山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

立山縦走6

9月15日午後、雨の中、剱御前小舎に着いた。
乾燥室は猛烈な熱風が吹いており、あっという間に雨具は乾いた。
何度も放送で「乾いたものは早く取り込まないと、繊維を傷めてしまいます」と言っている。満員で後から着た人の干す場所がないから、ということもあるのだろうが親切なことだ。

部屋でメモを取りながら、休憩した後、雨の止んだようなので、外に出てみる。
雨上がりの剱岳は、何だかおどろおどろしい。
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剱沢小屋方面から登ってくるのは、今日、剱岳に登った方々だろうか。
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室堂平方面を見下ろすと、初めて地獄谷の全容が見えた。
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こちらの角度から見るのも、なかなか新鮮だ。
南から東、そして北へと回り込んできた形になる。
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振り返ると、ガスが晴れて、さっき歩いてきたこぶの連続が姿を現した。
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もう1回歩き直したい衝動にもかられるが、面倒という思いもあり、軍配は当然のごとく後者に上がる。

こちらは剣沢に下る方々。雨上がりの草紅葉が目に鮮やか。
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雲がからんでいると、剱岳が針の山と言われてきたことがよく分かる。
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部屋に戻ると、みんな疲れ果てて寝ている。「今寝ると夜眠れなくなるよ~」などと思いつつ、私は元気だ。まだいくらでも行動できる。
目の前にある剱御前に登ってしまおうかと思ったが、また雲が出てきたのでやめる。
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明日朝早くここをピストンしてから出かけよう。

夕食は5時。ここの売りはカツのようだ。味は普通。
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少しだけ、お代わりして満腹。自転車で全国を走り回っている学生時代は、民宿で8杯お代わりして、女将さんに「お腹壊さないでね~」と言われたことがあるくらいなのだが、今は全然食べられなくなった。なぜ、あの頃は食べられたのだろう。

食後もう一度、外に出ると、さっきより雲が出ていた。
雷鳥沢のキャンプ場はご覧の通り、テントの花が咲き乱れている。
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私のキャンプデビューはいつのことやら。
自転車旅行時代は連日、どこにでも張って泊まったものだが。

これは食後、剱岳を写真に収めようとする方々。
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しかし、私は雲に浮かぶ奥大日を撮る(実は、剱も撮ってるけど、あの中には入りたくない)。
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雲のため、日没は見られなかったが、富山湾(能登半島?)に沈んだようだ。

これは富山市街の夜景。
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三脚がないので、手ぶれしない、シャッタースピード15分の1秒程度で写す。
つまらない写真ですいません。

さて、だんだん寒くなってきたので退散。布団にもぐり込む。
最初はなかなか寝付けなかったが何とか眠れたようだ。
朝は4時過ぎに目が覚めた。もう二度寝はできないと思い、起き出して外に出る。
満天の星。よく晴れている。こうこなくっちゃ。
早々にパッキングを始めた。ザックは部屋の外に置くよう指示されていたので、他のお客さんに迷惑をかけずに作業をすることができた。

5時からの食事の前に外の公衆トイレへ。
後立山連峰の背後が赤く染まってきた。
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幸い、朝食前に大が出たので、時間の節約ができた。
小屋に戻る。
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朝食はサケの切り身とリンゴ。
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まあ、こちらもランク的には普通か。

食べ終わったら体操をして即、出発。まずはザックをデポして剱御前(2792m)へのピストン。
のつもりが、まずは昨日ガスの中歩いた、こぶに登り直してみる。
そこから、トイレを見下ろす。
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右の突起が剱御前だ。

5時半、剱岳が朝日に赤く染まってきた。
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巨大なUFOのような雲も。
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日の出そのものは別山に隠れて見えないので、とにかく周辺を一望。
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(これは、早暁、内蔵助山荘から真砂岳に登る登山者たち)

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(最もくっきり見えた富山湾と能登半島)

おお、今日は槍の奥に穂高がはっきり見える。
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さてさて、ようやく剱御前に取りかかる。と言っても標高差はたかだか50m。裏山に登るようなもの。
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あっと言う間に頂上に着いた。
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が、はしゃいでいる登山者が数名いるので、ここは一旦通過。
行き止まりの三角点(2777m)まで言ってみる。

あちらはもう日が差していて明るい。
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いよいよ別山から日が昇り
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私の影が草原に映る。
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眼下の剣沢キャンプ場も超満員だ。
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道にはチングルマやワタスゲが咲き乱れている。
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6時過ぎ、三角点に到着。
剱岳がいよいよ近くなった。ド迫力である。今日登れないのが残念だ。
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急峻な道を登山者が登っていくのが、ほんとに豆粒のように見える。
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こうなったら、私は室堂から往復なんて安易な方法はとらない。
きちんと早月尾根を地道に登ろう。それが剱への礼儀というものだ。
(なんて言ってしまって、自分の首を絞めないといいけど)

なんとよくよく見ると、すでに剱岳の頂上に人の姿が。
危険な道を暗いうちに登ったのだなあ。
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この写真では分かりにくいかもしれないけど。

これは鹿島槍(右)から五竜(左)。光線が美しい。
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朝日に緑が映える奥大日(中央)と大日岳(右)
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おお、あれはなんと白山ではないかい。
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待っててね。いずれ、そちらにもお邪魔します。

360度のパノラマを満喫して戻る。
この先は鋭く切れ落ちた断崖のような場所で、踏み跡はあるようだが、ロープなしでは行けそうもない。
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こんな標識もあるし、もともと戻る計画なので未練はない。

戻る途中、振り返ると、剣山荘がちょっぴり見えた。
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草紅葉の気持ちのいい稜線を歩いていると
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またしても雷鳥さんとご対面。今回は1羽のみ。
正直に登山道を歩いて逃げるので、しばらく追いかける形になってしまった。

さて、剱御前のピークに戻ってきた。
さっきは人がいて撮れなかったけど、もう誰もいない。
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小屋に向けて下っているうちに
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おっと、またもよおしてきてしまった。
靴を脱ぐのが面倒なので、外の公衆トイレに飛び込む。
入口で料金を入れている青年がいたが、何かを考えている余裕はなかった。
ちょっと気になった通り、個室から出ると、彼が待っていた。
割り込んだ形になってしまって申し訳ない。なるべく早く出たつもりです。

よし、これで散歩は終了。
振り返る剱御前。すっかり朝になった。
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ザックを回収して、小屋番の方に挨拶し、奥大日に向け出発。
まずは室堂に向かうようにして下っていく。
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(本文とは直接関係ありません)

これがこれから歩いていく道だ。
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う~ん、腕がなる。いや脚がなる。

左手は室堂平。だんだん西から日が当たって明るくなってくる。
さすがに立山の壁は高く、なかなかふもとは明るくならない。
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室堂平のホテルたちのそろい踏み。
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チングルマはまさに風車のよう。
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奥大日はこちらから見ると、立派なピラミッドだ。
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雷鳥沢の支谷が削った谷のひだひだも見事。
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全景はこんな感じ。あまりに美しくて、シャッターを押す手が止まらない。
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山はほんとに私を幸せな気分にしてくれる。

新室堂乗越の手前で、チングルマを撮っていると、後ろでポッポという鳩のような鳴き声が聞こえた。
振り返ると、またまた雷鳥だ。今度はゆっくりえさを食んでいて逃げようともしない。
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よく見ると4羽もいるではないか。これで今回10羽目。
雷鳥は「雷」の鳥と言われるくらいで、雨の時に活動すると言われている。
昨日の雨が関係しているのだろうか。

すぐ先で男女2人の登山者とすれ違ったので、挨拶したついでに、「すぐそこに雷鳥が4羽もいますよ」と教えてあげた。
天気がよくて気持ちいいので、挨拶も単なる声かけではなく、笑顔が伴う。
「いい天気になりましたね~」と言うと、「昨日雨が降ったのでどうなることかと思いましたけどねえ」なんて長い言葉を返してくれる。

調子に乗って、途中道端に立ち止まってたたずんでいる女性がいたので、「何か見えますか」と聞いた途端、ハイマツの影から男性が出てきた。
用を足していた彼を待っていただけだった。失礼しました。

チングルマとテントの競演(本文とは関係なし)。
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乗越から先はしばらくほぼ平らな草原。
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さくさく歩くのがバカバカしくなるくらいだ。

左後方に剱岳、右後方に立山、右下に室堂平と弥陀ヶ原、その向こうに浄土山や国見岳、天狗山、前方に奥大日。
少し歩くだけで、角度が微妙に異なり、表情も変わってくる。
ついついカメラストップが多くなり、いろんな人に抜かれたが、全く気にならない。

しかし、雨になるかはともかく、おそらく今日も11時にはガスが出るだろう。
それまでに大日岳に着いていなければ。
ゆっくり歩きたい気持ちと先を急ぎたい気持ちの葛藤を抱えつつ、やはり足は自然に止まってしまう。

だって地獄谷からは激しく噴気を噴いているのが見えるし、
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かと思えば、こんなのどかな風景。
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さあ、旧室堂乗越を過ぎると上りとなる。
実に楽しそうな登りだ。
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つづく

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立山縦走5

9月15日午前10時すぎ、雄山山頂でのお祓いを済ませ、立山の最高峰・大汝山(3015m)に向かう。
まだ10時すぎだというのに、もうお腹が空いてきた。
雄山山頂はこんなふうに混んでいるので
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食事場所は大汝山で探そう。

雄山山頂の本殿は裏(北)から見た方がピラミッド形でかっこいい。
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この先も稜線の登山道は混雑している。
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でも、こちらは写真を撮るのに夢中なので、ペースが遅くなるのは気にならない。
だって、こんなんだよ。

眼下には雷鳥平。
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山崎カールの先に室堂平、その背後には大日岳と奥大日岳。
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室堂平の湖沼群はまるでクレーターのよう。

昨日歩いた室堂平の交差点。
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正面には剱岳(左)が見えている。
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稜線のところどころにある岩峰も目を楽しませてくれる。
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振り返れば、龍王岳(左)と浄土山(右)
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その背後に連なる山並みも見事だ。

そして、ここから見ると、国見岳(左)と天狗山(右)は波が砕ける寸前の形をしていることが分かる。
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あの向こうは巨大な爆裂口・立山カルデラなのだ。

問題は早くもガスが出てきたことだ。
なんと、大汝山の向こう、富士ノ折立(2999m)が霞み始めた。
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う~ん、ガスの気まぐれであってくれと祈りつつ、大汝山に急ぐ。

10:40、大汝山に到着。
頂上は写真行列である。私は自分の写真を撮る気はないので、こんな行列なんて待ってられない。
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行列とは別の方向の岩場から回り込んで、看板だけをさくっと撮影。
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剱岳の眺望がすばらしい。

この人だかりを避けて
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人のいない平らな岩場に陣取り、早めの昼食とする。
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メニューは、にゅうめんとチキンカレー。いずれもフリーズドライだ。
また、箸を忘れてしまい、にゅうめんはサバイバルナイフののこぎりで食べる。
食べるのはまだいいが、拭くのが大変だ。

ここからは黒部湖が結構大きく見える。
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この立山のどてっ腹をアルペンルートが貫いていると思うと、あんまりいい気持ちはしない。
でもヨーロッパアルプスだって、シンプロンを始め、長大なトンネルが貫通しているし、登山鉄道のトンネルやや観光エレベーターなどを考えると、穴だらけなのだ。
北アルプスはそういう意味では、まだマシなのだろう。

11:10出発。ついにガスが立ちこめてきた。
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まだ、頂上直下の休憩所はくっきり見える。
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中では、いかにも山男という風貌をしたヒゲの男性がカップラーメンを食べていた。
さすがに写真は撮れなかった。

大汝定食700円に魅力を感じるが、温ったかおでんと同じ値段。あまり期待しない方がいいのかもしれない。
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ダブルケルンを通過して、富士ノ折立に向かう。
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目指すはあそこだ。
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でも、ピークはガスに隠れたり見えたり、かなり雲行きが怪しくなってきた。

大きな岩のガレ場を進む。
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11:35に富士ノ折立のふもとに到着。左がピークだが、すでに完全にガスの中だ。
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それでもピークハンターとしては登らないではいられない。

ほんの5分で頂上に。
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ここからは真砂岳に向かうザレ場の尾根道が見えた。
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さて、長居するような場所ではないので、撮影が終わったら登山道に戻り、真砂岳に向かって急坂を下る。

まだ右手は視界が開けているが、正面と左の室堂側は何も見えなくなってしまった。
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これは右手に見えた内蔵助カール。
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かろうじて稜線が見える瞬間もあり、そこを逃さず写真を撮る。馬の背のようだ。
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右前方、ガスの切れ間から小屋らしきものが見えてきた。内蔵助山荘だ。
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そこに通じる道もあるように見えるが、雪渓脇の水場へ行く道だろうか。
雪渓に下りて小屋へまっすぐ行きたくなってしまうが、やめておく。

砂地の坂を登った先に、たくさんの登山客が休んでいる場所が見える。
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あそこが真砂岳だろうか。

途中、大走への分岐の標識が倒れていたので
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起こしてあげた。
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でも、しっかり固定したわけではないので、強い風が吹けば簡単に倒れてしまうだろう。

着いたピークはケルンがたくさんある場所だが、真砂岳ではなかった。
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今回は地図ケースを忘れてしまい、地図を首からぶらさげていないので、現在地がよく分からない。
このあたりは分岐が多く、道が入り組んでいるので、こんな標識がありがたい。
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そして12:15、真砂岳(2861m)に到着。
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こんなに小さな表示しかない。

頂上は、こんな様子で、眺望は全く利かなくなってしまった。
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なので、さっさと通過。少し下るとまた分岐に出る。
まっすぐ、別山に向かう予定だが、内蔵助山荘がすぐ近くにあるようなので、ザックを置いて探検に行ってみる。山小屋撮影もコレクションの一つになってしまったし、今日の宿である剱御前小舎は予約の時に「きついですよ~」と言われていたから、もし空いていたらこっちに泊まってもいいや、と思ったのだ。
明日は2日かけて下山するだけなので、手前で泊まっても余裕だし。
このペンキの矢印にも惹かれてしまった。
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山荘は本当に近く、7分ほど下ったら、着いてしまった。
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外装が新しい。

おお、黒四ダムまで10kmで6時間。ほんとに好きな人じゃないと通らないだろうなあ。
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小屋番の方に聞くと、泊められないことはないが、定員としては満員だという。
だったら、わざわざこっちに泊まる必要はない。
ついでに、「内蔵助」の由来を聞いてみた。もしかして、忠臣蔵と関係あり?
と思ったら全然違って、佐々成政のことなのだそう。
彼が越えたザラ峠はこのあたりだという説があり、このあたりを内蔵助谷ということから採用したのだとか。なるほどね。

分岐へ戻る途中、雷鳥ではない鳥に出会った。
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あなたはだ~れ?

分岐から先の別山への道は、さっきと似たような馬の背のような道。
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この季節になると、高山植物にはあまり恵まれないが、ミヤマリンドウがけなげに咲いていた。
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12:55、ちょっとしたピークの真砂乗越(2750m)に到着。
この先、別山への急な登りにかかる手前で、とうとう雨が落ちてきた。
最初は雨具を上だけ着て、ザックカバーをしただけだったが、すぐに強くなり、下も履くことになる。
カメラも濡れてしまったので、ザックにしまい込んだが、間もなく雨は止み、再び取り出す。すごい手間だ。

学生時代、自転車で全国を回っていた時のこと。
雨が降ってきたので、しばらくは我慢して、もうアカンと思って雨具を着ると、その途端、雨が止んでしまうことが多かった。
その逆で、雨が止んだなあと思って、雨具を脱ぐと、またすぐ降り出すなんてことも少なくなかった。
それでいちいち、自転車を止めて、着たり脱いだりするのだが、これを一人でこう呼んでいた。
前者は「キルトヤームの法則」、後者を「ヌグトフールの法則」。
今回も、それに当たってしまったようだが、雨具だけはもう脱がなかった。

そんなことをしているうちに、後ろのグループが追いついてきた。
結構なペースで登ってくるので、相当リキを入れないと、抜かれてしまう。
一生懸命登ったら、疲れてしまった。この時ばかりはザックが重く感じた。
で、13:25別山(2874m)に到着。もう完全にガスの中。目の前にある、石垣に囲まれた立派なの祠も霞んでいる。
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ここは標高2874m。右手に10分ほど歩くと、別山の最高地点・北峰(2880m)があるので、そちらに行ってみる。
ガスが濃くて、道がよく分からないが、踏み跡を何とかたどって進む。
間もなく右手に硯ヶ池らしきくぼ地が見えたが、涸れているようだ。

しばらく行くと、若者2人がガスの中から現れた。
同時に雷鳥3羽も出てきて、2人はそれを追い回している。写真を撮りたいようだ。
だめだよ、そんなことしちゃ。
心の中で思ったが、口には出さず、やり過ごす。
雷鳥はこういう時、飛んで逃げない。トコトコ歩いて逃げるだけ。なしてだろう。
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間もなく北峰に到着。
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手書きの看板。
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この先は道がなく危険の標識もあった。

山頂には1人たたずんでいたが、とくに話しかけもせず、写真だけ撮って引き返す。
帰りは少し道からずれて戻る。
硯ヶ池の底らしきところを通過。やっぱり涸れていた。
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分岐に戻り、ここからは剱御前小舎までは基本下りだ。
雨はとうとう本降りに。
手が冷たいので袖の中に引っ込め(手袋を出すのが面倒)、カメラは雨具の胸の中にしまい込む。ものすごい巨乳の人に見えそうだ(女には見えないだろうが)。

とぼとぼと歩き、ひとつこぶを越える。
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その先の四辻を地図の通り、直進したのだが、たまたまガスが晴れて正面に見えた山が想像していたのと違う。
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あれ、道間違えたかな?

改めて回りを見渡すと、同じように地図を見ながら、悩んでいる人がいる。
彼が近寄ってきて、「剱御前小舎へはこの道でいいんでしょうか?」と尋ねてきた。
地図読みのプロを自認している私としては、自信を持って教えてあげたいのだが、自分も迷っている。こちらが聞きたいくらいなのだ。
「たぶん、いいと思うんですけど」
と答えると、彼は「ちょっとさっきの交差点まで戻って確かめてきます」と言い残して、行ってしまった。

雨の中、迷いたくはないが、どう考えても、この道で間違いない。
不安を抱えながら進むと、標識が出てきて、間違っていないことが判明。
正面に見えた山は奥大日と思ったが、剱御前だったのだ。
最後のこぶを越えると、眼下に小屋が見えた。
正面には剱御前をトラバースして剱山荘に向かう道も見える。
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14:15、小屋に到着。
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ずぶ濡れだが、小屋番の女性が親切に乾燥室や泊まる部屋を案内してくれた。
部屋には16人分くらいの布団が敷いてあったが、まだ3人くらいしかおらず、私は壁に備え付けのテレビの台(テレビはない)がある一番奥に陣取った。
夜中にトイレに行くには不便だが、ものを置けるのが好都合と思ったのだ。

少し身辺整理をして、雨も上がったようなので外に出たら、正面に剱岳が雨に濡れて黒々した姿を見せていた。
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虹も出ていた。
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サンダルであちこち写真を撮り、部屋に戻って、今日一日のメモをまとめた。
こんな天気になったが、明日はまた晴れるだろう。

つづく
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立山縦走4

9月15日午前8時。まだ立山縦走は始まったばかり。
天気は最高にいい。
さっき、雷鳥さんに逢って気をよくした私。

富山大学立山施設(研究所)のあるピークで地図を確認する。
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すぐ目の前に見える龍王岳(2872m)へ行く道は昭文社の地図には出ていない。
でも、登って「登った山」を稼ぎたい。
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何とか登れるんじゃないか、なんて思っていたら登っている人の姿が見えた。

なんだ、道があるんじゃんか。
ザックを置いて、龍王に向かう。ちょっと下って山に取り付く。標高差は100mもなさそう。身軽なこともありひょいひょいと登れる。
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10分で着いてしまった。
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ただ、頂上は鋭い岩峰なので座れるような場所はほとんどない。

さっき姿が見えた60歳くらいの男性も頂上で休んでいた。
「静かですね」と声をかけると、「ここは地図に登山道が出ていないけど、意外に登られているんだよ」とのこと。自身何度目かなのだろう、地元の方だろうか。
この下は巨大な噴火口(立山カルデラのこと)なんだよとか、浄土山はこの龍王岳の出っ張りに過ぎないとか、いろいろと教えてくれたが、佐々成政のザラ峠越えの話に至って、少々うざくなってきた。

話をそらそうと、「あれは八ヶ岳ですかねえ」と聞いたら、「違うだろう」と否定。
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「あれは甲斐駒?」と聞くと、「中央アルプスでしょう」とこれまた否定。
ここから中央アルプスはどう考えても見えない。
あまり山座同定には興味がない人なんだな、と判断して会話を終え、360度のパノラマをゆっくり撮影する。

東の眼下に黒部湖がわずかに見える。山は全く分からない。
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雄山
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私は八ヶ岳だと思う。
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左の丸いピークは蓼科山に違いない。

これは紛う事なき槍ヶ岳。穂高は依然として雲の中。
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五色ヶ原。ここは一番惹かれたところ。今度はあそこから立山を眺めてみたい。
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大きな雪渓を抱えているのは浄土山。その後ろに奥大日。
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右は剱岳で、その左は毛勝山。

左から剱岳、別山、真砂岳。
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用が済んだので、男性に挨拶して下山。
さっきは気づかなかったが、浄土山との鞍部にこんな小屋の跡があった。
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富山大学立山施設の近くに置いたザックを回収して、雄山登山の中継点・一ノ越に向かって一気に下る。かなり、もったいない。

一ノ越からは立山の山腹を延々とトラバースし、東一ノ越を経由して黒部ダムまで下る道が見える。
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何だかインカの道のようで、旅情を誘う。
でも、この道はダムから一ノ越まで登ると6時間近くかかる。
黒部ケーブルを使って黒部平からでも4時間。
魅力的な道だが、おそらく一生通ることはなさそうだ。

目指す一ノ越山荘が近づいてきた。
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そして、山崎カールの底部も見えてきた。
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雷鳥荘(左)とロッジ立山連峰(右)
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昨日歩いた道も見える。

雷鳥平のキャンプ場
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テントの数が心なしか増えた。

ミドリガ池と地獄谷
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ミクリガ池(左)と室堂山荘。
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やはり晴れていると色が全然違う。

おうおう、そして夥しい数の登山者が立山を目指して登ってくる。
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私が浄土山だの龍王岳だのに寄り道している間に、こんなに人が湧いてきてしまった。
彼らと一緒に立山に登ることになったら、渋滞必至だ、なんて思いもしたが、まあ、あせるまい。

8:45、堅固な石垣に守られた一ノ越山荘に到着。
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付近で中国語が飛び交っていて驚いた。
日本人はそんなに大声で話さないが、彼らの声はデカイ。
当時はちょうど尖閣問題が火を噴き始めた頃。中国にいる日本人は身の危険を感じていたが、日本にいる中国人はそんな思いを全くしなくていいどころか、日本の山で楽しく遊んでいる。
さぞ、日本はいい国だと思ったことだろう。お国の方々に、「反日なんてやめましょう」と宣伝してほしい。

山荘で「立山」のバッジを買う。400円。安い。
とくに休憩はとらず、すぐに登り始める。今日は実に調子がいい。
やはり、食事がおいしかったからだろうか。気持ちよく出したからだろうか。

ここからは標高差300mを一気に登る急坂。
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振り返ってはパチリ(今は「カシャ」かな)、また立ち止まってはパチリと、カメラ休憩を繰り返しながら、高度を稼いでいく。実際、すばらしい風景なのだ。

まずは山小屋を振り返る。
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上を仰ぎ見ると、人、人、人……
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龍王岳(左)と浄土山(右)
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こうして見ると、浄土山は決して龍王岳の単なる出っ張りではない。
明らかに山体としては浄土山の方が大きく、むしろ龍王岳はそこからにょきっと飛び出た突起にしか過ぎない。
あのおじさんの見立ては間違っているなと思った。

富山湾の向こうに能登半島も見える。
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室堂平と奥大日(右)
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これなぞは絶景である。

斜面の左に覗く剱岳
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ここで一旦、室堂平の全景を確認する。
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もういちいち説明の必要はないでしょう。すばらしい眺め。

こちらは延々と続く北アルプスの山並み。
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途中こうした小さな祠がところどころにある。
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これが二ノ越、三ノ越の目印なのだろう。

これは天狗平方面。
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うおう、これはすごい。
龍王岳と薬師岳のツーショット。
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向かいにある浄土山とほぼ同じ高さまで登ってきた。
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いやあ、一ノ越山荘の広場にも人だかり。
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さあ目指す雄山山頂の社務所が見えてきた。
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これは三ノ越かな。
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何枚でも写真を撮りたくなってしまうミクリガ池とミドリガ池。
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これは雄山から南に延びる尾根の美しいピークなのだが、名前はないようだ。
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地図に道もなく、明瞭な踏み跡もないが、危険な岩場もなく簡単に行けそうなんだけど。

これはリンドウ池と地獄谷。
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室堂平の南を取り巻く国見岳(2621m)と天狗山(2521m)。
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龍王岳も下に見えるほど登ってきた。
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これは今年4月、氷河であると学術的に認定された御前沢雪渓。
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そして9:40雄山に登頂。参拝する本殿である。
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一ノ越からここまでで100枚以上撮ってしまった。
デジタルは本当にありがたい。フィルムだったら、36枚撮り3本だから2000円以上使ったことになる。現像+プリント代を考えると、それは膨大な出費。
便利な時代になった。1回、撮った写真を間違ってすべて消去してしまったことがあったけど。

雄山神社の由緒書によると、立山は701年(大宝律令の年)に佐伯有頼が熊に導かれて入山、玉殿岩屋で天啓を受け、さらに文武天皇から立山全山を賜って、開山したのだそうだ。

頂上も大にぎわいだが、連休の初日のまだ午前中なので、大変な混雑というほどでもない。
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この社務所には「立山頂上」というバッチが売っていたが、さっき下で買った「立山」がすでに「頂上」を指すものと見なし、あえて買わなかった。

山座同定ができる方向指示盤があったが、どうもむずかしい。
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針ノ木岳(2821m)と赤沢岳(2678m)だろうか。

さて、いよいよ参拝だ。
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鳥居をくぐり柵の向こうに入るには初穂料として500円を支払わなくてはならない。支払うと立山山頂雄山神社と書かれた赤い札(鈴付き)がもらえる。
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小さな本殿の中には神職の方が正座をしており、登山者の安全祈願のお祓いをしてくれる。
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その最中は撮影禁止なので写真はないのでご容赦。

登山者たちは本殿前の狭い玉砂利の上に座らなければならず、十数人が限度なので、入れ替え制を撮っている。
この儀式に8分ほどかかったが、神職の方はこういう混雑する日は交代はあるにしろ、何回も同じことをしなくてはならない。仕事とはいえ大変だ。ありがとうございました。

さあてお腹が空いてきたぞ。ここは混んでいるので、立山最高地点の大汝山(3015m)に向かおう。

つづく


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立山縦走3

9月15日、夜明け前の5時20分に起床。
早速窓を開けると、冷気とともに立山の稜線が目に飛び込んできた。
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外に出て、早暁の室堂を一望する。
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これは雄山頂上(3003m)の社務所と祠だ。

ミクリガ池と奥大日岳(2607m)
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朝食は6時からだが、「もっと前に準備はできている」と、前日聞いたので、5:50頃食堂に顔を出すと、待つことなく座れて、すぐ朝食が出てきた。
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ぱっぱと食べて6:10出発。ザックは4日分の食料をかついだ飯豊ほどではないが、水と昨日いただいた分厚い報告書を入れたら随分重くなった。

再び、外に出ると、周辺の山々にすでに朝日があたっている。これは奥大日岳。
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これは大日岳(2501m)
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いずれも緑が鮮やかだ。大日岳はこことの標高差が50mしかない。

こちらは立山一ノ越に向かう登山道。
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石畳の道だ。

3連休初日。まだ静かな室堂平を浄土山(2831m)に向かって登る。
分岐には剱岳周辺の山小屋3軒からのお知らせが張り出されている。
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「9月15日(土)は予約の方以外宿泊できません」

私が前の週に剱沢小屋と剱山荘に電話した時はすでに予約はいっぱいで、最も遠い剱御前小舎のみがわずかに空いていた。
山小屋は人命重視の観点から、基本的に「誰でも泊める」というのが原則だが、このあたりは1時間も歩けば車の走る室堂に行けるのだから、やむを得まい。
予約しようとして諦めた人が泊まれず、何も連絡しないで来て、「山小屋なんだから泊めろ」という人が泊まれるのは不公平だし。

浄土山に向かう道も最初はこんなに整備された石畳の道である。
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登山者への過保護ではなく、年間100万人も訪れる登山者+観光客に道を荒らされまいがための措置であろう。

明るくなってきて、室堂平は楽園の様相を呈してきた。
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山はあっちなんですね。これは過保護かも。
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登るに従い、展望が広がる。すでに森林限界を越えているので、晴れていれば何でも見える。あれは、昨夜泊まった室堂山荘。佐伯さん、いろいろありがとうごさいました。
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背後には別山(2874m)がそびえる。

うほ~あれは富山平野。じゃあ、その向こうは富山湾だ。下界がこんなに近いのかとびっくり。
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ということは、下界からも立山は近く見えるということで、それが信仰の山となった大きな条件の一つだろう。それは17日に富山市役所の展望室から立山を眺めてみて確信となった。

こちらはホテル立山と大日岳。
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なかなか絵になるでないかい。

目指す浄土山は花崗岩でできている。
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わ~富山平野にも日が昇って、市街地がくっきり。
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富山は意外に大きな街だ。

これはおそらく国見岳(2621m)
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室堂の十字路から800mほど登ったところで浄土山と室堂山展望台への分岐。
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ここまで、ザックのない方2人とすれ違う。
たぶん下のホテルに泊まっている方の朝食前の散歩だったのだろう。
6:50展望台着。
ここの展望はすばらしい。立山以南の北アルプスが一望できる。
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右から薬師岳(2926m)、黒部五郎岳(2840m)、笠ヶ岳(2898m)=いずれも百名山=、赤牛山(2864m)。赤牛の真後ろ、つまり真上に水晶岳(2986m)が頂上だけ顔を覗かせている。これも百名山だ。

それぞれアップで見てみよう。まずは薬師岳。
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右が北薬師岳(2900m)、左が薬師岳。砂のように見えるのはカール地形で、北薬師の左に金作谷カールが確認できる。

これは黒部五郎岳。
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雲がかかっているのが笠ヶ岳。
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最も高いのが水晶岳、重なってその手前にあるのが赤牛山。
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そして雲にまみれているのが槍ヶ岳(3180m)。
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この山だけは見間違うことがない。残念ながら穂高連峰は雲の中だ。

この手前に見えるテーブル状の台地は五色ヶ原。実に美しい高原である。
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赤い屋根の山小屋「五色ヶ原山荘」が印象的。
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で、この展望台は巨大な立山カルデラを見せるためのものだそうで、下をのぞき込むとこのようなすり鉢状の地形を成している。
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でも、写真ではよく分かりませんね。

実は、迷っている。この展望台から200mと離れていない場所に室堂山(2668m)のピークがある。
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しかし、歩道以外立ち入り禁止である。
その禁を破って、ピークに立ち、「登った山」の一つに加えるか。
踏み跡があったら、多分行ってしまったろうが、何もない。
高山植物を踏みつけて進むわけにはいかない。
でもすぐ目の前に見えていて、行かないのも悔しい。
何度道をはずれて、あちらに足を踏み入れようとしたことか。

でも、思いとどまった。登ったことにしてしまったのだ。
登ったことにできる理由
①ピークの至近距離で、しかもピークより高い位置からピークを見下ろした。
②展望台に室堂山の名前が冠されている(ピークの代用)。
③ピークに行くことが禁止されている。
④踏み跡もない。
加えて、ピークに何ら看板、標識らしきものがないのも断念した理由に加えられる。

ピークに立っていないのに、登ったことにするのはずるいでしょうか?
個人的な「登った山」リストには登載していますが、いまもこれを書きながら、あまりに都合よすぎやしないかと葛藤しています。

300mほど戻って、デポしてあったザックを背負い、分岐から浄土山を目指す。
ここは岩場の急登。登りでがある。でも今日は朝から調子がよく、さくさく登れる。
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振り返ると国見岳の全容が見える。
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頂上が近くなってくると、こんな文字が。
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ずっと日陰を歩いてきたが、7:25ようやく自分自身が朝日を浴びる。
もう頂上もすぐそこ。城のような石垣が見えてきた。
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石垣に囲まれて、日露戦争で戦死した富山県人2595人を合祀した「軍人霊碑」が立つ。
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そもそも、この軍人霊碑は日露戦争終結4年後の1909年(明治42年)に、雄山神社社司の発案により建立された。しかし長年にわたる風雪のため損傷激しく忘れ去られていたため、日露戦争終結100年、太平洋戦争終結60年の2005年、再建されたとのことである。
合掌。

軍人霊碑以外の場所にはロープが張られていたが、これは高山植物も関係ないので無視。
あちこちに立ち入って、写真を撮る。

この石垣はかつて何らかの建物跡だ。
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雄山へ続く道
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針ノ木岳(2821m)だろうか。
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霞んで見えるのは八ヶ岳?
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雄山山頂
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これは爺ヶ岳(2670m)かなあ。右のピークだけど。
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このはげ山は別山。左の石室があるのが本山(2874m)で、最高地点は右側(2880m)。この日ここにたどり着いた時はもうガスの中だったので、撮っておいてよかった。
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そして、待ってました。剱岳!
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鋸の歯のような稜線を控えた威容が何とも言えない。
奈良時代の修験者は登ったようだが、江戸時代は「針地獄」と見なされ、登ってはいけない山だった。

剱岳の左には猫又山(2378m)や毛勝山(2414m)の山群が。
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それにしても、この石垣、剱岳をバックにして見ると、ミニ・マチュピチュって印象だ。
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ひと通り撮影を済ませ、ロープから出たところで、単独行の若い女性と鉢合わせ。
「こんにちは~」と言っても、反応がない。
私が立ち入り禁止のところに入っているのを咎めているのかと思って恐縮していたら、自分もなんの逡巡もなく入って行った。
なんでえ。感じ悪いぞ。
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↑この人

なんて悪態を心の中でついていたら、急にもよおしてきた。
こんなだだっ広いところで、どうする!
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石垣の陰が一番いいのだが、そこには彼女がうろうろしている。
う~ぬ、こうなったらちょいとハイマツ君(そう言えば、おそ松くんには、はい松くんはいなかったな。そんなことはど~でもい~っ)にごめんなさいして、茂みに入るしかない。
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しかし、そこはハイマツってくらいだから背が低くて、全然身を隠せない。
どんどん入っていくと、眼下は断崖絶壁!
ぎゃあ、でもその手前にちょうど左右が壁になっている岩場が。
もうここでするしかない。国立公園関係の方ごめんなさい。
ここなら、高山植物には影響が多分ありません。岩を吹き渡る風と雨で1か月もたたずに跡形もなく消えてしまうでしょう。

それにしても、開き直ってみれば、こんなすばらしい展望トイレはない。
立山カルデラとその向こうの鍬崎山(2090m)を眺めながら、恍惚のひとときを過ごした。
は~~~~助かった。

ホッとしてハイマツから登山道に戻ると、ぎょぎょっ。
さっきの姉ちゃんが道端に座ってパンをかじっている。
そこで食事をされているということは、まさかすぐそばで私がしていたことなど想像もしていないということですよね。そう信じて、そそくさと真の浄土山山頂に向かう。
と言っても、最も高いところらしい場所には何の標識もない。
ここでいいのか分からないが、とにかく足跡を残して浄土山制覇ということにする。

ほんの少し下ったところに富山大学立山施設がある。そこが薬師岳方面と立山方面の分岐なのでそこまで行く。
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その途中、なんと雷鳥さんとご対面してしまった。うれしい。
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まだ夏の装いですね。雪はまだですもんね。でもお腹は白いんですね。

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きゃー、こっち向いた。きゃわい~

雷鳥は人と会ってもあわてて飛んで逃げたりはしない。
ちゅうか飛べるんだろうか、というくらい飛んでいる姿を見たことがない。
雷鳥さんは、とことこと歩いて一応、人間を避けて茂みに逃げようとするが、こちらが追いかけたりしない限り、長い時間一緒にいられる。

ああ、茂みに入ってしまう~と思ったら、どこからともなくもう1羽が。
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なんと、ご夫婦だったのですか? お邪魔してすいませんでした。

じゃ、ばいば~い
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雷鳥(国の特別天然記念物)は氷河時代の生き残りと言われ、現在日本には中部地方の高山地帯に約3000羽しか生息していないと言われている。
このうち立山周辺が最も密度が高く約250羽が集中しているという。
私は立山にいた3日間でそのうちの10羽とお知り合いになれた。幸せなことだった。
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立山縦走2

9月14日午後。立山のふもと室堂平を散策している。
ガスがあちこちにたちこめる中、ミクリガ池を見下ろせる広場に来た。
左に見えるのは「みくりが池温泉」。
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晴れていればもっと色鮮やかなのだろうが、青緑色の湖面が神秘的だ。
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ミクリガ池は立山火山の水蒸気爆発でできたくぼ地に水がたまってできた池で、魚はいない貧栄養湖。ミクリ(御厨)とは神様の食べ物を調理する所の意味だ。

池を南から西に回り込む。
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池の斜面にはまだところどころに雪が残っている。
これらが解けるのと、初雪が降るのとどちらが早いだろう。たぶん残雪の勝ちのような気がする。

みくりが池温泉のすぐ下に地獄谷へ行く分岐があるが、今は通行止め。
標識には日本語のほか、英語・韓国語・中国語・台湾語(旧漢字)で書かれている。
外国人観光客の多いところなのだと実感する。
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近年、噴気活動が強まっており、有毒ガスによる中毒事故が心配されるからだそうだ。
事実、ガス(霧)と見分けのつかない量の噴気がひっきりなしに噴き上がっている。
強い硫黄臭もここまで漂ってくる。
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瞬間的にこんな光景をのぞき見ることができた。

みくりが池温泉には、どこから来たのか真っ赤なジャージを着た小学生が集合していた。
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日帰り入浴もできるようなので、入ってみたいが、さすがに今回はお預け。散歩に専念する。

ここからひと登りしたところがエンマ台で、地獄谷を見下ろせる場所なのだが、ガスで真っ白。
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氷河地形「山崎カール(圏谷)」の説明板があったが、正面にあるはずの実物はこれまたガスで何も見えなかった。
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この説明板に誤植を見つけてしまった。
「北アルプス」の「北」が1行ずれて書いてあるので「北洪積世」になってしまっている。
関係者は応急処置でいいから、修正してほしい。

内容としては、ここのカール(氷河によって削られた丸い谷)は明治37年に山崎直方博士によって発見され、北アルプスにもかつて氷河があったことを証明した貴重なものだということだ。
ただ、この時点では「過去に氷河があった」としか言えなかったが、最近、立山と剱岳の雪渓3つが氷河であることが確認された。

このことで、実は内心とても感動している。
これまで東アジアではカムチャッカより南には氷河がないと言われていただけに大発見である。秋の一番雪渓が薄い時には1か月で30cmも移動しているという。

氷河と万年雪には定義に明確な違いがある。確か、重力によって長期的に移動している雪渓のこと(氷ごと谷の下に向けて少しずつ移動している)、だったと思う。

というわけで、エンマ台は通過。
少し進むと左手下にリンドウ池が見えてくる。
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もう涸れそうだ。

正面からは、剱岳を制覇してきたと思しき方々が室堂に帰ってくる。
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私は今回の山行で剱に行くのは諦めていた。
当初は4日あるので、初日は室堂散策、2日目は立山縦走、3日目に剱往復、4日目に奥大日を経て下山という、立山総ざらい計画を立てた。
しかし、前の週に奥多摩の三頭山に登って、想像以上に飯豊のダメージが大きいことを知り、最終日の標準タイム10時間10分を歩く自信がなくなった。
加えて、剱にアタックする日は3連休の中日。渋滞が予想された。
結局、剱御前小舎からの下山に2日かけることにして、途中の大日小屋に予約を入れたのだ。

なのに、3日目はすこぶる元気。下りでへとへとになったものの、時間的には余裕で称名滝に下りてきてしまった。
立山の民宿の主人にも「渋滞したって剱と御前小舎の往復なら楽勝だよ」と言われ、少なからず「失敗したなあ。天気もよかったし」と思ったが、もともとくよくよしない質だ。
いつか、室堂からピストンなどと言わず、早月尾根からきちんと登ろう。
それが、名峰剱への礼儀というものだ。ガッハッハ←意味不明

リンドウ池の斜面のハイマツは真っ赤に変色している。
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ハイマツは常緑樹だから紅葉はしない。地獄谷の有毒ガスのせいだろうか。
後で室堂山荘の佐伯さんに聞いたら、やはりそうだった。独特の景観である。

右手下に見えるのは血の池。
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酸化鉄が多く含まれていて、水が赤く見える。
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道端にはオヤマリンドウが咲いていた。
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めずらしく、花が開いていた。
いつもつぼみのままの花なので、固いイメージがあったが、触ってみると、中はスカスカで柔らかかった。

ガスから姿を現したのは雷鳥荘。大自然の中にある巨大な建物なのだが、そんなに違和感はない。色合いと三角屋根のおかげだと思う。
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雷鳥荘に達すると、北側の谷、雷鳥平が望めた。
眼下には雷鳥沢キャンプ場。これが翌日には色とりどりのテントで埋め尽くされる。
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若干垣間見えた地獄谷。
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新室堂乗越や別山乗越に向かう雷鳥坂の下の方だけは見えた。
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まだ1時過ぎなのに、何だか暗いなあと思ったら、ポツリポツリ落ちてきた。
あわててザックカバーを装着したが、雨具を着るほどではなく、ほんの一瞬の雨だった。

下りてしまうと時間を食うので、ここから引き返す。
今度はエンマ台からミクリガ池の北側を回り込む。
すると左手にミドリガ池が見えてくる。
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ここを過ぎるとすぐ室堂山荘。
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しかし、こちらの見学は後回しにして、付近の信仰遺跡を見学する。
立山は奈良時代から「神の山」として崇拝されており、越中国守を務めた大伴家持は「万葉集」の中で、「たち山に降り置ける雪を常夏に見れどもあかず神からならし」と歌っている。
最初は修験者の修行の場として開かれたが、江戸時代には一般の民衆が信仰登山を行うようになり、室堂周辺にも多数の遺跡が残っている。その一つが石仏群である。
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梵字が刻まれた大石もある。
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こうした遺跡の最たるものが、玉殿岩屋。
立山火山が噴出した溶岩が冷却する際にできた板状節理が発達してできた二つの洞窟で、立山を開山した佐伯有頼が701年、熊を追って、ここに入り込んだところ、熊は阿弥陀如来の化身で、立山を開いて人々を導くよう命じたとの伝説がある。

玉殿岩屋は室堂山荘から10分ほど下ったところにある。
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これが板状節理。
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室堂山荘に戻る。今回の目的は、日本最古の山小屋である立山室堂の写真を撮影し、以前この小屋を経営していた佐伯千尋さん(59)にお話を聞くことにある。
これが最古の山小屋。
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国の重要文化財に指定されている「立山室堂」は南北2棟ある。
北室が1726年、南室が1771年の建築。
江戸時代にはすでに年間6~7000人もの人が信仰登山に訪れ、この小屋に泊まったらしい。今のようにケーブルカーもバスもない時代、下から徒歩で何日もかけてやってくるわけだ。

小屋の大きさは、いずれも幅9.1m、奥行き7.3m。
解体修理に伴う発掘調査で鎌倉時代末期(14世紀)の遺物も出てきたというから、その信仰の古さがうかがえる。

これは剱岳のエピソードを思い浮かばせる。
長く人跡未踏と思われていた剱岳(2999m)の登頂に成功したのは1905年(明治38年)。頂に立った陸軍陸地測量部の柴崎芳太郎らがそこで見たのは、奈良時代の錫杖であった。
現代のような登山装備は何もなく、鎖やハシゴも設営されていない時代に、剱の頂を踏んでいた修験者がいたのは驚愕に値する。
おそらく、その陰には登頂に失敗して命を落とした無数の修験者がいたのであろう。
その信仰の篤さにまた、心を動かされる。

室堂という地名は、この小屋に由来する。「室」とは部屋のことで宿泊施設を指す。「堂」は御堂などと言われるように宗教施設のこと。「室堂」とは、信仰登山を行う人々の宿泊所で、それがそのまま地名となった。同じ地名は同じ理由で白山にもある。

この小屋はその後改修が繰り返され、佐伯さんが経営に携わる頃には南北の建物をつなげて1つの建物として使用されており、屋根裏部屋もあって、最大300人を収容していたという。

明治以降、時代が下るに従い、信仰登山から近代登山へと宿泊者の様相も変化し、室堂まで道路が開通してからは、観光で来たミニスカートの若い女性も泊まるようになった。風呂もない、たたみ1畳に2人という雑魚寝でも、苦情などなかったという。
「山って、そんなもんだと思ってくれていたのでしょう」
今とは大違いだ。

佐伯さんは昭和62年まで、この江戸時代からの小屋で営業し、その年の夏から現在の室堂山荘に移っている。
個室での営業なので、定員は150人ほど。以前より少なくなった。

午後2時過ぎ、その室堂山荘にチェックイン。佐伯さんにお目にかかる。
優しげでとても感じのいい方だった。

取材も済んで、もう一度、古い小屋に戻り、中を見学する。
無料の展示施設になっている。ここには発掘調査で出土した和釘や洪武通宝、一分金などが陳列されている。
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これは大正末期から昭和初期の様子だ。
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太い柱には無数の落書きが刻まれている。古いものでは明治のものがあるが、戦後のものが目立つ。
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「明治二十年七月二十六日 石川縣能登国鳳至郡 鵜川村 (山)嵜久太郎」といった、自分の住所と名前、日付を書き残すものだ。
旅行先にこうした落書きを残す風習は、日本では遅くとも江戸時代には始まっていたらしい。

私が過去にエジプトのアブシンベル神殿で詠んだ川柳を思い出した。
「落書きも百年たてば文化財」

それにしても柱が太い。太さは30cm近くある。ふもとの桑谷付近で伐採した立山杉が材料らしいが、どうやってここまで運んだのか。
「おそらく、雪のある時期に馬で引いて運んだのでしょう」
そう佐伯さんは推測しているが、いずれにしろ立山信仰の深さがうかがえる建物だ。

さて取材も終了。部屋に戻って、復習&メモの整理。
部屋はC棟2階の212号室。窓の正面は立山のはずだが、ガスの中。

今の建物があるのは、かつて環境省の施設があった場所。それが昭和57年に移転して空き地になっていたので、そこを提供してもらったのだとか。
もともとは古い小屋を取り壊して、新しい小屋を建てるつもりだったらしいが、保存されることになって本当によかった。

風呂にも入って、夕食は6時から。100席はある大食堂だが、すべて相席になるので、案内の係の人がお客さんのグループの人数を聞きながら、座る場所を指定している。
私は1人なので、8人席の端っこに案内された。
メニューは豚肉の生姜焼きとサケのマリネに冷や奴など。
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ホテル並みではないが、これで十分。御飯を1回だけおかわりして、ごちそうさま。

再び部屋に戻り、佐伯さんにいただいた立山室堂の解体修理報告書を読む。
そのうち、本格的に雨が降ってきた。この雨で大気の湿気をすべて流してくれれば、明日は晴だ。
隣の部屋は、60がらみと思しき男3人が会社経営について延々と議論している。
山で話す話じゃないでしょう。
1人が風呂に行き、1人が「もう寝る」と言ったので、やっと静かになった。
こちらも8時に消灯。なかなか寝付けなかったが11時すぎに目が覚めて、外を見たら、満天の星。うっしゃあ!
気をよくして就寝。翌日は5時すぎに起床した。

つづく
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立山縦走1

まだ9月の立山山行を報告していなかったけど、今日(11月17日)の雨でやっと書けます。4日間、何回分になるか分からないけど、頑張るぞ~

立山に行ったのは9月14~17日。うち1日半は乗り鉄でした。
最初に簡単に行程を書いておくと、
13日:東京=富山
14日:富山=岩瀬浜=富山=立山=美女平=室堂~(室堂周辺散策)~室堂山荘(泊)
15日:室堂山荘~浄土山~龍王岳~雄山~真砂岳~別山~剱御前小舎(泊)
16日:剱御前小舎~奥大日岳~大日岳~称名滝~称名滝バス停=立山駅(駅前の民宿泊)
17日:立山=宇奈月=魚津=中滑川~(瀬羽町散策)~滑川=富山=岩峅寺~(雄山神社)~岩峅寺=南富山=(富山地鉄市街線)=富山=新所沢

13日勤務終了後、8:12東京発とき347号に飛び乗る。
越後湯沢で、9:30発のはくたか26号に乗り換え、富山には11:26に到着した。
富山駅は新幹線開業に向けた駅舎改築のため、仮駅舎状態。
昔の面影がなくがっかりしたが、とにかくもう遅い。さっさとホテルに向かう。
宿は駅から徒歩7分くらいの桜橋ビジネスホテル。
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料金はじゃらんポイント200円分を使って3400円。ここの宿泊は自費なので安く安く。

立山室堂山荘の佐伯千尋さん(59)との待ち合わせは「午後」という、アバウトなものなので、ゆっくりしていればいいのだけど、旅に関しては貧乏性の私は、ホテルでのんびりということができない(のんびりするような宿でもない)。

翌朝は6時に起床。富山地鉄で立山駅に向かう前に、富山ライトレール(旧国鉄富山港線)を乗り鉄することにする。
駅前には「富山の薬売り」のモニュメントがあった。
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この広場では、徹夜で飲んだと思しき若者が何人か眠りこけていた。風邪などひきませんよう。

富山市内には昔懐かしい路面電車が走っている。
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昭和40年代に全国各地で路面電車が姿を消す中、今も営業しているのはうれしい。
環境問題や市街地の空洞化、高齢化問題を考える上でも、これからの都市交通は路面電車の方が絶対にいい。

さて、ライトレール。これは富山駅北口から出ているが、ホテルは南口。
南から北へ抜ける連絡通路の場所が分からず、電車の出発時間も迫ってきたので、やむなく富山駅に入場券を買って入り、北口へ出た。180円損してしまった。
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ライトレールは低床式の新交通システムで、ポートラム(港のポートと路面電車のトラムの合成)の愛称で親しまれている。
5:57の始発はきつかったので、次の6:35富山駅北電停発のポートラムに乗る。
なかなかかっこいい。フランクフルトやチューリヒで見た路面電車もこのタイプだった。

電車は最初、路面を走るが2駅目、1.1km先の奥田中学校前から専用軌道となる。
さらに4つ目の城川原駅で乗務員が交代。貧乏ゆすりの激しい人で
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気になっていたので、よかった。次の人は女性だった。
運転席が真ん中にあるのが面白い。

その3つ先の大広田駅で、旧富山港駅(貨物)に向かう廃線跡らしきものを発見。写真は撮れず。
6:57終点岩瀬浜に到着。
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この電車は3分後に折り返すが、それではあまりに味気ない。
駅2つ分歩くことにした。

岩瀬浜は「シロエビの里」のようである。
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「富山湾の宝石」とも呼ばれる透き通ったシロエビ。どっかで食べてみたいところだが、ホテルの無料朝食があるので、店を探すこと自体諦める。時間もそんなにはないし。

近くの岩瀬運河沿いに観光物産館があったがまだ開いていない。
そこにノーベル街道という標識があって、何だろうと説明を読んでみる。
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すると、実に興味深い話であることが分かった。
日本で今までノーベル賞をとった12人(看板設営当時、今は19人)のうち、4人が富山から高山を結ぶ国道41号線沿いの町にゆかりがあるというのだ。

1987年医学・生理学賞の利根川進さんは小1から中1まで大沢野町(現富山市)で過ごした。
2000年化学賞の白川英樹さんは小3~高3まで高山市で育った。
2002年化学賞の田中耕一さんは富山市生まれ。
同じ年の物理学賞、小柴昌俊さんは岐阜県神岡町(現飛騨市)で実験を続けた。

にゃるほど。富山出身と言えるのは2人だが、富山は「売薬さん」が全国に薬を売り歩き、伝統的に目が外に開かれている土地柄。そんな風土がノーベル賞受賞者を生んだのかもしれない。

運河を渡り、線路沿いを歩く。
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駅2つ分戻って着いたのが東岩瀬駅。
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この駅は旧国鉄富山港線時代から残る唯一の駅舎で、1924年(大正13年)に富岩鉄道越中岩瀬駅として開業した当時の建物。
2006年3月に富山港線廃止に伴い、駅としても廃止されたが、そのわずが2か月後の4月29日、ライトレールの駅として再出発を果たした。
2007年に若干改修され、休憩施設として利用されている。

ホームは利用されておらず、すこし離れたところに現在のホームがある。
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旧駅舎を使用しようとすると、旧ホームを低床用に改修しなければならず、保存のためにも、高齢者の安全のためにも(駅舎の待合室から階段でホームに下りなければならなくなる)、新ホームを作ったのだろう。

で、ここから乗って富山駅に戻る。7:23発。
この日は平日で通学・通勤の時間帯に当たってしまったため、車内は超満員。
かぶりつきの位置でずっと立っていた。
7:44富山駅北到着。

一旦ホテルに戻って朝食。バイキングのように豪華でも、パン+飲み物だけような超簡素でもなく、きちんとした和食の御膳。これで600円は安いと思えるほど、ボリュームがあって満足。
シャワーも浴び、重いザックを背負って、9時過ぎにホテルを出発。電鉄富山駅へ。
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駅舎は富山地鉄ホテルを含んだ駅ビルになっているので、かなり巨大な建物。
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ホームは行き止まりのヨーロッパ風。
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会社の名前は富山地方鉄道なのに、駅の名前は「電鉄富山」。地鉄は昭和5年に「富山電気鉄道」として開業したので、その名残なのだろう(地鉄になったのは昭和18年)
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駅窓口で立山駅までの電車運賃、そこから美女平までのケーブルカーの料金、さらに室堂までのバス料金を含めた3530円の乗車券を購入。
まず乗るのは、9:37発滑川行き普通列車(モハ100形、2両編成)。こちらだ。
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まだ少々時間があるので、待合室でのんびりしようと思ったのだが、電車が入線してくる度に飛び出して、写真を撮りに行くので落ち着かないことはなはだしい。
もっと、どしんと構えていられないものかと、我ながら思う。

で、やっと発車。普通列車なのに、座席は特急風。
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稲荷町、東新庄、越中三郷などローカル線らしい味わい深い駅舎がたくさんある。近いうちに車で来て、これらを撮影しなければいけない、と、またまた貧乏性な欲求がこみ上げてくる。
実際、こういうものは早めに撮っておかないと、いつ建て替えられるか分からない。JRほどではないが、どうも気持ちがあせってしまう。
古い駅舎を見ても、ああいいなあ、よりも、やべえ早く撮らないと、という気分になるから心から旅を楽しめない。まったく厄介である。

地鉄本線と立山線の分岐にあたる寺田駅で、特急アルペン(2両編成)に乗り換える。
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乗り換え時間はわずか2分で、とてもゆっくり駅の写真を撮っている暇がない。
ここからはノンストップで立山駅へ。

特急は日本最大級の急流・常願寺川が形成する平野を走る。もう稲穂もすっかり黄金色になり、稲刈りを終えた田んぼもある。左手に見える山々は剱岳なのかもしれないが、よく分からない。
立山信仰の拠点のひとつ岩峅寺(いわくらじ)からは山間部に入る。

あばれ川の常願寺川にはあちこちに無数の砂防ダムが築かれている。
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沢をやる人にとっては、砂防ダムは天敵だが、下流域の人々の暮らしを守るためには、現代においてはやむを得ない面もある。もちろん、これは不要では? というのもあるのだろうが。

10:28立山駅着。
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山小屋風の駅舎の2階からケーブルカーが出ている。

これは2階側の駅舎正面。
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時間は10:40と指定されているので、12分の間に撮影やトイレを済ませなければっ。
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ケーブルカーもほぼ満員。おばさん方の話し声が大きくて、観光案内の放送が聞こえない。
おまけにトンネルや林が多くて、ほとんど展望が利かない。
ただ、ケーブルカーが小さな貨物車を牽引しているのが面白かった。
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7分で標高977mの美女平に到着。
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なかなか色っぽい地名なのは、それなりの伝説があるからだが、省略する。

ここからはバス。荷物を隣の席に置けないくらいの混雑。下の荷物置き場に入れると300円追加料金になると聞いて、やめたのだ。
定刻11:05だが、満席になった10:50にさっさと出発してしまった。

称名滝が見える滝見台では、バスが停まって撮影タイムを用意してくれたが、私は反対側の席だったので、立ち上がって見る程度。ただ、木と木の間から見えるという状態なので、バスは前・中・後ろの座席の人も見えるよう、少しずつ進んでは停まってくれた。親切だ。

バスは一般車の乗り入れが禁止されている立山道路をカーブを繰り返しながら、ぐいぐい登っていく。桑谷(1380m)、弘法(1630m)、七曲り(1680m)……。
追分の料金所を過ぎると弥陀ヶ原。ここは立山連峰の稜線の先端が舌状に張り出した高原なのだが、バスに乗っているとその全貌はよく分からない。
16日に奥大日への道から見下ろして、驚くことになる。

11:40、ほぼ50分で室堂のバスターミナルに到着。さっそく屋上に出て昼食とする。
立山の主峰・雄山(3003m)はガスから出たり隠れたり。
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室堂の南にある国見岳(2620m)までガスが流れてきている。
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こちらは空いているベンチに腰掛けて、周辺の山々を眺めながら、おにぎりを頬張る。

以前、家族で来た時は完全にガスの中で、何も見えなかった。
今日は肝心の稜線が見えず、いまひとつすっきりしない天気だが、それでも立山の雰囲気を味わうことができて、ありがたかった。
天気予報では明日は晴れ。しばらく、このあたりにいるのだから、あせる必要はない。

屋上では、いくつかの写真屋さんが営業している。
雷鳥のセットの場所では、無料撮影サービスもやっていた。
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食べ終わって、さっそく散策を始める。

立山の石碑は人気撮影スポット。
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まったく今日は平日なのに、人の途切れることがない。しかも9月。こっちは一応仕事なんだからな(少々の負い目はあるけど)。
年間100万人が室堂に訪れるというから、これでもマシな方なのか。

室堂にはたくさんの山荘があって、それぞれに個性がある(少なくとも建物は)ので、何度も来て、あちらにもこちらにも泊まりたくなってしまう。これはホテル立山。
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いずれも室堂まで自動車道路が開通する前は普通の山小屋だった。
それが今はもうほとんどが個室対応、風呂付きの旅館・ホテルになってしまった。
一般の観光客も泊まるようになってしまったのだから、仕方あるまい。

ターミナルビルのすぐ北に豊富な湧き水がある。
毎分15立方メートルというから、1万5000㍑か。ドラム缶75本分だね。
水温は2~5℃なので、めちゃ冷たい。環境省の「名水百選」にも選定されている。
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立山玉淀の湧水である。ここで、私も水を補給。ミクリガ池に向かう。

周辺の道は遊歩道として整備されており、石畳になっている。
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(左は立山三山のひとつ浄土山)

紅葉にはまだ早いが、地面はもう草紅葉に覆われ、黄色いじゅうたんのよう。
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当然、チングルマは綿の稚児車状態になっている。
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こちらは立山三山のもうひとつ別山(2874m)。
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これは真砂岳(2861m)
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立山の荒々しい稜線もガスの切れ間から姿を覗かせる。
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これが今夜泊まる予定の室堂山荘。立山で最も古い山小屋だ。
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つづく
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青梅散歩

11月10日はノンフィクション作家の梯久美子さんと、群馬県の横川駅から旧信越本線の廃線跡(アプトの道)を歩いた。でも、これは近々、彼女が某紙で発表する予定なので、それまではブログでの報告は控えることにします。

翌11日は天気がよければ、久々に山に行きたかったのだが、曇のち雨の予報だったので、近場へ駅旅に出かけた。
奥多摩に行く時にいつも通って気になっていた青梅である。

旧青梅街道の商店街には、青梅市在住の看板絵師・久保板観さんの手になる往年の映画の宣伝看板があちこちに掲げられており、いずれゆっくり歩いてみたいと思っていたのだ。
それに、建物の写真を撮るには、晴れた日より、こんな曇の日の方がいい。影ができないからだ。

寝坊して、のんびり出かけ、青梅駅に着いたのはもう11時だった。
青梅市は「昭和レトロ」で町起こしを図っている。
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ホームの駅名標からして、こんなデザインだ。

しかもホームの待合室も黒い木造の建物で、駅そばもこんな調子。
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復元ではなく、作りものだが、ちょっと入ってみたくなる。

時計までレトロ。
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改札に向かって、階段を下りると地下通路には、映画看板がずらりと並ぶ。
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「鉄道員」や「終着駅」があるのは、やはりここが駅だからだろう。

階段を上ると、今度は赤塚不二夫マンガのキャラクターがお出迎え。
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左からもーれつア太郎、ひみつのアッコちゃん、おそ松くん、ニャロメ、バカボンのパパと、いずれも子供の頃、お世話になった方々ばかりだ。

なぜ、赤塚不二夫が青梅なのか? 
彼は漫画家になる前に、新潟で映画看板描きの仕事を手伝ったことがあり、その縁で市内に「青梅赤塚不二夫会館」ができたとのこと。かなり強引な理由ではある。
それでも、もはや青梅に赤塚不二夫はなくてはならない存在になってしまった。
旧青梅街道の商店街(旧青梅宿)は「青梅赤塚不二夫シネマチックロード」なる愛称が付けられてしまっているのだ。
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駅を出て振り返ると、これまたレトロな雰囲気の駅舎だ。
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一見、箱形の単純なビルに見えるが、両端がわずかにせり出すデザインで、窓も縦長。
大正から昭和初期にかけてのモダニズム建築で、まさに「昭和レトロ」の町・青梅の象徴として、ふさわしい駅だ。

立川~青梅に鉄道が開通したのは、明治27(1894)年11月。
当時は軌間わずか69cmの軽便鉄道で、青梅市西部に産する石灰岩や木材を運ぶのが主な任務だった。
大正12(1923)年に全線電化され、現在の駅舎はその翌年に建てられた2代目のもの。当時の地方駅としてはめずらしい鉄筋コンクリート造りの駅だった。

さっそく、その「シネマチックロード」に向かったが、その手前に「銀座の柳四世」という小さな木の表示に釣られて、その手前の「昭和の小路」に入る。
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表通りと違って、飾らない昭和の雰囲気が残っている。

この通りの奥にある駐車場のすみに、銀座の柳四世が植えられている。
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なぜ、青梅に銀座の柳があるのか?
手前の看板には「昔恋しい 銀座の柳 粋な青梅を 誰が知る」とある。

調べて分かったことだが、これは昭和4年、佐藤千夜子が歌って大ヒットした「東京行進曲」(西條八十作詞、中山晋平作曲)の出だし「昔恋しい 銀座の柳 仇な年増を 誰が知ろ」の替え歌のようだ。

昭和4年の時点で「昔恋しい」のだから、銀座の柳は相当に古く、そしてこの頃には見られなくなっていたものと思われる。
もう少し調べてみると、明治維新の後、銀座の煉瓦街ができた頃、街路樹として松や桜など、いろいろな樹木が植えられたが、結局、柳だけになってしまっていたという。
大正10年にイチョウに植え替えられたというから、歌はそれまでの風景を懐かしんでいることになる。
その後、関東大震災でそれも壊滅、プラタナスが植えられたが、「東京行進曲」のヒットで、銀座の柳をよみがえらせようという機運が盛り上がり、昭和6年には柳並木が復活した。
翌年、田中絹代主演の映画「銀座の柳」(五所平之助監督)が封切られ、再び西條・中山コンビで作った主題歌「銀座の柳」も大ヒット。柳は銀座の象徴の一つになった。
しかし、東京大空襲や高度成長期の道路拡幅などにより、再び柳は消滅。
現在は、銀座の柳二世が西銀座通りに復活、全国各地に贈られ植樹されているとか。
青梅のこの柳は、四世だからかなり若い。
昭和の映画で売り出す青梅としては、映画「銀座の柳」の縁で、この四世をもらい受けたのだろうか。

ちなみに、青梅は古い町名を復活した市としても、知る人ぞ知る存在だ。
徳川家康は江戸入府後間もなく、青梅市西部に産する石灰を江戸城の白壁に使うべく、八王子代官の大久保長安に命じたこともあり、青梅は早くから開けた。
近在の農家が農閑期に織った青梅縞も評判で、甲州裏街道の宿場町だったこともあり、青梅は江戸期から「山の根」(関東平野の西の端の意)の一大都市として発展した。
青梅町と「町」を名乗ったのも明治8年で、全国的にもかなり早い。

その青梅町は明治22年に周辺の勝沼村、西分村、日向和田村と合併。さらに昭和26年には、調布村、霞村を併せて、青梅市となった。
このとき、広大な旧青梅町が大字青梅となった。
その名残が、この住所表示である。
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しかし、今の住所はこちら。地番は踏襲された。
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大字青梅は平成10年に、住江町、仲町、本町、森下町、天ヶ瀬町、裏宿町、大柳町、上町、滝ノ上町の9町に分割された。
これは地元で通称として用いられてきた江戸期以来の小字を正式な地名として復活させたのである。
木挽町も弓町も南鍋町もみんな、知名度のある銀座になってしまったり、角筈(つのはず)も十二社(じゅうにそう)もみんな西新宿になってしまったり、小→大というケースは多いが、その逆は極めてめずらしい。
地名はヒューマンスケールがいい。全国の都市で見習ってほしいものだ。

というわけで、表通りに出た。かつての甲州裏街道、今で言うところの旧青梅街道である。
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青梅市は人口約14万人。この規模の町で、傘屋さんが成立するところは滅多にないだろう。
実は青梅は傘の産地でもあった。
今のような洋傘ではなく、紙を貼った番傘である。黄色い地紙が特徴の「青梅傘」を売る店は昭和10年代には町内に22軒もあったとか。当時の生産量は年間80万本というから、一大産業である。
「ホテイヤ」さんは多分その生き残りだろう。屋号の上には「雨に唄えば」の看板が・・・

通りを歩くと、至るところにこうした看板がある。
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バス停だって、こんな有り様だ。
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街道を東へ行くと、西分(にしわけ)町に至る。かつての西分(にしぶん)村だ。
いつから読み方が変わったのかはよく分からない。
町はずれまで来ると、さすがに空き家が目立ち出す。
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こういうさびれた雰囲気は嫌いではなく、むしろ求めているくらいだが、元気のある商店街(本当はそれほどでもないんだけど)を見ると、やはり町は活気があった方がいいと思う。昭和っぽくだけどね。

つまり、こういうのとか。
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こういうのだったり。
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ここは小さな店舗内いっぱいにモンゴルのゲル(パオ)が設営されているが、出しているメニューはタイ料理だった。
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こういう下手な絵は、板観さんの作品ではない。
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この渋いお菓子屋さんの手焼き「青梅せんべい」というのが気になったが、
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覗いてみると、丁寧に箱詰めされて、結構な値段だったので買うのはやめた。
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山崎康雄さん(知らない人)のお宅、電話番号が30番。
つまり、青梅町で30番目に電話を付けたということで、当時はかなり羽振りのよかった家と思われる。
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閑話休題。招き猫。
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なつかしい雪印牛乳。って、まだあるか。でも、この店はもう廃業しているみたい。
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この公衆電話は何のつもりだろう。
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道をすこしはずれたところにある、このとんかつ屋さんも雰囲気のいい木造建築だが、閉店してしまっている。
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ぼんぼりがまだ破けていない。

この向かいにあるのが延命寺。境内の紅葉がきれいだった。
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ここのベンチで昼食。いろんな店があるのだから、どこかで食べればよかったのだけど、奥多摩に行く可能性もあったものだから、おにぎりを買って来てしまった。
少々味気ないけど、もみじを愛でながらのランチも悪くなかった。

さて通りに戻る。
今度は西にとって返す。駅前まで戻ると、消えかかった長崎屋のロゴを発見した。
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長崎屋は私の生まれた1963年に、スーパー業界としては初めて東証に上場(2部)したが、現在はドン・キホーテの傘下となっているとのこと。

西の町はずれまで来ると、正面に熊野神社がある。
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ここは江戸初期に大久保長安がいた八王子代官所の出張所「森下陣屋」の鎮守にあたる。
当時から青梅の町を見守ってきたカシの大木が見事だ。
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さて、再び東へ折り返す。
すると、こんな石碑が。
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中武馬車鉄道の起点・森下駅の跡だ。
中武とは武蔵の中央という意味だろう。
この馬車鉄道は青梅(森下)から入間川(狭山市)まで18.45kmを結んでいた。
1901年(明治34年)に開業し、1920年には廃止される。
わずか20年足らずという短命の路線だった。まあ、そもそも馬鉄そのものが長く続くものではないのだが。

ところで、この石碑は「リカーステーション岡崎」という酒屋の敷地内にある。
これは、当主の岡崎敬賢さんのご母堂の米寿記念に建立されたものという。
母あきさんの誕生日が中武馬車鉄道の開通した明治34年9月だったからだそうだ。
実際の駅は通りを挟んだ反対側にあったが、造り酒屋だった岡崎家には引き込み線があったのだとか。

古い地形図を見ると、それこそ山の根に沿って、馬鉄が走っていたのが分かる。
ぜひ乗ってみたいものだが、札幌の「開拓の村」に行けば確か今でも乗れるはず。
今度乗りに行きたい!

岡崎家の隣には、都の有形民俗文化財に指定されている旧稲葉家住宅がある。
18世紀後半に建てられたという、間口が5間半もある土蔵造りの豪壮な建築だ。
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材木問屋をやっていたとのことだ。裏の三階建ての蔵は修復中で、来年3月には完成するとのことだった。

駅方面に戻る途中、うれしい発見をした。
「多摩」の「摩」を、部首のまだれの中に「マ」と書く俗字があるが、これを公(?)に使用している店があったのだ。
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これは「日本言語遺産」である。絶対に残してほしい。

で、このミシン店のすぐ脇に、「昭和のにゃにゃまがり」なる路地をまたまた発見。
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なんじゃ、なんじゃと入ってみる。
すると、猫のオブジェ的なものが、あちこちに散りばめられた路地なのである。
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通り過ぎると駅前に出た。こちらが表玄関だったらしい。
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にゃにゃまがり、というくらいだから七曲がりだと思ったが、曲がり角は6つしかなかった。そして、本物の猫は一匹もいなかった。
なんか、作り物っぽくて、個人的にはこういう仕掛けが好きでないのだが、路地を大切にしようという心意気は買いたい。
こういう道がなくなるのは淋しいものだ。

これで、町歩きはほぼ終了。段丘を下り、多摩川を渡って、青梅市郷土博物館へ。
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ここで、調べ物。町を歩いてみて、いろいろと興味が湧いたのだ。

隣には古い農家を移築した旧宮崎家住宅があった。
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3時過ぎ、郷土史系の本を閲覧しているうちに、とうとう雨が降ってきた。
町歩き(要するに撮影)は終えていたので、助かった。
あとは、昭和レトロ商品博物館、青梅赤塚不二夫会館、昭和幻燈館の3館を見学するだけ。

まずは昭和幻燈館。
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ここは、板観さんが開設した「久保板観 映画看板ギャラリー」が前身。だから、板観さんの作品が多数展示されているが、NHK朝のテレビ小説「梅ちゃん先生」のオープニングタイトル用の大型ミニチュアセットを製作した造形作家・山本高樹さんの作品なども飾られている。
みんな猫の顔をした「青梅猫町通り」は昔なつかしい昭和の風景を再現している。

次は「青梅赤塚不二夫会館」。
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赤塚作品は主にアニメで見た。
「天才バカボン」や「ひみつのアッコちゃん」「おそ松くん」はもちろんのこと、我々アラフィフの心をつかんだのは、「もーれつア太郎」の動物キャラクターたち。
ニャロメにケムンパス、ベシ。小学校の時の年賀状はなぜか必ず、彼らを描いた。
今でも空で描くことができるくらいだ。
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最後に「昭和レトロ商品博物館」。3館共通券で700円なり。
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ここは懐かしい、駄菓子やのようなところだが
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興味深かったのは、2階の雪女の部屋。
なぜ、雪女か。
小泉八雲はその著書『怪談』の序文に「雪おんな」は「武蔵の国、西多摩郡、調布村のある百姓が、この土地に伝わる古い言い伝えとして私に語ってくれたもの」と書いている。
この調布村は今の調布市ではなく、昭和26年に青梅町と合併した調布村のことで、今の青梅市の南部、青梅市街から多摩川をはさんで反対側の地域である。
つまり、雪女のふるさとは青梅なのだ。なんと意外なことだろう。
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物語の冒頭に、2人の木こりが森に行く途中、大きな川を渡るくだりがある。
吹雪で帰りの渡し舟が出なくなり、小屋に泊まった番に雪女が現れる。
この川がまさに多摩川で、渡しは今の調布橋あたりだろうと言われている。

小腹が空いたので、同じ建物の中にあるレストラン「ボンボン亭」で、汁ギョーザ+そうめんをいただく。500円なり。味は75点くらいか。
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それにしても、青梅は面白い町だ。
今月24、25日にはアートフェスティバル「楽市楽座の青梅宿」が開かれるそうだ。
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興味のある方はぜひ出かけてみては。
私はこの日は天城山に行くでヤンス。
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長良川の繞谷丘陵

11月4日は、地図エッセイストの今尾恵介さんに誘われて、「コンターサークルS」の歩く会に出かけた。
このサークルは、40年前『地図のたのしみ』で日本エッセイストクラブ賞を受賞し、その後も地図に関する本を精力的に書き続けている堀淳一さんが主宰する集まりで、地図や旅、旧道歩きなどの愛好家が参加しているとのこと。

以前から今尾さんに誘われていたのだが、今回やっと実現した。
集合場所は、岐阜県の長良川鉄道相生駅。集合時間は11:05。
会員には、それしか知らされない。出欠はとらず、来た人だけで歩き始める。
そういうルールだそうだ。

6:50東京発ののぞみ7号で出発。名古屋で、ワイドビューひだ3号(富山行き)に乗り換え、美濃太田でさらに9:50発の長良川鉄道「ゆら~り眺めて清流列車1号」に乗り込む。
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早めに着いたので、ボックス席の進行方向窓際を確保できたが、徐々に混んできて、席は満席に。

正面には外国人のカップルが座り、日が差して暑いので、彼女はブラインドを下げてしまった。私は思わず「ノー」と叫んでしまった。男の方が「(車窓が)ビューティフル?」と聞くので、今度は「イエス」と言ったが、彼女の意志は固く、諦めるしかなかった。
でも、刃物会館前駅あたりから、進行方向が西から北に変わって、日が入らなくなったので、彼女が寝ている間にブラインドを上げてしまった。

それはともかく、出発間際に、堀先生らしき方が何人かと乗車してきた。
そのうちの一人が私の隣に座った。
しばらくして、「コンターサークルの方ですか?」と聞くと、そうだという。
とても感じのいい方で、堀さんの本を読んで、地図が好きになり、このサークルにも参加するようになったそうだ。

車窓は湯の洞温泉口駅あたりから、長良川に寄り添って走る。
天気もすこぶるよく、気持ちのいい日だ。ところどころ、山も色づいている。
母野(はんの)、木野(こんの)などの難読駅名を通過して、11:05に相生着。
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東京から夜行で来て、すでに郡上八幡の町並みを歩いてきたという今尾さんや、車で参加のKさん親子が待っていた。
私を含めて7人のパーティーということになる。

この日の目的は、長良川が形成した繞谷(じょうこく)丘陵を見ることであると、車中で知った。
なんとマニアックな。

繞谷丘陵とは、私も最近、堀先生の本で知ったばかりなのだが、川の蛇行によって取り残された丘陵のことだ。
もう少し詳しく説明しましょう。
蛇行がショートカットされると、残された流路は三日月湖となって残ることがあるが、もとの流路に囲まれたところが小山だったりすると、これが新しい川の横に孤立して残ってしまう。これが繞谷丘陵だ。

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上の地図(25000分の1地形図「郡上八幡」平成17年更新、次の地図も同じ)がこの日歩いたエリアのうちの一つだが、この地図で言うと、「西乙原」の文字の左下にある細長い高まりが、それに当たる。
地図マニアもしくは地形マニアは、こんな地形を地形図で見つけては喜び、現地で確認したくなるのだ。
私は「山ヤ」である前に「地図ヤ」を自任しているが、まだまだその域には達していない。
今日はいい勉強の機会である。

相生駅前は古い大きな木造の建物があるなど、かつてはそれなりに自立した町だったことをうかがわせる。
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これは駅前旅館かと思ったら、薄くかすれた看板をかろうじて判読すると、「関化学相生工場」であった。
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相生は、明治8年に付近の6か村が合併してできた村で、明治30年にはさらに5か村を合併。大正9年の時点で人口は3945人に達する立派な「町」だった。
主産業は石灰だったというので、ここは石灰工場だったのかもしれない。
(どうしても工場には見えないのだが)
相生駅は昭和4年の開業というから、今の駅舎は2代目か3代目だろう。

これは「相生タクシー」と読めるが、いつまで営業していたのだろうか。
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さて、駅前通りから出て、みんなで地形図を確認。
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何の観光地もないところで、ちょっと異様な集団でもある。

近くの郡上八幡は「うだつ」の町としても知られるが、ここにもささやかなうだつがあった。
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清流、亀尾島(きびしま)川を渡る。
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八幡西中学校を右手に見て、少し進むとお目当ての繞谷丘陵が正面に見えてきた。
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古墳のように、というか毛虫のように横たわっているのが、それだ。
みな、それぞれに写真を撮っている。
地元の人が見たら、何事か!と思うだろうけど、幸い(?)誰もいなかった。

車中で知り合ったNさんは、地元の人がいるときは、まずこちらから「こんにちは」と言って警戒感を解いてもらう努力をしているとか。
そうしないと、本当に怪しい人たちに見えるのだ。

ところで、この丘陵の上にはかつて白山社があったが、いつの頃からか地図の「西乙原」の字の右上にある鳥居マークのところに移ったとのことである。
それが、こちら。
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近くには湧き水もあった。郡上八幡にも似たような水場がたくさんあったと記憶する。
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飲んでみたが、わりとぬるかった。

本当は繞谷丘陵を川の対岸から見たかったのだが、それだと国道を歩かないといけないので、昔の流路を歩いてきた経緯がある。
その流路の高さが結構、高い。現在の川より高いところで70mほども高い。
不思議に思って、堀先生に「回りの山から土砂が崩れてきたからですか」と聞いてみると、「それもあるだろうけど、隆起したんですよ」との答え。
高ければ高いほど、その流路は古いのだそうだ。
ここの場合は数十万年前といった見立てだった。

旧流路に形成された西乙原(にしおっぱら)の集落の景観はなかなかすばらしい。
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見晴らしのいい場所に腰を下ろし、昼食にした。
ここから見た繞谷丘陵は「風の谷のナウシカ」のオウムに見える。
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コンビニで買ったおにぎりを持ってきていたが、今尾さんが郡上八幡で買ったという「朴葉寿司」をひとつくれた。
「お弁当用意してきてくださいと言うのを忘れたので、持って来なかった時のために買っておいたんです」
なんて親切な人だろう。ありがたく一ついただいた。とてもおいしかった。

皆さんがのんびりしている間に、気になったことがあったので、地元の人に聞いてみようと、一人でちょっと席をはずした。
ここから正面に見えるピラミッド形の山の名前が知りたくなったのだ。
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地形図では「八幡町吉野」の文字の右にある536.6mの三角点に当たるが、山の名称が書いていないのだ。

これだけ姿のいい山なら、地元では通称くらいあるだろう。
畑仕事をしている人に声をかけたら、「私は50年東京にいた。所沢(私の自宅のあるところ)にも何度も営業で行った」と懐かしがってくれた。
肝心の山の名前は「戻ってきたばかりなので分からない。分かる人のところへ案内する」と言って、近くの立派な家に連れて行かれた。
でも、そこのご主人も分からなかった。
「たぶん名前はあるはずだが、いつもみんな『三角点、三角点』と言ってるなあ」

ほう、それはそれで興味深い。そんなふうに呼ぶこともあるのか。
話しているうちに、繞谷丘陵のことは「小山」と呼んでいることも判明した。
なぜ我々がここにいるのかを聞かれたので、その「小山」がこれこれの理由でできた山なので、それをみんなで見学に来たんです、と説明したが、ほとんどそのことには関心を払われなかった。たぶん、普通の人には理解不能だろう。

堀先生は86歳、きりちゃんは3歳。
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ほほえましい光景だ。

丘陵の南側に回り込み、一周して相生駅に戻る。
しばらく線路の近くを歩く。
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途中、Nさんが「間もなく長良川鉄道の列車が鉄橋を渡りますよ」と教えてくれたので、絶好の展望所で待機。
するとカメラを構えた途端、列車がやってきて、あっという間に通り過ぎてしまった。
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駅に戻ってきたのは、午後2時40分。
14:58発の列車で、二つ先の赤池へ。
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この列車も、「ゆら~り眺めて清流列車」。運転士の方がマイクで観光案内をしていた。
思わず笑ってしまったのは、「この橋は個人的に一番嫌いな橋です」と紹介したから。
都会の電車でこんなことを言ったら、乗客から苦情が入って厳重注意処分を受けるだろう。
嫌いな理由がふるっている。
「普通なら60kmで走れるのに、30kmでしか走れないからです」
清流列車は観光列車なので、景色のいいこの橋にかかると減速して乗客サービスをしなければいけない。
それが実はいやなのだ。運転士って、やはりスピードを出したいんだなあ。そんな心理が分かって、ちょっと愉快だった。

堀先生はお疲れとのことで、赤池の繞谷丘陵はパスして帰ってしまい、あと2人も付きそう形でそのまま乗って行ってしまった。
残ったのは、今尾さんときりちゃんと私の3人。
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今尾さんは小さなきりちゃんと手をつないで、とても仲良し。
お母さまは車でこちらに向かっている。

3人で影踏みをして遊んでいると、お母さま到着。
今度の繞谷丘陵は大きいので、そのまま車で回っていただいた。
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相生の繞谷丘陵は高さ30m、長さ250mほどだったが、ここのは高さ90m、長さは750mほどもある。
地形図では、「赤池」の文字の左にある小山で、頂上に262.1mの三角点や神社がある。

赤池駅からはこんな風にみえる。
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う~ん、やはりただの小山である。これをおもしろがれるようになるには、相当な修業が必要そうだ。

こちらも、「裏」の高いところから見下ろそうと、国の天然記念物、神ノ御杖杉(おつえすぎ)がある熊野神社に向かう。
ここの杉はさすがに見事で、とりあえず繞谷丘陵はそっちのけ。
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角度によっては、こんな風に見える。
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それにしても、きりちゃんは神社が大好き。すべての祠を見ないと気が済まないようで、お母さまも呆れていた。
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振り返ると、繞谷丘陵はこんな姿。
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近くの民家に、なんとダットサンを発見!
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これも今回の収穫の一つ。

というわけで最後に、もう一度、長良川鉄道の写真を撮って、この日の踏査は終了。
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きりちゃんのお母さまに、子宝温泉まで送っていただいた。
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ここは、みなみ子宝温泉駅と直結しており、列車までの時間が信号で表示される。
30分以上あったら「青」、30分を切ると「黄」、15分前になると「赤」だ。
これはテレビの鉄道番組を見て、知っていた。

まあ、今尾さんと男二人で「子宝」もないものだが、次の列車まで1時間あるので、ゆっくり湯に浸かって、生ビールを飲む時間もあった。
この後、美濃太田、岐阜と乗り換えて、名古屋へ。その間ずっと飲み続けた。
乗り物で飲むと酔いが回るのか、新幹線に乗ったときには、すでにグロッキー。
東京まで爆睡してしまった。
誘ってくれて、そのうえ温泉やお酒まで付き合ってくれた今尾さん、本当にありがとうございました。

次のコンターサークルは11月23日に旧天城峠。私はそのまま天城山へ向かうつもりです。
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芽室岳

10月27日に母校の同窓会があり、札幌へ帰省した。
翌日、N君と芽室岳(1754m)に登る約束をしてある。
彼は2次会終了後、「明日があるので」と言って、スパッと帰った。
いつも動けなくなるまで飲んでいたN君の、この変わりように驚く。
こちらは、せっかくの札幌を思う存分満喫したく、もう1軒。帰宅したのは12時になってしまった。

翌朝、彼は約束の5時きっかりに迎えに来た。彼をこれだけ行動的にさせる「山」とは一体何なのか。自分のことを棚にあげてそう思う。
まだ、外は真っ暗。途中のコンビニで食料を調達し、高速に乗る。
天気予報は十勝までは曇のち雨、釧路地方は晴のち曇だったので、天気次第では雄阿寒まで足をのばすことも想定していた。

でも、高速から見た日高方面の稜線は真っ赤な朝焼けを背景にくっきり見えていたので、予定通り芽室岳に行くことにした。
芽室岳は日高山脈の北端にある山なのだ。

しかし、途中トマムのあたりで濃い霧が立ちこめてきた。
十勝平野に下りてからはだんだん晴れてきたが、すっきりとした青空にはならない。
清水インターから20分ほどで、登山口に到着。
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ここには小さな山小屋(「山小屋芽室岳」)があり、宿泊者が3人ほどいた。
前日正午から登って、午後5時20分に下山、ここで夜を明かしたようだ。
前夜、小屋に泊まって、早朝から登るというパターンはよくあるが、めずらしい登り方だ。
でも、酒を飲むなら、前夜より、下山してきてからの方が安全だし、おいしかろう。
窓には飲み干したワインの瓶があった。
窓を開け放しているのは、室内にある薪ストーブを焚いたので、暑くなったからだろう。

こちらも準備をして7:35に出発。山頂までは5.7kmの道のりだ。
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熊を警戒して、鈴は2つ付けている。

まずは川を渡る。
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N君との山行は今月(10月)3回目だ。

しばらくササの道を行く。
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紅葉はほぼ終わっている。霧は晴れたが、それほど、すっきりした天気ではない。
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傾斜は徐々にきつくなり、樹林帯の尾根をひたすら登る。
振り返ると、川向こうの山の山頂が姿を現し、期待を抱かせる。
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こちらにも時折、日が差し、気分を鼓舞してくれる。
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結果的に、それは叶わなかったが。

それにしても、ほとんど展望のない単調な道である。
1時間ほどで、2.7km歩いてきた。順調なペースである。
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しかし、依然としてササの中。
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歩き始めて2時間近く。標高1200mくらいのあたりから、雪が目に付き始めた。
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対岸の東側の尾根は厚い雲の流れの中に入り、心に暗雲が立ちこめる。
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こちらもガスってきた。
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一瞬、山頂方面の展望が開けた。
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パンケヌーシ岳との分岐あたりのコルは晴れているが、その左、山頂方面は雲の中だ。
晴れてくれるといいのだが、天気は下り坂なので、たぶん無理だろう。

ササが終わるとハイマツ帯に入る。
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そして、標高1400mあたりから、登山道が雪道になってきた。
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小屋にいた方々が、アイゼンは必要ない程度と言っていたのは、昨日は暖かかくてシャーベット状態だったからだろう。でも、今日は凍っていて滑る。
私はチェーンアイゼンを、N君は軽アイゼンを装着した。

「誰かが滑って転んだのか、血の痕がありましたよ」
と、さっきの人が言っていた通り、雪の上に血痕があった。
最初は派手に転んだもんだなあ、などと思ったが、その血痕が点々と続いている。
人間がこんなに血をたらしたまま歩くだろうか。
疑問に思いつつ、先を急いだが、帰りにもう1回、注意深く見てみたら、あたりにシカのものらしき足跡がたくさんあった。
おそらくシカが滑って転倒し、尖った木の切り株なんかが刺さってしまったのだろう。
大事ないといいが。

だんだん冬山の様相を呈してくる。
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10:45、パンケヌーシ岳(西峰、1746m)への分岐(1690m)に到着。
ここまで3時間10分かかった。標準タイムは2時間40分なので、やや遅れ気味。
かなり凍った雪道に難儀した。

分岐でN君がこっち(左)でいいのかなあと首をかしげる。
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左は、ハイマツが不規則に生えていて、きちんとした登山道には見えない。
でも、地形図的には間違いないし、踏み跡もしっかりしている。
「大丈夫だと思うよ~」
と答え、そのまま進む。

途中、山頂への稜線が一瞬姿を現したが、ほんとに一瞬だけだった。
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奥に見えるピークは山頂直前のニセピークだが、あの日に、この写真を撮れたのは貴重だ。

ハイマツをまたぎながら、やっとこ出た稜線はやはり背の高いハイマツ。
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これをさらに30分ほど登る。視界はほとんどなく、風が猛烈に強い。

ここが分岐から頂上への中間地点。
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そして、目前に霞むのが頂上。
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11:15登頂。所要3時間40分。
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ここからは日高山脈の峰々が雄大に見えるはずなのだが、全く何も見えない。
しかも、強風がひっきりなしに吹きつけ、数分と留まっていられない。
N君の写真だけ撮ってあげて、早々に退散する。
なんだか悲しい。

お昼は分岐あたりまで下って、風のないところで食べることにして、下り始める。
途中、風が雲を吹き飛ばして、青空が覗くこともあったが、これまた一瞬だった。
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慣れない手袋などはいていたものだから、カメラのフードがゆるんでいるのに気づかず、どっかで落っことしてしまった。
頂上から10分くらい下ったところで気づき、少し戻って探してみたのだが、見つからない。N君と離れてしまい、心配させると悪いので、諦めることにした。

急いで下ると、N君は中間地点の岩場で着替えていた。
彼はどんなに寒くても汗をかくので、下着からすべて替えないといけない。
この寒さで汗が冷えるのは危険なので、仕方ない。
「こんなに寒いんなら、おれは冬山は無理だ」
と、ぼやいていた。
そのくせ、翌週は然別湖に近い白雲山と天望山に行ったらしい。

12時前に分岐に達し、そのすぐ下の登山道で昼食。
私はおにぎりと、昨日の同窓会で配られた引き出物のお菓子。
彼は温かいカップヌードル。うらやましい。
飛行機にはガスカートリッジを乗せてくれないのだ。

12:25出発。すっかり冷えてしまった。
ここからは延々と標高差1000mを下らないといけない。
前半は凍った道で危ないので慎重に。
まずは私が先に歩いた。

しばらくして交代すると、N君のザックにくくりつけていたストックが1本足りない。
彼もどこかで落としてしまったようだ。

しかも、彼も私も下りで2回スリップして尻もち。
N君は雪がなくなっても、滑り止めにアイゼンを付けたまま下ったが、それでも滑ってしまった。

やっと、ササのカットしているところまで下りてきた。
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標高差1000mを1人で下るのはきついが、誰かと一緒だと、こんなに楽なのかと驚いた。
14:15、登山口に到着。6時間40分の山行でした。
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めずらしく自画像。

天候にも恵まれず、落とし物もして、転倒2回という散々な結果。これが1人だったら、がっくりしたろうが、仲間がいると全然違う。不思議なものだ。

芽室の日帰り温泉「鳳乃舞」で汗を流し、道東道を飛ばして千歳へ。
千歳はN君の住まいのある街なので、おいしいラーメン屋に連れてってもらい、みそを食べた。確かにうまかった(写真はありません)。

N君には空港まで送ってもらい、バイバイ。
彼の車がなかったら、東京から来て、芽室岳など登れなかった。感謝、感謝です。

だが、この日、午後9時発のSKY730便は機材遅れのため、30分の遅延。
羽田に着いたのは11時を過ぎており、自宅のある所沢まで帰れなくなってしまった。
仕方なく、独り暮らしを始めたばかりの娘のアパート(明大前)に泊めてもらい、翌朝、所沢に帰って、銀座に出勤するという強行軍。

山は下山しただけでは終わりません。
翌日、出勤するまでが登山です。
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