【2018年6月3日(日)】本仁田山
本仁田山(1225m)から下山中。

木々の隙間から見えたのは石尾根の狩倉山(1452m)か。

「足場悪し 滑落注意」。確かに足場は浮石が多く、かなり悪い。

それでも頑張って、人里近くまで下ってきた。

城郭のような石垣だが、かつてはこの上に家屋が建っていたのだろうか。

乳房観音との分岐を通過。この先は6年前に歩いた道だ。

砂防ダムの横を下ると

安寺沢最奥の民家が見えた。

やれやれである。

なんと、これから登る人がいた。もう午後2時を過ぎているのに。

やっと車道が見えてきた。

いや~長い下りだった。頂上から1時間半近くかかった。
コースタイム50分になっているが、それはちょっと無理だ。

とりあえず、ここで休憩。

山に向かっているモノレールは林業用のものだろう。

このレールは個人宅用のケーブルカー。

緑の乗り物が家屋の前に控えている。

10分ほど休んで出発。緑山小舎なるギャラリーの前を通過する。

林道安寺沢線の入口を左折。

早くビールを飲みたいH君とY君はすたすたと歩いて行ってしまった。

小河内ダム(奥多摩湖)建設のために敷設された東京都水道局小河内線の廃線跡をくぐる。
石灰を生産している奥多摩工業氷川工場が見えてきた。

このゴテゴテ感は工場萌えの方々にはたまらないだろう。

奥多摩工業は1937年(昭和12年)に奥多摩電気鉄道として創業している。
眼下の日原川には氷川国際ます釣り場。


みんな興味深そうに見下ろしている。

結構流行っているようだ。

上流方向には小河内線のコンクリート製橋脚が見える。

下流側は奥多摩工業。

奥多摩工業の2016年度の売上高は140億円。かなりの規模だ。

太平洋セメントの系列である。

当初は、御嶽駅と氷川駅(現・奥多摩駅)を結ぶ鉄道路線を敷設していたが、路線が開通する(1944年)前に免許を国に譲渡した。現在のJR青梅線である。

この工場の採掘場は天祖山にあり、地下鉄道で運んでいる。

再び、日原川を渡ると、奥多摩駅前の建物が見えてきた。

奥に見えるのは大岳山(1266m)かな。

というわけで、14:53に奥多摩駅に到着。

ここでずっと先頭を引いてくれたMさんとはお別れ。
今日は本当にお世話になりました。
頂上でいただいたコーヒーめちゃめちゃ美味しかったです。
残る同期7人は、このままお風呂へ。

Y君がパンツを忘れたからコンビニで買うと騒いでいたが、駅前のコンビニでは扱っておらず、諦めることに。

玉翠荘が駅に最も近い温泉である。

ここに来るのは、これで3回目くらいだろうか。

入浴料は750円。

いつも地下4階の風呂に入っていたが、地下1階のこの浴室は初めてだ。

う~ん、気持ちいい~。

この後、巨体の白人2人が入ってきて、ものすごく狭くなった。
2人で5人分くらいの体格だった。
風呂から上がったら、Y君が「やっぱりパンツあったわ」と報告してくれた。
それはよかった。
電車の時間まで1時間あるので、山麓酒場をしなくては。柳小路を物色する。

しかし、どの店も登山客で満員。7人入れる店はなかなかない。
しゃれた地ビールの店にかろうじて席があったので、ここに入ることにした。

店の名前は「VERTERE(ベルトレ)」。ラテン語で「回転」という意味だそうだ。

古民家を利用している。

どのビールも、ここで作っているのだそうだ。

というわけで、全員で乾杯。やっとビールにありつけた。

飲んだのは何というビールだったか忘れてしまった。

つまみは大きな鶏の唐揚げにポテトサラダなど。

ビールもそうだが、料理もおいしかった。
店には、さっき風呂で一緒だった外人もいた。
今日は暑いくらいだったので、テラスも気持ちがいいだろう。

ここはまた来てみたい店だ。もうかなり難しいが。

まだ飲んでいたいが、帰らないといけない。
16:40に退出し、16:54発のホリデー快速おくたま6号に乗車。

結構混んでいて、女子とは別の車両に座ることになった。
疲れていたし、ビールも入ったから、私も含め皆あっと言う間に寝てしまった。
私は翌日、やぼ用があったので、もう1日内地に残留。
国分寺駅で皆さんに別れを告げた。
所沢の自宅に帰宅したのは19時になっていた。
一度登った山なので、「登った山」は増えなかったが、天気と仲間に恵まれた楽しい登山であった。
【行程】2018年6月3日
鳩ノ巣駅(9:13)~登山口(9:24)~標高570m地点(9:49休憩9:52)~大根山の神(10:08休憩10:16)~大ダワ分岐(10:34)~標高910m地点(10:56休憩11:04)~瘤高山(11:33休憩11:44)~本仁田山(12:05昼食12:47)~花折戸尾根分岐(12:50)~標高900m地点(13:25休憩13:35)~大休場(13:41)~安寺沢(14:12休憩14:23)~奥多摩駅(14:53)~玉翠荘(14:58)
※所要時間:5時間45分(歩行時間:4時間12分)コースタイム:3時間50分
※登った山:2座(新規なし)
※歩行距離:8.6km
※累積標高差:約900m
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【2018年6月3日(日)】本仁田山
本仁田山(1225m)を登山中。左前方に山頂が見えている。

前方のとんがりは、本仁田山と大ダワとの分岐にあたる瘤高山(約1120m)。

以前、大ダワから登った時は、ただの斜面の途中に思えたが、立派なピークではないか。

本仁田山の頂上がだんだん隠れていった。

瘤高山への急坂に差し掛かった。

ここは防火帯なのか、杉林の間が空いている。

振り返ると関東平野。でも霞んで何も見えない。

かろうじて西武ドームらしきものが確認できた。

いくつかのピークは高水三山と思われる。

ここは標高差80mほどの急登である。

これを10分ほどでクリアして、瘤高山に到着。

山名板がなかったので、この道標に小さく書いてあげた。

ここを右折すると大ダワを経由して川苔山(1363m)に至る。

10分ほど休憩して、11:45頃に出発。

ここから本仁田山までは6年前に歩いたことのある道だ。

最後の登りは標高差100mほど。

到着は12時を回りそうだが、ほぼ予定通りだ。

さすが富士山登頂を果たしている面々。順調だ。

あまりにブランクがあるので、落伍者が出るのではないかと心配していたが杞憂だった。

最後の急登に汗を流す。

やっと頂上台地に乗った。あと100mだ。

もうこの先はほぼ平ら。

12:05、無事に全員登頂。

三角点が大量の石に守られていた。

なんと富士山が見えて感激。

6年前に登った時は、この角度には樹木があった気がするけど伐採したのだろうか。

その左に見えているのは鋸山(1109m)かしら。

とにかく、みんなで記念撮影。色違いだけど、おそろいのTシャツだ。

撮影は団体で登ってきたご婦人の一人に頼んだのだが、スマホの操作に不慣れなようでだいぶ手間取っていた。
おなじグループの人も誰も手助けしようとしないので、おそらくそれぞれ個人で参加しているツアーなのだろう。20人以上いた。
彼らと一緒にそれほど広くない山頂でお昼をともにすることになった。
今日はおにぎり2個とゆで卵だ。

みんなでお菓子などを分け合ったりして、和気あいあい。
楽しいひとときであった。
食べ終わったら、再び撮影タイム。東は高水三山方面。

その奥は関東平野。

ここからも西武ドームがよく見えた。

もう一度、富士山。その右にはたぶん御前山(1405m)。

みんなも富士山に見とれている。

御岳山方面。

ツツジがまだ咲いていてくれた。

このベンチは日向で暑いので、休憩は日蔭でしたのだった。

団体さんが瘤高山方面に下っていったのを見届けて、我々も12:45分過ぎに出発。

富士山に別れを告げる。

あとは下山するのみだ。

頂上直下は左手の斜面が伐採されていて、若干の展望が得られた。

こっちで休めば景色もよかったが。

でも知らなかったのだが仕方がない。

間もなく、花折戸尾根との分岐を通過。

この先は急な下りが続くことになる。

なんと、花折戸尾根は鳩ノ巣側の登山口の橋が封鎖されていて渡ることができないとのこと。

チクマ山(1040m)を稼ぐために、そちら側から登ろうとしたら、愕然とするところだった。

ここから安寺沢の車道に出るまで標高差650mの下りは容赦がない。

浮石も多く、いっときも気を緩めることができない。

木の根もかなり激しい。

これはかなりしんどかった。

それでも我慢して下るしかない。

みんなはこちらを登りにしないでよかったと言っていた。

でも、本当は急坂を登りにするのが定石。

それは分かっているのだが、下山したところに温泉がないと意味がないので、こういう選択になった。

浮石で滑りやすいので階段はありがたい。

下山ルートも延々、杉の植林である。

目指すは奥多摩駅。

黙々と下る。

ふと気が付いたが、マルバシモツケは杉林がお好みのようだ。

葉っぱに映った花の影が美しい。

林床はほとんどマルバシモツケである。

頂上から40分ほど下った標高900m地点でひと息入れる。

下りなのに汗だく。Y君はこれまでの生涯で一番汗をかいたと言っていた。
汗が目に入って、前が見えなかったそうだ。
10分ほどで出発。

岩がゴツゴツした道をさらに下っていく。

下りはやはりストックが活躍する。

膝の負担が軽くなる。

束の間の緩斜面。

尾根から外れる屈曲点に到着した。標高は約820m。

ここは直進したくなってしまう場所だ。

そのせいで道に迷い、遭難した人がいたので、厳重にロープが張られていた。

みんなついつい行ってしまうから踏み跡ができてしまい、さらに誘い込まれるのだ。
我々はここでもちろん右折する。

この先は急斜面をジグザグに下っていく。

木の根がすごい。

ん、この石積みは?

法面の強化ではなく、炭焼き窯の跡だった。

一部、広葉樹もあるが

基本的には杉の植林。

それにしても過酷な下りだ。

広葉樹の緑に励まされ、頑張ろう。

(つづく)
【2018年6月3日(日)】本仁田山
前夜は同窓会&同期会で帰宅は午前1時を回っていた。
翌3日は同期を中心に8人で奥多摩の本仁田山(1177m)に登る計画。
昨年の富士山登山隊のメンバーで今年は穂高岳(3190m)にアタックする予定なので、その練習登山である。
昨年8月の富士山以来登っていないというメンバーもいるので、今日の標高差800mはちょっと心配だ。
9:02に鳩ノ巣駅に集合ということにしていた。
昨夜は遅かったので、ちょっときつかったが何とか大丈夫。
8時過ぎに青梅に着いて、奥多摩行きを待つ。

ホームには懐かしい待合室があった。

いやあ、内地は暖かいなあ。

8:23青梅発の奥多摩行きに乗り、定刻通り9:02に鳩ノ巣駅に到着した。

7人は青梅から同じ電車に乗っていたが、Y君だけ乗っておらず連絡がつかない。

でも、彼は1本早い電車で着いており、無事に全員集合。ホッとした。

ここは標高310m。

トイレや準備体操を済ませて、9:13に出発。

まずは駅前を西に進み、突き当りを右。

駅のすぐ横の踏切を渡る。

もう内地は完全に夏だ。

いえ、これからです。

馬頭観世音を横目に急な舗装道路を登る。

すでに暑い。

ここからはまだ頂上は見えない。

右手上の方に見えるのは正法院。

背後に見える尖塔は城山(760m)。

その左後方はおそらく848mピーク。

道標はさすがにしっかりしている。

安全祈願は省略して通過。

早く日蔭に入りたい。

正法院への入口に棚沢水道記念碑があった。

レリーフにある山宮アキさんがこの地区の水道敷設の功労者だそうだ。
個人宅専用のケーブル。

奥多摩は急斜面で高齢者が多いので、設置には町から補助金が出るのかもしれない。

10分ほど歩いたところで登山道に入る。

棚澤集落を眼下に城山が恰好いい。

さっそく奥多摩名物、杉の植林に突入した。

でも、日蔭に入って、やっと涼しくなった。

これはこれでありがたい。

まずは、その名も杉ノ尾根をトラバース気味に登っていく。

30分ちょっと歩いたところで最初の休憩。標高は570mほどなので260m登った。

3分ほどの立ち休みで出発。

若者3人組が追いついてきたので、先に行ってもらおうおとしたら、「大丈夫です」と。
結構最初からお疲れの様子だった。

トラバースはなおも続く。

マルバシモツケが満開。


初めての屈曲点。

標高650mあたりだ。

曲がり切った先に祠があった。

大根山の神である。

これで杉ノ尾根に乗った形になる。

傍らに古い石仏が傾いていた。建立は享保十年(1725年)だった。300年近く前だ。

ここは大タワへ向かう林道との分岐になっている。

山腹を延々まいていく道だ。

ここから初めて、本仁田山の山頂が見えた。

あの区画は松枯病にやられてしまったのだろうか。

ともかく、ここで10分弱休憩。

案内板でこの付近の概念を確認する。経由地の瘤高山までコースタイムは1時間10分だ。

道標は親切だが、草木に埋もれて見えなくてってしまいそう。

それでは、大根山の神に別れを告げて出発。

ここからは尾根道を行く。

林道から来た人にとっては、ここが入口ということになる。

振り返って、林道カーブ地点を見下ろす。

こちらは鳩ノ巣方面の林道。

それにしても今日はいい天気だ。富士山登山隊の山行では珍しい。

これは林道がらみの道標かな。

左手に見えているのは御前山(1405m)だろうか。

これもマルバシモツケの一種なのだろうか。青いけど。

これはヤマエンゴサク。

今日は湿度が低いのか、日蔭はほんとに爽やかでうれしい。

今上天皇の御成婚記念の造林地とのことだが、植栽が御成婚の8年も後だ。長期の事業だったのだろう。

杉ノ尾根というくらいだから、杉林が続くのか仕方ない。

しかし、富士山登山隊のH君、Y君はそんなことは全く気にならないみたいでよかった。

花があるとホッとする。

距離的にはちょうど中間点。

再びヤマエンゴサク。

これらの葉っぱはかわいいので、ちょっと撮っただけ。


尾根をジグザクしながら登る。

ちょっと疲れの色が出てきたかな。

それでも容赦なく急登だ。

しかし遅れる人はいない。

とても9か月ぶりとは思えない足取りである。

木の根地帯もクリア。

いったん緩やかになったが、再び急坂。

マルバシモツケに励まされながら登る。

辛抱、辛抱。

写真を撮っているうちに私が遅れてしまう。

ここが踏ん張りどころだ。

先に青空が見えてきたぞ。

やっと平和通りに。

しばらくは緩斜面だ。

植生も変わって明るくなった。

一段上の踏み跡から皆さんを俯瞰。

ここまで、とても順調でうれしい。

(つづく)
【2017年2月12日(日)】御林山・倉掛山
午後2時に倉掛山(1078m)に登頂した。

山頂への踏み跡は今の道だけで、まわりはみんなスズタケ。

変なところから取り付かないでよかった。
スズタケのヤブで難儀するところだった。
ここも展望はほとんどゼロ。

すぐに引き返す。

林道に戻って、風張峠を目指す。

間もなく、木々が全面的に伐採されている場所があり、大展望が開けた。

丹沢の山々。左端が大山(1252m)、右端が蛭ヶ岳(1673m)。

檜洞丸(左、1601m)と大室山(右、1588m)。

蛭ヶ岳と檜洞丸の間にある突起は笹尾根の丸山(1098m)。

左の盛り上がりは生藤山(990m)あたり。

浅間尾根、笹尾根、丹沢、すべてお見せしましょう、って感じだ。

浅間尾根。

横浜方面。ランドマークタワーが見える。

東京都心。

たった今登った倉掛山。

もう少し歩くと、都心が全容を現した。

望遠で見てみよう。

鶴脚山(916m)と馬頭刈山(884m)の間からスカイツリーが覗く。

こちらも望遠で。

大岳山(左、1266m)から馬頭刈山にかけての馬頭刈尾根。

大岳山アップ。

倉掛山の左から御前山(1405m)がちらり。

富士山は角度的に無理だった。残念。
道がすっかり乾いているので、チェーンはまた外した。

1105m標高点付近通過。

また雪が出てきたが、チェーンなしでもとくに問題なし。

そのまま進むと車の音が聞こえてきた。
「ああ、奥多摩周遊道路に近づいたんだなあ、これで登りも終わり」だと安堵したが、あれ?
周遊道路は通行止めじゃなかったのか?
もしかして、都民の森の手前の道の車の音?
それにしては音が近いぞ、と思ったら、やはり目の前を車が走っている。
いつの間にかゲートが開いたようだ。
だったら9時に開けてほしかった。
まったく、都のHPは不正確だ。
小池知事、職員の指導よろしくお願いしますよ。
風張林道の終点に到着。

林道を上ってきた車はここにゲートがあるのでUターンしている。
何となく、もう夕方の気配。

ここは標高約1150m。都民の森まであと3km以上ある。頑張らないと。

気温はマイナス1℃。それほど寒くはない。

結構、車が走っている道をとぼとぼと歩く。

みんな、タイヤはちゃんとスタッドレスなんだろうな。
ノーマルでスリップでもされて巻き込まれたら、洒落にならない。
怖がりながら歩いた。
途中ちょっと走ったりもしたが、あまり続かなかった。
左手に再び都心の眺め。

雪置き場には、それほど雪はなかった。

昔は奥多摩有料道路だったが、今は都道206号線だ。

浅間尾根駐車場まで来たところで一服。

このまま都民の森まで歩けそうだったが、せっかくカフェオレを買ってきたので、飲んでいくことにする。

往路でチェーンを履いた東屋に腰を下ろす。

ドライブの人も車を停めて、しきりに写真を撮ったり、双眼鏡を覗いたりしていた。
格好からして山帰りの人ではなかった。
10分ちょっと休んで出発。

残りのお湯は、すでに空になっていたアクエリアスのボトルに移した。
これが温かいので、もてあそんで手を温めたり、顔にくっつけて、ほっぺや鼻を温めたりしながら下った。

かなり気持ちよかった。
ちょっと行き過ぎてしまったが、「そうだ富士山はどうなってる?」と思い出して、戻って見たら、ちゃんとそこに鎮座していた。

今日富士山が見えたのは、ほんとにここだけだった。
再び黙々と車道歩き。

笹尾根の北斜面はすっかり日陰になった。

15時過ぎに都民の森に到着。

やはりゲートは開いていた。

愚痴は言わずに靴を履き替えて、三頭山荘に向かう。
雪がないので、タイヤのチェーンの振動が気になった。
10分かからずに到着。

二股ラジウムカルシウム温泉の表示が若干気になる。

宿の敷地内に菊姫弁財天が祀られていた。

菊姫とは武田勝頼の弟で高遠城主・仁科五郎盛信の娘。武田氏滅亡の折、天目山より信玄の六女松姫とともに小金沢山を越えて、武州恩方を目指した。しかし、風張峠の岩小屋で野宿した際に病を得、従者石黒金之丞に付き添われ、峠下の岡部家で養生するも、間もなく亡くなった。
その後、金之丞は望まれて岡部家を嗣ぎ、今に至るという。
三頭山荘の当主はもちろん岡部さんである。

お風呂のある別館に行くと、おじさんが出てきて、「ちょっと待ってください」と引っ込んでしまった。

おそらく電気をつけたりしているのだろう。

間もなく戻ってきたので、入浴料1000円を払って、浴室へ。
やはりここは北海道の二股ラジウム温泉の原石を使った温泉のようだ。天然温泉ではなかった。

露天風呂は冬期休止中だったが、内湯も展望はいい。

お風呂を独り占めして、ゆっくりと満喫した。

上がってからフロントで、「お世話様~」と大声を出したが、さっきのおじさんの返事がない。

壁に貼ってあった「桧原村」のイラストマップ(100円)が欲しいのだが。

仕方ないので、本館に行って、声を掛けてみた。


すると、女将が出てきて、じゃまた別館へと。

全然売れていないらしく、印刷所から届いたままの袋から3枚取り出し、「差し上げますよ」という。もう処分してしまいたい気分なのかもしれない。
ありがたく頂戴した。
そういえば入浴料金は1100円に改訂されているようだが、1000円しか取らなかったのはなぜだろう。

それはともかく、ここは1989年に礼宮が立ち寄った宿らしく、写真や碑があった。

「難得糊塗 礼宮文仁」とある。意味は様々な解釈があるようだが「能ある鷹は爪を隠す」に近いのだろうか。
女将さんに聞くと、ここは宿としての創業は50年ほど前だが、本館というか母屋はもう築400年も経つのだとか。江戸初期である。
となりの兜家より古く、この界隈では最も古いらしい。
さあ、よく温まったので引き上げるとしよう。
ここは水車のある庭も素敵だった。


ではまた。

さてあとは帰るだけだ。
路面の雪はだいぶ解けていて、もうほとんどチェーンがなくても大丈夫だったが、しばらくはそのまま下る。
西川橋バス停の手前の脇道に停めて、チェーンを外していたら、まん前の家の人が怪しげに窓から覗いていた。
はずしたら、やっと気分が軽くなった。
でも武蔵五日市まで、のろのろ軽自動車の後ろについてしまい、のんびり運転だった。
今日は車なので山麓酒場はできない。
この前みんなで飲んだ「居酒屋まるま」の前を、指をくわえて通過。
入間市までは順調に進んだが、所沢市内の国道463号がいつもの通り渋滞。
それでも18時には帰宅できた。
本日の下山ビールは部屋飲みとなったが、懸案だったコースをつぶせたので満足であった。
【行程】2017年2月12日
都民の森駐車場(9:14)~浅間尾根駐車場(9:41撮影・準備9:49)~御林山(10:02)~道奈良山(10:26)~数馬峠(10:33)~内台山(10:45)~数馬分岐(10:55)~藤倉分岐(11:10)~藤倉(11:40)~落合橋(12:00)~倉掛廃屋(12:43昼食13:06)~風張林道入口(13:20)~倉掛山(13:57撮影14:00)~風張峠駐車場(14:23)~浅間尾根駐車場(14:38休憩14:50)~都民の森駐車場(15:13)
※所要時間:5時間59分(歩行時間:5時間8分)コースタイム:5時間50分
※登った山:4座(御林山、道奈良山、内台山、倉掛山)
※歩行距離:15.8km
【2017年2月12日(日)】御林山・倉掛山
浅間尾根から藤倉バス停あたりまで下ってきた。
ここからは落合までは20分ほど車道歩き。

愛宕橋で北秋川を渡る。


左手に寒澤寺。

寛永三年(1626年)の創立で明治期には学校として使用されたこともあったとか。

しかし、昭和39年に学校給食が始まると、ここに炊事場を設けるため、寺は取り壊されてしまった。
現存の御堂は平成15年、地元の檀家らにより再建されたものだそうだ。
西東京バスは藤倉までだが、その奥は檜原村のデマンドバスが運行されている。

これも立派なお宅だが廃屋のようだ。

北秋川の上流部。

清冽な流れだ。

倉掛自治会館前を通過。

その裏に石仏がひっそり。

落合橋に到着。

正面に登山道というより石碑が並ぶ生活道が見える。

よく見ると、墓石のようだ。「知法童女」「幻霜童子」の文字も見える。

日当たりがよくて暖かい。

雪も全くなくて春のようだ。

こうして振り返ると、谷間の村であることがよく分かる。

ここは白岩沢の谷だ。

今度は石仏。道には背を向けていた。

落合橋から50mほど登ると民家が2軒ある。

1軒は廃屋だ。

まだ十分住めそうだが。

立派な石垣もあった。

ここは裏に車道が通じているので車で来ることができる。
V字形の空が格好いい。

現役の家の前を抜けると道が二手に分かれている。
道標がなかったが、地形図の表記がなんとなく右っぽかったので、右を選択。

2軒のお宅を見下ろす。

右手に見えたのは734mピーク。

振り返ると、浅間尾根の北斜面が見えた。

この先にも地形図には家の記号があり、確かに現地にもあった。

玄関前の道は木製の桟橋になっていた。

裏に回ってみる。

トタン屋根。

この祠は家の守り神だったのだろうか。

石仏も家主のない家をずっと見守っていた。

この先は樹林帯に入る。かつての生活道路らしく、石垣で普請してある。

興味深い形の木だったので記録に残しておいた。

つづら折れの道が続く。

生活道路としては、もう全く使われていないのだろう。かなり荒れている。


道はあっていたようで、地図通りまもなく右へのトラバースとなった。

屈曲点で左に転じるのも地図と同じだった。

スズタケが生い茂っている。

倒木も激しい。

振り返ると、御前山(1405m)の湯久保尾根。

いよいよ倉掛集落が近づいてきた。

立派な石垣も現れた。

さっきの廃屋から200mほど登ると再び車道に出た。

これは結果的に枝道だったのだが、本道かどうか確認すべく上に行ってみたら、やはり行き止まり。
その行き止まりに民家がある。
現役の家だと思っていたが、雪に足跡がないので、廃屋のようだ。

見学すべく敷地に入ると、奥の林が伐採されていて一気に展望が開けた。

左から浅間尾根の松生山(934m)、浅間嶺(903m)、一本松(930m)、929mピーク。
一番奥の松生(まつばえ)山。

今歩いてきた浅間尾根。数馬分岐がある908mピークあたりだろうか。

都心の高層ビル群も見えた。

このお宅にお住まいだったT・Hさん(表札が残っていた)の家族は毎晩、都心の夜景を見ながら眠ったことだろう。
あまりに景色がいいので、ここでお昼にすることにした。

ちょうどコンクリートブロックがあり、イス代わりに使わせてもらった。
メニューは昨日と同じ、カップ麺の天ぷらそばと炒飯のおにぎり。

おにぎりは低温のせいで、ぱさぱさになっていた。選択を誤った。
二日連続の天ぷらそばだが、最近ラーメンよりそばの方がおいしく感じるようになってきた。

食べ終わったところで名残を惜しみつつ出発。

20分ほどの休憩だった。

本道に出ると、廃車が2台。


そこは掬水山東安寺の跡だった。

創立は1373年より古いらしい。
そういうこともあり、ここには石仏などが集められていた。


寒念仏供養塔も。

寒念仏とは、1年でもっとも寒さの厳しい小寒から節分までの30日間にわたり、鉦をたたき念仏を唱えながら諸所を巡回する一種の苦行のことだ。
ここからは倉掛集落の廃屋を見ながら登っていく。


これは、交通遺児らを支援してきた「檜原ファイト村」の活動拠点として使用されてきた古民家だが、今も使われているのだろうか。


奥の家は現役のようにも見えたが。

今度の廃車はデリカ。

たまには、まだまだ頑張っているところも。
檜原きのこセンターはバリバリ営業中。

まいたけが美味しいのかな。

おしゃれ工房はやっているのか。

廃屋の向こうの御前山。

奥多摩から見るより、こちら側の方が形がいい。

集落の尽きたあたりで犬が吠えて追いかけていたが、遠慮がちでかわいい。

「おいでおいで」としたら近づいてきたけど、手の届くところまでは来ず、勝手に家に帰ってしまった。

犬がいるということは、まだ人も住んでいるということだ。

数えてみると4軒ほどはお住まいの様子だった。
さあ、ここから風張林道のスタート。

目の前に雪の積もった車道が見えたので、もう一度チェーンを装着。

林道で徐々に高度を稼いでいく。

途中、林道が大きくカーブするところはショートカットすることにした。

ここから取り付く。

つづら折りに登っていく。

尾根道に深く掘れたかつての生活道路らしき道が通じていた。

傾斜が急で、ちょっと難儀したが、間もなく林道に合流。

さらに高度を稼ぐ。林道歩きは楽だ。

右手に倉掛山(1078m)への取り付きを探しながら進むが、急な法面になっており、取り付けそうなところを見つけられないまま、ピークの位置を過ぎてしまった。
これは反対側から登ってピストンするしかないなあと思っていたら、登り口に小さな標識があった。

もう字が消えかけているが、これに間違いない。

もちろん、しっかり踏み跡はある。

ヤブも刈ってくれている。ありがたいことだ。

標高差30mほどで登頂。

ここにはちゃんと山名板があって、うれしかった。

(つづく)