものがあった。
明治43年(1910年)にそれまで木造だった水門は石造鉄扉に改造されたが老朽化著しく、平成元年、現水門を補強するとともに、補助水門を新設した、とのことである。
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ここからの眺めも素晴らしく、しばし見入った。
古い桟橋の跡。
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金時山(右)。
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神山と駒ヶ岳(右端)。
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対岸、湖尻の集落。
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桃源台駅と海賊船。
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台ヶ岳(1044m)。左端の白亜の建物はパレスホテル箱根。
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手前の岸辺。
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さあ、だいぶ日も傾いてきた。先を急ぐ。ここからはしばらく林道歩き。
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小腹が空いたので、残りのパン、アップルデニッシュを食べながら歩いた。

湖尻水門の手前で、少し浜に出てみた。
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もう湖面は日陰になり、風が冷たい。

遊覧船も最後の本日運行だろうか。
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対岸は大観山(1012m)。
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これが湖尻水門。
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芦ノ湖の水はここから早川として小田原まで流れ下っていたが、現在はこの水門で水量が調整されているようだ。

水門を横断して、芦ノ湖キャンプ村の中を突っ切る。
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立派なバンガロー(ケビン)が多い。
検索してみたら、オフシーズンで1泊2万円もする。
こりゃ大勢で泊まらないと割に合わない。

キャンプ場の後は雑木林を抜けて、ロープウエーの桃源台駅へ。
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バス停に4:17着。
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次のバスは30分発だというので、トイレを済ませ、少しパッキングをし直して乗車。

さて風呂をどうするか。
箱根湯本で入った方がバスを乗り継がないで済むので効率がいい気がする。
でも、時刻表を調べ、湯本の日帰り温泉の場所や価格なども検討して、やはり途中下車して宮城野温泉会館に行くことにした。

下車する時に、Suicaが残高不足に。手持ちの現金は2000円。やばい。
18:20のロマンスカーに乗りたいが、それには17:35宮城野発のバスに乗らなければならない。
現在は16:55。入浴時間は30分もない。
あまり、あわただしいのはいやだが、普通にやって、間に合わなかったら仕方ない、次のロマンスカーに乗ればよい、くらいの構えで風呂に向かった。
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この日は平日だったが、やはり地元の人で混んでいた。
体を洗い終わったのが17:18、3分ほど湯に浸かり、急いで着替えて、17:30に会館を出る。バス停までは3分。
バスは少し遅れて到着。間に合った。
ザックに入りきらなかったレインウエアをダウンの上に着て湯冷め防止。
箱根湯本には18:00すぎに到着した。
特急券をカードで買えなければ、コンビニに走ってお金をおろさないといけなかったが、カードOKで助かった。
なけなしの現金は使わないで済んだので、これで弁当とビールを購入。
まわりは中国人だらけだ。

ロマンスカーは新幹線より時間はかかるが、いつも愛用している。
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ビールでひとり打ち上げ。季節柄、サッポロビールは箱根駅伝仕様になっていた。
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弁当は少しぜいたくに。
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車内ではのんびり過ごして、9時すぎに帰宅。
箱根はこれまであまり晴れたことがなく相性が悪かったが、快晴でよかった。
年に1度は来たいところだ。

【行程】2014年12月22日(月)
芦の湯バス停(7:06)~上二子山登山口(7:16)~上二子山山頂(7:49)~登山口(8:13)~六道地蔵分岐(8:47)~お玉ヶ池(9:13)~箱根旧街道入口(9:29)~甘酒茶屋(9:54撮影・道探し10:07)~屏風山(10:47)~箱根町(11:22撮影・昼食11:39)~畑引山(12:15)~箱根峠(12:44)~海ノ平(12:59)~山伏峠(13:54)~三国山(14:53休憩15:01)~湖尻峠(15:26)~深良水門(15:39撮影15:46)~桃源台(16:18)
※所要時間:9時間12分(歩行時間:8時間35分)
※登った山:6座(うち新規5座:上二子山、屏風山、畑引山、海ノ平、三国山)
※歩行距離:24.4km

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箱根・三国山(中)

【2014年12月22日(月)】箱根
屏風山(948m)を登っているのだが、道の感じが地形図と違う。
地図ロイドを確認したら、別の道が電子版には書かれており、そちらを歩いていた。
尾根に出ると明るくなった。
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頂上付近は背の高いスズタケが繁茂している。
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下二子山(1065m)が透けて見えた。
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頂上直前で単独男性とすれ違った。
道はよく踏まれていると思ったが、平日に人と会うとは思っていなかったのでびっくりした。
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10:47、頂上に到着。
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頂上はスズタケに覆われ、展望はゼロ。

でも、7~8分歩くと、木々のすき間から、この日初めて富士山が見えた。
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この後、犬を連れた夫婦とすれ違い、急な下りが始まるところでは、外国人男性と(たぶん)日本人女性のカップルとすれ違った。
男性は「こんにちは」と言ってくれたが、女性にはガンを付けられた上に無視された。
たぶん、疲労困憊していたのだろう。

しばらくは平和な道なのだが、スズタケが激しい場所もあった。
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外国人とすれ違った階段は猛烈に急だ。100m近く等高線と直交して下る。
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登り口には、「体力に自信のない方については、ご無理をしないよう」との注意書きがあった。
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下り切った場所が箱根関所跡。
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近年、復元整備されたと聞いているが、今回はパス。

すぐ隣の「旅物語館」という観光施設の横から湖と富士山が見えそうだったので行ってみる。
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富士山はちょうど三国山(1102m)が邪魔をして、輪郭が分かるという見え方。

海賊船や遊覧船が営業していた。
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振り返ると、屏風山が見えた。
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11時も過ぎたことだし、ここでお昼にする。お昼用のパンは行動食にして、蕎麦を食べていくことにした。
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「静岡産」という宣伝文句にひかれ、「椎茸そば」(770円)を注文。
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ドライブイン風の店だし、厨房のおばちゃん、おじちゃんがずっとぺちゃくちゃおしゃべりしているので、全然期待していなかったが、味はひどいもの。
めんはべちゃべちゃしているし、味が濃い。
とにかく、空腹を満たすだけと割り切って、完食。さっさと辞す。

箱根町のバス停を通過して、すこし湖畔を散策。
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箱根駅伝関連の石碑群。
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湖尻峠から長尾峠への稜線。
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駒ヶ岳(1356m)。
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三国山(1102m)と富士山。
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海賊船が出る箱根町港。
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パウル・シュミット氏のレリーフ。
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知らない人だ。なになに。
この方は明治28年に24歳で来日したドイツ人。箱根をこよなく愛し、「赤門」と呼ばれるようになる別荘を芦ノ湖畔に初めて建てた。40年の滞在中、内外の多くの人々に箱根の魅力を伝え続けた人らしい。

そして箱根駅伝ミュージアム。寄って行きたいが今日はパス。
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そのすぐ横に、箱根駅伝の往路ゴール(復路スタート)地点。
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ここから箱根峠までの道は、また旧街道があるが、今回は芦ノ湖に突き出した半島に畑引山(778m)というのがあるので、そこを経由することにして「登った山」を稼ぐ。
というわけで、右折し、いったん国道を離れる。

この先に駒形神社がある。ここは箱根神社の社外の末社だ。
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境内には犬塚明神が祀られている。
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元和四年(1618年)に箱根宿が開かれた時、付近には狼がたくさんいて建設作業の人々を苦しめた。そこで、2匹の唐犬(オランダ産の大形犬)を手に入れて、狼を退治した。おかげで宿場が完成したが、唐犬も傷ついたので、ここに埋葬し、犬塚明神を祀ったとのことだ。

神社の脇が旧街道の入口。とりあえず、そこまで行ってみる。
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そこには石仏が集められており、「芦川の石仏群」と呼ばれる。
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ここには箱根で最も古い万治元年(1658年)の庚申塔や多くの巡礼供養塔があるという。

さらに進むと湖岸に近づく。
このあたりは釣りの指定地なのか、ボートがたくさん。
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対岸には箱根神社の赤い鳥居が遠望できた。
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すぐ先で、「箱根やすらぎの森」に入る。
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畑引山の最高点はおむすび広場にあるようなので、そこを目指す。
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最高点らしき場所には山名板はなく、ウォークラリーの質問があった。
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眺めは上二子山(1099m)&下二子山と駒ヶ岳。
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森のふれあい館、駐車場を経て国道へ出る。
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真っ白な富士山が再び姿を見せた。左下は宝永火口。
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しばらく箱根峠に向けて、国道を歩く。
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富士山、三国山、芦ノ湖の眺め。
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芦ノ湖が真っ青。奥のアンテナのある山は丸岳(1156m)。
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アップにしてみよう。
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神山(1438m)と駒ヶ岳。
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目立つ建物は、小田急山のホテル。目の前を遊覧船が過ぎる。
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箱根峠の手前に「道の駅 箱根峠」がある。
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そこで初めて電気自動車の充電スタンドを見た。
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充電時間はどのくらいかかるものなんだろうか。

道の駅の裏からの展望も素晴らしい。
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この先で、旧街道に出くわす。
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挟石坂というらしい。
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ここは覗き込むだけで、本当の峠へ。箱根道路や国道1号など、いろんな道路が交差する。
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ここは今も交通の要衝だ。
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峠のすぐ手前から芦ノ湖スカイラインに入る。
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スカイラインは歩行者進入禁止となっていたが、スカイラインに沿ってあるはずの登山道の入口が見つからないので、やむをえない。
地形図に歩道の表記はなく、登山地図にはスカイラインのすぐ手前から入るように書いてある。
なかなか見つからないので、地図ロイドを見てみたら、道の駅から道が通じているようだった。気がつかなかった。
この道にどこかで合流すべく、ドキドキしながら歩く。気が小さいのだ。

500mほど歩くと、峠から防火帯のようにスズタケが伐採されている稜線に交差し、そこでようやく車道を外れることができた。
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ただ、しばらくはスズタケの切り株のせいで歩きにくい。
100mほどで遊歩道に合流。やっと歩きやすくなった。
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振り返ると、鞍掛山(1005m)と箱根くらかけゴルフ場。
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芦ノ湖カントリークラブと遠くに天城山(1406m)。
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海ノ平(942m)頂上の手前に「海平」の標識があった。
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登り切ると、正面に富士山が出現して、思わず「おおっ」。
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頂上にはコンクリートの遺構がある。何か展望塔のような施設があったのだろうか。
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その上に乗ると、はるか南に利島と新島が見えた。その右手前は伊豆の大室山(580m)。
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この先は正面に富士山を見ながら歩く、見晴らしのいい稜線の道。右のピークは山伏峠(1035m)。
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富士山では激しく風が吹いているようだ。こちらもそこそこ吹いている。
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その左には愛鷹山塊。
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スズタケの回廊を振り返る。
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とりあえず目指すは山伏峠。
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この道には、頻繁にこの注意書きが出てくるが、スズタケが密集しているので、そう簡単に車道に出ることはできない。
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峠の手前で随分下り、樹林帯の中に入ってしまう。
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とうとう谷底まで。
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ここから標高差で150mほど登り返さなくてはならない。
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小腹が空いたので、やきそばパンを食べながら歩く。

しばらくは、背丈の倍以上もありそうなスズタケの壁にはばまれ、全く展望は利かない。
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「樹木 草花を採らないで」と言うけど、看板を立てる場所が間違っている。
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ここには草花は咲いていないし(たぶん夏も)、樹木と言ったらスズタケだけなので、むしろ採ってほしいくらいでは?

峠のレストハウスの直前でようやく開けた場所に出た。
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(上二子山=左、下二子山=右)

大観山(1012m)。
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ここには歩行者横断禁止の表示があったが、それはあまりにひどい。
ハイカーは道路の反対側にある、このレストハウスには行ってはいけないというのか。
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差別ではないか。むしろ、横断歩道を作って、車の方に「歩行者に注意」と促すべきだろう。

ソフトクリームを食べる気はないが、当然、横断して、駿河湾や伊豆半島の眺望を楽しむ。
沼津アルプス(手前)と大瀬崎。
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ハイカーが利用を許されているのは、再び横断した場所にある、このレストハウスレイクビューのみだ。
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(つづく)
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箱根・三国山(上)

【2014年12月22日(月)】箱根
前夜は小田原のホテルコミーに泊まった。
本日の予定は、芦の湯バス停から元箱根石仏群を見学して、お玉ヶ池、箱根旧街道経由で屏風山に登る。いったん芦ノ湖畔に下りて、箱根峠から芦ノ湖スカイラインに沿った稜線を長尾峠まで歩き、仙石原に下ってバスに乗るというもの。大変な長丁場だ。
5時過ぎに起床。6:15小田原駅東口発の始発バスに乗るべく、ホテルを5:50に出た。
まだ真っ暗。
コンビニで朝食(おにぎり2個)と昼食(パン2個)を買う。

バスには私も含め3人ほどが乗車。
函嶺洞門の老朽化に伴って開通したバイパスを通り、国道1号を登っていく。
今年6月の同窓会のあとの「修学旅行」で泊まった小涌園の横を通る。懐かしい。
箱根駅伝の練習をしている黒人選手がいた。どこの大学だろう。
下車した芦の湯バス停では、学生2人がタイムを測っていた。

7時前に着いて、バス停の中でまずは体操。
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バスの中で朝食を食べるのを忘れていたことに気づく。
付近の写真を撮ったり、体操したりしながら食べて、時間を節約。

7時すぎに出発。気温は-3℃。
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国道を歩くつもりだったが、遊歩道の入口がすぐあったので、そちらを歩く。
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10分ほどで、上二子山(1099m)への入口に出た。
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ここは登る予定ではなかったが、ゲートの横に通路があったので、出来心で行ってみることにした。
ずっと舗装道路。傾斜はかなり急だ。
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西には駒ヶ岳(1356m)が見えるが、頂上付近はまだガスが残っている。
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峠を越えると、芦ノ湖が眼前に広がった。
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まだ日陰だが、湖面がもう青い。

駒ヶ岳のガスもとれ、ロープウエーの山頂駅も見えてきた。
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巨大なアンテナはNTT東日本の双子無線中継所。
山の名前「二子」とは表記が異なる。

芦ノ湖の向こうは山伏峠(1035m)。
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三国山(1102m)の稜線の向こうに愛鷹山塊。
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天城山(1406m)。
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これは上二子山にある4つの顕著なピークのうちのひとつ。
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山頂のアンテナ群。
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最高地点は、このフェンス内にありそう。
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入れなかったが、ほぼ同じ高さまで行けたので、登頂と見なす。
1091mの三角点はNTTの敷地内にあるみたいだった。

一応満足して、来た道を引き返す。
南には大島や利島・新島が見えた。
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駒ヶ岳もすっかり明るくなった。
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縦の筋は、伊豆箱根鉄道駒ヶ岳ケーブルカーの廃線跡。
1957年に開業、2005年9月1日に廃止された。
ほとんど記憶が残っていないのだが、大学1年の秋(1981年)、自転車で箱根に来た時、このケーブルカーに乗っているようだ。

右奥は神山(1438m)。霧氷が山頂付近を白く染めている。
アップにしてみる。
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影二子。
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明神ヶ岳(1169m)の稜線の向こうは丹沢の峰々。
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左端が蛭ヶ岳(1673m)、中央右が丹沢山(1567m)。

塔ノ峰(566m)の向こうは塔ノ岳(1491m)。
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往復ほぼ1時間でゲートに戻ってきた。
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再び遊歩道を行くと、すぐに曽我兄弟の墓。
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右の五輪塔(虎御前の墓)には、永仁三年(1295年)に「地蔵講中」により建立されたとの銘があり、「地蔵講」の銘文が刻まれているものとしては最古の五輪塔だという。
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曽我兄弟、虎御前の墓というのは当然、伝説である。

ひとつぽつんとある摩崖仏。
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ここから道路の向こう側にある「二十五菩薩」に行くには地下道を通る。
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このトンネルはセンサーで電気がつくようになっており、びっくり。
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抜けると、「二十五菩薩」。これはめずらしい摩崖仏だ。
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阿弥陀如来1体、地蔵菩薩21体、供養菩薩1体の計23体が彫られており、銘文には永仁元年(1293年)と四年(1296年)の年紀が見られる。

間もなく、道の真ん中に巨大な宝篋印塔。
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高さ3.6m。北面には如来座像が彫られている。
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建立はこれも永仁四年で、基壇の三つの自然石は創建当初のものだという。
なぜか、多田満仲(源満仲:913~997年)の墓と近世以降言われている。

精進池が見えると、次の遺構。
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「応長地蔵」と呼ばれる摩崖仏。応長元年(1311年)七月八日の銘がある。
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この地域には、身内の不幸に際し、この地蔵の前で送り火を焚き、精進池のほとりで花や線香をあげ、霊を送る「浜送り」という習慣があった。
このため、この摩崖仏は「火焚地蔵」とも呼ばれたという。

こちらは宝篋印塔の残欠。俗称は「八百比丘尼の墓」。
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観応元年(1350年)の銘がある。なぜ「八百比丘尼」なのかは謎だ。

駒ヶ岳を背景にした精進池。
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池畔にある石仏・石塔群保存整備記念館は午前9時からの開館と書いてあったが、8:45現在、職員はまだ出勤していなかった。
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もう一度、地下道をくぐって、六道地蔵へ。
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高さ3.2mの地蔵菩薩座像(摩崖仏)だが覆屋で保護されており、見学できなかった。
正安元年(1299年)の銘があるという。

仕方ないので、周辺の石仏・石碑などを撮影。
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この周辺にこうした鎌倉時代の遺構が多いのは、やはりここが箱根越えの要衝にあったことと無関係ではないだろう。

すぐ先の分岐からお玉ヶ池に向かう。
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地形図には掲載されていない道だ。
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少しだけ登って、あとはかなり下る。
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分岐から20分ほどで、お玉ヶ池が見えてきた。
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何羽かのサギが池で羽を休めていた。
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池の名前の悲しい由来を読み、実話と知って驚いた。
伊豆大瀬村・太郎兵衛の娘お玉は奉公のため江戸に上っていた。しかし、そのつらさに耐えかねて、新田嶋にあった奉公先から逃げ出し、国元に帰ろうとした。もちろん、通行手形など持っていない。
元禄十五年(1702年)二月十日、箱根山に差し掛かったお玉は夜陰に乗じて、裏山を抜けようとしたが、関所破りを防ぐための木柵を越えることができず、とうとう捕らえられてしまった。関所破りの罪は死刑。お玉は、同年閏四月二十七日に屏風山の入口付近で処刑された。
その首をこの池で洗ったことから、この池をお玉ヶ池と呼ぶようになったという。
政治的背景もないことだし、越えられなかったのだから未遂である。
何も処刑までしなくてもと思うが、今となっては手を合わせるしかない。

それにしても、この池は実に美しい。何枚も写真を撮ってしまった。
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背景の山は駒ヶ岳や上二子山。

立派な石碑も立っていた。
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上二子山の往復で時間を食ったので、旧街道は省略しようと思ったが、地形図に記述がある碑を探して、かなり西へ歩き、旧街道の入口に近づいてしまったので、結局は旧街道も歩くことにした。
現在地の「箱根の森」から直接、旧街道に行けることも分かったが、碑を求めてあえて遠回り。

旧街道入口付近のお玉観音前からは、上二子山と下二子山(1065m)が本当に二子のように見えた。
上二子山自体も双子みたい。
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下二子山も同様。
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二つ並ぶと四つ子のよう。
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お玉観音は、箱根で遭難、病死した人や芦ノ湖で水死した人の亡骸数十体をまとめて、箱根町・興福院が供養したものだそうだ。
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旧街道の入口で、単独男性に抜かれる。
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こんなシーズンオフの平日に1人で来ている人が他にもいることに、びっくり。

石畳は立派に残っているところもあるが、これはたぶん現代の整備によるものだろう。
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箱根越えの道は、延宝八年(1680年)に石畳が敷かれ、文久二年(1863年)に14代将軍家茂が上洛する際、全面的に改修されたという。
石畳は土砂の流出や、路面がぐちゃぐちゃになることは防げたかもしれないが、実に歩きにくい。昔の人はこんな道を歩いていたのだから、偉いと思う。
昭和35年に国の史跡に指定されている。

街道では、あちこちの坂に名前がついていたようで、その表示が何か所かあった。
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左の並木がある土手も、人工的に築かれたものだそうだ。
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当時は平均2間(3.6m)の幅の道の中央1間(1.8m)に石畳が敷かれた。
現在、この付近には約1kmの石畳が現存しているという。

県道を横断して、再び旧街道へ。
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こちらはほとんど石畳がない。
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県道から7分ほどで甘酒茶屋に出た。
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そばでも食べたい気もしたが、まだ早い。

ここから県道を少しお玉ヶ池方面に戻ったところに、屏風山(948m)への入口があるはずだが、見つからない。地形図や登山地図の表記が微妙なのだ。
少し戻って、採石場のようなところに通じる道に入ってみたが、山の神があるだけで、道はない。
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行ったり来たりしても時間を無駄にするだけなので、茶屋で聞いてみると、200mほど西に行ったところにあるという。
さっき、もう少し我慢して進めばよかった。本当にすぐだった。
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屏風山の登りは樹林の中の暗い道。
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案内板はこんなに苔むしているが、意外に歩かれているように見える。
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途中で暑くなり、ダウンからレインウエアに着替えた。

(つづく)
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三浦半島

【2014年12月21日(日)】三浦半島
本日は、地図エッセイストの今尾恵介さん、廃道愛好家の石井あつ子さんとの「地図を歩く会」。
鷹取山ハイキングを終え、10:19追浜駅発の電車で待ち合わせ場所の三崎口駅に向かう。
朝食(パン2個)は6時前に食べたので、もうお腹がすいてきた。
本日のメインイベント、「マグロ」にありつけるのは、午後も随分遅い時間であろうと予想されたので、駅のコンビニで、おにぎりを2個買い、つなぎにした。

10:54三崎口着。駅のトイレで今尾さんと久しぶりに再会。
改札を出ると、石井さんも。
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事前に今尾さんからいただいていたメールでは、本日のコースは、国道134号の最南端に近い引橋から遊歩道を小網代湾に下りて、諸磯、海外を経由して三崎港でマグロを食べるというプラン。
とくに何の打ち合わせもなく、合流と同時に出発。
引橋まではバス停2個分だが、時間節約のため、バスに乗ることにした。
ちょうど到着したバスに乗り込む。
結構混んでいる。

引橋で下りると
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ちょっと引き返し、しゃれたレストランのところから、谷戸に下りていく。
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「小網代の森」と大きな看板が出ており、木道というか樹脂道というか立派な遊歩道が整備されている。
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こんなにお金をかける価値が、この森にはあるということなのか。
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とくに景色がいいわけでもない。ササが生い茂っているし、それを刈っている人もいる。
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伐採された木材が放置されている。手つかずの自然では全くない。
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なのに、団体で指導員らしき人の説明を聞いている人もたくさんいる。
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いったい、ここは何なんだ。

帰ってから調べてみた。
神奈川県のHPによると、ここは1つの川(浦の川という1.3kmの超小河川)の流域(約70ha)が全く開発されずに残っている、関東では唯一の場所だそうだ。
かつては大規模な開発計画があったが、「貴重な自然を後世に残す必要があると考え、地権者との話し合いを進め、土地の買い取りを進めたほか、地権者による自主的な保全や寄付などにより、平成22年に保全に必要な用地の確保が完了した」とある。

でも、それだけでは解せない。
とても「貴重な自然」の状態には見えない。
調べを進める。と言っても、ネットに表示されていた「ほぼ日刊イトイ新聞」を読んでみただけだけど。
これで何となく分かってきた。
ここは1960年代前半までは、低地は田んぼとして、斜面はクリ、コナラ、マツ、シイなどの薪炭林として地元の人が利用していた。
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(畦の跡?)

その後、リゾート開発計画が持ち上がり、企業が土地を買収。
しかし、開発が着手されないまま20年たって、大自然に戻ってしまった。
(現在は「首都圏近郊緑地保全法」に基づく「近郊緑地特別保全地区」に指定されている)

大自然と言っても、木が茂りすぎて暗くなり、湿地が乾燥してササに覆われ、荒れ野のような状態だった。
都市近郊の小さな自然はこまめに人間が手入れをしないと、多くの生物が暮らせる環境を維持できない。

そのため、ササを刈り、森を暗くしてしまう常緑の低木アオキやヤツデも伐採、外来種のトキワツユクサ、セイタカアワダチソウも排除した。
川に光が入らないと、藻が育たないので、動物も育たない。
2010年から5年がかりでササを刈った。
川の流路も変えて、湿地を回復させた。
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そうした作業によって、ガマなどの貴重な水生植物が生えてきた。

というような話だ。
水田だった頃には、多用な生態系が保たれていたということなのだろう。
人間が荒れ地を切り開いて水田にする前は、やはりササだったのだろうか。
「貴重な自然」とは「手つかずの自然」と必ずしも同義ではなく、人間が手を入れた、人間にとって気持ちいい自然のことも意味するようだ。
なんか都合良く使い分けている気もして、腑に落ちない思いもあるが、私は自然保護原理主義者ではない。
一種の「自然開発」をすることで、変な開発を押しとどめることができるなら、悪いことではないのかもしれない。
なんて、なんか、えらそうですいません。

とにかく、現地ではまだ何も知らないので、首をひねりながら、小網代湾に向かう。
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訪ねた時間帯は満潮に近かったのか、干潟を見ることはできなかった。
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ちょっと海岸に出てみた。
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甌穴のような窪みがあったが、規則正しく並んでいるので、桟橋か何かの柱穴の跡か。
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ここはアカテガニの天国でもあるらしい。
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いったん、海を離れて、宮ノ前峠へ。何人かが停滞している。
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アカテガニが岩の間で冬眠しているとのことで、それを見ようとしている方々だ。
こちらは切通の反対側の露頭で、眠れずにはい出してきたアカテガニを発見。
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ほんとに手が赤い。
寝ぼけているのか、いかにも動きがにぶく、石井さんが簡単に捕まえていた。

坂を下りると、左手に「避難路」の手書き看板。
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これは津波の時のものだろう。
しかし、取り付きがあまりに急で、あわてて逃げる時は難儀しそうだ。
こういう道には本能的に反応する石井さんは、いきなりそこを登り始め、あっという間に姿が見えなくなってしまった。
下に取り残された今尾さんと私の男2人は「何も言わずに行ってしまいましたねえ」「ほんとにヤブが好きなんですねえ」と苦笑い。
しばらく待っていると戻ってきた。
「登り切ったら、大根畑でした」
「避難民は当分、大根で暮らすことになりますね」
と笑ったが、当然、高台に出れば、ちゃんと他の場所へ移動できるのだろう。

再び海岸に出ると、右手に白髭神社。
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巨大なシャコガイの手水鉢に一同びっくり。
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この神社は天文年間(16世紀中頃)、村の漁師の夜網にかかった束帯姿のご神像を祀ったのが始まりとされ、小網代湾が廻船の寄港地として、また三崎港の避難港として賑わった関係上、古くから信仰を集めてきたという。

境内には、石でたたくと金属音が出る鳴石(カンカン石)があり、遊んでみた。
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確かに、いい音がした。

湾には多数のヨットが停泊していた。
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海岸の路傍には、いくつかの石仏が並ぶ。海の安全を見守ってきたのだろう。
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釣り船の民宿。
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坂を登っていくと、東ノ台の集落を見下ろせる。
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あの家は三方、擁壁に囲まれて、なんだか怖い。
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高台に出ると、小網代のバス停。
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お腹がすいたので、歩くのは後回しにして、先に三崎港へ直行することに。
ここは油壺に通じるバス通りだが、本数が少ないので、三崎口と三崎港を結ぶ大通りまで歩く。
陽射しが暑い。このバス停でダウンからレインウエアに着替える。

油壺入口のバス停から乗り、三崎港で下車。
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今となっては、めずらしい木の電柱。
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すぐ目の前の「魚音」で、系列のすし屋を紹介されたが、別の店も偵察。
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3階建ての立派な木造建築の料理屋「三崎港本店」があったが、その赤い文字に一同興ざめ。
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となりの「立花」に入る。
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私は、マグロとビントロの二色丼(950円)&生ビール。
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さすがにおいしかった。

この後、旧市街を散策。おもしろい建築がたくさんある。
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こういう寂れ方は結構好きだ。
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看板建築あれこれ。みな関東大震災後の建築だ。
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米山船具店の装飾はユニーク。
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路地にも潜入。スナックで生徒会員募集?(実は2階の絵画教室のもの)
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廃屋。赤い野外灯が不気味。
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大繁盛している魚屋さんがあった。
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店頭で買ったものを、食堂で調理してくれるシステムのようだ。

めずらしい魚もたくさんあった。カジキマグロの卵。
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かなりグロテスクなシマシタビラメ。
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おいしそうなマグロのみりん干し。たまらん。
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引き返して、古い建物を利用したお店など鑑賞しながら
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海南神社に向かう。
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海南神社は藤原資盈(すけみつ)を祭神とする。資盈は故あって貞観六年(864年)に九州博多から三崎にわたり、この地を教化した。そのため、里人の尊崇篤く、死後、祠を建てて祀ったのが神社の始まりという。
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境内には頼朝公お手植えと伝わる樹齢800年の大イチョウ。
なぜ、こんなふうになるのか。
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本殿には鈴が文字通り鈴なり。
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みんなまとめて揺すったが、あまり鈴は鳴らなかった。やはり1つずつがいいみたいだ。

海南神社を参拝後、トイレを探しつつ、海外(かいと)集落へ。
男2人はビールの効き目が強すぎたようだ。
ところどころにスランプ構造の露頭があり、その見事な文様にうっとり。
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スランプ構造とは、海底に堆積した堆積物が、固まらないうちに海底の斜面を滑り落ち、不規則に乱堆積したもののこと。見た目は断層や褶曲が入り組んでいるように見える。
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ユニークな地名の海外町。
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船溜場の竣工記念碑。
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何年の建立か確認するのを忘れたが、遅くとも戦前であろう。

驚いたことに、揮毫したのが知事ではなく、神奈川県水産課長。
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当時の役人は本当に偉かったのだと改めて実感。

地区の公民館「海外会館」の横にあるお店で、Iさんとともに、マグロのみそ漬けとサワラの西京漬けを購入1080円。これは今夜の夕食用。
今尾さんが「このへんに公衆便所はありませんか」と尋ねると、「どうぞ、うちのを使って」と招き入れてくれたので、私も便乗した。
なかなか上手な借り方だなあと感心。

港の真正面に富士山が見えるというが、見えず。
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改めてバス停で「海外」地名の記念撮影。
こちらは、フリガナがふってあり、おもしろくないが
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対岸のはフリガナがない。
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この先にもっと派手なスランプ構造の露頭があった。
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三浦市教委が立てた説明板の記述に、意味が全然分からないと一同憤然。
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この地層が堆積したのは第三紀(6430万年~260万年前)。
白い層は泥岩、黒い層はスコリア質(火山噴出物)の凝灰岩や砂岩だそうだ。

防空壕にネコ2匹。
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本日最後の訪問地、諸磯隆起海岸。
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国の天然記念物なのに、看板が倒れて、悲惨なありさま。
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いくら見学者が少ないとは言え、倒れたままにしとくのはいかんだろう。

穿孔貝による無数の穴が4層になって確認され、地震による隆起が4回あったことを示すものだという。
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うち3回は、1923年の関東大震災、1703年の元禄大地震、818年の弘仁大地震とのこと。

湾に戻ると、正面に富士山が見えて一同大感激。見事な夕景だ。
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立派な船家もあった。
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帰りは、さっきバスに乗った油壺入口まで戻ることにした。
帰り道、石井さんが地図読みで大ボケをかまして、みんなで大笑いしたが、ここでは一応伏せておくことにする。

途中あった市営住宅は炭住のようで、今尾さんは「夕張のようだ」、石井さんは「足尾のようだ」と感想を述べていた。
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あたりは一面の大根畑。有名な三浦大根だ。
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石井さんはしきりに「ああ、抜いてみたい、抜いてみたい」と漏らしていた。

油壺入口からバスで三崎口駅へ。着いた頃にはすっかり暗くなっていた。
皆さん、お疲れさまでした。

16:57発の電車に乗り込み、横浜で2人とはお別れ。
東海道線に乗り換えて小田原に18:52着。
コンビニで「佐藤のごはん」を温めてもらい、ホテルへ。
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場末の飲み屋街の中にある安宿。
じゃらんポイント600円分を使って3400円。
電子レンジが使用自由だったので、さっきの味噌漬けを温めて食べる。
焼いた方がおいしいのだろうが、十分おいしかった。

風呂&翌日の準備をして10時過ぎに就寝。さあ、あすは箱根だ。
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鷹取山

【2014年12月21日(日)】鷹取山
この日は、地図エッセイストの今尾恵介さん、廃道愛好家の石井あつ子さんと群馬県の廃道を歩く予定だったが、この時期すでに雪が積もっていそうなので廃道歩きは中止。
今尾さんの提案で、暖かい三浦半島を散策することにした。

集合は京急の三崎口駅に10:54。
わりとゆっくりめなので、集合前にどこかへ登ってしまおうと思いついた。
というわけで、クライマーのゲレンデとして有名な鷹取山(139m)が浮上。
ヤマケイのガイドブックによれば、2時間ちょっとで、神武寺駅から京急田浦駅まで歩けそう。家を5時すぎに出れば、大丈夫そうだ。

5:40に新所沢駅を出発、高田馬場、品川、金沢八景で乗り換え、神武寺駅に7:47着。
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天気は晴れの予報だったが、こちらは雲が多い。

しばらく県道を東へ。
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逗子中のグランドの手前、鷹取山登山口のバス停があるところを右折。
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早くも、右手に山が迫る。
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野球少年が元気に挨拶をしてくれた。

車道のどん詰まりは特別養護老人ホーム。
なぜか、こんな案山子が周囲を飾っていた。
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中央の日本エレキテル連合は分かるが、右の錦織圭は全然似てない。

この奥から登山道が始まる。
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スタート地点がいきなり石切り場の跡。
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このあたりからは、明治末から大正時代にかけて凝灰岩の「池子石」が切り出された。
塀や垣根、土台、護岸、井戸などのほか、墓石、灯籠などに使われたという。
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しかし、近くで採れる「鷹取石」「佐島石」(横須賀市)や栃木の「大谷石」との競合や関東大震災の影響で徐々に廃れてしまったらしい。

しばらく岩に沿った道を行く。
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間もなく、右手に小さな沢が見えてくる。
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地面は落ち葉のじゅうたん。
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石橋で沢を渡る。
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この先は沢登りの雰囲気が楽しめる。
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徒渉も何度かある。昨日雨が降ったとはいえ、大した流域面積もないのに、こんなに水が流れていることに驚いた。

それにしても、首都圏の標高100mに満たない場所とは思えない自然豊かな散策路だ。
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残り紅葉もちらほら。
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階段を登って、左折すると、間もなく神武寺の境内。登山口から20分ほどかかった。
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石畳に均等に散らばった落ち葉が美しい。
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神武寺は、神亀元年(724年)、行基の開創と伝わる。鎌倉時代には頼朝はじめ幕府の篤い崇敬を受け、北条政子の安産祈願も行われたとされる古刹である。

境内の露頭には、岩隙(がんげき)植物が繁茂している。
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神武寺周辺の丘陵は、堆積岩が隆起して形成されたもので、岩肌の露出した日陰には、コモチシダやイワトラノオなど独特な植物が成育する。
これらを岩隙植物というのだそうだ。

この切通を抜けた先にある本堂は関係者以外立ち入り禁止。
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手前には、大きな宝篋印塔(尊勝塔)があった。
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階段を登って、薬師堂に向かう。
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逗子八景の1つに数えられる梵鐘。「神武晩鐘」の名で呼ばれる。
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逗子八景は、大正10年に「逗子倶楽部」という団体が選んだものらしい。
先代の鐘は太平洋戦争の際に供出され、現在のものは1950年に鋳直されたものだそうだ。

鐘楼から眺める本堂。
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六地蔵を右手に見て、さらに階段を登る。
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赤塗りの山門。
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銅板葺きの薬師堂。慶長三年(1598年)の建立とされる。いつもの通り安全祈願。
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境内の雰囲気。
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暖まってきたので、薬師堂に腰掛けて、ダウンからレインウエアに着替えた。

薬師堂の左脇から山道に入る。急な石畳の道だ。
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左手には「女人禁制」の石碑が立つ。
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ひと登りで、碑のあるピーク。手水鉢のような石があった。
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ここからしばらく平らな道。左手に横浜のランドマークタワーが見える。
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この少し向こうに、134mの三角点ピークがある。
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一度通り過ぎそうになったが、地図を確認して引き返し、踏み跡を登る。
展望があった。正面に二子山(208m)。
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桜山方面と逗子市街。背後は相模湾。
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全景。
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富士山は雲に阻まれ見えなかった。

この先は、露岩もある軽いアップダウン。
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眺望も比較的よい。
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江ノ島も見えた。
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それにしても送電線の多いところだ。
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引き続き、岩の多い道を進む。
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十州望というピークがあるはずだが、きちんと特定できなかった。
ここのことだろうか。
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クサリ場の手前で、単独のハイカーに追いつかれた。
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こちらが写真を撮っている間にさくさく行ってしまった。
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このクサリ場は結構、足場が悪い。要注意だ。
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鷹取山が近づいてくると、石切り場の跡らしきものが目立ってきた。
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鷹取山山頂の南側を巻く。
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そうすると、大規模な石切り場の跡たる鷹取山の山頂エリアに出る。
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機銃掃射の跡のような穴は、クライマーが打ち込んだハーケンの跡。
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とにかく、まずは展望塔のある頂上に登ってみる。
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数分で登れてしまう。
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展望は360度。まずは大楠山(241m)に向かう横浜横須賀道路。
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二子山と阿部倉山(右奥、161m)。
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横須賀市田浦町方面。最奥右の双耳峰は房総半島の富山(349m)。左は鋸山(329m)。
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クライマーのゲレンデになっている石切り場跡。
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東京湾。
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横須賀市湘南鷹取の高級住宅街。
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奥は東京都心の高層ビル群。右にスカイツリーが見える。
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ひと通り眺望を楽しんで下山。頂上広場になっている。
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切り立った岩ではクライマー2組が練習の準備をしていた。
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鷹取山の山頂部は随分、石が切り取られて、ほとんど原形をとどめていないように思われる。
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しかし、採石が行われたのは、こちらも明治から昭和初期にかけてで、関東大震災による崩落で採石が行われなくなったというのも、池子石と同じだ。

このエリアは「鷹取山公園」ということになっており、管理人の詰め所もある。
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勝手に岩登りをしないよう監視もしているのだろう。

ここからも展望がいい。眼下に鷹取小学校。
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横浜方面も遠望できる。
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エジプトの神殿遺跡のような壁を抜けていくと、弥勒菩薩の摩崖仏に出る。
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高さ8mと巨大だが、製作はなんと昭和35年頃というから、またびっくり。
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作者は、逗子市在住の川口満氏の依頼により、横須賀市在住の彫刻家・藤島茂氏。1年がかりで彫ったという。
これとは別に釈迦如来の摩崖仏もあったが、こちらは昭和40年に鷹取小建設のため取り壊されたというから、さらにびっくり。
なんともちぐはぐである。

当初は京急田浦駅に下りるつもりだったが、残り時間は25分しかなくなり、追浜駅に変更。
屏風のような岩を回り込んで、下界へ。
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階段を下りると、高級住宅街。
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時間が心配なので、速足で歩く。懐かしい住居表示板。
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でも、予定の電車の7分前に駅に着いた。
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助かった。さて、待ち合わせ場所の三崎口駅に向かおう。

【行程】2014年12月21日(日)
神武寺駅(7:52)~池戸石石切り場跡(8:10)~神武寺(8:39撮影8:51)~鷹取山(9:31)~登山口(9:52)~追浜駅(10:12)
※所要時間:2時間20分(歩行時間2時間)
※登った山:2座(十州望、鷹取山)
※歩行距離:4.9km
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大山三峰(下)

【2014年12月13日(土)】大山三峰
三峰山(935m)から沢に下る坂はジグザグの歩きやすい道だ。
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ただ倒木も多く、崩落箇所もたくさんあった。
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わりと崩れやすい地形なのかもしれない。
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尾根から20分かけて沢まで下りてきた。
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途中、古い石積みの砂防ダムがたくさんある。
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ここはやはり古くから崩落が激しかったところなのだろう。

徒渉も何度かする。
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小さな滝も通過。
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沢に下りてから不動尻までが、また長い。
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1か所だけクサリがあり、そこの水場で水を補給。
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不動尻には沢に下りてきてから、さらに30分近くかかった。
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簡易トイレがあったが、お世話になることもなく通過。
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ここからしばらく車道歩きなので、すこしホッとする。
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廃道の写真を撮っていたら、足の速い青年が抜かして行った。
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この先、長い林道トンネルを通らなければならず、ザックの中からヘッドライトを出すのが面倒だなあと思っていたら、手前に直接、鐘ヶ嶽(561m)に通じる登山道が分岐していて、ラッキー。
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登山地図にはないが、地形図には書かれている道なので、躊躇なく入っていく。
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途中、小規模な石積みの砂防ダムがあり、不思議に思ったが、道が比較的ひろく、傾斜もゆるやかなので、合点がいった。
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これは古くからの生活道路で、それを守るための砂防ダムなのだろう。
つまり、この道は尾根に乗ったところが峠で、そこから下に下る道があるはずだ。

着いてみると予想通り。
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ここは厚木や横浜方面の眺望がよい。
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久々に電波も通じたので、留守電などをチェックしがてら、10分ほど休憩。
修理に出していた靴が納品されたと、好日山荘からの電話だった。
テルモスのお湯が熱ければ、ここでココアを飲みたかったが、もうぬるくなっていたので止めた。

わりとなだらかな道を鐘ヶ嶽の山頂に向かう。
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少し歩くと、三峰山も振り返ることができた。
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尾根に乗ると、倒れた古いシカ柵の続く樹林帯。
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鐘ヶ嶽山頂には峠から20分ほどで到着した。
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わ、人がいる、と思ったら、仏様の立像の後ろ姿だった。びっくりした。
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これは、不動尊で、小さい方の風化・損傷が激しいため、明治15年(1882年)に大きい方を新たに作ったのだそうだ。

頂上直下に浅間神社があった。
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参拝して、これまでの無事を謝し、下山の安全を祈る。

ここも眺望抜群だ。
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東京の都心部。
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横浜。ランドマークタワーや東京湾が見える。
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階段を下りると、鳥居がある。
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その横にあった石像に目がくぎ付けになった。
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どうやら軍人のようで、右手に持った籏のようなものには、小嶋勇の名が刻まれている。
帰宅後、ネットで検索してみると、少なからぬハイカーがこの像に興味を持ったようだ。
でも「気持ち悪い」とかそんな反応ばかりで、これが何であるのかを明らかにした記述は見当たらなかった。
ならば、ということで少し調べてみた。
手がかりは、建立されたのが昭和5年3月26日、奉納したのは市川市真間の小島ユウ、彫り師は地元七沢の北原福次、ということ。
台座に草書で何か書かれていたが、判読できなかった。

民俗学に造詣の深い友人に写真を見せたところ、日露戦争で亡くなった人のために当時、作成された「英霊人形」に似ているという。
(英霊)
この写真は、岐阜県美濃市の小倉山善光寺英霊堂に収められている英霊人形。
戦没者の写真をもとにかなり精巧に作られた、身の丈65cmほどの木像で、ここには95体が安置されている。名古屋のからくり人形師、6代目玉屋庄兵衛(1860~1930年)の作という。
いわゆる「英霊人形」はこのほか、静岡県岡部町の常昌院(別名:兵隊寺)や北海道江別市の天徳寺など全国4か所で確認されている。
ほかが全て、戦没者の像が日露戦争直後に作成されたものであるのに対し、北海道北見市・信善光寺の「屯田兵人形」75体は日露戦争から無事帰還した兵士の像で、昭和8~11年に製作されたもののようである。

ここ浅間神社の石像は、少し子供っぽくデフォルメされており、それほど写実的ではないし、そもそも木像ではない。
「英霊人形」の分布は今のところ東海と北海道に限られており、そこからもはずれている。
何らかの関係はありそうだが、直接結びつけるには躊躇を覚える。

では、軍人の石像を奉納した例はあるのか。
厚木市郷土資料館のご教示を得て調べてみたところ、名古屋市の月ヶ丘旧軍人墓地にコンクリート像だが、あった。
(軍人)
現在は愛知県南知多町の中之院に移されているが、現在も92体残っている。
昭和12年(1937年)の上海事変で戦病死した名古屋第三師団歩兵六聯隊の軍人たちだそうだ。
作者は、コンクリート石像作家の浅野祥雲(1891~1978年)。
こうした軍人像は他でも作られたようだが、進駐軍の命により取り壊されたケースが多いという。

ただ、これらにしても浅間神社の事例とは時代が異なるので、直接的な関係があるのかどうかは不明だ。
ここの例は、軍服が日露戦争時のものに似ていることと、昭和5年が日露戦争25年に当たることから、小嶋勇さんは日露戦争で亡くなった人であり、没後25年を期して、追悼のため石像を奉納したと考えて間違いなかろう。
類例はまだあるのかもしれないが、極めて珍しいものであることには違いない。

個人的には、鐘ヶ嶽を信仰する富士講が千葉県まで広がっており、昭和初期になってもその名残があったことを示すものではないかと想像していたが、「郷土神奈川」第52号掲載の大野一郎「富士塚と富士講―鐘ヶ嶽と富士信仰をめぐって―」によれば、浅間神社に丁目石を奉納した講は、川崎宿、神奈川宿、藤沢宿、小田原宿など近隣に限られている。

大野氏にご教示を願ったところ、「ふもとに小島姓の家があり、市川に引っ越した親戚がいたのではないか」ということであった。

現地で撮影した写真を整理していると、昭和52年に石段を補修工事した際の記念碑があったが、それに興味深い記述があった。こう書いてある。
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「…参道階段ガ幾星霜ヲ経テ破損乱雑トナリ昇降困難ヲ極メタ為メ七澤氏子並ビニ千葉県市川市ノ信者小島氏一族ノ協賛ヲ仰ギ地元石工ノ施工ニ依リ補修工事完遂…」
さらに、協賛者名として、「小島照男」「小島達徳」の名があり、石工の中には「北原照治」「北原実」の名があった。
小島氏は「氏子」ではなく「信者」として別格(別枠?)扱いである。
単に引っ越してしまったため、「氏子」から「信者」になったのかどうかは分からないが、近年に至っても、小島氏が七沢浅間神社にとって特別な地位にあることは間違いない。

ぜひ、小島家の方に会って、勇さんのことを聞いてみたいが、一介の登山者では相手にされまい。
調査はとりあえず、ここまでに留めておく。

さあ、前に進もう。
先にご案内の通り、しばらくは切石の階段が続く。
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そして目立つのが、丁目石。
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近郊の富士講が建立したもので、28丁目からふもとの1丁目まで続いている(24丁目のみ消失)。
多くは文久四年(1864年)に建立されたものだ。
講の所在地は、大和、厚木、大磯、綾瀬、伊勢原、藤沢、横浜など神奈川県内が中心で、一部に八王子もあった。

石段を過ぎると、なだらかな落ち葉の道。
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22丁目は岩場になっており、海側の展望が開けた。
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21丁目の手前では山側。高取山(522m)の採石場。
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経ヶ岳(左、633m)と華厳山(右、602m)。
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20丁目の下には、巨石を削った階段。
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かつてはあの高さまで土があったのだろうか。

さらに下ると、掘れた道も出てくる。
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15丁目は石仏とセット。
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それにしてもこの下りは長い。
地形図に広沢寺温泉に直接下りる道が記されており、ショートカットしたかったが、現地でそれらしき分岐は見つけられなかった。

丁目石は9丁目からは頂上に石仏をのせたものとなる。
これは八幡大菩薩。
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8丁目は不動尊。
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引き続き、続々と。
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3丁目を過ぎたところで、動物除けゲートを通過。
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結局、1丁目のある登山口まで下りてきてしまった。
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最後は暗い植林の道だった。
途中、単独男性とすれ違ったが、普通のハイカーではなかった。巡回だろうか。

入口の案内板によると、鐘ヶ嶽の名の由来は、そのむかし竜宮から上げた鐘をこの山に収めたからという説があるほか、戦国時代に上杉定正の居城となった七沢城への合図のための鐘が置かれたためとも言われている。

里に下りてきたところで、近くのかぶと湯温泉・山水楼に電話をしたが、本日の日帰り入浴は終了したとのこと。
ならばと、バス停に近い七沢荘に電話したらOKとのことなので、そこを目指す。
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あたりはすっかり夕暮れの雰囲気。
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広沢寺温泉入口バス停の時刻表を確認して、15分ほどで七沢荘に到着。
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(ス940)
なんか怪しげなパワースポット宣伝しているようなところだ。
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中に入ると、足湯。
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のれんをくぐって、脱衣所へ。
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この先は撮影禁止。日帰り温泉でこの表示があったのは初めてだ。
できても、人が多すぎで撮れなかったが。

湯はつるつるで、美肌の湯全国ナンバーナインの1つとのことだが、すこしぬるいのが玉にきず。あたたまるのに時間がかかったし、浴室があばらやなので気温が低く、体を洗っている時は寒くてたまらなかった。

バスの時間ぎりぎりになってしまったので、あわててバス停へ。
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数分で来た。
16:41発。厚木市街で少々渋滞したようで(寝ていた)、本厚木駅に着いたのは17:30すぎ。

お腹が空いたので、どっか適当な店を探す。
駅北口に「ホンアツ餃子」というのがあったので、そこに入る。
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お通しと、ホンアツ餃子200円。生ビールで1人打ち上げ。
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ソース焼きそば380円で満腹。
新所沢のことを「しんとこ」と言うが、本厚木のことは「ほんあつ」と言うことを知る。

18:25発の特急はこね38号に乗り、20:30頃帰宅した。
鐘ヶ嶽の「英霊人形」に妙にそそられた山行だった。

【行程】2014年12月13日(土)
土山峠(8:45)~503m標高点(9:14)~辺室山(9:43)~物見峠(10:25)~北峰(11:27)~三峰山(11:50昼食12:15)~不動尻(13:25)~鐘ヶ嶽入口(13:43)~山神隧道上(13:53休憩14:02)~鐘ヶ嶽(14:21撮影14:23)~浅間神社(14:26撮影14:32)~鐘ヶ嶽登山口(15:19)~七沢荘(15:39)
※所要時間:6時間54分(歩行時間:6時間12分)コースタイム:6時間45分
※登った山:4座(辺室山、三峰山、七沢山、鐘ヶ嶽)
※歩行距離:13.0km

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大山三峰(上)

【2014年12月13日(土)】大山三峰
本日は2か月ぶりの丹沢。5時に起きて、5時20分頃、家を出た。
少し早く出られたので、予定していた電車より1本早い5:40新所沢発に乗る。
乗り継ぎの小田急も1本早いのに乗れた。
でも、本を読んでいるうちに、いきなり本厚木に着いて、あわてて下りる。
3分遅れで7:37着。
危うく乗り過ごすところだった。

宮ヶ瀬方面行きのバス停にはもう15人くらい並んでいたが、余裕で座れた。
その後、1本後の電車で到着したハイカーが大勢乗ってきて、あっという間に満員。
予定の電車で来たら、座れなかっただろう。早めに出てよかった。
天気は快晴。でも、窓ガラスは車内の人いきれですぐ曇ってしまい、景色がよく見えない。

登山口の土山峠には8:33に到着。
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ここは宮ヶ瀬湖の南東端にあたる。奥に見えるのは権現山(1312m)。
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煤ヶ谷や役場前で下りた人が多く、ここで下車したのは私を含め、2人だけだった。
車が2台駐まっていた。ここに駐車できるのは2台が限界だ。
ストレッチをしていると、車からおじさんが下りてきて、「写真撮り?」と聞く。
「いえ登山です」
「どこ?」
「辺室山です」
「辺室かあ、じゃあ、少し戻って、林道歩いて・・・」
などと説明してくれたが、こちらは分かっているので、「ああ、はいはい」と聞き流しておいた。

出発する前に、すぐ近くにある坐禅石を見学。
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南北朝時代にこの地で修行していた仏果禅師が坐禅していた石とのこと。
禅師の名にちなむ仏果山(747m)の中腹にあったが、近年そのあたりが採石場になってきたので、現在地に移したのだという。

すこし厚木方面に戻ると、さっき一緒にバスから下りた高齢の男性がまだいたので、あいさつ。
登山届のボックスがあったが、筆記具がないので、提出できなかった。
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すぐ目の前にいきなり急登の登山道がある。
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林道なんてないじゃないか。さっきのおじさん、適当なこと言いやがって。

高齢男性から少し遅れて、8:45に登山開始。
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新しく買ったスマホケースを付ける位置がなかなか定まらず、付け直したりしているうちに、先行者はすぐに見えなくなってしまった。
結局、3回付け直し、4回目でようやくしっくりいった。
前日使った小さいザックでは右胸に普通に付ければ全く問題なかったのだが、今日の35㍑ザックでは右胸にボトルホルダーがあり、左側につけないといけない。しかし、普通に付けると、肩から下げたカメラにひっかかってしまう。
位置を上げたり下げたり、ウエストに付けたり試行錯誤であった。

それと、あろうことかこの日はいつも防寒具にしているレインウエアを忘れてしまった。
体温調節は、ダウンを着るか脱ぐかしかない。
最初はダウンを着て歩き始めたが、当然すぐ暑くなる。
いきなり急登だったので、すぐに脱いだ。幸い、レインウエアなしでも寒くなく助かった。
そんなわけで、すっかり時間を食ってしまった。

残り紅葉を愛でつつ、ゆっくり足を運ぶ。
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標高差で60mほど登ったところにある小さな祠に安全祈願。
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早速、左手に経ヶ岳(左、633m)と華厳岳(右、602m)。
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背後には仏果山(左)。
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登山口から20分ほど、二つ目の急坂で先行者に追いついた。
もう疲れているのか、かなりのスローペースだった。
抜かした後は、すぐに見えなくなった。
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この先は日陰で少し寒いので、体が冷えないよう、こちらはいつもより少し早めのペース。
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30分で503mピークを通過。とくに山名板はなかった。
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そのあとも順調に高度を稼ぐ。
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途中、右手に丹沢三峰。
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その後ろに顔をのぞかせている、うっすら雪化粧した峰は蛭ヶ岳(1673m)。
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辺室山山頂手前の三角点(644m)には9:37に到着。
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頂上付近はなだらかな広葉樹の森。冬枯れで明るい。
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ここから奥多摩・奥秩父方面の展望が得られた。
飛龍山(左、2077m)と雲取山(右、2017m)。すぐ手前は三頭山(1531m)。
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左から、雲取山、七ツ石山(1757m)、鷹巣山(1737m)。右手前は石老山(702m)。
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権現山の向こうに白く冠雪しているのは、おそらく木賊山(2469m)。
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落ち葉をカサカサ鳴らしながら歩くと、すぐに頂上(653m)。
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山頂のベンチには単独の男性がいたので、あまりゆっくりもできず、写真だけ撮って通過した。
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彼は出発の準備をしていたが、こちらの後を付いてこない。逆方向に歩いている人だろうか。だとすれば、まだ10時前なのに、あと1時間もかからずに登山を終えてしまう。謎だ。
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ここから物見峠までは、アップダウンの繰り返し。
まずは70mほど下って、辺室山を振り返る。
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大木の切り株から、次世代が誕生。
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右手が開け、再び奥多摩方面。
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右に大岳山(1266m)。左奥は長沢背稜。
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目指す三峰山(935m)。3つの峰のシルエットが見えた。右端は大山(1252m)。
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しばらく尾根筋を歩く。
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トラバースに入るとすぐに、物見峠。標高は約685m。
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このすぐ下を林道がトンネルで通過しているが、この林道を学生時代に自転車で通ったことがある。1982年だから、もう30年以上前のことだ。

正面には華厳山(左)が望める。ふもとの大きな建物はおそらく清川遠寿病院。
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ここからは急な階段。
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登りながら右手に、一瞬、塔ノ岳(1491m)が見えた。
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地形図はこの先の748mピークを巻いているように書いてあったが、ちゃんと頂上まで登らされた。
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ピークからは相模平野を一望。相模川の河口付近も見える。
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地形図では、ここから尾根づたいに煤ヶ谷に下る道があるように書かれているが、実際は100mほど先が分岐で、谷から上がってくる道だった。
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地形図はうまく付き合わないといけない。本当に登山道の間違いが多い。
この先の800m圏も地形図では巻き道が記されているが、実際は尾根通しであった。

分岐でちょうど、煤ヶ谷から登ってきた単独男性と遭遇。
ここから三峰山への道は難所が多いので、こんな警告があった。
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「無理しないで引き返す勇気が必要です」。もちろん、そんな勇気はなかった。

この先もアップダウンの連続。
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右側は崩落している所が何か所かあった。
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そういう所は逆に展望がいい。
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丹沢山塊が一望。中央が丹沢山(1567m)だ。
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上の写真の左のピークは塔ノ岳(1491m)。頂上に尊仏山荘が見える。
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右のピークが蛭ヶ岳(1673m)。こちらも山小屋の蛭ヶ岳山荘が確認できる。
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これは丹沢三峰のアップ。
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こんなヤセ尾根になっている箇所もあった。
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基本的にはのんびりした尾根道だったが、とうとう眼前に尖塔が現れた。
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三峰山のうちの北峰(約915m)だ。
三峰山はその名の通り、北峰、中峰、南峰の3つの峰があるが、これらすべてのピークを1つ1つ登らされることになる。

まず北峰の登りがきつい。標高差は約100m。
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かなりの急登で、ロープが何か所にも張られていた。
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これも道なのだから、その険しさが想像してもらえるだろう。
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ピークに達したところで左折するが、右手にもう少し高い場所があるので、登山道ではないが行ってみる。
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やはり「北峰」の山名板はなかった。その代わり、この眺望が得られた。
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厚木市街と思われる。

さっきの曲り角ピークには、意味ありげな三つの石。
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さてここからが難所の連続。
クサリ、ハシゴの連続だ。
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ちょっと風も出てきて、いやらしい。
油断せず、カメラをたすき掛けにして、慎重に進む。

中峰(約915m)のピーク。
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眺望は、採石が大規模に行われている高取山(522m)。
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都心部。右上にスカイツリーが見える。
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再び、ハシゴと岩場の連続。雪がついていると、ちょっと怖いところだ。
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11:50、登り始めてから3時間ちょっとで、三峰山の最高峰・南峰(935m)に到着。
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樹林に囲まれ、それほど展望はよくない。
先客は3人ほど、1人はすぐにいなくなり、中高年夫婦とベンチを共有してお昼。
あちらはジェットボイルでラーメン。

こちらも湯を沸かして、カップ麺。今日は、どん兵衛の「天ぷらそば」。
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頂上は風もあって寒いので、温かい汁がありがたかった。
当然、着いた途端にダウンを着込んだ。
それにしても、私のテルモスは3年ですっかり保温力がなくなってしまった。
中に水を入れたままにしておいたことが何回かあったが、それがいけなかったんだろうか。寿命にしては早すぎる。道具は手入れを怠ってはいけない。

同席したおばさんはよくしゃべる人だった。
対して、旦那さんは無口な印象。
私が着いた途端、「え、あちらから来たんですか? あちらは何があるんですか? 北峰とか?」と質問された。
「北峰も通りますが、物見峠とか辺室山に通じています」
「ああ、そうなんだ。あっちにも道があるんだ。自分が赤く印を付けてきたとこしか意識がなかった・・云々」
といった具合。

さっき、煤ヶ谷への分岐で会った人が到着して、ベンチに同席してきたので、こちらは早めに片づけて出発。間際には4人くらいのグループも到着した。
ここからも、またしばらくクサリ場や急階段が続く。
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南東にある910mほどのピークは七沢山というらしい。
帰宅して、詳細登山地図を確認して知った。巻かずに通過したはずなので、「登った山」に加える。ちなみに、三峰は3つと数えず、1つにした。
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ここで右折し、さらに急坂を下る。この坂で2組5人ほどの人とすれ違う。
この山も難所が多いわりにはよく登られているようだが、とくに不動尻から登る人が多いように感じた。
私のように土山峠から登ると、コースタイムは3時間35分。
煤ヶ谷から尾根通しで3時間。
煤ヶ谷から谷太郎川を遡って、マス釣り場から不動尻経由だと2時間35分だ。
広沢寺温泉から不動尻経由でも2時間40分。
煤ヶ谷スタートだと周回コースもとれる。

尾根をはずれて、谷に向かって下り出したところで、暑くなってダウンを脱ぐ。
この坂を登ってくる、重装備の若者が3人。
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テント縦走の出で立ちだが、このコースでどこに泊まるのか。
彼らの足なら、辺室山経由で下界に下り、宮ヶ瀬まで行けてしまいそうだが、なぜこんなルートを選んだのか、ちょっと不思議だ。
クサリ場で大きなザックを木に引っかけたりしないよう気をつけてほしい。

(つづく)
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飯盛山(下)

【2014年12月12日(金)】飯盛山
関八州見晴台には誰もいなかった。去年の3月以来、1年9か月ぶりの再訪だ。
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さっき車道から見たのと同様、武甲山や大持山、二子山が見えた。
両神山、大岳山などは雲に隠れていた。当然、富士山もNG。

これは11月に登った飯能アルプス。
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左は天覚山(445m)、右は大高山(493m)。

長居はせず、七曲峠に下る。
そこまでは、前回通った道だ。
ここで、登ってくる若者(と言っても30前後に見えたが)とすれ違う。
接近したら挨拶をしようと、彼の動きを見ていたが、こちらには全く関心がない様子なので、声をかけられずにいたら、そのまま行ってしまった。
ああいう人もいるのだ。

七曲峠は左折。
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谷に向かって深く下りていく。
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かなり大きな石がごろごろした谷で、落石が多そうだ。
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そこにかつての炭焼き窯の遺跡を見つけたと思ったら、その目の前に石仏。
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寛政十年の銘があった。施主は岩田権之進。
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地元の有力者だろうか。
かつては、こんな場所にも普通に人の暮らしは成立していたのだ。
日本が近代化で失ったものは、ものすごく大きい気がする。

ルンゼ状の難所を経て、車道に出る。
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が、またすぐに登山道に入る。
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これが四寸道と呼ばれている道だ。

「四寸道」の由来は明らかである。
「新編武蔵風土記稿」に「入間郡 越生郡 龍ヶ谷村 村内に秩父郡高山村に通う道あり、これを四寸道とよぶ、その幅狭くして馬の通はざるほどなる故、此名あるべし」と記されているそうだ。
古くは吉野大峰山に同様の地名があり、それに倣ったものなのかもしれない。
以上は「日本山岳会埼玉支部報 第8号」の記事を参考にした。
現在は四寸どころか、軽の4駆なら走れそうな広い道になっている。

再び車道に出て、また登山道へ。
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ここには道標がない。あまりハイカーが歩く道として認識されていないのだろうか。

このあたりはずっと植林の道だが、林床の黄葉は何の木なのだろう。
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地形図には、この先369mピークの手前で左に直接、龍隠寺に下りる道が書いてあるが、現地でははっきりしない。
本道が右へ行く巻き道なのに対し、尾根を行く踏み跡らしきものはあったが、ヤブになると面倒なので、巻き道を行く。

しばらく下った後で、左手に「御嶽山・御嶽神社」の標識。
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行ってみる。
さっきの尾根通しの道に合流して、龍隠寺に近道で行けるかと思ったが、違った。

行く先には粗末な社があり、「推進の会」による説明板もあった。
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それによると、明治中期から末期にかけて、このあたりでも御嶽信仰が盛んになり、この山頂にも御嶽神社が建立された。その頃から、ここは「御嶽山」と呼ばれるようになった。
社殿は昭和27年に再建され、53年に補修されたという。
当時の御嶽講には、地元の「藤野一心霊神」と入間郡川角村(現・毛呂山町川角)の「小室一信霊神」の2派があったとか。

それらの講が奉納した石碑も残っていた。
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ここから直接下れそうな踏み跡もあったが、安全策をとって登山道に戻る。

横吹峠にはすぐ出た。
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最後の下りは、ものすごくえぐれた滑りやすい道だった。
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ここからは林道。地元の人とすれ違う。
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スマホで現在地を確認していたら、「電波通じますか」と聞かれた。

龍隠寺下に下りてきたのは、3時半過ぎ。
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まだ明るいので、寺を見学していく。

その前にも、いくつか見ものが。
下馬門の碑。
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龍隠寺は807年の開創。文明四年(1472年)に太田道真・道灌父子が中興した。
下総・総寧寺、下野・大中寺とともに関三刹と呼ばれ、関東僧録司として、曹洞宗の統制権が幕府によって与えられ、十万石で遇せられた。
住職も幕府が任命し、総本山・永平寺の住職はこの三刹の住職経験者から選出されることになっていた。
そんな格式のある寺だったので、どんな高位の大名であっても、この下馬門で馬を下り、歩いて、上山しないといけなかったという。
ふ~ん、なるほど。

右手に清流の渓谷を見ながら進む。
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龍ヶ谷集落のたたずまい。
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龍ヶ谷大橋で龍ヶ谷川を渡る。
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寺の前には、六臂観音塔。
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嘉永二年(1849年)に寺の世話人宮崎利右衛門を中心とした檀家が建立した。
さっき、代官屋敷で会った方のご先祖様か。
塔身には「万人造之」の文字が彫られている。

寺のすぐ横にも渓谷美。
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門前の黄葉も見事だ。
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謹んで、上山。
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石畳の参道。
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大正二年の火事でも焼け残った山門。
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太田道灌の像。
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これも焼け残った銅鐘。寛文十二年(1672年)に鋳造されたものだ。
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基壇の石垣は、幕末期に台場の築造工事にも出仕した長沢村(現飯能市)の石工「八徳の三吉」の手になる。

本堂。無事下山に感謝し、手を合わせる。
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太田道真・道灌父子の墓。
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質素な五輪塔だ。分骨されているので、墓地は他にもある。

墓地の全景。
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こちらも焼け残った経蔵。
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外壁には、道元の一代記の彫刻などが彫られている。
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向背天井には酒井抱一による龍の絵が描かれているという。

最後に、隣接して建つ熊野神社に参拝。
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いろいろと貴重なものがあって時間がかかった。
時間も4時を過ぎて、すっかり薄暗くなってきた。
今日はちょっとスタートが遅すぎたかも。

途中、もうひとつ、貴重な文化財。補陀岩と宝篋印塔。
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これも六臂観音塔と同様、宮崎利右衛門らが1849年に建立したもの。
先祖の霊を守る供養塔である。
これだけの規模で優美なデザインのものは関東でも数少ないという。

さあ、あとひとのぼり。
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車は無傷でよかった。早速、「おっぺの湯」に向かう。
最初は、行く時に見つけた「宮沢湖温泉」を想定していたが、越生に入って「おっぺの湯」という看板を見つけたので、検索してみると、そんなに遠くないし、入浴料も700円なので、こちらに決める。
ついでに宮沢湖温泉も検索してみたら、1300円以上だった。
当然、おっぺの湯で決定。

ここは温泉ではないようで、「今日は奥飛騨温泉郷」などと書いてある。
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要するに、入浴剤?
消毒用の塩素の匂いもわりとしていた。
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露天風呂にも入って、退出。
帰宅にはまた1時間半くらいかかった。
でも、里山は地域の歴史に触れられるので楽しい。
高い山とはまた違った喜びがある。

【行程】2014年12月12日(土)
山猫軒近くの峠(11:00)~代官屋敷(11:08撮影11:16)~戸神登山口(11:27)~羽賀山(12:09撮影12:12)~野末張見晴台(12:20撮影・昼食12:39)~飯盛峠(13:21)~飯盛山(13:26)~龍ヶ谷富士(13:32)~関八州見晴台(14:02撮影14:07)~七曲峠(14:15)~御嶽神社(15:03撮影15:07)~横吹峠(15:19)~龍隠寺(15:42撮影16:06)~峠(16:18)
※所要時間:5時間18分(歩行時間:4時間34分)
※登った山:5座(うち新規4座:羽賀山、飯森山、龍ヶ谷富士、御嶽山)
※歩行距離:13.7km
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飯盛山(上)

【2014年12月12日(土)】飯盛山
前夜は酒席があり、天気予報も今イチだったので、無理せず、起きるまで寝ることにして、
7時半に起床。
それから行き先を考え、準備をして、9時半に車で出発。
周回できる奥武蔵のマイナーコースにした。

越生の龍隠寺から羽賀山、飯盛山を経て、四寸道を下りてくるコース。
平日ということもあり、それなりに道が混んでおり、現着に1時間半近くかかった。
龍隠寺あたりに車を駐められると思っていたが、「無断駐車禁止」の看板がいくつもあったので、ここは断念。
歩く予定の方向に向かって進んでいくが、なかなか駐車スペースがない。
そのまま、小さな峠に達し、やっと駐められた。自宅から39km。
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(ここがその峠)

軽く体操をして出発。今日は雪もなさそうなので、冬用のニューシューズではなくウオーキングシューズ。
しばらく舗装の林道を歩く。近くに乗馬クラブがあるようだ。
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こんな山間地にカフェがある。
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お店の名前「山猫軒」は宮沢賢治「注文の多い料理店」のパクリ。
確かに立地的には、そんなイメージか。

引き続いて左手に「代官屋敷60m」とあったので、行ってみる。
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屋敷の手前にあるゆず畑で、実を採っている老夫婦がいる。
挨拶すると、ご主人が話しかけてきた。
「ここは、私が昔、住んでいた家なんです。高校の時までは、ここから通っていたんです。不便なので、もう離れてますが」
奥さんも「だから、泥棒じゃないのよ」と笑う。
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ご主人がこの家に住んでいたのは昭和40年代前半まで。今も近くに住んでいるので、時々様子を見に来るが、普段は地域の人が草刈りをしたりしてくれるという。
この上は現在、杉林になっているが、さっきのゆず林も含め当時はみんな畑で、もっと開けていたんだとか。
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(バナナの木も繁茂していた)

今歩いてきた舗装道路も昔は通じておらず、屋敷の前にあるこの通路が古くからの道で、ずっと龍隠寺までの方まで続いていたそうだ。
武州一揆の時は、年貢を扱っていたので、襲われたという話も聞いている。
自分は次男だが、長男が先に出てしまったので、ここを継いでいた。
などなど、いろんな話をしてくれた。
「まあ、ごゆっくり。ゆっくりできるところでもありませんが」と笑っていた。
こちらも丁寧にお礼をして辞去。

改めて案内板を読んでみると、この建物は龍隠寺の寺代官を務めていた宮崎家の屋敷だそうだ。
当時ここ龍ヶ谷村は全村が龍隠寺の所領で、江戸詰めの住職に代わって、宮崎家が寺領を差配し、名主を世襲していた。1866年に起きた武州一揆(名栗騒動)の際に襲われ、その時に付けられた傷が大黒柱に残っているそうだ。
回りには、立派な石垣や池も残っていた。
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車道に戻り、戸神集落で左折する。
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デコポン?
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早咲きのスイセンやつばきも咲いていた。
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集落を抜けると、右折して登山道に入る。
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わりと歩きやすい傾斜だが、ずっと植林の中だ。
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登山口から20分ほどで、白小石という場所に出る。
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小さくはなく、大きな白い石が露出している。石灰岩だ。
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この付近には、今年の4月に設置された真新しい看板がたくさんある。
設置者は「龍ヶ谷地域活性化推進の会」。
越生町の龍ヶ谷地区は1990年にスタートした農林水産省の「中山間地域等直接支払制度」による交付金を受けて、10年間にわたり、デコポンやワラビ、マイタケ、ブルーベリーなどの新規作付けに取り組んできたそうである。
同時に周辺の文化財や見晴台などの整備も行ってきたそうだが、その活動を引き継いでいるのが、この「推進の会」ということなのだろうか。
地域の魅力を掘り起こし、広く紹介していこうという姿勢は、とても大切だと思う。
地方の衰退が深刻な時代だけに、心から応援したい。

羽賀山(566.5m)の山頂は登山道から外れており、途中から直接ピークを目指す。
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ピークには石灰岩の岩場があったが、三角点が見当たらなかった。
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でも山名板は2つもかかっていた。
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山頂から西の踏み跡は明瞭。
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登山道に合流すると、道は車も通れるような幅に。
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間もなく、開けた場所に出る。帰りに歩く四寸道の稜線だ。
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ここに、先程説明した中山間地域等直接支払制度を活用した龍ヶ谷集落事業の達成を記念して、2008年に植樹したしだれ桜があった。
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当然、花は咲いておらず、葉っぱもみな落ちている。

すぐ車道に出て、300mほど歩くと、野末張見晴台。
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ここの標高はスカイツリーと同じ634mだそうだ。
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関東平野。
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今日はずっと曇天だが、ここからは男体山や赤城山、谷川岳が見えた。
こちらは左から太郎山(2368m)、男体山(2486m)、女峰山(2483m)。
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日光白根山方面。山頂部は雲に隠れて見えない。
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赤城山(1828m)。
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霞んでいるが谷川岳方面(1977m)。
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かろうじて見える筑波山(877m)。
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東京都心の高層ビル群。スカイツリーが左に見えている。
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近いところでは、天文台がある堂平山(876m)。
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越上山(566m)かな。
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撮影していると、車の人が立ち寄り、すぐに帰って行った。
ちょうどベンチがあったし、お腹も空いてきたので、ここでお昼にする。
菓子パン2つとホットレモン。

20分ほどで出発。この先は、またしばらく車道。
683mピークは車道で巻いてから、引き返す形で登る。
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山名板などはなし。
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飯盛山への登りは、登り口を一瞬通過してしまい、戻って入る(右の道)。
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植林の中の暗い道。
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ピークは巻いて、奥武蔵グリーンラインに出た。最後の登りはロープだった。
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グリーンラインに乗って、この日初めて武甲山(1304m)が見えた。
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飯盛山に登る前に、まず飯盛峠(約780m)を確認しておこうと、右へ。
ここで今日初めてハイカーと会う。60歳くらいの単独男性だった。
峠には大きな標識があった。
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よくよく見ると、何か注意書きが巻き付けてある。
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「飯盛山」と称する山は、この峠をはさんで、北西と南東に2つある。自身でしっかり確認し、道迷いのないよう十分注意を」という趣旨だ。

ええっ、2つあることもびっくりだが、その2つとも自分が飯盛山だと思っていた山と違っていたことに愕然とした。
そういえば、「山の本」(2014年秋号・白山書房)で、そんなことを読んだことがあるのを思い出した。
改めて読んでみると、筆者の大久根茂氏は、どの資料がどちらを「飯盛山」としているかを確認の上、地元の古老に聞き取りを行ったり、関係市町の役所に問い合わせたりして、どちらが正しいかを検証している。
最も古い資料とみられる「武蔵国郡村誌」(明治9年)には、一盛山(飯盛山のことか)が三村(現在の飯能、越生、ときがわの3市町)の境にあると記されているらしい。
筆者としては、検討の結果、南東にあるピークを本来の「飯盛山」と認定している。

とにかく峠を確認に来たのはラッキーだった。両方登って、「登った山」に2座加算することにする。
まずは、FM局送信アンテナのある北西側のピーク。
施設用の車道を通り、アンテナの横から林に入る。
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すぐにピークはあり、埼玉県が立てた標柱もあった。標高は816.4m。
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今度は林の中の登山道を下る。
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飯盛峠から今度は南東側のピークへ。ここは、急な登りで、さっき巻いた山だ。
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頂上には、括弧書きで「龍ヶ谷富士」と書かれた新しい標識があった。
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設置者は例の「龍ヶ谷地域活性化推進の会」。越生町最高峰とある。
標高は795.2mだから、アンテナのある山の方が高い。

しかし、ここは3市町の境界であり、山の形も下の写真のごとく飯を盛ったように見えるので、やはりこちらが飯盛山と呼ばれていたような気がする。
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というわけで、大久根氏の意見と同じだ。
アンテナのあるピークに飯盛山の名が移ったのは、三角点があることに引きずられた結果のように思う。

当方は、「山と高原地図」に表記がある「飯盛山」の位置を、地形図を見て、793mの標高点のことだと思い込んでいた(龍ヶ谷富士の位置に飯盛山であることを示す黒点が打ってあるのを見落としていた)。
その標高点というのは、龍ヶ谷富士(地形図に標高表示なし)と道路を挟んで南側にある。
このピークにも登山道が通じていたので、一応行ってみた。
行ってみると、ベンチはあったが、当然のごとく山名板はなかった。
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この先、車道に沿って、稜線に登山道が続いているのだが、アップダウンを嫌って、車道を歩く。
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車道の方が、眺望がいい。武甲山と二子山(883m)。
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武甲山と大持山(1294m)。
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関八州見晴台の直前になって、登山道に入る。
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沿道には、民家が2軒あった。1軒は茶屋も兼ねていた印象だが、もう廃屋になっていた(上)。
もう1軒は別荘なのか、人はいないが、まだ暮らしの匂いはあった(下)。
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埋もれつつある廃車。
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2時過ぎに関八州見晴台に到着した。
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(つづく)
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石保戸山(下)

【2014年12月6日(土)】石保戸山
石保戸山(1673m)の頂上直下、南斜面の防火帯にたどり着いた。
かなりの急坂だ。
買ったばかりの靴がまだフィットしないので、この傾斜の直登は正直きつい。
ましてや、道がないので、接地が斜めになり、なおさら痛い。
標高差は80m程度なので、我慢して登る。
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途中振り返ると、雲をからめた富士山がかろうじて見えた。
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北の空にはまだ青空があるが、雪雲はこちらにも来そうな気がする。

防火帯を登り切った場所は、岩が点在。
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奥の木には山名板がかかっていたと思しき、痕跡があったが、今はない。
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どなたかのブログには、本当の山頂ではないこの場所に標識があると書いてあったが、風で吹き飛んでしまったんだろうか。

西に小さな高まりがあり、そこが頂上を思われたので、踏み跡をたどって、向かう。
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そこに三角点があり、さっきに木にかかっていたと思われる山名板が三角点の標柱にくくりつけられていた。誰かが移動させたのだろう。
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三角点の横に板が落ちていたので裏返してみたら、それにも「石保戸山」と書かれていた。
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これらを撮影して引き返す。

ここからはブログによれば、犬切峠までずっと防火帯。
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見晴らしはいいはずだが、まわりはすっかり雪雲に隠れてしまった。
正面に見える唐松尾山なども隠れてしまうのだろうか。
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右から、飛龍山(2077m)、竜喰山(2012m)、唐松尾山(2109m)。

藤尾山(1606m)の向こうに三頭山(1531m)がかろうじて見える。
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二本楢に向かう防火帯。
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山頂からの下りがまた急勾配。
くるぶしが痛い。普段なら、踵を埋まらせながら、さくさく下れるのに、苦痛でたまらない。

振り返ると、こんなに急。
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この先は、しばらく通常の下り。
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正面に大菩薩嶺(2057m)を見ながら。
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防火帯に残された木は風には弱いのか。
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登山道はノロカワ頭(約1510m)のピークをたどるように地形図には書いてあるが、北側を巻いて指入峠(約1480m)に出てしまった。
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でも、ここからピークに向けて踏み跡があったので、行ってみる。
頂上に山名板なし。でも、「登った山」を1つ損しなくてよかった。
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踏み跡には大量のシカの糞が落ちていた。
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この峠には、白沢峠の手前で見た新しい林道が達しており、地形図が語る光景とは随分違う。
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この道はちゃんと林業に利用されているのだろうか。

ここから二本楢(1582m)までの登りがまたきつい。
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しかし、この防火帯を下ったMTBが何台もいたようで、車輪の跡が残っている。
愛好家には、このダウンヒルは刺激的だろう。
こちらは、靴のせいもあり、ひーこら。

ただ、このあたりから本格的に雪が降ってきた。
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視界を閉ざすほどではないが、あんなに典型的な冬型でも奥秩父に雪が降るとは驚きだった。
二本楢は午後1時前に通過。地名の由来になったと思しき楢の木は見当たらなかった。
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このあたりの防火帯は雪が積もったら、スキー場になりそうだ。
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でも、スキーではなくMTBの跡がたくさん。
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おお、とうとう正面の藤尾山(1606m)も雪で霞んでしまった。
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当初は藤尾山も登るつもりだったが、2度の道間違いで時間を30分以上ロスしており、天気も悪いし、今回は断念して、まっすぐ高橋に下ることにした。
ノーマルタイヤで来ているので、このまま雪がたくさん積もってしまっては大変だ。

新犬切峠(1378m)には13:17に下りてきた。
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ワゴン車が1台あり、山行を終えた登山者が乗り込むところだった。
藤尾山に行ってきたのだろうか。

こちらは車道歩きを嫌って、犬切峠まで行き、旧道を下る。
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地形図では、下る道は2本あるように書いてあるが、1本しかなかった。
旧道らしく、太い道がつづら折り。
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気持ちよく下っていたら、道は二股に分かれている。
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左が、地形図にある高橋集落の少し下流に出る道と判断し、新道に集落の手前で合流する右の道を行く。
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次第に道の真ん中に木が生え始めたり、崩落箇所(法面工事済み)で旧道は分断されていたりしたが、ステップのところに置かれた丸太に赤リボンがあり、このまま進んでいいと誘導してくれる。
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ここを渡り、旧道に復したが、さらに道は悪くなる。とうとう倒木などで通行不能となり、谷底の沢に下りざるをえなくなった。
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すぐに砂防ダム。これを高巻き(の逆)するのはきついなあと思ったら、対岸にトラバースの踏み跡が見えたので、砂防ダムの上で沢を渡り、左岸に移る。
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この踏み跡はけっこうしっかりしており、ちゃんと沢の下流へ導いてくれる。

あまり石の見えない珍しい沢だ。
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踏み跡に従っていくと、もう一度橋で対岸に渡り、間もなく車道に出た。
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車道は雪で真っ白。いやあ、これは車の運転が心配だ。
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どうも歩きにくいと思ったら、靴の底が雪や泥を取り込んで、団子になっている。
何度も、底を石や木にぶつけて、団子を落としたが、すぐに団子を発生させる。
まだ新品で彫りが深いからか。
この靴を今後も飼いならしていかないといけないのかと思うと、ちょっとテンションが下がった。

車道歩きが随分長いので、スマホで現在地を確認すると、地形図上の合流地点より、かなり上で合流している。
鶏冠神社の近くで、左から合流してく林道があったが、実はこれが旧道だったのかもしれない。
峠を下り始めてすぐの二股は、左に行った方がよかったのか。
確かに道は、沢の左岸を通っている。
今日は3回も道を間違えてしまった。
うち2回は気づいて引き返し、1回は間違いに気づかないまま強行突破。
どう評価していいものやら。

6時間ちょっと歩いて、14時過ぎに車のところに戻ってきた。
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予想通り、車にも雪が積もっていた。
藤尾山に登っていたら、16時を過ぎていたはず。
行かなくて正解だった。

とにかくさっさと車に乗り込み、そろりそろりと下る。
雪は5mmほど積もっているだろうか。
国道に出れば路面に雪はないだろうと思っていたが、丹波山村の町中まではところどころ残っていた。
急ブレーキをかけなくて済むよう、ゆっくり走った。

ほんとは、道の駅たばやまの「のめこい湯」で風呂に入るつもりだったが、湯に入っている間に、さらに雪が積もるのが怖かったし、「のめこい湯」は駐車場から施設まで橋をわたってしばらく歩かないといけないので、奥多摩駅近くにある「もえぎの湯」に変更。

丹波の先は路面にこそ雪はなかったが、雪は降り続けている。
小河内ダムあたりでやっと、降雪エリアを抜け、安心して「もえぎの湯」へ。15時着。
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結構混んでいた。
今日は奥多摩の山も結構降ったようで、みな暖まりたかったのだろう。
湯はちょうどよく、いつもより長湯した。

この後、所沢市内で渋滞にひっかかったが、5時半に帰宅。
天気の急変と靴に難儀した1日だった。

【行程】2014年12月6日(土)
一ノ瀬高橋(7:50)~白沢峠分岐(8:35道迷い8:45)~白沢峠(9:15撮影9:18)~斉木峠(10:00)~鳥小屋分岐(10:33昼食10:54)~石保戸山分岐(11:00道間違い11:24)~石保戸山下(11:44)~石保戸山(11:57撮影等12:06)~指入峠(12:29)~ノロカワ頭(12:35)~指入峠(12:38)~二本楢(12:58)~新犬切峠(13:17)~犬切峠(13:25)~一ノ瀬高橋(14:02)
※所要時間:6時間12分(歩行時間5時間42分)
※登った山:3座(石保戸山、ノロカワ頭、二本楢)
※歩行距離:15.7km

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石保戸山(上)

【2014年12月6日(土)】石保戸山
皇居ランで傷めたふくらはぎのリハビリは成功だったが、まだ本調子ではない。
それと先週買った冬用の靴を試したい。
この2つの条件で行き先を検討。生藤山のほか、藤野駅周辺の低山などが候補に上ったが、結局、一ノ瀬高原の石保戸山&藤尾山のセットにした。
冬用の靴なので、やはり雪が少しでもありそうなところがいい。

5時すぎに起きて、5:27に出発。
夜明け前の空、大きな黄色い満月がかなり低い位置にあった。
延々、国道411号を行く。
奥多摩湖畔の峰谷橋の公衆便所で朝のお勤めを済ませ、一ノ瀬高橋には7:40頃に到着した。

ごつい靴を履いて、ぎこちなく歩き出す。7:50出発。
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サイズがちょっと大きかったか。しかも重い。でも、めちゃめちゃいい天気だ。

高橋川に沿って西上する。
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このあたりは以前、車で来て、集落を見学したことがある。
3年前の夏、笠取山を登った帰りだった。やはり廃屋が多い。
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もうここには、1~2世帯くらいしか住んでいないのではないか。

今シーズン一番の冷え込みとのことで、路面の水たまりはしっかり凍っている。
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左手に金色山放光寺を見て進む。三界万霊塔が手前に立つ。
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三界とは仏教でいう「欲界」(欲望の世界)、「色界」(物質の世界)、「無色界」(欲も物もない世界)のこと。三界万霊塔とは、この世界に生きとし生けるもの全ての霊を宿らせたもので、万霊や無縁仏を供養するために寺の境内や墓地に建てられることが多いという。
ここの石碑はなかなか雰囲気がある。

集落を抜けて、林道を登っていく。
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ゲートは歩行者が通過するのも難儀する厳重さだった。
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この手前で、車に2台自転車を積んできたカップルが出発の準備をしていた。
どんな周回コースをとるのか。このゲートの上から下りてくるのだとしたら、扉を越えるのが大変だ。脇はすりぬけるすき間がない。

このすぐ先で、新しい太い林道と、交差するところに出た。
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この林道は、まだ地形図には掲載されていない。
一応、方角的には進路は左前方だろうと判断し、新しい林道を歩き始めたが、どうもおかしい。
道はどんどん南に逸れていき、山腹をトラバースする地形図上の道につながっているような気がする。
右手の沢の脇を上っていく踏み跡があったので、少し登ってみたが、やはりこれが登山道とは思えない。20mほど歩いて戻る。
この複雑な状況下に標識は全くない。高橋から白沢峠に登る人がいるとは想定されていないのだろう。
電波が圏外なので地図ロイドの地形図をスマホで表示できず、現在地を正確には把握できない。

結局、引き返し、トラ柵を越えて、もとの林道を直進することにする。10分のロス。
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すると、左手に沢を渡る橋があり、その先に整備された登山道が見えた。
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やはり、こちらが正しかったのだ。

最初は沢に沿って登っていく。
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その後は、スズタケを切り開いた比較的広い道が続く。
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峠近くになると、雪がうっすら積もっているところも。
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峠まで、つづら折りの登りが結構長かった。

白沢峠には道間違いのロスタイムを含め、ほぼコースタイム通り、9:15に到着。
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印象深いフォードのトラックの残骸が、当たり前だが、まだ残っていた。
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戦後、進駐軍のトラックが払い下げられて、木材の運搬などに使われたのだろう。
ここには去年の11月に来ているので、ほぼ1年ぶりだ。

峠を右折して、防火帯を登る。
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トラックを振り返る。こうなるともう、ひとつのアートである。
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防火帯のピークからは南に大菩薩嶺(2057m)が見えた。左は鶏冠山(1716m)。
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下ると、右手に巻き道が見えたが、とりあえず尾根筋を歩く。
踏み跡はとくにないが、下草もないので歩きやすい。
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しばらく行くと、スズタケが繁茂してきたので、尾根歩きは諦め、巻き道に下りる。
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ほぼ平らな道が延々続く。
幅が広いのは、かつては、あのトラックも走った車道だったからだ。

日陰には雪が残っている。
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尾根筋の1513mピークに寄ろうと、スズタケの下に見える踏み跡をたどってみたが、やはりヤブがひどく、10mも行かずに引き返した。
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(ちょうどこの地点)

1562mピークを経由して高橋に戻る道(地形図に表記あり)は、やはり廃道になっているのか、分岐は見つけられなかった。
徐々に傾斜が増してきた気がする。
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次の斉木峠にも標識なし。
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でも、すぐ先に高橋に下る分岐はあった。
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ダケカンバの幹に刻まれた矢印。何年くらい経つと、こんな感じになるのだろう。
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しばらく登ると、もう1台同じトラックを発見。哀愁が漂う。
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沢が道路を横切っているところに、かわいい道標が立っていた。
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ここは水場にもなっている。でも、まだ水は飲まなくても大丈夫。
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だんだん路面も真っ白になってきた。
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鳥小屋分岐には白沢峠から1時間15分で到着。
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標識に標高1636mと書いてあったが、地形図上は1680mほどあった。
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まだ早いが、少しお腹が空いたので、ここでお昼にする。
道端にマットを敷いて座り込み、菓子パン2個とホットココア。
今日は気温が低いはずだが、風がないので、日が当たると暖かいくらいだ。

この先は笠取小屋へ通じる林道に入り、小屋とは逆方向に下る。
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間もなく、左手に石保戸山(1673m)に向かうと思われる道が現れたが、これはすぐヤブになる北側の直登路と判断し、そのまま林道を下り続ける。
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下りでは、くるぶしが靴の内側に当たって痛いので、ひもをきつく締め直す。
さらに痛くなってしまったが、しばらく我慢して歩いた。
ニューシューズに慣れるには時間がかかる。

途中、右手が開けて、乾徳山(左、2031m)と黒金山(右、2232m)が見えた。
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その右奥は甲武信岳方面だが、雲がかかっていた。
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道はどんどん下って行き、一向に石保戸山を巻き始めない。
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スマホで地図ロイドを見ても、このあたりの登山道がそもそも表記されていないので、よく分からないのだが、やはりこれはおかしいと判断。引き返す。
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同時に、靴のひもを今度はハイカットの部分は巻かずにゆるめてみた。
これでも、あまり快適ではないが、これで少し歩いてみる。

分岐に戻り、さっきの道に入る。
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この道間違いで、24分のロス。
このあたりは本当に分かりにくい。
普通は、この分岐に「石保戸山→」の道標を立てるよなあ。

やはり、この道でよかったようだ。
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MTBのタイヤの跡もあった。
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誰かのブログで読んだ通り、ロープを渡した崩落箇所もあった。
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ただ、この道から分岐しているはずのヤブの直登路は見つけられなかった。

そうこうしているうちに天気は曇ってきた。
まわりの山には雪雲も見える。
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分岐から20分ほどで、石保戸山への南側の直登路である防火帯の下に達した。
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この先の巻き道は、「伐採作業中のため、通行禁止」との貼り紙があった。
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(つづく)
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丁須ノ頭(下)

【2014年11月30日(日)】丁須ノ頭
産泰山から御岳(963m)に向かって歩いていると、眼前に次々と岩峰が現れる。
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ところどころにあるクサリ場もこれまで経験してきたのとは違う。

どれも足場がしっかりしておらず、緊張を強いられた。
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これは登らないで済んだ。
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難所を越えているうちに、右手の展望が開けてきた。
西大星(1012m)。右後ろに矢ヶ崎山(1184m)。
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カッパドキアのような尖塔。
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浅間山(2568m)はすっかり雲に隠れてしまった。
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産泰山から50分ほどで御岳に到着。
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左手には、ガスがかかり始めているが、表妙義の裏側。
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裏妙義など目じゃないほどのギザギザ岩峰だ。
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ここで初めて、正面に丁須ノ頭が見えた。
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あれは、ちょっと登れそうもないわ。

手前に顕著なピークがあり、かなり下りそう。先は遠いという印象だ。
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ここで、一息。ホットレモンを飲んでいたら、同窓会の大先輩から電話。
10分くらい話している間に、単独のおじさんが通過していった。

下り始めると、すぐ先の小ピークに男性2人の姿。
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ゴシック教会のバットレスのような岩壁を見ながら下る。
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そして、またまた厳しいクサリの連続だ。
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さっきの2人とすれ違った後、彼らが御岳に到達するのと、私が彼らが立っていた小ピークに達するのがほぼ同時だった。
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(御岳)

引き続き、難所は続く。
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ぱっくり割れ目シリーズ。
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お~誰かが亀のようにはいつくばってる。
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岩、いわ、イワ・・・
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御岳から1時間近くかかって、籠沢のコルに到着。
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ここは裏妙義国民宿舎への道との分岐。

国民宿舎からの道の方が楽だろうというイメージがあったが、長大なクサリがかかっていた。
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道は丁須ノ頭を南側に回り込む。
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足場に傾斜があるので怖い。

地獄への門?
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回り込みは、ただのトラバースではなかった。
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直接、丁須ノ頭の基部へ登らせるかのようなクサリが見えたが、登った先がどうなっているか分からない。とりあえず、そういうクサリを2本見送って進んでみる。
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すると、次のコル(鍵沢のコル)に至りそうな、クサリ場が出てきた。
湿っているはが、傾斜も比較的ゆるいので、ここを登る。
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これは正解だった。

登り切ると、あのキノコ岩の下でクライマーが10人近く休憩もしくは待機している。
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あそこまでは行ってみる。
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これまでのクサリ場が怖かったので、あの上に登ることは当然考えていない。
狭い空間だが、周囲の写真だけ撮らせてもらった。
表妙義。
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すぐ西にある無名岩峰。
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下りる人。
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通路に、ガスストーブでお湯を沸かしている人がいて、しきりに恐縮していた。
クライミングしている方をじっと眺めている場所もなかったので、すぐ下りる。

今度はこのクサリを登って、無名岩峰に向かう。
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さっき、この岩にも四つんばいで登っている人がいたが、私は登らず。
登らなくても十分、景色は見えるし、てっぺんに手は届くので「登った山」にできる。

ここで改めて丁須ノ頭を撮影。
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いつの間にか曇ってしまった。

あちらは三方境方面。正面は赤岩、左奥は烏帽子岩(1117m)。
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すこし戻ったところに腰掛け、昼食とする。もう12時を過ぎてしまった。
菓子パン2つとホットココア。
クライマーが1人登ってきて、丁須を登っている仲間の撮影をしているので、ひとつふたつ聞いてみた。
「クサリだけで登る人いるんですか」
「ええ、最初の一歩だけですから。でも事故もあるみたいですね」
「そうですか。下にレリーフがあるそうですけど、ありました?」
「いえ、気づきませんでした」
「遭難した人のですかねえ。ところで、どちらからですか?」
「御岳コースです」
(あ、ということは、たぶんさっき、ザンゲ岩で騒いでいた方々かな)
「帰りは、鍵沢ですか」
「ええ、でも登山道が崩落してるって、ネットなんかに出ていたので、一応ロープ一を持ってきたんです」
「そうなんですか?」

それは初耳だった。登山口にもそんなことは書いていなかった。
「御岳コース」だったからだろうか。
高校の同窓会のfacebook山岳部の友人(丁須登頂経験者)に問い合わせてみたら、「ロープがあれば大丈夫」とのこと。
いざとなったら、彼らのロープを使わせてもらうことにしよう。
とにかく出発だ。

下山路がよく分からず、さっきの回り込み道を戻るようで、ちょっと不安だったが、ちゃんと下へ向かうクサリがあって安心。
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しばらくはクサリとともに下りる。
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足場が湿っているので、本当に怖い。
足を滑らせても、クサリだけは離さないよう、しっかり握った。
いつも手に添えるくらいの補助だったのが、今回はすべてが命綱だ。

それにしても、この沢というか谷はすごい。
巨岩がごろごろしている。おどろおどろしい景観だ。
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写真を撮りながらも、慎重に下りる。

30分ほど下ったあたりで、涸れ沢だった鍵沢に水流が発生した。
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落ち葉をかき分け、岩肌をなめるように落ちていく。

さらに下ると、黄色いペンキの道しるべが出てきた。
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助かるが、結構厳しいところを歩かされる。

うへえ、また足場が傾いたところにクサリが。
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そろり、そろりと下りて、今度は落ち葉の海。
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流れもだいぶ沢らしくなってきた。
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旧道らしき道の石垣を発見。登山道のために石を組んだとも思えない。
山仕事のためだったのだろうか。
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こちらは現役。
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第二不動の滝が近づいてきた頃、男2人組とクライマーたちが追いついてきた。
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抜かれてしまうと、ロープのお願いができないので、ちょっとペースを上げる。
FBの同窓生は「崩落は登山口のすぐ先」と言っていたので、まだまだ先なのだ。

この第二不動の下りも厳しかった。
これは上から覗いたところ。
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この右を下っていくわけだ。クサリはあるが、足を滑らせたら、かすり傷では済まない。
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後ろの方々もみな無事に下れたようだ。

でも、この滝をすぎると、もう危ないところはほとんどなかった。
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さくさく下れる。
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右手の沢も余裕で眺められる。
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ただし、クサリ場は慎重に。
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尾根を越えるところに大山祗神の石碑があるはずだったが、気がつかないまま通り過ぎてしまった。
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その先には、クライマーのお兄さんが言っていた通り崩落箇所があり、通行止めになっていた
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その代わり、別ルートが用意されていた。
と言っても、計100mはありそうなクサリとロープの連続。
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新しい道を切り開くのは労力も金も時間もかかるので、ロープを頼りに直登してくださいという代物。
ここに来るような人は、こういうのも苦にしないでしょう。
という意識ありありだった。でも、通行禁止になったままよりはありがたい。
足場は、今度は土だったが、随分腕力を使った。明日は、ひどい筋肉痛になるだろう。

ここをクリアすると、登山口はすぐそこ。
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ここは本来の道だったところか。
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結局、丁須ノ頭から2時間弱で下れた。
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でも、道を間違ったこともあり、全行程では7時間半近くかかった。
吊り橋は通らず、上の舗装道路を回り込んで、駐車場へ。
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何組かが、すでに下山しており、車に乗り込むところだった。
こちらも靴を履き替えて、やっと人心地つく。

お風呂は磯部温泉へ。
日帰り温泉の「恵みの湯」は駐車場がほぼ満車。これじゃあお風呂は芋の子状態だと判断し、温泉街へ。
すこし高いかもしれないが、旅館で入ることにする。
1軒断られて(平日のみとのこと)、向かいの「磯部館」へ。
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ここはOKだったが、やはり入浴料はやや高い。1100円だった。
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でも日曜日の午後3時半ということで、入浴者はゼロ。
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完全独占で、露天風呂も含め、ゆっくり浸かった。

でも泉質表を見ると、ここは温泉ではなく鉱泉。
源泉の温度は10℃だった。沸かしているんだ~

富岡の「はま寿司」で、つぶ貝など9皿食べて、夕食とし、富岡ICから乗る。
若干、渋滞にひっかかり、7時半に帰宅した。
これまでで最も緊張を強いられた登山だったが、いい経験になった。

後日、道間違いしやすい場所がある旨を群馬県警に報告したら、すぐに現地視察をしてくれ、赤リボンは撤去してくれたという。迅速な対応に深く感謝します。

【行程】2014年11月30日(日)
登山口駐車場(7:20)~麻苧の滝(7:40)~ざんげ岩直下(8:24道探し8:44)~正しい道(9:03)~鼻曲り(9:19)~産泰山(9:50)~御岳(10:41撮影・休憩10:57)~籠沢のコル(11:45)~鍵沢のコル(11:58)~丁須ノ頭(12:03撮影12:07)~無名岩峰(12:16昼食・撮影12:44)~第二不動の滝(13:52)~登山口(14:33)~駐車場(14:43)
※所要時間:7時間23分(歩行時間:6時間10分)コースタイム:7時間10分
※登った山:5座(龍駒山、産泰山、御岳、丁須ノ頭、無名岩峰)
※歩行距離:8.2km
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丁須ノ頭(上)

【2014年11月30日(日)】丁須ノ頭
裏妙義の丁須ノ頭(1057m)に周回コースで行けるのを知ったのは、ごく最近のことだ。
すぐにでも行きたくなり、11月19日(水)にとってあった有休を利用して出かける予定を立てた。
しかし、その日は移動性高気圧に覆われて、ものすごい好天になることが予想されたので、もっと雄大な景色が望めるであろう山梨県の甘利山・千頭星山に変更してしまった。
それで後回しにしているうちに、とうとう11月30日(日)になってしまった。

クサリ場が多い岩山に雨上がりに行くのはちょっと不安だったが、決行することにした。
昨年夏から愛用してきたSCARPAの登山靴は縫い目がほつれてきたので修理に出したばかり。
その代わりと言うのも変だが、冬用の靴を買ってあった。
これと、ローカットのトレッキングシューズのどっちで行くか迷ったが、結局、雪もなさそうだし、このごっつい靴では、小さな足がかりにうまく足が乗せられないような気がして、ローカットの方を選択した。

朝4時に目覚ましをかけたが、眠いし、やっぱり早く着きすぎてしまうので30分延長、4時半にはもう30分延長して、結局、4:50に起床。
5:11に出発した。
天気は快晴。妙義もはっきり見え、浅間も真っ白に冠雪している。
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高速は松井田妙義で下り、登山口の駐車場には7時過ぎに到着した。
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登山者らしき人の車はなかった。
皇居ランで傷めたふくらはぎは、前日の飯能ハイキングで「問題なし」という結論は出ていたが、念入りにストレッチ。

7:20に出発した。今日は午後から曇る予報なので、先に見晴らしのいいルートを歩くべく、尾根通しの御岳コースをとる。
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「山と高原地図」のガイドブックは鍵沢コースから登る方を紹介していたが、急な岩場は下りより登りの方が安全だろう。

麻苧(あさお)のつりばして碓氷川を渡る。
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すぐ左手に滝が見える。麻苧の滝シリーズの末端にある孫滝だ。
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銭洗弁財天に安全祈願をして、登山道に入ると、麻苧の滝まで七福神の石像が並ぶ。
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左手に子滝を眺め、安産岩をくぐる。
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自行滝を過ぎると、不動明王が姿を現す。
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その奥に父滝たる麻苧の滝。
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落差は約40mもあり、麻の簾を垂らしたような景観がその名の由来だ。

滝見橋を渡ると、すぐクサリ場。
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わずか2mほどではあるが、まるで滝登りだ。
これは慎重に行かねばなるまいと、肩に下げていたカメラをザックにしまい、首からぶらさげている地図もウインドシェルの中に隠す。

おっと、左足をかけるところが、ちょうど水の通り道になっている。
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これを嫌って、もう少し大股にして、腕力でクリア。
心配したほど難儀ではなかったが、ちょっと先が思いやられる。

滝の上に出ると、巨大な落石が谷をふさいでいた。
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その奥には、とても低山とは思えない絶壁が立ちはだかる。
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足元にも滑りやすそうな露岩帯が次々と。
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その先も右手の岩壁をへつりながらの登りが続く。
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湿った落ち葉が厚く積もっている。靴が濡れそうで心配だったが、それほど影響はなかった。
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道は「山と高原地図」で破線になっているだけに、さすがに一般登山道とは趣が違う。
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踏み跡は落ち葉に隠れて見えないが、何となく感じ取れる道らしきラインを追っていく。
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時々、赤いリボンが見えるので安心だ。
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しかし、これはとんでもない間違いで、実は完全に道を誤っていたのだった。

登り始めて1時間。尾根に乗ったあたりで展望が開けた。
横川の町並みだ。
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信越本線の横川駅。
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そのすぐ横にある碓氷鉄道文化むら。
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奥には榛名山(1449m)。
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なんて写真を撮っていると、頭上から人の声が聞こえてきた。
登山者が4~5人。結構はしゃいでいる。
どうやら、ザンゲ岩に立っているみたいだ。
DSC_2016.jpg
なぜ???

私は誰にも抜かれていない。先行者だろうか。
でも、駐車場には軽トラックが1台駐まっていただけで、あの車が彼らのものとも思えない。
電車で来たのか?
時刻表を調べていないが、私より先に山に入れるとしたら、地元の方なのだろう。
そう結論して、歩を進めた。

尾根の先端を回り込む。
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しかし、その先に道がない。こんな加工された古い石材がぽつんと落ちているだけ。
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今、歩いているのが正しい道だとしたら、この先にザンゲ岩に登る道があるはずだが、それも見当たらないし、このままトラバースしていく道もない。
前方は傾いた岩肌で、落ち葉の下が道なのか、ただの斜面なのか判断がつかない。
これ以上進むのは危険だ。

やはり道を間違えたようだと考え、引き返す。
しかし、ザンゲ岩の真下には赤いリボンがあるし、地図ロイドを確認しても、地形図の破線をきちんとトレースしてきている。
これらは「道は間違っていない」という根拠になる。

おかしい。
そう思いつつ、また戻る。つまり、もう一度進んでみる。
すると、たった今、自分の歩いた足跡が、落ち葉の窪みとなって残っている。
やはり、直前なら歩いた痕跡は残っているんだ。
なのに、今までの道に、先行の方々の足跡は全くなかった。
ということは、彼らは明らかにこの道を通っていない。
すなわち彼らは、私の後に登り始めた人で、正しい道を歩き、そして私より先にザンゲ岩に到達した。
そう判断せざるをえなかった。

リボンがどうであろうと、電子情報がどうであろうと、それが厳然たる事実だ。
であれば、かなり早い段階で道を間違えたとしか考えられない。
なぜなら、登ってきた道の右手(山側)はずっと絶壁だったのだから。

そんなことを考えたり、行ったり来たりしている間に15分ほど経過し、上からの声も完全に消えてしまった。
大声で「どこから登りましたか?」と質問する機会も失われた。
もう1時間も歩いているし、下まで戻るのは面倒だ。
道ではないが、木の枝をつかまりながら、ザンゲ岩に到達できるルートは見つけられそうだ。

だが、結局は引き返した。正しい道が見つけられなかったら、鍵沢コースから登り直せばいいと腹をくくった。
延々と下る。さっき目撃した奇妙な姿の木も通過。
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(登り)

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(下り)

20分近く下ったところで、左手(尾根側)の岩に、黄色いペンキで「×」の印を見つけた。
DSC_2020_20141231231924a78.jpg

そして、そのすぐ先にクサリ。
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なんと、正しい道は、ここで直進ではなく、右の岩を登るんだったのだ。
なぜ、この×印を見落としてしまったのか。
分かりにくいと言えば、分かりにくいが、気づかない位置に書かれているわけでもない。
実際にほとんどの登山者はここでクサリに取り付いているのだろうし、現にさっきの連中だってそうだ。
何か左に気をとられているすきに通り過ぎてしまったのだろうか。
こんなところで間違うとは全くもって情けない。

しかし、言い訳がましいことを言えば、ここの前後で道には何の変化もないし、「×」さえなければ、直進するのが当然のような地点だった。
「ここに道標でもあれば」と思うのは、山男として失格だろうか。
それにしても、あの赤リボンはいったい何だったのか。まぎらわしいこと、この上ない。

脱力した気分でクサリ場を登る。
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すると、ごく普通の尾根道だ。またまた脱力。なんて無駄なことをしてしまったのか。
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ところで、さっきもあったが、この「井上昌子」っていったい誰だ。
帰宅して調べてみると、北関東を中心にあちこちの山に同じ名前の落書きがあるようだ。
山名板の裏であったり、ここのように岩にスプレーで書かれていたり。
様々なブログの記述によると、20年ぐらい前から頻発し、多くの登山者の顰蹙を買ったようで、北関東の登山界では「有名人」らしい。
最近なりを潜めていたようだが、新たな落書きを見つけて「懐かしく思った」と報告している人がいた。また活動を再開したのか。
こんなことを話題にすること自体、彼女(?)の思う壺のような気がするが、一応記憶にとどめておく。

途中、再び視界が開けた。
中仙道の旧坂本宿をまたぐ上信越道。
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背後には、左に留夫山(1591m)と鼻曲山(1655m)。右に剣の峰(1430m)。

坂本宿のアップ。
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鉄道文化むらに展示されている車両群。模型のように見えるが、もちろんみな実物。
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横川の高台。
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再び榛名山。
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さっきのクサリ場から15分ほどでザンゲ岩(鼻曲り、640m)に到着。
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アマチュアカメラマンらしき方が、岩の上に三脚を立てていた。
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後ろから「こんにちは」と声をかけるも、返事なし。
聞こえなかったのかな?
もう一度、「こんにちは~」と言うと、何も言わずに振り返り、場所を空けてくれた。
でも、三脚は置いたまま。
邪魔だったが、よけてくれとも言えず、倒さないように撮影。

鉄道文化むら全景。
DSC_2038_201412312317566c5.jpg

碓氷川と信越本線。
DSC_2039_20141231231757b84.jpg
「それではお先に」と挨拶すると、「岩が湿っているので、気をつけて」と見送られた。
別に悪い人ではなかったみたいだ。

ここから産泰山までは、おだやかな尾根道。
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ザンゲ岩から30分ほどで着いた。
DSC_2051_20141231231801586.jpg

山頂には産泰大神の石碑。
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産泰大神とは文字通り、安産・子育ての神様。
ちなみに、全国の産泰神社の総本山が前橋にある。

ここからも若干の眺望あり。
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この先は、湿った岩や急な登り下りがあり緊張を強いられる。
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(これを登れと?)

足場も非常に悪い。
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ここは、歩くルートをなかなか見つけにくいところ。
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この湿った岩を登らなければいけないとは思わなかった。
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(つづく)
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