山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

大平山・晃石山

前回紹介した父不見山(ててみえずやま)山行の前々日(17日)、めずらしく平日に休みが取れたので、栃木の低山に行ってきた。
順番が前後したが、今回はこちらを紹介する。

考えてみたら、栃木で登ったことのある山は那須の茶臼岳だけだった。
那須塩原駅から自転車で那須ロープウエーの山麓駅まで行き、山頂駅から1時間ほど歩いて登頂したのが、1990年7月20日のこと。
それ以来、20数年のご無沙汰だ。

本格的に山を始めてからも、どうしても目が群馬や山梨に向いてしまい、栃木は心理的に遠かった。所沢からだと交通の便がそれほどよくないことも影響していたのだろう。
でも、同窓会のフェイスブック山岳部に所属して、栃木在住の後輩と知り合ってからは、ぐんと近づいた気がした。

その手始めということで、太平山(おおひらさん)から晃石山(てるいしさん)、馬不入山(うまいらずさん)山を経て岩船山に至る300~400m級の超低山の縦走に行ってきた。
前日は激しい雨だったが、この日はウソのように晴れ上がった。
車でもよかったが、敬意を表して、電車で行く。

東武日光線の新大平下駅に下り立ったのが、9時40分すぎ。
DSC_0045.jpg
今日は、ここから歩く。

まずは駅舎コレクションのために、JR両毛線の大平下駅に向かう。
途中の街道沿いには、瀟洒な洋館がいくつかあった。
DSC_0050_20130531131919.jpg
DSC_0054.jpg
ここは旧大平町(合併して栃木市)の中心街だった場所。かつてはそれなりに賑わっていたのだろう。

大平下駅の自販機で水を買う。
DSC_0059.jpg

ここまで歩いてきて、まだお昼を買っていないことに気づき、焦る。やばい、このままでは登山口に着いてしまう。
DSC_0064.jpg
しかし、大平山の直下におあつらえ向きにセブンイレブンがあって助かった。
まあ、何もなければ、途中に茶屋があることは知っていたので、そこで何か買うか食べるかするつもりだったけど。

大平山の登山口には、客人(まろうど)神社がある。
DSC_0067_20130531131856.jpg

階段を登っていくと、なかなか渋い拝殿があった。
DSC_0070.jpg

この脇から登山道になる。
DSC_0080.jpg
植林の中のなだらかな道がしばらく続く。

一旦、道路を渡ると広葉樹の森に入る。
DSC_0082_20130531131902.jpg
初夏のすがすがしい散歩道だ。

再び、車道に出たあたりからが謙信平。
戦国の世、関東平定を競っていた上杉謙信と北条氏康が、ふもと大中寺の住職の斡旋により、1568年に和議を結んだ時のこと。謙信が大平山から眺めた関東平野の広さに目を見張った、との故事から、そのように呼ばれるようになったらしい。

ここからは、うっすらと筑波山が見えた。
DSC_0086_20130531131904.jpg

こちらは、その北に連なる加波山。この山には1週間後に登ってきた。
DSC_0087.jpg
それにしても、あちらとは大して離れていないのに、こんなに霞んでいるとは。この季節、やはり展望には向いていない。

車道を左へほんの少し歩くと、右手に茶店が次々と姿を現す。
左手には休憩用のベンチが所狭しと並ぶ。
DSC_0103.jpg
今日は平日なので静かだが、休日には多くの観光客で賑わうのだろう。

ここからは富士山が望めるらしいが、この日は東京すら見えなかった。
DSC_0093.jpg
おやつに名物の「杵つきだんご」を買っていく。

大平山神社の随神門(1723年築)をくぐり、急な階段を登る。
DSC_0111.jpg

この神社、なかなか自己主張が強い。
DSC_0127.jpg

一応、登山の安全を祈願し、境内を抜ける。
DSC_0136.jpg

東にある茶店からは栃木市内を見下ろすことができた。
DSC_0140.jpg

少し戻って、山道に入る。ここからは、20分ほどで、大平山(341m)に登頂。
DSC_0162.jpg

頂上には富士浅間神社があるが、「盗難防止のため賽銭ご遠慮願います」との、めずらしい注意書きがあった。
DSC_0159.jpg
日本広しと言えども、賽銭拒否の神社はかなりめずらしいだろう。
とにかく、ベンチに座って昼食。いつも通りのコンビニおにぎりだ。

ゆっくり休んで12:45に出発。15分ほどでぐみの木峠(約290m)を通過。
DSC_0170.jpg
ここを左に下ると、例の大中寺である。

本日は直進。途中、パラグライダーの離陸場があり、南側の展望が開ける。
午前中より、いくぶん空気が澄んできたような気がする。
DSC_0181_20130531131751.jpg
このあたりは低い丘が水田の中に点在しているので、「陸の松島」とも呼ばれているらしい。その片鱗を楽しむことができた。

この日の最高峰、晃石山には、13:35に到着。419mである。
DSC_0195.jpg

ここは北側の展望が開け、日光連山が見えることになっているが、かすかに男体山のシルエットを確認できただけだった。
DSC_0193.jpg

でも、一等三角点があって、びっくり。
DSC_0196.jpg
やっぱり、一等はかっこいい。

いくつかのアップダウンをクリアして、桜峠(301m)にたどり着いたのは14:20。
DSC_0214.jpg
ここは表東山道と裏東山道を結ぶ古くからの連絡路で、ヤマザクラが咲いていたのが、地名の由来だという。
なかなか雰囲気のいい場所だったが、先を急ぐ。

ここからもアップダウンの連続。馬不入山(345m)へは峠から30分かかった。
DSC_0229.jpg

木のすき間から、晃石山が覗けた。
DSC_0231.jpg

階段も含め、あとは下る一方。
交通の激しい県道を渡り、ため池を右に見て、しばらく行くと、鷲神社。
DSC_0250.jpg
DSC_0257.jpg
随分、ひなびた所だ。
桃山時代の創建で、ここに卵や甘酒を供えてお参りすれば、病気にかからないという言い伝えがあるそうな。
かつては、境内の松の大木に鷲がたくさん巣を作っていたらしい。

ここまで来たら、もう人里である。
ため池の向こうに、荒々しく削られた岩船山の山容が見えてくる。
DSC_0262.jpg
もう夕方の気配だが、これも登ってしまわなくては、もったいない。

山の上には、高勝寺がある。
DSC_0301.jpg
この寺は775年の開山で、高野山三大地蔵の第一と位置づけられている。
古来より、霊魂が集まる山として民俗学的にも貴重なのだそうだ。
それより最近では、火薬を使った爆発シーンを撮影できる首都圏では数少ないロケ地として有名らしい。最近の戦隊ものは、ほとんどがここを使っているとか。

さて、岩船山(172m)の頂上に行く道がよく分からなかったのだが、とにかく高い方、高い方へ登っていくと、断崖が切れ落ちている見晴らし台にたどり着いた。
DSC_0315_20130531131712.jpg

夕方になってさらに空気が澄んできた。
正面手前のこんもりした丘は、その名も富士山。
DSC_0323.jpg

あちらは、三毳(みかも)山だ。
DSC_0330.jpg
最初はあちらを登ろうかと思っていたのだが、あまりに低くて距離も短いのでやめた次第。

リハビリだからと言って、少しのんびり歩き過ぎたようだ。
標準タイム3時間50分のところ、もう7時間も歩いている。
ここからは岩舟駅17:12発の電車に間に合わすべく、階段を一気に駆け下ったが、なんと電車は15分近くの遅れ。
おかげさまで、ゆっくり駅舎を撮影することができた。
DSC_0341_20130531131716.jpg
もう高校生も下校の時間。

DSC_0345.jpg
いかにものんびりした、駅の夕暮れであった。

となりの栃木駅で、切符も買わずに東武特急に乗り換え(車内精算)、帰京。
せっかくの特急なので、プチ打ち上げの生ビールをいただき、ほろ酔いで帰宅した。
今年は、栃木の山もたくさん登りたい。


【行程】
新大平下駅(9:45)~大平下駅(10:00)~客人神社(10:25体操など10:35)~謙信平(11:25休憩11:30)~大平山神社(11:45撮影11:55)~大平山(12:15昼食12:45)~ぐみの木峠(13:00)~晃石山(13:35休憩13:50)~桜峠(14:20)~馬不入山(14:50休憩15:00)~鷲神社(15:40)~高勝寺(16:15)~岩舟山(16:40)~岩舟駅(17:05)
※所要時間:7時間20分(歩行6時間)
※登った山:4座(大平山、晃石山、馬不入山、岩舟山)

スポンサーサイト
このページのトップへ

父不見山・観音山(下)

父不見山から下りてきた。

杉ノ峠の登山口から、観音山の登山口である馬上(もうえ)集落まで車で移動する。
この移動時間が貴重な休憩タイム。
なんと、2時間半の山行でろくな休憩もとらず、一度も腰を下ろさなかった。
体力的には随分回復したと言えるだろう。左脚の痛みもぶり返してはいない。

15分ほどで、馬上集落に下りてきた。
DSC_0471.jpg
このあたりの標高は約350m。
杉ノ峠の登山口より、400m以上低い。

ここには、なかなかしぶいバス待合所があった。
DSC_0468.jpg
車は旧公民館の脇に駐めて、13:15に出発。

小さな川の脇を通って、牛首峠に向かう。
DSC_0474.jpg

この道は、2004年に開催された国体の山岳縦走(少年男女)のコースに採用されたわりには、随分荒れている。
DSC_0482.jpg

もうあまり歩かれていないようだが、沢を渡るコンクリートの橋や石段などもあり、昭和30~40年代の登山ブームの頃は、人気のハイキングコースだったのかもしれない。
DSC_0483_20130527122113.jpg
DSC_0485.jpg
登山道にも栄枯盛衰があるのだ。
それにしても、一人で歩くには、少々心細い道だ。

20分ほどで牛首峠(標高514m)に到着。
DSC_0492.jpg

ここには巨大な岩が2つあり、その間に道が通っている。
ちょっと度肝を抜かれる。
DSC_0490.jpg
観音山へは、ここの分岐を左に行けばいいはずなのだが、道標には「日尾城址」としか書いていない。山地図の「日尾城址」は登山道から随分はずれた位置にあるので、少々困ったが、とりあえず、左へ進路をとる。

間もなく分岐があり、やっと「観音山」の文字が出てきた。
DSC_0499.jpg

しかも、ここから日尾城址はわずか50m。当然寄っていくことにした。
DSC_0505_20130527122005.jpg
ちょっとしたピークに立派な石碑が立っていた。

石の祠も二つあり、それぞれ「日尾城山八幡」「馬上城山八幡」と書いてあったので、ここを「城山」と認定し、「登った山」の一つに加えることにする。
DSC_0504.jpg
もう朽ちかけた木製のベンチがあったが、休まず出発。

何度かアップダウンを繰り返し、鎖場も通過して、観音山の南側を回り込んでゆく。
DSC_0509.jpg

トラバースする道は歩きやすいが
DSC_0516_20130527122015.jpg

秩父札所31番観音院への道を右に分けると、階段が続く急登となる。
DSC_0522.jpg
水を飲みながら、ペースを落とさず、息を荒くして登る。

途中、仁王尊採石場跡を通過すると
DSC_0530.jpg
もうそこは頂上だ。
DSC_0539.jpg
標高はわずか698mだが、結構登りでがあった。
牛首峠から標準1時間のところ、45分で済んだが、かなりきつかった。
これだけ早いのは、ザックがいつもよりめちゃめちゃ軽いのも理由の一つだろう。

相変わらずの曇だが、ここからの眺望はそこそこ楽しめた。
まずこれは、さっき登った父不見山。
DSC_0540.jpg
中央の最も高いのが長久保の頭だろう。

これは眼下にたたずむ日尾の集落。
DSC_0542.jpg

こちらはずっと見たかった御荷鉾山。
DSC_0545.jpg
奥の左が西御荷鉾山、右が東御荷鉾山だ。

はるかに望むのが奥秩父の山々。
DSC_0550.jpg

北側の全景はこんなふう。
DSC_0562.jpg
日本の山里である。

ゆっくり眺望を撮影し、結局ここでも腰を下ろさず、下山開始。
来た道を引き返す。
階段はリズムをつけてトントン下る。
首にはあまりよくない気もしたが、装具が抑えてくれているから大丈夫だろう。

分岐では観音院への道をとる。
どんどん下っていくと、境内に出た。
馬の蹄洞窟に石仏が多数並んでいる。
DSC_0572_20130527121916.jpg

洞窟を回り込んで、この巨大なかぶり岩の上に出ると、東奥の院だ。
DSC_0603.jpg

ここからは、今登ってきた観音山の険しい山容が望めるほか
DSC_0594.jpg

畠山重忠の家臣・本田親常が山を射抜いて出来たという岩穴「矢抜け岩」も1km先の山に見える。
DSC_0610別

対岸の岩壁には、胎内くぐりや石仏群が見えるが、平成13年の崩落により立ち入り禁止になっている。面白そうな場所だっただけに残念だ。
DSC_0598.jpg

少し下ると岩壁に張り付くように建てられている観音院の本堂が見えてくる。
DSC_0611.jpg
この本堂は明治26年に焼失したものを、昭和47年に再建されたものだそうだ。

境内の圧巻は、オーバーハングした崖を落ちてくる聖浄の滝である。
DSC_0628.jpg
近すぎて全体像を撮影することができない。
この時期は雨がまだ少ないせいか、水量がさみしかったが、梅雨時になると、相当な迫力だろう。

ここでも不動明王がにらみを利かせていた。
DSC_0631.jpg

滝の向かって左の壁には、無数の摩崖仏が彫られている。
DSC_0639.jpg
高さ18cmの仏の浮き彫りが地中にも埋まっているといい、俗に「十万八千仏」とも呼ばれている。
年代は確たることは分からないが、室町時代と推定されているとのこと。
これもなかなか見ものである。

観光に来ていた20~30代くらいの男女5人組みに撮影をお願いされ、撮って上げた(この日初めて人に会った)のだが、この方々、なんと本尊に手を合わせ、お経を唱和し始めた。
DSC_0646.jpg
これには驚いた。何者なのだろう。

階段を下りる。
道の脇には多数の句碑が並んでいる。現代のアマチュア作家の作品だ。
DSC_0616.jpg

仁王門まで下りてくると、巨大な石の仁王像に迎えられた。
DSC_0668.jpg

信州の石工・藤森吉弥一寿の手になるもので、高さ約4m、石造としては我が国で最も大きい仁王像だそうだ。
DSC_0674.jpg

さて、あとは帰るのみ。
ここから沢を詰めると牛首峠。
こちらもあまり歩かれていない、さみしい道だ。
DSC_0684_20130527121752.jpg
DSC_0688.jpg

ただ、このあたりは「ジオパーク秩父」に指定されているらしく、めずらしい岩や地層が観察できるらしい。
観音院周辺は約1700万年前(新第三紀中新世)に形成された比較的新しい礫質砂岩で
DSC_0617.jpg
摩崖仏が彫られたのも加工がしやすかったからだろう。
牛首峠への沢には花崗岩や片麻岩が見られるというが、苔むしてよく分からない。

峠からはサクサク下る。
観音山周辺の登山道には、地元の倉中学校生徒会が整備した案内板や注意書きがあちこちにあるが、これは全く意味が分からない。
DSC_0699.jpg
甘い雨が降るのだろうか。色のついた雨だろうか。

15:55に車まで戻ってきた。所要2時間40分。山地図では3時間10分のコースだから、30分も早い。
それにしても、今日は車に乗っている時以外、一度も座らなかった。
こんなことは初めてかもしれない。
ふつう、昼食時は座るもんなあ。

馬出集落の少し奥に、毘沙門水という平成の名水百選に選ばれた湧き水がある。
そこに喉を潤しに行ったら、なんと車を3台横付けにして、ポリタンクに給水している方々が。
DSC_0702.jpg
こりゃ相当な人気ですなあ。
一口飲んでみたら、石灰分が多いのか、まろやかな味だった。

これですべての日程を終了。
車に戻る頃には、雨が落ちてきた。
絶妙のタイミングだった。


【行程】
杉ノ峠登山口(10:30)~杉ノ峠(10:40)~父不見山(11:05)~長久保の頭(11:20)~丸山(11:40)~坂丸峠(11:50)~林道出合(12:00)~杉ノ峠登山口(13:00)=馬上(13:15)~牛首峠(13:35)~日尾城跡(13:45)~観音山(14:20撮影14:35)~観音寺(14:50撮影15:25)~牛首峠(15:40)~馬上(15:55)
※所要時間:5時間25分(歩行4時間45分)

【登った山】
5座:父不見山、長久保の頭、丸山、日尾城山、観音山



このページのトップへ

父不見山・観音山(上)

日曜日(5月19日)はぐずつく予報だったので、出かける気は全くなく、朝寝をしていた。
でも、目が覚めてみると、カンカンに晴れている。
やや!
あわててスマホで天気予報をもう一度確認すると、栃木・群馬は晴れ、秩父は曇。雨は夜からとのこと。

こうしてはいられない。もう7時だが、あわててメシを食って、8時に車に飛び乗った。
どこへ行こうか考える暇もなかったので、先週登った、御荷鉾山や赤久縄山の稜線を見てみたいと思い、その手前にある父不見山(ててみえず、ててみずとも)山に向かう。
御荷鉾山へ行く道と途中までは同じ。走ったばかりで道は覚えているから、地図を検討する時間もいらない。

しかし、西に向かうにつれ雲が多くなり、秩父ではすっかり曇ってしまった。
でも、これは予想されたこと。
山に雲さえかかっていなければいい。

群馬との県境にある土坂隧道の手前、合角(かっかく)ダムのところで左に入り、矢久峠への道をとる。
途中、長久保入口のバス停で今度は右折。細い舗装道路を登っていく。

登山口はきちんと見つけたのだが、ぱっと見、廃道のようになっている。
DSC_0357.jpg
山地図からしても、ここで間違いなさそうなのだが、もしかしたら別の入り口があるのかもと、しばらく車を走らせたが、やはりない。
結局戻って、路肩に車を駐める。
よくよく見ると、ちゃんと道はあった。
すこし時間を食ってしまったが、10時30分、登山開始だ。

本日のテーマは、従来のペースで歩くこと。
これまではリハビリ登山と称して、ゆっくりゆっくり歩いてきたが、左脚の問題を除けば、とくに故障はなかった。
長距離縦走ができるようになるには、以前のペースを取り戻さないといけない。
ザックも従来の重さにしなければいけないが、それは次の課題としよう。

早速、普段のペースで歩き始める。
杉ノ峠まではジグザグの道だが、傾斜はそれなりにあり、すぐに息が荒くなる。
でも、呼吸を整えつつ、ペースは落とさない。
DSC_0361.jpg
歩幅も前回よりかなり大きい。

山地図のタイムは20分だが、峠には10分で着いてしまった。
DSC_0364.jpg
ちょっとペースが速すぎたか。でも、全然息は上がっていない。
峠の標高は885m。登山口は約770mだから、標高差は100mちょっと。

杉ノ峠だけあって、杉の巨木が林立している。
中には落雷で黒く焦げてしまったものも。

灯籠状の御神燈は昭和18年の建立。
小さな石の祠が石垣の上に鎮座している。
ここは埼玉側の旧日尾村(現小鹿野町)と群馬側の旧飯島村(神流町)を結んでいた生活道路だ。そんな雰囲気を残している。

ここからは尾根歩き。と言っても、樹林の中でほとんど眺望はない。
ゆるやかなアップダウンを何回か繰り返す。
DSC_0373.jpg

そのうちに、父不見山に着いてしまった。標準40分のところ、25分。
これは自分が早いというより、山地図の方が甘めに書いてあるとしか思えない。
DSC_0382.jpg
ここから見る御荷鉾山や赤久縄山を楽しみにしてきたのだが、樹木が繁っており、何も見えない。

この変わった名称は、平将門が討ち死にし、その子がまだ見ぬ父を慕って嘆いたという伝説に基づくという。
山頂の標識は、1047mというのと1048mがあったが、地形図には1047mとある。
DSC_0379.jpg
DSC_0380.jpg

道標のたもとに、「三角天」と刻んだだるま石がある。
三角天の意味はよく分からない。
ただ、何らかの信仰を表すものなのだろう。
DSC_0383.jpg
「三角天」の文字の右下に、3文字ずつ2行彫られている。
右の行は「□三等(?)」、左は「サル平」
これも意味不明。

側面を見ると、「昭和七年」とあり、亀の字を丸で囲んだ記号も。
昭和7年にこの石碑は設置され、石工もしくは奉納者の屋号が「まる亀」だったのだろうか。

とにかく眺望は何もないので、水だけ飲んで、通過する。
ここからは標高差60mほどの急な下り。そして80mほど登り返すと、長久保の頭(別名・大塚)。
DSC_0388.jpg
標高は1066m。

これを西峰、さっきの父不見山を東峰とみなし、父不見山を双耳峰ととらえる場合もあるらしい。
DSC_0395.jpg
ここには二等三角点がある。
南側がわずかに開けており、武甲山がうっすらと望めた。

ここからは新緑の森の中をずんずん下る。
DSC_0398.jpg

坂丸峠に至る前に、登山道からはわずかにはずれて丸山(985m)がある。
地形図で見ると、鞍部からの標高差は30mほど。
とくに迷う心配もないので、ここもつぶしておく。
DSC_0400.jpg
植林の中の、本当にまるい山で、踏み跡もなく、頂上には何の標識もなかった。

登山道に戻り、さらに下っていく。
DSC_0407.jpg

坂丸峠には、11:50に到着。ここも上武国境の峠で、かつての生活道路だ。
DSC_0410.jpg

ここにも杉の木の根元に石の祠が祀られていた。
DSC_0415.jpg

深くえぐれた坂を下り
DSC_0421.jpg

林道に出たのが正午。
それにしてもここまで休みなしで、標準2時間のところ、1時間半で来てしまった。
この調子だと、13時には車に戻れてしまう。
それで帰宅するのはもったいない。
考えた結果、少し車で移動し、合角ダム近くにそびえる観音山にも登って帰ることに決める。
そのために昼食の時間を節約することにする。
つまり、歩きながら食べるわけ。
このあとは5kmほどの林道歩きだが、舗装されていて足許に不安はないので、できることだ。
稲荷寿司とおにぎりを1つずつ、お茶を飲みながら食べる。
10分もかからず食べ終わった。
DSC_0425.jpg

西の方に二子山が望め
DSC_0428.jpg

眼下には矢久峠のふもとの部落が見えた。
DSC_0431.jpg
登山道よりも林道の方が眺めがいい。

途中、斜面の一面、植林が伐採されている箇所があった。
DSC_0436.jpg

林道の中間地点には、こんな標識が。
DSC_0443.jpg
この道は「父不見山フラワーライン」と言うんだ。

そういえば、萩の花が咲いていた。
DSC_0442.jpg

長久保の頭から南に延びる尾根を回り込んで、しばらく歩くと、地肌をさらした大久保山が見えてきた。
DSC_0451.jpg
この稜線を左に下ったところが杉ノ峠だ。

そして正面には父不見山の稜線も。
DSC_0453.jpg
左端の突起が頂上だ。

案内板を見て知ったのだが、このあたりは1990年2月の山火事で丸裸になったようだ。
DSC_0457別

これが被災直後の写真。その後、20年以上地道に植林が続けられ、現状までに回復してきたのだ。
DSC_0452.jpg
で、ちょうど13時に車のところまで戻ってきた。

(つづく)

このページのトップへ

御荷鉾山・赤久縄山

GWに超低山を歩いて、あまりに緑が濃いことにショックを受けた。
手術したのだから、今年はもう新緑は見られないと諦めていたが、やはり見たくなった。
だがもう5月も中旬。新緑を見たければ、千数百m級の山に登らなければならない。
でも、リハビリ中だけに、何百mもの標高差を登るのはまだ無理だ。

というわけで、地図とにらめっこ。
群馬に御荷鉾山という山を見つけた。秩父の山に登るたびに、北西方向にちょっと目立つ山があり、「ああ、あれが、ごかほこ山かあ」などと思っていた山だ。
御荷鉾スーパー林道で行くと、頂上まで標高差は200mほどしかなく、そんなに登攀欲をそそられなかったのだが、こういう時こそ、登るべき山だ。
うひひ、これにしよう。
でも、よくよく地図をみると、「ごかほこ」ではなく「みかぼ」だった。お恥ずかしい。

所沢の自宅からはわりと距離もあり、交通の便も悪いので、車で出かける。
ちょっと早起きして、6:45に出発。
小鹿野で国道299号と分かれ、土坂隧道を抜けて
DSC_9706_20130516104654.jpg
万場に下る。

ここから長大な御荷鉾山の稜線に向かって、登っていく。
DSC_9713.jpg
(右端が西御荷鉾山)

登山口近くには「みかぼ高原荘」があり、地図には「入浴可」とあったが、なんと、「本日、故障のため、入浴できません」の貼り紙が。
うぬぬ、ここで汗を流して帰ろうと思っていたのに残念。

南登山口には9:20に到着。
DSC_9717.jpg

ずっと我慢していたので、トイレに駆け込む。ふう。助かった。
駐車場には5、6台ほどの車が駐まっていた。
ここでもう随分高いので、秩父や奥秩父の山々を見渡すことができる。

雲取山など奥多摩方面はまだ雲の中だったが、木々の向こうに、残雪の八ヶ岳が見えたのには感激した。
DSC_9716.jpg
手早く準備し、軽く準備体操をして、9:35に出発。

西御荷鉾山(1286m)には、西、南、東と3つの登山口がある。
いずれも標高差は200m程度。
このうち南登山口が急登の最短コースで、標準タイムは30分だ。
まずは樹林帯の道をゆく。
DSC_9723.jpg

5分ほど登ったところで、車の後ろのドアのロックをし忘れてきたことに気づいた。
平らな道なら戻っただろうが、もうめんどくさい。
悪人がいないことを祈って、前進を続ける。

間もなく、木々が伐採されて開かれた場所に出た。
DSC_9725_20130516104631.jpg
ここからではよく分からないが、カヤトが大の字形に刈り込まれているところがある。
元禄の昔のこと。ふもとの生利村で疫病が流行した時に、大仙院という法師が、山頂の不動尊に平癒祈願したところ疫病が治まったため、霊山への感謝の気持ちをこめて、「大」の字を刈り込んだのだそうだ。
以来、毎年刈り込みは村人によって受け継がれ、現在も「保存会」によって継承されているとのことだ。

道は木の階段が延々と続く。
DSC_9726.jpg
普通なら、階段は避けて、脇を歩くのだが、今日はスリップを警戒して、正直に一歩一歩階段を登る。とくに今日は雨上がり。また滑って、左脚を痛めるのはごめんだ。

開けているだけに眺望はいい。
中央奥のピラミッドは武甲山。
DSC_9727.jpg

はるか南西には、国師(中央左)と金峰山(中央右)が望める。
DSC_9729.jpg

10:00ちょうど、登山口から、わずか25分で登頂。
DSC_9758.jpg

山頂には不動明王の石像が南を見下ろしている。
DSC_9747.jpg

明治44年建立の石碑があるが、頂上に30体もある不動尊は大仙院法師が元禄の頃に安置したものだという。
信仰は今も続いており、大願成就を祈願して剣が多数奉納されている。
DSC_9753.jpg

景色は雄大だ。
これは両神山とその背後の奥秩父の山並み。
DSC_9760.jpg
両神山と奥秩父がこんな角度で見えるなんて、とても新鮮。
とくに両神山のギザギザの稜線が、こんなに延々と連なっているのを見たのは初めて。
このあたりも空白地帯だったなあと実感した。
今度、積極的に取り組みたいエリアだ。

こちらは手前右が父不見山(ててみえずやま、1047m)と奥が奥多摩の峰々。
DSC_9763.jpg
左下に見えるのが「みかぼ高原荘」。

北も開けており、浅間山の雄姿が見える。
DSC_9768_20130516104547.jpg
雪もだいぶ解けたようだ。

中段の鋸の歯のような稜線は妙義山。
DSC_9770.jpg

榛名山
DSC_9771.jpg

三国連峰
DSC_9772.jpg

武尊山
DSC_9775.jpg

山頂付近はこんな穏やかな雰囲気。
DSC_9781.jpg

のんびり眺望と撮影を楽しんだ後、東登山口(投げ足峠)へと下る。
左脚が痛くならないよう慎重に慎重に。
道は幸い、ずっと階段が続く。
DSC_9794.jpg

それにしても新緑がまぶしい。
DSC_9793.jpg
DSC_9796.jpg
今日はこれを見に来たのだ。

正面には、東御荷鉾山の前山、釜伏山が見えてきた。
DSC_9797.jpg

振り返ると、今登ってきた西御荷鉾山。
DSC_9798.jpg

10:25に鞍部の投げ足峠(1015m)に下りてきた。
DSC_9799_20130516104458.jpg

ここから東御荷鉾山をピストンする前に、林道を南登山口まで戻り、早めに車を回収したかったが、もうここに2台駐まっていて、駐める場所がなかったので、それは断念。
このまま東御荷鉾山に向かう。
いきなりの急坂で帰りが怖い。
DSC_9801_20130516104500.jpg

いったん尾根に出るが、しばらく釜伏山の南面をトラバースしていく。
比較的なだらかな道だ。
木の切れ間から、再び両神山と奥秩父が望める。
DSC_9805_20130516104501.jpg
ここからの眺めが一番整っている気がする。

いよいよ東御荷鉾山の尾根に取りかかるところで、振り返り、釜伏山を落とす。
DSC_9808.jpg
昨秋の落ち葉のじゅうたんで、踏み跡は見えない。
でも、迷いようのない登りだ。

釜伏山は標高約1190m。登山道をはずれてからの標高差は50mほど。
傾斜は結構きつかったが、下草はほとんどなく登りやすかった。
頂上には案の定、標識はなく、小さな杭が打ってあるだけだった。
DSC_9811.jpg

写真だけ撮って、すぐ戻る。
途中にきれいな白い花が咲いていた。
DSC_9810.jpg
もう5月の半ばだから、ヤマザクラではないはず。何だろう。

100mほど登り返して、15分で東御荷鉾山(1246m)に到着。
DSC_9826.jpg
西よりも40mほど低いが、投げ足峠からだと50分もかかった。

頂上のすぐ手前で、は小さな子供のいる家族連れ4人が日陰の地べたに座ってお昼を食べていた。
頂上のベンチは2人しかかけられない上に、日が燦々と照りつけているから、避難したのだろう。こちらは暑さとブンブンうるさい虫を我慢しながら、このベンチで昼食。
今日は、おにぎりとお稲荷さんにした。
ここでもやはり不動尊が下界を睥睨していた。
DSC_9824.jpg

眺望はちょっと草木の丈が伸びて、見えにくかったが、奥多摩の稜線を望めた。
DSC_9822.jpg
20分ほどの休憩で出発。投げ足峠からは林道を通って、南登山口に戻る。

途中、尾崎喜八(1892~1974)の文学碑があった。
DSC_9851.jpg
喜八は長野勤務時代に知った人物だが、山を愛した白樺派の詩人である。

この碑には『雲と草原』所収「神流川紀行」の中で詠んだ歌や一節が刻まれている。
「父不見(ててみえず)御荷鉾も見えず神流川星ばかりなる万場の泊り」
「父不見」とは父不見山のこと。
喜八が1938年頃、このあたりを訪ねた時の風景などが、飾り気のない文章でつづられている。

駐車場に戻ってくると、少し高い位置から、八ヶ岳がはっきりと見えた。
DSC_9853.jpg
これもいい角度、絶妙の距離感である。

車はやはりロックを忘れていたが、被害には遭わずに済み、ホッとする。
家を出た時は、東西の御荷鉾山を登って帰るつもりだったが、山頂で地図を見ているうちに、ほかに3つ、30分前後で登れる山が近くにあることに気づいた。
桐ノ城山、オドケ山、赤久縄(あかぐな)山の3座である。

幸い、まだ日も高く、体力にも余裕がある。
こんなつまみ食い登山はリハビリ期間だからこそ許される。
まずは最も近い桐ノ城山に向かう。
登山口には3台駐車可と地図に書いてあったが、大きなワゴン車が真ん中にドカンと駐めてあるので、その脇に駐めるのに随分苦労した。
DSC_9863.jpg

桐ノ城山へは、約1km、20分の道のり。
最初は廃道化した林道を行く。
DSC_9864.jpg

緩やかに登って、一旦40mほど下り、その分、一気に登り返したところが頂上(1042m)。
DSC_9875.jpg

ただ、その名の通り、中世には山城として利用されたのだろう。
DSC_9870.jpg
斜面を切り崩して築いた、こんな曲輪の跡も確認できた。
樹林帯で眺望もないので、すぐに引き返す。
登山口に戻ってきたところで、ちょうど1時。往復35分。

また車に乗って、こんどはオドケ山の登山口に移動。
間もなく、車が2台駐まっている広場があり、その脇に「オドケ山→」との道標があるので、ここから歩き始める。ここが秋葉峠だった。
地図の記載と道の方向が違うのが気になったが、道はしっかりしているし、このまま進む。
DSC_9888.jpg

新緑の向こうに、おにぎりのような山容のオドケ山が見える。
DSC_9889.jpg

斜面に取り付くと結構きつい。
でも、青空がとてもすがすがしい。
DSC_9895.jpg

13:30頂上着。石の祠が2つある。
DSC_9898.jpg
標高は1191m。御荷鉾山という場合、東西の御荷鉾山とこのオドケ山を加えて総称することがある。その三つの峰「三株」「三ヶ舞」が「みかぼ」山の由来という説もあるらしい。

少々くたびれたので、階段に腰を下ろして休み、お菓子を食す。
ここもそれほど眺望はよくない。

ピストンはいやなので、最近はあまり歩かれていない、西側の登山道を下る。
ヤブをこぐほどではなかったが、道が斜めになっているので、左脚を痛めないよう警戒した。
木の間から、これから登る赤久縄山が顔を出していた。
DSC_9906.jpg
本来の登山口に下りてきて、林道をさっきの駐車場まで戻る。時間は13:55。往復というか周回に50分。

またまた車に乗って、赤久縄山の登山口に向かう。ほんとに、つまみ食いだ。
途中の塩沢峠(1073m)には、バイクの集団が休んでいたので通過。

この先の分岐を右に、「みかぼ森林公園」に入っていく。
DSC_9919.jpg

北に突き出たヘアピンカーブのところに展望台がある。
東屋があり、ここからは北関東の山々が望める。
春にしては、今日は空気が澄んでいたが、かなり霞んできた。
DSC_9933.jpg

西御荷鉾山(左)とオドケ山(同左)
DSC_9929.jpg

すぐに車に戻る。赤久縄山(1522m)も登り口が東西北と3か所ある。
DSC_9947.jpg

東から登って、西に下り、林道を戻ってくるつもりだったが、東登山口におばさんが2人座り込んで遅いお昼を食べていたので、思わず通過。
北口から登ることにする。
これは東口から見た赤久縄山山頂付近。
DSC_9944.jpg

北口からはササ原を行く形になる。
DSC_9949.jpg

ここは1500mと標高も高いこともあり、まだコバイケイソウが芽吹いたばかりだった。
DSC_9955_20130516104251.jpg

頂上にはわずか10分で到着。
DSC_9959.jpg

南から東が開けている。
とくに、東に見える東西の御荷鉾山の眺めが見事だ。
DSC_9964.jpg
尾崎喜八はこの姿を「二座の美しい乳房のような山」「東西二峰の円錐形を姉妹のようにならべていた」と讃えている。確かに乳房のようだ。それも相当にグラマーだ。

ここには、なんと一等三角点がある。
一等三角点は全国に1000点弱しかなく、二等が5000、三等が3万か所あることを考えると、貴重な存在。
約40kmごとに配置され、柱石も一遍18cmと、二等以下よりひとまわり大きい。
DSC_9963.jpg

ここもピストンはせず、西登山口に下りる。
途中、見納めの八ヶ岳。
DSC_9972.jpg
林道を経由して、車に戻る。ここは所要わずか35分。
手術後でもなかったら、申し訳なくてとてもこんな歩き方はできないだろう。

帰る途中に「みかぼ森林公園」の管理事務所に寄る。
考えてみたら、今日は歩き始めてから、6時間近く、全く尿意を催さなかった。
そんなに汗をかいてもいないのに、不思議なことだ。
まだしたくないのだが、ちょうどトイレがあるので、済ますことにした。

さて、これで本日の山行は終わりのつもりだったが、さっきの展望台を距離にして100m程登ると、山の神の丘というピークに達することを、道標で発見。
地図を確認すると、1310mの三角点の記号があるではないか。
これは、十分「登った山」の資格がある。
登り口から、ものの5分もかからずに、また1つ稼いでしまった。
DSC_0008.jpg

頂上には標識がない代わりに、石碑が3つ並んでいた。
DSC_0010.jpg

正真正銘、これでおしまい。
正味4時間ちょっとの歩行で、山を7つも稼いでしまった。
リハビリしては上出来である。
しかも奇跡的にスリップが一度もなく、左脚も無事だった。

「みかぼ高原荘」の湯には入れなかったので、秩父まで戻ってきて、横瀬の「武甲温泉」で汗を流して帰った。
DSC_0044_20130516110258.jpg


【行程】
西御荷鉾山南登山口(9:35)~西御荷鉾山(10:00撮影10:10)~投げ石峠(10:30)~釜伏山(11:00)~東御荷鉾山(11:15昼食11:35)~投げ石峠(12:00)~南登山口(12:20)=桐ノ城山登山口(12:25)~桐ノ城山(12:40)~登山口(13:00)=オドケ山登山口(13:05)~オドケ山(13:30休憩13:35)~登山口(13:55)=みかぼ森林公園展望台(14:10撮影14:15)=赤久縄山北登山口(14:30)~赤久縄山(14:40撮影14:45)~北登山口(15:05)=展望台(15:20)~山の神の丘(15:25)~展望台(15:30)=塩沢峠(15:45撮影15:50)
※所要時間:5時間55分(歩行4時間15分)


このページのトップへ

官ノ倉山・金勝山

昨日のリハビリ山行で早くも左脚を傷めてしまった。
一晩明けても、まだ痛みが残っていたので、本日(5月6日)の山行は中止し、録画してあった「北の国から 83年夏」を朝から見ていた。
見終わって、トイレに下りると、あれあれ、痛みがほとんど消えている。
これは行ける!という気持ちと、いやどうせまた歩くと痛みがぶり返すから今日は止めておいた方がいい、という気持ちが一瞬ぶつかったが、行きたい気持ちが圧倒的にまさった。

時間はすでに10時前。あわてて着替えて、昨日からゴアとタオルを入れっぱなしのザックをかついで、車に乗り込む。
実は、退院後初めての運転だ。追突されると怖いので、装具は着けて行く。
10時出発。目的地は小川町の官ノ倉山(345m)。八高線竹沢駅か東武竹沢駅からほぼ2時間程度で周回できるハイキングコースだ。
初日は200m級の山だったので、2回目は300m級の山ということで、あらかじめ考えておいた。
電車の便もいいが、この日は出発が遅れたので車にする。

時間を節約するため、遠回りだが、高速を使う。
車を駐める場所として想定しておいた諏訪神社には、11:20に到着。
DSC_9482.jpg
軽く準備体操をして、5分後に出発する。

正面には、官ノ倉山の東隣にあるほぼ同じ高さの石尊山(344m)が見える。
DSC_9484.jpg

のどかな田舎道をしばらく歩く。
DSC_9490_20130514102814.jpg
今日も天気はすこぶるいい。ただし、春霞で遠望は期待できなそうだ。

この道は外秩父七峰縦走コースになっている。
DSC_9494.jpg

確か小川町駅がスタートだから、官ノ倉山が最初の1峰ということになる。
大会の日は大勢の人が渋滞のようになって、この道を歩くわけだ。
DSC_9499.jpg
そういうイベントが楽しいという人もいるのだろうけど、私は好まない。
人はなるべくいない方がいい。

北向不動の手前に登山届のポストがあった。
DSC_9502.jpg
じぇじぇ、こんな低山にもあるのか。

数分で北向不動。左手の崖に○○童子と書かれた石碑が林立しており、その上に小さなお堂がある。
ここ笠原の里は、地味に乏しく、水利も悪い土地で、庄屋さんは村人から年貢をとらず、自分の山の産物で立て替えていた。
しかし、ある年とうとう年貢が支払えなくなり、全村で離村する際、戸数にちなみ36の童子を残すことにしたのだという。
DSC_9509.jpg

この先で、いよいよ登山道となり、傾斜も増していく。
DSC_9523.jpg
尾根にたどりついたところで先行していた家族連れを抜かす。
登山口のトイレで挨拶した方々だが、北向不動を参拝している間に抜かれてしまったのだ。

この先は木の根が入り組んだ急坂。
DSC_9525.jpg
えっちらおっちら、ゆっくり登る。
さっきの子供たちの元気な声がすぐ後ろから聞こえる。

最後の鎖場を登り切ると、石尊山の山頂だ。12:10。
DSC_9529_20130514102758.jpg

ここにはその名の通り、石の祠がいくつかある。
DSC_9531.jpg

休んでいた方に、早速、写真を撮ってもらう。
DSC_9532.jpg
大した疲れもなく順調だ。

ここからは周辺の低山が見えるのだが、特徴がなさすぎて、うまく同定できない。
まあ、これが次に登る官ノ倉山であることは分かる。
DSC_9535.jpg
さっきの家族連れも間もなく到着したので、進んで写真を撮ってあげた。

ここにはベンチが一つしかなく、先客がいたので、お昼は官ノ倉山で食べることにして出発。
細い尾根道をいったん下り、同じだけ登り返す。
DSC_9545.jpg
10分で官ノ倉山に到着。
ここにはいくつかベンチがあり、空いている場所に座らせてもらった。
やっと、昼食にありつける。と言っても、またコンビニおにぎりである。

座っていると正面に石尊山が見える。
DSC_9550.jpg
すでに緑がとても濃い。ここまで脚の痛みもぶり返すことなく順調だ。
本来なら、ここから筑波山や日光連山が見えるらしいが、本日はやはり望むべくもない。
この季節はなかなかむずかしい。

まもなくさっきの家族連れが到着。お母さんと子供2人が、同じベンチに座る。
子供たちはGWの宿題なのか、景色の絵を描き始める。
お姉ちゃんは真面目だが、弟の方がだだをこねている。
お母さんは「今描かないと忘れちゃうでしょ」と叱っていたが、お父さんは「いいんだよ。自分の責任でやらせれば」と突き放す。
ほほ笑ましい家族の図だ。

なんだか、ほっこりしていたら、ボクがあめ玉を2個くれた。
「あら、ありがとう。こちらからあげるものが何もなくて、ごめんね」
「いいえ、さっきは写真を撮ってくれてありがとうございました」とお母さん。
なんかうち解けた気分になったので、調子に乗って、お父さんに写真を撮ってくれとお願いする。
DSC_9564.jpg
お腹もふくらんだので出発(12:45)。

下りはかなりの急坂だ。
痛みが出ないよう慎重に下っていたが、浮石で5cmくらいスリップした瞬間、グキっ。
また激痛が走った。
やはり変な負荷がかかると発症するらしい。それでも昨日よりは軽く、そのままわりと楽に下り続けることができた。

間もなく十字路に出る。官ノ倉峠だ。
ここを直進すると烏森山、細窪山へと縦走できるが、まだリハビリは始まったばかり。無理はしない。車からも遠ざかる。

うっそうとした森の中を下っていくと天王池に出る。
DSC_9575.jpg
灌漑のために作った人工池だが、対岸の緑を映して実に美しい。

山には萩の花が咲き誇っていた。
DSC_9580.jpg

ふもとの宮ノ入の集落では、まさにこれから田植えという季節。
DSC_9589.jpg
のどかな光景だ。

大きなスギのある三光神社を過ぎて
DSC_9604.jpg

舗装道路を黙々と歩く。振り返ると、右奥に石尊山と官ノ倉山が見えた。
DSC_9611.jpg

国道254号線に出ると、ここら辺は東武線と並行しているあたり。
ちょうど電車が走ってきた。
DSC_9627.jpg

13:50に車を置いたおいた諏訪神社に到着。
それなりに疲れてはいたが、もうひと山登ることにする。
竹沢駅の北に横たわる金勝山(264m)である。
この山は「新・分県登山ガイド 埼玉県」に、官ノ倉山とセットで掲載されていたので、知った山だ。昭文社の地図「奥武蔵・秩父」には、ギリギリ範囲外で載っていない。

車を竹沢駅の駐車場に移動して、駅北側の道路に出るため、駅構内を横断する。
DSC_9633.jpg
しかし、急がば回れとはよく言ったもの。
線路の砂利の上を歩きながら、石が動いて、また左脚に激痛。
線路を渡ったと思ったら、今度は道との間に用水路があり、これを飛び越さなくてはならない。
肩から下げていたカメラを首にかけ直そうとした際、肩ひもをめがねに引っかけてしまい、あやうくめがねをどぶに落とすところだった。

気を取り直して、金勝山に向かう。
このあたりも、雰囲気のいい農村だ。
DSC_9637.jpg

金勝山は、小川げんきプラザとして遊歩道などが整備されている。
DSC_9645.jpg

こんな、すてきな果樹園を経由して(まだ当然、実はなっていないが)
DSC_9648.jpg

登山口から20分ほどで、プラネタリウムのあるげんきプラザの本館に出る。
DSC_9657.jpg
車の中にペットボトルを忘れてきてしまったので、ここの自販機でリアルゴールドを買って飲み干す。ああ、生き返る。

ここから、若干展望が開けている。
これが、奥武蔵の堂平山(左)と笠山(右)。
DSC_9660.jpg

さっき登った石尊山(左)と官ノ倉山(右)。
DSC_9661.jpg

ここから少し下って登り返すと、裏金勝山。
DSC_9665.jpg

げんきプラザの案内板に、その名があるが、これを「登った山」に数えるには、ちょっと気が引ける。金勝山に近すぎるのだ。
でも、看板があったら、数えることにしようと思っていたら、なんとこんな巨大な看板が。
DSC_9666.jpg
これではさすがに無視するわけにはいかない。苦笑い。

またまた少し下って、ひと登りで金勝山(14:35)。
DSC_9670.jpg

ここからは小川の町並みが一望できる。
DSC_9672.jpg
結構、高いマンションが建っている。
しばし、ベンチに腰掛けて休憩。

あとは下るだけだが、またもや岩場の急坂。
DSC_9678_20130514102612.jpg
普段なら何てことないのだが、今は左脚に爆弾を抱えている。
ゆっくりゆっくり下る。

中腹まで下ってくると、なんと避難小屋がある。
DSC_9681.jpg
結構な広さだ。ここで泊まる人はおそらくいまい。
小学校の遠足などで雨が降った時など、一時的に避難する場所などとして使われているのだろう。
中には黒板があった。

あとは黙々と下り、15分ほどで下界に出た。
この山では結局、誰とも会わなかった。
東武竹沢駅前を通って
DSC_9697_20130514102550.jpg

昭和っぽい中華屋さんを過ぎ
DSC_9702.jpg
15:15、JR竹沢駅に到着。無事、リハビリ山行第2弾を終了した。
しかし、左脚がこのままでは、高い山に登るのはおぼつかない。
歩きながら直すしかないか・・・


【行程】
諏訪神社(11:25)~北向不動(11:45)~石尊山(12:10休憩12:15)~官ノ倉山(12:25昼食12:45)~天王池(13:10)~諏訪神社(13:50)=竹沢駅(14:00)~げんきプラザ本館(14:25)~金勝山(14:35)~竹沢駅(15:15)

※所要時間:3時間50分(歩行3時間15分)


このページのトップへ

天覧山

手術後3か月は、山登りは自粛してください、と医者に言われていた。
そのつもりでいた。
でも、退院時にもらった「注意書き」には、「3か月間、激しい運動は避けてください」とあった。
医者は「自分は山に登ったことがないので、分からないけど」とも言っていた。それと、「飲んでもいいけど、転ばないようにして下さい。首がグキっとなるのが一番よくないんです」とも。
それらを総合すると、激しい運動というのは、サッカーとかランニングとか首に強い負荷がかかる運動はよくない、と判断できる。つまり、転ばないよう山を歩く程度なら問題ない。そういう結論に達した。

とは言え、首だけでなく、骨盤から骨を移植するため、左脚の付け根にもメスが入っている。脚力の心配もあるし、無論、転ばないような山を選ばなければいけない。

というわけで、所沢の我が家から最も近い超低山、飯能の天覧山(195m)をリハビリ登山の第一歩に選んだ。
ほとんど記憶に残っていないのだが、1991年5月にまだ3歳の息子を連れて、家族で登った記録が残っている。22年ぶりの再訪ということになる。

手術は4月15日に行った。
昨年の夏から左腕にひどい痛みとしびれを感じるようになり、整形外科の診察を受けたら、頸椎の損傷による神経痛との診断だった。
痛み止めを処方され、一旦痛みは治まったのだが、秋に帯状疱疹を起こしてから、神経痛が再発。薬も全く効かなくなった。医者に訴えると、薬を増やすだけで、埒があかない。
「なんか物理的な対策はないのか」と聞くと、東京都済生会中央病院の専門医を紹介してくれた。
そこで、CTを撮ったところ、第5頸骨と第6の間の椎間板がヘルニアになっており、第5頸骨自体も尖って、背後の神経を圧迫していることが判明。
ブロック注射を2回ほど打ってみたが、これも効果なし。
結局、MRIを撮った上で、手術に踏み切ることにした。
病名は「頸椎椎間板ヘルニア」。原因は老化だそうだ。

3月に検査入院をして、骨髄造影を行う。
この時、造影剤を打ち込んだ骨髄から髄液漏れを起こし、1週間ほど猛烈な頭痛に悩まされたが、なんとか乗り越え、4月13日に入院。
15日に手術。その夜は、左腕の激痛で全く眠れなかった。
左腕の痛みを取るための手術なのに、逆に痛くなるなんて。首や骨盤の傷口が痛むなら話は分かるが。これは手術が失敗したのでは、と情けない気分になったが、手術によるむくみが神経を圧迫していただけで、翌日からはほぼ痛みはなくなった。

入院中もいろいろあったが、それは省略するとして、歩行のリハビリも順調に進み、予定通り、4月24日に退院することができた。
でも、野外を長く歩いてみようかと思ったのは、やっと5月3日になってから。
それで、5月5日の天覧山ということになった次第だ。

超近場なので、目が覚めるまで寝て、9時過ぎに自宅を出発。
飯能駅を出発したのが10:05だ。
DSC_9151.jpg

天候は快晴。風もなく暖かい。
天覧山の登山口までは徒歩20分ほど。途中の飯能大通り商店街は古くからの街道のようで、古い建物がいくつか残っていた。
これは飯能織物協同組合の事務所。大正11年の建築だそうだ。
DSC_9153.jpg
寄せ棟屋根に乗るしゃちほこが印象的だ。

こんな瀟洒な歯科医院も見つけた。
DSC_9157.jpg

蔵造りの重厚な建物もあった。明治37年築というから、もう100年以上たっている。
DSC_9171_20130513130409.jpg

商店街が突き当たりの飯能市中央図書館で尽きると、右折して、すぐ左に観音寺が見えてくる。
DSC_9193.jpg

ここにはゾウの像があるが、由来はよく分からない。
DSC_9186.jpg
それにしても、めずらしい。

墓地を抜けて、天覧山の登り口に向かう。
DSC_9199.jpg

市街地を通るので、どこかにコンビニがあるだろうと思って、買い物をして来なかったのだが、とうとう登山口に着いてしまった。
あせったら、登山口の脇に、コンビニ風のよろず屋があり、ほっと胸をなで下ろす。
ここでおにぎりを買うと、店のおじさんが「昨日、アド街で飯能をやったばかりだからね。今日は人が多いよ。普段の3割増しかな」と言う。

ここまで人がそこそこ多いのはGWのせいだと思っていたら、そんな理由もあったのか。
まあ、もともと天覧山で静かな山歩きは望んでいないので、別に構わない。
DSC_9209.jpg
さて、ここから登山開始。時間はもう10:50だ。
寄り道したとは言え、20分のところ、45分もかけてしまった。

天覧山はもともと愛宕山とか羅漢山と呼ばれていた。今の名称は、明治16年に明治天皇が飯能で行われた近衛諸兵対抗演習を観閲した際、この山に登り、開口一番「ああよい景色」とつぶやいたことに由来するという。わりと新しい命名なのだ。

しばらくは舗装された遊歩道を歩く。
DSC_9219.jpg

1か月半、山からご無沙汰しているうちに、すっかり木々は青くなってしまった。
今でも1500m級の山に登れば、新緑を楽しめるのだろうが、この体ではまだ早い。
今年の新緑は諦めるしかない。

途中、つつじのトンネルがあった。
DSC_9225.jpg
つつじは歩道の植え込みでしか見たことがなかったが、こんなに背が高く成長する木だったんだ。

15分ほどで、天覧山「中段」に着く。
DSC_9232.jpg

ここは大きな広場になっているが、ご覧の通りで、ここにはほとんど人がいない。
DSC_9226.jpg
アド街では「天覧山」が2位、「飯能河原」が1位になったそうだが、多くの人は河原の方に繰り出したのであろう。そう言えば、飲み物の段ボールを抱えた若者のグループが川に向かって歩いていた。

中段から少し登ると、十六羅漢が岩場に安置されている。
DSC_9243_20130513130329.jpg
五代将軍綱吉が病にかかったおり、心配した生母の桂昌院が親しかった飯能出身の大名・黒田直邦に相談した。直邦は愛宕山のふもとにある菩提寺の能仁寺の和尚に祈祷を頼み、その霊験により、たちどころに綱吉は平癒したという。喜んだ桂昌院は能仁寺に十六羅漢を寄進、以来、この山は羅漢山と呼ばれるようになったとのこと。のちに天覧山になったのは前述の通りだ。

しかし、こんな低い山にも、こんな岩場があることに、少々驚く。
DSC_9237_20130513130327.jpg

岩場を過ぎると、展望が一気に開ける。
あの特徴的な山容は、奥多摩の山座同定の目印となる大岳山。
DSC_9255.jpg

これは飯能市街。
DSC_9257.jpg

そして11:15、山頂に到着。
DSC_9280_20130513130306.jpg
さすがに結構な人出だ。

山頂からの眺めは格別である。これは奥多摩の御前山。
DSC_9266.jpg
本来なら、丹沢や富士山も見えるはずだが、春霞のため遠望はきかなかった。
つつじが見事に咲いていた。
DSC_9278.jpg

立ち去る直前に、記念撮影。
DSC_9282.jpg
首に巻いているよだれかけみたいなのが、コルセットというか装具。
よく見る肌色の生々しいのと違って、ちょっと格好いいらしく、ターミネーターとかサイボーグと呼ばれている。
これを5月いっぱいは着けていなくてはいけない。
首に汗をかくと気持ち悪いのではないかと思っていたら、そうでもない。そんなにうっとうしくなかったのは幸いだった。

せっかく来たのにこれで帰ってしまってはもったいない。体力にもまだ余裕がある。
しかも、ここだけだと通算の「登った山」の数が増えない。
ということで、すこし西へ足を延ばし、多峯主(とうのす)山まで縦走することにする。
道はいくつかあるが、北側の尾根道をたどることにする。
歩きやすい、すがすがしい道だ。
DSC_9287_20130513130236.jpg

分岐で、尾根から離れ、一旦谷に下る。
DSC_9293.jpg

下りきったところは湿地帯で谷津田と呼ばれる。
DSC_9295.jpg

ここからまた登り返すが、その道が「見返り坂」。
DSC_9301.jpg
義経の母・常盤御前がこの山を登った時、あまりの風景のよさに振り返り振り返り登ったことが由来という。どこにでもありそうな伝承だ。
かつて、この程度の山は、立木が燃料に使われて、そんなに高い木がなかったのであろう。
今は木々が大きく茂り、振り返っても人の姿しか見えない。

しばらく行くと、多峯主山らしきピークが見えてきた。
DSC_9308_20130513130244.jpg

まっすぐ登らず、雨乞池を経由する。
DSC_9315.jpg
この池は山の頂上近くにあるのに、いまだかつて枯れたことのない不思議な池で、昔は日照りが続くと、ここに村人が集まって、雨乞い神事を行ったという。
水を汚すと雨が降るらしい。今は十分、汚れている。

ここからは黒田直邦候の墓を経由して、急坂とひと登りすれば山頂なのだが
DSC_9319.jpg

先に、近くにある御岳八幡神社に寄り道することにする。
DSC_9325.jpg

由来などは、これを参照してください。
DSC_9326.jpg

引き返して、山頂へ。12:25到着。標高は271m。
DSC_9337.jpg
ここもかなりの人出。
でも、なんとかベンチの一角を確保して、お昼にする。
おにぎり2つとお茶のみ。日差しがかなり暑い。

展望はなかなかよい。
これは高麗方面。
DSC_9338.jpg

こちらは奥武蔵の稜線。
DSC_9343.jpg

有間山(左)と伊豆ヶ岳(右)
DSC_9342.jpg
伊豆ヶ岳の後ろには、ちょうど武甲山が隠れているはずだ。

あちらは広大な関東平野である。
DSC_9351.jpg

で、さっき登った天覧山。
DSC_9352.jpg
こうして見ると、お饅頭のような山だ。

これはクライミングの練習場にもなっている日和田山。
DSC_9354.jpg

山頂の経塚に別れを告げ、
DSC_9340.jpg
12:40出発。

昭文社の地図には、多峯主山のすぐ西に「大黒山」の記載がある。
どの地点がピークなのか、この地図だけではよく分からないが、「登った山」をもう一つ稼ぐべく、進路を西にとる。

しかし、下り始めてすぐ、急な岩場の坂で、左足の付け根の筋肉を痛めてしまった。
わずかなスリップで、激痛が走った。
手術の傷口とは離れているが、同じ左足である。
何らかの関連がありそうだ。

とにかく、そこに立ち止まり、手でしばらくマッサージする。
痛みが和らいできたところで、再び下り始めたが、手を当てていないと痛い。
う~む、体力は徐々に回復して、いずれ高い山にも登れそうなのだが、別の課題を抱えてしまった。

だましだまし下っていく。
下りきった先は、「造成中のため立ち入り禁止」の看板が。
無視して進む。
左手には造成中の(もしくは造成後、買い手のない)分譲地が見下ろせる。
DSC_9356.jpg
平らな道や登りはそれほど痛みを感じない。

大黒山の記述があるあたり、小さなピークが3つくらいあるが、案の定いずれにも標識はなく、特定はできなかったが、登った山に数えることにする。
DSC_9355.jpg
(これが、それらしきピーク)

多峯主山に戻り、北側の尾根コースを下る。
こちら側は鎖場になっているが
DSC_9362.jpg
子供用ということになっている。

左足の付け根を手で押さえつつ急坂を下ると、また快適な道。
DSC_9365.jpg

再び、谷津田を経由して能仁寺に向かう。
8の字形に歩き、なるべく同じ道を通らないようにする。谷津田はクロスしただけだ。
ここまで来ると、もうほぼ平らな道。
DSC_9378.jpg
お散歩にちょうどいいコースだ。

能仁寺には13:40に着いた。
DSC_9388.jpg
ここは幕末の飯能戦争のおり、彰義隊から分かれた振武軍が本営とした場所で、慶応4(1868)年5月22日の戦闘で、灰燼に帰してしまった。
本堂は昭和11年の再建だそうである。

山門をくぐって出たところで、家族連れに天覧山への登り口を聞かれる。
昨日テレビを見て来たのだろうか。能仁寺経由の行き方を教えてあげた。

こちらは、アド街1位の飯能河原に向かう。
子供が小さい頃、川遊びと言えば、名栗まで行った。
ここは混んでいそうだし、水もそんなにきれいじゃない気がしたので、行こうと思ったことはない。今回は初めてだ。

河原への坂を下りていくと茶店がある。橋本屋。
DSC_9425.jpg
そそられたが、写真だけにする。

河原はそれなりに賑わっていたが、芋の子を洗うというような感じではない。
DSC_9436.jpg
やはりシーズンは夏なのだろう。

階段を上ると、中央図書館に出た。
ここからは飯能ぎんざを通って駅に向かう。
この通りにも、レトロな建物があった。
DSC_9465.jpg

これは、いかにも昭和な八百屋さん。
DSC_9460.jpg

14:30、飯能駅に到着。4時間半にわたるリハビリ山行を終了。
体力、脚力的に5時間程度の山歩きは可能であることが分かったが、足を痛めてしまったのが、どうなるか。
一抹の不安を覚えたのであった。



【行程】
飯能駅(10:05)~登山口(11:50)~天覧山(11:15休憩11:25)~多峯主山(12:15昼食12:40)~大黒山(12:50)~能仁寺(13:45)~飯能河原(14:05)~飯能駅(14:30)
※所要時間(4時間25分、歩行3時間50分)
このページのトップへ

退院しました

頸椎の前部固定術という手術を4月15日に行い、24日に無事退院しました。

自宅療養の期間もなく、いきなり翌日から出勤。
入院前より忙しいので、少々へばってます。

首には装具を巻いており、ものものしい格好ですが、これも大事なければ、5月いっぱいで取れるとのこと。
まだ疲れやすいので、山への道のりは遠いですが、少しずつリハビリをしていきます。


このページのトップへ

FC2Ad

プロフィール

かたこりまさかり

Author:かたこりまさかり
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (4)
北海道の山 (124)
東北の山 (62)
上信越の山 (139)
奥多摩の山 (55)
丹沢の山 (55)
奥秩父の山 (83)
栃木の山 (32)
房総・常陸の山 (9)
奥武蔵・秩父の山 (87)
中央線沿線の山 (96)
富士山周辺の山 (60)
八ヶ岳周辺の山 (54)
南アルプス (100)
史跡歩き (11)
中央アルプス (27)
北アルプス (45)
日本海の山 (8)
関西の山 (30)
四国九州の山 (61)
駅舎の旅 (26)
ドライブ (9)
廃線の旅 (12)
駅から散歩 (17)
乗り鉄 (38)
島の旅 (19)
山村の旅 (7)
超低山 (28)
東海の山 (2)
つぶやき (35)
旧道歩き (29)
伊豆の山 (39)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR