山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

北リアス線

ここのところ、ブログが追いつかない。
が、週末ごとに出かけてはいる。

まだ3月10~11日のことを書いているが、17~18日は三重・愛知に乗り鉄しに、24~25日は山梨・長野へ駅舎撮影に行っている。

明日明後日は江ノ電と銚子電鉄あたりを歩いてくるつもりだ。

さて、日記再開。
久慈駅に着いたのは午前11時。ここから先は三陸鉄道北リアス線である。
この時点で、北リアス線は久慈から2つ先の陸中野田までしか開通していない。
しかし、この区間は震災からわずか5日後に再開した。
それが、どれだけ住民に勇気を与えたことか。

それを久慈駅で買った実録マンガ「さんてつ」(吉本浩二)を読んで改めて知った。
1日も早い全面開通を願う一人として、私もささやかな協力をしたいと思い、あれからちょうど1年目のこの日、3月11日にこの地を訪れたのだ。

したことは本当に本当にささやかなことである。
久慈駅の入場券(硬券)を30枚購入した。1枚140円なので計4200円。
あの原武史先生が、宮古-小本間の切符1000枚、しめて60万円分を買ったのと比べると、恥ずかしくなるくらいの額である。
でも、多くの人のこうした寄付が三鉄を支えるのではないかと思う。

久慈駅はJRと三陸鉄道の駅舎が別々にある。
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(これは三鉄の方)

南に路線を持つ三鉄が北に、北に路線があるJRが南にそれぞれ駅舎があるのが面白い。
駅前には、その名もズバリの「駅前デパート」があった。
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4階建てでかなり目立つが、1階のテナントに店があるだけで、2階より上は空き家状態だった。
1階も向かって左端はこんな具合。何とも言えない哀愁を帯びている。
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三鉄の車庫には、全線開通をまちわびる車両が並んでいた。
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2駅だけでも乗りたかったが、今回は車なので勘弁してもらった。
駅前には震災1年の取材に来たテレビクルーがいたが、この日の北リアス線駅舎めぐりでは、あちこちの駅で取材班とかちあうことになる。
そして、4月の部分開業(陸中野田~田野畑)に向けての試運転に並走する形となった。

久慈の次は陸中宇部駅。
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その次の陸中野田駅は、道の駅と合体していて、多くの観光客でにぎわっていた。
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ホームには、2駅区間を往復している車両が停まっていた。
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この先は未開通区間。
野田玉川駅にはまさに出発せんとする試運転の車両が控えており、在京キー局の取材クルーが大勢いた。ついつい気後れしてしまい、こそこそ写真を撮って早々に退散した。
堂々と新聞記者であるかのように撮っていれば、だれも文句は言わないのだろうけど、なにせ腕章がないところが弱い。
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ここは標高が27mもあるが、上りホームに津波が達している。

次は堀内。「ほりうち」ではなく「ほりない」と読む。
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眼下に港が見えるが、幸い標高30.7mのここまでは津波は来なかった。

白井海岸駅(標高63m)はトンネルを出た場所にあるが、駅のホームで写真を撮っていると、トンネルの中から何やら音がする。
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「あっ」と思った途端、試運転車両がトンネルから飛び出し、かなりのスピードで通過して行った。感激だった。

その次の普代駅までが、第三セクター三陸鉄道として開業する以前、国鉄久慈線だった。
駅舎は見るからに国鉄っぽい。ただ、この久慈線も1975年開業というからかなり新しい路線だ。
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ここでは、さっきの試運転車両を地元住民の方々が大歓声で出迎えており、取材陣も大勢いた。その中に懐かしいふるさとのテレビ局UHB(北海道文化放送)のカメラを見つけて、思わず声をかけてしまった。
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「北海道からですか?」
「ええ、こんな時は地元局だけでは手が足りないので、系列の中からかり出されるんです」
なるほどねえ。確かに、この先、田野畑駅では山形さくらんぼテレビのクルーも見かけた。

その田野畑駅の海岸より、防潮堤の水門上に三鉄車両のモニュメントがあった。
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震災前はユニークな存在として見ることができたのだろうが、津波を経験してしまうと、あの民宿の上に乗っかってしまった船のようで、ぞっとする。

このあたりの集落は石垣を築いて、段々状に営まれていたようだが、下の2~3段部分は津波に洗われて全く跡形もなく、その上は何事もなかったかのように、家が建っている。この明暗の残酷さに、言葉を失う。
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田野畑駅も若干津波の被害があったようだ。急ピッチで修理が進められていた。
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ここから先、島越駅を経て小本駅までの2駅分の復旧がまだ先のこととなる。
それも納得した。ここは、トンネルと橋が交互に続く区間だが、橋がことごとく流され、見るも無惨な状況なのだ。
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(トンネルの手前にあるはずの陸橋がない)

島越駅など、ホームに向かう階段の下部と宮沢賢治の詩碑だけしか残っていない。
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下は1986年8月、今から26年前に訪ねた時の写真だ。カルボナードという愛称のイメージにぴったりの駅舎だったのだが。
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このあたりの荒涼たる風景には暗然とするしかない。
いったい復旧にあとどれくらいの費用と時間がかかるのだろう。

小本駅では地震が発生した午後2時46分に向けて、追悼行事の最終準備が進められていた。駅前広場には、キャンドルで「おもと 3・11」の文字が書かれている。時間に合わせて火を灯すのだろう。
ただ、それに気づかず、進入してきた自転車があり、関係者をあわてさせていた。
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小本より南は宮古まで営業が再開されている。これも昨年の3月29日という早さだった。
だから、ここにある車両は試運転のものではない。
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駅舎は大正モダンのような端正な箱形で、観光センターを兼ねている。
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26年前は、この町の旅館に泊まったのだった。
山形勤務時代の貴重な夏休みだった。

つづく
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八戸線(下)

泊まった宿、種差海岸駅前の民宿石橋の看板の下に「吉田初三郎邸宅跡」の看板があって、びっくりした。
吉田初三郎と言えば、地図好きの人にとっては教祖様のような存在。
全国の観光案内図や鉄道路線図を鳥瞰図の方式で色鮮やかに描いた、「大正の安藤広重」とも呼ばれた稀代の絵師だ。

その初三郎師が昭和8年にこの民宿の裏の高台に別荘兼アトリエの「潮観荘」を建て、昭和11年に移り住んだそうだ。以来、昭和28年に焼失するまでこの地を拠点とした。

翌11日の日の出前に訪ねた。案内板によると、師は昭和7年に青森を訪れた際、神秘的な十和田湖と風光明媚な種差海岸を絶賛し、とくに種差海岸の名勝指定に奔走したという(昭和12年指定)。
現地には、建物の基礎と池の縁石がわずかに残っていた。

ここから、大勢の人が海岸に集まっているのが見えた。俳優の奥田瑛二さんが呼びかけ人になった追悼行事で、約300人の方々がお互いに手をつないで、犠牲者に黙祷をささげた。
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私も端っこに連なり、静かに目を閉じた。
雪が舞っていた。

平成11年に建て替えられた真新しい種差海岸駅を撮影し、宿に戻る。
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まだ6時過ぎだが、朝食は7時から。
部屋でしばらく待っていると、海岸での追悼行事に参加した方々が続々と民宿に入ってきた。炊き出しの豚汁が振る舞われているのだ。
このあたりの宿で手分けして接待しているらしい。

7時になって食堂に下りてみると、地元の方々で満席。私が座れる余地はないので、朝食は部屋に持ってきてもらった。
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私にも豚汁があってよかった。
ただ、醤油を持ってきてもらえなかったので、納豆は薄味だった。

「騒がしくてすいません」との女将さんの言葉に見送られ、7時半に出発。
ひとつひとつ八戸線の駅をめぐっていく。
説明は省略し、写真だけ並べよう。
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(大久喜駅 昭和31年開業 同年完成)

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(金浜駅 昭和31年開業 同年完成)

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(大蛇駅 昭和31年開業 同年完成)
これらはいずれも、ホームにある待合室で、ほぼ同じ形だ。

大蛇駅から階上駅に向かう途中の海岸に、三陸大津波の記念碑があった。
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そこに刻まれていたセリフがなんとも豪快。
「地震海鳴りほら津波」
地震が即、津波につながることを極めて短いリズミカルな言葉で的確に表現している。
ただ、このあまりに「軽み」のある表現は今なら許されないだろう。
現代は不自由な時代であると言える。

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(階上駅 大正13年開業、同14年完成)

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(角の浜駅 昭和29年開業 同年完成)

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(平内駅 昭和34年開業 完成年未確認)

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(種市駅 大正13年開業 昭和36年完成)

種市は「南部もぐりとウニの里」だそうだ。潜水してウニを捕るのだろう。
それにあやかったキッチュなモニュメント?が駅前にあった。
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これはなんとトイレ。潜水マスクを模したものか。

ここから先は未開通区間である。
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(玉川駅 昭和29年開業 完成年未確認)

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(宿戸駅 昭和29年開業 同年完成)
ここで、大変な方にお会いした。
宿戸駅に到着する前、小さめのリュックを背負ってランニングをしている男性がいて、それほど気にも止めていなかったのだが、駅で撮影をしていると、彼が遅れて到着し、やはり撮影を始めたのだ。
思わず、「走って駅を回っているんですか?」と聞いてしまった。
「はい。趣味なんです」(そりゃそうだろう、そんな仕事をしている人はいるまい)
「昨日、八戸から出発して、今日は種市からです」
鉄道の距離にして、八戸から種市まで34キロ。1日の距離としてはそう長くはないし、ここまではどの駅も県道や国道沿いにあるので、そう苦労はなかったと思うが、この先は国道から3~4キロも海岸へ下りていき、また登ってこないと次の駅に行けない区間になる。大変だ。

宮脇俊三の国鉄2万キロ全線乗車をきっかけに全線乗車を目指す人はめずらしくなくなり、私鉄も含めた全線乗車とか全線全駅下車とか全駅撮影とか、よりハードな「制覇」にチャレンジする人が増えている。彼がランニングによる全駅制覇を目指しているかどうかは聞きそびれたが、完遂すれば偉業であろう。

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陸中八木駅は震災による津波で流された駅だ。
すぐそばに海岸があり、これではひとたまりもなかったろうことが想像される。
私が訪ねた時は、再開を1週間前に控え、もととほぼ同じデザインの駅が完成していた。前の駅は平成20年にできたばかりだったので、わずか3年の命だったのだ。
駅にはさっそく、「駅ノート」が置かれていた。今年1月2日からの記述がある。
私は3番目に「再開おめでとう」と書き込んできた。

次の有家駅では、幸運なことに試運転中の列車と鉢合わせした。
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有家駅で一旦停車し、力強く走り去っていった。廃線跡を歩くのも好きだが、やはり線路の上には列車が走っていてほしい。なぜか涙が出る光景だった。
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有家駅も流されたが、昭和36年に開業・完成した時よりも洗練されたデザインで再建された。
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海岸からかなり離れた場所を走る国道45号に戻る。
ここで携帯メールを確認しようとしたら、どこにも見当たらない。
胸ポケットに入れたはずだが、カバンに放り投げたのだろうか。
カバンをひっくり返しても、車の床のカバーをはがしても見つからない。
これは、どこかに落としたに違いない。
胸ポケットに入れたつもりで、上着とシャツの間にはさまっていただけなのだ。

うう、だいたい人口の少ないところを回ってきているので、見つかるとは思うが、はたしてどこまで戻らないといけないのか。とんだ時間のロスである。
まず、有家駅近くの駐車場に戻ったら、なんと、あった!
ぽつんと落ちていた。よくぞ、自分の車のタイヤで踏まなかったと思う。
車から下りて立ち上がった途端、落としたのだろうが、試運転の列車に気をとられ、気づかなかったのだ。ああ、しかし助かった。時間のロスは30分ほどで済んだ。

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(陸中八木駅 昭和5年開業、平成9年完成)

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(侍浜駅 昭和5年開業 平成20年完成)
侍浜駅は浜と言うには、あまりに内陸にあって不思議。
駅前に古びた瀟洒な洋館風の民家があった。
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陸中夏井駅は北海道によく見られる客車駅舎。北海道の場合は蜘蛛の巣だらけの場合が多いが、ここはきれいに清掃されている。
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そして相変わらずの雪の中、久慈駅に到着した。
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ここは八戸線の終点でもあり、三陸鉄道北リアス線の起点でもある。

つづく
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青い森鉄道+八戸線(上)

十鉄の旅を終えて、今夜(10日)の宿のある種差海岸に向かう。
向かうと言っても、それまでにたくさん駅に立ち寄らなければならない。

まずは、東北新幹線の八戸延伸でJRから切り離された青い森鉄道の向山駅。
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コンクリートの箱形の駅である。かつて近くに、ビートから砂糖を作るフジ製糖青森工場があり、工員の通勤や砂糖などの貨物輸送でにぎわったようだ。
構内はかなり広かったようで、線路が取り外されてすかすかになっている。

駅舎を通ってホームへ行こうとすると、別室から出てきた男性が「どちらからですか~? 帰りにこちらも見学してって下さい」と誘ってくれた。
旧事務室のガラスに「向山駅ミニミュージアム」の文字が掲げられている。

ちょうど列車が来たので、跨線橋から撮影して、駅舎に戻る。
ミュージアムに入ると、甘酒をごちそうしてくれた。
先客が2人ほどいて、1人は大阪から来たとのこと。
「こちらは埼玉だって(←私のこと)」と、来客が多いのを喜んでいる様子。
客が多い理由は、よく分かる。みな、十鉄が目的で、こちらはついでに寄っただけなのだ。

このミュージアムは昨年11月にオープンしたのだそうで、地元の方が旧事務室を片づけていたら、国鉄時代以来のいろんな資料が出てきて、「もったいないから」ということで展示施設にしたらしい。
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(国鉄時代の運賃表)

地元に住んでいる元駅長の方とか、関係者からも資料を集めて、それなりにおもしろいミュージアムになっている。
その駅長さんのネーム入りの帽子とか、当時の事務机とか。制服のボタンのデザインがSLの車輪をモチーフにしているのも興味深かった。
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青い森鉄道は下田駅、陸奥市川駅と撮影し、八戸駅は一昨年に撮影済みなのでパスして八戸線の長苗代駅に向かう。
このあたりの八戸線は貨物専用の八戸臨海鉄道と並行して走っている。
八戸臨海鉄道は1970年開業で、営業距離は8.5km。八戸駅(八戸貨物駅)と北沼駅を結んでいる。線路は北沼駅の北にある三菱製紙の工場まで続いており、同社が約20%を出資している。第三セクターで現在は青い森鉄道の駅清掃や改札業務を受託している。とのことだ。
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(左が臨海鉄道)

ちょうど、長苗代駅に着いた時、列車が入線した。
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部活の学生たちが利用していた。
八戸から鮫までの区間は「うみねこレール八戸市内線」という愛称で親しまれているようだ。
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次は本八戸。新幹線の停まる八戸駅は中心街からかなり離れているが、本八戸は市街地にある。高架駅で駅舎そのものが長い。
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次の小中野駅を見て、陸奥湊駅に向かう途中、古びた洋館を見つけた。

下見板張りの洋風建築で、薄いブルーを基調に緑のラインが鮮やか。ドーム状の屋根が特徴的である。八戸商業銀行小中野支店として大正7、8年頃に建てられたものだという。
きれいに整備されていないところがまた味わい深い。
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陸奥湊駅前は魚介類や水産加工品の店が並ぶ。昔は随分にぎわったであろうと想像させる雰囲気。この日はどの店も閉まっていて、閑散としていたが、商売のメインは早朝から午前中なのだろう。
まだ頑張っている町の本屋さんがあったのに感激した。
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駅前には「イサバのカッチャ」というイカを手にしたおばちゃんの石像があった。
イサバのカッチャとは魚市場の元気なおばちゃんのことを言うのだそうだ。
イサバは漁場とか魚市場のことだそうだが、磯場のなまりだろうか。
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駅そのものは随分前に建て替えられたコンクリート造りの駅で、それほど面白みはなかったが、和風の街なのに「MUTSUMINATO STATION」と漢字よりも目立つように書いてあるのが、少しおかしかった。
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白銀駅を経て、鮫駅。ここには木造駅舎が残っていた。やっぱり、こういうのが由緒正しい駅の姿だ。
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駅名からサメのモニュメントもあったが、「謂う勿れ、本日学ばずして来日ありと 朱子」の言葉がでかでかと掲示されていたのには驚いた。それも掲げたのは派出所。警察なら「お父さん、おみやげは無事故でいいの」とか、そういう類いを出すのが正統だろう。
こんなちょっとしたズレが楽しい。
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このあたりもかつてはそれなりににぎわっていたのだろう。
駅前のスナックや喫茶、食堂が軒並み廃虚になっている。
写真は「喫茶天使」が中華食堂に変わり、そして今を示す貴重な遺構だ。
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私はこういう現代の遺跡を見つけるのが、とても好きだ。
ちょっと趣味が悪いかもしれないが。

東日本大震災の被災地として岩手、宮城、福島の3県が深刻だったが、八戸にも高さ5.1mの津波が押し寄せ、八戸漁港などは大きな被害を受けた。
でも、もうその痕跡はほとんどなかった。ウミネコの繁殖地として有名な蕪島にある蕪島神社の石灯籠などは新調されたのか、随分真新しかった。
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この小さな島の頂上にある神社の回りを3回まわると運が開けるとのことだったが、すでに日没が迫っていたので、省略した。ただ、対岸の段丘の上に八戸線の列車が走るのが見えた。海をはさんで見る鉄道もなかなかいいものだ。
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本来なら今回の旅では、八戸線にも乗るつもりだった。
八戸駅で借りたレンタカーを八戸駅に返した後、鉄道で種差海岸まで行って、そこで宿泊。
翌日は残りの八戸線(代行バス区間含む)と三陸鉄道北リアス線の開通区間に乗り、久慈でレンタカーを借り直して、岩泉線の駅をひとつひとつ撮影して、盛岡に行くという計画を立てたのだ。
しかし、久慈にはレンタカー会社が2つしかなく、1つは格安レンタカーだが乗り捨ての取り扱いはしていない、もう1つのマツダレンタカーは日曜休業とのこと。
仕方なく、八戸線の乗車は諦め、2日間通しでレンタカー移動することにしたわけ。
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蕪島を過ぎたあたりから、もう種差海岸である。
実は社会人になって間もない時期、山形に勤務していた頃、夏休みに東北を車で一周した。
種差海岸に来るのは、それ以来、26年ぶりだ。当時の写真を見直してみると、風景は全く変わってなかった。

種差海岸駅まであと駅は2つ。1つは臨時駅の「プレイピア白浜駅」。この駅は隣接する遊園地「プレイピア白浜」のオープンに伴い、1986年に開業したが、利用者が激減したことで1995年からすべての列車が通過する状態になっていた。
そもそも、プレイピア白浜は1998年にわずか12年の歴史に幕を閉じ、2001年に無料の自然公園として再オープンしたが、09年に再び閉鎖された。
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現在は公園も駅も厳重に立ち入り禁止とされている。
が、駅の方にはちょっと失敬させてもらった。
ホームの板には穴が開いているなど、かなり老朽化が進んでいた。
八戸線が全面復旧した3月17日をもって正式に駅としても廃止された。
近くホームも撤去されることだろう。
私が見たのは最後の最後の姿だった。

もうあたりは随分暗くなってきた。
最後の立ち寄り駅は陸奥白浜駅。ここも駅舎はなく、ホームだけ。
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駅前には見事に朽ち果てた廃屋があった。

6時前くらいに種差海岸駅前の民宿石橋に到着。
こりこりしたナマコの酢の物がおいしかった。刺し身も新鮮でいけた。
量も多くもなく少なくもなく、満足できた。
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明日は、海岸で日の出にあわせ、地域住民が総出で、震災1年の追悼行事を行うという。
それに参加すべく、私も早々に電気を消した。

つづく
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十和田観光電鉄 長いです

週末は東北に行ってきた。
目的は今月末で廃止になる十和田観光電鉄に乗ることと、八戸線、北リアス線、岩泉線の駅舎を撮影することだ。
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(十鉄三沢駅)

17日には八戸線の未開通区間、種市-久慈間が開通するので、1週待てば両方乗ることができたのだが、待てなかった。
天気がよければ、この週末は花粉の飛ばない雪山に行くことも考えたのだが、この天気では無理だ。ぼんやり過ごすわけにはいかないので、久々に「テツ」に戻ることにした。

7時40分上野発の「はやて15号」で出発。指定席は3人席の窓際だったが、となりの2人は70がらみの男女。夫婦ではない。なんか宗教の関係者のようだ。
男性が女性に説教くさいことを話し続けていて、それを聞いているのは苦痛だったが、声が大きくていやが応でも聞こえてくる。車窓を眺めながら、寝たり起きたりしていた。

那須塩原を過ぎるあたりから、あたりは雪化粧を始め、福島県に入ると真っ白になった。
でも、これは今朝方降った雪で、昨日までは土が見えていた感じだ。
仙台平野を過ぎるまで、ずっとそんな調子で、今年は大雪と言われたが、太平洋側はそれほどでもなかったのかもしれない。

岩手県に入ると、ようやく根雪になった。でも春はもうすぐそこだ。
八戸までは新幹線で行ったことがある。その先、新青森まで開通しているが、今回も八戸で下りることになる。

盛岡の次、岩手沼宮内駅では車内のアナウンスを聞いて、となりのおじさんが「岩手ねむくない?」と何度も言うのが鼻についた。
この駅は、1日の乗降客数がわずか100人程度で、新幹線の中では最も利用客の少ない駅らしい。

10:40八戸着。急いで、駅前のレンタカー屋に向かう。
11時には出発できた。目指すは十和田観光電鉄十和田市駅。ここでいったん車を置いて、三沢まで往復し、その後、十鉄の各駅を撮影し、青い森鉄道、八戸線も一駅一駅立ち寄りつつ、今夜の宿である種差海岸に向かうという計画だ。

事前に調べたところでは、八戸駅から十和田市駅までの所要時間がおよそ1時間。12時に着けば、12:20の電車に乗れる計算だ。
ただ、走り出してみると案外近い。これでは早く着きすぎて時間がもったいないので、途中の七百駅から、駅舎撮影を始め、時間がタイトになったところで、十和田市駅に直行するという方針に変更した。

付録で通り道の六戸町役場に寄ってコレクションに収め、七百駅へ。
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「しちひゃく」と読むが、その由来はよく分からない。七百人が一気に入植してきたのだろうか?
この駅は、11ある十鉄の駅の中で、起点と終点を除き、唯一駅舎のある駅だ。
構内には古い車両が何種類も置かれており、ローカル線の駅らしい雰囲気を醸し出している。
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車両にはそれほど興味がないので、知識もなく、なんの解説もできない。
それより、駅の奥に変電所があり、この建物がまた味わい深かった。
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廃止後も取り壊したりせず、登録文化財として残してほしい。
しかし、それにしても雪が激しい。予報では曇りだったんだが。

次の駅は古里。青梅線の古里駅は「こり」と読むが、ここは素直に「ふるさと」。
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ホームに待合室があるだけだ。木の枠に透明のアクリルを張り付け防寒にしている。
十鉄の駅のいくつかは、このパターンだ。

次は三農校前。名門、青森県立三本木農業高校の校門前にある駅だ。
ここは待合室というより、庇があるだけだ。冬など、電車を待つのは相当寒いだろう。
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三農の設立は1898年。前身は青森県農学校で、とくに青森県の畜産農家に人材を輩出してきた。
などというのは調べて初めて知ったこと。だけど、合併して十和田市が成立する前、その中核が三本木町だったことは知っていたので、伝統のありそうな学校であることは想像がついた。まあ、たいていの農業高校はそれなりの歴史があるが。

駅に映画「三本木農業高校、馬術部」のロケ写真が貼ってあった。
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まさにこの場所がロケ地になったのだ。
この映画は知らなかったが2008年に公開されたとのこと。盲目の馬と少女との交流を描いた作品らしい。いつか機会があったらDVDでも見てみよう。

次は高清水。「たかしみず」ではなく「たかしず」だ。
ここはアクリル駅舎だが、古里駅より庇が大きく出っ張っている。
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それにしても、この路線、ずっと県道がぴったりとくっついて走っている。
これではバスになってもほとんど不便はない。運行しているのは十鉄であり、見事にお互いを食っている。残念だが、廃止もやむを得ないのだろう。
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十鉄は利用客がピーク時の165万人(1970年)から、2010年は46万人へと3分の1以下に減少。社長が昨年夏、沿線2市1町に10年間で計5億2000万円の財政支援を要請したが、拒絶された。バスで十分ということなのだろう。沿線自治体から袖にされては、生きてはいけない。廃止が決まった。ローカル線がまた一つ消えるのは淋しい限りだ。

次は北里大学前。
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ここには北里大学の獣医学部がある。当地が畜産の拠点であることの証しだ。この近くの家を仕事場にしていた友人の写真家・細川剛さんを以前訪ねた時、この駅は見た記憶がある。やはり庇だけ。学校前の駅は時間帯によっては乗降客が多いから、小さな待合室では間に合わないということなのだろう。

案の定、次の工業高校前駅も庇のみだ。
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工業高校とは十和田工業高校のこと。この駅にはマニアが2人写真を撮りに(+乗りに)来ていた。土日は運転間隔が異常に長い。この駅で降りて、次の電車を待っていたとは考えられないが、何をしていたのだろう。

おっと、時間が迫ってきた。しばらく駐めておける駐車場がすぐそばにあるかどうか不安なので、早めに行くことにした。十和田市駅までの間に、もう一駅あるが、これは後回し。十和田市駅に直行する。
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駐車場はだだっ広いのが、すぐ横にあった。しかも無料。ラッキー。
発車まであと10分しかないので、さっそく駅ビル?に入り、改札口へ向かう。
と、びっくり。なんと、ものすごい行列。と言っても、せいぜい50人くらいなのだが、やはりみな廃止前に集まった「テツ」たちである。
自分もその一人なのだが、はっきり言って気色悪い。なぜか、この人たちとは一緒と思われたくない。山では、そんな風に思わないのに、この心理は何なんだろう。

みな、大きな駅弁を手に手に持って、ホームや車両の写真撮影にいそしんでいる。
こちらはちょっと意地悪な気持ちが生じて、車両そっちのけで彼らの写真を撮る。
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車両は東京の住民にはおなじみ、シルバーに赤いラインの東急の車両だ。
ご丁寧に、つり革には「Bunkamura」と書いてあった。
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車内はほぼ満席。みなカメラを手にしているが、おとなしく座っており、車窓をバチバチ撮っている人はいない。しかも、弁当を食べている人もいない。
終着まで26分ではせわしないのかもしれないが、車内で食べてこそ駅弁だと思うが。

車窓は左手が県道。右手は住宅街であったり、雪に覆われた畑や牧草地であったり、のり面であったり。絶景路線というわけでは全くない。
天気が悪いこともあり、遠方の山並みも見えない。単調な景色が続く。

さっき写真を撮った駅を一つ一つ停まって電車は行く。
工業高校前で乗ってきた高校生は満員電車にちょっと驚いた表情で、仕方なしに立っている。みなジャージだ。懐かしい。

途中、柳沢という駅を通過したが、駅名標には「やなぎさわ」と書いてあるのに、車内放送は明らかに「やなぎざわ」と濁っている。どっちが地元の人の普通の発音なのだろう。今まで、十鉄側に指摘する人はいなかったのだろうか。

古牧温泉を突っ切って、三沢駅に到着。
折り返しの十和田市行きまで待ち時間は10数分あるから、ここで立ち食いそばを食って、お昼にしようと思っていた。
ここのそばやはご覧の通り、昭和のかおりがぷんぷんするお店だ。
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一昨年、下北の旧大畑線跡を歩きに来た時、青い森鉄道三沢駅9分停車時間の間に十鉄三沢駅を見学に来て、一目でほれ込んだ。ここも今回の目的の一つだった。

でも見通しが甘かった。
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三沢駅も乗り鉄や地元客でごったがえしており、ちょうどお昼時ということで、店内は結構な混雑。これでは、10分で食べるのは無理というもの。
廃止後もバスターミナルとして、この三沢駅とそばやは残ると信じて、泣く泣くそばは諦めた。
代わりに、せっせと駅の中や外の写真を10分間で撮りまくった。当然、回りも撮り鉄だらけである。
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(ガムの形をした自販機も)

さて折り返し。下りは、上りに増して混んでいる。今度は、地元高校生、鉄道ファンの家族連れも乗っている。さっきもいたサラリーマン風の男も乗っている。彼もテツだったのだ。今度は、座るのは諦め、ドアのところに立って、ひたすら車窓を眺めていた。

さっきから気になっていたのだが、中吊りに萌え系キャラの鉄道むすめがポスターになっている。
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青森の私鉄5社(十鉄、弘南鉄道、青い森鉄道、津軽鉄道、南部縦貫鉄道)のイメージキャラクターだ。「制服コレクション」とあるところを見ると、それぞれ各社の制服なのだろうか。ちなみに、私は向かって右から2番目、津軽鉄道の芦野かなちゃんが趣味である。

今年2月にデビューとあるが、少々遅くないか?
十鉄はわずか2か月の命だし、南部鉄道に至っては1997年にすでに休止(のちに廃止)されている。
復活を期して、ということであれば応援したい。

ただ、「テツ」は「おたく」だから、こういうキャラがウケるのではないかという発想なのだろうか。私は正直言って「おたく」の域には達していないし、そもそもそんなに萌え系には興味がないんだけど、かなりかぶるんだろうか?
本当のテツに聞いてみたい。

1時半前に再び十和田市駅に到着。そそくさと改札を出て、まず目の前にあるミニ展示及び売店を覗く。
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すごい人だかりだ。記念入場券セットが1000円で売っていて、多少食指が動いたが、とくに切符収集に力を入れているわけでもないので、無駄遣いは止めることにする。
さっきの駅弁はもう売り切れのようで、これも諦める。

駅ビルの1皆にそばやがあったので、そこで食べることにするが、なんと小銭がない。1万円札しかないので、券売機が使えない。
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おばちゃんに「両替して」と頼めば、してくれるのだろうけど、なんとなく気が引けて、どこかで崩す算段を考える。
さっきの入場券を買うのが一番手っ取り早いが、いったん外に出て、5分ほど歩いたところにある本屋で、岩手県の道路地図を買った。これはどこかで買わなければと思っていたので、ちょうどよかった。

やっと昼飯にありつける。えび天そば430円。
そこそこボリュームがあって、腹はふくらんだ。味はごくふつうである。
十和田市駅には引き込み線に2両編成の電車が控えていた。今は2編成で運行しているのだろう。今日のような休日は1編成だけが往復するだけで、電車の交換はなしで済んでいるようだ。
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そのさみしげな風景を写真に収め、再び車に乗る。
とりあえずは、さっき通過した、ひがし野団地駅。ここは庇のみの小さな待合所があるだけ。駅名標もかなりさびて、いい風合いになっている。
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あとは、ガーっと各駅を横目に東へ向かい、七百駅のひとつ三沢よりの柳沢駅。
ここもアクリル待合室。雪に覆われた畑?の向こうに、駅のホームがたたずんでいる。
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ここにも乗り鉄さんが、一人電車を待っていた。

残るは大曲駅。同じくアクリル待合室。
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こんなホームだけの駅は廃止後は簡単に撤去されるのだろうなあ。柳沢駅も大曲駅も駅前には、商店はおろか民家すらなく、廃線後10年もたてば、ここに駅があったことすら想像するのはむずかしくなるのかもしれない。

これで、十鉄の旅もあっけなくおしまいである。

つづく
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大持山・蕨山3

逆川乗越からは、ゆるやかな登り。
ただ、雪が結構深く、歩きにくいので、若干道をそれ、植林の中を進んだ。

蕨山は展望のいい場所を山頂としているが、地図によれば、本当のピークはかなり手前にある。
あれかな、と思って行ってみたら、植林の中のまんじゅうのような地形で、石が2、3個積んであった。
ここでいいのだろう。標高は1044m。
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ここから一旦下って、ちょっと登り返すと、蕨山の標識がある展望台(1033m)。
ちょうど2時に着いた。初めて、ベンチがあったので、ちょっぴり休む。
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いろいろ取り出すのが面倒なので、ペットボトルの冷たいお茶で済ませた。
いい加減な展望の案内板があるが、例によって、眺望はゼロ。
もう、こうなってくると、多少見えるより、この方がすがすがしい。

5分で出発。ここからは延々とだらだらしたアンプダウンとなる。
次のピークには名前がついていて、藤棚山という。
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なんか、どこも変わり映えのない写真だ。

しばらく行くと、ようやく雪が消えた。
大ヨケの頭(771m)の手前あたりでチェーンをはずす。
このピークには標識があったが、ここかな、と思ったピークの一つ先だった。
やはり、2万5000の地形図じゃないと、あかん。

小ヨケの頭に到達する前に、林道をまたぐことになるが、右手に林道が見えてきたので、とっととそっちに下りてしまった。
林道の方が平らだし、展望がきく。
進行方向右手に、棒ノ折山(969m)が見えた。今日まともに見えた唯一の山だ。
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(左のピークがそう)

で、再び登山道に入る場所に至ると、バイクが入り込んでいる跡があった。
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オフロードの方、林道だけで我慢してほしいなあ。
よろしくお願いしますよ。

小ヨケの頭は、候補者が二つあったが、結局標識がなく、特定はできなかったが、いずれかであることは間違いないので、数には入れておく。
あとは下る一方。

登山道からはずれて金比羅山があるが、ここは尾根から道がそれた時に、直進すればいいだけなので簡単。
ここにもかわいい標識がぶら下がっていた。
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この下に金比羅神社跡がある。
基礎と新しく祀った小さな祠だけが、広い境内に残っている。
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脇には、小さな手水鉢もあった。

石碑には平成12年に焼失したとあるが、近くの大木の内側が焦げているのが見えたので、雷によるものなのだろう。ここで3時半。
どうやら4時には下山できそうだ。

右手に木々の間から、名栗湖を見ながら歩く。
さすがにもう歩くのにも飽きてきた。

最後に移転した金比羅神社をお参りしたところで、車道に出る。
もうそこは、さわらびの湯だ。
ふ~~~~疲れた。でも予定よりかなり早かった。まだまだ若いかも。
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子供が小さい頃によく来た温泉だが、あまり記憶がなかった。
でも、いい湯だった。
5:01のバスで飯能駅へ。
名栗川沿いの県道の町並みはなかなか雰囲気があった。

やはり、この日、鼻がよく出た。花粉症が始まってしまった。
というわけで、山はしばらく休みます。

明日からは東北へ行ってきます。
3月末で廃止となる十和田観光電鉄線に乗るためです。
震災で一部区間運休していたJR八戸線が17日に全線開通するが、その前にそちらにも行ってきます。
ここは乗らずに、車で駅舎撮影。
一昨年の豪雨で運休したままの岩泉線の駅も回る計画。
三陸鉄道の「復興切符」も大量に仕入れてきます。

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大持山・蕨山2

滝入ノ頭までの道は結構きつかった。
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手前のピークをそうだと最初は勘違いしていたのだが、そのニセピークから右手、西斜面の景観は荒涼たるものだった。
斜面の木々がすべて伐採され、まる裸になっているのだ。
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林業が成り立っているのだとしたら、それはいいことなのだが、こんなに皆伐してしまって、梅雨時や台風シーズンに大雨が降った時、土砂崩れを起こさないのだろうか。
どうも腑に落ちない光景だ。

滝入ノ頭から次のピークである、しょうじくぼの頭まで、木材運搬用のワイヤーロープが張られていた。
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しょうじくぼの頭は地図には出てこない地名だが、「登った山」の一つに加えさせていただく。
これのおかげで、この日「登った山」は12座となった。うひ

次のピークは、またまた意味不明の名称、ヤシンタイの頭。ここは1100mだ。
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ここから標高差100mほど一気に下り、その1.5倍登り返すと橋小屋の頭(1163m)。
標識には「有間山」とあるが、有間山の主峰はやはり、もう少し南にある1213mのピークであろう。
このあたり全体を有間山と称しているようだが。
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それにしても、鳥首峠からここまで2時間近くかかった。
でも、「山と高原地図」ではコースタイム1:30となっている。
う~ん、これは何かの間違いでは?
当方ここまでほとんど休みをとっていないし、それほど歩みがのろかったわけではない。
改訂を望みたい。

いすれにしろ、展望はゼロ。まあ、ここの場合はまわりはみな木なので、晴れていてもろくに見えないのだが。
露出している岩にテントーシートを載せて、どっこいしょ。
おにぎりとコーンスープで、2度目の軽い昼食。
時間はすでに1時半。暗くなるまでに下山できるだろうか。
でも、ここからはアップダウンはあるにしろ、下り基調。気分は楽だ。
さくさく下って、鞍部である逆川乗越に出る。
ここは林道が通じているところだ。
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つづく
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大持山・蕨山1

シラジクボ(1088m)からはしばらく緩やかなアップダウンなのだが、まるっきり眺望は望めない。
今日はミクロに注目することにする。
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氷をまとった枝や葉っぱは、ちょっとしたアート作品のようだ。

じきに登りは急となり、岩場を越えると、小持山(1269m)の山頂に着く。
当然のごとく、展望はゼロ。
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テルモスの熱湯で卵スープを飲む。
カップは最近、静岡市・吐月峰柴屋寺で随分前に求めた木彫りのものを使っている。
そこそこ保温力がある。

10分弱、立ったまま休んで出発。
ここから大持山までの間に3人のハイカーとすれ違った。
みな単独で、年齢も私より上という印象。
今日のコースの中では、ここが一番、歩かれる区間だろうと思っていたが、やはりそうだった。
それにしても、こんな天気なのに出てくるとはご苦労なこと。
余程好きなんだねえ。人のことは言えないが。

大きなピークをひとつ越えて、30分ほどで大持山の山頂に着く。
やはり何も見えない。
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ここで、軽く昼食にする。紅茶とパン1個。三角点に腰掛けて、パンをかじった。

頂上直下、妻坂峠に向かう道を左に分け、急な下りとなる。
雪が適度に積もっているので、ジグザグのトレースを無視して、まっすぐドスドス下っていき、時間を節約した。
少し登り返すと、平らなピークに出る。
地図には、このピークが横倉山(1197m)と表示されているが、あまりに平らでどこが本当の頂上なのかよくわからない。
このあたりかなっと思って左を見ると、標識が木に掛かっていた。
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危うく気づかずに通り過ぎるところだった。

ここからは比較的ゆるやかな下り。鞍部のウノタワは広いくぼ地状になっており、山中集落を経て名栗に出る道が分岐している。そちらにトレースはついているが、私が向かう鳥首峠方面は足跡がない。
ここから先は、自分で道を見つけなくてはならないのだ。ちょっと緊張する。

道標には鳥首峠方面、矢印が右斜め下を向いており、一見ここから下っていくようにも見える。
しかし、ここからは登りになるので、そんなはずはない。
よく見ると、手書きで右方向への矢印が薄く書かれていた。
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誰かが、さすがにこれでは間違えやすいと思ったのだろう。

右斜め前方に進路をとる。なにげなく道の雰囲気はあり、コンパス的にも方向は間違っていない。
このまま進んでよさそうだ。
この先、鳥首峠まではずっと尾根歩きなので、とくに道に困ることはなかった。
むしろ、自分で道を付けていくのが、いい気分だった。
厳密に言うと、ずっとシカの足跡があって、それが事実上の道案内だったのだが。
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(私のつけたトレース)

昼前に鳥首峠(約930m)に到着。ここは昔は生活の道だったらしく、峠の両側にはなだらかな幅広の道が通じている。
四角い石の上に小さな祠もあった。こういう峠がすきだ。
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この先には足跡があった。なんだつまらない。滝入の頭に向かって登っていく。
峠のすぐ上の鉄塔があるところからは展望が久々に開けた。標高が953mと1000mを切ったので、雲の下に出たのだ。
採石現場や、伊豆ケ岳、武川岳方面が見えた。
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しばらく急なアップダウンをクリアし、ロープのある急坂を越えたところで、足跡が引き返しているのに気づいた。こんな道を苦労して越えてきて、なぜ戻るのか不思議だったが、よく見ると、そのすぐ先にシカの足跡が引き返していることにも気づいた。
おそらく、この場所で、ハイカーとシカが鉢合わせして、お互いびっくりして来た道を逃げたのだろう。
クスッと笑ってしまったが、クマでなくてよかったと思う。

つづく
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大持山・蕨山1

昨夜、埼玉県警山岳救助隊の方から電話があった。
4日に大持山・小持山あたりをあるいていた登山者が行方不明なのだと言う。
当方は、武甲山の登山口で登山届けを出していたので、そこに書かれていた携帯番号を頼りに連絡してきたのだ。

隊の方が説明してくれたその方の年格好について、一人だけ心当たりがあった。
10時45分ころ、大持山の手前で言葉を交わした方だ。
すぐ下は断崖という岩場に座って、たばこを吸っていた。
「こんな、いい場所があるなんて知りませんでした」
と声をかけてくれた。
晴れていれば、さぞかし景色のいい場所だったろう。

そう言うと、「霧の中の枯れ木もいいもんですよ」とつぶやいた。
立ち去りながら、なるほどと思い、振り返って霧と枯れ木の写真を撮った。
そこに、その人の後ろ姿が写っていた。

もしかしたら、あの人かもしれない。
隊の方に、その写真をメールで送ったら、家族に確認してくれた。
別人だった。
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結局、行方不明になっていた方は今日、遺体で発見されたらしい。
詳細については、隊の方が好意で教えてくれたことなので、控えたいが、とても残念なことだ。
ただ、家族に登山計画書を置いていったことが、早期の発見につながったのだろう。

今回、ひとつのことを学んだ。
登山届けは、自分のために出すものだと思っていたが、違う。
行方不明になった場合、本人がどこに行ったのか分からず、捜索すらできない場合が多い。
その点、行き先を家族にさえ伝えておけばよく、登山届にそれほどの意味はない。

ただ、ほかの人が遭難した場合、私の出した登山届が、捜索の手がかりをつかむきっかけになるかもしれない。
仮に、私が目撃した人だった場合、「何時頃、どこにいた」ということが判明する。
登山届は、直接自分の身を守るというよりも、登山者同士で支え合うものであるのだ。
これからは、真面目に届けを出そうと思っている。

さて、4日の山行を振り返りたい。
午前6時44分、所沢発の特急ちちぶ61号に乗り、車中からタクシーを予約。
7:42横瀬着。駅前から武甲山の登山口、一の鳥居まで車で行く。
昨年5月に武甲山を登った時、歩いた道なので、今回は勘弁してください。

駅のホームから見た武甲山は、山頂部がすっかり雲の中。テンションはがくんと下がったが、本日はピークハントに徹することにする。

8時、一の鳥居着。標高520mだが、駐車場には2㎝ほどの積雪が残っている。先週の火曜日に降った雪だ。
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登山届を出して、8:05に出発。
車は結構駐まっているが、人の姿はない。
ここからは昨年の初夏に、買ったばかりの登山靴を履いて歩いた坂だ。
それも今はかかとの部分がすり減って、突起がほとんどなくなっている。
これが問題なのか、この日はかなり何度もスリップした。

この登山道は武甲山への参道になっており、100mにも満たない距離で一丁目、二丁目とこまめに標柱が出ている。
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8時20分すぎ、持山寺跡・シラジクボ方面への分岐に到着。十二丁目と十三丁目の間だ。
ちなみに武甲山の山頂は52丁目だったような気がする。

ここで鉄の橋を渡り、小持山の山腹に取り付く。
路面は雪を踏んだ足跡が凍って、つるつるなところが多い。早速チェーンを履く。
道はほぼ同じ勾配でジグザグに上がっていくので、疲れない。

25分ほどで林道に出た。林道はすっかり雪に埋もれている。積雪は5㎝程度か。
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登山道の方は木の下なので2㎝程度。
すぐ林道からは離れ、しばらく登ると、持山寺跡とシラジクボの分岐に。
ここには「南無阿弥陀仏」と彫った大きな石碑があった。

寺跡へは3分ほど。標高は900mくらい。
平らな敷地にはもう植林の杉が林立し、宝きょう印塔が残る程度だ。
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「阿弥陀山念仏寺」の廃寺とされるが、いつ頃創建された寺なのかは分からない。
本尊の阿弥陀三尊と阿弥陀堂は札所八番西善寺に移され、後の明治43年頃、阿弥陀堂は川西の摩利支天堂として移建されたという。江戸時代には伽藍があったのだろう。

ここから小持山へショートカットできると思しき道が奥にあったが、立ち入り禁止のテープが貼ってあったので、今日のところは引き返すことにする。

分岐に戻ってからシラジクボへは、細いトラバースの道が延々と続く。
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あまりに細く、これで大丈夫なんだろうかと不安になるが、とりあえず足跡を信じて進むしかない。
今日は地形図がないのだ。

足跡も大雪の後は、2、3人くらいしか歩いていないと思われる。
すっかり回りは白くなり、展望が全くきかなくなった。標高1000mくらいから雲の中に入ってしまった。

稜線の鞍部シラジクボには9:25着。
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クボはくぼ地の意味で、武甲山と小持山の間の鞍部という意味だろう。
シラジは「白地」だろうか。雪で白い土があるかどうかは分からないが、このあたりの山は武甲山を筆頭に石灰岩でできているから、白い土が露出していてもおかしくないだろう。

つづく
 




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週末の山行

ここのところ、週末の天気がスキッとしない。
3日は都合により山は休み。4日は北の方は晴れという予報を信じていたのに、完全な曇りだった。
でも、行くモードになっていたので、止められない。
どんよりした空の下、出発した。

西武池袋線・秩父線で横瀬に向かう。
着いたら、武甲山は雲の中。標高900mあたりから上は展望がきかないという状況だ。
この日歩くコースは1200m級の稜線。
「もう今日は景色は期待せず、ピークハントに専念しよう」
そう決意して、歩き始めた。

コースタイムは以下の通り。
横瀬駅(7:45)=タクシー=一の鳥居(8:05)~シラジクボ(9:25)~小持山(10:15)~大持山(10:50休憩15分)~鳥首峠(11:20)~滝入の頭(12:40)~有間山(13:15昼食15分)~蕨山(14:00)~大ヨケの頭(14:35)~金比羅山(15:05)~さわらびの湯(16:00)
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所要10時間弱のコースを8時間で歩いた。
稼いだピークは12。アップダウンの激しいコースで相当に疲れた。

さわらびの湯は子供が小さい頃、名栗川に川遊びに来た時によく寄った日帰り温泉。
でも、湯船の記憶はまったくなかった。
汗を流して、6時半には帰宅できた。近場はありがたい。

詳報は明日以降に。
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