山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

白老(下)

【2018年6月19日(火)】白老
出張で白老に来ている。
こちらは2年前に移転した白老小学校の旧校舎。
CIMG9516_20180703213532c1f.jpg

白老駅前にあった「屋根のない博物館」の案内図。
CIMG9524_201807032135342d9.jpg

駅前の観光案内所で場所を聞いて、高橋房次の胸像があるアイヌ記念公園を訪ねた。
CIMG9529_201807032144348fc.jpg

広い空地になっているが、ここが北海道庁立白老病院、すなわち房次が院長を務めた病院の跡地である。
CIMG9530_20180703213535439.jpg

白老病院は旧土人保護法に基づくアイヌのための病院で、房次はそこで親身な診療を生涯にわたって続けたので、「コタンのシュバイツァー」と呼ばれ、敬愛された。
CIMG9531_201807032135376b4.jpg

その地にアイヌ碑が建立されている。
CIMG9532_20180703213538ef6.jpg

碑文にも房次をたたえる一文が盛り込まれている。
CIMG9533_2018070321350874e.jpg

建立者の一人が、現在の北海道アイヌ協会理事長・加藤忠氏である。
CIMG9534_201807032135091e2.jpg

病院は平屋で建坪63坪と決して広くなかった。
CIMG9535_20180703213511a21.jpg

この石は当時の建物の基礎に使われていた一部だそうだ。
CIMG9536_201807032135127e8.jpg

旧土人保護法の改正で、白老病院が閉鎖されてからも、房次は病院施設を受け継いで、一町医者として生涯を貫いた。
CIMG9538_20180703213443f2d.jpg

そんな町の偉人なのに、鳥の糞の汚れくらい誰か拭いてあげればいいのに。
CIMG9537_20180703213514524.jpg

この胸像は房次が1960年に亡くなる前の年に作られのだそうだ。
CIMG9539_20180703213445f0a.jpg

実は、白老町教育委員会に「高橋房次さんについて聞きたいのですが」と電話をしたら、若い職員が出て、「え、誰ですか。タカハシ・・フサジ・・ですか」と全く知らない様子だった。
CIMG9540_20180703213446337.jpg
地元でも知らない人がいるのだろうか。
だとしたら悲しいことだし、ちゃんと伝える活動をしていくべきだろう。

この後、房次が昭和初期に拓殖医を務めていたという森野地区に向かった。
CIMG9542_20180703213447cec.jpg

白老の市街地から15km近く内陸に入った開拓地である。
診療所が併設されていたという森野小学校はすでに閉校し、宿泊型体験施設のふるさと体験館「森野」として利用されていたが、それも活動中止になっていた。
CIMG9561_201807032133030e0.jpg

関係者以外立ち入り禁止になっていたが、町の許可を得て敷地内に入らせてもらった。
CIMG9543_20180703213449e09.jpg

当時の面影を伝えている樹木。
CIMG9544_20180703213419c66.jpg

この建物は、房次が通っていた当時のものではない。
CIMG9545_20180703213420d8e.jpg

敷地の端にあった馬頭観世音。
CIMG9546_201807032134225ac.jpg

森野小中学校が閉校したのはわりと最近で2003年のこと。
CIMG9550_20180703213355b33.jpg

施設には「本日は終了しました」の札が掛けられていた。
CIMG9548_20180703213425b2a.jpg

今は単なるスキーの倉庫になっているようで、冬の歩くスキーの行事があるときにだけ使用しているようだ。
CIMG9549_20180703213353740.jpg

そのわずかな証拠がこれ。
CIMG9551_201807032133563bb.jpg

元グラウンドにはサッカーゴールが残されていた。
CIMG9552_20180703213358304.jpg

旧体育館かな。
CIMG9553_20180703213359dc4.jpg

旧教員住宅だろうか。
CIMG9554_20180703213327d64.jpg

木造の廃屋が3~4軒あった。
CIMG9555_201807032133290da.jpg

へき地校勤務も考えようによっては悪くないと思うが。
CIMG9556_20180703213330aca.jpg

自分が教師になっていたら(実際教職免許は持っている)、進んで離島とかに行った気がする。
CIMG9557_20180703213331e5e.jpg

ここは完全に廃村となっていた。
CIMG9558_20180703213333ca7.jpg

学校には町の心身障害児通園施設が併設されていた。
CIMG9559_20180703213300b9a.jpg

森野保健福祉館なる施設もあったようだ。
CIMG9560_20180703213301c88.jpg

さあ町に戻って、もうひと仕事。
ここは白老町役場。
CIMG9562_20180703213304876.jpg

駅前の大町商店街では、このユニークなスナックが目を引いた。
DSC_3383_201807032133066c4.jpg

でも、お目当ては隣の喫茶店。
DSC_3384_20180703213233460.jpg

ここで1時間ほど話し込んで、仕事は終了。
DSC_3385_20180703213236879.jpg

白老ICから道央道に乗り、美沢PAで30分ほど仮眠をとって、20時前に札幌に到着。
レンタカーを返したら、社に寄るつもりだったが、疲れたのでそのまま直帰した。
仕事の合間も含め、みっちり活動した1日だった。
スポンサーサイト
このページのトップへ

白老(上)

【2018年6月19日(火)】白老
この日は苫小牧と白老に仕事で訪れた。
仕事で訪ねたところ、そうでないところ、とくに区別せずに紹介しよう。
最初の目的地、苫小牧市美術博物館は
(373)
出光カルチャーパークなる公園内にあった。
(374)
白老に行く途中にあった錦岡樽前山神社。
CIMG9378_20180703051116093.jpg

神社だが、円空仏が奉納されているようだ。
CIMG9379_2018070305111751c.jpg

いきなりですいません。樽前ハイランドのバス停。
CIMG9380_20180703051119f00.jpg
樽前ハイランドは、少年時代よく耳にしたレジャーランドであったが、知らないうちに消滅していた。
36年ぶりに北海道に帰ってきて思い出したので、どうなっているか知りたかったのだ。
ネットで調べたら、まだバス停がそのまま残っているというので、やってきた。
ちょっと感激。

でも、園内は柵で囲われ入れないようになっていた。
CIMG9381_20180703051120529.jpg

今日はそんな暇はないのでこれで止めておくが、いつか探検に来よう。
CIMG9382_20180703051122e96.jpg
一応、樽前ハイランドの概要を示しておく。
TBSグループのTBS不動産(当時)が1970年(昭和45年)11月11日に開業。
当初は、ホテルと温水プールを備えたヘルスセンターだった。
翌71年には貸しボートやゲーム施設などもオープン。
200羽のフラミンゴによるショーと、「あっ樽前!(当ったり前)」のコマーシャルで、一躍有名になった。
TBS系列で放映されたドラマ「なんたって18歳!」(岡崎友紀主演)のロケ地ともなったらしい。
廃業したのは1987年である。

樽前ハイランドに行く途中にあった苫小牧市立樽前小学校。
CIMG9383_20180703051053585.jpg

1922年(大正11年)6月に覚生尋常小学校樽前特別教授場として創立した。
児童数は昨年度で30人だが現役である。
CIMG9386_20180703051057cf8.jpg

学校の近くには樽前山神社が鎮座していた。
CIMG9384_2018070305105411a.jpg

錦岡のように冠の言葉がないところを見ると、ここが本社なのだろうか。
CIMG9385_20180703051056708.jpg

二つ目の仕事場、白老町立図書館。
DSC_3379_20180703050539e9b.jpg

この後は白老の中心街からはかなり竹浦地区にある禅照寺へ。
CIMG9417_201807030510596b3.jpg

田舎のお寺にしては、かなり大きな寺院である。
CIMG9418_20180703051021322.jpg

1893年(明治26年)の開創だそうだ。
CIMG9419_20180703051022eb7.jpg

1988年建立のそうじ小僧。
CIMG9420_20180703051024a7b.jpg

白老町長を務めた名誉町民第2号、浅利義市氏の墓を発見。
CIMG9421_201807030510257e7.jpg

1976年(昭和51年)落成の本堂。
CIMG9423_20180703050959808.jpg

1964年再建の庫裏。
CIMG9422_20180703051027455.jpg

「コタンのシュバイツァー」と呼ばれた高橋房次医師(1882~1960年)のお墓もあった。
CIMG9424_20180703051001502.jpg

戒名は「文献院慈圓翠房居士」。
CIMG9425_201807030510027f6.jpg

よく見ると「橋」の字が異体字となっている。
CIMG9426_20180703051003615.jpg

せっかく白老まで来たので、国史跡の白老仙台藩陣屋跡を訪ねた。
CIMG9462_2018070305093403b.jpg

幕府に命じられて仙台藩が1856年(安政3年)に築いた北方警備のための陣屋跡である。
CIMG9460_20180703051005663.jpg

防衛施設なので、土塁が築かれている。
CIMG9461_20180703050933cbb.jpg

元陣屋の総面積は約6万6000m²。濠と土塁に囲まれた曲輪があり、内曲輪と外曲輪の中に6基の門を構えて本陣、勘定所、殻蔵、稽古場、長屋などを配置し、常時120人の藩兵が駐屯していた。
CIMG9464_20180703050936e46.jpg

土塁はかなり保存状態がいい。
CIMG9465_20180703050937e35.jpg

幕府は1854年(嘉永7年)に米英露蘭4国と和親条約を締結した。
CIMG9466_20180703050939411.jpg

しかし、ロシアの南下を警戒した幕府が松前藩や東北諸藩に蝦夷地の分割警備を命じた。
CIMG9467_2018070305090817c.jpg
(御門)

各藩は計24か所の陣屋を築いて沿岸の警備にあたった。
CIMG9468_20180703050910b86.jpg

仙台藩の守備範囲は白老から襟裳岬を経て国後島・択捉島までの広大な東蝦夷地で、警備の総元締めとなる元陣屋を白老に築いた。
CIMG9469_20180703050911d4e.jpg

四番長屋跡。
CIMG9470_20180703050912b53.jpg

三番長屋跡。
CIMG9471_20180703050914174.jpg
CIMG9476_20180703050846c65.jpg
CIMG9477_20180703050812d0a.jpg

外曲輪の絵図。
CIMG9472_201807030508406ed.jpg

二番長屋跡。
CIMG9473_2018070305084126e.jpg

稽古場跡。
CIMG9474_2018070305084367e.jpg

園内はきれいに芝生が刈られている。これだけ広いと、かなり維持費がかかりそうだ。
CIMG9475_20180703050844cf2.jpg

中央の踏み跡は現役時代も通路だったと思われる。
CIMG9478_20180703050814433.jpg

内曲輪に通じる門。
CIMG9479_201807030508165e7.jpg

内曲輪を囲む土塁。
CIMG9480_20180703050817f48.jpg
CIMG9481_20180703050818cbb.jpg

土塁の手前には濠が巡らしてあった。
CIMG9482_20180703050738e39.jpg
CIMG9483_201807030507392c7.jpg

内曲輪に通じる詰御門をくぐる。
CIMG9484_20180703050741f1d.jpg

門そのものは復元である。
CIMG9485_20180703050742e8b.jpg

内曲輪の内部。
CIMG9486_20180703050744023.jpg
CIMG9487_20180703050712239.jpg

穀蔵跡。
CIMG9488_20180703050714f70.jpg

内曲輪の絵図。
CIMG9489_20180703050715863.jpg

本陣跡。
CIMG9490_20180703050717ef0.jpg
CIMG9491_20180703050718d14.jpg

兵具蔵跡。
CIMG9492_2018070305064387e.jpg

全体的に建物を復元せず、遺構の位置だけを示す展示手法である。
CIMG9493_2018070305064584f.jpg

井戸跡。
CIMG9494_2018070305064777e.jpg

厠跡。
CIMG9495_20180703050648a6d.jpg

勘定所跡。
CIMG9496_20180703050649c21.jpg

内曲輪は直径60間(108m)ほどもある。
CIMG9497_201807030506175c1.jpg

濠にはイタドリやフキが繁茂していた。
CIMG9498_201807030506182de.jpg

天気がよければ絶好の散歩コースである。
CIMG9499_201807030506200d5.jpg

敷地内には川が流れていた。
CIMG9500_20180703050621935.jpg

湿地には真っ青なアヤメが咲き誇っている。
CIMG9501_20180703050623c99.jpg

遺構の傍らに、白老仙台藩元陣屋資料館がある。
CIMG9502_20180703050533a9b.jpg

時間もあることだし、寄っていくことにした。
CIMG9503_20180703050535803.jpg

10分ほどの説明ビデオを見てから展示室を見学。
CIMG9504_20180703050536a9f.jpg

その後、白老が1859年(安政6年)に仙台藩の領地となったため代官が置かれ、仙台藩が白老の民政を行った。
1868年(慶応4年)に戊辰戦争が勃発すると、官軍が白老陣屋を攻撃する危険性が高まったため、藩士は白老を離れて仙台に引揚げた。
陣屋はわずか12年でそのの歴史に幕を閉じたのである。
CIMG9515_20180703050538718.jpg

(つづく)
このページのトップへ

様似海岸

【2018年6月10日(日)】様似海岸
アポイ岳(811m)から下山して、様似の海岸をあちこち散策した。
まずはエンルム岬。
登り口を間違えて裏側に回ってしまったら、エンルム岬の成り立ちを解説したアポイ岳ジオパークの案内板があった。
DSC_3318_20180627053349476.jpg

この断崖はマグマが冷えて固まった火成岩でできているそうだ。
DSC_3319_20180627053351a8d.jpg

あまりきれいな節理ではなく、崩壊も激しい。
DSC_3320_201806270533522da.jpg

向かいには、同じような原理でできた観音山(標高約100m)。
DSC_3321_20180627053354cc1.jpg

引き返して、正しい入口へ。
DSC_3322_201806270533558ec.jpg

高台の駐車場に来ると、「火星より遠いアポイのかんらん岩」の案内板があった。
DSC_8026_2018062705333119b.jpg
アポイ岳は地殻の下にあるマントルが地表に飛び出したものと言われているが、人類が現役のマントルを実際に手にしたことはない。つまり観測船を飛ばした火星より遠いというわけだ。

観音山にも展望台があるようだ。
DSC_8027_20180627053332669.jpg

その左に親子岩などの小さな島が点在している。
DSC_8028_20180627053302c70.jpg

南東には、アポイ岳(右)とピンネシリ(左、958m)。
DSC_8029_20180627053304b0d.jpg

望遠で見ると、山頂部に若干雲がかかっている。
DSC_8030_2018062705330561b.jpg

格好いい看板があった。
DSC_8031_20180627053307cde.jpg

エンルム岬の断崖。高さは70mほどある。
DSC_8032_20180627053308484.jpg

昭和40年5月に沈没した第五高砂丸の殉難之碑。
DSC_8033_20180627053238707.jpg

反対側の断崖。
DSC_8034_20180627053239df3.jpg
DSC_8042_20180627053218380.jpg

この花はアポイ岳では見かけなかったが、何だろう。調べてみたら、オオミミナグサだった。
DSC_8035_201806270532419e0.jpg

ミヤマオダマキはこんな低いところにもあった。
DSC_8036_201806270532423b1.jpg

驚いたのはこの花。
DSC_8037_20180627053244ba5.jpg

なんと、下界にエゾカンゾウ(ニッコウキスゲ)が咲いている。
DSC_8040_20180627053215751.jpg

襟裳岬。
DSC_8038_20180627053212151.jpg

エンルム岬に囲まれた湾。眼下の集落は会所町。
DSC_8039_2018062705321455c.jpg

様似漁港。
DSC_8041_201806270532176f3.jpg

階段を登って、展望台に達すると、エンルムチャシ跡の標柱があった。
DSC_8043_20180627053146ede.jpg

頂上に行けたら、「登った山」に加えようと思っていたが、崩落も激しく、道はなかった。
DSC_8044_201806270531482d1.jpg

この花もアポイ岳にはなかった。センダイハギだ。
DSC_8045_201806270531490cb.jpg

断崖に咲くエゾカンゾウ。
DSC_8046_20180627053151ff2.jpg

花は1日しか開かないという。
DSC_3324_20180627053326d8d.jpg

ハマナスも咲いていた。
DSC_8051_20180627053120c28.jpg

海食台。
DSC_8047_2018062705315248d.jpg

ソビラ岩や親子岩たち。
DSC_8048_20180627053115796.jpg

左は塩釜ローソク岩。
DSC_8049_20180627053117f05.jpg

この角度からだと親子岩は1人しか見えない。
DSC_8050_20180627053119b90.jpg

視線を国道に移すと、旧道がぶった切られていた。
DSC_8053_20180627053122818.jpg

展望台から見下ろした駐車場。私の車が写っている。
DSC_8054_20180627053050822.jpg

本町にある寺院が2つ見える。背後は706mピークと思われる。
DSC_8055_20180627053052ace.jpg

様似漁港の全景。
DSC_8056_2018062705305339a.jpg

様似町の中心街。
DSC_8057_2018062705305557e.jpg

では、そろそろ下りますか。
DSC_8058_20180627053056a2e.jpg

斜面に生えていた、この玉ねぎみたいなつぼみは何の花だろう。
DSC_8059_2018062705302589c.jpg

熟すとピンクになるようだが。
DSC_8060_2018062705302678a.jpg

珍しくもないが、タンポポも綿毛もかわいいので写しておいた。
DSC_8062_20180627053028f00.jpg

駐車場のあたりはエンルム遺跡ということになっていた。何時代の遺跡だろう。
DSC_8063_20180627053029cee.jpg

親子岩の展望地に向かう途中、様似会所跡を通過。
DSC_3325_20180627053328f3e.jpg

車を少し走らせて、親子岩とソビラ岩が見える海岸に来た。
DSC_8064_20180627053031941.jpg

二つの岩にはアイヌの伝説が伝わっている。
DSC_8065_2018062705295978d.jpg

東方での戦いに敗れた一族の長が妻子を逃がした。妻子は様似の海岸まで来たところで逃亡を諦め、子供を抱いたまま海に入り、ソビラ岩になった。
DSC_8069_201806270530059f0.jpg
(右がソビラ岩、左はエンルム岬)

長はこれを見て安心し、自分のその西側に並んで大きな岩となった。
追いかけてきた敵の長は二つの岩を見て悔しがり、矢を大きな岩に放ったところ、岩は三つに割れ、親子岩になったという。
DSC_8066_20180627053000fd8.jpg

こちらは塩釜ローソク岩。
DSC_8067_20180627053002e54.jpg

観音山。
DSC_8068_20180627053003584.jpg

この浜は親子岩ふれ愛ビーチと呼ばれる。
DSC_8070_20180627052935a64.jpg

オオミミナグサ。
DSC_8071_201806270529389aa.jpg

最後に、ハマナスでおしまい。
DSC_3326_2018062705332910f.jpg

(日高本線につづく)
このページのトップへ

十和田湖(下)

【2018年5月27日(日)】十和田湖
十和田ホテルの晩餐スタート。
DSC_3241_20180615214441bd7.jpg

オードブル。白神生ハムとうるいのカプレーゼ、山菜とホタルイカの酢味噌かけ、大館産枝豆のパンナコッタ。
DSC_3239_2018061521443821c.jpg

台の物。小坂産「桃豚」の陶板焼き。
DSC_3240_2018061521444092a.jpg

焼き上がりました。
DSC_3243_201806152144447ef.jpg

お造り2種。
DSC_3242_201806152144432a8.jpg

魚料理。十和田湖ひめます香草焼き。
DSC_3244_20180615214409794.jpg

ビールが飲み終わったので、地酒飲み比べ。
DSC_3245_20180615214410c83.jpg

鶏もも肉のコンフィ。
DSC_3246_20180615214412f51.jpg

煮物。小芋、筍、飛竜頭、蕗の炊き合わせ。
DSC_3247_20180615214413340.jpg

とんぶり御飯に香の物、みそ汁。どんぶりではなくとんぶりです。
DSC_3248_201806152144157c0.jpg

デザート。
DSC_3249_20180615214344628.jpg

ほとんどが地元産でそれぞれ素材も吟味されており、とても美味しかった。
ごちそうさまでした。
DSC_3250_201806152143463ff.jpg

腹ごなしに、館内をもう一度探索。
DSC_3251_2018061521434769e.jpg

談話室の大きなシャンデリア。
DSC_3252_201806152143492a2.jpg

ふかふかソファでひと休み。
DSC_3253_20180615214350fb1.jpg

杉の木の階段を上る。
DSC_3254_20180615214321c42.jpg

設計は日本大学工学部教授の長倉謙介だそうだ。
DSC_3255_20180615214323030.jpg

北欧の山荘を思わせる雰囲気である。
DSC_3257_20180615214326c0a.jpg

十和田ホテルは戦後、一時米軍に接収されたが、1952年(昭和27年)に秋田県が買い戻した。
DSC_3256_201806152143244ee.jpg

昭和34年から秋田県観光公社が運営にあたり、昭和36年の秋田国体の際には、天皇皇后両陛下が宿泊されたという。
DSC_3263_201806152143016e7.jpg

正面玄関の真正面に巨大な金庫?があった。
DSC_3259_20180615214255ed2.jpg

「防火保険」とある。吉川製造(東京・小伝馬町)の製作である。
DSC_3258_201806152143271d3.jpg

ロビーにあった秋田魁新聞の一面トップは、ギキトワの秋田犬だった。さすがローカル紙!
DSC_3260_20180615214256a2b.jpg

この床柱はかなり樹皮がはがれていた。
DSC_3261_20180615214258f65.jpg

とくに著名人の色紙というわけではないみたい。
DSC_3262_201806152142590dc.jpg

というわけで、散歩を終えて部屋に戻ってきた。
DSC_3264_201806152142272a9.jpg
満腹だったので、間もなく寝てしまった。

【2018年5月28日(月)】十和田湖
朝は5時過ぎに目が覚めた。
DSC_6593_20180615214208ea7.jpg

もう日は昇っていると思われるが、太陽は雲に隠れていた。
DSC_6594_20180615214137b0b.jpg

今日も晴れの予報だったが、曇りなのだろうか。
DSC_3265_201806152142294e9.jpg

朝食前に、散歩に出かけた。
DSC_6595_20180615214139bd1.jpg

外輪山の上の方にはまだ雪が残っていた。
DSC_6596_2018061521414096c.jpg

独特な外観である。
DSC_6598_20180615214142a22.jpg

車寄せ。
DSC_3267_201806152142321ca.jpg

中庭から見たレストラン。
DSC_6600_2018061521414330b.jpg

本館とガラス張りの新館。
DSC_6601_20180615214108a8a.jpg

本館はみな客室になっている。
DSC_6602_20180615214109310.jpg

談話室。
DSC_6603_2018061521411160c.jpg

暖炉が欧風だ。
DSC_3268_201806152142323cc.jpg

まだ時間があるので、もう一回外に出て、湖畔まで歩いてみることにした。
DSC_6605_20180615214112c2b.jpg

林の中の小径を下りていく。
DSC_6606_20180615214114569.jpg

鉛山口から西湖畔遊歩道に入る。
DSC_6607_20180615214043110.jpg

よく整備されている。
DSC_6608_201806152140457a4.jpg

1分で湖畔に出た。
DSC_6609_20180615214046f0f.jpg

小さな半島に建つのは民宿らしい。
DSC_6610_201806152140480ae.jpg

直接、船が出せるようだ。
DSC_6616_20180615214025af2.jpg

湖面は鏡のように空を映している。
DSC_6611_20180615214049426.jpg

すがすがしい新緑の季節だ。
DSC_6612_20180615214018a42.jpg

しかも神秘的。
DSC_6613_20180615214020570.jpg

吸い込まれるようである。
DSC_6614_201806152140210ec.jpg

対岸に見えるのは中山半島と御倉半島。
DSC_6615_2018061521402368b.jpg

奥には十和田山(1054m)。
DSC_6619_20180615213942644.jpg

左前方には御鼻部山(1011m)。
DSC_6620_201806152139436bd.jpg

岸辺にはかわいいフキが生えていた。
DSC_6618_20180615213941510.jpg

これはナナカマドかな。
DSC_6621_2018061521394586e.jpg

この桟橋にもかつては遊覧船が寄港したのだろうか。ちょっと小さすぎるか。
DSC_6617_20180615213939a16.jpg

それでは、そろそろ宿に戻りましょう。
DSC_3271_201806152142347f9.jpg

さようなら~
DSC_6622_20180615213913ee4.jpg

来た道をさくさく戻る。
DSC_6623_20180615213914c3d.jpg

湖畔周回道路を横断。
DSC_6624_201806152139168d7.jpg

トチノキ。
DSC_6626_201806152139198bb.jpg

トチノキの花って初めて見た。
DSC_6625_20180615213917d21.jpg

三つ葉のクローバーがいっぱい。
DSC_6627_201806152138099c2.jpg

そして新緑に囲まれた十和田ホテルに戻っていた。
DSC_6628_20180615213810be7.jpg

時刻もちょうど7時なので、そのまま朝食へ。
DSC_3276_2018061521420299e.jpg

今朝は洋食にした。
DSC_3277_20180615214204933.jpg

パンはおかわりしてしまった。
DSC_3278_201806152142056c9.jpg

デザートも美味しかった。
DSC_3279_20180615214207e8b.jpg

食後すみやかに支度をして、8時前にチェックアウトした。
今日は子ノ口から奥入瀬渓流を歩く予定。
子ノ口まではちょっと遠回りだが、北岸経由で行くことにした。
滝ノ沢峠の分岐には8:10に到着。
DSC_6629_20180615213812a7c.jpg

ここで一旦、車を下りて展望台からの景色を楽しむ。
DSC_6630_20180615213813bdf.jpg

昨日の発荷峠と同じ国立公園の石碑があった。
DSC_6631_20180615213815fb3.jpg

ここは青森県と秋田県の県境にあたる。
DSC_6632_20180615213742f90.jpg

展望台からは、ちょっと木が育ち過ぎて、このくらいしか見えなかった。
DSC_6633_20180615213744728.jpg
DSC_6634_201806152137454d0.jpg

峠のすぐ下の斜面にはまだ残雪があった。
DSC_6635_20180615213747366.jpg

このあたりも冬はかなりの積雪があるのだろう。
DSC_6636_20180615213748f39.jpg

ここでは重装備で山菜採りに出かかる老夫婦を見かけた。真髄を見た気がした。
DSC_6637_20180615213714703.jpg

国道102号を東に進む。
DSC_6640_201806152137194dc.jpg

次は御鼻部山展望台で停車。
DSC_6641_201806152137206c4.jpg

一応、トイレにも行っておいた。
DSC_6639_20180615213717ec1.jpg

駐車場の北側には八甲田山が見えるはず。
DSC_6638_20180615213716c3c.jpg

西十和田いでゆラインの銘板が剥がれていた。
DSC_6642_20180615213650af7.jpg

滝ノ沢と違い、ここからの眺めは絶景だった。
DSC_6643_2018061521365186e.jpg

ただ、南の方角の山並みは同定できなかった。
DSC_6644_20180615213653b27.jpg
DSC_6645_20180615213654436.jpg

この説明板に、パノラマの説明があればよかったのだが。
DSC_6646_20180615213656e09.jpg

霞んでいる岩手山(2038m)だけは確認できた。
DSC_6648_201806152136284d8.jpg

(「奥入瀬渓流」につづく)
このページのトップへ

十和田湖(中)

【2018年5月27日(日)】十和田湖
十和田湖畔の休屋界隈を散策中。
DSC_6534_20180615080050d9d.jpg

湖面には恵比須島が浮かんでいる。
DSC_6533_2018061508004990f.jpg

このあたりは御前ヶ浜と呼ばれているところ。
DSC_6535_20180615080052a0a.jpg

湖畔で地下水の水位が高いので、水分の多い環境に強いドロノキ、シロヤナギ、カツラ、ハルニレなどが生えているという。
DSC_6536_20180615080053a95.jpg

中国人かしら。
DSC_6543_2018061507293369b.jpg

子供たちは水辺が大好きだ。
DSC_6545_20180615072936173.jpg

でもこちらは砂浜歩きに疲れたので、遊歩道に戻った。
DSC_6537_2018061508002469d.jpg

恵比須島も柱状節理だったが、陸地側にも柱状節理があった。
DSC_6539_2018061508002738d.jpg

中山半島と御倉半島は、十和田カルデラの中でも新しい火山の外輪山だそうだ。
DSC_6538_20180615080026a15.jpg

左は甲島、右が鎧島。十和田湖にこんな小島がいくつもあるのを初めて意識した。
DSC_6541_2018061508002956f.jpg

そのさらに向こうには、今夜泊まる十和田ホテルが見えた。
DSC_6542_20180615072932093.jpg

というわけで乙女の像に到着。
DSC_6540_20180615080027518.jpg

詩人で彫刻家でもある高村光太郎の作品である。設計は建築家の谷口吉郎。
DSC_6544_201806150729341cb.jpg

この像は、十和田国立公園指定15周年を記念して、1953年(昭和28年)に建立されたとある。
DSC_6546_20180615072937e0d.jpg

傍らの碑に、光太郎の詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」が刻まれていた。
DSC_6549_20180615072910594.jpg

なかなか激しい詩だ。最後の行は「立つなら幾千年でも黙って立ってろ。」である。
DSC_6548_20180615072909af0.jpg

それにしても、この乙女たちはとても肉付きがいい。
DSC_6547_201806150729075cd.jpg

加えて説明すると、この像は、1908年(明治41年)、十和田湖を初めて世に紹介した文人大町桂月と、観光開発に尽力した当時の青森県知事武田千代三郎、十和田村長小笠原耕一の功績を顕彰するために設置されたものだそうだ。
DSC_6550_201806150729125a9.jpg

団体旅行のお客さんはここで写真を撮るわけか。
DSC_6551_20180615072913654.jpg

「女の裸像が二人 影と形のやうに立ってゐる」(光太郎)
DSC_6552_2018061507284476e.jpg

それでは乙女に別れを告げて、十和田神社に向かいましょう。
DSC_6553_20180615072845aa5.jpg

沿道にはマイヅルソウが咲いていた。
DSC_6555_2018061507284823d.jpg

中にはクルマバソウも混じっていた。
DSC_6554_2018061507284731a.jpg

こちらはクルマバソウだらけ。
DSC_6556_20180615072850ab6.jpg

神社の境内へと足を踏み入れる。
DSC_6558_20180615072816f8b.jpg

「織田筑前」など何人かの名前が刻まれているが、風化が激しく時期も目的もよく分からない。
DSC_6557_20180615072815ff5.jpg

古い石祠。
DSC_6559_2018061507281875a.jpg

子授けの女木。確かに女陰に似ている。
DSC_6560_20180615072819dca.jpg

ズバリ。
DSC_6561_201806150728214ce.jpg

白亜の鳥居が美しい。
DSC_6562_20180615072751d45.jpg

階段を登る。
DSC_6563_20180615072752173.jpg

社殿が見えてきた。
DSC_6564_201806150727544bb.jpg

かなり立派である。
DSC_6565_2018061507275572c.jpg

807年(大同2年)、征夷大将軍坂上田村麻呂の創建と伝わる。
DSC_6566_2018061507275798a.jpg

田村麻呂が東征のおり湖が荒れていたため、祠を建てて祈願し、筏を組んで渡ったという。
DSC_6567_20180615072727652.jpg

もう一つ縁起があって、南祖坊の創建とも言われている。
DSC_6568_201806150727297d8.jpg

熊野で修行した南祖坊が、鉄の草鞋と錫杖を神から授かり、「百足の草鞋が破れた所に住むべし」と夢のお告げを得て、諸国をめぐり、十和田湖畔で百足の草鞋が尽きたという。
当時、十和田湖には八郎太郎というマタギが、湖の岩魚や水を喰らううちに八頭の大蛇となり、湖を支配していた。
そこで、南祖坊は、その霊験により九頭の龍に変化して二十尋(約36m)の身体を、十曲(とわだ)に曲げ、八郎太郎を退治したという伝説が残っているそうだ。
DSC_6569_201806150727300cf.jpg

地元の信仰は篤いようで、建築寄付者として無数の名が刻まれている。
DSC_6570_20180615072732f2f.jpg

厳粛な気持ちで参拝させていただいた。
DSC_6571_20180615072733f4d.jpg

旅館街へ通じる参道の右側は溶岩の山。
DSC_6572_2018061507270219f.jpg

立派な杉並木になっていた。
DSC_6573_20180615072703812.jpg

この並木の中を中学の時の修学旅行で歩いた。その記憶はなぜかよく残っている。
DSC_6574_20180615072705d60.jpg

表参道の鳥居。
DSC_6575_20180615072706eaa.jpg

俗界に戻ってきた。
DSC_6577_20180615072637479.jpg

その途端に、顔ハメ発見。
DSC_6576_20180615072708f06.jpg

ちょっと下手くそな絵だが、当然ハメます。
DSC_3210_2018061508020675c.jpg

老舗よしきんも廃業してしまったようだ。
DSC_6578_20180615072639a58.jpg

閉店した喫茶店の扉にこんな求人広告が。
DSC_6579_20180615072640069.jpg
十和田湖レークサイドホテルは多角的に頑張っているようだ。

またまた顔ハメ。これで十和田湖3連発。こちらの乙女はメルヘンチックだった。
DSC_3214_2018061508020860c.jpg

このマンホールの真ん中は市章ではなく、青森県のマーク。
DSC_3215_201806150802104bd.jpg

やはり休屋地区は廃屋が目立つ。
DSC_6580_20180615072642adf.jpg
十和田湖は観光地としては抜群だが、宿泊地としての魅力に欠けるのだろう。
交通の便がそれほどよくない時代は、ここに泊まらざるを得なかったが、今のように高速道路などが整備されると、近隣の温泉地に客は流れてしまう。
団体旅行の衰退も響いているのだろう。
その変化に対応しきれなかったのかもしれない。

夕方5時近くになると、さすがに波止場も閑散としていた。
DSC_6581_20180615072643a53.jpg

遊覧船も今日の営業は終えたようだ。
DSC_6582_20180615072612768.jpg

十和田国立公園は1956年(昭和31年)に八幡平地区を加え、十和田八幡平国立公園となった。
DSC_6583_20180615072614753.jpg

十和田湖グランドホテル南館。喫茶コーナーだけ影響しているのかな。
DSC_6584_2018061507261556e.jpg

十和田科学博物館は「古牧温泉渋沢公園」(三沢市)グループを興した故杉本行雄氏が1953年(昭和28年)に設立した私設博物館である。
DSC_6585_20180615072618b15.jpg
収蔵資料は、十和田湖・八甲田エリアで採取された樹木や岩石、生物の標本類のほか、二重カルデラ湖である十和田湖の生成を示す模型など多岐にわたる。
十和田火山の噴火岩石の収集は、日本火山学会委員長を務めた東大教授久野久博士らがあたったという。
しかし、杉本氏の没後、同グループの経営破綻(2004年)に伴い閉館。
建物ともども収蔵物は放置状態で、生き物の剥製など傷みが激しいらしい。

こちらは十和田湖グランドホテルの大浴場と思われる。
DSC_6586_201806150726181ba.jpg

1時間にわたる散策を終え、十和田ホテルに向かう。
途中、和井内を通過。
DSC_3218_2018061508021190f.jpg

ホテルへは湖岸の道から、ちょっと高台に登っていく。
DSC_3219_201806150802133ba.jpg

17:15にチェックイン。
お部屋は208号「杜若」であった。
DSC_3224_201806150801478cb.jpg

純和風である。
DSC_3223_201806150801452fa.jpg

床の間が美しい。
DSC_3222_201806150801444d2.jpg

窓からの眺めがまた素晴らしい。
DSC_3220_20180615080142158.jpg

ここは全室レイクビューだそうだ。
DSC_6592_2018061507255987f.jpg

実はここには16年前に泊まったことがある。
DSC_3225_20180615080148847.jpg

それはともかく、まずはお風呂。
DSC_3226_20180615080117605.jpg

温泉ではないが、最高の展望風呂で、ゆっくりさせてもらった。
DSC_3227_20180615080119c77.jpg

入浴後は夕食の時間まで館内を探検。
DSC_3236_20180615080124e7c.jpg

まるで、「千と千尋の神隠し」の湯場のような雰囲気である。
DSC_3233_201806150801210c7.jpg

十和田ホテルは、1930年(昭和15年)に予定されていた東京オリンピックに備え、外国人観光客を迎えるため、秋田県が政府の要請に応えて建てたものである。
DSC_3235_20180615080122e6a.jpg

昭和11年に着工し、13年に完成、14年にオープンした。
DSC_3237_20180615080047deb.jpg
秋田、青森、岩手の3県から、宮大工80人を集めて技術を競わせてつくったそうだ。
天然の秋田杉の巨木を巧みに配した木造3階建てで、外壁は杉の半丸太を張り詰めている。
各部屋の床の間、天井、格子戸などの意匠もひと部屋ひと部屋異なり、それぞれが違った趣と表情を見せている。
その後、老朽化のため大改修が行われ、1998年にリニューアルオープンした。

(つづく)
このページのトップへ

FC2Ad

プロフィール

かたこりまさかり

Author:かたこりまさかり
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (0)
北海道の山 (274)
東北の山 (68)
上信越の山 (147)
奥多摩の山 (58)
丹沢の山 (55)
奥秩父の山 (83)
栃木の山 (32)
房総・常陸の山 (9)
奥武蔵・秩父の山 (87)
中央線沿線の山 (97)
富士山周辺の山 (68)
八ヶ岳周辺の山 (53)
南アルプス (101)
史跡歩き (11)
中央アルプス (27)
北アルプス (45)
日本海の山 (8)
関西の山 (30)
四国九州の山 (61)
駅舎の旅 (40)
ドライブ (27)
廃線の旅 (21)
駅から散歩 (31)
乗り鉄 (46)
島の旅 (19)
山村の旅 (7)
超低山 (29)
東海の山 (5)
つぶやき (36)
旧道歩き (56)
伊豆の山 (39)
サイクリング (3)
ハイキング (3)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR