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山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

有珠山噴火災害遺構

【2018年10月11日(木)】有珠山噴火被災遺構
伊達市内での仕事は正午頃に終了。
せっかく遠出してきたので、研鑽を積んでから社に戻ることにした。
まずは仕事場の近くにあったバチラー八重子の歌碑を見学。
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バチラー八重子(1884~1962年)はアイヌの歌人であり、キリスト伝道者である。
当時の伊達町有珠に生まれ、戸籍名は向井八重子といった。
英国人宣教師ジョン・バチェラーから洗礼を受け、22歳の時、養女となった。
ともに樺太へ伝道に行くなどし、代表作に歌集「若きウタリに」がある。

歌碑の奥に、ジョン・バチェラー夫妻を顕彰した「記念堂」が建っている。
門には「有珠聖公会」と書かれていた。
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この巨岩は有珠山の噴石である。
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この石造建築が記念堂。
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アイヌ語学者でもあったバチェラー博士は1882年(明治25年)、夫人とともにこの地でキリスト教の伝道を始めた。
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翌年、信者となった地元住民らが木造の礼拝堂を建設。1937年に改築されたのが、この建物である。
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玄関の柱には「大日本」「聖公会」と刻まれていた。
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石材は有珠山の噴石とのこと。
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境内には、秋の花が咲いていた。
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中には入れなかったので、見学は外観だけに留め、洞爺湖に向かう。
途中、トイレを借りに有珠駅へ。
ついでに駅前にあった「かあちゃん食堂」を記録に残しておく。
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西山山麓火口の展望台(西展望広場)に立ち寄った。
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ここからは2000年噴火の活動域が観察できる。
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中央右が西山、その左が有珠新山である。
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かろうじて第二展望台が確認できる。
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西山山麓からは今も白い噴気が上がっている。
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有珠新山の左奥は大有珠(733m)。
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湖畔近くにある金比羅火口災害遺構散策路まで移動してきた。
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見えているのは、被災したまま保存されている「やすらぎの家」と「桜ヶ丘団地」である。
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「やすらぎの家」は町営入浴施設。
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「桜ヶ丘団地」はここからだと、あまり被災の様子が分からない。
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「I ♡ Toya」
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1977年噴火に伴って建設された泥流防止のための砂防ダム群。
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では散策路開始。
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沿道には色とりどりのアジサイが咲いていた。
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団地を見ると、ところどころ窓が開いたままだ。
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振り返ると、洞爺湖に中島が浮かんでいる。
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その左に羊蹄山(1898m)も見えた。
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先に「ゆかりの碑」がある園地に行ってみた。
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ここは教員の初期結核患者の保養所として1940年に設置された北海道教育保養所の跡地だそうだ。
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1977年の噴火で被災し、翌年閉鎖のやむなきに至ったという
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その「ゆかりの碑」なのである。
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こちらは安田侃の手になる「ゆかりの碑~後に回生」のモニュメント。
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いずれも2000年の熱泥流では奇跡的に何の損傷もなかったという。

「やすらぎの家」へ移動。窓ガラスがかなり割れている。
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屋内は泥で埋めつくされていた。
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泥流が窓を突き破って入ってきたのだろう。
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悲惨な状態である。
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しかし、事前にみな避難しており、この噴火では奇跡的に1人のけが人もなかった。
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玄関。
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「やすらぎの家」全景。
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これは上から流れてきた橋だそうだ。
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この「木の実橋」は元の位置から90mほど流されて、桜ヶ丘団地に激突し、さらに60m流されて現在地に止まったという。
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その向かいに桜ヶ丘団地。
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噴火した火口はここから500mしか離れていなかったという。
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この傷は「木の実橋」がぶつかった跡。
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1階部分は建物ごと埋まっており、今見えている最も下の階は2階である。
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泥流は2階も襲ったようだ。
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噴火から18年が経ち、5階にはもう木が育っている。
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窓ガラスはどこも割れており、戦争の跡のようだ。
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下流側は一応、1階部分が見えている。
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それでは散策終了。
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次は四十三山(明治新山)散策をはさんで(報告は別稿で)、1977年の災害を遺構へ。
このあたり全域は、ユネスコ世界ジオパークの「洞爺湖有珠山ジオパーク」に認定されている。
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これは1977年の噴火時の地殻変動で倒壊した三恵病院だ。
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まずは、どんな状態なのか見ていただこう。
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ここは1977年火山遺構公園として遺構が保存されている。
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噴火災害遺構は、「周囲に芽生えた木々を、人の手を加えずに残すことで、人と森林の持続可能な関係や、時間の経過による植物の成長などを学べる場所として利用している」という。
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立派な「廃墟」保存理念である。
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そして今度は、その植物が建物を破壊し始める。
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人間は自然を改変して、生活の利便性を向上させるが、ひとたび人の手が離れると、自然は想像以上のスピードで巻き返してくる。
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最終的には、自らの治癒力でもとに戻してしまう。
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木々に覆い隠された廃墟は、人間の営みなど、ちっぽけだと気づかせてくれる。
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しかし、自然に自己治癒力があるのだからと言って、自然に対して何をしてもいいということではない。
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むしろ、その力に敬意を払うべきなのだ。
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廃墟はよく、「心霊スポット」として紹介される。
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人間中心の発想である。
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人間の「生と死」「盛衰」でしか、廃墟を見ていないからだ。
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私も「心霊写真大好き少年」だったが、廃墟を「霊」と関連付けて見たことはない。
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こちらは現役の施設「壮瞥町研修センター」。
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その近くに、地殻変動で傾き、放棄された民家を発見。
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ここまでで、災害遺構巡りは終了。
虎杖浜温泉で汗を流し、社に戻ることにする。

(おわり)




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鎌倉(4)

【2016年5月1日(日)】鎌倉
名越切通しから法性寺へ向かう。
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こちらにも凝灰岩の崖がある。
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これこそが石切り場の跡だ。時代は分からないが。
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水が溜まっているところもあった。
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これはやぐらではなく、やはり採石した跡だろう。
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笠に「小」の記号は採石会社の屋号だろうか。かなり新しい加工の跡かもしれない。
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外観はこのようになっている。
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風化は進んでいても、直線的な雰囲気があるところは鎌倉時代の石切り場と言えるのかもしれない。
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奥に見えるのは、「お猿畠の大切岸」。
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やはり、一段下のこちらとは雰囲気が異なる。
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法性寺の墓地を通り抜けて、日朗上人(1245~1320年)の廟所に出た。
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日朗上人は日蓮の弟子で、七面山敬慎院の開祖でもある。

見学は後回しにして、まずは最も高い場所にある山王社に参拝。
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階段を登ると、さっき対岸から見えた五重の石塔がある。
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ここからは大切岸を一望することができる。
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どう考えても、あれは石切り場ではない。
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墓地との位置関係はこうなっている。
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振り向けば、逗子市街。
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階段を下りると、左に本堂(祖師堂)。日蓮の坐像が安置されているという。
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法性寺は日朗上人が布教活動の拠点とした比企ヶ谷妙本寺、池上本門寺の「奥の院」という位置づけになるらしく、正面には「長興 長栄 両院奥之院」との扁額が掲げられている。
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「長興」は妙本寺の、「長栄」は本門寺の山号である。

その左には日蓮が避難して籠居したという岩窟があった。
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ここが、白猿に連れられてきたと伝わる場所である。

本堂の手前の石灯籠には「入仏供養之切石」と刻まれていた。
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再び、日朗上人の廟所。
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「日朗菩薩墳墓霊場」と扁額にはある。
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格子の中を覗き込むと、五輪塔が1基あり「南無日朗菩薩・・」と刻まれていた。
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ここは猿が守り神。
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少し下ると、現代の五輪塔墓があった。
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こういう墓が今でもあるとは。やはり私の墓は五輪塔にしよう。
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坂を下ると、法性寺の甍が見えてきた。
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庫裏である。
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ここで法性寺の性格を整理しておこう。
日蓮は法華宗こそが人々を救うと説き、文応元年(1260年)、「立正安国論」を著して、時の執権北条時頼に上程した。
しかし、その論は当時の仏教諸宗派が無力であることを批判していたことから、松葉ヶ谷の草庵は焼き討ちされてしまった。
山伝いに難を逃れてきた日蓮が白猿に救われたという話は前回述べた通り。
法難を救った地として、日蓮の弟子、日朗と朗慶の手で元亨元年(1321年)頃に創建されたのが、この寺院である。

長い参道を下ると、山門に至る。
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まさに「猿畠山」だ。
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山門の横には「日蓮大聖人焼打御避難之霊跡」と大書された石標が立っていた。
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山門をくぐると間もなくJR横須賀線にぶちあたる。
線路に沿った車道を左折して逗子駅方面に歩くと、足元に馬頭観音。
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そして庚申塔群の前を通過する。
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名越切通しから下ってきたこの道はかつての「鎌倉みち」であり、江戸時代は東海道から浦賀奉行所に通じる「浦賀みち」でもあった。

庚申塔だけに「見ざる・言わざる・聞かざる」。
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この先を左折すると、間もなく岩殿寺の入口。
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この参道も長い。
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参道には、坂東三十三か所観音霊場を示す石碑が一番から順番に並ぶ。
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ここは第二番札所である。
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寺伝によれば、養老四年(720年)、徳道と行基の開創と伝わる。
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鎌倉幕府成立後は将軍家の信仰が篤く、『吾妻鏡』には頼朝、政子、頼家、実朝など歴代将軍家の参詣が記録されているのだとか。
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山号は「海雲山」。
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山門をくぐると、左手に泉鏡花の句碑。
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「普門品(ふもんぼん)ひねもす雨の桜かな」(普門品とは観音経のこと)
鏡花は明治35年と37年の夏、愛人すず女と逗子に滞在し、ここ岩殿観音にはよく足を運んだらしい。

右手には「利生堂」。
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まずは長い階段を登る。
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参道には、「観世音」の石碑や子育地蔵尊。
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長く歩いてきた身には結構こたえる。
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石段の曲がり角に、後白河法皇ほかの報恩供養碑。
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そして爪掘不動尊。爪の病にご利益があるらしい。
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登り切ると、やっと観音堂。
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寄棟造りで間口3間、奥行き5間。享保十三年(1728年)の再建である。
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堂内には秘仏の十一面観音菩薩立像が安置されているとのこと。
本日の無事を感謝し、丁寧に参拝した。

観音堂の手前右には熊野権現社。
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そして鏡花が寄進したという「鏡花の池」。
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観音堂の右側には五輪塔が集められていた。
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そして、真後ろに奥の院。
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もともとは岩窟だったらしいが、今はコンクリートで固められている。

ぐるりと回りこんで、左奥には猿田彦神社と稲荷明神社。
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さらに奥より観音堂を俯瞰する。
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ここからは逗子市街を眺望することができた。
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階段を下り、納経所に立ち寄る。
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慈母観音と慈父観音。
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これで本日の史跡めぐりは終了。逗子駅に向かう。
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広い道に出る辻には、「阪東二番観音霊場」と刻んだ道標が残っていた。
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途中、ソフトの看板を見て、思わず寄り道。
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「とちぎや」という豆腐のお店だった。
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でも、「逗子土産」が売っていた。おいしそうなドラ焼きだったが我慢。
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落ち着いたところで、駅へ。踏み切りを渡る。
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そこに湘南クッキーの自販機。これはめずらしい。
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逗子なぎさ通りを通って、午後4時前に逗子駅に到着。
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缶ビールを買って16:09発のエアポート成田に乗り込んだ。
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ここはぜいたくしてグリーン車。

わざわざ逗子まで歩いたのは訳がある。鎌倉から乗ると大混雑でまず座れないことが分かりきっているからだ。
案の定、鎌倉駅のホームはごったがえしており、乗り切れない人もいたようだった。
それを横目に悠然とビールをあおる。気持ちいい。

17:07、1時間弱で東京駅に到着。
勢いが付いてしまったので、八重洲口で飲み直してしまった。
「美少年」という大きな看板が目に入り、迷わず突入。
熊本応援と称して、「美少年」をがぶがぶ飲み、すっかり酔っ払って帰宅した。
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これも山麓酒場だろうか。

【行程】2016年5月1日
鎌倉駅(10:05)~八雲神社(10:16)~祇園山(10:27)~腹切りやぐら(10:57)~大御堂橋(11:19)~釈迦堂切通し(11:35)~衣張山(12:04撮影・昼食12:30)~大切岸(13:04)~名越切通し(13:25)~まんだら堂やぐら群(13:34撮影・休憩14:05)~法性寺(14:25)~岩殿観音(14:56撮影・休憩15:23)~とちぎや(15:30休憩15:42)~逗子駅(15:53)
※所要時間:5時間48分(歩行時間:4時間50分)
※登った山:4座(祇園山、衣張山、浅間山、名越山)
※歩行距離:10.5km
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鎌倉(3)

【2016年5月1日(日)】鎌倉
衣張山(121m)から下り、名越切通しに向かっている。
左手に鋭く切れ落ちた崖が見えてきた。
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お猿畠の大切岸である。早速、下りてみた。
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この断崖は、長さ800m以上も続いているという。
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手前には遊歩道が整備されている。
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凝灰岩の崖で高さは3~10m。
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従来は、鎌倉幕府が三浦半島を拠点とする豪族三浦氏に備えて、名越切通しとともに築いた防衛施設だと考えられてきた。
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しかし、逗子市教育委員会が平成14年度に発掘調査を行ったところ、大規模な石切り場の跡であることが判明した。
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鎌倉防衛の役割が完全に否定されたわけではないが、14~15世紀にかけて鎌倉では建物の基礎に大量の切石を使用しており、そのころの石材の供給地だったと考えられているという。
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しかし、どうも腑に落ちない。専門家の判断にケチをつけるわけではないが、本当にこの断崖全体が採石作業によって生じたものなのだろうか。
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今まで、いろんな石切り場の遺構を見てきたが、大抵一か所を集中的に掘って大きな空間ができていたり、切った跡は幾何学的にかなり複雑になっていたりする。
ここは単純に崖が続いているだけだし、なにより浸食が激しい。
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14~15世紀からまだ600~700年ほどしか経っていない。
にもかかわらず、海食を受けたように、こんなに風化してしまうものだろうか。
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一部、採石が行われたことは事実だろうが、大切岸そのものを石切り場の跡と言ってしまうのは言い過ぎのような気がする。
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海食台が隆起してできたものと素直に考えた方がいいのではないか。
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考古学だけではなく、地質学や岩石学などの専門家の意見も聞いてみたいものだ。

日蓮は文応元年(1260年)8月27日夜、鎌倉松葉ヶ谷に草庵を念仏者たちに焼き討ちされた。その時、3匹の白猿が現れて、日蓮をこの山上の岩窟に導き、食物を運んで危急を救ったという伝説がある。「お猿畠」の名はそれに由来する。

ここからはカッコいい洋館を望むことができた。
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対岸には法性寺の石塔も見えた。
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ハイキングコースに戻ると、古びた石廟が2基現れた。
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どちらも盗掘されていて詳細は不明だそうだが、いずれも中に骨蔵器が納められていたらしく、鎌倉末期から南北朝期にかけて造立されたものだと考えられている。

その近くには天下泰平を祈った猿畠山法性寺の題目石碑が並んでいた。
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ハイキングコースのうち、このあたりは「法華宗日蓮大上人焼き討ち避難路」と呼ばれているようだ。
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間もなく、92mの標高点のある場所に近づいた。このあたりは名越山というらしいので、この標高点に達したことをもって、「登った山」に認定。
最も高い地点はコースからやや離れていたので、ちょっとヤブに分け入った。
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期待はしていなかったが、やはり山名板などはなかった。

わずかに下ると、名越切通しの東平場と呼ばれる人工的に造成した地形が現れた。
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鎌倉と三浦を結ぶ名越坂は、鎌倉から山を越えて横浜、江戸へ向かう後の東海道ではなく、鎌倉から三浦半島を経て、東京湾を渡って房総半島に通じる古東海道の道筋の一つだったと考えられている。
いわゆる鎌倉七口のうち、名越切通しは最も早く整備されたらしい。
北条氏のライバルだった三浦氏に備えるため、切通しの途中には、平場、土塁、曲輪、空堀、置石などの防御施設が設けられており、名越切通しは単なる通路ではなく、鎌倉を守る重要な砦の役割も果たしていた。

その平場の一つである。
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そこにものものしい柵に囲われて無縁諸霊之碑が立っていた。
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この碑をこんなに厳重に守らなければならない理由は何だろうか。

間もなく、名越切通しに躍り出た。ここは「第3切通し」と呼ばれる掘割だ。
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道の真ん中に、馬が全速力で駆け抜けるのを邪魔するための置石が置かれている。
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まさに中世からの置き土産だ。
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わきには小さな五輪塔がたたずんでいた。
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私の進行方向とは逆だが、少しだけ北側(鎌倉方面)の方に下りてみた。
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古道の雰囲気を実によく残している。
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引き返すと、ちょうど峠のあたりにバイクの人が登ってきた。
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エンジンを止めて押してはいるが、いいのだろうか。

峠を挟んで向かい側は明るい広場になっている。西平場である。
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ここは一瞥したのみで、また峠道に戻る。
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結構、ハイカーも歩いていた。
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南側(逗子方面)に下る。
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沿道にトキワツユクサの群落。
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程なく、まんだら堂やぐら群の入口に出た。
ありがたいことに限定公開中だ。
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もちろん見学させていただく。
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「まずは展望広場へどうぞ」とボランティアらしきおじさんに案内されたので、言葉に従い行ってみた。
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おお素晴らしい。やぐら群をこうして俯瞰できる場所はそうそうない。
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ここのやぐら群は2m四方程度の小規模なものを中心に150以上のやぐらが確認されているという。
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よく見ると、中にはところ狭しと五輪塔が並んでいる。
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なんだか、かわいい。
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逆方向には逗子の高級マンション群が見えた。
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展望広場から下りて、今度は下からやぐらを見学する。
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五輪塔に梵字が刻んであるのが分かる。
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五体不満足な五輪塔も少なくない。
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それにしても、これだけ幾重にもやぐらが掘られていると、中世のマンションのようにも見える。
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何枚か五輪塔シリーズ。
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私は五輪塔が好きだ。死んだら、墓石は五輪塔にしてほしい。
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最近、墓石に「絆」とか「夢」とか彫り込んである墓を見かけるが、全く私の趣味ではない。
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埋葬施設は横穴式石室にしてほしいが、そんな金と場所はないので、そちらは諦めている。
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やぐらもいくつかは崩落してしまったものがあった。
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そうなると五輪塔も雨ざらしだ。
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ここも大切岸と同じ時期に造成されたと考えられるが、あちらのような浸食がまるでない。
やはり、大切岸は自然の浸食によるものだろう。

このやぐら群も逗子市教育委員会が発掘調査を行っている。
その結果、火葬の跡や石敷きの遺構が確認された。
火葬はやぐらの手前の平場で行われたようだ。
石敷き遺構の性格ははっきりしないが、その近くから斬首されたものと思われる頭骨が発見されたという。

やぐら群はさっき展望広場からみた角度の裏側にも回り込むことができる。
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こちらの方がやや痛みが激しい印象だ。

五輪塔も少ない。
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少し暑くなってきたので、木陰のベンチに座ってひと休み。
幸運にも、いいところを見学できた。
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行動食をかじって、やぐら群を後にする。
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さらに南に下ると、第2切通し。
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そして掘割の深い第3切通し。
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この隘路を抜けると、少し広くなっている。
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振り返ると、こんな感じ。
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頭上には自然地形が残る。
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このまま下ってもいいのだが、法性寺に寄るには遠回りになるので、大切岸近くまで引き返すことにする。
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ここは、さっきも歩いた東平場。
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無縁諸霊之塔では野良猫が日向ぼっこをしていた。
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(つづく)
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鎌倉(2)

【2016年5月1日(日)】鎌倉
釈迦堂口切通しに向かっている。
途中、ノラに遭遇した。
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釈迦堂口切通しのある谷戸は釈迦堂ヶ谷と呼ばれている。
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その名は、3代執権北条泰時が父義時の菩提を弔うため、この谷に釈迦堂を建てたことに由来する。
その正確な場所はいまだ判明せず、「幻の寺」と言われているらしい。
ただ本尊の清凉寺式釈迦如来立像は東京・目黒区の大圓寺に祀られているのだとか。

さて、その釈迦堂口切通し。現在通行止めになっていることは知っていたが、随分手前に「通行禁止」の看板が立ちはだかっていた。
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しかし表現がいずれも微妙だ。
右端の「通りぬけ出来ません」は、手前までは行ってもいいという意味にとれる。
「落石注意」は、落石に注意すればいいだけだ。
「この先釈迦堂切通しガケ崩れのため通行禁止」は、切通しそのものは通行できないけど、手前までは行けることになる。
「この先崖崩れの恐れ・・通行注意」は、注意して通行可。
いずれも、この先、切通しまでなら行っていいという意味になる。
左端の「工事関係者以外立入禁止」だけが、ここからNG。
とにかく、看板の右端に人が普通に入った形跡があるので、私も行ってみることにした。

ゆるやかな坂を登っていくと、切通しのすぐ手前に柵が設けられていた。
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「車両通行止め」という看板があるところをみると、以前は車も通れたようだ。
のちに車の通行を禁じ、さらに人の通行もだめになったのだろう。
しかし、このフェンスも派手に破られており、多くの人が中に入っていることが分かる。

私も自己責任で見学させてもらった。
さすがに見事な岩の洞門である。
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ここは、三浦氏一族の依る杉本城から名越を経て三浦半島に至る主要道(三浦路)であったという。
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洞門の中にはいくつかのやぐらが掘られていた。
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その中には五輪塔を安置しているものがある。
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洞門をくぐって反対側に回ると、上にもやぐらの跡が認められた。
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それにしても迫力満点。
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一応、完全通り抜けはせず、戻ることにする。
2回洞門をくぐることになるので、落石に遭うリスクは2倍になるのだが。

帰り道、ウキツリボク(別名チロリアンランプ)を見かけた。
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初めてみる花だ。ブラジル原産だそうだ。

東隣の犬懸ガ谷に移動する。
途中には、しゃれた焼き菓子のお店。
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犬懸ガ谷の入口には、「上杉朝宗及び氏憲邸阯」の碑(昭和10年建立)が立つ。
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のちに関東管領を世襲することになる上杉氏は山内、扇谷、犬懸、宅間の4家に分かれたが、このうち上杉憲藤がここ犬懸ガ谷に居館を構えたので、その家系は犬懸上杉氏と呼ばれるようになった。
朝宗は憲藤の子で応永元年(1395年)に関東管領になり、鎌倉公方だった足利氏満、満兼によく仕えた。
氏憲はその息子で、のちに出家して禅秀を名乗った。

向かいに「田楽辻子のみち」と書かれた道標がある。
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鎌倉時代からある小路で、このあたりに田楽師が多数住んでいたことが名の由来。
辻子とは通り抜けのできる小路のことで、十字路の辻とは違うらしい。

犬懸ガ谷は平成巡礼路とも呼ばれているようだ。
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江戸時代には、坂東三十三か所観音霊場第一番杉本寺から第二番岩殿寺に続く巡礼道が、衣張山の山中に通じていたのを平成になって整備したため、そう名付けたもののようだ。

その巡礼道を進んでいく。
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基本的には高級住宅街なのだが、こんな古い廃屋もあって趣を感じる。
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車道のどん詰まりからは衣張山ハイキングコースとなる。
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入口左に小さなやぐらを発見した。
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中には何もなかったが
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左端にさらに奥まで細い穴が掘られていた。
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こちらのハイキングコースも緑したたる気持ちのいい道だ。
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すぐにつづら折りの急坂になる。
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こちらは祇園山と違って標高が120mもあるので、それなりに登りでがある。
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途中、巨石の下にわりと新しい道祖神がたたずんでいた。
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仲むつましい。
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コースの入口から10分ほどで、頂上に到着。
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かわいい石仏と五輪塔が出迎えてくれた。
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ここからも鎌倉市街や相模湾を望むことができる。
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まわりの丘陵地帯も緑が美しい。
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でも、山名板がなかったのが残念。これで我慢する。
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衣張山とは、頼朝がある暑い夏、山頂に白い衣を覆って雪に見立てて涼んだことに由来するらしい。

木陰の簡素なベンチが空いたので、そこでお昼にする。ちょうど時間も正午を過ぎたところ。
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本日はめずらしくパンにした。
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ミニトマトとチーズもつけて、鎌倉らしくセレブっぽく。

他にも家族連れがやってきて、目の前でお弁当を広げていた。
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いい雰囲気だった。

30分近くのんびりしてから出発。
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ほぼ平らな道を南に行く。
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すると、すぐに開けたところに出た。
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120mの三角点がある浅間山である。
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若い山ガールに、ここが衣張山ですかと聞かれたので、もうすぐそこですと教えてあげた。
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(写真は残念ながら、ありません)

ここからは逗子方面の森がこんもりと見えた。
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ひっそりたたずむ五輪塔と新しい石仏。
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この先はしばらく下り基調だ。
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小さい子供も頑張っている。
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三浦半島の丘陵は実に穏やかである。
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10分足らずで下り切った。
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アライグマやタイワンリスなどの外来種が増えているらしい。
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アライグマは見たことがないが、タイワンリスは確かに鎌倉に来るたびに見かける。
かわいいのでついエサをあげたくなっちゃうのだろう。

これまたかわいいお地蔵さん。
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鎌倉に仏を彫る現代作家さんがいるのだろうか。

関東の富士見百景「鎌倉市からの富士」を示す標識があったが、この日は見えず。
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関東の富士見百景は10か所くらい行ったことがあるが、わりと打率は低い。
富士山が見えたのは3割に満たない気がする。

本当はこんな風に見えるらしい。
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鎌倉逗子ハイランドの高級住宅街の縁に沿って歩く。
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ちょうど、したくなっていたのでトイレで用足し。
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この先は、鎌倉市子ども自然ふれあいの森に入る。
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その途端、今回もタイワンリスに遭遇。
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すばしこくて、なかなか上手に写真が撮れなかった。

またしても石仏さん。
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こちらはお稲荷さん。
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げ、マムシ注意だそうだ。
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名越切通しへは、このまま進む。
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途中、開けたところから逗子市街を望む。
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谷戸の住宅街も。
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鎌倉にも増して緑が濃い。
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(つづく)
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鎌倉(1)

【2016年5月1日(日)】鎌倉
前日までの1泊破線山行でちょっと疲れ気味だったこともあり、この日は休養日。
鎌倉へ史跡歩きに出かけた。
とは言っても、純粋な街歩きではなく、当然「山」もからめる。
超低山だが、祇園山と衣張山も織り交ぜてみた。

出発は9:08東京発の快速アクティー熱海行き。
東海道線なので始発かと思っていたが、乗客を大勢乗せて入線。
そっか、昨年から宇都宮線と乗り入れていたんだった。
おかげで最初はつり革。川崎あたりでやっと座れた気がする。
大船で横須賀線の普通久里浜行きに乗り換え。
10:01に鎌倉に着いた。

予想以上の大混雑だ。ホームも階段も改札付近も観光客でごったがえしている。
なんとかすり抜けて、駅前に出た時はホッとした。最初からやれやれである。
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GWの鎌倉がすごいことは承知していたが、これほどとは。
でも、今日歩くところは、そんなに人が多くない場所のはず。
息を整えて歩き出す。

若宮大路を渡って右に少し歩き、郵便局の角を左折する。
すぐに小町大路に出る。
右手には日蓮宗の本覚寺。
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「東身延」とあるのは、二世の日朝がのちに身延山久遠寺の住持になり、そこにあった日蓮の遺骨をこの寺に分骨したから、そう称されるようになったらしい。
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本覚寺の門前で滑川を渡る。夷堂橋という。
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鎌倉十橋のひとつで、かつてこの地に夷堂があったことにちなむ。
夷堂は、文永十一年(1274年)、佐渡の配所から鎌倉に戻った日蓮がしばらく滞在したところとも言われている。

小町大路を海に向かって南下。
木造の古い酒屋さんの前を通過する。
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間もなく左に見えてきた八雲神社の境内へと入っていく。
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この神社は、永保年間(11世紀)に新羅三郎義光が京都祇園社の祭神牛頭天王を勧請したのが起源と伝えられる。
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奥州征伐に出陣した兄義家を追って参戦した折り、鎌倉の悪疫除災のため祀ったとされる。
厄除け祈願の神社として信仰されているのは、そのためだろうか。

境内に「新羅三郎手玉石」と呼ばれる大きな石があった。
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江戸時代に若者たちが力試しに使った力石であろう。

天水盤は東京オリンピック(1964年)の聖火台も鋳造した武州の鋳物師鈴木文吾氏の作品。
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本殿の左には、諏訪神社、稲荷神社、於岩稲荷社も祀られていた。
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本日の安全を祈願してから、本殿の右側より、祇園山ハイキングコースへと入っていく。
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当然、祇園山とは祇園社(八雲神社)にちなんで付けられた名称である。

神社までは観光客が大勢いたが、ここからは別天地だ。
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少し登っただけで、鎌倉市街が見下ろせる。
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春の野草の小径である。
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祇園山の頂上(標高約50m)には、八雲神社から7分ほどで着いた。
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ここからも鎌倉市街と相模湾を見渡すことができた。
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霞んで富士山が見えないのが、ちょっと残念。

方位盤に浮かぶ島のようなものは鎌倉の市域を示したもの。
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背後には、廃仏毀釈で頭を破却された石仏が2体並んでいた。
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展望を堪能したところで、ハイキングコースを北に向かう。
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目指すは腹切りやぐらである。
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どなたかの忘れ物。
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新緑がまぶしい。
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鎌倉は市街地からちょっと入るだけで、こんな森が残っているので、うらやましい。
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30分近く歩いたところで、左折。
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腹切りやぐらに寄ったら、戻って直進するつもりだったのだが、通行止めになっているようだ。

すこし下ったところが、腹切りやぐら。
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正面に鎌倉幕府の14代執権北条高時の法名(日輪寺殿崇鑑大禅定門)が記された角塔婆が立っている。

中を覗くと、高時の墓と伝わる石塔がたたずみ、その後ろには北条氏一門の菩提を弔う卒塔婆が多数立てかけられていた。
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やぐらとは、鎌倉時代から室町時代にかけて、鎌倉周辺に集中的につくられた武士や僧侶の納骨所もしくは供養施設のことである。山の崖を方形にくりぬき、中には五輪塔などが安置されたり、壁に浮き彫りにされていたりすることがある。
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元弘3年(1333年)5月22日、新田義貞に攻め込まれた高時が一族や家臣870人とともに、東勝寺で自決したことを『太平記』は伝えているが、その遺骨の一部がここに埋められたとの伝承があるという。
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合掌して、辞す。

そのすぐ下に東勝寺跡。更地となって保存され、まわりには柵がめぐらされている。
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東勝寺は3代執権泰時により、得宗(北条氏の嫡流)の氏寺として13世紀前半に創建された。
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鎌倉幕府滅亡時に焼失した後、禅宗寺院として再興され、室町時代には関東十刹に数えられるほど興隆したが、16世紀後半には途絶えたとされている。

再び人里に出る。
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鎌倉は繁華街でなくても、こうしたちょっとした店が無数に出ている。
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家庭の主婦や勤めのご主人がやっているのだろう。
生業ではなく、趣味を生かしたちょっとした小遣い稼ぎという感じだろうか。
みんながみんなそうではないだろうけど、鎌倉とはやはり豊かな町だなあと実感する。

再び滑川を渡る。
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東勝寺橋は鉄筋コンクリートが本格的に導入された関東大震災復興期の大正13年(1924年)に建造されたアーチ橋で、1999年に「かまくら景観百選」に選ばれている。
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橋を渡ってすぐ右側に「青砥藤綱旧跡」の碑(昭和13年建立)が立つ。
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碑文によると、藤綱は2代執権北条時宗、貞時2代に仕えた引付衆の一人。ある夜、誤って銭十文も滑川に落とした折り、五十文の松明を買って水中を照らし、やっと探し当てたという。
これを聞いた人々は、十文のために五十文を費やすのは「小利大損」ではないかと嘲った。
しかし、藤綱は「十文を川底に沈んだままにしておくのは天下の損失だが、五十文は商人の手に渡って天下の利になる」と説いたという。
鎌倉時代にこんな立派な人がいたのか。『太平記』にある有名な逸話だそうだ。

またしても、ちょっとしたお店。
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こちらはカフェのようである。

このあたりの地名はなんだか味わいがある。
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小町大路に出て右折すると、間もなく左側に「土佐坊昌俊邸跡」の碑(大正14年建立)がある。
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土佐坊は頼朝の命により、義経追討にあたった人物である。
夜襲をかけたが利なく死んでしまったらしい。

小町大路は鶴岡八幡宮の門前を横切る道路と合流し、金沢街道となって右に屈曲する。
しばらく行くと、左側に今度は「関取場跡」の碑(昭和6年建立)が見える。
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天文十七年(1548年)12月、北条氏康はここ六浦路(金沢街道)を通る商人などから関銭(通行税)を徴収して、荏柄天神の社殿再興の費用に充てたという。
その関所があった場所らしい。

そのすぐ先を右折すると、大御堂橋が滑川にかかっている。
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滑川には、コイがたくさん泳いでいて、びっくり。
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橋を渡ったところが、「文覚上人屋敷跡」(大正11年建立)。
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文覚は配流先の伊豆で、同様に流されていた頼朝と出会い、平家追討の蜂起を促したことで知られる。
もともとは遠藤盛遠という武士で、人妻の袈裟御前に横恋慕し、その夫の寝首を掻いて思いを遂げようとしたが、首を斬ったのは貞操を守ろうと夫の身代わりになった袈裟御前本人だった。
文覚はこれがきっかけで出家したと『源平盛衰記』は伝えている。

振り返ると、昔なつかしい郵便ポストが現役で頑張っていた。
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突き当りを左折し、滑川に沿って東に進む。
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このあたりは「浄明寺」という。
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間もなく、釈迦堂口切通しへの入り口に着いた。
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ここを右折して、小さな沢沿いに谷戸を遡って行く。
沢にかかる個人宅専用の橋には「私有橋」と書かれたカラーコーンが置いてあった。
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こんなところに侵入する人がいるとは思えないが、車のUターンに使われたりすると不快なのだろう。

(つづく)
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