山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

雨飾山(下)

8:45下山開始。さっきも見た風景だが、広大な笹平が一望のもとに見える。
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この眺めを楽しみながら、急坂を慎重に下る。

右手には、北信の山々が見える。
左から黒姫山、地蔵山、高妻山・乙妻山と思われる。
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笹平に下ると、団体さんが続々と上がってきた。
女性たちは防虫ネットをかぶっている。さすがに今日は重宝するだろう。
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左前方には、鋸岳(手前)と鉢山(奥)の鋭い山容が望める。
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9時に小谷温泉へ下る分岐に到着。振り返ると、雨飾山の堂々たる雄姿が。
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ここからは、ものすごい急坂を標高差にして450m延々と下ることになる。
左手には、金山から天狗原山の山体が全容を現した。
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右手には、雨飾山の巨大な一枚岩が姿を現し、岩峰としての片鱗を見せ始めた。
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岩場には、様々な高山植物がけなげに咲いている。
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すれ違った登山者に「頂上はまだですか」と聞かれ、「あと1時間半くらいでしょうか」と答えたら、「聞かなければよかった」とがっかりされた。
それだけ急な登りなのだ。
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どんどん下っていくと、雨飾山の信州側の表情が分かってくる。新潟側とはうって変わって、厳しい。
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信州側の方が交通の便もいいし、所要時間もやや短いので、こちら側を利用する人が多いと思うが、ピストンするなら、やはりこちらの方が変化に富んでいるかもしれない。

10時、荒菅沢に到着。大きな雪渓だ。かなり落石があり、ちょっと怖い。
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しかし、ここから見上げる雨飾山は、実にかっこいい。
あの二つの岩峰が「猫の耳」と言われるピークだろうか。
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このあたりの雪渓は傾斜もゆるく、トラバースするだけなので何も履かなくても大丈夫そうだが、そんなに手間でもないのでチェーンを巻く。
いい天気で、秀峰を眺めながらの快適な雪渓歩きだ。
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雪渓には赤い塗料(?)が撒いてあり、歩くルートを示してくれている。
初心者の私としては「へ~、こういう風に案内してくれるんだ」と感心。
でも、雪が解けるに従い、ルートが変わる場合もあることも知った。

この見事な雪渓を直登するつもりなのだろう、ザイルを組み始める方々もいた。
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いずれ、そういう登り方もしてみたい。
こんな岩は無理だけど。
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雪渓を横断するに従い、雨飾山はまた別の表情も見せてくれる。
変化に富んでいて、とても楽しい。
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少し登り返すと、あとはいくつもの小さな雪渓をトラバースしながら下っていく。
ブナの林に入ると、なんとヒグラシのシャワー。
雪の上を歩いていたので、冬の気分でいたら、そうだ今はもう夏だったのだ。
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10:30ブナ平着。とくに休む場所もないので、そのまま通過する。
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まわりは濃い緑。まさに夏に戻ってきた感がある。

途中、猛烈なスピードで下ってきたおじさんに抜かれる。
下りで抜かれたのは初めてだが、この人のペースはすごい。
小谷温泉からのピストンだそうだが、2時間半で登頂してしまったらしい。
山にはいろんな人がいる。

こちらはずっと休まず下ってきたので、かなり疲れていた。
大海川の河原まで下りてくると、木道が続く平らな道となるが、もうフラフラである。
さっきの人が川で靴を洗っているのに追いついて、少し話したのだが、その後、彼はあっと言う間に見えなくなってしまった。
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このあたり、ミズバショウが咲いているのだが、もう盛りは過ぎていて、だらしなく広がっていた。
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11:15やっと登山口に到着。所要2時間半。
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休憩舎があったので、顔を洗ってひと休み。
残りのパンを食べて、小腹を満たす。
駐車場にはたくさんの車が駐まっている。私はまだ、バス停まで1時間半ほど歩かねばならない。

もともとの計画では、ここから鎌池を経由して小谷温泉の湯元・山田温泉に下り、車道を30分ほど登り返して、雨飾荘を見学、露天風呂に入って、15:10のバスに乗る予定だ。

時間的にはまだ余裕なのだが、かなり疲れていて、雨飾荘はカットしようかという気分になっている。
なぜ、雨飾荘にわざわざ行くのかというと、露天風呂に入りたいのもさることながら、様々な「山小屋」の外観の撮影もコレクションになり始めてしまったからだ。
まったく、男とは厄介だ。どうしても何かを集めないと気が済まない。
そんなことをしても、「山と渓谷」付録のデータブックの山小屋の欄にマーカーで線が引けるだけなのに。

とにかく、山田旅館に着いてから、時間と疲労度を見て考えようと結論を先送りし、舗装道路を歩き始める。
振り返ると、雨飾山。信州側のふもとからは、このように見えるのだ。
結局、新潟側のふもとからの姿は見ることができなかった。
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お昼は小谷温泉で食べようと思っていたのだが、鎌池の湖畔に「ぶな林亭」という食堂があるようだ。ちょうどいい、そこで休憩がてらお昼にしよう。
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鎌池に行く途中に小さな湿原があり、そこを透かしてみる雨飾山も美しかった。
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12時にぶな林亭に到着。団体の先客がいた。
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雨飾山のふもとで声をかけられた方々だ。
「この先の湿原までどのくらいかかりますか」というので、「20分くらいで着きますが、休憩するような場所はありません」と答えた。
それで彼らは進むのを諦めたのだろう。さっき追い越されたバスに乗って、ここまで来て休んでいたわけだ。
彼らの後まで待たされるのはたまらないので、そばは止めて、すぐに出てきそうな「野豚カレー」を注文。
結構食いでがあった。
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20分ほどの休憩で出発。鎌池を半周する。
池を前景とした周辺の山々の眺めがすがすがしい。
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これは大渚山。

そして金山と天狗原山。
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雨飾山はちょっぴりだけ見えた。
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さて、ここから小谷温泉までは急坂を1時間弱下る。
あまり歩かれていない道らしく、夏草がかなり茂っている。
目の前に山田旅館が見えて、ゴールは目前というところで、踏み跡が夏草に隠れて完全に見えなくなり、道を失った。
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他の人も迷ったようで、草が分かれているところに進んでは撤退を繰り返したという状況が見てとれる。
私もいくつか藪に入っては引き返し、なんとか道を見つけることができた。
下りたところが山田旅館の裏である。

時間は13:10。バスの時間まで2時間もある。30分登り返して、風呂にも入る時間は十分ある。しかし疲れた。どうする。

こういう時、つくづく私は頭がいいと思う。カツオくんのようだ。
風呂はここで入ってしまう。ここは小谷温泉の湯元であり、由緒ある風呂だ。
入るなら、ここだろう。見てください。この立派な店構え。
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風呂に入ってしまったら、もう歩きたくない。雨飾荘にはバスで行くことにする。
雨飾荘前15:10発のバスは、その前にここ山田旅館前を14:55に通る。
これに乗って、終点まで行き、雨飾荘を写真に収めて、また同じバスに乗って帰ればいいのだ。名案に我ながら、うっとり。

さっそく、わらじを脱いだ。もう歩かないで済む。
温泉は雨飾温泉とほぼ同じ成分のようだ。
この時間、まだ登山客が下山してきておらず、ひとり独占状態だったので、浴室の写真を撮ることもできた。
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武田信玄の隠し湯だったというくらいだから、もう500年の歴史がある。
寝湯のスペースもあったので、○んちん丸出しでしばらく横になった。
ああ極楽じゃ。

ゆっくり浸かっても、まだバスの時間まで1時間もある。
休憩室のソファでメールをしたりして、疲れをいやした。

14:55のバスに乗り、1駅で終点に到着(150円)。運転手さんには「雨飾荘に忘れ物をしたので」とごまかして、ザックをそのまま置かせてもらい、待ち合わせの10分の間に、300m登って、雨飾荘に。
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う~ん、これは山小屋というより、高原ホテルだ。
ここに泊まって、雨飾山に登るのはかなり優雅だ。

すぐ下に露天風呂があった。ここは敷地内撮影禁止と看板があった。
女湯を撮ろうとする人がいるのだろうか。
それにしても、下山してきた登山客で結構混んでいたし、なんか造りものっぽい風呂で、山田旅館で入ったのは大正解だった。

ところで、妙高方面に行く乙見山峠は通行止めになっていた。
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出発が1日遅れたので、妙高山登山は諦めていたのだが、交通状況を確認せずに、そのつもりで来ていたら、呆然とするところだった。

ここから大糸線中土駅までのバス道路沿線の集落もひとつひとつ美しかった。
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中土駅での待ち合わせ45分は(16:17発糸魚川行き)、付近の集落の写真を撮ってすごし、糸魚川、直江津、越後湯沢、大宮と乗り継いで、21時過ぎに帰宅。

なかなかすばらしい山行でした。

ちなみにコースタイムを書いておきます。
雨飾山荘(4:30)~難所のぞき(5:00)~中の池(6:40)~笹平(7:35)~山頂(8:00朝食45分)~分岐(9:00)~荒管沢(10:00)~ブナ平(10:30)~登山口(11:15休憩10分)~鎌池(12:00昼食20分)~小谷温泉(13:10)

明日は暑くなるみたいだけど、日帰りで瑞牆(みずかき)山に登ってきます。
車だけど、ピストンはせず、周回コースを取ります。
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雨飾山(上)

塩の道は後回しにして、雨飾山山行を報告する。

雨飾山へは新潟側から登ることにした。
バスは登山口にある雨飾山荘までは通じていないので、最寄りの大糸線根知駅からタクシーで行った。
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根知駅にはタクシーはいないとのことだったので、午後5時に予約しておいた。
糸魚川駅から行くよりも、2~3000円ほど安いはず。

それまで晴れていたのに、雨飾山はすっかり雲の中。
気分が暗くなりかけるが、前回、旧清水街道を雨の中を歩いたことを考えれば、まだましだ。だいたい、今は梅雨なのだから、雨が降って当たり前なのだ。

山荘への林道はぐいぐいと標高を上げていく。
と同時に、どんどんあたりは暗くなっていく。
20分ほどで、山荘に到着。標高900m。もう目の前に霧が迫っていた。
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雨飾山荘は明治13年の創業だというので、もう130年もの歴史を刻んでいる。
木造2階建ての立派な山小屋だ。
1999年にここまでやっと車道が通じたが、今でも山小屋として消灯は9時と決められている。
土合山の家とは違って、ありがたい。

冬季は豪雪に埋もれるだけに、頑丈な造りで、梁がものすごく太い。
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山荘の正面に混浴の露天風呂「都忘れの湯」があり、夕食前にさっそく入った。
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ちょうど、老夫婦が出るところで、1人でゆったりと湯に浸かることができた。
ナトリウム-炭酸水素塩・炭化物泉だそうで、浴槽の底がものすごく滑る。
油断すると、簡単に転んでしまいそうだ。
でも、湯加減はちょうどよかった。

夕食は最近増築したという食堂でいただく。
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メニューは地産地消で、とても贅沢。今日、支配人の伊藤博夫さんが釣ってきたというイワナの塩焼き。「もう今日が最後の山菜」というウドとウドブキ。これは生で、みそを付けて食べる。どっちもシャキシャキして、みずみずしい。
これら山菜は、モミジナも加えて天ぷらに。ウドは酢の物、フキは煮物にもしてくれた。
マグロやイカの刺し身が出るのは車が通った恩恵か。
デザートにはキウイとサクランボ。たぶん、これは輸入ものだ。

ビールも飲まず、おかずとして食べたら、御飯をおかわりしてしまった。満足。
それにしても、隣の席にいた男性2人組みの1人の地声が大きいのには閉口した。
その口で「最高だ」とか「都会じゃ食えない」とか絶賛の言葉が連発されるので、すっかりしらけてしまった。
あの声で夜中も部屋でおしゃべりされたら、また眠れない・・・と不安になったが、あにはからんや、さっさと寝てくれたので、こちらも安眠できた。

この日の宿泊客は、例の老夫婦を含め5人。まだハイシーズンではないにしろ、土曜日としては少ない気がする。やはり、車が通ると日帰りの山になってしまう。
山小屋にとっては痛し痒しなのかもしれない。

食後、窓の外を覗くと、霧が夕焼けに照らされていた。
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おおっ、これは晴れるぞと思ったら、間もなく月が出た。明日は晴れだ。
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小屋の正面にある鋸岳なども闇夜にくっきりと姿を現した。
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もう沢の音が聞こえるだけ。久々に安眠できそうだ。

翌日(24日)は4時起床。4時半に出発した。気温は11.5℃。
雨飾山は標高1963.2m。私の誕生年、誕生月と同じ。縁起のいい山だ。
キツツキがコココココと木をつついている。
テン場の登山客も起き出していた。
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まずは樹林の中を行く。いきなりの急坂である。
振り返ると鋸岳や鬼面ヶ山が見える。
30分ほどで尾根に達する。難所のぞきという場所で、西側の展望が開ける。
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難所というほどの危険な場所ではないが、西側の谷は深い。

ここからは尾根を行く。5時9分、やっと日が昇った。
2か所ほど平坦なところがあったが、基本的には急な登り。
途中、「前橋営林局」の表示があって、びっくりした。
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調べてみると、前橋営林局は現在の関東森林管理局の前身。管轄は、群馬は言うに及ばず、関東6都県(千葉を除く)のほか、新潟、静岡、福島までカバーしていたようだ。

1309m地点は5:35、アルミのハシゴは5:45に通過。
6時頃、景色のいい場所で朝食とする。昨日、南小谷駅前の店で買った菓子パン。
西の谷には、こんな壊れそうな雪渓が見えた。
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5分ほどで食べ終わり出発。間もなく、道は左へトラバース気味になり、雪渓が出てくる。
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平らなところはそのまま通過したが、傾斜した雪渓が出てきたところでチェーンを巻く。
また、ピッケルを忘れてしまったが、たまたま会社にストックをデポしてあったので、それを持ってきた。これが結構役に立った。

6:35、巨大な雪渓の末端に到達。少し水たまりになっており、ミズバショウが咲いていた。おそらく、ここが中の池だ。
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この先は急傾斜の雪渓登りとなる。
アイゼンは12枚刃しか持っておらず、重いし、着脱が面倒なので、置いてきた。
チェーンで一応滑り止めになるのだが、登りとなると、やはりいちいち雪を蹴って、足場を作らなければならず、時間を食った。
そのせいか、後から来た登山者に距離を詰められてしまった。
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しかし、雪渓からの眺望は抜群だ。鋸岳から駒ヶ岳に至る稜線や糸魚川市街、日本海が一望のもとだ。
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北アルプスの北の果ての稜線も見えてきた。
雪渓はどんどん急になる。
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う~ん、やはりチェーンでは厳しいと思ったところで、トラロープを発見。これに捕まって、登り切り、7:35笹平に到着。
なんと雪渓との格闘に1時間を費やしてしまった。

ここからは背の低いササ原で、目指す雨飾山の頂上を見ながら、気持ちよい尾根歩きだ。
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振り返ると、わずかに煙を吐いている焼山とその右にちょこんと火打岳が顔を出している。
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その右に横たわる雪渓もあざやかな峰々は金山と天狗原山。
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緑と白の配分が絶妙で、やはり上信越の山々は6~7月が最も美しい。
喜んでいるのは目だけではない。
お尻もブーブー言ってうれしがっている。それにしても今日はよく出る。

このあたりは高山植物の宝庫。青紫のシラネアオイが咲き誇っていた。
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次第に、朝日岳が姿を見せてきた。
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さて山頂へ最後の急登というところで、長野側から登ってきた軽装の若者に抜かれてしまう。せっかく本日一番乗りを狙っていたのに、残念だ。
ただ、新潟側から登った人としては、私が一番早かった。
笹平の雪田も絶妙な配置だ。
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見下ろすと、次から次へと登山者が登ってくる。
こんなに交通の不便なところでも、さすがに百名山である。
北には、緑の下界が広がる。その向こうは日本海。
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そして8時ちょうど。山頂に立つ。コースタイムより1時間ほど早い。
本当の山頂は長野県側だが、新潟県側の石仏が並ぶ山頂で荷を下ろした。
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見てください。この絶景。
白馬岳を中心とする北アルプス北部の稜線が一望である。
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私は、あちらは登ったことがないので、地図を見ても、正確には山座同定ができない。
後から登ってきた人に「分かりますか」と聞いたら、教えてくれた。
どうやら、これが白馬だそうだ。
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なるほど、立派な山容である。

で、これは自分でも見分けがついた爺ヶ岳(左)と鹿島槍(右)
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ずっと左には、穂高連峰と槍ヶ岳も確認できた。
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あまりに見事な眺めに、鼻もふくらむが、山頂は虫(小さなハエみたいなの)がものすごく飛んでいて、耳の穴やら鼻の穴にまで飛び込んでくる。
最初はいちいち払っていたが、キリがないので諦めた。
とにかく湯を沸かし、本格的な朝食とする。といっても、アルファ米と水で戻す中華丼だが。食べているうちに山頂はどんどん混んできた。人でごったがえす前に写真も撮っておかなくては。
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で、ちょっと移動して、ほんとの山頂へ。
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ここから、さっきの新潟県側山頂を見ると、こう。
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8:40下山を開始した。

つづく
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大糸線

大糸線の乗りつぶしと雨飾山登山のため、糸魚川に用を作った。
6月22日夜、仕事を終えて、新宿駅に向かう。この日の朝もそうだったが、大きなザックを背負って通勤電車に乗るのは、他のお客さんに申し訳ないし、恥ずかしい。

昔は金曜の夜ともなると、夜行で山に向かう登山者たちで新宿駅はごったがえしていたが、今はそんな風景は見られない。
もう夜行列車などほとんどないのだ。
私が乗るのも、20時発の特急スーパーあずさ33号。今夜は信濃大町まで行って、駅前の旅館に泊まる予定だ。

新宿駅について驚いた。もう19:45だというのに、ホームには19時発のあずさがまだいるのだ。
駅の案内は、19:50頃発車の見込みとアナウンスしていたが、20時発のもそんなに遅れたら、今日中に大町まで行くのは不可能になる。
あわてて、駅員さんに聞いたら、あずさ33号はほぼ定刻通り発車できるとのこと。
助かった。
架線事故があって、上り列車の到着が大幅に遅れたのだそうだ。

わが列車は5分ほどの遅れで出発した。
となりには、若い女性が座り、緊張する。いつも以上に行儀よくしなければと、プレッシャーがかかる。弁当も焼きそばなどにしないで、幕の内にしておけばよかった。

東京の夜景を見ながら、焼きそばをそっとすする。
間もなく、隣は眠ってしまい、ひと安心。こちらも新聞を読んでいるうちに寝てしまった。夜はガツガツ車窓を見なくていいので、リラックスできる。

気がつくと、茅野の手前あたりだった。
隣の女性は岡谷で下りてくれた。
ただ、知らないうちに列車はさらに遅れ、15分遅れで走っていた。
松本での大糸線への乗り換え時間は30分近くあり、長いなあと思っていただけに、ちょうどいい遅れだ、と内心ほくそ笑む。
結局、20分遅れで22:58、松本に到着した。

松本23:07発の信濃大町行き普通列車(3両)は、酔客でほぼ満員だった。
空いている席は少なく、あえてカップルが座っているボックス席に割り込んだ。
人が来れば、こいつらもおとなしくなるだろうと思ったのだが、全く動じることなく、いちゃいちゃしている。えらい席を選んでしまった。
とくに男が、女の髪をなでなでし続けていて、気持ち悪いったらなかった。

しかも、この列車、名古屋発長野行き特急しなのと接続してから発車するという。それで、25分も待たされた。
その間、ずっと、いちゃいちゃいちゃいちゃで、本当に苦痛だった。

大糸線は駅が多い。信濃大町まで35kmの間に19もある。
1駅ごとに、乗客は少しずつ下りていく。
信濃松川で男が下り、やっと静かになった。

信濃大町には24:22着。歩いて3分のところにある民宿七倉荘に泊まる。
フロントに、私の部屋の鍵が置いてあった。
もうこんな時間だ。あすは6時に宿を発たなくてはいけない。
風呂も省略して、とっとと寝る。

5時半起床。天気は曇。窓から見えるはずの北アルプスも雲の中だ。
素泊まり料金4500円を支払って出発。
まずは信濃大町駅を撮影。真新しい。2010年7月に建て替えられたのだという。
山小屋をイメージしたデザインのようだ。
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ここから南小谷まではJR東日本の管轄。電化されている。
同じ大糸線でも南小谷以北はJR西日本の管轄で、電化されていないため、ディーゼルカーが走っている。南小谷で乗り換えが必要なのだ。
6:12発の南小谷行き普通列車(クモハE127形、2両編成)に乗車。
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乗客は先頭車両に1人、後方車両に私1人。これなら、恥ずかしがらずに撮り放題、窓を開けることもできる。やった!
とりあえず、発車前に菓子パンの朝食を済ませる。

天気は曇ったままだが、田んぼは青々としており、里山の緑も濃い。
あっと言う間に季節は夏になっていた。
信濃木崎から稲尾を経て海ノ口までは、左手に木崎湖を見ることができる。
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ちょっとスイスを思わせる。

簗場あたりから見えるのは、中綱湖。
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すぐ、青木湖が見えてくるが、こちらは立ち木が邪魔して、湖面はあまりよく見えない。
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青木湖を過ぎると分水嶺。ここから先は、日本海に注ぐ姫川に沿って、大糸線は走る。
しかし、新潟との県境はずっと先だ。
南神城駅には、JR東日本最西端の駅との標柱があった。
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そんなくくりがあるのか。JR西日本の最東端の駅はどこなのだろう。
調べてみたら、直江津駅だった。でも、自社管理ということでは隣の谷浜駅とのこと。

次の神城駅で重装備の男女2人が乗ってきた。彼らは白馬駅で降りたので、たぶん白馬に登るのだろう。私も近いうちに挑戦したい。
その白馬岳が、稲森駅あたりで雲の切れ間から見えてきた。
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ものすごい雪渓だ。美しい!
長野勤務時代は普通に見ていたはずなのに、あまり感動した記憶がない。
やはり、山に登る人と登らない人では感じ方が違うのだ。

信濃森上あたりでだんだん晴れてきた。いい感じだ。明日も晴れてほしい。
白馬大池近くを流れる姫川には、巨大な岩が鎮座していた。
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7:15南小谷着。
ここは大学1年の秋、クラスの仲間と4人で3泊3日の信州旅行をした時に、夜行列車で降り立った駅だ。31年ぶりの再訪である。
駅は最近増築されたようで、当時、駅の正面にあった木製の駅名標はホームに移されていた。
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いや、実に懐かしい。あの時は、ここから千国街道を白馬大池あたりまで歩いたのだった。
入り口が分からず、しばらく国道を歩いたことを思い出した。
それにしても、あの旅は楽しかった。
できれば、また1泊でいいから同窓会旅行をしたいものだ。
自分も含め、みな頭が薄くなっているが。

増築に際し、畳の待合室が新設されていた。
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駅舎の外観はこんなふう。
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7:51発の糸魚川行き普通列車はキハ120形で1両編成。
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ボックス席は4つのみで、半分はロングシートだ。乗客は数人程度。
姫川はいよいよ勢いを増してくる。

この急流を利用して、流域には水力発電所が多い。
電力会社のもの以外に、電気化学工業という会社の発電所がいくつもあってびっくりした。
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この会社は大正4年に肥料の石灰窒素を生産する会社として、最初は福岡の大牟田に工場を開設したが、その後、新潟県で豊富な石灰岩産地を見つけ、姫川に自前の発電所を作って、ここでも操業を始めたとのことである。なるほど。

列車は姫川と寄り添いながら、いくつものトンネルを抜け、根知のあたりでようやく平地に出る。
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8:46に糸魚川に到着。ここはヒスイの町だ。
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ひと仕事して、とりあえず北小谷まで戻る。午後は、そこから千国街道(塩の道)を歩くつもりだ。
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旧清水街道(下)

6月10日

芝倉沢の大規模な落石を越えると、当然のことながら、道は細くなった。
車が入らないため、草木が繁茂し、土が見えているのは人が歩く部分だけだ。
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道にも残雪が見え始め、次の沢への恐怖が増す。
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小さな沢は、水の流れを渡ったり、小さな雪渓を乗り越えたりするだけで済んだが、
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問題は、道が深く谷へ食い込んでいく、大きな沢だ。当然のごとく、それは現れた。
武能沢。
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この雪渓は、芝倉沢とはまた別の問題があった。
写真では、よく分からないかもしれないが、傾斜がさっきとは比較にならないくらい急である。そして、滑り止めになる木のくずが少ない。さらには、対岸の雪渓が内側に切れ込み、地面と離れている。

運良く、杖にするのにぴったりの木の枝が落ちていた。
対岸から渡ってきた人が使って捨てたもののようにも思えた。

靴で蹴るだけでは足場が作れず、この枝で雪面を突いて削り、足場にしながら一歩一歩進んだ。
雪渓を横断する時は、どうしても登り加減になる。
対岸に着いた地点は登山道より高さにして3mほど高い地点。
雪渓の先端から地面(急傾斜)までは1mほどの隙間があり、飛び移ろうとしても、斜面を滑り落ちて、雪渓と地面の間に挟まれ身動きできなくなってしまう可能性がある。
その前に、雪渓の先端に足をかけた時点で、雪が崩れ、隙間に転落してしまいかねない。

せっかくここまで来たが無理だ。
(引き返すか。いや、何か手はないか)
雪渓の上にに立ち止まったまま、しばらく考える。
振り返って、よろめいた時、背筋が寒くなった。
ここで転んだら、何百メートル滑落するか分からない。
(進退極まった)
そう一瞬思った。
実際に立ち往生しているのだが、心の中でも立ち往生している自分がいた。
(まてよ、落ち着け、落ち着け。考えろ)
雪面をじっくりと見つめる。
少し下ったところに地面との間隔がもう少し狭く、地面も比較的平らな地点を見つけた。
あそこまで行けば飛び移れる。
その後、どうそこまで行ったのかよく覚えていない。

結果として横断は成功した。
しかし、ここで体験した恐怖は前進を断念させるに十分だった。
この先、このまま旧道を進めば、白樺沢など同様の雪渓がいくつもあることは目に見えている。
ただ、幸い、この先に湯檜曽川の河原へ一気に下って、川沿いを土合に向かう新道との分岐がある。これを使って戻れば、安全に下山することができる。
とにかく、その分岐のすぐ先に白樺避難小屋がある、そこで休憩がてら、進路を検討しよう。

8:40避難小屋着。緑のほんとに小さな小屋だ。3人が横になるともういっぱいの大きさで、2人がかけられるベンチがあった。
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ここで、濡れた体を拭いて、残りのおにぎりをほお張る。
気温は15℃。それほど寒くはない。相変わらず雨は降り続いている。

さて地図を広げる。今まで、土合から清水峠への道ばかり見ていたので気づかなかったが、なんと大源太山に通じる別ルートがあるではないか。
この小屋のすぐ先で旧道を右に見送り、蓬峠を経て行く道だ。
地図で見る限り、そんなに深い谷をまたがなくても済みそうだ。
(よし、これで引き返さなくて済む)
清水峠は断念することになるが、次回リベンジする時は、この避難小屋まで新道で来れば、今回と同じ道を通らなくて済む。いいこと尽くめではないか。

明るい気分で9:05小屋を後にした。
ところが、旧道と分かれてすぐ雪渓に出くわした。
ただ、これは苦にならない、さくっと横断して行こうとしたら、進もうとした逆の方向から声がした。
「こんにちは~」
なんと、こんな日に、こんな所を歩いている人がいた。
「さっき、そっちに行っちゃいましてね。大変でした」
と、私が行こうとした方向を見て言う。危なかった。いきなり道を間違うところだった。
「旧道来たんですが、雪渓が危なくて、蓬峠にルートを変えたんです。蓬峠の方は雪渓そんなにないですか」
「ありますけど。まあ、大丈夫でしょう。この先にすぐありますが、最後の20mくらいは傾斜がきついので、ヤブに入った方が楽ですよ」
「ありがとうございます。気をつけて」

よかった。やはり、蓬峠の方が大したことなさそうだ。
彼が言う通り、まもなく雪渓に出た。これがでかい。
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で、何を思ったか、私はその雪渓をまっすぐ登り始めたのである。
やはり思いこみというのは怖い。
さっき、地図を見たとき、清水峠への旧道と違って、蓬峠の道は直登っぽいという印象を持っていたこと。そして、さっきの人が「最後の20mがきつい」と言ったことで、上りというイメージが植え付けられていたのだ。

これまで、雪渓は常に横断してきた、今回も横断する方向で進むと考えるべきだろう。
それに、もし雪がなかったら、いままでトラバース気味に登ってきた道が、地形の変化もそれほどないのに、いきなり沢を直登することになる。それは、これまでの経験からしてもありえないことだ。
今から考えると、本当にああいう判断ミスを簡単にしてしまうのだと、空恐ろしくなる。

とにかく私は登ってしまった。
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横断する方向を右とすると、左に道があると信じて、左の斜面ばかり見て歩いていた。標高差にして100mも登っただろうか。
雪渓の傾斜も急になって来たので、左斜面のヤブに入ってみた。
しかし、どこにも道は見えない。
さすがにおかしいと思った。

地図を開く。間違いは明らかだった。蓬峠への道は沢など登っていない。
ただただ、山腹を巻いている。
(やられた)
しかし、自分の愚かさを悔いている暇もない。
では、正しい道はどこなのか。雪渓の対岸を丁寧に見渡すと、もしかしたらそうかもと思える筋が見えた。
そこを目指して、一旦下り、そして、横断。筋に取り付いたが、すぐにこれは気のせいだったと判明。やむなく、そのまま進む。
ヤブと言っても、丈の長いササが冬期間の雪の重みで寝ている状態。それと灌木。
つかむものはあるが、滑る。何度も尻もちをつき、顔を枝にたたかれながら、次の雪渓を目指す。

さっき、登山道から雪渓に出たとき、雪渓は上方面に二股に分かれていた。
道があるとすれば、右手の雪渓の向こうだ。
つまり、このヤブを越えれば、道が見えるはずだ。もし分からなかったら、引き返そう。
戻る道が分かっているうちに引き返した方がいい。引き返しても新道を通れば、同じ道を通る必要はない。
このヤブを掻き分けながら、めずらしくかなり引き返す気分になっていた。
そうとう懲りたのだろう。

しかし、雪渓に出た途端、目の前に道があったのである。
しかも、白と黄色のペンキで見間違えようのないほど、はっきりと。
なぜ、さっきこれが見えなかったのか。
横断する気があったら、普通に見えていたはずである。
もっと、さっきの人に詳しく状況を聞くべきであった。
これが、今回の教訓の一つである。
行く先に不安材料がある場合は積極的に詳細に情報を入手せよ。
このペンキの表示、写真に撮っていない。やはり平常心を失っていたのだろう。

いずれにしろ、道が見つかって安心したのは事実だ。
しばらくは雪渓もなく土と岩の急坂を登る。
道迷いでどのくらい時間をロスしただろうか、それでも20分くらいか。
霧でほとんど遠望はきかない道を進む。

すると、また別の問題が発生した。
また雪渓なのであるが、ほとんど平らな雪渓で、対岸が霧のため見えないのである。踏み跡もない。
(やみくもに歩くと帰り道も分からなくなるぞ)
雪渓を前に立ち止まったまま考える。
(霧が晴れるのを期待して、しばらく待つか。諦めて引き返すか)
結局、答えは前進だった。
(後ろを振り返りながら行こう。来た道が見えなくなって、前もまだ見えなかったら、引き返そう)
そうして歩いてみると、なんとすぐ、霧の中から道が出てきた。
(これは引き返さなくてよかった)
心の中で笑った。

で間もなく、蓬峠にあっけなく着いた。霧の中から蓬ヒュッテが現れた。
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地図には季節営業のマークだったが、この日はまだ小屋番はいなかった。
10:30着。コースタイムは1時間20分なので、ロスした分を取り戻したという感じである。
小屋は2段ベッドになっており、25人ほどが泊まれるよう毛布などが用意されていた。
管理人不在の場合、宿泊者は2000円をこの穴に入れてくれとの指示がある。
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とりあえず、ここで昼食とする。まだ早いし、お腹もそれほど空いていないが、この先、屋根のあるところはなさそうだ。
アルファ米とカレーで体を温める。室温は11℃だった。

さて、これから大源太山までは2時間ちょっと、下山に2時間半ほど。
順調にいけば、遅くとも4時にはバス停のある旭原に下りられるだろう。
山頂までは尾根筋の道なので雪渓の心配はあるまい。問題は下山時だ。
地図を見ると、谷筋を一気に下る箇所がある。
これは間違いなく雪渓を下る形になるだろう。う~む。

または、ピークにはこだわらず、まっすぐ土樽に下る道もある。
いくつか沢を渡る箇所もありそうだが、たぶん清水街道旧道よりは小規模だろう。

あれほど、怖い思いをしたのに、出した結論は前者だった。
(雪渓横断は怖いが、雪渓下りは何とかなるのでは、という理屈にもならない感覚だった)

11:05出発。
外に出た途端、その決断は簡単に覆った。風が吹き出したのである。
これからの尾根歩きは雪渓じゃなくて、風に悩まされるぞ。
どうせ、ピークを極めても、景色はなにも見えないのだ。
今回諦めても、一筆書きでリベンジできるルートはあるぞ。
不思議なことに、あれだけ前進にこだわっていた私に、一陣の風が撤退の根拠を次々に運んできて、ほとんど逡巡することなく、舵を左に切らせたのだった。

左に下り始めて、図ったように風が止んだ。
一瞬立ち止まって、後ろを振り返ったが、それだけだった。
ただひたすら下った。
これで生きて帰れると思った。

ただ、神様は最後にもう一つ試練をくれた。
またしても雪渓である。傾斜は急。しかも穴だらけ。わずか幅20mほどの雪渓だが、乗ることすらできない。さすがに、これから登り返して、土合まで帰るのはいやだ。
(万事休す)
とほほである。
しかし、何とかなるものだ。
左のヤブに踏み跡があり、崖を人が下りた痕跡がある。
(迂回路?)
とにかく先は見えないが、ここを下ることにした。ササの枝に捕まりつつ、靴を泥だらけにして下ったところは分厚い雪渓のへり。幅は10mもない。やったあ。
これを乗り越え、対岸の小さな沢をよじのぼり、登山道に到達。

それにしても何度、立ち往生したことか。
もうこんな思いはしたくない。残雪期はピッケルとアイゼンは絶対携行しなくては。
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(下山時、蓬峠方面を望む)

東俣沢出合12:20着。コースタイムより25分早い。
ここからは沢沿いの道。さすがに疲れが出てきたのか、何度もスリップして尻もちをついたり、転びかけたりする。あぶないあぶない。
こんなところでけがをしたら、あんなに危険な雪渓をクリアしてきた甲斐がない。
林道終点に12:50着。これで一安心。
土樽駅には13:40着。越後湯沢方面の電車は59分のがあったので、その間に着替えができた。
越後湯沢の駅前にある日帰り温泉で温まり、新幹線で帰宅した。
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この山行で体調が悪化したわけでもなく、臨機応変にルートを変更して無事、下山できたという結果を見れば、「行くべきではなかった」という結論にはならないが、大いに勉強になったことは事実である。「登った山」の数は増えなかったが。

次は、糸魚川に出張を作ったので、23日に雨飾山、24日に妙高山に登るつもりだが、梅雨真っ盛り。天候やいかに。
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旧清水街道(上)

山をやっていると、いつ撤退するか、ということが常に重要な問題になる。
私のような本格的な冬山をやらない人間にとっても、それは同じだ。

今回の山行は、家を出る前から、迷い続けた。
まず天気が悪い。一週間前の週間天気予報では土日の天気はいずれも曇だった。
それが数日前になって、土曜日は曇時々雨となり、前日になると土曜日は終日雨になった。

当初は、土曜日に上毛高原まで新幹線で行き、吾妻耶(あずまや)山を歩いて、水上温泉に下山、土合山の家に泊まって、早朝出発、旧道を通って清水峠に達し、大源太山を極めて、湯沢側に下りるという計画を立てていた。

しかし、土曜日の雨の予報で、吾妻耶山は断念。単なる移動日とした。
それで事は済まなかった。
土曜日朝起きると、鼻がスースーする。花粉症が悪化して、鼻の奥の粘膜に炎症が起きたときの私特有の症状だ。こうなると、じきに炎症は喉に達し、微熱が出てくるのが私の常である。
熱を計ると、36.5度。普段35度台なので、熱は徐々に上がっている。

(止めるか。これでは行っても、ろくなことにはならない)
(でも、もう土合山の家の予約はしてある。当日なのでキャンセル料は100%だ。もったいない)
(下界は曇の予報でも山は雨だぞ。7000円払って、苦しい思いをする必要もあるまい)

そんな葛藤を延々と続けた後、土合駅のあの階段を確認するだけでも意味がある、登るかどうかは明日起きた時の体調を見て決めればいい、ダメだと思ったらそのままゆっくり寝て帰ってくればいいのだ、結論を先送りにした形にして、土曜日昼過ぎ、雨の中を出発したのだった。

もし、遭難していたら、この判断は間違っていたことになる。大事をとるべきだったと、羽根田さんあたりに書かれるかもしれない。
「計画を立てた以上は行きたい」。この欲求を制御できるかどうかが、まずは重要なのだ。

土合までの道中、炎症だけでなく、鼻水がひどかった。
鼻の穴にティッシュで詰め物をして、その姿を人に見られたくないからマスクをする。
詰め物はみるみる浸みて、あふれたものが鼻の下に垂れてくる。かゆいし不快だが、人目があってどうにもできない。
(こんな状態で登れるのか)
また不安がよぎる。
時間があったので、節約のため新幹線は使わず、湘南新宿ラインで行ったが、随分寝た。
体調はやはり必ずしもよくない。
(清水峠への旧道はしばらく平坦だ。そこで歩けるかどうか判断できる。きつかったら新道に下りて引き返してもいい)
いろんなことを考える。

17:53土合駅に到着。
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ここで下りたのは私1人。
ここから、462段の階段を登らないといけない。
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(ここで苦しくなるようなら、明日は止めよう)
階段は5段ごとにテラスとなり登りやすくなっている。
右側は水路、左はなめ滝のようになっており、いずれも結構な量の水が流れている。
階段のトンネルはかまぼこ形。

とぼとぼと登り始める。意外に快調である。
(あれれ、大丈夫かな)
10分ほどで改札に着く。
駅舎内でテントを張っている人がいた。待合室では食事をしている人も。
あす谷川岳に登るのだろうか。
外はまだ小雨が降っている。
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土合山の家までは5分ほど。
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入ると、夕食が始まるところだった。
食堂には5~10人くらいのグループが2~3組いる感じだ。
単独の私には、部屋に運んでくれるのだそうだ。
席がいっぱいなのか、あのグループの中に一人放り込むのはかわいそうだと思ったのか。

ここは山屋ばかりが利用する宿だが、いわゆる山小屋でなく、車の普通に通るところにあるから、食事も民宿並みだし風呂もある。
メインメニューは、なぜかズワイガニ。ほかにカツとポテト、コンニャクの刺し身などだった。御飯の量が多くてお腹いっぱいになってしまった。
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風呂から上がって、すぐ床に入る。時間は7時半。
もうすることがないし、明日早いから、寝ることにしたが、食堂の宴会の声がうるさい。
わりと広い宿なのに、食堂の真上の部屋に案内されてしまったのだ。
たぶん、部屋食を遠くに届けるのが面倒なので、近くの部屋にしたということなのだろうが、配慮していただけるなら、もう少し考えて欲しかった。

自慢じゃないが、あまり寝付きのいい方ではない。
何度もうとうとしては、騒音で目が覚める、の繰り返し。
でも、一応は山小屋なのだから9時には消灯になるだろうと思って我慢していたら、宴会は10時半になっても終わらない。のんきに山の歌など歌っている。

このままでは明日に響くと思い、携帯で部屋から宿に電話した。
「この宿には消灯というものはないのでしょうか。食堂のすぐ上の部屋なもので」
と下手に出たら、
「すいません、分かりました」
と言ってくれ、すぐに宴会は解散となった。
彼らも明日登るのだ。お開きにしたかった人もいたに違いない。

目覚ましで4時に起床。まだ薄暗いが、雨は止んでいるようである。
熱は36.6度。微妙だが、とくにだるくはない。いける。
水筒とハイドレーションに水を満たし、体操をして4時45分に出発。
なんと、また降り出してきた。

空には、わずかに青空が覗いたりもしていたのだが、単なる気まぐれであった。
ロープウエーの山麓駅まではつづら折れの車道を登る。
登山届を出す谷川岳登山指導センター(標高750m)には5時着。
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昨年7月に谷川岳を登りに来た時は、ここで一般車両は通行止めだったが、この時期はまだ先に行けるようだ(一ノ倉沢出合まで行けた)。

マスクをして出てきたが、やはり口のまわりが気持ち悪い。
鼻が出たら、タオルで拭くことにして、詰め物も撤去。
とくに熱っぽくもなく、貧血っぽくなったりもしない。なぜか鼻水も止まった。
(傾斜が急になったら分からないが、どうやら大丈夫そうだ)

相変わらずの雨だが、買ったばかりのゴアが威力を発揮し、水をはじくので、いい気になっていたが、すれ違った登山者が傘を差していたのを見て、こちらも差すことにした。
少しでも水に当たらない方が長持ちするだろう。

この日歩くのは、上杉謙信が越えたともいわれる上越国境・清水峠越えの旧道である。江戸時代には上越間の交通は三国峠越えだけに定められ、こちらは閉鎖されてしまったが、明治になって復活。明治18年(1885)に馬車も通れる道として開通した。
しかし、その後、鉄道の開通で廃れてしまい、現在、群馬県側は登山道として活用され、随所に石垣や石畳などの痕跡が当時の面影を留めているが、新潟県側は完全に廃道となり、ヤブに埋もれてしまっているという。
このルートは現在も国道291号線ということになっている。
ということは国土交通省が管理しているのだろうか?そうは見えないが。

5:30マチガ沢出合(標高835m)。
ここにはかつて3軒ほど宿があったらしく、夕暮れ清水峠を越えてきた人々が、宿の灯火を見て、「ああ、町が見える」と喜んだことから、この名が付いたという。
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雪渓は随分上の方に見えるだけで、これがこの後、大きな障害になることを、私はまだ思いもしなかった。

途中、カエルの鳴き声が聞こえるので、耳を澄ませてみると、どうやら、沢の水がたまったところの石の下にいるようだ。
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ここには卵がたくさん産み付けられていて、石をどかすのは止めておいた。

5:50一ノ倉沢出合(870m)。
駐車場には10台以上の車があり、雨の中テントで夜を明かした人もいたようだ。
みなクライマーなのであろう。
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私は岩はやったことがないが、谷川岳は遭難による死者の数がギネスに載るほどの山。一ノ倉沢はその最も厳しい場所であるというくらいの知識はある。
あまりいい天気ではないので、大丈夫だろうかと、ひとごとながら心配になる。
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こちらはそろそろ朝食にしなければいけない。
一ノ倉沢出合なら、東屋程度のものはあると期待していたが、なかった。
雨に打たれながら、食事をするのはつらい。
でも屋根のあるところはトイレしかない。
やむなく、男子トイレの入り口の隅っこに簡易イスを出して座り、朝食とした。
次々にトイレに来る人に申し訳ない。
宿で出してもらったおにぎりのうち、一つを食べ、6:10出発。

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ここには巨大な雪渓が道路まで迫っていたが、道路上には雪がなく、雪渓の恐ろしさを私はまだ知らない。
左手の岩壁に、たくさんのプレートが打ち付けられているのを見つけ、読んでみると、遭難者の墓碑銘だった。あまりに多いので驚いた。
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静かに手を合わせて通過する。

このあたりから、明治の石垣が姿を現す。わりと低いが、しっかりと残っている。
路面もしっかりしており、管理用の車くらいは入れる状態になっている。
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湯檜曽川をはさんで対岸の白毛門の山肌にも雪渓や沢が見える。
雲がなければ、さぞかし雄大な眺めであろう。

幽ノ沢(標高885m)は路面をコンクリートで固め、その上を沢の水が流れるようになっていた。
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それほど深くもなく、靴は濡れたが難なく通過する。

この先に、道路を開削した際の苦労がしのばれる岩壁があった。
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そして、明治の石垣が連続している箇所も。
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体調の心配もなくなり、雨にもかかわらず気分よく歩いていたが、突然現れた芝倉沢を埋める雪渓に愕然とした。
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上の写真を見て、お分かりと思うが、道路部分で雪渓は口を開け、その直上の厚さはかなり薄いと考えられる。踏み抜いたら、大変だ。
その下を行くと道路の擁壁と垂直の岸壁で、とても道路に達することはできない。

思案した挙げ句、雪渓を斜め下に横断し、登れそうな崖に取り付いて、そこをよじ登るという手である。
それしかない。決断して、雪渓の上に立ってみて、慄然とした。
滑るのである。これまでの登山道にある雪と質が全く違う。
登山道では滑っても尻もちをつくだけだが、ここで尻もちをついたら、どこまでも滑っていって、勢い余って側面の崖なんかにぶつかったら、もしくはクレバスに転落したら、命を落とす。

上越国境の山を甘く見た。初めて、そう思った。
ピッケルはおろか、チェーンアイゼンすら持ってきていない。
ここで引き返すこともできた。いや、引き返すべきだったのかもしれない。
ここを越えても、雪渓は次から次と出てくる可能性がある。通行不能の雪渓にぶつかったら、それまで無理して越えてきた雪渓をまた危険を冒して戻らなければいけない。

おもしろいものだ。もし、体調がよくなかったら、ほとんど迷わず引き返しただろう。
「意外にいける」と喜んでいた気持ちが、背中を押した。
この時は、どのルートで横断するか、しか頭になかった。非常に危険だったと言わざるを得ない。

慎重に足場を固めながら進む。傾斜がそれほどきつくなかったのも幸いだった。
また、雪の上の木くずなどのゴミが滑り止めの役目を果たしてくれたことも助かった。
なんとか対岸にたどり着けば、急斜面をよじ登るのは、意外にたやすかった。
道路に上がり、正面に見えたのは落石の跡だった。
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車は盛夏であっても、この先には行けない。
この先の道は、かなり荒れていた。が、それは、それほど問題ではなかった。

つづく

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明日は清水峠

昨夜、職場に届いた新刊の山を物色していたら、新田次郎『小説に書けなかった自伝』の文庫版を見つけた。
以前、古本で単行本を入手したことがあったが、まだ読んでいなかった。
今年は新田次郎生誕100年ということで、品切れだったり絶版になったりしていた作品が結構、復活している。『聖職の碑(いしぶみ)』(講談社文庫)、『雪のチングルマ』(文春文庫)などが出ていた。
とにかく、電車の中で読みながら帰った。

新田次郎を読むようになったのは、いつ頃だったろうか。
高校時代は小説なるものをほとんど読まなかったし、たぶん就職してからだろう。
最初に読んだのも、確たる記憶はないが、新田次郎こと本名藤原寛人が気象庁測器課長として富士山頂に気象レーダー設置した実体験を小説化した『富士山頂』だった気がする。いや、『八甲田山 死の彷徨』かな。

それはともかく、私は高校時代、いっとき、気象庁に就職して富士山頂の測候所に勤務することを夢見たことがあった。
とくに気象の知識が豊富だったわけでも観天望気ができたわけでもない。単なる富士山へのあこがれだったのだろう。
北海道の人は内地のものにあこがれる。

そんな程度だから、この夢はすぐに諦めた。
たぶん、人事異動は2~3年おきだろうから、富士山に勤務が決まったら、そのくらいはずっと山頂にいなければならない。休みの日も下山はできない。そう勝手に思っていたので、そんなに長い間、彼女(当然その頃にはいるだろうと信じていた)に会えないのは到底無理だ、と断念したのである。

山頂勤務が数か月おきであることを知ったのは、新田次郎の小説を読んでからだが、もうあとの祭りだった。気象庁に就職していたら、どんな人生だっただろうか。

札幌から受験のため上京してきた時、東京から富士山が見えることに感動した。
大学では、自転車部に入り、全国各地へのツーリングを始めた。
当時ESCA(東日本学生サイクリング連盟)主催の富士スバルライン・タイムトライアルというヒルクライムの自転車レースがあって、先輩3人とともに参加した。
標高差約1400m、距離約30kmの山岳ドライブウエイを自転車で登るわけだが、これがなかなか過酷である。
まだ、自転車を始めてわずか2か月のひよっこがやすやすと走れる道ではなかった。

記憶はあいまいだが、確か優勝タイムは1時間半を切っていた。
自分は2時間半以上かかった気がする。

私は目標を2時間に定め、翌年も出場したが、わずかに及ばなかった。
意地になって、翌週もまた挑戦。この時は、自転車部の同期で親友だったN君に応援・先導をたのみ、やっと2時間を切ることができた。
帰りは、N君とともに滝沢林道を下った。猛烈なダートのダウンヒルで、ハンドルを持つ手が痛くてたまらなかった。

わがT大(東大ではありません)自転車部は、ツーリング主体のわりと軟弱な部ではあったが、あちこちの草レースにも有志が出場、部内でも誰が速い彼が遅い、などと速さを競う空気はあった。
レースとしての最大のイベントは、F大との定期戦であった。
このレースで1年の時は、体調不良に陥り、途中でリタイア。
部内で私は1、2を争う鈍足であった。

しかし、富士スバルラインでの走りが自信になった。
2年の定期戦では、出場約40人中11位。惜しくもベストテン入りは果たせなかったが、この結果にみんなは目を見張った←自慢
3年では7位まで浮上した。
やはり速く走れるというのは気持ちのいいものである。

大学の4年間で、ほぼ日本を一周した。
就職してからも、出張で47都道府県を制覇し、行ったことのないところへ行きたいという欲望は満たし続けてきた気がする。

今は平面的な広がりよりも、垂直方向の広がりに関心が強い。
つまり山である。

山の数も限りなくある。毎週登っても、登るべき山はたくさんあるので、これも果てしない。早く定年して、毎日行きたいくらいだ。
先週は天候不順のためどこにも出かけなかったので、うずうずしている。
明日はさすがに雨がひどそうなので、もう1日我慢し、日曜日は清水峠を越えてきます。

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えちぜん鉄道・越美北線・北陸鉄道

5月20日
本日の目標は、えちぜん鉄道三国芦原線・勝山永平寺線、JR越美北線、福井鉄道福武線の乗りつぶしである。
それには、まず昨夜泊まった、ここ芦原温泉のあわら湯のまち駅から、えちぜん鉄道三国芦原線の終点・三国港まで行かなければならない。
普通、始発は5時台にあるものだが、ここはなんと7:00発。
ゆっくり寝ていればいいのだが、貧乏性の私は5時に起きて、温泉街の散策をしてから、電車に乗ることにした。

昨夜の日帰り温泉「セントピアあわら」にあった展示で知ったのだが、芦原温泉は明治16年に開湯した比較的新しい温泉なのである。
開湯当時の遺構などが温泉街に残っているようなので、訪ねてみることにした。

宿から5分ほど歩いたところが、温泉発祥の地。
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明治16年の5~6月は未曽有の日照り続きで、近在の農家がみな困っていた。
そこで、灌漑用の井戸を掘ったところ、温泉がわき出し、みるみるうちに温泉街として発展していったのだという。
これが、その井戸である。
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芦原温泉には3つの湯元があり、そのそれぞれに薬師堂が祀られている。
その一つが田中温泉薬師神社。
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二つ目が舟津温泉薬師堂。
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最後に二面温泉薬師堂。
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芦原温泉には呉服店が多い。ここは閉店しているが、温泉街で働く女性の需要がかなりあったのだろう。
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それと、全国各地の温泉街を歩くと大抵、廃墟になっているホテルや旅館、土産物店があるのだが(熱海も水上も会津の東山温泉もそうだった)、ここはそうした廃屋がほとんどない。ちょっと不思議である。

与謝野晶子も当地を訪ねたことがあったらしい。
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さて、そろそろ電車の時間である。駅に戻ってきた。
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えちぜん鉄道は京福電鉄の福井県内の路線を引き継いだ第3セクターである。
京福電鉄は2000~2001年にかけて、現在の勝山永平寺線で2度にわたり電車の衝突事故を起こし、国交省に運行停止を命じられた。これによる収支悪化で、京福電鉄は福井事業部を廃止、急きょ設立されたえちぜん鉄道が、2003年7月に開業したという経緯がある。
私は京福電鉄時代、まさに事故が起きる直前、2000年11月に三国を訪れたことがある。この時、三国港まで乗ったのか、その手前の三国までだったのか記憶がはっきりしない。というわけで、今回あえて、もう一度ここに来ざるを得なかったのである。

これは昨夜、ラーメンを食べた屋台村「湯けむり横丁」。
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深夜まで営業している店もあり、そこそこ流行っていた。

そうそう芦原は、あの魯迅の東北帝大時代の恩師、藤野厳九郎の実家があったらしく、その建物が駅前に移築され、魯迅との像が立っていた。
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さあ、電車がやってきた。白地に鮮やかなブルーのラインである。
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駅4つで終点、三国港に到着。7:08。これで、三国芦原線は制覇。
すぐ折り返しがあるが、それでは味気ないので、手前の三国駅まで歩き、そこで次の電車に乗ることにした。
というわけで、三国港駅のすぐ東にあるレンガ造りの眼鏡橋をくぐる福井行きを見送り、歩き始める。
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まずは、三国港駅を収めておかなくては。
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12年前に訪ねた時と建物は同じだが、塗装は新しい。
この日は、北陸3大祭りの三国祭りの日だそうで、どの家にもお祝いの提灯が下げられていた。
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三国港は北前船で賑わった港だけあって、古い商家が多い。
こんな味わい深い骨董屋さんもあった。
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三国駅は駅ビルになっていた。
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7:57発の福井行きに乗る。
電車は福井平野の平坦地をひたすら走り、8:43福井着。
福井は恐竜の町のようだ。
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駅舎は屋根付き歩道に隠れて、よく分からないがこんな建物。
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で、JRの方はさすがに県庁所在地だけあってでかい。
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北陸新幹線の福井延伸はまだ認可されていないはずだが、なぜが新幹線用の高架橋ができていた。

駅前はかなり昭和の香りを残していて、好ましい。
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次は市電に乗りに来なくてはならぬ。

9:08発の九頭竜湖行き普通(キハ120、1両)に乗り込む。
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ラッピング列車だった。沿線にある大野城がモチーフのようである。
越美北線は超ローカル線のイメージだったが、最初から高齢者や家族連れで満席。
みな、一乗谷あたりで下りるのかと思っていたら、次から次に乗ってくる。
おそらく、九頭竜湖でイベントでもやっているのだろう。
バッド・タイミングだ。

興味深かったのは、お父さんは車で九頭竜湖へ、家族は列車で行き、現地で合流するという乗り方をしている人が何組か見受けられたこと。越美北線はママさんが乗ってみたいと思わせる何かがあるのだろうか。

列車は足羽川に沿って、山あいを縫っていく。結構な絶景路線である。
途中、小和清水(こわしょうず)駅で、目の前の窓に蚊が止まった。
列車は動きだし、風圧がかかるが、蚊は必死に捕まっている。
5分ほども頑張っていたろうか、トンネルに入って、突風が吹いたところで、飛ばされてしまった。トンネルには敵わなかったが、蚊の足には相当な歯があるのだろう。

それにしても、辺鄙な駅からもどんどん乗ってくる。相当なイベントのようだ。
子供が多いので、とうとうこちらも席を譲らざるをえなくなった。
まあ、立っていた方が景色が見えていい。

越前大野で列車交換のため10分ほど停車。
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しばらく行くと、右手前方にピラミッド形の秀峰が見えてきた。まだ残雪を乗せている。日本百名山の荒島山(1523m)だ。

10:46九頭竜湖着。これだけ超満員になることが分かっているなら、せめて2両編成にしてもらいたかった。
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やはり、イベントだった。ここからシャトルバスでみな九頭竜湖へ移動する。
「新緑まつり」だそうだ。あまり特色のなさそうなタイトルの祭りだが、随分な人気である。
駅前には動く恐竜のモニュメントがあった。
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ここでは折り返し12分の待ち合わせ。そんなに時間はない。
さっき乗ってきた列車に飛び乗る。今度はさすがに空いていて、のんびり座ることができた。
出発すると、間もなくトンネル。これを抜けたら、九頭竜峡を望む橋の上に越前下山駅に着く。
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次の勝原(かどはら)駅までは、ほとんどがトンネル。
駅前では地元の人が歌壇の手入れをしていた。
柿ヶ島駅あたりまで来ると、里に下りてきたという印象。
この駅もそうだが、続く下唯野、越前富田、越前田野と、ローカル駅のタイプがのと鉄道能登線の駅と酷似している。
ホームに間口3間ほどの待合室があり、庇が出ている。
越美北線は1960年に開業、72年に全線開通した。
のと鉄道能登線とほぼ同時期の開業なので、同じような構造になったのだろう。

越前大野で下車(11:26)。
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この町には1994年7月に家族旅行で来たことがある。
今回は素通りして、タクシーでえちぜん鉄道の勝山駅に向かう。
タクシー代がもったない気もするが、福井に戻ってそこから勝山を往復することを考えると、時間的にかなり節約ができる。20分ほどで着いた。3000円ちょっとだった。

勝山発福井行きは12:20発。あと30分ほど時間がある。
昼食をとるにはちょっとあわただしいので、あちこち駅周辺で写真を撮る。
勝山も恐竜の町。ここにも大きなモニュメントがあった。
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勝山駅は国の登録有形文化財である。
駅舎の中にはかつての硬券ケースがあった。
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ホームには恐竜の足跡。
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さて、福井行きに乗車。1両編成で、三国芦原線と同じ車両だ。
この列車には、美人のアテンダントが同乗する。
恥ずかしくて、写真は撮れなかった。すいません。

線路はしばらく九頭竜川の南岸を走る。
永平寺口駅は廃止になった京福電鉄永平寺線との分岐駅。
この路線は、えちぜん鉄道に移管する際、休止状態のまま廃止となった。
6月3日に廃線跡を歩くイベントが企画されていたが、さすがに行かなかった。
現在、遊歩道として整備が進められているらしい。

三国芦原線との合流する福井口駅でアテンダントは、芦原線の列車に乗り換えていった。なかなか彼女も忙しい。
13:13福井着。
お腹空いた。JR福井駅の立ち食い蕎麦でソバを食う。

これから福井鉄道に乗る予定だったが、金沢に北陸鉄道というのがあることを知り、そちらに行くことにした。そんな鉄道があるのは、恥ずかしながら知らなかった。
というわけで、13:42福井発金沢行き普通列車で北上する。
15:16金沢着。
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金沢では「百万石まつり」というのをやっていて、
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駅前ではライブや露天が出ていた。
ここで、能登牛の牛丼が600円のところ400円のタイムサービスというふれ込みに負けて、買ってしまった。
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北陸鉄道の待ち時間のうちに食べてしまおうと思ったのだが、さっきソバを食べたばかりで、しかも実は牛丼ってあまり好きではなかったことに気づき、半分だけで諦めて、ザックにしまう。

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浅野川線は内灘駅に通じている。
車両は東急の払い下げである。
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15:48北鉄金沢発。
保線が行き届かないのか、この電車相当にゆれる。
踏切の音が「カンカン」じゃなくて「チャリンチャリン」なのも、おもしろい。
16:05内灘着。
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すぐ折り返しがあるのだが、その次の電車に乗ることにして、歩いて2駅分戻る。
一つめは粟ヶ崎駅
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二つ目は蚊爪(かがつめ)駅
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16:39発に乗って北鉄金沢に16:53に着。これにて今回の乗り鉄は終了。
あとは帰途につくのみ。
珍しく缶ビールとおつまみを買い込んで、17:17金沢発の特急はくたか23号に乗車。
車窓からは、小松あたりから白山、富山を過ぎると立山連峰が見えた。
いずれ登ろうと心に決めて、眠りについた。
ほくほく線に達する頃はやはりもう暗くなっており、こちらもいずれ昼間乗車をしなくてはならない。

おしまい
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のと鉄道能登線(下)

のと鉄道能登線廃線の旅を続ける。今日は5月19日。
松波駅を後にして、恋路海岸へ。ここは30年前に自転車で通ったところ。当時と同じ銅像があってうれしい。
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ただ、30年前の写真と比べてみると、新たにどぎつく緑色のペイントがなされているのと、後ろの弁天島の木々が成長しているところが違う。

恋路海岸の由来は、約700年も昔にさかのぼる。
木郎の里の助三郎と、多田の里の鍋乃は人目をしのんで、この浜で逢瀬を重ねていた。
暗い夜、助三郎の目標は、鍋乃がともすかすかな灯であった。
鍋乃に想いを寄せるもう一人の男源次は、助三郎をねたみ、灯をひそかに崖のはずれに移し、助三郎は崖から転落してしまった。
恋人が帰らぬ人となった鍋乃は悲しみのあまり、源次の求愛も袖にして、自らも海に身を投げてしまった。
そしていつしか、この浜は恋路海岸と呼ばれるようになったそうである。

この近くにある恋路駅は、隠れた観光名所になっている。
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ここはラブラブなカップルのほかに、恋に破れた人も訪ねてくるらしい。
こんな落書きがあった。
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平成13年、将弥さんを失った「俺」は彼女に許してもらえるまで走り続けると誓う。26歳。
しかし、腐ってしまった「俺」は3年後、再びここを訪れ、誓う。
もう一度走り続けると。
だが、さらに2年後。「力を与えてくれ」とすがりつく。
そして、翌年も「力を与えてくれ」と叫ぶのである。
4回訪ねたうち、2度は7月11日、残りの2度は3月24日。何かのアニバーサリーなのか? 彼女の誕生日とか、別れを告げられた日とか。
それにしても、6年間思い続ける精神力には感心します。
その後、5年間来ていないようだけど、新しい恋を見つけたのかな?
がんばれ~~~!

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恋路駅は仮停車場だったのが1988年に駅に昇格した関係もあり、待合室が他の駅と違って、しゃれている。

次の鵜島駅は恒例の駅。
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ただ、ホームはきれいに清掃され、待合室も開放されている。

南黒丸駅も同じパターン。
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この後は、奥能登きっての名所、見附島。別名、軍艦島。
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40代の皆さんには、松田聖子のポッキーのCMで初めて知ったという人も多いのではないか。風立ちぬの曲が流れ、聖子ちゃんが軍艦島と陸地を結ぶ、細い岩場をよろけなが歩いていた記憶がある。
帰宅後、一生懸命YouTubeで探したら、見つけることができた。
軍艦島のシーンは一瞬だった。あのCMは金沢とか加賀・能登のいろんなところを映していた。たぶん、当時、能登に行きたくなったのも、このCMの影響だったと思う。
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横から見ると確かに軍艦にも見えるが、正面から見ると顔である。
ここでソフトクリームを買って食べる。

最寄りの駅は鵜飼駅。
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ここはしっかり駅舎が残っていた。普段何かに使っているのかもしれないが、この日は鍵が掛かっていて入れなかった。
ホームではベンチが朽ちていた。
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この駅には「長い間ありがとう」の横断幕があったが、どうも能登線に対して地域住民は冷たいように思う。
存続運動はあったようだが、廃線になったら、それっきり。
年に交替で2回、草刈りをするだけでも、随分と違うと思うのだが。
これから、廃線の駅は観光資源になる。行政も少し考えてほしいと思う。

上戸駅は南黒丸駅と同様、開けた場所にある。
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こういう所にあると、荒れる一方ということは避けられるようだ。

対して、飯田駅。ここは珠洲市役所の最寄り駅で駅舎もあるのだが、ホームはちょっと奥まったところにあるので、ひどい有り様である。
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駅舎にはうっすらと「飯田駅」の文字が残っていた。
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珠洲駅は道の駅すずなり館に衣替えしていた。
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ホームと線路も一部保存されていたが、味気ない残し方である。
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鉄道への愛があまり感じられない。

次の正院駅で初めて、廃線を歩いている人に出くわした。
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「ここは何駅ですか?」と聞かれ、「正院駅です」と答えた。
ここも環境は上戸と似ており、ホームの雰囲気は明るい。
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駅舎の「正院駅」の文字は壊れて、ぱっとみ判読不能になっていた。

で、ようやく終点の蛸島駅である。国鉄能登線が珠洲を終着とせず、ここを終点に選んだのは、蛸島がかなり大きな港町だったからだろう。
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飯田や正院と同じタイプの駅である。
正面の自販機はスキンではない。蛸島の記念品を売っていたようだが、いつからか使用不能になっている。
廃線になってから、この敷地もしくは使用権利をのと鉄道から買った人がいたらしい。
しばらく商売をしていた痕跡はあるが、継続は断念したようだ。
向こうの方に動態保存していたという旧車両が見えた。
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レールはまだ残っている。
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この先にレールはない。のと鉄道になってから延伸の構想もあったらしいが実現されないまま廃止となってしまった。
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ここで、正院駅で会ったご夫妻とまた再会。廃線めぐりをしているのかと聞いたら、廃線になってから一度、このあたりに来たことがあり、懐かしいから再訪しているのだという。

さてもう2時前である。明るいうちにJR七尾線にも乗りたいが、それには七尾17:32発の電車に乗る必要がある。レンタカーを返す時間を考えると、夕方5時までには七尾に戻りたい。あと3時間ちょっと。
これでは、禄剛崎を回って奥能登を一周して、輪島線の廃線もたどるのはとても無理。
輪島線は諦めて、撮り残してある、のと鉄道七尾線の駅舎を撮影しながら七尾に向かうことにした。
だとすれば、少し余裕がある。駅前の食堂に入った。
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能登ではいろんな店が独自の「能登丼」を出している、ということをポスターで知っていたので、ここの能登丼は何ですか?と聞くと、アンコウ丼だという。
アンコウの唐揚げがのっているものだとか。揚げ物はあまり得意ではないのだが、アンコウは食べたことがない。興味本位で頼んでしまった。2100円。
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それほど脂っこくなく、まずまずだったが、やはり生魚の方がうまい。

腹いっぱいになったところで、内陸に整備されたスーパー農道的な道をすっ飛ばす。
残る七尾線の駅は、能登鹿島駅、西岸駅、能登中島駅の3つ。

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能登鹿島駅の桜は昭和7年開業の際に、地元住民が開業を祝して植えたものだそう。
駅舎は昭和63年に建て替えられたものだ。
桜をイメージしてピンクとしたのだろう。
ただ、個人的には昔の駅の方がよかった。絵が駅舎に飾られていた。
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この駅からは海がよく見える。
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これが「花咲くいろは」の舞台のモデルとなった西岸駅。
昭和7年開業当時のものだろう。
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中は「花咲くいろは」のポスターだらけ。
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眺めていたら、ラッピング車両が入線。
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乗客の下車風景もローカル線らしい。
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はい、もう一回サービス。
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昨夜、夕食を食べた「時葵」を通過。
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能登中島駅
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昨日、列車の中からみた郵便車も裏に回れば、廃線の駅のよう。
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笠師保駅は昨日も寄ったが、暗かったのでもう一度念のため訪ねた。
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さて、これで終了なのだが、少し時間にゆとりがあるので、遠回りして和倉温泉に寄ってみた。土曜日とあって、結構な賑わい。
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これは、加賀屋の威容である。

そして七尾に戻ってきた。七尾は、出身の長谷川等伯の生誕400年だかで盛り上がっていた。
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車を返却して、七尾17:32発金沢行き普通列車に乗り込む。
眠いのをこらえて、車窓を眺めつつ、金沢に19:07着。
すぐに19:18発敦賀行き普通に乗り換え。
20:19芦原温泉に到着。
駅前からタクシーに乗って、今夜の宿泊地、芦原温泉に向かう。

えちぜん鉄道あわら湯のまち駅前の「湯けむり横丁」の屋台でラーメンを食べる。
今夜も素泊まりなので。
宿は、民宿龍泉。着くなり、日帰り温泉施設の半額券と半額の現金250円を渡され、9時半までに行かないと入れてもらえないから、と送り出された。
この宿には温泉が引かれていないようだ。
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でも、女将さんはすごく感じのいい人で、気持ちよく休むことができた。
さて、あすも5時起き。しばらく温泉街を散策してから、福井県内の乗り鉄にいそしむ予定だ。

つづく
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のと鉄道能登線(上)

5月19日、朝5時に出発。今日は、のと鉄道能登線の廃線跡を、駅を中心にたどる。
能登線の駅は起点の穴水を除いて29もある。距離にして61km。廃線跡としては長大な路線で、トンネルや橋梁などくまなく歩いていると何日かかるか分からない。基本的に駅舎にしぼって行くことにする。

能登線は能登半島の南岸を走っていた路線で、1959年にまず穴水~鵜川間22.9kmが開業。順次延伸し、64年に蛸島までの全線が開通した。
しかし、そのわずか4年後の68年、国鉄諮問委員会より廃止を求められる。
87年に国鉄からJR西日本に継承されたが、その前年の86年には廃止が承認されており、88年に第3セクターののと鉄道に移管された。
当初は営業成績も悪くなかったが、91年にJR七尾線を引き継いだ頃から業績が悪化、2005年4月1日付で廃止のやむなきに至った。
つまり、廃線となってからまだ7年しか経っていない。レールはほとんどがはずされていたが、駅舎や橋梁、トンネルはほぼそのまま残っていた。

七尾から続いてきたレールは穴水駅構内を抜けて、山王川に至るまで約300mが残されている。
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山王川を渡る橋梁は橋脚だけを残し、橋げたは撤去されていた。
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山王川を渡ると、線路は能登線と輪島線に分岐する。
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左の道路になっているのが輪島線、右の緑色の部分が能登線である。

輪島線はこの先、築堤が削られ、断面をさらしていた。
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能登線の方は、雑草のかげからバラスが顔をのぞかせていた。
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ここで、輪島線とは分かれて、能登線をたどる。
輪島へ向かう県道をまたぐ陸橋も橋げたははずされ、橋台だけが生々しく残っている。
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この後、能登線は国道249号と一瞬寄り添い、再び離れる直前にトンネルとなる。
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穴水隧道である。能登線の全49のトンネルには、穴水から順番に、い・ろ・は・に・ほ・へ・と、と記号が振られている。これが「花咲くいろは」のつながったのか。

なんて、こんな遺構ひとつひとつに付き合っていられないのであった。
急ぎ、最初の駅、中居駅に向かう。
中居駅は国道のすぐ脇にある。片側ホーム、待合室のみの駅だ。
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路盤には青草が繁茂していたが、ホームはきれいだった。美しい廃駅と言えよう。
ホームから西に海が見えた。

駅前には、かつて商店だったのか、味わい深い廃屋もあった。
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次の比良駅への途中に、またボラ待ちのやぐらがあった。
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ボラ待ちとは、海の底に網を張り、やぐらの上から眺めて、その網の上をボラの群れが通ったら、網を上げるという原始的な漁法である。なんとものんびりしたものだ。

比良駅は中居駅と違って、少々陰惨な表情を見せる。
両側ホームで、片側に粗末な待合室が残る。
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奥の電柱は途中から折れていた。
駅前には商店が2軒あったが、いずれも廃屋に。
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ただ、バス停はまだ比良駅前を名乗っていた。
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線路は山へと入り、長大な川尻隧道へと続くが、適当な道路がなく、こちらは海沿いを行く。
岩車という、ユニークな地名の集落に神社崎という岬があり、そそられたので立ち寄った。
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海がとても静かだった。

鹿波(かなみ)駅はジャングルと化していた。
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ここは集落からも離れており、荒れるに任されているのだろう。

甲(かぶと)駅でやっと駅舎に出会えた。ブロック造りの平屋である。
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ホームにはアスファルト舗装の切れ目から雑草がたくましく繁殖していた。
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沖波駅もかなり悲惨な状態。線路にはとても下りられない。
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待合室はホームの脇にあり、ここはあまり傷んでいなかった。
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前波駅付近の線路は道路となり、駅そのものも跡形もなく、真新しい北鉄奥能登バスのバス停ができていた。
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バス停の名はさすがに前波駅ではなく「前波南」となっていた。
しかし、運行本数は朝2本、夜1本しかない。

前波~古君間の陸橋
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古君駅も無残である。
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待合室の庇が抜けて、空が見える。満開の白いツツジが、列車が来るのを待っているかのようで、悲しかった。

このあたりの漁村に特徴的な家屋が並ぶ。
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で、鵜川駅に到着。駅前の交差点の信号にはまだ「鵜川駅前」の表示がある。
駅舎は甲駅と同じ形式だ。赤字になるのが分かっていて作った路線だけに、設計に力が入っていないことが明らかだ。
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駅名板が見当たらず、「君を乗せ未来につなぐのと鉄道」という標語がむなしい。
ここは車両基地でもあったのか、構内は広い。
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駅舎には思いがけず入ることができた。
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おそらく、廃止当時のままなのだろう。券売機も何となく真新しく見える。
窓から、駅事務室を覗くと、廃止された平成17年3月のカレンダーがまだかかっていた。
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時計は3時54分で止まっている。何年何月何日の3時54分で、時を刻むのを諦めたのだろうか。こみ上げてくるものがある。
ホームでは観光案内板が倒れていた。
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次は矢波駅だと思って進むと、途中、国道脇に「七見駅」と大きく表示のあるバス停が目に飛び込んできた。
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今回、駅の場所を特定するために、平成4年(1992)修正測量の旧版地形図を用意していったのだが、この地図に「七見駅」はない。
調べてみると、七見駅は平成7年に開業した新しい駅だった。
ということは、わずか10年の寿命しかなかった、短命の駅だったのである。
ここは、6代目横綱阿武松(おうのまつ)誕生の地だそうだ。

矢波駅は荒れすぎてもおらず、廃線らしい雰囲気の駅だった。
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目の前が海という景色のいい場所にあるからか、山側から海側に出るときの通路になっているためか、いや桜の名所だからか、待合室も閉鎖されておらず、掃除が行き届いていた。
のんびりホームにたたずみ、日本海をぼーっと眺めているには最高の場所である。

次の波並駅に行く途中、美しい木造尾建築が国道沿いにあり、急停車。三波簡易郵便局であった。
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波並駅も海に面した風光明媚な駅だが、こちらは随分荒れていた。
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どの駅も駅名標がことごとくはずされていたのは、のと鉄道が撤去して競売に出したのだろうか。
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藤波駅は津波が来ても大丈夫なくらいの高台にある。
めずらしくレールが残っていた。
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近くにテニスコートがあり、駅まで歓声が聞こえてきた。そういう意味では一番さみしくない駅だった。

穴水の先では大きな町である宇出津駅に着いたのは9時15分ごろ。
朝5時に出たきり、まだ何も食べていない。国道沿いにコンビニも開いている商店もなかったからだ。さすがにお腹が空いた。やっと駅前にAコープを見つけて入ろうとしたら、開店は9時半だった。あと15分、駅を撮影して時間を稼ぐ。
立派な駅舎(といっても、多分、鵜川駅のようなのに違いないが)があったはずの宇出津駅はバスターミナルとなり、駅舎は消滅していた。
残っていたのは、ホームと給水塔のみ。
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ベンチはひっくり返っていたので、起こしてあげた。
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腕木式信号機は、「街の駅」のモニュメントに転用されていた。
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駅のすぐ近くにある第2宇出津隧道
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ようやくAコープも開いたので、おにぎりとお茶を買い、出発。
弁天島
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羽根駅は草も刈られ、明るい雰囲気だった。
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これはすぐ宇出津側にある第1羽根隧道。
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小浦駅も高台にあり、国道から見えるのだが、入り口がよく分からず民家の畑を突っ切って行く羽目に。
ここも、住民の畑に行くための通路になっているためか、比較的きれいな状態だった。
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めずらしく、駅名のプレートも残っていた。
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縄文真脇駅は、縄文時代のウッドザークルが出土した真脇遺跡の最寄り駅。
駅から、遺跡や真脇温泉ポーレポーレを見渡すことができる。
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15年前に奥能登に来た時は、ここに泊まったのだっけ。いい温泉だった。
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駅はかなり荒れていたが、ここではマーガレットが咲いていた。

九十九湾小木駅は喫茶店風の駅舎がそのまま残る。
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ホームも将来活用するつもりなのか、清掃はされているようだ。
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一番ひどかったのは、次の白丸駅。
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やはり集落から距離のある駅は荒れるスピードが速いような気がする。

九里川尻駅は田んぼの向こうに全容を見ることができる。
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すでにお気づきのように、能登線のほとんどの駅は、ホームにある待合室のみで、しかもその形状はほとんど同じ。間口3間で中央に扉がある。後ろに流れた屋根で、前は庇となって飛び出している。ここまで歩いてきて、実際のところだんだん飽きてきた。
まあ、予算が足りなかったのだろうから、致し方ないのだけど。
待合室の中にも木が進出を始めていた。
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松波駅はめずらしく再利用されていた。
松波城址情報館「蔵」と名乗り、現在「能登線の歴史と写真展」をやっているではないか。
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しかし、明かりが付いているのに、鍵が閉まっており、人もいない。
別室に人がいたので聞いてみたら、ここはバスの運転手の休憩所で、あちらとは関係ないという。
「しばらく待てば戻ってくるでしょう」
とのことなので、構内を撮影していたが
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とうとう係の人は現れず、諦めて出発した。

つづく
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のと鉄道七尾線

5月18日
16:19七尾発の穴水行き普通列車に乗り込む。
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JR線からの乗り換えは直接できるが、乗り換え切符を持っていないので、一旦JRの改札を出て、のと鉄道の切符を買い、のと鉄道の改札から入る。

七尾に来るのは、5度目くらいだろうか。10日ほど暮らしたこともある。病室でだが。
奥能登を訪ねるのは3度目である。
1982年、自転車で能登一周したとき。
1997年、雨の宮古墳群や真脇遺跡など遺跡を訪ねたとき。
で、今回。なんか15年ごとに来ていることになる。

のと鉄道のロゴは、ひらがなの「の」と「と」を組み合わせたものだ。
七尾~穴水間は国鉄からJR西日本に引き継がれたが、1991年、穴水より奥の区間ですでに開業していた第3セクター・のと鉄道へ移管された。
つまり、のと鉄道としての歴史はまだ20年ちょっとしかない。

NT200形の気動車で2両編成。ボックス席はすでに通学の高校生らで埋まっていたので、先頭車両のかぶりつきに陣取る。
この位置は結構恥ずかしいので、あまり行かないのだが、実は好きである。
ただ、前ばかり見ていて、つまり線路ばかり見ていて、車窓がおろそかになりがちになるという欠点もある。
ただ、それにしても線路を見ているのは、まるで飽きない。
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これは能登中島駅
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貴重な国鉄時代の郵便車オユ10形が保存されている。
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まもなく海が見えてきた。
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車窓の写真を撮っていると、少年に「おじさん、カメラマン?」と尋ねられた。
この少年は中学生だが、知的障害児のようで、遠慮なくいろいろと聞いてくる。
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この駅名標を撮ったら、「ゆのさぎはアニメだよ」と教えてくれた。
確かに、のと鉄道に「湯乃鷺」という駅はない。
調べてみたら、ここ西岸駅は2011年に放映された萌え系のアニメ「花咲くいろは」の舞台である「湯乃鷺駅」のモデルになっているとのこと。そういえば、車両のラッピングにも、それらしきものがあった。単なるイメージキャラクターと思っていたら、そうではなかったのだ。彼はそのことを教えてくれたわけである。

東京から来たの? とかあれこれ聞かれて、丁寧に答えていたら、運転士が「こら、迷惑だろ!」と少年を叱っていた。
運転士とももちろん馴染みなのだ。「いつも、ここに乗るの?」と聞くと、そうだと言うので、終点まで彼と一緒にかぶりついていた。
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ここは、桜で有名な能登鹿島駅。愛称は能登さくら駅だ。

そうこうしているうちに、終点穴水に到着。わずか50分ほどの旅であった。
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改めて、いろはを見てみる。結構いいじゃないか。どんなストーリーだったのか知らないが、見てみたくなってしまった。本当に萌えるかも。
青森で同じような萌えキャラを見た時は何も感じなかったが、何が違うんだろう。

今夜は駅前の旅館砂山に泊まるのだが、
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これから一旦、七尾に戻る。明日は車で移動する予定だけど、穴水ではレンタカーが借りられないからだ。
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穴水駅構内に、永井豪作品のラッピング車両を見つけた。でも永井豪記念館のある輪島市にはもう、のと鉄道は通じていない。
12分の待ち合わせで折り返す。17:20発七尾行きである。
今度は、ボックス席に陣取り、海側の風景に目を凝らす。
日本最古の漁法と言われる「ぼら待ち」のやぐらが見えた。
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海の向こうに光るのは、和倉温泉街。
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一度は、あの有名な加賀屋に泊まってみたいが、おそらく泊まれないだろう。

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すいません、だんだん気に入ってきました。
というわけで、七尾駅に戻ってきた。
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この構えはあまり30年前と変わらないが、駅前は随分変わった気がする。
15分ほど歩いて、トヨタレンタカーに向かい、車をゲットする。
これからはのと鉄道の駅舎を一つ一つ、暗くなるまでにできるだけたどりながら、穴水を目指す。
途中、線路に沿って走っていたら、踏切が鳴りだしたので、あわてて車を止めて、列車を撮る。これは穴水行き。
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そしてこちらは七尾行き。「NO TO GO」とあるのは「永井豪」とかけているのだろう。こちらは、永井豪のラッピング車両だったので。
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和倉温泉駅。帰宅中の高校生たちがたむろしている。
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七尾~和倉温泉間はJR西日本とのと鉄道の共用区間であり、線路などの施設はJRの所有となっている。1991年に津幡~和倉温泉間が電化され、JRの特急が和倉温泉まで乗り入れている。

田鶴浜駅前には懐かしい郵便ポストがあった。
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天井にツバメが巣を作っていた。
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日も暮れて、電灯のともった笠師保駅。
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愛称は「恋火駅」。なぜだろう?

これで本日の駅舎撮影は終了。宿に向かう。
その前にメシを食わないといけない。
予約した時、「お一人様は食事は出せない」と言われてしまったのだ。

街道で何かいい店はないかと探していたら、地産地消の緑色のちょうちんを掲げている店を見つけ、入った。その名も「時葵」。
かつて、時津風部屋に所属していた力士で、幕下まで行ったのだとか。
そのおやじさんに乗せられ、能登の焼きカキ1人前(8個1000円)と海鮮定食(1300円)をいただき、満腹になった。
焼きカキは確かにうまかったが、8個はやはり多すぎた。半分にしてもらえばよかった。
8時過ぎに宿に到着。10時過ぎには床に着きました。

つづく
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城端線・氷見線・石動山

能登に仕事を作り、休みもくっつけて、北陸へ乗り鉄をしに行ってきた。
5月17日、大阪から出張してきた後輩と八重洲で飲んだ後、彼は東海道新幹線、私は上越新幹線で東京を発った。
酔っぱらって、あやうく越後湯沢で乗り越しそうになったが、無事、特急はくたか26号に乗り換える。
あえて指定はとらなかったが正解。ガラガラだった。
六日町からは北越急行のほくほく線に入る。これも未乗車路線なので、のりつぶし達成になるのだが、車窓は真っ暗。一応、のりつぶし地図帳に線は引くが、また来ざるを得まい。
うつらうつらしながら、高岡に23:38着。駅前のビジネスホテルに投宿する。

シャワーも浴びずに即沈。翌朝は5時起きだから。
18日。
高岡駅は北陸新幹線の開業を再来年に控え、駅舎の新築が進められていた。
南口は近代的な駅舎が完成していたが、
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路面電車の万葉線と接続する北口は、まさに旧駅舎の取り壊し中で、貴重な写真が撮れた。
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駅前には、越中守として赴任した大伴家持の像があった。彼の越中在任は5年に及んだ。
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さて、急がなくては。
5:38発の城端行き普通列車に乗り込む。まずは城端線の乗りつぶしだ。
車両はキハ47。なんと4両編成だが、乗客はこんな早朝なので、2~3人しかいない。
たぶん、折り返しで大勢の高校生を運んでくるのだろう。今日は平日だ。
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天気は雨の予報だったが、今のところ何とか持ちこたえている。
発車してまもなく、車窓は田園風景となる。まさに田植えが始まったところだ。
二塚、林、戸出と列車は南へ進んでいく。
西の空は真っ黒。いずれ、このあたりも降り出すだろう。
正面には飛騨の山々が見えるが、富山の地図を忘れてきてしまい、特定はできない。

福野駅は裏側からしか見えなかったが、すばらしい木造駅舎。
福光駅の裏には、銘菓・干柿最中の「坂上松華堂」の工場や倉庫があった。
この間ずっと、私の乗っている先頭車両は乗客が私1人だけで、駅ごとに窓を開けて、写真を撮ることができた。
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(これは越中山田駅)

6:31城端着。
改札には、切符の回収箱があったが、正直に手持ちの切符に無効印を押してもらおうと、駅員に「すいませ~ん、この切符下さい」と声をかけたら、無視された上に窓を閉められてしまった。
おそらく、「そんなの勝手に持って帰ればいいじゃないか、どうしてわざわざ断るんだ」とでも思ったのだろう。
かなりムカついたが、折り返しの待ち合わせ時間が7分しかない。ケンカをしている暇はない。とにかく駅舎の写真を撮らないといけない。
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おそらく創業当初からの駅舎である。すばらしい。
城端は見るべきところがあるのだが、今回はパス。改めて、ゆっくり来よう。

6:38城端発。もちろん同じ列車。
さっきの無効印のない切符を悪用することもできるのだが、止めておく。
高岡まで570円の切符を正直に買った。目的地は氷見だから、氷見までの950円の切符を買えばいいのだが、ここは乗り鉄のワザ。分けて買う方が安いのだ。
城端~高岡570円+高岡~氷見320円=890円
だから、60円も安い。
それに、こちらは、高岡駅の改札外にあるコンビニで朝食をゲットしなければいけない(さっきはまだ開店していなかった)。直通で買うと、途中下車できないのだ(まあ、駅員さんに言えば通してくれるとは思うが)。

今度は1駅ごとに高校生が乗ってくる。福光では大量に乗り、車内は高校生でいっぱいになってしまった。やはりローカル線はなくしちゃいけないよなあ。
7:28高岡着。
改札を出て、サンドイッチを買う。
7:41分発の氷見行きの中で、のんびり食べようと思っていたら、なんとこの列車もすでに高校生で満杯。乗れずにホームにあふれている学生すらいる。

次は8:01分発。20分のロスか、まあそのくらいは許容範囲だろう。
7:41発は諦め、待合室でサンドイッチを頬張る。
次も多少は混むことが予想されたので、今度は早めに並んでいたら、みるみるうちにまたまたホームは高校生であふれ、8:01発も満員になってしまった。

どんなに混んでいても、おじさんが座っているボックス席に、高校生は同席して来ないのものだが、富山は違う。城端線もそうだったが、氷見線でも堂々と女子高生が隣や正面に座ってくる(男子は来ない)。富山の薬売りと何か関係があるのか。
その一方、こんなに混んでいても、座席に荷物を置いている高校生もいたのだが。

氷見行きもキハ47で4両編成。最後尾の1両は忍者ハットリくんのペイントがなされている。藤子不二雄Ⓐさんが氷見出身であることにちなむという。個人的にはこういうキャラクター列車は好きではない。

それはともかく、満員の高校生、次の越中中川駅で全員降りてしまった。
本当に全員である。びっくりしてスマホで調べてみたら、ここには高岡高校、高岡工芸高校、高岡龍谷高校の3校の最寄り駅だった。
さすがに8:37着の氷見まで行く人はいない(遅刻だから)と思っていたが、こういうことだったのか。

この後はもう越中一人旅である。
が、雨がいきなり激しく降ってきた。ときおり稲光も見える。これから歩かねばならないというのに。一応、雨の装備はしてきてあるが。

越中国分駅を過ぎるとすぐ、左手に一気に富山湾が広がった。
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雨晴海岸を経て、まもなく氷見に到着(8:37)
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これで、城端線と氷見線を制覇した。
駅前に出ると、雨が止んでいた。これはラッキー。
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本日の任務は、昔の参拝道である大窪道をたどって石動山(せきどうさん)に行くこと。
大窪道の入り口にあたる藪田見田窪までタクシーで移動する。
途中、住所表示で「比美町」というのを見つけた。「ひみ」にはいろんな表記があるようだ。
左手に切妻屋根の家並みが見えた。たぶん、あれは昔の漁師町だろう。
道は埋め立てられた海岸を走っているということだ。

見田窪には9時に着いた。しばらくは車道を歩くが、ここには当時の石畳の道がわずかながら残っている。
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小さな峠(鳥越峠)を越えると、右手に旧道が分かれている。
当然、旧道を行く。しかし、これがひどい道だ。ヤブや倒木、路面には土砂も積もっており、すべる。
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もう一度、新道と交差してからの旧道は今も農道として利用されているようで、普通に歩けた。
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右手にお社のようなものが見えて、立ち寄ってみたら、壁はトタンで覆われ、正面はアルミサッシの扉。中を覗くと、木魚と仏具があった。地形図には鳥居の記号があったが、これはどうやら神社ではない。

下りきると、集落。昭和41年竣工の鳥越橋がある。
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この橋には「白川」と書いてあるのに、同じ川にかかるすぐ近くの川上橋には「五十谷(いかだに)川」とある。
どっちが正しいのか。近所の人に聞いてみたら、この川は五十谷川だという。
なぜ、「白川」になってしまったのだろう。

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(白川の集落)

白川を抜けて、下戸津宮の集落に入った頃、外交のおばちゃんに話しかけられた。
「写真撮ってるの?」
「ええ、石動山に行くんです」
「ああ、あそこはいいところよ。私も時々行くの。途中の長坂に棚田があって、きれいよ」
「ありがとうございます」
でも、大窪道は長坂は通らない。

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このあたりの蔵は鳥居風の意匠になっているのが面白い。

右手に古そうな神社があった。父宮神社。
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ここの狛犬を寄進したのは東京の人だった。
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「東京市芝区田村町 大門巳之吉」とある。寄進されたのは明治37年。
石工は高岡米町の佐野長八。世話人は「当村本家 大門」とあるから、この村から東京に出て儲けた人なのだろう。
大正10年建立の鳥居も、同じ人の寄進によるものだった。

この先、坂がきつくなる。途中、新道の工事中で、迂回したら、どこを歩いているのか分からなくなった。でも、なんとか本来の道に合流。
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山もだんだん深くなっていく。
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こんな四角い「止まれ」の標識があった。道交法施行規則違反では?
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この案内板が現れたら、いよいよ車道は途切れ、山道となる。時間は11時過ぎ。

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古い道のはずだが、歴史を感じさせる遺構はそれほど多くない。
わずかに梵字の刻まれた石碑や首のない石仏が一か所ある程度だった。
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この道は一応、整備されていることになっているのだが、春先でまだ草刈りが入っていないためか、かなり歩きにくい。
標高差で300mほどを登る。遊歩道のイメージではなく、ほとんど山歩きである。
峠を越えて、少し下ったところが石動山の遺跡群。

石動山(565m)は北陸では白山と並ぶ山岳信仰の拠点で、中世の最盛期には360余りの院坊が全山を覆い、3000人の衆徒が修行に励んでいたという。
彼らは上杉謙信に味方した関係で、前田利家に敵対する形となり、1582年に焼き打ちにあった。
江戸時代に、58院坊が復興したが、それらも明治の廃仏毀釈で、ことごとく廃絶し、建物は移築されて、里の神社の拝殿などに転用されたものも少なくなかった。
その後、階段状に残った土地は入植してきた農家によって、田畑となったが、今残るのは3軒だけ。現在は歴史公園として整備が進められている。
平成14年には、当時最も格式が高かった大宮坊が、発掘調査に基づいて復元されている。
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ここにある神社は伊須流岐比古神社という。
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石動を「いするぎ」と読んだりもするが、その「いするぎ」である。
この山は、古来より山崩れや地滑りが頻発し、いにしえの人々は「石、動く山」として畏れ、山そのものを「イスルギヒコ」として崇めた。
山が動くことを、当地では「ユスル(イスル)」と言った。「揺する」の意である。
つまり、石動山は「ユスル」の意味の漢字を宛て字して成立したということになる。
現在、山のあちこちに様々な堂宇の基壇や礎石などの遺構が残っている。
これは集団墓地の跡だ。
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山頂は大御前と呼ばれ、小さな社が建つ。
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ひと通り回ったので、下山する。歩くのは大変なので、車を呼んだ。
最寄りのJR七尾線良川駅まで20分ほどのはず。
車に乗ったのは3:40頃。運転手に「4時1分の七尾行きに間に合うか」と聞いたら、無理ですと言われたので、途中のコンビニに寄ってもらい、遅い昼食であるパンを買う。
そうしたら、なんと4時2分に駅に到着。
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(あわてて撮った1枚だけの良川駅の写真)
え~まっすぐ来ていたら間に合ったのに~と思ったら、遅れてきた電車に乗ることができた。
まあ結果オーライか。
七尾駅に16:14着。5分の待ち合わせで、のと鉄道穴水行きに乗り換える。
乗り鉄再開である。

つづく
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