山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

生藤山・陣馬山(下)

1月19日、笹尾根の東半分を歩いている。

次のピークは連行峰(1016m)
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昭文社の地図には「連行峰」とあるが、道標には「連行山」とある。
陣馬山の茶屋のおじさんが「れんぎょうほう」と言っていたし、こんな看板もかかっていたので、こちらの呼び方の方が一般的なのだろう。
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ここは樹木もすき間から、陣馬山が見下ろせたが、それほど眺望はよくないので、さくっと通過。
しかし、このあたりはちょっとしたコブにみんな名前が付いているのでありがたい。
1時間ほどの道のりの中で4つも稼いでしまった。

200mほど一気に下った峠が山の神(約805m)。
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昭文社の地図に「四角い石」との記載があるが、これのことか。
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「山の神」と彫ってある。

ここから8分ほど登ったところが、大ゾウリ山(837m)
現地には「大蔵里山」という表記で看板がかかっていた。
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次の山は醍醐丸(867m)だが、こちらにはトレースが付いていて助かった。
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夏には、こんな杖を使う人もいるのだろう。
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ここの登りでは、なぜかバランスを崩して前のめりに転んでしまった。
膝をついただけだったが、カメラが雪まみれになってしまった。

醍醐丸には13:40着。
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ここは八王子市の最高峰だそうだ。
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北面が開けており、奥多摩の大岳山が見えた。
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ベンチがあったが日陰で寒いので休まず通過。

下ったところが醍醐峠(約695m)。
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この先、20分ほど歩くと、林道に出て、間もなく和田峠(約690m)。
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ここに来るのは通算3度目。
1回目は大学1年。自転車部の二泊ツアーという行事で来た。
3日目の最後の難関で、ここではフリーラン(競争)となり、ビリを争った記憶がある。
当時は地道だったが、今は舗装されている。
こんな茶屋もなかったような気がするが・・
あの時にあったのが、この石碑。
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これが当時の写真である。
和田峠_オリジナルカラー
私は上から2段目の右端。貧乏で床屋にはめったに行かなかった。

2回目は家族と一緒に車で来て、陣馬山まで歩いた。
1991年のGWだった。下の子はまだ生まれておらず、長男が3歳の時だった。
この時はGWということもあって、かなり道路も混雑しており、細い道ですれ違いができず、上りも下りも完全に詰まってしまった。
このままでは、血栓のようになって身動きがとれなくなると思い、運転は妻に任せて、自分は道を走り出した。
そして、登って来る車を一台一台すべて止め、状況を説明して、広い場所で待機しているようお願いし続けた。
文句を言う人や無理やり進もうとする人は、幸い誰もいなかった。

これを峠の入口のバス停のあたりまで続けたところで、我が家の車が下りてきた。
私の任務はそこで終了と相成った。
そんな思い出のある場所なのである。
その記憶ばかりあって、陣馬山の記憶はほとんどない。
だから初めて行くようなものである。

ここで、単独のおじさんに話しかけられた。
生藤山から来たと言うと「そりゃ、相当なアルバイトだったねえ」とねぎらってくれた。
アルバイトかあ。山ヤさんがそういう言い方をするのを、どこかで読んだことがある。
発話で聞いたのは初めて。なるほど、しっくりする言葉なので、さっき使わせてもらった。
この方は、相模湖駅から登ってきたとのこと。
様子を聞くと、やはり最初から雪で、2~3人くらいしか歩いていない感じだったとのこと。
当初は相模湖まで歩くつもりだったが、もう午後2時15分。
昭文社の地図で相模湖まで稜線を行くと2時間40分かかる。
しかも雪なので、もっとかかるかもしれない。
完全に暗くなってしまうから、それは止めて、陣馬山から八王子側に下り、陣馬高原下バス停からバスで帰ることにした。

というわけで陣馬山(857m)に向かう。
ここはさすがに歩かれている。ちゃんと道ができていて、本当にありがたい。
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頂上には25分ほどで到着。
こんな広い高原になっている。
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山頂には茶屋が3軒あり、最も手前の「信玄茶屋」で休むことにした。
まだ登頂前だが、幟をしまい始めていたので、閉店されてしまっては困ると、飛び込んだのだ。
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なんとバッジを売っており、「陣馬山」だけでなく「生藤山」まであった。
当然、両方買う。900円。

おにぎりの残りとスープがあるのだが、なんとなくそばを頼んでしまった。
茶屋と言うと何か注文したくなってしまう。
陣馬そば。値段は忘れてしまった。650円だったか。
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社食で食べるような普通の山菜そばだが、山の上で食べるとやはりおいしい。
大根のビール漬けをサービスで出してくれた。これはうまかった。

聞くところによると、ここの茶屋は総業50年になるとのこと。
もっとも古い小屋は戦前からあるのだとか。
そんな昔から、ここにはハイカーが訪ねてきていたのだ。
やはり昭和30~40年代がピークで、それ以後は減り続けているが、最近は山ガールの進出で多少盛り返しているのだとか。
「女の子が来れば、男も来ますよ」
まあ、そうだろうなあ。

夜景もきれいだそうだが、夜中に山頂で花火をして、散らかしたまま帰っていく不届きな連中がときどきいるらしい。
茶屋には夜中人がいない。火事にだけはならないようにしてほしいものだ。

この茶屋はこんな立派な看板を用意してくれている。
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右奥に見えるのは大岳山。その左に奥多摩の山々が連なっている。

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雲取山は、この連行峰に隠れて見えないらしく、左奥に覗いているのは三頭山だ。

こちらは右奥が御前山、左奥が鷹ノ巣山だそうだ。
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富士山もよく見える。もう陽もだいぶ傾いてきたので、逆光加減。
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頂上には陣馬山のシンボル、白い馬の像がある。
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そして、私の雄姿である。
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いつも同じ格好で恥ずかしい。ゴアがこれしかないもので。

頂上まで上がってくると、正面に丹沢連峰が連なっている。
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そして、これが都心の眺め。
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確かに夜景はきれいだろう。

さて、頂上の雰囲気も満喫したので、バス停に向かって下山する。
バスの時間は毎時26分と言っていた。あと1時間以上ある。
ゆっくり下っても余裕だ。
案の定、道はしっかりしている。
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しっかりトレースのついた雪道は夏より歩きやすい。
樹林帯の中をひたすら下る。
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15:50、林道(都道521号線・陣馬街道)に出た。ここでアイゼンをはずす。
林道もあと1km以上歩かないといけない。
20年以上も前に、ここを走ったんだなあと思うと感慨深い。
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バス停のある三差路まで下りてくると、なんとなく昔の街道筋の面影を残している。
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このおそば屋さんもバスを待つハイカーで結構繁盛しているのかもしれない。
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バスは高尾駅行き。
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ここから高尾駅までの街道沿いも古い屋敷が数多く残る雰囲気のいいところだ。
車窓を見ながら帰るつもりが、やっぱり寝てしまった。

国分寺で乗り換え、この日は7時前に帰宅できた。
思った以上の積雪だったが、天気には恵まれた。
あすはもっと富士山の近くへ行こう。

【行程】
井戸バス停(9:00)~(アイゼン・スパッツ装着10分)~軍刀利神社(9:30)~奥の院(9:45)~(わかん装着10分)~分岐(10:50)~三国山(11:00撮影11:05)~生藤山(11:25昼食11:45)~辻丸(12:05)~連行峰(12:35)~山の神(13:00)~大蔵里山(13:10)~醍醐丸(13:40)~和田峠(14:15撮影14:20)~陣馬さ山(14:45間食・撮影15:15)~林道(15:50)~陣馬高原下バス停(16:15)
※歩行時間:5時間55分


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生藤山・陣馬山(上)

あの大雪の後である。
当初は避難小屋に泊まって、西丹沢を1周するプランを考えていたのだが、蛭ヶ岳山荘のHPに積雪1mとあるのを見て、おじけづいた。
私が歩こうと思っているのはそうメジャーなコースではない。
まともなトレースが付いているとは思えない。この前の雪は平地でも8cmの積雪があったくらいだから、登山口から最低30cmの積雪があることは容易に想像できる。
ラッセルになったら、おそらく避難小屋にはたどりつけないだろう。テントを背負ってラッセルする気にもなれない。

結局、そこそこ人気のありそうな低山を日帰りで行くことにした。
というわけで、1月19日は生藤山(990m)から陣馬山(854m)への縦走である。

中央線の上野原駅から8:28発の井戸行きバスに乗る。
この時間帯はあちこちに向かうバスが一斉に出る。
バスは満席。いつもなら、げんなりするが今日ばかりは人が多いほどいい。トレースを付けてもらえる。

終点の手前、石楯尾(いわだてお)神社前で半分以上が下りた。
生藤山への登山口は、この石楯尾神社と井戸バス停の先にある軍刀利(ぐんだり)神社の2つがある。
石楯尾神社からのコースは、距離はやや長いが、その分傾斜が緩やかで、こちらの方がより歩かれている印象である。

私は距離の短い軍刀利神社口を選んだ。
陣馬山からそのまま南下して相模湖駅まで縦走する計画だから、時間を惜しんだわけだ。

井戸バス停には8:50頃到着。バス停から富士山が見えて、びっくり。
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ここでも、多くの登山者が下りた。
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体操とトイレを済ませて、ちょうど9時に出発する。

新屋の集落を抜けると、富士山がよく見える。
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井戸の集落に入り、軍刀利神社の参道を登っていく。
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集落の入口で地元のおじさんに声をかけられた。
「雪深いよ」
「どのくらいありますか?」
「さあな、ここらで30cm積もったから」
「わかん持ってきてますから」
とは言ったものの、やはり相当深そうだ。

鳥居のところまで来ると、先行する男性の姿が見えた。
実はこの方が、ラッセルしてくれたのだ。

鳥居をくぐって間もなく、路面に雪が残るようになり、もう覚悟を決めて6枚歯のアイゼンとスパッツを装着する。
その間に、十数人ほどの高齢者のグループに抜かれた。
でも、その後すぐに抜き返し、9:30頃、神社に至る。
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この神社は1049年に勧請されたと伝わる。その名の通り、軍神として広く信仰を集め、武田信玄も自画讃を奉納しているそうだ。

長い階段を登っているうちに、若者のグループが追いついてきた。
やはり若い人は元気だ。
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賽銭を投げて、真面目に参拝する。雪の状況が分からないので、無事を祈願する。
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(あ、これは私ではありません)

裏に回って、奥之院への道はすでに、つぼ足状態。さっきの男性の足跡しかない。
一応、夏には車も入れる道のようだが、大雪の後は今日まで誰も入ってないようだ。
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奥之院は質素なたたずまい。
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平成5年に屋根の葺き替えが行われたようだ。
こういう工事は地元の人が金と手間を負担する。高齢者ばかりになると、神社の維持も大変になる。

一礼して通過。ここからが本格的な登山道。
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トレースはたった今できたばかりのもの。
ラッセルはどうしても歩幅が大きくなりがち。合わせて歩くのが結構きつい。
30分ほど植林の中を登っていくと、先行していた男性の姿が前方に見えてきた。
足を高く上げて必死でラッセルしているのが見える。
早く追いついて代わってあげたい気もする。

休んでくれれば、交代して差し上げられるのだが、こちらの姿を見て、スピードを上げたようにも見える。
ならば、こちらも急ぐのは止め、せっかく持ってきたので、わかんを試すことにした。

アイゼンをはずして、わかんを装着するのに、慣れていないものだから10分くらいかかった気がする。
で、歩いてみたが、アイゼンと同じように雪に沈む。
しかも、トレースが付いているところはかえって歩きにくい。
でも、わざわざ付けたのだから、しばらく我慢する。
15分ほどで、稜線に出て石楯尾神社からの道と合流。やはり、あちらの方がトレースがしっかりしている。

わかんをはずして、つぼ足をたどる。
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20分ほどで三国山(960m)に登頂。
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先行していた男性がベンチに腰を下ろしていたので、「お疲れさまでした」と声をかけた。「誰か歩いていると思ったんですけどねえ」
「ほんとに大変でしたね。でも、こちらはおかげさまで助かりました」
この方、もう60を超えているように見えた。ほんとにお疲れさまだ。

ここは実に見晴らしがいい。あまり期待していなかっただけに、うれしかった。
まずは定番の富士山
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左から聖岳、赤石岳、荒川三山
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三ツ峠山
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小金沢連嶺
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山頂には、いくつかベンチとテーブルがあったが、みな30cmほどの雪に埋もれていた。
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団体さんが上がってきたので、あわてて退散する。
先行しているのは、おそらく石楯尾神社から登ってきたご婦人2人組み。
その足跡をたどる。

少し下ったところが三国峠。
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ここから生藤山へは標高差で40mほど登り返す。

峠から5分で到着。さっきのご婦人たちが食事をしていたので、写真を撮ってもらった。
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ここも南側が開けており、富士山が見事。
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ベンチの雪をよけてお昼にする。コンビニおにぎりと温かいお味噌汁。
今日は風もなく、ぽかぽか陽気だ。

さて20分ほどで出発。引き続き稜線を歩く。相変わらず、雪は深い。
次のピークが茅丸(1019m)。いいかげんな名称だが、三頭山から続く笹尾根の南部では一番高い。
「登った山」を稼ぎたい私は当然登らないといけないのだが、なんとトレースがない。
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ねえ、みなさん。このあたりを歩くのに、このピークを落としちゃいけませんよ。
と思いつつ、処女地に足を踏み入れる。

この坂がかなりきつい。雪を一歩一歩踏み抜く形になるので、倍消耗する。
後ろから、さっき抜かしたおじさん2人が付いてきていたので、なおさらペースが上がってしまい、わずが5分ほどのアルバイトだったが、息も絶え絶えになってしまった。
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ここでは正面に大室山(1588m)が見えた。本当なら、今日はあそこに登っていたはずなのだ。
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東丹沢も大山から檜洞丸まですべて見えた。
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おじさんたちの話し声が聞こえてきたので、急いで下る。
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南斜面なので、わりと雪が少ない。

巻き道と合流すると、トレースは付いているものの、かなり歩きにくい。
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どうして、みんなこんなに大股なのだろうか。


(つづく)

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江の島(下)

1月13日、鎌倉・江ノ島駅界隈を歩いている。

お昼はこの通りで見つけた、しゃれたイタリアンの店に入った。
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これで「サポーレ イタリアーノ オンブラ」と読む。
旅先でイタめし屋に入るなんて、我ながらめずらしい。
このあたり、ちょっと日本食の値段が高い印象があったからかも。

昨年11月にオープンしたばかりの店のようだが、結構繁盛している。
私は3皿コースを頼んだ。1600円。前菜とパスタ、デザートの3皿である。
前菜は、8種類の創作料理がワンプレートにのっており、どれもものすごくおいしい。
前菜

メインのパスタは、益子産野菜のトマトソーススパゲティにしたが、これは意外にいまいちだった。
パスタ

デザートはイタリア定番の何とかというお菓子で、これはまたおいしかった。
いずれにしろ満腹。お昼に1時間もかかってしまった。
お金より時間の方がもったいなかった。

お店を出て一旦江ノ島駅の方に戻り、龍口明神社の旧社殿を見る。
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立派な鳥居や灯籠があるが、石段の上は封鎖されており、社殿はバラ線の間から覗くだけ。
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この神社は藤沢市内にある鎌倉市の飛び地に位置するため、昭和53年に適地に移転してしまったのだ。建物はあるが、神様だけ引っ越してしまったわけだ。
引っ越してから、四半世紀の時が経っているが、そんなに荒れているようには見えない。
取り壊せばいいものを、そのお金もないのかもしれない。
氏子さんも神様がいなくなったからと言って放置するわけにもいかず、定期的に清掃などしているのかもしれない。要するに神社が2つになったわけで、手間が増えたことだろうと思う。

この神社の石鳥居(大正15年建立)の東側は広場になっており、「龍の口刑場跡」の碑が立っている。
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ここは鎌倉時代に罪人が処刑された場所なのだが、日蓮上人が処刑されそうになった「法難の地」として有名だ。
国難が相次ぐのは法華経への信仰が薄れたからだと考える鎌倉幕府は1271年、浄土宗や禅宗などを誤った仏教であると攻撃する日蓮を逮捕した。
いよいよ処刑の瞬間、時あたかも江ノ島の方から満月のごとき光りものが飛んできて、執行人たちの目がくらみ、ついに日蓮の首を斬ることができなかったという伝説が残っている。
なるほど勉強になる。

この隣にある五輪塔はちょっとめずらしい。
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上から3番目の火輪が宝篋院塔的で、4番目の水輪がラグビーボールの形をしている。上からそれぞれ「妙・法・□・華・経」と題目が刻まれている。
たぶん火輪は石の種類も違うし、後世付け加えられたものだろう。

さて、いよいよ龍口寺に足を踏み入れる。
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日蓮法難の霊跡寺院である。

これは昭和48年に竣工したコンクリート製の仁王門だが、石段を上がると1864年に完成した山門がある。
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で、これが大本堂。
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間口12間、奥行き15間、欅造り銅板葺きの堂々たる建物で、1832年の建立である。
中には、日蓮が処刑される際に座らされた石が安置されている。
その石の上には皮が敷かれていたので、敷皮石と呼ばれる。
堂内撮影禁止で、その写真は撮れなかった。

本堂に向かって左手には、日蓮が処刑の日に入れられたという「御霊窟」があり、中には日蓮の銅像が安置されている。
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本堂の右側から裏手の山に登っていくと五重塔がある。
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明治43年の竣工。本格的な木造五重塔としては神奈川県で唯一のもので、関東大震災でも倒壊しなかったという。

塔の回りには、寄進の記念碑がいくつか立っていた。
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これは二段目の屋根の銅板を寄進したことを記念したもののようだ。

裏山を今度は左手に移動すると、七面堂。
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江戸初期に身延七面山の七面大明神を勧請したものとか。

「東海道名所図絵」にはここから望む江ノ島が描かれているという。実際に見えるのは江ノ島ではなく、小動(こゆるぎ)岬の山である。
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ここから西側の山を登り切ると、白亜の仏舎利塔がある。
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ネパールやタイを思い出す。
でも信心がないからなのか、こんなのを建てるお金があるなら、もっと使いようがあるのでは・・・と思ってしまう。
妙法寺の大僧伽・藤井日達さんという方が1970年に発願したのだそうだ。
高度成長の絶頂期だもんなあ。

ここからは景色がいいが、江ノ島は高層マンションが林立して見えにくくなっている。
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富士山ももう霞んで見えなくなってしまった。

実は、このお寺の鐘は鳴りやむことがない。
「延寿の鐘」として自由に撞いていいことになっているからだ。
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私もわずかな賽銭を投げ入れ、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えて、1回撞く。
これで少しは長生きできるだろうか。

3層の大屋根が連なる隣の建物は大書院。
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昭和初期に、信州松代の養蚕御殿(旧松代藩邸)を移築したものだそうだ。

てな感じで、龍口寺参拝を終え、併用軌道に戻る。
この道を腰越まで歩いて往復する。
この間何度も、江ノ電が行き交った。
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普通なら、車側からは邪魔者扱いされ、学校やPTAなどからは「子供が心配」と、専用軌道にするように求める声が上がりそうなものだが、そんなこともないようだ。
電車が来たら、車も人も立ち止まるのが当たり前。幸せな関係だと思う。江ノ電ははそれだけ愛されているということだろう。

脇道を抜けて、再び山手の方に向かう。
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すると、路地にこんな井戸と洗い場がまだ残っていた。
こういうのを見つけるのが、また街歩きの楽しみのひとつだ。

坂の入口に1804年建立の題目塔がある。
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その両脇の石柱にそれぞれ「法源寺」「ぼたもち寺」と彫られており、その下には「ぼたもち寺」の由来を記した石板がはめ込まれている。

それによると、かつて材木座で茶店を出していた老婆・桟敷の尼が小動岬の自宅に帰っていたところ、その前を法難にあった日蓮が通り過ぎたため、あわてて握り飯を差し出した。、日蓮はそれを落としてしまい、砂まみれになった握り飯はゴマをまぶしたぼた餅のようになってしまった。しかし、日蓮は最後の供養にという老婆の心を汲んで、喜んでそれを食べた。先に書いたように、日蓮は結果的に処刑を免れたため、このおにぎりは後世、「延命のぼたもち」「ご難よけのぼたもち」と呼ばれ、法難があった毎年9月12日に、この老婆が葬られているここ法源寺で、ぼたもちが振る舞われるようになったという。

このぼたもちはお菓子になって、龍口寺で売られていたが、500円もしたので買わなかった。これもケチってないで試しに買っておけば、話の種になったのだが。

さて、法源寺そのものはこじんまりした静かな寺である。
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本堂の裏に、鎌倉市の有形民俗資料に指定されている寛文七年(1667年)銘の庚申塔がある。
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境内にある墓地からは、小動岬を見下ろすことができた。
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山手の道を腰越に向かうと、戦没者慰霊の石塔が左手に見えてくる。
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「霊光無盡」と刻まれている。
これは、ちかくの腰越小学校の片隅に放置されていた忠魂碑を、地区の有志が昭和25年8月、この地に再建したもの。日清・日露戦争から第1次世界大戦、太平洋戦争までのこの地域の戦没者の氏名を記した石碑も隣にある。

しばらく歩いて、腰越駅に到着。
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まだ電車には乗らない。踏切を越えて、さっき眺めた小動岬に向かう。

その前に、腰越漁港が見えたので立ち寄った。
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夕日に江ノ島のシルエットが浮かんでいる。

海岸にはまだ家族連れなどが遊んでいた。
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あのマンションはさぞ見晴らしがいいのだろうが、自分自身が景観を損ねていることにも気づいてほしい。
しかし、不動産会社は収益のためには、作らないといけないのでしょうねえ。
自分がそんなことに手を染めないで済む会社に就職できたのはよかったと思うしかない。

路地をつたって、国道を渡ると小動神社。
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文治年間(1185~90年)、頼朝挙兵の当初から源氏方に参じ、のちに弟の範頼に従って源平合戦で活躍した佐々木三郎盛綱が、近江国の八王子宮を勧請したのが始まりとされる。
また、新田義貞が1333年5月、鎌倉侵攻に際して、この神社に戦勝を祈願し、大願成就ののち、社殿を再興したと伝わる。
この神様はどっちの味方なんだろう。そういうことは、そもそも関係ないのか。

石段を登ると昭和4年に再建された社殿があり、境内社として金刀比羅宮などが祀られている。
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比較的広い境内には展望台がある。
手すりに乗っかって眺めると、小動岬が望めた。
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こちらは腰越漁港と江ノ島。
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江ノ島大橋には歩いて家路に急ぐ観光客の姿が大勢見えた。今日は随分賑わったようだ。
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こちらも帰途に付くことにする。
でも、夕暮れの湘南の雰囲気も味わいたいので、七里ヶ浜駅まで歩くことにした。
国道はこんな渋滞である。
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鎌倉高校前駅を見送って、さらに歩く。
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相模湾を見下ろすお寺に友人の墓がある。
久々にご挨拶をして、この旅を終えた。

(おわり)



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江の島(上)

1月13日はすこぶるいい天気だったのだが、この日は朝いちで病院に行かねばならず、山へ行く時間はなかった。なので、用が済んだ後、またまた鎌倉散策に向かった。

今回の目的地は江ノ島駅周辺。江ノ島に来て、江ノ島に行かないのもへそ曲がりだが、すでに行ったことがあるので、行ったことのない場所を優先した。
歩いたのは藤沢市の片瀬界隈と鎌倉市の腰越界隈である。

11時前に、湘南モノレールで湘南江の島駅に到着。
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湘南モノレールは一昨年初めて江の島まで完乗したのだが、モノレールにトンネルがあることを知って、びっくり。丘を越えて海岸に向かうので車窓風景も変化に富んでおり、この日は富士山がくっきりと見えた。

朝早かったのでもうお腹が空いてしまった。国道を渡ったところにある魚料理の「舟ぜん」にそそられたが、値段が結構高い。
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今入れば、店が空いているうちに食べられると思ったのだが、結局大枚はたく(それほどでもないのだが)勇気が出ず、そのまま歩き出してしまった。

するとすぐ左手の道端に「寛文庚申供養塔」がある。
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かつては日本中で庚申待ちといって、60日に1回めぐってくる庚申の日の夜は眠らずに過ごして無病息災を願う風習があった。
庚申供養塔もしくは庚申塔とは、その記念に建てたもので、江戸時代のものは全国各地にある。ちょっとした田舎には必ずどこかに残っていると言ってもいい。
庚申待ちとは、庚申の日に寝てしまうと、三尸(さんし)という虫が体から抜け出して、その人の罪を天帝に伝えてしまうため、寿命が短くなるという道教の教えに基づくものだ。
だから、庚申塔には三尸に告げられないように「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿が彫られていることが多い。
この供養塔は寛文年間(1661~73年)に造立され、天保13年(1842年)に修理されたものと考えられていると、説明板にあった。

ここから神谷道倫著『深く歩く 鎌倉史跡散策』に従って、旧跡を訪ねていく。
以下の説明はほぼ、この著作に基づく。

次は一遍上人地蔵堂跡だが、そこに行く途中、閑静な住宅街の中に、妙なものを見つけた。
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ほとんど廃屋状態の家の前にペットボトルで作った飾り(?)が無数に括りつけられている。何かのアートなのだろうか。

で、一遍上人地蔵堂跡は「片瀬3丁目まちかど公園」という小さな公園の中にある。
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この説明板が立っているだけなのだが、それによると
時宗を開いた一遍(1239~1289年)が1281年3月1日、全国を遊行中、鎌倉に入ろうとしたところ、時の執権・北条時宗に拒まれ、ここ片瀬の浜の地蔵堂に4か月ほど留まり、布教に努めたという。その地蔵堂の跡がこのあたりだと伝えられるのだそうだ。

住宅街を北に進むと、諏訪神社下社にぶつかる。
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神社はまだ何となく正月気分が残っている。

いい加減、お腹がぐーぐー言い出したので、一旦国道に出て店を探すと、セブン―イレブンがあった。お昼はどこかでちゃんと食べるとして、とりあえずつなぎのパンを購入。食べながら歩く。

片瀬小学校の校門前に、「ゑ能し満(江の島)道」と刻まれた石標が立っている。
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上部には弁財天を示す種子(しゅじ)「ソ」を示す梵字が刻まれ、両側面に「一切衆生」「二世安楽」と記されている。生きとし行けるものの二世(現世及び来世)の平穏無事を祈念した文句だ。

この道標は江の島弁財天を篤く信仰した杉山和一検校(けんぎょう)(1610~94年)が、江島神社への参詣者のために48か所に建てたものの1つである。
現在は藤沢市内に11基残されているらしい。
検校というのは盲人の最高位のことで、有名な検校には八橋検校や塙保己一などがいる。

ここからとって返して南に向かうと、左手に諏訪神社上社が現れる。
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拝殿は高台にあり、ここから富士山がきれいに望めた。
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こちらは江の島。
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近くの密蔵寺には本尊の愛染明王にちなみ「愛染かつら」の木がある。
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これは、戦前の映画「愛染かつら」に看護婦役で出演した女優の木暮実千代が昭和30年に植樹したものだという。
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境内には弘法大師の石像がずらりと並んでいた。
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江の島弁財天道標はこの近くにいくつもある(左。右は庚申塔)。
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この先の本蓮寺へはあかぬけた参道を通っていく。
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左手に「鎌倉殿 駒繋の松」がある。
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頼朝が1182年4月にこの地で休息することがあり、その時に馬をつないだのが、この門前の松だと伝えられる。
戦前までは樹齢750年の老松があったという。

境内はよく整備されており、なかなか立派な庭もある。
その中に、鎌倉幕府6代将軍宗尊(むねたか)親王の歌碑がある。
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「帰り来て又見ん事も固瀬(片瀬)川濁れる水のすまぬ世なれば」
将軍とは名ばかり、当時の実権は北条氏が握っていた。
1266年6月、宗尊親王をめぐって不穏な動きがあり、翌月、京に送還されることになってしまった。
その途中、ここ本蓮寺で詠んだのが、この歌。
「濁って澄むことのない鎌倉に二度と戻ってくることはないだろう」と北条氏を非難しているわけだ。

杉山検校が建てた道標のうち、1つだけ特別なものがある。
「西行のもどり松」と刻まれているものだ。
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もどり松とは、西行(1118~1190年)が東国に下った際、この松の枝ぶりの見事さに都が恋しくなり、思わず振り返り、松の枝も西へねじってしまったと伝えられる松のこと。

近年、植え継いだと思しき現在の松もこころなしか西にねじれている。
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間もなく常立寺。
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ここには、斬首された中国・元からの使いを供養する元使塚がある。
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1275年、元の皇帝フビライは日本に通交を求めるため杜世忠、何分著ら5人の使者を派遣した。しかし、時の執権・北条時宗は彼らを斬首してしまう。
このため、6年後の1281年の弘安の役を呼び込むこととなるのだが、日本は神風によって助かったのはご存じの通り。
斬首された5人はこの寺に葬られたと伝えられ、5つの五輪塔が残っている。
どれにも、モンゴルの行事では必ず用いられる青いカタが幾重にもかけられていた。
後ろにあるのは、大正14年に建立された供養碑である。

常立寺を出て左(江の島方面)に向かうと、湘南江の島駅の手前でY字路となり、その分岐に江の島弁財天の道標がある。
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向かって右面には「従是(これより)右江嶋道」、左面には「左龍口(たつのくち)道」と彫ってある。これは、例の杉山検校が寄進したものではないという。

コースは左なのだが、右へ進んでさっきの「舟ぜん」に向かう。
本格的にお腹がすいた。
しかし、扉を開けると、ほぼ満席。
これでは随分、待たされると思い、別の店に行くことにした。

せっかく江ノ電江ノ島駅の近くまで来たので駅舎を撮影。
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ハーフチンバー風の三角屋根が印象的な木造駅舎だ。
駅員さんに聞いたところ、建築はわりと新しく平成元年か2年頃だという。

さて、今日の目的の1つである江ノ電の併用軌道見学である。
江ノ電は民家の軒先すれすれのところを走ることでもよく知られているが、基本的には専用軌道である。わずかに江ノ島~腰越間500mほどが併用軌道となっている。
以前、江ノ電に乗って、ここを走った時、「わあ、ここを歩いてみたい!」って思ったのだ。

やっとその日が来た(ってほど、おおげさなものではないが)。

まずは江の島駅から車道に飛び出す踏切がすごい。
いきなり交差点に出てくる。それも五差路。
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五差路なのに、江ノ電がそこを斜めに横切るものだから、信号がない。遮断機もない。つけようがないのだろう。
電車が通る時は一応、警報機は鳴るのだが、車はみな呼吸を合わせるしかない。

この日は日曜日で車通りも激しいとのことで、警備員というか交通整理の人が2人いた。
警報機が鳴り始めると警備員さんが車を止める。
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こんなんでよく事故が起きないものだと思う。
逆にみな注意するのかもしれない。

この交差点に名物なのであろう、「江ノ電最中」の店「扇屋」がある。
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見ての通り、車両が店舗に埋め込まれている。
最中は1個130円だったが、なんか乗せられるのがシャクで買わなかった。
ちょっと失敗した気分。

で、併用軌道はこんな風になっている。
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まともな歩道がないので、人が歩くと、車は必ず、軌道に乗り入れてしまう。
それが普通の風景。
でも、電車が来ると当然きちんとよけなければならず、よけ方が足りないと、電車が止まってしまうことも。
なんとも昭和チックな風景で、見ていて飽きない。
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沿道にも、こんなレトロな自転車屋さんと写真館があった。
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(つづく)


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雨ヶ岳・竜ヶ岳(下)

雨が岳・竜ヶ岳登山のつづきです。

雨が岳の下山路はかなり歩かれていて、雪が固まっている。
私はチェーンを装着、おつ山さんもアイゼンを着けた。
でも、チェーンでも滑ってしまいそうな凍結箇所が続き、あえてヤブを歩いたりして、慎重に下ったら、登りではほとんどかかなかった汗をかいてしまった。

それにしても、富士山に向かって歩くのって、ほんとに気持ちがいい。
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正面に竜ヶ岳の頂上が見下ろせる。
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もう霧氷も解けてしまったようだ。

左手には真っ青な本栖湖。
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富士五湖がこんな色に見えたのは初めてだ。

富士山の表情はあまり変わらないのだが、まわりの雲は七変化で、しばらく目を離すと全く違うものに変わっているのには驚かされる。
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やはり、富士山上空の大気は動きが激しいのだ。

雨ヶ岳を振り返ると、こちらにも不思議な雲が。
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標高差500mを一気に下り、11:10に端足峠(1256m)に到着。
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これで「はしたとうげ」と読む。

これから登る竜ヶ岳は、なぜ竜なのかと思うくらいやさしげな山だ。
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登り始めると、ササの急斜面で雨ヶ岳の登りとは比べものにならないくらい展望が利く。
しばらく、お付き合いのほどを。

まずは、またまた富士山。
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中央に鳳凰三山。その上に白く見えるのが、後ろにある甲斐駒。左の白いのは仙丈。
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北岳
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農鳥岳(左)と間ノ岳(右)
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雨ヶ岳
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荒川三山(右)と赤石岳(左)
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写真を撮っているうちに、随分遅れをとってしまった。
やっと追いついて、「おつ山さんも休みませんねえ」と話しかけると、「いやいつも、よく休むんですよ。今日はお互い気を遣っちゃったんですかね」との答え。
じゃあ、ってんで休むことに。
まだ、山腹だが、頂上は風が強いと寒そうだから、ついでにお昼も食べてしまうことにした。考えてみれば、もう11時半だ。

私はおにぎり。テルモスのお湯で熱いお味噌汁とともに。
もう1つ、と思って袋の中を見ると、あと2つあるはずのおにぎりがない。
あ~車の中に置いて来てしまったんだ。こりゃ、ビバークしなきゃいけない事態になったら後悔するだろうなあ。車で出かけると必ず何かへまをする。
仕方なく、朝の残りというか予備のパンであるカレーパンをみそ汁で食べる。まずい。
でも、そんな素振りはおつ山さんには見せず、何食わぬ顔。

先に歩き始めたおつ山さんが「この先また凍ってます」とアイゼンを着けている。
私も今度はチェーンではなく、4枚歯を着けてみることにした。
初めてだが、ゴム式で簡単に装着できて、歩き心地も悪くなかった。

実はここまで竜ヶ岳の登りは、霜が解けて路面がぬかるんでいた。
スパッツを着けるのが面倒で、ズボンの裾をソックスの中に入れていたのだけど、靴は泥だらけだったので、随分手が汚れてしまった。

少しだけ樹林帯の中を歩くと、またすぐササ原となり、頂上はすぐそこだ。
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12:15山頂着。
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ここからの眺めもまた抜群。

まずは八ヶ岳
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白峰三山
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荒川三山
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最も高いのが悪沢岳だが、前日、深田久弥の「日本百名山」の悪沢岳を読んできたばかりだったので、あれかあと見入ってしまった。

ちょこんと顔を出している聖岳
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赤石岳
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瑞牆山(左)と金峰山(中央右)
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天子山地
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左から王岳、鬼ヶ岳、十二ヶ岳、黒岳
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三ツ峠山(奥)と足和田山(手前)
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どれもこれも、実に見事。この眺望のすばらしさに「竜ヶ岳は私のベスト10に入れてもいいくらいです」と言ったら、「そういうのって天気に左右されるんですよね」と笑われた。
確かに。でも、それを差し引いても、やはりベスト10だ。

竜ヶ岳の標柱が折れて倒れていたので、少しだけ復元してあげた。
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頂上は広~~い広場になっており、ベンチもあった。

少し風も強かったので10分ほど撮影して出発。
「下りるのがもったいないですねえ」とおつ山さん。まさに同感。
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下山路は2つある。遠回りになるがササ原の展望のいい方を選ぶ。

撮影ポイントだらけで、どんどんおつ山さんに置いてかれてしまう。
本栖湖の向こうにパノラマ台と三方分山、背後には奥秩父の峰々。
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青木ヶ原の樹海
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竜ヶ岳山腹の東屋
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ここで、ぐっと引いて、富士山の雄大なすそ野
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東屋まで下りてくると、石仏があった。
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でも厳重な囲いに守られ、まともに写真も撮れないし、手を合わせる気にもならない。
いたずらした人がいたのかもしれないが、もう少しやりようもあったのではなかろうか。

ここまでの下りはぬかるんではいたが、ずっとつづら折れで歩きやすくはなっている。
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だいぶ下ったところにベンチがあったので小休止。
ここからは本栖湖の眺めがよかった。
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何度も言うが、ものすごい青さである。
はるか向こうに八ヶ岳と鳳凰三山も望める。

ここから最後の下りで、おつ山さんの登山靴のソールが剥がれてしまった。
修理に出している靴が間に合わず、古いのを履いてきたとのことだったが、こちらも破損。
もう終盤だったのが不幸中の幸いだが、歩きにくそうだったので、靴ひもを底にまわして縛ってみることを提案したら、なんとか車までは持ちこたえてくれたようだ。

湖畔のキャンプ場には13:55に到着。標準タイムより約1時間早かった。
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おつかれ山でした。
そうそう忘れるところだった。ここで、前回お借りした100円を返済。
「利子もなく、すいません」

今度はおつ山さんの車でさっきの場所まで移動。
帰る方向が逆なので、連れ湯は断念し、ここでバイバイ。
今度はまた季節のいい時に登りたいものです。

ここからは単独行動。まだ明るくて、このまま帰るのはもったいない。
あちこちで写真を撮りながら日帰り温泉に向かう。
これは、今登ってきた竜ヶ岳の全容。
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富士山と大室山
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富士山にたかる観光客たち。
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氷の芸術と富士山
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風呂は西湖のほとりの「いずみの湯」。900円とちょっと高いが、正面は十二ヶ岳。
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ふ~~気持ちいい。

風呂から出てもまだ明るい。
ついでなので河口湖畔を経由。
夕暮れの河口湖と御坂の山々を撮ろうとしたら、裏山にサルの集団が。
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そして、河口湖ともさようなら。
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帰りはほとんど渋滞もなく、6時過ぎには帰宅できた。

この翌々日、河口湖には40cmの雪が積もったそうで、竜ヶ岳はいまスノーシューの山となっていることでしょう。

【今回の行程】
本栖湖いこいの森キャンプ場(7:00)~佛峠(7:40)~御飯峠(8:15)~鞍部(9:00)~雨ヶ岳(10:00休憩10:25)~端足峠(11:10)~昼食(11:30~11:55)~竜ヶ岳(12:20休憩12:30)~東屋(13:00)~本栖湖キャンプ場(13:55)

(おわり)


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雨が岳・竜ヶ岳(上)

ブログで知り合ったおつ山さんと初めて一緒に山へ行ってから1月半。
今度はサシで登りましょう、との約束を、1月12日に果たした。
先日のブログでも紹介したが、当初は西伊豆を提案したのだが、結果的に富士山西麓の竜ヶ岳ということになった。

ちょっとハードなコースを提案しますよ、と言って送ったのが以下のプラン。
本栖湖南西岸の本栖湖キャンプ場で待ち合わせ。車を1台ここにデポして、ぐるりと本栖湖を回って南東岸の本栖キャンプ場(こちらは「湖」が付かない=昭文社の地図による)へ移動。そこから登り始め、仏峠、御飯峠を経て雨ヶ岳(1772m)にまず登頂。そこから端足峠に下りて、竜ヶ岳(1485m)に登り返し、本栖湖キャンプ場に下山するというもの。
昭文社の地図では、7時間50分のコースとなっている。

おつ山さんはこのプランを聞いてびっくりしたようだ。
地図に、仏峠から雨ヶ岳に登るコースが書いてないというのである。
実は、このコースに線が引かれたのは最近のことのようだ。
私の持っている地図は2011年版だが、会社にある2005年版のものには書かれてなかった。おつ山さんのは2007年版とのこと。
心配そうなおつ山さんに「大丈夫。私の地図には載っています。仏峠から雨ヶ岳のコースタイムは2時間50分です」とメールしたら、「コースタイムが載っていると聞いて安心しました。じゃあ、それで」という返事が来た。でも、ほんとはウソをついているのではと当日まで疑っていたらしい。疑り深い方だ(笑)

キャンプ場には朝6時半の待ち合わせ。おつ山さんは前夜から、近くの道の駅朝霧高原に車中泊。
私は朝4時に所沢の自宅を出発した。前夜は早めに寝たつもりだが、それでもさすがに眠い。
高速はあまり気にしないですんだが、国道139号は路面に霜が降りていて、少々怖かった。ノーマルタイヤのままなので。スピードを落として、ゆっくり走った。

待ち合わせ場所には6時10分に到着。おつ山さんも間もなく現れた。
彼の車をデポして、私の車で移動する。
6時半ともなると、もうだいぶ明るい。
天気は晴だが、竜ヶ岳の山頂には雲がまとわりついている。
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まあ、これも太陽が昇れば消えるだろう。

本栖湖の湖岸には、ダイヤモンド富士を撮ろうと、大勢のカメラマンが日の出を待っている。富士山の山腹には帯のような雲が出ていたが、今日はおそらく条件はいいだろう。

車は、本栖湖いこいの森キャンプ場(正式にはこういう名称だった)の駐車場に駐めた。
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登山道はここの管理棟の左脇を抜けていくように昭文社の地図には書いてあるのだが、それらしき道は見当たらない。
2万5000分の1の地形図を見ると、道は管理棟の右にある。
右に行ってみると、そちらにあった。
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登山口は大事なのだから、ちゃんと正しく書いてほしいものだ。
というわけで、ちょうど7時に出発。

仏峠までの道はかつての生活道路だったようで、歩きやすい勾配で登っていく。
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このあたりの道は「峠道文化の森」として保護されているようだ。

道の途中に、いくつもこんな標識があった。
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最初は、750というのは標高のことかと思ったが、本栖湖自体が標高900mなのであり得ない。
道に沿って、ずっと同じデザインの看板が一定間隔で吊されており、なんか意味があるのだろうが、知らない人には全く理解不能だ。
鶴と月と富士山と750。この暗号、誰か解いてください。

少しずつ高度を稼いでいくと、木々のすき間に本栖湖が見えてくる。
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7:35に仏峠に到着した。
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ここは昭文社の地図で言うところの「稜線分岐(仏峠)」で、生活道路としての仏峠ではない。

ここからは木々の向こうに、朝日に照らされた南アルプスが望めた。
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おつ山さんは、竜ヶ岳からは南アルプスがきれいに見えるんですよね~という。
う~む、竜ヶ岳に先に登った方がよかっただろうか。

ひとつこぶを越えて下った鞍部が、ほんとうの佛峠(1130m)である。
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ちょうど、緩やかな切通し状になっており、いかにも昔の峠っぽい。
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ここからは古びた階段を登る。
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まわりはすっかり日が昇ったようだが、ここはブナの森がわりと密でなかなか明るくならない。
と思っていたら、いきなり八ヶ岳が見えたりして、歓声をあげる。
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中央が赤岳、その左が阿弥陀、左端が権現であろう。

そして、8時前になってやっと、こちらにも日が差してきた。
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と同時に富士山のシルエットが竜ヶ岳の後ろから姿を現した。
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なかなか幻想的な風景である。

1333mの小ピークを越えたところが御飯峠。「ごはんとうげ」とそのまま読むのだろうか。
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わりと開けた明るい場所だ。

ここから右に下ると、身延町の栃代集落に出る。
左に行くと、さっきのキャンプ場に戻れる。
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そして直進すると雨ヶ岳だが、この先は古い昭文社の山地図にも地形図にも、道の表記はない。新しい山地図に「北尾根コースは経験者向き リボン・テープを見逃さないこと」と書いてある。
つまり、これはリボンやテープで誘導してくれるということで、それほど心配する必要はない。

しかし、踏み跡は徐々に不明瞭になり、赤テープが頼りになってくる。
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それでもしばらくは、尾根筋がはっきりしていたので道に迷うことはなかったのだが、1393mピークあたりで、状況が怪しくなった。
ここで、尾根が二つに分かれている。右に向かう方に何となく、わりとはっきりした踏み跡がある。
しかし、こちらに進むと、正面に見えるはずの雨ヶ岳のピークが左後方になってしまう。
直進方向に進むのが正しいと思われるのだが、赤テープが右っぽい位置にあるものだから、試しに行ってみることにした。

標高差にして50mほど下っただろうか。
踏み跡は依然としてあるものの、さっぱり赤テープは出てこなくなってしまった。
やはりおかしい。おつ山さんと地形図を確認し、山腹を巻き気味に、もう1つの尾根方向に移動する。
すると、山地図に「鞍部」とある場所と思しき地形を発見。
その尾根に立つと、立派な踏み跡と赤テープがあった。
やっと正しい道に戻れた。ロスタイムは20分くらいだろうか。

このあたり、なかなか眺望に恵まれた。
こちらは北岳
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かっこい~!

左手には、竜ヶ岳
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頂上には霧氷が見える。

振り返ると、御坂山塊
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そして、奥秩父の金峰山(左)と国師(右)
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大菩薩嶺も
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道迷いから脱出しただけに、気持ちも晴れ晴れ。

1500mを超えたあたりから雪が残りだした。
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北斜面で日も隠れてしまい、止まると寒いものだから、ついついペースが上がってしまう。
このあたりは、おつ山さんとは随分離れて歩いた。

鞍部から標高差450mほどを、黙々と1時間かけて登り、10時ちょうどに雨ヶ岳山頂に到着。今までの暗さから一気に開放された。
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そして正面にズド~ンと富士山。
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しかし、残念なことに、頂上に山の標識がない。
これがそうらしいのだが、完全に判読不能になっている。
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まあ、それはもう仕方ない。

眼下には霧氷で真っ白になった大室山(1468m)。富士山の寄生火山である。
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駿河湾と伊豆半島
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南の稜線に連なるタカデッキ(1921m)
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朝霧高原
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頂上はわりと広いササ原で、暮れに降ったと思われる雪が5cmほど積もっていた。
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ここまで、ほとんど休まず来たが、立ったまま25分ほど休憩。
おつ山さんからいただいたナッツをかじりながら、ひたすら景色を堪能した。
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それにしても、なぜ富士山がこんなに日本人の心をとらえるのだろう。
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目の前で眺めながら、少し考えてみた。

やはり独立峰であることが大きい。
例えば、第2位である南アルプスの北岳が日本一だったとしたら、これほどまでには愛されなかったろう。山脈の中の1つのピークではいけないのだ。
それから、その姿かたち。独立峰であることと重なるが、みごとに端正な円すい形をしている。
太宰治はあまりにおあつらえ向きなその姿を「風呂屋のペンキ絵」みたいだと皮肉ったが、あまりに整っているからこそ、風呂屋のペンキ絵の題材になったのだ。

それと、標高が第2位を圧倒的に引き離している点も見逃せない。
富士山は3776m、北岳は3192m、穂高3190m、槍3180m・・・
北アルプスや南アルプスに3000m級の山が勢ぞろいしているが、いずれも3200m以下で、富士山より500m以上も低い。この横綱感がたまらない。

もう1つ挙げるなら、日本列島のほぼ真ん中にあることだ。
九州の最高峰は屋久島の宮之浦岳だが、本土にないので、なんとなくイカサマ感がある。
やはり富士山にはケチの付けようがないのである。
完璧なのだ。
そんなことを考えたのであった。
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(つづく)





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西伊豆(下)金冠山

1回飛びましたが、西伊豆山行の後半。
達磨山から下ってきたところです。

いったん車道まで下りて、小達磨への登りとなる。
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実は私も学生時代、250ccに乗っていた。SUZUKIのGSXである。
大学の先輩から、13万円で譲り受けた。必死でバイトしたなあ。

伊豆や箱根は自転車の通れない観光道路が多いので、そういう道はバイクで走った。
帰りの西湘バイパスで100km出したら、バイクがキーンというすごい音を立てて空を飛びそうになったことがある。今思い出しても恐ろしい。

それはともかく先行の4人を、ここで追い越す。
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これが小達磨山。暖帯林で覆われている。
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頂上は全く、展望がないので通過。
下りは多少開けており、正面に相変わらず富士山が見える。
そして金冠山も
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アセビのトンネルを抜けて
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下りきったところが戸田峠(13:00着)。
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道路を渡って、しばらく舗装された歩道を歩き、最後のひと登りで金冠山山頂(13:15着)。
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ここは伊豆で言うと、富士山の一番近くにある。
それだけに、やはりデカイ。
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沼津アルプスも一望のもと。いつか初心者と来てみたいところだ。
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それでも、香貫山、徳倉山、鷲頭山、太平山、大嵐山とすべて縦走すると6時間かかる。
高さは大したことはないが、距離だけはある。

中段に連なるのは、左から発端丈山(410m)、頂上までロープウエイが通じている葛城山(452m)、東側が断崖絶壁になっている城山(342m)。
こちらも初心者向けのコースだ。
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で、私@金冠山。
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写真は、近くにいた老夫婦に撮ってもらった。
「どちらから?」と聞かれたので、「埼玉です」と答えたら、「え、そう? 今、うちの息子も埼玉なんです。本庄ですよ」とテンションの高い反応。
こういう時、誠に返答に困る。
借りに「うちの息子も所沢です」と言われたとしても、「ああ、そうですか」としか言いようがない。奇遇というほどでもないし。
まあ、向こうがそんなことで喜んでくれるなら、それはそれでいいのだけど。

さて、下山。1回開けた場所に出た後はひたすら樹林帯の中である。
分岐から真城峠までは3.7km。
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こんな気持ち悪いところを延々と歩く。
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景色も何も見えず、単調な下り道なので、歌が出てきた。
思いつくままに延々と大声で歌い続けた。
だいたい、70~80年代の歌謡曲。喝采、夜空、襟裳岬、シクラメンの香り、北の宿から・・・なんてレコード大賞シリーズも結構そらで歌える。
この時間にこの道を誰かが歩いてくるなんて考えられないので、全く恥ずかしくなかった。

歌っているうちに奥山(762m)に到着。
簡単な標識があったので写真だけ撮って通過。
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さっきの老夫婦は、「こちらから登ってきた。人がいなくて、好きなコースだ」と言っていたけど、人がいないのは確かだが、こんな眺望のないコース、私は好きにはなれない。

ただ、ほんとになだらかな歩きやすい道であることは間違いない。
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途中、一瞬だけ北面が開けた場所があり、間近に愛鷹山系を見ることができた。
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真城峠に下りる直前、左に折れた場所にゴセト山という小ピークがあるように昭文社の地図に書いてある。
現地で当たりをつけて行ってみたが、それらしき場所に何の標識もなかった。
あそこではなかったのかもしれないが、一応登ったことにする。

で、14:35真城峠に到着。これで「さなぎ」峠と読む。
ここには、1990年に大学時代の友人と自転車で一度来たことがある。
当時は舗装こそされていたが、林道に毛の生えたような細い峠道だったのに、いつ改修されたのかかなり幅員のある道路になっており、交通量もかなりある。
まったく面影がないので、当時の風景を思い出すことができない。

峠から見晴らしのいいところまで歩いて登って、おにぎりを食べた記憶があるんだけど、それもどこだったのか全然分からない。

さて、最後に登るべきは真城山。しかし山頂に通じる登山道の線が地図には書かれていない。
地図には真城山のすぐ下に491.8という標高の表記があり、峠のすぐ横にその地点を示す黒ポチがある。
これを何となく山頂の位置だと思い込んでいたのだが、よくよく見ると、そうではなくこの黒ポチは峠自体のことで、数字も峠の高さだ。
地図上の表記の位置取りがまぎらわしいので、そう思ってしまったようだ。
この日は地形図を持ってきていなかったが、帰宅して確認すると、やはり峠の高さだった。

まあいい。目の前に見える標高差にして70~80mほどの山が真城山であることは間違いない。登ったところで何も見えないことも、ここから見るだけでよく分かる。
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しかし、登った山を1つ増やしたい。

たまたま、なぜかパトカーが駐まっていたので、お巡りさんに、あの山に登る道はあるかと聞いてみた。
すると、そのゲートのある林道を行くと頂上のはずだけど、なんか県の施設があって立入禁止になっているんだよ、という。

えっ、林道のまま行けるの! と色めきたったが、警察官の目の前でゲート破りをすることはできない。
ちょっぴり悔しいが諦めることにした。だって、この人、何のためにここにいるのか知らないけど、ずっと立ち去らないんだもん。
というわけで本日の山行は終了。
車道をバス停まで歩く。県道18号にある古宇口バス停まで徒歩30分の距離。
3時過ぎには着いてしまうが、バスの時刻はおそらく16:50分台。
2時間近く待たなくてはならない。
それはいやなので、古宇口の先、戸田峠まで歩くことにした。

古宇口までの道は、改修前の旧道があちこちに残っていた。
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下から見上げる達磨山(右)と金冠山(アンテナのある山)
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途中の湧き水で一服。木のコップは静岡の吐月峰で求めたマイカップ。
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だいぶ登ってきたが、車道歩きもだんだんいやになってきた。
ヒッチハイクで百名山を完登した人の話を「山と渓谷」の1月号で読んだ時には、そんなことする気にすらならないと思ったものだが、今はさすがに乗せてほしい気分。
ヒッチハイクをしたいが、なかなか勇気が出ない。

そんな折、軽トラックで作業をしているおじさんに声をかけられた。
「どこから来たんだい?」
「船原峠から真城峠まで縦走して、今、バス停のある戸田峠まで登り返しているところです」
たくさん歩いたことをアピールして同情を買う作戦だが、反応はにぶい。
「そう、気をつけて」
おいおい、乗せてくれないの? すこし食い下がってみる。
「これ何ですか」
「コーゲだよ」
「こうげ?」
「香る花と書いて、こうげ。仏様に供える香りのある花のことだよ」
「カタカナで書く植物名はなんて言うんですか」
「シキミって言うんだ」
「ここで栽培してるんですか」
「ああ、この辺みんな香花の畑だよ」
おじさんは香花の束を荷台に積み込むと、運転席に乗って下田方面に行ってしまった。
方向が逆じゃあ仕方ない。

見ると、車道から下の斜面は確かに植林状になっている。
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アップにするとこう。
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ちぎって匂いをかいでみると、確かにいい香りがした。

16:05、だいぶ陽も傾いてきた頃、ごぜ展望台に到着。
ここは、昔々、瞽女(ごぜ=盲目の旅芸人)が山越えする際に大雪に遭って凍え死んだ場所。雪が消えてから、村人が遺体を見つけ、彼女たちのなきがらを懇ろに葬ったという。その後、旅人の安全を祈り、観音様を祭り、ごぜ観音と言われるようになったとか。
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この展望台からは奥山からゴゼト山の稜線や
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太平洋を赤く染める夕焼けを望むことができた。
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影もこんなに長くなってしまったが
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峠までは、まだしばらくある。

そして16時半。ようやく戸田峠にたどり着いた。
さっき通過してから3時間半経っている。
バスの時間は17:01。あと30分ある。

バス停の礎石に腰を下ろして、とにかくダウンを着込み、熱いスープを飲む。
名前を忘れてしまったが、トマトに生姜を混ぜたピリ辛スープで、これがかなりイケて、2杯も飲んでしまった。

そうこうしているうちに、トレランの男性2人が「やっと着いた~」と歓声をあげながら下りてきた。
聞くと、天城峠から走り始めて、6時間でここまで来たという。
距離はだいたい40kmくらいだから、時速7km弱。
やはり走ると速いね。でも、それじゃあ写真も撮れないし、景色もゆっくり楽しめない。
それでも、ロードやトラックを走るよりは空気もおいしいし、変化もあっていいのでしょう。

彼らとはもちろん同じバスに乗り、同じように修善寺温泉で下りる。
目的は同じ。立ち寄り湯である。
実は何も調べて来なかったが、行きたいところがある。
建物そのものが国の登録有形文化財になっている新井旅館だ。以前、見学させてもらったことがあり、ぜひ風呂にも入ってみたいと思った。

ただ、もう時間も時間だし、宿泊客のための時間になっているかもしれない。
もし、そうだったら、別の宿や日帰り温泉を紹介してもらえばいい。
そのつもりで行ったら、そもそも立ち寄り湯はしていないとのこと。
ならばと、日帰り温泉を聞いたら、すぐ近くにある「宙(そら)」というホテルで受け入れているというので、行ってみた。
すぐ近くどころか、10分近く歩かされた。
その挙げ句、もう時間外だという。とほほ。

結局、ここで日帰り温泉を教えてもらった。休憩所なし銭湯並みの「筥湯(はこゆ)」というところがあるという。
新井旅館も最初から、ここを教えてくれればいいのに。

お腹も空いてきたので、先に食事にする。
近くのラーメン屋でワンタン麺を食す。あまりおいしくなかった。

さて筥湯。説明書きによれば、鎌倉幕府の2代将軍源頼家が入浴中に北条氏の放った刺客に襲撃された場所なのだという。
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扉を開けるとさっきのバスで一緒だったトレランの兄さんたちが出てくるところだった。う~ん、今回はちょっと要領が悪かった。しかも、ここでバスの時刻を見ると、あと25分しかない。
ぎゃ~こりゃ、カラスの行水だなあと覚悟を決め、あわてて入る。
入浴料350円。せっけん代50円とあるので、番台のおじさんに「もしかして、中にシャンプーとか置いてないんですか」と聞くと、自信たっぷりにうなずかれた。
仕方ない、洗髪もせっけんにすることにする。

ふ~~~。やっと入れた。とっても気持ちいいのだが、ゆっくりしてはいられない。
あせって、体と頭を洗い、もう一度、湯に浸かる。
ゆっくりしたいが、時間がない。
余ったせっけんを捨てようとしたら、同じようなゴミがたくさん。
ああ、これを使えば、50円浮いたのに、とケチくさい考えが頭に浮かぶ。

とにかく、「兄さんもう出たのかい」という番台からの視線を背中に感じつつ、速足でバス停に向かう。湯冷めしないようにしなくっちゃ。
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何とか間に合って、バスに乗り込むと、「あら、さっきのお客さんですね。いい湯でしたか」と運転手さん。
覚えられてしまっていた。

修善寺から三島で新幹線に乗り換えるつもりが、待ち合わせが40分以上あったので、小田原まで在来線で行って、そこから新幹線に乗ることにする。
少しでも節約しなくっちゃ。
いやいや、いろいろあった西伊豆山行でしたが、無事10時すぎに帰宅。

やはり海越しに見る南アルプスが新鮮でありました。
あとは、ヒッチハイクの腕を磨かなくては!


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鐘撞堂山~不動山(下)

アップする順番を間違えてしまいました。
鐘撞堂山~不動山の後編を先にお届けします。


陣見山(531m)を下り、絶景ポイントを過ぎると間もなく、舗装された車道に出る。
今度は、秩父方面が全開で、これまたすばらしい眺めである。
この林道は「間瀬峠・陣見山ビューライン」と命名され、長瀞八景に指定されている。
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長瀞市街と秩父連山が確かによく見える。

ところが、ここで大きな勘違いをしてしまった。
あまりに景色がよく、峠らしい雰囲気なので、ここが榎峠であると思い込んでしまったのだ。
地図をよく見れば、尾根道を歩いて、2つ目の車道が榎峠であるのは一目瞭然で、ここはまだ1つ目。
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道標にも「←榎峠」とあり、まだこの先であることを示しているのに、「昔の榎峠はこのすぐ上にあるんだな。でも、それはもういいや」とばかりに、林道を進んでしまったのだ。
山地図には榎峠から林道をそのまま進むと、やがて雨乞山に出ることになっている。
だから、このまま林道にトラバースしてもらえば、わざわざアップダウンの稜線歩きをしなくて済むと手抜きをしたのだ。

しかし、地形図を改めて見直さなくても、おかしいと思うべきところはたくさんあった。
1つに、林道と稜線はほぼ接するように延びているのに、右手の稜線が標高差で数十mもあるように見えていたこと。2つに、地形図の表示は幅員1.5m以下の道を示す実線なのに、実際の道路はゆうゆう2車線とれる道だったこと。
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結局その2つに問題意識を持たないまま歩き続け、右に「→榎峠(旧道)」の道標が再び出てきた時に至っては、「ほらやっぱり、さっきの標識は旧道だったんだ」と都合のいい解釈をする始末。実は、本当の榎峠とは「全然違う方向へ行っちゃってますよ」というサインだったのに、これにも反応できず。
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さらに道がどんどん下って、ヘアピンカーブをしたところで、さすがにおかしいとようやく気づいた。
正面に鉄塔が見えるので、それを頼りに現在地を確認したら、なんと榎峠の手前の峠(新榎峠というらしい)から里へ下りる道を来ていたことが判明。
「おれはなんてバカなんだ」と自分で自分を叱りつけつつ、あわてて戻る。
やはり、道迷いをより警戒すべきなのは、様々な道が交錯する低山なのだ。

不幸中の幸いか、さっきの「→榎峠」から旧道に入れば、新榎峠までは戻らなくて済む。
随分遠回りしてしまったが、30分ほどのロスで済んだ。
これなら、このあと雨乞山・不動山を予定通り縦走しても、暗くなるまでに里には下りられる。走るように旧道を登った。
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やはり、ここは昔の生活道である。道幅は比較的広く、傾斜がゆるやかだ。
正しい道を選択していたら、この道は歩かなかった。
失敗の中にも、得るものはある。

正しい榎峠には13:40着。ここにも馬頭観音と石の祠があった。
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そして、これが正しい林道。
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見るからにそれらしい。遅れを取り戻すべく速足で歩く。

雨乞山の頂上には、パラグライダークラブの車が駐まっていた。
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ここまで車で来られるのだ。

で、当然のごとく、ここがパラグライダーの離陸場になっていた。
ちょうど1人飛び立ったところだった。
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山形勤務時代、蔵王で一度だけパラグライダーの体験をしたことがあるが、パラシュートを持ち上げるまではできたが、自分が持ち上がることはできなかった。
空を飛んでみたいなあとは思うけど、今は歩くことに夢中だ。
空を見上げつつ、510mからの眺望も満喫する。

この先、間瀬峠を経て不動山に向かうには、林道を途中から右に折れないといけない。
山地図には「迷 岩が目印」とある。
もう道を間違えたくはない。慎重になる。

2万5000分の1地形図では分岐まで1cmなので約250m。
歩幅で測ることにした。自分の1歩はだいたい60~70cm。300歩から400歩の間に岩は現れるはずだ。
バカ正直に1、2、3、4・・・156、157・・・と数え続け、368歩でそれらしき岩に達した。ちゃんと道はある。
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ここから落ち葉の積もった急斜面を勢いよく下る。
10分もかからずに間瀬峠に着く。
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立派な舗装道路を越えていく。

ここからの登りはしばらく左手が伐採されているので、景色を眺めながら歩ける。
右奥が武甲山、その手前中央が美の山(蓑山)である。
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その後は定番の植林の中。
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不動山(549m)に3時前に到着。全く展望なし。今日の最高峰なんだけどなあ。
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さあ、時間もないので下る。
さくさく下っていくつもりでいたら、2分ほどで開けた場所に出た。
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時間もないが、あとは下るだけ。お昼を食べて以来ずっと休んでいないので、3時のティータイムとする。ティーと言っても飲んだのは卵スープだが。
西日を受けていると、ポカポカ陽だまり山歩きだなあと、道を間違えたことも忘れてのんびりした気分になる。
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あくせく歩かず、ぼーっと正面の秩父連山を眺めているのもいいものだ。
それでも腰を下ろしていたのは10分くらいか。

歩き始めて3分ほどで不動峠まで下りてくる。
ここからも北関東の山々がくっきりと見えた。
今日は下り坂どころか、空気が夕方になっても澄みきったままだ。
これは榛名山。
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こちらは赤城山。
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その左には武尊山もその雄姿を見せていた。
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あそこも登らなければ。

苔不動へ下りる分岐はすぐ見つかった。
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間もなく、崖のようなところに卒塔婆がたくさん立てかけられている、それらしき所があった。
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お不動さまもいらっしゃった。
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しかし、ここからが問題。
山地図に「不明瞭で荒れた道」とあるが、不明瞭どころか、さっきまでしっかりとあった道は踏み跡程度になり、それも分散して消えてしまった。
仕方ない。とにかく、まっすぐ下るしかない。

落ちている枝をバキバキ踏み折りながらしばらく下ると、赤リボンが出てきた。
「なんだ、親切じゃん」
と喜んで、それをたどっていくと、どうも下ではなく等高線沿いに横に向かっている。
明らかに地図の方向と違うのだが、地図の方向にも踏み跡はないし、これに従っていくしかない。
しかも、植林帯を抜けて明るい場所に出たので、恐怖心もない。
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それにしても、この道も道とは言えず、踏み跡とも言えず、人が歩いた形跡がある、という程度のヤブである。
やっとこさ、歩きやすい尾根筋に出た時には、ズボンに無数の草のとげが刺さって真っ黒になっていた。

とにかく地図通りの道ではないが、この尾根筋を下っていくと、大黒天なる場所に出て、ここに本来の道が合流していた。
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あのまま下っていれば、こんな苦労はしなくて済んだのだが。
まぎらわしいリボンだ。何のためのものだったのだろう。

この後は埼玉県長瀞総合射撃場のフェンスの脇を延々と歩く。
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そして、4時15分、ようやく下界に出た。まったく思わぬヤブこぎを強いられた。
本当に低山はあなどれない。

ここから里の舗装道路+国道140号を1時間近く歩き、秩父鉄道の野上駅から西武秩父経由で帰宅した。
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歩いた時間も結局9時間に達した。500m級なんてバカにしてはいけないのだ。

行程は以下の通り。

寄居駅(8:05)~大正池(8:35)~高根山(9:10)~鐘撞堂山(9:30撮影9:40)~羅漢山(10:10)~御嶽山(10:20)~円良田湖(10:40)~あんずの里(11:00)~城山(11:30昼食11:45)~大槻峠(12:05)~陣見山(12:40)~新榎峠(13:05道間違えロス約20分)~榎峠(13:40)~雨乞山(14:10撮影14:05)~間瀬峠(14:30)~不動山(14:55)~(休憩20分)~不動峠(15:20)~苔不動(15:25)~登山口(16:15)~野上駅(17:00)
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西伊豆(上)達磨山

だいたい、私の山行は奥多摩、奥武蔵・秩父、中央線沿線、富士山周辺、丹沢、伊豆・箱根を順繰りに回している感じである。
中でも、いちばん伊豆・箱根が遠い。ただ、冬に行くにはいい場所である。
温暖だし、標高もそれほど高くないから、あまり雪の心配はしなくていい。
年末の金峰山でちょっと雪におじけづいてしまい、目が南に向いてしまった。

で、静岡在住のおつ山さんと同伴したいと思い、1月12日の山行として提案したのが、西伊豆の達磨山(982m)を中心とした船原峠から真城峠への縦走コースである。
しかし、車でしか行く気がないというおつ山さんにとって、縦走は結構やっかい。
途中まで車で来てバス活用で歩くコース取りを考えますと伝えると同時に、「あすは竜ヶ岳に行ってきま~す」とメールしたら、「ああ竜ヶ岳行きたかったな~」との返信。

こちらは別に、どこにいつ行ってもいいので、ならばと、竜ヶ岳は12日に回し、あす西伊豆に行くことにしてしまったのである。
とはいえ、やはり我が家から伊豆は遠い。首都圏では初めての新幹線利用山行となった。
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三島駅からは富士山がくっきり。
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改めて意識して見ると、三島からは宝永火口が真正面に見える。
これはこれでかっこいい。

三島からは伊豆箱根鉄道で修善寺へ。
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そこから8:35のバスに乗る。

私の格好を見て、運転手さんが声をかけてきた。
「山ですか~。今日は富士山どうかな~。さっき雲が出て来てたからなあ」
などと余計なことを言う。
さっき三島で雲ひとつない青空の下、富士山を確認したばかり。
でも、11月の位牌岳では早朝は晴れていたのに雲が出てしまったという経験もしたので、少々不安になる。

バスには30分弱乗って、国道136号の船原トンネルの手前、大曲茶屋で下車。
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体操をして、9:05出発。ただいまの気温はちょうど0℃。

すぐ先に旧道への分岐がある。迷わず、そちらへ。
しかし、200mほど行くと、この道は新道の下をくぐって林道になってしまう。
本来の道は右に曲がって行き止まりになっている。
そうか、これは旧道で間違いはないのだが、新道とからみ合う部分はつぶされてしまっているのだ。
戻るのは面倒なので、新道をくぐった先からヤブをよじ登って、新道に出た。
同じような間違いをする人が多いのか、ここには踏み跡が付いていた。

新道を大きくひと巻きしてから、今度こそ船原峠に至る旧道に入る。
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ここにはちゃんと分岐の標識があった。

この道は旧道とは言っても、優に2車線とれる幅員があり、西伊豆スカイラインにも通じているから、県道としてしっかり管理されている。ゆえに、旧道独特のさびれた雰囲気はない。
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ただ、まだ朝早いからか峠に着くまでの約25分間、通った車は5台だけ。
おかげで、左カーブの時は左端を、右カーブの時は右端を、と道路を斜め横断しながらコーナーの内側を歩く最短距離作戦を峠まで続けることができた。

船原峠には9:45到着。旧道の上を立体交差で西伊豆スカイラインが走っている。
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車道を通って、スカイラインに向かって歩き始めたが、なんとなく違和感を覚え、戻って立体交差をくぐってみると、そこに船原峠の案内板と登山道の入り口があった。
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船原峠はもう30年以上前、大学2年の時に仲間と自転車で来たことがある。
ただ、その時は女子もいたので、登りのきつい旧道は断念、新道の船原トンネルを通った。
だから、峠そのものに来たのは初めてということになる。

船原峠は標高574m。大曲茶屋は約395mなので、ここまでの標高差は180mほど。
ここからの西伊豆スカイラインに沿った稜線の道は「伊豆山稜線歩道」と呼ばれ、先日訪ねた天城峠から修善寺自然公園もみじ林まで42.8kmを結んでいる。
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しかし、500mほど歩くとすぐ車道に出てしまう。
それもただの車道ではなく、観光道路だから車通りも激しく、興をそがれる。
ただ、歩道は樹林の中で展望が利かないのに、車道は開かれていて景色がいい。
痛しかゆしである。
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(これは国道136号の土肥方面)

背後には魂の山(933m)や猫越岳(1035m)方面を望める。
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東には天城山脈が連なる。
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ところどころ、車道の隣に舗装された歩道が用意されているのだが、登山者をなめているとしか思えない。
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この歩道が途切れた先、国は歩行者にどう歩けというのか?
車道に出なければいけないのなら、ガードレールに切れ込みを入れるべきだろう。
まさか、あの斜めになった芝を歩けというのではあるまい。
これには、温厚な私もさすがに頭に来た。明らかな税金の無駄遣いである。
車道は国交省の管轄、伊豆山稜線は環境省の管轄だが、力関係が如実に表れている。

最初の展望スポットは土肥駐車場(10:35着)。
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昭文社の地図には「太平洋展望台」とあるだけに、駿河湾をはさんで南アルプスが見える。
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木々の向こうには富士山も顔を出していた。
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なんだ、ちゃんと見えてるじゃないか。

こちらは土肥の港。
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ここから再び車道を離れ、伽藍山(867m)への登りとなる。
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背丈ほどの笹ヤブの中の道を標高差にして60mほど登ると、展望が広がる。
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伊豆半島南部の山並みが一望だ。

頂上はどこだろうと思っているうちに、また車道に出てしまい、そこに「伽藍山」の標識が(10:50着)。
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これもひどい。明らかに車道の通っている場所は頂上ではない。
なぜ、歩道の通っている一番高い場所に標識を設置しないのか。
この標識は国交省ではなく、環境省が立てたものでしょう。
まったく意味が分からない。

しかも、ここからまたしばらく車道歩きとなる。
それも景色がすこぶるいいので、複雑な気分。
まず正面に全貌をさらし始めた富士山。
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山梨側から見る見慣れた富士山と異なり、順光である。

その左の裾野に覗いているのは八ヶ岳。拡大してみよう。
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そのさらに左でなめらかな稜線を描いているのが、来週登る竜ヶ岳である。

だんだん左に目を移していく。
これは富士山周辺の山の最高峰・毛無山(1964m)。
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富士市街の製紙工場群の背後に聳えるのは北岳・間ノ岳・農鳥岳の白峰三山。
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海をはさんで南アルプスを見るのは初めてだ。
3000mの壁を一番下から見ているわけで、なんだか興奮する。

さらに右から塩見岳、荒川三山、赤石岳へと続く。
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一枚にするとこうなる。
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まるで富士山という先生と、南アルプスという児童たちが手をつないで歩いているように見える。

道は小土肥駐車場(約900m)の先から再び歩道になる。
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この歩道はとくに伊豆半島脊梁線方面の展望がいい。
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だが、このあたりシカの被害がひどいらしく。網が張り巡らされていた。
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あまりに皮をはぐものだから、立ち枯れてしまう木が続出している。
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前方に富士山と達磨山の競演。
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これからは、これを眺めながらの山歩き。もう真城峠まで車道はほとんど歩かなくて済む。

達磨山へは笹ヤブの中をゆるやかに道が続いている。
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おお、砂嘴が長くのびた戸田の港が見えてきた。
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やはり、山の景色と海の景色の両方を楽しめるのが伊豆のいいところだろう。

見下ろす位置にあるのは古稀山(920m)。
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右前方には箱根の山々が。
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こうして見ると、道路と富士山というのも相性が悪いわけではない。
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11:20、古稀山に到着。あまりに天気がよく、眺めも抜群なので、ここでイスを出して小休止。
じっと海の向こうの南アルプスにしばし、うっとり。
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やや、あれはシカの踏み跡だろうか。やはりいるんだ。
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休んでいるうちに、トレランの方が二人駆け抜けていった。さすがにこのコースは走っていても気持ちがいいだろう。

あまり山の中に観光道路は作ってほしくないが、これはこれで美しく見えてしまうのが怖い。
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達磨山の頂上にはもう何人かの姿が見える。
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いったん戸田駐車場(約880m)まで下りて、登り返す。
達磨山には駐車場から15分ほど。
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11:55に到着。ここには車で来て散歩がてら登ってきている人も何人かいた。

そして山頂の標柱にザックを立てかけている輩がまたいた。
まさにそのカップルに写真を撮ってくださいとお願いしたら、女性の方は一生懸命ザックをよけようとしてくれたが、男の方は気にも止めない。
結局、あわてた女性の方がザックを倒してしまい、思わず私が「ああ、別にいいですよ」と言ってしまい、私の負け。それがこの写真。
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全然美しくない。

でも眺望は抜群である。富士山は言うに及ばす(だんだん霞んできたが)。
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初めて見えたのが、淡島を取り巻く江浦湾と内浦湾。
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その背後は沼津アルプス。200~400m級の低山だ。

頂上にある碑文「山岳の誌」によると、天城山の万二郎、万三郎岳に対し、長男天狗が住むここ達磨山が万太郎なのだという。
達磨山の名は、どこから見ても達磨大師が座禅を組んでいる姿に似ているから付いたとのこと。箱根の十国峠に対し、快晴の日には、安房、武蔵、相模、甲斐、信濃、伊豆、駿河、遠江、三河、尾張、美濃、伊勢、伊賀の13国が見えることから、十三国峠とも言われているそうな。
この日は何となく霞んでいて5か国くらいしか見えないが、眼下の戸田港の眺めはここが随一であろう。
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これは沼津市街。
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こちらは三島市街である。
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眺望を満喫した後、こちらもお昼。メニューがあまり変わり映えしないが、日帰りの時はコンビニおにぎりである。
皆さんも出発したようなので、
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私も腰を上げた。

きれいになった標柱をもう一度パチリ。
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休憩は25分ほど。調理しなければ、だいたいそのくらいの時間で固まってきた。

出発すると、眼下にこれから向かう小達磨山(791m)が中央右に、その左にアンテナのある金冠山(816m)、そして奥山(761m)への稜線が確認できた。
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あとは下り中心だから楽勝である。

(つづく)





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鐘撞堂山~不動山(上)

今年最初の山行は、極めて地味なコースになった。
1月5日は、午後から天気が下り坂との予報だったので、あまり景色を期待しないでもいい低山ということで、以前から気になっていた鐘撞堂山(かねつきどうやま)からの縦走に決めた。
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(これが鐘撞堂山)

近場なので少し寝坊できた。6時前に起きて、6時半の電車だ。
新所沢から本川越に向かっている途中に明るくなってきた。天気は快晴である。

本川越から川越市駅まで歩いて東武東上線に乗り換え。寄居を目指す。
途中、どのあたりだったろうか、富士山と浅間山が同時に見える地点があって感激。
平地に限れば埼玉あたりしかないのではないか。
いずれも、円すい形で頂上付近が雪で真っ白なので、よく似ている。

計画では、寄居で秩父鉄道に乗り換えて1つ目の波久礼駅から歩くつもりだったが、1本早い電車に乗れたので、20分近い待ち時間がもったいなくなり、寄居から歩き始めた。
8:05出発である。
駅前には立派な町役場がある。
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途中、天正寺というかっこいいお姿の寺院に立ち寄る。
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ちょっとした高台にあり、釜伏山とかが望める。

周辺には高さ100m程度の丘が点在しており、やさしげな雰囲気だ。
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大正池というため池を過ぎると
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道は林道となり、そこを5分ほど歩くと、いよいよ登山道。
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15分ほどで稜線に出る。
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ここを右に行くと、鐘撞堂山だが、左に「高根山」という表示があり、色めき立つ(というほどでもないが)。
地図には載っていない山だが、ここから数分ほどのところにある247mピークのことだろう。わずか数分で「登った山」を1つ稼げるのだからありがたい。
ちょっと寄り道することにする。

しかし、287mピークには何の標識もなく、道はまだ続いている。
しばらく平坦な道が続き、280mあたりから道は下るだけなので、この平坦地の先端が高根山なのだろうと予想し、さくさく進む。
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この道でこの日初めて、ハイカーとすれ違った。高齢の男女4人。「高根山はこの先ですか?」と聞こうとしたが、止めた。

聞くまでもなく、予想通りの場所に高根山の標識が姿を現した。でも数分ではなく、10分もかかってしまった。
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ここには小さなケルンがたくさんあった。展望は冬枯れの木々のすき間から周囲の山が透けて見える程度。

この先には「水道山」という、これまた地図にない山があるようだが、これはかなり下ってしまいそうなので、引き返す。
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鐘撞堂山(330m)の最後の登りはかなり急で階段になっている。
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でも短いので、息が切れる前に登頂できた(9:30着)。

この山は戦国時代には、寄居にある鉢形城の見張り場で、事ある時には鐘を撞いて合図したことから、この名称が付いたと説明板にある。
一説には、猪股小平六範綱が鐘撞堂を作ったとも言うとのことだが、それって誰よ。

頂上には鐘撞堂を模したかのような展望台がある。
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回りには10人ほどのハイカーがいたが、誰も上がっていないので、私が独占。
また、あちこち写真を撮りまくる。

と言っても、残念ながらここから富士山は見えなかった。
見えたのは、奥武蔵の山々と奥多摩から奥秩父の山々。
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(ちょっと同定はむずかしい)

北西に目を転じると、木々の間に榛名山。
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頂上だけ顔を出した浅間山。
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東には、どこからでもよく見えるという意味で、やはり百名山にふさわしい筑波山。
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標高も低く、ちょうどいいランニングコースになっているのか、寄居中の生徒たちが走って上がってきていた。
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低山ながらまずまずの眺望に満足して、一旦、円良田湖(つぶらだこ)まで下山する。
下山道は途中から簡易舗装。
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湖畔まで下りて来たところで、羅漢山へピストン。「登った山」を1つ稼ぐためである。
波久礼駅から歩き出した場合は、少林寺+羅漢山を経て、鐘撞堂山に登るコースだった。
羅漢山まで階段を7分ほど。標高は約210m。
頂上には文殊菩薩と普賢菩薩を脇に従え、十六羅漢を周囲に配した釈尊像が立つ。
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で、少林寺に至る南側の参道には五百羅漢が延々と並んでいた。
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これらは、1832年に完成したものらしい。えらいお坊さんがいたようです。

実は、羅漢山はこの丘のピークではない。
ピークは少し西に登った247m地点なのだが、そちらへの踏み跡はある。
しかし道標に○○山とは書いていない・・・いや、あった。手書きで書き加えてあった。
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「御嶽岳→5分」。なんと羅漢山とは別の名称。また1つ稼げるやん。
いや~ん、うれしいわ。
危うく見逃して損するところだった。

行ってみると、こちらは寺ではなく神社になっている。
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こんな立派な鳥居があるのに、地形図には神社の記号が書かれていない。
神社の名前は「御嶽山神社」なので、山も「御嶽山」の誤りであろう。
「御嶽岳」じゃあ「みたけたけ」になってしまう。

境内というか山頂には、八海山神社とか、いろんな神社の石碑が林立していた。
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こちらは裏の紀年銘を見ると明治18年が多い。

さっきの五百羅漢は明治期の廃仏毀釈の被害をほとんど被っていないが、こうして隣にたくさんの神社を祀ったことと関係しているのかもしれない。

さて、随分時間をくってしまった。湖畔に戻る。
湖面にしつらえられた、人工桟橋には人の姿がちらほら見える。
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紅白のかわいらしい建物は給水塔。

奥にはボートがたくさん出ていた。
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ここはヘラ鮒釣りのメッカらしい。

この湖は昭和29年にできた農業用のため池だが、当時から観光地としても人気があったらしい。今はほとんどが閉店しているが、湖畔にかつての旅館や食堂がいくつもあった。
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廃屋フェチの私にはたまらない風景である。

湖岸の道を北上すると、「あんずの里」なるところに出て、ここからは虎ヶ岡城跡へ続く山道となる。
昭文社の山地図にはそう書かれているのだが、なんと地元の看板に「城山ハイキングコース」の文字が。
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なんだあ、これも「城山」って名前がちゃんと付いてるんだあ。しょうがないなあ。
また1つ加えるしかないじゃないか~。
と、日本経済とは裏腹に、わが算学(山岳)はどんどんインフレ化していくのであった。

途中、唇の厚いカッパが固まって木になっているのを発見!
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振り返ると、鐘撞堂山の全容が初めて見えた。
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右端のピークが頂上。やっぱ、丘ですな。こりゃ。

築坂峠で稜線に出て、そこから先はさっきに増しての急坂。また階段だ。
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頂上には11:30に到着。
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東屋があり、ここでお昼にする。メニューはおにぎりとお味噌汁。簡素である。

ここからの眺望は今ひとつで、唯一両神山がちょっぴり見えていたのが救いだった。
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陣見山へはいくつかの小ピークを越えて行くことになるのだが、ちょっと方向が分かりにくい。頂上をぐるりとめぐって、地図も確認して、進むべき道を決定して出発。

中世の山城らしく空堀が2つあり、それぞれ「ふむふむ」と言いながら越えてゆく。
前方には、先に出発したおじさんがいるのだが、やけにゆっくり歩いていて、私が抜かすのを待っているような風情。
ならばと先に行って差し上げたのだが、振り返るといない。

ははん、道を間違えたのだな。でも、戻るところを私に見られるのが恥ずかしかったんだろう。別にいいのに。おれなんか、こんだけ一生懸命地図見ていても間違える時は間違えるんだから。

しばらく行くと、左手に荒川が見えた。
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寄居からだいぶ回り込んできたようだ。

道はなだらかな快適な稜線。
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こんな車が通れそうな道もある。
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12時ちょうどに大槻峠に到着。ここには中世の板碑によく使われる緑泥片岩の石碑があった。馬頭観音と如意輪観音。
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ここから少し登ったところが368mピーク。
地面に標高が表示されていた。
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一旦下って、次の424mピークへの道が一番きつかった。
それでも標高差が少ないから十数分で到着。ここには2人の方が休んでいた。
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ここから15分ほどで、陣見山(531m)。
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テレビ埼玉の電波塔があるだけで展望は全くないため、休憩もせずに通過。
今日のメインのつもりでいたのに。

しかし、この先、榎峠への道で思わぬ眺望に恵まれた。
北側が全面的に開け、これまでどこからも見えたことのなかった光景が広がったのだ。
西から浅間山、妙義山、榛名山、子持山、谷川岳、赤城山、男体山とすべて見える。
これまで、いつも谷川岳だけは見えなかった。男体山も久しぶりである。
ご紹介しよう。まず浅間山。
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榛名山。
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手前の小野子山(左)と子持山(右)の奥中央に白く輝く谷川岳。
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男体山。
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こればかりは眺望をあまり期待せずに、この山を選んだことを恥じた。
何と言っても、ここは北関東を望む最前線なのだ。
天気がもってくれたことに感謝である。
ただ、このルートでこれだけ北関東の名山が見えるのは、ほとんどこのポイントだけ。
それを考えると、コストパフォーマンスはやはり今一かもしれない。

絶景を楽しんだ後は間もなく、車道に出る。
今度は秩父側の眺望に恵まれた。

(つづく)


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稲村ヶ崎~極楽寺

2012年12月31日。大晦日の今日は午後2時からの出勤。
山には行けないが、午前中ずっと家でゴロゴロしているのももったいない。
そうだ、京都に行こう! というわけにもいかないので、早起きして鎌倉散策をしてくることにした。
所沢の自宅から2時間ほどだ。

今回のメインは極楽寺と決めた。キョンキョンと中井貴一主演のドラマ「最後から二番目の恋」で極楽寺駅がロケ地になり、以来、行ってみたい気分になっていたのだ。

極楽寺自体は駅からすぐ。それでは味気ないので、ひとつ先の稲村ヶ崎駅まで行き、そこからぶらぶら散歩しながら、極楽寺を目指すことにした。

いつも鎌倉散歩のガイドにしているのが、神谷道倫著『深く歩く 鎌倉史跡散策(上・下)』(かまくら春秋社)。これは実に細かく史跡・旧跡を拾い、その説明も非常に詳しいので、とてもためになる。
今回もこれが旅の案内役である。

稲村ヶ崎駅には9時40分過ぎに到着。
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さっそく稲村ヶ崎に向かう。
これから書く、うんちくめいたものは、すべて上記の本の受け売りであることをお断りしておきます。

稲村ヶ崎の由来は、この岬の海岸に突出したこんもりした形が稲束を積み重ねた稲むらに似ているからと言われている。
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鎌倉時代に極楽寺の切通しが開かれる前までは、この岬の波打ち際が東海道の通路になっていた。
いまは写真のようにすぐ北側を国道が走っている。
波打ち際を見てみたが、今はとても通れるような状態ではない。
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海に向かって右手を見ると、江ノ島。
こんな大晦日にもサーファーが出ている。
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結構、波が高いので、サーフィン日和なのかもしれない。

稲村ヶ崎の西側は海浜公園になっており、多くの記念碑が立っている。
ここは、新田義貞徒渉伝説地として有名だ。
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1333年5月21日夜、鎌倉に攻め入ろうとした新田義貞は極楽寺切通しの防備が固いので、岬を回り込もうとするも、波打ち際まで逆茂木がびっしりと立てかけられ、沖にも幕府方の軍船が守りを固めている。
このままでは突破不能と思われたが、義貞は自らの太刀を海中に投じて、潮が引くよう竜神に祈願したところ、「稲村崎にわかに二十余町干上がり」「六万余騎を一手になして(略)鎌倉中へ乱れ入る」と『太平記』は伝えている。

もちろん誇張はあろうが、引き潮のタイミングをうまく見計らって攻め入ったということなのだろう。
公園には、この故事にちなんだ、明治天皇の歌碑「投げ入れし剣の光あらはれて千尋の海もくが(陸)となりぬる」が建てられている。
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それと、明治43年1月23日に逗子開成中学校短艇部の生徒12人を乗せたボートが遭難した悲劇をしのんだ「ボート遭難の碑」も建てられている。
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この事件のことは、どこかで読んだことがあるのだが、よく覚えていない。

稲村ヶ崎は「かながわの景勝50選」に選ばれており、家族連れなどが遊びに来ていた、
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本当なら富士山が見えるはずだが、この日はあいにくの曇りで残念だった。

さて、いったん駅方面に戻ると、「十一人塚」という旧跡がある。
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これは義貞の総攻撃の2日前、一族の大館次郎宗氏が担当の極楽寺切通しから鎌倉突入を図ったが、幕府方に撃退され、主従11人が討ち取られた。
遺体は葬られて塚となり、十一面観音堂が建てられた。十一人塚はその跡と伝えられている。観音堂は江戸時代にはすでになかったらしい。

江ノ電の線路沿いを極楽寺方面に向かうと、右手に石垣に囲まれた一画がある。
「日蓮袈裟懸松」である。
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1271年9月に、他の宗派を非難して、幕府の逆鱗に触れた日蓮が刑場に連れていかれる途中、袈裟を懸けた松と伝えられている。
尊い袈裟が処刑の血で穢されるのを恐れたのだそうだ。
今、松はなく、石碑が残るのみである。

『鎌倉史跡散策』の地図には、この近くに「陣鐘山」なる地名が載っている。
今日は山歩きの日ではないが、この地を訪ねれば、「登った山」を1つ増やすことができると考え、それらしき細道を登っていった。
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道はいくつにも分岐し、それはそれぞれ個人の家につながっている。
なかなか頂上らしきところに連れていってくれない。
それにしても、このあたりは車どころかバイクも入れないので、家まで階段を何段も上らなければならない。お年寄りには大変だろう。
結局頂上には出られず、断念。下界に下りる。

しばらく、線路に接した道を行く。
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境に柵も何もないところが、町とともにある電車という関係を物語っている。

間もなく極楽寺川を渡る針磨橋に出る。
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何の変哲もない目立たない橋だが、鎌倉十橋の1つだそうだ。
昔々、針を磨く老婆が近くに住んでいたから、この名が付いたとも言われる。

踏切を渡ったところに、「阿仏邸旧跡」の石碑が立つ。
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阿仏尼は『十六夜(いざよい)日記』の筆者としてよく知られる。
藤原定家の子為家の側室となり、為相・為守らを生んだ。為相は冷泉家の祖である。
1279年に土地の相続をめぐる訴訟で、京から鎌倉に下った。
その際の紀行と鎌倉滞在記が『十六夜日記』である。
私としては、中世の東海道の旅が実に興味深い。

その阿仏尼が住んだのが、このあたり「月影の谷」である。
「浦近き山もとにて、風いと荒し。山寺(極楽寺のこと)の傍らなれば、のどかにすごして浪の音松風絶えず」とある。
当時は、ここまで波の音が聞こえたようだ。

碑文を読んで、「月影が谷(やつ)」に興味を惹かれた。名前の響きもいい。
このまま進むとその谷戸(やと)に入っていく。
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今は閑静な住宅街である。

突き当たる手前に、稜線へと通じる道を見つけた。
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どうしても、こういう道を歩かないと気が済まないらしい。

忍性墓への近道だと思って行ったのだが、結局、道に迷ってしまい(道標などない)、尾根の北側の月影地蔵に出た。
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もとは月影が谷にあったものを、こちらに移転したとのこと。
阿仏尼邸にあったものとも伝わる。
白く化粧した顔と赤い衣装を身に着けた木造地蔵菩薩立像が印象的。

境内にはたくさんの石仏が並んでいた。
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ここから稲村ヶ崎小学校を回り込んだところに、忍性墓があるように地図には書いてあるが、どうやら立ち入り禁止区域内にあるようで現地に達することはできなかった。
毎年4月8日に一般公開されるようだ。
忍性は鎌倉時代の律宗の僧で、極楽寺を開山したその人である。極楽寺の切通しを開いたのも忍性と言われている。
日蓮と同時代の人物だが、仲は悪かったらしい。

極楽寺近くまでたどり着いた。
線路をまたぐ桜橋の手前に導き地蔵なる小堂があった。
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例の本にも、記載がなく、説明板もないので由来などは不明だ。

さていよいよ極楽寺。本日のメインイベント、お昼近くになってようやく到着した。
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この立派な茅葺きの山門。
うっとりしていると、妙な看板が。
「正月準備のため年内閉門します」
この看板は、さっき裏口にも掲げられており、ああ正月準備のため裏口は閉めているということなんだな、と都合良く解釈していたのだが、なんと寺自体を閉めていたとは。とほほ。
残念だが、致し方ない。また来る機会もあろう。

塀のすき間から中の写真を撮ったら、そこに「撮影禁止」の看板があった。
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鎌倉では人気寺院に限って、境内撮影禁止のところがある。困ったものだ。
せいぜい三脚禁止程度にしてほしい。

改めて桜橋を渡る。
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ここからは江ノ電唯一のトンネル「極楽洞」が東に、極楽寺駅のホームが西に見える。
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この煉瓦造りの隧道は長さ209m。1907年に竣工した。

ちょっと分かりにくいが、要石が2個あるめずらしいデザイン。
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極楽寺側の扁額は「極楽洞」だが、長谷側は「千歳洞」になっている。

お腹がすいた。無性にチャーハンが食べたくなり、近くの中華屋さんに飛び込んだ。
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あっと言う間にお腹がいっぱいになり、裏手の熊野神社に向かう。
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こちらも正月の準備が整えられており、鳥居にたくさんの榊が括りつけられていた。
ここも忍性が勧請したと伝えられる。
もともと極楽寺の鎮守であったという。
現在の社殿は昭和2年に建てられたものだ。

戻って、再び桜橋を渡り、極楽寺駅へ。
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切妻造りの簡素な建物で、向かって右側は通り抜けできるようになっている。
江ノ電はまず1902年に藤沢~片瀬(現江ノ島)までの区間が開業。1907年に極楽寺~大町(現在の鎌倉と和田塚の間)が開通するまでは、極楽寺駅が終着駅だった。
間口7mほどの小さな駅舎だが、1999年に「関東の駅百選」に選ばれている。
駅員さんに聞いてみたところ、今の駅舎ができたのは戦後まもなくの頃ではないか、とのことだった。

実は、この翌日、すなわち2013年1月1日、ホーム北側の斜面が土砂崩れを起こして、電車がしばらく止まってしまった。
私は運がいいというべきか悪いというべきか。

駅前から長谷方向に向かう道が極楽寺の切通しである。
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開削当初はもっとずっと高い位置にあったらしい。

その峠にあたる付近の崖の下に、「史跡 伝上杉憲方墓」がたたずんでいる。
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憲方は室町幕府の関東管領であり、明月院の中興開基。1335~1394年に生きた人なので、鎌倉末期の作とされる七層塔の年代とはかなり異なる。

近くには、しぶく苔むした五輪塔がかわいらしく並んでいた。
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切通しの南側の崖を登り切ったところが、あじさいで有名な成就院である。
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北条泰時が1219年に建立したとされる。
今の建物はかなり新しいように見えた。

最近はやりのパワースポットでもあるらしく、子生石が人気らしい。
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境内の階段からは由比ヶ浜と材木座海岸を望むことができた。
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切通しの対岸には、成就院番犬の墓があった。
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バカでかい五輪塔である。

切通しを下っていくと左手に、日限六地蔵尊が現れた。
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これは、期日を極めてすがれば、願い事はその期日までに必ずかなうとされた、ありがたいお地蔵様だという。
しかし、最近になって酔漢が仏像を破壊するという事件があり、「やむなく見苦しいシャッターを取り付けました」と説明板にある。
鎌倉にも、そんな罰当たりな人がいるのか。

下りきったところに「星の井」と呼ばれる井戸がある。
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「星月の井」とか「星月夜の井」とも言われる。なんともロマンチックな名称だが、かつてこのあたりは老樹が鬱蒼と茂って、昼なお暗かったので、星月ガ谷という地名になり、それが井戸の名前にもなったという。
古来より極楽寺坂を通る旅人ののどを潤したようで、平安時代の歌集にも「我ひとり鎌倉山を越えゆけば星月夜こそうれしかりけれ」という歌があり、この頃すでに歌枕として都に知られていたことが分かる。

ここから戻るように石段を登ったところにあるのが虚空蔵堂。
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天平年間に行基が、すぐそこの井戸の底に星の輝きを見て、底をさらってみると、黒光りする石が現れた。行基はそれを虚空蔵菩薩の化身と信じ、虚空蔵菩薩を彫って安置した場所と伝える。

境内には、舟守地蔵なる水難除け、豊漁祈願のお地蔵様も安置されていた。
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長谷方面に歩き、「力餅屋」という老舗の和菓子屋の角を曲がると
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御霊(ごりょう)神社への道。境内へは踏切を渡ってゆく。
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この神社は、鎌倉の開拓者で平安後期の武将・鎌倉権五郎影正を祭神としている。
当初は、関東平氏5家(大庭、梶原、長尾、村岡、鎌倉)の祖先を祀っていた五霊神社がやがて御霊神社になり、祭神も鎌倉権五郎だけになったと、由緒書に記されている。
「五郎」と「御霊」の音の近さも影響したのではないかと、『鎌倉史跡散策』の著者は推測している。
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影正はなかなか武勇の誉れ高い人物だったらしい。
16歳で源義家に従い、後三年の役に初陣。敵の矢で右眼を射抜かれながらも、そのままで相手を討ち取ってから、陣に戻り、矢を抜こうとした。仲間の三浦為次が矢を抜こうと顔に足をかけたところ、影正はその無礼に怒り、下から刀で突こうとしたという。
にわかには信じがたいが、『後三年合戦絵詞』に記された話だという。

まだ初詣には早いが、一応参拝して、辞すことにする。
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で、長谷駅に到着。
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半日の鎌倉散歩を終え、出勤したのでありました。

それにしても鎌倉は、ランナーと自転車と犬の散歩と外車が多い街でした。

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金峰山(下)

12月24日クリスマス・イブの朝。
金峰山を下山しています。まあ、頂上は踏めたので、敗退ではないが、撤退であることには変わりない。

8:25に小屋に戻り、ザックに地図とカメラを納める。
もう来た道を引き返すだけなので、もう、いずれもいらない。
これで随分、歩きやすくなるはずだ。

カップに雪を入れ、それにテルモスのお湯をついで、ぬるい水で水分補給。
8:35に出発する。標準タイムだと、10:50には廻目平に着くはずだ。

昨日苦労して登ってきた道を、わけもなく下っていく感覚は何とも不思議なものだ。
もうピストンはイヤだなんて感覚は吹っ飛んでおり、重力に任せて、ひょいひょい下っていく。
カメラは背中なので、もう何も写せない。写したいと思うものもない。
写したいものは昨日撮ってある。
9:10、昨日初めて瑞牆(みずかき)山が見えた地点を通過。
今日はもう撮らない。どんどん下る。
アイゼンが時々、雪の下の石や木の根を引っかけるが、雪が適度に積もっていて、下りやすい。

最終水場まで下りてきた。
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昨日は無視したが、今日はコップもザックの外に付けてあるので、飲んでみる。いやあ、うまい。
ラーメンの汁の味が残る鍋で沸かした水だから、テルモスのお湯はまずかったが、沢の水はほんとうまい。冷たいが2杯も飲んでしまった。

このすぐ先で、3人のパーティーとすれ違った。
男2人、女1人。30代くらいか。
真ん中の男性がすでに疲れていて、「あと小屋までどのくらいですか」と聞く。
う~ん、それを聞くにはまだ早いなあと思いつつ、「2時間かかるかな~ってとこでしょうか」と答えると、「2時間かかるかってくらいですか」とオウム返しにつぶやきながら、ホッとした表情。もっとかかると思っていたのだろうか。
でも、私はこのあたりから昨日は2時間以上かかったはず。
「雪は積もっていますか」「はい」「膝くらいですか」「いえ、そんなにありません。トレースも付いていますし」
みたいな会話もして、別れた。

彼らはザックがみなさんやたら大きくて、どこかでテン泊する勢いなのだが、あすは平日だから、日帰りのような気もするし。
ちょっと行動が読めない。
いずれにしろ、頂上へはザックを小屋に置いていけるから、少しは楽だろう。
実は、彼らはほんとに不思議な動きをしている。
下山してみると、彼らの足跡はある車から出ているのが分かったのだが、この車の轍が雪についていない。
つまり、彼らの車は前夜、雪の降らないうちに廻目平に到着。彼らは車中で夜を明かしたものとみられる。
しかし、あんな大きな荷物があって、あの小さな車で3人寝たのか。まあ不可能ではないが、相当窮屈である。あまりよく眠れなかったから、あの男性はあんなに疲れていたのかもしれない。

さて、私であるが、この3人と行き会って、少し元気が出た。
やはり身に危険を感じた(ってほどでもないが)時に、誰かに会うのは心強いものだ。

9:35、分岐に到着。きのう登りで2時間40分かかった道を1時間で下ってきてしまった。ここでダウンを脱いで、カメラを取り出す。
昨日みたボロ車はまだある。当たり前だが。
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林道には今朝積もった雪があり、アイゼンを付けたまま下る。
下が凍っているから、アイゼンの方が歩きやすい。夏歩いているのと同じ気分だ。

来る時には見逃していたゲートや林道を見つけたり、正面に見える岩峰の写真を撮ったりしながら、快適に歩く。
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心配なのは、車のチェーンがちゃんとあるかどうか。
この調子だと、廻目平にも雪が積もっているはず。積もっていたら、夏タイヤでは下れない。
一抹の不安を感じつつ、10:20駐車場に到着。
早速、後ろのドアを開けると、ありましたありました。助かりました。

チェーンは今年の2月、北八ツの天狗を登った時に経験があるので大丈夫。
2つを10分もかからず装着できた。

これで滑り止めは解決したが、もう一つの心配は右前タイヤの空気圧が減って、凹んでいること。
幸い、川上村を出る前にスタンドがあったので、軽油を入れるついでに見てもらった。
これで安心。

あとは帰るルート。来た時と同様、上信越道を帰るのはなんとなく夏タイヤは怖いし、チェーンしたまま高速を走るのも憚られる。
信州峠を越えて山梨に入り、増富温泉で汗を流してから、適当なところでチェーンをはずすのがいいと判断して、そのルートをとる。

しかし、この車、どうしたことかヒーターがいきなり故障してしまい、車内が暖まらない。
あまりの寒さに頭痛を催しながら、温泉に向かう。
信州峠の手前で、いきなりヒーターがボンという音を立てて作動、だんだん温かくなってきたが、この車も寿命かねえ。
もう20年乗ってるからなあ。

信州峠の下りでは、瑞牆山の雄姿が逆方向から眺められた。
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金峰山方面は依然ガスの中。ああ、引き返してよかった、と胸をなで下ろす。
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中央道は笹子トンネルが通れないので、大渋滞になることを予想して、早めに帰りたかった。温泉もそんなにゆっくりせず、お昼も温泉で済ませた。
食べたのは麦とろ定食だが、これがお得だった。
麦とろそのものももおいしかったが、ミニほうとうと茶わん蒸しもついて、800円。
お腹いっぱいになった。

チェーンはみずかき湖の少し下ではずし、あとは快適なドライブ。
中央道は渋滞どころか、通行止めのため避ける人が多かったのか、3連休の最終日だというのに、スイスイ。
一旦、下りて国道20号を走らないといけない煩わしさはあったが、30kmの渋滞に巻き込まれるよりは、余程早かった気がする。

そんなわけで4時すぎ、明るいうちに帰宅できたのでした。
でも、夏にリベンジじゃあ!

今回の行程

23日:廻目平(10:10)~八丁平分岐(11:15)~2000m地点(11:55)~(12:10昼食12:25)~金峰山小屋(13:55休憩14:05)~五丈石(14:30撮影14:45)~金峰山山頂(14:55撮影15:00)~分岐(15:15)~金峰山小屋(15:35)

24日:小屋(7:15)~山頂(7:55引き返し8:05)~小屋(8:25休憩8:35)~八丁平分岐(9:10)~廻目平(10:20)


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金峰山(中)

12月23日、今日は天皇誕生日。
それとは関係なく、午後2時半、金峰山にいる。
いま、五丈石にたどり着いた。
これである。
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金桜神社の奥宮が祀られている。
この巨岩は先週、笹子雁ヶ腹摺山からも見えた、金峰山の目印である。
夏にはてっぺんまで行けるのだそうだ。

このあたりやはり普段は風が強いのだろう。エビのしっぽがこんなに成長している。
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五丈石の左に回り込むと、明日歩く国師ヶ岳方面への稜線が見える。
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まず右へ鉄山、そして左へ朝日岳、さらに右へ国師ヶ岳。
なんだか、うっとりしてしまう。

富士山が白く霞んでいるのが、ちょっと残念。明日の朝はばっちり見えるだろうか。
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大菩薩嶺はちょうど雲の中だが、小金沢連嶺の方はきれいに見えた。
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五丈石の南に出ると、石垣と石の祠、御神灯がある。
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深田久弥の「日本百名山」によると、ここには昔、籠堂があり、その正面の厨子には蔵王権現の像が安置してあったそうである。

さて、山岳の宗教遺跡見学はこのくらいにして、頂上へ向かう。
ずっと岩場だが、2分ほどで着く。
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頂上の標識がある地面よりも高い場所に岩があり、ここを登って、真の頂上を極める。
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明日、国師の方へ向かうには、頂上を経由しないといけないことを確認。
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足跡もある。

帰りは同じ道を通りたくないので、一度、千代の吹上方面(瑞牆山荘方向)に下り、巻き道で小屋に戻ることにする。
こちらは山梨県側から登ってくるルートだが、かなりしっかりしたトレースになっている。
長野県側から登ったのは、今日は私を含め2人だが、こちらは10人以上は歩いているように思えた。

金峰山を最も楽に登るなら、大弛峠まで車で来ればよい。
それだと2時間半で登頂できる。
でも、これは夏の話。車が峠まで来られない冬なら、廻目平から行くのが近い。
所要は3時間半だ。しかし、首都圏からだと、川上村までアプローチに時間がかかりすぎるのだろう。結局、4時間10分と最も時間がかかる瑞牆山荘からのコースが選択されることになる。こちらの方が変化に富んでいて、景色もいいかもしれない。

それはともかく、そういう方々も冬の午後2時半となれば、とっくに下山しているわけで、頂上を独り占めできた。
百名山の頂上独り占めは、飯豊山に次いで2か所目である。

大日岩方面の稜線は傾斜も比較的ゆるくて、トレースもあるから歩きやすい。
ちょっとしたピークが巨岩になっていたりするのも絵になる。
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五丈石に月がかかる。
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こちらは五丈石と山頂(左)
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これが砂払ノ頭か。
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小屋への巻き道も見える。
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なんて、はしゃいでいたら、巻き道への分岐にたどりついて愕然。
道が雪で埋まっていて、足跡も何もない。
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あ~そうだ、考えてみればそうだ。
みな頂上を目指すわけで、小屋に泊まる人がいない以上、この道は使われない。
なぜ、気づかなかったのか。

しかし、こうなったら、ラッセルするしかない。
道は平らだし、先は見えている。
結局20分程度だったのだが、ラッセルは一人で延々とすると大変であることを実感した。
深さはだいたい膝程度だったが、所によっては腰まで達する。
幸い、何かを踏み抜いてしまうことなく、雪も乾いていたので、濡れずに済んだ。
それにしても、これは何の足跡だろうか。
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しんどくて汗をかいてしまった。小屋に着いたのは15:30。
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いい時間なので、もう散歩はせず、食事と寝具の準備だ。
まず、自炊用のテーブルを真ん中に置き、その奥に2つ折にした毛布を3枚重ね、その上に銀マットを敷く。
これで床からの冷たさは防げる。エアマットは使わなくてもよさそうだ。
室温は現在、マイナス4℃。
吐く息は、たばこを吸っているかのように、真っ白。
ゴアは脱いで、ダウンの下にフリースを着込む。帽子を被り、下はゴアの雨具を履き、テントソックスもはく。ほとんどエスキモーのような格好だ。

シュラフも出して、下半身はその中に入れて、炊事を始める。
今夜のメニューはもうぱさぱさになり始めた梅干しおにぎりと、カレーうどん、そして久々の焼き肉。これは昨夜酔っぱらって、西友で買ってきたもの。
フライパンでジュウジュウ焼いて、ガツガツ食べた。うまかった。
お腹いっぱいになり、本日のメモをろうそくの火で書く。

真っ暗になった6時半にメモも終わり、シュラフに入る。
凍ってしまうと明日の朝困るので、水はシュラフの中に入れて保温に努めた。
邪魔だったが。

避難小屋(ではないが)に1人で泊まるのは、これが初めて。
外は時折風の音がするが、基本的には静か。気味が悪いというほどではないが、ちょっと心細い。でも、人に気を遣わないで済むのは気が楽だ。

たくさん人がいた酉谷避難小屋ではあんなに熟睡できたのに、今夜は不思議になかなか寝付けない。それに、寝入ったと思ったら、すぐ意識が戻ってしまう。何が原因だろう。

9時にトイレに行くと、まだ八ヶ岳のスキー場のナイターがやっていた。
空には星が出ているので、明日も天気だろう。
10時には寝入ったみたいで、2時半に目が覚めた。3時にトイレに行くと、なんと雪が降っているではないか!
それほど積もっていないので、まだ降り始めか。
いろいろと不安が募ってくる。
もちろん、何も見えないほどの雪なら、ここから引き返すしかない。
もう頂上には行ってあるので、未練もない。
問題は、下界にも雪が降っていて、もしかして、車にチェーンを積み忘れていた場合だ。
まあ、そうなったら、JAFを呼ぶしかない。
そう腹をくくって、もう一度寝ることに。

そして5時半に目が覚めたので、外の様子は見ずに、食事の準備。
今朝は棒ラーメンだ。
お湯を沸かそうと、テルモスのキャップを開けようとしたが、凍ってしまったのか、開かない。
しかたないので、ハイドレーションの水を使う。
その間、必死でテルモスと格闘。ようやく開いた。さすがに中の水までは凍ってなかった。

温度計を見ると、室温はマイナス11℃。ほとんど冷凍庫の中だ。
ソーセージもかちんこちんだったので、懐にいれてすこし温めてから、ナイフで切り、鍋に落とす。

ガスに力がないので寒冷地用のハイパワーに切り替え。
今日のお昼に供えて、テルモスの水もすべて沸かしてしまう。
食器を拭きたいが、ウエットティッシュもカチンコチン。
仕方なく、普通のティッシュを使うが、これはトイレ用に残しておいたもの。
大切に使った。

食事を終えて外に出ると、雪は止んで、青空は見えているが、頂上方面は雲がものすごいスピードで流れている。
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八ヶ岳も時折、雲間から姿を現す。
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これは行けると判断。しっかり大をして(お尻が猛烈に冷たかった)、7:15に出発。
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(3073)
(朝の自炊小屋)
自炊小屋使用料1000円も忘れずにポストに入れた。

今日はザックを担いで、この急坂を登らないといけないので、6枚歯のアイゼンを装着。
頂上を目指す。しかし、ザックの重さも手伝い、足はズボズボと埋まり続ける。
こんな状態で登り続けると、猛烈に体力を消耗することを知った。

カメラも凍りついて動かしにくい。バッテリーもまだあるはずなのに、少量表示になるので、温めながら使う。

西の方は晴れそうなのだが
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どうもはっきりしない天気だ。

五丈石近くになってようやく埋まらなくなったが、ここまで標準タイムの倍の40分もかかった。
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上は晴れているのに、この高さにだけ雲が流れているという状況で、富士山も国師方面も何も見えない。
頂上の標柱は1日でこんな風になってしまった。
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さて、縦走に取りかかる。
雲は北から南へかなりのスピードで流れている。
昨日もそうだったが、まわりは晴れているのに、ここは雲の通り道なのか。
昨日と同じなら、昼には晴れてくれるはず。
もし晴れなかったら、国師は諦めて、大弛峠から林道をさっさと下ってしまってもいい。

7:55、そう考えて出発。足跡はあるので心配はないが、相変わらず、ズボズボ。
ハイマツ帯だから、こんなことになるのだと思ったが、さっきの登りの苦労を思い出して、ちょっと待てよ、と思った。
すぐ樹林帯に入れば、こんなに埋まらないで済むかもしれない。しかし、しばらくは幅の広い尾根の道。トレースだけが頼りで、もしこれが途中で消えてしまったら引き返さないといけない。何とか樹林帯まで頑張ったとしても、ほとんど展望が望めない。
仮に鉄山と朝日岳を越えて大弛峠に着いたとしても、森林限界の上にある国師にはやはりズボズボになる。体力的、時間的、気力的にも無理だ。
いや行けるかもしれない、晴れるかもしれないが、賭けるほど条件はよくない。

まだ3分くらいしか歩いていないので、引き返すことにした。
金峰山の頂上に戻ると、猛烈な二つの感情が押し寄せてきて、クラっと来た。
おおげさかもしれないが、これで生きて帰れるという安心感、そして縦走を諦めてしまったという虚脱感というか寂寥感というか。

いずれにしろ、気が抜けてしまった感じだが、山でそれでは困る。
気を取り直して、また悪戦苦闘を繰り返しながら、小屋まで下った。
途中、正面に八ヶ岳や小川山が見え隠れしていたが、今日は2400m以上の天気はどこも、こんなんかもしれない、と慰める。
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(つづく)




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金峰山(上)

昨年は奥秩父をテーマにしようと宣言したのに、12月までに結局甲武信岳にしか行っていなかった。
前週(16日)に笹子雁ヶ腹摺山に登って、奥秩父を眺め、ああやっぱり行っておかなきゃと思った。
クリスマスの3連休を利用して行くことにしよう。
この時期、公共の交通機関は近くまで行っていないので、車で行くしかない。
しかし、ピストンはいやだ。どうにか1泊で周回コースをとれないだろうか。
地図を眺めていると、おお、あるではないか。
信州側、川上村の廻目平キャンプ場から金峰山(きんぷさん)を目指す。その日は直下の金峰山小屋に泊まり、翌日大弛(おおだるみ)峠へ出て、ここから国師ヶ岳をピストン。で、川上牧丘林道を下って、廻目平に戻る。
この時期、金峰山小屋は営業していないので、テント持参になるかと思ったが、問い合わせてみると、自炊小屋を冬季は開放しているとのこと。ラッキーだ。

標準タイムによれば、初日は3時間10分。翌日は7時間。
そんなに厳しい行程ではない。
初日は早く着きすぎてしまいそうだが、だったら八丁平を経由しても5時間半しかかからない。
な~んて軽く考えていたら、とんでもなかった。

10時には歩き始めたかったので、廻目平まで4時間かかると見て、家を出るのは6時。起きるのは5時半。
しかし、前夜は同窓会の飲み会で帰宅したのは1時半。睡眠時間4時間での出発となった。

22日は雨だったが、23、24日は晴れの予報。
冬型の気圧配置で、強い寒波が来ているとのことだったが、冬型なら金峰山は晴れだ。

しかし、朝起きてみると、空には雲がたくさん。
あれれと思ったが、関越に乗って西をみると、秩父方面の山は稜線が見えている。
ああ大丈夫だ。
北上するにつれ、天気がよくなり、赤城も榛名も男体山も浅間もばっちり見える。
よし! いいぞ。

実は車は夏タイヤ。高速は問題ないだろうが、佐久から先の国道が凍結していないことを祈るばかり。まあ、危なくなったら、ちゃんとチェーンがあるから大丈夫。

佐久からは一部開通していて無料開放している中部横断道を初めて走る。
この先は表示によると気温マイナス3℃。路面が乾いているところは大丈夫だが、濡れていると凍っているかもしれないので、慎重に走る。

国道141号から左に折れて川上村に入ると、八ヶ岳がめちゃくちゃきれいに見える。
思わず川上大橋に車を停めて、写真を撮ってしまった。
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左から赤岳、横岳、硫黄岳である。

ところが、こんなに八ヶ岳も回りも晴れているのに、金峰山方面だけ雲がかかっている。
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冗談じゃない。登る山を間違えたか、とも思ったが、地図は金峰山のしか持ってきていないので、いきなり北八ツに変更するわけにもいかない。

とにかく晴れることを祈って廻目平に向かう。
川上村のメーンストリートの県道から右に折れる。
大弛峠への分岐の先は路面にうっすら雪が積もっていて、少々あせったが、何とか夏タイヤのままキャンプ場の駐車場まで登ることができた。10時前に到着。

トイレは周辺に3か所あるが、いずれも閉鎖されている。
キャンプ場の受付にもなっている金峰山荘も営業していない。
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横川のSAで大も出してきたので、まあ大丈夫だろう。

駐車場には車が2台駐まっており、1台はマットを抱えたフリークライミングの人だった。
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あの屋根岩と呼ばれるところをやるのだろう。
もう1台は金峰山への先客だろうか。

小屋の吉木さんに電話をしたとき、この時期はみな日帰りするので泊まる人はめったにいないですよ、と言っていたが、確かに少ない。
3連休の中日、しかも百名山なのに。
この時点では、この少なさが仇になるとは思ってもみなかった。

10:10に出発。
道端にマヤ文字を刻んだような巨石が。
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すぐ林道のゲートとなり、そこにも1台、乗用車が駐まっていた。スモールが付けっぱなしだった。バッテリーが上がらないといいが。

林道にはすでに1~2cmの雪が積もっている。今朝の雪ではなく、ちょっと前のものだ。
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数日前に大型犬を連れて散歩した人の足跡がある。
雪の下は凍っていて、歩きにくい。
昨日、東京は雨だったが、こちらは降らなかったようだ。

今日の足跡は1人だけ。たぶんピストンだろうから、どこかですれ違うだろう。
それにしても、この人はすごい大股である。私の4歩分を3歩で歩いている。
こちらは荷物も重いでのローペース。なかなかスピードが出ない。

すぐ右を流れる西股沢にも雪が積もっている。
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20分くらいしたら、青空が隠れ、なんと雪がちらつきだした。
まじかよ! でも今日は雪になっても、あすは晴れるだろう。気にしない、気にしない。
幸い、この雪は一瞬で止んでくれた。助かった。

途中、奇妙な巨岩があった。
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とくに名前はないようだ。

林道は八丁平への分岐まで続くのかと思っていたら、手前で終了。
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ここから10分ほど歩いたところが分岐だった。11:15。
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広場状になっている隅に、1台車が置き去りになっていたので、昔はやはりここまで林道が続いていたのだろう。
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キャンプ場が標高1570m、このあたりは1880m。標準タイムは1時間20分だが、1時間5分で来られた。ザックが重くて、道も歩きにくいわりには、いいペースだ。
そうなると、ちょっと色気が出る。
八丁平経由で遠回りしようか。
しかし、そちら方面にはトレースがなく、地図には稜線上に「迷」のマークが。
そうだ、いつか小川山に登る時に八丁平は通るだろうから、今回は止めておこう。
(この判断は大正解だった)

分岐から砂洗川の橋を渡り、左手に西股沢の砂防ダムが見えるところで小休止。
チェーンアイゼンを装着し、チョコを2個、口に入れる。
前回、ハイドレーションが凍ってしまったのに懲りて、チューブを出していないので、水を飲む機会が少ない。だから、ここで紅茶を結構飲んでおいた。
で、おにぎりを1個、ポケットに移す。雪で腰も下ろしづらいので、途中で歩きながら食べるためだ。
これはその後、間もなく食べてしまった。

道はもう5~10cmの積雪になっている。
先行者の足跡をたどっていくが、途中、明らかに変な道を行っている箇所があった。
付いて行ってもいいのだろうが、ここはきちんとした道を見つけたい。
沢に緑のロープが渡されているので、あそこを渡れという意味かとも思ったが、地図には沢を渡るようには書いていないし、渡った先も崖で道のようなものはない。
目を凝らして、赤テープを探すと、あった、あった。
沢沿いにちらりと光っていた。

やった、正しい道を発見できた。
しかし、この先、足跡がないので、常に自分でルートファインディングをしないといけないかと思うと、ちょっと緊張したが、何のことはない。
すぐ先に、非正規は道から、さっきの足跡が合流してきていた。
あとはもう、この人についていくだけだ。

しかし、なかなかペースが上がらない。
地図を見て、そろそろ2000mくらいまで来ただろうかと思ったら、間もなく「2000m」の看板が出てきて、うれしかった。
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読図はしっかりできているようだ。

このあたりで山の上の方が晴れてきた。
道は樹林帯なので日は差さないが、空が青くなってきたのが分かる。

しかし、登りはきつく、とうとう歩き続けられなくなり、腰を下ろして、おにぎりをもう1つ食べることにする。
雪なのでマットを敷いたが、これがとても役に立つ。濡れないし、温かい。
熱い紅茶を入れて飲んだが、止まっていると、すぐに体が冷えてくる。
風がないので助かったが、とにかく15分ほどで出発。
1、2歩は足が軽かったが、10歩も歩くと、元の木阿弥。全く足が上がらない。

それでも間もなく、稜線らしきところに出て、北西方面の展望が開けた。
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ちょうど、瑞牆山(みずかきやま)が見えるではないか。
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その向こうには八ヶ岳。かっちょい~!

ものすごくうれしくなって元気も出た気がしたが、やはり10歩しかもたない。
背の高いシャクナゲの林を抜けると
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撮影ポイントもいくつかあったが
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(これは小川山。標高は2418mで瑞牆山より高い)
とにかく苦しい。足は上がらないが、息が上がる。
何度も立ち休みをしながら、これでたどり着けるのだろうかと不安になる。
ザックの重さもあるが、たぶん睡眠不足がいけなかったのだろうとの結論に至る。

とにかく一歩一歩ゆっくり高度を稼いでいくしかない。
急登ゾーンをクリアして、傾斜が緩やかになり、頂上直下の五丈石が木々の間から見えたりして
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ホッとしたのも束の間、もう1回急登しなければならない。

もうボロボロになっていた頃、先行していた大股のお兄さんが下りてきた。
「小屋はあとどのくらいですか」と聞きたかったが、地図上は分かっているし、何となく格好悪くて聞けなかった。いずれにしろ、もう一息なのだ。

最後の急坂をクリアして、道が平らになって、もう着くぞ~と思ったら、地図からは読み取れない急坂がまたしても出てきて、泣きそうに。
しかし、ここを踏ん張ると、ほんとに上に小屋が見えてきた。感激!
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やっと荷物を下ろせる。

13:55、着いた~
分岐からの標準タイム1時間50分のところ、2時間40分もかかってしまった。
冬とは言え、つぼ足やラッセルをしないで来られる道で、この成績ではいかん。

しかし、ここからの景色は抜群である。
まず、八ヶ岳と瑞牆山。
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小川山の長い稜線。
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はるか北には浅間山。
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西には砂払ノ頭。
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とにかく、小屋にザックを下ろす。誰もいない。
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中はこんな感じである。板の間で6畳ほど。
自炊室2
さっきの人がここでお昼を食べたりしたかもしれないが、今夜は私1人だろう。

小屋本体は、このくらいの大きさ。
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小屋の裏には、尖塔のような巨石があり、頂上にはケルンのようなものが立っている。
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これがなかなかかっこいい。夏には上まで登れそうだ。

ネックウォーマーを巻き、小さなポーチにダウンとゴアの手袋だけ入れて、肩にかけて出発。
手袋は今、軍手をしている。ゴアだとカメラの操作がしにくいのだ。
さて、頂上を目指す。
足場は悪い。雪を踏み抜いて足が取られて歩きにくい、というか相当エネルギーを消費する。

しかし、眼下にはすばらしい景観が広がる。
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八ヶ岳を背景に、瑞牆山、小川山、大日岩、砂払ノ頭、金峰山小屋・・・とその調和が見事である。

何度も振り返って写真を撮った。
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頂上を仰ぐと、月が出ていた。
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午前中の雪はどこへやら。山頂付近は穏やかに晴れて、風がやむとポカポカと温かいくらいだ。でも氷点下3℃くらいまでしか上がっていないのだろう。

先行者もルートを見つけるのに苦労したらしく、シャクナゲの上を歩いている。
その方が、深く埋まらないで済むからだ。
私もシャクナゲさんには申し訳ないが、同じように進む。
空身なのだが、かなりきつい登りだ。
ほんで、20分ほどで、ようやく金峰山の象徴・五丈石にたどり着いた。

(つづく)



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# 笹子雁ヶ腹摺山

12月16日は衆院選投票日だが、晴の予報なので出かけることにした。
5:29新所沢発の電車で出発。
新所沢駅のホームに、中央線は国立駅の踏切付け替え工事で、国分寺~八王子間大幅運休という情報が出ていたが、大丈夫だろうと軽く考えて、国分寺まで行ってみたら、なんと大幅運休ではなく、この時間帯は運行していないことが判明。
西国分寺まで行って、武蔵野線に乗り、府中新町から南武線で立川まで迂回せざるをえず、電車が1本遅れ、笹子着が7:56になってしまった。
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まあ、大丈夫。トイレでハイドレーションに水を補給して8時ちょうどに出発。
ここで5人ほどの登山客が下りたが、私のように東京方面に歩いていく人はいない。
道路の表示では気温が9℃。随分温かい。
それにしても、国道20号線の交通量が多い。
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この区間中央道が笹子トンネルの落盤事故で通行止めになっている影響だろう。高速には工事用の車がたくさん駐まっている。

旧道の笹子川橋を渡り、吉久保集落に入る。
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暑いので、吉久保の稲村神社でゴアテックスを脱ぎ、帽子もとる。
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北に向かって集落を抜け、高速をくぐる。このあたりで標高600m。
ここから地道となり、駅でし忘れた体操をする。
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道には「御坊山登山口」という古い看板があり、迷わなくてよかったが、脇の草木の枝が道の真ん中に張りだしており、あまり歩かれていないことが分かる。

しばらく高速沿いの急な坂道を登るが
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途中から赤テープに導かれて、山に取り付く。
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しかし、この道、すぐ道ではなくなり、急な斜面にめちゃめちゃに踏み跡が付いているだけ。しかも、その踏み跡も平らな面がなく、足がかり・手がかりもなく、極めて歩きにくい。
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とりあえず踏み跡を無視して直登、歩きやすい踏み跡があったら、それをたどって斜めに登る・・・を、汗をかきながら繰り返し、滑りやすい斜面と格闘すること約30分。標高差約150mをクリアして、尾根に出て、ホッと一息。
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ここからはしばらく緩やかな登りだが、雷によると思われる倒木がやけに多い。
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枯れて枝の落ちた木も多く、ところどころで南方面の展望が開ける。
南は本社ヶ丸(1631m)から鶴ヶ鳥屋山(1374m)への稜線がよく見える。
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(右が本社ヶ丸)

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(鶴ヶ鳥屋山)

右手、北側はあまり開けないが、木々の間から滝子山(1590m)が見える。

入道山(922m)山頂付近は、やはり枯れた木が多く、松の幼木が密集している。世代交代の時期なのか。9:45着。
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あまり人気のなさそうなコースなのに、山頂の標識はやけに立派で新しい。
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これはこれでありがたいが、もう少し、赤テープを増やした方がいいと思う。

山頂からは、これから登る棚洞山(1201m)が正面に見える。
東には丹沢の山々、そして眼下には吉久保の集落。北には滝子山が望めた。
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ここでは写真だけ撮って通過。

ここからは緩やかな道と急な坂が交互にやってくる。
驚いたことに、古いベンチが5か所くらいにあった。
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ここも第1次登山ブームの頃は結構歩かれていたのだろうか。

たぶん、今日はこの尾根の最高地点である東峰(1421m)まで、誰にも会わないだろう。道の様子を見て確信できた。
10:10頃、本社ヶ丸の向こうに三ツ峠山(1785m)が見えてきた。
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たぶん、その後ろあたりから富士山が見えるはずだが、こちらの標高が低いからかまだ顔を出してくれない。

10:20、棚洞山に到着。
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このすぐ手前でやはり立ち枯れ現象があり、南の方角がよく見えた。
大沢山の左に、御坂山塊の最高峰・黒岳(1793m)が顔を出した。
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富士山はまだだろうか。

ここからも目指す東峰が木々の向こうに透けて見えた。
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頂上そのものは眺望がないので、ここも通過。

すこし下る。その途中、右手で動くものがあり目をやると、リスだ。
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やはりなかなかすばしこくて、うまく写真が撮れなかった。

鞍部まで下ったあたりでお腹が空いてきたので、ザックを下ろして、ソーセージとチョコレートを食べる。
で、出発しようとして、びっくり。てっきり、道は正面突破かと思っていたら、赤テープが右手の方向についていて、そちらに踏み跡らしき凹みがあるではないか。
枯れ葉が厚く積もって判然としないが、間違いない。
これって、巻いてくれるってことだよね。変な方へ行かないよね。
と思いながら歩いていると、踏み跡はまた左に反転し、大きな波長でジグザグしていることが判明。
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安心して、この楽ちんな道を行く。ああ、直登していたら、また最初の苦労をするところだった。あんなに傾斜は急じゃなかったけど、地面が乾いていて、表面が小さい礫なので滑るのだ。

冬枯れの林の中、落ち葉をラッセルしながら登っていくと、10:50、やっと富士山が見えた。
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気づくのが遅くて、もう肩くらいまで姿を見せていた。

続いて南アルプスも木々の向こうに登場。空気が澄んでいるのか、すこしも霞まずくっきり見える。
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やっと広い尾根にもどり、あとは緩やかな登り。
11:10東峰に到着。
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ここも眺望がないので、滝子山の尖塔だけ写して、さっさと通過。
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大鹿峠への巻き道を右に分けて、稜線までひとのぼり。
稜線にも古いベンチがあった。
ここからは大菩薩嶺方面の稜線が一望。
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今年の1月に縦走して来た道だ。あの時残した、南端部分・大谷ヶ丸付近を近々にやりたい。

これは大菩薩峠(中央)から大菩薩嶺(左)
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滝子山の手前にあるオッ立(1301m)もすべての木々が葉を落とし、優美なラインを見せていた。
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ここで進路を左へ。右や左の景色を楽しみつつ、すぐにお坊山(1421m)に到着。
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ここからは、冬枯れだからこその富士山の眺望。
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そして、西側は全開。
八ヶ岳
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甲斐駒
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鳳凰三山
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白峰三山
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それに続く南アルプス。荒川、赤石、聖も。
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ニセ八ツ・茅ヶ岳の左右には北アルプスも覗いていた。
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奥秩父の金峰山から国師へと続く稜線もくっきりと見える。
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五丈石のとんがりが目印の金峰山。
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その右に続く国師ヶ岳。
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ああ早くあそこにも行きたい。

御坂山塊も黒岳から十二ヶ岳、節刀ヶ岳、釈迦ヶ岳などが居並ぶ。
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正面すぐにはまあるいトクモリ。この地名を見て、徳森? まさか特盛りじゃないよね。
なんて思っていたが、この姿を見て、「特盛り」と確信した。
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(背後は南アルプス)
茶わんに御飯を特盛りしたように見えるではないか。
坊主山の頂上は狭いので、ここも写真撮影だけで通過。

ここから先は急な下りだが、この斜面から見る景色も抜群。
富士山が邪魔者なく見えるし
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大菩薩へ行く道の途中にある木賊(とくさ)集落も遠望できた。
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トクモリへは50mほど下って40m登る。標高は1412m。
標識は何もないが、わりと広いのでここでお昼とする。
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コンビニのおにぎり2つと、コンビニの卵焼き、飲み物はコーンポタージュスープ。
結構お腹いっぱいになった。

トクモリ自体はほとんど展望がないのだが、正面の木の枝に赤テープが巻き付いているのが見え、立ち上がって確認すると、その下の木にも付いていて、踏み跡もある。
地図を見ると、地形図にも昭文社の山地図にも道はない。
バリエーションルートかな。
25分ほど休んで、出発しようしたら、そのルートから人が登ってきてびっくり。

今日は東峰どころかずっと人と会わないかもと思っていたのに、こんなところで、こんなところから出現した人と会うなんて。
こんにちは~と挨拶したが、なんとなく愛想がなかったので、何も聞かず、出発してしまった。
1人と会うと2人、3人と続くもので、下り始めてすぐ、高年のご夫婦、鼻をかみながら登る男性、少し離れて、もう1人と立て続けに4人とすれ違った。
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まあ、ここは笹子峠から大鹿峠に至るそこそこ人気のコースだから、予想はしていたが。

お昼の時にゴアを着たが、ちょっと寒くなったので、そのまま出発。軍手もした。
でもこぶを一つ越えたらもう暑くなり、次のこぶの手前で、両方とも脱いでしまった。
それからはもう風もそんなに吹かず、ぽかぽか陽気だった。

米沢山(1357m)には12:30に到着。ここも展望はない。
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この先、いくつものクサリやロープがかかる難所。急な下りを慎重に下りる。
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ここから笹子雁ヶ腹摺山(1358m)へはいくつかのこぶを越えていくが、途中、すばらしい展望台のあるこぶがあった。
大菩薩から丹沢、富士山と、北から東、南への展望が楽しめる。
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これは丹沢方面。
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これから登る腹摺山の全貌もやっと見ることができた。
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振り返ると、今歩いてきたアップダウン。左から米沢山、トクモリ、お坊山。
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米沢山から腹摺山へ至るルートの下には、国道トンネル1本、高速のトンネル2本、鉄道トンネル2本の計5本のトンネルが貫いている。
そう考えると何だか不思議な気分だ。

3つも大きなこぶがあり、多少疲れたが、最後標高差100mを一気に登る。
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頂上は台地状になっており、平らになってからしばらく歩く。13:25着。
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ここは山梨百名山、秀麗富嶽十二景にも選ばれているだけあって、富士山の眺望が美しい。
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そして南アルプスと御坂山塊、八ヶ岳・・・
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八ヶ岳もまた行きたくなってきた。この冬は、夏に雨にたたられた北八ツをもう一度やりたい。

今日は思いのほか暑く、半分くらいしか入れなかったハイドレーションが空になりそうだ。
ペットボトルの紅茶を飲み干し、テルモスの熱湯をペットボトルに移し替える。
お湯を水にしようという訳だ。

下り始めに笹子の集落が見下ろせた。
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さて、まだ1時半。笹子峠まで行って、そこから下る手もあるが、笹子峠からの下りはほとんどが車道で、一部の歩道も大昔、マウンテンバイクで下ったことがある。
わざわざ遠回りするほどの魅力が感じられず、まっすぐ下ることにする。
そうすると、3時すぎには鉱泉に入れるだろう。

実は、今回のコースを考えた時、最初は腹摺山から登り、入道山の尾根を下ってくるつもりでいた。
日帰り温泉を探したら、笹子駅より腹摺山よりに笹子鉱泉があったので、帰りに寄れると、逆回りにしたのだ。おかげで最初の登りで随分苦労させられた。

今日はかなり暑くて汗もかいたので、早く入りたい。
まもなく急な下りとなる。それが延々と続く。
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そりゃそうだ、標高差は800mもある。
小刻みなジグザグを繰り返して、150mほど下ったら道が平らになり、しばらくして富士山も消える。

2時前に登ってくる人がいてびっくり。カメラを抱えていたが夕日でも撮るのだろうか。
今からだと急いでも、腹摺山を往復すると笹子駅に着く頃には真っ暗になってしまう。大丈夫だろうか。
また道が急になると、1回緩くなるだけで、やはり延々急坂。

鉄塔まで来たところであとは標高差で100m。
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この先、尾根筋を直進したが、その入口から実は違和感があった。
踏み跡はわりとしっかりしているが、細い木の枝がやたらに張り出している。
しばらく下ってさすがにこれはおかしいと思った。
踏み跡もなんとなく薄くなってきた。
たぶん、このまま進んでも下界に下りられるのだろうが、また最初の登りのような道のない急斜面を下るのはまっぴらだ。

そう思ったら決断は早い。すぐ引き返し、道を探す。下ったのは3分くらい、戻るのに5分くらいのロスか。
しかし戻ってみたものの、別の道が見当たらない。
え~やっぱり今のでよかったの、と思った途端、思いがけない場所に赤テープを発見。
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さっき、直進した道のすぐ脇。
間違った道は踏み跡しっかりで土が露出しているのに、正しい道は枯れ葉で埋もれている。
これは簡単には分からない。だから、みな尾根道を進んでしまい、立派な踏み跡ができるのだ。
時々、何の分岐でもないところに、大きく両腕を広げたような道標があるが、あんな無意味なものを立てるなら、ここに立てるべきだろう。

正しい道は植林の中の暗い道。淡々と下る。
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登山口に下りてきたのは14:40。
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ここからは国道20号を下り、温泉だ。その前に、今日登ってきた山々を確認。腹摺山は大きな反射板(?)が目印。
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10分ほど歩くと鉱泉があるはずだ。先に右手に見えた「大衆食堂しらかば」が閉店しているが、そこに「笹子鉱泉」の文字が。
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何だかいやな予感がして、左手を見ると、看板をはずしたそれらしき建物。
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なんと、笹子鉱泉はつぶれていた。道路地図や山地図には載っているから、閉鎖されたのもそんなに古いことではないのかもしれない。
ありゃりゃ。もう、まっすぐ帰るしかない。

笹子駅には15:20に到着。35分の電車で家路につく。
今度は運休もなくスムースに帰れた。
投票時間に間に合ったので、帰宅後すぐ投票所へ。
国民の義務も果たせました。

この日はとても空気が澄んでいて、すばらしい展望を楽しめた。
山の数も7つ稼げたし、いい山行でした。

【この日の行程】
笹子駅(8:00)~登山口(8:40)~入道山(9:45)~棚洞山(10:20)~東峰(11:10)~お坊山(11:25)~トクモリ(11:40昼食12:05)~米沢山(12:30)~笹子雁ヶ腹摺山(13:25)~登山口(14:20)~笹子駅(15:20)
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長沢背稜(下)

12月9日午前9時。奥多摩は三ツドッケの頂上にいる。
天気は快晴。気温は低いが気持ちのいい朝である。

あっち向いたり、こっち向いたりして写真を撮っていると、単独の男性が2人前後してやってきた。
1人目の人に写真を撮ってもらう。
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次の人は、この辺に詳しそうなので、聞いてみたら、奥多摩は全部歩いたという。それはすごい。この人は私と同様、棒ノ嶺まで行くという。
こちらはまずその前に、一杯水避難小屋へ向かう(9:15)。
まっすぐ尾根筋を歩いて行った方が近い棒ノ嶺へは近いのだが、小屋の写真もコレクションにしているので、行かなくてはならない。

ひとつこぶを越えて、下っていくと間もなく白い壁の小屋が見えてきた。
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扉が開いていたので、誰かいるのかなと覗いてみると、なんと昨日同宿した彼女ではないか。
彼女は酉谷山に御来光を見に行ったはずだが、私はあちこちピークを拾い集めているうちに、巻き道です~っとここまで先に来てしまっていたわけだ。

まだ9時過ぎだというのに、もうお食事をしている。
「お昼ですか」と聞くと、このまま下りてしまうと、昼前に下界に下りてしまうから、今のうちに食べているのだという。「お腹もすいたし」
若いなあ。

私も撮影休憩しか取っていないので、ザックを下ろして、少し雑談する。テルモスのお湯で紅茶を入れ、ミニドーナツをお茶うけにする。
彼女は本格的な雪山は、以前、北アの五竜に連れて行ってもらったことがあるが、その時は天候が悪く引き返したとのこと。次はテントで1人の冬泊をしてみたいと話していた。
それは、まだ私もしたことがない。まあ、夏もないんだけど。
彼女は11:30のバスだというので、そろそろ切り上げて出発することにする。
もう10:00だ。すっかり腰を落ち着けてしまった。
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この小屋は酉谷小屋の倍の広さがある。こっちには昨夜何人泊まったのだろう。
小屋の外壁にかかっている温度計は7℃を差しているが、たぶん直接日が当たっているからだろう。おそらくまだ0℃くらいのはずだ。
ペットボトルの紅茶がシャーベット状になっている。
困ったのは、ハイドレーションの管にある水が凍って、吸えなくなってしまったことだ。

ちょうどすぐ先に、「一杯水」と呼ばれる湧き水があったので、一口二口飲んでみる。
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うまいわ。

ここからは稜線のピークを気にせず、ひたすら巻き道でいい。
標高は1400m程度、やはり楽ちんだ。
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10:40、仙元峠への分岐に達する。峠と言うから鞍部にあるのかと思ったら、どうやら、この峠はピークにあるらしい。不思議だ。
でも、ピークに名前が付いているなら、そこも「登った山」にしてしまおう。

5分で頂上に到達。
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そこにある説明板によると、ここは多摩と秩父を結ぶ唯一の街道で(そんなことはないと思うが)、富士講や三峯講の人々がここを通ったという。
秩父から来た人たちはここで初めて富士山を見たという。

実際、今は木々が茂って見えないが、それがなくても今日は雲がかかっているのか富士山はどこからも見えない。
仙元は「水の源」という意味だと行っているが、おそらく「浅間」に通じるので、富士山のことかもしれない。祠にも富士山のご神体、木花咲耶姫命を祀ってあるという。
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一旦下って、登り返すと蕎麦粒山(1473m)。11:05。
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ピークは尖った岩が林立する、この稜線にしてはちょっと変わった景観。

ここからは関東平野の眺望がすばらしい。
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そして、この先は防火帯で、枯れ草の茶色い道となる。東から来る人は最後の急斜面がかなりきついらしく、みんな苦しそうな顔をして登ってくる。
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まだお腹が空かないので、通過。
次のピークである桂谷ノ峰(1380m)は標識もなく、道もなだらかでよく分からないうちに通過してしまった。
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防火帯は枯れ葉だらけ。またしてもラッセルだ。
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有間山への分岐、棒ノ嶺への分岐を確認し、日向沢ノ峰(1356m)に至る。11:50。
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ここからの眺望も悪くない。

正面に天祖山(中央)と雲取山(左)、芋ノ木ドッケ(右)。
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こちらは三ツドッケ。
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ここでお昼にしようと思ったが、風が強くて寒い。
展望レストランは諦めて風の来ないところまで下る。棒ノ嶺に行く分岐に、ちょうどいい倒木があったので、ここに腰掛けて、お昼とする。
温かいものはお茶のみ。昨日のぱさぱさになったおにぎりと、マカロニサラダ、焼き豚の残りなど。すっかり体が冷えてしまった。

12:15出発。ここから先は、2001年版の「奥多摩」では点線になっているが、2011年版の「奥武蔵・秩父」では実線になっている。地形図には表示なし。
所要時間は、棒ノ嶺まで2時間半。

分岐の先は、いきなりとんでもない傾斜の下り。
標識がなければ、道を間違えたと思うだろう。かつて点線だったことがよく分かる。
これで標高差100mほどを一気に下る。その先はしばらくなだらかなアップダウンだ。
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ただ、この道には相当古い階段があったり、有間山や有間ダムへの分岐があったりで、昔から歩かれていた道ではあるようだ。
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それにしても、こんな道から分岐する道は、踏み跡もさらに不明瞭そうで(山地図には点線もない)、赤テープがない限り歩けそうもない。
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鉄塔の下まで来ると、眺望が開け、今登ってきた日向沢ノ峰や有間山、蕨山が見えた。
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今年3月に登った山だ。

この先1087mの小ピークは避けたいなあと思っていたら、右手に踏み跡程度の巻き道があった。本道は直進だが、ここは右を行く。

この稜線の道は地形図には書かれていないが、地形を見ながら歩いていると、この先は緩やかな登りだとか、次は急な下り坂だとか、きちんと現在地を確認しながら歩ける。

そんな風に歩いていると、とくに目立ったピークでもないなだらかな場所に「クロモ山」と書いたテープがあった。
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地形図には標高の表示すらない場所である。
これで、「やったあ、また一つ登った山を稼げた!」と喜べればいいのだけど、「もしかして、さっき巻いてしまった1087mピークにも山の名前があったのでは」と失敗したような気持ちになる。貧乏性だ。
もう、この道には二度と来ないだろう。仕方ない。

この後もいくつものこぶを越え、927m小ピークも越えて、958mピークの長尾丸山に着いたのは13:35。
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ここには、こんなしゃれた看板がかかっていた。結構新しい。
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でも、とくに眺望はないので、あっさり通過。

100mほどまた一気に下り、左手に林道が見えるコルに出る。
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このあたりからは、奥武蔵の山々が一望できる。
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そして、槇ノ尾山(945m)へ登り。これが長い。
頑張って登って、やっとなだらかになったと思ったら、次の急坂が出てくる。
の繰り返しで、精神的に疲れた。
頂上には14:10着。
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ここには看板が道標にくくりつけてあった。

元気だったら棒ノ嶺の先、黒山、岩茸山を経由して御嶽駅まで縦走し尽くそうと思っていたが、とても時間的に無理そうなので、棒ノ嶺から川井駅方面に下ることにした。

槇ノ尾山からは60m下ってまた80m登る。
いい加減、いやになってくる。
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ほんで、14:30棒ノ嶺に到着。
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ここは10月に一度来ているが、あの時は曇っていて何も見えなかった。
今日はよく見える。男体山は無理だったが。
大持山(左)と武甲山(右)
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手前から伊豆ヶ岳(尖ってる山)、丸山(鉄塔のある山)、赤城山。
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坂戸市街と筑波山
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子(ね)の権現(左手前)と高山不動(右奥)
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顔振(こうぶり)峠と東松山市街。
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そして東京都心とスカイツリー。
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人気のある山だけに、眺望も抜群だったのだ。

こちらが到着した時は、5~6人のパーティーが下山するところ。
残る2組4人はそれぞれベンチとテーブルでおしゃべりの真っ最中。
いずれも名栗側に下りて、さわらびの湯に入って帰るのだろう。

その方が交通の便もいいし、歩く距離も短いが、同じ道はなるべく歩きたくないので、あえて奥多摩側に下る。
14:40出発。
地形図で見た通りの急坂。ここから一気に標高差570mを下る。
まずは植林の中の小刻みなつづら折れの道。これはこれで歩きやすい。
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階段もつたって谷まで下りてくると、祠があり、この先は沢沿いの道になる。
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沢と言っても勾配は楽にならない。
わきは石垣を組んで、わさび田になっている。
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こんな山奥に分け入って仕事をするのだから頭が下がる。

途中、横顔がゴリラに似ている岩を発見。
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正面から見ると顔にすら見えないのだが。

大丹波川まで下りて来たところに8段のわさび田があって、びっくり。
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でも、奥多摩で生わさびを売ってるところ見たことないんだよなあ。
名産って看板もないし。

このあたりの大丹波川は渓流沿いに4つのキャンプ場がある。
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奥から順に、奥茶屋、百軒茶屋、中茶屋、清東園。
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いかにも昔からの街道にあった茶屋がキャンプ場に衣替えしたことを思わせる名前だ。
キャンプ場としては多分昭和30~40年代は流行ったのだろうが、今はどうなんだろう。
アウトドアブームで持ち直しているのだろうか。
それにしても4軒は過当競争のような気もしないではない。
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ただ、どれも雰囲気のいいところで、家族連れにはもってこいの場所だ。

15:50清東園バス停に到着。
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バスはここまで入ってくるが、事前に調べていた通り、奥多摩駅行きは16:50。
あと1時間も待つ気はないし、山村の風景も見たいので、当然このまま歩く。

そうすると、こういう古い商店を見つけることもできる。
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まだこんな懐かしいホーロー看板も残っている。
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16:24、下りのバスと八桑のバス停ですれ違う。
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ここで、東京都山岳救助隊のネーム入りユニホームを着ている人たちを見かけた。
そのうちの一人に「お疲れさまでした」と声をかけられたので、「訓練ですか」と聞いたら、「捜索です」との答え。誰か遭難したようだ。救助できたのだろうか。

北川橋では古い橋の橋脚を見つけ、ニンマリ。
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南平には、茅葺きの家があり「ふるさとの味」と看板が出ているので、何か作っているのだろう。
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このあたり、クリスマスの飾り付けをしている家が多いのが不思議だ。

この隣に、「なかい」という釜めし屋があった。ぼんやり明かりを灯していて、なかなかいい雰囲気だったが、寄って行くと真っ暗になってしまうので、ここは我慢することにした。
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蝉沢あたりまで下ってくると、すっかり暗くなってしまい、写真はもう無理。
国道には午後5時過ぎに達し、5分ほど歩いて、松乃温泉「水香園」に立ち寄り湯。
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入ってみると、なかなか格式の高そうな宿で、入浴も1000円。
先代は大正末期に、夢枕のお告げでここを掘ったら温泉が出たとのこと。
アルカリ泉なので、つるつるして浴槽に入る時、転びそうになってしまった。

さっぱりして、18:18川井発の電車を目指して出発。19:49新所沢に到着。
1泊2日、18時間45分にわたる山行の終了です。
比較的マイナーなコースでしたが、そこがまた何とも言えない雰囲気で、楽しうございました。

全行程を振り返っておきます。
8日:東日原(8:05)~鍾乳洞分岐(8:30)~八丁橋(9:05)~1355m地点(10:55休憩11:00)~天祖山(12:20昼食12:40)~梯子坂ノ頭(13:40)~水松山(13:55)~滝谷ノ峰(15:15)~酉谷山(15:50撮影15:55)~酉谷峠(16:05休憩16:10)~酉谷避難小屋(16:15)
9日:小屋(6:35)~日向谷ノ頭(6:50)~坊主山(7:05)~七跳山(7:45)~大栗山(8:15)~ハナド岩(8:25撮影8:30)~三ツドッケ(8:55休憩20分)~一杯水避難小屋(9:30休憩10:00)~仙元峠(10:45)~蕎麦粒山(11:05)~日向沢ノ峰(11:50昼食12:15)~クロモ山(13:05)~長尾丸山(13:35)~槇ノ尾山(14:10)~棒ノ峰(14:30撮影14:40)~奥茶屋(15:30)~清東園(15:50)~松乃温泉(17:10)

(おわり)

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長沢背稜(中)

12月8日、奥多摩の長沢背稜を歩いている。
ただいま、午後2時40分、滝谷の峰を通過したところ。
この尾根をそのまま下っていけば、巻き道である登山道に合流するはず。
かなり長くて、少々不安になったが、ちゃんと登山道が現れてくれて安心した。
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ここから先は雪に2人分の足跡が続いている。
これは今日のものか。だとしたら、おそらくこの人たちは酉谷避難小屋に泊まることになるのかもしれない。またまた一人の気ままな小屋泊はできなそうだ。

ここからはしばらく巻き道を行くことになる。ほぼ等高線沿いなので楽ちん楽ちん。
でも長い。
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無心に歩き続けると、行福ノタオと呼ばれる鞍部に到着。15:25。
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ここから酉谷山(1718m)への登りとなる。ちゃんと巻き道との分岐の標識があるのでありがたい。
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ここの登りからは左手に秩父方面がよく見えて楽しかったのだが、ニセピークがあまりに多い。あそこが頂上だ、と思ってだまされること3回。4回目には、とうとう笑ってしまった。でも、とにかく標準タイムと同じ所要25分で、15:50に登頂。
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ここは南側がきれいに開けており、大岳山や丹沢、市街地などがきれいに見えた。
左奥が大岳山。
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丹沢の峰々が奥に連なる。
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中央がたぶん蛭ヶ岳、左のピラミダルな山は大山であろう。

もう夕暮れも近い。下りながら、足跡の雪を拾ってみると、少し固い。
これは今日じゃないのかな?と一瞬期待したが、やはりこんな道を通るのは休日じゃないとあり得ず、小屋にはすでに4人が銀マットを広げていた。

先走り過ぎたが、酉谷山から東に下ったところが酉谷峠。小屋はここから南へ2分くらい下ったところにある。16:15に到着。もうほんとに日暮れ寸前だ。
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ログハウス風の建物で、収容は土間にも寝て10人が限界か。
すでにいた4人でほとんどスペースがなくなっていたが、単独男性と単独女性が間を空けてくれたので、土間に寝ることは避けられた。

で、この単独女性、どこかで見覚えがあると思ったら、奥多摩に来る電車で向かいに座っていた人だ。
「あれ、もしかして電車で一緒でした?」と聞くと、「私もそう思いました」とのこと。
最近は女性ひとりで、冬山に来たり、テン泊で出かけたりする人が本当によく見かけるようになった。
ただ彼女は冬の単独は初めてで、ここも初めてだという。
初めての冬で泊まりがけというのも大したものだ。

室内は翌日、みんなが出かけてから撮ったものだが、こんな感じである。
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早速、食事の準備を始める。
今夜はインスタントラーメンに、今朝買った稲荷寿司、それとみかん。
お隣はなかなか豊か。タイグリーンカレーをナン風のパンに付けて食べている。
パンはガスストーブに網をのせて温めていた。
やはり女性は、食事も楽しまなくちゃのようである。

単独男性の方は、かなり歩き込んでいる方のようで、今日は秩父の浦山大日堂から峠ノ尾根を登り、大ドッケ、大平山、七跳山を経て、ここに来たのだとか。
それって、点線すら引かれていないルートだ。
「踏み跡はありましたよ」と言っていたが、私にはちょっと無理かも。

もう暗くなりかけてから、2人の女性が飛び込んできた。
幸い、ここには銀マットと毛布の設備があるので、彼女たちにはそれらを提供し、土間に寝ていただいた。単独男性が世話を焼いてあげていた。

食後はメモ付けに専念。7時過ぎにやっと終了し、トイレを兼ねて夜景を撮りに行く。
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青梅とかそのあたりの夜景だろうか。

上の斜面でがさごそ音がするので、ライトを当ててみたら、目が二つ光っている。
シカも目が光るのか。

トイレではしっかり大が出たので、うれしい。これで安心して眠れる。
着替えを持ってきていないので、枕にできるものがなかったが、備え付けの毛布を丸め、それにタオルを巻いて枕にする。
そういえば、冬用のシュラフは今日がデビュー。2月の鷹ノ巣小屋は3シーズン用シュラフでものすごく寒かったが、今日は暖かい。
狭い小屋に7人もいるので、人いきれで室温も上がっており、7℃もあった。

両隣はすでにいびきを立てている。
私もシュラフに入ったら、めずらしくすぐに寝てしまったようだ。
夜中に目を覚ましたら2時。熟睡できた。
もう1回目を閉じて、となりの目覚ましが4:50に鳴ったのを合図に、まずはトイレ。
その後、峠まで登って、メールの送受信をして戻ったら、もうみな暗いうちから、朝食の準備中。
みな起きてくれたので、まわりに気を遣うことなく、こちらも朝食の準備ができた。
今朝のメニューはカレー味のカップ麺と昨日買ったおにぎり、そしてゆで卵。
おにぎりは寒さで少しぱさぱさになっていた。

食後は朝焼けの撮影に外に出る。
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東の空は明らんできたが、まだ月がくっきりと出ている。
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小屋の前には水場があり、ちょろちょろと出ている。
これで水を補給。体操などしているうちに、みんな出かけてしまった。
私も6時には準備が整ったが、写真がちゃんと撮れる明るさになるまで小屋で待機し、その間、備え付けのノートを読んでいた。

それによると、ツアーで15人連れてきた人の話や犬を連れてきた人に対する批判を管理人が書いていた。
で、その部分は1回破られて持ち去られたらしく、管理人さんは犯人を当人たちだと断定し、「どうぞ、この頁も破ってください」と皮肉たっぷりに書いていた。
マナーは守ってほしいものです。

さて、もう完全に明るくなった。日の出はまだだが、6:35に出発。
DSC_2062.jpg
(左は六ツ石山、右は鷹ノ巣山でしょう)

外気温はマイナス9℃だ。
今朝は登山道を避けて、酉谷峠からいきなり尾根筋を行く。昨日の単独男性のものとみられる足跡がある。これはありがたい。
これから先の日向谷ノ頭、坊主山、七跳山、大栗山はすべて道が巻いている。
これをひとつひとつ拾っていかなくてはならない。
巻き道を行けば楽なのに、変なくこだわりを持ってしまうと、生きにくいものです。

というわけで、まず日向谷ノ頭(1702m)。
DSC_2070.jpg

岩のごつごつと出た道を登る。峠からの標高差は80mほど。
おお、振り返ると酉谷山が赤く染まっている。日の出じゃ。
DSC_2067.jpg

秩父側でも、両神山が神のごとく光っている。
DSC_2068.jpg

6:50、日向谷ノ頭に到着。標識、展望ともなし。
DSC_2072.jpg
朝日が木々の間から差し込んでいた。
ここまではわりと雪が多かったのは北向きの斜面だったからか。

ここからまた約80m下り、30mほど登ると坊主山(1650m)。7:05。
DSC_2078.jpg
その名の通りの、坊主頭のような形の山。毛はいっぱい生えているけど。

奥武蔵研究会なるところが取り付けた手書きの看板があってうれしい。
DSC_2083.jpg
ここは別名「割谷ノ頭」とも言うそうで、標高を書いてくれているのがうれしかった。地形図に標高が書かれていないのだ。

ここからの下りは急な斜面で、踏み跡が全く分からない。ただ、南に向かって下りれば、巻き道にぶつかるはずで心配はいらない。
ここからしばらくは巻き道でいい。次の1595mピークはパス。
巻き道がコルに出ると秩父方面がきれいに見える。
DSC_2089.jpg

七跳山(1651m)は尾根筋を行ってもよかったのだが、七跳尾根の分岐のところから道があるように、山地図には書いてあるので、そこまで行って頂上へはピストンにすることにした。
分岐には7:40に到着。
DSC_2092.jpg

ザックを置いて、木々の間に酉谷山を眺めてから、この踏み跡を登る。
DSC_2093.jpg

ここも二重稜線。右側より左側のピークが高いので行ってみたら、こんな朽ちかけた標柱が。
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山頂には7:45着。あたりを見回すと、こんな看板が今にも落ちそうにぶらさがっていた。
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展望があまり利かないので、さっさと下山。下りは二重山稜の間の谷を下る。
DSC_2099.jpg

ここからは大栗山(立橋)を見逃さないよう、左手のピークを数えながら、巻き道を行く。
桟がいくつかあり
DSC_2111.jpg

古い橋の残骸が斜面に散乱したりしている。
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大栗山(1581m)は、七跳山から数えて、5つ目のピーク。
ただ、隠れたピークもあるかもしれないし、こちらがピークを見逃してしまう恐れもあるので、念のため4つ目のピークから尾根筋に入る。
本当に、この稜線はどこにでも踏み跡がある。私と同じようにピークを踏みたい人がたくさんいるのだ。

4つ目のピークは予想通り何もない。次のピークも何もない。
う~ぬ、やはり地図からは読み取れない小ピークがあったようだ。
そして、6つ目のピークが大栗山だった。8:15。
それは、頂上に着く前に、この看板の後ろ姿で分かった。
DSC_2114.jpg
私はこれを見逃さなかった。

表はこう。
DSC_2115_20130107131737.jpg
木彫りの丁寧な看板だ。だが、ここも展望なし。

この後は安心して、巻き道を行く。すると、右手にいかにも展望台風の開けた場所が見えたので、行ってみたら、すばらしい奥多摩の景色が広がっていた。
昭文社の山地図を見ると、「ハナド岩」とあり「南西の眺望がよい」と書いてある。ここのことだ。
一番奥に見えるのは丹沢。
DSC_2119.jpg
その手前は本仁田山だろう。

タワ尾根の向こうに七ツ石山や鷹ノ巣山(左)が見える。
DSC_2122.jpg

天祖山の向こうには雲取山。
DSC_2123.jpg

これはたぶん芋ノ木ドッケ(1946m)。
DSC_2124.jpg

これが全景である。
DSC_2126.jpg

5分ほど景色を堪能し、思う存分写真も撮って、間もなく三ツドッケ(天目山)への稜線に入る。ありがたいことに分岐に道標があった。
DSC_2143.jpg

間もなく、三ツドッケという奇妙な名前の由来にピンときた。
正面に三つの尖塔が見える。
DSC_2146.jpg
(写真では2つしか見えないけど)

「三ツ」はもちろん3つのこと。
「ドッケ」は「突起」のなまりであろう。

最後の急坂をひと登りで山頂に着く。8:55。
DSC_2147.jpg

ここは、西以外すべての展望が開けている。
だいたいさっきのハナド岩と似ているが、奥武蔵や秩父方面も見える。
遠く筑波山も。
DSC_2153.jpg

そして白く光るのは東京湾。
DSC_2157_20130107131652.jpg

今年2月に登った川苔山(1363m)。
DSC_2156.jpg

左は秩父の大持山(1294m)
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これから行く蕎麦粒山や石尾根も最初から最後まで全部見えた。
権現山も三頭山も。登った山が見えるのは、うれしいものだ。

そして、こんなにたくさんの標識があった。
DSC_2148_20130107131648.jpg


(つづく)
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長沢背稜(上)

東京都と埼玉県との境界をなす長沢背稜は、奥多摩の最奥ということで秘境のイメージがあった。それだけに、ずっと憧れの存在で、12月8~9日、避難小屋泊の1泊2日で山行を決行することにした。

7日、5:22新所沢発の電車で出発。7:17奥多摩駅着。
DSC_1724_20130104115803.jpg

ここからはバス。7:25発の東日原行きに乗る。
紅葉シーズンほどではないが、バスは満席。立っている人もいる。
このうちほぼ半数が、川苔山への登山口・川乗橋で下車。
ひざの上に置いていたバカでかいザックをようやく隣の席に置くことができた。

東日原への道は、学生時代に自転車で日原鍾乳洞に行ったことがあるから、通っているはずなのだが、全然何も思い出せない。

終点、東日原には7:49に到着。
DSC_1725.jpg
このバス停にはトイレもあり、まさに登山基地という感じだ。

私もトイレと体操を済ませ、8:05に出発。
しばらく集落の中の車道を歩く。
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日原は古い家や湧き水、祠などが沿道にあり、昔ながらの山村の雰囲気を残している。
DSC_1744.jpg

正面には、今年2月に石尾根から見えた稲村岩が朝日に照らされている。
DSC_1756.jpg

8:30、鍾乳洞への道との分岐に到着。
DSC_1763.jpg
ここで左に折れ、しばらく日原川の左岸を行く。

右岸に渡る伊勢橋には雪がうっすらと積もっていた。
DSC_1769.jpg
今朝、降ったのだろうか。

間もなく、若い男性が追いついてきて、「鷹ノ巣山への分岐はもう過ぎましたか?」と聞く。
え~過ぎたも何も、鷹ノ巣の分岐は日原の集落の中。バス停を下りてすぐの所だ。
地図を持たずにに来ているのだろうか。
とにかく「ええ、過ぎてます」とだけ答えると、「やっぱり」と言い残して引き返して行った。もうバス停から40分も歩いているから、彼は往復で1時間以上のロスをしたことになる。かわいそうと言うべきか。

道は伊勢橋を過ぎると地道になる。右に日原川の瀬音が近い。
DSC_1775.jpg

途中、右手に石灰岩の採掘地があり、鉱石を運ぶケーブルが張られていた。
DSC_1781.jpg

派手な切通しを通過して
DSC_1785.jpg

登山口の八丁橋には9:05到着。バス停からちょうど1時間だ。
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ここに2台、ゲートの手前に2台、車が駐まっていた。
天祖山(1732m)へのピストンの方々だろうか。それとも雲取だろうか。

登山道は石垣で築かれたつづら折れの道をしばらく続く。
DSC_1802.jpg
なかなか壮観な眺めで、古くからの信仰の山だったことがうかがえる。
道は近世からあったのだろうが、おそらく石垣は近代になって作り直したものだろう。

崖のようなところに道を付けているので、道幅が狭く、所々危ない箇所もある。
とにかく一歩一歩、高度を稼いでいく。この急坂は標高差で150mくらいだろうか。

もう紅葉はほとんど終わっており、落ち葉の量がものすごい。
DSC_1807.jpg
深いところでは15cmほどもあり、ずっと落ち葉のラッセルが続いた。

稜線に着いたのは9:35。
DSC_1818_20130104115721.jpg

ここから傾斜がやや緩くなる。
DSC_1820.jpg

すぐ先に、岩に神様の名前を彫った祠があったが、西夏文字のようで、解読不能だった。
DSC_1821.jpg

間もなく、小さな祠が3つ離れて並んでいるところに出る。
DSC_1825.jpg
ここから、頂上まで3.4km。

しばらく行くと、なんとなく鈴の音が聞こえるなあと思ったら、先行者に追いついた。
「人が少ないですね~」と声をかけると、「いつもはいるんですか」と聞き返され、ちょっと返答に窮する。
「いや、いい名前の山だから、もっといるかなあと思って」

このおじさん、腰に鉈をぶら下げていたので、「ヤブに分け入るんですか」と聞いたら、虫を捕るために、木を削るんだという。「カマキリの幼虫です」
へ~、いろんな人がいるもんだ。
おじさんはこのあたりをうろうろしているというので、先に行く。

日陰には雪が残るような高さになってきた。
DSC_1837_20130104115652.jpg

木々のすき間から時々、石尾根方面が見える。
DSC_1835.jpg
あれは七ツ石山(1757m)だろうか。

間もなく、大きなソーラーシステムがあるところに到着。
これが地形図にいう1355mピークだと勘違いし、結構順調だと気をよくする。

そのすぐ先に、ほとんど廃屋状態になった神社が現れた。
DSC_1840.jpg
天祖神社の前宮みたいなものだろうか。
中にある太鼓の膜が破れている。

軒には昭和初期の登山者のいたずら書きがあった。
「登山記念 昭和八年八月十六日 東京都滝野川区西ヶ原町九三四 三島康正 登山ス 今年トツテ 拾九才」とある。
となりには英語でも書かれているが、「19age」「y.m」とイニシャルがあるので、こちらも三島さんが書いたものだろう。今生きていれば98歳である。

この神社の裏から猛烈に急な登りとなり、地形図と合わない。よくよく見ると、さっき太陽電池の場所はただ傾斜が緩くなっただけで、この急坂を登ってやっと、1355m地点に到達することが判明。
どうも地形図を都合良く読んでしまうクセが抜けない。
で、10:55にようやく、1355m地点に到着。
八丁橋から頂上までの標準タイムは2:45。ここまで標高差600mに1時間50分もかかってしまった。
もうかなり疲れてきたし、のこり400mを1時間弱で登れるとは到底思えない。
まあ、頑張るしかない。

今日はよく晴れており、冬枯れの尾根に太陽がよく差し込んでいて、気持ちよい。
DSC_1853.jpg

植生はクリが多いようで、こんなところで朽ちていくのは、なんかもったいない気がする。動物たちが食べるのだろうか。
DSC_1856.jpg

ここ数日の間に降った雪が所々にうっすらと残っているが、そこに初めて足跡を付けていくのは、とても愉快。
DSC_1858.jpg
ただ、風が強くて、登り始めに脱いだゴアをまたまた着込む。汗が冷えてしまいそうなので。
途中、勾配のきついところで小休止。倒木に腰掛けて、ソーセージを1本食べる。

11:15、またまた小さな祠を通過。
DSC_1866.jpg
この先は地形図の等高線がきちんと読めて、次がどうなるかを正確に予測できた。よしよし。

12:10になって、ようやく建物が見えた。地形図には「天祖神社」、昭文社の山地図には「会所」と書かれているもの。
DSC_1880.jpg

社務所のようなところなので「会所」が正しいのだろう。
山地図には「避難小屋」との位置づけで表示があったが、玄関は鍵がかかっており、登山者には開放されていないようだ。
DSC_1891.jpg

ただ、窓ガラスが1枚はずれており、そこから鍵を開ければ、中には入れる。
今回は覗くだけにする。
DSC_1886.jpg
中はきれいに掃除されているので、廃屋ではない。

この場所は南に開けており、石尾根の向こうに富士山が見えた。
DSC_1887.jpg
あちらも風が強いようで、頂上付近の雪が舞い上がっているように見える。

小さな祠を左右に配置して、縄を渡してあるところを通過し、10分ほどで山頂に到着。
DSC_1894.jpg

12:20。結局3時間15分もかかった。標準タイムを30分もオーバーした。
山頂には柵で厳重に取り囲まれた天祖神社が鎮座しており、山頂を示す標識はこれだけ。
DSC_1895.jpg
まわりは木々が生い茂っており展望もきかないし、休む場所もない。
本当は頂上で昼食にしたかったのだが、通過するしかない。

でも、ちょっと下ったところに、おあつらえ向きの切り株があって、そこに腰掛けて食事とする。
DSC_1904.jpg
テルモスのお湯でカップ麺を作り、おにぎりと一緒に食べる。
お湯は沸かし直さなかったので、少し固かったが食べられないほどではない。
休憩は20分弱で、出発。

急坂を一気に下っていくが、雪がついており、滑りそうで怖い。まだアイゼンは付けていない。木につかまりながら下る。
それにしても今日は、南斜面は落ち葉、北斜面は雪のため、道が隠され、広く開けた場所ではルートを見つけるのに苦労する。

下り切って、少し登り返したところが、ナギ谷ノ頭(1671m)。
DSC_1905.jpg
案の定、標識はなし。

ここからさらに下ったところが、梯子坂のクビレなる場所。
DSC_1916.jpg

ここからまた次の1662mピークを越えないといけないのかとうんざりしていたら(地形図では道がピークを通過している)、道は途中から巻いてくれて、ありがたかった。

でも、この後、長沢背稜にぶつかる梯子坂ノ頭(約1710m)へは緩やかながら、延々と登らなければいけない。
DSC_1923_20130104115540.jpg
途中、右に巻き道があったが、こちらはピークハントしなければいけないので、直進。

このあたり、右手(東側)が開け、本仁田山や大岳山などを見ることができた。
DSC_1934.jpg
DSC_1935.jpg

梯子坂ノ頭は杭が打ってあるだけ。13:40着。
DSC_1941_20130104115513.jpg

ここがT字路のはずなので、右に下る。
しばらくして右から、さっきの巻き道が合流してきたが、この道はまた右へ巻いて行ってしまうので、水松山(1699m)に登るため、直進。
これで「あららぎやま」と読むのだそうだ。
雪のため、踏み跡がよく分からないが、ヤブや倒木はなく、歩きやすい。

水松山の稜線は二重稜線になっており
DSC_1946_20130104115515.jpg

右の稜線を進んだが、こちらのピークよりも左側のピークの方が高そうなので、行ってみたら、ちゃんと標識がくくり付けられており、うれしかった。13:55。
DSC_1949.jpg
ここから下ると、また右から巻き道が合流してくる。

次の山は滝谷の峰(1710m)なのだが、地図上の登山道はこれを巻いている。
しかし、こちらはひとつひとつつぶして行きたい。
でも、その手前の1708mピークは避けて巻きたい。

しばらく巻き道を行く。左手に秩父方面の展望が開けた。
DSC_1959.jpg

両神山が見えたのには感激。
DSC_1962.jpg

左手にいくつかのピークをやり過ごした後、形のいいピークが現れたので、たぶんこれが滝谷の峰だろうと当たりをつけ、尾根に分け入る。
山頂には何もない。

仕方なく、さっさと通過。下ったところに、どちらの地図にも表記のないヘリポートが出現した。
DSC_1975_20130104115448.jpg
標識には「滝谷ノ峰ヘリポート」とあるので、やっぱりさっきのピークが滝谷の峰でよかったんだと納得。

ここからは秩父方面のほか、さっき登ってきた天祖山がよく見えた。
なんと東斜面は石灰岩の採掘のため、無残な姿をさらしている。
DSC_1984.jpg

しかし、この先の道の様子がどうも地図と合わない。
とにかく登山道を離れ、尾根の踏み跡を行くと、それも不明瞭になり、眼前に大きな岩が現れた。
DSC_1988.jpg
これを左にトラバースして急斜面を登って、もう一度尾根にたどり着くと、そこには踏み跡がある。右にトラバースすれば、もっと簡単に登れたのかも。

とにかく、このまま進めば酉谷山に着くのだろうと思っていたら、どうもおかしい。
後ろに去っていくはずの天祖山の採掘地が真横に見えるのだ。
磁石を出して、自分が進んでいる方角を確かめると、なんと南東である。
本当は北寄りの東に進んでなければいけない。
どこで間違えたのだろう。

よくよく地図を見てみると、今自分がいるのが滝谷の峰で、さっきのは1708mピーク。酉谷山など、まだ先の先であることが判明。
まだまだ未熟じゃ。
それでも、とにかく滝谷の峰のピークと確信できる場所に立つことができたのだからよしとしよう。

(つづく)
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