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山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

四国お遍路37(三宮駅~札幌)

【四国お遍路番外編⑥】2月11日(火)
四国のお遍路第1弾を終えて、帰路についている。
この日は播州赤穂観光をはさんで、終日乗り鉄を楽しんだ。
最後は、神戸・三宮からポートライナー。17時ちょうど発の電車に乗車した。
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先頭から2番目の席だったので、見晴らしもよくコンパクトカメラで車窓を撮りまくった。
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発車してすぐに国道2号線をまたぐ。なんと片側4車線だ。
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間もなく、上り電車とすれ違った。
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沿線にはホテルやマンションなど高層ビル群が並ぶ。
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貿易センター駅を過ぎると、阪神高速をまたぐ。
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みなとのもり公園の向こう、三井倉庫が夕日に照らされている。
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阪神高速が複雑に交差する。
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左手は神戸港。第四突堤の上を走る。
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「CHINJIF」とは中国の船会社で、中日国際輪渡有限公司のこと。
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ポートターミナルを通過。
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神戸大橋から左前方に突き出している突堤。
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同じような型式の船が並んでいる。何だろう。
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神戸水上警察署。
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その先に、神戸市水上消防署。
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ポートアイランドの北部にある中公園への歩道橋。
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前に座っていた女性が下車したので、先頭に移った。
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この電車は無人運転システムなので、運転士がいない。
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前方に見えてきたのは市民広場駅。
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再び、すれ違い。
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レールには結構、アップダウンがある。
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市民広場駅の先で、左に支線が分かれる。
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左手奥に神戸ポートピアホテル。
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右手に神戸市立医療センター中央市民病院。
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続いて神戸大学。
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なんだか分からないけど、神戸MI R&Dセンター。
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このユニークなデザインの建物は理化学研究所IIB。
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京コンピュータ前駅の左手に神戸医療イノベーションセンター。
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3回目のすれ違い。
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正面にキリンのような大型クレーンが見えてきた。
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右にカーブを切ると、左手にハーレー・ダビットソン。
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神戸スカイブリッジに差し掛かる。
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右手遠くに明石大橋を望むことができた。
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間もなく、神戸空港が見えてきた。
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最後の右カーブ。
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もう私の乗るAIRDO機が駐機していた。
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その向こうは大阪湾である。
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17:18、神戸空港駅に到着。
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8日ぶりに、戻ってきた。
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ちょっと懐かしい。
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飛行機の時間は18時。
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空港のレストランで食事をするほどの時間はないので、空弁を買おうと思ったが、もうほとんど売り切れ。
仕方なく、鯛ちくわとビールを買って、AIRDOとのコードシェア便ANA4821便に搭乗した。
ほぼ定刻通り18時に離陸。
飲んだら、機内ではパソコン作業をしているうちに、沈没してしまった。
新千歳空港には、定刻より若干早く、19:45に到着。
預けた荷物を受け取って、快速エアポートで札幌へ。
21時半頃に帰宅した。

すぐに寝たいところだが、すこしお腹に余裕があったので、赤穂銘菓かん川本舗の志ほ万を早速いただいた。
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いいお色。
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塩味饅頭だけに、塩味がちょっと効いておいしかった。
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ちなみに、こちらは会社用に買ってきた「うみがめまんじゅう」。
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個数優先なので味はあまり問わなかったが、まあまあだった。
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これにて、9日間に及んだ四国お遍路の旅は無事終了。
最初のうちはもやもやしていたが、後半は楽しめるようになった気がする。
何が理由だか分からないが、また行きたいという気持ちになっているのは確かだ。
次はいよいよ土佐。北海道で夏山シーズンが終わる11月頃にまた行けたらと思っている。
高知県は距離のわりにお寺の数が少ない。
徳島県のように1回で終了というわけにはいかない。
少なくとも1週間の旅が3回は必要になるだろう。
四国1周を還暦までに終えるのは、かなり難しいが、登山のオフシーズンに少しずつつなげていきたい。

(おわり)
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四国お遍路36(赤穂・花岳寺~三宮駅)

【四国お遍路番外編⑤】2月11日(火)
四国のお遍路阿波一国打ちを終えて、札幌へ帰る途中、播州赤穂に寄り道している。
赤穂藩主浅野家の菩提寺、花岳寺を拝観中。
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ここには大石内蔵助の先祖の墓もある。
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こうした方々だ。
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こちらは他の義士の家族のお墓。
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赤穂郊外にあった墓5基を昭和35年(1960年)に、ここに移し、改葬したという。
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その他の墓碑たち。
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浅野家三代の墓所は最も奥まった場所にあった。
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右手奥から、常陸笠間藩主・浅野長重、赤穂初代藩主・浅野長直、同2代藩主・浅野長友だそうである。
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これが長重の墓所。
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こちらが長直。
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そして長友。
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近くに、内蔵助の大叔父、大石頼母助良重の墓もあった。
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赤穂城の縄張りを完成させた近藤三郎衛門の墓。
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その功績と改葬の経緯が碑文に刻まれていた。
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この木は根元がずいぶんユニークだ。
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こちらは浅野家が改易された後、赤穂城に入部した森家の墓所。
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中はこのようになっていた。
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境内の片隅にある報恩堂(千体観音堂)。
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野口雨情の詩碑「春のあけぼの 花なら桜 武士の鑑ぢや 赤穂義士」。
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雨情が昭和11年(1936年)に全国民謡行脚の最中、作製した赤穂民謡の冒頭だそうだ。

千手堂に祀られていた千手観音像に手を合わせて、参拝は終了。
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門前の商店街を通って、播州赤穂駅へ向かう。
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いちご大福とかソフトクリームとか食べたいけど、我慢、
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赤穂城下町絵図で本日の復習。
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赤穂藩旧上水道の施設のひとつ、百々呂屋裏大枡も確認した。
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堀部弥兵衛金丸の碑のところで
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駅前通りに出た。
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開設当時大きな話題になったトマト銀行。
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というわけで、14:15頃、播州赤穂駅に戻ってきた。
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駅前に停まっていたのは神姫バス。
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神姫バスは兵庫県西部を中心に広く路線網を展開するかなり大きなバス会社である。
1927年(昭和2年)の創業で、2019年3月期の売り上げは年間459億円に達し、神奈川中央交通、三重交通に続き、全国3位となっている。
ちなみに、4位はわれらが北海道の北海道中央バスである(390億円)

駅舎に掲げられていた、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の登場人物。
片深源五右エ門高房(モデルは片岡源五右衛門高房)。
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言わずと知れた大星由良之助良雄(同・大石内蔵助良雄)
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播州赤穂駅での途中下車の印のある切符を駅員に見せて改札を通過。
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14:37の山陽本線直通の普通列車姫路行きに乗車する。
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山陽本線と赤穂線の分岐点、相生駅で乗り換える必要なく、14:58に網干駅に到着。
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ここで下りて、山陽電車の網干駅へ向かう。
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網干駅と言えば、山陽本線の新快速の終着駅の一つ。
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関西で電車に乗ると、行き先としてよく見かける駅名だ。
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行政区分としては姫路市にあたる。
駅前はそんなに賑やかではなく、北口はこんな様子。
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橋上駅なので、もう一度、階段を昇り降りして南口へ。
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山陽網干駅までは3.5kmも離れているので、南口からタクシーを利用する。
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姫路市の地味なマンホールを発見。世界遺産姫路城のマンホールもあるらしい。
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中央の市章は「姫」の字を図案化したもの。
よくよく見ると、「女」の中に「臣」と書かれている。

南口は駅舎ではなく、立体駐車場となっていた。
随分、変わった駅だ。
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南口にあった「つばめ交通」の営業所に出向いて、15:10頃乗車。
タクシーの運転手とあれこれ会話をしたが、網干駅は新快速の終点なのに、乗り過ごし客用のホテルが全くなく、深夜の送迎がかなり激しいという話が印象的だった。
神戸まで戻るなんていうのはザラで、京都まで行ったこともあるらしい。
深夜だと京都まで往復するのは大変なので、神戸で他のタクシーにお客さんをお願いすることもあるのだとか。
何万円かかるのか分からないけど、それでも帰りたいのだねえ。

というわけで10分ほどで、山陽網干駅に到着。
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こちらは山陽電車網干線の終点である。
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ちょっとお腹が空いたので、駅前のコンビニでパンを購入。
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そんなことをしているうちに、15;22発の電車が行ってしまった。
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でも、もともと15:37発の電車に乗る予定だったから、いいのだ。

山陽網干駅の開業は1941年(昭和16年)7月6日。
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終点なので頭端式ホームである。
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結構しっかりレールを埋めている。
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近くの観光案内。梅林が有名なのかしら。
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日中はほぼ15分おきの運行のようだ。
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ホームから北に三石天満宮が見えた。
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構造としては1面2線の島式ホーム。
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次の電車が来るまであと15分近くあるので、さっき買ったパンを食べて過ごした。
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15:31に電車が入線。3両編成だった。
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もちろん、始発駅なのでガラガラ。
15:37に定刻通り発車。15:52に飾磨駅に到着した。
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ここから、15:57発の直通特急阪神大阪梅田行きに乗り換える。
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この駅は面白い構造になっていて、網干方面からの電車は2番ホームで行き止まり。
その両側は本線の上下線という櫛形2面3線のホームの構造となっている。
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その行き止まりの先に立ち食いそばのお店「山陽そば」があった。
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私が乗ってきた電車は折り返し網干行きに。
この電車の両側はいずれも2番線という扱いである。
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次に乗る大阪梅田行きは山陽姫路駅から3番線にやってきた。
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播州赤穂から姫路まで行って、姫路で山陽電車に乗り換えれば、タクシーを使う必要はなかったなあとこの時点で気づく。
しかし、姫路から山陽電車が出ていることを知らなかったのだから仕方ない。
ちゃんと調べておけば、よかった。

山陽明石駅には16:24に到着。
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いったん駅の外に出て、高架をくぐって、JRの明石駅に向かう。
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線路の北側に出ると、目の前は明石城跡だった。
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わざわざ外に出なくてもよかったみたいだが、まあ明石城跡が見られたのだから、よしとしよう。
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ホームからは、こんなに格好よく城跡が見えた。
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再び、16:35発のJR(新快速)に乗って、16:50に三ノ宮に到着。
急いで、ポートライナーに乗り換える。
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JRの表記は「三ノ宮」だが、ポートライナーは「三宮」だ。
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乗り継ぎ時間はちょうど10分。
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今日は結局、日和佐駅から8本の電車を乗り継いだことになる。
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荷物の持ち運びが大変だったが、結構楽しかった。
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(つづく)
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四国お遍路35(赤穂城本丸跡~花岳寺)

【四国お遍路番外編④】2月11日(火)
お遍路の帰り道に播州赤穂に寄って、赤穂城跡を観光中。
大石神社や旧二之丸庭園などを見学して、いよいよ本丸に足を踏み入れた。
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本丸御殿の跡はコンクリートでかさ上げする形で、その間取りを示している。
ここは「広間」。
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発掘成果を示す「石組暗渠排水路」。
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出土した状態のまま展示してある。
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本丸にも庭園があったようだ。
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こちらも大池泉が復元されている。
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奥に見えるのは天守台。
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中島には松やソテツが植えられ、八ツ橋が架けられていたそうである。
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さすがに天守は復元されていない。
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天守台に登って、庭園を俯瞰。
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こちらは本丸御殿跡。
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御殿の中の中庭。
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西の方角に見える煙突はおそらく住友大阪セメント工場だろう。
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本丸の東口にあたる「厩口門」。
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その奥に見えるのは雄鷹台山(253m)。
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正門にあたる本丸門。
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赤穂城跡は日本100名城にも選定されている。
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本丸は上空から見ると、こんな形をしている。
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立地としては、こんな感じ。瀬戸内海に面している。
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東北隅櫓台。
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刎橋門。
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天守台を南西から。
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天守台から下りて、もう一度、庭園を歩く。
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刎橋門まで来たが、ここから濠の向こうには渡れなかった。
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濠の南東角。
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厩口門から外に出ることにした。
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この濠は当時、海とつながっており、ここは船溜まりになっていたらしい。
「水撚(みずひねり)」という名称が付いていたようだ。
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厩口門は台所門とも呼ばれている。
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浅野家時代が厩口門、森家時代が台所門だったそうだ。
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門の手前は厩口橋。
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赤穂城全体の縄張り図で復習。
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元帥陸軍大将子爵川村景明筆の忠魂碑。
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川村景明(1850~1926年)は元薩摩藩士で、薩英戦争、戊辰戦争、西南戦争に従軍。
近衛歩兵第1旅団長として日清戦争に出征、日露戦争では鴨緑江軍司令官として奉天会戦を戦った歴戦の勇士である。
赤穂との関わりはとくになかったようだが、建立の際に地元から指名されたのだろう。

もう一つ忠魂碑があり、こちらは陸軍中将建川美次(1880~1945年)の揮毫。
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この方は新潟市の出身。奉天会戦の勝利に貢献した戦功もあり、当時『少年倶楽部』に連載された山中峯太郎の小説『敵中横断三百里』の主人公のモデルとなったという。
駐ソビエト連邦大使として、1941年(昭和16年)4月、松岡洋右外相とともに日ソ中立条約に調印した人物でもある。
これまた赤穂とのかかわりは不明。

白壁がたくさん並んでいるのは赤穂市立歴史博物館。
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二の丸のお濠。
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大石神社まで戻ってきた。
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大手門を出ると、さっきも見た正面にお菓子の巴屋さん。
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それにしても、お城みたいでまぎらわしい。
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裏通りを歩いて、浅野家の菩提寺、花岳寺に向かう。
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赤穂の塩を商っている谷商店。なかなか渋い。
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赤松滄洲宅跡。
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赤松滄洲(1721~1801年)は赤穂藩の藩儒を務め、藩校「博文館」の設立に尽力した人物だそうだ。
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裏通りの方がやはり趣がある。
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これは花岳寺ではありません。
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こちらです。
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赤穂義士ゆかりの地である。
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なぜなら浅野家の霊廟があり、赤穂義士の木造が安置されているからである。
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当山は正保2年(1645年)藩祖浅野長直によって建立されたそうだ。
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山号は「台雲山」。
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山門をくぐると、正面の二代目大石名残の松が迎えてくれる。
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ちなみに山門はもともと赤穂城の西惣門で、1873年(明治6年)に移築されたという。
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立派な本堂。
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鳴らずの鐘。
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赤穂義士の自刃の知らせを聞いた町民がこの鐘を鳴らし続けたところ、音韻を失してしまい、以来「鳴らずの鐘」と呼ばれたそうである。
現在の鐘は寛政9年(1797年)に改鋳されたもので、太平洋戦争のときも義士ゆかりの鐘ということで供出を免れたという。
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大石内蔵助も聞いたと伝わる水琴窟。
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手水鉢。
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陸軍大将林銑十郎の書による「二代目大石なごりの松」の標石。
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初代なごりの松は切株になって、千手堂に保存されていた。
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まずは本堂でお参り。無事にお遍路を終えることができました。ありがとうございました。
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坐禅堂。
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無怨塔。
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花岳寺は実は、見どころがたくさんある。
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拝観料は400円だが、ケチらずにもちろん奥まで入らせていただいた。
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亀趺(きふ)に乗った忠義塚。
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その裏面。
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こちらは忠義桜。右の石碑は義士追慕句碑
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「忠に咲き義に散る塚の桜かな」とある。
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義士墓所。
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不忠柳。
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大高源吾(俳号・子葉)の句碑。「こぼるるを許させ給へ萩の露」
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26歳の秋、浅野内匠頭に従って国に下向の途中、大津の義仲寺で松尾芭蕉の墓前で詠んだという。
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森家霊廟(現開山堂)の役瓦。
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浅野家霊廟。
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合掌。
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ここにも水琴窟。
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しだれ桜。
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由来は以下の通り。
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高松宮宣仁親王お手植えの松。
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中国(北魏)から渡来の観音像。
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6世紀初頭のもので、大正年間に寄進されたという。
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(つづく)




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四国お遍路34(大石神社~赤穂城本丸跡)

【四国お遍路番外編③】2月11日(火)
兵庫県の赤穂市内を観光中。
赤穂城跡内にある近藤源八宅の長屋門を見学している。
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上がってもいいとのことだったが、外からの観察のみに留めておいた。
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通りに戻る。
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見えてきたのは、赤穂藩主浅野家筆頭家老の大石内蔵助の一家3代が57年にわたって住んでいた大石屋敷の長屋門である。
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間口26.8mもある。
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屋敷の跡は大石神社になっている。
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大石内蔵助だけでなく赤穂浪士47人全員が祀られている。
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境内にはいろんな資料館があるようだが、時間に限りがあるので、今回はパスするつもり。
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ここは正式には赤穂大石神社といい、藩主だった浅野家と森家を祭神としていた赤穂神社と大石神社を合祀している。
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内蔵助の息子、主税に迎えられた。
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それにしても、「主税」と書いてなぜ「ちから」と読むのか?
律令制において民部省に属した機関、主税寮と関係があるらしい。
その職務が、庶民の〈力〉である「田租」の管理などを担うことから、「主税」を「ちから」と読んだのだという。
なんかこじつけっぽいが、当時からそう読んでいたのは確かなようだ。
「ちから」とは読まないが、「主税」の名は、現在の財務省主税局に引き継がれている。

向かいには、ちゃんとお父様がいた。
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義芳門をくぐる。
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この門は、わが国2大忠臣義士のもう片方、楠木正成を祀る神戸市の湊川神社の神門を1942年(昭和17年)に移築したものらしい。
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赤穂浪士に関しては幕府をはばかり、しばらく表立って顕彰することはできなかったが、1868年(明治元年)に、明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わして、これを弔ったことで、赤穂浪士を讃えることが公認された形となった。
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実は、大石屋敷内で小さな祠が密かに祀られていたが、1900年(明治33年)、「大石神社」の創建が政府から許可され、1912年(大正元年)に社殿が竣工したそうだ。
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お遍路で23か寺を回ったので、お浄めはお手の物。
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内蔵助の大きな絵馬。陣太鼓が象徴的だ。
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菊正宗や白鶴など灘の銘酒に混じって、「忠臣蔵」。そんなお酒もあるのか。
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田中角栄揮毫の「義士発祥之地」碑。
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こちらは、浅野家大坂蔵屋敷の舟石。
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不老不死の秘薬があるという海の向こうの蓬莱山へ行ける舟として、大名たちの信仰を集めていたそうだ。
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内蔵助の像はもうあちこちにある。
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これは1971年(昭和46年)に建立されたとのこと。
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君が代にうたわれているさざれ石。
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岩に小石が大量に接着し、大きな塊となったものをさざれ石という。
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では、参拝させていただきましょう。
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参拝の後も境内を散策。石柱の奉納は1基20万円だそうだ。
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播州信金が奉納した陣太鼓文様のパネル。
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赤穂浪士の顔ハメ。
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「水みくじ」は、水に浸すと文字が浮き上がってくる仕掛けになっているらしい。
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山鹿素行を祀った山鹿神社の説明板。
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退筆塚。いわゆる筆塚のことである。
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仙珪和尚表功碑。
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明治維新以降、赤穂城跡地の払い下げが進む中、義士の遺跡を保存するため、内蔵助の屋敷地周辺を買い上げたのが花岳寺の仙珪和尚であったという。

切り株にお賽銭が大量に差し込んであった。
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義芳門を出て、赤穂城の遺構を遠望。
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神社の参道には、四十七士の石像がずらりと並んでいた。
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それぞれ表門隊と裏門隊に分かれており、制作は兵馬俑工芸技術伝承者ということになっている。中国の方が作ったのだろうか。
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いずれにしろ、祝日だけあって、かなりの人出であった。
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では、本丸跡の方に向かいましょう。
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赤穂城は、正保2年(1645年)、常陸国笠間藩から入封した浅野長直が、近藤正純に築城設計を命じて、寛文元年(1661年)に完成した甲州流軍学の海岸平城である。
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庭園のようになっている濠の跡。
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二の丸門跡。まだ未整備だ。
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赤穂城では、赤穂事件(1701年)から161年後の文久2年(1862年)に国家老の森主税と村上真輔が尊王攘夷派の藩士に暗殺されるという事件が起きた(文久事件)。
父の敵を討とうと、村上の息子4兄弟は明治4年(1871年)、高野山で仇討ちを果たす(高野の仇討ち)。
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この事件がきっかけで、明治政府が「仇討ち禁止令」を出したそうだが、赤穂義士の討入り以来、赤穂には仇討ちを正義とする思想が強くなっていたのかもしれない。
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山鹿素行の銅像。
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赤穂城築城に際し縄張りの一部を変更したほか、家中に兵学を指南した軍学者である。
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赤穂城跡の復元整備が着々と進んでおり、現在は二之丸庭園も公開されている。
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これは、その入口にあたる大石頼母助屋敷門。
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頼母助は内蔵助の大叔父にあたる人物で、藩主浅野長直に重用された。
山鹿素行が赤穂に配流された際には、この屋敷内で8年間過ごしたという。
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では、早速入ってみましょう。
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右前方にある二之丸隅櫓台がまず目に飛び込んできた。
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水は張られていないが、廻遊式庭園である。
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奥に本丸が見える。
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何の穴かしら。
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若干、水がたまっているところもあった。
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奥の東屋のあたりは、ちゃんと池になっている。
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かなり広大な庭園である。
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山鹿素行の著作『年譜』の中に、頼母助の屋敷で蟄居生活を送った際、この池泉で遊んだことが記されているという。
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当時は「茶亭」「浮玉堂」「龍船」などがしつらえてあったそうだ。
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「海棠(かいどう=サクラに似たピンクの花を咲かせる)」や「牡丹」が植えられていたらしい。
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現在の植栽は松だけなので、ちょっと殺風景かな。
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春になるともう少し彩りも出てくるのだろうか。
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庭園を出て、本丸に向かう途中、左手に赤穂城発掘調査事務所があった。
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現在は閉鎖されているが、これが二之丸庭園の表門。
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かわいい赤穂義士のマンホール。
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いよいよ本丸に攻め込む。
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本丸は幅の広い濠で囲まれている。
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本丸門。
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17世紀中ごろの築造と考えられており、明治10年代後半に破却されたという。
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総事業費6億7000万円をかけて1996年に復元されたのだそうだ。
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一の門。
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入母屋造りの本瓦葺きである。
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赤穂産の花崗岩を使用して往年の姿をよみがえらせた石垣。
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本丸御殿の絵図。
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同じく見取り図。
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最後に本丸の縄張り図を紹介しておこう。
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(つづく)
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四国お遍路33(瀬戸大橋~近藤源八宅跡)

【四国お遍路番外編②】2月11日(火)
四国を後にして瀬戸大橋を渡っている。
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1月にレンタカーで来たばかりの道の駅与島が見えてきた。
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左手奥は本島という島だ。
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今日も天気がいいので瀬戸内海が青くて美しかった。
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児島駅を経て、定刻通り10:33に岡山駅に到着。
乗り継ぎ時間が23分もあるので、トイレに寄って体重を減らした。
駅弁も購入して、赤穂線播州赤穂行きの普通列車に乗り込む。
ボックス席だったが、わりと混んでいたので後ろの方向しか見えない席になってしまった。
10:56、定刻通りに発車。
道路地図帳を持ってきていないので、スマホの地形図で周辺の状況を確認しながら、車窓を眺めていた。

11時半になったところで、ちょっと早いがランチタイムとした。
岡山駅で買ったのは、「桃太郎の祭りずし」(税込み1000円)である。
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箱を開いてみて、びっくり。なんと、桃の形をしたピンクのケースが出てきた。
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持って帰りたくなったが、さすがに荷物になるし、使い道もないので止めた。

中身は基本的にちらし寿司。味はまずますであった。
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日生(ひなせ)駅で列車交換のため、しばし停車。
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この駅は昔、対岸にある鹿久居島へ出張したときに下りたことがある。
調べてみたら、1993年のことだった。もう27年も前のことだ。

播州福河駅を通過。
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定刻通り、12:08、播州赤穂駅に到着した。
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乗ってきたのは、この黄色い115系電車(クモハ)だった。
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さて赤穂観光に出かけよう。
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ザックはコインロッカーに預け、コンパクトカメラだけ持って、いざ出陣!
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制限時間は2時間半である。
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播州赤穂は言わずと知れた「忠臣蔵のふるさと」だ。
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市民憲章にも「義士発祥のまちです」と高らかに唱っている。
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駅舎も多少、お城をイメージしているのだろうか。
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浅野でも大石でもなく、いきなり山鹿素行の説明板。
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山鹿素行(1622~85年)は江戸時代前期の儒学者・軍学者で会津に生まれた。
1652年に赤穂藩主浅野長直に召し抱えられ、在職8年の間に『修教要録』など多くの著書を著した。
その後、民間学者となって江戸に移るも、朱子学批判のかどで、1666年に赤穂へ流罪となり、9年間の蟄居生活を余儀なくされた。
その間、門弟であった大石内蔵助ら多くの赤穂義士に影響を与えたという。
赤穂とはゆかりの深い方なのである。

忠臣蔵の説明板。
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忠臣蔵自体は日本人の心をくすぐるものであることは理解できるが、言ってしまえば「かたき討ち」という名の殺人である。
子供の教育をも担う行政が、どう折り合いを付けているのか興味がある。
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赤穂は「塩のまち」でもある。
堺屋太一が忠臣蔵を描いた『峠の群像』は、塩をめぐる問題が吉良との対立を引き起こしたという話になっていたような気がする。
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駅の横の東横インがやけに目立っていた。
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赤穂城を目指して、駅前通りを歩き始めると、さっそく大石内蔵助の歌碑。
「とふ人に語る言葉のなかりせば身は武蔵野の露と答へん」
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赤穂市のマンホール。真ん中の市章は「赤」の字をデザイン化している。
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ローカル紙「赤穂民報」の社屋。
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赤穂民報は1968年11月15日の創刊。
毎週土曜日発行の週刊紙で、購読料無料のフリーペーパーである。発行部数は約2万部。
赤穂市の世帯数は20500なので、ほぼ全世帯に配布していることになる。

赤穂は牡蠣が特産らしい。かき蕎麦なんておいしそうだ。
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中国銀行赤穂支店。中国銀行は岡山市に本店を置く地方銀行である。
初代頭取は元倉敷紡績社長の大原孫三郎が務めた。
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私が好きな片岡源五右衛門高房。
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町のど真ん中に旧赤穂藩が建設した上水道の跡があった。
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元和二年(1616年)に藩の代官垂水半左衛門が築き、以来昭和19年(1944年)まで300年以上にわたって赤穂城下を潤してきたのだという。
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これは遺構ではなく、あくまでモニュメントだそうだ。
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廃業した赤穂書房。
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赤穂義士、小野寺十内秀和の歌碑。
「忘れめや百にあまれる年を経て仕へし代々の君が情を」
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加里屋という地区に、ちょっとした広場があった。
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そこに立っていた「義士あんどん」と呼ばれるからくり時計。
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その隣に息継ぎ井戸。
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江戸城内での浅野内匠頭による刃傷事件の第一報を知らせるため、元禄14年(1701年)3月14日の夕刻、赤穂藩士の早水藤左衛門と萱野三平が早かごで江戸を出発。
赤穂城下に着いたのは3月19日の早朝だった、
155里(約620km)の行程を4昼夜半早かごに揺られ続けた両人は城下に入り、この井戸の水を飲んで一息ついたと言われている。
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この奥に、浅野家の菩提寺である花岳寺があるが、それは後回しにして、まずはお城へ。
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赤穂情報物産館の前を通過。
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何だろう、この人だかりは。
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牡蠣料理の店「かましま」に並んでいる方々のようだ。大人気だ。
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さっきモニュメントがあった旧赤穂上水道の説明板。
城下に網の目のように張り巡らされていたようだ。
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町家1軒1軒に給水されており、江戸の神田上水、福山の福山水道とならび、日本三大水道とも呼ばれているという。

別のデザインのマンホールを発見。
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こちらは中央に市の木サクラ、その周りに市の花ツツジ、下にはふるさとの川、千種川をあしらっている。ギザギザは赤穂義士の陣太鼓だそうだ。

銘菓、塩味饅頭「志ほ万」を販売する「かん川本舗」の大手門前支店。
買って帰ろうかな。
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店頭では内蔵助様が呼び込みをしていた。
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播州赤穂駅から15分ほどで赤穂城跡に到着。
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立派な隅櫓に迎えられた。
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その向かいにあるお城のような建物は「巴屋」。
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こちらもお菓子屋さんである。
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赤穂の町は井戸を掘っても海水が出るので上水道が必要だったらしい。
その上水道の終点が海岸に接して築かれた赤穂城であった。
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ポストもお城仕様である。
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城跡は昭和46年(1971年)に国の史跡に指定された。
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巴屋でも塩味饅頭を販売しているらしい。
それにしても「討入そば」とは、どんなお蕎麦なのだろう。
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逆さ富士ならぬ、逆さ櫓。
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この大手門の石垣は組み直したものだろう。
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大手門から中に入ると、番所跡がある。
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ここには赤穂城に関する簡単なガイダンス施設になっていた。
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さらに進むと右手に大石神社が見えてくる。
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大手門枡形を回り込む。
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神社の参集所。
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左手には近藤源八宅跡長屋門が残っていた。
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内蔵助とは親戚で、赤穂藩の千石番頭という重職を務めたが、当初から義士には加わらなかったという。
無料開放されていたので入ってみた。
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長屋門の内側である。
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ここに旧上水道の汲み出し井戸があった。
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(つづく)
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