山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

銚子電鉄2

銚子電鉄沿線の旅・第2部(4月1日)

犬吠駅はポルトガルの宮殿風の建物で、南国のムードが漂う。
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駅前広場には廃車になったデハ501と相模鉄道モニ2022を利用したレストランがあったが、今は休業しており、物置っぽくなっている。
ホームからも写真を撮ろうと思って、改札の女性に声をかけたら、写真を撮るなら入場券をお求めいただきたいのですが、と言われ、素直に150円支払った。
経営の厳しい銚子電鉄さんなんだから、そのくらいは協力しなくっちゃ。
(他の無人駅は撮り放題だし)
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ここからまっすぐ灯台へは向かわず、遠回り。
南へ向かって少し歩き始めたら、踏切の警報機の音が・・・
立ち止まって、電車が来るのを待った。
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遊歩道に出ると、白波の向こうに犬吠埼灯台の雄姿が見えた。
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途中、海岸に石垣が組んであり、プールのようになっている場所がある。何だろう。
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遊んでいた少年たちに聞いてみたが、「知らない」という。
後で分かったことだが、これはいけすだった。

灯台直下の海岸付近は、「白亜紀浅海堆積物」という名称の国天然記念物に指定されており、ユニークな形状の岩や地層が多い。
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昨年の津波の影響か、遊歩道が崩落しているとのことで、立ち入り禁止区間があったが、ごめんなさいした。
先に侵入している若者たちがいたが、彼らは中国人だった。字が読めないということでもあるまいが。
ただ、この先は非常に美しい景観が広がっていた。自然のいけすのような場所である。
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さらに進むと、立ち入り禁止の理由はこれだった。
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来た道は戻らず、崖をよじのぼって灯台にたどりつく。
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白亜の誠に美しい灯台である。明治7年初点灯。高さは31.3mでレンガ造りの灯台としては尻屋崎灯台(青森県)に次いで全国2位だそうだ。
入場料は150円。昔は50円だったなあ。
以前登ったことがあるので、今回はパス。
付近の文学碑をひとつひとつ回って、君ヶ浜の方へ下りる。
あ、その前に、こんなポストがあった。
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これは君ヶ浜の全景。
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外川ミニ郷土資料館で見せてもらった写真では、君ヶ浜の砂浜の幅は何百㍍もあったが、今はすっかり細ってしまった。
たぶん、砂の供給が年々減っているのだろう。あちこちの海岸をコンクリートで固めていることが背景にあるのかもしれない。
浜には幸せそうなカップルもいました。
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まあ、後ろ姿だから人権上問題ないだろう。
写真を撮っていたら、年配の男性がにやりとしてすれ違って行った。

ここで一旦、海とはおさらば。内陸に入って、君ヶ浜駅へ。
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ここも南国ムードたっぷりだが、線路に生えた雑草が廃線を彷彿とさせる。
ここから隣の海鹿島駅まで1駅分だけ乗る。
下りる時、車掌さんに運賃を小銭で渡したら、10円玉を線路に落としてしまった。
やさしい車掌さんは10円足りない運賃で「ああ、いいですよ」と許してくれた。
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電車が去った後、線路に下りて10円を回収したのは言うまでもない。
この駅は関東最東端の駅だそうである。
駅舎もなかなかしぶい。
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この時計も駅名標も哀愁を感じさせる。
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ここからまた文学碑散歩。
国木田独歩の碑には「なつかしき わが故郷は何処ぞや 彼処(かしこ)にわれは 山林の児なりき」(詩「山林に自由存す」の一節)とある。
独歩は1868年に銚子沖で難破した播州龍野藩の神龍丸に乗っていた国木田専八の息子。専八はしばらく銚子に残り、地元の娘と結ばれ、生まれたのが独歩。
武蔵野のイメージが強い人だが、生まれたのは銚子というのは意外だった。
詩碑はものすごい大きな岩である。
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次は竹久夢二。碑文は有名な宵待草。「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな」
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この詩は、海鹿島海岸にひっそりと咲く宵待草によせて歌ったものという。
夢二は明治43年夏にここ海鹿島に遊び、うら若き女性と知り合う。お互い惹かれ合うが、結ばれることのないまま別れる。翌年、当地を再訪した夢二は彼女がすでに結婚してしまったことを知る。
いくら待っても来ることのない彼女を思い、歌ったのだ。

このほか尾崎愕堂(尾崎行雄)歌碑、小川芋銭句碑を見学し、西海鹿島駅へ。
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駅のすぐ横に、なかなか味わい深い踏切があった。
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とぼとぼ歩いて、10分もかからず笠上黒生駅。「かさがみくろはえ」と読む。
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構内には、国鉄ワム8000形貨車を改造したトロッコ客車「ユ101」がひっそりと余生を送っていた。「澪つくし号」の愛称で親しまれたが、2007年以降使用されていない。
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本日はここまで。
明日は久々に山歩きをしてきます。丹沢の表尾根から鍋割方面へ1泊で行って来ます。
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銚子電鉄1

4月1日は昨日の風雨がうそのような青空。
昨年乗り鉄した銚子電鉄の駅舎撮影に出かけた。
銚子から終点外川まで乗り、そこから歩いて引き返す形で撮っていくことにした。
外川駅はNHKの朝ドラ「澪つくし」のロケ地になったところ。
駅前にはそのことを伝える看板が掲げられている。

この駅は大正12年(1923)の開業なので、駅舎もその当時からのものだろう。
駅舎としてはめずらしい妻入りの形式で、正面に大きく庇が張り出している。
窓をはさんで上が下見板張り、下が羽目板張りとなっている。
黒ずんだ板が味わい深い木造の名駅舎だ。
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駅構内にはデハ800形の車両が展示されていた。
伊予鉄道で1950年から使用されていたもので、1985年に銚子電鉄に譲渡され、2010年に営業運転を終了した。
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外川漁港界隈を散策する。
このあたりは義経伝説ゆかりの地が多いようだ。
西に向かって歩くと、すぐ海にでる。長崎海岸だ。ここには、人間があおむけに寝ている姿に見える「宝満」という岩がある。
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「ほうまん」は九郎判官義経の「ほうがん」がなまったものと言われている。

海岸の先端は長崎鼻。長崎鼻という地名は全国各地にある。
一番有名なのは鹿児島・指宿の長崎鼻だろう。
ここはすぐ北にある犬吠埼と違い、ひっそりとした雰囲気だ。
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灯台は昭和30年に完成したもののようだ。

やはりこのあたりは風が強いのだろう。昔は石垣で家々が守られていたようだ。
その痕跡が今もところどころに残る。
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大杉神社の境内には平安時代後期の歌人、源俊頼の歌碑がある。
「磐はしる 外川の滝の むすぶ手も しばしはよどむ 淀むせもあれ」
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案内板によると、俊頼と銚子との関係は明らかではないという。
ただ、「千葉県海上郡誌」(大正8年)に、外川の海岸にある「畳磯」という巨岩に打ち寄せる波が岩から流れ落ちる様を滝のようだとの記述があるそうで、俊頼がその様子を詠んだものだと考えられているという。
でも、だとすれば「淀む」というのがひっかかる。
やはり、外川の滝はどこかの川にかかる滝なのではないか。
それがどこなのかは分からないが、この歌を知った地元の人が「外川」とはここのことだと早合点して、歌碑を建ててしまったのではないだろうか。

「外川まちなか歩き観光案内板」によると、外川漁港は銚子漁港の発祥の地で、1658~61年にかけて和歌山県の広村(現在の広川町)から移ってきた崎山治郎右衛門が開いたのだそうだ。
当時の町割りが今もほぼそのまま残っており、高台から港に下る8つの坂道にそれぞれ名前が残っている。
「王路(おうみち)」「阿波(あんば)通り」「長屋通り」「新浦通り」「一条通り」「一心通り」「本浦通り」「条坊通り」で、それぞれに通りの名を記した銘板がはめ込まれている。
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銚子市街まで一本道で行けるという意味でその名が付いた「一条通り」に面して、外川ミニ郷土資料館がある。
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ここを訪ねて、あの「稲むらの火」で有名な濱口梧陵が、銚子の代名詞でもある「ヤマサ醤油」の七代目であることを初めて知った。
1854年の安政南海地震による津波の際、村人を救うため自家の稲束に火を放ち、避難誘導したという濱口は、私財を投じて天然痘の予防対策などにも尽力した偉人だ。
銚子と広村はものすごく関係が深いのだ。

資料館の近くにこんな奇妙な記号のある蔵があった。
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???だったが、下に「豆乳ジェラート」という幟を見つけて、意味が分かった。
「フ」が10個で「とうふ」だ。

発祥の地と言えば、こんな民宿もあった。
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なんとも勇ましい名前だが、地域限定でも「発祥」というのだろうか。

再び、義経伝説。
この岩は「千騎ヶ岩(せんがいわ)」。義経が千騎の兵をもって立てこもった所と伝わる。
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で、こちらは犬岩。確かに犬のように見える。
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義経が奥州に逃れる時、海岸に残された愛犬が主人を慕って7日7晩鳴き続けて岩になってしまったのだそうだ。
ちなみに、犬吠埼の名は、この愛犬の吠える声が届いたから付いたとも言われている。

この岩の近くに「犬若食堂」という何となく地元漁師向けっぽい食堂があった。
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こういう店って、結構うまいんだよな、などと期待しながら入ると、観光客っぽい人で22席の店内は満席状態。
ある家族などは店内やら、食事の写真をバシバシ撮っており、揚げ句の果てに飾ってある奇妙なトロフィーを借りて、記念写真を撮っている。
一体この店は何なのだ?と検索してみると、「とんねるずのみなさんのおかげでした」のコーナー、汚いけどうまい店を探す「きたなシュラン」で紹介された店のようだ。

お薦めを聞くと、「かき揚げ定食」(1100円)だという。かき揚げは得意ではないのだが、昨日は海が荒れて漁には出なかったはずだから、鮮魚も期待できない。思い切って頼んだら、なんとふつうの蕎麦に使うかき揚げより大きいのが4つも皿にのって出てきた。
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正直言って引いた。これは多分食いきれない。
具もサルエビのみ。申し訳ないが、それほど美味しいエビではない。
頑張って3つ食べたが、1つは残してしまった。別のメニューにすればよかった。

腹ごしらえしたところで、海を離れ、台地に登っていく。
このあたりは一面のキャベツ畑だ。
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丘をどんどん登っていくと、愛宕山(標高74m)の頂上に「地球の丸く見える丘展望館」がある。
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360度の大パノラマが楽しめる。
すぐ東に犬吠埼灯台
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南東に外川の町並み
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西に屏風ヶ浦の断崖
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北に銚子市街
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北はるか向こうには鹿島臨海工業地域が見える。
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銚子市街の西にあるはずのない湖が見えて、何だろうと思ったら、利根川だった。
利根川は太いのだ。河口付近では川幅が1㎞もあるのだ。

富士山も見えるはずだったのだが、この日は残念だった。
展望館の館内では、銚子名物ぬれ煎餅の実演販売をしていた。
なんと「日本一まずい最低のぬれせん」とある。
でも、その下に小さく「今日は4月1日」の文字が。
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エイプリルフールというわけか。
その紙、めくってみると「ぬれせん1枚50円 今日は4月1日」とある。
ほんとは1枚150円なのだ。
「これ、評判悪かったですか?」と聞いたら、「ええ」との答え。
そりゃそうでしょう。わ~い50円だあと思ったら、実は150円いただきます、では頭に来る。逆ならいいけど、それじゃあ、お客さんが来ないだろう。
ただ、いくら焼く手間がかかるとは言え、1枚150円は少々高い。せいぜい100円にしてほしい。味の方はまあ、まずまずでした。

坂を下ると、満願寺がある。伽藍は新しく、立派なお寺だ。
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これほど新しいと、そそられないのだが、「さざえ堂」があるとのふれ込みに誘われて訪ねた。
さざえ堂というのは会津若松・飯盛山にあるの円通三匝堂が有名だが、階段が二重らせん構造になっており、登っていると思っていたら、下っていて知らぬ間に違う出口に出てきてしまう不思議な建物だ。
ところが、ここのさざえ堂はただらせん階段になっているだけ。
こりゃインチキだ!と思って、お守り売り場にいたお姉さんに「これはさざえ堂ではありません」と文句を言ったら、何を言われているのか分からない様子。
「ここに書いてありますので読んでください」とパンフレットを渡されてしまった。

憤然としつつ犬吠駅に向かう。
つづきはまた次回。
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江ノ電

3月31日(土)は非常に風雨の強い日だった。
でも、午後遅くから回復するという予報だったので、所用を済ませ、夕方近くに江ノ電に乗れるようなスケジュールを組んだ。

江ノ電は運転間隔が短いので、1駅ずつ乗って、1駅ずつ撮影していくことが可能だ。
ただ、藤沢駅を出発したのがもう夕方4時近かったので、このペースでは鎌倉まで全駅撮影することは無理だろう。
まあ、いくつか残しても、ここなら近いからまた簡単に来られる。とにかく出発だ。

藤沢駅を出たときはまだ雨が降っていた。
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1日フリー切符「のりおくん」を購入。580円。藤沢~鎌倉往復の料金と同じに設定してある。
藤沢駅は2階駅。最初に乗ったのは、このレトロなデザインの電車。
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江ノ電はいろんなタイプの車両がある。

一つめの駅は片面ホームだけの石上駅。
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あとはまたどんどん進む。
柳小路駅
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鵠沼駅
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手前の路面に敷いてある石は、かつて腰越~江の島間の併用区間に使用されていたものだそうだ。

湘南海岸公園駅
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このあたりアベックが多い。

境川の河口付近。晴れてきた。
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賑やかな江の島駅
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駅前にはレトロな建物が多く、ちょっぴり散策した。
これは手作りパン屋さん
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ここから腰越までは道路との併用区間。
ここの雰囲気はとてもいい。今度は歩いてみたい。
で、義経の腰越状で有名な腰越駅
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義経が頼朝に許しを請う腰越状をしたためた満福寺から、眼下の踏切を見下ろす。
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海に出た。風はそこそこ収まったが、波はまだかなり高い。
サーファー日和だ。
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鎌倉高校前駅は海に面していて、かなり目立つ。
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道路は渋滞している。
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七里ヶ浜駅に着く頃には、薄暗くなってきた。
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極楽寺駅は、ついこの前、キョンキョン主演のドラマ「最後から二番目の恋」の舞台となった。もう夜です。
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ここから極楽寺の切通しを下り、長谷駅から再び乗車し、鎌倉から帰宅しました。
今度はもう少し、時間にゆとりがある時に来よう。
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松本電鉄

3月25日の第3弾。これで25日は終わりです。

松本電鉄に乗ったのは、大学3年の秋以来なので、29年前のことだ。
自転車を乗鞍山頂まで担ぎ上げ、標高3026mから一気に、新島々駅まで下って来た時にはもう暗くなっていた。駅は木造で、裸電球がぼんやり灯っていたような記憶があるが、定かではない。輪行して乗り込み、ほとんど寝ていたのではないだろうか。
松本電鉄の記憶は夜の新島々駅だけである。

松本駅はまだ未撮影だが、いずれ来ることもあるだろうと考え、あまり街中に入りたくないし、パスした。一つめの駅、西松本駅に向かう。
駅の裏にある古びた社員寮(おそらく、もう使ってはいまい)が、まず見えてきた。
これは文化財級である。
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この汚れ具合が、何とも言えない。

西松本駅はホームが自転車置き場である。
ローカル線はこのくらいじゃないといけない。
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渚駅
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この頃までは晴れていて、美ヶ原も見えていたが、これが見納めとなった。
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信州荒井駅
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大庭駅
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下新駅
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知らなかったのだが、この近くに物ぐさ太郎の伝説地があった。
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北新松本大学前駅
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感動したのが、次の新村駅である。
見てください。このボロボロの駅舎。なんとこの駅舎、2日前まで使われていて、前日からは隣に似たようなイメージのデザインで新築された駅舎が開業していたのである。
よくぞ、取り壊さないでおいてくれた。
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切符のコレクターではないが、思わず記念切符を買ってしまった。
駅員さんに聞くと、今後どうなるかは分からないが、保存会の方々の意向もあるので・・とのこと。そうか、保存会があるのか、地元の方が何らかの形でぜひ活用してほしい。維持管理が大変だろうが。
ちなみに、車両は京王からの譲り受けたもので、同社(アルピコ交通)のバスと同じデザインだ。
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三溝駅
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次の森口駅も新村駅同様、新旧二つの駅が並び立っている。
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実に感動的である。今回の旅の収穫は、八木沢駅、新村駅、森口駅の3つに指を屈するだろう。
だが、まだ終わっていない。
下島駅
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新旧が並んでいるのは駅だけではなかった。今は松本市と合併してしまった旧波田町の役場も新旧が同じ敷地に立っている。DSC_8572_convert_20120424171153.jpg
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波田駅は新築工事中だった。また、撮りに来なければならない。
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渕東駅に着く頃には雪がちらついてきた。
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で、終着、新島々駅だが、一大ターミナル駅に変貌していた。
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北アルプスへの登山客は松本駅からバスに乗っていくものだと思っていたら、ここから乗る人も随分いるようだ。
それはともかく、この駅は記憶にある駅ではない。
残念に思っていたら、なんと向かいに移築されているではないか。
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う~ん懐かしい!と感激するほど、記憶がないのが悔しいのだが、確かにこのくらいの大きさだった。
それにしても、松本電鉄の旧駅舎を残そうとする経営方針にはほんとに頭が下がる。
新村、森口両駅は現地保存して、観光に役立ててほしいと思う。
願わくば、変な整備はせず、あのままがいいのだが。

というわけで、本日の任務は何とか暗くなる前に終了。
松本インターで高速に乗り、諏訪湖SAで温泉に入って、帰宅いたしました。
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上田電鉄

3月25日のつづき。
これから上田電鉄の駅舎を巡る。

この電車に乗ったのは、大学1年の時だから、もう31年前。クラスの仲間4人で3泊4日の信州旅行をした時、最終日にこの電車の終点、別所温泉の外湯で汗を流して帰ったのだった。

その湯で、地元の人に「どうやってきたの?」と聞かれ、仲間が「電車」と答えたら、「へえ、自転車で!」と聞き間違えられた。
田舎者の私は「いえ汽車です」と言ったら、通じた。

あの時、田舎の人は国鉄のことを「電車」とは言わないと確信しましたが、上田電鉄も「電車」とは言わなかったのだろうか。
まあ、それはともかく、これが、上田電鉄が千曲川を渡る鉄橋。鮮やかな赤です。
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城下駅
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三好町駅
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上田電鉄はこんなのが走っています。東急から譲り受けたものです。
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赤坂上駅
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上田原駅
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寺下駅
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この駅は本当に、寺の下にありました。

神畑駅
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大学前駅。大学とは長野大学のことです。
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下之郷駅
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ここは、すぐ近くにある生島足島神社をモチーフにした派手なデザイン。
かつては、ここから上田丸子電鉄が分岐していた。
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中塩田駅はパステルカラーのペインティングで開業当初の雰囲気を再現している。
2009年11月に改修してきれいにしたのだそうだ。
ちょっときれいすぎる感もあるが、取り壊されなくてよかった。
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近くには、昔は賑やかだったであろう商店街があるが、今は見る影もない。
角にあるこの店など、最初は百貨店だったのに、つぶれた後は読売新聞の販売店になり、その販売店も店を閉じてしまった。
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これは下宿屋さんと思われるが、かなりしぶい。
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塩田町駅
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中野駅
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ここでは、小さい子供たちがたわむれていた。
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舞田駅
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舞田駅から上田に向かう電車。
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そして、上田電鉄で最高の駅がこれ、八木沢駅だ。
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木造の駅舎そのものも美しいが、何よりロケーションがいい。

そして終着、別所温泉駅。中塩田駅と同じデザインだ。
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30年ぶりにひとっ風呂浴びて行きたいところだが、本日は松本電鉄も回らないといけない。ここから、松本へは有料のトンネルを二つ抜けて1時間半といったところか。
とにかく、塩田平の名所旧跡はすべてすっとばし、松本へ急ぐ。
途中の鹿教湯(かけゆ)温泉にはいずれ来よう。

松本電鉄は次回へ
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小海線(下)+しなの鉄道

これから書くのは、3月25日のことです。
う~ん、とうとう1か月遅れになってしまった。スピードアップしなければ。

鯉料理で有名な臼田の清集館は、午前6時に出発。まずは市街地の南にある小高い丘、稲荷山(稲荷神社)に登る。
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標高差は50m程度しかないが、これで「登った山」を1つ稼いでしまおうというせこい考えだ。3月4日を最後に今年の山行は中断したままだが、これで今年80座目となった。
頂上からは千曲川の流れと市街地、そして頂上付近は雲に隠れた浅間が見えた。
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臼田駅を撮影し、ちょっと寄り道することにする。
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日本でもう1つの五稜郭、龍岡城跡のさらに奥にある新海三社神社である。
龍岡城は長野勤務時代にたんねんに歩いたので今回は省略。

この神社は佐久地方開拓の祖神であり、名だたる武将の崇敬が篤い。
とくに武田信玄は東本殿を再興している。
見所はやはり三重塔であろう。
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鳥居もこんなに立派である。
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さて先を急ぐ。神社の最寄り駅は竜岡城駅である。
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ここからの浅間の雄姿もすばらしい。
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この先はどんどん行く。
太田部駅
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滑津駅
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北中込駅
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ちょうど、この日、佐久にある地球環境高校が選抜高校野球で初戦に臨んだがあえなく敗退した。
駅には、こんな横断幕があったのだが。
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ちなみに中込駅は以前、小海線を乗り鉄した時に撮ったので通過した。
岩村田駅は名駅舎である。駅名標の字体がいい。
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長野新幹線との交差駅である佐久平駅は駅前に車を駐めるスペースがなく、路上に停車した車内から手抜きで撮りました。
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中佐都駅
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美里駅
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三岡駅
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乙女駅
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東小諸駅
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で、小諸で小海線は終わりだが、小諸駅は撮影済みなので通過。
引き続き、上田電鉄の起点、上田駅まではしなの鉄道の駅をたどる。
滋野駅
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しなの鉄道は今、こんなんが走っています。
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駅前にはこんな瀟洒な洋館がありました。
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このあたりは国道19号の旧道、すなわち北国街道をゆっくりと走りました。
海野宿の宿場町も堂々と車で走れるのです。
その最寄り駅である田中駅は、雰囲気があります。
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大屋駅は文化財級の美しさです。
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大正11年の開業当時からある柱時計が今も正確に時を刻んでいました。
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信濃国分寺駅
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次が上田駅ですが、これもパス。即、上田電鉄に入ります。

と言いつつ次回につづく
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小海線(中)

2012年3月24日の後半です。

信濃川上駅の後はどんどん行きます。
佐久広瀬駅
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(昭和10年開業、昭和12年築)

佐久海ノ口駅
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(昭和7年開業、同年築)

海尻駅
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(昭和7年開業、昭和35年築)

松原湖駅
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(昭和7年開業、平成11年築)

小海駅
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(大正8年開業、昭和61年築)

馬流駅
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(大正8年開業、昭和10年築)

高岩駅
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(大正8年開業、平成8年築)

八千穂駅
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(大正8年開業、同年築)

海瀬駅
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(大正8年開業、昭和10年築)

羽黒下駅
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(大正4年開業、同年築)

青沼駅
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(大正4年開業、平成元年築)

ここで日が暮れてしまったので、今夜は臼田に泊まることにする。
途中印象深かったことをいくつか。
海尻駅近くの国道沿いに、作詞家いではくの歌碑があった。
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千昌夫が歌った「北国の春」である。このあたりが、いではくの生誕地だそうだ。
そういえば、ひらがなのペンネームなのであまり意識しなかったが、「いで」=井出は佐久地方に多い名字だ。
千昌夫が歌っていたから、あの歌詞は東北のイメージだったが、実は信州の風景だったのだということを知った。

小海町のキャラクターは伝説の森の妖精プティリッツァだそうだ。
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駅のパネルには「松原湖高原に住んでいるという」と書いてあるが、日本の妖精がなぜ横文字なのだ?
というか、日本に妖精なんていたっけ?
首をひねっていたら、プティリッツァとは、豊かな自然環境とすべての生命を大切にする温かい心のある土地にしか住めないと言われている北欧の森の妖精で、小海町は、そんな彼らが生存できる自然や温かい人々の心を後世まで維持しようと、イメージキャラクターにしたのだそう。
町のHPにはそう書いてあって納得したが、それならパネルにもそう書いてくださいな。

馬流駅周辺は明治初期に起きた秩父事件ゆかりの地だ。
戦死者の墓には「秩父暴徒戦死者之墓」と刻まれていた。
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貧窮の極みに達した秩父の農民が困民党を結成して武装蜂起したのは明治17年。間もなく鎮圧されたが、上州勢を加えて信州に進出し態勢の立て直しを図る。だが、やはり政府の警官隊に敗れ、ここ馬流での死者は13名に達した。
死者は近くの諏訪神社境内に埋葬されたが、次第に墓は草に埋もれかえりみる者もほとんどなくなった。
それを憂えた、首謀者菊池貫平の孫一同によって、昭和8年に墓碑が建てられたのだが、その銘が「暴徒」とは・・・。
50年を経過しても、時節柄、お上に逆らった人々の名誉回復は許されなかったのだろうか。

高岩駅をすぎると一気に佐久平が開け、正面に突然、浅間山が現れる。
この山の迫力にはいつも驚かされる。単独峰としては富士山に次ぐ存在だと思う。
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八千穂駅周辺は古い町並みが残っていたが、そのほとんどが、清酒「井筒長(いづつちょう)」の蔵元・黒澤酒造の工場と黒澤家の屋敷だった。地方の名家とはすごいものだと改めて驚いた。一家で町を作っているのだから。
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羽黒下駅近くの商店街は旧佐久町の中心街で、絶妙なさびれ具合というか、どっこい生きてるというか、私にはよだれが出そうな通りだ。
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町並みのはずれに常夜灯と庚申塔があるのもたまらない。
その彫刻がいかにも江戸の職人が掘りました!って感じで、思わず「ごちそうさま」と独り言をつぶやいてしまう。
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青沼駅は随分迷った末、たばこ屋のおばちゃんに聞いてやっとたどりついた。
ここからの浅間の眺めもすばらしかった。
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宿は臼田にとることに決めたが、予約はしていない。
一応は町なのだから、ビジネスホテルの1つのあるだろうと町中を探し回ったが1軒もなく、郊外の国道沿いにもない。
30分くらい走り回った揚げ句、諦めて佐久市街まで行きかけた時、清集館という旅館の前を通りかかった。
鯉料理で有名な老舗のようだ。
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宿の前にいるのだから、直接訪ねればいいものを、電話で空きを聞いた。
泊まれるという。1泊素泊まり4200円だが、電話を切ってから、持ち合わせが3000円しかないことに気づいた。
5000円札が1枚あると思っていたら、昨夜飲んだ時に使ってしまったらしい。
カードは使えないというので、場合によってはキャンセルして帰宅しないといけないことになる(車中で寝る用意はして来なかった)。
国道沿いのセブン―イレブンに行ったら、ATMがあって助かった。便利な時代になった。

晩飯は町の大学ラーメンで済ませ、7時半頃チェックイン。
一番奥の静かな部屋で、10時前には寝てしまった。

つづく
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中央本線+小海線

2012年3月24日
1泊2日で山梨、長野へ駅舎撮影の旅に出ることにした。
つぶす対象は、小海線、上田電鉄、松本電鉄である。
途中の経路にある中央本線やしなの鉄道の駅もいくつか立ち寄った。

中央道を甲府昭和ICで下り、まずは竜王駅。
訪ねたのは2005年12月以来、6年とちょっとぶり。
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(これは当時の姿)

当時の面影は全くなく、近代的な駅舎に建て替えられていた。
完成は2008年とのこと。
しかも、駅舎の北口、南口ともロータリーの歩道に円形の覆いが設置されており、駅舎の全景をとらえることができない。
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実際はこんな形の駅のようだ(「1700の肖像 JR東日本全駅写真集」より)。
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駅舎が新しくなったからと言って利用者が増えるわけではないが、建て替えられた2008年度の2489人(1日平均)をピークに、2010年は2061人(過去10年間で最少)に落ち込んでいるのは皮肉なものだ。

となりは塩崎駅。ここも1995年に建て替えられた新しい駅だが、まるでコンビニのようなデザインだと思ったら、やはり改築以来しばらくはコンビニが併設されていたようだ。なんか寒々しい風景である。
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次の韮崎駅、新府駅は2009年10月に近くの七里岩を訪ねた時に撮影済みなので通過。かわりに、武田勝頼ゆかりの旧跡、「回看塚(みかえりづか)」と「涙の森」を見学する。

その後の駅は以下の通り。
穴山駅
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(大正2年開業、平成12年築)

日野春駅
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(明治37年開業、同年築)
ここには蒸気機関車に水を補給する給水塔が保存されていた。

長坂駅
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(大正7年開業、昭和60年築)

ここで中央線とはおさらば。小海線に向かう。
甲斐小泉、甲斐大泉、野辺山の各駅は2010年10月に小海線を乗り鉄した時に撮影しているので通過。清里駅から始める。
清里駅は何度か来ている。最初は学生時代の1983年6月、次は就職してからで、91年8月。出張だった。もう1回、家族でこのあたりに着た時に寄った記憶があるが、それがいつかは定かではない。
当時と変わらない白亜の駅舎。昭和51年(1976年)の建築だ。
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次の野辺山は撮影済みなので通過するがその前に鉄道最高地点には寄りたい。
国道141号を北上していると、いかにも旧道っぽい道が見えたので、いそいそと進入。すぐに踏切があったので、車を止めて線路の写真を撮っていると、タイミングのいいことに上り列車が来た。
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実は、ここに来る前に絶好の撮影ポイントがあったのだが、私はいわゆる撮り鉄ではないので、列車が来るのなんて待っていられなかった。

私には、線路だけのこんな線路だけの写真で大満足である。
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踏切を渡って間もなく、山梨・長野県境の橋に着いた。県境は峠ではなく、川だった。
橋の名は、国界橋。分かりやすい。
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このあたりはまだ路面に雪が残っていた。除雪のされない区間なのだろう。
この道が再び小海線と交差する場所がJR鉄道最高地点。標高1375m。丹沢の大山(1252m)より100m以上も高い。
ここも何度か訪ねたことがあるが、真面目に写真を撮ったのは学生時代に雨の中、バイクで来た時以来。
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この標柱は平成18年に再建されたものだが、裏を見てびっくり。
「書 中島芳榮」とある。芳榮さんは野辺山在住の書家で、私が長野に勤務していた時にお知り合いになった方だ。懐かしい名前に再会できて、心が温かくなった。

すぐ横にその名も「最高地点」という山小屋風のレストランがあった。
ここでソフトクリームを買う。
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さすがに濃厚だった。

野辺山高原をぐ~っと回り込み、標高差で200mほど下ったところに信濃川上駅がある。標高1135m。標高の高さでは、野辺山駅(1345m)、清里駅(1274m)、甲斐大泉駅(1158m)に次いで第4位である。
ここも91年の出張以来、20年ぶりの再訪だ。
あの時は、同期の女性カメラマンと2人の出張だった。
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昭和10年建築のローカル駅らしい駅だが、正面の、たぶんもう閉じている商店に掲げられている観光案内図の方にしびれた。
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つづく
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名鉄各線+愛知環状鉄道

3月18日。
午前5時半起床。顔も洗わず、チェックアウト。
金山駅で名鉄の1日フリー切符を買う。3000円。
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今日はひたすら名鉄のローカル線を回るつもりだ。が、どこから回るのかは決めていない。

金山駅改札の電光掲示板には、いろんな行き先の電車が表示されている。
あれこれ迷った揚げ句、6:09発の急行新鵜沼行き(犬山線)に飛び乗った。
名古屋駅を過ぎると、どんどんスピードを上げる。
車内の速度表示は最高107kmに達した。

犬山駅6:46着。ここで広見線に乗り換え。
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犬山には過去に3度ほど来たことがある。
最初は学生時代で、明治村に来た時。そして、子供が小さい頃、車でリトルワールドに連れて来た。
それと、出張で来た時に、国宝犬山城や三角縁神獣鏡が5面も出た東之宮古墳などを訪ねた。この時は名鉄で来たはずだが、駅の記憶は全くない。

25分ほどの待ち合わせの間、南知多三十三観音霊場めぐりを紹介したビデオを改札の中でずっと見ていた。そんなものがあるとは初めて知った。
普通の新可児行きは犬山7:11発。次の富岡前を過ぎると、すごい霧となった。
視界は100m程度という感じだが、電車は全くスピードを落とさない。大丈夫か。
この電車には、マニアが1人乗っていて、運転席後ろにずっとかぶりつきだった。

新可児駅7:33着。5分の待ち合わせで普通御嵩(みたけ)行きに乗り換える。
なんと、ここには同じ会社の路線であるのに乗り換えに改札を通らなければいけない。
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たぶん、キセル防止のためなのだろうが、鉄道の仕組みにうとい当方には、この改札の意味がよく分からない。

さて、御嵩行きに乗る。7:38発。
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おそらく、名鉄ではこの路線が最もローカル線っぽい。かつて名鉄にはたくさんのローカル線があったが、2000年代に入ってから八百津線、美濃町線、田神線、岐阜市内線、揖斐線、谷汲線と岐阜県内を中心に多くの路線が廃止されてしまった。
もっと早く乗り鉄になっていれば、これらの路線にも乗れたのに。
もったいないことをした。時間をかけて廃線を歩くしかあるまい。

7:49御嵩着。名鉄の北東のどん詰まりである。
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4分の待ち合わせで折り返しとなるが、それではあまりに味気ない。
少し駅周辺を散策してみることにする。
駅前の薬局には、懐かしい10円遊具が。
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振り返ると、「御嵩宿へようこそ」との看板がある。
へえ、ここは宿場町なのか。駅からは遠いのかな?と思ったら、すぐそこにもう町並みが始まっていた。おお、これはラッキー。
こんな雰囲気である。
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全く下調べをして来ないと見逃すものも多いが、こういううれしさを味わうことはできる。
小さな宿場だったので、あっという間に往復、8:23発の新可児行き普通に乗れた。
新可児8:34着。またまた5分の待ち合わせ。
この間にさっと改札を出て、駅舎の写真を撮る。
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こういう時、フリー切符だと誰にも断らないで外に出られるから便利だ。
この駅は、JR太多線との乗換駅で、新可児駅を出るとすぐ右手にJRの可児駅がある。
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実は昨年、太多(たいた)線を乗り鉄した時に両方の駅を撮影してあるが、もう一度、駅が相対している風景を見たくなった。

8:39発特急豊橋行きに乗る。犬山で普通平安通行きに乗り換え、小牧線に入る。これで、広見線と小牧線を乗りつぶしたことになる。
小牧線にはなぜが「味」の付く駅が多い。「味岡」「味美(あじよし)」「味鋺(あじま)」。
その味岡駅あたりから右前方に小牧山城が見えた。
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織田信長の居城だった城だ。

平安通駅で地下鉄名城線に乗り換え、栄下車。ここで名鉄瀬戸線に乗り換える。
名鉄の駅名は栄町。10:10発の準急尾張瀬戸行きである。次の東大手を過ぎたところで地上に出る。この路線は施設も車両も古色を帯びていて、なかなか味わい深いのだが、沿線は土地の確保が進んでいる様子。高架にする計画があるのだろう。
10:44、終点の尾張瀬戸に到着。ここは言わずと知れた瀬戸物の町だ。
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子供の頃から名前はよく知っている町だったが、初めて足を踏み入れた。
ただ、ゆっくり散策できるほどの時間はない。雨だし。
ちょこっと駅周辺だけを歩くことにして、駅前の瀬戸物屋の軒先に出してある食器を写していたら、中から店のおやじが出てきて、「ちょっと写真は止めてください」と怒られてしまった。ケンカしている時間もないので、「あ、すいません」と謝ったら、「削除してください」とまで言われて、さすがにむかついた。
大した作品でもないのに、何様のつもりだ。「はいはい」と言って、カメラをいじるふりをしながら逃げてきた。

ここからは蒲郡線に乗るために、愛知環状鉄道を活用することにする。
2駅だけ戻って、新瀬戸駅で下車。交差している愛知環状鉄道の瀬戸市駅に向かう。
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愛知環状鉄道は旧国鉄の岡多線をもとに1988年に開業した新しい路線である。
目的地は南だが、乗り残しを作らないよう、新瀬戸から北に向かい終点の高蔵寺まで行って、この区間を乗りつぶす。そして、弁当を買い込み、高蔵寺から11:37発の各駅岡崎行きに乗り込む。
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子供と一緒に電車を楽しむママ鉄がいた。とてもほほ笑ましい。
この路線は濃尾平野の東のへりの丘陵地帯を走るので、とくに東側の景色がいい。まあ、そんなに高い建物はないのだが、基本的に高架であるのも眺望をよくしている。
複線の用地もすでに確保されており、すでにバラスを敷いてある所もある。トンネルも複線仕様で掘られているが、列車の行き違いも大した待ち時間もなくスムースに行われており、おそらく将来も単線のままなのではないか。

途中、新豊田付近で名鉄と交差するが、名鉄の方が高い。これは付け替えの結果だろうか。
ところで、ずっと隣のボックスに座っていた老婦人2人。最初は楽しげにおしゃべりしていたのだが、片方がいきなり「自分の考えを人に押しつけないでよ」と気色ばんだ途端、2人とも全く口をきかなくなってしまった。
静かになったのはいいが、険悪なムードなのも居心地が悪い。
三河豊田駅の真ん前に、トヨタ自動車の巨大な本社工場があった。

12:38岡崎着。これで、名鉄瀬戸線、愛知環状鉄道線は乗りつぶした。
ここでJRに乗り換え。9分の待ち合わせなので、急いで駅の写真を撮り、新快速豊橋行きに飛び乗る。
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蒲郡までの途中3駅はすべて通過、わずか9分で蒲郡に着いてしまった。
ここでは15分あるので、比較的余裕でJRと名鉄の駅舎を撮影できた。
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両社と言っても、北口がJR、南口が名鉄というだけなんだけど。
ここから13:11発の普通吉良吉田行き(2両編成)に乗る。
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天気の悪い休日の昼間だというのに、かなり人が乗っている。
しかし4つ目の西浦駅でほとんど下りてしまった。
この路線ももしかしたら、廃線の対象になるかもしれない。
吉良吉田からうなぎの養殖で有名な一色を通り、碧南方面に向かう三河線は2004年に廃止になってしまった。
蒲郡線は海を眺めながらの気持ちのいいローカル線なので、是非とも残してほしいものだ。

それはそうと、この路線の北にそびえる三ヶ根山(326m)には自動車道路が走っており、確か自転車は通行禁止だったが、強行突破したことがある。立体交差を逆走したりして、ゲートを通らずに入ることができたのだ。
これが、1983年2月25日のことだった。
翌日が20歳の誕生日。もし見つかっても、今日までは逮捕されないと勝手に思っていたことをよく覚えている。しかし、27日にも有料道路強行突破を敢行したのだが(この時は早朝、ゲートに人がいない時に自転車をかつぎ上げて侵入したのだった)。

吉良吉田、13:39着。
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かつてはここで左が碧南方面、右が新安城方面と分岐していたのだが、先程も述べたように碧南方面には線路はない。
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次は、6分の待ち合わせで、急行佐屋行き(13:45発)なのだが、佐屋がどこなのか分からない。地図を開いて、ようやく見つけたら、なんと名古屋の先、尾西線の駅だった。
これなら、碧南への乗換駅、知立まで連れて行ってくれる。
知立、14:23着。この駅はなかなかレトロな雰囲気で、かっこがいい。
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ここで、小腹が減ったので、知立名物という「あんまき」を買って食べる。
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筒形のどら焼きというか、ホットケーキにあんこを巻いたもの、というか。
なかなか上品な味で、おやつにはちょうどよかった。

普通の碧南行きは14:32発。
碧南までの駅は古いものが多い。
どれも車中から見るだけで写真は撮れなかったが、「高浜港」「北新川」など改めて撮りにきたい駅舎だった。
15:07碧南着。ここも1983年以来29年ぶりの再訪である。
しかも、当時この駅の前で写真を撮っているので、駅の姿はよく記憶している。
自分の19歳最後の日の姿も写っているが、駅はほとんど当時と変わらない。
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しかも、駅前にある妙な形の石碑にも見覚えがあり、帰宅してからこの古い写真を引っ張り出して見たら、なんと私はこの石碑にひじをついて写真を撮っていた。
この頃、駅前の植え込みはまだ小さかったが30年近く経って、こんなに成長してしまった。
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非常に懐かしい思いを胸に、タクシーを拾う。河和(こうわ)線に乗るためにショートカット。衣浦海底トンネルで知多半島に出るのだ。このトンネルも当時、自転車で通った。
運転手はこのトンネル「1kmちょっとしかないのに250円もする。高い」とぼやいていたが、料金を払う時に往復分500円余計に請求された。
おいおい、その理屈だと、帰りのガス代まで払わないといけないことになるぞ。
さすがに、「え~~~、そりゃないでしょ」と呆れた声を出したら、「まあ、いいか」だって。きっと会社はガス代はもってくれるけど、帰りの有料道路代はもってくれないのでしょう。かわいそうだが、こちらにも払う義務はない。

着いたのはJR武豊線の半田駅。
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武豊線も乗ってみたいのだが、今日は名鉄のフリー切符を最大限に活用しなければならず、ここは駅を撮影するだけにとどめ、構内にある鉄道資料館の見学もそこそこに、名鉄河和線の知多半田駅に向かう。歩いて5分ほどだ。
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名鉄は知多半島にも丁寧に路線を延ばしている。
三河湾側には河和線、伊勢湾側には常滑線・空港線と知多新線。知多新線は「新線」というだけあって新しい。全線開業したのは1980年だ。

15:49発の普通河和行きに乗る。河和線の終点、河和駅には16:07着。駅は立派なショッピングセンターである。
最果てっぽい光景を想像していたのだが、少々がっくり。
まあ、地域にとってはもちろん賑やかな方がいいのだけど。
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こちらにとっては大して面白くないので、ここはすぐに折り返す。
富貴で16:33発普通内海行きに乗り換える。
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この電車ではかぶりつきに陣取った。単線だが、将来の輸送増を見込んで複線の用地が確保されている。
途中、野間~内海間に作りかけのまま放置されたホーム(?)があった。
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確かに、野間~内海間は駅間距離が4.1kmと他の区間より長いが、ここに駅を作る必然性は今のところあまりないように思える。
新潮社の「日本鉄道旅行地図帳」にも「廃駅」としては載っていないので、やはり作りかけ放置なのだろう。
16:49内海着。
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ここは駅前ロータリーにヤシの木が植え込まれ、まさに南国の駅という雰囲気。ただ、高架なのが残念。終着駅にはそれなりの風情というのもがほしい。
ここもすぐに引き返すことにする。
滞在わずか6分。16:55発急行新鵜沼行きで名古屋に戻る。
この電車は、富貴で河和線に、太田川で常滑線、神宮前で名古屋本線に合流する。
途中、またまた速度表示が現れ、柴田付近で110kmに達した。
大江から1駅だけの築港線というのが出ていて、これもつぶしてしまおうかと思ったが、朝夕の通勤時間帯しか運行されておらず、この日はもう終電が行ってしまっていた。

名古屋駅、17:58到着。
これで、名鉄は蒲郡線、西尾線、河和線、内海線を踏破した。
3000円の切符で5900円分乗ったことになる。でへへ

駅弁「昭和」を買って、新幹線で食べながら帰京。
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お疲れさまでした。
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参宮線ほか

(3月17日のことです)
津で、伊勢鉄道からJRに乗り換え。快速みえ9号に乗り込む。
鳥羽まで直通で、途中の多気からは参宮線に入る。
参宮線は初めてなのだが、ほとんど寝てしまった。これでは乗ったことにならない。
参宮線は昨年で開業100周年を迎えたようだ。
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14:19、鳥羽に到着。相変わらず雨である。
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ここで、近鉄に乗り換え、賢島に向かう。距離はそれほどないが、駅は15もある。
賢島は、学生時代(1983年)に自転車で訪れた際、日本一周をしていた浪人生と知り合った場所。
駅でともに一夜を明かし、翌日、英虞湾周辺を一緒に走って別れた。
この数日後、彼に紹介された和歌山の自転車好きを訪ね、その人の家に泊めてもらった。
彼は日本一周を終えて、早稲田大学を受験、見事合格。その後、JR東海に就職した。
ずっと年賀状のやりとりは続けている。

40分弱で賢島駅に着いたが、記憶が全くない。というか見ても全然当時の風景を思い出せない。
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思い出にひたる間もなく、15分ほどの待ち合わせで折り返す。
なんかせわしないが、こんな雨だし仕方がない。
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(左の列車に乗りました)
近鉄鈴鹿線の乗換駅、伊勢若松で下りるため、宇治山田で近鉄特急を乗り継ぎ、白子で各駅に乗り換える。
海側の席に陣取ったのだが、列車は鳥羽から内陸に入ってしまい、また寝てしまった。

伊勢若松駅で待ち合わせ時間があったので、駅員さんに「ちょっと外に出て駅舎の写真撮ってもいいですか」と聞いたら、「ほんとはダメなんだけどね」と言う。
ケチなこと言うなあと、内心ムッとしたけど、ニッコリ笑って、「どうぞ」と言ってくれるのを待った。実際に、本当はダメなのだから、ケンカをしても仕方がない。
最近は撮り鉄のマナーも問題になっていることだし、紳士然としていなくては。
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鈴鹿線の単線。鈴鹿市駅は途中駅で、終点は平田町という。
もう夕暮れが迫っており、駅舎の写真を撮って、またすぐ引き返す。
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これで、本日は三岐鉄道、近鉄湯の山線、八王子線、内部線、志摩線、鳥羽線、山田線、鈴鹿線、伊勢鉄道、参宮線を乗りつぶしたことになる。
それにしても鉄道は、性に合っているのか一日中乗ってても疲れない。多少飽きるが・・・

さて、あとは名古屋の宿に向かうのみ。
節約してカプセルホテル。ただ、ビルの中に大浴場がある。
ビジネスホテルの部屋風呂よりは余程いい。

ただ、カプセルホテルの場合、カプセルは出入り口がカーテンのみで、鍵がかからないのが不便。
ベッド?を離れる時はロッカーに荷物を置かないといけない。
カプセル内でパソコン作業や携帯の充電をしたかったのだが、電源なし。
仕方なく、1時間ほど、休憩室みたいなところで、同宿者たちに混じり、パソコン作業。
携帯とデジカメのバッテリーはフロントに預けて充電してもらった。

ここのカプセルではエロビデオが見られないし、翌朝も早立ちなので10時過ぎには早々に寝てしまった。

つづく
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三岐鉄道ほか

3月17~18日は乗り鉄をしに、三重・愛知に行った。
何回かに分けて、報告したい。

三重にしたのは、今まで全く意識したことのなかった三岐鉄道というのを見つけたから。
三重と岐阜から一文字ずつとったような名称だが、路線は三重県内にしかない。
いずれ路線を延長しようという野望があったのだろうか。
それは改めて調べてみることにして、とにかく出発。

※やはり岐阜の関ヶ原まで延伸する計画があったらしい。三岐線の終点・西藤原駅から関ヶ原まで直線距離で20km強程度。

仕事を終えて、東京21:10発ののぞみに乗り込む。ちょっと、宮脇俊三の気分だが、夜行列車じゃないのが完全に負けている。
この日は20年前にデビューした、最初ののぞみ300系、愛称「鉄仮面」が引退の日で、東京駅は乗り鉄や撮り鉄たちでごったがえしたようだが、この時間は静かなもの。
ただ、金曜の夜ということもあり、新横浜で自由席は立ちが出る状態。単身赴任の方々だろうか、わりと若いサラリーマンの姿が目立つ。
こちらは爆睡。名古屋まで、ほとんど寝ていた。

23:04発の近鉄急行で桑名に向かう。通勤客で満員だ。
まあ、桑名までは20分くらいなので我慢する。
もうぽつぽつと雨が落ちてきたようだ。残念だが、これは覚悟していたこと。
宿は桑名駅前の桑名グリーンホテル。当日予約で素泊まり5500円也。
もう12時近い。あすは5:20起きなので、風呂はパスしてさっさと寝てしまった。

目覚ましで起きると、まだ真っ暗。
三岐鉄道は5:48発の始発に乗るつもりだったが、この暗さでは、駅舎の写真は撮れない。仕方なくというか、助かったという感じで、目覚ましを5:50にセットし直して、もう30分寝た。
もう日は昇っている時間だが、厚くたれ込めた雲のため、暗い。
でも、撮れないほどでもないので、出発。

桑名駅は正面というものがない。駅名は駅舎の横に掲げられていた。
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三岐鉄道北勢線(20.4km、13駅)の起点は西桑名駅。桑名駅の出口から200mほどしか離れていない。
ふつう、この程度なら、「三岐桑名駅」とか「桑名」を名乗っていいと思うのだが、奥ゆかしい。ただ、方角はどう考えても南。それに桑名駅の東口にあるので、東西にこだわるなら「東桑名」とすべきだが。昔、線路がもっと東に延びていて、そこに「三岐桑名駅」があったのだろうか。
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※やはりあったようだ。北勢線(当時は北勢鉄道)が開業した1913年当時、西桑名駅は大山田駅(西桑名になったのは1931年)だった。翌年、大山田から東に700m延伸され、桑名町駅ができる。桑名町駅は1948年に桑名京橋駅に改称され、1961年に西桑名~桑名京橋間とともに廃止された。ただ、駅名の由来は桑名町の西にあるから、ということではなかった。開業時、大山田村に所在していたので大山田駅を名乗っていたものが、大山田村が1929年に町制を施行し、西桑名町となったので、31年に駅名もそのように変更されたとのことである。ちなみに西桑名町は1937年に合併して桑名市になっている。そうした経緯を知らない若い人は、なぜ「西桑名」なのだろうと不思議がっているかもしれない。今となっては駅名変更にもお金がかかるから、そう簡単につじつまを合わせることができないのだろう。品川駅の南にある「北品川駅」にも、それなりの事情があるが、不思議に思っている人は多いはずである。

1日フリー切符(1000円)を買って乗車する。
軌間は762mmのナローゲージ。車両の大きさは地下鉄大江戸線くらいのイメージである。
黄色い車体(下部に細くオレンジの帯あり)で4両編成。随分多い気がするが通学時間帯などは満員になるのだろうか。
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6:18発は他に女性が2人いるだけだった。
私は誰も乗っていない先頭車両をしばらく独占する。

雨の中、電車はゴトンと走り出し、まもなく大きく右にカーブして、JR線と近鉄線をまたぐ。
最初の馬道駅で早速、列車交換。超ローカル線のようなイメージがあるが、電車は30分おきに規則正しく走っているのだ。
電車はしばらく住宅地の中を行く。沿線にはあちこちに梅の花が咲いている。
西別所、蓮花寺、在良(ありよし)、星川、七和と、どんどん山に向かっていくが、景色はほとんど変わらない。雨に煙って、遠望がきかないせいもあるのだが。

七和での列車交換は4分待ち。雨が電車の屋根に落ちる音と、運転席のワイパーの音だけが響く。静かだ。
穴太(あのう)でかなり年配の男性が乗ってきたが、いきなり座席に横になってしまった。
このあたりから、やっと畑地が目立つようになる。
東員(とういん)、大泉、楚原、麻生田(おうだ)と駅間距離が長くなる。
終点の阿下喜(あげき)には7:20に着いた。小さいが、結構しゃれた新しい駅である。
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さて、ここからが問題。
車中、スマホで検索をかけて、タクシーを呼び出せるかどうか調べたが、どうやら難しいようだ。北勢線と三岐線は1~4㌔ほどの間をあけて、ほぼ並んで走っているので、阿下喜から最寄りの東藤原駅までは地図上では1㌔半程度。頑張って歩けば、7:49発の西藤原行きに乗れる。時間もタクシー代も節約できるし、歩くことにする。
幸い、雨もほとんど止んだ。

道もスマホのGPSで確認。非常に便利だ。
ただ、思ったより距離があるようで、途中から軽く走った。
で、渡るべき橋にたどり着いて愕然。落ちているのである。
最近、水害が各地で多いので、おそらく台風で増水した時に流されたのだろう。
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GPSの地図では、細い線で示されていたので、たぶん歩行者専用もしくは二輪車までしか通れない道だろう、もしかしたら老朽化で通行止めになっているかもしれない、それなら強行突破すればいい、くらいのことは想像していたが、落ちているとは・・・
川は一級河川の員弁(いなべ)川で、とても飛び石状に渡れたりする水量ではない。
幸い500mくらい先にちゃんとした車道の橋が見える。
目指した7:49の電車は間に合わないが、次の8:22の電車は捕まえられそうだ。
30分の損となったが、やむを得まい。
安全策をとって、一つ手前の伊勢治田駅に向かったとしても同じ電車になったはずなので、損はしなかったと考えよう。

それにしても、このあたり大型トラック、ダンプカー、タンクローリーが多い。
川向こうの段丘の上には、太平洋セメントの工場があり、休日の早朝だというのに、煙突からもうもうと水蒸気をはき出している。
原因はこの工場だ。
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この地域には、ほかにもセメント工場がある。近くで石灰岩がとれるのだろうか、こんなところになぜ鉄道があるのかと不思議だったが、たぶん、貨物用として開業したのだろう。

※やはり、背後にある藤原岳で産する石灰岩やセメントを運搬するのが目的で敷設されたようである。現在、藤原岳は山容が一変するくらいに削られており(雨のため見えなかったが)、秩父の武甲山のような状況になっているらしい。

予定より20分くらい遅れて東藤原駅に着くと、黒いセメント専用の貨車コタキが無数に常備されていた。
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太平洋セメントは小野田セメントと秩父セメント、日本セメント(旧浅野セメント)が合併してできた会社だが、ここは小野田セメントだったようだ。駅前に小野田のネームが入った貨車が展示されている。

東藤原駅はローカル線らしい味わい深い駅だ。
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壁にはセメント輸送に活躍した歴代の貨車たちの写真が掲げられていた。
ホームで待っていると、北勢線よりもオレンジ色の部分が広い車両が入ってきた。
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乗ってみてびっくり。北勢線より二回りくらい幅が広いのだ。
おそらく東京の普通の私鉄と同じなのだろうけど、もっと広く感じるのは、さっきのが狭すぎたからか。
よく見ると、天井近くに「西武 所沢車両工場 昭和42年」のプレートが。
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そう言われてよく見ると、窓の配置やドアの形など、確かに見慣れた西武線の電車によく見ている。正面の顔も古いタイプの西武線と同じだ(なんとか系とか分からなくてすいません)

2駅で三岐線終点の西藤原駅に着いた。
着いてみて、またびっくり。駅舎がSLの形をしている。
SLを模した駅舎は真岡鉄道の真岡駅が有名だが、ここのは真岡駅よりかなり小さい。
駅事務室・待合室が機関車で、トイレが客車である。
郵便局も機関車になっており、機関車が2台並んでいるように見える。
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トイレに「登山者の方は泥をよく落として入ってください」という注意書きがあるのを見て、ここはどこかの山の登山口なのかな、と思ったら、待合室に鈴鹿山脈の写真が貼ってあった。
改めて地図を見ると、この駅を拠点に、藤原岳、竜ヶ岳、釈迦ヶ岳、御在所山と縦走して、湯の山温泉に下り、近鉄の湯の山温泉駅から帰るというコースが設定できることが分かった。
電車を利用した山歩きとしては、絶好のコースだ。関東に住んでいるとなかなか関西の山へは来られないが、ここは仕事が終わってから夜の新幹線を利用すれば、実質日帰りで来られる。温泉にも入れるし、いつかトライしてみたい。

三岐線は軌間が広いからか、北勢線よりスピードが出る。
北勢線が全20キロに1時間かかるのに対し、三岐線は27キロを45分ほどで走る。
しかし、天気が悪いせいもあるのだろうけど、車窓風景はぱっとしなかった。

私の乗っていた先頭車両は、ホームの庇がない位置に止まることが多いからか、あまり人が乗って来なかったが、振り返ると、後ろの車両はほとんどの席が埋まっている。
土曜日の通勤時間でもない時間帯に、これだけの利用客がいるなら、この鉄道はそこそこ健全経営ができているのではないか。

9:25近鉄富田駅に到着。ここは完全に近鉄に間借りしている格好だ。
ここで、「近鉄には1日フリーパスはないの?」と駅員さんに聞いてみたら、あるけど、事前申請制で1日4000円なんだとか。まあ、近鉄は営業路線が長いから、そのくらいの値段をつけないと、損してしまうんだろうな。

ここから急行に乗ると、次がもう近鉄四日市。
ここで湯の町温泉方面に乗り換える。本当なら、ひと風呂浴びたいところだけど、まだ午前中だし、駅から温泉街まで結構距離がある。
今回は諦め、縦走登山するときまでとっておくことにする。

沿線の車窓風景は三岐鉄道とあまり変わりばえしないが、「桜」という駅のアクセントが特徴的だった。さ・く・らの「く」だけが高いのだ。なんか、外国人が「さくら」という時のアクセントに似ていて、変だった。
折り返し時間はわずか5分。駅名標と行き止まりの車輪止めと駅舎をあわただしく撮って、電車に戻った。
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切符を買おうとしたら、一つしかない券売機に2人の若者が並んでいる。行き先の料金が分からず、もたもたしている上に、小銭を床に落としてしまったり、かなりあわてている。目の前に駅員さんがいるので、電車が行ってしまうことはないだろうと、私はイライラせず、静かに待っていた。

四日市にもう一度戻り、今度は八王子線に乗り換える。
八王子線というのは、かつて終点の西日野の先に線路が延びていて伊勢八王子駅までつながっていたことに由来する。この区間は1974年の水害のため76年に廃止されてしまったらしい。八王子駅の由来は、旧八王子村(現四日市市)に由来する。

八王子線のホームは一回改札を出て、少し歩かないといけない。
9分の待ち合わせがあるので、近鉄四日市駅の駅舎を悠然と撮影していたので、少々あわてた。で、ホームにたどり着いてびっくり。
なんと、八王子線は軽便電車だった。天下の近鉄に軽便があるとは!
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さっき、北勢線で軽便に乗ったばかりだが、こちらはさらに車両が細い。トロッコ列車並みで、バスよりも幅は狭い。
3両編成で、座席は両側に1列ずつ。先頭右側に陣取ったら、左側に少年が来たが、彼はテツではなさそうだ。
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終点の西日野まで1.3km。8分かかった。西日野駅は駅というにはあまりにかわいい。ただのゲートのようだ。でも学生など、結構利用者がいた。
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折り返して、日永で乗り換え。ここの待ち合わせは2分だったが、走って駅の外に出て、1枚だけ写し、とって返して、入線してきた電車に飛び乗った。

車両はカラフルで1両1両色が違う。私が乗ったのは、先頭から緑・黄緑・薄紫だったが、泊駅で行き違った電車はオレンジ・薄紫・ピンクだった。
終点は内部。これで「うつべ」と読む。
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さて、ここから伊勢鉄道の起点、河原田にワープしたいのだが、やっぱりタクシーはいないし、「ご用命は○○タクシーへ」といった貼り紙もない。
駅前は国道に面しているので歩き出せば見つかるかも、と思ったが甘かった。
まあ30分くらいで歩けそうなので、そのまま歩くことにした。
今日は歩く時だけ雨が止む。ラッキーだ。
だが、予想以上に距離があり、45分もかかってしまった。河原田駅に11:56に着いたが、伊勢鉄道の電車は5分前に出たばかり。次まであと55分もある。
1時間に1本しか出ていないのだ。
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まあ仕方ない。お昼を食べることにしよう。
駅前はさみしくて何もないが、数分歩けば国道に出る。なにかあるだろう。
あった、あった。でも、和食の店はなんちゃら御膳が2100円とかの世界なのでパス。すぐ向こうに「まるや」といううどん屋が見えた。
あれでいいや。
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戸を開けると、ほぼ満席。なんで、こんな繁華街でもないところにある店がこんなに混んでいるんだ。でも、幸い時間はあるし、相席させてもらって、カツカレーを注文する。
カレーもカツもカロリーが高いので最近しばらく食べていない。
今日は山ではなく鉄で、座っているだけなので、本当は避けた方がいいのだが、これが値段的にも手頃だったので、誘惑に負けた。

出てくるのはやはり時間がかかったが、その量にびっくり。
カツとカレーが別皿で出てきて、カツは1枚まるまる。
かなり食いでがありました。

河原田駅に戻ると、JRに乗る高校生たちがたくさんいた。
彼らを見送って、こちらは高架にある伊勢鉄道のホームに向かう。
見ると、伊勢鉄道は区間的には河原田が起点だが、電車はJR四日市駅から出ているようだ。四日市~河原田間は乗り残しになってしまうのか、とビクッとしたが、この区間はJR扱いでいいようなので、ホッと胸をなで下ろした。
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電車は1両編成。青いラインが入ったさわやかなデザインだ。
この路線は、JRの四日市~津区間が、関西本線と紀勢本線に分かれている上に、少々遠回りで分岐の亀山駅で列車の方向を変えないといけないので国鉄時代にバイパスとして建設され、1973年に開通した。しかし、その後、第2次特定地方交通線となり、1987年に第三セクターの伊勢鉄道に移管されたのだ。
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比較的新しい路線ということで、基本的に高架で直線的。
ローカル線に乗っているのに印象がかなり違う。
北3分の2は複線というのも、不思議な気分。
それもそのはず、今もこの路線を特急「南紀」や快速「みえ」が走り抜けているのだ。
まあ高いところを走る分、景色はよかった。
やがて、津に到着。

つづく
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