3月16日(土)は高校の同窓会の仲間と栃木へ岩トレに行く計画を立てていたのだが、最近、左腕の神経痛がひどく、腕を使う山登りをする自信がなくなり、キャンセルしてしまった。
夕方には、板橋へ娘のダンスライブを見に行かないといけなかったので、足だけで登れる近場ということで奥武蔵は関八州見晴台を選択した。
西武秩父線西吾野駅に8:54着。

この日は、西武線と東急線が相互乗り入れする歴史的なダイヤ改正の日で、飯能駅には飯能発元町・中華街行きの電車を撮影するテッちゃんたちで賑わっていた。
東横線の渋谷駅も地下に移るとのこと。学生時代になじんだ風景が変わってしまうのは寂しい気もするが、時の流れというものだろう。
私は、今日は「鉄」ではなく「山」である。
ここでたくさんのハイカーが下りた。多くは高山不動を経て、関八州見晴台を目指すのだろう。もしくは子の権現に行くのかもしれない。
軽く体操をして、9:05に出発。いい天気だ。
しばらくは車道歩き。落ち着いたたたずまいの山村に、梅がみごとに咲いている。

15分ほど歩いた先の間野集落から登山道となるが、高山不動へ行くには2本の道がある。
茶屋の吾笑楽の脇から入るパノラマコースと、萩ノ平茶屋跡を経由するコースである。

私は後者を選んだが、入り口がよく分からない。
すこし車道を登って、左へトラバースする小径があったので、それをつたっていくと、登山道に合流できた。

2万5000分の1の地形図を見ると、尾根を直登しているように見えるが実際は、実際はつづら折れになっており、それほどきつくはない。
間野が標高約250m。関八州見晴台は771mだから、520mほどの登りだ。
よく歩かれて、大きな溝のようになった道を行く。

途中、椿が咲いていた。

間野から30分ほどで、萩ノ平茶屋跡に到着。

「跡」というから、基礎が残っている程度にしか想像していなかったが、ちゃんと建物が残っていた。
ベンチもあり、休もうと思えば今でも休憩できる。
それにしても、ここで営業ができた時代があったんだなあ。
しかも、ごく最近までのことのように思える。
儲けなど考えず、趣味でやっていたけど、年を取ってできなくなってしまった、みたいな感じなのだろうか。
「留守中」とある看板からは、いずれ再開したいという気持ちも読み取れるのだが。

こちらは写真だけ撮って通過。
間もなくパノラマコースと合流する。石地蔵と呼ばれる場所だ。

その名の通り、天保年間に安置された石仏と道標があった。
道標には「右 子の古んけん(子ノ権現)」と刻まれている。
この道は、かつての生活道路であり、信仰の道でもあったのだろう。
ここから尾根沿いを東に進む。
途中、奥武蔵グリーンラインに沿った峰々が木々の合間から見える。

石地蔵から25分ほどで、高山不動の門前に出た。
ここは展望台になっており、奥多摩方面の山々を望むことができる。
富士山が、棒ノ嶺の右肩にほんのちょっぴり顔を出していた。

中央は大岳山。

こちらの中央奥は川苔山、左手前に子ノ権現のある山。

中央奥の突起が蕎麦粒山、その手前に有間山、中央右奥は三ツドッケ、右手前が伊豆ヶ岳。

だんだん、このあたりの山座同定はできるようになってきた。
ちょうどいいベンチがあったので、ここで一服。素晴らしい景色を堪能しながら、おにぎりを一つ食べる。
今日は、不動茶屋でお昼の予定なので、おにぎりは一つしか買って来なかった。
門前には巨大なイチョウの木がそびえている。

高さが37mもあり、樹齢は800年と推定されている。
1830年に、山内75棟の堂宇が焼けた際にも生き残った、歴史の生き証人である。
昔からこの木に祈願すると乳の出がよくなるので「子育てイチョウ」とも呼ばれているという。
振り返ると、高山不動への階段。

高山不動は正式には、常楽院不動堂といい、現在の建物は、焼失後幕末にかけて建てられたものだ。


結構、巨大な建築だ。
高山不動にお参りするのは、たぶん初めてである。
学生時代は何度も近くまで来ていたのだが、自転車で走り抜けるだけで、ここまで足を延ばした記憶がない。
ここからの展望も、すこし高くなった分、見応えがある。

お参りも済んだので、「登った山」を一つ稼ぎに行く。
近くに虚空蔵山(619m)という小ピークがあるのだ。
地形図を頼りに車道から山に分け入ると、ちゃんと踏み跡があった。
木々の合間から、高山不動の屋根が。

そして5分ほどで山頂に到着。

名前の通り、虚空蔵様が安置されており、うれしいことに山銘板もあった。
気をよくして引き返す。
車道に戻って、西の方角を見ると、武甲山(左)と二子山(右)の間の奥に両神山が見える。

今日は春のわりに、なかなか空気が澄んでいる。
車道を少し歩くと奥武蔵グリーンラインに出る。ここに不動茶屋があるはず。
まだ11時過ぎだが、もうお昼にしてしまおう。
と、思いきや、どうも様子がおかしい。

な、なんとつぶれている!
シャッターは不届き者の落書きで埋まっている。
こんなにきれいな状態なのに、いつ店をたたんでしまったんだろう。

展望テラスからも、こんなに素晴らしい景色が見えるというのに。

それにしても困った。
さっきおにぎりを食べてしまったので、あと残る食料はコンビニの100円チョコとバナナ1本しかない。これでなんとか食いつながなくては、遭難してしまう。
とにかく、お腹が持ちこたえてくれることを祈りつつ、関八州見晴台に向かう。ここが標高650mほどなので、あと120mほどだ。

途中のほんの小さなこぶに「丸山」との標柱を見つけ、歓喜!

また「登った山」を一つ得してしまった。標高はええと、約700mか。
関八州見晴台には高山不動の奥の院があるのようだ。

まもなく頂上。

そして11:30に登頂。

関八州見晴台というのは、ハイキングがされるようになってからの近代の名称と思われるが、本当の山の名前は何というのだろう。
ここは北も開けているので360度のパノラマを楽しめるが、北の方はかなり霞んでいる。
でも、日光白根山(左)や太郎岳・男体山・女峰山(右)はかすかに見えた。

西は奥武蔵の山。右手前はツツジ山、左のアンテナが見えるのは丸山。

南の富士山はだいぶ霞んでしまったが、棒ノ嶺と富士山の間に御前山が姿を現した。

東屋があったので、そこで行動食。

バナナとチョコを少々。
お堂は奥の院である。食べ物も少ないので15分ほどで出発。
東の尾根筋を下る。

七曲峠を経て、車道まで下りてきたところが、花立松ノ峠。

ここから少しの間、車道歩き。道路が大きく尾根を迂回するところは山道があって、ショートカット。再び車道に出ると、そこは傘杉峠。

立派な標柱があった。自転車に乗っていた頃は山の数ではなく、峠の数を稼いでいたので、こんな標識があったら狂喜乱舞したことだろう。
この先はもうずっと車道歩きになる。
八徳という集落を経て、吾野駅に下る方針だ。

地形図で見ると、この八徳という集落は、山の斜面に張り付くように家が点在しており、だぶん桃源郷のようなところに違いないと踏んだのだ。
まずはこんな感じで登場する。

そして、椿と梅の競演。

これは牧草地だろうか。牛舎は見当たらなかったが。

ほら、やはり、すばらしいところだ。

この集落からは、奥多摩越しに富士山が見えるのである。うらやましい。
これは大きな桜の木。

まだ開花していないが、満開になると村人が集まって、花見をするに違いない。
ハイカーのために、ベンチも設置されている。
ちょうど今頃(3月28日)が満開だろうか。
週末にもう一度行ってみたい気もする。
どんどん下りてくる。
野には菜の花も咲いている。

もう春なのだ。
立派な石垣のある家を最後に八徳の集落は終わる。

あとは長沢川に沿った道を延々と歩く。
瀬尾集落の石地蔵を右に見て、なお進む。

だいぶ里に下りてきた。

それにしても、これだけ毎週野外活動をして花粉を浴びているのに、しかも花粉は昨年の5倍というのに、今年は花粉症の症状がほとんど出ない。
朝はぐずぐずになるので治ったわけではないのだが、軽くなっていることは間違いない。
おかげで春の里山を楽しめる。
国道299号の旧道に入る。ここは秩父往還の吾野宿だ。

ここまでチョコで食いつないできたが、さすがにお腹が空いた。
ここはちょっとした町だから、食堂があるかもと期待して、宿場町歩きを楽しむ。
なかなか味わいのある煎餅屋さんだが、もっとしっかりしたものを食べたい。何か、ないか。

う~ん、なつかしい自販機だこと。

昔はお医者さんだった、と思わせる洋館付きの住宅。

それなりに往事のたたずまいを残している。

しかし、宿場の端まで歩いたが、食堂はなかった。
しかたなく、ここで手を打つ。

別に名物とも思えない、おまんじゅうを2個(計200円)買い、歩きながらパクつく。
特別おいしいわけではないが、量があるのがありがたい。
宿場のはずれの河原に弁天様が祀られていた。

さて、2時すぎに吾野駅に着いたが、次の電車までまだ時間があるので、駅前にある法光寺を参拝する。

ここでは、東日本大震災で被災した宮城県名取市閖上の東禅寺にあった梵鐘を預かっているとのこと。

住職同士が修行時代の同期生だという縁によるものらしい。
1日も早い復興を祈る。
そして、吾野駅。

駅前に、こんな立派な茶屋があった。

うどんそばとあるので、ここまで我慢すれば、食事ができたのだが後の祭り。
入線してきた電車に乗って、帰宅しましたとさ。
【行程】
西吾野駅(9:05)~萩ノ平小屋跡(9:50)~高山不動(10:20休憩、参拝、撮影10:55)~虚空蔵山(11:00)~不動茶屋(11:15)~関八州見晴台(11:30休憩11:45)~花立松ノ峠(12:05)~傘杉峠(12:20)~八徳公民館(12:50)~吾野宿(13:55)~吾野駅(14:25)
※ 所要時間5時間20分(歩行4時間40分)
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3月10日、麦草ヒュッテ。
5時半に起床。6時半からの朝食までにパッキングを済ませる。
布団はそのままにしておけ、とのことなのでそうする。
朝食のお触れは随分早く、6時過ぎに回った。

ごく普通のメニューである。
この日、ここに泊まっていたのはなんと64人。団体さんが入っていたこともあるが、この人数はおそらく夏より多いのではないか。
夏にはすぐ横を国道が走っているので、縦走する人以外はわざわざ泊まらないだろう。
ここは実は冬の小屋なのかもしれない。
それはともかく、食堂脇には薪が積んであり、その小口に宿泊客がイラストやコメントを残している。

写真を撮っていたら、小屋の女将さんに「これ、いいでしょう。もったいなくて使えないのよ」と声をかけられた。
よく見ると、大したことは書いていないのだが、やはり常連さんが残したものということになると、思い入れがあるのだろう。
今日の天気は曇。午後からはひと雨来るという予報だ。
予定では、小屋でスノーシューを借り、白駒池、高見石、丸山を回って、ここに戻り、スノーシューを返却。お昼をいただいてから出発、茶臼山と縞枯山の西を巻く道を経由してロープウエーの駅まで歩くということにしている。夏タイムで4時間10分の行程である。
雨になったら最悪だと言って、まっすぐ帰った方もいたが、こちらはとりあえず当初の予定通り決行する。
スノーシューのレンタル料は1日1500円。
ストックもセットで借りられるが、カメラを下げて歩く私は借りなかった。
ストックなしのスノーシュー姿なんて、間が抜けている感がないではないが、仕方ない。

初めて履いてみたが、そんなに重くはない。
7:05出発。まだ青空が残っており、なんとか持ちこたえてくれそうな期待が高まる。

まずは、麦草園地の雪原を登っていく。
気温が高いので、雪質はもちろんさらさらではないが、べたべたでもない。
ザラメでもなく、いわく言い難い状態。表面はわりあい固い。
トレースのあるところを歩いても意味ないので、なるべく足跡のないところを歩いてみる。
多少は埋まるが、素足よりはずっといい。

でも、わざわざ体力を消耗させる必要もないので、基本的にはトレースを行くことになってしまった。
振り返ると茶臼山(左)と縞枯山(右奥)。

10分ほどで樹林帯に入る。

7:45、白駒池畔の青苔荘に到着。

ここは通年営業。でも、玄関前は屋根から落ちた雪が2m近く積もり、雪の階段で出入りするしかない状態になっていた。
木造の高原らしい山小屋で、ここにはコケ博士の小屋番さんがいるらしい。
昨夏はここで「ニュウ」のバッジを買った気がする。
で、白駒池。標高は2115m。
完全に凍結して、雪原になっている。

ここをスノーシューで横断するのが、今回の目的の一つ。
右前方には白駒荘と高見石(右上)が見える。

そして、あれがうわさのニュウ。

ちょっとした突起である。
1か所、氷に穴を開けてある所があった。

氷の厚さは30cmくらいか。
この穴は、小屋が使う水を調達するためのものだろうか。
さて気持ちよく池の上を歩く。
しかし、ここのところの高温が影響しているのか、壺足の底は水が滲んでいる。

あな、おそろしや。
これで氷が割れてしまうなんてことはないのは分かっているが、ちょっぴりドキっとした。
冬期休業の白駒荘は、しっかり雪に埋もれている。

これで、よくつぶれてしまわないものだ。
山小屋というのは随分頑丈に造られているのだろう。
玄関先に温度計があるのが見えたので、雪山を越えて、玄関まで下りてみた。
気温はなんとプラスの1℃。
昨日も暖かかったが、今日も冬の八ヶ岳とは思えない暖かさだ。
さて、ここからは高見石までの登り。

標高差は170mほど。
30分ほどで、高見石小屋に着いた。8:30。

まずは高見石の展望台へ。ほぼ1年ぶりの再訪。

昨年は完璧な天気だったが、今日は曇天でいまいち。
でも、近くの山はちゃんと見えた。
これはすぐ南の中山(2496m)。

こちらは、北に折り重なって見える蓼科山、茶臼山、縞枯山。

すぐ西にある丸山(2330m)。

あこがれのニュウ。

そして、白駒池。

気温1℃とは言え、風が強くかなり寒い。
写真だけ撮って早々に退散。小屋のテラスで休憩。
熱いココアをいただく。

休憩料を撮られるのをケチったので、体は温まり切らず。9時ちょうど、寒くならないうちに出発。
15分で丸山山頂。
ここからは中山の右肩から西天狗の山頂がちょっぴり覗いていた。

ニュウの背後が赤いのはなぜだろう。

麦草ヒュッテへの下りは、シリセードの連続。
ザックを小屋に預けてきたので、身ひとつ。
背中にザックはないし、スノーシューを上に持ち上げないといけないから、ほとんど、尻セードではなく、背中セード状態。おかげで、スピードもかなり出た。
濡れてしまうような雪質でなくて助かった。
散々遊んで、雪まみれになり、10時にヒュッテに戻ってきた。

スノーシューの感想は、と言えば、新雪、さらさら雪ではなかった分、本領発揮とはいかなかったのじゃないか。
来年、トレースのないコースを歩きたくなったら、購入するかもしれない。
はずすと、当然ながらやっぱり足は軽くなる。
まだ10時だし、雨も心配なので、小屋でのお昼は止めて先を急ぐことにする。
10:20出発。とうとう茶臼山にガスがかかってきた。

帰りは狭霧苑経由で、五辻に出ることも考えたが、トレースがないと大変なことになるので、素直に大石峠まで戻り、そこから左へ折れる道を選択。
峠の先、間もなく、オトギリ平という雪原に出る。

晴れていれば眺望もいいのだろうが、もうガスで何も見えないうえに、吹きさらしなので風が猛烈に強い。
この時ばかりは、あまり好きではない樹林帯に早く逃げ込みたいと切に願った。
オトギリ平の分岐で右折。ここからはしばらく樹林の中でホッとする。

狭霧苑への分岐である出逢いの辻を11時に通過。
地図をちゃんと見ていれば分かっていたことだが、ここからロープウエーの駅まで延々とだらだらした登りが続く。
帰りだから下っていくものだと思っていた身にとっては、これが意外に堪えた。
地図ケースは、電車の中に忘れた時もせっかく取り戻したのに、先月の北八ツ行で、驚異的な寒さのためパリパリになり砕けてしまった。
だから、それ以来、地図はポケットの中にあり、見る頻度が極度に減っていたのだ。
五辻の手前に東屋があり、少し休もうかとも思ったが、雨が怖いので、我慢する。

もう、ガスがここまで下りてきてしまっているし。

途中、森林浴展望台なる場所があったが、当然なにも見えない。通過。
まもなく、こんな木の墓場のようなところを通る。

ガスが不気味さをいや増している。
しかも、雪原に出ると風が厳しいのだ。
いい加減いやになってきた頃、ガスの中から、あの大きなキツツキが姿を現し、駅に着いたことを知る。12:10。やっとたどり着いた。
ザックカバーはしていたけど、本格的な雨に当たらなくて本当に助かった。
急いでアイゼンをはずし、12:20のロープウエーに飛び乗る。
かなりの風だが、100人乗りのゴンドラはこの程度では運休しない。
でも、あおられないよう、1個30kgのおもりが36個積んであった。

さすがに下りの便は登山客ばかり。
こんな天気でもスキーヤーは平気で滑っている。
で、山麓駅のフードコーナーでやっと昼食。
野菜たっぷりポークカレーだったか何だったか。

これでは足りない気もしてパンも買ってきた。
外を見ると、なんと雪。上は雨だったのに。
ということはそもそも気温が下がって来ているようだ。
車はノーマルタイヤなので、急ぎ車に戻り、下山。
立ち寄り湯は、蓼科温泉のホテル親湯にした。入浴料は確か1050円で、少々高めだが、ここは接客がとても丁寧で、ほぼ満点と言っていい。
あんな風に遇されると、1000円は高くないと思えるし、今度は泊まりに来ようかなという気になる。ここはお薦めだ。
そういうわけで気持ちよくお風呂に入って温まり、多少の渋滞につかまりながらも、平和な時間に帰宅したのでありました。
2日目は天気に恵まれなかったが、スノーシューデビューと北八ツ・リベンジを達成できて、実りある山行でした。
先月敗退した北八ツに3月9、10日に1泊で出かけた。
と言っても、同じコースではなく、昨夏、雨で何も見えなかった縞枯・茶臼あたりである。
北八ヶ岳ロープウエーで一気に2000m超えし、麦草ヒュッテに泊まる、ゆるやかプランである。まだ冬山だからね。
初日は、ロープウエー山頂駅から縞枯山・茶臼山を経て、麦草峠までの2時間15分の行程だから、朝7時前にのんびり車で出発した。
中央道を諏訪南で下り、ロープウエー山麓駅に着いたのは、10時半。

とてもいい天気で、夏には全く見えなかった北横岳がくっきり見える。

ここはスキー場なので、ほとんどがスキー客やボーダーだが、以外に登山者の姿も目に付く。
山麓駅の標高は1771m。100人乗りのゴンドラで、2237mの山頂駅へ、わずか7分で駆け上がる。

車内はぎゅうぎゅう詰めの満員だった。
駅を出るとそこは、「坪庭」と呼ばれる溶岩台地。

夏にはごつごつとした岩が広がるところだが、今は雪に埋もれて比較的穏やかな表情。

ここからは、南八ヶ岳の峰々も眺められる。

左の尖塔は赤岳、右は阿弥陀岳である。こうして見ると、相当な迫力である。
さて、スパッツとアイゼンも装着し、坪庭経由で縞枯山荘に向かう。

巨大なキツツキにご挨拶して、11:10出発。
振り返ると、ロープウエーの山頂駅。

駅舎フェチとしては、きちんと抑えておかなくては。
バックは中央アルプス。
右手にはスノーシューの練習をしているツアー客が見えた。

私も明日には、レンタルでスノーシューデビューする予定だ。
坪庭を登る。

南東には、縞枯山(2403m)。

こんななだらかな山だったんだなあ。
北東には、三ツ岳。

夏には、雨の中、大きな岩を乗り越え乗り越え登ったが、こうして見ても、確かにしっかりした岩山だ。
東には雨池山(2325m)。

みな、はっきり見えて、気分も上々である。
雪原の向こうには南アルプスも見えた。

左から、北岳、甲斐駒、仙丈。
のんびり20分ほど歩くと、雨池山のふもとに縞枯山荘が見えてきた。

あそこまでの急な下りは、シリセードで遊ぶ。
この日は気温が4℃とかなり暖かかったが、少々風があるので、外では食べたくない。
山荘にお邪魔してお昼にさせてもらう。

400円のほうじ茶を注文して、おにぎりにパクつく。
夏に座ったのと同じ、ストーブの前に陣取り、温まった。
35分ほど休んで、12:15に出発。
5分ちょっとで雨池峠に到着。ここは標高2245mくらい。

右折して、縞枯山にとりかかる。標高差は160mほど。
道は基本的に樹林帯の中。

暖かいので、モンスターのような樹氷はなかったが、こんなきれいな自然の造形に出会うことができた。

振り返って見る雨池山。

30分ほどで登頂。夏に登った時は、頂上もガスがかかっていて、何も見えなかったから樹林の中だったような気がしていたが、そうではなかった。

立ち枯れの木々の向こうに南八ヶ岳が雄大なすそ野を広げている。
アップにするとこう。右は赤岳、中央は西天狗、左は硫黄。

西には、霧ヶ峰。

気象レーダーのドームを載せているのは車山だ。
その右奥には美ヶ原。

あそこには2回行ったことがあるのだが、ちゃんと王ヶ頭の山頂を踏んだ記憶がないので、もう一度行かねばなるまい。
立ち枯れの木々には、かわいいエビのしっぽが着いていた。

山頂は台地状になっており、しばらく平らな道を南東に歩く。
茶臼山に向かう本道から左に逸れると、「展望台」(2387m)。

夏には、何も見えないだろうとパスした場所だが、今回は当然行く。

岩の舞台のようである。
その眺望。まずは、北横岳(左)と三ツ岳(右)。

雨池山

うっすらとしか見えなかったが、浅間山。

荒船山(左)

御座山(おぐらやま)(右)と両神山(左奥)

白く冠雪しているのは金峰山。

茶臼山と八ヶ岳

360度のパノラマである。
一旦、2300mくらいまで下り、まだ登り返す。
茶臼山の登りは立ち枯れた木々が目に付く。

ただ、その下には幼木が育っている。植生はしっかり更新されている。
振り返って見る、縞枯山の縞枯れ現象。

これは実に不思議な現象である。
茶臼山(2384m)の頂上には「天望台」がある。13:45着。
ここからは、北横岳の向こうに、今日初めて蓼科山が見えた(左)

南には八ヶ岳の全景。

突起がボコボコあって、見慣れた南側からの八ヶ岳とは全然印象が異なる。

これは山麓にある五辻と呼ばれる開けた場所。

それにしても、頂上は風が強かった。
下りの途中に、小さなピークがある。中小場(2232m)である。

ここからは茶臼山(左)と縞枯山(右)が並んで見える。
南には、丸山、中山の向こうに東西の両天狗が聳えていた。

14:35、大石峠まで下りてきた。
標柱はこんなに埋まっている。

ここまで、ずっとしっかりしたトレースが付いていたので、夏より歩くのは楽だった。
10分で、麦草峠手前の茶水の池。

当然、氷結して雪原となっている。
国道299号の麦草峠は、1~2mの積雪。

これでも、ここのところの暖気で随分解けたのだそう。
そして、14:55、標高2127mの麦草ヒュッテに到着。

4時間弱の山行だった。
部屋は個室が空いたというので、個室にしてもらった。
大部屋より1000円高い8500円(2食付き)。
部屋には反射式の石油ストーブとこたつがあった。こたつで、パソコンで今日撮った写真を見ているうちに、つい寝てしまった。
夕食は6時半。2時間も寝てしまった。

メインは白身魚フライとクリームコロッケ。食前酒にワインが付いた。たぶん地元のものだろう。
おかわりをしてしまったので満腹。

薪ストーブのある「ロビー」などもう一度見学、外に出て夜空で星を眺める。

夜になっても気温が下がらず、プラスの5℃。
屋根の雪が解けて、滑り落ちる大きな音が何度もした。
明日は、曇で午後から雨の予報。
なんとか持ちこたえてくれと祈りつつ、9時すぎに就寝した。
(つづく)
3月3日11:10。
金時山山頂を後にし、乙女峠への稜線を歩き出す。

結構、凍った雪が残っているので、チェーンを履く。
すこし急な坂を下ると、基本的にはわりとゆるやかな道。

でも足場は相変わらず悪い。
途中こんなシュールな注意書きが。

わざわざ植える人なんていないっつうの。
法律では、そう決まっているのは分かりますが。
いくつかのアップダウンを越えて、11:55長尾山に到着。

ちょっと散らかっているぞ。
ゴミはちゃんと持ち帰りましょうね。
ここはだだっぴろい山頂だが、立木のため眺望はほとんどない。

でも、ひとりだけ休んでいる人がいた。
この脇に気になる踏み跡があるので、行ってみたら、木にこんな板がくくり付けられていた。

ちょっと解読が難しいが、髪技というのは名字だろうか。静岡県菊川市にお住まいの髪技隆山さん・みつ江さん夫婦があちこち山歩きをしていて、ここが138座目ということか。つまり、行った山ごとに、この板を蒔き散らかしているというのか。
だとしたら、そんなことはお止めください。
さっき、植物を植えてはいけませんと書いてあったでしょう。
山には余計なものを残さないでくださいな。
そんなに記録にとどめたいなら、私のようにPCの中か、ブログの中にしてください。
よろしくお願いします。
帰宅して検索してみたら、菊川市に「髪技」というヘアサロンがあることが判明。
技は髪だけにしてくださいね。
それはともかく、山頂の標高が標柱に1119mとなっているのが気になる。
昭文社の地図には1144mとあり、地形図の等高線を見ても1140m以上あることは明らかだ。どうしてこういうことになってしまったのだろう。
そんな思いを胸に長尾山は通過。
ここから南斜面を一気に下り

乙女峠に至る。12:15。
昭文社の地図には、ここに乙女茶屋があるように書いてあるので、茶屋ファンの私としては期待していたのだが、なんと廃屋に成り果てていた。

こうなっては、心を廃屋フェチに切り替えるしかない。
でも、「飲んでみようか 谷やんの ホットコーヒー 400円」が悲しかった。

谷やん、今どうしてるんだろう。
乙女峠の由来は

だそうである←手抜き
またまた悲しい話ですねえ。
ここには富士山をバックに写真を撮影する、こんな立派なお立ち台があったが

見えたのは、わずかに中腹の雪だけだった。

お地蔵様に手を合わせて出発する。

この先もいくつかのアップダウン。
チェーンを巻いているので、なるべく雪の上を歩く。

雪がなくなるとまた泥だらけになってしまうんだけど。
1時ちょうどにアンテナのある丸岳に着いた。

丸岳はこんな山だ(再び手抜き)

ここは東側が開けており、神山や仙石原、芦ノ湖を眺めることができる。

天気がよければ、さぞかし鮮やかだったことだろう。
あれは明神ヶ岳

ベンチがあったので小休止。お菓子をつまみながら熱いココアを飲む。
でも、なんかポツリポツリと落ちてきた。
雨か霰か。
晴れの予報だったのになあ。
なんだかやかましいおやじ2人組みが来たので、休憩は15分ほどで、切り上げ出発。
なぜ、あの世代の方々は声がデカイのだろう。
きっとスッポンエキス皇帝を飲んでいるに違いない。
箱根スカイライン方面の稜線を正面に眺めながら下る。

その向こうには、駿河湾や伊豆半島、沼津アルプスがうっすらと見える。

自然破壊の最たるものであるゴルフ場も、こうして見ると、美しく見えてしまうのが悔しい。

途中、手すりの基礎のコンクリートが完全に露出して、その下に新たなコンクリート塊で補強している箇所があった。

登山者と雨による土の流出が著しいのだ。どうやって防ぐか、難しい問題だ。
途中の富士見台(富士山と芦ノ湖が同時に見えるのはここだけ、というのがウリだが、老朽化のため登れない)から、登山道を捨て、並行する車道に切り替える。

この道はアンテナへ通じる管理道路であろう。
こちらを歩けば、もう泥からは解放される。
土砂流出防止のため、登山者に、こちらの道を歩かせるという手もあるかもしれない。
実に歩きやすいし、晴れていれば富士山も見えるはず。

雪を見つけるたびに、蹴りを入れて、靴の汚れをとる。
このまま車道の長尾峠に行くと、登山道の長尾峠を通り過ぎてしまうと思い、途中でいったん登山道に戻る。
でも、そこは乙女峠のように峠らしい場所ではなく、単なる分岐だった。

車道に戻って、箱根スカイラインの起点である長尾峠に下る。
ここは思い出深い場所だ。
大学1年の時なので、もう32年前のこと。
自転車で仙石原からこの峠のトンネルを抜けてきて、正面にずどんと円すい形の山が見えた。
しかし、その山には万年雪がない。富士山には雪が常にあると、北海道出身の私は思い込んでおり、目の前にある山が富士山なのかどうか確信が持てなかった。
そこで、峠にあった茶屋のおばちゃんに「あれは富士山ですか」と、とんまなことを聞いてしまったのだ。
たぶん、「そうだよ」と優しく答えてくれたものと思うが、内心アホかと思ってたんじゃないだろうか。
その茶屋がどんな雰囲気だったのか記憶にないが、当時と変わっていなければ思い出すかもしれないと期待していた。
その茶屋がこれである。2時ちょうどに到着した。

もっと小さい茶屋だったような気もするが、よく分からない。
見た目けっこう古いので30年以上経っていてもおかしくない建物だ。
この日は休業だったので、お店の人に聞くことができなかったのは残念だ。
このお店も随分いろんな迷惑を被っていることが、いくつもある注意書きからうかがえた。
「当店ご利用以外 Uターン・停車 一回につき500円戴きます」は、まあいいとして、「大小便お断り」にはびっくり。大をする人もいるのか。

(この絵看板もなかなか昭和っぽい)
しかし、注意書きだけでなく、呼び込みも積極的。
「この先当分(30~40分)食事処無し!」が、いじましい。
でも、ここから富士山を眺めながら食事をするのは、さぞかしおいしいだろう。
ちょっと車の通行量が多いかもしれないが。
富士見茶屋に別れを告げて、長尾隧道をくぐる。

コンクリート造りだが、あえて要石を意匠として用いている。
昭和26年にレンガ巻きから混擬土ブロックに修築した銘板にあるので、あの要石はもともとあったものなのかもしれない。

「長尾隧道」の文字を揮毫した石原健三なる人は、1914~15年に神奈川県知事を務めた人物なので、このトンネルが掘られたのは、大正3~4年のことなのだろう。
国道138号線の乙女トンネルが1964年(昭和39年)に開通するまで、国道は長尾峠を通っており、かつてはこちらが御殿場と箱根を結ぶ幹線だった。
江戸時代には箱根裏街道だったそうである。
富士見茶屋が自慢する通りの景勝の地だが、今や箱根スカイラインを走る車がこの峠をかすめるだけで、長尾隧道を通過する車は極端に減ってしまったに違いない。
この旧道を乙女道路に合流するまで1時間ほど歩いたが、車は6台しか通らなかった。
でも、経験から言って自転車で走るには最高の道である。
トンネルを抜けると廃業した茶屋(見晴亭)が。

この石碑は見覚えがあるが

随分、カビ(地衣類?)が増えた気がする。
さてここから延々と車道歩き。でも、学生時代に自転車で登った道と思えば、懐かしさが先に立つ。
仙石原にまっすぐ下っていく登山道もあったが、公時神社までは遠回りだし、第一もう靴を汚したくない。
車道の方が景色もいい。
あれが、つい1時間前にいた丸岳。

そして、金時山

3時10分、駐車場に到着。

本日の山行は終了である。
あまり天気には恵まれなかったが、昔を思い出しながらの山歩きはまた格別だった。
富士山には、またどこかで会えることでしょう。
この後、立ち寄り湯をする予定にしていた乙女山荘も金時山荘もなぜか臨時休業。
仕方なく、乙女峠を登る途中で見つけた「富士八景の湯」で、汗を流した。
平日1000円、休日は1200円だそうである。
そんな差を付けるなら、富士山が見えない日は割引にしてほしい。

富士八景の湯へ行く前に通った国道の乙女峠には今、立派な茶屋がある(ふじみ茶屋)。
しかし、私が32年前に自転車で来た時にあったかどうか記憶はない。
当時あった、こんな看板は今は撤去されていた。

(向かって右端が私。ほかは、当時の大学自転車部の仲間です)
帰りに御殿場の回転寿司で早めの夕食とし、大渋滞の東名にもめげずに帰宅しました。
【行程】
登山口(9:00)~公時神社(9:10)~奥の院(9:30)~矢倉沢峠分岐(10:15)~金時山(10:25昼食11:00)~長尾山(11:55)~乙女峠(12:15)~丸岳(13:00休憩13:15)~富士見台(13:35)~長尾峠(14:00撮影14:05)~乙女道路(14:55)~登山口(15:10)
※所要時間6時間10分(歩行5時間15分)
3月3日のひな祭りは、あえて男っぽい山に行こうということで、金時山(1213m)。
1991年秋に会社の同期とハイキングに行って以来、22年ぶりである。
車を新調したばかりだと、ついつい乗って行きたくなる。
そうなると、周回コースを設定せざるをえない。
今回は公時神社の登山口から登って、乙女峠方面へ尾根を下り、丸岳を経て、長尾峠から車道を戻ってくるというコースを考案した。
金時山は登ったことがあるが、こうすれば、長尾山(1146m)と丸岳(1156m)を新たに「登った山」として加えることができる。
晴れているのだが、東名から眺めた富士山は何となく霞んでおり、かすかにイヤな予感。
近づくにつれ、中腹に雲もかかり始めた。うぬぬ。
御殿場で下り、国道138号・乙女道路を上る。
トンネル手前の乙女峠は、大学1年の秋に自転車部の仲間たちと来た懐かしい場所。
本当はここで一旦下りて、写真を撮りたかったのだが、「ふじみ茶屋」の駐車場がまだ開いてなかったので、停まれなかった。
公時神社入り口の駐車場には9時前に到着。
ここは金時ゴルフ練習場の管理地なので、駐車料として500円とられた。
トイレ前の駐車場はおそらく、ただなのだろうが、ここはもう満車だった。

やはり人気の山。今日も朝早くから、かなり人が入っているようだ。
さっさと準備して、9時には出発。早くも下りてくる人がいる。
山頂まで75分の標示があるが、とてもそんな時間では登れる気がしない。

それはともかく、まずは公時神社に参拝。安全登山を祈願する。

正面の金時山がご神体のようになっているが、もちろん祭神は金太郎伝説で有名な坂田公時(金時)。平安時代後期に実在した人物で、源頼光の四天王と呼ばれた。
幼名を金太郎といい、怪力の持ち主であったという。
五月人形のモデルにもなっているが、桃の節句に端午の節句の主役の山を登るというのも乙なものだろう。だはは
境内には、童謡にも歌われている巨大なマサカリが。

私のハンドルネーム「かたこりまさかり」の語源遺産でもある。
神社の右に進むと、すぐ登山道となる。

杉並木の中に石段が築かれており、古くからの参道のように思える。
途中に、マサカリ石(私が命名)があった。

左手に巨大な岩があり、しめ縄がかけられている。

手前には「金時手鞠石」とある。金太郎はこの岩を手鞠代わりについていたのだ。すごい怪力だ。
30分ほど歩いたところで、車道を横断する。

ここから少し登って、右の脇道に入ると、公時神社の奥の院。

標識には「金時神社」と書いてあったが。
参拝していたら、「裏街道」を歩いてきたおじさんが「ここは後ろに回れば、岩の上に登れるよ。上には祠があるよ」と教えてくれた。
早速登ってみると、祠のほかに、また巨大なマサカリがあった。

登山道に戻る。道は多くの登山者のため、どんどんえぐれてきている。
その両側の壁は霜柱の楽園。茶色い土が真っ白になっている。

その霜がまた、土を崩している。何度も、土がさらさら~っと崩れる音を聞いた。
これは巨大な岩がまっぷたつに割れた「金時宿り石」。

ここで野宿したということなのか。
つららがキラキラと光っていた。

でも、なんだか曇ってきた。富士山は大丈夫だろうか。
このあたりのえぐれ方はひどい。

木の根っこが先端の方まで露出している。
1時間くらい登ってきたところで、南西方向の展望が開けてきた。

アンテナのある山が丸岳。
こちらは手前の長尾山。

で、仙石原に広がるゴルフ場。ゴルフクラブが4つもある。

その左には、箱根火山の主峰・神山。

さらに左には、明神ヶ岳に続く稜線。

登山道がササの林を縫うように走っている。
こうして見ると、箱根の外輪山がよく分かる。

向こうに見えるのは芦ノ湖だ。
10:15、矢倉沢峠からの道に合流。

ここですでに75分を経過してしまった。
あの標識はどんな健脚な人が立てたのだろう。
ここまでだんだん足場が悪くなってきたが、ここからの道は霜が解けた道で、泥がびちゃびちゃ。

写真の場所などはまだいい方。
長靴の方とすれ違って、「さすが、分かっていらっしゃる」と感心してしまった。
道には溶岩も姿を現してきた。

頂上は近い。
見えるのは長尾山と丸岳。

この向こうに富士山がそろそろ見えてもいいのだが、すっかり曇っていて、気配すらない。
最後の登りは急坂となる。

だそうである。
頂上付近には、アイスバーンになっているところもあり、慎重に登る。

そして、10:35、山頂に到着。
そこにあるはずの富士山は、こういう状況。

これだけ近くに来て、見えないというのも、悔しいではないか。
最近、愛鷹山も含め、箱根近辺には6回来ているが、成績は1勝5敗と大きく負け越している。どうも箱根は相性が悪い。
仕方ないので、まだ時間的には早いがお昼にする。
今日は山頂の茶屋で食べることにしていたので、コンビニおにぎりは持参していない。
有名な「金時茶屋」は、ネットなどで見るとあまり評判がよくないので、となりの「金太郎茶屋」に入る。

昭和42年の創業というので、まもなく半世紀の歴史を刻む。
「あちらは、もっと古いんですか?」と聞いたら、「あっちのことは知らない」とつっけんどんに言われた。仲が悪いんだろうか。
とにかく、お目当ての「まさカリーうどん」(800円)を注文。

もちろん、名前は「マサカリ」にちなんでいる。
うどん自体はその辺のスーパーで売っているような代物だが、肉は100%地元足柄牛で、金太郎の息子・金平にひっかけたゴボウが入っているのが特徴。
これを食べると「まさかの利」があるそうだ。
味は専門店をしのぐというほどではないが、おいしくいただきました。
ここには若き頃の皇太子さまや長嶋茂雄、アントニオ猪木らの写真が飾られていた。
ごちそうさまをして11時に店を出る。
そして「金時茶屋」を覗く。ただの冷やかしも失礼なので、バッジ(500円)を買うというのが口実だ。

ここの看板娘、愛称「金時娘」として知られる小見山妙子さんは、富士山の強力(ごうりき)だった小見山正さんの娘さんである。
小見山正さんは、昭和16年に白馬岳の山頂に重さが200kgもある風景指示盤を担ぎ上げることに成功、新田次郎の直木賞受賞作「強力伝」のモデルになった人だ。
昭和20年に42歳で若くして亡くなった正さんの後を継いだ妙子さんは、もう68年もこの小屋を守ってきたことになる。
多くの登山者に愛されてきた金時娘の評判が最近芳しくないらしい。
本当なのか。
この日、たくさんのお客さんを妙子さんは一人でさばいていた。
その合間を縫って「バッジ1つ下さい」と1000円を出したら、
「あんた、鼻ケガしたんかい」と聞く。
花粉症の私はマスクをしていたが、口まで隠すと吐いた息で眼鏡が曇ってしまうので、鼻だけにかけていたのだ。それが奇妙に見えたのであろう。
「いいえ、花粉症です」
「そうかい、なんだケガかと思ったよ」
と言いながら、トレイを投げてよこしたので、そこに1000円を乗せて渡した。
もちろん、お釣りはちゃんと返ってきた。
少し乱暴だなとは思ったが、気になるほどではない。ケガじゃないかと心配してくれるなんていい人じゃないか。
でも、次のお客さんは憤慨していた。
「ちょっと、あんたビール代!」
「ああ、今払いますよ」
「ここはね、全部前金制なんだ」
「ビールは勝手に冷蔵庫から出してくれと言うから、先に出しただけじゃないか」
「お金払わないで、飲み逃げしちゃう人がいるんだよ。だから前金なんだ」
「そんなことするわけないだろ!」
てな調子だった。客に向かって「飲み逃げ」はなかろう。
これでは確かに評判は悪くなるに違いない。
ただ、もう年寄りである。そのへんは大目に見てやってもいいのではないか。
みんな「金時娘って、どんなにすてきな人だろう」と期待してくるだろうから、がっかり度も強いのかもしれないが、元気でいてくれるだけいいじゃないか。
店内には「店内撮影禁止(金時娘を含む)。無断撮影は隠し撮りと同じです」といった趣旨の貼り紙があった。
金時娘さんも、マナーの悪いお客さんには随分イヤな思いをしてきたに違いない。
温かく見守ってあげましょう。
イヤな思いをしたくない私のような人は、金太郎茶屋に行けばいいのですから。
さて、金時山はさっきの説明板にもあったように、かつては猪鼻嶽と呼ばれていたが、坂田金時が山姥に育てられた山という伝説から、江戸時代後期には金時山と呼ばれるようになったらしい。
この山を愛する方々が100回、200回と登っており、4000回を超える人もいる。でも、ある人のブログによると、「最多は私で、4万回だ」だと金時娘が語ったとか。
生まれた日から100歳まで毎日登っても36500回だから、たぶん御年80ン歳の「娘」さんだと、1日に2往復も3往復もする日がないと達成できない数字だ。
でも、基本的に通いだというのだから、万単位であることは間違いないだろう。すごい。
頂上は溶岩が露出したごつごつした岩場で、休憩用のベンチがいくつかある。

仙石原方面はよく見えるのだが

肝心の富士眺望はさっぱりなので、写真を撮ってもらって、さっさと出発することにした。

(つづく)
3月2日、雨上がり。
この日は午後から予定があったので、山はお休みのつもりだったのだが、朝、目覚めると、夕方に変更してほしいとのメールが。
それじゃあってんで、急きょ山に出かけることにした。
とは言え、5時にはきれいな体で都心にたどり着いていなければならない。
となると行き先は、奥武蔵か奥多摩しかないだろう。
昭文社の地図を見比べ、検討。初心者が同行する時の候補地として、とっておいた高水三山に行ってしまうことにした。
あわててパッキングを済ませ、ザックをパジェロミニの荷台に放り込んで、7時半に出発。
高水山登山口の高源寺には8時半に到着。
車は道端の空き地に駐めて(大丈夫かな?)、8:40に歩き始めた。
高水三山は、青梅線軍畑駅から御嶽駅の北に連なる高水山(759m)、岩茸石山(793m)、惣岳山(756m)の三つの山のこと。
4時間ほどで歩けるので人気のコースらしい。
まずは高源寺に参拝。登山の無事を祈る。

山門の前にはロウバイが黄色い花を咲かせていた。

しばらくは舗装道路を行く。

途中、こんな看板を発見。帰りはここで汗を流していくことに決める。

道端には、1950年に地元の人が建てたと思われる合目の標柱が立っている。

これが、次々に出てくるので、気分が楽だ。
15分ほどで登山道となる。
と言っても、巨大な砂防ダムを越えるための階段だ。

これを過ぎると、やっと林の中。

比較的ゆるやかな道を気持ちよく歩く。

今日は冬型の気圧配置で、北風が強いそうだが、谷の中はほとんど風がなく、むしろポカポカ陽気である。
沢筋を離れると、間もなく植林が伐採された明るい場所に出る。

対岸の斜面には真っ赤に染まったスギ林。

普段からの予防が功を奏しているのか、まだ花粉症の症状が出ない。
今日も一応、マスクをしてきた(眼鏡が曇るので、鼻に当てているだけ)が、今日1日花粉を浴びたら、もうダメかもしれない。
尾根に出ると右折だが、ちょっと左の小さなピーク(563m)に寄り道。
スギの植林の展望を苦々しく楽しんでから、登山道に戻る。

このあたりは6合目。休憩用のベンチがあった。

ここで、この日初めて、ハイカーとすれ違う。

人気のコースのはずだが、あまりひとけがない。
やはり花粉のせいだろうか。
8合目で上成木からの道と合流。

このあたりからは尾根の北側を巻く、ほぼ平らな道。

一息で、山頂直下にある常福院に到着する。

この不動堂は江戸時代の1822年に再建されたものだ。
山号は、そのまま高水山。

で、ここが10合目ということになっている。
この標柱は、山頂へのものではなく、お寺へのものだったわけだ。
軒を支える組物にはカラフルな彩色が施されている。

これも江戸時代からのものだろうか。
開基は円珍というから平安時代の初め頃になる。
裏のお手洗いで用を済ませて、頂上に向かう。
途中、木々の向こうに大岳山(左)と御前山(右)が見えた。

ほんでもって、10時に頂上に到着。

ただ、山頂はそれほど展望がきかない。
一生懸命、木々の間を覗いて、やっと大岳山が見えたくらいだった。

手前の尖っているのは奥の院。さらに手前に御嶽山ロープウエーがあり、左に御嶽山の宿坊群が見える。
山頂にあるコンクリートの祠。

写真だけ撮って通過する。
下り始めたところで北面がちらりと見えた。左が武甲山で、右のなだらかな山が武川山だろうか。

次の岩茸石山までは、おおむね尾根の北側を歩く。
なので、路面が凍っている箇所も少なくない。

北面はところどころ開けており、奥武蔵の峰々が端から端まで見える。

東の方、関東平野に向かって、だんだん低くなっていくのが、よく分かる。
さて、最後のひと登りで岩茸石山頂上。10:25に到着。

ここは三等三角点。

高水山と違って、非常にいい眺めだ。
南以外は完全に開けている。
まずは東の高水山。

そして北面を西から東へ。
こちらは、中央が曲ヶ谷北峰で、そのすぐ右に覗いているのが川苔山(1363m)。

その右には、日向沢ノ峰(1356m)が見える。蕎麦粒山は隠れて見えない。
有間山(左)

中央右が棒ノ折山(969m)、左端は橋小屋ノ頭(1163m)。手前は黒山(842m)

蕨山(1044m)は棒ノ折山に隠れて見えない。
西にもう一度目を移す。
中央は本仁田山(1225m)。その手前は赤杭尾根。

左奥は石尾根で、本仁田山の真後ろが鷹ノ巣山(1737m、見えない)。左の突起は六ツ石山(1479m)。
右に遠く見えているのが雲取山(2017m)。
雲取山が見えたのには感激。これだけ切り取ったように見える。
アップしてみよう。

左の小さな突起は小雲取であろう。
ここで単独男性に写真を撮ってもらう。

風がかなり吹いていて、髪が逆立ってしまった。
この男性は花粉症だそうで、マスクをしてきたのだが、ひもが切れてしまったのだそう。
つらそうだった。
花粉症なのにスギばかりの山に来るとは。お互い様だが、余程山が好きなんだなあ。
まだお昼には早いし、風もあるので、撮影だけで済ませて10分ほどで辞す。

ロープのある急坂を少々下ると、またなだらかな尾根道となる。


ところどころ、左手が開ける。南西から見た高水山(右)

こちらは岩茸石山。

植林と冬枯れの広葉樹が入り交じっている。
尾根の西側に出ると、眼下に大丹波の集落が見下ろせた。

そのはるか向こうには大菩薩連嶺。

姿を見せた鷹ノ巣山。

このあたりは日当たりもよく、風もないので、絶好のランチスポットだったが、ちょうどいい場所が団体さんに占拠されており、先に進むしかなかった。
惣岳山への最後の登りは険しい岩場。

結構変化に富んでいて楽しいコースだ。
11:05、山頂に到着。

ここには悲しくフェンスで守られた神社がある。

青渭(あおい)神社である。
この社殿は1845年に建てられた古いものだが、登山者がいたずらをするのだろうか。
この見事な彫刻を守っているのかもしれない。

日陰で寒いが、丸太に腰を下ろして昼食とする。
例によって、コンビニおにぎりと温かいお味噌汁。
20分で済ませて、下山。あとはほんとに下るだけだ。
下山道は青渭神社の参道でもあるのだろう。
スギの巨木にしめ縄をかけているところがある。

の井戸窪という場所は夏には湧き水が湧くのか、祠もあった。
道は延々と植林の中。


これは「しめつりの御神木」だそうだ。

しばらく下ると、御嶽駅へ行く道と沢井駅に行く道への分岐があった。

自分の古い昭文社の地図には御嶽駅に行く道しか載っておらず、まっすぐ御嶽に行くつもりだったが、あと200mで車道という案内板に誘惑され、沢井に向かうことにする。
距離は御嶽までの1.5kmに対し、300mほど長いが、早くスギ林から出たかったし、山村の風景も見たかった。
で、12時には人里に下りてきた。

ゆずの郷には、もう梅も咲いていた。


不思議な石垣と石室のような穴。なんだろう。

歩きながら、さっきの看板に出ていた「ゆずの里 勝仙閣」に電話し、立ち寄り湯ができることを確認。車を回収してから行くことにする。
沢井駅には12:20に到着。

12:31の電車でひとつ隣の軍畑駅へ。


ここから登山口まで20分ほど、平溝川に沿って車道を登る。
1時前、車に到達。何の貼り紙もなく、ホッと胸をなで下ろす。
さあ、お風呂!
勝仙閣はなかなか古い宿のようだ。

ゆず懐石で有名な料亭旅館である。
料理はまた今度ということにして、お風呂へ。
ゆずがたくさん浮かんでいる。ほのかにいい香りがする。
水は高水三山の湧き水を沸かしているとのこと。
他に誰も入浴者はおらず、ひとりでゆっくり独占。極楽でした。
宿は多摩川の御岳渓谷を望む景勝の地に建っており、少し散歩してみることにした。

渓流はそれほどのことはなかったが、「お山の杉の子」の歌碑があることに驚いた。

むかしむかしのそのむかし、私がまだ小学校にも上がらない頃、我が家にはたった1枚だけ童謡のレコードがあった。
それがまさに「お山の杉の子」だったのである。
1枚しかないものだから何度も何度も聞いた。
三つ子の魂とはよく言ったもので、この歌を聴くと、当時この歌詞から思い浮かべた「まるまる坊主のはげ山」をくっきりと思い出すことができるのである。
何も知らなかったが、この歌を作曲した佐々木すぐるは「月の沙漠」「兵隊さんよありがとう」などでも知られる作曲家で、戦前よく当地を訪れ、ここの杉の美林が「お山の杉の子」を生むきっかけになったのだという。
そうだったのかあ。
最後にこんなサプライズがあるとは思わなかった。
13:45、気をよくして、本日の山行を終えたのでした。
【行程】
高源寺・高水山登山口(8:40)~常福寺(9:40)~高水山(10:00)~岩茸石山(10:25)~惣岳山(11:05)~沢井駅(12:20)=軍畑駅(12:35)~高源寺(12:55)
2月23日、しらびそ小屋に泊まっている。
耳栓の効果か、夜中にトイレに行く人やいびきの被害に遭うこともなく熟睡。
翌朝4:17、アラームが鳴らないうちに目が覚めた。
みなさんは6時の朝食を食べてから、中山峠・天狗岳方面に出かけるとのことなので、まだぐっすり。
こちらはこっそり、玄関に下りて、カップ麺で朝食。
起き抜けでまだお腹は空いていないが、この寒さでは野外でゆっくり食事などしていられない。
玄関のストーブに火を付けに来た小屋のおばちゃんが「風があるから気をつけてね」と言う。「え、風出てます?」。外はとても静かなのだ。「いや、上の方ね」
「ああ、分かりました」。と分かったつもりになったが、この時点では、ここよりは強いだろうくらいにしか考えていなかった。
それでも、目出し帽の上にもう一つ帽子とネックウオーマーも重ね、ダウンの上にゴアも上下着用。完全防備で5:20に出発。
外に出ると、驚いたことに小雪が降っている。
天気予報は土日とも晴時々曇のはずだったから、陽が昇れば晴れるだろうくらいに思っていたが、これも甘かった。
暗闇の中、ヘッドライトを付けて本沢温泉に向かう。
ずっと樹林帯で、ひたすらトレースをたどる。
相変わらず小雪が降り続く。
風が少し吹いているのか、木々がこすれ合う音がする。
ちょっと不気味だが、これから明るくなってくるのだと思うと、それほど心細くならない。
でも、途中で、胸のボトルホルダーに入れておいたポカリスエットを落としてしまったことに気づく。このホルダーは安定感が悪く、すぐ逆さまになる。
しっかり口を締めておけば落ちはしないのだが、ゆるんでいたようだ。
ああ、もったいないことをした。夏でなくてよかった。
30分ほどで薄明るくなってきたので、節電のためライトを消す。
比較的ゆるやかに2160mくらいまで登り、尾根を越えて間もなく、急な下りとなる。
本沢温泉へ直接登ってくる道との合流点に着いたのが、6:25。

フラッシュで撮ったので、あたりは暗く見える。
ほんとは、このくらいの明るさだ。

雪のため、一眼レフはザックにしまってあり、コンパクトカメラで撮っている。
これだとポケットに入れておけるので、雨や雪の日は重宝する。
20分ほど、ほぼ等高線沿いに下っていくと本沢温泉に到着。
山あいの秘湯。1軒宿である。それにしても雪が深い。

内湯は冬期間閉鎖しているらしく、この時期は「石楠花の湯」という外湯だけ。

時間ごとに男女を分けているが、混浴タイムもある。
誰もいないようなので、ちょっと覗いてみた。

当然だが、湯船にはふたがしまっていた。
もし、夏沢峠から前進が叶わず、引き返すことになったら、ここでひとっ風呂浴びて帰ろう! と思ったのだが、考えてみれば、タオルも含め一切合切風呂道具は車に置いてきてしまった。稲子湯に入るつもりだったのだから、仕方ない。
この先に日本一高い場所にある露天風呂があるようだが

露天風呂への分岐の標識も(もしかしたら露天風呂自体も?)雪に埋もれてしまい、それらしき場所を見つけることはできなかった。
また改めて無雪期に来るしかない。
寒いので休憩は省略して前進する。

心なしか、トレースが細くなった気がする。
ここから、夏なら峠まで1時間の道のりだが、実際はどれくらいかかるだろうか。
温泉から15分ほどで、とうとう吹きだまりにぶつかった。

こうなるとアイゼンは無意味。
わかんに履き替える。
その最中に、本沢温泉でテン泊していた若者2人が追いついてきた。
「道はこちらでいいんでしょうか」
「うっすらトレースがありますから、そうでしょう」
吹きだまりは雪と風のためトレースが分かりにくくなっている。

とにかく、履き替えを終えて、彼らより先に出発する。
早く追いついて、ラッセル交代してくれよ、と念じつつ。
ただ、吹きだまりはほんの100mほどで、あとは普通のトレースでそんなに苦労することはなかった。
後半の急傾斜も、つづら折れに登っていくので、そうきつくない。

途中、それらをショートカットするトレースがある。
撤退時は、尻セードが楽しみだ。
8:25、本沢温泉から1時間半余で夏沢峠に到着。

ここには、本沢温泉グループの山びこ荘とヒュッテ夏沢が向かい合っている。
しかし、今は冬期休業中。一部雪に埋まっている。

やはり風が強い。でも、歩けないほどではない。
とにかく2軒の山小屋の間にザックを下ろし、天狗方面に偵察に出かける。

天狗の手前、箕冠山へのゆるい傾斜の樹林帯は、奥がガスっている。
でも、山男の足跡はしっかりあった。
やった! ここにあれば、天狗の手前で無くなることはないだろう。
天狗がだめなら、逆方向の硫黄岳をピストンすることも考えたが、もう行ったことのある場所だし、まったく姿が見えず、食指が動かなかった。

(硫黄は雲の中)
ここで、行動食の大福を食べるつもりだったのだが、気がせいて、食べるのを忘れて出発してしまった。

峠で、オーレン小屋方面から上がってきた老夫婦とばったり会ったが、彼らはすぐ引き返して行った。
樹林帯に入ると風はほとんどない。
ありがたい。
右は崖、左は台地状の樹林という地形の道をだらだらと登っていく。

途中、縞枯れ現象っぽいところも通過する。

適当なところで、小休止。大福を食う。
不思議と固くなっていなかった。
それはいいのだが、あまりの低温のため、コンパクトカメラの電池がダウン。
電源が入らなくなってしまった。
たぶん、気温は-15℃より低いと思う。
胸ポケットにダウンの移して保温に努めたがだめだ。
道が険しくないのが幸いして、9:30、比較的順調に、箕冠山の三差路に到着する。
と言っても、夏タイム30分のところ倍の1時間かかっている。

ここでザックから一眼レフを取り出して撮影。
こちらも電池がいきなり減り、目盛りが5点満点の1になっている。
ここで、電池を温めれば、復活することを思い出した。
小さいカメラの方も電池を直接温めれば復活するだろう。
小休止して出発。ほんの少し下ると、樹林が切れ、展望が開ける。

が、風がかなり強い。正面の根石岳(2603m)も霞んでみえる。
左下は根石山荘である(冬期休業中)。
このあたりではまだ気づいていないが、コルのあたりは台風並の暴風だった。
あまりの風の強さにはいつくばって、登ってくる人がいる。

この人とは撤退後の本沢温泉で一緒になり、少々話をした。
彼は根石山荘で昨夜ビバークし、夜明けとともに天狗に向かうつもりだったが、強風のためしばらく待機。3時間待ったが、弱まらないので、天狗は断念し、箕冠山の樹林帯へ避難する途中だったのだ。
風のためスノーシューを飛ばされてしまったという。それは強烈じゃ。
こちらはまだ気楽に写真など撮っていたが、下りるに従って、風は強まるばかり。
コルに至った時には、片足を上げると飛ばされそうになるほど。
地面は土。常に強風が吹き荒れているので、雪が着かないのだ。
こちらはわかんなので、接地力が弱い。
西風に向かって、必死の思いで100mほど進み、小屋の風下にたどり着いた。

とにかく、わかんを12枚歯のアイゼンに履き替える。
土が露出しているので、どれだけ役に立つか分からないが、わかんよりはましだ。
防寒も含め、装備を調えて、暴風の中こぎ出す。
縦走路までは、追い風で進む。
それでも飛ばされないよう、自分でブレーキをかけなくてはいけない。

そして、縦走路。猛烈な横風を受けての前進がこれほど、歩けないものとは思わなかった。人生50年、こんな強風の中に立っていたことはない。
ただ、この風速なら(たぶん30mくらい?)なら、歩くだけなら歩けるとは思った。
でも、絶対飛ばされずに、これから夏で1時間半の距離を歩くのは明らかに不可能だった。
体の向きを変えることができず、しばらくピッケルを地面に突き刺し、3本足で踏ん張る。
そして、時間をかけて回れ右。こちらも、さっきの彼のように樹林の中へ避難、つまり撤退することにした。
振り返った途端、7~8人ほどのパーティーが同じように風に耐えているのを発見。
ロープでつないで、2組に分かれている。
「向こうから来たんですか~!」
風の音でかき消されないよう大声で聞いてくる。
「いいえ~ 今すこし進んだんですが、無理なので引き返してきました!」
「了解! お~い、みんな~われらも撤退だ~~~!」
そんな決め方でいいのか! とも思ったが、私に言われずとも、おそらく彼らも撤退したであろう。
三差路まで戻って、よくよく彼らを見たら、ガイドに連れられた高齢者のツアー客だった。
「これが八ヶ岳の風。これを経験できただけでも、八ヶ岳に来た甲斐があります」
と負け惜しみのようなことを、お客さんに言っている。
岡山からはるばる来た方々のようだ。
オーレン小屋から来たというので、道の様子を聞いたら、トレースはきちんとついていたそうだ。「ラッセルしたのは吹きだまりのところくらいです」とのこと。
やはり、八ヶ岳は案外歩かれているんだなあと分かりました。
稲子湯としたびそ小屋であった、おせっかいおじさんの言うことは、あまり当てにならなかった。
とにかく、こちらもテルモスの湯を飲んで人心地つく。
あのまま進んでいたら(別に逡巡したわけではないが)、どこかで低体温症になったんだろうなあと思う。根石岳には樹林がなく、風から身を隠すところが見当たらなかったから。
さあ、ここから引き返す。壮大なピストンになってしまった。
しかも、今回2日かけて「登った山」はゼロ。
箕冠山も三差路がピークではないのでカウントできない。
あとで、本沢温泉の小屋番のおじさんに聞いたら、三差路のちょっと先にピークがあるという。地形図上もそれは分かっていた。
今回は、トレースがないので断念したが、いつかきちんと踏破しよう。
戻る途中、展望が開けた場所から、西天狗(左)、根石岳(中央)、東天狗(右)が見えた。

もう寒くて、露出を合わせる心の余裕もない。
南を振り返ってみると、これは阿弥陀岳か。

硫黄も頂上付近はガスっているが、何となく全容はつかめるようになった。

完全なモノクロームの世界を黙々と下っていく。

10:55、夏沢峠に戻ってきた。
ここで硫黄岳から撤退してきた男性に会う。
「あちらはどうでしたか?」
「根石の手前まで行きましたが、ものすごい風なので、引き返してきました」
「そうですか。あちらもだめですか」
「硫黄は?」
「風も強いですが、固くてピッケルが刺さらないんです」
もう、我々に残された道は本沢温泉に下るしかないのだ。
私はここでアイゼンをはずし、素足になる(裸足じゃないっすよ)。
尻セードの時にアイゼンは邪魔だし、アイゼンは全く必要ないくらいの雪質だ。
結局、足回りは持ってきた装備をすべて使った。
稲子湯~本沢温泉:6本歯アイゼン
本沢温泉~根石山荘:わかん
根石山荘~夏沢峠:12本歯アイゼン
夏沢峠~稲子湯:素足
本当に素足で何の支障もなかったし、むしろミニスキーのように滑りながら歩けたので、楽なくらいだった。
いよいよお待ちかねの尻セード。昨年、会社の同僚に教わったようにゴミ袋を用意してきている。
ショートカットしている場所をどんどんノーブレーキで滑り下りる。
気持ちいい。
せっかく撤退したのだから、このくらいの楽しみはなくっちゃ。
勢い余って、立ち上がる時に、1回転して転倒したが、ただ雪まみれになっただけ。
童心に返る。
12:00ちょうど本沢温泉まで下りてきた。
ここでお昼にしよう。カップ麺があるが、外で食べる気など、さらさらない。
玄関で、さっきはいつくばっていた人と会う。
内容は先程書いた通りだ。
若い彼はこのまま下山。こちらは中に上がって、お昼を注文。
「食事できますか?」
「カレーくらいなら」
「それでいいです。こけももジュースも付けてください」
談話室に案内される。

ここは火が入ってますので、とのことだったが、なんと消えていた。
温度計を見ると、-7℃。
あわてて火を熾してくれたが、なかなか暖まらない。

暖まらないうちにカレー到着(800円)。

部屋が寒いからカレーから湯気がもうもうと上がっている。
御飯も温かく、ガツガツ食う。
たぶん、レトルトだろうが、ちゃんと牛肉が入っていて、うまい。
食べているうちに、もう一人おじさんが入ってきた。
いま「石楠花の湯」に入ってきたという。
ぬるい湯船と熱い湯船があるそうで、でも、湯から上がると寒くてたまらなかったんだそう。着替える前に冷えてしまいましたと、ぼやいていた。
この方は地元佐久の方で、今日は稲子湯からここまで日帰りピストンだそうだ。
こけももとはこの辺に自生する木の実だそうで、ヤマブドウジュースのような味がした。
後味がややしぶく後に残る感じがしたが、不快ではなかった。
ものすごく冷たかったが、のども渇いていたのでゴクゴクと飲み干した。
12:50に出発。しらびそ小屋に向かう。
暗い中歩いて来た道なので、ピストンとは言え、新鮮なコースである。

なんと、このあたりから晴れ間が見えてきた。

懐かしい天狗岳。

しらびそ小屋には13:55に到着。

休憩料(200円)を取られないよう、「昨夜お世話になったものですが、ポカリスエット落ちてませんでしたか?」と客だったことをアピール。
「なかったねえ。まあ、休んでいって」とお茶を出してくれた。
ありがたい。
どうだったと聞くので、るる説明すると
「ああ、それはよかった。天狗に行った人もみな引き返してきたよ」
「天狗も登れないくらいの風だったんですか」
「そうみたいだね」
と聞くと、ずっと樹林帯を歩く「ニュウ」への道を選んだ方がよかったのではとの気持ちももたげたが、やはり撤退の経験も必要だろう。
10分ほど休んで、おばちゃんにお礼を言って、辞す。
ここから下りの2.7km。コースタイムは2時間だが、おそらく1時間かかるまい。
天気もよくなり、快調に歩いていると、いきなり目の前にカモシカが。

向こうも鉢合わせして、びびったのかしばらく身動きできないでいる。
後ろ足の固まった感じがほほ笑ましい。
4~5枚ゆっくり撮影する時間をくれた。そのあと、谷の方へ雪にまみれながら下って行った。
この道でも何度か尻セードを楽しむ。
カラマツ林になると、もう稲子湯は近い。

みどり池入口バス停には14:50に到着。
なんと、ニュウへの道にトレースが付いていた!

でもまあ、今度は夏に行こう。
で、源泉近くにある祠に寄り道する。


このあたり硫黄の臭いがする。
川も温泉なのだろう。色が赤いのは鉄分か。

稲子湯には午後3時ちょうどにたどりついた。
さあ、とにかく風呂だ風呂だ。
料金は600円でそんなに高くない。
先客は、スキーの人。ここを利用するのは山の人だけじゃないらしい。
湯の中は温かいが、上がるとめちゃめちゃ寒く、足も冷たい。
そんなんであわてて洗って、できるだけ長く湯に浸かっていた。
急に温まったので頭痛がしたくらいだ。
やっとまっとうな人間に戻ったところで、15:50出発。
今度は中央道経由で帰ることにする。
141号はいつも北上するばかりで、南下したことはあまりなかったが、絶好の富士山眺望ラインであることを知った。

これは金峰山と瑞牆山。

金峰山の五丈石がくっきり見える。
南アルプスもみな晴れているのに、今日は八ヶ岳だけが曇っていた。
そんな日に行くとはトホホだが、この日は東京マラソンでも強風が吹いていたというから、どの山も風は激しかったことだろう。
本格的な冬山の片鱗を見せてもらった山行だった。
いい経験になりました。
【行程】
23日:自宅(5:50)=稲子湯(10:30準備11:00)~しらびそ小屋(12:45)
24日:しらびそ小屋(5:20)~本沢温泉分岐(6:25)~本沢温泉(6:45)~夏沢峠(8:25準備8:35)~箕冠山三差路(9:30)~根石山荘(9:55準備10:10)~箕冠山三差路(10:20)~夏沢峠(11:05準備11:15)~本沢温泉(12:00昼食12:55)~しらびそ小屋(13:55休憩14:05)~稲子湯(15:00入浴15:50)=自宅19:30