8月12日朝、ころぼっくるヒュッテを7時40分に出発。
まずは、ヒュッテ周辺を散策。この辺にニッコウキスゲが群生しているはずなのだが、もう花は全くない。つい前の週、上州朝日岳で見かけたばかりだが、きれいさっぱり消えている。とても残念だ。
でも、この丘からは八島湿原が一望のもとに見えた。

ニッコウキスゲの代わりにこんな花が咲いていた。

クサフジのようだ。
このあと、八島湿原まで車で移動。

本格的に歩き始める。
この日のコースタイムを書き留めておく。
八島湿原(8:10)~奥霧小屋(8:45)~男女倉山(9:20)~大笹山(10:00休憩20分)~山彦谷北の耳(10:30)~南の耳(10:45)~車山乗越(11:35)~蝶々深山(12:00休憩20分)~物見岩(12:45)~クヌルプヒュッテ(13:15トイレ5分)~みさやまヒュッテ(13:50休憩10分)~八島湿原(14:40)
八島湿原に来たのは多分、18年ぶりくらいか。
長野勤務時代に数回来ている。風景はほとんど変わりないが、あの時はニッコウキスゲが真っ盛りだった気がする。
でも、ここの花はニッコウキスゲだけではない。
掲げられていた「花ごよみ」でしばし勉強して、さあ出発。

まずは展望。手前に八島ヶ池、正面の山は男女倉山(ゼブラ山、1776m)

すこし視線を右に向けると、湿原の向こうに車山を望める。

遊歩道には、植物の脇に名前のプレートがついているので、ありがたい。

このほか、ヨツバヒヨドリ、ノアザミ、エゾカワラナデシコ、クサフジ、アカバナシモツケ、コオニユリ、タカネダケブキ、ツリガネニンジンなど昨日も見た花々が咲いている。
でも、やはり強く存在を主張しているのはシシウドだ。

これはオミナエシ

ヤナギランも日を浴びて輝いていた。

ノハナショウブは昨夜の雨でくったり。

メタカラコウは元気だった。

木道をゆっくり20分ほど歩くと、鎌ヶ池に至る。

このあたりはハクサンフウロではなく、もう少し赤が濃いアサマフウロの群落が広がる。

三角形をした八島湿原の北の一辺を歩き切ると、奥霧小屋に着く。

今は休業中のようだ。
ここから少し砂利道を歩き、公衆トイレのあるところが、男女倉山への分岐だ。

ちょっとした登り。あまり歩かれていないのか、道に夏草が垂れかかり、昨夜の雨露でズボンの裾が濡れる。
振り返ると、さっきの奥霧小屋や八島湿原が眼下に広がる。

頂上には9:20到着。中高年のご婦人2人がいた。
ここは別名ゼブラ山というようだが、別に斜面がしましまになっているわけではない。
どういう根拠があるのだろう。

ここからは美ヶ原方面や、縄文時代の黒曜石鉱山として知られる星糞峠などが望めた。
こちらは左から北の耳、南の耳、車山方面へと続く稜線。

次はその北の耳に向かう。途中はこんなのどかな風景。

あともう少しで北の耳というところで分岐があり、その先にかわいらしい小屋が見える。

寄り道することにした。
小屋はブランシュたかやまスキー場の山頂休憩所で、営業期間外だが、鍵は開いており、中に入ることはできた。ただ、中はむあっとする暑さ。
自動販売機もあったが、稼働しているかどうかは分からない。
でも、貴重な日陰なので、入口のところに腰掛けて休憩することにした。
ここは大笹山(1807m)というようだ。
今回はうかつにも地図を忘れてしまい、昨日「チャップリン」で入手したハイキングマップしか持っていない。なんとなく概念は頭に入っているが、この山のことは忘れていた。
おやつに持ってきたチョコの袋を開けてみると、1回溶けてまた固まったらしく、大きな塊になっていた。おそらく車の中で溶けてしまったのだろう。
夏に、チョコは考えものだ。
さて、もと来た道を戻る。
左手にはエコーバレースキー場が見える。

霧ヶ峰自体はなだらかな高原だが、その回りはわりと急な傾斜になっており、スキー場が取り囲んでいる。
ギリギリで自然が守られているという印象だ。
山彦谷北の耳(1829m)を10:30に通過。

南の耳はすぐそこに見える。

これは、さっき登った男女倉山。随分下に見える。

こんな草原の波頭程度のピークにいちいち名前がついているので、登った山の数を稼ぎたい私としては、よだれがでるような山行だ。
たいしたきつい登りもなく、今回は8つも稼ぐことができる。ごちそうさまです。
ちなみに、車山で通算400座に達した。
南の耳(1838m)は10:45に通過。

ここからの展望もよい。
昨夜泊まったころぼっくるヒュッテ。

蓼科山にかかっていた雲もやっと切れた。

本当に海のような草原だ。

グライダーも気持ちよさそうに滑空していた。

これから行く蝶々深山(ちょうちょうみやま、1836m)はすぐ西に見えるのに、ものすごく遠回りをしなければならない。
地図上は直線距離600mほどなのに、四角形の三辺をぐるりと歩かねばならず、3km以上になる。
でも、景色がいいので全然気にならない。
リゾート化しているところすら、きれいに見えてしまう。

このあたりを歩いている人は、観光客ではなく本当に山歩きが好きそうな人ばかりなので、こちらも気持ちがいい。


昨日も来た車山乗越を過ぎて、蝶々深山の登りにかかると、一気に人口が増え、こんなほほ笑ましいカップルも。

それにしても、この山は大人気だ。石段を登る人の列。

蝶々深山だけに、チョウチョを撮ることに成功!

このあたりにノアザミの群落が発達しているのは、チョウチョの好物だからだろうか。

途中、ヨツバヒヨドリのお花畑の向こうに、ころぼっくるヒュッテが見えた。
お昼時だけに、テラスはお客さんで満員。
奇跡的に晴れて、「今日はかきいれ時だ」とつぶやいていたが、本当に商売繁盛でいいことだ。

頂上には正午ちょうどに到着。

こちらも飯にしたいところだが、行動食しかない。
ここは、ミニドーナツをつまんで我慢。
そして、標識のある岩に座っている、いい年をしたおやじが去るまで我慢。

緑のじゅうたんに包まれた山だが、頂上は石がごろごろしている。
南の耳(手前)と北の耳

車山

しばし休んで出発。物見岩までは、子供たちのグループと何度もすれ違う。
どこかの子供会の活動だろうか。

夏だ。

ここからの車山が一番のお気に入り。

美ヶ原もよく見えた。

物見岩に「台東区」の旗があったので、どうやら台東区の子たちのようだ。
たくさんのチェックポイントがあり、6年生らしきリーダーがグループをまとめて目的地に向かう。そんな活動を通じて、いろんなことを学ぶのだろう。
ここから奥霧小屋に直接下るルートがあるのだが、近道をすることにする。
一旦、蝶々深山の方に戻り、小さな丘を越えて旧御射山に至るルートだ。
このコースだと八島湿原東岸の砂利道を歩かなくて済むし、クヌルプヒュッテを通るので山小屋コレクションも増える。
途中、端正な姿をのぞかせる蓼科山を確認して、小さな丘を登る。

途中、チェックポイントの通過証が落ちていた。
おっちょこちょいなリーダーもいるらしい。
頂上で、少年たちに指導をしているおじさんに託したら、「ほら、拾ってくれたぞ」と少年に渡していた。本人の手に戻ってよかった。
彼らが出発する前に下り始める。
ここからは八島湿原の眺めがいい。

先に下った少年のグループが樹林帯に入っていく。

あの中に、クヌルプヒュッテがある。
クヌルプとは、調べてみると、ヘッセの小説「クヌルプ」の主人公の名前のことのようだ。読んでいないので、どんな意味をこめてヒュッテに付けたのかは分からないが、「旅」する少年なので、それと関係があるのだろう。
やっと、そのヒュッテに到着。

ここには車が入るようだ。
小さくなってトイレを貸してほしい旨お願いすると、まあ仕方ないかという風情でOKしてくれた。ありがとうございます。
外観はわりと新しく見えるが、中は昔のままのような印象。

中に張ってあった地図には、さっきの小さな丘に「クヌルプの丘」という名称が書いてあり、たぶん人口に膾炙した名前ではないのだろうが、これにより山に昇格。登った山の一つに加わった。標高は1792m。ずるいかな?
すっきりしたところで、すこし車道を歩いて、ヒュッテみさやまへ。
このあたりは平安時代から江戸時代にかけて、諏訪大社下社の御射山祭、すなわち狩りの神事が行われた場所で、旧御射山(もとみさやま)遺跡として長野県の史跡に指定されている。
祭りの際には、全国各地から武将や兵が集まり、この一帯は数千数万の武士で埋まった。
その桟敷の跡が今も階段状の遺構となって残っている。

旧御射山神社もひっそりとたたずんでいる。それでも4本の御柱が威厳をたたえる。

ここには、長野勤務時代に仕事で来たことがある。
あの時はヒュッテみさやまに泊まった。当時は御射山ヒュッテと言った覚えがある。
経営者が変わったのだろうか。

建物自体は当時と変わっていない気がする。
到着した2時頃にはカフェが営業していたので休憩がてら300円の牛乳をいただいた。

さあ、あとは八島湿原の南岸を歩いて駐車場に戻るだけ。
咲き乱れている高山植物をめでながら、ゆっくり木道を歩いていると、中高年の団体さんにどんどん抜かれる。

どんどん先に行っていただき、霧ヶ峰に名残を惜しんだ。
駐車場の横には山小屋を兼ねた売店・食堂があり、やっと昼食。時間はもう3時に近い。
普段はカロリーを気にして食べないカツ丼を注文。ついでにみそおでんと豚汁も。
歩いた後の高カロリー食品はほんと、うまい。
後ろめたさもないし、ハッピーである。
風呂は茅野に下る途中に音無の湯という日帰り温泉を見つけたので、そこに入り、高速に乗ったのは5時くらいか。
小仏トンネルで35㌔の渋滞に遭い、難儀したが、なんとか9時半には帰宅できた。
それにしても霧ヶ峰。晴れてラッキーだった。
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8月11~12日はけがをした直後ということで、ゆるいところを選んだ。
霧ヶ峰彷徨。
ここはなだらかな高原で、急な坂もほとんどなく、ハイキング気分で歩けるところだ。
長野勤務時代に仕事で八島湿原から旧御射山ヒュッテまでは歩いたことがあるが、そのほかは手つかずのままだった。
週間天気予報もまずまずだったので、車山肩にある「ころぼっくるヒュッテ」に予約を入れた。ここは個室のみの営業で3部屋しかない。お盆最初の土曜日ということで当然いっぱいになっていると思ったが、なんと1部屋空いていた。

歴史ある小屋だけに、本当にラッキーだった。
しかし、予報は日を追うごとに悪化、とうとう前日金曜日には土日とも雨になってしまった。う~む、霧ヶ峰だけにガスは覚悟していたが、連日雨となると、かなり気が萎える。
でも、ころぼっくるに泊まるだけでも意味があると思い直し、結局出かけることにした。
1日半あれば、ほぼ1周できるので、土曜日はゆっくり出発。
8時半に所沢の自宅を出発。軽い渋滞にひっかかりながら、中央道を行き、ビーナスラインの車山肩には午後1時前に着いた。

今日は霧ヶ峰の最高峰・車山(1925m)に登るだけ。2時間程度の散策だ。
車山肩の標高は1800mくらいなので、標高差は100mちょっと。
これを随分、大回りして登るので、ほんとうに散歩気分だ
昼過ぎから雨の予報だったが、何とか天気はもっている。
車はヒュッテの駐車場に置かせてもらい、すぐに歩き始めた。
ここは樹林帯がほとんどなく、見渡す限りの草原。

いきなり、高山植物の競演である。
エゾカワラナデシコ

イブキボウフウ

ヤマハハコ

ノアザミ

コオニユリ

ツリガネニンジン

タカネマツムシソウ

シシウド。これはもう、あちこちに繁茂している。大味の高山植物なので、目立つ。

ヤマトラノオ

ヤマホタルブクロ

少し登ると、ビーナスラインの描くカーブが見えてきた。

遠くに、どうもちょっと違和感のある建物が見える。
山小屋ではなく、ふつうの民家でもない。あそこに農家があるとも思えない。
なんだろう、なんだろうと思っていたら、今テレビで放映している「サマーレスキュー」のセットであることが判明した。

ドラマは霧ヶ峰から戻り5回目を見てみたが、確かにこの建物だった。
こんなところでロケをしていたんだ。
道はなだらかで、家族連れや若者もハイキングを楽しんでいる。

ハクサンフウロ

トモエシオガマ。これだけ、きれいに花が並んでいるのはめずらしい。

ウスユキソウ

車山の南の尾根にたどりつくと、北八ヶ岳の峰々が見えた。
先月訪ねた時は完全にガスの中だったのに、こんな天気でも見えるんだ。

(蓼科山と北横岳)
シモツケソウ

ヤナギラン

道は大きく屈曲して、北へと向かう。
眼下に広大な八島湿原が姿を現した。

そして、山頂にある気象レーダーの球も。

ちょうど2時に山頂に到着。

少しガスが流れている。
レーダーは1999年に完成したとのことで、この景観はかなり新しいもののようだ。
山頂には、たくさんの観光客がいた。

それもそのはず。山頂の東側には観光リフトがあって、サンダル履きのまま、5分で山頂に来られるのだから。

山頂からは、北アルプスから南アルプス、富士山などが望めるはずなのだが、霞んでいて遠くの山は見えない。まあ、雨が降っていないだけましだろう。

白樺湖もこんなに霞んでいた。

山頂には車山神社が祀られており、諏訪大社と同じように、4本の御柱で囲まれていた。

参拝して、違う道を下山する。ピストンはなるべく避ける。
この下りだけが、今日歩く道の中で、唯一急なところだ。

道は縦横に張り巡らされているが、貴重な湿原・草原なので登山道以外は立ち入り禁止になっている。

未特定

ヨツバヒヨドリ

未特定

山を下りて、車山乗越まで来ると、やっと車山が山らしく見える。

正面は蝶々深山だが、これは明日登る予定なので、パスして左の木道を行く。
お花畑を通過して

3時半、ヒュッテに戻ってきた。

食事は5時半とのことなので、まだ2時間ある。
しばらく、宿には入らず、ぶらぶらして時間をつぶす。
車山肩にはチャップリンという売店があり、そこでバッチや明日の水を調達。
ソフトクリームをいただいた。

とりたて野菜の屋台では、生トマトを購入。これは夜食にするつもりだ。

ころぼっくるヒュッテの創業者である手塚宗求さんが作詞し、さとう宗幸が作曲した「キスゲに寄す」という曲の歌碑がヒュッテの傍らにあった。

ここはニッコウキスゲの里と言われるくらいの場所なのだが、もう終わってしまったのか、翌日も含めて1株も見ることができなかった。
黄色と言えば、マルバダケブキとメタカラコウばかりだった。
4時をすぎて、いよいよ雨が落ちてきたので、部屋に入る。
ここはテラスが人気で、食事をするお客さんに賑わう。

シャワーを浴びて、のんびりしているうちに夕食の時間。
なんと、ここの夕食は仕出し弁当だった。

割り箸の袋を見ると、下諏訪の仕出し料理店から配達してもらったもののようだ。
ちょっと、がっかり。でも内容は悪くないし、おいしい。

このヒュッテは3部屋しかなく、今は泊まり客よりもむしろ食事のお客さんに力を入れているように見えた。メニューにはボルシチなんかもあったし。
HPには、「できたての温かい料理を出している」と書いてあったが、この日はハイシーズンで忙しすぎたのかしら。
ただ、スタッフの方々はみな、感じのいい人ばかりだった。
食べているうちに、ものすごい豪雨になり、ご主人が「お部屋の窓開いていますか?」と聞いてきた。「すいません、開けたままです」と答えると、飛んで行って閉めてくれた。
でも、かなり風もあって、部屋のカーペットを濡らしてしまったようで、水を吸うためのシーツを敷いておいてくれた。申し訳ありませんでした。
この日のお客さんは、当方のほかは常連だというバイクのグループ7人(おやじ6人+女性)。食事からの流れで、ずいぶん遅くまで歓談していたが、10時頃には静かになった。
こちらは食後、猛烈な睡魔で6時には寝てしまい、彼らが寝静まった10時過ぎに目が覚め、さっきのトマトを食べたが、またすぐ寝てしまった。
明日は小雨なら歩く、雨が強かったらさっさと帰ろうと思っていたのだが、翌朝起きてみると、ガスはかかっているが、なんとその向こうに太陽が見える。
間もなくこのガスも消えるだろうと思っていたら、本当に晴れた。
雨の予報が晴れとは・・・ラッキーというか、来るのを止めないでよかったというか、まったく奇跡的である。
朝食はふつうの民宿と同じようなメニューだったが、別に不満はない。

7:40、元気に歩き出した。
つづく
7月22日早朝、鳥海山の荒神ヶ岳で日の出を待っている。
ゴアだけだと寒いので、体操をして体をあたためる。
だんだん明るくなってくると、雲の上に月山や葉山のほか、朝日連峰や飯豊連峰が並んでいるのが見えてきた。北には岩木山?の頂上がちょこんと顔をのぞかせている。

(中央が月山、その右が朝日連峰)
日はすっきり昇らず、いつのまにか高くなっていた。

結局、日本海に映る影鳥海を見ることはできず、小屋に置いておいたザックを回収して、4:50出発。
朝食は6時になるというので、パスした。
小屋からかなり下り、外輪山の内壁崩落跡をトラバースして徐々に登っていく。
途中、ものすごい急登になり、「あれ、おかしいな」と振り返ったら、道を間違えていた。
間もなく、昨日歩いた行者岳分岐。ここからは千蛇谷の全容をとらえることができる。

外輪山の外側は見事な雲海で、北に向かって滝のように流れていた。

左に月山や鳥海山のたおやかな裾野、右に荒々しい鳥海山頂を眺めながらの稜線歩きである。
行者岳は昨日も来たので、そのまま通過。
次の伏拝岳にも標柱はなく、小さな石の祠があるだけだった。

頂上直下に河原宿へ下りる分岐があり、そこにザックを置いて、文殊岳までピストンする。

(ここが分岐)
登った山を1つ稼ぐためだ。
文殊岳は2005m。伏拝岳より100m以上低い。
間もなく、単独の男性が下から登ってきた。「文殊岳に標柱はあるか?」と聞くと、あるという。

(この人に聞きました)
どこがピークか分からないうちに、下りすぎてしまうのが心配だっただけに安心した。ただ、気持ちよく下っているうちに、八ヶ岳で傷めた右のすねをまた石にぶつけてしまい、激痛。涙目になりながら下った。
文殊岳には5:40に到着。

ここからは昨日歩いてきた道が手にとるように見える。

鍋森も角度を変えてみるとこんな風。

さて、すぐに分岐まで戻る。結構な登りだが、空身なので楽だ。
分岐からの下りは最初、石が浮いていて歩きにくかったが、すぐに石段となった。
眼下におとぎの国の家のような山小屋が見える。
これが実に美しいアクセントになっている。

この山とも丘ともつかない盛り上がりは月山森。月山をよく望めることから付いた名称か。

かなり下ると、大きな雪渓を2回横断する。


傾斜が緩いのでアイゼンを付けなくても、滑るように歩ける。
このあたりはチングルマが盛り。

途中、スキーを担いでいる人とすれ違った。
雪渓を登り詰めて滑るつもりらしい。

だんだん小屋が近づいてきた。

2つ目の雪渓は氷河のように流れているのか、段差があった。

土の上に出て、沢づたいに少し歩くと、

7時ちょうどに河原宿小屋に到着。
上から見ると、お菓子の家のようだったが、目の前で見ると、普通の山小屋。現実に引き戻される。
ここは営業もしていなければ、開放もされていなかった。
大物忌神社の所有のようだが、ここまで手が回らないのかもしれない。
正面が座るのに便利なのだが、直射日光があたり、まだこんな時間なのに暑い。
横の日陰に回って朝食とした。起きてから3時間半もたち、かなり歩いたのでお腹ペコペコ。
メニューはアルファ米とフリーズドライの麻婆茄子。水は目の前の沢で調達。

ついでに顔を洗った。冷たくて気持ちいい。いい場所だ。
この小屋が閉鎖中とはもったいない。
45分ほど休憩して出発。この先は木道が整備されており歩きやすい。

湿原の中を徐々に登っていく。
外輪山の外側は広大なすそ野が続く。

小さな峠が月山森への分岐。月山森は遠目とは違い、黒い岩が露出していて荒々しい。

頂上付近はハイマツが生い茂っている。確かに近くに月山が見える。


なんと笙ヶ岳方面に雲が湧いてきた。

今日は早すぎるぞ。でも、暑いから仕方ないか。
昨日は半袖で歩いたので、腕が真っ黒に焼けてしまった。
今日はあえて長袖にしているので、なおさら暑い。
月山森は1650m。このくらいの標高でも、この山は森林限界で、常に見晴らしがいい。
戻って、もとの道を進む。ここからは急な下り。大きな岩が連なる涸れ沢を、手を付きながらそろそろと下りていく。
正面の千畳ヶ原は、緑のじゅうたんと山襞ごとの雪渓のコントラストが美しい。

この雄大な景色の中を誰も歩いていないのは実にもったいない。
鳥海山はいくつもの登山ルートがあり、どれもかなり歩かれているような印象があるが、千畳ヶ原がその登山ルートからはずれているのが、人の少ない最大の理由だろう。
しかし、ピークハントにこだわらず、ここで遊ぶだけでも十分価値のあるところだ。
道も最も整備されているし、鳥海に来るなら、ここは絶対に歩くべきだ。
岩場を下りきると、あとは木道。


歩きやすい。でも、ちょっと困ったことが。
カメラのバッテリーの目盛りがあと1本になってしまった。もうこの旅も3日目で、昨日は1000枚近く撮ったからなあ。せっかく予備を買ったのだから(7000円!)、それを持ってくればよかった。
せっかくの絶景なのに、撮りたいのに撮るのを躊躇してしまう。気分が落ち着かない。
とにかく、いくつも雪渓と沢を渡っていく。


湿原には池塘があり、お花もきれい。




ここは本当に楽園のようなところだ。
T字分岐に至って登山ルートと合流すると人の姿もちらほら見え始めた。


蛇石流で水を補給。ここを渡ると、いきなり道は急坂になる。鳥海湖への登りだ。

振り返ると、歩いてきた道。

途中、雪渓の直登があり、これは迂回しつつ登った。

鍋森を左に見つつ

9:45、鳥海湖のほとりに到着。


水はあくまでも澄んでいる。湖岸まで下りることもできそうだが、カメラのバッテリーも危ないし、止めておく。
ここで、再び鳥海の山頂が姿を現した。

と思ったら、あっという間に雲の中。

これから登る予定の笙ヶ岳にもガスがかかってきた。

やばい。が、これで自動的に撮る写真も減る。バッテリー切れにならないで済むかも、ラッキー!と妙な気持ちになる。
笙ヶ岳の入口にあたるコルは昨日パスしたところだが、それにしてもものすごいニッコウキスゲの大群落だ。

緑よりも黄色の方が多いくらい。
もう笙ヶ岳はすっかりガスに隠れてしまったが、とりあえずザックをここにデポして空身でピストンする。岩峰、三峰、二峰と三つの小ピークを越えないといけないが、大したアップダウンではない。
10:30出発。1時間くらいで戻れるだろう。
アルファ米のちらし寿司に水を入れておく。お湯なら15分だが、水だと1時間かかる。
時間はかかるが、湯を沸かす手間が惜しい時には、あらかじめ水を入れておくという手があり、ありがたい。
道はずっとニッコウキスゲとチングルマのお花畑。でも、ガスで近くしか見えない。

一瞬、ガスが切れることもあるが、ほんとに一瞬だけ。これは二峰。

途中、10数人の団体とすれ違い、笙ヶ岳山頂では別の団体と一緒になる。

頂上は三角点があるだけだし、団体さんがお昼にするというので、早々に退散。
来た道を戻る。
だんだんガスが薄くなり、ザックのデポ場所まで戻ると、笙ヶ岳まで見通せた。
まったく、タイミングが悪い。でも仕方ないので出発。
昨日歩いた愛宕坂を見やりながら、雪渓を下る。
賽の河原の雪渓からはもうもうと水蒸気が上がっていた。

河原宿には11:35に到着。

ここは外輪山を南に下りたところにある河原宿と同じ地名だ。
こんなに近くに同じ地名があるのは、まぎらわしくなかったのだろうか。
ともかく、腰を下ろして昼食。
しばし休んで出発。ここからは下るのみ。ひたすらササの中を行く。

地図には途中「とよ」というところがあるようだが、現地では特定できない。
池塘のある、ここだろうか。

この道は大物忌神社の旧参道ということだが、祠のような石造物がたくさんあるわけではない。
中間地点の「清水大神」は、由緒ある湧き水なのだろうが、雪解け水の水たまりがある程度。
かつてあった東屋がつぶれていた。たぶん雪のせいだろう。

この先の見晴らし台はガスで何も見えず。この下からようやく樹林帯となる。
傾斜も急になるが道はジグザグになっており、簡易舗装もされているので、あまり苦にならない。
途中、「二の宿」という5合目を通過。

景色も見えないし、休憩施設もないので、黙々と下る。
車の音が聞こえてくると、ガスの晴れ間に大平山荘が見えた。もうすぐだ。

鳥海ブルーラインには12:45に到着。

計画では、大平山荘3:50発のバスで酒田駅に行く予定。それまで、山荘で風呂と食事をすることにしている。
しかし、山荘前のバス停に着いてみると、3:50より前のバスが1時ジャスト。
まさに今来るところだ。
これを見送ると、いくらゆっくり風呂+食事をしても1時間半は時間があまる。
風呂と食事は酒田ですることにして、到着したバスに飛び乗った。
2時すぎ酒田駅に到着。

14:26発の特急いなほがあったが、これは見送る。これに乗ってしまうと、せっかく持ってきた着替えと風呂道具が無駄になる。
観光案内所で聞くと、日帰り入浴施設「スパガーデン」は駅からかなり離れている。タクシー、バスなどの選択肢があったら、ここにも象潟と同じくレンタサイクルがあるというので、それを借りることにした。無料だ。
次のいなほ(15:52発)までに戻ることにして、風呂に出かける。
自転車で中心街を10分ほど走ったが、ほとんど記憶にない。山形勤務時代に何度か来ているのだが。
スパガーデンで食事もしようと思っていたのに、昼時が過ぎており休憩中。
またしてもお腹ペコペコになって酒田駅に戻り、構内のお土産物屋で、だだちゃ豆のおこわ弁当とただちゃ豆のかまぼこ、イカツクネを買い、休憩スペースでいただいた。
かまぼこは切って出してくれた。
猛烈にお腹が空いていたので、むさぼるように食べたが、全然足りなかった。
日本海側を走るいなほは車窓風景を見るのが楽しみだったが、眠くて眠くて、ついうとうとしてしまい、断片的にしか見られなかった。
眠いのを必死で我慢していたら、すこし具合が悪くなった。
新潟で乗り換えた新幹線は始発なので自由席も空いていたが、1階席だったので全然景色が見えず、仕方ないので、youtubeで聖子ちゃんのメドレーを聴いていた。
が、湯沢の手前から爆睡。夜9時に帰宅しました。
鳥海山はすばらしい!
まだ、鳥海山の報告の途中ですが、一応近況を。
8月は4~5日に清水峠・朝日岳を歩いてきた後、
11~12日はコロボックルヒュッテに泊まって、霧ヶ峰を彷徨してきました。
11日夜は大雨になりましたが、翌朝は奇跡的に晴れて、すばらしいハイキングになりました。
で18~19日は鳳凰三山。18日は雷雨に見舞われましたが、19日は晴れ上がり、白峰三山、仙丈、八ヶ岳、甲斐駒、富士山と、すばらしい眺望の中、稜線歩きを楽しみました。
わずか2時間ですべて雲の中に隠れてしまいましたが、満足です。
来週は晴れたら、妙高・火打に行ってくる予定です。
早く右手小指の副え木がとれないと不便でしょうがない。
手が洗えないので、汚いです。
7月21日昼。鳥海山頂(2236m)
山頂はこれまでの女性的な表情とは一辺し、ダイナミックなロックガーデンである。

粘りのある溶岩がめりめり出てきて固まったのだろう。
噴火から約200年。地球時間で考えれば、出来たてほやほやの山なのだ。
そこに現代人たちはメッセージや痕跡を残そうとする。


ノミやペンキをわざわざ持ってくるのだから、ご苦労なことだ。
名前を刻印するのは70年代の人が多い印象。
本来すべきことではないのかもしれないが、偉大な自然の前に極めて矮小な行為にしか見えず、それほど気にならない。
こんな岩場にも、けなげにエゾノツガザクラが咲いていた。

それより眺望だ。北側はわき上がる雲のため、あまり展望がきかないが、東側は外輪山の稜線の向こう、雲海の上にいくつかのピークが見える。
きちんとは特定できない。
頂上をしっかり収めるために、別の岩峰に登った。
これは、そこから見た頂上。

見るべきはやはり、外輪山の断崖であろう。

これは外輪山では最も高い、七高山(しちこうさん、2229m※現地の標柱では2230m)。山頂と7mしか違わない。
もし新山の活動がもう少し弱かったら、こちらが鳥海山の最高地点になっていたかもしれない。
やはり、頂上は中央火口丘じゃないと格好がつかない。
外輪山は新山を東から南に取り巻いている。
七高山から行者岳(2159m)、伏拝岳、文殊岳(2005m)と信仰に深く関わる名称になっている。
このまま下ってしまうのでは時間が余りすぎる。
明日の時間短縮のためにも、少し外輪山を歩いておくことにした。
一旦下る。

少し地味めな山ガールとすれ違う。

下り始めると、大きな雪渓が現れた。

道は雪渓をトラバースしているようだが、靴の底をスキー代わりにして、気持ちよく滑って下っていく。傾斜はそこそこあるが、転んで滑落しても、けがをする恐れのない雪渓だ。
雪渓の下端には水たまりがあったが、ちょっと飲むには勇気のいる色合い。

ここからは外輪山の内壁を登る。団体さんがゆっくり登っているので、それを脇道から抜いていく。

振り返ると、さっき下った雪渓が見える。同じように滑って下っている人がいる。

登るにつれ、山小屋が姿を現した。

尾根に出ると、初めて、鳥海山の東山麓が望める。

はるか向こうに見るのは栗駒山だろうか。
北東の方には、岩手山らしきピークもかすかに見えた。
このあたりは、ほぼ平らな稜線。

岩の質が新山とは違う。あちらは黒一色だが、こちらは赤い。

こちらには、岩にへばりつく高山植物がいくつか見られた。






外輪山から見ると、新山の全貌がよく分かる。

七高山には午後1時20分着。
ここにも団体さんがいて、ラーメン屋さんを開いていた。
楽しく過ごすのはいいが、標柱の前に陣取って、スイカを食べるのは止めてほしい。
どうして、ここはみんなが写真を撮るところだというのが分からないのだろう。

仕方ないので時間を稼ぐために、とりあえず通過。もう一つ先の小ピークまで足を延ばす。
振り返ると、七高山が断崖絶壁の上にあることがよく分かる。

信仰にかかわる石碑がいくつか横たわっていた。

これは北斜面。雲は左に延びており、日本海が運んできたものであることがよく分かる。

やっとスイカ隊が退去し、標柱の写真を撮ることができる。

どこからか声明(しょうみょう)のような声が聞こえてくる。山小屋のある神社でお勤め(祝詞奏上?)をしているのだろう。
それにしても大きな声。大勢の声に聞こえる。
神職の方以外に、小屋のバイトの人とかも参加しているのだろうか。
声はしばらく続いた。鳥海山は実際、今も信仰の山なのである。
引き返して行者岳に向かう。

左手の東山麓に唐獅子平避難小屋が見える。

だんだん、山頂の南に回り込んでくると、新山の景色も変わってくる。

こちらは多分、滝ノ小屋。

行者岳へはだいぶ下る。御室小屋からまっすぐ来る道が右から合流したところで登りに転じ、すぐ行者岳。

その分岐に標柱があるが、本当のピークには何もなく、どこがそうなのか結局分からなかった。三角点もないし、このあたり、ってことでいいのかもしれない。
とにかく行者岳から先は明日歩くので、ここで小屋に戻る。
ショートカットする道で行けば10分くらいで行けるのだが、その道は明日通るので来た道を引き返すことにした。
新山と外輪山を一緒に見るとこうなる。

あちらは明日歩く外輪山。

千蛇谷には相変わらずガスが渦巻いているが、小屋には達していない。
これが晴天時のならいなのだろう。

七高山の手前の分岐から、さっきと同じ急坂を下る。
下り切ったところにある、水たまりで顔を洗う。
少し進むと、「水場→」の表示があるので行ってみたら、雪渓の先端から雪解け水がちょろちょろと出てくる程度。
ただ、腰に付けていたホルダーの中のペットボトルの水もとっくになくなっていたので、飲んだ。
腹ばいになって、大地にキスをするようにして。
思い切り吸い込んだら、砂まで入ってきて、むせた。でも冷たくておいしかった。
小屋に戻ってきたのは14:25。

受付は1時から始まっていたので、私はもう後の方だった。本日の宿泊は130人ということで、スペースは幅60㎝。
しかも、2階に行くハシゴの奥なので、足を伸ばせない。
ただ、右隣とはクロス状になった木の仕切りがあったので、少しだけましだった。
とりあえず場所だけ確認し、お支払いをして、今度は荒神ヶ岳に向かう。もちろん、また空身。
荒神ヶ岳は新山の南西にあるちょっとした丘で、小屋よりも少し高い。

きちんとした道はなく、新山の岩場をトラバースして行く。

今日は誰もここには来ない。
10分もかからず到着。なんとここには「忍耐」と彫り込んだ板石が立っていた。
現代人の仕業である。

南には千蛇谷。だいぶガスも消えてきた。

西斜面はまだしっかり雲がからんでいる。

時間がたっぷりあるので、こちらから岩登りを楽しもうかとも思ったが、万が一転落しても誰も同情してくれないと思い、止めた。
再び小屋に戻ったのは午後3時20分。なんとか食事の5時半まで時間をつぶさなければいけない。すでに寝ている人も何人もいたが、まだ眠くないし、疲れてもいない。
寝てしまったら、ただでさえ眠れない夜がつらくなる。
とりあえず、缶コーラ(500円)を買い、神社前の石段に腰掛けて日記を付ける。

それでもまだ1時間半ある。部屋で体を拭いたり、そのへんをぶらついたりしているうちに、西の視界を遮っていたガスが晴れてきた。
鳥海湖が見えて、びっくり。

日本海も見通せ、飛島も確認できた。

みなも穏やかな夕暮れを楽しんでいる。

そして、ようやく5時半。めしだ!

御飯とみそ汁、サバのみそ煮に、漬けものの類い。おかわりもなく全然足りない。
狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めの状態で、あっという間に平らげた。
お茶は帰りに紙コップに1杯のみ。
食事の容器はポリ容器で使い捨て。洗う水がないということなのだろう。
食後は日本海に沈む夕日を見に、再び山頂に登る。
今回は誰もいない。
山頂にはさっきの木の札とかが乱雑に置いてあったので、少し整理した。
こんな感じになった。

この時間にまだ外輪山を歩いている人もいる。

頂上は少し東に寄っているので、海がよく見える西の方に移動し、斜めになった平らな岩にあおむけになって日没を待った。

ただ、空と海の境目がよく分からない。
かなり時間がかかりそうだ。
これは外輪山の断崖に映った影鳥海。

完全にガスが消えた。やはり昨日と同じだ。

時間がたつにつれ、海がオレンジ色に染まってくる。

でも、じれてきて下山を始めてしまった。途中で日没ということになるだろう。

みなさんも小屋前で夕日を眺めている。

外輪山の断崖もオレンジ色に染まった。
そして、いよいよ日没。

ちゃんと海に沈んだのかは分からないが、きちんとした形だった。
小屋に戻ると7時半だった。まだ消灯前だが、もう電気も消えていて、おしゃべりする人もない。こちらもシュラフに入った。
すぐに眠れないのは分かっているので、ただ、ぼーっとしている。
いつの間にか寝ていたんだなと気づいたのは、右隣に寝ているわりときれいなお姉さんが、猛烈ないびきをかき始めて、意識が戻ったからだ。
このとき、何人かが目を覚まし、寝返りを打ったのが闇の中でも分かった。
時計を見たら10:22。この後はずっとこのイビキに悩まされる。
足も伸ばせず、切れ切れの眠りだったが、1日動けるだけの睡眠はとれた。
翌朝は3:30に目が覚めたでの、もう起きてしまうことにする。
トイレに出たら、星が輝いている。あの明るいのはたぶん金星。

小屋であすは曇ると言っていた人がいたがガセだった。
とにかく、今日は日本海に映る影鳥海を見なくてはいけない。
荷物をまとめ、ヘッドライトをつけて、昨日行った荒神ヶ岳に行き、日の出を待つことにした。
つづく
7月21日(土)、快晴。すばらしい天気だ。
象潟駅前を出る鉾立(登山口)行きのバスは6:10。
6時に旅館を出て、徒歩1分。バス停にはすでに2~3人の登山客が座って待っている。
私はザックを隣に置き、バスが来るまでの間、駅前の雰囲気を撮影して、わずかな時間をつぶした。
象潟合同タクシーが運行しているマイクロバスは7人の乗客を乗せて、定刻の6:10に発車。市街地を抜けて、鳥海ブルーラインへ登っていく。
この道は、山形勤務時代の夏休みだから、もう26年前のことになるが、マイカーで通ったことがある。
要所に標識がある。1合目(一ノ坂・190m)、2合目(一の清水・410m)、3合目(霊峰入口・6?0m)、4合目(下鉾立・893m)。
登るに従い、下界が開け、象潟の九十九島や日本海が一望できる。
5合目の鉾立(1160m)には6時50分前に到着。

ここからの眺めも十分にすばらしい。これは九十九島。

これから目指す頂上はあれだ。

駐車場はもう満杯。大勢の登山者が山に入っているだろうことが想像される。
やはり百名山は東京からの距離など関係ない。

準備体操をして7時ジャストに出発。
コースタイムは以下の通り。
21日:象潟駅=鉾立(7:00)~展望台(7:15朝食15分)~賽の河原(8:35)~御浜小屋(9:25休憩20分)~七五三掛(10:45)~御室小屋(12:00昼食45分)~頂上(12:55休憩5分)~七高山(13:20)~行者岳(13:55)~御室小屋(14:25)
22日:小屋(4:50)~行者岳(5:05)~文殊岳(5:40)~河原宿小屋(7:00朝食45分)~月山森(8:15)~T字分岐(9:05)~吹浦分岐(10:05休憩25分)~笙ヶ岳(10:55)~河原宿(11:35昼食15分)~大平登山口(12:45)~大平山荘(13:00)=酒田駅
登山道はしばらくコンクリートで固められた階段。整備されずぎだが、これだけの人が登ることを考えると、防衛策としてはやむを得まい。
登り始めるとすぐ、東雲荘という山小屋がある。

TDKの創業者・斎藤憲三氏(地元出身)が登山を通して従業員の健康増進を図るため設置したものだそうだ。一般にも公開しているという。
屋内は見ていないが、石造りのなかなかしゃれた小屋である。
それにしても、海を眺めながらの登山というのは、不思議かつ気持ちがいい。
あれは庄内浜の海岸線だ。

登山口から15分ほどで、深い奈曽谷の向こうに山頂を望む鉾立展望台に出る。

神奈川から出張のついでに来たという青年は「まきちゃん、行こう。14回目の鳥海山!」と元気よく歩いていった。
ちょうとベンチとテーブルがあったので、ここで朝食とする。

昨日買っておいたおにぎり3つのうち2つを食べた。
7:30に出発。舗装道路はすぐ先の白糸の滝展望台で終了。少しの間、木道があって、あとはしばらく整備された石畳の道。

なだらかな坂を直線上に登っていく。このルートはずっと樹林帯がなく見晴らしがいい。

道の左側は断崖のようだが、ササのためよく見えない。
日差しが強く、日傘を差して登る上品なご婦人の姿もあった。

地図上にある1341mの小ピークは、あの岩峰だなと見当がついたが、「尾根渡り」という場所は特定できないまま通過してしまった。
それにしても、空はひたすら青い。

7:53、秋田・山形県境を通過。

両県にまたがる山だという認識だったが、実は鳥海山の主要部はすべて山形県内にあったのだ。
見え隠れする山頂を目指し、ひたすらササの道を歩く。

8:20、最初の雪渓に到着。山ガール3人組みがはしゃいでいたので、写真を撮ってあげる。「ここの水は飲めるのかなあ」とつぶやいていたので、地図に「水場」と書いてあるし、飲めると思いますよ、と教えてあげた。

私はまだ水はたっぷりあるので、ここでは補給せず。
驚いたのは、このあたりニッコウキスゲの群落が見上げる位置にあること。
まるで空に咲いているようだ。

まもなく賽の河原。

岩がごつごつ露出しているところに、チングルマがところどころに咲いている。中には、おがってしまい、綿毛になってしまったものも。

この先は、山頂への直行ルートを離れ、ちょっぴり雪渓歩きを楽しむ。傾斜も緩いし、そのままで歩けそうだが、せっかく持ってきたので、4枚歯のミニアイゼンを装着。

数百㍍で雪渓をはずれ、マイナーコースの愛宕坂を登る。

まっすぐ行けば、ニッコウキスゲが咲き乱れる笙ヶ岳への分岐に出るのだが、あちらは明日歩くので、今日は我慢。

雪渓歩きを楽しむカップルたちを見送る。
雪渓の向こうは海。なんというすてきな景色だろう。
愛宕坂を登っていると、なんと雲海の上に月山が見えてきた。

アスピーテの優美な稜線がグッとくる。
その右手にはニッコウキスゲの楽園で遊ぶ登山者の姿が。

その向こうは、右から三峰、二峰、笙ヶ岳。

目を足許に転ずれば、可憐な高山植物が妍を競う。
ヨツバシオガマ

ミヤマキンバイ

ウサギギク

ハクサンフウロ

チョウカイアザミ

チングルマの綿毛

クルマユリ

ハクサンシャクナゲ

そうこうしているうちに、鳥海湖を望む鳥ノ海御浜神社に到着(9:25)
ここには山小屋も営業している。


このあたりも、見事なニッコウキスゲの群落だ。

まん丸の鳥海湖を見下ろしながら、残りのおにぎりをほお張る。

絵はがきのような、出来過ぎの眺望に、しばしうっとり。
これは頂上方面。

こちらは外輪山。

しかし、のんびりしている間に、どんどんガスが北斜面に湧いてきて、山頂を覆い隠してしまった。

まあ、昨日も下界から眺めてそうだったが、このままガスに包まれてしまっても、夕方には晴れるだろうと予測し、気持ちを鎮めた。
こちらは鍋を逆さにしたような形の鍋森(1652m)。

ここへの登山道はないので、眺めるだけだ。
さて、あまりガスが濃くならないうちに、9:45出発。
正面の山頂は雲の中に隠れたり、出てきたり。
ニッコウキスゲのお花畑の中、右手に鳥海湖を見下ろしながら進む。


振り返ると、御浜小屋

そして、笙ヶ岳(後列左端)への稜線

20分ほどで扇子森(1759m)に到着。このあたり、「森」という表現でピークを示すところが多い。さっきの鍋森に加え、月山森というのもある。
扇子森は台地状の頂上で、標識はなかった。
斜面にはここもニッコウキスゲの大群落。

始めて、南斜面にある千畳ヶ原が一望できた。明日はあそこを歩く。

下りは石畳の整備された道。ここは八丁坂というようだ。

下りきった鞍部は御田ヶ原分岐。10:20に通過。
振り返ると、笙ヶ岳への稜線と雪渓が美しい。

今までより、少しきつめの坂を登り、10:45に外輪山ルートと千蛇谷ルートの分岐にあたる七五三掛に到着。

ここは北からのガスの境目。ガスは谷にたまり、外輪山の南側には流れ出さない。
かつては、ここからすぐ道は二つに分かれていたようだが、谷への道は崩落のため、一旦尾根道を100mほど登ってから、一気に下る。
いきなりガスの中だ。

千蛇谷に下りると、一応見通しはきいた。
カール状の細長い谷だ。


谷を雪渓が埋めており、ここを詰めて行ってもいいが、一応横断して、土の上を歩くのが登山道。雪渓は落石は多い。

道は徐々に急になり、谷を詰めるあたりはそれなりの傾斜となる。

休んでいる人もちらほらいるが、こちらはむしろ調子が出てきて、サクサク登る。
とは言いつつ、何度も振り返って写真を撮ったが。
緑のじゅうたんの中に黒い岩が点在している、おもしろい景観だ。

見上げると、真新しい溶岩の塊である山頂方面が見える。

鳥海山の山頂・新山は1801年の噴火でできたものだ。岩だけでできており、何だかなまなましい。
12:00ちょうどに、御室小屋のある大物忌神社前に到着。
小屋を訪ねると、受付は1時からだと言うので、まずは昼食にする。
千蛇谷と外輪山が見える場所に、簡易イスを立て、「岳食カレーうどん」とチーかま。

噴火当時の火山弾だろうか、谷に無数に突き刺さっている。

ちょうどお昼時ということもあり、100~200人ほどの登山客が休んでいた。頂上はスペースがほとんどないので、ここが休憩場所なのだ。
ここの小屋は下の御浜小屋もそうだが、大物忌神社が経営している。

風が強いのだろう、建物はすべて石垣で囲われている。

売店ではバッジのほか、生ビールが1000円で売っていたが、私は基本的に行動中は飲まない。高いし。
とりあえず、ザックを置いて、12:45に出発。溶岩の岩場を○印や矢印に従って登っていく。

八ヶ岳の編笠山よりは難度が高いが、北八ツの三ツ岳に比べれば、全然楽。
3点支持が必要なところはほとんどない。
途中、巨大な溶岩の間を下っていく場所があり、これには「お~っ」と声が出た。

おそるおそる下っている人を尻目に、別ルートで登っていく。
頂上付近は、岩峰が十数本も林立する岩場で、そのうちの一つが頂上だ。

頂上には10分ほどで到着。みなが代わる代わる、木のプレートを胸に記念撮影をしていた。

私はここまでの行程が十分感激の連続だったので、とくに登頂して特別な感慨はなかった。
とにかく、人が入れ代わり立ち代わりで落ち着かないので、日没時にもう一度来ることにしよう。
つづく
7月20~22日は出張に引っかけて、鳥海山に登ってきた。
出張先は、①未乗車区間の鉄道を利用できる②近くに登り甲斐のある山がある、という条件で探し出した。山形県最上町。鳥海山へはちょっと距離があるが、翌日登るのだから問題ない。この日は天気に恵まれ、最高の山行となった。
まずは乗り鉄。
20日、東京を7:16発のはやて101号で出発。9:14古川着。
ここで未乗車区間の陸羽東線に乗り換える。
陸羽東線の起点は東北本線の小牛田(こごた)で、小牛田~古川間を残してしまうことになるが、これはやむを得ない。
9:20発の普通新庄行きに乗り込む。
この路線は「奥の細道ゆけむりライン」の愛称があり、列車の正面には紅葉と青葉をあしらった「奥の細道」のロゴがラッピングしてある。
列車は2両編成のキハ111。白い車体に緑の縁取りと赤いラインが印象的だ。
しばらくは古川の住宅街を縫い、次の塚目(つかのめ)を過ぎると田園地帯となる。
わが国有数の米どころだけあって、一面の美田だ。
車内はボックス席とロングシートを組み合わせたセミクロスシート。もう通学時間も過ぎて、高校生は誰もいないのに、かなり混んでいる。
が、塚目、西古川と駅に停まるごとに、どんどん下りていく。
おかげですぐにボックス席に移ることができた。
空には、厚い雲がたちこめている。
5つ目の岩出山は結構大きな町だ。旧駅舎が鉄道資料館になっているのが車窓から見えた。
次の有備館は、仙台藩の学問所「有備館」が目の前にある駅。
この有備館は東日本大震災で倒壊してしまい、現在、解体工事中だ。
平野はどんどん狭くなり、川渡(かわたび)温泉あたりから、もう山あいの風景になる。
鳴子温泉郷をすこし過ぎたあたりが、車窓から温泉街を一望できるポイント。
列車は急勾配を、うなりを上げながら登ってゆく。
鳴子峡に差し掛かると、トンネルと鉄橋の連続。紅葉のシーズンは絶好の撮影ポイントになる場所だ。
山形県に入る手前にある中山平温泉駅にはSLが展示されていた。
ここで宿泊客か4人が下り、車内はガラガラ。
10:19、1時間ほどで堺田に到着。下車したのは私ひとり。


駅舎はホームの待合室と兼用。

ここはその名が示す通り、宮城と山形の県境に位置し、太平洋と日本海の分水嶺をなしている。

ふつう、高山の稜線や頂上が分水嶺であることが多いが、こんな人里にあるのはめずらしい。
しかも、ここは駅の真ん前で、水が左右に分かれて流れていくのを見ることができる興味深い場所だ。

ここから太平洋側の北上川河口(石巻)まで116km、日本海側の最上川河口(酒田市)までは103kmである。
歩いて国道沿いにある旧有路家、通称「封人の家」に向かう。10分とかからない。
途中ハスの花が咲いていた。

封人の家は松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の途中、梅雨に降り込められて2泊した関守の家。

「蚤虱馬の尿(ばり)する枕もと」の句を詠んだ家だ。
一見、「ずいぶんな田舎に来たものだ」というマイナス感情の句に見えるが、さにあらず。
ひとつ屋根の下に馬と一緒に暮らすこの地の人々の心優しさをユーモアたっぷりに詠んだのだ。
山形勤務時代にここには数回来たことがあり、懐かしい。もう28年ぶりくらいになるだろうか。当時と全く変わっていない(重要文化財なのだから当然だけど)。
すこし寒いくらいだったので、いろりの火がありがたかった。

しばらく管理人さんと雑談をして、お昼を食べに出る。
最初はネットで調べた、歩いて15分のところにある蕎麦屋に行くつもりだったが、管理人さんが向かいに美味しい店があるというので、お言葉に従った。
「封人の茶屋 時空」である。

ここは農家が経営している週3回だけ開けるお店で、自家栽培のそば粉を手打ちで出している。やはり自前で養殖している岩魚の唐揚げもあるというので、そのセットを注文。山菜の天ぷらも付いて1000円だ。

そばはとびきりうまいというわけではないが、十分おいしい。
それより、岩魚。唐揚げの味付けも絶妙なのか、これが絶品。単品でもう1尾追加してしまったほどだ。ごちそうさまでした。
堺田13:15発の普通新庄行きに乗る。
赤倉温泉、立小路、最上と過ぎ、次の大堀で小学生が10人ほど乗ってきたが、その次の鵜杉でみな下りてしまった。
瀬見温泉、東長沢あたりで晴れてきた。
この最上盆地の車窓風景もなかなか見応えがあった。
南新庄の手前で奥羽本線と合流するが、南新庄駅は陸羽西線のみの駅だ。
14:14新庄着。新庄にはミニ新幹線(山形新幹線)が乗り入れている。
次の酒田行きは同じ列車だ。だったら、なぜ最初から酒田行きにしないのか、ちょっと不思議。
待ち合わせ時間が20分以上あるので、少し構内を探検。
新幹線と在来線が同じ線路を走るミニ新幹線ならではの、在来線と新幹線が並んでいるというめずらしい光景を見ることができた。

14:37新庄発。ここから陸羽西線。「奥の細道最上川ライン」の愛称がある。
この路線、山形勤務時代に鶴岡に出張する時、乗ったはずなのだが、確たる記憶がない。
ということで未乗車区間に分類してあった。今日乗れば、やっと正式に乗車区間に格上げできる。
走り始めて気づいたのだが、新庄からも鳥海山が大きく見えたのには、びっくり。

最上峡が見たくて、右側の席に陣取ったのだが、肝心の最上川は防風林やトンネルのため、あまりよく見えない。白糸の滝も一瞬で通り過ぎてしまった。
清川でいきなり平地が開ける。庄内平野だ。
南野からはずっと鳥海山を眺めていた。平地からせり上がる優美な山体に雪渓の白い筋が幾本も入っている。ほれぼれする。

頂上付近の雲は、明日は切れてくれるだろうか。
陸羽東線は余目(あまるめ)まで。ここからは羽越本線に入って酒田に向かう。
15:37酒田着。

さっきは長袖に着替えるほど寒かったのに、ここは暑い。車内で肌着になって、半袖にまた着替えてしまった。
今夜の宿泊地、象潟までは普通秋田行き(2両編成、クハ700)に乗り換える。
次に乗るのは電車だ。
残念ながらロングシート。西日が当たって暑いが、海を見るため西側の席を選ぶ。

しばらくは真正面に鳥海山を見て走る。さぞかし、運転士さんは気持ちのいいことだろう。
(磐越西線では磐梯山、小海線では浅間山をそれぞれ真正面に見て走る区間があった)
庄内も米どころ。見渡す限りの水田だ。
南鳥海駅の手前でゆるく左にカーブし、鳥海山はようやく車窓に現れる。
依然として頂上に雲があるが、遊佐あたりまで来ると、やけに大きい。
吹浦からやっと待望の日本海が左手の車窓に広がる。
穏やかで実に青い。

かなたに平坦な飛島(とびしま)が浮かんでいた。
16:14象潟着。ここも2度目の訪問。30年ぶりくらいになる。

象潟に来たら、蚶満寺(かんまんじ)に行かなくてはならない。しかし、歩くには少々距離がある。
観光案内所に聞いたら、レンタサイクルがあるという。
貸し出し時間は5時までだが、それを過ぎても鍵を駅員に返却してくれればいいという。
それはありがたい。
まず駅前の山形屋旅館に荷物だけ預け、軽快に寺まで出かけた。
象潟も芭蕉ゆかりの土地だ。
ここで詠んだのは「象潟や雨に西施がねぶの花」。解説は省略する。
このあたり、芭蕉が訪れた頃は九十九島と呼ばれる多くの島々が浮かぶ潟だった。松島とも並び称される景勝の地だったが、1804年の大地震で土地が隆起し、一夜のうちに陸地になってしまった。
現在、海は田んぼになり、島々は古墳群のように点在している。

その一つに登ると、鳥海山が頂を見せてくれた。

山に登る前日に、その姿をあちこちから眺めるというのは、相撲の仕切りのようなもので、だんだん気力が充実してくる。

随分、日も傾いてきて、田んぼに島の影が映る。
子供たちも野外学習から帰るところだ。

寺に戻る。拝観料は300円。5時を過ぎて、もう受付は閉まっていたが、掃除をしていた方がチケットを切ってくれた。

境内には当時の歴史を語るさまざまな痕跡がある。
これは芭蕉句碑。

宝暦年間に芭蕉の70回忌を記念して建立されたものだ。
おもしろいのが「木登り地蔵」

これがお地蔵様にそっくりだからということだろう。

鳥海山からすっかり雲がなくなった。

明日に期待して宿に戻る。

ここは女将さんが旅館を、ご主人が床屋を同じ建物の中でやっている珍しいところだ。
食事はこんな感じ。

生ガキともずく、つぶ貝が売りのようだ。
いずれもうまかった。とくに、もずくのしゃぶしゃぶが美味だった。
東北の夜は涼しく、冷房いらず。すこしだけ窓を開けておくだけで熟睡できた。
さて、あすはいよいよ鳥海山に足を踏み入れる。
8月5日午前8:20、笠ヶ岳山頂(1852m)
山頂は晴れているが、まわりはみなはっきりしないガスに包まれている。
この調子で進んだら、11時には下山できてしまう。それももったいない。
しばらく、ここに腰を落ち着けてガスが晴れるのを待つことにする。
せめて、朝日岳が見えるようになるまで。
これは大烏帽子(中央)と小烏帽子(右)

これから向かう白毛門(しらがもん)もガスの中だ。

それにしても、笠ヶ岳山頂はトンボが乱舞している。
秋近しという風情もあるが、写真を撮るには、どうも邪魔だ。

メモを取ったり、メールを打ったりしながら、時間をつぶしていると、次々に土合橋方面からの方々が登ってくる。
最初の男性2人組みはトレランの方。1日で馬蹄形縦走をするつもりという。
水場のことを聞かれたので、稜線にはなく、清水峠から旧道を10分ほど下ったところにあることを教えてあげた。
その説明をする頃にはちょうど清水峠付近が望めるようになった。

彼らはリンゴをかじってから走り去っていった。
そうこうしているうちに、谷川岳、白毛門が順々に見えてきた。

これは白毛門
七ツ小屋山

そして待つこと1時間やっと朝日岳が顔を出した。

何人か頂上にいるようだ。
これに満足して出発。食事もとらずに同じところに1時間もいたのは初めてだ。
私も大人になったものだ。
ここから先はほとんど下るばかり。
最初は急なので、さっきのこともあるから慎重に慎重に下る。
何度も笠と烏帽子を振り返る。これは烏帽子。

そして笠ヶ岳


一つ小さなピークを越えて、だらだら登ったところが白毛門(1720m)。妙な名前だ。
山の名前に「門」とは。
頂上には沢を登ってきた方々が3組いた。
この道はヘルメットをかぶった沢登りの人が多く、ちょっぴり気後れする。

そのうちの1人に聞いてみると、4時間かけて白毛門沢を遡ったという。
あとで分かったことだが、このルートは見るからに最後は岩場続きだ。
でも、ザイルなし単独で登れると話していた。ちょっと興味がわいた。
ここは谷川岳が正面に見える。左からマチガ沢、一ノ倉沢、芝倉沢と、それぞれの雪渓をはっきりと確認できる。これは最も大きな雪渓が残る一ノ倉沢。

土合駅やロープウエーも見えた。
南に上州の山々が累々と連なっているが、同定はむずかしい。
武尊山らしき山は雲の中。あれは尾瀬の至仏山だろうか。
とにかく岩場に腰掛けて、ここでもゆっくり休憩。
ポットのお湯でフリーズドライのにゅーめんを戻して食べる。
30分弱休んで出発。
次の目標は松ノ木沢ノ頭(1484m)。笠ヶ岳の尾根のちょっとしたこぶだ。
あれである。

まずは岩場の急な下り。クサリ場もある。

すぐに左手に、灯台のような岩が二つ見えてくる。
ジジ岩とババ岩だ。左の大きい方がババである。

並ぶとこうなる。

途中、右後方に武能岳が完全に姿を現した。

11:10松ノ木沢ノ頭に到着。奥の山は白毛門。

ここで早めの昼食にした。日を遮るものはなく、とにかく暑い。が、仕方ない。
またポットのお湯でフリーズドライ。カレーだ。

ここからの展望はなかなかいい。
武尊山の稜線が見えてきた。

これは谷川岳。相変わらず、稜線は雲の中だが、山体はよく分かる。

汽笛が聞こえたと思ったら、貨物列車が土合駅を通過して行った。

食事中に、高齢の団体さんが到着。騒がしくなってきたので動くことにする。
ここから標高差750mのダウンヒル。考えるだに、きつい。
しかも、この先は樹林帯で眺望はほとんど望めない。
ここは登りもきついだろうが、下りも大変だ。
途中、倒木の枝に「ガンバレ」とペンキで書かれていた。
これは下る人に向けたものだ。

おっと、これは大○の跡だろうか。きれいに隠してある。
大きな木の室で、用を足すにはもってこいの場所であることは間違いない。

ハイドレーションの水が底をついた。残る水分はポットにある100cc程度の熱湯とロイヤルゼリーだけ。熱湯は空になったペットボトルに移して冷ますことにする。
これらを少しずつ体に補給しながら、何度も立ち休みを繰り返し下る。

樹林帯なので、日陰なのだが、やはり暑い。この日下界は35℃に達していた。
ここも30℃前後まで上がっていただろう。
東の山からはもくもくと入道雲が湧いていた。

その一方、とうとう谷川岳から雲が消えた。

これで、「見るべきものは見つ」という気分になった。
下るにつれ、東の谷に滝が見えてきた。音も聞こえてくる。
白毛門沢にかかる大滝と、東黒沢にかかるハナゲノ滝(写真)。

ヘロヘロになりながら下っていると、朝日岳で会ったお兄さんが、座り込んで休んでいた。気持ちはよく分かる。彼はテントまで担いでいるのだ。
我慢すること1時間半。やっと下界にたどりついた。

そこには東黒沢が流れている。当然のごとく、ザックを下ろし、眼鏡をはずして顔を洗う。
ちょっと心配だったが、水も飲んだ。
ぬるま湯まで飲み干して、とっくにすっからかんだったので。
13:20駐車場着。
身軽になって車中の人となる。
まずは風呂だ。湯檜曽温泉に日帰り入浴を派手に宣伝しているホテルがあり、それは980円とある。ちょっと高いし、登山者が集中しそうだ。
私は前日来る時に、「ご入浴」とだけ小さく看板を掲げた湯桧曽駅近くの旅館をめざとく見つけており、そこに狙いを定めていた。

案の定、料金は500円と安く、浴室も独り占めできた。
高速は渋滞の連続。行きは2時間半だったが、帰りは4時間近くかけて帰った。
昨夏、谷川岳に登って以来、あちらも歩いてみたいと思っていた稜線(朝日岳・笠ヶ岳)を今回歩けた。私は、どこかに登ると、そこから見えた山が登りたくなる質だ。
これからも、そんな風にして、山歩きを重ねていくような気がする。
8月5日午前4時前に起床。
外はまだ暗い。なんとガスがかかっていて、何も見えない。
でも、なぜか月だけは見える。
「妙な天気ですよ」と状況を説明すると、「昨日、谷川岳もそうでした。上が見えるということは、高いところに出れば、ガスの上に出ますよ」との反応。
期待することにする。
さて朝食。お湯は昼の分も沸かして、テルモスに入れておく。
メニューはまたしてもフリーズドライ。中華丼とにゅうめん。これはわりと高くつくが、とても楽だし、味もそう悪くない。
お隣の彼女は昨夜、きちんとご飯を炊いていた。
4:55出発。朝露であっという間にズボンの裾がべちょべちょになる。
スパッツを履けばよかった。
最初は鉄塔もこんな感じでしか見えなかったが

10分も歩くと、笠ヶ岳方面の稜線が雲の上に顔を出した。

これはいい天気になりそうだ。
さらに10分ほど歩くと、池塘が現れた。

池ノ窪と呼ばれる場所だ。
まわりにはキンコウカが咲き乱れていた。

少し登っては平らな道、というパターンを繰り返し、徐々に高度を稼いでいく。
一息つきながら歩けるのでとても楽だ。
行く手に朝日岳が完全に姿を現した。

横から見ると、ぼんやりした稜線だが、下から見ると、しっかりしたピラミッドだ。
ただ、見えているピークは頂上ではない。
途中、つまずいて転び、その拍子に振り返ると、六日町盆地と魚沼丘陵が望めた。

谷川岳方面の雲が切れてきたのには、びっくり。

次々に広がる展望に興奮する。花もだいぶ好きになったが、やはり眺望こそが山の醍醐味だ。
清水峠はどうやらガスの通り道になっている。
湯檜曽川の谷に発生した大量のガスが清水峠を越えて越後に流れ込んでいる。

しかし、そのガスはなぜか、いつの間にか消えてしまい、あちらを雲で埋めることはない。
実に不思議だ。
そうこうしているうちに、その流れる雲の上から、上越のマッターホルン大源太山がその雄姿を見せ始めた。

なかなか立派なお姿だ。いずれ、これも登らなければならない。
七ツ小屋山と含めて周回コースで登るつもりだ。ちなみに七ツ小屋はずっと雲の中だ。
一方、朝日岳の北に連なる上越国境の山々、大烏帽子山や檜倉山などは頂上にずっしりと雲がのしかかっている。これは当分動きそうにない。

雲には朝日が差してピンクになっており、ようやく日が昇った。
振り返って、これまで歩いてきた稜線の道を見下ろす。

これは影朝日。影富士のようなものだ。

朝日岳の山腹はところどころ斜面にお花畑が広がる。

キンコウカが優勢だが、ニッコウキスゲがひとりぽつんと咲いているのも印象的だ。

谷川周辺のニッコウキスゲはみなそうで、なぜか群れないのだ。
これまで尾根の西側を歩いていたが、後半は東に移る。西側は日陰で涼しかったが、東側は直射日光。昇ったばかりの太陽とはいえ、さすがに夏の日差しは強烈だ。

ここまで小さな虫がたくさんいて、アブがまとわりついてきて、うっとうしかった。
暑寒別岳とは比べものにならないが。
大源太山の北に延びる山々も全容が見えてきた。

随分登ってきたことを実感する。
歩き始めて1時間半、下から見えていた三角ピークに到達。
ここはジャンクションピークと呼ばれ、巻機山への分岐だ。
ここから巻機山へは大烏帽子山、檜倉山、柄沢山といくつもの山を越えていかなければならないが、夏はひどいヤブこぎとなるのだろう。
昭文社の地図には「残雪期を中心に歩かれる」とある。
分岐の標識には「難路 道ナシ」とあった。

道がなくても矢印を設けるのだからすごい。
ここも魅力的なコースなので、残雪期に挑戦してみたい。
このピークを越えると、山はのぺっと平らになる。

本当の山頂はガスに包まれているのか、まだ見えない。

ただ、そのガスの中から、尾根の東に湿原が現れた。朝日ヶ原である。
この手つかずの池塘群の眺めがまた絶品である。
あまりの美しさに思わず、聖子ちゃんの歌をくちずさんでしまった。


そしてやっと山頂が見えた。

あの王冠のような部分がそうである。
このあたりから木道となる。ここはあまり知られていないが、山上の楽園だ。
宝川温泉への道を左に見て、山頂へは、さっきのジャンクションピークから20分ほど。

1945m。ちょっとガスがかかってきた。
頂上には、ここに泊まったという男性がいて、準備がちょうど終わったところなのか、こちらの到着とほぼ同時に笠ヶ岳方面に下山して行った。
頂上付近は本当に美しい高原になっている。

むしろジャンクションピークの方が山っぽい。

頂上も見事なお花畑である。多くの人が歩いたり、座ったり、ザックを置いたりする場所なのに、よく枯れずに元気でいるものだ。
最も顕著なのはヒメシャジン。これがあちこちで群落をなしていた。

朝日岳から見る谷川岳がたぶん絶景なのだろうが、依然としてガスの中。
これから向かう笠ヶ岳もガスの中にまぎれている。

ここまで歩いてきて気づいたのだが、このいわゆる馬蹄形コース、標高はたかだか1600~1900mほどなのにほとんど樹林帯がない。
ササとシャクナゲとハイマツの道で、常に展望が開けている。
風が強いこともあるだろうが、やはり豪雪が理由だろうか。
このあたりは、かの川端康成が「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と書いた、その清水トンネルの真上なのだ。
20分ほど休んで7:10出発。下りは結構急だ。
慎重に下らないと、と思った途端、派手にスリップ。思い切り尻もちをつき、その際、岩に右手をついたのだが、その付き方が悪かった。
内出血でパンパンに腫れてしまった。痛みはあるが、関節は曲がるし、激痛ではないから骨に異常はないだろう、と判断し、放置した。
というか、そもそも何の処置もできないわけだが。
(月曜日に念のため診療所で見てもらったら、小指の骨がかすかに剥離骨折をしていた)
それにしても、あのスリップは心外だった。なぜ、滑ったのか、よく見てくればよかった。
とにかくカメラも持てるし、いずれ治ると、とくに気にもせず山行を続ける。
さすがに下りにはより慎重になったが。
笠ヶ岳の道は東側が深く切れ込んだ急斜面。そんなところに、白、黄、紫、ピンクと色とりどりの花々が咲き誇っている。
シモツケソウ

ミヤマシシウド(?)

タカネトウウチソウ

ミヤマシャジン

イブキジャコウソウ

マルバコゴメグサ

不思議なことに、このお花畑、笠ヶ岳に向かう小さなピークを二つ越えるとぱったりなくなってしまう。どんな条件の差があるのだろう。
西斜面にも、ささやかな池塘があった。

朝日岳に匹敵する高さを誇る小ピーク、大烏帽子、小烏帽子はガスの中を行く。
いずれも標柱などはなく、ピークを巻いて道がついている。

ただ、笠ヶ岳に近づくと、笠ヶ岳そのものは見えてきた(右)。

大烏帽子と小烏帽子の鞍部にもう一度お花畑が出現。

クサンフウロ、ミヤマキオン(?)の群落の中でクルマユリが存在感をアピールしていた。
瑞々しいイワオトギリ

笠ヶ岳の手前に避難小屋がある。
かまぼこ形で5人が入ったらもういっぱいの小さな小さな小屋だ。

張り付けてあるプレートによると、青山学院大ハイキング部が遭難した仲間をしのび、そうした不幸が起きないよう設営したものらしい。
中を覗くと、親切なことに銀マットが敷いてあったが、不気味なメモも残っていた。
「小屋内にヘビがいます。銀マットの下に隠れていますのでご注意!! 8月2日朝」
この方は夜中に気づいたのであろうか。さぞかし恐ろしかったことだろう。
これから泊まる人は、まずヘビ退治から始めないといけない。
ここから山頂はすぐそこ。
8:20に朝日岳から1時間15分で到着。朝日岳であった男性が休んでいた。

彼はまたすぐ下山していった。
つづく
8月4~5日は6月に雨と雪渓のため断念した上越国境の清水峠へリベンジに出かけた。
初日は、土合橋から新道を行き、白樺避難小屋手前で旧国道に合流、そのまま旧道を進んで清水峠の白崩避難小屋に宿泊。翌日は、朝日岳、笠ヶ岳を縦走し、土合橋に戻る。
いわゆる谷川岳の馬蹄形縦走の変則版となる。
交通の便はわりといいが、周回コースなので車で出かけた。
初日のコースタイムは5時間半程度、険しいところもほとんどないので、土合橋を11時に出発できれば十分。この暑さなので、午後、雷雨になったり、ガスが湧いたりするのが心配だったが、ゆっくり8時すぎに自宅を出発した。
軽く渋滞があったが、10時半にJR土合駅のすぐ先にある土合橋の駐車場に到着。
駐車場はほぼ満車で、入口近くのスペースに何とか駐められた。

準備体操をして、10:45出発。それにしても暑い。気温は28℃。
いつも、もっと標高の高い場所から、早朝出発しているので、こんな暑い出立は今年初めてだ。
コースタイムは以下の通り。
4日:土合橋(10:45)~JR巡視小屋(11:50昼食30分)~白樺避難小屋(13:55休憩10分)~鉄砲平(15:25休憩25分)~16:40(清水峠)~冬路ノ頭(16:55)~17:10(清水峠) 白崩避難小屋泊
5日:清水峠(4:55)~ジャンクションピーク(6:25)~朝日岳(6:45休憩20分)~笠ヶ岳(8:20休憩60分)~白毛門(10:10休憩25分)~松ノ木沢ノ頭(11:10昼食35分)~土合橋(13:20)
駐車場を出て、土合橋を渡って右折。湯檜曽川の右岸をまっすぐ遡っていく。
直進して国道を行くと谷川岳ロープウエーに至る。
そちらは6月に歩いた道だ。
右折方向の新道には「蓬峠」との表示。清水峠はどうやら行き先として想定されていないようだ。
西黒沢橋を渡ったところで、車は通行止め。

増水による崩落のため、とある。
その崩落はすぐ先にあった。
林道は樹林帯の中だが、時折、切れ間から武能岳や谷川岳の岩峰が望める。

カンカン照りだが、木陰で風も少し吹いており、意外に涼しい。
鳥海山で腕を日焼けしてから長袖で通しているので、とても助かる。
小さな沢がいくつも林道を横断し、水気が多いが、虫がほとんどいないのもありがたい。
20分ほど歩いたところで広い駐車場に出る。
本来はここまで車が入れる。なんとテープを強行突破して来た車が1台いた。

ここから登山道。分かりやすいことにいきなり道は細くなる。

すぐにマチガ沢を渡る。水がきれいだ。
次の一ノ倉沢で顔を洗う。まだ上には雪渓が残っているようで、水が冷たくて気持ちいい。
6月は旧道を行って、一ノ倉沢に至るのに1時間5分かかったが、新道は40分で着いた。
尾根を回り込んだり、谷に入ったりしないで、まっすぐ歩いているのだから当然だ。
今回は沢が次々に現れる。
ほぼ1時間でJRの巡視小屋に到着。

ここ上越国境にはJRの長大なトンネルが3本(在来線の上下2本+上越新幹線)も貫通しており、地上にはいくつもの送電線が伝っている。
これらをメンテナンスするための施設である。
当然のごとく公開はされておらず、外観を見学するだけ。
ここからは笠ヶ岳が望めた。

本当に笠のような形だ。
ここで昼食。階段状になっている石に座って、パンをかじる。
ここまで2組3人とすれ違ったが、休んでいるうちに、2組6人が旧国道から下りてきた。
この道は旧道のバイパスとしてかなり歩かれているようだ。
地図では、近くに「虹芝(こうし)寮」という建物があることになっているが、ぱっと見た限り、見つけることができない。
諦めて出発したら、左手の樹林の中にブルーシートが見えたので、ヤブをこいで向かってみたら、建物が現れた。

説明板が壁にあり、成蹊学園が1932年に建設した山小屋だそうだ。
どうやら一般には開放されていない。
さて、気が済んだので改めて出発(12:20)。
しばらく川沿いを行くが

武能沢を渡ったところから、川を離れ、登りとなる。
途中から等高線が詰まっているので急坂になることも覚悟したが、ジグザグに丁寧に道を付けてあり、ほとんど苦もなく登ることができた。
ここで昨年、山歩きを始めてから初めて、クワガタと出会った。

スジクワガタのメスである。
この道からは笠ヶ岳、朝日岳、白毛門など明日歩く稜線の全容がだんだん見えてきた。

朝日岳は山頂が高原状になっているのか、どれが本当のピークなのか、こちらから見ているだけでは見分けがつかない。若干、奥まっていることもあり、むしろ標高が100m近く低い笠ヶ岳の方が目立つ。
この登りは、ノアザミと名前の分からない、この花が咲き乱れる道だった。


登り切ると旧国道。ここから白樺避難小屋までは6月に歩いた道。
あの時はガスで何も見えなかったが、清水峠方面の鉄砲尾根と冬路ノ頭が見えた。

白樺小屋には13:55着。

正面には大きな武能岳がそびえている。

山腹には、何段もの滝があった。

こんな景色だったんだなあ。
小屋の中は暑いので、外で立ってメモを取った。
10分ほどで出発。6月に歩いた蓬峠への道を少しだけ覗いてみた。
もちろん雪は跡形もなく消えていた。
こんなはっきりした道を間違えそうになったのか、雪は怖いなあと改めて思った。
旧国道に戻って清水峠に向かうと、すぐに白樺沢。

ここで水を飲んでいるうちに、何人かが下山していった。

みなヘルメットをしており、沢登りをしてきた方々なのだろう。
単独の人に、「今夜は泊まり?」と聞かれ、「清水峠の避難小屋です」と答えたら、「あそこは仕切りがあって、個室のようになっているからいいよ」と教えてくれた。
果たして、今日は同宿の人がいるのだろうか。
白樺沢を渡って振り返ると、6月に迷いつつ歩いた蓬峠への道が手に取るように分かった。

写真の右側のY字形に分かれている沢を左から横断したのである。
あの時は雪で真っ白だったが、今は目の覚めるような濃い緑。何だか不思議な気がする。
同じところを、季節を変えて歩くのも、おもしろいものだと思った。
(とはいえ、違う山へ登り続けるだろうが)
この先、涸れ沢を含めて、いくつかの沢を渡っていく。
その度に胸にかけているコップで水を飲む。この道は水場だらけで、水の心配はない。
それにしても、標高が高くなっても、平らで広い道が残っているところが結構あり、こんな山奥に道を切り開いた明治の人々の偉大さを改めて思う。

と同時に、大規模な崩落や樹木の繁茂で道の痕跡がほとんどなくなっているところに差し掛かると、そんな道など無きものにしようという自然の力にも畏敬の念を覚える。

その繰り返しであった。
天候も相変わらずよく、気持ちのよい山歩きだ。旧国道を歩いているという実感もある。
ササなどのヤブをきれいに刈ってくれているのも、ありがたい。
それにしても1か月半ですっかり雪は解け、旧道から雪渓はきれいに消えていた。
念のためピッケルを持ってきたが無駄だった。
鉄砲尾根の先端、鉄塔のある鉄砲平に着くと、初めて清水峠が望めた。
そこには鋭角の屋根が印象的なJRの送電線監視所と今夜泊まる避難小屋がはっきりと確認できた。

それは実に明るい、さわやかな高原のイメージだった。
天気のおかげもあるだろうが、あこがれていた場所が美しくて、とても気持ちがよかった。
朝日岳はやっと山らしい姿を見せた。

(中央左が頂上)
笠ヶ岳(右)は主役の座を、大烏帽子・小烏帽子(左、中央のピーク)に譲った。
標高が大烏帽子の方が高いのだから仕方がない。

谷川岳は再び雲の中に隠れた。

本当にこの周辺の山では、ガスのかかりやすさは谷川岳がダントツだ。
鉄塔の下にある風よけ?の大きな柵がちょうどいい日陰を作ってくれていたので、そこで休憩。ここでおやつを食べ、ペットボトルの紅茶も飲み干して、水筒代わりにする。
たっぷり休んで出発。
これは明治時代に切り開いた法面の跡。

このあたりまで来ると、ほとんど崩落は見られず、当時の面影が色濃く残っている。

ネットの記事に、峠の近くにあるはずの水場を随分探したということが書かれていたので、しっかりした沢があるうちに、ペットボトル、ハイドレーション、テルモスに水を満たす。
計約3㍑。これで、今夜の夕食、明日の朝食、明日の飲料水をまかなうことになる。
明日も暑いだろうから、ちょっぴり心配だ。
ザックは2㌔くらい重くなったはずだが、それほど気にならない。
これは正解だった。峠近くの水場は涸れていた。
峠に近づくにつれ、風が強くなる。山腹のササや草が大きく右・左に流れている。
峠には16:40到着。峠そのものを登山道は歩かせず、監視所に直行している。
小屋にたどりつくと、男女2人がテントの前で親しげに話をしていた。

挨拶だけして、こちらはもうひと仕事。
ザックを置いて、明日歩く朝日岳とは反対方向の冬路ノ頭までピストンする。

「登った山」を一つ稼ぐのが目的だ。
風が強い。身軽なので、駆け足のようにひょいひょい登っていく。
峠は約1450m。冬路ノ頭は約1590m。標高差は140m。何度も振り返って写真を撮りつつ15分で登れた。
越後の山は峠で初めて見ただけに、とても新鮮。

左奥のピークは百名山の巻機山だろう。
途中から見下ろした監視所。

頭の頂上からは高原状の七ツ小屋山(1675m)

上越のマッターホルンと呼ばれる大源太山(1588m)のシルエット

朝日岳・笠ヶ岳の山塊

雲に隠れた谷川連山と、360度のパノラマが楽しめた。
10分ほどで下り、避難小屋に向かう。
入口が空いており、扉の外に登山靴が置かれている。

(ああ、1人いるんだな)
と思って、こんにちは~と中に入ると、なんと若い女性が1人。
よく見ると、さっきテントのところにいた女性だ。
聞くと、水が足りないので分けてもらっていたのだという。
10分も歩けば、水場があるのだが、彼女は谷川岳から尾根を歩いてきたようで、その頭はなかったようだ。
彼女が水を分けてもらった男性は、ここによく来る人とのことで、テントが張る場所があるかどうか心配していたくらいだという。
今日は意外に人が少ないらしい。
彼女は仙台にある有名大学の山岳部4年生。最近、大学山岳部は部員がどこも減っているらしいが、ここはどうにか20人(うち女子3人)はいるという。
大学山岳部は、先輩が沢も岩も含め基礎から教えてくれるので、とても効率がいいと思う。
彼女もそれは実感しているらしく、「でも教えてくれるのは仕事をリタイヤしたOBのおじいちゃんばかりですけど」と笑っていた。
一旦、外に出て、清水峠そのものを踏みしめる。

2回に分ける形になったが、やっと到達した。新潟側はほとんど廃道状態になっているというので、今後も歩くことはないだろう。峠は切通になっており、往年をしみじみとしのぶことができた。
食事を終え、シュラフに入って新聞を読んでいたら、あちらのライトが消えていることに気づき、こちらも寝ることにした。7時半すぎである。
この小屋はなかなか面白い作りで、入口を入ると中央に奥まで土間があり、左右に板の間がある。それぞれの板の間にハシゴがあり、2段ベッド状に上段の寝床が2つ作りつけられている。
つまり、板の間に3人、上段に2人、それが左右2つで計10人がゆとりをもって寝られる構造だ。
彼女とは、土間をはさんで寝ているので、ちょうどいい距離感。
いつもは寝付きが悪いが、この日はすぐ寝入って、夜中もそれほど意識が戻らず、彼女がごそごそしているので時計を見たら、4時前。なんと8時間以上もたっぷり眠れた。
若い女性が1人で山歩きをし、1人で避難小屋に泊まるのはとても勇気があることだと思う。しかも、知らない男と2人きりになるのは気まずいものではないだろうか。
ただ、1人で寝るより、誰かいた方が安心なのではないかとも思える。
そんなことは聞かなかったが、リラックスして過ごせたのであればいいが。
7月16日午前11:50、ゆっくり昼食を食べて、青年小屋を出発。
出かけ際に、バッジを買ったら、少年が対応に出てきた。
竹内さんの息子なのだろうか。
小屋のすぐ北側にはテン場がある。石垣でしっかりと守られている。

編笠山を振り返れば、岩場を行く登山者たち。

源治新道なる道を行くと、5分ほどで乙女の水。

水は十分にあるし、これからは下り中心なので、それほど需要はなかったが、とにかく味わうだけ味わい、顔も洗った。冷たくて、すっきりした。
小屋の従業員だろうか、ポリタンクを満タンにして歩荷している人もいた。
ここは近くて楽だろう。
道は樹林帯の中。傾斜はあまりきつくない。

時折、視界が開けると、編笠の横顔やギボシ、南アルプスなどが望める。


不思議なことに一旦下りとなる。
だとすると、さっきのところが西岳山頂?
いくら八ヶ岳の中でも最も目立たない存在だからと言って、標柱もないのはあんまりでは?
と思っていたら、結構な傾斜で登り始め、やはりまだ山頂には着いていないことが判明。
ホッとして進む。
富士山も編笠山の右から顔を出した。

13:35、本当の西岳山頂(2398m)に到着。ここまで、1人としかすれ違わなかったが、山頂には何人かいて安心。忘れられた山ではなかった。


ここは見事なお花畑である。
これは、どう見てもハマナスだが、海浜植物であるハマナスがなぜここにあるのか?
たぶん変種なのだろう。もしかしたら、色の濃いサンショウバラかもしれない。

真ん中が赤いが、イワオトギリだと思う。

ウスユキソウ。セイヨウウスユキソウ(エーデルワイス)より控えめな感じ。

ムカゴトラノオ

ハクサンフウロ

ここから八ヶ岳の南のすそのの広がりがよく見える。

左手前のグラウンドのあるところが、目指す富士見高原だ。
背後には赤岳。

ギボシ。後ろに権現の山頂部がわずかに覗いている。

名残の青年小屋。

ここにも、とんちんかんな山座同定をして騒いでいるご婦人のグループがいたので、ついまた口を出してしまった。見ず知らずの人に間違いを指摘されるのって、気持ちのいいものではあるまい。ほどほどにしておかないと。
さて下山。ここから富士見高原までは2時間半の道のり。標高差約1000mを一気に下る。傾斜は下に行くほど、緩くなるはず。基本的にはずっと樹林帯の中だ。
黙々と下るしかない。
さすがに、この時間にこのコースを登って来る人は数えるほどしかいない。
樹林帯の中を延々と飽きるほど歩く。


林道の跡らしきものを横断する。

これが地形図に載っている林道だったら、随分下りてきたことになるが、結果的にはそうではなく、あくまで跡であった。
この後、しっかりした林道と2回交差。間もなく不動清水に出る。

ここまで1時間20分。コースタイム2時間のところ、よく頑張った。
帽子を脱ぎ、めがねをはずして、まずは顔を洗う。
う~気持ちいい。水もうまい。生き返る。
5分ほど休んですぐ出発。ここからは車も通る林道歩きとなる。

それにしても、道しるべに「信濃境駅」が頻出する。

そんなに近いっけ?
地図を見ると、富士見高原から1時間10分とある。そうか、それなら歩ける。
駅まで歩けば、車回収のためのタクシーをここ富士見高原からではなく、天女山の最寄り駅・甲斐大泉から乗ればいいことになり、大幅な節約となる。
富士見高原には14:30着。電車の時間はスマホで調べたら、塩山行き普通列車が15:40発。歩いてもちょうどいい時間だ。
しかし、ここ富士見高原には日帰り温泉の「鹿の湯」がある。
これに入って、車を呼べばいいじゃないか。
またまた、いいことを思いついてしまった。
富士見高原から天女山までタクシーだと1万数千円かかる。
それに対し、富士見高原~信濃境駅と甲斐大泉駅~天女山だと合わせて5000円くらいで済む。
信濃境駅までの料金はケチらず、もう山歩きは終了。汗を流すことにした。
車は15:25に呼んだので、入浴時間は30分ほどしかない。
カラスの行水だが、別にかまわない。
とくに混み合ってもおらず、外のぬるめの湯に入り、「ふ~~っ」とため息をつく。
浴室内に時計があったので、それを見ながら入浴。
出て、アイスモナカを食べながら待っているとタクシーが到着。
信濃境駅までは案外遠かった。歩かないでよかった。

小淵沢は次の駅。あっという間に到着。それにしても下界は暑い。
ところで、この駅はなぜこんなに混んでいるのか。何かあったのか。

ここで40分の待ち合わせなので、駅前の食堂で何か食べようと思っていたのだが、そそられる店がなく、早々に小海線の列車に乗り込み、観光パンフなどを眺めている間に発車。
小海線は一旦、信濃境方面に発車したあと、大きくカーブを描いて、東に進路をとる。
このカーブが何とも雄大だ。
右側に座っていると、最初は八ヶ岳が間近に見え、次第に南アルプスや富士山が見えてくる。車窓絶景スポットである。
16:42甲斐大泉駅着。ここにもタクシーを呼んでおいた。
天女山には10分、1700円で到着。予想外の安さに喜ぶ。
ぐるりと南八ヶ岳を一周して戻ってきた。車は無事にあった。
今朝はガスでパスしたが、天女山の展望を楽しむことにする。

しかし、樹木が邪魔をしてほとんど何も見えない。
諦めて、車に戻る。時間は5時過ぎ。さてもう帰ろう。
高速は笹子トンネルから小仏トンネルまで35㎞の渋滞だと言うので、手前の御坂・一宮で下り、国道411号・柳沢峠を越えて奥多摩経由で帰ることにする。
峠からの富士山を見たかったが、山頂部は雲の中に入ってしまっていた。

この道は渋滞のイライラはないが、長いのが玉にきず。
明るければまだいいのだが、急カーブも多いので、暗くなると疲れる。
それでも、9時前には帰宅できた。
山より運転に疲れた1日であった。
でも、とにかく最後、晴れて本当によかった。
これで八ヶ岳はほぼ制覇したと思っていたが、ひとつ残していたものがあった。
「ニュウ」(2353m)と呼ばれるピークである。ちょっとした小ピークなのだが、白駒池の青苔荘には、ここのバッジすら売られていた。
ニュウ。不思議な名称だが、由来は簡単だ。
「乳」すなわち、乳首のような突起という意味だろう。
まだ現物を見ていないので、いずれ確かめたい。稲子湯から周回コースをとることができる。
それに夏沢峠や本沢温泉、唐沢鉱泉も行っていないことに気づいた。
北八ツはガスで何も見えなかったのだから、天気のいい日にこれらと組み合わせて再訪しよう。八ヶ岳はまだまだ楽しまなくっちゃ。
ところで、8月4~5日、清水峠リベンジを果たし、朝日岳、笠ヶ岳、白毛門と縦走して来ましたが、朝日岳の下りでスリップ。右手を強打し、小指がパンパンに腫れてしまったので、本日6日、整形外科に行きました。レントゲンを撮ってもらったら、かすかに剥離骨折していました。
痛くはないんですが、骨をくっつけるために添え木をしてテーピングしているので、パソコンも打ちづらいです。
でも、来週も山に行きます。かなり軽めで、霧ヶ峰彷徨です。晴れますよう。
7月16日、八ヶ岳3日目。4時半起床。
真冬の渋ノ湯以来の車中泊。個室状態だったが、あまり眠れなかった。
まあ、この程度は織り込み済み。5:05天女山駐車場(1530m)を出発した。

いつもは日帰りでもビバーク用のシュラフを持って歩いているが、この日はシュラフも含め、ガスストーブも置いて、軽装で出かけた。なるほど背中が軽い。
しかし、天気はなんと曇。またしてもガスっていて何も見えない。
しかも、木々の葉からひっきりなしに朝露が落ちていて、樹林の中は雨が降っているような状態。一眼レフを守るため、自分の帽子をかぶせてあげた。
この日のコースタイム。
天女山(5:05)~天の河原(5:20)~2000m地点(6:10)~前三ノ頭(6:55)~(朝食10分)~三ノ頭(7:35休憩5分)~権現岳(8:25)~権現小屋(8:35休憩45分)~のろし台(9:50休憩10分)~青年小屋(10:15)~編笠山(10:40休憩20分)~青年小屋(11:20昼食30分)~西岳(12:35)~不動清水(13:55)~富士見高原(14:30)=信濃境駅=甲斐大泉駅=天女山
樹林の中のササ原をゆっくりと登る。
権現岳までは6.8km、標高差約1300m。所要4時間20分のコースである。

まずは、お花のお出迎え。イブキジャコウソウ

15分で展望台の天の河原(1620m)に着くが、全く残念なことに何も見えない。
3日間とも、こんな調子ではさすがにめげる。何とか晴れてほしい。
(6468)
道はゆるやかな道と急な道が交互に現れる。
一瞬、進行方向のガスが晴れたが、また雲の中に入ってしまった。

道は1900m地点を過ぎると一気に急坂となる。これが延々続く。
2000m地点は6:10通過。登り始めて1時間経過したが、まだお腹が空かない。

ヨツバシオガマ

タカネグンナイフウロ

6:55、最初のピークである前三ツ頭(2364m)に到着。ガスは仕方ないとして、風が強いのでとても休めない。

ここからは稜線。このあたり、赤と黒の溶岩の石コロが無数に転がっており、富士山と似ている。伝説では、大昔、八ヶ岳と富士山はケンカしたそうだが、似たもの同士だったということか。
しばらく進んだ、樹林帯のなんの変哲もない道端でザックを下ろし、朝食とする。
おにぎり2個。食べている間に1人に抜かれ、頂上までに都合3人に追い越された。
まあ、あまり早く行ってもガスが晴れないから、急ぐ必要はない。
この先、いろんな高山植物に出会えた。
キバナノコマノツメ

ミヤマシオガマ

コケモモ

ハクサンイチゲ

イワベンケイ

ミヤマオダマキ

次のピーク、三ツ頭(2580m)には7:35に到着。

ここで、ギターをかついだ山ヤに出会う。
彼は2泊3日で縦走中。ギターは旅用の小ぶりなもので、キャンプ地で2時間ほど爪弾くという。鳥海山でオカリナの人に会ったが、ギター携行の人は初めて見た。
私はたとえ弾けたとしても、人のいるところではできないなあ。
5分ほど雑談をして出発。ここからの稜線はハイマツとシャクナゲの道。
晴れていれば余程気持ちいいことだろう。

相変わらず、ガスの中を進む。

と思いきや、少しガスが薄れてきた。

もう1時間も待てば、ガスも切れるだろうか。
そうこうしているうちに頂上直下の桧峰神社に到着。

そして、頂上。本当のピークに立つのはむずかしい岩峰だ。


ちょっと早く着きすぎたか。ガスは依然として晴れない。
先に着いていたカップルに写真を撮って差し上げる。
少し粘ろうかとも思ったが、どうせならと小屋で待つことにした。
小屋は、頂上直下。

休憩料はいやなので、またまためずらしくコーヒーを注文。
すると、小屋番のお兄さんは「洗い物が済むまで受けられない」と言う。
時間は8:35。昨夜泊まったお客さんがみな出発したところなのだ。
こちらは、ゆっくり腰を据えるつもりなので、「ゆっくり、どうぞ。終わってからでいいです」と答え、腰をかけてメモを付け始める。
軽装にしたせいで、ボールペンを忘れたので、小屋の人に借りる。
小屋は木造だが、鉄で補強してある。
40年近く前に創業し、今の小屋で2代目だそうだが、それでも年季が入っている。
小屋番の人は40歳くらいか。よくしゃべる人だ。
洗い物を終え、コーヒー片手に出てきてくれた。
「今日は検便なので、青年小屋まで下りないといけない」という。
青年小屋は、権現岳と編笠山の鞍部にある小屋で、経営者は権現小屋と同じ。
その時代がかった名称の由来は、いくつか説があるという。
もともとは青年修練所だったので、そこから付いたのだという説。
もう一つは、その後それが編笠小屋となり、それが壊れて、地元の青年団が立て直したので青年小屋になったのだという説。
小屋番のお兄さんは後者ではないか、と言っていた。
今の経営者が引き継いだ時、すでに創業者は高齢で、「青年と乙女の悲恋がどうの」とふざけた由来を語っているうちに、本当のことはあやふやになってしまったらしい。
そんな話を聞きながら、パンをかじり、45分ほど待ったが、やはりガスは晴れない。
諦めて出発することにした。
ガスは出ているけど、それほど風もないし、雨も降っていないから、「今日の天気は上の下。いい天気の部類です」と、お兄さんは言うが、それはずっとそこに住んでいるから言えること。ずっとガスなら諦めもつくが、晴れそうで晴れないのは、かえってもどかしい。
この先はギボシと言われる岩峰をトラバースする道で、クサリ場も多く、岩を削った桟のような道で、細かい砕石も浮いており、かなり慎重に歩かないといけない。


おそるおそる下りていくと、おやおや、ガスが晴れてきたぞ。
これはガスの下に出てきたということ? それとも本当に晴れたの?

あれは、さっき歩いてきた三ツ頭の稜線だから、それが見えるということは晴れてきたということだろう。
そう思っているうちに、みるみるガスが消えていく。
ギボシの岩峰も姿を現し

編笠山も眼下に見えてきた。

なんと下界も開けてきた。

そして、あれは富士山ではないか!

これには本当に涙が浮かんだ。この2日半ずっとガスの中だったからなあ。
あと1時間寝坊していれば、小屋でちょうどガスが晴れていたかも。残念だが、それより今晴れてくれたうれしさの方がまさった。
のろし場(2530m)まで下りてくると、ほぼ展望が開けた。

富士山ももう少しで雲が切れそうだ。

そして振り返ると、権現も全容を見せてくれた。

あんな鋸のような山頂だったのか。
これは、のろし場から見たギボシ(左)と権現岳。完璧だ。

何枚も何枚も堰を切ったようにシャッターを押し続けた。
朝食時からずっと寒くて、ゴアを着ていたが、ここで脱ぐ。
日も差してきたので、帽子をかぶった。
目指すは編笠山。なんとも優雅な姿である。

青い屋根が青年小屋。下半分は溶岩が露出している。
すべてがくっきり見えて、逆に不思議なくらいである。
しかし、晴れるとアブが出てきた。小屋のお兄さんが7月中はアブが出ると言っていたが、本当で、オオカサモチに無数のアブがたかっていた。

10:15、青年小屋に到着。

いきなり日が差して、今度は暑いくらいになってきた。
青年小屋には「遠い飲み屋」という提灯がぶらさがっており、そそられたが、とりあえずは編笠山に直行する。
まずは岩渡りだが、その向こうに富士山がくっきり見えてきた。
たいぶ雪渓がなくなっている。

大岳や三ツ岳と違い、本当に足だけで、ぴょんぴょん歩けるので楽だし、楽しい。
登っては振り返り、写真を撮る。
高くなるにつれて、ギボシ(左)、権現(中央)、奥三ツ頭(右)の稜線がくっきりと見えてくる。
ちょっぴり悔しいが、仕方がない。

雲の切れ間から一瞬、金峰山が見えた。

岩場を抜けて、樹林帯を行き、青年小屋から25分ほどで頂上に到着。

頂上はごつごつした広い岩場になっている。登山者も大勢いて、それぞれ早めの昼食を楽しんでいる。みんな晴れてよかったという表情。
南アルプス方面は、雲が多いが、時々、甲斐駒や仙丈などが顔を出す。
これは多分、甲斐駒とその左後ろが北岳か。

こちらは仙丈。

続けてみると、こうなる。

こちらはすそのと入笠山方面。奥は中央アルプス。

これは山頂の標柱。バックは権現岳方面。

いやあ、いい天気になって本当によかった。
富士山もこの通り、ご機嫌。

これはダイビングの奨めか(笑)

撮影も一休みして、赤岳方面の雲が切れるのを、座って待つ。
すると、後ろに座っている60がらみの男性2人が、いい加減な山座同定をしていて、あれは○山かな、あれが○岳だろうと間違ったことを言っているのがとても気になる。とうとう耐えられなくなり、「ご説明します」と申し出てしまい、余計なお世話ながら、一つ一つ説明してしまった。お礼を言われたので救われた。
やっと赤岳の雲がほぼ消えた。

左から阿弥陀、中岳、赤岳。中央奥で雲をまとっているのは横岳だ。
蓼科山は依然として見えなかった。
それにしても青空がまぶしい。空ってこんなに青かったんだなあ。

さて、見るべきものは見つ。下山だ。
下りもついつい写真を撮ってしまう。これは青年小屋近くの疎林。

ギボシの雄姿。

青年小屋にわらじを脱ぎ、昼食とする。ラーメンを頼んだ。700円だったかな。

インスタントラーメンだが、具もちゃんと入っており、おいしく頂いた。
インスタントなら、持参してガスストーブで簡単に作れるのだから、もったいない気もするが、そんなにケチケチしなくてもいいではないか、という気がしてきた。
もういい年なんだし、山小屋に金を落とそう。
雨やガスの中、山小屋に寄って飲みたくもないコーヒーを飲んでいるうちに、そんな気分になってきた。
今後はお昼でも積極的に利用しようと思う。

麺をすすりながら、部屋を見渡してみると、この小屋を経営しているのは有名な山岳ガイドの竹内敬一さんであることが分かった。
へ~と思いながら、ごちそうさま。あとは西岳を登って帰るだけだ。
もう少しつづきます
7月15日。4時半に目が覚め、トイレに行くと、何と雨が降っている。
ザンザン降りではないが、がっくり。出発まで止んでくれればいいが。
朝食は6時ということになっていたが、昨夜、もっと早くできないかとお願いに行ったら、他の人からも同様の要望があったらしく、「あすは5時半にするよ」と言われた。
5:20に「朝食できましたよ~」と声がかかり、パッキングを終えたザックを抱えて下りていく。朝食は、ふつうの民宿とそれほど変わらないメニュー。
天気のせいか、みなさんの口も重く、大した会話もないまま、ごちそうさま。
私は5:45に出発する。ヒュッテのすぐ下のキャンプ指定地ではないところに、大きな赤いテントがあったが、小屋の主人が「あれは、ゆうべ8時半に着いたんだよ」と呆れていた。
この日のコースタイムは以下の通り。
双子池ヒュッテ(5:45)~大岳(7:20)~北横岳(8:15)~北横岳ヒュッテ(休憩15分)~三ツ岳(9:15)~雨池峠(10:00)~縞枯山荘(休憩20分)~縞枯山(11:10)~茶臼山(11:45)~麦草峠(12:30昼食40分)~白駒池(13:45)~麦草峠(15:00)=蓼科湖=蓼科山登山口=天女山駐車場
大岳への登りは最初から、すごい岩場の連続。しかも濡れている。

一眼レフのカメラは今日はザックにしまい、雨具のポケットにコンパクトカメラを入れている。大きなカメラを首から下げていたら、とても登れないような道だ。
カメラの処理に難儀しながら登るより、雨でかえって、よかったのかもしれない。
ただ、SDカードを移し忘れていたことに気づき、雨の中、ザックからカメラを出して入れ替える。それにしても気づいてよかった。空シャッターは2枚だけで済んだ。
それにしても、岩のひとつひとつが大きく、すき間も空いていて、ふつうの岩場とは勝手が違う。クライミングが岩登りなら、これは岩渡りと言えばいいか。
大股でまたいだり、一つの岩を登って下りたり。
ウックとか、ヘッとか、クワッとか、文字にできないような声が漏れてしまう。
足が上がり切らず、膝をついて登らないといけないようなところもあった。
両手はもちろん、お尻も滑らせたりと、あらゆる手だてを使って登る。
それでも、間違えて岩をキックしてしまい、右の向こう臑が血だらけに。
昨日は左足をやってしまったので、これで両足とも損傷してしまった。
6:25大岳中腹の天狗の露地に到着。景色のいい所らしいが、当然ガスで何も見えない。

ここでかすかに携帯の電波が立ったので10分休憩。その間に、同宿だった青年に抜かれる。
この先も、さっきに増して激しい岩場。ところどころにシャクナゲやイワカガミ、ゴゼンタチバナなどが咲いていて、本当に励まされる。

岩場は緊張の連続で(乾いていればなんてことないのだが)相当神経を使っているのだ。

ふつう、ここに○はないだろう。
大岳への分岐で、今度はこちらが青年に追いついた。
彼は風が強いので、大岳へのピストンは諦めたという。

確かに風は少々吹いているが、危険というほどでもない。
ピークにこだわらい人なら、この天気じゃあ、行く必要もないだろうが、私はこだわる。
頂上まで10分ほどなので、私は行った。
途中、「あ、ザックはデポすればいいんだ」と気づいて、その辺に放り投げる。
7:20、大岳頂上着(2382m)。

(頂上付近の怪獣のような岩)
風は、ふつうの天気の悪い山程度。台風ほどではない。
が、何も見えないし、長居は無用。石仏だけカメラに収めて、さっさと退散した。
北横岳へはほぼ平らな尾根道。前半は同じような岩場で、見えるのは岩と霧と植物だけ。、後半は土の道で、北横岳直前の登りも一部に岩場があるが、基本的に土の道を歩ける。
8:15、北横岳北峰(2480m)に到着。石碑があったが、ひどい風で、未練なく通過。

7分で南峰に着いたが、ここも吹きさらしで、もちろん何も見えない。

長野勤務時代に子供2人を連れて来たことがある場所だが、この状態では何も思い出せない。
とっとと下山するしかない。まったく味気ない山歩きだ。
8:20北横岳ヒュッテまで下りてくる。少し落ち着きたいので、休憩することにした。

バッジを買った上で、休憩させてくれと申し出たが、やはり金はとられた。
しかも「15分、200円ね」と言われてしまった。
これにはさすがにカチンと来た。
外はこんな天気である。暴風雨ってわけではないが、歩いていればずぶ濡れになるような状況だ。
ここはロープウエーの近くで、たぶんふつうの観光客が多いことも想像がつく。
そういう客をさばくためにも「15分」という規定はあるのだろう。
しかし、こんな天気で、私以外誰もいないようなタイミングで「15分」を持ち出さなくてもいいじゃないか。
むしろ「ひどい天気ですね。ゆっくり休んでください」って言うのが普通の神経のように思うが。
臨機応変に接客してもらいたいものだ。
「本日、満室」と玄関にかかっていたが(三連休の中日でしかも土曜日)、この天気だと、この後、キャンセルが相次ぐことだろう。
まあ、それはともかく、ストーブがついていたせいで、温まった。

15分でここまでのメモをとって出発。目の前に七ツ池への入り口があるので、そちらにも一応立ち寄る。もちろん全景は見えない。

登山道に戻る。間もなく分岐。三ツ岳経由で雨池峠に出るつもりだが、いやな看板がある。

危険なので軽装の人は入るな、とある。
軽装って、どの程度のことか? ふつうこういう場合、初心者はやめましょうとか熟練者向きといった標識があることは少なくない。
装備を問われたのは初めてなので、ザイルが必要なの? と勘ぐってしまった。
でも、昭文社の地図には一般の登山道として、破線ではなく実線で書かれているので、大丈夫だろう。そう考えて、予定通り、左に進路をとった。
しかし、確かにすごい岩場の連続である。これは大岳を上回る。
これが本当に北八ツだろうか。

雨池峠までたいした距離もないのに2時間というコースタイムになっているのは、こういう訳だったんだ。
しかも雨も強くなってきた。雨具を打つパチパチという音がするほどだ。
さっきの○もひどいが、この↑もひどい。

この壁が見えたとき、てっきり迂回するものだと思ったら、登れという指示。
上の方にクサリが見えるが、あそこまでは自力で行けというのだ。
私は以前、フリークライミングのジムに多少通ったこともあるくらいだから大丈夫だし、その経験がなくても、ふつうの技術があれば登れる岩場だが、さすがにこのコースは破線にした方がいい。
ここだけでなく危険な箇所が山ほどある。
中央アルプスの宝剣岳に匹敵する。とくに、岩と岩との間が空いており、一度足を踏み外すと、その間に転落して大けがするのは必至だ。

9:15に頂上に到達するも、落ち着ける場所など少しもなかった。
頂上の先にもう一つピークがあり、そこからは急な下り。
ここで、単独の登山者とすれ違った。
思わず、「これが一般の登山道とは思えませんねえ」とつぶやいてしまった。
途中で岩場は終わったが、下っている途中に、6~7人のグループとすれ違った。案内人らしき人が率いる高齢者のパーティーだ。この雨の中、この方々、あの岩場を越えるのだろうか。
ちょっと考えられない。
しかも、この案内人。ロングのレインコートに傘をさしている。長靴を履いているのは、まだいいとして(小屋の人など長靴派の人は少なくない)、あの格好で三ツ岳に登るのは狂気の沙汰だ。
傘はいずれ仕舞わざるをえないだろうが、コートの裾を踏んでしまって転倒することも考えられる。なんか、意味なくかっこつけているとしか思えない。
あんな案内人を頼んでしまったら不幸である(それでも遭難の話は聞かないので、無事だったのだろう)。
人のことを批判がましく見ているうちに、当方は2回スリップして転びそうになる。
下り切って、悪場を通過した安心感で気がゆるんでいたのだ。
危険な場所よりも、むしろこういう場所でけがをする、注意しなくては。
で、15分ほど登り返したところが、雨池山(2325m)。

ここはそもそも樹林の中で展望はない。当然、そのまま通過。
しばらく土の道だったが、比較的開けた岩場の下りになると、猛烈な風。
フードがすぐ飛ばされてしまう。
それにしても、こんな天気なのに、「おれはいったい何をしてるんだ」とか「もういやだ」とか絶対に思わないのが、我ながら不思議だ。
たぶん、頂上を稼ぐことに達成感があるのだろう。
気力は今のところ、まったく衰えない。
15分ほど下って、ロープウエー山頂駅から雨池に向かう道と交差する雨池峠に出る。

ガスが右(西)から左(東)へ猛烈な勢いで流れている。
たぶん、峠の東側は晴れているのだろう。
ここは、このまままっすぐ行ってもいいのだが、山小屋を見るのも「趣味」の一つになってしまったので、500mほど寄り道をして、縞枯山荘に向かう。
山荘への道は木道だ。

縞枯山荘はしゃれた小屋である。

ここで私は、珍しくコーヒーを頼んだ。休憩料は払いたくないが、食事をするほどの時間でもない。普段コーヒーは滅多に飲まないが、やはり山小屋では紅茶ではなくコーヒーだろうと勝手に思った。
ここもストーブがついていた。
外気温13℃、室温は20℃。さすがに雨具の中も濡れているので、ありがたい。
昨日の残りのパンをかじりながら、またメモをとった。
20分ほどで出発。
雨池峠に戻って、直登30分で縞枯山頂上(2403m)。

ここでは腕組み登りをした。サバイバル登山家の服部文祥さんがテレビ出演していた時にしていたスタイルだ。
こうする理由を言っていたはずだが、よく覚えていない。
ただ、これをすると、まず余計な動きがなくなって疲れない上に、バランス感覚が養われる。2本ストックを使って4本足で登る人が最近は多いが、私は2本足で美しく登りたい。
頂上は樹林の中で展望はない。

そのかわり、名前の通り、縞枯れ現象がみてとれた。

頂上には6~7人の若者グループがいた。
標柱のところにたむろしていたので、写真を撮りたい旨伝えたら、素直によけてくれた。
彼らはちょっと軽い感じだったが、こちらが抜かす時も、声を掛け合って、道を譲ってくれた。やはり若者の方がまともだ。
山頂付近はしばらく平らで、いよいよ下りという場所に展望台への分岐がある。

晴れていれば行ったのだが、この天気では行っても意味がない。
名前のついているピークでもないので、パスした。
ここで休んでいた人としばらく言葉を交わず。
彼は今朝ロープウエーで上がってきたとのこと。ロープウエーの途中からガスの中に入ったらしい。
ここからの下りはまたしても岩場。でも大岳、三ツ岳をクリアしてきた身にとっては楽勝。ただ油断だけはしない。
下り切ると、道はぬかるみ。せっかく雨の岩場できれいになった靴がまた泥だらけになる。
同じように腕組みで再び登り、茶臼山(2384m)には11:45着。

ここもご覧の通りの樹林の中で、そもそも展望はなし。
林の中でカップルの登山者が食事をしていた。雨でも楽しめるかどうかが、真のラブかどうかの分かれ目というのが、私の持論だ(笑)。
このコース、こんな天気でも結構、人通りがある。人気のコースなのだろう。晴れた時にいつかもう1回来よう。
下る途中の中小場(2232m)は展望のいいところらしい。

もちろん、何も見えず、むなしく通過。
さらに下り大石峠(12:15)のあたりで、一瞬明るくなったが、それだけのこと。

しばらくぬかるみの道が続くが、麦草峠に近くなると木道となり、助かった。

車道に出る直前に雨茶池というのがあった。

12:30麦草峠到着。

やっと人里に戻ってきた安堵感がある。なんと、ここは雨の降った形跡がない。
ここは大河原峠以上に、学生時代あこがれていた峠だが、訪ねることができなかった場所。
やっと念願叶った。2127m。

バスの時間を確認して

まずは腹ごしらえ。フリーズドライもあったが、せっかくだから麦草ヒュッテでカレーを食す。840円。

公衆電話があったので(携帯は通じない)、カレーを待つ間に、バスから乗り継ぎのタクシーを予約しようとしたら、10円玉がすこんすこん落ちていく。
結局何も話せないまま切れてしまった。
よくよく見ると、これは衛生電話。100円で25秒と書いてあった。
どうりで10円では勝負できないはずだ。
カレーは量もそこそこあり満足。とにかく温かいものはありがたい。
まだバスの時間までは2時間以上あるので、予定通り、白駒池を往復することにした。
白駒池へは麦草峠の草原を抜けて、樹林帯に入っていく。

途中、白駒の奥庭という低木の中の岩場に木道をかけてあるところを通る。

また樹林帯に入り、苔の美しい森となる。

30分ほどで山小屋の青苔荘に到着。ここは白駒池(2115m)の湖畔でキャンプ場にもなっている。

白駒池は八ヶ岳山系にある湖沼の中では最も大きく、周囲は1350mほどある。
2000m以上の高地にある湖としても最も大きいらしい。冬季は結氷し、スケートができるのだとか。
冬に高見石から見下ろした時は、氷の上に雪が積もって真っ白だった。
国道299号の駐車場から徒歩10分程度で来られるので、ふつうの観光客の姿も目立つ。
時間はあるので池を一周する。

途中、双子池ヒュッテで一緒だった青年に再会。彼は湖畔の小屋にすでにチェックインして池を一周中だった。ここまで来るのに三ツ岳は避けて坪庭コースを採ったらしい。
やはり東側は晴れていた。こういう天気の日は、山の北斜面、東斜面が狙い目のようだ。

湖畔にも苔が激しく繁茂している。

もののけの森と名付けられている。
ちょうど、青苔荘の対岸あたりで、木の上の方に大砲のような望遠レンズを向けている人がいたので、「何かいるんですか」と訊ねてみた。
「木を撮ってるだけです。気にしないでください」
との答え。「気にするな」か・・・。邪魔をされて、さぞかし迷惑だったのだろう。
ちょっぴり面白くないが、ちょっぴり反省。
まもなくもう1軒の小屋、白駒荘に到着。

ここは新館もあり、青苔荘より手広くやっている。ボート乗り場もあり、ちょうど2組が乗り込むところだった。

ここには「ボートに乗られる方以外は桟橋にのるな」との注意書きがある。
それに従って、岸辺から池の写真を撮り、振り返ったら、小屋の主人がじっと見つめていた。
私が桟橋に乗ったら、怒鳴りつけようと見張っていたのだろうか。
ここで何かソフトか飲み物でも頼もうと思っていたが、止めた。
池を一周したところで、またまた青年とばったり。
またどこかで再会しましょうと挨拶して、分かれた。
帰りは来た道を戻らず、国道に出ることにした。
大きな駐車場があるようなので、そこからなら電波が通じるかなと思ったのだ。
案の定、通じたので、蓼科山登山口に最も近いバス停に来てもらうようタクシーを予約。
安心して麦草峠に戻る。
バスは15:20発。ヒュッテの目の前に横付けしてくれる。
預けていたザック(預け賃100円)を回収し、すこし身ぎれいにして、間もなく到着したバスに乗り込む。
一番前の席に陣取ってくつろいでいたら、バスの運転手にご婦人が何やら相談している。
蓼科湖畔に行くのに、乗り継ぎのバスはあるか、ということらしい。
どうやらなさそうなので、声をかけた。
「私、タクシーで近くを通りますから、一緒にどうですか?」
もちろん、単純な親切心ではない。同乗者がいれば、料金を負担してもらえる。
こちらもありがたいのだ。
先方も了解してくれたので、商談は成立したが、なんと彼女たちの宿は随分と遠いところにあり、そこまでの料金は出してくれたが、結局、1人でまっすぐ行ったのより高くついてしまったような気がする。
まあ、人助けしたのだから、いいとしよう。
駐車場にマイカー(93年購入のタウンエース、間もなく20万km達成)は無事あった。
途中、小津安二郎の茶室だったという無藝荘があり、そこに立ち寄ってから、ふもとの塩壺の湯で汗を流し、地元のラーメン・チェーン点「テンホウ」で夕食。
5組みくらいの親子が一緒に食事をしていたが、お父さんグループ、お母さんグループ、子供グループに分かれて楽しくやっていた。
たぶん、地元の小学・中学校の同級生なのだろう。
こんな風に幼なじみとともに年をとっていく人生もあるのだなあと思うと、ちょっとうらやましかった。
南八ヶ岳は権現岳の登山口、天女山駐車場に着いた時はもう暗くなっていた。
ワゴン車の後ろの席を倒して寝床を作り、寝袋をかけて寝た。
同じようにしている車が何台かいた。
途中眺めた、権現岳には雲はかかっていなかった。明日こそ晴れるぞ。
7月14~16日の3連休は八ヶ岳を変則的に縦走した。
もともとは飯豊連峰を縦走するつもりだったが、天候不順により断念。
天気予報で、唯一傘マークが付いていなかった長野県を選んだのだが、結果的には1勝2敗といったところ。
初日の蓼科、双子はガス。2日目の大岳、北横、三ツ岳、雨池はいずれも雨、縞枯も茶臼もガスだった。3日目は車で南に移動。権現はガスだったが、編笠、西岳は見事に晴れた。
八ヶ岳は昨秋、赤岳、阿弥陀、横岳、硫黄岳を縦走。今年2月に天狗と中山、丸山を登った。残るのは北の端と南の端だ。これを3日で歩くにはどうしたらいいか考えた。
結論は、車を使うことだった。
初日は、蓼科の登山口の駐車場に車を駐め、蓼科・双子を歩いて双子池ヒュッテに泊まる。翌日は大岳から雨池、縞枯、茶臼を縦走、麦草峠からバスで蓼科湖畔近くまで下り、そこでタクシーに乗り換え、蓼科の登山口まで戻って、車を回収。八ヶ岳を南に回り込んで、天女山駐車場に至り、ここで車中泊。3日目はここから権現、編笠、西岳と巡って、富士見高原に下り、ここにタクシーを呼んで、天女山に戻るという計画だ。
タクシー代に計15000円くらいかかる計算になるが、車中泊でやや相殺されるから、よしとした。
これで、八ヶ岳はほぼ制覇した形になる。我ながら完璧なプランである。フフフ。
14日朝5時半、勇んで所沢の自宅を出発した。
この日の予報は曇。ガスはある程度覚悟している。
でも、八王子あたりで青空が見え始め、おおっと1人声をあげたが、山梨に入ると再びどんより曇り空になってしまった。
八ヶ岳もほとんど雲の中で、編笠山の山腹がかろうじて見える程度だった。
8時半、蓼科山登山口に到着。駐車場にはすでに20台くらいの車が駐まっており、これから登ろうとする方々の姿もあった。
駐車場にはありがたいことにトイレがあり、これが洋式、ペーパー付きだったので、なおありがたかった。
目の前にある女ノ神茶屋をカメラに収めて、8:55出発。ここは標高1720mだが、このすぐ上までガスが下りていた。


ここで初日のコースタイムを記しておく。
蓼科山登山口(8:55)~2113m地点(10:00)~山頂(11:25小屋で昼食など1時間)~将軍平(12:45)~前掛山(13:00)~大河原峠(14:00休憩25分)~双子山(14:50)~双子池(15:20)
最初はなだらかなササ原の道だが、雨の後なので、道はぬかるんでいる。

ただ、雨や風がないのは助かる。
風が吹くと、木の葉にのっていた雨粒が落ちてくるからだ。
10分ほど歩くと急坂になり、これを10分ほど登るとまたなだらかになる。
9:40に再び急坂となり、ここから標高差160mを一気に登る。

ごつごつした岩場が続き、かなり、きつい。
一息つける2113m地点には10時ジャスト着。
このあたりからは南八ヶ岳が一望できるとのことだが、完全なガスの中で何も見えない。

すこし先の2156m地点で立ったまま休憩。行動食にパンを1個食べる。
しばらく、山腹の平らな低湿地を行くが

いよいよ標高差320mを直登する心臓破りの坂だ。
ここで軍手をはく(←北海道弁)。軍手は遠慮なく汚れた岩や木に捕まれるし、汗や鼻を拭くにも便利だ。
2300mのあたりで一瞬ガスが切れ下界が見えたが、それっきりだった。

このあたりで蓼科山に特徴的な縞枯れ現象を確認することができた。
読んで字のごとく、縞状に木々が枯れる現象で、原因はよく分からないらしい。

ゆっくりとよたよた登ってきたつもりだが、この坂で2人を追い越した。
樹林帯を抜けると、岩石帯となり、大きな岩をぴょんぴょん渡りながら登ることになる。
ガスが出ているので、ペンキの目印と竹ざおの誘導がないと迷ってしまうだろう。

道は右手、東方向にトラバースしていく。
風も強くなり、頂上が近いことは明らかだが、ガスで何も見えない。

正面に小屋が見えてきたら、左に曲がって、すぐ先が頂上(2530m)。
時間は11:25。2時間半かかったので、コースタイム通りである。

それにしても、頂上はだだっぴろい岩の原である。
案内板で、蓼科神社奥社や方位盤が近くにあることは分かるが、視界はせいぜい10m程度で、どこにあるのかさっぱり分からない。
人の声を頼りに進んで、奥社を発見。

続いて、方位盤も見つけた。

しかし、何も見えないのだから意味はない。
頂上に置きっぱなしにしたザックを回収して、蓼科山頂ヒュッテに向かう。

寒いので、中で休ませてもらいたかったが、休憩料300円とあったので止めた。
500円のバッジを買ったので、それで何とかならないかと期待したが、ご主人がなんとなく冷たそうだったので、休ませてとは言い出せず、外のベンチで2個目のパンをかじった。
気温は14℃。だんだん風も強くなり、手がかじかんできたので、やはり中に入ることにした。それでも休憩料を払うのはいやだし、体を温めたかったから、うどん(700円)を注文。ついでに首を伸ばして、中も見学した。
そしたら、なんとピアノがあるではないか。
もう1人のおやじさんに聞いてみたら、この小屋は45年くらい前にできて、ピアノは後にヘリで運んだのだという。時々、音楽祭も開かれるのだそうだ。
こちらのおじさんは愛想がよかった。
ちなみに、小屋では聖子ちゃんの「ボーイの季節」がかかっていた。懐かしい。
さて、うどんで温まったので、12:25出発。
ここからは濡れた岩場をまっすぐ下ることになる。

滑りやすいので慎重に下っていると暑くなってきたので、ゴアを脱ぐ。
登ってくる人もあえぎあえぎである。
またまたコースタイム通り20分で、将軍平の蓼科山荘前に到着。ここは白樺高原や天祥寺原を結ぶ十字路にもなっており、行き交う登山者が多い。

小屋の写真だけ撮って、すぐ通過。
しばらく平らな道を進み、赤谷の分岐を左に行く。

200mほどで前掛山(2354m)に達するはずだが、案の定、何の標識もない。
しばらく歩いて道が下り始めたので、証拠写真は撮れなかったものの、前掛山は踏破したと見なし、分岐へ戻って、大河原峠に向かう。
峠までは、最初ゆるやかな登りで、あとはうんざりするほど長い下り。
平らなところはぬかるので、丸太が敷いてあった。

ただ、どれもかなり朽ちているので、平均台状態の歩行となった。
このあたりも縞枯れ現象があった。

しばらく行くと、2380mの佐久市最高地点の標識があり

ここからが下り。石の上を水がちょろちょろと流れているような道で、かえって滑らない。

泥だらけの靴を洗ってくれるので、ちょうどいい。
それでも、疲れからか何度かスリップした。
14:00大河原峠着。2093m。

ここは車で来られる2000m以上の峠ということで、学生時代も自転車で来ることを考えていた場所だが、結果的に当時は実現できなかった。
徒歩で上から来ることになるとは思わなかった。
こちらは雲がなく、佐久方面の下界を霞んではいたが見渡すことができた。

峠に建つ大河原ヒュッテは鋭角の屋根が印象的。

ヒュッテの売店・食堂部分に入ると、テレビが付けっぱなしだが、人はいない。
別に何かを買うつもりもないので、呼び出したりせず、店内を見物。
毎年、八ヶ岳開山祭を行うごとに発売しているバッジが並んでいた。

隣の売店では、クワガタが売られていた。
ここで観光パンフレットをゲットして、14:25出発。
向かう双子山もガスの中だ。
少し登って振り返ると、ガスは左(南)から右(北)へものすごい勢いで流れているのが分かる。南からの湿った空気が、このガスを生んでいるのだろう。
これでは蓼科山は見えるわけがない。
それにしても峠を越えるとガスがすっと消えてしまうのが不思議だ。

双子山へは20分の道のりだが、疲れているのかピッチが上がらない。
ササの丈も高くなり、後半は背の高さくらいにまでなった。
カメラに露が付かないよう、万歳状態で歩く。
途中、風力記号のような木があった。

結局、頂上まで25分かかった。頂上は岩がごつごつした、わりと平らなところだ。

相変わらずガスで何も見えないが、晴れていれば、さぞかしいい眺めなのだろう。
風が強いので、休まず通過。
将軍平から大河原峠まで誰にも会わなかった。峠から双子池までも誰にも会わないだろうと思っていたら、祠のある東のピークで2人連れのご婦人とすれ違う。

この後は樹林帯の中の歩きやすい道を20分ほど下り

午後3時20分、双子池ヒュッテに到着。なんとここは車の入れるところだった(関係者のみのようだが)。

一瞬晴れ間が見え、明日への期待が高まる。
まずは受付。
小屋は老夫婦で経営しているようで、ご主人の方は横になってテレビを見ていた。
1泊2食7500円。ホームページでは6500円だったような記憶があるが。
部屋は池に面した「りんどう」。6畳間。
とにかくザックを置いて、双子池の雄池と雌池を散策する。
南にあるのが雄池。

ここで池の水を汲んでいる人がいた。
テント泊の人のようで、「ここの水は飲めるんです。定期的に水質調査もしてるようですよ」と教えてくれた。私は、とりあえず止めておく。
背後には明日登る大岳が望めた。ガスはかかっていない。
雄池と雌池の間には大岳への登山口があり、そこにいくつかの石仏や神像?が安置されている。

雄池と雌池は200mほどしか離れていない。

雌池畔にはキャンプ場があり、かなりの数が張られていた。
ヒュッテの泊まり客がこの日、私を含め4人だったことを考えると、今はやはりキャンプブームなのかもしれない。
安く、しかも、個の空間が欲しいということなのだろう。
そのための荷物の重さや、炊事の手間はいとわないということだ。
若い人向きだなあ、やはり。
私も学生時代、テントを持って全国あちこちへ自転車旅行をしたので、テン泊のノウハウはあるつもりだが、さすがに自分でかつぐとなると、覚悟がいる。
一応持っているし、今のテントはほんとに軽いのだが、まだ使ったことがない。
おそらく、タイミングよく避難小屋がないようなルートを縦走する際に使用することになるだろう。
まあ、それはともかく、いずれも静かな静かな山の湖だった。
4時にヒュッテに戻り、5時半の夕食まで、部屋で休息。あすのコースを確認したり、パンフレットを見たり。お腹が空いていたので、お菓子を1袋食べてしまった。
ときおり、日が差して、部屋が明るくなる。
ここは盆地状になっており、あまりガスが入り込まないようだ。
夕食はここ恒例の野菜の天ぷらと豚汁。おかわりは自由。

結構おいしかった。
同宿の4人が同じ方向(窓の外)を向いて、並んで食べる(そのように食事が並んでいた)。
「家族ゲームのようですね」と言ったが、誰も反応してくれなかった。みな若いからなあ。
1人は30歳くらいの男性。もともと関東の方だが、今は滋賀県に勤務しているという。
私と同じコースを歩いてきて、明日もほぼ同じコースを考えているようだ。
昨夜仕事が終わってから松本まで来て、ホテルに泊まり、けさ朝一番のバスで登山口まで来たのだとか。
学生のとき、部のツアーで同じコースを歩く予定だったが、そのとき先輩が飲み過ぎて倒れ、翌日の山行は中止。今回は8年前のリベンジということらしい。
もう2人は関西から来た山ガール。どこに行ったらいいか分からなくて、八ヶ岳になっちゃったんだとか。
そんな話を、それほど盛り上がらない感じでした後、ごちそうさま。
食堂に置いてあった雑誌を持って部屋に戻る。
それによると、ここのご主人は井出善生さん。御年75もしくは76で、八ヶ岳に数ある小屋の中でも最高齢のようだ。
確かにくたびれた印象だったが、室内には若かりし頃の写真や往年の小屋の写真が展示してあった。
井出さんは、子供の頃から山小屋経営が夢だったらしい。
7:30布団をしいてシュラフに入る。この日は個室だったので、よく眠れた。
午後5時半(7月27日)、蝶ヶ岳ヒュッテ。
館内放送で夕食の案内があった。
食堂の収容人数は70人なので、先着順に受付番号70番までが午後5時、71~140番までが5時半、141番以降が6時ということになっている。

部屋で山行記録を付けている間にも、遅い到着の方々が次々に入ってきて、ちょっと不安になったが、最終的に布団1枚分の領域は確保できた。
人数が増えた場合、布団2枚分で3人寝てもらうことになるそうだ。
先週の鳥海と昨年の八ヶ岳山頂でそういう目に遭ったが、あれだけはごめんだ。
ちなみに、ここのキャパは250人とのこと。
食事はメインがトンカツで、その他総菜系の付け合わせが何品か。
山小屋の夕食としては、まあ並みだろう。お腹が空いていたし、とくに不満はなかった。
写真を取り忘れたので、これは3回目の人の盗み撮り。

食事を終えて、外に出ると、東のガスが消えて、常念岳が姿を現した。

その分、槍・穂高のピークが雲にくるまり、残念な状況。日没は7時すぎ、それまで外でぼんやりしているのも寒いので、部屋で寝る態勢を固める。
ときおり、窓から外の様子を眺め、ろくな夕焼けにはならないことを確信して、写真は窓からにしておしまい。


それでも、この程度の写真は撮れた。
7時半くらいに一応目を閉じる。
消灯は9時のはずだが、8時前には電気が消えてしまった。誰か早寝の人が勝手に消したのかもしれない。
ただその時点で、屋根裏の人はみな寝ていた。中高年の方々がほとんどで、みな疲れ切っているのだ。
8時をすぎて食事などから戻ってきたパーティーの方々が荷物をがさごそしてたら、
「もう少し、静かにしてください!」と誰かに怒鳴られていた。
そんなに傍若無人にしていたわけでもなく、まだ消灯前なのだから、少し酷な気がした。
で、8時半にはもうイビキの合唱が始まった。
私は何度も山小屋に泊まっているのに、大部屋ではほとんど眠れない。
基本的にがさつなのに、そこだけはデリケートなのである。
今回もすぐには眠れなさそうなので、一旦床を抜け出し、1階の談話室で高山植物の確認作業をした。
ブログではえらそうに、これは何、あれは何と書いているが、1回覚えてもすぐ忘れてしまい、何度も見直さないと思い出せないのだ。
年を取ってから、ものを覚えるのは本当にむずかしい。
消灯の9時となったので、用をたしに外トイレに出る。
安曇野の夜景はきれいに見えたが、槍・穂高方面が今度はガスっている。
明日も下界は晴れの予報だが、山の天気は予想がつかない。
安曇野が雲海、槍・穂高が朝日に赤く染まるというのが理想なのだが、果たしてそううまくいくか。
部屋に戻ったが、やはり眠れない。
鳥海山の時もそうだったが、なぜか必ず、その日一番イビキの大きい人が隣にいる。
でもイライラしても始まらない。どうせ、11時くらいまでは寝付けないだろうと覚悟を決めて、考え事をしたり、羊の数を数えたりする。
あえて眠ろう眠ろうとはしないのがコツ。
夜中に何度も意識が戻って、ずっと起きていたような気がしても、それはレム睡眠のときに起きてしまっただけで、一応ノンレム睡眠もしているはずだから大丈夫だ。
それでも3時半に目が覚めてからは眠れなくなった。
また外トイレに行って、外の様子を確認する。
満天の星、天の川も見える。これはいい天気になるぞ!
気をよくして、屋内のバイオトイレに入り、最近出にくい大にチャレンジ。
15分くらい粘って、多少は出たが、トイレの臭いが服にこびりついてしまった。
あとは何度も窓から夜の明け具合を見た。
いよいよという段階で外に出て、撮影に望むつもり。ただ、安曇野は中途半端な雲海で、日もどの高さから出てくるか測りかねる。

穂高にも笠雲がかかり、条件はもう一つよくない。
ご来光は4:58。

柏手を打って、穂高が赤く染まるのを待つが、微妙だ。

それでも、多くの泊まり客が外に出て、山の早暁を楽しんだようだ。

朝食の順番は決まっておらず、並んだ順だそうなので、15分前から並んだ。
なるべく早く出発したいので。
朝食はメインが鮭の切り身。あとは昨夜と似たり寄ったり。
目の前のおじさんが仲間に「鮭の皮残す人が多いんだよね。あそこが一番おいしいのに」などと話している。
その無神経さに驚く。
昨日も、夕食を食べながら、「山を登る人に悪い人はいない」と大声で話している人がいたが、そんなことは全くない。
私は新田次郎の小説で育ったせいもあるが、2年間みっちり山を歩いてきて思うのは、マナーのなっていない人ばかりだ。とくに高齢者の団体がひどい。
「悪い人」ではないのだろうが、もう少し、他人もいるのだ、という意識を持ってもらいたい。
この日も夜明け前、ヘッドライトをつけて身の回りの整理をしていた人が、たぶん昨夜怒鳴ったのと同じ人にたしなめられていた。
「ヘッドライトは頭につけないで、下に置いて。上に付けるとみんな照らしちゃうんだよ」
まあ、そうはそうなのだ。自分はなるべく大部屋ではライトを使わないし、1回付けて通り道を確認したら、消したまま歩く。そのくらい他人が寝ていることに気を遣う。
イビキについても、人に迷惑をかけてはいけないと、イビキ防止のシールを口に貼って寝る人を知っている。
ライトのおじさんの光も確かに気になったが、怒鳴ることで、何人かは起きてしまっただろう。これまた迷惑である。
マナーを守るよう注意することは正しいことかもしれない。
しかし、あの人は2回とも命令調で、「お願い」的ではなかった。
「すいません、ライト下向けてくれますか」
という言い方で随分違うと思う。
要するに、えらそうで、自分が常に正しいと思っていて、人を注意することで得意になっている人の方が私は嫌いである。
なんて話が横道にそれた。ついつい、こっちが説教くさくなってしまった。
準備もできたのでいよいよ出発。時計は6:05。
槍・穂高も樹林帯の緑がくっきりしてきて、鮮やかな姿になった。

みなさんもそれぞれ行動を開始した。

これから歩く長塀(ながかべ)尾根は最初はなだらかだが、後半は急な下りとなる。

遠く、乗鞍が今朝ははっきりと見えた。
振り返ると、山小屋と常念、大天井。

少し下ると雪渓が残っていた。このあたりは高山植物の楽園だ。

まずはハクサンシャクナゲ

ハクサンイチゲ

イワカガミ

ミヤマキンバイ

アオノツガザクラ

ミツバオウレン

ミヤマキンポウゲ

シナノキンバイ

などなど。キンポウゲとキンバイの区別は本当に難しい。
可憐な花の競演に、いちいちポケット図鑑で調べながら歩いていたら、時間がどんどん過ぎてしまい、妖精の池までコースタイム10分が30分もかかってしまった。

この後はずっと樹林帯である。
横尾からの登り以上に、○印がうるさい。

途中、初めて見た大きな花はキヌガサソウ。

これは何だか特定できなかった。

これも特定できず。

誰か教えてください。
クルマユリは分かった。

長塀山はとくに眺望もなく、7:10通過。

あとはうんざりするほどの長い下り。
梓川の音が聞こえてきて、先が見えてきてからも30分以上あり、下りで2回も休んでしまった。
途中、若者のグループ2組とすれ違ったが、彼らの挨拶はとても気持ちいい。
本当に笑顔で「こんにちは~」と言ってくれる。こちらも、つい笑顔になる。
はっきり言って、山では若者の方が断然マナーがいい。
KYを最悪と考える価値観で生きていたこともあるだろうが、他人への配慮というものがある。ひるがえって団塊の世代は、我先にやらないと競争に勝てない時代に生きてきた。そういう差が反映されているのかもしれない。
山頂から3時間半近くかけて徳沢に下山。ああ、懐かしい。1日ぶりだ。
徳沢園の「みちくさ食堂」で400円のソフトクリームを買う。う~ん生き返る。
なんと、下りてみたら、明神と前穂はまだ9時半だというのに、もう雲の中。登ったのが昨日でよかった。
あとは平らな道。足取りも軽い。
一昨日歩いたはずだが、歩く方向が違うからか、あまり歩いた道のような気がしない。
1時間弱で明神館に到着。結構な人出。さすが土曜日だ。

帰りはここから明神橋を渡り、梓川右岸を行く。
河原では高校生たちが大勢、両岸から石投げをしていた。

川を渡ると、山のひだや(ハイシーズンなのにお休み?)、続いて有名な嘉門次小屋。

今日のお昼はまたフリーズドライのつもりでいたが、ここの雰囲気に負けて、外食にしてしまう。明神池の清らかな水で打ったとろろそば(800円)。名物の岩魚塩焼きは、徳沢園で食べたので、ここでは遠慮する。
ついでにビールも頼んでしまう。
山ではほとんど酒は飲まないのに、徳沢園で飲んで、クセになったのか、蝶ヶ岳山頂に嘉門次小屋と連日飲んでいる。しかし、うまい。
食べ終わったら、早速、拝観料(300円)を払って、明神池を見物。

奥にある二の池は岩や島があり庭園のよう。

カモも泳いでいた。

ここには長野勤務時代、1993年10月23日に来たことがあるが、明神館に泊まった翌日、雪が5cmほど積もっていて難儀した記憶がある。小さい子供2人を連れて、普通の秋服、夏靴だったので、確か、靴下の上にレジ袋を履いて、靴を履き、上高地まで歩いて帰った。
まあ、夜中に降った雪で、その日は晴れていたのが幸いだった。雪景色もきれいだったはずだが、あまり記憶がない。
さて、穂高神社奥宮を参拝して、観光は終了。木道を歩いて、河童橋に向かう。
この道は焼岳に向かって歩く道だ。
途中の岳沢湿原は、枯れ木が林立し、ありし日のトドワラのようだった。

そして、12時半、河童橋に戻ってきた。
あれだけ穂高を正面から存分に見てくると、ここからの眺望はまだまだ序の口だったことに気づく。
それにしても、猛烈な人出。河童橋周辺はまるで軽井沢のような賑わい。
ここは登山基地ではなく、完全なミーハー観光地である。

それはともかく、目的はお風呂。
河童橋界隈のもっとも奥にある上高地アルペンホテルが日帰り入浴を受け付けている。
500円という料金もありがたい。
ウェストン碑近くの上高地温泉ホテルも日帰り入浴可(800円)だが、アルペンの方は温泉なのだろうか、あまり注意していなかったので、確認できなかった。
とにかく汗は流して、さっぱりしたが、上高地でも気温は26℃。重いザックを背負ってバスターミナルまで歩くうちにまた汗をかいてしまいそうだ。
帰りは、午後2時発の直行高速バス「信州さわやか号」。3シーターの豪華版。
この日は、バスも乗り入れ規制があって、沢渡で乗り換えだったが、そう苦にもならず、楽ちんができた。
少々渋滞があって、新宿着は30分遅れたが、9時前には帰宅できた。
いろんな意味でぜいたくな山行だった。
もういい大人なのだから、こういうのも時々は織り交ぜて行くことにしよう。