FC2ブログ

山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

浜益・厚田(下)

【2019年6月1日(土)】浜益・厚田
浜益から国道231号を南下し、30分ほどで道の駅石狩「あいろーど厚田」に到着した。
DSC_9447_201906200508286a6.jpg

中を見学する前に、裏山にある「恋人の聖地」に行ってみた。
そこへは舗装された車道が続いているが、登り口にコーンが置いてある。
進入禁止のつもりかもしれないが、歩いていく時間の余裕はないので、コーンをよけて車で向かった。
沿道には地元の方々の作品なのだろうか、句碑が延々と並んでいた。
DSC_9423_20190620051039a4b.jpg
つづら折れの道を進むと頂上直下に駐車場があった。
なんだ、車で来るのを想定しているではないか。

頂上には中世ヨーロッパの古城を模したと思われる「恋人の聖地」の展望台が建っている。
DSC_9424_201906200510403de.jpg

「恋人の聖地」とは、NPO法人地域活性化支援センターが「少子化対策と地域の活性化への貢献」をテーマとした「観光地域の広域連携」を目的に展開しているプロジェクトのこと。
DSC_9425_201906200510426c5.jpg

2006年4月1日から、プロポーズにふさわしいロマンティックなスポットを「恋人の聖地」として選定している。
DSC_9428_2019062005101568b.jpg

何度か偶然、「恋人の聖地」を訪ねてしまい、そのたびに何となく違和感を覚えて、あまり好きではないのだが、その最大の理由が、この南京錠だ。
DSC_9426_20190620051012df3.jpg
恋人たちが固く結ばれることを誓って、おみくじを結ぶように、こうしてフェンスに南京錠を掛けるのだが、個人的には「束縛」の象徴のようで気味が悪い。
まあ、それでもいいという人々が掛けるのだから、ご自由に、なんだけど。

ここ厚田公園展望台は「恋人の聖地」北海道認定第1号なのだそうだ。
DSC_9427_201906200510139c4.jpg
ちなみに「恋人の聖地」は全国に137か所、道内には5か所ある。
・愛国駅・幸福駅
・朝里岳山頂「ニイサの鐘」/キロロリゾート
・厚田公園展望台
・ひろおサンタランド
・ゆにガーデン
さらに「恋人の聖地サテライト」なるものが7か所。
・旭川サンタプレゼントパーク/ニコラス展望タワー
・イマジンホテル&リゾート函館
・小樽オルゴール堂本館
・洞爺サンパレスリゾート&スパ
・北海道アイスパビリオン
・藻岩山展望台
・ローズガーデンクライスト教会
だそうだ。

こちらは「誓いの鐘」。
DSC_9429_20190620051016d36.jpg

ステンドグラス。
DSC_9440_20190620050923315.jpg

私はむしろ展望の方に関心がある。早速、登ってみた。
DSC_9430_20190620051018db7.jpg

漁港に接して海水浴場の厚田海浜プール。
DSC_9431_20190620050943502.jpg

厚田市街。
DSC_9432_20190620050944431.jpg

それらを広角で。
DSC_8698_201906200512319df.jpg

赤い屋根の寺院が見える。
DSC_9434_20190620050947932.jpg

台地状になっている厚田の海岸線。
DSC_9433_20190620050946771.jpg

展望台の床には、方位指示盤が埋め込まれていた。
DSC_9435_201906200509490e6.jpg

ローマまで9000kmもある。
DSC_8700_20190620051233ee2.jpg

そして東の方角に見える山並み。
DSC_9436_20190620050917958.jpg

これは北の方角。中央は安瀬山(654m)だろうか。
DSC_9437_20190620050918c26.jpg

浜益方面の海岸線。
DSC_9438_20190620050920860.jpg

ここは日本海に沈む夕日の名所なのだが、まだちょっと時間が早いので、待たずに退散。
DSC_9439_2019062005092136e.jpg

次は、同じくあいろーどパーク内にある戸田生家を訪ねた。
DSC_9441_20190620050853a84.jpg

戸田とは創価学会を開いた戸田城聖のこと。
DSC_9442_20190620050854713.jpg
明治33年(1900年)に石川県で生まれ、3歳のとき、一家で厚田に移住してきた。
大正3年(1914年)に厚田尋常高等小学校を首席で卒業、向学心に燃えて上京したとのことである。
この建物は昭和53年(1978年)に移築復元されたものだそうだ。

戸田生家はちょっとした高台にあり、ここからの眺めもよい。
DSC_9443_2019062005085633e.jpg

道の駅もすぐ目の前に見える。
DSC_9444_201906200508575d7.jpg

高台の斜面には「厚田村百年」の記念碑が立っていた。
DSC_9446_2019062005085962f.jpg

というわけで、道の駅まで戻ってきた。
DSC_9448_20190620050830da5.jpg

ここは昨年4月にオープンしたばかりだ。
DSC_9449_20190620050831e4f.jpg

駐車場は200台も収容できるという。
DSC_9450_20190620050832394.jpg

案内板にあった厚田出身の偉人たち。
DSC_9451_2019062005083412f.jpg
子母澤寛しか知らなかった。

中に入ってみた。
DSC_9452_20190620050804ed6.jpg

壁に大きく石狩市内の観光案内がイラストで紹介されていた。
DSC_9453_20190620050806456.jpg
「いっぺかだれや はまます」は「いっぱい語れや 浜益」のことだろうが、「しぬたぷかのぽいやうんぺ」となるとさっぱり分からない。アイヌ語?

黄金山で見た花は、このオオアマドコロだった。
DSC_8702_20190620051235ac3.jpg

ヒメイチゲも咲いていた気がする。
DSC_8703_20190620051237c43.jpg

自然・歴史展示コーナーが思いのほか充実していた。
DSC_8708_20190620051208a79.jpg

さっきの案内板に登場した作家の子母澤寛や画家の三岸好太郎、戸田城聖、第43代横綱吉葉山らが紹介されている。
DSC_8709_201906200512104be.jpg
DSC_8710_20190620051211a41.jpg
DSC_8711_201906200512126f0.jpg
DSC_8732_2019062005110293c.jpg

これらは子母澤寛の作品群。
DSC_8713_2019062005121458e.jpg
DSC_8718_20190620051147588.jpg
DSC_8720_20190620051148382.jpg

今回、見学を省略したはまます郷土資料館。いずれ機会があったら行ってみよう。
DSC_8715_2019062005114516f.jpg

佐藤松太郎は文久3年(1863年)に厚田郡安瀬で生まれた漁業家。
DSC_8721_201906200511508bd.jpg

大正7年の「漁業家番付」で西の横綱になっている。
北前船で大いに儲けたわけだ。
DSC_8722_2019062005115107a.jpg

展示の人形も手が込んでいる。
DSC_8723_20190620051124740.jpg
DSC_8724_20190620051125e98.jpg

文化財としては、古潭龍澤寺の鰐口。寛政年間の銘があるという。
DSC_8725_20190620051127860.jpg

アイヌ語地名の解説も。
DSC_8728_20190620051128413.jpg
厚田の由来は、アイヌの着物「アツシ」の材料になるオヒョウニレの樹皮「アッ」を語源とする説のほか諸説あるという。

濃昼山道や増毛山道もいずれ行かなくては。
DSC_8729_20190620051130ac1.jpg
DSC_8730_20190620051100707.jpg

18時を過ぎても、まだ閉館する気配がないので、スタッフの方に聞いてみたら、なんと館自体は19時まで営業しているのだとか。
札幌近郊とは言え、よく頑張っている。
DSC_8733_20190620051103747.jpg

ただし飲食店は早めに閉店するようだ。
DSC_8734_20190620051105397.jpg

売店は19時まで。
DSC_8735_201906200511069d6.jpg

道路を渡って、海岸の方に行ってみた。
「あいロード夕日の丘」の石碑がある。
DSC_9454_20190620050807899.jpg

そして、「漁師の礎 海難慰霊碑」。
DSC_9457_201906200507413f0.jpg

厚田海浜プール。
DSC_9455_201906200508083dc.jpg

石狩湾をはさんで対岸に見えるのは、小樽の塩谷丸山(左、629m)と赤岩山(右、371m)だろう。
DSC_9456_20190620050810916.jpg

では、そろそろ帰りましょう。
DSC_9458_20190620050743a6b.jpg

また、時間があるときにじっくり楽しみたい道の駅だった。
DSC_9459_20190620050743890.jpg

さあ、一路札幌へ。
DSC_8737_20190620051036c2c.jpg

厚田区の聚富(しっぷ)のあたりで、夕日を浴びた札幌のビル群が恵庭岳を背景に浮かび上がったので、思わず車を停めて撮影。
DSC_9460_20190620050745c10.jpg

ちょっと幻想的な眺めだった。
DSC_9461_20190620050746c99.jpg

札幌駅前にある職場に着いたのは19:20頃。
確認事項があったので、それだけ済ませて、駅地下アピアの「よし乃」で味噌ラーメンの夕食。
DSC_8738_20190620051037add.jpg
黄金山のようなもやしの盛りで満腹になった。

(おわり)
スポンサーサイト



このページのトップへ

浜益・厚田(上)

【2019年6月1日(土)】浜益・厚田
浜益富士と呼ばれる黄金山(739m)から下山し、浜益温泉で汗を流した。
これから札幌に向かうのだが、まだ日が高いし、あちこち寄り道しながら帰ることにする。
DSC_9358_20190619034716209.jpg

まず、国史跡の荘内藩ハママシケ陣屋跡に行こうとして目に飛び込んできたのが、廃校舎。
DSC_9359_2019061903471704b.jpg

「ありがとう 川下校舎」とある。
DSC_9360_2019061903471927c.jpg

昇降口の前まで行ってみたが、もともとの校名がよく分からない。
調べてみたら、ここは浜益中学校だったのだそうだ。
少し北の浜益地区にあった浜益高校が廃校になったため、2011年8月にそちらに移転したらしい。
DSC_9361_20190619034721ddb.jpg

グラウンドは草原のようになっていた。
DSC_9362_201906190346284ca.jpg

今のところ、とくに再利用はされていない雰囲気だ。
DSC_9363_20190619034629e53.jpg

それはともかく、なかなか陣屋跡が見つからない。
DSC_9364_20190619034631dde.jpg

お寺っぽい建物が見えたので来てみたが、ここにも名称の看板が掲げられていない。
DSC_9367_20190619034605d8c.jpg

馬頭観世音の石碑と高橋亀六さん、由蔵さんのお墓(文久3年)が境内にひっそりと立っていた。
DSC_9365_2019061903463446c.jpg
DSC_9366_20190619034634bbb.jpg

観光パンフレットの地図ではどうも正確な位置が分からない。
神社の奥にあるらしいのだが。
とにかく川下地区の市街地まで戻ってきた。
DSC_9368_20190619034608cdb.jpg

地元の人に聞いて、やっと目印の川下八幡神社にたどり着いた。
DSC_9385_20190619034455897.jpg

車は鳥居の前に停めて、あとは歩く。
DSC_9369_201906190346082df.jpg

立派な手水鉢があったが
DSC_9371_2019061903461162a.jpg

参拝はとりあえず後回し。
DSC_9370_201906190346104ec.jpg

陣屋跡までは、ここから80mだ。
DSC_9372_20190619034542a73.jpg

背後に乳首のような山が見えたが、同定不能。
DSC_9373_201906190345441cd.jpg

海沿い南方に見えた岩はタラマと呼ばれるあたりだろう。
DSC_9374_2019061903454582f.jpg

間もなく、陣屋跡の門に到着。
DSC_9376_20190619034547db5.jpg

陣屋に関する歴史は以下の通りである。
ロシアの南下により北方の緊張が高まった安政6年(1859年)、幕府は奥羽6藩に蝦夷地の警備を命じた。
DSC_9377_2019061903454889c.jpg

荘内藩(山形県)には西蝦夷地が割り当てられ、翌万延元年(1860年)、この地にハママシケ陣屋が設置された。
DSC_9378_20190619034518585.jpg

山肌を削って平地を造成し、奉行長屋、神社、土蔵、湯屋などが建てられた。
DSC_9380_20190619034521f81.jpg

その造成跡は今も地形によく残っている。
DSC_9379_20190619034520466.jpg
DSC_9381_2019061903452487c.jpg

それぞれの遺構への遊歩道があるようだが、時間がかかりそうなので省略。
DSC_9382_20190619034524964.jpg

慶応4年(1868年)の戊辰戦争により、藩士たちは引き上げたという。
DSC_9383_2019061903445239f.jpg

帰りに、無事下山のお礼参りをさせていただいた。
DSC_9384_20190619034454bcf.jpg

次は、浜益地区にある岡島洞窟遺跡へ。
その途中、国道231号の旧道があったので立ち寄る。
DSC_9386_201906190344574e9.jpg

ちょうど、地元の方が草刈りをしていた。
DSC_9387_20190619034458a08.jpg

すぐ先に浜益覆道が見える。
DSC_9388_20190619034315121.jpg

目の前は日本海だ。
DSC_9389_20190619034317812.jpg

南側は浜益海浜公園の砂浜。
DSC_9390_2019061903431882d.jpg

アザラシのように見えるのは消波ブロックである。
DSC_9391_201906190343208fb.jpg

一応、旧道には通行止めの柵があった。
DSC_9392_201906190343213ad.jpg

覆道を通って、浜益地区に到着。きれいな民宿海幸が国道沿いに建っていた。
DSC_9393_2019061903424804e.jpg

海水浴や釣りのお客さんが泊まるのだろうか。
DSC_9394_20190619034250530.jpg

国道の海岸沿いのスペースでは毎週日曜日に「浜益ふるさと市場」が開かれるらしい。
でも日付が入っていないということは、もうやっていないのか。
DSC_9395_2019061903425196d.jpg

広場の隅に「浜益村百年」の記念碑。
DSC_9396_201906190342539b0.jpg

ここは当初ハママシケと呼ばれていたが、明治2年(1869年)に「浜益」と改められたそうである。
DSC_9398_20190619034223e7b.jpg

鰊御殿の旧白鳥家を利用した「はまます郷土資料館」は時間の都合により割愛。
DSC_9397_201906190342543ca.jpg

民宿の裏手に岡島洞窟遺跡らしき岩穴はあったが
DSC_9400_20190619034226f6c.jpg

崩落の危険ありとのことで立入禁止だった。
DSC_9399_20190619034225fc4.jpg

ついでに、浜益地区をしばし散策する。
こちらは廃ガソリンスタンド。
DSC_9401_20190619034228007.jpg

手作りパンの民宿おおはし。
DSC_9402_20190619034229f36.jpg

石狩市役所浜益支所。
DSC_9404_20190619034200303.jpg

1994年に新築された際の記念碑には合併前の「浜益村」の名が刻まれていた。
DSC_9403_20190619034159fee.jpg

合併しても、支所から石狩市役所まで60kmもある。大変だ。
DSC_9405_20190619034201fd7.jpg

人口2000人(当時)程度の村の役場にしては、ちょっと立派すぎるかもしれない。
DSC_9406_20190619034203aa7.jpg

どんどん奥へと入っていく。旅館浜益荘。
DSC_9407_20190619034204ea7.jpg

レトロな雰囲気のマルハチ醤油店。
DSC_9408_20190619034135347.jpg

移転してきた浜益中学校。
DSC_9410_20190619034138eb6.jpg

もともと浜益高校だった校舎だ。
DSC_9409_201906190341372c8.jpg

当初は村立の高校だったが、1982年に道立に移管。2011年3月に廃校となった。
DSC_9416_20190619034114d1d.jpg

となりにお寺があった。
DSC_9411_201906190341401e5.jpg

なかなか立派な六脚門だ。
DSC_9417_20190619034116b27.jpg

でも、寺の名前はここも表示がないので不明。
DSC_9412_20190619034141cfb.jpg

境内に開基百年の碑があった。
DSC_9415_20190619034112a7e.jpg

寺務所兼住職さんのご自宅だろう。
DSC_9413_20190619034109478.jpg

ほかにも石碑がいくつか。
DSC_9414_20190619034111edd.jpg

国道に戻って、沿岸バスの浜益バス停前を通過。
DSC_9418_20190619034041acd.jpg

さっきの旧道にお堂があったので、もう1回立ち寄った。
DSC_9419_20190619034043425.jpg

もう草刈りは終了したようだ。
DSC_9420_20190619034044e22.jpg

川下地区を南下して浜益川を渡ると柏木地区。
浜益小学校はこの地区にある。この日は運動会が行われていた。
敷地内には開校百年記念碑。
DSC_9421_201906190340466f5.jpg

二妙慶福之碑なる石碑が隣にあった。
DSC_9422_2019061903404788c.jpg

お腹が空いたので、コンビニでモナ王を購入。
DSC_8697_201906190347144b8.jpg
食べながら、厚田へと南下した。

(つづく)
このページのトップへ

襟裳岬(4)

【2019年5月1日(水)】襟裳岬
襟裳岬の観光を午前中に終え、天馬街道経由で十勝に入ってきた。
海岸沿いの湖沼群に向かう途中、十勝開拓の先陣を切った晩成社の遺跡があることを標識で知り、やってきた。
DSC_7901_20190604053127d7e.jpg

ここで、晩成社は帯広からここ大樹に移転してきて、開拓に挑んだようだ。
DSC_7903_20190604053058bd2.jpg

今もサイロ跡や晩成社の代表だった依田勉三の旧宅(復元)などが残されている。
DSC_7897_201906040531211a1.jpg

この穴がサイロの跡。
DSC_7899_20190604053124d2d.jpg

明治38年(1905年)に造られた道内最古の地上式コンクリートサイロだったそうだ。
DSC_7900_201906040531250c9.jpg

明治末の最盛期には牛200頭、馬130頭を飼育していたらしい。
DSC_7910_20190604053038352.jpg

こちらは勉三の歌碑。
DSC_7898_2019060405312284a.jpg
「ますらおが心定めし北の海 風吹かばふけ浪立たば立て」
開拓という困難に立ち向かう覚悟がよく表れている。

依田勉三の旧宅を10分の1に縮小した模型。芳名帳が入っていた。
DSC_7902_201906040530574f4.jpg

小高い盛土の上には石碑が並んでいる。
DSC_7921_2019060405294381e.jpg

左端にあるのが「もみじひら」の歌碑。
DSC_7904_20190604053100e32.jpg

裏に「ふみまなぶ学びの子らがうえおきし 園生のもみじにほいそめけり」と刻まれている。
DSC_7905_20190604053101b38.jpg

晩成社が下帯広(現在の帯広市内)から移転してきたのは明治19年(1886年)。
もみじの美しい理想郷につくろうと「もみじひら」と名付けたとされる。
明治43年(1910年)に勉三は、もみじを植え、4年後の秋に、見事に染まったもみじを見て思わず詠んだ歌だそうだ。
DSC_7912_20190604053009877.jpg

その隣は「祭牛の霊」碑。
DSC_7906_2019060405310300e.jpg

冬に家畜の飼料が足りなくなり、多くの牛馬を死なせてしまったことを悔やんで建てた碑である(1890年建立)。
その顛末が裏面に詳しく記されている。
DSC_7907_20190604053033de9.jpg

右端は、佐藤米吉の墓。
DSC_7908_20190604053035dd9.jpg

米吉は秋田県の出身で、晩成社で働いていた。木の伐採中、誤って木の下敷きとなり瀕死の状態となったが、医者が来てくれず、周囲の看病の甲斐もなく6日後には亡くなってしまったという。明治23年3月のことであった。
DSC_7909_20190604053036a11.jpg

様々な困苦に襲われたことが、これらを見るだけでもよく理解できる。
DSC_7911_20190604053039766.jpg

100mほど離れたところに、物置小屋のような建物があった。
DSC_7913_201906040530114e5.jpg

復元した依田勉三の旧宅である。
DSC_7914_2019060405301367f.jpg

この建物は明治26年(1893年)夏に建てられたもので、勉三は大正4年(1915年)春まで22年にわたり、ここに住んでいたという。
DSC_7915_2019060405301453b.jpg

規模は桁行3間、梁間2間。6坪ほどの実に質素な家だ。
DSC_7918_20190604052940af0.jpg

中は3分割され、居間と土間、風呂・物置という間取りになっていた。
DSC_7917_201906040530159e7.jpg

近くには、野菜などを保管したと思われる室の跡もあった。
DSC_7920_201906040529423f8.jpg

案内板が1枚、うつぶせに倒れていたので、文面が読めるよう引き起こして、仰向けにしてあげた。
DSC_7922_20190604052944afa.jpg

そこには「晩成社と大樹」というタイトルで、晩成社の歴史が記されていた。
これを写真に撮って、見学は終了。一路、道の駅忠類に向かう。
到着したのは18時過ぎ。
ここで車中泊の予定なので、まずは寝床をしつらえる。
準備が整ったところで、トイレ。もうすっかり薄暗くなっていた。
DSC_7923_20190604052946dd8.jpg

ここ幕別町は忠類村と合併して、パークゴルフとナウマン象の町になった。
DSC_7924_201906040529125eb.jpg

では、いそいそとナウマン温泉へ。
DSC_7925_20190604052914c8a.jpg

ここは宿泊もできる「十勝ナウマン温泉ホテルアルコ」である。
DSC_7926_201906040529161b4.jpg

幕別町応援大使(2016年度)の大谷翔平が迎えてくれた。
DSC_7927_20190604052917e1f.jpg

考えてみれば10連休に入って5日目だが、毎日温泉に入っている。
DSC_7928_201906040529197ea.jpg

ここはアルカリ性単純温泉(アルカリ性低張性低温泉)、旧泉質名は単純温泉である。
源泉の温度は25℃、ph値は9.6で、かなりの美肌の湯である。
入浴者がたくさんおり、さすがに浴室内の撮影は困難だったが、お蔭さまで長距離運転の疲れを癒すことができた。
DSC_7932_20190604052849b8d.jpg

食事はホテルアルコのレストランで。
風呂上がりなので、まずは生ビールで乾杯。
DSC_7933_2019060405285031f.jpg

オーダーしたのは、麻婆焼きそばである。
DSC_7934_20190604052852914.jpg
名産のゆり根がたくさん入っていて美味しかった。

満腹になって外にでると、ネオンが光っていた。
DSC_7936_2019060405285458a.jpg

寝床は寝袋ではなく、しっかりと布団。
DSC_7939_20190604052820b4c.jpg

時刻はまだ21時だが、もう眠くなってしまった。
それでは、また明日。おやすみなさい。
DSC_7938_201906040528182bd.jpg

(根室本線につづく)

このページのトップへ

襟裳岬(3)

【2019年5月1日(水)】襟裳岬
ハート形の湖として有名になった豊似湖を後にして駐車場まで戻ってきた。
DSC_7829_20190601064107560.jpg

降り続く雨の中、ダートの道を下っていく。
DSC_7830_20190601064108e18.jpg

雨のせいで、小さな沢が真っ白になるくらいの激流になっている。
DSC_7831_20190601064110908.jpg

猿留川の本流も決壊しそうな水量だ。
DSC_7833_201906010641137dc.jpg

でも、ヤマザクラが満開だった。
DSC_7832_20190601064111df9.jpg

国道336号に出て右折、広尾に向かおうとすると、なんと大雨のため通行止め。
DSC_7834_2019060106404396e.jpg
「これより11.6km区間、異常気象時には通行止になります」とは書かれているが、ただ普通の雨が降っているだけなのに。
こうなったら、雨が止まない限り、通行止めは解除にならないだろう。
全く想定していなかったが、是非もない。
浦河まで戻り、山越えで大樹町に出るしかない。65kmほどの遠回りになる。
黄金道路を走りたかったが、これで国道236号の天馬峠を初めて走ることができるいい機会と思い直して引き返すことにした。

さっき南側が封鎖されていた旧道を北側から入ると、途中で「関係者以外通行止め」というゲートになったので、ここも断念。
DSC_7835_20190601064045d3d.jpg
いずれ、自転車で来る機会があったら走ってみよう。

お昼は、えりも町の国道336号沿いにあるラーメン百番にした。
いつの間にか、もう時刻は13時半だ。
DSC_7836_20190601064046d05.jpg

選んだのは定番のみそ。十分美味しかった。
DSC_7837_20190601064048882.jpg

このお店の間取りはV字形のちょっと変わった構造になっている。
DSC_7839_20190601064049774.jpg
厨房をはさんだ向こう側にはテーブル席があった。

外観はこんな感じ。
DSC_7840_20190601064019947.jpg

なぜか店名の表示がなくなっていた。これからかけ直すのだろうか。
DSC_7841_20190601064020cb9.jpg

向かいにあった新浜のバス停。
DSC_7842_20190601064022926.jpg

えりも町のマンホールは黄金道路とゼニガタアザラシだった。
DSC_7843_2019060106402402b.jpg

浦河で給油し、国道236号へ入る。
236号はかつて帯広からえりも町を経由して浦河に至る国道だったが、浦河と広尾を山越えで結ぶ天馬街道が1997年に開通すると、こちらが国道236号となり、えりも町経由の旧236号は336号に格下げされてしまった。
天馬街道は開通以来初めて通ることになる。
DSC_7844_20190601064025cb9.jpg

翠明橋の手前にパーキングがあったので撮影のため停車。
DSC_7845_201906010639505f9.jpg

公園化されていた。
DSC_7846_2019060106395220a.jpg
峠は4232mに及ぶ野塚トンネル。
これを抜けると十勝平野へと下っていく。日高山脈の東側は雨が止んでいた。
途中、十勝の政治家、中川一郎生誕の地みたいな石碑が見えたが、通過してしまった。

国道336号とぶつかる豊似の集落に着いたのはもう16時前。
かなりいい時間だ。
あれ、これって広尾線の駅の跡?と思って立ち寄ってみたら、老人寿の家という標札が出ていた。
DSC_7848_20190601063955253.jpg

この記念碑(寿の会創立二十周年記念)を鉄道記念碑かと思って吸い込まれたのだが、よく見ると駅舎としては、ちょっとおかしい建物だった。
DSC_7847_2019060106395415a.jpg

ここから再び国道336号に入り、海沿いにある湖沼群を見にいく。
十勝川河口の南に点在する湖沼はどれも未だ行ったことがなく、この機会に見ておきたかったのだ。
その道中、ナウマン発掘跡地なる案内板を発見したので、そっちにも寄ってみた。
DSC_7849_201906010639579c4.jpg

幕別町に吸収合併された忠類村はナウマン象発掘の地として知られた村だった。
DSC_7853_20190601063931f4f.jpg

発掘が行われたのは1970年というから、そう古いことではない。
と言っても、来年で50周年ということになる。
DSC_7852_20190601063930d98.jpg

全体の80%の骨格が発見されたそうで、その産状が復元されていた。
DSC_7851_2019060106392842b.jpg

この発掘にたずさわった忠類村企画室長池守清吉氏が詠んだ「きさの歌」の歌碑が建立されていた。
DSC_7850_2019060106392703d.jpg
「とほつよ(遠代)のあやめのいけのみなそこの きさ(象)のむくろにつどうひとびと」
「世紀の発掘」と呼ばれた発掘には1週間で6000人もの見学者が詰めかけたそうだ。

発掘のきっかけになったのは、前年(1969年)の道路工事中に発見された化石だったそうである。
DSC_7856_2019060106393330f.jpg

発掘跡地の全景。
DSC_7858_20190601063858a7c.jpg
道路の反対側(手前)が駐車場になっており、そこに大阪の堺ナンバーの車が来ていた。
熟年夫婦が簡易イスを出して、コーヒーを飲んでいた。
フェリーで渡ってきて北海道一周を楽しんでいるのだろう。
こんなマイナーなところに来るということは、もう何度も北海道には来ているベテランなのかもしれない。

当方はそんな時間のゆとりはないので先を急ぐ。
晩成温泉の前を通過して、まずは最も南にある小さな湖、ホロカヤントーへ。
ここではワカサギは釣れるらしく、釣り人用と思われる広い駐車場があった。
DSC_7859_201906010638591ac.jpg

駐車場から湖に向かう道すがら、古代の竪穴住居が復元されていた。
DSC_7860_20190601063901d5c.jpg

十勝ホロカヤントー竪穴群という擦文時代の遺跡のようだ。
DSC_7861_2019060106390291b.jpg

炉の跡がないことから、「漁期のみに住んだ夏の家であった」そうだが、炊事のために夏だって炉は必要だろう。
DSC_7862_2019060106390411c.jpg

発掘調査は1961年に大場利夫・北大医学部教授と大樹高校の生徒らによって行われたとのこと。
DSC_7863_201906010638353a8.jpg

この遺跡は南北2kmにわたって百数十の竪穴住居が密集しているらしい。
DSC_7865_2019060106383849f.jpg

写真では分かりにくいが、これら凹みも竪穴住居の跡。
DSC_7866_201906010638394c9.jpg
DSC_7867_20190601063841c7d.jpg

ちょっと色の濃くなっている部分が凹みで、みな住居の跡である。
DSC_7868_2019060106381321f.jpg

凹みの中に木片が落ちているのは、もともと何か復元してあったのか、それとも飛んできたものなのか、北海道はときに推測の及ばないことが起こるので、本当に難しい。
DSC_7869_201906010638141bb.jpg

道指定の史跡である。
DSC_7874_20190601063749845.jpg

もう、すぐそこが太平洋。
DSC_7864_20190601063836bee.jpg

その右手に、ホロカヤントーが見えてきた。
DSC_7870_201906010638163f1.jpg

ホロカヤントーで検索すると、ワカサギ釣りばかりヒットする。
湖面が凍結する冬期は随分賑わうのだろう。
DSC_7871_20190601063817066.jpg

湖と海を隔てる砂洲。
DSC_7872_20190601063819d32.jpg

せっかくなので下まで下りてみた。
DSC_7875_20190601063751a23.jpg

海岸近くは随分浅い。
DSC_7876_20190601063752106.jpg

波ひとつなく、実に静かである。
DSC_7877_201906010637539b4.jpg

流木。擦文時代の人々はこれらを燃料に使っていたのかもしれない。
DSC_7878_20190601063755b5a.jpg

海は波が荒く、ちょっと怖かった。
DSC_7879_201906010637218e7.jpg

というわけで見学終了。雨が止んでいて助かった。
DSC_7880_20190601063723292.jpg

今夜はナウマン温泉に泊まる(車中泊)予定なので、晩成温泉は外観の見学のみ。
DSC_7881_20190601063724f77.jpg

ここはヨウ素の含有量が異常に高いことで知られる温泉で、いずれ入りに来たいと思っている。
DSC_7882_20190601063725510.jpg

実は今回、素泊まりの施設であるこの「晩成の宿」に泊まることも検討したのだが、食事の心配があったので止めたのであった。
でも、晩成温泉で食べるという手があった。思い付かなかった。
DSC_7883_20190601063727869.jpg

次は生花苗沼へ。
DSC_7884_20190601063657f9d.jpg

これで「おいかまない」と読む。かなりの難読だ。
DSC_7886_20190601063700319.jpg

駐車場に車を停めて、湖岸まで歩く。
DSC_7885_20190601063659136.jpg

もう5月だというのに、木々はまだ冬枯れの状態のままだ。
DSC_7887_20190601063702e6e.jpg

200mほど歩くと、野鳥観察施設が見えてきた。
DSC_7888_20190601063703797.jpg

このあたりでは、タンチョウやオオハクチョウ、オオワシなどが見られるらしい。
DSC_7889_2019060106363477d.jpg

でも、会えたのは、おがったフキノトウだけだった。
DSC_7890_20190601063634827.jpg

湖岸へ向かう。静かな絵になる風景だ。
DSC_7891_201906010636365de.jpg

こちらは多少広いだけに、幾分波が立っていた。
DSC_7892_2019060106363786d.jpg

波打ち際のこの白い泡は何だろう。
DSC_7893_20190601063639346.jpg

汽水湖でシジミが採れるらしい。
DSC_7894_20190601063609094.jpg

かつてはトヨタ自動車が雪上・氷上試験場として使っていたそうだ。
DSC_7895_20190601063612a23.jpg

成因は海の後退による海跡湖である。
DSC_7896_201906010636129ab.jpg

最後に、十勝開拓の祖、依田勉三による晩成社の遺跡に立ち寄った。
DSC_7897_201906010636141c9.jpg

(つづく)
このページのトップへ

襟裳岬(2)

【2019年5月1日(水)】襟裳岬
令和の初日、襟裳岬の遊歩道を一周し、「風の館」に入館した。
DSC_7792_2019053121301018c.jpg

館内に展示されていた古い写真を見て、びっくり。
DSC_7727_201905312134335b5.jpg

さっき歩いてきた海岸あたりから岩礁へ、橋が架かっているではないか。
DSC_7728_20190531213434724.jpg

解説パネルにいつ頃の写真なのか書かれていないが、おそらく昭和30~40年代だろう。
DSC_7730_20190531213437f85.jpg

さっき、注意深く観察していたら、遺構を発見できたかもしれない。ちょっと残念。
DSC_7729_20190531213436799.jpg

こんな写真もあった。男の方は舟木一夫っぽいが、女性は誰だろう。
DSC_7731_20190531213439707.jpg

あれれ、またまた「青春★こんぶ」の少女たち。
DSC_7732_20190531213409be8.jpg

この新聞記事によると、この萌えキャラは若者の観光客誘致のためのプロジェクトで、さっき通りかかった「さんすいかく」のご主人たちが始めた企画のようだ。
美少女2人は地元の中学2年生で、民宿の一人娘千島霧夏ちゃんと、漁師の次女、岬襟萌(えりも)ちゃんという設定らしい。
DSC_7734_20190531213412953.jpg

それはいいのだが、これはさすがにやり過ぎでは?
DSC_7733_20190531213410eba.jpg

移動して、アザラシのコーナーへ。
DSC_7735_201905312134132a3.jpg

アザラシは海産物を食い荒らすので、漁業関係者にとっては実は厄介者なのだが、なんとか共生を図っていきたいとの意思が示されていた。
DSC_7736_201905312134154c0.jpg

これがその惨状。アザラシが定置網にかかったサケを食べてしまうこともあるらしい。
DSC_7737_20190531213344e4b.jpg

ゼニガタアザラシは体長2m、体重は190kgにも達するのだとか。
DSC_7739_20190531213346106.jpg

展望室に行ってみたが、依然としてご覧の通り。
DSC_7744_20190531213347b5c.jpg

襟裳岬沖は暖流(黒潮)と寒流(親潮)がぶつかるので霧が5~8月は霧が発生しやすいのだそうだ。
DSC_7753_20190531213323aad.jpg

顔ハメで我慢しておこう。
DSC_7752_20190531213321ac1.jpg

一応、両方とも。
DSC_7745_20190531213349034.jpg
DSC_7747_201905312133502cb.jpg

背中にも乗ってみました。
DSC_7751_20190531213320a18.jpg

上皇さまが当地を訪ねられた際の御製。展望台にあった石碑に刻まれていた歌だ。
DSC_7754_201905312133247bb.jpg

ご訪問は2006年9月8日のことだったようだ。
DSC_7755_20190531213326efd.jpg

展示されていたゼニガタアザラシの写真を2枚だけ紹介する。
決して、私が写したものではありません。
DSC_7756_20190531213253400.jpg
DSC_7757_20190531213255128.jpg
なかなか、かわいいではないか。会いたかったなあ。

これは地元の方が制作したアートかな。
DSC_7758_20190531213256609.jpg
DSC_7759_2019053121325827f.jpg

いきなり森進一。歌碑の除幕式のようだ。
DSC_7760_20190531213259638.jpg

ひと通り館内を見学したので、最後に風速25mを体験する。
DSC_7764_201905312132191f4.jpg

こんな顔をしているが、実は登山の時にこの程度の風は何度も体験しており、驚くほどではなかった。
DSC_7763_20190531213217f6c.jpg

これまた、一部から批判が巻き起こりそうなイラスト。
でも、ここにあるということは、とくに問題視されていないのだろう。
DSC_7767_20190531213221537.jpg

私もあまりうるさいことは言わないつもりだ。
DSC_7766_20190531213220ea0.jpg

長い廊下をつたって外に出る。
DSC_7770_20190531213223f7c.jpg

駐車場からまっすぐ来ると、ここから入る形になるようだ。
DSC_7771_20190531213151c72.jpg

ここは日高山脈襟裳国定公園である。
DSC_7772_201905312131528d8.jpg

というわけで、館外に出てきた。
DSC_7773_201905312131548ec.jpg

「テレビで紹介された」ことをやけに強調している海鮮市場を冷かす。
DSC_7774_201905312131551bd.jpg

「井寒台産」の日高昆布は特上品。
DSC_7775_20190531213157b0c.jpg

90g入りで1280円。それほどバカ高くはない。
DSC_7776_20190531213124fba.jpg

北海道方言の日本酒。
DSC_7777_20190531213125f2e.jpg

えりも産タラバ1杯1万7000円!
DSC_7778_201905312131279fd.jpg

特大毛ガニは1杯1万500円。
DSC_7780_20190531213130054.jpg

アサリやつぶ貝。
DSC_7779_20190531213128eac.jpg

新鮮な海鮮丼が食べられそうだが、まだ昼食にはちょっと早い。
DSC_7781_20190531213059fd7.jpg

店内には「襟裳寿し」も営業していた。
DSC_7782_20190531213101b60.jpg

こちらは健康に良さそうな茎昆布粉末。
DSC_7783_20190531213102614.jpg

ではそろそろ出発しましょう。
この雨ではもう猿留山道を歩くのは無理なので、車で豊似湖まで直接行くことにする。
DSC_7784_201905312131042eb.jpg
遊覧ヘリにはもともと乗る気はないが、紅葉シーズンしか運行しないようだ。

百人浜(見えないけど)を右手に北上、国道336号と合流すると、黄金道路の石碑を発見したので、車を停めた。
DSC_7785_2019053121310503f.jpg

この海岸も景勝の地だが、相変わらずの濃霧だ。
DSC_7786_20190531213033de7.jpg

新しいトンネルの旧道などを通りながら、さらに北上し、目黒という集落で左折、山の中へと分け入っていく。
豊似湖がハート形の湖ということで話題になって、訪れる観光客も増えたのだろう。
道はかなり奥まで舗装されていた。
しかし、確かこのあたりからはダートになった気がする。
DSC_7787_20190531213034d3c.jpg
石屋製菓がからんでいるのか「白い恋人の湖」ということになっている。

しばらく進むと二股に目印になる一本松があった。
DSC_7788_201905312130367d4.jpg

この先は猿留川林道ということになる。
DSC_7789_201905312130370ad.jpg

あと2.5km。舗装道路ならすぐだが、悪路だと案外長い。
DSC_7790_20190531213039519.jpg

昨日からの雨と雪解け水のせいで、猿留川は激流になっていた。
DSC_7791_2019053121300826b.jpg

12:17、豊似湖の駐車場に到着。
DSC_7793_20190531213011e94.jpg

立派なトイレが設置されていたので、利用させていただいた。
DSC_7794_20190531213012f2e.jpg

猿留山道に行くわけではないので、入林届はパス。
DSC_7795_20190531213014cc5.jpg

湖を一周する道もあるらしい。
DSC_7796_20190531212943f4c.jpg

かわいい案内板も設置されていた。
DSC_7797_201905312129455d6.jpg

湖までは、ここから200mほど。
DSC_7798_20190531212947458.jpg

雨がしとしと降っているので、雨具に加えて傘も差して歩いた。
DSC_7799_201905312129483ae.jpg

遊歩道はわりとしっかりしていた。
DSC_7800_20190531212949618.jpg

ここはナキウサギの生息地だそうだが、岩が多く、なるほどそんな雰囲気だ。
DSC_7801_20190531212847581.jpg

駐車場から5分もかからずに湖に到着した。
DSC_7802_2019053121284905e.jpg

ハート形の湖名板。
DSC_7803_20190531212850b51.jpg

外国人観光客も多いのだろう。
DSC_7805_20190531212852718.jpg

空から見ないと、豊似湖の形はよく分からないが、ハート形だと思ってみると、そんなふうに見えてくる。
DSC_7809_20190531212853ecc.jpg

ハート形の左半分。
DSC_7810_201905312128224c3.jpg

右半分。
DSC_7811_20190531212824553.jpg

雨がかなり激しく降ってきた。
DSC_7813_201905312128276e1.jpg

ナキウサギは姿どころか、声すら聞くことができなかった。
DSC_7814_201905312128282ce.jpg

中央のちょっと黒く見えるあたりが、ハート形のくびれた部分に当たる。
DSC_7816_20190531212756db7.jpg

ガスがかかって、ちょっと幽玄な雰囲気。
DSC_7817_20190531212757f1f.jpg

中途半端に曇っているより、この方がずっとよかった。
DSC_7818_201905312127594ad.jpg

雨が降っていなければ、湖を1周してもよかったのだが、今回はやはり無理だ。
DSC_7819_20190531212800139.jpg

はやりの観光地なのに、結局、私が滞在している間には他に誰も来なかった。
DSC_7820_20190531212802a99.jpg

帰り道では、植物を観察。
DSC_7823_201905312127349c8.jpg

これは何という花だっけ。
DSC_7822_2019053121273352b.jpg

すっかり雨に濡れていた。
DSC_7821_20190531212731502.jpg

霧の日が多いのか、どの岩もコケで覆われている。
DSC_7824_20190531212735d1a.jpg
DSC_7826_20190531212708640.jpg

倒木もコケで緑色になっていた。
DSC_7825_20190531212737d5b.jpg

これはもしかしてブナだろうか。ここは、あっても不思議はない緯度だ。
DSC_7827_2019053121271163a.jpg

ピーナッツ。
DSC_7828_20190531212711628.jpg

(つづく)
このページのトップへ

プロフィール

かたこりまさかり

Author:かたこりまさかり
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (4)
北海道の山 (523)
東北の山 (75)
上信越の山 (147)
奥多摩の山 (58)
丹沢の山 (55)
奥秩父の山 (83)
栃木の山 (32)
房総・常陸の山 (9)
奥武蔵・秩父の山 (87)
中央線沿線の山 (100)
富士山周辺の山 (68)
八ヶ岳周辺の山 (53)
南アルプス (101)
史跡歩き (12)
中央アルプス (28)
北アルプス (61)
日本海の山 (8)
関西の山 (30)
四国九州の山 (61)
駅舎の旅 (96)
ドライブ (50)
廃線の旅 (46)
駅から散歩 (39)
乗り鉄 (51)
島の旅 (19)
山村の旅 (7)
超低山 (33)
東海の山 (5)
つぶやき (38)
旧道歩き (59)
伊豆の山 (39)
サイクリング (3)
ハイキング (17)
温泉旅行 (16)
ランニング (1)
観光 (3)
お遍路 (37)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR