山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

徳本峠・霞沢岳(3)

7月28日(日)午前4時半。徳本峠小屋。
目が覚めたので、早速外に出てみる。
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手前の明神岳(2931m)は何とか見えるのだが、まだ穂高は見えない。

夜中に晴れていた空はまた雲が覆っている。
さて、これから晴れるのか崩れるのか。
天気ばかりはどうしようもない。
余計な衣類などは休憩室に置かせてもらって、朝食前にパッキングを完全に済ませ、ごちそうさまと同時に5:45出発。

穂高とは反対方向の空。
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稜線に雲がからんだように見えているのは、もしかして八ヶ岳だろうか。

これはその右手の小嵩沢山(2387m)
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すぐ近くの展望台に登ると、全部とはいかないが穂高のギザギザした稜線は姿を現してきた。
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いいぞ~、いいぞ~

これは西穂?
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あなたがたは明神くんと前穂くんですか?
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恥ずかしがらずに、みんなそろって出てきてね~と祈りつつ霞沢岳(2646m)に向かって歩き始める。
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しばらく平らな道で、3分ほどで明神から直接上って来る道と合流。

ここからしっかり登りとなる。
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右手、木々の間からは蝶や常念が望める。
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そして左手には蓼科山が姿を現した。
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今日は天気が回復するのかもしれない。期待に胸がふくらむ。

ニッコウキスゲ。
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マルバダケブキとイブキトラノオ。
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歩いてみて分かったが、霞沢岳はお花畑の山である。
あれだけ花があちこちに咲き乱れていて、「花の百名山」に落選したとは、他の山はどんだけ花だらけなのかと思う。

つづら折れの道を進むと、蓼科の左に美ヶ原が見えてきた。
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実に優美なスカイラインである。

もしかして、あれは甲斐駒か。
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今度はゴゼンタチバナとハクサンフウロ。
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モミジカラマツ。
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6:21スタジオ・ジャンクション。ここは穂高方面が開けている。北を望む。
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常念岳(2857m、右)と横通岳(2767m、中央左)。
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大天井岳(2922m、左)と東天井岳(2814m、右)。
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蝶槍(左)と蝶ヶ岳(2677m)。
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梓川。
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すっきり青空というわけにはいかないが、主立った峰々が姿を現してくれてうれしい。

ここからも急坂が続く。
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で、傾斜が緩やかになったら、ジャンクション・ピーク(2428m)はすぐそこ。
6:40に到着。本山行1座目。
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看板は倒れて、地面で朽ち始めていた。

ここからは東の展望がよい。
浅間山(2568m、右)と四阿山(2354m、左)。
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見事なスカイラインだ。

八ヶ岳連峰。
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これまた素晴らしい。

中央に甲斐駒(2967m)、その右に仙丈ヶ岳(3033m)、その奥に北岳(3193m)、右へ間ノ岳(3189m)、西農鳥岳(3051m)、右端におそらく塩見岳(3047m)。
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あれれ、甲斐駒の左に薄~く見えている斜面。あれって富士山じゃなかろか。
すごい! もうこれだけ見えたら満足しなくっちゃ。

3分間、山岳景観を十分に堪能して出発。
これは日本郵便のことではない。
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ジャンクション・ピークのこと。

ここからは足場の決してよくない(泥で滑る)だらだらした下り。
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これは読みにくいが「○カスミ→」。
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その霞沢岳の山頂はガスの中。じぇじぇ。
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頼むから晴れてつかあさい。

まだ歩き初めて1時間ちょっとだが、早くも足の裏が痛くなってきたので、倒木に腰掛けて靴のひもを緩めていると、小屋に泊まったと思しき単独の人が追い抜かして行った。
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私は朝食組では一番早く出てきたのだが、この人は足が速い。
熟睡していて気づかなかったが、朝食抜きで暗いうちから出発した人も結構いたようで、おそらく10人くらいは先行していると思われる。

7:14、登山地図に「小湿地」と書いてあるコルまで下りてきた(2261m)。
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ここでさっきの人がメモを取っている間にまた先に行く。

左が切れ落ちた稜線を登り返す。日が差してきた。
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眼下には、広大な霞沢の谷。
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またまたマルバダケブキとイブキトラノオ、ハクサンフウロのお花畑。
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40mほどの標高差を一気に登り、蝶から蝶槍のずっしりした山体に感心したら
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そこはP2。
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これは多分、第2ピークという意味だろう。第1はジャンクション・ピークか。
この先の小ピークにP3、P4、P5まで赤ペンキが塗ってあったが、さすがにこれを「登った山」に加えるのは少々憚られたので、除外。

霞沢の流れ。
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この川は奈川渡ダムの上流で梓川に合流する。

P3、P4は難なく通過。
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おお、霞沢岳山頂の雲が切れてきた。
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その調子、その調子。

P4から下った鞍部(約2290m)は左側の斜面が大きく崩落している。
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しかし、そんな斜面を好んでニッコウキスゲは咲く。
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そして、P5までがまたかなりの急登。
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ただ、お花畑の中の道だ。

傾斜が落ち着くと、今度はキヌガサソウ。
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去年の7月に蝶ヶ岳に登った帰り、葉っぱだけ見たが、花が咲いているのを見たのは初めてで感激した。

霞沢岳と上高地の間に立ちはだかる六百山(2450m)の荒々しい山容が見えてきた。
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その代わり、穂高はまたすっかり雲の中。
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やはり今日はもう無理かもしれない。

前方には雲をかすかにからめたK2(左)とK1が現れた。
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それを合図にP5に到着。
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ここは標高約2420m。ちょっと下って、K1ピークへは200m近い直登となる。
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地形図を見ても、等高線の混み方が半端ではない。
これは覚悟を決めないと。

しかしその分、眺望は申し分ない。何度も止まって北の山々を眺めながら、ぜいぜい登る。
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K1から流れる六百山への稜線。
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ジャンクション・ピークから大滝山、蝶ヶ岳へと至る重厚かつ長大な稜線。
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右のなだらかなカーブを描くピークがジャンクション・ピーク。

ガスがからむ明神岳。
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シナノオトギリソウ。
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シナノキンバイ。
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岳沢の雪渓。
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その上は、がっつり雲。
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うお~、予想外に東からガスが押し寄せてきた~
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ロープ場では大いに頼らせていただき、8:42、K1ピークに登頂。
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これは山容から言っても標高差から言っても「登った山」に数えるにふさわしいピークだ。

あちらは霞沢岳方面の稜線。奥のピークはK2。
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最初はあれが霞の頂上かと思ったが、ここからのコースタイムが35分なので、どうもあれでは近すぎる。
あのガスは西へ押し出してくるだろうか。
急ぎたいところだが、写真を撮る指を止めることができない。

先行者が戻ってきているのが見える。
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彼らが登頂した時は晴れていたのだろうか。

そしてK1で何より感激したのは焼岳(2455m)である。
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アップ。
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いつも上高地から逆光で眺めるだけで、そのシルエットしか印象になかったが、ここからは赤茶けた火山らしい姿を見事にさらしてくれている。
今回最大の収穫と言っていい。
あれを明後日登るのだ。力が湧いてくる。
その右には笠ヶ岳(2898m)が見えるはずだったが、やむを得まい。

眼下には、上高地温泉(奥左)と清水屋(奥右)、そして帝国ホテル(手前)。
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六百山。
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最高の眺望を満喫して、出発。霞沢岳へラストスパート!

(つづく)





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徳本峠・霞沢岳(2)

上高地へのクラシックルート徳本峠への道を歩いている。
岩魚留小屋で昼食を済ませ、12:15に出発。
右手に1人用テントがあったが、徳本往復の人なのだろうか。
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間もなく岩魚留沢橋を渡る。
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徳本峠の道は荒れているような情報が結構あったが、歩いてみてむしろよく整備されているように感じた。
道に迷うようなこともほぼないだろう。

岩魚留ノ滝。
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この先、ついいい気分になって、森高千里の「ララサンシャイン」を口ずさんでいたら、前から突然、人が現れて、びっくり+恥ずかしかった。
この方、巡視の格好をしていた。もしかしたらさっきのテントの人かもしれない。

この後、人間ではなくカエルくんに3回も会った。
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1匹目は気づかずに蹴ってしまったが、とくに怪我はないようだった。
ごめんなさい。

12:37中ノ沢通過。
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このあたりから段々傾斜もきつくなり、アップダウンも激しくなる。

沢も渓流の様相を呈してきた。
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橋も老朽化しているのが少なくない。
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だんだんワイルドになってきた。
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ちょっと実験。
これはシャッタースピード1/1250秒。
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これは1/100秒。
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やはり随分違いますね。

オオバギボウシ。
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だらしなくぶら下がっているのは見たことがあるが、花が開いているのを見たのは初めて。
なかなか、りりしいではないか。

センジュガンピ。
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マルバダケブキ。
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さるのこしかけ。
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滑りそうな丸太橋。
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13:20小休止。GPSで高度を測ると1580m。
地形図で破線が右岸に渡るあたり(約1490m)だと思っていたら、結構進んでいた。
細かい徒渉をいちいち地図は拾ってないのかもしれない。
それにしても得した気分。

13:41、徳本峠まで1.9km地点を通過。
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徳本峠15時着が目標だったが、ちょっと難しいかもしれない。
予約を入れた時に、「16時までに入ってくださいね」と言われ、「頑張ります」と答えたのだが、それは大丈夫そうだ。

ただ、だいぶ息も上がってきた。何度も立ち休みを繰り返すようになってしまった。
何だかんだ言ってもう14kmも歩いているのだから無理もない。

どんどん沢を詰めてきて、ようやく本谷と峠沢の出合あたり。
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13:48、ここから道は右へトラバースし、沢から離れる。
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登山地図には「対岸へ移る」と書いてあるが、どこで渡ったのがそれに当たるのか、よく分からなかった。
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少し手前にあったこの橋だったのだろうか。
いずれにしろ、まだ渡る前だと思っていたので、気分的にはラッキー。

振り返ると、小嵩沢山から派生している尾根が見える。
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たいぶ登ってきたのだ。標高は約1750m。
この先はつづら折れの道。古くからの街道らしく、勾配はゆるめに作ってある。

間もなく、ちから水(14:01)。
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最後の水場。コップでいただく。冷たくて、うまい。
今回は沢沿いの道なので、水場はふんだんにあると予想し、コップを胸につるしてきた。
テルモスやハイドレーションの水はおかげで随分節約できたので、小屋で水を買わなくても、あす1日分は持ちそうだ。

「ちから」を付けたはずが、やはり疲労はピークに。
14:14、ちょうどいい切り株があったので腰を下ろして休む。
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8分で立ち上がる。

すぐにあと1kmの標識が現れた。
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見上げると稜線らしきものがあり、先が見えてきた気がする。

ところが、最後の最後になって、雨が落ちてきた。
あわててカメラをスタッフバッグの中にしまう。でも、小雨なのでゴアは着ずに頑張る。

ほらあと少し。
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発電機のエンジン音も聞こえてきた。

そしてなんと14:58、峠に到着。
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15時前に着けた。えらい!

しかし、深田久弥が「日本の山岳景観の最高のもの」と絶賛した穂高連峰は雲に隠れて見えなかった。
残念至極。それが最大の楽しみだったのに。
深田は「峠に立った時、不意にまかないに現れる穂高の気高い岩峰群……その不意打ちにおどろかない人はいなかった」と書く。

不意打ちにはならないが、いずれ大滝山から蝶ヶ岳へ縦走する際にまたここに来る。
その時は上高地側から登ることになるので感動は今イチかもしれないが、晴れるのを期待しよう。

狭い峠だが、小屋の回りはテントでいっぱい。
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夕方までにテン場はぎっしりになった。やはりテン泊ばやりだなあ。

こちらはとにかく、憧れの徳本峠小屋にチェックイン。
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昔は随分怖いおやじがいたそうだが、この日はみな優しげなスタッフだった。

濡れたザックカバーなどは休憩室に干すように指示され、部屋に案内される。
泊まり部屋は2階で、2段構造になっており、私の陣地は上段。
布団は清潔で、通常の0.7倍くらいの幅があり、十分な広さ。
2010年に新装したばかりとのことで、まだ真新しい木の香がする。
気持ちよく過ごせそうだ。
この日は満室で、宿泊客は24人だった。

実はコンパクトカメラで室内や食事などの写真をバシバシ撮ったのだが、また何かのアクシデントで消えてしまった。残念。

ここで、しばしうんちく。ほとんど、徳本峠小屋のHPより。
徳本峠は「とくごうとうげ」と読むが、由来にはいくつかの説がある。
①上高地の一角に徳吾の小屋があったから
②徳本上人が峠の開発にあたったため
③徳川吉宗のお付きの医者・徳本が、この峠付近で薬草を集め、将軍に献じたため
ただ、いずれもなぜ「徳本」を「とくごう」と読ませるかの理由にはなっていない。

以前、峠を下った明神あたりを「徳郷」と言ったらしい。
「とくごう」へ行く峠という音は生き残り、表記については上記のいずれかの理由で「徳本」が採用されたということなのかもしれない。

この峠は江戸時代初期から木材の伐採や炭焼き、薬草採取の生活道として活用されていた。
小屋も300年以上前から粗末なものはあったらしい。

「日本アルプス」の命名者でもあるウォルター・ウェストンが徳本峠を初めて訪ねたのは明治24年(1891)のことである。
その後、氏は都合11回、徳本峠を往復している。

このほかに、ここを越えた人物として興味深いのは高村光太郎と智恵子である。
大正2年(1913年)9月、先に上高地入りしていた光太郎は、後から来た智恵子を、徳本峠を越えて岩魚留まで迎えに行った。
交通機関の発達していない時代の見送りや出迎えは、ずいぶん長いものだった。
江戸時代にお伊勢参りに出かける親族や友人を品川宿や神奈川宿まで付いて行って見送るのはごく普通だった。
智恵子は自殺未遂の際、遺書に上高地での楽しい思い出を綴ったそうである。

その頃も徳本峠には何らかの小屋はあったのだろう。
それが営業小屋として創業したのは大正12年(1923)のこと。
槍穂高への登山者や上高地への保養客などの往来で大いに賑わったが、昭和2年(1927)に釜トンネルが開通し、バスが上高地まで通うようになると、客は徐々に減っていったが、根強いファンによって、今も支えられているとのことである。

17:30食事の時間。
なかなか豪勢で、しかもうまい。
ピーマン肉詰め、レンコンなど野菜の天ぷら、切り干し大根、筍の味噌汁。
御飯は3杯おかわりして、満腹。

食後外に出てみたが、やはり穂高は雲の中。
食堂で「岳」の1巻を読み、バッヂ(霞沢岳+徳本峠小屋)を購入。
19時半に床に入る。
知らないうちに寝てしまい、夜中の12時にトイレに起きたら、夜空に星と月。
期待が高まる。安心して寝た。

(つづく)



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徳本峠・霞沢岳(1)

今年の夏休みは細切れに3回に分けて取った。
その1回目、7月27~30日は、クラシックルート徳本峠から北アルプスに入り、霞沢岳、西穂高、焼岳を登る計画を立てた。
しかし、どうも天気予報がはっきりしない。
27日は雨の予報だが、28日は曇。初日はひたすら展望のない道を歩くだけだから、雨でも構わない!ってんで、決行することにした。

27日(土)は午前3時20分に起床。45分に出発した。
途中、激しく睡魔に襲われ、釈迦堂SAで仮眠。
その後は快調に飛ばし、波田のセブンイレブンで昼食を購入。
直後から、雨が落ちてきた。やっぱり雨かあ。

国道から島々宿の集落に入る。
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島々谷川に沿って、駐車場へ向かうと、ゲートが出現。
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じぇじぇ、って思ったが、下りて確認すると「野生動物から農作物も守るための門で、開けたら閉めてくれ」とのこと。
先に来て引き返そうとしていた車が「通れるの?」と聞くので、うなずきながらゲートを開けた。
車の人には「閉めてきてください」と頼んで、先に行く。

駐車場には7:40頃に着いた。
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すでに6、7台の車が駐まっていた。。

とにかく雨なのでザックカバーをかけて、ゴアを着込む。
カメラは一眼レフではなくコンパクトの方にして、8時ジャストに出発。
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島々谷川の流れを右に見て、林道を歩く。
ここは標高754m。本日の目的地、徳本峠は2135mなので、標高差は約1400m。
距離は15.8kmあるので、平均勾配は大したことない。
約7時間半のコースである。
ひたすら展望のない谷の道を歩くことになるので、飽きるんじゃないかと思ったら、そうでもなかった。

釜トンネルが開通する前のクラシックルートだった徳本峠を越えなければ、槍穂高に登る資格はない、と勝手に自分に縛りをかけていたので、とにかく早めにここを落とさないとお話にならない。
やっとその機会が巡ってきた。

先日、2足目の登山靴を履きつぶし、前週の苗場山が3足目のデビュー戦となったのだが、足裏や両親指が痛くなってしまった。
今回はどうだろうか。天気を除けば、それだけが不安要素だ。
前回はなんか締めすぎてうっ血してしまったような痛みだったので、今回は少しひもを緩めにしてみた。

40分ほど歩くと、大きな砂防ダムがある標高約890mの地点に到着。
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幸い雨も止み、青空が出てきたので、ゴアを脱ぎ、カメラも交代する。
ああ、身軽だ。

間もなく再びゲート。
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ここに相模ナンバーの車が駐まっていたが、駐車場のすぐ奥のロープゲートははずせたのだろう。
この先からは本当に一般車が入れない。

こんな道が続く。
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山は折り重なっており、アルプスの稜線など全く見えない。
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晴れてきて、気分も明るい林道歩きになった。
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勾配もほとんどないので、今のところ楽ちん。

島々谷川が北沢と南沢に分かれる二俣の手前に、折口信夫(釈迢空)の歌碑があった。
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木陰がきつくて、写真にすると訳が分からないが、
「上高地入りの途次ことにかかり
をとめ子の心さびしも清き瀬に身は流れつつ人恋にけむ」
と読める。
言い伝えによれば、飛騨松倉城主・三木秀綱は秀吉勢に攻められ落城、奥方と別れて落ちのびた。
島々谷の奥で、何人かの木こりが働いていると、徳本峠の方から一人の美しい女性が華やかな身なりでよろけながら出てきた。驚いた木こりたちは「これは魔性のものに違いない」と思い、着物や持ち物を奪って、助けを乞う女を梨の木にくくりつけて立ち去った。
いずれ着物も持ち物も木の葉に変わるだろうと思っていたら、翌日になっても変わらない。不思議に思った彼らは昨日の場所に行ってみた。
秀綱夫人はまだそこにくくられたままで、彼らを見ると、ニタリと笑って息絶えてしまった。
木こりたちはそっとして逃げ帰ったが、やがて業病に取り付かれて死に、その病は代々その家に続いた。
さらにたたられることを恐れ、奪った持ち物を捨てることもままならず、代々こっそり持ち続けてきたが、昭和の初めになって、秀綱神社を建立し、それぞれ夜中ひそかにそこへ置いていくことになった。
という話だ。

このすぐ先が、北沢方面への林道との分岐。
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ちょっとそちらを偵察。橋を渡ると1982年に竣工した二俣トンネルがあった。
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これを見学しただけで、すぐ戻る。

間もなく二俣(標高930m)。9:30着。ほぼコースタイム通り。
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ここで小休止。靴のひもを結び直す。

公衆便所はあったが、登山届のポストが見当たらなかった。
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周辺には黄色い可憐な花が咲き乱れていたが、名前が特定できなかった。
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オトギリソウに似ているが葉っぱの形が違う。

さてここから登山道。右手に南沢の勢いのある流れを眺めつつ
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崖を高巻いて一気に登る。
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下ったあたりに三木秀綱夫人遭難碑。
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ここの説明板にある折口信夫の歌はまた別のものだ。
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この先、行き橋で左岸に渡る。
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橋から見た南沢の流れ。
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ノリウツギの咲く道を行く。
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600mほど歩いたあたりで、今度は戻り橋。
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右岸に戻る。

このあたり、南沢の水量は豊富で、ゴーゴー音をたてて流れている。
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熊鈴の音など完全にかき消されてしまう。

沢沿いの細い道。
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何だかムードたっぷり。

炭焼きがま跡。
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これは昭和21~28年くらいまで使用されていたものらしい。
こんな山奥でも、つい最近までは人々の生活の場だったのだ。

登山地図には「2011年秋の台風で多少荒れている」と註があるが、
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確かにところどころ崩落している箇所がある。

右から一ノ沢が合流してくるあたりで先行の登山者に追いついた。
抜かしてしまうと、今度は後ろが気になるし、小腹も空いたので小休止。
目の前の尖塔を見上げながら、わさび稲荷を1ついただく。
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この先、二俣と岩魚留小屋のちょうど中間地点にベンチがあったが
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先行者は休まずに進んだようだ。10:43通過。

瀬戸下橋でまた左岸に。
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杣道のようで何だか楽しい。
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沢がいつも近くにいるから飽きないのだろうか。

間もなく、瀬戸ノ滝を落とす離れ岩。
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これを上から見下ろしつつ、瀬戸上橋を渡る。11:03。
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この先はしばらく桟橋が続くが、朽ちて苔むしている古いものもあった。
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かと思えば、こんな立派なものも。
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これは完全に崩落していたので、道は河原を迂回する形になっている。
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島々から10km以上歩いてきた。
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これらは完全に廃道と化している。
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「花木の石灰窯跡」という看板があったが、どこがそれなのか見つけられなかった。
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そしてさっきの人に再び追いついてしまった。
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すぐ岩魚留小屋で追いつかれることになるが、一礼して抜かす。
道は所々にアップダウンがあるが、基本的には緩やかな登り。
もうペースもつかめているし、快調だ。

11:40ワサビ沢を渡る。
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で、岩魚留橋を渡ると、岩魚留小屋(標高1260m)。
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11:50に到着。二俣からコースタイム3時間のところ2時間15分で着いた。
なかなか調子がいい。

岩魚留小屋は廃屋と見まごうほどの古さで傾いているようにも見えるが
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予約があれば営業するらしい。
1泊8500円。ビール500円だ。

当方は縁側に座らせてもらい、昼食とする。おにぎり2個。
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間もなく、さっき抜かした人と、ゲートを開けて通してあげたおじさんが相次いで到着。
こんなマイナールートで2人も会うとは思っていなかった。

先に着いた人は大きなザックを背負い、かなり汗だく。
絞ったタオルからは、大量の水分が出ていた。
聞くところによると、仙台を昨夕車で出てきて、常念岳の下の駐車場で仮眠。今朝早く車に積んできた自転車で大糸線の豊科駅まで下り、鉄道とバスを乗り継いで島々宿まで来て登り始めたところだという。
当然、常念岳まで縦走するつもりであり、そのために自転車まで活用するとは随分、頭を使った。節約のためテン泊だそうで、もう60を超えているように見えるが、なかなかのつわものである。
もう1人のおじさんは、さっきもそうだったが、あまり愛想のない人なのでほとんど会話にならなかった。

(つづく)
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金峰山・国師ヶ岳(下)

金峰山から大弛峠に向けて縦走中。
朝日岳の山頂で休んでいると、「ひゃー」とか「ふう」とか「ああ」とか大きな声を上げながら40がらみの女性が登ってきた。
いやあ、やかましい人が来たなあと思ったら、後で分かったことだが、この人は韓国人だった。
60がらみの男性と一緒。韓国スナックのママとお客さんだろうか。
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それはいいのだが、大弛から着いた若いカップルが、「えっここから下るの」と驚いている。
「結構下りますか?」と聞かれたので、「いや少しですよ」と答えた。
「あと(金峰山まで)1時間半かあ」と男子がつぶやくと、スナックのお客さんが「若いから1時間で行けるよ。おれたちだって1時間で行けたんだから」とハッパをかける。
「いやあ、わりと体力ないんですよ。私たち」というこの男子、確かにもうかなり疲れている様子。
「どうする? まずはお昼にする?」と2人で相談している。
えっ、まだ食べてないの?
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これはちょっとまずいかなと思った。
ここで飯を食うと1時半。順調にコースタイム通り金峰山に着いて3時。一応休んで3時半。戻るのに2時間だが、あの様子では当然休憩が必要だから確実に6時は過ぎてしまう。
出発が遅すぎる。
「ここでお昼にしたら引き返した方がいいですよ」と言えばよかったかなあと思ったが、そこまで計算ができた時には、もうこちらが山頂を下り始めていた。
あの2人無事に帰れただろうか。

そういう私も結構疲れてきた。
やはり1週、山行を休むと体がなまる。
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樹林帯を進みながら、目の前に見えてくるはずの国師や北奥がガスっていたら、無理せず大弛から下ってしまおうと考えていた。

右手の展望は、中央の剣ヶ峰(2053m)の向こうに小楢山(1712m)。
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しゃくなげ通りを抜けると
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前方の展望が開けた。
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なんとガスは流れているものの、はっきり国師が見えるではないか。
やはり登るんかい。

甲武信岳に向かう奥秩父の主稜線は厚い雲の中。
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あれは雨降山(2156m)かな。
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ここは朝日峠(約2430m)。
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大きなケルンがある。
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ここから、もう一つコブを越えないと行けない。
疲れた体には結構堪える。

えっちら、おっちら。
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やったあ、やっと下り。
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ほんでもって、13:48大弛峠に到着。
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ここは標高2360m。峠としては一般の車が来られる最高地点である。

ここには1982年5月に自転車で来たことがある。
前日、秩父から三国峠を越え、川上村側から登ったのだが、まだGW中だったこともあり、標高2200mを越えたあたりから雪が残り始め、頂上付近ではカーブミラーがすっぽり埋まってしまうほどの深さになった。

雪は固く締まっていたので、埋まることはなかったが、全く想定していなかったので、靴は普通の運動靴だけ。
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しかも雨が降ってきた。
足も体もびしょびしょになって頂上に着いた記憶がある。

大弛小屋で少し休ませてもらったが、まわりは当然のごとく登山者ばかりだった。
軽装のまま自転車で来た我々(7人)は随分奇異な目で見られたことだろう。
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同時はこんな看板があったが、もうどこにも見当たらなかった。

まずは峠周辺を探索。
長野側はダートのまま。でも車はかなり駐まっている。
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山梨側は舗装されており、Uターンできるスペースまである。
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随分整備されている。

次に大弛小屋の確認。
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外観は全く忘れていたが、中をのぞき込むと、何となく記憶がよみがえってきた。

ここで北奥千丈岳のバッジを買う。500円。
買ったついでに、小屋番の人にちょっと話を聞いてみる。
もう何度も経営者が代わっているらしく、昔のことはよく分からないようであった。
建物は60年以上前のものだが、創業はもっと古いらしい。
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これは建築当初からの丸太か。

林道が開通して日帰りできるようになってから、宿泊客が減り始め、舗装されるともう目も当てられない状態で、前の経営者はここを数年前に手放してしまったという。
林道がいつ開通し、いつ舗装されたのか、ネットの情報だけでは分からないが、帰りに林道を歩きながら、旧道の橋が残っているところで竣工年を確認すると、旧道の橋は昭和38年、新道の橋は平成10年だったので、林道開通が昭和38年、舗装されたのが平成10年と見て、ほぼ間違いないように思う。
私が来たのは昭和57年。山梨側も上の方はダートだった記憶がある。

金曜日の夜、会社が終わってから、車で深夜到着。小屋泊して山へ出かけるなんて利用の仕方ができるのなら、泊まりたいが、さすがに山小屋で深夜着は許されないだろうなあ。

ほんの少し小屋前のベンチで休憩して、出発する。
国師と北奥両方ピストンで、コースタイムは約2時間。
現在午後2時すぎなので、4時前には下りてきたい。
まずは階段でのスタート。
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と思ったら、次から次へと階段、木道。
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延々と続く。結局、前国師まで半分以上は人工的な道だった気がする。
大弛峠へのアクセスが飛躍的に便利になったおかげで、登山客が増え、道がえぐられすぎてしまったのかもしれない。
普段なら「やりすぎだよ~」と思ったかもしれないが、疲れた体には、注意を払う労力が少なくていいから助かる。

途中、完璧なベニテングタケ。
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シャクナゲの黄葉は何となくお疲れな感じ。
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木の階段がないところは石の階段。
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標高差200mほど登って、前国師岳に着いたのは、14:35。
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国師と北奥はとうとうガスに巻かれる寸前の状態に。
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(国師ヶ岳)

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(北奥千丈岳)
先を急ぐ。

階段で少し下り、登り返した場所が国師と北奥への分岐。
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ナナカマドの真っ赤な実がたわわ。
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まずは国師ヶ岳(2592m)。分岐から8分で到着。
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ここで、鉄山で会ったおじさん2人と再会。
先着していた熟年夫婦が盛んに「どこの山が怖かったか? 剱か、穂高か、戸隠か」と聞かれ、一つ一つ身ぶり手ぶりを交えて答えていた。
この人は陽気かつ話し好きなのだ。

私は小腹が空いたので、残りのおにぎりをいただく。
その間に小学4年生の女の子2人とお父さんの3人連れが到着。
おじさん、今度はその2人を捕まえて、「山ではやっほーを叫ぶんだ。ほら、こうやって」と大声で手本を示していた。
「いいか、や~~~っ、ほ~~~~って、両方伸ばすんだぞ」
子供たちは大喜びで、何度も叫んでいた。
女の子2人のヤッホーはとても通る声になり、すっかり真っ白になったガスの中に吸い込まれていった。晴れていたら、こだまが帰ってきたかもしれない。
何ともほほ笑ましい光景だった。
もう1人の連れのおじさんは「あの人、必ずやるんです。私は恥ずかしくてとてもできません」と苦笑いしていた。

ちなみにここは一等三角点。
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金峰山は三等だった。

お先に失礼しながら、ちょっとした期待が胸を去来した。
あの2人は車で来ているはず。はにかみおじさんの方はお住まいが塩山だと言っていたので、小屋泊ということはあるまい。
何度も顔を合わせて、顔見知りになったし、人なつこそうな方々だ。
私がとぼとぼと林道を歩いていたら、「あら、さっきの方じゃないですか、歩きですか。乗ってきませんか?」なんてことにならないだろうか。
さすがにこちらからお願いするのはずうずうしいから、そういうシチュエーションを期待しよう。
でへ。

と、こずるい考えを胸に、北奥へ転戦する。
またまた8分で到着。
この山容の地味な山が、奥秩父では最高峰なのである。2601m。金峰山も国師も奥秩父の名だたる山はみな2500m台。甲武信岳に至っては2500mにも満たない。
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西に金峰山や八ヶ岳、南アルプスが一望できるはずだが、真っ白。
まあ仕方ない。国師も北奥も今日は下見のようなもの。
いずれ奥秩父縦走の時にまた来るからいいのだ。

こちらは南の奥千丈岳に続く石楠花新道の入口。
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最初から細くて心もとない道だ。
この先はピストン向けの道ではない。
足を踏み入れたら、ゴトメキとかトサカとか不気味な名前の山を通過して6時間かけて徳和に下りるか、さらに時間をかけて西沢渓谷まで下るしかない。
今年行くかどうかは分からないが、秋が深くなったら歩いてみたい。

撮影を終えて戻ろうとしたら、さっきのおじさんと子供たちが登ってきた。
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考えることは同じだなあ。
そう声をかけると、「ピークハンターやから」と答えが返ってきた。
早く下りてきてね~と念じつつ、こちらは下山。
早速、やっほ~を始めたら、まだ国師で休んでいたさっきの熟年夫婦の奥さんの方が「やっほ~」を返していた。お互い何度も何度も叫び合っていた。

今日は2500m以上の山5座をクリアした。
連休3日分歩いた気分だ。
あとは本当に下るのみ。
相変わらす階段が大がかりだ。
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途中、「夢の庭園」なる自然庭園に立ち寄る。
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「高山植物のマットのうえに、巨石と灌木が自然の采配によって巧みに配置された」庭園だそうだが、この階段で台無しのような気もする。
ないとさらに荒れてしまうのかもしれないから、難しいところだが。
眺望はガスのためゼロ。

やっと小屋まで下りてきた。
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所要時間はほぼ1時間半。疲れているわりには成績優秀。

トイレに寄って、延々舗装道路歩きを始める。
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だいたいアコウ平まで目算で6kmくらい。
現在15:40なので、17:00着が目標だ。
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随分下の方まで路上駐車している。今日は随分、人が入ったようだ。

頂上付近がガスの中だが、右手にはさっき歩いてきた朝日岳や鉄山の稜線が望める。
これは朝日岳の東の2447mピーク。
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これは大弛峠。
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朝日岳。
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鉄山。
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金峰山はもう見えなかった。

しばらく、おじさんの車を待っていたが、歩いているうちに、来てくれなくてもいいやという気になってきた。
最後の舗装歩きや林道歩きでは、いつも足裏が痛くなるのだが、今日はそんなこともなく調子がいいし、途中で車に乗ると、その部分は地形図にラインが引けないので、中途半端になってしまう。
変なことにこだわりを持ってしまった。

途中、舗装前の旧道を2か所発見。
これは焼山橋。きれいな芝の道になっている。
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こちらは三京橋。
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昭和38年の竣工だった。もちろん全く覚えていないが、自転車で下ったのはこの橋だ。

大弛峠から5km歩いてきた。
歩きながら、スマホをいじったり、地図を広げて次回の計画を立てたり、道がいいのをいいことにやりたい放題だったので、意外に長く感じなかった。
16:57、アコウ平に到着。
名古屋ナンバーの車のほかに、あと2台駐まっていた。
登山地図の線は、実線にして構わないと思う。
そうすれば、この道の利用者ももっと増えるだろう。

牧丘の市街地近くまで下ってくると五丈石のような雲が出ていた。
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バリお腹が減ったので、国道140号沿いのラーメン屋で腹ごしらえし、はやぶさ温泉なる立ち寄り温泉で汗を流して帰宅。
21:30。そんなに遅くならないで済んだ。
いろんな意味で充実した山行だった。


【行程】2013年9月14日(土)
アコウ平(7:35)~荒川徒渉点(7:58)~KK分岐(8:16)~水晶峠(8:27)~KK分岐(8:38)~旧御室小屋(8:49撮影・休憩9:03)~片手回し岩(9:40)~(10:05休憩10:14)~金峰山山頂(11:05撮影・昼食・登攀11:52)~鉄山(12:20)~朝日岳(12:51休憩13:02)~朝日峠(13:26)~大弛峠(13:48休憩14:04)~前国師岳(14:35)~国師ヶ岳(14:47休憩14:57)~北奥千丈岳(15:05撮影15:08)~夢の庭園(15:28)~大弛峠(15:39)~アコウ平(16:57)
※所要時間:9時間22分(歩行7時間32分)
※登った山:6座(金峰山〈再〉、鉄山、朝日岳、前国師岳、国師ヶ岳、北奥千丈岳)通算738座
※歩いた距離:16.6km
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金峰山・国師ヶ岳(中)

アコウ平からのコースで金峰山に登っている。
標高2200mを超えたあたりで小休止。
その後も相変わらず急登が続く。
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再び展望が開けた場所に出たら、なんと五丈石にガスが!
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えーちょっと早すぎるでしょう。もう少し待って~
ガスはどんどん流れており、隠れたり、晴れたりをしばらく繰り返した。
そのたびに一喜一憂する私。

足もとを見つめ直す。
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はるか西には南アルプスのうち、甲斐駒だけが雲の上に顔を出していた。
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いつ見ても、かっこいいヤツだ。

見下ろすと、今日登ってきた山ふところが広がる。
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左奥は塩水山(1758m、左)と倉沢山(1733m、右)だろうか。
乙女鉱山は倉沢山の西麓(右)にある。
富士山はもうどこかへ行ってしまった。

さて頂上まであと少し。
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片手回し岩を見下ろす。
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登山道は森林限界を抜けた。
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ハイマツと岩場の道を大股で歩く。
標高は2400mくらいか。

五丈石はすぐそこに見えるが
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あと200mもある。

でも2333m峰は見下ろせる位置まで来た。
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ただ、谷からはひっきりなしにガスが吹き上げてくる。
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まだよ、こらえて~

落ち着くには、足もと足もと。
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見事なコケくん。

さあいよいよ大詰め。
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この石垣が金桜神社本宮の目印。もう頂上だ。
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11:05登頂。水晶峠往復のロスタイムを除くと、所要時間は3時間8分。
コースタイムは3時間25分だから、まあまあの成績か。

金桜神社本宮の石祠と石灯籠。
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富士山が一瞬だけ顔を出したが、ほんとにほんの一瞬で、その後見ることはなかった。

五丈石は横から見ると、かなり尖っている。
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東を眺めると、大弛峠への稜線。
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右手前が鉄山、左が朝日岳、その奥に国師(左)と北奥千丈(右)。

昨年暮れに撮ったのと比較してみよう。
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山は季節ごとに表情を変えるのがよく分かる。

それにしても、ものすごい賑わい。
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山頂が広いからいいものの、普通の山だったら、この人出にはうんざりするだろう。

さてこちらもメシにする。どこに座るか。
朝日岳方面はこれから歩くので、いくらでも景色は見ることができる。
富士山方面は再び現れる可能性は低い。
となると、やはり瑞牆山方面か。
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今日は、八ヶ岳こそ見えなかったものの、千代ノ吹上方面のサメの牙のような稜線や
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いずれ踏破するつもりの小川山を眺めながらの昼食である。
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いつもながらのコンビニおにぎり。最近は時間節約のため、こればっかりだ。

皆さんの思い思いの場所で山ごはんを楽しんでいる。
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そうこうしているうちに五丈石が騒がしくなってきた。
若者がチャレンジし始めたのだ。
誰かが見事、登頂を果たし、拍手がわき起こる。

前回来た時は、岩全体が霧氷で覆われていたので、登攀はしなかったが、夏なら可能だろうと思っていた。
つられたわけではないが、私もチャレンジしてみることにした。
しかし、結論から言うと、ステップ5(便宜上のランク)のうち3までしか行けなかった。

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上の写真で説明しよう。
五丈石は階段状になっている。下の2人がステップ2、上の2人がステップ3にいる。
ステップ2の下のステップ1は少し手前に向かって傾いているが、ここまでは子供でも行ける。
ステップ2にはとくに技術はなくても、力があれば何とか登れる。
ステップ3へは、多少のクライミング技術は必要と感じた。
手がかりが見つけられれば、問題ない。
ステップ4へは、岩の途中に人工的に小さな足がかりが彫ってあるが、手がかりを見つけることができなかった。反動をつけて登るには危険が大きすぎる。
間違えたら転落して、大けがは免れない。
だからステップ4まで行ければ5は比較的簡単なのかもしれないが、行けてないので状況は分からない。
ちょっとボルダリングをかじった程度なのに、ちょっとうぬぼれていた。

右上の赤シャツの人は上まで行った人だが、ほかの人はみなステップ3から進めないでいた。
私も潔く撤退。こんなところで衆人環視のまま死にたくない。
五丈石中段からの眺め。
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なかなかの賑わいでしょう。

さて登攀は不発に終わったところで、出発。
まずは、正式な金峰山頂上を踏む。
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振り返ると、また1人、登攀成功者が。
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ちょっと悔しいが、技術が足りないのだから仕方がない。

頂上の岩場に立つと、信州側が見通せた。
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廻り目平の屋根岩の向こうに、川上村の高原野菜畑が広がっている。

まさにその名の通りの飯盛山(2116m)。
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これから行く鉄山方面は、こんなに開けた稜線。
DSC_1321.jpg
冬に来た時はガスで何も分からなかったが、こういう状況だったんだ。
トレースがなければ絶対、正しくは進めなかったろう。
一応トレースはあったが、引き返して正解だったと改めて思った。

あの時泊まった金峰山小屋が見えた。
DSC_1343.jpg

金峰山の北斜面は一面のハイマツ。
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こんな開けた道が続けば言うことないのだが、そううまくはいかない。
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下り始めたら、すぐに樹林の中。

樹林に入ると課題が一つ。
次のピークである鉄山だが、登山道は北を巻いている。
私はちゃんとピークを落としたい。
この前の牛首みたいにしゃくなげ地獄になっていなければ、踏み跡はあるはず。
その入り口を見逃さないようにしなければ。
右手に、それらしきものがないか目を凝らしていたら、あった、あった。
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これははっきりしている。分岐の位置からしても、これで間違いないだろう。

登山道からの標高差はわずか20m。数分で頂上らしき場所に到着。
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すると、先客のおじさんが2人。
こんな所で人に会うのはめずらしい。

1人が「せっかく来たのに何も表示がないねえ」と声を掛けてきたので、「ほんとですねえ」と答えながら、「あ、あります、あります」とこれを指さした。
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すると、おじさん。「それは今、おれが書いたんだよ」
絶妙のタイミングで着いてしまった。

おじさんは「金峰山側から来たのかい?踏み跡はあった?」と聞くので、私はてっきりこの2人は朝日岳側から来たのだと思い、「はい、ありましたよ。誰が見ても分かるくらいはっきりしたのが」と答えたら、「そうか気づかなかった。わしらも金峰山から下りてきたんだけど、見つからなかったから、朝日岳の方から登ってきたんだ。向こうには「鉄山」って書いた標識があったからね」との反応。
(やべ、「誰が見ても」とか言っちゃった)

一緒に朝日岳側に下りてくると、すぐに登山道に合流。
DSC_1361_20130916222708696.jpg
「こっちは道も太いし、はっきりしてる。それに短いですね」と、さっきのフォローのつもりで言った。
ちょうどその時、朝日岳側から来た他のグループのうちのおじさん1人が「おれは鉄山経由で行く」と言っているのに出くわした。
そうすると、わがおじさんがすかさず「あっち側にも抜けられるようですよ。道は少し悪いみたいですが」と教えてあげた。
向こうの反応は、すこし不機嫌そうに「知ってます!」だった。

山とは不思議な場所である。
街では、本当に困った時でないと、知らない人に声をかけたりしない。
でも、山ではわりと気軽に声を交わす。
挨拶はもちろん、「頂上までまだあります?」とか「道はこっちでいいですか?」とか「頂上はもうガスってましたか?」とか、まあいろいろだ。

みな同じ趣味を楽しんでいる人として警戒感が薄れているのだろうし、街とは違って確かに危険の伴う場所だから、「必要」な場面が多くなるのかもしれない。
このたび、わがおじさんは「親切」のつもりで、見知らぬ人に道の状況を教えてあげた。
聞かれてもいないことだし、余計なことだったかもしれない。
でも、私があっちのおじさんだったら、知っていても「そうですか、ありがとうございます」と返しただろう。

何を言いたかったかと言うと、山に行くと本来なら知らなくて済む、知らない人の人となりが「見えてしまう」ということだ。
「山では人(性格)が出る」というのが私の持論なのだが、それは実はこういうことなのかもしれない。
などと歩きながら考えたのであった。

ここから朝日岳までの間、ところどころでトウヒの立ち枯れが目立った。
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振り返るとその向こうに、鉄山(左)と金峰山(右)が見える。
DSC_1375_20130916222607275.jpg
金峰山にはガスが次から次と流れてきて、もう眺望という点では風前の灯だ。

このお二人が鉄山で会ったおじさん。
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彼らとは一旦離れたが、国師ヶ岳でも北奥千丈岳でも会うことになる。

朝日岳までは結構長く感じた。
とくに最後の登りが等高線からは想像がつかないくらいきつく、しかもガレ場。
DSC_1386.jpg
頂上で少し休ませてもらった。

(つづく)

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金峰山・国師ヶ岳(上)

9月前半の3連休は、爺ヶ岳~鹿島槍~唐松の縦走を計画していたものの、ムーンライト信州81号の指定券が取れず断念。
他のプランをいろいろと研究したが、台風の接近により、15、16日の天候が絶望的になったので、14日に日帰りで、金峰山に登ってきた。

金峰山は昨年のクリスマスに登っているのだが、その時はあまり天気がよくなかったので、大弛峠への縦走は断念した。
ずっと、そのルートが気になっていた。
今回は心の引っかかりを取り払ってしまうことにした。

大弛からのピストンも考えたが、登山地図を見ると、牧丘から大弛に通じる川上牧丘林道の途中アコウ平から、周回コースを取れることが分かった。
アコウ平~御室小屋~金峰山~大弛峠~(林道歩き)~アコウ平である。
気になるのは、アコウ平から御室小屋へのルートに「迷」マークが2つも付いていることだ。
ヤマレコで先行者のリポートを検索してみると、去年の8月のものがあった。
基本的に赤テープが細かくついているようで、迷うことはなさそうだ。
荒川の徒渉も増水さえしていなければ問題ないとのこと。

決めた。
ヤマレコの方は、帰りの林道歩きで、見知らぬ人に車に乗せてもらえるという幸運にも恵まれている。それも、ちょっぴり期待することにした。

前夜は遅番で12時に帰宅。
風呂も入らず、すぐ布団に飛び込み、4時20分に目覚まし。4時半過ぎ出発。
歯も磨いていない。

9月になると、まだこの時間は真っ暗。
白み始めた空は曇り空だが、雨の心配はなさそう。
あまりの眠さに談合坂SAで仮眠をとろうとしたが、隣のトラックのエンジン音が気になって眠れないので、すぐ出発。
道を間違って着いてしまった「道の駅花かげの郷まきおか」でトイレを済ませ、クリスタルラインと川上牧丘林道をうなりながら登っていく。
パジェロミニでの登りは、ほんとに苦労する。

大弛峠へあと8kmの地点を過ぎたあたりから、金峰山の象徴・五丈石がくっきりと見えた。よし! 気合が入った。
アコウ平の登山口をちゃんと見つけられるか心配だったが、1台先行車が駐まっていたので、見落とさずに済んだ。
7時半前に到着。さっさと準備して、7:35に出発した。
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(これが登山口)

いきなり下りだ。アコウ平は1945m、荒川の徒渉地点は約1795mなので150mほど下ることになる。もったいない。
トウヒの森を下りていく。
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ちょっと足もとが滑りやすい。
早くも荒川の沢の音が大きく聞こえてくる。徒渉できるか、やや不安になる。

5分ほど下ると、なんとトロッコ軌道の跡が。
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「山と鉄」ブロガーとしては、萌え萌えの光景である。

しかも、ポイントや枕木まで残っている。
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これは、奥千丈林用軌道の跡。その歴史についてはネット検索ではよく分からなかった。

しばらくはこの廃線跡を歩く。
鉄道が走っていた道だけあって、勾配はなだらか。
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ほぼ標高1870mの等高線に沿って進む。

500mほど歩き、廃線跡が左に大きくカーブするところで、登山道は右へ斜面を下る。
下り切ったところが徒渉地点。
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かつて丸太橋があったと言われる場所は、ひょいと飛べば渡れそうだが、石が濡れていて滑ったら一巻の終わりなので、踏み跡に従って、下流の方に少しだけ迂回。

そこにはヤマレコの記述の通り、ロープが渡してあった。
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難なく渡る。

ここからは御室川に沿った、緩やかな登り。25分下ってきた後、やっと登りだ。
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道はそれほどよくない。はやりマイナールートである。

15分ほどで、黒平(くろべら)から金峰山に向かう「表参道」の道にぶつかる。
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金峰山へは右に折れるのだが、私はあえて左、黒平方面に向かう。
すぐ近くにある水晶峠の土を踏んでおきたいのだ。

金峰山は水晶の産地である。
甲府が「宝石の町」と呼ばれるのは、この水晶細工が始まりで、産業としての起源は江戸時代後期に遡るという。ちなみに山梨県の遺跡からは、水晶で作った縄文時代前期から中期のヤジリが出土している。

伏流して涸れ沢となっている御室川を少し下り、すぐ脇に逸れる。
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この道は、先程も書いたが、金峰山登山拝の表参道である。
その昔、「日本百名山」の深田久弥は、夜行で朝4時半に甲府に着き、そこから昇仙峡を経て、そのどん詰まりの金桜神社で昼食。さらに奥の上黒平に1泊、水晶峠を越えて御室川を遡り、翌日の12時半に登頂している。
関東大震災の年の秋というから、大正12年(1923年)のことだ。

まず甲府から黒平まで24kmある。
昔の人はこれも歩いた。今は車で行けるが、ここから金峰山頂上までのコースタイムは6時間半。驚くほどの数字ではないが、車で来たら、同じ道を引き返さないといけない。年間どのくらいの人が歩くのだろう。

さて、とにかく水晶峠だ。
だらだらと標高差で20mほど下った後、急坂を登り返す。
いきなり見慣れない看板。
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それもそのはず、地面には水晶のかけらが無数に落ちている。
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そして、これは明らかに盗掘の跡。
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こんな目立つ場所で掘り返すヤツもいるのか。

実は、荒川をさらに下った場所に、乙女鉱山という廃鉱があるらしい。
ここは明治初期から昭和56年まで採掘が行われていた水晶の鉱山で、明治時代には男の鉱夫に混じり、若い女性が鉱石の運搬人夫を務めたことに由来するという。
近くにある乙女湖や乙女高原などは、みなここから派生した地名なのだ。

峠にはすぐ着いた。
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かつての参拝道らしい雰囲気を残している。標高は1933m。

深田久弥に遡ること14年、明治42年(1909)には田部重治が金峰山からの下山時にここを通っている。
田部は著作「山と渓谷」などで知られる登山家で英文学者。
奥秩父を愛し、西沢渓谷の入口に顕彰碑が立っている。
その時、田部はこの峠で鹿を追う猟師と遭遇したことを「わが山旅五十年」(平凡社)に書き記している。
私は鹿にも熊にも人にも会わなかった。

水晶峠という文字通りの景観に満足して、きびすを返す。
さっきの合流点、KK分岐(金峰山と黒平のことか)まで戻り
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そのまま深田と同様、御室川を遡る。
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分岐から10分ほどで、旧御室小屋に着く。
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かろうじて3方の壁は持ちこたえているが、西壁と屋根は完全に崩落している。
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ヤマレコによると、2011年5月に倒壊したらしい。
5月となると、台風などではなく雪の重みだろうか。
2009年6月のレポートでは、休憩には十分使用可能との記述があった。

まだかろうじて立っている離れのトイレを撮影していたら、小屋のトタンがガラガラっと音をたてたのでびっくり。
アコウ平に車を駐めていた名古屋ナンバーの人かな?
偶然、今ちょっと崩れただけなのかな?
え、もしかしてクマ?
とビクッとして振り返ったら、小動物が走り去っていったとこだった。リスでした。
脅かしやがる。

おそるおそる中に入ってみる。
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廃屋フェチとしては捨て置けない。

いろいろと落書きがある。
「1981年 金峰全ての方面からの征服 Lastは昇仙峡からのLongコースでした アイルランド帰りの木沢です」
昭和38年12月に来たのは日本アミノ飼料(株)の太田氏と隈崎氏。
3日の行程で増富から昇仙峡へ歩いたようだ。
その翌年に来た明星大学の学生さんは「山小屋を使った後、きれいにして帰ろう」とメッセージを残していた。余程、前の人の後始末が悪かったのか。
案外マナーがなっていない時代だったのかもしれない。

こんな心ない落書きも残っていた。
「こんな小屋 たてかえろ! このタコ! by甲府市」
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ここは甲府市が管理していたようなので、財政難を理由に手を付けないことに怒った市職員が腹いせに書いたのだろうか。
この小屋も川上牧丘林道が開通するまでは、わりと利用されていたに違いない。
今は、増富の瑞牆山荘からと大弛峠から登る人で大半を占めているのだろう。

ほとんど腰を下ろさないまま、15分ほどで出発。
ここからがいきなり急登となる。
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はしごを一つ登ると豪快なクサリ場。
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幅員はあるが、滑ったら奈落の底に転落なので、もちろんクサリを頼りにする。

ここで初めて展望が開け、こわごわ振り返ると富士山が雲の上に見えた。
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左手には岩峰を鋭く立ち上げた2333m峰。
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空には「一」の字の雲。
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少し登ると、正面に五丈石(左奥)と片手回し岩(右手前)が姿を現した。
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歩いてきた岩場はこんな様子。
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濡れているところはつるつるだった。

この稜線は奇岩が続いていて楽しい。
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右手には金峰山と大弛峠の間にある鉄山(2531m)が見えてきた。
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道は再び樹林帯に入り、奇岩の裾を回り込みながら進む。
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新旧のハシゴ。

片手回し岩のたもとから。
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これはそのてっぺん。
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次はロープ場。
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これはそんなに怖くない。

コース指示も岩に書いた赤ペンキが目立つ。
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親切なつもりだろうが、これは一見分かりにくい表示だ。

御室小屋から1時間、標高差にして300mほど登ってきたあたりで、小休止。
急な坂が続いて、かなり疲れた。
この石がちょうどイス代わり。
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チョコレートで栄養補給。10分ほどで運動再開した。

(つづく)

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江差線(下)

来年廃止予定の江差線に乗って、12:55、江差に着いた。
江差に来るのは確か3回目だが、江差線に乗ったのは初めてだ。
廃止前に生涯に1回だけ乗りに来たという人も多いことだろう。
今日8月26日(月)は平日だが、まだ夏休みということもあってか、かなりのテッちゃんたちで車内は賑わっていた。
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次の上りは、16:16。3時間以上あるので、町を散策することにする。
実は、この町をゆっくり歩いたことはないのだ。
駅は町から随分離れているので、時間節約のためタクシーを利用する。
鴎島まで運んでもらった。
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浜では、近所の保育園の子供たちだろうか、楽しそうに水遊びをしていた。
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もう海水浴シーズンはとっくに終わっているが、この日も暑かったからなあ。
私も24年前に勤務地の山形からここへ車で来たことがあるが、その時もまだ1歳になる前の息子をここで遊ばせたっけ。

これは鴎島の象徴でもある瓶子(へいし)岩。
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伝説では、神から瓶子を授かった折居という姥が、瓶子の中の水を海に流し込むと、ニシンの群れがやってきて、江差の人々の生活の糧になったという。岩は、その瓶子が逆さになって固まったものとのこと。
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後ろに見える桟橋は、当時はなかった気がする。
「かもめの散歩道」という。
かつては崖の下に遊歩道が設けられていたが、その後傷んでしまったようだ。
これはかつての遊歩道。
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瓶子岩は見る角度によって、全く印象が異なる。
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こっちから見ると女性の横顔のようだ。

かもめの散歩道を渡り終えると、北前船の係船跡がある。
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江差に近代的な港が整備される前は、鴎島が江差の港だった。
この木の杭は、北前船のロープをつないだものだそうだ。

島の北端に回り込むと、荒々しい岩場に出た。
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そこに立ちつくす女性が1人。
何をしてるんだろうと思ったら、彼(夫?)が素潜りをしているのを見守っているだけだった。

鴎島の内側はこんなに静かなのに
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外側はかなり波が高い。
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左に見える男性が潜っていた人だ。

ここから階段で島の台地の上に上がる。
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途中に人の横顔のような岩が。
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登り切ると、テカエシ台場跡がある。
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江戸後期に外国船の来航に備えて松前藩が設置した砲台の跡だ。

見下ろすと千畳敷。
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海のかなたに奥尻島が見える。
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あそこにはまだ行ったことがない。
北海道南西沖地震による津波で海岸線は壊滅的な打撃を受けたので、古い建物はほとんど残っていないだろう。
でも鍋釣岩はこの目で見てみたい。

あれは渡島大島。
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面積は約9.7㎢。日本の施政下では最も大きな無人島だ。
二重のカルデラからなる火山島で、最高峰の江良岳は標高が737mもある。
上陸するには、近くの漁船をチャーターするしかないが、文化庁の許可が必要らしい。
単純な登山目的では、お金があっても、行くのは難しいようだ。

台地の上には厳島神社が鎮座している。
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1610年の創建と伝えられ、石鳥居を寄進したのは石川県の船頭たちらしい。
天保9年(1838)の刻印がある。北前船華やかかりし頃だ。
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当時ここには全国から商人が集まったのだろう。

手水鉢も手が込んでいる。
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なんと、干支の方位盤が彫り込んであるのだ。こんなのは初めて見た。

その隣には、江差追分がらみの功労者の銅像や石碑がある。
こちらは初代浜田喜一の銅像。
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説明板によると、師は大正6年(1917)生まれ。5歳の時に、病床にあった父に代わって「江差節大会」に出場し、「神童」の名をほしいままにしたという天才だ。
その後、江差追分の普及に尽力し、民謡歌手としては初めて歌舞伎座で公演したという逸話もあるそうだ。昭和60年に68歳で亡くなっている。

並んで立つのは小路豊太郎翁の碑。
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こちらは江差追分に尺八伴奏を導入した方だそうだ。

鴎島の上はきれいな芝生になっており、吹き抜ける風が気持ちいい。
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かなたに見えるのは、遊楽部岳(1277m)と白水岳(1136m)であろう。

中央には土塁に囲まれた鴎島灯台。
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鴎島には江戸時代後期に常燈が設置され、近代的な灯台ができたのは明治22年(1889)。当時は木造だったが、昭和26年に現在のコンクリート造りに建て直された。
光の届く距離は約19kmだそうだ。

灯台の上からは鴎島南端のクズレ鼻方面がよく見える。
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下りて、そちらに向かう。

途中、江差追分節記念碑が立つ。
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江差追分が全国的に有名になったことを記念して、昭和7年に建てたもので、碑文には当時歌われていた代表的な歌詞「松前江差の鴎の島は地から生えたか浮島か」と刻まれている。

振り返ると鴎島灯台と日本海、そして遊楽部岳。
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本当に美しい。ため息が出るほどだ。

右手には、開陽丸が見えてきた。
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この船はもともと幕府がオランダに発注した軍船だ。
明治維新に伴い新政府に引き渡さなくてはならなくなったが、当時の幕府海軍副総裁だった榎本武揚が断固、これを拒否。他の艦船も引き連れて北上、箱館を経て、江差に至る。
これが1868年11月14日のこと。
その翌日、暴風雪により、江差沖で座礁、沈没した。

その後、1873年と1974年に引き揚げや潜水調査が行われ、様々な遺留品は、「開陽丸青少年センター」に展示されている。それが、あの船だ。
今回は時間の都合により、見学は割愛した。

遊歩道を行く。右手の海底に大きな穴が二つ。
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弁慶の足跡だそうだ。義経は平泉で死んだのではなく、北へ逃れてジンギスカンになったという北行伝説があるが、弁慶も義経と共に北海道に逃げてきたらしい。
それにしても、こんな大きな足跡を付けては、すぐに見つかってしまいそうだ。

弁慶の足跡は自然の造形に違いないが、これは一体何だろう、
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自然のものか人工のものか。謎だ。

クズレ鼻もなかなか荒々しい景観を見せてくれる。
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こちら側には、キネツカと呼ばれる台場跡がある。
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これは江差南側の海。
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対岸に江差の町並みを望む。
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灯台近くに戻ってきた。廃業してしまった民宿花月。
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このままにしておくと、あっという間に荒廃していくだろう。
潮風に吹きさらしだもの。

というわけで、鴎島をぐるりと1周して下りてきた。
かもめの散歩道とは逆方向に海岸を行くと、風化した橋がある。
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この洞門をくぐり抜けた先に何があるというわけでもない。
遠くの方に馬岩が見えるだけだ。
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これも義経伝説。義経の愛馬だったとのこと。

道の駅ならぬ海の駅開陽丸のアンテナショップ、ぷらっと江差はオランダを意識した建物のようだ。
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さて時間は2時半。さすがにお腹が空いてきた。
もう二日酔いも治ったことだし、ここらで昼飯にしよう。
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海の幸の豊富な土地だし、ニシンそばも有名なのだが、頼んだのは「とまとチキンカレー」。
理由はすぐに出来るから。どうも味気ない性格だ。

ここからがやっと町歩きになる。
「いにしえ街道」なる通りに入る。
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入口近くにこんな珍しいものがあった。
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アネロイド式気圧計だそうだ。
アネロイド式って何だ?
調べてみると、内部を真空にした金属製容器が気圧に応じて膨らんだり凹んだりするのを、針の動きに変えて気圧を読むものだそうだ。
ここの気圧計は、昭和3年に関川家が江差町に寄贈したもので、直径30cmの円盤に長針が「シケ」「雨」「ぐずつく」「晴れ」「カラカラ」などを示す英語の文字を指す仕組みになっている。当時、気圧計は親方しか持っていなかったので、漁師たちはこの気圧計を見て、天気を推測したのだという。
現在も現役だというから驚いた。

これはとてもよかったのだが、この「いにしえ街道」がインチキくさい。
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もともとある古い家を修復したのなら問題ないのだが、昔風に新たに作ってしまった家が散見される。
別に文化財ではないのだから自由だけど、いいことをしているようで分かっていない、というところが切ない。

これなどは明らかなまがいものだ。
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北海道新聞江差支局。

このパン屋さんは改装しただけのようだ。
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で、本物はこれ。横山家である。
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国の重要文化財。時間の都合で内部見学は割愛。

となりのニシンそば屋さんも、泣く泣く通過。
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900円だそうだから、そんなに高くはない。
でもニシンは、もうここで獲れたものではないだろう。

この道から、何本も高台に通じる道がある。
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それぞれに名前が付いていて、これは法華寺坂という。
ほかに北前坂、馬坂などがあった。

これも本物。すばらしい。旧江差町役場本庁舎。
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平成5年まで現役として使用されていたとのこと。
これは弘化2年(1845)に建設されたもので、修復・建て増しをしながら使われてきたものを、使用できる部材は再利用して、建築当初の姿に復元したものだそうだ。
なかなか格好のいい建物だ。

近くに九艘川橋の石造欄干の跡。
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向かいには、こちらも国重要文化財の中村家。
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これは裏側。
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一旦国道に下りて、役場と江差追分会館の外観を確認。
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今度は高台に向かう。奉行坂を登ると、中腹に旧檜山爾志郡役所。
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明治20年建築の洋館で、北海道では唯一現存する郡役所である。

目の前には「土方歳三 嘆きの松」。
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言い伝えでは、榎本と土方がこの場所から開陽丸の沈没を見守り、土方がこの松の木を叩いて悔しがった。その後、木に瘤ができて曲がっていったのだという。

こうして見ると、ちょっと長崎のよう。
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高台からは、横山家や鴎島が一望。
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こちらは鴎島の全景。
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まさに「地から生えたか浮島か」という眺めだ。

歩いてみて分かったのだが、江差の市街地は海岸べりの港近くではなく、高台にあった。
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とても意外だった。

日も傾いてきた。駅に向かう。
市街地からは10分ほどの距離だった。
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着いた時はまだ列車は入線していなかったが、トイレで唸っている間に、みんな乗り込んでしまい、帰りは窓際には座れなかった。
今度は1両編成なので、さっきよりさらに混んでいる。
正面に乗り合わせた人は、40代くらいの男性。来る時も同じ列車だった人だ。
ずっと、コンパクトカメラで車両を入れ込んだ風景写真を撮り続けていた。

私はと言えば、時々、景色のいい場所でパチリ程度。
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北海道は品種が早生なのか、稲ももう黄金色に染まっていた。
夕日のせいか実に鮮やかだった。

時々うとうとしているうちにトンネルを過ぎて、吉堀駅。
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そして再び木古内。
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このまま函館に向かう方々が多かったが、こちらはここで特急スーパー白鳥42号に乗り換え、新青森経由で帰京する。

初めて下り立った新青森駅(在来線)。
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こちらは新幹線ホーム。
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私が乗る東北新幹線はやぶさ20号。
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グリーン車前では女性アテンダントがお出迎え。
私は普通の指定席。

乗り換えの待ち合わせ時間内に、そばを食べてしまったので、車内では寝るだけ。
もう真っ暗だし。
で、本当に大宮まで3時間まるまる寝てしまった。

待っていたのは豪雨。川越から本川越まで10分ほどの歩きで、傘はあったもののズボンはずぶ濡れに。
帰宅したのは日付変更線を超えてから。長い1日だったけど、楽しい帰省でした。


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江差線(上)

本日(8月26日)は、江差線乗り鉄。
江差線を往復して、陸路で今日中に帰宅しないといけないので、札幌発は午前7時の特急スーパー北斗2号。

朝3時まで飲んでいたのが響いて、完全な睡眠不足。しかも頭痛付きの二日酔い。
〆に食べたラーメンがまだ残っているので、朝メシ抜きで実家を出てきた。
始発だし、平日だから満席にはならないだろうと、指定は取らなかったが、自由席も結構混んでいる。
窓際ではなかったが、座れただけ、よしとしよう。どうせ寝てしまうし。
そう、大抵旅行をする時は、どんなに眠くても車窓を眺めている主義だが、今日は肝心の江差線で寝てしまっては元も子もないので、特急で爆睡してしまう作戦なのだ。

となりに座っていたのは、60がらみのおじさん。
キャリーバッグを持っているので、普通の旅行者かと思っていたら、あとで江差線でも姿を見かけた。この人も江差線乗り鉄だったのだ。

とにかく、私は眠る。
案外すぐに眠れて、気がついたら、伊達紋別を過ぎており、通路を挟んだ隣の席が空いていたので、窓際に移る。
ここから眠れなくなってしまったので、ぼ~っと車窓を眺めていた。

豊浦、大岸、礼文と過ぎ、秘境駅のひとつ小幌は見逃してしまった。
静狩を経て、長万部に到着。
このあたり、きちんと駅(舎)の写真を一つ一つ撮って歩きたいものだ。

長万部の名物は駅弁の「かにめし」。
あらかじめ車内で注文しておくと、出来たてをここで届けてくれる。
私は全く食欲がなかったのでパスしたが、隣のおじさんは食していた。

列車は噴火湾に沿って南下していく。
JR北海道では列車から煙が出たり何だりと、いろんなトラブルが続発している上に、集中豪雨で八雲~森間が一時運休になり、江差線乗り鉄が危ぶまれた。
その場合は八雲で下りて、江差までタクシーで行くことを考えたが、検索すると2万円ほどかかることが判明。もう一度来るよりは安上がりだが・・・と迷っていたので、開通してほんとによかった。

しかし、問題の区間は徐行運転をしたので、列車に6分ほどの遅れが出た。
江差線に行くには、函館駅の一つ手前の五稜郭駅で乗り換えるよう、駅探などでは指示が出るが、江差行きは函館始発なので、この特急で函館まで行ってしまうつもりでいた。
その場合、函館での待ち時間は16分。食料などを買う十分な余裕がある。

ただ、6分の遅れとなると、少々忙しい。
この上さらに遅れることがあっても、江差線は待っていてくれるとは思うが、バタバタするのもいやだし、五稜郭で下りれば、五稜郭駅を撮影できるので、下りてしまうことにした。

そう決めて乗っていると、気分も落ち着いた。
天気は最高である。
噴火湾をはさんで見る室蘭は小さな山脈のようだった。
駒ヶ岳は山頂がガスの中だった。大沼も美しかった。
函館平野に下りてくる時の車窓は絶景である。
写真を撮っていなくて、見せられないのが残念だ。

列車はそのまま6分の遅れで、10:12に五稜郭駅に到着。
ここは特急も停まる駅だった。
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ブルーの車体が印象的なスーパー北斗を見送る。
今日は晴れているが、わりと爽やかだ。

早速改札を出て、駅舎の写真撮影。
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文字は一つ一つ、五稜郭の形で囲むデザイン。

食欲はないが、冷たいものが欲しい。あと水分も補給しなければ。
というわけでアイスとガラナを買う。
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ガラナは北海道では一般的なコーラに似た炭酸飲料。カフェインを多く含む大人の飲み物だ。

江差線は時刻通りに、2両編成でやってきた。
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なんと乗り鉄さんたちでほぼ満員だったが、1個だけボックス席が空いていて、幸いにも窓際に座ることができた。山側だったけど。

10:32五稜郭出発。なんと江差まで、2時間近くかかる。
距離は79.9km。このうち、木古内~五稜郭間は津軽海峡線の一部をなしているので、北海道新幹線が開業しても第3セクターとしての存続が決まっているが、木古内~江差間は来年5月12日に廃止されることになっている。

車窓からは、函館平野を取り囲むなだらかな稜線が望める。
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そして工事が急ピッチで進む北海道新幹線の高架。さらには駒ヶ岳。
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正直に言うと、北海道新幹線には反対だ。
単純に、あまり山を崩さないでほしいというのが理由。
でも、札幌まで開通してしまったら、間違いなく空路ではなく陸路で帰るようになるだろう。ていうか、その頃にはもう、とっくに定年になっているから、北海道に帰ってきていると思うけど。

茂辺地通過。
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海岸線に出たら、函館山が見えてきた。
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ほんとに島のようである。
「臥牛山」との別名もあるようだが、牛が寝そべっているようには見えない。
見る角度によるのだろう。

国道228号と並走。向こうの山々は知内方面。
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釜谷駅通過。
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泉沢駅。
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札苅駅。
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夏らしい雲だ。
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木古内に11:31に到着。ここで17分停車。
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「北海道新幹線木古内駅開業!」のポスターが誇らしげだ。

木古内町は人口4800人で、駅前は閑散とした雰囲気。
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1日何本の新幹線が停まるのか。どれだけ利用客がいるのか。
でも松前方面の観光の起点にはなるかもしれない。

とにかく駅の外に出て、駅舎を撮影。
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これは第3セクターの駅舎として残るのだろうか。

新幹線の駅舎は線路の反対側に建設中だったが。
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「北の大地の始発駅」かあ。それは「新幹線の」ってことですね。
今は知内駅が北海道最南の駅だからなあ。

なくなってしまうことになる駅名の表示板。
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これも、他のテツさんたちがしきりにカメラに収めていた。
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さて、11:48発車。
まずは北海道新幹線の高架をくぐる。
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そして、のどかな田園風景。
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沿線を覆う黄色い花は、オオハンゴンソウ。
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内地の方には、「北の国から」で正吉が蛍にプロポーズのために送り続けた花と言えば、分かりやすいかもしれない。
実は特定外来生物に指定されている。繁殖力が強く、国立公園などでは高山植物を駆逐してしまいかねないので、駆除が行われている厄介ものなのだ。
でも、車窓から鑑賞している分には、郷愁をかき立てる。

こんな景色をみると、なぜか子供の頃を思い出し、胸がきゅんと切なくなる。
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吉堀駅から神明駅までの13.2kmは峠越えの区間は、森の中をひたすら走る。
窓を開けて、風を受けながら、うとうとしてしまった。

峠を下って、神明駅に到着。
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めちゃめちゃそそる木造の駅舎というか待合室だが、これも壊されてしまうのだろうか。
1日の利用者が数人もいるのかどうかという程度の駅だが、プランターにきれいな花が咲いている。
地域の人が守ってくれるとうれしい。

いずれにしろ、江差線には廃線前にもう一度来なければならない。
駅舎をすべて撮影しておかないと。
そして廃線後、5~10年して、また廃線歩きをしに来なければ。
することは山ほどある。

温泉のある湯ノ岱駅を過ぎると、里の雰囲気になってくる。
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線路はすでに廃線の様相。
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宮越駅は線路から離れてぽつんとある。
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美田が広がる。
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客車のように見えるのは中須田駅。
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これも撤去せずに、このまま置いておいて欲しい。

そして上ノ国駅。
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この町には、6年前に国史跡の勝山城跡を訪ねて、来たことがある。
今回は通過する。

上ノ国を過ぎると海に出る。
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日本海だ。今日は晴れているので海が青い。

12:55、江差駅に到着。着いてみて、高台にあるので驚いた。
市街地とも少し離れているようだ。
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線路はここで終わり。
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列車からはテツたちが大勢下りてくる。
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そして、間もなく折り返す列車を見送る。
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正しいテツの態度だ。私は少しズレたテツなので、テツの生態も記録に残す。

そして、ここ江差は「追分」で有名。
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「えさし」のひらがな文字も好もしい。
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きっぷ売り場では、硬券が売られていたが、江差線木古内~江差間10駅のセット(1600円)しかなかったので、買うのはやめた。
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私は切符マニアではない。

そして江差駅舎。
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この駅は最低でも、鉄道資料館みたいにして残してほしいなあ。
さて、これから江差散策を楽しむとしよう。

(つづく)
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藻岩山

8月25日(日)は北海道マラソンの日。
私は走らないが、やはり世間ではランニングがものすごいブーム。
友人にも走っている人がものすごく多い。
フェイスブックで、高校の同窓生たちが数十人も参加するのを直前になって知ったので、この日は皆さんの応援に行くことにした。

道内在住の人など、まだリアルには知らない人ばかりなので、会えればこれが初対面になる人も少なくない。
何しろ参加者は全体で1万5000人とのこと。
同期のY子ちゃんは目立つようにウサギの耳をつけてくれていたので、何とかスタート前に見つけることができた。
彼女は昨年秋の札幌マラソンでハーフを走り、その翌日余市岳に登ったというつわもの。
今回は約11kmのファンランを走る。

もう1人、このイベントにたくさんの同窓生が出ることを教えてくれた3期下のSさんを見つけなければ。
大通公園付近をうろうろして、それこそスタート直前に発見。
彼女は同窓4人で出走を待っていた。
他3人もよく知っている方で、「がんばってくださ~い」と激励して、沿道に引っ込んだ。

スタートは9時ジャスト。でもファンランの彼女たちが動き始めたのは10分近く経ってからだった。
それを見届けて、まずは地下鉄で幌平橋に移動。
しかし、すでに通過してしまっている気配があり、警備の人もうるさかったので、またまた急いで平岸に移動。

ここの給水所近くで待っていたら、バニーY子が通過。すこぶる元気だ。
その後しばらく待ったが、他の同窓生は発見することができなかったので、旧道庁赤レンガ庁舎前のゴールへ移動する。
Y子の無事完走を見届け、記念写真。
公開はできないのでお許しを。
その代わりに、ファンランを終えた元Jリーガー曽田さん。
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手前左から2人目。彼も同窓だ。

フルマラソンにも出場している同窓生はいたが、そちらはごめんなさいして、私は藻岩山に向かう。
藻岩山は札幌市民の憩いの山だが、車やロープウエーで登ってばかりで、自分の足で登ったのは高3の時の一度きり。
やはり地元の山をきちんと登っておかねばと思っていたのだ。

登山口は前日、室蘭岳を一緒に登ったN君から伏見の慈啓会病院の裏からが一番ポピュラーだと教えてもらっていた。
地下鉄円山公園駅からバスで、そこに向かうつもりが、バスのコースがよく分かっていなくて、ロープウエーの山麓駅で下りてしまった。
15分ほどのロスだが仕方ない。

11:30に歩き始めた。
途中、伏見稲荷神社を発見。
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はは~ん、「伏見」という住所の由来はこれだったんだ。

登山口にはふもとにある観音寺が登山者のために駐車場を用意してくれている。
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山頂にある「奥の院」を参拝する人のためというのが表向きの理由だが、親切だなあと思う。

ここからいきなり登山道になる。
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さっきまで、雨の予報がウソのように晴れて、かなり暑かったのに、にわかにかき曇り、雷鳴まで聞こえてきた。

実は雨は覚悟の上だったので、そのまま登る。
ただ、本日は登山靴ではなく、普通の靴なので、下りはスリップが怖い。
故に、どんなに降っても引き返せない。帰りは新しくオープンしたロープウエーに乗るんだ。るん。

路傍には、こんな石仏が頂上の三十二番まで、一定間隔にたたずんでいる。
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前方からは、駆け降りてくる人が。
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傘や雨具を持っていないので、あわてているのだろう。
どうか転びませんよう。

この後も続々、急ぎ足で下ってくる人とすれ違った。
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この雨の中を登っていくなんて酔狂な人だと、こちらの方が思われたかもしれない。
私は傘を差していたが、激しい雷のわりには、それほどの雨ではなかった。
雷の真上ではなく、どちらかというと街の方で鳴っていた。

天然記念物に指定されている藻岩山の原始林(天然林)も雨が落ちてくるのを防いでくれているのだろう。
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もともとアイヌは藻岩山のことをインカルシペ(いつも登って見張りをするところ)と呼んでいた。モイワというのは「小さな岩山」の意味で、お隣の円山のことだった。
それを和人が取り違えてしまい、そのまま定着してしまったのだそうだ。

道はしばらく広くて平らで歩きやすい。
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20分ほどで雨も上がってしまった。

12:25、登り始めて40分ほどで稜線の分岐に到着。
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ここは「馬の背」と呼ばれるところで、旭山公園や小林峠からの登山道が右から合流する。
ここまで1.8km(標高約330m)。頂上までは、あと1.1km、標高差は200mほどだ。

なんか晴れてきて、小林峠方面の山並みが見えた。
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少し歩くと、北の沢からの登山道が右から合流してくる。
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途中、左手が少し開けた場所があり、円山や札幌の中心街が望めた。
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もうあちらも雨は上がったのかな。

頂上が近くなると、ようやく傾斜が増してくる。
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手前はヨツバヒヨドリ。

石仏も二十四番に達した。
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路面は石畳に。
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濡れているので、スリップ注意。

原始林の中はまた暗くなってきたが、雨をいっぱい受けて、葉っぱは元気。
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そんな調子で12:55、山頂に到着。
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ロープウエーの更新に伴い、山頂の土産物屋も一新したので、雰囲気が昔とまるで違う。
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こんな、おしゃれっぽい建物に変わってしまった。
私は昭和の香りを色濃く残した昔の風情の方が好きだったなあ。
ただ、車を山頂まで来られないようにしてくれたのは、よかったと思う。

これは、うわさの観音寺奥の院。
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三角点は地面ではなく、こんな建物の上に移されてしまった。
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標高は531m。

まずは眺めを堪能しなくては。
ガスがどんどん流れてきて、すべてを隠してしまいそうだ。
これは西山麓、北の沢の住宅街。
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右の砥石山も正面の札幌岳も山頂は雲の中。

中央は石山(硬石山)。
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右奥の空沼も正面の恵庭岳も、やはり雲の中。

山頂のロータリー。
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もちろん一般の車両は来られない。

こちらは札幌市街。
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中島公園。
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完全に高層マンションに取り囲まれている。

宇宙船のような札幌ドーム。
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まだ、日ハムの試合は見たことがない。

ほんとはモイワの円山。
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真駒内の丘陵地帯。
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もーりすカーの中腹駅。
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市民スキー場と屋内競技場。
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山頂の建物の屋上は「恋人の聖地」ということになっている。
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こういうのは、あまり好きではない。

外国人はあまり雨を気にしない。
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乾燥力が強いのだろうか。

「藻岩山」という看板がどこにもないのが、非常に残念。
なぜ残さなかったのだろう。今回のリニューアルの最大の失敗はこれだ。
今からでも全然遅くないので、どこかに設置してほしい。

中には高級レストランがあるようだが、私は休憩室で、さっき円山公園駅で買ったパンをむさぼる。
結構寒いので、温かいカフェオレを自販機で買った。

だんだん雨が激しくなってきて、景色の回復も見込めないので、下山することにする。
乗り鉄としては、この「もーりすカー」と新しいロープウエーも楽しみだ。
券売機で切符を買おうとしたら、きれいなお姉さんが寄ってきて、
「申し訳ありません、現在運休中です」
と、のたまう。
ありゃりゃ、再開の見込みは? 「まだ分かりません」
まあいいや、中腹駅まで歩いておりて、そこからロープウエーに乗ろう。
「いえ、ロープウエーも動いていないんです」
じぇじぇじぇ~!

この雨の中、この底ツルの靴で麓まで歩いて下れってかい!
途方に暮れてしまい、運休中の貼り紙の前に立って、自分撮りした変顔写真をフェイスブックに投稿するしかなかった。

どうしようかなあ、歩くしかないかあと考えていたら、今度はやさしげなおじさんが近寄ってきて、
「1時半に中腹駅までバスを出します。そこでしばらく待っていただければ、2時に臨時の定鉄バスが来ますので、ご利用ください」
と言う。
これはロープウエーの往復切符で登ってきた人への救済措置なのだが、登山者も無料で乗せてくれるという。実にありがたい。えらいぞ!

というわけで、私はもーりすバスに乗ることができた。
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この「もーりす」、外人さんの名前ではなく、リスの愛称のようだ。
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説明によると、藻岩山に1匹、変わったエゾリスがいた。「も」と鳴くので、みんなから「もーりす」と呼ばれていた・・・
なんだ、おとぎ話か。ちゅうか、藻岩山のリスだから「もーりす」なのだろう。
まあ、そういう設定で作ったキャラクターのようだ。

中腹駅に着くと、一段と雨が激しくなり、とても外には出られない。
のんびり土産物屋をひやかしても5分で済んでしまう。
とにかく2時のバスに乗って、下山。
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下りてきたら、すっかり雨は上がり、暑いくらい。
本当に今年の天気は異常だ。

さらに今度は、ロープウエー山麓駅から市電の電停までの無料シャトルバスに乗り継ぎ。
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市電は山鼻19条で下りた。
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母校のそばを通って見たかったからだ。
昔むかしの校門。
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校舎は私が現役の頃とはすっかり変わっている。
でも、回りはあまり変わっていない。

こちらは、みんなに人気だった、お好み焼きの「風月」。
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このロゴは私の同級生がデザインしたもの。
食べて帰りたかったが、夜の宴会に備えて我慢した。

一旦自宅に戻ってひと眠りしてから、街に繰り出し、結局お店5軒、3時まで飲んでしまった。
故郷の仲間はほんとにいいものです。


【行程】2013年8月25日(日)
ロープウエー山麓駅(11:30)~慈啓会病院登山口(11:45)~馬の背(12:25)~藻岩山(12:55)

※所要時間:1時間25分(歩行・同)
※登った山:1座(藻岩山)=過去に登っているため通算は同じ
※歩いた距離:3.6km
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室蘭岳

今年の帰省は少し遅くなった。
月曜日に1日休みをもらって、8月24~26日の3日間。
初日は、始発で飛んで、千歳に住んでいる同級生に迎えに来てもらって空沼岳、翌日は北海道マラソンに参加する同窓生たちの応援、最終日は来年廃止になる江差線の乗り鉄というプランを立てた。

天気予報は土日が雨模様、月曜日は晴れ。
今年の夏はなかなか厳しい。
とくに北海道は内地のような夏で、毎日のように雨雲が発生して、雷雨があるという。

千歳に着いた時も曇り空。N君のスマホで雨雲の動きを見ると、空沼は直撃しそうだが、道南は大丈夫そうだ。
結局、空沼は諦めて、室蘭岳(鷲別岳)に向かうことにした。

道央道を走行中、何度か激しい雨にたたかれて、不安になったが、室蘭に着く頃にはすっかり上がってしまった。
昼食を買いに、車の外に出ると、暑い。
とても北海道の朝とは思えない。ほんとに今年はヘンな気候だ。

登山口のだんパラスキー場には9:20に到着。
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まだ雲が多いが、雨の心配はなさそうだ。

軽く体操をして、9:30に出発。
まずはゲレンデを歩く。
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でもすぐ左に登山道がちゃんとあったようで、軌道修正。
もたもたしている間に、中年のご夫婦に抜かれてしまう。
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駐車場には10台くらい駐まっていたので、ぐずついた天気だが、結構人は入っているようだ。
スタート地点は標高400mほど。
10分ちょっと歩くと、白鳥ヒュッテに着く。
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赤いマンサード風の屋根が印象的だ。

この小屋は、ある人のブログによると、昭和5年に建てられた初代の小屋が昭和20年に焼失後、24年に新日鉄が再建し、43年に室蘭市に寄贈されたものだという。
山小屋コレクターの私としては、素通りするわけにはいかない。
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ドアは鍵がかかっていない。
「こんにちは~」と声をかけて、玄関から中を覗いていると
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人が出てきて、びっくり。

後で調べて分かったことだが、ここには常駐の管理人さんがいて、通年で開いているという。春日さんという人らしく、もう18年も小屋番をしているとのこと。
白鳥という名称は室蘭湾の別称「白鳥湾」に由来するらしい。
30人宿泊可能で、利用料は無料。ということは食事は出していないのだろう。
昼食のメニューも飲み物の販売もなかった。
まあ、車の入るところから、わずか10分だからね。
宿泊する人も、おそらく常連さんだけなのだろう。
でも、午後からのんびり登り夕方に下りてきて、ここに泊まって酒盛りするのも悪くない。

さて、奥の水場で喉を潤して、出発。
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道はここから二手に分かれるが、右手の夏道コースを行く。

間もなく、水神社の鳥居を通過し、しばらく急な坂が続く。
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6人ほどのグループで登ってきていた中の1人(右)が早くもペースダウン。
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調子が悪そうだった。

仲間がたくさんいるので、それはお任せして、タイヤの階段などをぐいぐい登っていく。
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間もなく稜線に出る。
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稜線に出ると、所々視界が開け、室蘭湾が見えてきた。
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標高600mを超えたあたりからだろうか、見事な白樺の林が始まった。
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こんなのは見たことがない。さすが北海道である。
頂上まであと1km。

シラカバ林を抜けると、高山植物のオンパレード。
エゾタカネニガナ
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ミヤマアキノキリンソウ
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ヨツバヒヨドリ
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ヤマハハコ
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エゾノコンギク
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右手には、ササ原の向こうにカムイヌプリの稜線が見えてきた。
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あと500m。
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何だかすっかり晴れてきた。
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頂上に近づくにつれ、傾斜が緩やかになる。
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いやあ、ほんとにいい天気になった。

振り返ると、室蘭市街や室蘭湾、測量山などがジオラマのように見える。
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地球岬は地球の丸さが分かるからということで名付けられたらしいが、ここからも地球の丸さがよく分かる。

右からカムイヌプリからの道が合流してきたら
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頂上はもうすぐそこ。
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11:05到着。標高911m、低山のわりには高度感がある。

なんとここは一等三角点。
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頂上から羊蹄山や有珠山の眺めを期待したが、あちらの方はやはり雲の中だった。

でも、ごくごくうっすらと洞爺湖・中島の最高峰トーノシケムプリが見えた。
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こちらは、いかにもそそられる山容のカムイヌプリ(750m)。
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こちらにもしぶい山小屋(無人)があるらしい。

とにかく休憩。さっき麓のコンビニで買ったおにぎりを頬張る。
70歳がらみの老人2人が暑い暑いと言いながら登ってきて、上半身裸になって着替えていた。地元の山で、庭みたいな意識なのだろう。
1時間10分かかったなあとつぶやいていたが、こちらはゆっくり登ったとは言え、1時間半以上かかっている。早い。
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しかし、立派な彫り物の看板だ。
熊の彫り物などを作っている人の作品だろうか。

30分ほど休んで出発。
少し戻って、今度は稜線を西の尾根に向かう。
これがまた、ササ原が多く、眺めのいい気持ちいい散歩道だ。
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西尾根の登山道がくっきりと見える。

ヨツバヒヨドリも元気いっぱい。
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アキノキリンソウのでかいこと。
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見下ろすと室蘭の工業地帯。
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随分さびれている。

振り返って見る室蘭岳の山容。
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25分ほど歩いたところで、東西に延びる稜線を左折、西尾根に乗る。
あちらはこれから向かう825mピーク。
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あれに名前が付いていれば、2つ登ったことになるんだけどなあ。

それにしても、なんて気持ちのいい道なんだ。
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おっと、オヤマリンドウ見っけ。
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こうして見ると室蘭岳もなかなか堂々たる山だ。
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でピークに着いてみると、標識にまさに「825mピーク」とある。
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これは「登った山」に加えるか微妙だ。
「これじゃあ、ダメだね」とN君に言ったら、「いいんじゃない? よく○○m峰とかって言うじゃん」
そう言ってくれるなら遠慮することはない。
希望通り、本日は「2座」登頂ということになった。

ここからは室蘭方面を見下ろしながらの豪快な下り。
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時計と反対回りのルートにしてよかった。

右下に見えるのは、だんパラスキー場のロッジ。
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芝生になっているのは牧場だろうか。
牛はいないけど、スキーができるほどの傾斜はない。

下りはこんな感じ。
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振り返ると、室蘭岳は尖りの度合いを増す。
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で、樹林帯まで下りてくると、道は緩やかになる。
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沢を渡る。
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顔を洗いたかったが、しゃがむのが面倒で通過。

ここから白鳥ヒュッテまでは、ちょっとした登り。
12:50到着。
冷たい水で一息ついて、顔も洗う。

よくよくヒュッテの壁を見ると、こんな標識があった。
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ガンバリ岩とか、休み岩とか、現地には何も書いていなかったので、どれも気づかずに通過してしまった。残念。

というわけで、1時ちょうどに車まで戻ってきた。
登り始めた時は雲の中に隠れていた室蘭岳は、すっかりその全容を現していた。
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あちらはカムイヌプリ。
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3時間半ほどの山行だった。雨に降られるのを覚悟していただけに、ラッキー。
帰りは洞爺湖畔を経由して、北湯沢温泉「名水亭」の巨大な露天風呂で汗を流し(日差しが暑かった)、旧大滝村のきのこ王国で名物100円のきのこ汁をいただいて帰宅した。

札幌はやはり雨が降ったそうである。室蘭岳にして正解だった。


【行程】2013年8月24日(土)
だんパラスキー場ロッジ・登山口(9:30)~白鳥ヒュッテ(9:40休憩9:45)~室蘭岳(11:05昼食11:35)~825mピーク(12:00)~白鳥ヒュッテ(12:50)~登山口(13:00)

※所要時間:3時間30分(歩行2時間55分)
※登った山:2座(室蘭岳、825mピーク)
※歩いた距離:6.5km
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今倉山・二十六夜山

まだ、山行報告の積み残しがたくさんあるが、それらは後回しにして、最近のものを忘れないうちに書いておきます。
まずは、8月31日(土)編。

もともとこの週末の天気は雨っぽい予報だったので、泊まりがけの予定は立てず、様子を見つつ日帰りで行けるところを探しておいた。
4~5時間ほどで歩ける山梨の道坂隧道~今倉山~二十六夜山周回である。

時間にゆとりがあるので、あまり早起きはせず、8時前に家を出たのだが、高速に乗る直前の信号待ちで、隣に停まっていた軽トラのおじさんから声をかけられた。
「おたくパンクしてるよ。それじゃ高速には乗れないよ」

じぇじぇ!マジかよ。
あわてて下りて確認してみると、確かに左後輪が大きく凹んでいる。
とりあえず、Uターンしてスタンドを探す。
しかし、パンクしていることが分かってからも、実は運転していて違和感を覚えない。
これはパジェロミニが偉大なのか、私が鈍感すぎるのか。

スタンドはなかなか見つからず、10分以上走ったかもしれない。
場所だけ借りて、とにかく自力でスペアタイヤと交換する。
猛暑だけに、もうそれだけで汗だくである。
本来なら、ガソリンを給油することでお礼をしたかったのだが、さっき満タンにしたばかりで、それもできない。

スタンドのおじさんは明らかに不機嫌で、気圧計を借りる時も憮然とした表情。
失礼を承知でお礼に1000円出したが、受け取ってくれなかった。
なので、このうえ、真っ黒になった手を洗わせてくれとも言えず、汚い手のまま、そこを後にした。
これで都合40分ほどのロス。

中央道も若干の渋滞で、登山口の道坂隧道に着いた時には11時になっていた。
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ううう、暑い。

実は、この峠、31年前の真冬に自転車で来たことがある。
中央線の藤野駅から雛鶴峠を経て都留に至り、そこからここを越えて道志に下り、山伏峠のトンネルを抜けて山中湖に出た。
山中湖畔の宿は予約していなかったので、あちこち民宿を訪ね歩いては断られ、やっと泊めてくれたところは夕食の準備がないからと、規定料金でインスタントラーメンしか出なかった。そんな思い出がある。

それはともかく当時の道坂隧道はすでに廃道となり、写真に写っているのは1990年に開通した新しいトンネルだ。当然見覚えはない。

というわけで準備をして、11:15に出発。
隧道の脇から、ぐいぐい登っていく。
コースタイムは今倉山(1470m)まで1時間20分。
ここはちょうど1000mなので、標高差は500m弱だ。

すぐに樹林の中に入り、日を遮ってくれるので、「涼し~」と思ったが、それは一瞬だけ。
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やはり湿度が高いのか、汗がひっきりなしに落ちてくる。

御正体山への道との分岐に当たる稜線に出たのは11:35。
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20分ほどで登ってきた。

ここからは直登が続く。
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木々の切れ間から、南東方向が見えたが、富士山の機嫌が悪い。
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高速からはきれいに見えたのに。

途中、アザミやトリカブトなど紫の花が咲いていた。
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トリカブトの青さは、こんな日は少々暑苦しい。

これはなんて蝶だっけ。そうだ、アサギマダラだった。
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ポツンと咲いていたのが、フシグロセンノウ。
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こいつはいつも群れることがない。

花々で気を紛らしながら、ひたすら標高をかせぎ、12:30今倉山山頂に到着。
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ここは展望もベンチもないが、山梨百名山である。
山頂が分岐になっており、右に進めば、菜畑山に至る。

とにかく、もうお昼も過ぎた。
地べたに座り込んで、コンビニおにぎりをほおばる。
テルモスのアクエリアスが冷たくて、めちゃうまい。

三等三角点がちょっと芸術的。
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40分ほど休んで出発。暑いから、休憩は十分にとる。

50mほど下って、60mほど登り返すと、今倉山の西峰にあたる御座入山(約1480m)。
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登山地図にも地形図にも、そのような名称は記載されておらず、ここに来て初めて知った。
ただの西峰なら、さっきの東峰(今倉山)とセットで1つとしか数えられないかなあと思っていたが、これで堂々と「登った山」の一つに加えることができる。

西峰から下り切った鞍部が道坂隧道への分岐(1383m)。
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ここからまた、70mほど登り返すと通称赤岩とも呼ばれる松山。
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13:55に到着。ここはすこぶる展望がよい。

富士山は頂上だけ、まだガスの中だが
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その右手前に、鹿留山と杓子山。

左に御正体山。
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こちらも残念ながら、山頂付近がガス。

これは御正体山から東への稜線。
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目を右(南西)に転じると、三ツ峠山。
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九鬼山はこちら。
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360度の展望が得られるのは、本日のコースではここくらいなので、じっくり眺望を堪能した。
というわけで、10分ほどで出発。

ここからはいくつか小さなこぶはあるが下り基調。
こんなローブ場もある。
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なだらかな道も。
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途中で見つけたカモメの木。
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お腹が似てませんか?
くちばし部分がよく写ってないのが苦しいけど。

なおも下る。
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階段が出てくると、間もなく林道に出る。
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正面が二十六夜山だ。

林道は舗装されており、この峠からの眺望も悪くない。
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依然、富士山頂は顔を出さない。

道路の法面には、大きなスズメバチの巣があった。
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林道を渡って、二十六夜山(1297m)の登りに取りかかる。
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御正体山のガスはきれいに切れた。
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そして再び樹林の中。
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一部急なところもあったが、緩やかに登り、20分ほどで登頂。
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山頂には、山の名称の由来となった「廿六夜」の石碑があった。
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二十六夜とは、江戸時代に盛んになった風習で、旧暦正月と7月の二十六日に、人々が寄り合って飲食などをしながら月の出を待つ行事のこと。
わざわざ、ここまで登ってきて、宴会をしたのだろうか。
さぞかし月がきれいだったろうとは思うが、正月はかなり寒かったに違いない。

ここも眺望はまずます。
眼下には、先日試乗会が行われたリニアモーターカーの実験線。
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その右手に九鬼山。
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南面には鹿留山。
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そして御正体山。
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どこから見てものっぺりした形にしか見えなかったが、ここからのお姿は精悍だ。

山頂に丸太があったので、座ってしばし休憩。
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たいした歩いていないが、やはり暑さが堪える。
しかも、スズメバチではないと思うが、大きめの蜂がブンブン回りを飛び回る。
手で払ったりすると、敵意ありと見なされて、攻撃される恐れがあるので、しばらく放っておいたが、あまりにうるさいので思わずタオルを振り回して追い払ったら、逃げていった。セオリーと異なる動きをする蜂だ。

30分近く休んで、ようやく出発。
林道まで戻ったら、あとはずっと林道歩き。
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日差しを隠すものがなく暑い。

今倉山あたりでは曇っていたが、今はこんな青空。
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これは富士山にかかる雲。
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ちょうど富士山の形になっている。

こんなに暑くても、山は秋の気配。
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オオイタドリも繁茂している。
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見上げると、本日歩いてきた稜線が波打っている。
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御正体山への稜線も木々で青々としている。
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ここはいずれ歩くことになるのだろう。

ゲートを抜けると県道に出る。
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で、5分ほど歩くと、道坂隧道手前の駐車場に到着。
16:40。なんと5時間半近くかかってしまった。
やはり、この暑さの中、低山は厳しかった。

同じ道を通るのはいやなので、帰りは道坂隧道を抜けて、道志に下り、道志の湯で汗を流して帰宅した。

翌日も晴の予報で、大弛峠から金峰山のピストンを検討したが、朝起きることができず山行は断念。調整日とした。
でも9週連続山行は続いている。
今年の最高は1~3月にかけて打ち立てた12週連続。
どこまで迫れるか。

【行程】2013年8月31日(土)
道坂隧道(11:15)~御正体山分岐(11:35)~今倉山(12:30昼食13:10)~御座入山(13:20)~松山(13:55撮影14:05)~林道(14:50)~二十六夜山(15:10休憩15:35)~林道(15:50)~道坂隧道(16:40)
※所要時間:5時間25分(歩行4時間10分)
※登った山:4座(今倉山、御座入山、松山、二十六夜山) 通算733座
※歩いた距離:8.1km
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秋山郷

7月19日、秋山郷に出張を入れた。
20年ほど前に2年間、長野に勤務していたことがあるが、当時も行ったことがなかった。
ずっと気になっていたので、飯山線乗り鉄と苗場山登山を兼ねて、行くことにした。

飯山線については、一昨年秋、十日町に出張を作り、長野の友人に会うオプションも付けて乗りつぶしを目論んだのだが、集中豪雨のため十日町~森宮野原間が不通となっており、この区間だけ乗り残していた。

秋山郷に行くには、森宮野原の手前(十日町寄り)にある津南で下りる方が便利なのだが、それだと、津南~森宮野原間をまた乗り残してしまう。
森宮野原まで行って津南まで3駅引き返すことも考えたが、本数が少ない区間だけに時間的ロスが大きすぎる。
結論としては、森宮野原からタクシーに乗ることにした。答えは単純だった。

何しろ、津南駅は新潟県津南町。森宮野原駅は長野県栄村。
私の目指す秋山郷の小赤沢集落は長野県栄村だから、それでいいのだ。
会社の経理もごく自然に受け取ってくれるだろう。

出発は18日夜。会社が引けてから、東京20:12発の上越新幹線とき347号で、越後湯沢を目指す。
この日は駅前の安宿に宿泊。でも当然温泉付きだ。
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翌朝、7:13越後湯沢発長岡行き普通列車に乗り込む。
平日だけあって、高校生で満員だ。
六日町で下車して、5分の待ち合わせで北越急行ほくほく線に乗り換え。
7:38発の直江津行き。
明るい時間帯に、ほくほく線に乗るのは初めてだ。
とは言っても、六日町~十日町間はほとんどがトンネルなのである。

7:53、十日町着。
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ここでも乗り込む高校生でごったがえしている。

こちらは再びJRの飯山線に乗り換える。
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8:28発戸狩野沢温泉行きの発車まで、待ち合わせ時間は30分以上ある。
それまで、駅でかき集めた観光パンフなどを眺めていた。

越後田沢を過ぎると右手車窓に信濃川が見えてくる。
写真を何枚か撮ったのだが、カメラのトラブルで何も写っていなかった。しょぼん。
森宮野原駅には9:06に到着。
タクシーはあらかじめ呼んであったので、すぐに乗れた。

ここから栄村秋山支所のある小赤沢集落までは、国道117号を津南まで戻って、405号を北上する道と、いきなり山へ入っていく道があるが、せっかくなので山道の方でお願いする。
運転手さんも、このルートで秋山郷に入ったことはほとんどないと話していた。
ただ、この道は秋になると、紅葉がものすごくきれいで、全国の紅葉の名所など目じゃないと豪語していた。

タクシー代8000円かけて、秋山支所に到着。
ここは、民俗資料室と観光案内所を兼ねており、秋山郷総合センター「とねんぼ」と呼ばれている。
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「とねんぼ」とは、「ものとものが一つに溶け合い、ねばりつく様」を表す、この地の方言だそうだ。

今回、秋山郷に来たのは江戸時代に飢饉で全滅した村々の跡を訪ねるためだ。
村商工観光課のFさんに案内してもらった。
最初に訪ねたのは、集落からほど近い甘酒村跡。
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今は田んぼになっているが、ここには天保年間まで、2戸だけの甘酒村があった。

村のあちこちに当時の墓や石仏などが散在して残っていたのを、昭和59年に小赤沢地区の方々が1か所にまとめて、万霊供養塔を建てたそうだ。
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「北越雪譜」で有名な江戸後期の文人・鈴木牧之が、文政11年(1828年)9月に秋山郷を訪ね、甘酒村にも立ち寄った。
その時、牧之は村の女性から「天明の飢饉(1783年)で、大秋山村は全滅してしまったが、わが村は何とか凌いだ。だから、今は食べ物に苦労はしていない」と。
しかし、そのわずか5年後に、甘酒村も飢饉のため死に絶えてしまった。

Fさんが地元の古老から聞いた話として、「半分のあっぽ」という言い伝えを教えてくれた。
食べ物がなく、困り果てた両親は、隣村からやっと分けてもらった、郷土食のあっぽ(あんぼ)を子供2人に半分ずつ与え、1人にはその代わり、この穴に入りなさいと言い聞かせ、生き埋めにした。このままでは一家全滅、子供1人だけでも救うための苦渋の選択だった。それでも家族全員死んでしまった……と。

切ない話である。当時、秋山郷では寒冷地のため稲作は行われていなかった。
コメ作りが始まったのは、やっと明治8年からのことだという。

次に、秋山郷に唯一残る江戸時代の保存民家を案内してもらった。
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江戸時代中期の築と伝わり、豪雪地帯特有の中門づくりとなっている。

小赤沢地区は、福原姓と山田姓がほとんどで、これはそのうち福原家の総本家の住宅だった。
中には民俗資料や飢饉の際の記録の写真などが展示されていた。
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近くには、こんな美しい田んぼが。
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これは、甘酒村の神様を移した十二社。
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9月には、亡くなった方々の供養を毎年行っているという。

さて、次は大秋山村跡。小赤沢集落の一つ奥にある屋敷集落に近い。
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大秋山村は、秋山郷で最も早く人が住み着いた場所と言われている。
平家の落人というから、12世紀末から続いていた村だ。
それが、前述の通り、天明3年(1783年)の飢饉で、8軒すべての家が滅びてしまった。
鈴木牧之は「北越雪譜」の中で、こう記している。

信濃と越後の国境に秋山といふ処あり、大秋山村といふを根元として十五ヶ村なべて秋山とよぶ也。(中略)大秋山村 人家八軒ありて此地根元の村にて相伝の武器など持しものもありしが、天明卯年の凶年に代(しろ)なしてかてにかえ、猶たらずして一村のこらず餓死して今は草原の地となりしときけり。

甘酒村と同様、墓石や石仏、万年堂など20基が1か所に集められている。
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大秋山村は屋敷村の先祖の村だったので、屋敷地区の住民が、毎年8月15日に供養を行っている。

こちらは大秋山村と同じ年に全滅した矢櫃村の跡。
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みな地域の人々によって大切にされている。

矢櫃村跡へ行く道からは、小赤沢集落が一望できる。
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雲の中に隠れているのが苗場山。明日は晴れるだろうか。

この後、「あんぼ」を見たいと所望したら、さらに奥の上野原地区にある観光施設「のよさの里 牧之の宿」に連れていってくれた。 
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肝心の「あんぼ」の写真を撮るのを忘れてしまったけど。

秋山木工の前で車から下ろしてもらい、お昼にする。
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木工製品を製作販売している店だが、食堂も兼ねている。

そして、なんと今夜泊まる予定の民宿苗場荘と経営が同じだそうだ。
夜と食事がかぶらないように、ここでは山菜そばをいただく。
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まだ時間が早いので、さっき車で通過した屋敷地区に戻って、集落を散策することにする。
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屋敷地区は鳥甲山の登山口でもあり、ちょっと偵察の意味もある。

信州側の秋山郷唯一の小学校、秋山小は屋敷地区にある。
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左の白い建物がそう。川を挟んで向かい側は屋敷温泉の旅館や民宿。

集落の背後には巨大な柱状節理の布岩が望める。
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深い谷を刻む中津川。
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仲良く並ぶ観音堂と薬師堂。
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その観音堂あたりから見た屋敷集落。
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実に美しい。

鳥甲山登山の基地になりそうな民宿布岩荘。
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バスは1日5往復。
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津南方面のバスの最終が16:25なので、登山に使えないことはない。

回り込んでみた屋敷集落。
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晴れてきたら、苗場山の前山、檜ノ塔(1882m)が姿を現した。
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村の鎮守? 十二社。
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墓地に並ぶ石仏。
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そして今夜の宿がある小赤沢地区に戻ってきた。
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ここには民宿がたくさん。
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ほとんどが苗場山登山の方々だそう。私もその1人だ。

急な斜面にへばりつくように民家が並ぶ。
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わずかな平地には田んぼ。

集落を1周して、午後4時前に宿に到着。
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苗場荘は、鈴木牧之が秋山紀行の際に泊まった家で、当時の骨組みが今も残っている。
それが理由で、この宿に決めたのだ。

この日の宿泊客は私だけ。20畳ほどもある部屋に1人。
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なんだか落ち着かない。

まだ日も高いので、赤い温泉として知られる「楽養館」に出かける。
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小赤沢の地名も、鉄分の濃い水の色に由来するのだろう。
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温泉そのものの写真も撮ったのだが、これもカメラトラブルで消滅。お見せできないのが残念。
湯加減はばっちり。ゆったりと休んで、まだ雲の中に隠れている鳥甲山を望み、宿に戻った。

楽しみだった食事もまた豪勢。
これまた写真が消滅してしまったのだが、熊鍋や岩魚の塩焼きなど、どれもおいしかったが、全部はとても食べきれなかった。

明日の苗場山登山に備えて、早めに就寝。
秋山郷の夜はふけていった。
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乾徳山・黒金山(下)

当初の予定を変更し、乾徳山(2031m)から黒金山(2232m)へ向かう。
大菩薩嶺(左)と小金沢連嶺に敬礼!
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シモツケソウやミヤマキンバイともお別れだ。
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標高差はわずか200mだが、意外に距離が長い。
昭文社の登山地図によると、コースタイムは2時間40分になっている。
しかし、経験上、それはありえないように思えた。
実際、1時間半ほどしかかからなかった。

とにかく進路を北に取る。昼食を済ませ、11時半に出発。
しばらくは下山路と同じ道だ。
北面も南面と同様、険しい岩場だ。
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途中、さっき山頂にいたおじさんが戻ってきた。
「こっちが下山口だと思ったけど、どこまで言っても尾根道で、下山する分岐が分からないので戻って来ました。登ってきた道で下ります」
とのこと。

でも、もう少し我慢して歩けば、分岐だったのに。
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登山地図には山頂から分岐まで10分と書いてあるし。

この分岐からは本格的に樹林帯に入る。
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いつ設置されたものだろう。古い道標が残る。
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距離の表示はすでに読めない。

こういう標識が散見されるので、かつてはよく歩かれていたのかもしれない。
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しかし、今は歩く人も少ないようだ。
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結構、道が荒れている。
たぶん、もう今日は人に会わないだろうなあ。そんな気がした。

分岐から35分で、笠盛山(2072m)に到着(登山地図のコースタイムは1時間20分。これは改訂の必要がある)。
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ここは樹林帯の中なので展望はないが、背伸びをすると、やっと富士山の山頂部分だけが見えた。
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10分ほど休憩して出発。
ちょっと下って、コブを一つ越えた後は本格的な登りとなる。
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展望がきく場所に出ると、乾徳山が見下ろせた。
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あんなに険しい山容だったのに、案外かわいい突起である。

乾徳山と富士山の競演。
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ただし、富士山頂はとうとう雲に隠れてしまった。

この先はちょっと、しゃくなげの枝がうるさい道。
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そのしゃくなげの中から話し声が聞こえたかと思ったら、2人の男が飛び出してきた。
こんな所、歩いている人がいたんだあ、とびっくり。

そうこうしているうちに、黒金山山頂直下の分岐に到着。
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大ダオ分岐と呼ばれる場所だ。
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この看板も往年の賑わいを偲ばせる。

ここからは、ものの5分で山頂。
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西側が大きく開けており、岩に腰を下ろして、大展望を堪能した。
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真正面は国師ヶ岳(中央右、2592m)、北奥千丈岳(中央左、2601m)の稜線である。あそこも、今年中にやっつけたい。

この付近の針葉樹の森も美しい。
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西斜面にはたくさんのケルンが積んであった。
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北に目を移す。
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左から水師(2396m)、三宝山(2483m)、甲武信岳(2475m)。

その右には、破風山(2318m)、東破風山と雁坂嶺(2289m)。
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連続して見ると、このようなスカイラインになる。
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奥秩父核心部である。

ここでも撮影と休憩で10分を費やし、進路を東に変えて、牛首ノタルまで下る。標高差200mちょっと。最初は緩やかだが
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だんだん急になる。

途中、林業関係施設の残骸があった。
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15分ほどで牛首ノタルに出る。
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このあたりのコル(タル)は、ササ原になっている所が、眺めていても多いことが分かる。
正面のピークが牛首(2086m)だが、とりあえず「登った山」を稼ぐため、そこを目指す。
しかし、登山地図にも地形図にも道は表記されていない。
でも、踏み跡くらいはあるだろう。
それを見つけるべく、ザックをその辺にデポして、西沢渓谷へ向かう登山道を進む。

踏み跡は案外簡単に見つかった。
なるほど、ここを入ればいいんだ。標高差は50mもないはずだから、10分もかからないだろうと高をくくっていた。
しかし、それが大間違い。
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シャクナゲのヤブがどんどん激しくなり、全く前進不能になってしまった。
標高差にして、あと20mもなさそうだったが、これではあきまへん。
潔く諦めて、引き返すことにする。

戻った牛首ノタルからは正面に富士山。
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さて、あとはひたすら下るだけ。
あとで「山旅ロガー」の計測で分かったことだが、大平高原までここから8kmも歩かなければいけない。
登山地図には、下界(青笹)まで2時間とあり、林道まではその半分もないので、場合によっては林道まで30分で下れたりしてと思ったが、実際は1時間近くかかった。

道はしばらく山腹をトラバースしつつ下っていく。
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道は緩やかで歩きやすい。林床のササも穏やかだ。

右手にはさっき歩いた乾徳山から黒金山の稜線が望める。
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中央右上の突起が乾徳山だ。
角度によっては全然目立たない山だが、一応「日本二百名山」である。

背の低いササ原の中の道を、快調に高度を下げていく。
樹林も密ではないので、明るい道だ。
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振り返ると、黒金山(左)と牛首(右)
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眺望もよい。

途中で東側が開けた場所に出た。
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その名も「ササ原下展望台」。そのまんまの命名である。

まず正面。
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手前の中央左の山体はおそらく倉掛山(1777m)。
その右奥が鶏冠山(1710m)。

こちらは笠取山(1953m)方面と思われるが、きちんと同定はできなかった。
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ここから急坂を標高差で50mほど下った所に、湧き水があった。
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腕立て伏せ状態で、直接飲んだのだが、起きあがってみたら、胸にヒルがくっついていて、びっくり。あわてて、払ったら、すぐに取れたので助かった。
まだしっかり吸着する前だったのだろう。
くっつかれたのが顔じゃなくてよかった。危ない、危ない。

このあたりに地形図では建物の記号がある。
何かの作業小屋と思われるが、これのことだろう。
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もう、とっくに廃屋になった上に、崩壊していた。

両方とも好きな地名。
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関係ないが、最近、車のナンバーに「富士山」というのができた。
すごく違和感がある。
車のナンバーに付ける地名は「地域名」であるべきである。「富士山」は地域名ではない。

そんなことを思いながら、なおも下っていく。
案外長いが気持ちよい道でもある。
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14:50、やっと林道に出た。
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ここは広い駐車場になっているが、車は1台も駐まっていない。

ここから大平高原までは延々、林道(乾徳山線)歩きだ。
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登山地図にコースタイムは書いていないので、どのくらい時間がかかるか分からないが、地形図を見ると、乾徳山登山口までだいたい4kmくらいありそうなので、+αで1時間半くらいだろうか。

地形図で、このカーブを曲がったな、まだ半分も来てないな、などとブツブツ言いながら、ひたすら歩く。
途中、見晴らしのいい場所で休憩。
大きな岩が置いてあり、ちょうどいいベンチ代わりになった。
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もう日も傾いてきた。

1時間でやっと登山口に近いゲートを通過。
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ここは普段は閉めているのだろうか。
この日は開いていて、工事用のダンプカーが何台か山へ入っていった。

登山口からは、登ってきた登山道を下れば、大回りする林道をショートカットすることができるのだが、同じ道を通るのはいやなので、わざと遠回り。
大平牧場跡地を貫いていく。
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牧場内には、もう使わなくなった車がひっそりと置かれていた。
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哀愁あふれる光景だ。もちろん、好きである。

そして16:20、大平荘に戻ってきた。予測タイム通りだった。
山旅ロガーによると、この日歩いた距離は15km。標高差はそれほどなかったとは言え、さすがに疲れた。
帰りは、車を何度も止めて、三富の山村集落の写真を撮りながら下った。
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最後は「笛吹の湯」で汗を流し、雁坂トンネル、秩父経由で帰宅。
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おつかれ山でした。


【行程】2013・7・15(月)
大平高原(8:45)~登山口(8:50)~林道交差点(9:00)~国師ヶ原分岐(9:25)~月見岩(10:05撮影10:10)~髭剃岩(10:40)~乾徳山(11:10撮影・昼食11:30)~下山路分岐(11:40)~笠盛山(12:15休憩12:25)~大ダオ分岐(13:00)~黒金山(13:05休憩13:15)~牛首ノタル(13:30牛首往復13:55)~ササ原下展望台(14:30)~林道出合(14:50撮影14:55)~(休憩10分)~乾徳山林道ゲート(15:50)~大平高原(16:20)

※所要時間:7時間35分(歩行6時間45分)
※登った山:3座(乾徳山、笠盛山、黒金山)
※歩いた距離:14.9km
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