【2014年8月15~17日】東北乗り鉄
この週末は北海道と沖縄を除いて全国的に天候不順。
北海道まで登りに行くか!と一瞬考えたが、10日後には知床に行くことになっているし、それはさすがに無茶。
遅れがちのブログを集中的に書く日にしようかとも考えたが、それも何だかもったいない。
そうだ! 最近遠ざかっていたが、乗り鉄に行こう!
ということで、東北で乗っていない路線の乗りつぶしを計画した。
お目当ては、磐越東線、左沢線、山形鉄道フラワー長井線、由利高原鉄道鳥海山ろく線である。
山形は社会人駆けだしの頃、5年間住んだところなので懐かしい。
当時は仕事でもプライベートでも車で走り回っていたので、幹線以外、鉄道にはほとんど乗っていない。
楽しみだ。
時間が効率的に使うため、金曜日(15日)仕事が終わってすぐ、いわきに向かった。
東京メトロ千代田線で、大手町から北千住へ。
そこで18:49発の常磐線・勝田行きに乗り換える。
グリーン車が空いていたので、そこに陣取る。2階席だ。980円。
どの列も1人ずつ座っているので、一番小さな女性の隣に座る。
ここで、会社内のセブンイレブンで買った、カルビ弁当と枝豆を食べる。
藤代で通路を挟んで隣の家族連れが下りたので、土浦あたりでそちらに移動。
でも、もう暗いので車窓を楽しめないのが残念。
20:36水戸着。ここで20:38発のいわき行きに再び乗り換え。
モハE501の10両編成。今度はロングシートなので、つまらない。
普通列車だからか、お盆なのに旅行風の人は見当たらない。
弱冷房車に乗ったが、ガラガラなので寒いくらいだった。
車中ではずっとパソコンを出して、「山と鉄」原稿の推敲をしていた。
でも、通過駅は「レールウエイマップル 東北鉄道地図帳」を見ながら、ひとつひとつ確認するのは忘れなかった。
22:09いわき着。
1982年に自転車でここに来た時とは様変わり。
立派なペデストリアンデッキも出来ているし、駅名も「平(たいら)」から「いわき」に変わっている。
(翌朝撮影)
調べてみると、改名は1994年12月3日。新駅舎へは2007年10月25日に移行したようだ。
今夜の泊まりは、徒歩3分ほどの「サウナ&カプセルキュア いわき駅前店」。
料金は3780円。カプセルホテルにしては高めだが、なかなか設備が整っていた。
ベッドに電源やテレビ(BS視聴可)もあるし、なんと言っても大浴場がいい。
タオルやカミソリも使える。気持ちよく汗を流した。
明日は朝早いので、夜更かしはせず、「岳人」読書もそこそこに就寝。
6時からの朝食も立派な和食。
ただ、改めて回りを見ると、普通のサラリーマン風の人はいなかった。
6:25にチェックアウト。
気温は21℃。涼しい。
6:44発の郡山行き(キハ111・3両編成)に乗り込む。
駅構内のセブンイレブンで、非常食として菓子パンを1個だけ買っておいた。
乗り換えなどタイミングが合わず、うまく昼食をとれなかった時のためだ。
車内はセミクロスシート。右側に陣取る。
まだ雨は降っていない。
最初の駅は赤井。
磐越東線の愛称は「ゆうゆうあぶくまライン」というようだ。
田園風景の中をバイクと並走。
次の小川郷で早速列車交換。
江田を通過。
夏井川に沿って走る。
このあたりは渓谷になっている。
川前を通過して、夏井。
次の小野新町で再び列車交換。
4分停車なので、外に出てみた。
ぽつぽつ雨が落ちている。
このあたりの集落。
次の神俣でも3分停車。
隣のボックスの女性はこの格好で、ず~っと寝ていた。
狭い谷あいなのに、田んぼのないところがない。
本当に日本は瑞穂の国だ。
考えてみたら、磐越東線は福島県第1と第2の年を結ぶ路線だ。
1位がいわき、2位が郡山だと思い込んでいたが、ググってみると、なんと郡山の人口が逆転していた。
8月1日現在で、郡山市328,982人、いわき市326,213人。
ちなみに県庁所在地の福島市が第3位で283,112人(7月1日現在)。
「へえ~~」と、ひとり感心していた。
低い分水嶺を越えると菅谷。入水鍾乳洞への玄関口だ。
そして大越。
磐城常葉あたりで雨が激しくなり、写真が撮りにくくなってきた。
船引を通過。
このあたりで、移ヶ岳(995m)とみられるピラビダルな山が一瞬見えた。
この先トンネルをいくつも通るが、いずれも石造だった。
磐越東線(85.6km)は1914年から順次営業を開始し、17年10月に全通している。
これらのトンネルは14~15年にかけて建設されたもののようだ。
要田、三春、舞木と進む。
郡山には8:28着。これで磐越東線完乗。
8:39発福島行き(クハ718)に乗り換え。今度は東北本線。
ボックス席。若い女性が「ここ、いいですか~」と言って、斜め向かいに腰掛ける。
とても感じがよくて、結構。
土曜日なのに、福島第1と第3の都市を結ぶ線は、第1~2の路線より混んでいる。
ほぼ満席だ。
日和田、五百川、本宮、杉田と北上。駅名標は省略。
次の二本松で下りた、すでにザックカバーとスパッツをつけた熟年グループはこれから安達太良山だろうか。
天気が今イチで少々かわいそう。
見覚えのある「酒は大七」。飲んだことは多分ない。
安達を通過し、松川でもこんなに乗り込んでくる。
金谷川あたりでしばし東北道と並走し、福島盆地に下りていく。
山形勤務時代、東京を特急つばさで往復した頃を思い出す。
南福島を経て、福島には9:25着。
次はわずか7分の待ち合わせで、福島交通飯坂線に乗り換え。
1番ホームを北上する。
飯坂線のホームは阿武隈急行線(旧国鉄丸森線)と隣合わせだった。
手前には阿武隈急行の槻木行きが入線していた。
まず乗るのはこちら。
終点の飯坂温泉まで片道370円。総延長9.2km.。
ロングシートで、正面の通勤電車のような雰囲気。
もともとは東急の車両だったのだから仕方ない。
車内放送で沿線の施設のCMがひっきりなしに流れる。
貴重な広告収入なのだろう。
途中駅からの切符は車内で車掌が売っている。
飯坂温泉には9:54着。
なんとホームまで自転車で来る人が。
サイクルトレインの名で、ラッシュ時や夜間を除き、自転車の持ち込みを認めているようだ。
そういえば、最近あちこちで聞いたことがある。
改札を出る。せっかく温泉に来たのに、わずか11分の待ち合わせで折り返す。
福島の観光キャンペーンのコピーはこれ。
東北は東日本大震災で落ち込んだ観光客を呼び戻すため必死だ。
来年は北陸新幹線も開通して、客が奪われそうなので、なんとか東北を応援したい。
外に出てみた。雨がぽつぽつ降っている。
駅舎はこれ。
新しい。なんだか、日帰り温泉のような構えだ。
正面には芭蕉の像。
芭蕉は「奥の細道」の旅で、飯坂温泉に立ち寄っている。
翁は雨に降り込められたようで、飯坂の夜をこう記している。
「其夜飯塚(ママ)にとまる。温泉(いでゆ)あれば、湯に入て宿をかるに、土坐に莚を敷て、あやしき貧家也。灯もなければ、ゐろりの火かげに寐所をまうけて臥す。夜に入て、雷鳴(かみなり)雨しきりに降て、臥る上よりもり、蚤・蚊にせゝられて眠らず。持病さへおこりて、消入計(ばかり)になん」
どうも印象はあまりよくなかったようだ。
駅前には摺上川にかかる十綱(とつな))橋がある。
平安時代にはすでに藤つるで編んだつり橋がここに架かっていたらしい。
現在のものは大正4年(1915年)に架けられたアーチ式鉄橋で、来年、竣工100周年を迎える。
温泉街の一端も垣間見ることができた。
温泉には今度、駅舎撮影の旅で来た時に、ゆっくり入ろう。
さて、引き返さねば。10:05発の福島行きに乗り込む。
最初は乗客もこの程度だったのだが、基本的に街中を走る路線なので、どんどん乗ってきて、福島に着く頃には満員電車になってしまった。
こちらはずっとドアのあたりに立って、車窓を眺めていた。
飯坂温泉の次、花水坂
医王寺前。医王寺は義経の家来、継信・忠信兄弟で知られる佐藤氏に菩提寺。
芭蕉が訪れ、「笈も太刀も五月にかざれ帋幟(かみのぼり)」の句を詠んでいる。
続いて平野。
桜水。
笹谷。
上松川。
泉。
岩代清水。
JR奥羽本線を越える。
美術館図書館前。
曽根田。
はい、福島駅に到着。10:28。
阿武隈急行への乗り継ぎは、21分あるので、福島駅前を少し散策することにした。
(つづく)
スポンサーサイト
【2014年8月5~7日】尾瀬・燧ヶ岳
2日目、燧ヶ岳(2356m)から無事下山してきて、長蔵小屋にチェックインしたのが午後2時半頃。
案内された部屋は、南端の17号室。
部屋に熱がこもっていたので、窓を開けて風を通す。
風呂は4時半からとのことで、まだ随分時間がある。
とりあえず、部屋で若干仮眠した後、さっき残しておいた非常食のジャムパンや、牛タンのつまみなどを食べて、お腹を整える。
4時前にビジターセンターへ見学に行ったら、「あと5分で閉館です」と言われ、大慌て。
随分早いなあと思ったら、朝は7時開館なんだとか。
ほとんど何も見られず、退散。
お風呂は4時半にすぐ行くと混んでいるだろうと思い、5時前に行ったら、誰もいなかった。正解だった。
夕食は6時から。メニューは豚肉の生姜焼き、がんも、味噌汁。
それはいいのだが、広い食堂で、今日は人が少ないからテーブルがたくさん空いているのに、1テーブルごとに6人ギリギリ詰め込まれて、非常に不満を感じた。
バラバラに座られると、共通のおかずやお櫃の関係で、給仕側としては面倒なのだろうけど、ならばせめてこういう日は4人掛けにすべきだろう。
隣の人が「平日はこんなに空いているんですね」と言っていたが、こちらは非常に窮屈に感じた。長蔵小屋ともあろう宿が。
それでも生ビールだけは飲んだ。
食後は夕涼みのお散歩。
燧ヶ岳には雲がかかっていた。
空には半月が浮かんでいた。
その後は何もすることもなく、8時頃には寝てしまった気がする。
向かいと隣の部屋にもグループのお客さんがいたが、遅くまで酒盛りをしたりはしなかったので助かった。
夜中、長い廊下でトイレが遠かったのが、少しだけ不便だった。
朝食は6時から。でも回りの部屋の話し声で5時すぎに目が覚めてしまった。
窓の外を見ると曇っているように見えるが、上を見ると青い。
これはただのガスでいずれ晴れそうだ。
パッキングを済ませて、6時に食堂に下りる。
また詰め込まれてしまうから、少し時間を遅らそうかとも思ったが、お腹が空いてしまった。
今朝もやはり6人だったが、テーブルメンバーは昨夜と若干違う。
熟年の方々が会話しているのを聞いていて、思わずくすっと笑ってしまった。
お互い自分の自慢話しているだけで、会話のキャッチボールになっていない。
こういう年寄りにはなりたくないなと思った。
6時半過ぎに出発。天気予報は曇のち雨だったが、またしても晴れ。
もともとは、小淵沢田代を経由して林道を延々歩き、大清水に下る予定だったが、変更。
林道は魅力のある道じゃなさそうだし、小淵沢田代は鬼怒沼山(2141m)へ行く時に通ることもできるから取りやめ。
天気がいいので尾瀬沼を1周することにする。
去年来た時に半周しているが、今回は残りの富士見下から三平下間をつぶすことにする。
前回歩いた向きとは逆回りで沼尻に向かう。
大江湿原はまだ朝もやが残っていて神秘的。
朝の風景。
でも、すでにうなじが暑い。
浅湖湿原を横断する。
ここからは柴安嵓は見えない。これは俎嵓。
尾瀬沼の湖面が青くて、うれしい。
まだ朝早いからか、長英新道との分岐の先では、ほとんど人に会わなかった。
沼尻(ぬしり)のキンコウカと燧ヶ岳。
沼尻の交差点。
ナデッ窪への道。
長蔵小屋から1時間弱で沼尻休憩所に到着。
湖畔では長蔵小屋の方がボートで荷揚げ作業をしていた。
この休憩所は長蔵小屋の経営なのだ。
そろそろ営業開始か。
小休止しているうちに、人があちこちから集まってきた。
ここのトイレは長蔵小屋の私設トイレで建設費1000万円もかかったとのことなので、ちゃんと協力金100円を納める。
やっと開店というタイミングで、出発。
すぐに福島・群馬の県境、沼尻川を渡る。
川にはカルガモの親子がいた。
この先は軽いアップダウンを繰り返しつつ、南岸を歩く。木道は傷んでいる箇所が多い。
この岩はこの前見た記憶がある。
小沼湿原。
モウセンゴケの群落がすごかった。
燧ヶ岳を振り返る。
途中、オコジョの糞を何度も見かけた。
尾瀬沼南岸の風景。
ちょっと風が出てきた。
カエルさん。
庭園のような岩。
ここから三平下までは初めて歩く道。
あ~、熊に食べられたミズバショウの葉っぱが。
だいぶ雲が出てきた。
ここからだと5つのピークがみな見える。
時々、道が悪い。
ここは通れそうだが、通れない。
向こう側はこうなっていた。
9時17分、三平下に到着。これで1周完了。
尾瀬沼山荘で休憩。
贅沢してストロベリージェラートをいただく。450円。
今日は体操をするのを忘れていたので、ここで軽くストレッチ。
休憩所の店員に「いってらっしゃい」と見送られ、三平峠へ。
その登りで、巨大ななめくじの死骸を発見。それとも死んだふりをしているのか。
見納めの尾瀬沼。
10時前に三平峠に到着。
炎天下の下り。
黙々と下っていく。途中、岩清水で喉を潤す。
沢のせせらぎが涼しげ。
11時に三平橋まで下りてきた。
一ノ瀬の休憩所で10分ほど休憩。ついでにトイレも。
まだ時間も早いので、エコカーには乗らず、旧道を大清水まで歩くことにした。
入口は休憩所のすぐ先。
旧沼田街道だけあって、幅の広い、ゆるやかな道だ。
緑の木漏れ日が気持ちよく、ブナの大木などが雰囲気を醸し出している。
足元はぬかるみがあちこちにあったり、古い木道があったり。
なかなか味わい深い道だ。
おおガードレール。以前はこのあたりまで車道だったのか。
でも不思議なことに、この先は再び、こんなに狭くなる。
林道に出た。
ちょっと長かったが1時間ほどで旧道をクリア。時間は12時すぎ。
駐車場へは崖をショートカットして下りた。
車は日陰に置いておいたので、車内は暑くなっていなくて、助かった。
ゲートのところにある十二山神。
無事下山のお礼をして、車に乗ってお風呂へ。
戸倉まで下り、以前にも立ち寄った尾瀬戸倉温泉で汗を流す。
平日はすばらしい。今日も独り占めだった。
受付の人に、お昼を食べるのにお薦めの店を聞くと、近くの「かもしか村」などを紹介してくれたので、そこにする。
激しく旨いという意味の方言「はげ旨っメニュー」のマリネサラダのぶっかけそばを注文。1270円。
さっぱりしておいしかった。
この店は人気だ。平日なのに、ほかに4グループも入って、ほぼ満席。
途中、関越で若干渋滞に巻き込まれ、短時間雷雨にも当たったが、4時間ほどで帰宅できた。
いや最高の天気で、最高の山旅だった。
【行程】2014年8月7日(木)
長蔵小屋(6:37)~長英新道分岐(6:51)~沼尻(7:32休憩7:50)~富士見下(8:46)~三平下(9:17休憩9:37)~三平峠(9:57)~一ノ瀬(10:49休憩11:01)~大清水(12:07)
※所要時間:5時間30分(歩行時間:4時間33分)
※登った山:なし
※歩行距離:11.8km
【2014年8月5~7日】尾瀬・燧ヶ岳
なか日。御池から燧ヶ岳(2356m)を登っている。
5時に出発して、8時半過ぎに8合目を通過。
見下ろせば、熊沢田代がこんなに美しく見える。
田代とは湿原を意味する言葉のようだ。東北でよく目にする。
南東には日光の山々。
左から女峰山(2463m)、小真名子山(2323m)、太郎山(2367m)、男体山(2486m)。
赤く地肌をさらした斜面をトラバースする。
振り返ると、会津駒ヶ岳(2133m)。
8合目から10分ほどで9合目を通過。
すると、日光白根山(2578m)が姿を現した。
ふっと、尾根に出たと思ったら、頂上の柴安嵓(2356m)が見えた。
見事な溶岩ドーム。最後の噴火は約500年前だったらしい。
柴安嵓の右に越後の山々。
全景で見てみる。
おお、頂上のひとつ俎嵓(まないたぐら、2346m)が見えた。
登頂する直前に、5人ほどの若者グループとすれ違う。
そのうちの一人から、「そのザック、私のと同じですよ。家にあるやつと」と声をかけられた。
でも、「ああ、そうですか」としか言いようがない。
彼は調子に乗って、「なあ、あのザック、おれの持っているのと同じなんだよ」と仲間に声をかけまくり、「いやあ、かぶるとは思わなかった」と、ひとり舞い上がっている。
それがいかに無礼であるかが分かってない。
たぶん、下界でもKYなタイプなのだろう。
かまわず山頂へ。
燧ヶ岳には、この2つのピークのほかに、御池岳、ミノブチ岳(2220m)、赤ナグレ岳(2249m)を加え計5つのピークがある。
5つみんな行けば、「登った山」を稼げるのだが、あいにく登山道が通じているのは3つのみ。
俎嵓には9時すぎに到着。所要は4時間ちょっと。
コースタイムより30分も余計にかかったのは、写真を撮りすぎたためか。
とにかく、ここも絶景である。
まずは眼下の尾瀬沼。私はこれが見たかったのだ。
手前の禿げたピークがミノブチ岳。
これから登ってくる方々だろう。
さっき、すれ違ったご婦人に「富士山が見えるわよ」と言われていたので、どこにあるかなと目を凝らしたら、あった!
赤城山の右にうっすらと。
柴安嵓を往復してきたら、もう見えなくなっていたので、早めに登ってよかった。
それにしても、いったい何km離れているのだろう。
浅湖湿原と長蔵小屋周辺。
沼尻のあたり。
中央の袴腰山(2042m)の向こうに日光の山々。
右端は皿伏山(1917m)。
すぐ西にそびえ立つ柴安嵓。
尾瀬ヶ原と右に至仏山(2222m)。左奥の雲に隠れているのは武尊山(2158m)か。
平ヶ岳(2140m)。
山頂の祠。
岩場なので、あまりゆっくり落ち着ける場所はないが、とりあえず、360度の撮影を終え、眼下の尾瀬沼に目を見張りながらしばし休憩。
さあ、次は真の山頂・柴安嵓だ。ザックをデポして出発。
敵はオバQのような溶岩ドームだ。
50mほど下り60mほど登る。あっちの方がちょうど10m高い。
眼下のコルは木道になっている。
登り返し。
俎嵓を振り返る。
日光方面。
(
バームクーヘンのような御池岳。
20分ほどで到着。
ここからの尾瀬ヶ原の眺めは絶品。
手前は下田代十字路(見晴)。
武尊山。
平ヶ岳。
谷川岳(1977m)。
朝日岳(1945m)。
本当は見晴新道を下って、明日は尾瀬ヶ原を歩きたかったのだが、この崩落情報があったので断念した。
自撮り写真に全力を挙げている青年もいた。
男体山。
日光白根山の雲も切れた。
こっちから見る尾瀬沼。
これはもう1つのピーク、赤ナグレ岳。
柴安嵓の方が広いので、休むのに適しているが、ザックがないので戻る。
会津駒の上に大きな雲が出てきた。
下りの途中、巨石の奥から冷風が出ているのに気づいた。
岩陰に入ってみると、すごく涼しい。息が白くなるほど。風穴だ。
しかし、そこには白いペーパーとともに汚物があった。残念。
俎嵓への登り返し。
こちらにも大きな雲が出現。
デポしておいた私のザックに、他の人のザックが立てかけてあり、びっくり。
私なら絶対にしない。どうしても場所がなかったら、自分のを奥に置くだろう。
まだ10時過ぎだけど、早めの昼食とする。
昨日買っておいたカレーパンとチーズパン。
夕食までにお腹がすくだろうから、非常食のジャムパンはつなぎのためとっておく。
尾瀬沼を見下ろす岩場に寄りかかり、至福の時間だった。
名残惜しいが下山。
このあたりのペンキの文字は極端な略称だ。
「ミイケ」(御池)はいいとして、「ヌマ」は尾瀬沼方面、「ハラ」は尾瀬ヶ原方面ということだろう。
しばらくはごつごつした岩場。
シャクナゲとハイマツの道。
風穴があったのは、あの岩のたもと。
御池岳の山腹を巻く。
間もなく、ナデッ窪への分岐。
この後、左の長英新道を下るつもりだが、ナデッ窪コースを少し下りたところの小さなピークに「赤ナグレ岳」と地形図に書いてある。
これにも立ち寄って「登った山」を増やそうと思ったのだが、随分下ったのに、あるはずの登り返しがない。
おかしいなと思って、地図をよく見ると、赤ナグレ岳が指しているのは、目指す小ピークではなく、もっと先の2249mピークで、登山道が通っていない山だった。
地形図を降りたたんで見ていたので、勘違いしていたのだ。
これで10分のロス。
でも、かつての溶岩溜まりに残雪が残っているのを見られたのは、せめてもの救いだった。
俎嵓を見上げる。
尾瀬沼も近くなった気がする。
これが本当の赤ナグレ岳。
こちらは御池岳。
間もなく、上からだと全く登り返しがないミノブチ岳に到着。
ここからの尾瀬沼も美しい。
さて、長い長いと評判の長英新道を下る。
最初は快調に下っていたのだが、傾斜がゆるやかになってからが、また長い。
標高差は550m程度なのだが、3日前に行った言った八ヶ岳の1200mより長く感じた。
途中、木道工事中の箇所がいくつもあった。
これがまた歩きにくく、疲れを倍増させた。
尾瀬沼まで3回も腰を下ろして小休止。
しかし、驚いたことにミノブチ岳から下では、すれ違う人が1人しかいなかった。
たぶん、長英新道を登る人は、尾瀬沼湖畔の宿に泊まっている人に限られるだろうから、みな出発が朝早いのだろう。
でも、唯一の人は、だいぶ下って、もう1時も過ぎていた頃にすれ違ったので、頂上まで行くとしたら、さすがに暗くなってしまうだろう。大丈夫か。
ミノブチ岳からコースタイム1時間50分のところ、2時間半近くかけて、やっと分岐に到着。
いや、ほんとに長かった。
ここからは木道。楽に歩ける。こちらも付け替え工事中だ。これはヘリで運んだものか。
大江湿原に出る。夏の雲だ。
分岐から20分ほどで長蔵小屋に到着。
本日登った燧ヶ岳。
落ち着く前にまずトイレ。そして、冷たい豊富な水で顔を洗う。
で、売店でスイカアイスを買い
ひと心地ついてからチェックイン。
聞くと、気温は25℃とのこと。都会から比べれば天国だが、上から下りてきた身には十分暑かった。
【行程】2014年8月6日(水)
御池(4:58)~登山口(5:04)~1合目(5:17)~2合目(5:35)~3合目(6:00)~広沢田代(6:09朝食6:28)~4合目(6:47)~5合目(7:05)~熊沢田代(7:32)~6合目(7:50)~7合目(8:05)~8合目(8:36)~9合目(8:47)~俎嵓(9:06休憩9:20)~柴安嵓(9:41休憩9:56)~俎嵓(10:17昼食10:45)~ナデッ窪分岐(11:01往復11:11)~ミノブチ岳(11:19)~長英新道分岐(13:45)~長蔵小屋(14:06) 長蔵小屋泊
※所要時間:9時間8分(歩行時間:7時間22分)
※登った山:3座(俎嵓、柴安嵓、ミノブチ岳)
※歩行距離:10.6km
(つづく)
【2014年8月5~7日】尾瀬・燧ヶ岳
大江湿原を沼山峠に向かって歩いている。
実はこの道、歩いたことがある。1996年8月のことだ。
確か前夜、家族で檜枝岐のキャンプ場に泊まり、翌日、沼山峠から尾瀬沼まで往復したのだ。
ただ、その時の写真が残っていないので、あまり記憶がない。
娘はまだ4歳だった。
これは小渕沢田代への道。
あちらはワタスゲが咲き乱れている。
こちらはマルバダケブキ。
ここで湿原はおしまい。樹林帯の登りに入る。
シカ防止柵を通過。
扉はないが、シカの足がはまってしまうような足場になっている。
あちこちにある扉方式だと、ハイシーズンは開け放しになってしまうからだろう。
ニッコウキスゲの芽や花が好物のようだ。
登りと行っても、この程度の斜度で、しかも木道なので楽ちん。
峠の手前に休憩所みたいなところがあったが、まだ登りは続くし、家族連れもいたのでパスした。
でも、なぜ峠でもないところにベンチがあるのかと、いぶかって戻ってみたら、最後に尾瀬沼が見えるポイントだった。あわてて写真を撮る。
このあとは、峠の標識がないまま、峠らしきところを通過。
その先は、この歩きにくい、滑り止め付きの木道。
しかも、さっきの家族連れの中の子供2人が元気よく「1、2、1、2」と言いながら、後ろから追い立ててくる。
むこうに追い立てるつもりはないのだろうが、少々閉口した。
16:24、沼山峠休憩所に到着。長蔵小屋から1時間半近くかかった。
ここからのバスの最終は17:10と確認してあり、それに間に合うのは確実だったのだが、できればその前の便に乗りたいと思っていた。
ほぼ30分おきに出ていると、御池ロッジに予約日変更をした際に聞いていたが、その前の便が16:30なのか16:40なのかはっきりせず、ちょっと気になっていた。
バス停の時刻表をみると16:40だったので、ひと安心。すこしだけゆっくりできる。
売店で尾瀬の高山植物の本を買った。1400円也(税込み)
バスは先頭に陣取って、車窓を眺めていたが、何度も睡魔に襲われ、首かっくんしてしまった。
沼山峠~御池間は一般車両通行止めだった。
ロッジに着いた時はもう5時になっていたので、すぐ風呂に入った。
温泉とは唱ってないので、たぶん沸かし湯。なぜかちょっと加齢臭がした。先客のせい?
露天風呂の眼下にはニッコウキスゲのお花畑が広がっていた。
6時から夕食。品数も多く感激。
小鉢だけで、こんなに。
このほか、ズッキーニやまいたけの天ぷら、岩魚の塩焼き、おそばにデザートっぽい郷土料理(名前を忘れてしまった)がおいしかった。
生ビールのほかに調子に乗って、冷酒「男山」も飲んで、すっかり酔っぱらってしまった。
部屋はもちろん個室。
あすは5時出発予定なので、4時起き。
9時前には寝てしまった。
標高は1500mあり、涼しいので、窓を開けたまま寝た。
【行程】2014年8月5日(火)
大清水(12:02)=一ノ瀬(12:13昼食12:40)~岩清水(13:09)~三平峠(13:45休憩13:51)~三平下(14:06休憩・散策14:12)~長蔵小屋(14:33休憩・散策15:00)~平野家の墓(15:19)~小淵沢田代分岐(15:34)~沼山峠展望台(16:08)~沼山峠休憩所(16:24休憩16:40)=御池(16:56) 尾瀬御池ロッジ泊
※所要時間:3時間44分(歩行時間3時間20分)
※登った山:なし
※歩行距離:7.4km
翌朝、予定通り4時に起床。昨晩作ってもらった朝食用おにぎりを携え、5時前に出発。
快晴。すごく爽やかだが、ちょっと気になる雲が。
燧の山頂にも、うっすらガスがかかっているが、これはいずれ消えるだろう。
駐車場を突っ切って、登山道に入る。
広い木道。御池田代までは車いすも通れるバリアフリーなのだそうだ。
まもなく左折。
沢を渡ると、いきなり湿った、岩ごろごろの坂。
だらだら登ったあとは標高差150mを越える急登。起き抜けには結構きつい。
前後に単独の男性がいるが、いずれとも差が縮まらない。
みな苦労しているようだ。
途中、スパッツを着けるのを口実に小休止。
振り返ると、会津駒ヶ岳(2133m)の手前の山、大杉山(1922m)が目の前に見える。
5:35、2合目を通過。
時折、視界が開ける。あれは越後三山方面か。
じきに傾斜も緩やかになり
6時ちょうど、3合目を通過。
まもなく青空が見えてくると、広沢田代。
光線の角度が真横からなので、朝!という感じがする。
この湿原はキンコウカの天下である。
池塘が発達しているのも、うれしい。
ほとりの赤いのは食虫植物のモウセンゴケ。恥ずかしながら初めて見た。
ここで腰を下ろして朝食にする。
宿が用意してくれたのは、梅と昆布のおにぎり2個とウインナー、卵焼き、鮭、海苔の佃煮。
ペロリと食べて、20分ほどで出発。
食事中、何人か単独の方が抜かしていったが、いずれも比較的軽装。カメラで花を撮っている人が多かった。
いや、ほんと池塘が見事である。
少し進むと、ワタスゲが優勢に。
振り返ると、雲海が広がっていた。
そして奥に会津駒。
再び、登りがきつくなってきたあたりで、5合目を通過。まだ7時すぎ。順調だ。
会津の山々が延々と続いている。
最奥は丸山岳(1820m)だろうか。
しばらく登ると、広沢田代を見下ろせる場所に出た。
池塘はあんなふうに並んでいたんだ。
引いて見ると、会津駒を借景に素晴らしい眺めだ。
目を左に転じると、これは越後三山の荒沢岳(1969m)だろうか。
そのさらに左には、おそらく越後駒ヶ岳(2003m)。
あの辺りにもいずれ行かなければならない。
右には福島・栃木県境の稜線が見える。
さあ、いよいよ燧ヶ岳(2356m)の山頂部が見えてきた。
空には雲ひとつない。
いやあ、前回無理して登らなくて本当によかった。
こんな好天はめったにあるもんじゃない。
そして峠を越えると、こんな木道を下っていくのだが
思いもかけない光景が広がった。熊沢湿原と燧ヶ岳である。
目玉のように並ぶ池塘の間を木道が貫いている。
足元はキンコウカの絨毯。
ここは絶景と言っていい。
あまり使いたくない言葉だが、ここで使わなければ使う場面がない。
遠慮なく「絶景」と言わせていただく。
これはあまりに近く見えるので不安なのだが、百名山の平ヶ岳(2140m)かしら。
すると、これは越後三山の中岳(2085m、左)と駒ヶ岳(右)? 全く自信はないけど。
ふたつの池塘も青く輝いている。
ベンチに腰を下ろして、一瞬休憩。
さあ傾斜地の湿原を登っていく。
あまりの景色のよさに何度も振り返って写真を撮ってしまう。
おお、後ろから会津駒も再び顔を出した。
タテヤマリンドウ。
タカサゴソウかな? シロバナニガナかな?
ハナニガナ。
東田代の湿原も確認できた。
いやあ、コースを変更したのは正解だった。
実は当初、初日は長蔵小屋に泊まり、燧へは長英新道を登って、御池に下るつもりだった。でも、それでは初日の行程が短すぎるので前日になって、変更したのだった。
こんな楽しい登りなら全然苦にならない。
長英新道は下りでも長く退屈だったので、登りにしない本当によかった。
湿原が終わって、樹林帯に入るあたりが6合目。
そして15分ほどで、7合目。
道は左へトラバース気味に進み、まもなく涸れ沢のガレ場となる。
この直登は標高差150mある。辛抱だ。
このあたりに、雪渓があると思っていたが、もう解けていた。
あるブログでは7月下旬はまだあったそうだが。
でも、解けたばかりであることをうかがわせる光景も。
さあ、沢を詰めた先が8合目だ。
(つづく)
【2014年8月5日】尾瀬・燧ヶ岳
夏休みの前半は8月5~9日の5連休。
後半の8、9日は天気が崩れそうなので、5~7日を山行日とした。
さて、どこへ行こうか。
直前(2、3日)は八ヶ岳をガシガシ歩く予定なので、ゆとりのある日程で燧ヶ岳に登ることにした。
尾瀬に前後2泊して、燧には中日に登る計画だ。
5日はとくに早起きせず、7:50にゆっくり出発。
初日は、大清水に車を駐め、三平峠から尾瀬沼を経て、沼山峠へ。
ここから御池までバスに乗り、宿泊は尾瀬御池ロッジというコースである。
関越道は平日なので全く渋滞もなく、順調。
浅間、赤城、榛名、武尊などいずれもくっきり見え、天気も上々。しかし暑い。
沼田ICで下り、国道120号沿いのセブンイレブンで食料を調達しているうちに、大型バスに抜かれ、そのあとをちんたら尾瀬の手前まで付き合わされた。
11:40頃、大清水に到着。おお涼しい。
第一駐車場は満車なので、奥の第二駐車場に案内される。
料金は1日500円なので、3日分1500円を支払う。
第二駐車場は広大だったが、日陰になる最奥に駐めた。
ここから一ノ瀬休憩所まで3kmほどの林道を、低公害車(エコカー)の試験運転が行われている。無料だ。乗らない手はない。
エコカーが一ノ瀬から戻ってくるまで、トイレを済ませた後、ザックを待合コーナーのイスの上に置き、周辺を散策した。
こちらは大清水休憩所の売店。
休憩所の前にバス停があるが
肝心のバスは、第二駐車場横の木陰に避難していた。
これは物見小屋。
こちらが大清水小屋。
もちろん食事もできるようだが、入浴も可とある。
うわあ、これは冷たくて美味しそう。
でも、まだ1歩も歩いていない。
そうだ、ここは国道401号のどんづまり。
401号はいわゆる沼田街道で、この先、一ノ瀬、三平峠、尾瀬沼、沼山峠、七入を経て会津若松へ通じる道である。
ただ、総延長212kmのうち、87kmしか供用されていない。
今では考えられないことだが、この尾瀬を縦断する車道が実際に計画された。
1940年、戦前のことである。
1963年にまず福島県側の七入~御池間が完成。
その後、さすがに尾瀬沼畔に車道を通すのはまずいと思ったのか、1967年にルートが小渕沢田代経由に変更される。
引き続き、1970年、御池~沼山峠間も完成。
翌71年、群馬県側の大清水~一ノ瀬間も開通する。
この年、一ノ瀬~岩清水間の工事が開始され、岩清水がなくなってしまった。
尾瀬の自然保護は風前の灯かと思われたこの年、環境庁が発足し、自然公園審議会が道路建設の計画の廃止を答申。工事は中止されたのである。
完成していた一ノ瀬~岩清水間の道路は緊急車両用として利用されていたが、これも1997年には閉鎖され、自然回復のためのブナの植林が行われているという。
なかなか数奇な運命をたどってきた道路なのだ。
気がつくと、エコカーが到着していたので、もう乗れるかと聞くと、あまり愛想のない運転手が「乗れる」というので、乗り込む。独占で出発。
まずは、このゲートを通過。
随分ゆっくり砂利道を走り、13分ほどで一ノ瀬の乗り場に到着。
エコカーはハイブリット車だが、なぜか大宮ナンバーだった。
もうお昼を過ぎていたので、まだ全く歩いていないが、まずは一ノ瀬休憩所で腹ごしらえ。
今日は彩りよく、おにぎりに鳥の唐揚げ、ゆで卵、野菜スティック。
400円でまいたけ汁もいただいた。
満腹じゃ。
12:40に出発。
いきなり、ものすごい幅員の三平橋。
なぜ、こんな山奥にこんな巨大な橋があるのか不思議だったが、理由はさっき説明した通り。将来は国道になる予定だったのだ。
昭和45年(1970年)9月完成のプレートがあった。
この橋は尾瀬に壮大な観光道路の計画があったことの証人である。
計画が中止になって本当によかった。
三平橋を過ぎるとすぐ、登山道に入る。
しばらく、片品川の源流に沿って登る。
直に、早くも木道が現れる。
こういうふうに石畳で整備してあるところも多いが、とても歩きにくい。
土が流れないようにしているのだから、仕方ないんだけど。
冬路沢を渡って、しばらく登ると、岩清水。
昔ながらの岩清水は前述の通り、道路工事の影響で失われてしまったが、今は近くにあるこの清水が「岩清水」と呼ばれているとのこと。
冷たい水がほとばしり出ている。冷たくて実にうまかった。
この水があるなら、コンビニでペットボトルなんて買う必要はなかった。
そういえば、大清水にも豊富な湧き水があったっけ。
いやあ、それにしてもこの空の青と雲の白、山の緑。まさに夏真っ盛り!
ちょっとしたぬかるみを過ぎると
十二曲りと呼ばれる急坂。
ここで団体待ち。40人くらいいた。
私ひとりを通そうとする人は誰もいない。もう、そういうのにも慣れたけど。
登り切ると、再びだらだらした登り。
純白のノリウツギ。
しばらくオオシラビソの樹林帯の中を行く。
でも、かすかなすき間から、燧ヶ岳の山頂部が見えた。
一ノ瀬から1時間半ほどで、三平峠(1762m)に到着。ここで小休止。
一ノ瀬からの標高差は約340m。
登山地図の注記の通り、樹林帯の中なので展望はない。6分ほどで出発。
下りもなかなか尾瀬沼は見えない。
ただ、だいぶ下ってから、ササは切り払われて、沼が見えるようにしている箇所があった。
下りはカラマツソウが沿道を飾る。
午後2時過ぎ、三平下に下りてきた。まずは、お小水。
尾瀬はトイレが完備されている上、水が豊富なので、みな水洗で清潔なのがよい。
チップは気持ちよくお支払いする。
ここにある小屋は、尾瀬沼山荘。
せっかくなので湖畔に出て、正面の燧ヶ岳を眺める。
う~ん、明日も晴れてくれ。沼の水はそれほど冷たくなかった。
湖畔にはマルバダケブキとシシウド。
この先はずっと木道。当然ながら平らだ。
湖畔の道を、花を愛でながら行く。これはオタカラコウ。
キンコウカの群落と孤高に咲くコオニユリ。
早稲沢を渡る。
分岐で左へ。長蔵小屋へ向かう。
三平下から20分ほどで長蔵小屋に到着。
なにはともあれ、玄関前の水場にいちもくさん。
これまた冷たくて、おいしい。
小屋の後ろに回り込み、ビューポイントでしばし休憩。
かたわらにヤマオダマキ。
大江湿原の緑がまぶしい。
昨年秋に来た時と色彩がまったく違う。
人口も増えてきたが、全然うんざりするほどではない。
平日とは言え、夏休みなのだから、もっといるかと思ったが、意外。
夏は尾瀬のハイシーズンではないのだ。
長蔵小屋の予約をする時も、1週間前でまだ15部屋も空いていて、驚いたし、前日、宿泊日を変更しても全然問題なかったくらいだから。
大江湿原を行く。
おじさんは撮影に夢中。黙って待っている奥様。
シモツケソウ。
ニッコウキスゲ。
コオニユリとワタスゲ。
オオバギボウシを小ぶりにしたような花だなあと思ったら、コバギボウシだった。
大江湿原の象徴のような3本の木。
湿原を川が流れる。
途中、長蔵小屋の経営者・平野家の墓に立ち寄り、手を合わせる。
初代の長蔵氏(1870~1930)の墓は一番高い場所にある。長英氏は息子で、長靖氏(1935~1971)が孫だ。
長靖氏は群馬県立沼田高から京大に進み、北海道新聞に就職した。
しかし、家業を継ぐ予定だった弟さんが亡くなったため、1963年に尾瀬に戻ったという。
1971年には当時の大石武一環境庁長官に、例の道路計画の建設反対を直訴し、中止に追い込んだ中心人物である。
惜しまれるのは、その年の12月、下山途中に三平峠で遭難。享年36の若さだった。
跡は奥様の平野紀子さん、そして忘れ形見の太郎氏が継いでいる。
かたわらには、尾瀬の研究に尽力した植物学者・武田久吉氏の追慕之碑もあった。
墓のある小高い丘は「ヤナギランの丘」とも呼ばれている。
小屋を望むことができる場所だ。
こうべを垂れていない、りりしいアザミ。
ツリガネニンジン
今年は咲いていないコバイケイソウ。
さあ、沼山峠までは、標高差わずか120mだ。
(つづく)
【2014年8月3日(日)】八ヶ岳
11時前に編笠山(2524m)に到着。一昨年の7月以来2度目だ。
頂上からは赤岳(2899m)も南アルプスも富士も見えなくなってしまっていたが
眼下に富士見高原が見え、風もさわやかだった。
10分ほど休んで、出発。観音平ではなく富士見高原に向かって下る。
この看板は下から登ってきた人のための言葉だが、下りる人には、「飛び降りろ」と言われているように読める。矢印も目立つし。
しばらくは、巨石を渡り歩きながらの下り。なかなかやっかいだ。
こういう看板がいくつかあったが、下りの人には関係ない。
O君のストックが岩に刺さらず、時々滑るので、「しまうかい」と聞いたが「大丈夫」とのことだった。
右手には西岳(2398m)が寄り添っている。
「濃」の字が略されているので、一瞬何のことやら。
20分ほど下って、やっと樹林帯に入る。
すると、もうそこは「シャクナゲ公園」。
でも、花をつけている木はもうわずかだった。
しばらく、鬱蒼たる森の中の急な坂が続く。
12時前に林の中に入って雉打ち。急にもよおしてきてしまった。
きれいな苔を穢すのはもったいなかったが、やむを得まい。O君には先に行っていてもらった。
無事に済ませて、急ぎ足で歩いていると、少し先でO君が待っていてくれた。
標高100mごとにこういう看板があるのは親切なのだが、実際の標高とはかなり違っている上に、頂上までの所要時間もあまり信用できない。
こういう古い標識もあちこちにあり、登山道としての長い歴史を感じる。
これは間違い。正しくは「編笠山」。
延々と下ってきて、いい加減、足も疲れてきた。
そんな調子なので、前を歩いていた熟年夫婦に追いつけそうで、なかなか追いつけない。
奥さんは結構、足が速い。
とうとう1900m地点あたりで10分ほどの休憩をいただく。
こちらはマットを敷いて、横になり、足も伸ばす。あと500mも下らないといけないとは。
黙々と歩く中で目を引くものがいくつか。
標高1800mあたりまで来ると、ようやく傾斜が緩くなり、歩きやすくなった。
ここは白久保岩小屋なるところ。
松ぼっくり。
時々、地図ロイドを確認するのだが、GPSによるルートと地形図を比較すると、歩いた道は記載の道より随分ずれているところがあるのに気づいた。
かなり下って来たあたりで、道が右の沢の方に下りていく道と、直進する道に分かれている。
O君はかまわず直進。
こちらの道も沢の左岸に沿っているので、間違っていたとしてもそんなに問題なかろうと思い、従う。
すると、とうとう踏み跡が曖昧になってきた。でも沢の下流に林道の橋が見えており、そこに下れるようなので強行。
対岸を歩く、さっきの夫婦の姿が見える。やはり、あちらが正規の道だったようだ。
結果的にこちらが近道だったようで、先に林道に着いたが、そこの標識を見ると、盃流しとある。
どうやら、こちらはその名所を省いてしまったようだ。
この先は林道の大きなカーブをショートカットするように下る。
振り返ると、編笠山。その姿が見える位置まで下りてきた。
次の五叉路の先は2年前と同じ道を歩くことになる。
危険な丸太橋は避けて、涸れ沢を渡る。
見納めの花々。
いよいよ登山口に出るという直前で、さっきの夫婦の旦那の方が立ち小便しているのに遭遇。
我々がすぐ後を歩いてきているのは知っているはずなのに、よくできること。
それをやり過ごして、登山口を通過。
しばし林道を歩いて
午後1時半過ぎに無事、ゴルフ場の駐車場に到着した。
靴を脱いで、すぐ近くにある鹿の湯へ。
今回はわりとすいていて助かった。
湯上がりの休憩もそこそこに出発。
小腹がすいたので、買った牛乳で残りのパンを胃に流し込みながら、O君の車で美し森へ移動。
このあたりは今日も雨が降ったようだ。路面が濡れている。
美し森の駐車場で愛車を回収、O君の先導で長坂ICに向かうが、清里駅前で大型バスに割り込まれて、はぐれてしまい、致し方なく須玉ICへ。
中央道はやはり渋滞がひどいので、雁坂峠経由で帰ろうかとも思ったが、柳沢峠経由の方が圧倒的に近いのを地図で見て知り、一宮御坂ICで下りて、国道411号を登る。
柳沢峠の公衆便所で用を足して、のんびり奥多摩ドライブを楽しむ。
7時すぎには帰宅できた。
リベンジ成功、O君に感謝の山旅であった。
【行程】2014年8月3日(日)
キレット小屋(6:09)~ツルネ(6:41)~旭岳(7:23休憩7:34)~権現岳(8:01撮影8:08)~権現小屋(8:16休憩8:22)~ギボシ(8:30)~権現小屋(8:37休憩8:43)~のろし場(9:20撮影9:22)~青年小屋(9:39昼食9:58)~乙女の水(10:04水汲み10:10)~青年小屋(10:15休憩10:27)~編笠山(10:56休憩11:07)~シャクナゲ公園(11:31)~(11:41休憩11:46)~(12:32休憩12:41)~ゴルフ場(13:37)
※所要時間:7時間28分(歩行時間:5時間54分)コースタイム:6時間35分
※登った山:5座(うち新規3座:ツルネ、旭岳、ギボシ)
※歩行距離:9.6km
【2014年8月3日】八ヶ岳
長バシゴを登り終えると、権現岳(2715m)はすぐそこ。
旭岳(2672m)あたりでは進行方向がほとんどガスに隠れてしまい、眺望は諦めていたが、再び晴れてきて、感激。右がギボシ。
権現の岩峰も姿を現した。
O君を頂上直下に残して、権現山頂に向かう。眼下に権現小屋。
ガスは完全に晴れて、権現の荒々しいピークはもちろん、眼下の権現小屋と編笠山、間近にギボシ、その向こうに北アルプス。乗鞍、御嶽も見える。
編笠山(2524m)。
槍穂高を背後にしたギボシ。青年小屋から続々と登山者が登ってくる。
その青年小屋。
延々と続く北アルプス。
立山(3015m)と剱岳(2999m)。
南アルプス。
奥に中央アルプス。
そして富士山も見えてきた。
ここが頂上。
2年前の夏は、直下の権現小屋も見えないほど真っ白だっただけに、ほんとにうれしかった。
これが見たかったのだ。
山頂の岩場で何枚も写真を撮った。
満足してO君とともに小屋に下りる。
彼はすっかり腰を落ち着けて、まだ朝の8時だというのにビールを購入。しかも500缶。
「転落したら、ああさっきビールを飲んでおけばよかったと思うかもしれないじゃん」と言い訳。
「死ぬ時はそんなこと思う暇はないよ。それに飲んだ方が転落する確率が高くなる」と返す。
おれの方が理系的思考だ。彼の方がバリバリ理系なのだが。
さっそくプシュっとやっている。これから、厳しい難所が待っているのに。
再びガスが出てきたので、隠れてしまわないうちにギボシに行ってくることにした。
彼が飲んでいる間に、空身で往復する。
この前来た時は真っ白だったので、どこが青年小屋への道との分岐なのかよく分からなかったが、今回はよく分かる。
足元には、ちょっとくたびれているがイワギキョウ。
ハナニガナ。
イブキジャコウソウ。
分岐からものの2分ほどで頂上。古びた石仏がたたずんでいた。
鹿島槍も雲海の上に。
振り返って見る権現は何度もガスがかかったり晴れたり。
でも、概ね写真は撮れて、満足だ。
小屋に戻ると、O君はすでに飲み干しており、
「このへんは山ガールがたくさんいて、うれしいねえ」とのたまう。
確かに、山ガールだけでなく、人口が一気に増えた。
キレットは普通の人はなかなか行かないところのようだ。
私のような「八ヶ岳連峰のうち、赤岳と権現だけつながってない」なんて思う人じゃない限り。
では、そろそろ出発するか。
ガレ場でコマクサを発見。
タカネナデシコやシナノオトギリも。
かなり細かい浮石のある急坂をくさりに捕まりながら、下る。
しかし、危ない場面が。
O君と私が、岩場で登ってくる人を山側に寄ってよけていたら、ある若い女性が、O君のところをちょっと過ぎたところで止まって、息を整えている。
O君は後ろ向きだったので、彼女がとっくに通り過ぎたと思い、後ろ向きで登山道に一歩戻ったら、彼のザックが彼女のザックにぶつかった。
彼女は少しよろけただけだったが、勢いがよければ、あわや転落というタイミングだった。
崖下はちょうど低木のあるところだったので、転落しても大けがをするようなことはなかっただろうが、その瞬間を見ていたので、ひやっとした。
O君は謝り、彼女も笑っていたが、際どいシーンだった。
ギボシを振り返る。後ろ姿はかなり怖い。
引き続き、ゆっくりガレ場を下る。
改めて見ると、かなりの岩場だ。
ギボシの全容。ニセピークではあるが。
難所を通過すると、のろし場(2530m)。
ここは前回来た時に、ようやく晴れてきた思い出の場所だ。
あの時は富士山が見え始めたが、今日はまた隠れてしまった。
ここからの編笠はなんとも愛嬌がある。
鋸の歯のような権現。
西岳(2398m)はガスがからんでいる。
この先は私が先に下る。
O君は「青年小屋でゆっくりしようぜ」と言うが、もちろんそのつもり。
私は前回食べておいしかったラーメンをまた食べる気でいるので。
この時は気づかなかったが、彼にはすでに通風の症状が出ていたようだ。
やはりビールがいけなかった。
樹林帯に突入。
樹林を抜けると、絵になる景色。
巨岩地帯を下りてくる人の影も見える。
そして、9時半すぎ、青年小屋に到着。
小屋の回りには可憐なコオニユリが。
青年小屋でラーメンを食べるには靴を脱いで、食堂に入らなければならないが、玄関が混んでいる。
とりあえず窓の下にザックを置こうとすると、窓から女性のバイトの子が「いらっしゃい」と言ってきたので、ラーメンを注文。外でも食べられるというので、ザックを空いたベンチに移す。
O君は懲りずに、またしてもビールを購入。つまみと一緒に飲む。
「さっきは、つまみなしで飲んだから、回ったんだ。これを食べれば大丈夫」
いやいや、つまみの問題ではない。
まもなくラーメンが到着。
O君に箸上げポーズを撮ってもらい、facebookに投稿。
昔ながらの醤油ラーメン。
おいしかったのであっという間に平らげ、汁も塩分補給のため飲み干してしまった。
あまりじっとしていられない性分の私は、O君の分も、水場(「乙女の水」まで水を汲みに行く。
ここで水を買うのはバカだ。徒歩4分ほどだし。
ハイドレーションの中には今朝、キレット小屋で買った500cc400円の水がまだ200円分ほど残っていたが、惜しげもなく捨てて、沢水に入れ替える。
さっきの水はハイドレーション味(ちょっとカビ臭い)になってしまって、まずかったのだ。
顔も洗って、すっきりした。
すぐに小屋に帰還。ここのテン場は広い。
さて、そろそろ編笠へ出発。
巨石の海をぐいぐい乗り越えていく。
振り返ると、青年小屋と権現岳。
途中、ヒカリゴケ。
再び、樹林帯に入り
もうすぐ頂上というところで、下ってきた女性2人にO君が「こんにちは~」。
一拍おいて、「ほんとに、こんにちはだ~」とびっくり。
なんと2人ともスキーの仲間、友人だという。
私は、毎週のようにあちこち歩いているが、残念ながらほとんど知り合いと会ったことはない。
そして、11時前、本日最後のピーク編笠山山頂に到着した。
(つづく)